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2017年3月20日 (月)

『キリスト教神学で読みとく共産主義』

 いやあ、佐藤優氏の本でこんなに引用が多い本は初めて見た。

「キリスト教神学的アプローチで、廣松渉「エンゲルス論」を読み直す」っていう腰巻からすれば、それは引用が多くなるっていうのは分からないでもないけれども、廣松渉がブント(共産主義者同盟)の思想的バックボーンであり、佐藤氏が在学した同志社大学などの関西の大学ではブントが主流であり、関東の革命的共産主義者同盟革マル派及び中核派、革労協(社青同解放派)などとも一線を画した左翼運動と考えると、そんなに廣松渉や関西ブントの思想を「キリスト教神学で読みとく共産主義」っていうほどには持ち上げなくてもいいんじゃないの? ってな気分にもなるんだけれどもなあ。

Photo 『キリスト教神学で読みとく共産主義』(佐藤優著/光文社新書/2017年2月20日紙版刊・2017年2月17日電子版刊)

『ソ連型社会主義(共産主義)は、マルクスとエンゲルスの理論をロシアの現実に創造的に適用することによって実現したというのは建前にすぎず、実際には、ロシア正教の異端思想と、民衆の受動性を徹底的に利用して、レーニン、トロツキー、スターリンらのボリシェビキ(ロシア社会民主労働党の左派)が権力を奪取した帝国の再編に過ぎないという見方もある』

 というのはその通り。

『廣松が、ソ連型社会主義の崩壊を目の当たりにし、マルクス主義の理念そのものが歴史の屑篭に投げ捨てられてしまうことを懸念して新左翼的運動を再編しようとしても、それが現実に影響を与える力をもたないことは客観的には明白であった。しかし、客観的には負けが明らかな情況であっても、それにあえて参与するというのが廣松型政治の美学だったのである』

『廣松は、ソ連型マルクス・レーニン主義については、かなり早い時期から「ロシア・マルクス主義」であると規定し、批判的姿勢を鮮明にしていたが、『ドイツ・イデオロギー』以降のマルクスの言説については、廣松流の弁証法を巧みに駆使して、「マルクスが言っていることは、正しい」ということの護教に専心する。特に『資本論』の読解において、その傾向が顕著に表れている』

『廣松が、ソ連型社会主義の崩壊を目の当たりにし、マルクス主義の理念そのものが歴史の屑篭に投げ捨てられてしまうことを懸念して新左翼的運動を再編しようとしても、それが現実に影響を与える力をもたないことは客観的には明白であった。しかし、客観的には負けが明らかな情況であっても、それにあえて参与するというのが廣松型政治の美学だったのである』

『廣松にとっての左翼運動とは、結果を追求する政治運動ではなく、「虎は死して皮を残す」という類の正義運動だったのかもしれない』

『彼らのインターナショナリズムは、世界の側から地域を睥睨ないし鳥瞰するコスモポリタニズムとちがって、あくまで彼らの出身地を基点として、そこから国、世界へと放射状に拡大するインターナショナリズムだったということである』

 この辺が、日本の左翼運動の限界だったんじゃないだろうか。結局、国際共産主義運動としては、もともと国境なんてものは意識しないで行われなければならないもののはずである。元々、「国家」というものを否定する活動が共産主義なんだから、その活動は「ナショナル」を基にした「インターナショナリズム」ではなくて、元々「ナショナル」を否定した「コスモポリタニズム」でなければならなかったんじゃないだろうか。その証左がエルネスト・チェ・ゲバラの解放戦争主義である。彼は、別にキューバじゃなくてもよかったのだ。たまたま出会ったのがフィデル・カストロだったのでキューバ革命に付き合ったのである。

 まあ、元々政治家ではなくて革命家であるゲバラは、建国はカストロに任せて自分はボリビアに行って、殺されちゃったんですね。

 結局、こういうことなんですよね。

『ソ連型共産主義は、本質において国家社会主義(state-socialism)だった。「私有財産にとらわれた粗野な共産主義」とは、中東欧で現実に存在する社会主義、スターリニズムに対する異議申し立てとして行われたジョルジ・ルカーチ、エルンスト・ブロッホ、カレル・コシークなどの人間主義的マルクス主義にその影を落としている』

 国家社会主義って言っちゃえばそれはナチスのナチズムそのものじゃないですか。まあ、確かに「壁崩壊」以前のソ連ははっきり言ってナチ以上のナチズム政治だったんだろうな。そんな報告や、小説なんかも数多くある。

『廣松にとってエンゲルスは死者だ。しかし、廣松は死者エンゲルスとの対話に成功し、共産主義観について合意に達した。私にとって廣松渉は死者だ。それにもかかわらず、死者廣松渉との対話に私は成功したと思っている。真摯な対話の結果、疎外論と物象化論の違いについて、私たちは共通の認識を持つことができたと思う。しかし、私は物象化論に与することはできなかった。私が持つキリスト教的なバックグラウンド(あるいは偏見)が、本質において仏教的(あるいは京都学派的)な物象化論に対して忌避反応を示すのである。それは、廣松が持つ仏教的なバックグラウンドが、本質にお対して忌避反応を示すのに似ている』

 基本的なことを言ってしまえば……

『マルクス主義が理解する革命とは、政権奪取にとどまらず既成のシステムの全面的転換を伴うものである。従って、革命家でありながら、現下体制を維持する中核にいることは、常に内的緊張を伴う。廣松はこの緊張をあえて引き受けた。この点にも廣松の特異性がある』

 っていうことでしょう。

 まあ、東洋や日本、欧米にしたって「革命」という形の政変ができる時期、できる地域等々があるんだろう。

 当然、革命というのは、民衆革命だろうが、クーデタという形をとるものであろうが、それなりに社会的な熟成と危機感がなければならないはずだ。

 つまり『廣松渉の「エンゲルス論」』だけじゃ、日本の革命状況は見えないってことですね。

 まあ、日本で明治維新以来の革命は、まあここ50年は起きないでしょう。

『キリスト教神学で読みとく共産主義』(佐藤優著/光文社新書/2017年2月20日紙版刊・2017年2月17日電子版刊)

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