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2017年1月 6日 (金)

「消えゆく沖縄」っていうタイトルなんだけれども……、そうじゃないとおもうんだけれどもなあ

 結局は、「沖縄人(ウチナンチュ)」も「日本人(ヤマトンチュ)」も、実は同じ日本人であり、例えば「蝦夷人」という場合は、北方の日本人も含まれているけれども、「アイヌ」と言ってしまえば、それは明らかに「日本人」とは違う人間なんだ。

 それほどの「違い」もないのに、「ヤマトンチュ」「ウチナンチュ」を両者を分けて考えてしまう結果となったのには、当然、日本政府(歴代の日本政府)の責任もあるだろうけれども、一方で『近世の琉球は薩摩と中国との二重朝貢体制の下で、どっちつかずの関係を維持しながら大国に身を委ね、バランスを取りながらみずからの国家を維持してきた。自立することをあえて放棄し、積極的に依存していくという生き方は、小国が大国の狭間で生きのびるための巧妙な知恵だったかと思える』という、沖縄の人たちの「巧妙な(小賢しいとも言う)知恵」があったのかも知れない。

 しかし、今や自ら選び取らなければならない必然になっているのではないだろうか。

Photo 『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』(仲村清司著/光文社新書/2016年11月20日紙版刊・2016年11月18日電子版刊)

 結局、沖縄は日本政府の下に入り、そこで「沖縄戦」を戦い、その後も日本政府の庇護のもとに生き延びようとした。

 その結果が『しかし、それは同時に戦前・戦後を通じて、壮大なまでに実直に日本に同化していく愚かな知恵に変質していった。その愚行の果てに沖縄戦、「祖国」復帰、そして現在の基地の集中・固定化があったことを忘れるべきではない。
 要するに、間違ったかたちで日本に追随したり支えたりすると沖縄は自滅する』ということではないのか。

 勿論、30年ほど前に「沖縄復帰」をとなえる旧左翼、「沖縄解放」をとなえる新左翼に反対してとなえた「沖縄独立論」なんて今更いう気はない。問題は沖縄の人たちが、自分たちの将来を考えて、一番いいと思える選択をすることなのだと思う。結局、旧左翼がとなえた「沖縄復帰」は日本の保守陣営にとらわれてしまった単なる領土復帰運動に過ぎなかったし、新左翼がとなえた「沖縄解放」というのは威勢がいいが、じゃあ解放した先の展望はどれほど見えていたのかと言えば、まあ、まったく考えていませんでしたね。

 つまり、今こそ「沖縄独立論」を言うべき時なんじゃないだろうか。

「沖縄独立論」というのは、元々の「琉球王国」に戻して、そこは共和政にして運営すればいいんじゃない、というまあちょっとは「お気軽な」いかにも「ウチナンチュ」らしい考え方と言えばそうなんだけれども、そこに日本にはない「(共産主義じゃない)共和制国家」ってどんなものになるのだろうか、という我々の期待もあったわけで、まあ、その辺が、「じゃあ、自分たちで共和制国家を作ればいいじゃん」という返答には勝てなかった理由ではあるんですよね。要するに、日本で共和制国家を実現するためには、天皇制をどうやって打ち壊すかという、実は戦後最大の問題があったわけですね。そう、アメリカだってやらなかった問題なんですよ。

『「日本は戦後から今日まで外国と戦争もしていないし、誰一人戦死したわけでもない。それを支えてきたのは沖縄ですよ。憲法九条があるから日本は平和なんだと主張する人たちは、憲法の埒外にあった沖縄の負担の中で、戦後日本の高度経済成長があったということがわかっていない。日本という国の平和が、架空の、虚構の中に保たれているということも理解されていない」
 先ほどから何度かコメントを引用している政治家が本土に向けて発した言葉である。すでにお察しの方もおられようが、発言者はオール沖縄の中心的役割を担っている現翁長雄志沖縄県知事で、氏が那覇市長時代に語ったものである(季刊『モモト』15・編集工房 東洋企画・二〇一三年七月発行)』

『米軍統治下時代、県民総所得に占める基地関連収入は五割近くを占めた時代もあったが、復帰直後の一九七二年は一五・五%にまで低下し、八七年以降から現在は五%前後で推移している。つまるところ、基地ではすでに食っていけないのが実情なのである。
 他方、観光収入は復帰直後から十三倍に増え、二〇一五年度の観光客数は七九三万人となり過去最高を更新。いまや毎年八〇〇万人が訪れるハワイの観光客数に届く勢いをみせているのだ』

「沖縄研究会」というのがあるそうだ。

『反復帰論の立場から沖縄返還を第三の琉球処分と捉え、「すべての沖縄人は団結して決起せよ」「沖縄返還粉砕」「沖縄人民権力の樹立」を主張した沖縄青年同盟(一九七一年結成)の潮流を引き継いだ団体である。
「みずからの運命は沖縄人自身が決める」とする現在の「自己決定権」「独立論」などの構想は、この反復帰論を思想的母体にしているといってよく、当時の沖縄研究会も「沖縄の自立解放」をスローガンに掲げていた。
 僕が上京した一九八三年、沖縄出身者が主体となって、沖縄問題について活発に大衆運動を展開していたのは沖縄研究会が唯一であった。

 ゆうなの会はもとより政治団体ではないし、偏った政治色もない。様々な職場や立場の人たちが垣根なく集まる団体で、ひらたくいえば、沖縄文化・芸能の発展、継承を目的にした、沖縄出身者による沖縄出身者のための集いになる。

 あえて繰り返すが、ゆうなの会に政治色はない。が、しかし、彼らの琉球ルネサンスというべき文芸復興活動は、結果的に「復帰」という政治運動を根底から問い質すものとなった。
 島の言葉やエイサーが自分たちの誇るべき文化であり、それを否定することは日本への無自覚的な「同化」につながることを、彼ら自身が上京後、身を以て知ることになったからである。』

 う~ん、そうした「沖縄(琉球)ルネサンス」が必要なのかもしれない。

 そうした運動がもっともっと盛り上がった先に、「沖縄(琉球)共和国独立運動」がおきるのかもしれない。

 私が沖縄に行ったのは数年前。まだ、普天間の移設問題が出る前の、それこそ普天間飛行場が目の前に見える公園の上から飛行場(と言っちゃいけないんだよなあ。要は「普天間海兵隊基地」なんだけれども)を見たんだけれども、まあすごい街中にあるんですね。

 じゃあ、辺野古ならいいのかと言えば、そこにはそこに昔から住んで、漁業を営んでいる人たちがいるわけで、どうすりゃいいんだ。

 まあ、ここは沖縄(琉球)が独立して、日本とは別の国家になってしまえばいいんだけれども、そうなると独立国としての中国と日本の距離の取り方だろう。まあ、そこはシンガポールを題材としてですねえ……。それ以上言えない私がもどかしいんですが。

 アジアのハブ空港として大きな可能性を持つ那覇空港を持ち、アジアとアメリカ大陸を結ぶハブ都市としての大きな可能性を持っている那覇市。多分、それは羽田や成田以上になる可能性はある。

 この二つを持って、シンガポールのような、国際都市になる可能性があるんだけれどもなあ。

 あっ、でもその前にトランプ大統領が「日本は勝手に自分で守れ!」なんて言って、駐沖米軍基地を全部引き上げちゃったりしちゃって……、っていうか、トランプ政権ってちゃんと4年間持つのかなあ。

『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』(仲村清司著/光文社新書/2016年11月20日紙版刊・2016年11月18日電子版刊)

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