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2017年3月

2017年3月31日 (金)

碑文谷、清水池、立会川

 碑文谷、清水池、立会川って言ったってヘタな三題噺ではない。

 東急東横線に乗って渋谷から自由が丘方面へ向かうと、学芸大学駅を過ぎると右手に大きな池のある公園が見える。なんの公園なんだろうと思って見に行くと、中島に神社が祀られている池が見えてきた。

 ここが碑文谷公園なんですね。

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 公園の中に昭和八年に東京市が設置した説明版がある。

『この地に元碑衾町碑文谷の共有地であって園の半を占むる池に碑文谷池又は三谷池と稱へ立會川の源をなし舊幕時代は鴨池とされしと傳う。
 近時は専ら下流一帯の水田灌漑の水源として重用せられた。池は右へより各々部落選出の池總代により管理せられ其維持は地元人々の奉仕によれり。現存する白樫の並木は今より約六十年前植栽せられ池と共によく愛護され今日に至る。
 昭和七年十月一日市域擴張に際し擧けて公園池とし本市に寄附せられ新市域公園の先駆となる。
 本市はこの沿革を尊重し永く保存管理し郷土の人々の芳志を後世に傳えんとす。

 昭和八年十一月        東京市』

 えっ? 立会川? う~ん、なんか碑文谷のお屋敷町と立会川の下町イメージが……。それにしても周囲には川がないしなあ? 何なんだろう?

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 これが立会川の取水口なのかなあ?

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 で、東横線の左側、目黒通りをもう少し行くと、今度は清水池公園っていうのがある。

 ここも、碑文谷池よりは少し狭いけれども、清水池っていう池が中心の公園です。こちらは池にヘラブナが放流されて、目黒区内唯一の釣りのできる池として親しまれているそうな。

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 で、説明版を読むと、こちらも立会川の水源らしい。

 う~ん、こちらにも取水口っぽいものがあります。でも川はない。

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 で、京浜急行の立会川駅まで行ってみて謎が解けた。

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 立会川は、そのほとんどが暗渠化されていて、立会川のちょっと北西、JR東海道線を過ぎたあたりからが川として地上に姿を現していたのだった。

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 で京急立会川のちょっと先で勝島運河に注いで、立会川は終わる。

 本当の立会川は目黒区から流れているんだけれども、実際の立会川は大田区だけを流れている川なんだ、

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Himonya & Meguro Honcho Meguro, Higashi Oi Ota ©tsunoken

2017年3月30日 (木)

フジフィルム・フォトコレクション

 六本木ミッドタウンにあるフジフィルムフォトサロンで『FUJIFILM SQUARE開館10周年記念写真展「フジフィルム・フォトコレクション」展 日本の写真史を飾った写真家の「私の一枚」』という写真展が開催されている。

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 2014年1月20日に創立80周年を迎えたフジフィルム、これを機に「写真文化を守る」ことを基本理念として「フジフィルム・フォトコレクション」を立ち上げたというもの。

「これは、幕末・明治から現代に至る、日本を代表する写真作家の記録的価値の高い最高作品を弊社がコレクションし、写真文化の維持発展に貢献するという試みです。日本の写真史とと写真界の発展の軌跡をご覧いただける本コレクションの展示は、東京での開催を皮切りに、全国の美術館や博物館を巡回し、多くのお客様にお楽しみ頂いております。」

 というのが本写真展の「ご挨拶」。

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 展示されている作品は、フェリーチェ・ベアト/上野彦馬/下岡蓮杖/内田九一/日下部金兵衛/小川一真/鹿島清兵衛といった日本の写真史上の黎明期の作品から……

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 福島信三「釣り」/塩谷定好「破船」/桑原甲子雄「麹町区馬場先門」/安井仲治「海濱」/福原路草「新潟・関温泉にて」/田淵行男「初冬の浅間 黒斑山の中腹より」/濱谷浩「歌ってゆく鳥追い 新潟」/岡田紅陽「東海の松 毘沙門 静岡県」/影山光洋「手作りの小麦の収穫祝いの食卓」/林忠彦「太宰治」/杵島隆「老婆像」/植田正治「パパとママとコドモたち」木村伊兵衛「秋田おばこ 秋田・大曲」/渡辺義雄「内宮正殿西側全景」/岩宮武二「マヌカン」/大竹省二「ヘルベルト・フォン・カラヤン」/大辻清司「陳列窓」/田沼武能「真知子巻きでお使い 東京・佃島」/鋤田正義「母」長野重一「5時のサラリーマン 東京・丸の内」/石丸泰博「シカゴ 子供」/川田喜久治「日の丸」/細江英公「薔薇刑 #32」/緑川洋一「瀬戸内海・島と灯台」/芳賀日出男「正月と盆 横手万歳」/富山治夫「過密」/白籏志朗「冬の晨 箱根姥子」/高梨豊「〈東京人〉より」立木義浩「〈舌出し天使〉より」桑原史成「“生ける人形”とも言われた少女」/坂田栄一郎「〈Just Wait〉より」/篠山紀信「〈誕生〉より」土門拳「弥勒堂釈迦如来像左半面相」広田尚敬「C57動輪 秋田・土崎」小川隆之「〈New York Is〉より」/久保田博二「沖縄」/土田ヒロミ「愛知 一色黒沢」/荒木経惟「〈センチメンタルな旅〉より」沢渡朔「〈NADIA〉より」/十文字美信「Untitled」/鈴木清「女、川崎」/東松照明「波照間島」森山大道「三沢の犬」北井一夫「長崎・平戸」/田村彰英「YOKOHAMA」/奈良原一高「アメリカ・インディアン村の二つのゴミ缶」/森永純「福岡県能古島」/有田泰而「First Born」/木之下晃「Alfred Brendel」/原直久「レ・アール市場跡」/江成常夫「スラムのアパートの三人家族 7ストリート、東111番地 New York」/倉田精二「池袋・光町大橋近く 東京 池袋」/杉山守「ベンジン・ボトル」/秋山亮二「津軽 聊爾先生行状記>より」/繰上和美「海を見る」/須田一政「山形 銀山温泉」/南川三治郎「ジョアン・ミロ」/石内都「絶唱・横須賀ストーリー」/牛腸茂雄「〈SELF AND OTHERS〉より」/深瀬昌久「鴉 金沢」/前田真三「麦秋鮮烈」/中村征夫「海軍コマンドに憑かれた男たち」/山崎博「〈HELIOGRAPHY〉より」/北島敬三「新宿二丁目のゲイボーイ」/水越武「天に登る光跡 カラコルム・パキスタン」/入江泰吉「斑鳩の里落陽 法隆寺塔」/大西みつぐ「根津」/島尾伸三「〈生活〉より」/普後均「「暗転」シリースより」/ハービー・山口「GALAXY, London」/伊藤義彦「Imagery 72-82011, 1982」/山沢栄子「What I'm doing #24」/清家冨夫「〈Potrait of ZOE〉より」/長倉洋海「一人、山上で本を読む戦士マスード アフガニスタン」/築地仁「写真像 #55」/水谷章人「〈白銀の閃光〉より」/宮本隆司「解体中の有楽座、日比谷映画劇場から三信ビルを見る」/広川泰士「sonomama sonomama #26」/伊奈英次「在日沖縄米軍楚返通信所」/上田義彦「Robert Mapplethorpe」/竹内敏信「ファイヤーカーテン 三原山」/三好耕三「本荘」/星野道夫「夕暮れの河を渡るカリブー」/今道子「タコ+メロン」/柴田敏雄「新潟県北魚沼郡湯之谷村」/田中常光「オウサマペンギン サウスジョージア島」/齋藤亮一「スズタリ ロシア共和国」/潮田登久子「東京 世田谷」/瀬戸正人「渋谷」/野町和嘉「ライラトル・カドルの礼拝 メッカ」/秋山庄太郎「薔薇」/佐藤時啓「光ー呼吸 #275 Koto-ku Aomi」/白岡順「フランス、ニーム 1999年7月13日」/鬼海弘雄「歳の祝いの日」まで、戦前戦後の全部で101人のフォトグラファーの作品が展示されている(超有名な作品は太字)。

 まあ、皆さんの代表作ってことでしょうか。

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 まあ、ほとんどが私も見たことがある作品なんだけれども、そうじゃないものもある。

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『FUJIFILM SQUARE開館10周年記念写真展「フジフィルム・フォトコレクション」展 日本の写真史を飾った写真家の「私の一枚」』はフジフィルムフォトサロン(スペース1・スペース2・フジフィルムスクエア ミニギャラリー)にて4月12日まで開催中。

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Roppongi Minato ©tsunoken

2017年3月29日 (水)

『イケてる大人 イケてない大人』

 勿論、私だって「イケてる大人」になりたいわけで、そうすれば若い女性から「好き!💛」なんて言われちゃったりしてね(まあ、そんな出会いすらないか)。

 ということなので、どういう「大人」が「イケてる大人」なんだろうかと興味津々になって読んだわけです。

Photo 『イケてる大人 イケてない大人 シニア市場から「新大人市場」へ』(博報堂 新しい大人研究所著/光文社新書/2017年3月17日電子版刊・2017年3月20日紙版刊)

 どういう大人が「イケてる大人」なんだろうか。

『現在の大人男性がイケてる大人だと思うキャラクターとしては、『課長島耕作』の島耕作、『ゴルゴ13』のデューク東郷、『ルパン三世』のルパン三世、『北斗の拳』のケンシロウといったところが挙がってくる』

『これに対し20代の若者が挙げるイケてる大人キャラとしては、『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ、『SLAM DUNK』の桜木花道、『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしといったところが人気だ。20代女子ではさらに、『SLAM DUNK』の安西光義が挙がってきた』

『経済が右肩上がりの頃に青春を過ごした大人世代は、上昇志向で成功に向けてひた走る能力と強さを持った男がイケてると考える。一方、デフレに悩む低成長の時代が日常である若者世代は、仲間とのつながりを大切にする、自由で思いやりとハートの温かさを持った男がイケてると考える』

 まあ、それだけ「イケてる大人」像ってのも変化してきているってことなんだな。

『本書において「イケてる大人」とは「40代後半~60代の男性で、若い世代の男女及び、同世代女性から交流を持ちたいと思われるカッコいい魅力的な人」と規定している』

 まず、『職場のイケてる交流術』ではどうなんだろう。

①威厳はあるが、ちょっと怖そうな上司よりも、にこにこしていて、話しやすそうな上司の方がイケてる

 ということだそうだ。まあ、私なんかの世代になっちゃうと「広義の団塊の世代」なんで、もはや団塊の世代にような威厳やイケイケどんどんな発想はないんで、って言うか、もともとがそんなに威厳なんかないもんなあ。

 次には『食事・酒の場でのイケてる交流術』ではどうなんだろう。

①自分の足と舌でみつけた店「俺ログ」がイケてる
③味覚にオープンな大人、もてなされ上手な大人がイケてる
④イケてる大人は、若者女性にもジェントルマン
⑤イケてる大人のお勘定――〝全ておごり〟より〝8割払う〟がイケてる!
⑥イケてる大人は気付かれずに支払いを済ます

 ほう、〝全ておごり″より〝8割払う″がイケてるってのは知らなかったなあ。

 次は『カラオケでのイケてる交流術』だぞ。

①場を盛り上げるアクションは、イケてる大人のたしなみ
②全力で楽しんでいる姿がイケてる!

 なるほどね。そりゃ、カラオケに行ったら十分自分自身も楽しまなきゃね。

 Facebookのマナーもあるぞ。

①写真中心で文字の少ない投稿はイケてるが、文字ばかりの長文投稿はイケてない
②趣味等一貫したテーマの投稿はイケてるが、評論めいた投稿はイケてない
③女性よりも男性、男性よりも家族と一緒の写真投稿がイケてる
④全部「いいね!」をする人はイケてないが、選んで「いいね!」をする人はイケてる

 なるほどね。まあ、私にとってのTwitterやFacebookは単なるブログの宣伝媒体ってことでしかないので、こういった問題はない。

 しかしまあ、別に自分でなりたくなってなった「大人」っていうよりは「年寄り」なんだけれども、そんな年になっても女性、特に若い女性の目を気にするっていうのは、男としての哀しい習性(サガ)なんですね。でも、そこで女性の存在を無視するようになってしまっては、最早、人生は終わったと同じだし、まあ、やっぱり若い女性に、別に恋愛の対象にならなくても、せめて「素敵なおじさま」くらいには思ってもらいたいじゃないですか。別に、セックスはしなくてもいいから(っていうか、もうできないってのが正直なんですけれどもね)、せめて腕でも組んでくれるっていうか、ハグでもしていただければ最高です。

 最後に、本書では『日本が社会の活力を維持し、海外からも注目される国であるための提言として受け止めていただけたら』と考える七つの提言が載っているので、それを採録する。

1.誰に対しても気遣う、励ます
2.人前でいつも元気、明るい
3.丁寧に話す、礼節がある
4.挑戦し続ける、勉強し続ける
5.「家族と仲良く」に努力する
6.責任を持って知恵を伝える
7.見た目によく気を配る

 なんだこれ、ごく普通に大人として守るべきことなんですよね。

 特別なことじゃない。ということをわざわざ書くっていうのは、そんなことすらできないオヤジがいっぱいいるってことなんですかねえ。

 そっちの方が「残念!」

『イケてる大人 イケてない大人 シニア市場から「新大人市場」へ』(博報堂 新しい大人研究所著/光文社新書/2017年3月17日電子版刊・2017年3月20日紙版刊)

2017年3月28日 (火)

六義園、桜はまだ見頃じゃないなあ

 ご当地ネタです。

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「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」を開催中なんだが、正直言って桜はまだまだ見頃じゃない。

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 三分咲きといったところでしょうか。

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 見頃は今週末くらいではないでしょうか。なので、ライトアップも4月2日までの予定だったんだけれども、6日まで延長することになった。

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 そもそも六義園の魅力って、池のある方の庭は大庭園って感じなんだけれども。

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 上の写真を撮った藤代峠の裏側。庭園の北側は、まるで深山幽谷を歩いているような、感じの、まるで大庭園とはまったく異なった趣の庭という違いがあるところなんだ。

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 この辺が同じ広さの小石川後楽園なんかと違うところ(ちょっぴり自慢?)。小石川後楽園はどこをとっても、まさしく大庭園だけっていう感じでしょ。

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 この自然(じゃないけれどもね)を愉しめるところが六義園のいいところ。

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 今週末は、我がマンションの屋上からしだれ桜を眺めながらマンション親睦会の「屋上観桜会」が開催されます(これまた、ちょっぴり自慢?)。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Rikugien Bunkyo ©tsunoken

2017年3月27日 (月)

相撲甚句から両国逍遥

 昨日は両国は照国ビル4階にある相撲甚句会館で相撲甚句会館で初めて開催される「全日本相撲甚句協会 第十九回相撲甚句発表大会」っていうのを覗いてきた。

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 何で相撲甚句なんだって言えば、私の会社の先輩であるA比奈さんがいつの間にかこの相撲甚句協会の幹部になっており、そのA比奈さんから誘われたってわけ。

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 日本各地の18の相撲甚句会から29グループが参加して3月25・26日の二日間にわたって行われた相撲甚句発表会なんだが、あれ? まだ大阪場所をやってる最中じゃん、稀勢の里の負傷しても優勝っていう一番いいところをを見に行かなくていいの? なんてことは考えずに、まあ相撲甚句を愉しめばいいのである。

 中には新潟市相撲甚句会のように行司や相撲踊りなんてのも出てくる。しかし、この相撲取り、これじゃあそっぷ型にもなれないなあ。

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 A比奈さんが属する隅田川相撲甚句会の三組目、相撲甚句発表大会千秋楽の十五番の中の十二番目が出番ってことは小結、隅田川相撲甚句会の中でも結構うまい人たちなんだろうなあ。

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 で、この人がA比奈三さんなんだが、まさしくこの隅田川相撲甚句会のトリなんだなあ。
 出し物は本唄が「出世道」、囃しが「相撲負けても」というもの。

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 本唄の方は忘れてしまったが、囃しのほうはこんな感じ。

 あー 相撲負けても 下駄さえはけば
 かったかったと 音がする
 ささー カランコロン カランコロン

 というユーモラスなもの。

 で、相撲甚句会館なので全日本相撲甚句協会師範の国錦耕次郎氏の面白い話と、国錦氏のお嬢さんのゴスペル・ソングの披露があった。

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 このお嬢さん、15歳の頃から相撲甚句を始めたんだが、現在はゴスペル歌手が本業。でも、昨日聴いた「アメイジング・グレイス」なんだが、なんか相撲甚句を聴いているようになったのは私だけではないようだ。本田美奈子のとは違い、すごい迫力の歌声だった。

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 で、その後、両国を少し散歩したんだが、雨だったのでホンの少しだけ。

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 これじゃあ、「逍遥」じゃなくて「ちょっお散歩」ですかね。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Ryogoku Sumida ©tsunoken

2017年3月26日 (日)

『日本会議の研究』を読んだら、益々わけがわからなくなった

 森友学園と籠池泰典理事長を巡るゴタゴタの中で突然登場してきた菅野完なる人物。

 その人が気になって、菅野氏が書いて、対象とされた日本会議から出版差し止めを請求されたという本書。日本会議というものの存在は安倍政権のバックボーンにある右翼組織であるという認識はあったんだけれども、その安倍政権のバックボーンにある右翼がそんなに怒るほどのものが書いてあったのか? というのが最初の購入動機。で、菅野氏ってどういう人なのか? ってのが二番目の購入動機。

 で、どうだったのか?

 籠池氏は日本会議の関西支部の重鎮らしい。ってことは安倍政権のバックボーンではあるんだようなあ。

Photo 『日本会議の研究』(菅野完著/扶桑社新書/2016年6月25日刊・2017年1月10日改訂)

 まえがきで

『彼らの主張内容は、「右翼であり保守だ」と自認する私の目から見ても奇異そのものであり、「保守」や「右翼」の基本的素養に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった』

 と菅野氏は書く。まあ、いろいろなセクトに分派している左翼と同様、右翼陣営だっていろいろなセクトには分派しているんだろうな、ということは理解しているつもりだ。

 で、菅野氏の本書のどこが日本会議の勘所に触ってしまったんだろうか。

 日本会議は6ヵ所に間違いがあるとして東京地裁に出版差し止め訴訟を起こしたんだが、結局、1ヵ所だけの間違いということになった。でもまあ、これまで猥褻事犯でもって出版差し止めはあったんだが、そうではなくて「言論」に対する判例で出版差し止めってあまり判例はないんじゃないだろうか。

 そんな意味では、まさしく安倍政権による「言論統制」の始まりかなという気もする。

 で、その1ヵ所の間違いって何だろう。

『「『理想世界』100万部運動」の達成で、安東の権威は揺るぎないものとなった。学生時代には、「民族派の全学連」と評された全国学協を立ち上げ、社会人となってからは、「生長の家」青年会を拡大させ、教団の屋台骨とした。もう誰も彼の権威に逆らえない』

 という生長の家機関誌の売上げ拡張計画があり、その結果、売り上げに協力するあまり、サラ金から借金までして機関誌を買った会員がいるってことのようだ。

『当時、消費者金融の取り立ては社会問題化していたほど苛烈を極めていた。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●安東は、「谷口雅春尊師のお教えを、日本の青年に広めるのだ。そのためには諸君らの『光の弾丸』が必要だ」と演説し、周囲はそれに心酔し、熱狂が集団を支配していた』

 この●の36文字は何なんだろう。

「結果、自殺者も出たという。しかし、そんなことは安東には馬耳東風であった。」という36文字のようだ。

 えっ? 何でこの程度の記述が? まあ、生長の家の機関誌拡張運動で、拡張ができなくて(当たり前じゃん)結果として、売れなかった会員は自腹で、なおかつサラ金からお金を借りて大量部数を買った人がいたってことなんでしょう。で、それで自殺しっちゃった人もいるんだ。

 まあ、これは宗教団体じゃなくても、企業でも散見できることですね。まあ、日本の企業は一種の宗教みたいなもんですから。そう、「家族主義」ってのは、完全に宗教だよね。

 ということで、日本は右翼・保守勢力に抑えられているんですね。もはやリベラルの出る幕はないってことなんだなあ。

 というよりも菅野氏が言う「右翼であり保守だ」というのと、日本会議が目指すものは『「皇室中心」「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」「自衛隊海外派遣」といったものでしかなく、「日本会議が目指すもの」に示された内容の思想性や政治性に目新さは一切ない』というものとがどう違うのかというのが、私のような「リベラル・バカ」には分からないんですね。

 まあ、「改憲」「靖国参拝」「自衛隊海外派遣」と言ったあたりが、右翼辺りでも党派が違うと考え方が異なるのかもしれない。

 基本的に私は高校生の時からマルクスの「ドイツ・イデオロギー」とか「経済学・哲学草稿」なんかを読んできた人間なんだからマルクス主義者なんだろうなあ。ただし、マルクス主義者=共産主義者ってわけはなくて、マルクス主義者だって生涯資本家だったエンゲルスっていう人もいたんだよね。私も別に日本資本主義に反対しているわけでもなく、普通に資本主義的に生きているわけだし。

 まあ、高校の時からマルクスの本を読んできて、大学のマルクス経済学の授業では、その余りにも程度の低い授業にガッカリした立場で、しかし、新左翼運動の経験を高校生の時に体験した人間としては、ハッキリ言って「右翼はワカラン」。

 まあ、ただし大学のゼミではマルサスだったんだけれどもね。

 これまで持っていた「右翼は世界を知っていない」「ネトウヨは周辺の事しか考えない、周辺のもっと大きい世界のことは考えない」「『愛国者』って、他の国の事を考えない『アホ』ばっかりじゃん」って見方はちょっと変えなければいけないのかもしれない。

 うーん、でも菅野氏は基本的には日本会議には批判的な人ではないように読めるんだよなあ、本書を読んでみるとそれほど批判的な感じはしない。要は、現今の安倍政権と日本会議が繋がっていることが面白くないようだ。

 要は「生長の家」あるいは「日本会議」からパージされちゃった恨みで書いたのかなあ。

 その辺は分からない。

『日本会議の研究』(菅野完著/扶桑社新書/2016年6月25日刊・2017年1月10日改訂)

2017年3月25日 (土)

徳川ドーミトリーと徳川ビレッジ

 3月21日のブログに「豊島区側の目白通りの裏の方には、徳川ビレッジという外国人専用の超高級賃貸住宅」なんてことを書いてからなんなんだけれども、その「徳川ビレッジ」が気になったので見に行った。

『徳川ビレッジは目白を高級住宅街とする理由となった、徳川義親侯爵の本邸敷地内に作られました。春は桜が満開となり、盛夏も大木の緑蔭で涼しく、秋は都心と思えないほどの落葉に彩られ、雪におおわれても風情のある空間。
 小鳥のさえずりが聞こえる約7000坪の敷地内に、庭と駐車場、メイドルームなどを備えた優雅な33邸が建てられています』

 というのが「徳川ビレッジ」のサイトに最初に載っている文章なんだが……

 要は、明治になって徳川御三家のひとつ、尾張徳川家が麻布から移り住んできたのが、ここ豊島区目白のあたりだったそうだ。まあ、もともと、目白や落合に狩猟場を持っていた尾張徳川家なので、その場所に移り住んできたということなんだろう。

 で、その尾張徳川家の尾張徳川家伝来の美術品・文献資料等の収集・保管や一般公開を行い、美術や史学の研究に資することを目的として設立されたのが公益財団法人徳川黎明会で、その資産管理運営を任されているのが八雲産業株式会社で、その八雲産業株式会が運営しているのが徳川ドーミトリーと徳川ビレッジなのであります。

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 上の写真がその徳川黎明会と八雲産業の本社。なんか初めから凄いことになってますね。

 で、下の写真が徳川ドーミトリー。って、これは女子学生のための寮なんだけれども、なんか、全部の部屋が広いし、バストイレ付だし、三食付きだし、まるでホテルみたい。まあ、お金持ちの地方の方のお嬢様のための女子寮なんだなあ。

 う~ん、凄い! そんな世界があるんだ。

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 で徳川ビレッジの賃貸住宅はこんな感じ。似たような感じの家が立ち並んでいるようなのだが、そのほとんどが土地100坪以上、建坪40坪以上で、メイドルーム付き! ってすごいですねぇ。

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 ただし、「徳川ビレッジという外国人専用の超高級賃貸住宅」というのはちょっと違うようで、全部で35棟ある徳川ビレッジ。それぞれの家には表札なないんだが、ビレッジの何か所にビレッジの住民の名前が書いてあるリストがある。徳川さんは当然なんだが、それ以外にも三分の一位が日本人らしい名前が書かれていたりするので、多分、最近は外国人専用ではなくなったのかもしれませんね。

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 しかし、面白かったのは尾張徳川家の資産管理運営を任されている八雲産業なんだが、会社のサイトをみたら、何と「社員数14名」(!)。まあ、資産管理運用会社なんてのは、どうせ実際の仕事は外の会社に丸投げなんだろうから、この人数でもさばけるんだろうな。その辺は講談社の資産管理運用会社の音羽建物も同じ。

 う~ん、世の中、お金があるところとにはあるってことですね。

当然、社長さんは尾張徳川家第22代当主である徳川義崇氏。勿論、徳川ビレッジの住民でもあります。

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 その辺は「エラい!。」

NIKON Df  AF NIKKOR 35mm f1:2.0 D @Mejiro Toshima ©tsunoken

2017年3月24日 (金)

85mmで街撮りスナップ in Yokohama

「85mmで街撮りスナップ」再開なんだが、今回は「引き」の写真が多くなってしまい、ちょっと失敗写真かな。

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 しかし、なんで「85mmで街撮りスナップ in 横浜」じゃなくて「in Yokohama」なんだ?

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 今まで「in 浅草」「in 銀座」「in おばあちゃんの原宿」「in 麻布」ってやってきたのに、突然「in Yokohama」だもんなあ。

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 横浜と言ってもお広おござんす。

 みなとみらいとか関内あたりの埋め立て地から、野毛や保土ヶ谷、戸塚あたりの山まであります。

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 この写真はその伝でいうと「埋立地ばっかり」なんだけれども。まあ、その辺が今の「Yokohama」なんですね。

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 じゃあ、埋立地が横浜のメインなのかと言えばそうではない。

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 昔の、「神奈川」と呼ばれた地域は埋立地ではなくて、横浜駅の東側から野毛、保土ヶ谷あたりが昔の「横浜」だったんですねえ。

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 なので、私が撮影したのが「Yokohama」だったってわけ。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1.8  @Yokohama ©tsunoken

2017年3月23日 (木)

『こんな街に「家」を買ってはいけない』って、今更言われてもなあって気分?

 いまさら『こんな街に「家」を買ってはいけない』なんて言われても、買っちまったものはしょうがないじゃないですか。買っちまったものは……。

「〇〇ニュータウン」なんてものが、実はまやかしのニュータウンであり、実際のところ住んでいればやがてはオールドタウンになって、住民は停滞化し、新陳代謝はしない、誰も住みたくない街になるってのは分かっていた。実際に年をとってきて住むのに便利なのは、実は「都心のマンション」なのだ。

Photo 『こんな街に「家」を買ってはいけない』(牧野知弘著/角川新書/2016年11月10日刊)

『全国のニュータウンは計画地区数で、2009カ所、面積にして18・9万ヘクタールにも及んでいます。
 大阪府の面積が約19万ヘクタールですから、その規模の大きさが想像できます。全国の市街化区域の13%がニュータウンというのが現状です。
 さらに驚くべきことに、事業が終了したニュータウンは1828カ所、つまり今でも計画段階のニュータウンが181カ所も存在しています』

『多くのニュータウンは、現在では築40年以上を経過しており、住民の高齢化も激しく、もはやニュータウンではなく、「オールドタウン」となっていることが窺えます。
 ニュータウンは開発時期に同じような年齢層の住民が一斉に入居する結果、住民の高齢化が一気に進むという特徴があります』

『公営住宅は低廉な家賃が売り物で、分譲住宅には手が届かない人たちがとりあえずはここに住み、やがて子供の成長ともあいまって、分譲住宅を購入し、転出していく。そのあとに、再び、若い世帯が入居する。こんな人口循環を前提に供給されてきました。
 ところが、多くの住民は固定化し、また若い世代がどんどんその数を減少させていく中で、公営団地の住民は毎年歳を重ね、住民の高齢化の問題が起こってきました』

『首都圏は国内でも圧倒的に人口が集積しているエリア。高齢化率が同じ30%だとしても、その実数は大変な数になります。そして、その数値を生み出すもととなるのが、首都圏郊外の住宅地なのです。
 いわば首都圏郊外の住宅地は、高齢化社会の縮図として、実数で圧倒的に多くなる高齢者が抱える多くの問題を解決していかなければならなくなります。
 ニュータウンからオールドタウンへ。郊外住宅地の高齢化は待ったなしの状況です』

 というっことで、共働きの若い世代はタワーマンションなんかに居住するようになるんだけれども、それにも問題があるんだなあ。例えば、いま超高層マンションが林立している川崎市の武蔵小杉あたりなんだが。

『ニュータウンは都市郊外部に「面的」に拡大していきましたが、今は超高層マンションのように「立体的に」伸びるニュータウンになっているのです。
 そしてこれらの街は増加し続ける住民の数だけにその発展を依拠しています』

『私はこの街の人気は一過性のものと見ています。ニュータウンと同様に時代の経過とともに取り残されるマンションが増えていくような気がしています。その際厄介なのは、建物は土地と違って激しく劣化するもの、ということです』

『人間の住む土地というのは実は長い歴史の上に成り立っているものです。つまり、多くの災害や戦禍などが繰り返される中で人はもっとも安心安全な土地を探し求め、その結果としてたどり着いたのが、現在でも高い知名度のある土地です。
 一時的な人気だけで、未来にわたって価値が高まるような土地は存在しないのです』

『「江戸っ子も三代」とはよく言ったものです。三代が暮らすようになると、地域内の行事も次世代へと受け継がれるようになり、それぞれの家での歴史が積み上がっていきます。その集合体としての地域の文化、風俗が生まれてくるのです。
 不動産の価値も、実は、そこまでの見極めをしないと、本当の価値とは言えないものなのかもしれません。一時的に人気が出て、大勢の人が「買いたい」「借りたい」と言って、集まってくると、不動産価格は上昇しますが、これが永続するかは、まさに、この価値が次世代に正しく受け継がれていくかにかかっているのです』

 結局、親の世代が住んだ街に、子供世代が同様に住み、街の行事や文化をそのまた次の世代に伝えていくようないならないと、街は滅びてしまうということなんだろう。ニュータウンやタワーマンションのデベロッパーにはそんな発想はなくて、単に「売り逃げ」ているだけだもんなあ。そこへ行くと都心のマンションなら、もともとその土地に歴史があり、文化があり、街の行事なんかもある。そんなところなら、若い世代が帰ってきても、再び街に溶け込んで生きていくことができる。

『これまではどこが値上がりするか、といった「財産」として住宅を考え、選択することが自宅を選ぶ際における主流の考え方でしたが、今後の家の買い方は、「消費」としての効用をいかに高めるかということで選択する時代になると言えるでしょう』

『つまり、都心部までの交通利便性や、住み心地の良さ、生活周辺サービスの充実、保育所、学校などの教育施設の内容、映画館や美術館などの娯楽・文化施設、すべてが「便利」で、効率的という要素から選ばれていくのです』

『こうして考えてくると、2000年代になって急速に「都心居住」が進んだことは必然だったとも言えます。男女雇用機会均等法の改正で、女性の深夜就業が認められるようになり、より利便性の高い住宅が求められるようになったからです』

『利用価値の高い都心部の住宅の人気が顕著になるということは、人々が知らぬうちに住宅という存在を「利便性重視」=「消費」という概念で選択するようになったということです』

『住宅は利用価値に根差した消耗品として、買い替えていく存在になる、こうした考え方が今後住宅を購入していくにあたっての賢い知恵なのです』

 まあ、買い替えていくというのも難しいだろうから、「借り換えていく」という生き方もあるんだろう。

『とりあえずは今の生活を続けるのに支障のない範囲で割り切って、たとえば家族の利便性を重視して、都会のマンションを借りる。ある程度生活も安定し、子供が卒業したあとに、夫婦そろって暮らせるような家を買う。最近は結婚生活が長く続かない人もいます。一人ぼっちになっていれば、「一人住まい」にふさわしい家を買う。いろいろな選択肢を、置かれた状況に応じて使い分ける、つまり所有権から「解放」された人生を過ごしてみることも、今後の生活スタイルとして定着してくるかもしれません。
「家なんてもたなくてもいいじゃん。いくらでもあるのだから」
 こんな考えか方がひょっとすると25年後の日本では常識になっているかもしれません』

 う~ん、なかなかいい考え方だなあ。

『こんな街に「家」を買ってはいけない』(牧野知弘著/角川新書/2016年11月10日刊)

2017年3月22日 (水)

落合・おとめ山公園

 昨日に引き続き目白ネタです。

 目白通りの昨日書いた方と反対側に行くと「おとめ山公園」という、なんともフェミニンな名前の公園がある。

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 昨日のブログの一番下の写真にある通り、この地域一帯は江戸時代まで尾張徳川家の持ち物で、この公園も徳川家の狩猟地だった。

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 そのため一般人は立ち入り禁止。なので「御留山または御禁止山」と書いて「おとめ山」と呼んだそうで、別に「おとめ」=「乙女」という名前ではなかった。

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 神田川へ下りる落合崖線に位置するこの公園。

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 谷戸地形にある公園なので、いろいろなところで地下水が湧いている。

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 で「上の池」とか「下の池」とか、いろいろなところに池が配置されている公園なのだ。

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 周囲は最近こそ低層マンションが建っているが、以前は大きな敷地のお屋敷町だったようで、この公園を借景とした日当たりのよさそうな家が並んでいる。

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 なかなか住み心地のよさそうな街ですね。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f1:2.0 D @Ochiai Shinjuku ©tsunoken

2017年3月21日 (火)

目白がおしゃれタウンなワケ

 いつもはクルマで通り過ぎてしまう目白の街を歩いてみた。

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 歩いてみるとかなりおしゃれな街なんだなあということが分かる。特に、目白通りの目白駅がある方とは反対側(豊島区側)がおしゃれ。

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 まずパティスリー(洋菓子屋さん)が多くみられる。「パティスリーが多い→女性が集まる→街が華やぐ→必然的におしゃれになる」っていう公式なのかしら。

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 学習院大学や日本女子大学がそばにあるからなのか。

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 あるいは豊島区側の目白通りの裏の方には、徳川ビレッジという外国人専用の超高級賃貸住宅があるからなのか。

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 どこかヨーロッパの街を歩いているような気分にさせてしまう。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f1:2.0 D @Mejiro Toshima ©tsunoken

2017年3月20日 (月)

『キリスト教神学で読みとく共産主義』

 いやあ、佐藤優氏の本でこんなに引用が多い本は初めて見た。

「キリスト教神学的アプローチで、廣松渉「エンゲルス論」を読み直す」っていう腰巻からすれば、それは引用が多くなるっていうのは分からないでもないけれども、廣松渉がブント(共産主義者同盟)の思想的バックボーンであり、佐藤氏が在学した同志社大学などの関西の大学ではブントが主流であり、関東の革命的共産主義者同盟革マル派及び中核派、革労協(社青同解放派)などとも一線を画した左翼運動と考えると、そんなに廣松渉や関西ブントの思想を「キリスト教神学で読みとく共産主義」っていうほどには持ち上げなくてもいいんじゃないの? ってな気分にもなるんだけれどもなあ。

Photo 『キリスト教神学で読みとく共産主義』(佐藤優著/光文社新書/2017年2月20日紙版刊・2017年2月17日電子版刊)

『ソ連型社会主義(共産主義)は、マルクスとエンゲルスの理論をロシアの現実に創造的に適用することによって実現したというのは建前にすぎず、実際には、ロシア正教の異端思想と、民衆の受動性を徹底的に利用して、レーニン、トロツキー、スターリンらのボリシェビキ(ロシア社会民主労働党の左派)が権力を奪取した帝国の再編に過ぎないという見方もある』

 というのはその通り。

『廣松が、ソ連型社会主義の崩壊を目の当たりにし、マルクス主義の理念そのものが歴史の屑篭に投げ捨てられてしまうことを懸念して新左翼的運動を再編しようとしても、それが現実に影響を与える力をもたないことは客観的には明白であった。しかし、客観的には負けが明らかな情況であっても、それにあえて参与するというのが廣松型政治の美学だったのである』

『廣松は、ソ連型マルクス・レーニン主義については、かなり早い時期から「ロシア・マルクス主義」であると規定し、批判的姿勢を鮮明にしていたが、『ドイツ・イデオロギー』以降のマルクスの言説については、廣松流の弁証法を巧みに駆使して、「マルクスが言っていることは、正しい」ということの護教に専心する。特に『資本論』の読解において、その傾向が顕著に表れている』

『廣松が、ソ連型社会主義の崩壊を目の当たりにし、マルクス主義の理念そのものが歴史の屑篭に投げ捨てられてしまうことを懸念して新左翼的運動を再編しようとしても、それが現実に影響を与える力をもたないことは客観的には明白であった。しかし、客観的には負けが明らかな情況であっても、それにあえて参与するというのが廣松型政治の美学だったのである』

『廣松にとっての左翼運動とは、結果を追求する政治運動ではなく、「虎は死して皮を残す」という類の正義運動だったのかもしれない』

『彼らのインターナショナリズムは、世界の側から地域を睥睨ないし鳥瞰するコスモポリタニズムとちがって、あくまで彼らの出身地を基点として、そこから国、世界へと放射状に拡大するインターナショナリズムだったということである』

 この辺が、日本の左翼運動の限界だったんじゃないだろうか。結局、国際共産主義運動としては、もともと国境なんてものは意識しないで行われなければならないもののはずである。元々、「国家」というものを否定する活動が共産主義なんだから、その活動は「ナショナル」を基にした「インターナショナリズム」ではなくて、元々「ナショナル」を否定した「コスモポリタニズム」でなければならなかったんじゃないだろうか。その証左がエルネスト・チェ・ゲバラの解放戦争主義である。彼は、別にキューバじゃなくてもよかったのだ。たまたま出会ったのがフィデル・カストロだったのでキューバ革命に付き合ったのである。

 まあ、元々政治家ではなくて革命家であるゲバラは、建国はカストロに任せて自分はボリビアに行って、殺されちゃったんですね。

 結局、こういうことなんですよね。

『ソ連型共産主義は、本質において国家社会主義(state-socialism)だった。「私有財産にとらわれた粗野な共産主義」とは、中東欧で現実に存在する社会主義、スターリニズムに対する異議申し立てとして行われたジョルジ・ルカーチ、エルンスト・ブロッホ、カレル・コシークなどの人間主義的マルクス主義にその影を落としている』

 国家社会主義って言っちゃえばそれはナチスのナチズムそのものじゃないですか。まあ、確かに「壁崩壊」以前のソ連ははっきり言ってナチ以上のナチズム政治だったんだろうな。そんな報告や、小説なんかも数多くある。

『廣松にとってエンゲルスは死者だ。しかし、廣松は死者エンゲルスとの対話に成功し、共産主義観について合意に達した。私にとって廣松渉は死者だ。それにもかかわらず、死者廣松渉との対話に私は成功したと思っている。真摯な対話の結果、疎外論と物象化論の違いについて、私たちは共通の認識を持つことができたと思う。しかし、私は物象化論に与することはできなかった。私が持つキリスト教的なバックグラウンド(あるいは偏見)が、本質において仏教的(あるいは京都学派的)な物象化論に対して忌避反応を示すのである。それは、廣松が持つ仏教的なバックグラウンドが、本質にお対して忌避反応を示すのに似ている』

 基本的なことを言ってしまえば……

『マルクス主義が理解する革命とは、政権奪取にとどまらず既成のシステムの全面的転換を伴うものである。従って、革命家でありながら、現下体制を維持する中核にいることは、常に内的緊張を伴う。廣松はこの緊張をあえて引き受けた。この点にも廣松の特異性がある』

 っていうことでしょう。

 まあ、東洋や日本、欧米にしたって「革命」という形の政変ができる時期、できる地域等々があるんだろう。

 当然、革命というのは、民衆革命だろうが、クーデタという形をとるものであろうが、それなりに社会的な熟成と危機感がなければならないはずだ。

 つまり『廣松渉の「エンゲルス論」』だけじゃ、日本の革命状況は見えないってことですね。

 まあ、日本で明治維新以来の革命は、まあここ50年は起きないでしょう。

『キリスト教神学で読みとく共産主義』(佐藤優著/光文社新書/2017年2月20日紙版刊・2017年2月17日電子版刊)

2017年3月19日 (日)

市ヶ谷・四谷・千駄ヶ谷

 昨日はブログの更新を忘れてしまった。あいスマン……、って程には期待されてはいないか。

 で、今日のテーマは「地名と地形の関係」

 地名と地形というのはかなり密接な関係があって、「谷」がついている土地は、基本的に谷底であるという。で、東京の都心でも「市ヶ谷」「四谷」「千駄ヶ谷」というJR線に近い関係の所に谷底地形があるんですね。

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 ということで市ヶ谷駅を出て靖国通りを北西の方に進むと市ヶ谷本村町、防衛省の前まで来ると、道路を進んでいるとあまり谷底を感じないのだが……

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 防衛省の中を覗くとほらここが谷底だというのがわかる。

 そういえば市ヶ谷駅だって大日本印刷からはかなり急な坂を下りて、外堀を渡ると九段の方へ向かって坂を上る感じになる。やっぱり市ヶ谷は谷底なんですね。

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 じゃあお隣の四谷はどうなんだ谷底じゃないじゃないか、と思うけれども四ッ谷駅があるのは実は千代田区麹町で、実際の昔の四谷は今の四谷三丁目のあたり。

 で、そこに行くとほら曙橋の下を靖国通りが走っているでしょ。

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 曙橋を過ぎると緩やかだけれども、交差点の先が上り坂になっています。

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 千駄ヶ谷は千駄ヶ谷駅あたりが渋谷区千駄ヶ谷の中心部分。ってことで千駄ヶ谷駅と国立競技場の間の高台を渡す橋の下に外苑西通りが走っています。

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 なんとなく武蔵野台地の上にあると思っていた都心部なんだけれども、台地と言っても丘の部分と谷底の部分があるってことですね。

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 なんてことを考えながら、鳩森稲荷神社へ向かっていく坂道を上ります。

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NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Ichigaya & Yotsuya Shinjuku, Sendagaya Shibuya ©tsunoken

2017年3月17日 (金)

東京周縁部を往く・二子新地・大山街道

 東急田園都市線の駅名は「二子新地」なので、てっきり多摩川対岸の二子玉川が元々の二子なかと思ったら、世田谷区には二子という地名はなく、二子新地駅のある場所が川崎市高津区二子ということだった。

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 いまは二子橋という橋が二子玉川と二子新地を結んでいるが、江戸時代までは橋はなく「二子の渡し」という渡し船が出ていた。ここ二子神社の傍がその渡船場だったらしい。

 この二子神社も現在は宮司はおらず、お隣の溝口(みぞのくち)神社の宮司が兼ねているそうだ。

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 この二子と溝口は大山参りで有名な大山街道に面しており、渡船場があるということは、ここが二子宿という宿場町だったということが理解できる。お隣の溝口もやはり大山参りの人たちが泊まった宿場だったらしい。

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 但し、参勤交代で使うような街道ではなかったので本陣・脇本陣とかの設えはなく、旅籠などの旅館だけだったようだ。ただ、「二子三業」というのが以前はあったようなので、旅籠なんかにも飯盛り女なんかもいたんだろうなあ。

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 さすがに古くからあった町らしく、上下の写真のような蔵造りの家なんかが散見できる。

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 府中街道との交差点を過ぎると、もうすぐ溝の口の駅の方にやってくる。

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 で、そのちょっと手前にあるのが「溝口・二子宿の問屋跡」という説明版が、現在は駐車場になっている場所に立っている。

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 この大山街道にはこうした説明版が数多くあり、街道歩きも楽しめます。川崎市も結構昔から発達した場所なんで、こうした史跡などを保護することに懸命なんだなあ。

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NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Futako, Mizonokuchi Tkatsu Kawasaki ©tsunoken

2017年3月16日 (木)

写真で綴る「文の京」

『写真で綴る「文の京(ふみのみやこ)」』という写真集の刊行を記念して、文京シビックセンター1階にあるギャラリーシビックで「文京区制70周年記念事業 文京区史写真集刊行記念 写真パネル展」というものが昨日から開催されているので行ってきた。

2文京区制70周年記念 写真で綴る「文の京」 歴史と文化のまち』(編纂・発行:文京区/2017年3月15日刊)

 私が文京区に移り住んでかれこれ二十数年経つ。講談社に入社してからは42年経つので、40数年前から文京区とは関わって生きてきたんだが、より深く関わるようになったものの、自分が住んでからの本駒込周辺の事には疎かったので、こうした写真集が出るのはありがたい。

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 写真集には約680点の写真が収録されているが、それに掲載されているもの、掲載されていないものなど105点が写真展では展示されている。

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 おお、私の家の傍の上富士交差点じゃないか。三菱銀行がある場所は今はイトーピアというマンションになっている。

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 天祖神社のお祭りの写真もある。都電が懐かしいねえ。

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 写真展は19日(日)まで。勿論、(大日本雄辯會)講談社も当然、載っています。最初は団子坂にあって、今は音羽なんだからね。両方とも文京区であります。

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 写真集は芳文堂(春日二丁目)、誠信堂書店(大塚四丁目)、成文堂江戸川橋店(関口一丁目)、南天堂書房(本駒込一丁目)、文教堂グリーンコート店(本駒込二丁目)、往来堂書店(千駄木二丁目)、文明堂書店(千駄木五丁目)、塚本書店(西方二丁目)、あおい書店春日店(本郷四丁目)、森井書店(本郷六丁目)、棚澤書店(本郷六丁目)、柏林社書店(本郷六丁目)、文京堂書店(湯島二丁目)、ラムラ芳進堂(飯田橋駅ビル内)、明正堂アトレ上野店(上野駅ビル内)、成文堂巣鴨駅前店、文京区行政情報センター(シビックセンター2階)および写真展開催中は会場にて販売中。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Bunkyo Civic Center ©tsunoken

2017年3月15日 (水)

『むかしの味』関帝廟通り・蓬莱閣

 以前、会社のOB会で横浜探索に行った際、打ち上げを行った中華街関帝廟通りの蓬莱閣という店を選んだのは、池波正太郎氏がご推薦の店だからということだった。

 じゃあ、どの本に書いてあるのだろうと調べてみたら、この『むかしの味』という本だった。

Photo 『むかしの味』(池波正太郎著/新潮文庫/1988年11月10日紙版刊)

 例によって目次から内容紹介。

ポークソテーとカレーライス――日本橋〔たいめいけん〕
鮨――銀座〔新富寿し〕
〔まつや〕の蕎麦
粟ぜんざい――神田〔竹むら〕
ポークカツレツとハヤシライス――銀座〔煉瓦亭〕
仕出し料理――品川〔若出雲〕
どんどん焼
クリーム・ソーダとアイス・コーヒー――銀座〔清月堂ライクス〕
京都〔松鮨〕
京都〔イノダ〕と〔開新堂〕
鰻――浅草〔前川〕
信州蕎麦――上田市〔刀屋〕
中華料理――松本市〔竹乃家〕
チキンライスとミート・コロッケなど――銀座〔資生堂パーラー〕
横浜の酒場〔スペリオ〕と〔パリ〕
おでんとあぶり餅など――京都〔蛸長〕〔かざりや〕他
ビーフカツレツとかやく御飯――大阪〔ABC〕〔大黒〕他
焼売、餃子、中華蕎麦など――横浜〔清風楼〕〔蓬莱閣〕他
パルメ・ステーキとチキン・チャプスイなど――京都〔フルヤ〕
ホットケーキとフルーツ――神田〔万惣〕
饂飩と日本風中華――京都〔初音〕と〔盛京亭〕
牛乳、卵、野菜、パンなど――フランスの田舎のホテル

 という具合。まあ、池波氏の食味エッセイは、読んでいる私がまるでそれを食べているような気分になる。う~ん、上手いなあ(旨いなあ)。

 で、蓬莱閣なんだが

『清風楼は中華街の表通りの南へ一筋入った通りにあるが、ちかごろ私が行きはじめた蓬莱閣も、すぐ近くにある。
 店主の王宗俊さんが、この店を始めたのは昭和三十三年だそうな。
 王さんの父君は早く亡くなっている。
「外国人であるために、就職が大変にむずかしく、それで、おもいきって店を出した……」
 のだそうな。
 王さんは、酒場〔パリ〕のママの息子さんとは県立・希望ケ丘高校ラグビー部の、先輩後輩の間柄である。
 ところで、開店して、はじめはコックを雇っていたが、なかなかうまくゆかぬ。居つかないのだ。
 そこで、王さん自身が調理場へ入ることになったわけだが、山東省に生まれた母上に教えられた餃子は、この店の売りものになった。
 王さんにいわせると、餃子は、何といっても蒸し餃子と水餃子に、
「トドメをさす」
 ということだ。
 蓬莱閣の餃子には、ニンニクが入っていない。そのかわり、ニラをつかって独自の味を出す』

『醬牛肉(ジャンニュウロウ)と称する牛肉の冷製に、味つけしたキュウリをそえた一皿など、実にしゃれているし、酸辣湯(サンラータン)もいい』

『このごろの私は、中華街へ行くと表通りの店よりも、山下町の裏通りを歩くことが多い。
 ウイークデーの夕暮れなど、表通りのにぎわいが噓のように、落ちついた町の姿がある。
 いまは消え果てた、東京の下町の匂いが、そこにはただよっているような想いさえする』

 う~ん、いいなあ。また行きたくなったなあ。

 蓬莱閣では「餃子セット」(1人前1,600円/2人から)というのがあって、醬牛肉、酸辣湯、水餃子、蒸し餃子、焼き餃子の全部が食べられるそうである。なお、タレには醤油は使わず、酢とラー油だけで食べるのが正しい食べ方なのだそうだ。

 現在は二代目と三代目が厨房で働いて、三代目の弟が接客を担当しているようだ。

『王さんは、炒め物が得意だ。
 だから、この店の炒飯は旨い』

 って、本当に炒飯まで食べてしまいそうになるなあ。

 う~ん、低糖質ダイエットはどうなっちゃうんだろう。

 ところで、ここで池波氏が紹介しているお店って、ほとんどが昔の場所でしっかり開いている。さすがに「老舗」ってそういうものなのですね。

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『むかしの味』(池波正太郎著/新潮文庫/1988年11月10日紙版刊)

2017年3月14日 (火)

東京周縁部を往く・江戸川臨海球技場

 葛西臨海公園って言えば東京では知らない人はいないっていうくらい有名な臨海公園ですね。水族館や2020年東京オリンピックのカヌー・スラローム会場として予定されている場所であります。

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 荒川サイクリングロードを河口側に向かって走っていくと、少し手前の葛西橋で荒川放水路を渡って最終ゴールが葛西臨海公園。もうちょっと元気があれば旧江戸川サイクリングコースを遡上するコースの始点になる場所です。

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 でも、その葛西臨海公園から湾岸通りを越える橋を渡った先にある「江戸川区臨海球技場」を知っている人は少ないでしょう。

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 江戸川区臨海球技場はなかなか広い球技場で……

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 軟式野球場が4面……

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 サッカー他の多目的球技場や、フットサル・コートなんかもある立派な球技場なんだが、問題は観客席がないってことなんだ。

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 息子のラクロスの大会がよく開かれていたんだけれども、観客席がないんで、なかなかいい撮影スポットを見つけられなかったという思い出が多き球技場だったんだなあ。

 まあ、要はそれだけラクロスっていう競技がマイナースポーツだったっていうことなんだけれどもね。

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 で、この江戸川臨海球技場って、実は東京都下水道局葛西水再処理センターの処理施設の上部の覆いの上に作られた球技場だったんですね。

 だからいちいち上に登らなければいけなかったんだ。 ってのは実は最初から知っていたんだけれども、まあ、そんなマイナーな競技場しか使えないラクロスっていう競技のマイナー性ってものを思い知らされた瞬間ではありました。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm 1:2 D @Kasai Edogawa ©tsunoken

2017年3月12日 (日)

神宮外苑学生クリテリウム

 全日本学生ロードレースカップ最終戦が今年も明治神宮外苑大学クリテリウムとして開催された。

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 カテゴリーは小・中学生、ハンドサイクル、マスターズのタイムトライアル。男子大学生 グループ3 A組/B組/C組。マスターズ・クリテリウム。男子大学生 グループ2 A組/B組。女子。パラサイクリング・ロードレース(タンデム)。そして最後の大レース「男子大学生 グループ1(大学対抗)」レースが行われた。

 男子大学生グループ2 A組では中央大学の直井駿太選手が優勝したりして盛り上がったんですけれどもね(え? どこが?)。

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 その後、女子のレースとかが行われて、その辺はすべてのレースでも活躍していた鹿屋体育大学の選手が大活躍って感じでしょうか。いやまあ、鹿屋体育大学って自転車競技では強いんですよね。

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 で、今年エキシビジョン・マッチとして採用された「パラサイクリング・クリテリウム(タンデム)」っていう競技なんだけれども、要はタンデムサイクリングで、前に乗るのがキャプテンといって目が見える人、後ろが目が見えないストーカーとかコ・パイロットとか呼ばれる人が乗って走るんだけれども、なんかマレーシアの選手(チーム)やたら早くてもうブッチギリ。

 で、ビックリしたのはこのパラサイクリングって、確かに二人で踏むんだからってのは分かるんだけれども、速いんですよね。1.5キロ位の神宮外苑サイクリングロードでも、なんか健常者より10秒は確実に速い。そうなんだ、健常者の方が障碍者より速くて当たり前っていう考え方が差別的なんだな。よくわかりました。

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 で、最後のメインレースは大学選手権ならではの「男子大学生グループ1(大学対抗)」レースです。

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 結局、そのレースを制したのは日本大学の岡本隼選手。ええっと、右の方で手を上げているのはアシスト選手で、頭を下げてゴールしているのが岡本選手です。

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 これでもって全日本学生ロードレースカップは終了。っていうか、他のスポーツに比べて、自転車って 随分シーズンが長いスポーツなんだな。

 いやあ、全日本学生自転車競技連盟の人たちにはご苦労さんと言いたいですね。

 こっちは見ていただけですから、どうってことないですけれども。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HMS @Jingu Gaien Shibuya ©tsunoken

『アメリカ帝国の終焉』

 2015年にオバマ大統領が「アメリカは世界の警察ではない」と言ったとき、「ああ、もはやパックス・アメリカーナは終わってしまうんだな」と感じたものだったが、トランプ政権になって「アメリカ・ファースト」と言ったとき、これで完全に「アメリカの世紀は終わったんだ」ということを思い知らされた。

Photo 『アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界』(新藤榮一著/講談社現代新書/2017年3月1日刊)

『かつて巨大な版図を広げたローマ帝国と同じように、米国もまた版図を広げ、多様な人種を内に抱え込んで終わりの時を刻んでいる。帝国の過剰拡張の帰結だ。それが、アングロサクソン中心の白人優位社会の終わりと、拡大する貧富の格差と重なり合って、伝統的なアメリカ社会を「解体」させはじめている』

『一八世紀後半にはじまる産業革命下のグローバル化を、第一のグローバル化と呼ぶなら、一九世紀末の工業革命下のグローバル化は、第二のグローバル化と呼ぶことができる』

『その第二のグローバル化のなかで、既存の国際秩序であるパクス・ブリタニカ、大英帝国による平和が衰退し、終焉を見せた。そしてそれに代わる新しい国際秩序、パクス・アメリカーナが台頭しはじめていた』

『それから一〇〇年後のいま、二〇世紀末にはじまる情報革命下のグローバル化を、第三のグローバル化と呼ぶなら、その第三のグローバル化のなかで、パクス・アメリカーナが衰退している。大米帝国の世紀に代わって、「アジア力の世紀」、パクス・アシアーナが到来しはじめている』

『日本で、中国経済の〝減速〟が叫ばれているにもかかわらず、中国、インドなどのBRICS諸国や、インドネシアを含めた新興国の経済成長は、着実な上昇線を描きつづけている(実際、二〇一六年四~六月期、中国のGDP成長率は、六・七パーセント増となった)』

『IMF報告によれば、中国、インド、ブラジル、ロシアのいわゆるBRICSに、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えた新興G7のGDPは、三七兆八〇〇〇億ドル。米、日などの先進G7のGDP、三四兆五〇〇〇億ドルを凌駕した。世界経済における「南北逆転」である』

『資本主義にはいくつものかたちがある。いま、米欧日などの先進国型とは違う、もう一つの資本主義が、ニューヨークやロンドン、東京から「ジャンプして」、「新しい空間的定位」を求めて、北京やニューデリー、ジャカルタに至る新興アジアで勃興し、成長しつづけているのである』

『かつて一九九〇年代、バブルの渦中で日本円の国際化が喧伝された時のように、いま中国人民元の国際化が、かつての日本とは、圧倒的に規模と次元を異にしたかたちで具体像を結びはじめている。「世界の工場」が「世界の市場」へ変貌し、さらには「世界の銀行」への変容を見せはじめている。それが、二〇世紀パクス・アメリカーナから、二一世紀パクス・アシアーナへの転換と、軌を一にしている』

『いまAIIBは、EU諸国やBRICS開発銀行(本部・上海、総裁・インド人)と協力し、ADB(アジア開発銀行)との協調融資を進めて、途上国支援とアジアインフラ強化に向けて動きはじめた。それら一連の動きは私たちに、アジアが平和と繁栄を享受していくには、単にRCEPのような自由通商貿易圏をつくるだけではなく、それを超えて、域内所得格差を縮め、インフラ整備強化への投資を進めていくことが不可欠である現実を示唆している』

『一国中心の成長第一主義モデルから、多国間の地域協力的で持続可能な発展モデルへの転換といってよい。その転換のなかで、「分断されたアジア」が「一つのアジア」へと変容していく』

『経済的政治的に〝膨張する〟昨今の中国には、中国固有の〝軍産複合体〟が生まれはじめていると見ることができる。中国人民解放軍と資源エネルギー産業との〝利益複合体〟形成の動きだ。疑いもなくそれが、南シナ海における中国の〝膨張主義〟的行動を生み出している。
 しかし、資源エネルギーインフラ開発を、中国が周辺諸国とともに進めるなら、潜在的な〝軍産複合体〟の胎動を、内側から削ぐことができる』

『そしてその共同開発が、日本や韓国、ASEAN諸国の軍備拡大の動きを抑え、軍縮と緊張緩和への道を拓くことを、可能にしていく。いわばアジア不戦共同体への道である』

『日本が、一国繁栄主義を捨て、アジアとともにアジアのなかで生きていく。それは私たちが、明治以来の、日本主導の「脱亜入欧」路線を、アジア共生の「脱欧入亜」路線へと、外交転換を図ることを意味している。トランプ新政権の〝取引外交〟に応えて日本が、軍備強化や核武装を進める道では、もちろんない。東アジアの軍縮と軍備管理を進める道だ』

 しかし、日本がアメリカを捨てて中国に寄り添うということば、さすがにアメリカも黙ってはいないだろう。そうなると、いかにしてアメリカと中国のバランスをとった外交を進めるかという、かなり難しい立場をとることになるのだろう。

 まあ、明治以前の日本はそうやって世界とのバランスをとって生きてきたわけなので、別に難しいことではないはずだ。ただ、明治になってどこか自己中心的になってしまい、アメリカによってコテンパンにされてしまったこの70年もの間、日本はアメリカに頼っている生き方をしてきたわけで、その間に自らのアイデンティティを捨ててきた。日本の政治家は単にアメリカとの距離感だけを考えていればよかった時代が長すぎたんだなあ。

 ここは日本もアメリカがトランプというトンでもない大統領が現れたのと同じく、一回ガラガラポンしてアメリカや中国にコンプレックスを持っていない政治家が立つしかないんのではないだろうか。しかし、それは自民党の既成勢力の中にはいないだろう。自民党はあまりにもアメリカにすり寄りすぎている。

 となると、小泉孝太郎あたりが首相になるまで待たなければいけないのだろうか。

 安倍晋三氏の賞味期限もなんかもう風前の灯火になってしまっているし、石破氏がつなぎになって、次の小池氏が首相になった時なんだろうか、あるいは小池新党の誰かがそんな役割を果たしてくれるんだろうか。

 いずれにせよ、いずれ日本もアメリカから真の独立を果さなければならない時代がもうすぐやってくるわけで、そんな時代に対応できる政治家が現れなければ、まさしく「日本沈没」だぁ。

『アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界』(新藤榮一著/講談社現代新書/2017年3月1日刊)

2017年3月11日 (土)

言問通り・春さんぽ

 昨日は本郷税務署で確定申告を済ませてそのまま、言問通りを東進した。

 東大脇から弥生式土器で有名な弥生坂を下りる。

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 坂を下りきると不忍通りを過ぎて、台東区に入るとまた坂を上る。つまり、この辺りでは不忍通りは谷底なのだ。3月2日のブログ「谷中レトロカメラ店はどこだ」で書いた「へび道」というのが、今は暗渠になっているのだが、昔は「藍染川」という川で現在の不忍通りと並行して走って、不忍池に注いでいたのだ。

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 で、その坂を上っていくと途中に曹洞宗玉林寺というお寺がある。

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 で、その境内に第五十八代横綱「千代の富士貢(秋元貢)」の銅像が建っている。

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 なんでも1989年9月28日に千代の富士が国民栄誉賞を授与されたのを記念して、ここ玉林寺の住職が建立したそうだ。玉林寺は秋元家の菩提寺らしい。まあ、ここの住職が千代の富士の一番のファンだったってこと。

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 もうちょっと行くと、上野桜木に出て、こんなレトロな喫茶店があったり。

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 昔、谷中にあった旧吉田屋酒店を移築して作った台東区立下町風俗資料館の付属展示場(本館は不忍池畔)なんかがある。

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 この上野桜木から南へ行けば、寛永寺を経て上野公園だし、北へ行けば、谷中墓地を経由して日暮里に出る。

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 春の暖かい日には、こんな散歩コースも面白いのでは? 距離は4~5km位なので、さほど疲れません。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Yayoi Bunkyo, Ynaka & Ueno Sakuragi Taito ©tsunoken

2017年3月10日 (金)

ヨコハマ残照

 なんとなく行き先を決めずにSUICAで電車に乗ると、何故か横浜に来てしまう。

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 家族の一人が昨年から横浜に住んでいるっていうのもあるんだが、

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 それ以前から、横浜はまあ好きな街ではあったのだ。

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 がしかし、カメラを向けるのは別に横浜じゃなくてもいいような風景ばっかりだ。

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 まあ、基本的に私の写真って、ある場所を特定できるような「証拠写真」みたいな物はないんですけれどもね。

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 それでもまあ、結構横浜らしい写真だと自分では思っていたりして。

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 まあ、どのへんで撮っているのかはバレてますよね。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Yokohama ©tsunoken

2017年3月 9日 (木)

『面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた』

 まあ、以前なら「生き方を教えてくれる」って言ったら、大体が小説だったんだが、今やそれがマンガに代わってしまったっていうことなんだろうな。

 確かに、今やマンガ作家の方が小説家よりは(まあ数万人分の一みたいな確率で当たればですがね)稼げる時代にはなっている。いまや小説家で小説だけで食っていける作家はあまりいない。大学の教授などを副業(どっちが?)としてやっている人の方が多いんじゃないか。

 それに比べてマンガ家の方がまだマンガだけで食っている人が多いんじゃないだろうか。でも、そんなマンガ家だから目指す人は多い。マンガ家を目指す人が数万人、その中で漫画雑誌の新人賞などに当選するのが数百人、そこからレギュラーで連載をできるのが数十人、でそこから単行本でベストセラーを出せるのが数人っていう世界なんですね。

 それでもマンガ家を目指す人は多い。まあ、「夢を見る」っていうことは悪いことじゃない。その夢に向かって若い人たちは突き進むんだ。けど、だからと言ってアニメ学校に行ってもマンガ家にはなれないんだなあ。ポイントは自分の才能と努力だけ、って世界だからね。

 ただ、まあその夢も人生のどこかであきらめなければならなくなる時が来る、ってもんで、そこから先の人生が、実は大事なんだよなあ。で、そんな切磋琢磨されたマンガだからこそ人生に与えられるよううな事柄が書いてあるってことなんだけれども……、

1000 『面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた→そしたら人生観変わった』(堀江貴文著/KADOKAWA/2016年12月31日刊)

 本書の構成はこんな感じ。

PROLOUE 「遊びが仕事になる時代」にマンガが必要なワケ

CHAPTER 1 「仕事はセンス」と教えてくれるマンガ

CHAPTER 2 想像力は観察力だ。

CHAPTER 3 人は情報を食べて生きている

CHAPTER 4 鉄文という生き方

CHAPTER 5 栄光なき天才たちが社会を動かす。

CHAPTER 6 著者で読むマンガ

CHAPTER 7 〝読書家″に負けない知識がつく、実用マンガ

CAHPTER 8 いろんな「if」

CHAPTER 9 忘れられないトラウマ・マンガ

CLOSSTALK 堀江貴文×佐渡島庸平 マンガは新しい「遊び」をつくる

 それにしても、こうしたホリエモンの発言にはちょっと嫉妬を覚えるんだなあ。

『そもそも今の仕事の大半は、一昔前は遊びだった。たとえば今や世界最大とも言えるほどに巨大産業になったIT産業がそうだ。
 私が生まれて初めてパソコンを手にしたのは中学生の頃だ。1985年、茨城県つくば市で科学万博が開催された年だった。中学の合格祝いとして、親から買ってもらったのが日立のMSXパソコン「H2」だった』

『そうして私は、パソコンをグレードアップしながら当時の標準言語「BASIC」はもちろん、様々なマシン語を覚え、より高度なプログラミングをマスターしてゆく。
 私の遊びはその後、時価総額何兆円というIT企業の価値を支えるプログラマーの仕事になり、彼らの生み出した様々なサービスは私たちの生活をより豊かにしている』

『カタカタとキーボードを叩いてプログラミングをしていた、MSXパソコン越しに未来を見ていた視線のまま、私は大人になって、IT企業を起業して、今も同じ目線で未来を見ている。あの頃に得た様々なインスピレーションは、今もIT産業のこれからを知る上で大切な知識になっている』

 私は1951年生まれなので、中学生の時代には「パーソナルコンピュータ」なんてものはなかった。算盤や計算尺や紙と鉛筆でもって数学計算を行っていた時代なのだ。大学に行っている間に、コンピュータというものが出てき始めて、先を読んだ学生がコンピュータの講座を取り始めて、多分この頃はFORTRANとかCOBOLなんてプログラミング言語で皆「コンピュータって何なんだ?」ってな調子でコンピュータを学んでいた時代だ。

 社会人になって10年ぐらいした頃になって、オフィスコンピュータの時代になって、私も労働組合の事務局におかれたIBMのオフコンをさわり始めたんだが、まだその頃は自分自身「コンピュータって何なのか」を理解してはいなかったのではないだろうか。

 その後は速かった。取り敢えず、私もMacintoshのPCを買って、会社(自腹です)と家でコンピュータって何なんじゃいということから始めたんですね。それが199何年か。まあ、Windows 95よりは数年前、Windows3.5よりも2~3年前じゃないでしょうか。

 まあ、ホリエモンたちは初めの頃からパソコンっていうものがあって、それをオモチャみたいにして遊んでいた世代なんですね。なので、『そもそも今の仕事の大半は、一昔前は遊びだった。たとえば今や世界最大とも言えるほどに巨大産業になったIT産業がそうだ』っていう言い方ができるんだよね。

 まあ、そこに私たち世代は嫉妬するんだけれども、それは意味はないですね。

 最初に上げた「本書の構成」は別にこの本だけの特徴ではない。いろいろなジャンルの小説やら漫画やらを紹介する際の普通のジャンル分けだ。

 ということは、この何の変哲もないジャンル分けが、これからは当たり前のジャンル分けになっていく、つまり、小説のジャンル分けが成り立たなくなって、基本それはマンガのジャンル分けになっていくってことなのかなあ。

 う~ん、ここにも小説の衰退が見えてくるなあ。

『面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた→そしたら人生観変わった』(堀江貴文著/KADOKAWA/2016年12月31日刊)

2017年3月 8日 (水)

「国領」とは何か?

 京王線に「国領」という駅がある。調布市国領町にあるからなのだが、では国領とは何か?

 国領というのは奈良時代から平安時代にかけての朝廷の直轄地の呼び名である。つまり、現在の調布市あたりが朝廷の直轄地だったってこと。

 府中とか国分寺とか、昔の武蔵国の中心は現在よりはだいぶ西の方にあったんだなあ。

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 駅は国領二丁目・三丁目あたりなのだが、布田に近い国領一丁目には国領神社というのがある。

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 神社の境内には御神木として「千年藤」が植わっていて「千年乃藤のお宮」というのが別名である。

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 この藤の木は「ちょうふ八景」(調布八景)の一つに数えられているとか。

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 この国領神社のそばの旧甲州街道沿いに調布不動尊常性寺という、境内に不動堂や馬頭観音などがある大きなお寺があるのだが、国領神社は本来はこのお寺の管轄下にあったそうだ。

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 それが明治政府の紳仏分離政策でもって、それぞれが独立することになったとか。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Chofu ©tsunoken

2017年3月 7日 (火)

ユニクロ潜入一年

 本書は『週刊文春』2016年12月8日号・12月15日号に掲載された横田氏のルポを緊急出版したものだ。この辺がいかにも電子書籍ならではの方法で面白い。

Photo『ユニクロ帝国の光と影』著者の渾身ルポ ユニクロ潜入一年』(横田増生著/文春e-Books/2017年1月20日刊)

『ユニクロは私の著書を名誉毀損として二億二千万円の損害賠償を求める 裁判を起こした。私は勝訴したが、柳井社長はその後インタビューで 「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。 うちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかを ぜひ体験してもらいたい」と語った。ならば実際に 働きながら取材しよう。以後八百時間を超える労働から 浮かび上がったのは、サービス残業と人手不足の実態だ』

『裁判が終わると、私はユニクロ側に、まずは裁判中に出入り禁止となっていた決算発表に参加させてもらえるよう交渉を始めた。同社が二〇一五年四月に開く中間決算会見に参加することで話がまとまったように思えた。しかし、決算会場へ向かう途中、私の携帯電話が鳴った。ユニクロの広報部長の古川啓滋氏はこう告げた。
「柳井から、横田さんの決算会見への参加をお断りするようにとの伝言をあずかっています」
 理由は、記者会見当日に発売となった週刊文春に私が書いた記事「ユニクロ請負工場 カンボジアでも 〝ブラック〟告発」だった』

 ということで横田氏は『国内のデフレ経済やグローバル化に、日本を代表する経営者といわれる柳井社長は、どのように向き合っていくのか。私は定点観測したい』ということで、ユニクロに潜入取材を試みるのだった。

 幸い50歳という高齢にもかかわらずアルバイトとして採用されて、2015年10月から働き始めるのだが、そんな高齢者でも採用しなければならないほど、ユニクロの人事は払底しているということなんだろう。

『私がユニクロで働き始めてから一年以上がたった。労働時間は八百時間を超えた。最初は千葉市内の大型店、次は豊洲の標準店、そしてこの十月から新宿のビックロで働いている』

『『ユニクロ帝国』の出版当時の二〇一一年、同社内の月間上限の労働時間は二百四十時間未満と決まっていた。現在では、繁忙期は二百二十時間で、閑散期は百九十五時間にまで減っている。店長であっても、週に二日は休みが取れているようだ。以前は出ていなかった残業手当も、現在では店長にも支払われている、と現役のユニクロ社員は証言する』

『私は働いた三店舗すべてで、サービス残業が行われていることを確認している。一度、退勤したことにして、働いている店長や社員、準社員がいるのだ』

『ユニクロ潜入記者12月3日解雇されました』

 2016年12月1日発売号、『週刊文春』に「ユニクロ潜入一年」を掲載して初めて出勤する。

『男性は「本部人事部の▲▲」と名乗った。後で確かめると、本部の人事部長だった。後ろからもう一人、三十代とおぼしき男性が入ってくる。彼も人事部所属だと言う。
 部長は、壁の時計を見ながら、こう切り出した。
「本来なら、十四時出社と伺っていたんですが、今は(午後一時)五十五分ですね。(その分)給与に反映させていただきますので」 と言う』

『第七十五条の十四項には、「諭旨退職・懲戒解雇」とあり、「故意または重大な過失により当社に重大な損害を与え、または当社の信用を著しく傷つけた時」とあり、第十六条には「解雇事由」と書いてあった』

『私は、契約期間である二〇一七年三月末日まで辞めるつもりはないと告げた上で聞いた。
「懲戒解雇ですか?」
「懲戒解雇ではありません。解雇通知です」
 どうやら諭旨解雇のようだ』

 まあ、そりゃそうだよなあ。

『週刊文春』とどういう話が進んだのかは知らないけれども、2017年3月末日の契約期間が終わってからルポを発表してもよかったんだろうけれども、そうじゃなくて2016年12月1日発売の号に掲載してしまった以上は、ユニクロには身元がばれて、解雇通知がでることはやむを得ないことなんだろう。まあ、ユニクロサイドでは「懲戒解雇」にしたかったんだろうけれども、それをやっちゃうと問題が更に大きくなってしまうので諭旨解雇という若干アマアマの処分にしたんだろうな。

 ユニクロがブラック企業だってことは皆知っている。ワタミだってそうだ。

 しかし、そんなブラック企業だってわかっていても、そこに勤るしかならない人たちがいるってことが問題なんじゃないだろうか。要は、他の「ホワイト企業(?)}には勤められない人たちだ。

 まあ、そんなホワイト企業(?)だって、違法残業だとかなんかはありますからね。私がいたK談社だって、編集職は基本残業制限なしの「裁量労働制」ってのがあって、基本的な「編集部手当」っていうのがいわば一律の残業代であって、残業の時間と関係なく付く手当なんですね。まあ、K談社の編集者の生活態度なんかを見ていると、それが一番適正なのかなとは感じてはいました。

 自分が勤めている会社がブラックかホワイトなのかを判断するのは、そこに勤めている個人でしかない。社会から「ブラック企業」だと思われている企業に勤務していても、勤めている本人はまったくブラックだとは思っていないケースもある。

 基本的に、出版社なんかは完全にブラック企業に属する企業なんだけれども、そこに勤務する従業員は「何かをクリエイトする」仕事に十分満足しているから、自分が「ブラック企業」にいるってことを感じていないんですね。

 まあ、自分が所属する企業が「ブラック」なのか「ホワイト」なのかを決めるのは、その個人の判断なんじゃないでしょうかね。

『ユニクロ帝国の光と影』著者の渾身ルポ ユニクロ潜入一年』(横田増生著/文春e-Books/2017年1月20日刊)

 こちらもどうぞ。

2017年3月 6日 (月)

オリ・パラ・フラッグツアーから神田・お玉が池

 オリンピック・パラリンピック・フラッグツアーが現在文京区に来て、文京シビックセンターで3月10日まで公開中。

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 と、そんなこととはまったく関係なく……

 昨日の傳馬町牢屋敷跡から水天宮通りを北へ少し行くと岩本町になる。この辺りに江戸の頃まで「お玉が池」という、不忍池よりも大きな池があったそうだ。

 当初は桜の名所だったところから「桜ヶ池」と呼ばれていたのだが、その池畔に建っていた茶屋に「お玉」という看板娘がいたそうなのだが、あるとき「人柄も品形もおなじさまなる男二人」が彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じてしまい、彼女の亡骸が池の畔に葬られたところから「お玉が池」と呼ばれるようになったそうだ。

 今はビルとビルの狭間に「お玉が池児童遊園」という空き地があるだけである。

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 すぐそばのマンションの狭間には「繁栄お玉稲大明神」が祀られている。

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 それにしても、このお玉が池界隈にはいろいろなものがあるなあ。あの坂本龍馬が入門した千葉周作道場なんかも岩本町の交差点のそばにあったようだ。

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 江戸の文人や学者が多く暮らしていたようで、その一人である伊東玄朴ら蘭方医たちが尽力して安政五年(1858年)に設立したのが「お玉が池種痘所」である。

 このお玉が池種痘所が今の東大医学部の出発点なのだそうだ。

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 周辺には「お玉湯」なんてお風呂屋さんもあります。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Iwamotocho Chiyoda ©tsunoken

2017年3月 5日 (日)

傳馬町牢屋敷・跡

 地下鉄日比谷線小伝馬町駅のエレベーター出口の脇が十思公園なんだが、実はそこが傳馬町牢屋敷跡なのだった。

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 公園脇の十思スクエアという中央区の複合施設の前に、平成24年に中央区が発掘調査をした際に出てきた牢屋敷の塀などに使われた石垣の石が並べられている。

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 実はこの十思公園だけではなく、十思スクエア(旧十思小学校)、大安楽寺、身延別院、村雲別院などの周辺の建物も傳馬町牢屋敷だったそうだ。でも、現在の東京拘置所や府中刑務所の規模に比べると、規模はまったく小さい。まあ、100万人前後だった江戸の人口を考えてみればこんな規模でも十分だったのかもしれない。

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 牢舎は揚座敷(旗本の士)、揚屋(士分僧侶)、大牢(平民)、百姓牢(百姓)、女牢(女性)と身分ごとに分かれていたようだ。まあ、それは身分制社会だったから仕方がないんだな。「犯罪者は皆同格」ってわけにはいかず、犯罪者であっても身分は分かれていたんだな。

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 で、十思公園の前にある大安楽寺の境内の延命地蔵の場所が「御椓場死刑場」という刑場だったそうだ。現在は「延命地蔵」が建てられている場所がそこだったらしい。

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 公園内には安政の大獄で刑死した吉田松陰を祈念して「松陰先生終焉の地」という碑が建てられている。

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 まあ、会津藩の末裔としてはざまあみやがれではあるが、しかし、その後の日本のことを考えると、ちょっと残念な死ではある。

 合掌

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Kodenmacho Chuo ©tsunoken

2017年3月 4日 (土)

『フィリピンパブ嬢の社会学』

『法務省入国管理局の調べによると、2015年6月現在、中・長期で日本に滞在しているフィリピン人は22万4048人だという。在留するすべての外国人数が217万2892人だから、フィリピン人は1割以上になるということだ。そのうち在留資格を持つフィリピン人は11万8132人に上る。その75%が女性である』

 で、その女性の多くがフィリピンパブで働くホステスであり、そのホステスの大半が偽装結婚で日本に入国しているというんだから、まあ、大変なことになっているんだなあ。

Photo 『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象著/新潮新書/2017年2月24日刊)

『僕はその頃、大学院生で、修士論文にフィリピンホステスのことを取り上げようと考えていた。大学院の女性指導教官は、国際政治学が専門で、ジェンダーや多文化共生の観点から、在日フィリピン人女性の生活についての研究、および支援を行っている』

『僕は教官に、名古屋にはフィリピンパブが集中していること、ホステスの多くが偽装結婚で来日していること、背景にはおそらく暴力団が絡んでいることなどを話したら、
「フィリピンパブについての学術調査は、これまで見たことがありません。面白い研究になるかもしれませんね」
 ということでOKが出た』

 ところがOKを出していながら、いざ、中島氏がそのホステスと付き合うようになると、こうなっちゃうんだなあ。

『何回か通ううち、僕はミカと付き合うことになった。
 指導教官にそのことを告げたら、顔色が変わった。 「そんな危ないこと、すぐやめなさい! そんなことを研究対象にはできません。その女性とは早く別れなさい。あなたのお母さんに顔向けできません!」』

 男と女の関係なんだから、その中で研究対象になっている女性を好きになり、付き合うようになることは仕方がないんじゃないだろうか。まあ、その指導教官はそんなことまでは考えていなかったんだろうな。つまり、その指導教官自身も経験不足っていうか、予測可能性不足。

 まあ、ここにも外国人に対する偏見と、水商売の女性に対する蔑みと憐れみがあるんだなあ。

 それでもミカと付き合うようになってしばらくしてから……

『2012年1月下旬、ミカを大学に連れて行った。午後3時頃、学食で大学院の同級生にミカを会わせた』

 で

『指導教官にもミカを会わせた。
 授業が終わった後、「一度彼女に会ってください」と頼みこんだ。場所はやはり学食、一緒のランチ。教官はミカと、フィリピンの家族の話や、学校の話をしている。遠慮しているのか、ミカの仕事についてはちっとも聞かない。僕は先生に、仕事やマネージャーとの関係について訊いて欲しいといった。
 先生は「仕事はどんなことをするの?」と質問した。すると、ミカは日本に来た経緯や、偽装結婚するまでの話、仕事のノルマやペナルティーなどについて話した』

『「あんな小さな体の子が、偽装結婚とかマネージャーとの契約とか、たくさん問題を抱えて……。それをちゃんと乗り越えてるなんて、信じられない」
 先生もミカの人柄に好感を持ったようだった』

 偽装結婚をして、実際にはフィリピンパブからは20万~40万円のギャラが出ていながら、その大半をマネージャーにピンハネされて自身には6万円位しか手にできないんだけれども、その半分をフィリピンに送金して、それでフィリピンに残された家族は多少は贅沢な生活ができるっていう、日比の物価格差っていうか生活格差が、問題の大半なんだ。

 っていうことだから、フィリピンパブで働いているホステスの研究をしている中島氏自身が……

『僕の頭の中には「フィリピンホステスはかわいそうな人」というイメージができあがっていた。しかしミカは「偽装結婚・出稼ぎホステス」という身分の中で生き生きと暮らしている。そんな姿に惹かれた』

 という風に書くくらいに、なんか見下しているという感じがあるんだよなあ。

 まあ、これが外国人で日本で就労する人に対する、蔑みと憐れみの原因なんだけれども、実は

『フィリピンでは国民の1割が海外に出稼ぎに出ている。そして彼らから送られてくる外貨送金がフィリピンの消費を生み出し、経済を支えているのだ。ミカの家族のように、送金だけで生活しているというのは、一家族の問題ではない。国全体の問題なのだ。それは分かっている。分かってはいても、受け入れることは難しい』

 問題はこちらの方で、やはりフィリピンの経済離陸が未だ始まっていないということなんだろうなあ。周囲の中国やシンガポール、マレーシア、タイ、ベトナムに比べても経済的に発展していないっていうのは、経済首脳の問題なのか、あるいは300ほどに分かれている島国だという問題なので、経済インフラが統一して行われないという問題なのかはわからない。

 でも、こうした問題が解決されても、やはりフィリピンから日本へ出稼ぎに来る関係はあまり変わらないだろう。それはやはりアジアの中で一番最初に経済離陸を果たした日本へのあこがれがあるだろうし、今後、日本が移民受け入れの方向に進むだろうという考えもあるかもしれない。

 まあ、私なんかは日本もどんどん移民を受け入れて、日本自身が「多民族国家」になってほしいと思っているんですがね。

 自分の隣にいる人が外国人って楽しいじゃないですか。テロ組織の人じゃないだければだけれどもね。

 フィリピン人なんて最高ですよ。女の子は可愛いしね。

『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象著/新潮新書/2017年2月24日刊)

2017年3月 3日 (金)

埼玉鴻巣・高さ7m 日本一のピラミッドひな壇!

 今日は桃の節句、ひな祭りということで、それにふさわしい話題を。

 なんか、埼玉県の鴻巣駅の近くで度肝を抜くひな壇がある! という話を聞いて、早速、鴻巣まで行ってきた。

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 要するに、現在「鴻巣びっくりひな祭り」というのが開催されており、その中でびっくりするようなひな壇があるってことなんだなあ。

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 で、駅前にあるエルミこうのすショッピングモールに行ってみると、ちょうどビル真ん中の吹き抜け部分を使って飾ってあるんですね。「高さ7m、日本一のピラミッドひな壇」が。

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 いやあ高い、高い。

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 なんかこうして見ると、てっぺんのお内裏様とお姫様なんかは高所恐怖症にならないかなって、心配になってしまう。

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 ショッピングモールの至ることろにもお雛様が飾ってあります。

 鴻巣市では、この駅前のショッピングモールだけじゃなくて、市内の何か所で、ひな壇飾りが公開されているそうだ。

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 あれ? 待てよ。埼玉県でひな人形って言えば「人形のまち岩槻」ですよねえ。ってなもんで、鴻巣の帰りに大宮で東武野田線、もとい東武アーバンパークライン(プッ)で岩槻まで行ってきた。

 こちらも、ちゃんとやってます。「まちかど雛めぐり」。

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 駅前の「まちかど雛めぐり総合案内所」へ行けば、地図を渡してくれて、見るべきポイントなんかを案内してくれる。

 基本的に岩槻のまちかど雛めぐりは鴻巣みたいに大きな展示じゃなくて、例えばこんな蔵造りの家の玄関を入ると……。

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 自分の家の雛飾りを見せてくれるっていう感じの雛飾り。

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 因みに、この蔵造りの家「丹過 長谷川家」って、岩槻の人形つくりの祖と言われている家で、現在は人形の「頭」を作っている家だそうです。

 まあ、どちらも近いので、1日で見ることはできます。それぞれ3月12日まで開催中。

 あれ? 3月3日にお雛様はしまわないとお嫁に行き遅れるっていうのにね。

 いいのかな?

NIKON Df  AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Konosu & Iwatsuki ©tsunoken

2017年3月 2日 (木)

谷中レトロカメラ店はどこだ?

 柊サナカ氏の小説『谷中レトロカメラ店の謎日和』なんだが、じゃあその谷中レトロカメラ店ってどこよ、ってのが気になっていつもの谷中銀座まで行ってきた。

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 日暮里駅は東口と西口と南口があるが、来夏は西口から出るのが好きなようだ。日暮里駅西口から降りて、谷中銀座を通って今宮写真機店へ行く道が好きなんだなあ。まあ、いわば西口の表通りが谷中銀座ですからね。

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 で、谷中銀座を出ると「へび道」方向へ行くって言うんだから、よみせ通りの千駄木方面なんだろうな。ただし、この道のこちらの方面にはカメラ屋さんはありません。もう何度もここは歩いているんだからよく知っている。

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 でもまあ、取り敢えずそちらの周辺を歩き回ったけれども、やっぱり中古だけじゃなくて、普通のカメラ屋さん写真屋さんもなかった。

 ので、じゃあ取り敢えず同じくよみせ通りの西日暮里方向も調べてみるか。

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 まあ、やっぱりこちらにも時計屋さんはあったけれどもカメラ屋さんはなかった……、と思ったんだけれども、ちょっと裏に入ってみるとこんなカメラを描いた看板が……。ああ、でもそこはTRIPOINTっていう喫茶店なのだった。残念!

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 ということで、谷中にはレトロカメラ店どころか、普通の写真屋さんもなかったんだなあ。っていうか、所詮フィクションの世界を実際の街に出て確かめるなんてこと自体が「酔狂」なんだが、まあいいじゃないですか。たまにはそんな酔狂も。

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 で、実はこれは柊サナカ氏も知らないはずなんだけれども、日暮里駅の東口のビルには以前、「修理もやってくれる中古カメラ屋さん」が実はあったんですね。今はもうビル自体がなくなってしまっているし、私も店の名前すら思い浮かばない状態ですけれども。

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 まあ、やっぱり谷中は猫ですかね。

『谷中レトロカメラ店の謎日和』『谷中レトロカメラ店の謎日和 フィルム、時を止める魔法』(柊サナカ著/宝島社文庫)
 
NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2D @Yanaka Taito ©tsunoken

2017年3月 1日 (水)

『谷中レトロカメラ店の謎日和 フィルム、時を止める魔法』

『谷中レトロカメラ店の謎日和』の第2弾です。面白そうな小説を見つけたんで、出るたびに追いかけて行こうかと考えているんだけれども、宝島社ってそんなにデジタル化に後ろ向きの会社なのかなあ。そんなことしているとツブレちゃうよ。

Photo 『谷中レトロカメラ店の謎日和 フィルム、時を止める魔法』(柊サナカ著/宝島社文庫/2016年10月20日刊)

 ということで、今回も章ごとに登場するカメラとレンズその他の周辺機器をご紹介。

第一章 カメラ売りの野良少女

 一度、今宮写真機店を辞めようと決めた来夏だったんだが、結局、帰ってきてしまった。店を休んでから三か月が過ぎてしまい今宮とはどんな男性か考えてきたんだが、何も決めることはできずに、再び店に戻ってきた来夏。

 登場するカメラ及びレンズは、ニコンF2にニッコール50ミリ、ニコマートにニッコールオート24ミリ、ニコンFが二台、ニコンF2チタン、ニコンS3にワイドレンズという「戦場カメラマン」仕様。戦場カメラマンというと普通は男性をイメージするんだけれども、実はこのカメラとレンスを売りに来た女の子のお母さんが戦場カメラマンだったっていうオチ。

「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客 一」に登場するのは、ニコンミュージアムで売っている「ニコンようかん」と、ライカがまだ大事に持っているライカⅢf。

第二章 鏡に消えたライカM3オリーブ

 カメラは二眼レフのヤルー、そして章題の通りのライカM3オリーブ。西ドイツ軍用の仕様だ。その他、『そのライカの中でも、レアなものはやっぱりすごい値段が付くんです。例えば、スェーデン軍仕様のⅢgで、三つの王冠の刻印がついたスリークラウンとか、ドイツ空軍仕様のグレー塗装のⅢcとか、あともっとすごいのになると、キリ番というものもあります』という、今宮のまさしくオタク説明があります。

 その他、ダゲレオタイプとか、二眼レフのヤルーのミニチュア・キーホルダーとか、「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客 二」ではLマウントのライカ・レンズ、エルマー35ミリやズマロンが登場。

第三章 三月十四日、遺された光

 トリエルマー、ノクチルックスなどのレンズの話から、プラウベルマキナ67なんて中判カメラのお話から、蔵全部がカメラコレクションになっているカメラオタク爺さんの話。

第四章 その客は三度現れる

 基本的に現れるカメラはコンタックスⅡaのみ。あとはプラモデルカメラ。

第五章 わたしはスパイ

 タイトルはアメリカで昔流行ったテレビドラマ「I Spy」からのもじりなんだろうが、スパイカメラとして有名なミノックスとかラトビア産のリガミノックス、ジッポライター型のエコー8、フォトスナイパーというカメラアタッチメントとカメラはゼニット。シグマ200-500ミリ、f2.8という大口径超望遠レンズ。

「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客 五」ではやっぱりライカ・レンズのズミルックスとかズマリットMが登場。

第六章 君の笑顔を撮りたくて

 ベッサⅡ、リコーフレックス、ラジオとカメラが一体化したラメラ、テレカ、リンホフ・マスターテヒニカ、レンズのローデンシュトック・シロナーなんてまあ、今宮のカメラオタクぶりが発揮されるんだが、結局、悩みを解決してくれたのはキャノンEOS1-Vとサンニッパ(300mm、f2.8)というレンズ。

「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客」ではペンタックスLXとレンズはペンタックスFA31mm。

第七章 ゆっくりと歯車は動き出す

 ツァイスイコンとレンズはT*21mm、ローライ35S、ライカM3、ミランダ、そして世界で最初に誕生したデジカメ、カシオQV-10。

第八章 ハンザキャノンと彼女の涙

 この章に至り描かれる視点がそれまでの来夏から今宮に移る。まあ、それがこの章の秘密なんだけれどもね。この小説の中で今宮が「来ちゃん」って言えば、当然それは来夏のことだと読者は思ってしまうんだが……。そこがこの章の秘密。

 そして写真館をしている十野先輩の代打ちで小学五年生の紙灯篭作りを撮影することになった学生時代の今宮。その紙灯篭作りで撮影した小学五年生の狭山ちゃんが実は……、ってお話。

 カメラは章題とおりのハンザキャノン、ライカM3のキーホルダー、そして来夏の愛機、ライカⅢf。

 結局、今宮と来夏の関係はこの二冊目でもさほど進展しないまま、終わってしまった。まあ、二人が結婚でもしたら、このシリーズも終わってしまうので、しばらくはこのままの関係が続くんだろう。

『谷中レトロカメラ店の謎日和 フィルム、時を止める魔法』(柊サナカ著/宝島社文庫/2016年10月20日刊)

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