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« 何となく小田原まで行ってしまった | トップページ | 赤穂義士②両国橋は渡らなかったのに、なぜ永代橋を渡ったのか »

2016年12月13日 (火)

赤穂義士①なぜ彼らは両国橋を渡らなかったのか

 明日、12月14日は赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日であります。

 なので、今日から三日間、赤穂義士が討ち入りを終えて、泉岳寺まで歩いた通りに辿ってみたいと考えます。結構、距離があるんだよね。

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 見事、本懐を遂げた大石内蔵助と46名の仲間は吉良邸を後にして……

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 回向院と大徳院の間を通って、隅田川沿いに裏道を通って泉岳寺に向かうのだけれども、何故、すぐそばの両国橋を渡って江戸市中に入らなかったのか?

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 現在の一之橋を渡って……

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 芭蕉庵なんぞには目もくれずに……

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 萬年橋を渡り……

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 永代橋のそばまで来ると一休み。乳熊屋という味噌屋がたまたま上棟だったので、甘酒を義士たちにふるまったという。 義士の一人。大高源吾が乳熊屋の主人・竹口作兵衛と同じ俳人・其角の弟子だったということもあったそうだ。

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 で、最初のテーマ「なぜ、義士たちは両国橋を渡らなかったのか?」への答。

 やはり両国橋を渡ってしまうと、そのまま江戸城のそばを通らなければならなくなってしまい、「仇討ち」というご法度を犯した立場としては、江戸城のそばを通ることを避け、裏道ばかりを歩いたのだろう、ということ。まあ、そういうことだったんでしょうね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Sumida ©tsunoken

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