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2017年1月20日 (金)

『ヒットの崩壊』っていいことなんですよねぇ

『歌は世につれ、世は歌につれ──。ヒット曲はその時代の流行の映し鏡となる。だから、時を経ても「あの頃」を思い出すためのキーになる。そうやってポップ・ミュージックは時代の象徴となってきた。そういうヒット曲の持つ力が失われてしまうことは、音楽それ自体の価値が損なわれることにも繫がる』

 というのはちょっと違うんじゃないかなあ。別に「ヒット曲」が「時代の写し鏡」になる必要はないし、そう考えるのは浅薄なジャーナリスト精神でしかない。

 ここで私が敢えて「浅薄なジャーナリスト精神」と書いたのは別でもない、単にヒット曲だけが「時代の写し鏡」なのかという、基本的な疑問なのだ。別に、「歌」や「曲」だけが時代の「写し鏡」じゃないでしょ。時代の写し鏡になるものは、その人ひとりづつにすべて違う形であるものなのだ。

Photo_2『ヒットの崩壊』(柴邦典著/講談社現代新書/2016年12月1日刊)

 まあ、テーマは変わるんだけれども、要はマスコミにおける「ヒット曲」と、アーチスト個人が感じる自分の作品の「ヒット感」は違うってことなんだけれでも。

 昔、和製フォークとかロックとかニューミュージックなんて言葉があった頃、そうしたアーチストの中に、テレビの歌番組なんかには出たがらなかった人たちがいた。「自分の歌はアルバムを全部聞いて理解されたいのであって、歌番組なんかで切り売りされたりするようなことはしたくない」ということで、歌番組に出たり、自分の歌がコマーシャルソングとして使われることを拒否した人たちだ。当然、彼らはレコードセールスよりもコンサートなどで生で歌を聴いてもらうことを良しとしたわけなので、現在のライブ中心で活動するアーチストのずっと昔からいた「先達」であったわけだ。いわゆる「ヒット曲」とは関係ないところで活動していたのであった。

 そう、昔からそうしたアーチストはいたわけで、別に最近になってCDセールスが落ちてきたのでライブ中心に活動しているアーチストよりはかなり自覚的にそうした生き方を選んできたのである。

 歌手になる人は、別に初めから歌で生活したいという人ではなかったんではなかろうか。結果として歌で生活できるようになったというのが実情で、最初はだれも「歌は趣味」だったはずだ。歌うのが好きで、人に聞いてもらえるのが好きで、いつの間にかそれが生活の糧になっていった、というのが歌手なんだろう。

 それが今や「歌で金を稼ぐ」のが目的になってしまった。どうも、その辺から逆転現象が起きてきて、「じゃあ、お金を稼ぐ方法としての歌の売れ方は何だろう」ということになって、「パッケージ=レコード、CD」という流れになっていたんじゃないだろうか。つまり、「歌で金を稼ぐ」という考え方自体が、本来の歌のあり方とは違った方向に進んでいるのだ。

 そんな意味では『音楽ソフト市場は低迷し、90年代のCDバブルの時代は完全に過去のものとなった。しかしその一方、ライブやコンサートの動員増が象徴するように、音楽を「体験すること」への興味と需要はいまだ大きい。
 マスメディアの影響力は小さくなったが、YouTubeとSNSがアーティストとファンが繫がるためのプラットフォームとなった。DIYで長くキャリアを重ねることのできるアーティストは増えた。そういう音楽業界の状況は「厳しくなった」のではなく、むしろ「健全になった」と捉える方が正しいだろう』という見方は面白い。

 つまり、『10年代に入ってから「CDがたくさん売れること」と「曲が流行っていること」が必ずしもイコールではなくなった』ということは、つまり音楽の世界が正常化してきている状況なんじゃないだろうか。

『60年代はポピュラー音楽の一大転換期だった。フォークが、そしてロックが新しい若者文化として世界中に広まった。それまでのピアノやオルガンではなく、ギター主体のポップソングが当たり前になった。ボブ・ディランらに触発された多くの若者がフォークギターを手に取った。ベンチャーズがエレキギターのブームに火をつけ、そして、1965年のビートルズの初来日が巻き起こした旋風が決め手になった』

 そんな意味では、やっぱり1960年代のはっぴいえんどって、その後の日本の音楽シーンにとっては重要な位置を占めているんだなあ。

『大瀧詠一、細野晴臣の二人は、単なるソングライターやミュージシャンというだけでなく、自らの音楽のルーツや成り立ちにとても意識的だった。レコーディング技術の追求も含め、音楽制作にあたってのスタンスが他と一線を画していた』

『1972年、わずか数年の活動期間を経て、はっぴいえんどは解散する。実質的には、その後の日本のポップスに大きな影響を与えたのはメンバー4人の解散後の活躍だろう』

『大瀧詠一はソロアルバム『A LONG VACATION』をヒットさせ、主宰するレーベル「ナイアガラ・レコード」から山下達郎や大貫妙子や伊藤銀次など数々の才能を送り出した』

『細野晴臣はソロ活動と並行して、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆と共にバンド「キャラメル・ママ」を結成、後にティン・パン・アレイと名を改め、音楽プロデュースチームとして70~80年代に数々の作品を手掛けた』

『松本隆は作詞家に転身し、松田聖子を筆頭に数々の歌手やアーティストに歌詞を提供、80年代の歌謡曲を代表する作家となった』

 はっぴいえんどはレコードセールスよりはライブ中心のバンドだった。やはり、ミュージシャンにとってはライブの高揚感に比較して、レコード録音はあくまでも「お仕事感覚」なんだろうな。そのどちらに重きを置くかと言えば、それはライブでしょう。というのはよくわかる。テレビには一切出なかった。

 実は、私もアニメという徹底的にライブとは関係ない仕事をしているときに、 しかし、イベントなどでライブの仕事をしていた時に感じた高揚感というものは忘れがたくある。

 やっぱり、人間はライブなんだよなあ。そりゃライブって「live」でしょ。「生きている」って意味でしょ。やっぱりライブが一番なのだ。

 つまり『歌は世につれ、世は歌につれ──。ヒット曲はその時代の流行の映し鏡となる。だから、時を経ても「あの頃」を思い出すためのキーになる。そうやってポップ・ミュージックは時代の象徴となってきた。そういうヒット曲の持つ力が失われてしまうことは、音楽それ自体の価値が損なわれることにも繫がる』なんて言葉が陳腐化してしまう位に、「ライブは最高」だし、ライブが音楽としての最高の「聴き方」なんだってことを、皆さん知ってほしい。

 テレビやCDプレイヤーなどの「媒体」を通して聴いた音楽は、基本的に「偽物」。音楽はライブで聴いたり、体感するものなのだ。

『ヒットの崩壊』(柴邦典著/講談社現代新書/2016年12月1日刊)

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