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« 赤穂義士①なぜ彼らは両国橋を渡らなかったのか | トップページ | 赤穂義士③新橋から泉岳寺まで »

2016年12月14日 (水)

赤穂義士②両国橋は渡らなかったのに、なぜ永代橋を渡ったのか

 いよいよ本日は赤穂浪士47士の討ち入り当日です。

 さて、乳熊屋で休息をとった一行は、ここ永代橋から江戸市中へ入るわけですね。といっても江戸城がある場所ではなくて、渡った先は霊岸島という島。江戸からはまだ新川という堀を隔てています。

Dsc_00412

 しかし、裏道をたどる一行の動きは変わらず、永代橋から大通りを通らずに、霊岸橋のそばまで来ると、左に折れて新川沿いを行きます。

Dsc_00432

 相変わらず裏道ばっかりを行くのは、やはりご法度を犯した自覚なのか。

Dsc_00442

 で、現在の聖路加国際病院のそばまで来ます。

Dsc_00502

 で、聖路加国際大学の敷地の中にありました……

Dsc_00522

 ここは元々浅野家の上屋敷があった場所。

 勿論、浅野内匠頭の所業によりお家はお取り潰し、屋敷も召し上げられてしまってはいますが、浅野家の家臣としてはやはりそれは悔しかったのでしょう。

Dsc_00542

 で、元々浅野家の上屋敷前をわざわざ通ったということなのだと思う。

 まあ、もともとが仇討ちという行動自体が、内匠頭だけが切腹を命じられ、吉良上野介はお咎めなしという「片手落ち」の幕府の判断に対する抗議行動だったんですからね。

 一種の示威行動だったのかもしれない。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Chuo ©tsunoken

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