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2017年2月21日 (火)

無縁坂

 東大病院の裏門にあたる「鉄門」を出ると、右に三菱資料館がある無縁坂を下がることになる。

 無縁坂はかなり緩やかな坂で、そのまま下っていくと池之端に出る。

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 無縁坂というのは、さだまさしの作詞・作曲によるグレープの曲『無縁坂』なんだが。長崎で生まれ育ったさだまさしが何故、文京区なんだろう。

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 まあ、多分坂の多い長崎での思い出を、この文京区の無縁坂を登りながら思い出し、東京にあるから皆知っているんだろうという思いで、この無縁坂を歌ったのかもしれない。うん、でも長崎の急坂とこの文京区の緩やかな坂とでは比べ物にならないと思うんですけれどもね。

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 もうひとつ、この無縁坂に関して触れているのが森鴎外の作品『鴈』である。主人公である岡田青年の散歩道なんだそうなのだ。

『岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れこむ不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。』

 という記述がある。

 藍染川は今は暗渠になってしまっていて、田端銀座から繋がって、谷中銀座から出る「よみせ通り」やそのさきの「へび道」になっている。

 何故「無縁坂」が「無縁坂」なのかというと、坂の途中に講安寺というお寺があるのだが、そもそもそのお寺の昔の名前から来ているようなのだ。

『初め無縁山法界寺と称していたが、元和2年(1616年)、湯島天神下より移転、開山上人が同じ境内に無縁寺と名付けた庵を建てる。正保2年(1645年)、無縁寺は坂下側の称迎院、法界寺は坂上側の講安寺となって現在に至る』(Wikipediaより)

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 そもそも「無縁寺」とは何か?

「無縁寺」とは、「無縁仏」という身寄りのない人や身元不明者、遺族が引き取りを拒否した人の遺骨を指し、そうした「無縁仏」を弔ったお寺ということで、両国や南千住の回向院なんかもそうしたお寺であったらしい。

 まあ、東大病院で亡くなった人たちの一部も、当然そうした無縁仏になってしまった人もいただろうから、そういう人たちの弔いもしてくれたのかもしれないのが講安寺なんだろうなあ。

 まさしく仏教寺院としては、それは正しいあり方なんだろう。つまり、死んでしまった人は皆平等なのである。

 なあんてことを考えながら、無縁坂を降りてきた。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Muenzaka Bunkyo ©tsunoken

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