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« 赤穂義士②両国橋は渡らなかったのに、なぜ永代橋を渡ったのか | トップページ | 世田谷ボロ市でボロは買えないよ »

2016年12月15日 (木)

赤穂義士③新橋から泉岳寺まで

 さて、浅野家上屋敷を過ぎた一行は、いよいよ新川を渡って新橋へ。

 で、ここ浜離宮庭園の前を過ぎたときが一番危なかったんだろうでははないだろうか。

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 なにしろ元々は将軍家の別邸浜御殿だった浜離宮庭園。言ってみれば、この行程で一番幕府の施設に近づいたわけなのだ。当然、警備は厳しかっただろうし、警備の兵によって捕らえられても仕方がない。

 が、それがなかったっていうのは、まあ幕府も多少は討ち入りには目をつぶっていたのかもしれない。まあ、吉良上野介が呉服橋の屋敷を召し上げられて、江戸郊外の本所松坂町に移り住む事になったということ自体が、幕府が討ち入りを暗に認めていたという考え方もあるのだ。

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 で、新橋からは昔の東海道、現在の国道15号線で高輪の泉岳寺まで行ったんだけれども、既にこの時間には世も明けていて、多分沿道には物見高い江戸町民が沢山出ていたんだろうな。その中を意気揚々と引き上げていく赤穂浪士たち。

 勿論、結果として死罪かよくて切腹を命じられることが前提の討ち入りではある。複雑な思いでいたことは事実だろうが。そうは言っても江戸町民からすれば英雄である。

 まあ、この辺は面白くないんで割愛。

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 泉岳寺に着いた一行は、泉岳寺の僧侶に迎えられて……

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 まず、浅野内匠頭の墓前に吉良の首を備えて焼香したということである。

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 内匠頭の墓のそばには義士たちの墓が並んでいる。

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 さすがに、12月に入ると参詣客が沢山いた。普段は静かなんですけれどもね。

 12月14日には「義士祭」も開かれていた。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Minato ©tsunoken

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