フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月

2017年1月31日 (火)

やがて哀しき『タンジェリン』、iPhoneで撮った映画

“タンジェリン”っていうのは、「みかん」とか「みかん色」ということ。つまり、「黄昏(たそがれ)色」っていうこなんだなあ。クリスマス・イブの午後から夜までの話が映画『タンジェリン』の話。そんな「黄昏色」に染まったようなお話なんですよ、ってのが監督及びプロデューサーからのメッセージ。

 そういえば、昔、ドイツのプログレッシブ・ロックのグループでキーボードを中心とした「タンジェリンドリーム」ってのがあったな。まあ、キーボード中心のロックと言えば『青い影』のプロコムハルムが有名だけれども、ギター中心のバンドに比べて何となくインテリ臭さを感じさせるキーボードベースのプログレッシブロックって好きだったな。

 という話とは何の関係もなく……

Photo 『タンジェリン』(監督・脚本・撮影・編集:ジョーン・ベイカー/共同脚本・共同プロデューサー:クリス・バーゴッチ/共同撮影・共同プロデューサー:ラディウム・チャン/プロデューサー:キャリー・コックス、マーカス・コックス、ダレン・ディーン、シーチン・ツォウ、フランチェスカ・シルベストリ/エグゼクティブ・プロデューサー:マーク・デュプラス、ジェイ・デュプラス)

 要はこの映画、フツーの(って言っちゃいけないのかな)男女関係を持てる人が全然登場しない映画なんだな。

 主人公のシンディ(キタナ・キキ・ロドリゲス)とアレクサンドラ(マイヤ・テイラー)はLGBTの娼婦(この場合「男娼」と言えばいいのか「女娼」と言えばいいのか、すみません)、で、シンディが28日間の拘置所拘留を終えて出てきたサンタモニカ・ブールバードの「ドーナツタイム」というドーナツ屋の会話から話が始まる。アレクサンドラが言わなくてもいいのにシンディの彼氏、麻薬の密売人兼女衒のチェスター(ジェームス・ランソン)がシンディが拘置中に別の「D」で始まる女と浮気したということを告げてしまってから、その、なんというか修羅場が始まっちゃうんだなあ。

 シンディは「D」で始まる女を探してサンタモニカ・ブールバードを走り回るわ、アレクサンドラはクリスマスイブの今晩のクラブで行うコンサートに客を誘うわ。そんな中で唯一マトモにお金を稼いでいるのはアルメニア人のタクシー運転手、ラズミック(カレン・カラグリアン)だ。カレンは家に妻と娘がいるこの地区では数少ない「ノーマル」な人間だ。クリスマスイブには義母や親戚を集めてパーティーを開催している。

 んが、このラズミックも実は我々とは(そうじゃない人には申し訳ないけれども)異なった性癖を持っていたんだなあ。

 タクシー運転手なので、仕事中に何をしても大丈夫ってことで、娼婦を買うこともあるんだけれども、で、買った娼婦が女じゃだめなんだ。だって、女にはペニスがついていないでしょ。つまり、かれは娼婦とセックスをしたり、ペニスをフェラチオして欲しいんじゃなくて、自分が娼婦のペニスをフェラチオしたかったんんだなあ、っていう倒錯(すみません)した世界。

 これが、せっかく買った女性の娼婦を降ろしてしまうシーンの撮影風景。

Dscf83902

 で、最後はすべての「モノゴトのハジマリ=ドーナツタイム」に、ラズミックと同じ別のアルメニア人のタクシー運転手を凋落してきたラズミックの義母まで参加して、シンディ、アレクサンドラ、チェスター、ラズミック、チェスター、チェスターと浮気していたとされる娼婦のダイナ(ミッキー・オハガン)、そしてラズミックの妻と子供まで参加した一大惨劇が繰り広げられる訳です。

 まあ、ここまでネタバレしていうこともないですが、ここまででネタバレはおしまい。まあ、結果は見えてるもんね。

Photo_2

 で、私が面白いと思ったのは、実はストーリーじゃなくて、その製作方法。

 実はこの映画、iPhone5sだけで撮ったそうなんですね。当然、シネスコ画面にするためのアナモフィックレンスは使っていますが、上の2枚の写真とか下の写真を見てください。

Dscf83912

 おいおい自転車に乗って移動撮影ってあるか?

 まあ、あっても十分いいんですけれどもね。監督のジョーン・ベイカー 、次回作は35mmフィルムで作るそうで、要は、「映画はどんなフォーマットで作るのが問題じゃない。映画の求めるフォーマットで作るのが大事なんだ」ってことなんでしょうね。

 昔、35mmベースで作っていたジャン=リュック・ゴダールが1968年のパリ革命の時には16mmのボリューを使っていたのには感動を覚えつつ、まだ学生の身であった私には「ボリュー(Beaulieu)」は高値の華だったんだよなあ。で、ボレックッスをなんとか買って、私は身辺雑記から始めたんですねえ。

ダメだこりゃ。

『タンジェリン』は渋谷イメージフォーラムで公開中。

 今後その他でも公開予定あり。

 公式サイトはこちら

2017年1月30日 (月)

「出版不況」って何なんだろう

『創 2017年2月号』は毎年恒例の「出版社の徹底研究」だ。

Photo 『創 2017年2月号』(創出版/2017年1月7日刊)

 特集は「出版ニュース」編集長の清田義昭氏、筑摩書房顧問の松田哲夫氏、『創』編集長の篠田博之氏による鼎談『書店・取次の倒産相次ぐ 深刻不況・出版界の危機』なんだが、なんかちょっと他人事みたいな感じだ。

篠田 その流れ言うと、この正月には書店店頭を活性化させようとして、従来は休みだった流通を動かしてたくさんの雑誌を増刊別冊として売ることになっています。日本雑誌協会が音頭をとって、大手出版社の販売担当は相当盛り上がっているようです。正月に雑誌の新しいものが全く市場にないのは何とかなからいかと2~3年前から言われて、2016年の正月は幾つかの週刊誌がセブンイレブンで特別号を出したのですが、それが17年はかなりの規模で行われることになった。
 これも雑誌の落ち込みを何とかしたいという業界の危機感の現れですね、雑誌市場の落ち込みはこの何年か深刻で、出版界全体の大きな問題になっています。何しろ10年ほど前と比べると市場規模が半減していますからね。
松田 確かに雑誌が全体ではものすごい落ち込みなわけだけれども、例えば『週刊文春』のようにスクープを連発させると部数も伸びる。スクープで勝負する週刊誌が少なくなった分、情報を独り占めできるというメリットもある。『週刊文春』がやっぱりすごいと思うのは、取材をきっちりやっているでしょう。スキャンダル・ジャーナリズムとしてはある意味本気でやっている。いま『週刊文春』は一強ですよ』

 というのはわかるんだが

清田 雑誌部数の公査機関であるABC協会は、年に2回、雑誌の平均実売部数を発表していますが、1~2年前から電子版の部数と、最近は「読み放題」サービスで読まれた数も出しているんです。それを見ると、紙の雑誌よりも読まれているものもあるんですよね。例えば『SPA!』は紙の雑誌の実売が5万6000なのに、読み放題では12万ですよ。
 だから、ある書店の人が言っていましたけど、dマガジンというのは麻薬なんですって。今は伸びているし、記事を提供している側も喜んでいるが、長期的に見れば紙媒体が影響を受ける。気がついた時にはどうしようもなくなっている。
松田 みんながスマホで雑誌記事を読むようになると、紙の雑誌が売れなくなると心配する人もいるし、逆にウェブで面白い記事を見て、紙の雑誌を買ってくれる人もいるという可能性もないではない』

 というのを読んでみると、なんか筑摩書房の顧問という現役を退いた人の方が、状況をよく見ているような気がする。つまり、今は電子出版に積極的に取り組む時期であり、電子出版の波に乗り遅れた出版社は、いずれなくなる出版社だということ。

 その他の特集は『巨艦・講談社が試みる紙と電子の様々な模索』『書籍好調、小学館の組織改編と新たな船出』『「コミック王国」集英社の雑誌をめぐる新たな試み』『新潮社が取り組む新潮文庫の抜本的見直し』『『週刊文春』健闘、文藝春秋の次なる課題』『「雑誌王国」健在! マガジンハウスの今後』『光文社の経営支える女性誌が迎えたの転機』の6本。

 ところで、この6社のうち『巨艦・講談社が試みる紙と電子の様々な模索』と書かれた講談社が、多分一番「本の電子化」について積極的だろう。昨年あたりから「紙と電子書籍雑誌のサイマル化」というものを実現しつつある。

『吉村浩販売局局次長兼デジタル第一営業部長に話を聞いた。
 講談社ではコミックだけでなく全ての雑誌を紙と同時に電子でもサイマル(同時)配信するという方針を掲げている。
「全雑誌をサイマル配信していると言ってよいと思います。読者の選択肢を増やすという考え方で可能な限り対応しようということですね。
『クーリエ・ジャポン』のように、紙の雑誌をやめて電子だけにしたものもあります。2月から始めたものでまだ黒字化には至っていませんが、計画通り会員数も増えています。月額980円で課金し、情報は毎日更新していきます。こいうビジネスが成立するのも紙の雑誌を出してきて培った信頼性があるからだと思います。
 紙の雑誌もそえぞれウェブサイトを持っており、『フライデーデジタル』や『週刊現代オンライン』のように課金しているものもあります。
『週刊現代』などの情報はそのほか『現代ビジネス』というニュースサイトでも配信しています。こちらは無料のサイトで、広告モデルですね。オリジナルな情報もたくさん出していますが、文字量が多いわりにアクセスが多いことで知られています。コストを抑えて運営していることもあって、既に利益も出しています。
 デジタルのみの配信を行っているのは40代女性向けの『ミモレ』もあります。コアなファンがついており、アンケートを実施すると1000人くらい答えてくれています。40代女性は可処分所得も高いし、広告収入モデルで十分やっていけると見込んでいます。
 デジタルコミックは好調で、11月は対前年比で175%という高い数字をあげています。電子の実の配信を行っているものもあり、例えば6月に立ち上げた『ハニーミルク』はライトBLと呼ばれるジャンルのコミック誌です。デジタルだけのものは他にも『姉フレンド』とかいろいろあります。刺激的な女性向けのコミックは電子が伸びると言われますが、特にBLのようなものは電子がよく売れますね。『ヤングマガジン』が運営している『eヤンマガ』なども男性だけでなく女性もよく見てくれています。
 電子の場合、ひとつの作品がヒットすると、同じ作者の過去作もすぐに見られていくという特徴があります。例えば『eヤンマガ』で人気に火がつき紙のコミックスも売れている『食糧人類』という作品から、『アポカリプスの砦』という作品につながって読まれるようになりました』

 この『ひとつの作品がヒットすると、同じ作者の過去作もすぐに見られていく』という特徴こそは電子出版ならではの「ロングテール」現象なんだろう。

 その結果なんだが、11月決算の講談社の場合、昨年度は増収総益で、今年の1月には全従業員に30,000円の一時金が出たそうだ。まあ、30,000円が多いのか少ないのかは別として、昨年は特別なミリオンセラーが出たわけでもないし、特別な大ヒット雑誌があったわけでもない講談社が増収増益決算というのは、やはり電子の貢献が多いのだろう。その電子なんだが講談社の場合、売り上げが155億円あったそうだ。つまり総売り上げの10%ほどが電子出版なんだから、やはり早めに電子出版に取り組んでいたのが功を奏したということが言えるんではないか。

 講談社は2月末には株主総会があるので、そこでどんな発表があるのかが気になる。その時は、またご報告をします。

 多分、講談社同様積極的に電子出版に取り組んでいるKADOKAWAあたりも同じような結果になっているのではないだろうか。

 つまり、電子出版に取り組んでいない会社ほど「出版不況」なんて使い古された言葉を使いたがっている、っていうことなんだなあ。

『創 2017年2月号』(創出版/2017年1月7日刊)

2017年1月29日 (日)

西東京フィルハーモニーオーケストラ

 西東京フィルハーモニーオーケストラというのがあって、昨日その第22回目の定期演奏会が行われたので、聴いてきた。

 といっても、私がそんなクラシックの音楽を聴いてもその良し悪しは分からない。

Dscf83532

 指揮は神田慶一氏。といっても、神田氏も私は知らない。

Dscf83812

 西東京フィルハーモニーオーケストラというのは、元々はここ西東京市(保谷)に「こもれびホール」というのが西東京市保谷庁舎の隣にできたのがきっかけでできたアマチュアの管弦楽団だ。年に2回のこもれびホールでの公開コンサートの他、市の催事とか地域の小学校や各種施設でのコンサートなども行っているようだ。

 私が何故この西東京フィルハーモニーオーケストラに関わるようになったのかと言えば。その代表に西田克彦氏がいるからなのです。実は西田氏は元々NECの社員で、一時期キングレコードにもかかわっていたことがあるそうで、その西田氏と私の接点は映像ソフト協会(JVA)なのでありました。

Dscf83492

 で、この人が西田克彦氏。パートはホルン。

Dscf83782

 昨日の演目は

1曲目 ラヴェル「高雅で感傷的なワルツ」

2曲目 ボロディン「交響楽第2番」ロ短調

3曲目 ストラヴィンスキー「火の鳥」1919年版

 の3曲。

Dscf83692

 その3曲の後、短いアンコール曲があってコンサートは終了したのでした。

Dscf83822

 で、ホルン奏者って、一方で息を吸いながら、その一方でホルンを演奏できるって知ってました?

 普通は知らないよね。でも、そうなんだってさ。

 なんでそんなことができるのかは知らないけれどもね。

Fuji Film X10 @Hoya © tsunoken

2017年1月28日 (土)

江戸川区中央森林公園

 ある日、何気なくグーグルマップを見ていたら、江戸川区に中央森林公園というものを発見。「江戸川区」と「森林公園」というなんかイマイチ、イメージが繋がらない感じがして、見に行った。

 JR総武線新小岩駅で降りて南口へ。そのまま南の方に歩いていくと旧千葉街道に出るので、そこを左折するとちょっと先に「中央森林公園」というバス停があるので、その少し先を左折すると中央森林公園はある。新小岩駅から2km弱。

Dsc_00212

 で、公園に入ってみるとこんな遊具や……

Dsc_00222

 夏にはここに水を張って子供たちが遊べるような池がある。

Dsc_00202

 敢えて「森林公園」らしいところを探すと……

Dsc_00242

 こんな感じの植え込みがあるが、それも公園のごく一部。

Dsc_00252

 公園の周囲もたかだか500mm程度で、我々が森林公園というと周囲何キロもあるイメージなんだが、そんなに大きな公園ではない。

「小松川境川親水公園」の一部にもなっているような「中央森林公園」なわけだが、なぜそんな名前の公園になったのかはよくわからない。まあ、何だろうな。江戸川区民から「江戸川区は緑が少ない」とかの発言を受けて、「いやいや江戸川にも緑はありますよ」ってなかんじで「中央森林公園」を作ったのかもね。

Dsc_00112

 帰りに江戸川区文化センターで小学生たちが避難訓練をしていた。

Dsc_00292

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Edogawa ©tsunoken

 

2017年1月27日 (金)

片倉城(跡公園)

 八王子市の郊外、京王片倉駅からちょっといったところに「片倉城(跡公園)」はある。

Dsc_00012

 こんな小高い丘の上にあるのが片倉城。

Dsc_00402

 山道を登っていくと……

Dsc_00062

 二の丸跡にでる。

Dsc_00132

 二の丸から空堀を挟んで橋が渡っているが、そこを渡ると……

Dsc_00242

 本丸跡に出る。二の丸の広さに比べると本丸がちょっと狭い感じがするんだが、何故だろう。

Dsc_00182

『片倉城跡は、湯殿川と兵衛川の合流点を臨む北東方面に張り出した丘陵先端部に位置する中世城館です。北・東・南の外周部は約30mの急崖となっており、自然地形を生かした城郭です。西からの丘陵頂部は平坦ですが、深い空堀によって画された主廓と第二廓からなります。現道の配置等から第二廓の西方にも堀切がなされ、三廓からなる直線連廓式城郭であった可能性もあります。空堀により画された二つの廓には土塁や櫓台、腰曲輪、土橋などが良く残ります。
『新編武蔵野風土記』などでは応仁年間(1394-1428)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏や大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが、確証はありません。
 築城主体や年代の特定は困難ですが、深大寺城跡などの他の中世城郭との比較から15世紀後半以降に築城され、16世紀代に廃城になったと推定されています。しかし、城郭としての配置や技法、古川越街道や鎌倉街道と隣接する交通の要衝であることから、小田原北条氏による築城や利用の可能性も指摘されています』

 というのが東京都教育委員会の案内板。

 まあ、八王子市元八王子町には八王子城という、小田原北条氏の支城があるんだから、そのまた砦としてこの片倉城があったというのも考えられる。ただし、その場合は小田原北条氏は16世紀以降の存在なので、だとするとちょっと時代考証が異なってくる。

 本丸のすぐ下には住吉神社がある。結構立派な神社なんで、ここに城があったのは確かだろう。

Dsc_00322

 城から見た八王子市街であります。

Dsc_00332

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Katakura Hachioji ©tsunoken

2017年1月26日 (木)

『その後の慶喜』っていうより、その「余生」の過ごし方だよなあ

 でも凄いですよね、天保8年(1837年)に生まれ、徳川15代将軍として大政奉還をしたのが、慶應3年(1867年)、徳川慶喜30歳の時。で、大正7年(1913年)に亡くなったというのだから御年76歳、実に46年間の間、徳川慶喜としては「余生」だったんだなあ。

 61歳で定年となり現在65歳という私なんか、まだまだ余生は4年間。こりゃあ徳川慶喜に見習っていろいろなことに挑戦しなければ、ってな感じになりますな。

Photo 『その後の慶喜』(家近良樹著/ちくま文庫/2017年1月10日刊)

 で、「余生」ということになると、「趣味」ということになるのだが。

『明治五年の正月一日より始まる「家扶日記」からは、謹慎が解かれてから二、三年経過した段階の慶喜が、驚くほど多彩な趣味の世界に入りびたっていたことが判明する。明治五年中だけをとってみても、銃猟・鷹狩・囲碁・投網、それに鵜飼いまでもやっている。ついで同六年以降の日記を見ていくと、謡や能・小鼓・洋画・刺繍・将棋等が新たに加わる、また、時に鰻釣りも城内(いまの駿府公園)の濠でやっている。真に幅が広く活発な趣味の世界であった。なかでも壮年時代の慶喜が熱中したのは、銃砲(西洋銃)による猟と鷹狩と投網であった。狩猟の範囲は近村から安倍川尻にまで及び、清水湊での投網には明治初年当時静岡ではまだめずらしかった人力車ででかけた。そして、最盛期には連日のように外出し、日が落ちるまで邸には帰らなかった』

『ことに写真は本格的で、本職の写真師の指導を受けつつ近村遠地の風景はもちろん、家族や女中おも被写体にした。それに飽きると生け花まで撮ったというからよほど好きだったのか』

『また、前田氏が紹介する明治二〇年二月五日付の『静岡大務新聞』によると、慶喜は、「昨今自転車を好」み、「日々運動のため洋服を着用して市中を乗り回」していた(これはおそらく明治十年代に彼が乗っていた「鉄輪の自転車」のことであろう)。そして静岡には、「いまだ適当な自転車」が「無」かったので、「一両三百円にて東京へ発(注)したという。しかもsれは、慶喜用のみならず、厚・博のふたり分もふくめてであった(『慶喜邸を訪れた人々』百二〇頁)。もし新聞が伝える値段が正確だとすれば、自転車だけでも計九百円もの大金を支出したことになる』

『(三遊亭)円朝の来邸を聞かされた慶喜は、「久々にて(円朝が)出頭の事に付、講談御聞き遊ばさるべき思し召しにて、滞岡日数および興行時間等御尋置きあい成たし」との「御沙汰」を側近の者に伝える。すなわちひらたく言えば、円朝の講談を聞きたいので、興行日程や時間を知らせろ、そひて都合をつけろとの要望であった。慶喜は慶喜で、一期一会ともいってよい初度の接見で、円朝の人柄や噺ぶりに心惹かれるものがあったのだろう』

 そして再び東京に引っ越したのちは巣鴨、小日向へと移り。

『また、これは、なんとも微笑ましいかぎりであるが、大正元年の終盤に自動車を手に入れた慶喜が、息子(慶久)とふたり、自動車に夢中になっている姿である』

『それはさえとき、大正元年の一一月一六日に「自家用乗用自動車」の「使用届および自動車運転士免許証下付願」を警察署に提出した慶喜は、認可されると、すぐに息子の慶久を二人で翌々日の一一月一八日自動車に同乗して、田安邸と千駄ヶ谷の家達邸に喪中の挨拶に訪れている。そして、同月二一日に今度は警視庁に「自動車の件で出頭」したあと、二三日に自動車でやはり華頂宮邸を訪問し、帰途、病院に入院中の娘(国子)を訪ねた。
 さらに一二月四日と一一日には自動車に乗って参内し、ついで同月一九日には神奈川県の国府津(今の小田原市国府津)に出かけるため、自動車で新橋駅へと向かった(晩年の数年間、慶喜は厳冬期を迎えると、避寒を目的に大層気に入った神津の大鳥冨士太郎(父は大鳥圭介)男爵所有の別荘に行った)』

 銃猟・鷹狩・囲碁・投網・鵜飼い・謡や能・小鼓・洋画・刺繍・将棋・鰻釣り・写真・講談・自転車・自動車とまあ、何種類の趣味を持っていたんだろう。写真・自転車・自動車・牛の角突きそれとブログなんていう私の趣味なんて足元にも及ばない多彩さであります。

 勿論、大政奉還をおこなった将軍としては、一切、政治には関わらないどころか、政治にかかわる発言すらも自ら禁じているっていうのは、一種の男の矜持ではあるのだろう。当然、大政奉還に関しては、それに反対していた武士も数多くいたわけで、そうした武士に対して政治にかかわる発言をしてしまったら、反撥もあったろうし、あるいは武士たちの明治政府に対する反乱のもとになっていたかもしれない。

 更に、そうした多彩な趣味を行うことが可能になったほどに、徳川家の財政が豊かだったということも考えられる。まあ、それは当然幕府の主だったわけでそれなりに財政は大きかったはずである。明治政府によって取り潰されたとはいえ、そこはそれそんな目にあっても、まだ財政は豊かだったんだなあ。

 まあ、それはいいとして徳川慶喜の趣味になくて、私の趣味にある「ブログ」ってどうなんだろう。パソコンなんてなかった時代だったわけなので、慶喜がブログなんてものは知らなかったのは当然なんだが。「仮に」もしあったとしたら、自分の趣味をブログにUPしたんだろうか。

 まあ、やらなかっただろうなあ。もしやったとしたら、やはり自分の趣味の世界だけじゃなくて、何らかの政治的発言もしたくなっちゃうだろうし、それでは矜持を破ってしまうことになる。

 まあ、ブログなんて所詮は「ごまめの歯ぎしり」。私みたいな「名もない庶民」がやるのが一番だってこと。

 えっ? じゃあアメリカの大統領がやるTwitterって何なの? って? っへ?

Dsc_00012巣鴨駅の傍にはこんな「徳川慶喜屋敷跡地」の碑が立っています。

『その後の慶喜』(家近良樹著/ちくま文庫/2017年1月10日刊)

2017年1月25日 (水)

文京区自転車シェアリングはじめる

 長いこと草ぼうぼうになっていた文京区立昭和小学校と東洋文庫の間の文京区所有の空き地の整地が暮れに突然始まった。年が明けると簡易舗装までやっている。

 何ができるのかなあと思っていたら……。

Dsc_00042

 ある日突然そこに赤い自転車が並んでいる。

Dsc_00062

「これは?」って思っていたら昨日の夕方新聞と一緒に届いた文京区報にあるじゃないか「はじめました文京区自転車シェアリング」と。

Dsc_00162

 早速見に行った。横浜コミュニティサイクルと同じ自転車が並んでいる。

Dsc_00082

 横浜と同じ電動アシスト付きの自転車。これなら坂の多い文京区でも使い勝手はよさそうだ。

Dsc_00092

 会員制で、1回会員は「基本料0円/月で最初の30分150円、(利用回ごとに最初の30分150円」、月額会員は「基本料2,000円/月で最初の30分0円(月に何度利用しても30分以内は無料)」、延長料金は最初の30分を経過した後は100円/30分、1日パス「1日分1,500円(午後11時59分まで利用可)、支払方法はクレジットカードかSuica、Pasmoなどの交通系ICカード。

Dsc_00112

 文京区の他、千代田区、中央区、港区、 新宿区、江東区でも相互乗り入れ可なので、かなり広い範囲で使える。ただし、お隣の北区、荒川区、豊島区がないのはちょっと不便かな。

 現在のサイクルポートは30ヵ所ほどだが、これは今後増えていくのだろう。

 会員登録の方法やサイクルポートの場所は文京区の自転車シェアリング専用ホームページからどうぞ。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Hon Komagome Bunkyo ©tsunoken

2017年1月24日 (火)

『パリ、恋人たちの影』ヌーヴェル・バーグの残滓は何処へ?

 自分で浮気をしていながら、妻の浮気にはかなり強く当たるという、まあいかにもな夫ピエール(スタニスラス・メラール)と、数少ない浮気がダンナにばれて、結局は別れてしまう妻マノン(クロティルド・クロー)なんだが、結局は元のさやに収まるという、なんかあまりフランス映画らしくない展開が、ヌーベル・ヴァーグの次世代の旗手の作品っていうと、なんか不思議な感じがする。

Photo 『パリ、恋人たちの影(原題:L'OMBRE des FEMMES〈女の影〉)』(監督・脚本:フィリップ・ガレル/共同脚本:ジャン=クロード・カリエール/撮影:レナート・ベルタ/音楽:ジャン=ルイ・オベール)

 とにかくスタッフが豪華なんである。

 共同脚本のジャン=クロード・カリエールはルイス・ブニュエルの「小間使いの日記」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」「欲望のあいまいな対象」、ジャン=リュック・ゴダールの「勝手に逃げろ/人生」、ルイ・マル「五月のミル」、大島渚「マックス、モン・アムール」などの作品に脚本家として参加してきている人だし、撮影のレナート・ベルトはゴダール「勝手に逃げろ/人生」、エリック・ロメール「満月の夜」、ルイ・マル「さよなら子供たち」や、その他アラン・レネなどとも組んできた人だし、音響のフランソワ・ミュジーはゴダールの「パッション」「ゴダールの探偵」「右側に気をつけろ」「ヌーヴェルバーグ」「新ドイツ零年」「ゴダールの決別「フォーエヴァー・モーツァルト」「愛の世紀」「アワーミュージック」「ゴダール・ソシアリズム」「カルメンという名の女」などを手掛けてきた人だ。

 もうこうなったらばりばりヌーヴェル・バーグの映画になるはずなんだが、あまりゴダール臭はしない。まあ、ヌーヴェル・バーグって言ってもジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーでは全然作風は異なるわけで、つまりヌーヴェル・バーグっていうのは映画誌『カイエ・デ・シネマ』に集まっていた評論家たちが、やがて自分たちも映画を作り始めたっていうだけで、何らかの映画の作風を表す言葉ではなかったということなのだ。

 ゴダールは「ガレルは息をするように映画を撮る」と言ったそうだが、ジャン=クロード・カリエールが脚本に参加しているとはいっても、あくまでも作品は監督のものである以上、作品コンセプトはフィリップ・ガレルのものであるし、作品に責任を負うのもガレルしかいないのだ。

 で、そのガレルが作り上げたストーリーは……。

 ドキュメンタリー映画を製作しているピエール、マノンはそんな夫を世間に認めさせたいと、自分は食堂でパートタイマーをしながら、自身もキャメラを回したりして夫のドキュメンタリー映画製作に協力している。

「開戦の頃、18歳だった。友達を巻き込んで逮捕され彼の母には恨まれた……」

 と話す元レジスタンスの闘士を取材しているピエールとマノン。

「難しい作品になりそうだ」というピエール。どうも製作作業は難航しそうだ。っていうか、どうまとめたらいいのかわからなくなってしまったようなんだな。

 そんなある日、スタジオでフィルム保存係で研修中のエリザベット(レナ・ボーガム)と出会ったピエールは、その日のうちにエリザベットと意気投合、エリザベットの部屋でベッドイン。ピエールは打ち明ける……。

「言っとくが、妻がいる」「だと思ってた」と、二人は体を重ねる。

 妻がいると知りながらピエールと関係を続けるエリザベットだが、こっそりピエールとマノンが住むアパートを探しに来て、仲睦まじそうに話す二人の姿を見る。

 そんなエリザベットが、ある日、偶然立ち寄ったカフェでマノンと浮気相手の男がいるのを目撃する。そして、また別の日にも……。

 そのことをピエールに告げるエリザベット。

 自分がエリザベットと浮気をしていることを棚に上げて、マノンを叱責するピエール。

 激しい言い合いを経て、マノンはピエールの家を出ていく。その後、ピエールもエリザベットとは疎遠になり……元レジスタンス闘士の言葉も「ウソ」だったということが分かり、映画の製作も頓挫してしまったようだ。

 数年たち、元レジスタンス闘士が亡くなり、その葬儀に参列することで再び出会う二人。映画はどうなってしまうのだろうか。

 その時に、マノンの口から出た言葉……。

「いっそ、あれはウソだった。私たちは騙されていた。ということでもって、映画を製作すれば」

 その言葉で、再び彼らが映画製作を再開するのか、再び共同生活を再開するのか。まあ、多分そうなることを予感させて映画は終わる。

 映画の冒頭、ピエールが街中でバゲットを咀嚼するシーンが長く続く。そして映画の半ばで、マノンとマノンの母親がやはりバゲット(サンド?)をやたら食べているするシーン。そして、ピエールがマノンが出ていったたった一人の部屋でスプーンで(即席?)パスタを食べているシーン。

 この三つのシーンが実はこの映画では大事なシーンなのではないだろうか。「食べること」つまりそれは「生きること」。なので、やっぱり人間はどんな状況になってしまっていても「食べること」でもって、「生きてしまう」ってことなんだなあ。

 で、生きている以上は、それはピエールにとっては「映画を製作すること」なんだろうし、マノンにとっては「そんな夫を支えること」なのかもしれない。

 ただし、最後の葬儀が行われている教会の前で、再び出会ったことを祝福するように抱き合うピエールとマノンを見ていると、まだまだこの夫婦には山あり谷ありの人生が待っているんだろうなあ、とも思えてしまうのだ。

 まさしくそれがフィリップ・ガレルの歩んできた人生なんだろうし、これからも映画製作という現場を歩き続ける以上、避けて通れない人生なんだあ。

 1948年生まれのフィリップ・ガレル、1968年の「パリ五月革命」のときは20歳という、バリバリの「団塊の世代」(日本風の言い方をすればね)、ゴダールが16mmのボリューカメラで「五月革命」を取っていた時に、まさしくその被写体にいたかもしれない人物だ。

 それが、今やフランス映画の大家となって作った映画が『パリ、恋人たちの影』であるならば、その「恋人たちの影(原題に沿って言えば「女の影」)」がどのように結実するのかを我々は見届けなければならないだろう。

 ピエールとマノンが作っていたドキュメンタリー映画がどんな映画になっていたのか、実に気になる。果たしてそれは完成したんだろうか?

『パリ、恋人たちの影』は渋谷シアターイメージフォラムで公開中。その他の劇場でも順次公開予定。公式サイトはコチラ

2017年1月23日 (月)

前橋シャッター通り2017 その変化

 群馬県前橋市には1年か2年に一回は行っている。

 まあ、仕事で行っていたっていうのもあるし、全国的に知られた「前橋シャッター商店街」がどうなっているのかが心配(?)でっていうのもあって、たまに訪れるのであります。

Dsc_00092

 で、昨日も行ってきたんだが……、相変わらずのシャッター商店街なんですね。

Dsc_00102

 ガラーンとした道があるだけで、人通りも少ない。

Dsc_00142

 中央通り商店街から弁天通り商店街に行っても以前とは全く変わっていない、人通りのない商店街が続いているだけ。

Dsc_00192

 で、商店がなくなってしまったところには、新しく別の商店ができるんじゃなくて、空き地を利用した駐車場ができるんですね。でも、その駐車場だってガラガラ。そりゃあ興味のある店がない商店街に買い物にくるお客さんなんていないもんね。

Dsc_00232

 ついにはこんな「赤字らーめん」なんてものも発見! そこまで居直らなくてもいいじゃん。とも思うんだけれどもねえ。

Dsc_00272

 というところで、中央通りの入り口、前に書店の煥乎堂の文具売り場があったところだと思うんだけれども、そこに「前橋まちなか研究室」というものができた。

Dsc_00132

 前橋市出身で眼鏡チェーン「JINS」創業者の田中仁氏を中心に立ち上げた財団が元になってできた前橋まちなか研究室らしい。つまり、前橋の街中をどうやって活性化していくかを研究・実践していく場所なのであります。

 う~ん、これは面白いなあ。なんか私もかかわってみようかしらん。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Maebashi ©tsunoken

2017年1月22日 (日)

85mmで街撮りスナップ in 新宿、でも……アレッ?

「85mmで街撮りスナップ in 新宿」ではあります。

Dsc_00012

 まあ、新宿の混雑ぶりからは、基本的には広角レンズ向きの街なんだけれどもね。

Dsc_00052

 でも、あれ?

Dsc_00112

 なんか、だんだん彩度が下がってきて……

Dsc_00152

 モノクロに近くなってくるなあ。

Dsc_00232

 うわ~、ほとんどモノクロだ。

Dsc_00272

 そうかこれが「森山大道の呪い」というやつね。

Dsc_00043

 アッチャ~、こんなハイコントラストになっちまってよ。

 つまり、新宿写真はモノクロに限るっていう、森山大道氏の呪いが私にも罹ってしまったんだなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:2.8 @Shinjuku ©tsunoken

2017年1月21日 (土)

東京Graffiti

「Graffiti」とは、要は「落書き」ってことなんですね。

Dsc_00362

 ニューヨークあたりでこうした“GRAFFITI ART”が認められてしまって、なんだかこんな単なる「落書き」が「アート」として認められてしまうのか? ってな疑問が多く出されてしまったんだが、でも、ニューヨークではいまだに認められているらしい。

Dsc_00372

 まあ、勿論単なる「落書き」なんで著作権を主張できるようなものではないし……

Dsc_00482

 それほど「美術性」が高いとも思えない。単なる「落書き(「イタズラ書き」とも言う)」だ。

Dsc_00512

 道路にまで書くような奴がいる。

Dsc_00542

 もうちょっとエスプリでも効いた落書きだったら、「アート」としても認めてもいいんだけれどもなあ。

Dsc_00662

 どうも、東京のGRAFFITIは単純な「落書き(イタズラ書き)」でしかないでしょうね。

Dsc_00682
 
 まあ、単なる「落書き」、昔の「落書」とは全然違う単なる落書き。しかし、それが、渋谷から恵比寿に至る道で散見されるっていうのは何故でしょうかね? 以前は東横線の高架下にも多く見られました。
 
 そうか、これは探索してみる価値はあるな。
 
NIKON DF AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Ebisu Shibuya ©tsunoken
 
 

2017年1月20日 (金)

『ヒットの崩壊』っていいことなんですよねぇ

『歌は世につれ、世は歌につれ──。ヒット曲はその時代の流行の映し鏡となる。だから、時を経ても「あの頃」を思い出すためのキーになる。そうやってポップ・ミュージックは時代の象徴となってきた。そういうヒット曲の持つ力が失われてしまうことは、音楽それ自体の価値が損なわれることにも繫がる』

 というのはちょっと違うんじゃないかなあ。別に「ヒット曲」が「時代の写し鏡」になる必要はないし、そう考えるのは浅薄なジャーナリスト精神でしかない。

 ここで私が敢えて「浅薄なジャーナリスト精神」と書いたのは別でもない、単にヒット曲だけが「時代の写し鏡」なのかという、基本的な疑問なのだ。別に、「歌」や「曲」だけが時代の「写し鏡」じゃないでしょ。時代の写し鏡になるものは、その人ひとりづつにすべて違う形であるものなのだ。

Photo_2『ヒットの崩壊』(柴邦典著/講談社現代新書/2016年12月1日刊)

 まあ、テーマは変わるんだけれども、要はマスコミにおける「ヒット曲」と、アーチスト個人が感じる自分の作品の「ヒット感」は違うってことなんだけれでも。

 昔、和製フォークとかロックとかニューミュージックなんて言葉があった頃、そうしたアーチストの中に、テレビの歌番組なんかには出たがらなかった人たちがいた。「自分の歌はアルバムを全部聞いて理解されたいのであって、歌番組なんかで切り売りされたりするようなことはしたくない」ということで、歌番組に出たり、自分の歌がコマーシャルソングとして使われることを拒否した人たちだ。当然、彼らはレコードセールスよりもコンサートなどで生で歌を聴いてもらうことを良しとしたわけなので、現在のライブ中心で活動するアーチストのずっと昔からいた「先達」であったわけだ。いわゆる「ヒット曲」とは関係ないところで活動していたのであった。

 そう、昔からそうしたアーチストはいたわけで、別に最近になってCDセールスが落ちてきたのでライブ中心に活動しているアーチストよりはかなり自覚的にそうした生き方を選んできたのである。

 歌手になる人は、別に初めから歌で生活したいという人ではなかったんではなかろうか。結果として歌で生活できるようになったというのが実情で、最初はだれも「歌は趣味」だったはずだ。歌うのが好きで、人に聞いてもらえるのが好きで、いつの間にかそれが生活の糧になっていった、というのが歌手なんだろう。

 それが今や「歌で金を稼ぐ」のが目的になってしまった。どうも、その辺から逆転現象が起きてきて、「じゃあ、お金を稼ぐ方法としての歌の売れ方は何だろう」ということになって、「パッケージ=レコード、CD」という流れになっていたんじゃないだろうか。つまり、「歌で金を稼ぐ」という考え方自体が、本来の歌のあり方とは違った方向に進んでいるのだ。

 そんな意味では『音楽ソフト市場は低迷し、90年代のCDバブルの時代は完全に過去のものとなった。しかしその一方、ライブやコンサートの動員増が象徴するように、音楽を「体験すること」への興味と需要はいまだ大きい。
 マスメディアの影響力は小さくなったが、YouTubeとSNSがアーティストとファンが繫がるためのプラットフォームとなった。DIYで長くキャリアを重ねることのできるアーティストは増えた。そういう音楽業界の状況は「厳しくなった」のではなく、むしろ「健全になった」と捉える方が正しいだろう』という見方は面白い。

 つまり、『10年代に入ってから「CDがたくさん売れること」と「曲が流行っていること」が必ずしもイコールではなくなった』ということは、つまり音楽の世界が正常化してきている状況なんじゃないだろうか。

『60年代はポピュラー音楽の一大転換期だった。フォークが、そしてロックが新しい若者文化として世界中に広まった。それまでのピアノやオルガンではなく、ギター主体のポップソングが当たり前になった。ボブ・ディランらに触発された多くの若者がフォークギターを手に取った。ベンチャーズがエレキギターのブームに火をつけ、そして、1965年のビートルズの初来日が巻き起こした旋風が決め手になった』

 そんな意味では、やっぱり1960年代のはっぴいえんどって、その後の日本の音楽シーンにとっては重要な位置を占めているんだなあ。

『大瀧詠一、細野晴臣の二人は、単なるソングライターやミュージシャンというだけでなく、自らの音楽のルーツや成り立ちにとても意識的だった。レコーディング技術の追求も含め、音楽制作にあたってのスタンスが他と一線を画していた』

『1972年、わずか数年の活動期間を経て、はっぴいえんどは解散する。実質的には、その後の日本のポップスに大きな影響を与えたのはメンバー4人の解散後の活躍だろう』

『大瀧詠一はソロアルバム『A LONG VACATION』をヒットさせ、主宰するレーベル「ナイアガラ・レコード」から山下達郎や大貫妙子や伊藤銀次など数々の才能を送り出した』

『細野晴臣はソロ活動と並行して、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆と共にバンド「キャラメル・ママ」を結成、後にティン・パン・アレイと名を改め、音楽プロデュースチームとして70~80年代に数々の作品を手掛けた』

『松本隆は作詞家に転身し、松田聖子を筆頭に数々の歌手やアーティストに歌詞を提供、80年代の歌謡曲を代表する作家となった』

 はっぴいえんどはレコードセールスよりはライブ中心のバンドだった。やはり、ミュージシャンにとってはライブの高揚感に比較して、レコード録音はあくまでも「お仕事感覚」なんだろうな。そのどちらに重きを置くかと言えば、それはライブでしょう。というのはよくわかる。テレビには一切出なかった。

 実は、私もアニメという徹底的にライブとは関係ない仕事をしているときに、 しかし、イベントなどでライブの仕事をしていた時に感じた高揚感というものは忘れがたくある。

 やっぱり、人間はライブなんだよなあ。そりゃライブって「live」でしょ。「生きている」って意味でしょ。やっぱりライブが一番なのだ。

 つまり『歌は世につれ、世は歌につれ──。ヒット曲はその時代の流行の映し鏡となる。だから、時を経ても「あの頃」を思い出すためのキーになる。そうやってポップ・ミュージックは時代の象徴となってきた。そういうヒット曲の持つ力が失われてしまうことは、音楽それ自体の価値が損なわれることにも繫がる』なんて言葉が陳腐化してしまう位に、「ライブは最高」だし、ライブが音楽としての最高の「聴き方」なんだってことを、皆さん知ってほしい。

 テレビやCDプレイヤーなどの「媒体」を通して聴いた音楽は、基本的に「偽物」。音楽はライブで聴いたり、体感するものなのだ。

『ヒットの崩壊』(柴邦典著/講談社現代新書/2016年12月1日刊)

2017年1月19日 (木)

「東京写真」って何だ?

 昨年秋、リニューアルオープンした東京都写真美術館が「総合開館20周年記念」としてふたつの「東京展」を開催している。

Dsc_00052

 一つは新進フォトグラファー5人による『東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13』、もう一つは東京都写真美術館が所蔵するこれまでのフォトグラファーの作品から選んだ約150点の作品を展示する『TOPコレクション 東京・TOKYO』だ。

Dsc_00042

 実は、今回の開催に関して東京都写真美術館としては「新機軸」が生み出された。

 それが、展示作品全部ではないが、一部(というか1コーナー)の作品の展示が「撮影OK」になったこと。

Dsc_00122 「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」から

 これまで、「そんな全て撮影禁止じゃ、写真展を紹介できないじゃん」って、私は文句を言い続けてきたんだけれども。

Dsc_00132 「東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13」から

 やはり同じようなクレームをつけてきた人がいるんだなあ。

Dsc_00142 『TOPコレクション 東京・TOKYO』から

 というか、展示されている作家の中からも同じようなクレームは出ていたんだろう。

Dsc_00152 『TOPコレクション 東京・TOKYO』から

 別に、一枚一枚の作品を接写する(それじゃあ、著作権侵害だけれども)わけでもなく、写真展の雰囲気を伝えるだけなんだから、別にいいじゃんってのが私の発想の原点だし、一般の写真ギャラリーは基本OKのところがほとんどだ。むしろ、パブリシティになって「いいね!」って感じなんだけれどもね。その辺がやっぱり「お役所仕事」なんだろうなあ。

 まあ、別に小池知事になったから変わったってことじゃないでしょうけれどもね。

 で、写真展の感想はどうなんだって聞かれちゃうと、「う~ん、東京って色々な意味で“奇怪”で“躍動”で、“不思議”で、“緑”で、“コンクリート”で、“自然”で、“伝統”で、その一方“伝統破壊”で、つまり“変化”で、“不変”で……、っていう意味で、取り敢えず考えつくこと全ての意味が統合されている、“複雑都市”なんだなあ」っていうことでしょうか。

 元々、東京に生まれて東京で育った身としては、生まれ故郷としての東京と、育った街としての東京と、これから老いていく街としての東京が、すべてないまぜになった、ある種の“カオスの街”としての東京なんだけれども、実は、それでは何も語っていないのと同じことなんだ、ってことだけは知っている。

 そんな、街が“東京”あるいは“TOKYO”なのだ。

 ということが、この写真展でも垣間見える。

『東京・TOKYO 日本の新進作家 vol.13』及び『TOPコレクション 東京・TOKYO』はともに1月29日まで開催中、公式サイトはコチラ

Dsc_00312

 都写美に行った日は、昼間っからビールを飲んでいい日にしています。ってことで、BEER STATION 恵比寿でヱビスの黒を一杯。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Tokyo Photographic Art Museumu Meguro ©tsunoken

2017年1月18日 (水)

天守のない城、水府城

 水府っていうのは常陸太田にある地名なんだけれども、もう一方では水戸市を指す言葉でもある。

 で、水戸市と言えば徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の本拠地であったわけですね。

Dsc_00382

 当然、そこには特別大きかった水戸城があったわけです。

 水戸城は手前に千波湖を抱え。

Dsc_00052

 背後には那珂川を配する天然の要害を抱え、城自体は丘の上にできているという、まさしく「砦」としても十分な要素をもっていた城なのである。城そのものは「平城」ではあるけれども、同時に「平山城」の性格も持っていた。

Dsc_00302

 が、そこには天守閣(址)というものがない。一番上の写真が水戸第一高校にある薬医門というもので、唯一江戸時代から残ったものだそうだ。

 三の丸にある小学校にはなんか江戸時代を思わせる門があったり……

Dsc_00112

 中学校にも江戸時代の城跡を思わせる塀があったりするんだけれども。

 それらは現代になって作られたもの。

Dsc_00252

 でも、昔の遺構らしきものは残っていて、三の丸と二の丸の間の空堀跡は道路になっている。

Dsc_00162

 本丸と二の丸の間の空堀はなんと水郡線の通路になっていたりするんですね。

Dsc_00462

 まあ、江戸城に天守閣があったから、水戸にはいらないという考え方もあったのだろうし、もともと戦のための城じゃなかった水戸城なので、天守閣は作らなかったという考え方もあったんだろう。道路や線路に使っている空堀もそんな意味ではあまり意味はなくて、多分、もともとあった「丘の谷」をそのまま使ったんじゃないだろうか。

Dsc_00532

 で、水戸城から水戸駅の方まで降りてくると、「水戸黄門神社」ってのがある。まあ、水戸黄門(徳川光圀)が生まれた場所なんでしょうけれども、まあ、だからどうなの? ってなところでしょうね。

 私にとっては、徳川光圀よりは、第15代将軍徳川慶喜の、明治以降の生き方の方が気にかかるわけです。

 それについてはいずれまた。

NIIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Mito ©tsunoken

2017年1月17日 (火)

「篠山紀信写真展」のはずが……

「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」を見に横浜美術館へ行ったんだが、なぜか「横浜美術館コレクション展」の方へ行ってしまった。

Dsc_00142

 まあ、考えてみれば横浜という地は、昔、下岡蓮杖という人が日本で最初の営業写真館を開いた場所であり、日本の商業写真の原点みたいな地だったんだなあ。

 で、その横浜の美術館が所蔵している写真にはどんなものがあるのだろう、というのが興味の的ではありました。おまけにこちらの写真展は「館内撮影OK」なんですね。まあ、美術館が所蔵している写真なんで著作権の問題は、美術館が解決できるってことなんでしょうね。

 コレクション展は大まかに二つのテーマに分かれていて、ひとつが「Ⅰ 昭和の肖像―写真でたどる「昭和」の人と歴史」ということで、「女優」「文学」「美術」「風俗」なんかのパートに分かれて展示されている。

『60年余の長きにわたった「昭和」(1926~1989)という時代。関東大震災からの復興、第二次世界大戦と、敗戦からの再びの復興、高度経済成長を経てバブル期へと続く、日本の近現代史において最長、かつ最も大きく揺れ動いたこの時代は、無数の写真によってその「イメージ」が今日に伝えられています。
 昭和を生きた人物たちのポートレート、そして昭和という時代そのものを映し出した風景・風俗写真により、現在の日本の社会構造と生活環境の基礎を形づくった「激動の時代」を振り返ります』

 というのがパートⅠの解説。

Dsc_00192

 女優や作家、画家などのポートレイト(そのほとんどが既に雑誌などで紹介されている作品)が展示されていて、なおかつそれらのコンタクトプリントなんかも展示されている。コンタクトも所蔵品なのかなあ。

Dsc_00242

 で、ラストの方は1980年以降の学生や農民の闘争写真です。いいなあ、こういう構成。

Dsc_00282

 で、本当のラストのラストは、中平卓馬氏の「アレ・ブレ・ボケ」写真なんだなあ。う~ん、こういう写真を最後に持ってきてしまう横浜美術館のキュレーターの人の仕事って、尊敬しちゃいますね。

Dsc_00312

 で、これが「アレ・ブレ・ボケ」写真のネガ。まあ、さすがにネガは中平氏自身のものだろうね。

Dsc_00303

 んで、PART Ⅱが「Ⅱ “マシン・エイジ”の視覚革命―両大戦の写真と映像」ということで、アメリカやヨーロッパの写真が展示されている。

『19世紀、機械を介した新しい視覚を人間にもたらした写真と映像。アメリカで「マシン・エイジ」(機械の時代)と称される第一次・第二次世界大戦間において飛躍的進化と爆発的普及を遂げたこれらの視覚装置は、芸術家たちにとってこの上なく魅力的な表現媒体となりました。
「機械の眼」でしか表現しえない先鋭的なヴィジョンが各国で同時多発的に生み出されたこの時代の写真・映像芸術について、とりわけ二つのメディアの関係性に焦点をあてながら振り返ります』

 というのがパートⅡの解説なんだけれども、でも、マン・レイなんかのソラリゼーション写真には私は好きになれない。やはり写真はストレート写真が一番なんじゃないかと考えている。まあ、写真発見の当初は美術の新技術って感じだったのかも知れないが。大体、ソラリゼーションだって、偶然の発見でしょ。

 とは言いながらも、こんな「セルフ・ポートレイト」って昔から写真家は撮っていたんだな、ってところは笑えますね。

Dsc_00372

 んでも、やっぱりこうしたストレート・フォトグラフィーの方に私は魅かれるのだ。

Dsc_00382

「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」も、「横浜美術館コレクション展」もどちらも2月28日まで(木曜休館日)開催中。

Dsc_00162

 横浜美術館の公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Minato Mirai Nishi Yokohama ©tsunoken

2017年1月16日 (月)

厳選とらふぐコース

 昨日の続き。私のブログにしては珍しく食べ物の話。

「大相撲後のふぐ料理とセットでどう? グフフフ」という通り、両国から一駅乗った浅草橋(住所は日本橋馬喰町)にある「おさかな本舗 たいこ茶屋」であります。別にふぐ料理専門店ってことじゃなくて、ランチには「お刺身食べ放題!ランチバイキング」なんてのもやっているし、結構頻繁に「マグロ解体ショー」なんてのもやっているお店らしいっす。

Dsc_00102

 お店は相撲帰りの人で満杯。本日はこのお店の「厳選とらふぐコース」というもので、まずはふぐ白子ポン酢からスタート。

Dsc_01872

 当然、まずてっさ(とらふぐ刺)から始まって、とらふぐ煮こごり、雲丹と海老と蟹の空也蒸し、ふぐ一夜干焼、ふぐ唐揚げ、てっちり(とらふぐちり鍋)、ふぐ雑炊という具合にふぐづくし。

Dsc_01902

 お酒は当然ひれ酒なのであります。温まるね。

Dsc_01962

 と、突然、内山田洋とクールファイブにいた宮本悦朗氏が登場して、「長崎は今日も雨だった」と「中の島ブルース」を歌い上げるのでした。前川清の後ろで「ワワワワ」ってやってるだけの人だと思っていたんだが、いやあ結構お上手なのでびっくり。

Dsc_02042

 思わず相撲甚句流の「おひねり」を差し出したtsunokenなのでした。

20170114 ©Y-kawa

 と思ったら、相撲甚句会の国錦師匠が登場するわ、店の中ではじゃんけん大会が始まるわといったぐあいで、先週の「土俵祭り」のあとの相撲甚句会館みたいになってしまったのであります。

Dsc_02122

 ……まあ、それも両国風情で、いいか。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Nihonnbashi Bakurouchou Chuo ©tsunoken

2017年1月15日 (日)

一月場所を見に行く

 先週、土俵祭りに行ってきたときのK談社社友会のA比奈さんの悪魔の一言。

「来週、土曜日のチケットがあるんだけど、大相撲後のふぐ料理とセットでどう? グフフフ」

 そりゃあ、行かないわけにはいかないでしょう。ってなもんで、昨日は大相撲とふぐ料理のセットを堪能してきた。

Dsc_00132

 どうせ行くのなら序の口から全取り組み見ようかとも思ったのだが、さすがにそれでは一日仕事になってしまい午前中の仕事ができなくなってしまうので、午後2時ころから、幕下の数番残してからの取り組みを見てきた。

 幕下からみてよかったことは、十両の土俵入りから見られたこと。う~ん、これは初めて見たなあ。って、別に幕内の土俵入りと同じことをやっているだけですけれどもね。

Dsc_00232

 で、十両からは塩をまいたり、取り組み前の時間も少し長くなるし、「さがり」も糊付けされています。まあ、やっぱり十両からが「関取」として一人前に扱ってもらえるってことなんでしょうね。

Dsc_00242

 で、幕内力士の土俵入りがあって……

Dsc_00462

 横綱の土俵入りがあって……

Dsc_00592

 その後、行司により翌日の取り組みが示されます。へ~、こんなことやってたんだ。ってのも、やはり国技館にいったからこそ分かったことであります。NHKだとこの辺ニュースをやっちゃってんだろうな。

Dsc_00642

 でまあ、中入り後の取り組みがあるんだけれども……

Dsc_01322

 まあ、やっぱり一番安定的に強いのは白鵬だよなあ、

Dsc_01642

 ってことで、取り組み終了後の弓取り式ではあります。

Dsc_01782

 その後の、ふぐ料理は………、明日のココロだぁ!

NIKON Df AF-S NIKKOR 70-300mm f1:4.5-5.6 G @Kokugikan Sumida ©tsunoken

2017年1月14日 (土)

湯島の白梅

 今日と明日はセンター試験だ。

 ということで、「学問の神様」湯島天神へ出かけた。

Dsc_00342

「湯島の白梅」というのは、泉鏡花の小説『婦系図』を原作とした1955年の衣笠貞之助の映画のこと。泉鏡花の「婦系図」が原作の映画なので、別に受験とは何の関係もない。

Dsc_00062

 しかしまあ、随分直近になっても御祈願に来るんですねえ。

Dsc_00082

 まあ、もっとも受験生本人よりは、そのお母さんたちが多いようで、そりゃそうだ、この期に及んで神頼みなんて訳にはいかないものねえ。

Dsc_00332

 で、こちらが「湯島の白梅」。早くも開花しているのもあったりして……

Dsc_00262

 株によってはかなり咲いている株もある。

Dsc_00302

 まだまだ寒いけれども、春は着実にやってきているんですね。

Dsc_00422

 ん? で、なんで急にビアンキ・ストアなんだ? う~ん、いつの間にか写ってしまっていたんだあ。不思議だなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Yushima Bunkyo ©tsunoken

2017年1月13日 (金)

西六郷タイヤ公園

 京浜東北線で蒲田から川崎に向かっていると、車窓右に見える公園が気になっていたので、見に行った。

 こんな古タイヤで作った怪獣がある公園だ。

 おおっ、ゴジラかぁ? まあ、でもシンゴジラから比較してみると、ちょっと愛嬌のあるゴジラですけどねえ。

Dsc_00062

 なんと公園の名前が「タイヤ公園」。もっともこれは愛称で大田区立西六郷公園というのが正式名称らしい。

Dsc_00212

 怪獣ばかりじゃなくてロボットもあるし……

Dsc_00172

 大きなタイヤを使った遊具もある。

Dsc_00112

 誰が何の目的でこんな公園を作ったのか調べたんだが、どこにも出ていない。

 ジャングルジムもタイヤ!

Dsc_00232

 まあ、多分「下町ロケット」な大田区なんで、新品タイヤを販売している会社が沢山あって、そこから古タイヤを使って何かできないか、といった提案なんかがあって、大田区がこうした公園を整備したんだろうな。

Dsc_00362

 まあ、子どもたち(特に男の子かな)が喜びそうな施設であることだけは確かだ。

 でも、結構気になる公園ではあるんですよねえ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Nishi Rokugo Ota ©tsunoken

2017年1月12日 (木)

「and STILLNESS」

 乃木坂にある本屋さん兼ギャラリーのブックス・アンド・モダンで写真家ハービー山口の写真展「and STILNESS」を開催中だ。

Dsc_00142

 実はこれはブックス・アンド・モダン・レーベル初めての写真集ハービー山口「and STILLNESS」の刊行を記念して行っている写真展なのだ。

Dsc_00182

 ハービー山口は私と同年代の写真家で、若くしてロンドンに移住し、ミュージシャンなどのアーチスト写真を撮っているうちに、レコードやCDジャケットの写真家として有名になってしまった。

Dsc_00172

 日本人アーチストも数多く撮影しているんだが、しかし、私にとってはやはり『僕の虹、君の星』という写真+エッセイ集の表紙写真‟手前にやせぎすの女の子がショーツだけで立っていて、それを眩しそうに見ている弟のような男の子”の写真の、強烈で、鮮烈で、しかし清潔な写真を撮ったフォトグラファーなのだ。

Dsc_00162

 そのハービーが、1985年、まだチェックポイント・チャーリーがあった頃のベルリンから、ビロード革命の最中、それからそれを経た東ヨーロッパ(チェコ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア)で撮った写真の写真集が「and STILLNESS」なんだ。まあ、我々の年代にとっては、ソビエト崩壊前からの状況は知っているだけに、それが崩壊したときのショックも大きかったし、逆に崩壊後の東ヨーロッパに対する興味も深かったわけで、私も、仕事でニースに行った後に、いろいろ理由をつけてブルガリアのソフィアに行ったのもこの頃ではなかったろうか(まあ、それにはある映画プロデューサーの思惑もあったんだけれどもね)。

 写真集を見ながらいろいろ考えさせられることの多い写真集であることには違いはないが、ここでハービーの写真の特徴がこの写真集にも表れていて、それは、子どもたちに対する優しい視線とでもいうべきものである。

 これだけは、変わらぬハービー山口の視線なんだな。

 で、この写真集「and STILLNESS」をブックス・アンド・モダンで買おうとしたらサンプルしかない。ギャラリーの持ち分は全部売り切れてしまったそうだ。

 で、ギャラリーの人に聞いたら、「自分の店の分は完売なんだけれども、代官山蔦屋にあるかもしれない」と言ったら、他のお客さんが「昨日行ったら4冊ありましたよ」ってなもんで、早速代官山蔦屋へ行って、4冊あったので買い占めちゃおうかなとも思ったのだが、それも大人げないんで1冊だけ買ってきた。

Dsc_00272

 もし、この写真集についてお問い合わせがしたければ、ブックス・アンド・モダンまでご連絡ください。まあ、バック・オーダーが増えれば増刷ってこともあるかもしれない。

『僕の虹、君の星――ときめきと切なさの21の物語』(ハービー山口著/マーブルトロン/2010年8月30日刊)
NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Nogizaka Minato ©tsunoken

2017年1月11日 (水)

『疾風スプリンター』はお腹一杯の自転車レース映画だ

 自転車レースチームのエースとアシスト選手の葛藤と友情だけでも1本の映画は作れる。ドーピングでチームを追われた選手の復活劇だけでも1本の映画は作れる。勿論、二人のアシスト選手が一人の彼女を巡って競争と闘争を繰り広げるだけでも1本の映画は作れる。

 なのに、この三要素が全部入っている映画なんて、なんてことだ。これが香港映画のサービス精神ってものなのか? ただし、その分ロードレースに関するマニアックな部分は削がれてしまうんだよね。どちらかというと所詮日本における自転車ロードレースなんてマニアだけの世界なんだから、もっともっとマニアックに作ってもらいたかった、という私の望みは叶わなかったのだ。

 まあ、それを言っちゃあ「UCIアジアサーキット」を「ICCアジアサーキット」って言ってしまっているところからそうなんだけれどもね。

Photo_2『疾風スプリンター(TO THE FORCE)』(ダンテ・ラム:監督・脚本)

 できれば、『茄子 アンダルシアの夏』の続編『茄子 スーツケースを持った渡り鳥』みたいなリアルな世界を期待した方がバカだったのか。『スーツケースを持った渡り鳥』は、毎年ヨーロッパ・シーズンが終わって宇都宮で開催されるジャパンカップ・サイクルロードレースはUCI(国際自転車連盟)のアジアツアーの1レースでヨーロッパの一流チームが参加するレースなんだけれども、当然、参加選手の中には翌年の契約がまだされていない選手も多く、その悲喜こもごもを描いた傑作アニメーションなのである。

 UCIのアジアツアーとはジャパンカップサイクルロードレース(1.HC)、ツール・ド・ランカウイ、ツアー・オブ・チンハイレイク、ツアー・オブ・ハイナン(各2.HC)というUCIのHors Class(最高峰)の4レース。UCIコンチネンタルサーキットのひとつのジャンルでもある。

 実際、ジャパンカップのレース後にチームジャージーを売る選手なんかもいて、「ああ、それはそれで大変なんだな」って感じる‟実際の”場面にも遭遇することがあるのだ。

 日本の自転車レースとしては、ツアー・オブ・ジャパンとかツール・ド・北海道などのステージレースの他に、Jツアーというプロ(&セミプロ)の年間を通してのシリーズがあったりしている。台湾でも、ツール・ド・台湾とかもあるので、台湾ツアーなんかのシリーズ戦もあるんだろう。つまりプロ(&セミプロ)のレースシリーズなんだけれども、この映画の主人公2人、ナウ・ミン(エディ・ポン)やチウ・ティエン(ショーン・ドウ)も、アシスト選手としてプロ契約をしているけれども、海辺のバーでアルバイトをしながらレースを戦っているところを見ると、まだセミプロ選手なんだろうな。

 ところで、台湾は今や世界最大の自転車生産国なのだ。

 勿論、ジャイアントというメーカーの存在が大きく、今やツール・ド・フランスなどにも自分のチームを送り込んでいるが、元々はヨーロッパの自転車メーカーのOEMから始めたメーカーなんだ。ヨーロッパの自転車メーカーは、最上級のクラスの自転車やカーボン・バイクは自社生産をしているが、それ以下のクラスのバイクはほとんどが台湾からOEM供給を受けている、自転車メーカーならぬ自転車ブランドなのだ。

 私が乗っているビアンキというイタリアのブランドも、現在はカーボンバイクと値段が高くてもいい最上級クラスのバイク以外は、やはり台湾からのOEM供給で成り立っている。

 この映画でも登場するメリダという自転車も、ジャイアントに次ぐ台湾のメーカーである。設計はヨーロッパでやっているようだが、製造は台湾。つまり、UCIワールドチームというヨーロッパの最上級チームであるランプレ・メリダの下にあるチームが、この物語の主人公たちが所属する「チーム・レディエント(TEAM RADIENT)」という訳。

 当然、このチームで好成績を上げればランプレ・メリダに行けるってことになれば、皆このチームのエースを狙うっていうことになるんだろう。時にはエースも出し抜いて勝ちに行くってこともある。

 まあ、その辺からチームは壊れていくんだけれども、この映画では上記のアシスト選手二人とエースのチョン・ジオン(チェ・シウォン)の3人は、そんな立場争いでチームが瓦解する前に、資金難でチーム運営が立ちいかなくなり、3人はそれぞれ別のチームに移籍となり、それぞれがそれぞれのチームのエースとして競い合うというお話。

 まあ、そこにアマチュア女子選手ホアン・シーヤオ(ワン・ルオダン)が絡んできて、ナウ・ミンとチウ・ティエンの恋の鞘当てなんかが発生するというお決まりの流れ。

 チウ・ティエンのドーピング騒動とか、ナウ・ミンのチームメイト(アシスト選手)への暴行事件とかがあって、チーム・レディエントが再結成されると3人はレディエントに戻って再び戦うことになるという、いかにも香港映画らしい「お約束」のストーリー。ただし、今度はエースとアシストの関係は微妙となり、最後は元エースのチョン・ジオンはナウ・ミンを勝たせるように働くことになる。

 まあ、この辺は両方とも含めて、お約束ですね。「誰にもわかりやすい自転車ロードレース映画」としてはね。

 で、映画のプログラムに疋田智さんが『では、日本人は?』と謎かけをして『いる。謎の強豪選手「松山有祐(Yusuke Matsuyama)」だ。彼が映画のどこで出てきて、どう活躍するか、それはもう「観てのお楽しみ」としかいえない。ぐふふ(←謎の笑い)』って書いているんだけれども、そんなの簡単じゃん。

 映画のクロージング・タイトルバックで出演者が練習をしている場面とか、映画の本編で採用されなかった画面がいろいろ使われているんだけれども、その中にナウ・ミンが最後にランプレ・メリダに採用されて練習をしているところに登場する、ランプレ・メリダ(2017年からはバーレーン・メリダ所属)の新城幸也選手でしょ。えっ? あれっ? これってネタバレ?

 まあ、いいじゃない、新城は今年はランプレ・メリダを離れてしまうんだから。

 2017年からはランプレ・メリダは中国がスポンサーになって、中国初のUCIワールドチームになるわけで、それに対抗してバーレーン・メリダはゼネラル・マネージャーにランプレ・メリダのチームマネージャーとして働いていた南アフリカのブレント・コープランドが就任することになった。ワールドチームとしてのライセンスがどちらになるかは、まだわからないが、少なくとも契約している選手を見ると、ヴィンチェンツィオ・ニーバリとかホアキン・ロドリゲスとかビッグネームをそろえているバーレーンの方がUCIワールドチームになるでしょうね。

 まあ、あとは中国政府がどんな横槍を入れるかってことですけれどもね(中国は入れそうですね。同時にUCIとしては台湾メーカーの存在もあるから、多分中国の要求も受け入れちゃうかも)。

 この結果、イタリア所属のUCIワールド・チームはなくなってしまうわけで、この辺にもイタリア経済の苦境というものが見えてくる。

 劇場にはランプレのロードバイクが飾られています。ただし、最高クラスじゃなくて6000と4000。その辺がちょっと残念。まあ、まあそれがレディエントのチームバイクなのか。

Dsc_00182

映画『疾風スプリンター』は新宿武蔵野館他で公開中。公式サイトはコチラ

2017年1月10日 (火)

『マーケット感覚を身につけよう』といっても、もう引退した身なんで

 最新刊かと思って読んでいたんだけれども、意外と「ちきりんさんにしてはちょっと古い考え方だなあ」という部分があって、最後に奥付を読んだら、なんと今から2年近く前の本だったんだなあ。

 ってことは、書いたのは2年半ほど前か。まあイギリスのEU離脱が決まるずっと前の話だ。基本的に新自由主義者でグローバリストのちきりんさんの予想とはまったく反対の方に今や世界が動こうかとしている。

 しかし、その一方、世界はマーケット感覚で動いていることは確かなので、今一度、2年前の本だということを前提にして、本書を読んでみよう。

Photo 『マーケット感覚を身につけよう 「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法』(ちきりん著/ダイヤモンド社/2015年2月19日紙版刊・2015年2月23日電子版刊)

『どんな分野であれ10年も働いていたら、「自分には売れるモノなど何もない」なんてことはありえません。もしそう感じるのだとしたら、その人に足りないのは「価値ある能力」ではなく、「価値ある能力に、気がつく能力」です。価値を価値と認識する能力を欠いたままでは、いくら大量の金塊を手に入れても、不安が消える日は永久にやってこないでしょう。

 今、この「価値を認識する力」の二極化が進んでいます。すばらしい学歴や職歴に加え、難関資格から専門知識まで持ちながら、不安から逃れられない人がいる一方、ずっと少ないものしかもっていないのに、「なんとかなる」「なんとでもなる」という自信とともに、世の中をわたっていける人もいます。この両者の違いがまさに「売れるものに気がつく能力」であり、「価値を認識する能力」の差です。
 本書ではこの能力を、「マーケット感覚」と命名しています』

 じゃあ、その「マーケット感覚」ってのはどうやって身につけるのか。

 本書第5章にそれがまとめられている。

その1 プライシング能力を身につける

その2 インセンティブシステムを理解する

その3 市場に評価される方法を学ぶ

その4 失敗と成功の関係を理解する

その5 市場性の高い環境に身を置く

 ということだそうだ。

「プライシング能力を身につける」というのはよくわかる。要は「価値」や「価格」っていうのは「コストの積み上げ」ではなくて、その「価格」を支払う側が決定するということ。本書では「ニート向けの本を1700円で売る出版界」という形で出版界の「コストの積み上げ」で価格を決定する方法を批判しているけれども、元々、数千部から1~2万部という、それこそ「市場」じゃないところで勝負しているのが出版業界であります。だからそこはマーケットの価格付けとは異なるベクトルが働いているのである。

 ただし、その出版業界でもマーケットの価格付けでもってプライシングをする段階がある。それがハードカバーの売上が良かった場合の「文庫化」であります。ハードカバーと文庫ではその商品性がまったく異なり、文庫になってしまうと完全に「商品」となるので、そこにはマーケットによるプライシングが出てくるんですね。

 「その2 インセンティブシステムを理解する」ってのはどうなんだ?

『もうひとつ、インセンティブシステムを理解するために大切なのが、自分の欲望と素直に向き合うことです。これができない人は、マーケット感覚を身につけるのがとても難しくなります。

 世の中の動きとは、そこに生きている人間の動きの集合体です。それぞれの人が何を求め、どんな気持ちがどんな行動につながるのか想像する力を鍛えないと、社会がどちらの方向に動いているのかもわからないし、マーケット感覚も身につきません』

 なるほどね。これもマーケットによるプライシングと同じ意味。

 じゃあ「その3 市場に評価される方法を学ぶ」ってのは?

『もうひとつの組織と市場の意思決定方法の違いは、組織が「決めてからやる」のに対し、市場は「やってみてから決める」という点にあります。

 たしかに、「とりあえずやってみる」方式の市場では、箸にも棒にもかからないモノがたくさん現れます。しかしどんなモノでも、組織における意思決定のように、「なかったものにされる」ことはありません。支持者が少なくても、少数から熱烈な支持をうけるニッチ商品として残ることもできるし、何かのきっかけで、急に支持が高まることもあります』

 なるほど、なるほど……

「その4 失敗と成功の関係を理解する」

『何かを学ぶ際には、ふたつのステップを経ることが必要です。ひとつは、組織から学ぶこと、もうひとつが、市場から学ぶことです』

『「自分はもっと学ぶ必要がある」と気がついたら、学校という最初のステップに戻るのではなく、市場で学ぶという二番目のステップに進みましょう。他の人に比べて自分は成長が遅いのではないかと思う人の多くは、勉強が足りないのではなく、市場での実践経験(失敗から学ぶ経験)が足りないのです』

 ふ~む

「その5 市場性の高い環境に身を置く」

『マーケット感覚を身につけるための5つめのポイントは、環境には固有の「市場性レベル」があることを理解し、意識的に市場性の高い環境を選ぶということです。 市場性の高い場所とは、需要者と供給者が価値を交換する現場や、人間のインセンティブシステムが直接的に働く場所、組織的な意思決定ではなく、市場的な意思決定方法が採用されている環境のことです』

 まあ、要は学校や組織の中ではマーケット感覚は鍛えられないし、今重要なのはマーケット感覚でモノを考えるってことなんですね。

 規制の多かった時代では、マーケット感覚はたいして持っていなくても、世の中に送り出すモノは作れたのだが、今はとにかくマーケット感覚がないと「売れるモノ」は作れないってことだし、それこそブログだって「人に読んでもらえるブログ」は作れないってことなんですかねえ。

 まあ、確かにブログのアフィリエイト収入なんかで生活しようなんて考えていたら、そうしたマーケット感覚も必要だけれども、まあ、私のブログなんて「とにかく書きたいことだけを書いて、500人ぐらいの人に読んでもらえばいいや」っていう、いわばマスタベーションなんで、まあ、これからも今の調子で行こうかな。

 と、まあ、考えておりますです。

 あまりこの本を読んだ意味はないね。

『マーケット感覚を身につけよう 「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法』(ちきりん著/ダイヤモンド社/2015年2月19日紙版刊・2015年2月23日電子版刊)

2017年1月 9日 (月)

『マイルス・アヘッド』はなかなかよくできている伝記映画なんだが

 映画『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』という邦題はちょっとなあ、という感じがする。『MILES AHEAD』は原題通りなのでいいのだが「空白の5年間」というのが、ちょっといただけない。

3 『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』(ドン・チードル:監督・脚本・製作・主演/スティーブン・ベーグルマン:共同脚本/音楽:マイルス・デイヴィス・ロバート・グラスパー)

 メインの出演者は勿論マイルス・デイヴィス(ドン・チードル)、「ローリング・ストーン」誌のライター、デイブ・ブレイデン(ユアン・マクレガー)、マイルスの妻フランシス・テイラー(エマヤツィィ・コーリナルディ)、音楽プロデューサー、ハーパー(マイケル・スタールバーグ)と、ハーパが連れてきた若手のトランペッター、ジュニア(キース・スタンフィールド)といったところ。

『マイルス・アヘッド』というタイトルは、ビバップ、クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど、演奏スタイルを変貌させてきた「常に前を向いて音楽を変遷させてきたマイルス」という意味なんだろう。そのマイルスが1975年から長期の休みに入り、1980年カムバックするまでの5年間に何があったのだろう、というのが「空白の5年間」という意味なんだが、実はそんなにたいしたことはなかったらしい。

 ただまあ、それでは映画にならないので、その5年間の間にリハーサル・テープを盗まれたり、盗まれたテープを取り戻すためにマイルスとデイブがニューヨークの街中でカーチェイスを繰り広げたり、賭けボクシングの会場に殴り込みをかけ、次第に幻覚を見ながら大暴れをするというシーンを作ったんだろう。

 で、取り戻したテープを再生させると、そこに収録されていたのはマイルスのトランペットではなく、マイルス自身が弾いていることは確かだが、オルガンの音色が細々と鳴っているのであった。マイルスは5年間の間にトランペットを演奏できなくなってしまっており、それはそれで、世間に知られてしまったら大スキャンダルになってしまうので、テープを取り戻さなければならない理由ではあるのだが、そのテープを聴きながら音楽として再生させるのが、テープを盗んだジュニアだったっていう話。

 マイルス自身、チャーリー・パーカーのバンドにいたころは「ジュニア」と呼ばれていて、マイルスはそれを嫌っていたという話は聞いたことがある。つまりジュニアはマイルスの若いころの姿を体現したキャラクターなんだろう。まあ、たかだか5年間の演奏休止でもって、若いころからトランペットを演奏していた音楽家がトランペットの吹き方を忘れてしまうなんてことは、多分ないんだろうけれども、その辺はちょっと脚色に難ありかな。

 カムバックしてからのマイルスはトランペットだけではなくシンセサイザーも演奏していたそうだから、まあオルガンを弾くってのもあながち嘘ではないかもしれないが、まあ、ちょっとね。

 映画のラストの復帰後のマイルスのシーンは実にゴージャス。トランペット:ドン・チードル、キーボード:ハービー・ハンコック、テナーサックス&ソプラノサックス:ウェイン・ショーター、ギター:ゲイリー・クラーク、ベース:エスペランサ・スポルディング、ドラムス:アントニオ・サンチェスというもので、「ワッツ・ロング・ウィズ・ザット」というロバート・グラスパーが作曲し、「マイルスが今もし生きていて、上記の豪華メンバーと共演したらどうなるか?」という想定の下に作られた映像だ。その他のシーンのマイルス・デイヴィスの演奏シーンは確かに演じているのはドン・チードルだが、音はマイルスのレコードから引いている。しかし、このシーンだけはドン・チードルがトランンペットを演奏しており、音もそのままドン・チードルの音らしい。

『この映画のために毎日練習した。今も吹いているよ。上手に吹く中学3年生くらいのレベルにはなった』

 というんだから大したもんじゃないか。

 まあ、ドン・チードル自身はあまりマイルスには似ていないが、まあ、それはご愛嬌。

『マイルス・アヘッド』はTOHOシネマズシャンテ他にて公開中。公式サイトはコチラ

2017年1月 8日 (日)

“土俵祭り”に行ってきた

 今日から大相撲初場所が始まりますねえ。結びの一番、鶴竜対栃ノ心戦も気になるし、いやいや一番面白そうなのは白鵬対正代戦でしょう、っていういろいろなご意見もあるでしょうけれども、昨日は各場所の初日前日に行われる「土俵祭り」というのに行ってきた。

Dsc_00612

「土俵祭り」とは何か?

 立行司が祭主となり、祝詞を奏上し供物を捧げて場所中の安全と興業の成功、国家の安泰、五穀豊穣を祈念する行事なんですね。最初はどこかの神社の神主が来て祝詞を上げるのかなと思ったのだが、そうじゃなくて行司が神主と同じ立場なんですね。やっぱり、相撲ってのは「神事」なんですね、スポーツじゃなくて。

 当然、理事長、審判部の親方衆、三役以上の全力士、全行司、溜会幹部などが出席して行われます。

Dsc_00802

 今は木村庄之助がいないので、その一つ下の立行司40代式守伊之助が祭主です。

Dsc_00252

 いろいろ儀式があった後で、土俵に開けられた穴に供物を捧げます。

Dsc_00982

 供物は塩、昆布、するめ、勝栗、洗米、かやの実などの縁起物、

Dsc_00842

 そして出席者全員がお神酒で身を清めます。

Dsc_00972

 最後は触れ太鼓が土俵を3周して土俵祭りはおしまい。

Dsc_01022

 しかし、この土俵祭りは無料で誰でも見られるってもんだから、まあ、9時45分の開門の30分前からこんな長蛇の列。

Dsc_00012

 まあ、確かにタダでお相撲さんを見られるし、うまくすれば一緒に写真も撮れちゃうんだから「スー女」にとっては夢のようなイベントだなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 70-300mm f1:4.5-5.6 G @Ryogoku Kokugikan Sumida ©tsunoken

2017年1月 7日 (土)

神田・出世不動尊

 神田の駅前から外堀通りと交差する道で「出世不動通り」と名付けられた道路があります。

 そんな名前が付いたお不動さんなんだから、さぞ立派なお不動さんなんだろうな、なんて探しているとどこにもない。

 で、注意深く探しているとありました、一坪程度の本堂がある、ごくごく小さなお不動さんなんですね。

Dsc_00322

 千代田区観光協会のサイトで調べたら

『徳川家の表鬼門除けとして祀られたもので、本尊は智証明大師作。東潮院不動尊とも言う。
 明治以降、神田松下町の有志によって管理され、第二次世界大戦までは院内に川越喜多院の僧・野川良源が住み仕えていた。
 昭和20年(1945)二月、戦災により本堂は消失したが、本尊は野川良源が生国の九州天草(熊本県)に避難させていたため無事であった。
 第二次世界大戦後は、神田鎌倉町の要請を受けて、出世不動通りが管理した。
 都内でも由緒ある不動尊として知られており、明治の頃には毎月二日、十五日、二十日、二七日に縁日が行われ、植木商などが市を出し盛況であった。後に縁日は毎月二七日のみとなるが、縁日と歳末の羽子板市には多くの人が集まり大変にぎわったという。
 現在の本堂は、昭和六三年(1988)年七月に完成。出世不動とは、相撲取りが信心すれば出世すると言い伝えられたことが始まりと言う説もあります。』

 とある。

Dsc_00332

 出世不動通りといえば、ホテルヴィラフォンテーヌ大手町の裏からちょっと脇に入ったところには、安倍晋三夫人の昭恵さんが経営する「UZU」という居酒屋があります。

 が、そのお店からすぐのところにあるんですね、このお不動さんは。

 う~ん、そんなところにも「政治性」が関係してるんでしょうか。まあ、あんまり考えたくはないですけれどもね

Dsc_00292

 それにしてもこの神田鎌倉町あたりには、出世不動尊といい、この御宿稲荷神社といい、なんか小さな神様や仏様がいて、なんか雰囲気いいな。妙にどでかい神社とかお寺ってないのも神田らしくって「粋なもんですね」ってなところであります。

Dsc_00312

 というのが、正月に神田近辺をブラブラ歩いていて感じたことではありました。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8G @Kanda Chiyoda ©tsunoken

 

2017年1月 6日 (金)

「消えゆく沖縄」っていうタイトルなんだけれども……、そうじゃないとおもうんだけれどもなあ

 結局は、「沖縄人(ウチナンチュ)」も「日本人(ヤマトンチュ)」も、実は同じ日本人であり、例えば「蝦夷人」という場合は、北方の日本人も含まれているけれども、「アイヌ」と言ってしまえば、それは明らかに「日本人」とは違う人間なんだ。

 それほどの「違い」もないのに、「ヤマトンチュ」「ウチナンチュ」を両者を分けて考えてしまう結果となったのには、当然、日本政府(歴代の日本政府)の責任もあるだろうけれども、一方で『近世の琉球は薩摩と中国との二重朝貢体制の下で、どっちつかずの関係を維持しながら大国に身を委ね、バランスを取りながらみずからの国家を維持してきた。自立することをあえて放棄し、積極的に依存していくという生き方は、小国が大国の狭間で生きのびるための巧妙な知恵だったかと思える』という、沖縄の人たちの「巧妙な(小賢しいとも言う)知恵」があったのかも知れない。

 しかし、今や自ら選び取らなければならない必然になっているのではないだろうか。

Photo 『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』(仲村清司著/光文社新書/2016年11月20日紙版刊・2016年11月18日電子版刊)

 結局、沖縄は日本政府の下に入り、そこで「沖縄戦」を戦い、その後も日本政府の庇護のもとに生き延びようとした。

 その結果が『しかし、それは同時に戦前・戦後を通じて、壮大なまでに実直に日本に同化していく愚かな知恵に変質していった。その愚行の果てに沖縄戦、「祖国」復帰、そして現在の基地の集中・固定化があったことを忘れるべきではない。
 要するに、間違ったかたちで日本に追随したり支えたりすると沖縄は自滅する』ということではないのか。

 勿論、30年ほど前に「沖縄復帰」をとなえる旧左翼、「沖縄解放」をとなえる新左翼に反対してとなえた「沖縄独立論」なんて今更いう気はない。問題は沖縄の人たちが、自分たちの将来を考えて、一番いいと思える選択をすることなのだと思う。結局、旧左翼がとなえた「沖縄復帰」は日本の保守陣営にとらわれてしまった単なる領土復帰運動に過ぎなかったし、新左翼がとなえた「沖縄解放」というのは威勢がいいが、じゃあ解放した先の展望はどれほど見えていたのかと言えば、まあ、まったく考えていませんでしたね。

 つまり、今こそ「沖縄独立論」を言うべき時なんじゃないだろうか。

「沖縄独立論」というのは、元々の「琉球王国」に戻して、そこは共和政にして運営すればいいんじゃない、というまあちょっとは「お気軽な」いかにも「ウチナンチュ」らしい考え方と言えばそうなんだけれども、そこに日本にはない「(共産主義じゃない)共和制国家」ってどんなものになるのだろうか、という我々の期待もあったわけで、まあ、その辺が、「じゃあ、自分たちで共和制国家を作ればいいじゃん」という返答には勝てなかった理由ではあるんですよね。要するに、日本で共和制国家を実現するためには、天皇制をどうやって打ち壊すかという、実は戦後最大の問題があったわけですね。そう、アメリカだってやらなかった問題なんですよ。

『「日本は戦後から今日まで外国と戦争もしていないし、誰一人戦死したわけでもない。それを支えてきたのは沖縄ですよ。憲法九条があるから日本は平和なんだと主張する人たちは、憲法の埒外にあった沖縄の負担の中で、戦後日本の高度経済成長があったということがわかっていない。日本という国の平和が、架空の、虚構の中に保たれているということも理解されていない」
 先ほどから何度かコメントを引用している政治家が本土に向けて発した言葉である。すでにお察しの方もおられようが、発言者はオール沖縄の中心的役割を担っている現翁長雄志沖縄県知事で、氏が那覇市長時代に語ったものである(季刊『モモト』15・編集工房 東洋企画・二〇一三年七月発行)』

『米軍統治下時代、県民総所得に占める基地関連収入は五割近くを占めた時代もあったが、復帰直後の一九七二年は一五・五%にまで低下し、八七年以降から現在は五%前後で推移している。つまるところ、基地ではすでに食っていけないのが実情なのである。
 他方、観光収入は復帰直後から十三倍に増え、二〇一五年度の観光客数は七九三万人となり過去最高を更新。いまや毎年八〇〇万人が訪れるハワイの観光客数に届く勢いをみせているのだ』

「沖縄研究会」というのがあるそうだ。

『反復帰論の立場から沖縄返還を第三の琉球処分と捉え、「すべての沖縄人は団結して決起せよ」「沖縄返還粉砕」「沖縄人民権力の樹立」を主張した沖縄青年同盟(一九七一年結成)の潮流を引き継いだ団体である。
「みずからの運命は沖縄人自身が決める」とする現在の「自己決定権」「独立論」などの構想は、この反復帰論を思想的母体にしているといってよく、当時の沖縄研究会も「沖縄の自立解放」をスローガンに掲げていた。
 僕が上京した一九八三年、沖縄出身者が主体となって、沖縄問題について活発に大衆運動を展開していたのは沖縄研究会が唯一であった。

 ゆうなの会はもとより政治団体ではないし、偏った政治色もない。様々な職場や立場の人たちが垣根なく集まる団体で、ひらたくいえば、沖縄文化・芸能の発展、継承を目的にした、沖縄出身者による沖縄出身者のための集いになる。

 あえて繰り返すが、ゆうなの会に政治色はない。が、しかし、彼らの琉球ルネサンスというべき文芸復興活動は、結果的に「復帰」という政治運動を根底から問い質すものとなった。
 島の言葉やエイサーが自分たちの誇るべき文化であり、それを否定することは日本への無自覚的な「同化」につながることを、彼ら自身が上京後、身を以て知ることになったからである。』

 う~ん、そうした「沖縄(琉球)ルネサンス」が必要なのかもしれない。

 そうした運動がもっともっと盛り上がった先に、「沖縄(琉球)共和国独立運動」がおきるのかもしれない。

 私が沖縄に行ったのは数年前。まだ、普天間の移設問題が出る前の、それこそ普天間飛行場が目の前に見える公園の上から飛行場(と言っちゃいけないんだよなあ。要は「普天間海兵隊基地」なんだけれども)を見たんだけれども、まあすごい街中にあるんですね。

 じゃあ、辺野古ならいいのかと言えば、そこにはそこに昔から住んで、漁業を営んでいる人たちがいるわけで、どうすりゃいいんだ。

 まあ、ここは沖縄(琉球)が独立して、日本とは別の国家になってしまえばいいんだけれども、そうなると独立国としての中国と日本の距離の取り方だろう。まあ、そこはシンガポールを題材としてですねえ……。それ以上言えない私がもどかしいんですが。

 アジアのハブ空港として大きな可能性を持つ那覇空港を持ち、アジアとアメリカ大陸を結ぶハブ都市としての大きな可能性を持っている那覇市。多分、それは羽田や成田以上になる可能性はある。

 この二つを持って、シンガポールのような、国際都市になる可能性があるんだけれどもなあ。

 あっ、でもその前にトランプ大統領が「日本は勝手に自分で守れ!」なんて言って、駐沖米軍基地を全部引き上げちゃったりしちゃって……、っていうか、トランプ政権ってちゃんと4年間持つのかなあ。

『消えゆく沖縄 移住生活20年の光と影』(仲村清司著/光文社新書/2016年11月20日紙版刊・2016年11月18日電子版刊)

2017年1月 5日 (木)

昨日は一斉に仕事開始の日なわけなんだが(?)

 昨日、1月4日は一斉に仕事始めの日だったわけですね。まあ、官庁や金融機関がこのひから仕事を始めるからなあ。まあ、講談社みたいに5日に始業式をやるようなヤクザな会社は別として。

 街にはこんな年始の挨拶回りみたいなビジネスマンで溢れています。まあ、皆この後、神田明神に行くんだろうな。ちゃんとしたサラリーマンは。

Dsc_00012

 東京証券取引所(東証)では大発会が行われ綺麗なお姉さまたちが振袖でお出迎えってな感じなんですが、大発会では皆さんが高値を付けていただいて、我が家の持ち株も一斉に株価を上げてくれたわけなのですね。でも、これは「大発会のご祝儀相場」ってやつなので、まあぬか喜びはしません。どうせすぐに値を戻すんだから。

Dsc_00072

 で、東証のある兜町には兜神社というのがあって、あれっ? 兜神社があるから兜町なんだっけ? どっちが先だ?

Dsc_00142

 証券マンみたいな人が詣でている。境内にある「兜神社由来」には

『明治11年(1878)5月
明治11年ここ兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当り、同年5月取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営した。
御社殿に奉安してある倉稲魂命の御神号は時の太政大臣三條實美公の揮毫になるものである。
当社は御鎮座後一度換地が行われた。昭和2年に再度換地を行い、兜橋橋畦の現在地約62坪を卜して同年6月御遷座を行い、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。
昭和44年5月高速道路の建設に伴い御影石造りの鳥居を残して旧社殿を解体し、同46年3月現在の鉄筋コンクリート一間社流造り・句拝付きの社殿を造営した。
屋根は銅板葺とし、玉垣・参道・敷石などは御影石をもちいた。
境内に安置してある兜岩については、かつてはその昔前九年の役(1050年)に源義家が東征のみぎりこの岩に願を懸けて戦勝を祈願したことに由来すると伝えられ、兜町という地名はこの兜岩に因んでつけられたといわれている。(兜神社世話人一同)』

 とある。そうか、東証の方が兜神社より成立は先なんだな。でも、もともと兜岩があったから兜町なんですよね。

Dsc_00162

 その他、この近辺にあるみずほ銀行兜町支店には……

Dsc_00052

 みずほ銀行の前身の「第一国立銀行」がこの地にできたという「銀行発祥の地」の碑とか……

Dsc_00062

 日本橋郵便局には「郵便発祥の地」の碑などがある。

Dsc_00232

 まあ、近代日本の礎がこの地にあったということなんでしょうね。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Kabutocho Chuo ©tsunoken

2017年1月 4日 (水)

今日は今年初めてのとげ抜き地蔵の縁日

 毎月「四」のつく日は巣鴨とげ抜き地蔵の縁日です。

 つまり、四日と十四日と二十四日。つまり今日が今年最初の縁日という訳。

Dsc_00142

 縁日にはいろいろな屋台なんかが出て賑やかになり、人出ももうすごい勢い。

Dsc_00032

 と言って、実はこの屋台、縁日の屋台じゃなくてお正月の屋台なんですね。

Dsc_00052

 つまり、この辺の屋台はお正月からもう出ずっぱりってわけで……。

Dsc_00122

 もう既に、お正月から既にして大変な人出だったんですね。

Dsc_00382

 最近は外人さんなんかも多くて、とげ抜き地蔵もインターナショナルになってきました。

Dsc_00332

 是非ともお出かけを……。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Sugamo Toshima ©tunoken

2017年1月 3日 (火)

江戸最初 山手七福神②

 で、昨日の続きです。

 目黒駅を過ぎると、権之助坂の裏通りになる行人坂があります。多分、昔は権之助坂はなくて行人坂がメインストリートじゃなかったんだろうかなあ。

 ただし、権之助坂以上の急坂で、降りるのも注意しなければならないほどの坂ではあります。

Dsc_00352

 で、その行人坂のホリプロ本社の前にあるのが大円寺。大黒様のお寺です。

Dsc_00362

 境内に大黒様の祠は見当たらないのだけれども、既に七福神全部がいます。う~ん、ここだけお参りしてもいいのかな。

Dsc_00462

 で行人坂を降りて、山手通りまで来るとその反対側にあるのが蟠龍寺です。

Dsc_00082

Dsc_00122_2

 ここは岩屋弁天と言われる弁天様が祀られているお寺です。おわしますねえ、弁天様。

Dsc_00162

 おしろい地蔵なんてのもあって面白い。

Dsc_00172

 んで、最後はなんと目黒の滝泉寺なんですね。えっ? 知らないって? 何を言うんですか、目黒不動ですよ目黒のお不動様。ここが恵比寿様なんですね。

Dsc_00222_2

 ほら、恵比寿堂があるでしょ。

Dsc_00272

 ということで、江戸最初七福神を巡る旅は終わり。

 あとは、「にしむら」で鰻でも食べて帰ってくださいな。ここは、巣鴨とげ抜き地蔵商店街の「にしむら」の姉妹店です。昨年の秋から、八つ目も再入荷したらしくて、ありますよ。

Dsc_00362_2

 七草まではまだ時間がありますので、今から行っても遅くはない、ってことで今から行きましょう。

NIKON DF AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Meguro Meguro ©tsunoken

2017年1月 2日 (月)

江戸最初 山手七福神①

 この間、目黒周辺をウロウロしていたら「江戸最初山手七福神」っていうのがあることが分かった。

『七福神信仰は室町時代の中ごろから起り、始めは恵比寿・大黒天が信仰され、江戸時代中期には庶民にとっては娯楽の一つとして多くの方に親しまれて今の七福神の形が定着致しました。
『江戸最初 山手七福神』は江戸城の裏鬼門守護のために建立され、将軍の鷹狩りの際に参詣した「目黒の不動堂(龍泉寺)」の参詣道筋に設置された江戸時代から続く江戸最初の七福神巡りです。
「七福神」はインド・中国・日本の福を授ける神仏を七体集め、全ての人々が望む「願い」を聞き御利益を与えてくれる日本独特の信仰ですが、特に『江戸最初 山手七福神』では赤色の寺院(「恵比寿」「大黒天」「弁財天」)から青色の寺院へお参りするのを「商売繁盛祈願」、また青色の寺院(「毘沙門天」「布袋尊」「寿老人」「福禄寿」)から赤色の寺院へお参りするのを「無病息災・長寿祈願」として御利益があると言われております。
 庶民たちは元旦から七草までのあいだに近くの七福神をめぐり歩き、一年間の「家内安全」「無病息災」「商売繁盛」などを祈願しました。』(目黒不動商店街の資料より)

 ということで、お正月のおめでたいシーズンなので、今日と明日の二日間、この「江戸最初七福神」をご紹介します。

 まずは東京メトロ南北線、あるいは都営地下鉄三田線の白金高輪駅で降りていただくと、外に出たところが「清正公」という交差点。そこにあるのが、地元の人から「清正公」と呼ばれている、加藤清正を祀った覚林寺(清正公)というお寺。まあ、明治政府によって「神仏分離令」というのが出されてしまって、取り敢えずお寺だけ残ったんですが。でも、ちゃんと神様も残ってはいるんですね。

Dsc_00022_2

 で、これが毘沙門堂。中は御開帳されていませんけれども、確かにある。

Dsc_00032

 白金高輪から目黒通りを目黒駅方面に上って行き、登り切ったところにあるのが、瑞聖禅寺です。

Dsc_00182

 このお寺には特に祠はないようですけれども、布袋様が祀られているというお話です。

Dsc_00132_2

 更に目黒駅の方向に行くと、妙円寺(白金妙見)があります。

Dsc_00222

 ここにはなんと、福禄寿と寿老人の二人が祀られているんですね。

Dsc_00262

 う~ん、この中か。中は見られないけれども、それなりの大きさはある祠だなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Shirogane Meguro Meguro ©tsunoken

2017年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

Dsc_00022

謹賀新年 平成二十九年 元旦

Dsc_00282

 六義園は1月2日から開園します。

「新春を六義園でお祝いしましょう」ということで、毎年恒例の

(1)神田囃子・寿獅子
   1月2日(月)10時30分・13時30分(各回30分程度)

(2)獅子舞と貫井囃子
   1月3日(火)10時30分・13時30分(各回30分程度)

 を上演します。

 さて……

『ドナルド・トランプ氏がアメリカの大統領になり、イギリスのEU離脱が正式に決まる今年。イタリアやフランスなどでもどんどん「内向き」になる政治傾向があります。そうなると恐ろしいのは「第三次世界大戦」っていう言葉なんだけれども…それが杞憂になってほしいという思いでいっぱいです。』

 ってのが、12月中旬の頃までの状況を基本に書いた私の年賀状なんですが……。

 その後の、我が安倍晋三氏が(何故か)大統領就任前のトランプ氏に会ったりとか、最早「死に体」のオバマ大統領と(もう何人目かわからない)真珠湾追悼式にでてみたり、プーチン大統領と会談して、北方領土はまったく触れないで経済協力だけ確約しちゃうとかの「外交オンチ」ぶりを見せられちゃったり、「アベノミクス」第三弾の「構造改革」がまったくできていないという「経済オンチ」ぶりを見せられちゃって、肝心の「一億総活躍社会」なんて、女性の活用が全然進んでいない様子からして初めからありえず、日本社会は相変わらずのデフレのままと、最早、安倍晋三氏の政権も危ういんじゃないかとも思えてくる今日この頃です。「外交オンチ」で「経済オンチ」ってこの人、結局「政局」しか見ていないんですかね。

 まあ、言われていた1月解散総選挙ってのはもうないですね。

 となると、次は夏の都議選ですかね。まあ、たかだか地方選でしかないんだけれども、異様に持ち上げられちゃうっていうのは、やっぱり「小池劇場」なんでしょうかね。都議会公明党は自民党を袂を分かっちゃうし、その都議会自民党からも離反者がでています。まあ、皆、夏の都議選で小池新党からの「刺客」を恐れての「自民離反」ですもんね。最早、東京都は小池氏が牛耳っちゃうんでしょうか。

 もう安倍政権は時間の問題ですね。自民党は何故総裁任期を伸ばしたのかは分からないという混迷に陥って、でも、それに対抗する野党もないからそのまま自民党政権は続くのでしょうけれども、じゃあ、安倍氏の次はだれなのか? 岸田氏なのか? それとも石破氏なのか? 小泉進次郎氏はまだ若いから、もう少し雑巾がけをするのかなあ。

 なあんてことやっていると、オリンピックが終わったら小池氏が国政に戻ってきて総理の席を奪ってしまうかもしれない。まあ、初の女性総理ってのも興味はあるが、小池氏が都知事になったのだって一種のポピュリズムだったわけで、そうなるとイギリスのEU離脱やアメリカのトランプ旋風を嗤ってみていた我々も同じ穴のムジナかいなってことにもなってしまう。

 これは気をつけないといけないなあ。

 で、私のブログなんですが……(急に小ネタになるなあ)。

「本と映画と写真の徒然」なんてサブタイトルを付けているのだが、肝心の「本」を読む回数が大幅に減ってしまって、更に「映画」なんて年間数本しか見ないというテイタラク、実はほとんど「写真ブログ」みたいになってしまっています。ということなので「今年こそ本を毎週〇冊読むぞ。映画を毎月〇作みるぞ」って言わないで、サブタイトルの方を変えてしまいます(って、おいおい)。

 今年からのサブタイトルは「tsunokenの見たモノ、感じたコト」という具合に(ありゃぁ)。

 Eメールにも署名欄に、これまでは「本について、映画について、写真について 毎日1冊毎日更新2000字」なあんてエラそうなことを書いていたんだけれども、今日からはブログのサブタイトルと同じにします。

 えっ? だからって言って本を読んだり、映画を見たりしないってことはないですよ。相変わらず本も読むし、映画も見ます。ただし、以前ほどには「読みたい!」って思う本が少なくなってしまったり、「見たい!」って思う映画も少なくなってしまっているというのもあります。まあ、年取ったんで「感動」というものに対する感覚が少なくなってしまっているのかもしれないし、前にも書いたことがあるのですが、(サラリーマンをやっていた)頃は通勤時間や仕事の移動時間に本を読めたんだけれども、それがなくなってしまって本を以前ほど読めなくなってしまった、というのがあるんですね。

 とは言うものの、それは「言い訳」。

 まあ、せいぜい沢山本を読んで、沢山映画を見るってことは心がけますので、今年も「tsunokenのブログ」是非ともご愛読ください。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Dsc_00502

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?