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2016年12月

2016年12月31日 (土)

本年もご愛読、ありがとうございます。

 今年も「tsunokenのブログ」1年間ご愛読いただき、ありがとうございます。

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 今年は4月にパソコンのデータを全部ぶっ飛ばしてしまって、正確なデータが出てこないのですが、去年の1月1日の累計PVが982,004だったので、今年1年のPVはおよそ158,600ということになり毎日400人余りの人が私のブログを読んでいてくれている計算になります。

 う~ん、何だろうなあこの毎日400人の人たちって。まあ、私の支持者ってことは分かるんですが、これじゃあ都議選じゃ当選できあいよよなあ、ってな数ですね、でも、どうなんでしょうかねえ?

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 取り敢えず総轄します。

 本について書いたブログが107本、内Kindleで読んだ本が102冊で紙の本が(雑誌含めて)5冊と完全に電子にシフトしているのがわかる。本に関しては雑誌と写真集以外はすべてKindleでしか読んでない。特に最近では書店や新聞などで本のタイトルを見て興味を持つと、まずKindleで出ているかを調べて、出ていないと読まないって感じになっている。それでも何とかなってしまうってところが、いかにも電子の時代って感じだろう。ただし、11月頃から極端に読んだ本の数が減っている点には要注意。このまま本を読まなくなってしまいそうな雰囲気なので、意識して読まなくては。

 もっと問題なのが映画で、映画について書いたエントリーが5本と、あまりにも映画の数が少ないのに驚き! いかんなあ。

Saru

 まあ、来年はもう少し映画を見ないとなあ(って毎年言ってる?)。

 ということで、今年もご愛読ありがとうございます。

 来年もよろしくお願いします。

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 って、ことですね。「猿」から「酉」へってことで。

 まあ、この写真の実体は明日のココロだぁ~、ってなんでここで?

2016年12月30日 (金)

今年最後の地蔵通り

 今年、2016年最後の地蔵通り商店街であります。

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 と言っても、別に普段の地蔵通りと変わったことはなくて、

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 相変わらず、とげ抜き地蔵さんには人手がすごいし、

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 周辺のお店にも沢山の人が来ている。

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 まあ、松飾りの屋台が出ているのが、普段とちょっと違うだけで、

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 普段通りの地蔵通り商店街ではありました。

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NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Jizotori Toshima ©tsunoken

2016年12月29日 (木)

85mmで街撮りスナップ in 麻布

 しかし飽きませんな「85mmで街撮りスナップ」、今度は85mmで街撮りスナップならここでしょう。ということで麻布、六本木周辺に出没。

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 麻布、六本木周辺には外国人が多く住んでいる。なので、フォトジェニックな外人さんを探しながら麻布周辺をウロウロ。

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 まあ、日本人もいますがね……、っていうよりはやっぱり日本の街なので日本人の方が多いわけで。

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 有栖川公園で見た外国人の親子。子供が可愛いね。

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 街撮りスナップは人だけじゃなくて、こんな写真も撮ります。一列に並んだ自転車が面白かったんで。

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 何故か、一人(一匹?)取り残されてしまった犬なんかも。

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 ということで、そろそろこの「85mmで街撮りスナップ」シリーズはおしまい。

 まあ、どこかでまたやったりするかもしれないが、いわゆるシリーズとしてブログにUPするのはおしまいってこと。まだ、飽きたわけではありませんので、それなりの被写体が現れればまたやったりします。

 基本的には「街撮りスナップ」を85mmでやるってのは邪道で、標準レンズ(50mm)やl広角レンズ(35mmあるいは28mm)でやるのが基本であります。その方が早撮りした際のピントの問題もないしね。

 ということで、「85mmで街撮りスナップ」シリーズはしばしお休みします。

 ってなもんでしょうね。「粋なもんですね」としては。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Azabu Minato ©tsunoken

2016年12月28日 (水)

小山城(址公園)

 栃木県小山市の市役所のそばに小山城(址公園)はあった。

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 平城ではあるが、思川という川の河岸段丘上にあるこの城は、それなりに戦(いくさ)のための城であることが分かる。

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 城の中にはこんな空堀や……

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 土塁などもあって……

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 かなり規模の大きな城であったようだ。

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 小山城は、1148年(久安4年)に小山政光によって築かれたとの伝承がある。まあ、この頃は領主と言っても、その辺の地頭の親分みたいなもんだったからなあ。小山氏は武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した太田氏の出自で、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗ったとされるが、その後、様々な紆余曲折を経て、小田原征伐ののち、1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封したが、正純は1619年(元和5年)に宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となった、とされている。

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 その後、徳川将軍の日光東照宮参詣の際の宿泊地あるいは休憩地として使われ、その場所が道路を隔てて市役所側に「小山御殿」として使われた場所がある。

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 まあ、江戸にも近いし、あまり力を持った大名がいると邪魔なんで、廃城にしちゃったんだろうな。

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NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Oyama ©tsunoken

2016年12月27日 (火)

「ストリートスナップの魔力」って、何だ?

 六本木は飯倉片町交差点のそばにAXISというビルがあって、その3階にIMA CONCEPT STOREという写真のギャラリーと写真集専門の書店がある。

 そのIMA CONCEPT STOREの運営会社である株式会社アマナが発行する写真季刊誌が「IMA」で、その最新号の特集が「ストリートスナップの魔力」である

Dsc_00672 『IMA LIVING WITH PHOTOGRAPHY Vol.18 2016 Winter』(株式会社アマナ)

 特集は「MDF 伊丹豪」「END. イーモン・ドイル」「UNtitled オスカー・モンゾン」「Italia o Italia フェデリコ・クラヴァリーノ」「The Random Series ミゲル・アンヘル・トルネロ」「ZZYZX グレゴリー・ハルペーン」という6人の写真家の作品とインタビューで構成されている。

「ストリートには不思議な魔力がある。
 いや、魔の時間があるといった方がいいかもしれない。
 それはときに、決定的瞬間ともいい換えられる。
 写真家は、その不思議な時空の歪みをとらえる魔術師だ。
 街を彷徨する彼らには、はっきりと‟それ”が見えるのだ。
 ‟それ”は必然のように、向こうから寄ってくるのだ。

 ストリートは、人のドラマで満ちている。
 ストリートには、奇跡が溢れている。
 ストリートには、すべてがある。
 だから、いつの時代も、どんなふうに形を変えても、
 ストリートスナップは私たちを惹きつけてやまない。」

 というのが特集の惹句。

 まあ、そんな風な言い方をしなくても、ストリートスナップというのは街写真の始祖ジャン=ウジェーヌ・アジェから始まって現在に至るまで、写真の基本であり、そして集大成でもあるのだ。そこには日常写真から決定的瞬間まですべての写真の要素が詰まっている。

 私も毎日の外歩きには必ずカメラを持参し、街を切り取って歩いている。私の目標は森山大道氏であり、荒木経惟氏であり、どうやったら森山氏や荒木氏のような写真が撮れるのかを毎日の模索写真でもって考えているのだが、未だにその答えは出てこない。

 というよりも、多分そうやって森山氏や荒木氏の写真を自分の写真の中で実現しようとしていること自体が、森山氏や荒木氏のような写真が撮れない原因なのかもしれない。

 つまり、「何物でもない」写真を私が撮れた時こそが、初めて森山氏や荒木氏のような写真が撮れた瞬間なのかもしれないのだ。いつまでも、森山写真や荒木写真を求めているような状況では、決して森山写真や荒木写真を凌駕できる写真は撮れないじゃないかってことで……。

 伊丹豪、イーモン・ドイル、オスカー・モンゾン、フェデリコ・クラヴァリーノ、ミゲル・アンヘル・トルネロ、グレゴリー・ハルベーンという写真家を私は知らない。

 しかし、私にとっては彼等が私のライバルかもしれないし、もしかしたら私の師かもしれないのだ。

 そうやって、「何物でもない」写真を求めて毎日の外歩きをしているのだが、でもそんな「何物でもない」モノを求めること自体が、これまた「何物でもない」モノを求められない理由なのかもしれない。

 とまあ、そういうグルグル回る思考の中で、つまりは私の毎日の写真行があったりしているのである。

 う~ん、進化しないなあ。

 グルグル回るだけだなあ。

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 写真季刊誌「IMA」はIMA CONCEPT STOREで、あるいはIMA ONLINEからも購入できます。

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2016年12月26日 (月)

「2016年、出版界10大ニュース」って言ってもあまり変わり映えしないなあ

「出版界唯一の専門紙」という謳い文句の『新文化』が毎年恒例の「出版界10大ニュース」を掲載している12月22日号。

 っても、なんか今年も相変わらず代わり映えはしないなあ。

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1、太洋社が自主廃業から一転自己破産
 芳林堂書店破産による不良債権が引き金

 確かに引き金は芳林堂の破産なんだが、それ以前から大手取次(日販、トーハン)による帳合変更という名前の取引書店の奪い合いってのがあって、いずれは太洋社もダメになってしまうのではないかという噂はあった。

 まあ、紙の書籍・雑誌が大幅にシュリンクしていく状況下では、結局、売り上げを伸ばすためにはよその取次の取引書店を奪うというのが一番手っ取り早い方法なので、自由競争の社会の中では仕方のないことなのだが……。

2、書店のM&A、資本提携相次ぐ
 大手取次会社も書店買収・提携へ

 これも1、と同じ状況下における出版業界の動きなのだが……

「4月、日販子会社のY・spaceは、ユニーが運営する57店舗のうち36店舗を取得。ユニーの夢屋書店事業部は8月に廃止した。さらに日販は9月、大日本印刷と丸善ジュンク堂書店が保有していた文教堂グループホールディングスの株式51.86%のうち28.12%を取得し文教堂の筆頭株主になった。日販は約16億円を出資し、11月に約200店舗の帳合を一本化した。
 一方、トーハンは2月に文真堂書店、6月に住吉書房と八重洲ブックセンター、9月に鎌倉文庫、10月にあおい書店を傘下に収めた。
 また、9月には丸善ジュンク堂書店が戸田書店と業務提携。将来的には資本提携も視野に入れていると発表している
 出版社では、アサツーディ・ケイが3月、日本文芸社の全株式を健康コーポレーション㈱に譲渡。ミネルヴァ書房は3月に昭和堂、4月に岩崎学術出版社を買収。10月には講談社が一迅社の全株式を取得して完全子会社にした。」

 というのが全記事。ただし、講談社による一迅社の買収は、「紙書籍」ではなくて、一迅社が電子コミック分野で著しい活躍をしているところからの買収であって。他のM&Aとはちょっと意味が違う。

3、新取次「大阪屋栗田」が誕生
 大阪屋が栗田を吸収統合、社長に大竹氏

「大阪屋と栗田出版販売が4月1日に統合、新取次会社「㈱大阪屋栗田~OaK出版流通」が始動した」

「栗田出版販売は昨年6月、東京地裁に民事再生法を申請、大阪屋は同10月に100%子会社の「栗田」(新栗田)を新設し、今年2月に8億円で旧栗田の事業を譲り受けていた。
 日販の関連会社である出版共同流通もOKCに資本参加するなど、15年12月26日に承認された旧栗田の再建計画に基づき、新取次会社が誕生した」

 まあ、元々この大竹深夫氏自身が講談社の営業マン出身の人で、大阪屋を窮地から救ったところから、実は講談社が絡んでいたんですけれどもね。

4、熊本地震で書店が被災・休業
 出版社・取次など業界横断で支援
 

「4月の熊本地震では県内の紀伊国屋書店、金龍堂、明林堂、ニューコ・ワンの運営するTSUTAYA、長崎書店、竹とんぼなど数多くの書店が被害に遭い、休業を余儀なくされた。
 そんななか、本震から2日後には長崎書店が「元気に仮営業中!」の手書きポスターを店頭に貼りだして一部スペースで本の販売にあたった」

「一方、東日本大震災の時と同じように活字を求める読者は多く、日販帳合の書店11店の4月29日~5月8日の売上げは、前年同期比36.5%増を記録」

 まあ、人は「読めなくなる」っていうと本を読みたくなるのかな。

5、「週刊文春」がスクープ連発
 「週刊文春デジタル」読者2.5倍に

「「ゲス&ベッキーの禁断愛」「宮崎謙介議員の二股婚約破棄騒動」「甘利大臣の収賄事件」「清原和博の懺悔告白」――「週刊文春」のスクープ記事がことごとく社会問題に発展し、国民の注目を集めた。その取材力が話題になった」

 まあ、やっぱり週刊誌の基本は「スクープ」ですね。そのスクープを支えるのは取材力だし、読者からの「タレコミ」なんですね。

「週刊文春」はその基本に忠実に仕事をしたというだけ。まだまだ、紙の週刊誌も捨てたもんじゃない。

6、〝雑誌読み放題″に憂慮の声
 紙版の販売部数落ち込みに影響

 NTTドコモの「dマガジン」参加雑誌の紙版の販売部数が、非参加雑誌に比べて落ち込んでいるとのことだが、それは当たり前のことであって、読者自身の総数は変わっていないんだからね。しかし、その一方で、dマガジンに参加したことでもって紙版の数が伸びたという出版社もあった、って言うんだから、問題は雑誌の販売戦略の問題なんだろう。

 また、アマゾンジャパンの「Kindle Unlimited」が参加出版社20社近くを一方的に配信停止して、講談社などから抗議を受けた、というのは別の側面からの話。

7、メジャー雑誌、休刊相次ぐ
 休刊116点、前年超えほぼ確実

 いまやこんなのは「10大ニュース」にもならないレベルの話だな。

「「デジキャパ!」(学研)のように紙版の発行を休止して電子版に姿を変えた雑誌もある。「クーリエジャポン」(講談社)は会員向けデジタルサービスに移行した」

 というのも、それぞれのメディアの戦略の問題でしかない。

8、初の12.31「特別発売日」
 新たな市場創出なるか注目

「12月31日の全国一斉発売「特別発売日」が初めて設定された。
 雑誌130点、書籍40点(12月13日時点)で部数規模は計840万部。すべてがその日のために制作された特別版である」

 っていうんだけれども、なんか「遅きに失した」という感も無きにしも非ずだ。まあ、どうなるでしょうか。

9、「文庫X」全国650店に波及
 さわや書店フェザン店が仕掛ける

 さわや書店フェザン店って以前からいろいろな売り方をしてきて、かなりユニークな書店だった。

10、教科書発行社が謝礼
 学校関係者に教材無償提供

 最早、語るに落ちたってところでしょうか。コメントはありません。

 まあ、これが今年の出版界の10大ニュースってことは、今年はあまり大きな変化はなくて、これまで通りの紙だけで見たときの出版界の漸減的な低下があったっていうことだけで、「出版社業界」としては見ていられない状況だ。

 紙だけじゃない出版社業界(まあ、それは「メディア業界」ってことなんだろうけれども)全体像を見るためには、最早「新文化」じゃだめなんだろうか。

 来年以降は継続購読はちょっと考えたほうがいいかもね。

2016年12月25日 (日)

一の橋、二の橋、三の橋って続いて……えっ?

 宮益橋から流れる渋谷川は、麻布の天現寺橋から下流は古川という名前の川になる。

 で、麻布十番のあたりから上流に向かって、まず一の橋があって……

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 二の橋があって……

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 三の橋があるんだが……

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 その次は何故か古川橋になってしまう。

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 そこから先に行くと、また四の橋があって……

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 五の橋があって、その次は天現寺橋になって、そこから上流は渋谷川になる。

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 チョロチョロ流れるお茶の水みたいな渋谷川なんだが、古川になると川幅も広がり、流量も多くなる。

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 さあ、それは何故でしょう? っていうクイズじゃないけど。

 実はこの古川あたりの両岸は麻布や白金など、地方の各藩の江戸屋敷が沢山あった場所なのだ。で、江戸湾から船で江戸屋敷まで物資を運んで いたというわけ。

 つまり、11月23日のブログ「立会川 坂本龍馬 浜川砲台」という三題噺と同じ役割を果たしていたんだな、この古川は。で、そこから先の渋谷川になってしまうと、もう江戸屋敷はないので、チョロチョロ流れるお茶の水ってわけなんだ。

 えっ? 昔は渋谷川ももっと流量は多かったって? へ~、そうなんだ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Azabu Minato ©tsunoken

 

2016年12月24日 (土)

常陸太田、ニッポンの正しいイナカ

 水戸から常陸太田までは水郡線の支線を行かなければならない。

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 水戸から上菅谷まで行って、上菅谷発の支線に乗り換え、水戸からトータル40分程度で常陸太田駅に着く。

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 その途中の風景がこんな感じ。

 それを見ていてふと思い出したのが、上野から東北新幹線に乗って新花巻まで行って、釜石線で遠野まで行った時の車窓からみた風景。それがちょうど常磐線の特急で水戸まで来て、水郡線に乗り、上菅谷で乗り換えたときの風景にそっくりなのだ。

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 手前に田畑が広く展開して、遠くには山が見える。

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 駅も上菅谷と終点の常陸太田以外はすべて無人駅だ。

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 帰りは常陸太田から水戸まで直通の気動車に乗れたのだが、やはり上菅谷で常陸大宮行きを待って発車する。

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 上菅谷を過ぎると水戸の街が見えてきて、なんか都会に戻った気になってホッとするのは何故だろう。

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 考えてみたら、水戸から北はもうほとんど東北地方と同じなんだなあ。東北地方とは地続き。

 つまりそこには「ニッポンの正しいイカナ(=東北地方)」があるんですね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Suigun Line Ibaraki ©tsunoken

2016年12月23日 (金)

常陸太田で「水戸黄門漫遊記」を想う

 ちょと「ご当地ネタ」が続いてしまったので、今回はちょっと出かけた場所です。その場所は「常陸太田」。徳川御三家の内、水戸徳川家の領地ですね。

 常陸太田市は水戸市の北に位置する町で、高台に街が展開している。その高台から更に山の奥に入ったところに「西山荘」は位置している。まあ、隠居所という名の別荘ですから、そんな山奥に作ってもおかしくはない。

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 この西山荘は常陸水戸藩第二代目藩主、徳川光圀が元禄三年(1690年)水戸藩主を引退し、元禄四年(1691年)5月に隠居所として住み始めた場所である。

 ここで徳川光圀(水戸光圀・黄門)は『水戸黄門漫遊記』を書き始めたわけなのだ……、なんてことがあるわけないじゃないか。

 徳川光圀がここでやったのは歴史書『大日本史』の編纂でありました。当時の建物は文化二年(1817年)に野火によって焼失し、現存する建物は、文政二年(1819年)に八代藩主齊脩(なりのぶ)によって再建されたもののようだ。

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 守護役の侍の居宅もあって資料館になっています。

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 中に入ると……おお黄門様がいるじゃないか。手前に幽霊のように写っているのは誰だ? って、そりゃ、私です。まあ、手前のガラスに写っちゃうんだから、しょうがない。

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 邸内には山から湧き出た水を、段差でもって受け止める池が何層にもわたって作られていて、さすがにかなりの山奥に作られた別荘という雰囲気がある。

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『水戸黄門漫遊記』は、光圀の伝記資料としてある、正伝である『義公行実』をはじめ『桃源遺事』『久夢日記』など様々なものがあり、宝暦年間にはこれらの伝記資料を基に実録小説である『水戸黄門仁徳録』が成立し、幕末になって、講談師がこれらの伝記や十返舎一九作の滑稽話『東海道中膝栗毛』などを参考にして『水戸黄門漫遊記』を創作したと考えられている、というものらしい。ああそうか「助さん。格さん」ってのは「弥二さん、喜多さん」なんだ。

 なので、『水戸黄門漫遊記』には原作というものがなく、以降の脚本家が勝手に作ってもよいという、いやあまったく「傑作」というもののあり方としては最高の作品(原作)となったのでありますなあ。

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NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Hitachiota ©tsunoken

2016年12月22日 (木)

85mmで街撮りスナップ in おばあちゃんの原宿

 クリスマス前はヨーロッパではテロに対する緊張感が深まる時期だそうだ。まあ、イスラム教徒にとっては、クリスマス前で浮かれているクリスチャンは一番のターゲットなのかもしれない。

 まあ、でも我が国の仏教徒(って、自分を意識している人はいるのかなあ)にとっては、「そんなの関係ない」ってな感じで、普通に街に繰り出しているんですね。

 で、

「おばあちゃんの原宿」と呼ばれている、豊島区巣鴨の地蔵通りなんだが、最近は若い人も結構歩いているようで……

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 しかし、飽きませんなあ「85mmで街撮りスナップ」。

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 基本的におばあちゃんたちはお地蔵様をお参りして、帰りにときわ食堂でお昼をいただき、マルジの赤パンツなんかをお土産に買って帰るんですね。

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 でも若い人たちはお地蔵様にはお参りせずに、街歩きを楽しんだり、大学芋やメロンパンなんかをかって食べながら歩くんです。

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 地蔵通りを行ったり来たりしながら撮影していると、結構若い人たちが数人で歩いているのに出くわすわけです。

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 で、しかし実はこの写真、詐術があるんですよ。

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 つまり、歩いているのは実際には圧倒的におばあちゃんたち。

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 でも、こうやって若い人たちの写真ばかり使っていると、まるで「おばあちゃんの原宿」が様変わりしたように見えるんですね。

 まあ写真の詐術っていうよりは、編集ってこういうことなんですよってことですね。皆さん、ネットに上がっている映像ってのは、こうした編集を経過した映像なんだってことを知ってくださいな。まあ、それがネットリテラシーの1番地。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Jizo Tori Sugamo Toshima ©tsunoken

2016年12月21日 (水)

ビジネスパーソンの大学イメージ調査・関東編

 昨日の日経新聞に『ビジネスパーソンの大学イメージ調査 関東編』というのが掲載されていたのでご紹介。

 こういう記事の場合、基本的に東京大学、一橋大学、早稲田大学、慶應義塾大学が上の方に君臨するっていうパターンなんだが、意外や意外、我が中央大学が結構いいところに評価されているのだ。

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 この記事は日経新聞のクロスメディア営業局が「伝統イメージ 人的資産・信頼 過去の教育実績に基づく信頼性の高さや安定感を表すイメージ」「現在イメージ 積極的かつ熱心な教育活動に基づく、ビジネスパーソンとの心理的距離感の近さを表すイメージ」「将来イメージ 教育や学校改革、さらにPRの積極性により将来期待される大学のイメージ」の3つのイメージごとに5つ、合計15項目にわたってビジネスパーソンに聞いた結果から測った大学のブランド力を表したもの。

 まず「伝統イメージ」では「1.歴史と伝統がある」で8位、「2.その大学の出身であることを誇りにしている人が多い」で11位、「3.卒業生同士のつながりが強い」で9位、「4.社会で活躍するリーダーを多く輩出している」で8位、「5.社会で活躍している女性を多く輩出している」では10位。ということで「伝統イメージ総合」で10位。

「現在イメージ」では「6.施設や立地など学習環境が良い」で14位、「7.教授陣とカリキュラムが充実している」で10位、「8.研究力の高い分野がある」で9位、「9.就業支援に熱心である」で12位、「10.自分の子供を進学させたい」で13位。「現在イメージ総合」では、やはり10位。

「将来イメージ」では「11.地域や社会に貢献している」で11位、「12.最近知名度が上がって上がってきたと感じる」で12位、「13.グローバル人材育成に熱心に取り組んでいる」で13位、「14.産学連携の取り組みに積極的」で11位、「15.スポーツ・文化における人材育成に積極的」で10位。ということで「将来イメージ」でも10位。

 これらを総合したイメージで好感度で9位、認知度で5位、総合ランキングで10位という結果だったそうだ。

 各イメージですべて10位、項目別でも大体10位前後というところがいかにも中央大学らしいって言えば中央大学らしい。

 しかし、総合ランキングでいえば1位から順番に東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、一橋大学、明治大学、筑波大学、東京工業大学、上智大学、青山学院大学ときて、その次の10位が中央大学なんだが、中央大学以下にも、学習院大学、東京理科大学、立教大学、日本大学、法政大学、横浜国立大学、東京外国語大学、東海大学、東京農業大学、千葉大学というそうそうたる大学が並んでいる中での10位なのであります。

 認知度で行ってしまえば、MARCHの中で中央大学より上はなし。明治大学が6位、青山学院大学が10位、法政大学が14位、立教大学が16位と圧倒的な認知度が中央大学にあるし、好感度で言っても明治大学と青山学院大学が11位、立教大学が15位という具合にやはり中央大学が圧倒しているのだ。

 ということは、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、一橋大学を除けば、MARCHの中で圧倒的な好感度と認知度があるが総合ランキングを見るとちょっと下がる(?)という位置に中央大学があるということ。その原因は項目別ランキングの「6.施設や立地など学習環境が良い」で14位というちょっと残念な結果が出ているということなのではないだろうか。

 まあ、MARCHの中でいまだに八王子にキャンパスがあるのが中央大学だけってのも、問題があるっちゃあ問題だなあ。理工学部は以前から同じ後楽園にキャンパスがあるし、法科大学院も2000年に市ヶ谷の元総務省統計局の建物を買い取って移転。2022年には現在の理工学部の場所に法学部だけは移転を予定しているようだが、その他の文系学部は相変わらず八王子ってのも問題だ。

 そんな田舎にある(だって、中央大生の中には「俺の田舎の方がもっと都会だ」なんて言う学生もいるらしい)中央大学なので、最近は入試偏差値も大分落ちてきて、MARCHでは最低、「日東駒専」から「日中駒専」なんて言われ方もされているという噂も聞いている。う~ん、私が出たのは八王子の中央大学じゃなくて、駿河台の中央大学だからなあ、なんて他人事みたいなことも言ってられないじゃないか。

 あまりお金を持っていない中央大学というのも事実なんだが、なんとかならないものだろうか。ここは、元トーハン社長でセブン&アイ・ホールディング元会長の元理事長、鈴木敏文さんのご出馬をお願いするしかないのかな。

 記事はコチラでも読めます。

 

 

 

2016年12月20日 (火)

駒込、冬の夕暮れ

 私は秋や冬の夕暮れ時が好きだ。

 まあ、そんな意味では‟春・夏”派ではないことは明白なんだけれども、やはり夕暮れは秋や冬なんだなあ。ちょっとコートの襟を立てて歩いている感じですね。それが好き。

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 しもふり(霜降)銀座っていうのは、本郷通りを駒込駅から一番下がったところにある商店街。昔、藍染川があったところが暗渠になって道路になった場所のちょっと南側にある商店街で、ちょっと先まで行くと染井銀座商店街に繋がっています。

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 商店街の長さとしては染井銀座の方が長いんだけれども、商店の集中度としては霜降銀座の方が上かな。

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 という、まあ駒込周辺の下町の商店街なんですね。

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 こちらは六義園の北側の道。右側には文京学院大学付属の女子高校と中学があります。高校はバレーボールの名門校として知られています。それ以外ではどうなのか……、まあよくわかりませんけれどもね。

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 で、最後は六義園に隣接している六義公園の冬の夕暮れ風景。

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 こんなになっても、まだ子供たちの声は聞こえてきますが、もうそろそろお母さんたちが子供を家に帰す時間かな。

 見えますかね、そんなお母さんたちの姿が。写真に目を凝らすと見えてくるんですがね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Komagome & Hon Komagome Toshima & Bunkyo ©tsunoken

 

 

2016年12月19日 (月)

秋田県アンテナショップに行ってきた

 来年二月に秋田へ取材旅行を予定しているので、情報収集に有楽町交通会館にある「秋田ふるさと館」へ行ってきた。

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 ところが中に入ってみると、食品とかお酒とかばっかりが並んでいて、紙資料とかがないんですねえ。

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 こんな売り物だけしか置いていないのかと表に出てみると……

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 おおっ、ありました。いろいろな紙資料があったんですねえ。

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 で、いただいてきた資料がこれ。ただし左上のは違います。まあ、参考書。

 なぜ秋田? なぜ二月? はいずれ明らかになります。

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 要はこのポスターに使用されている写真が、秋田行きのきっかけなんですけれどもね。

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「粋なもんです」

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Yurakucho Chuo ©tsunoken

『木村伊兵衛 昭和を写す 4秋田の民俗』(木村伊兵衛著・田沼武能編/ちくま文庫/1995年7月24日刊)

2016年12月18日 (日)

チャレンジマッチ東大WARRIORS、TDできなきゃ勝てないよ

 今日は早稲田大学と関西学院大学で行われる「甲子園ボウル」なんだが、その前に、昨日はアミノバイタルフィールドでチャレンジマッチ(TOP8とBIG8の入れ替え戦)の模様をお伝え。

 第一試合はTOP8最下位(7戦全敗)の日本体育大学トライフォント・ライオンと、BIG8第一位(7戦全勝)の東京大学ウォリアーズの試合だった。

 試合前のコイントスで勝った東大は当然リターンを選択。まず先にタッチダウン(TD)を狙う。取り敢えず先制点を取った方が有利なのはどんなスポーツでも同じことだ。

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 で、日体大のキックオフをキャッチしたランニングバック(RB)#28荒井なんだが、日体大にタックルされて、なおかつボールをファンブルしてしまう。でそれを日体大#33コーナーバック菅野に抑えられて、早速攻守交替。

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 攻守交代後は日体大クォーターバック(QB)#11小林が自らゴールラインに持ち込んで、第1クォーター(Q)残り9分24秒という早い時間にTDを奪われる。

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 しかし、結局両チームともパント合戦状態で、第2Q残り6分05秒で東大フィールドゴール(FG)で7対3にした。う~ん、ここまでは「何とかなるかな?」って感じだったんだけれどもね。

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 が、しかし第2Q残り2分19秒、日体大が40ヤード以上の長距離FGを決めて、10対3に。

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 第3Qは東大タイトエンド#82岸本のあわやTDかというところをタックルされて、ならず!

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 第3Q両チームとも得点できずに、第4Q残り10分40秒で日体大#45がゴールに持ち込んでTD。17対3に。

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 結局、そのまま試合は終了し東大WARRIORSはTOP8昇格はならず、来年もBIG8で戦うこととなった。

 ただし、昨日の試合っていままでの東大の戦い方とちょっと違うんだよね。

 これまでは#33RB宮山、#28荒井がゴリゴリ進んでファーストダウンを奪うというランオフェンス中心でBIG8の試合を戦ってきたんだが、どうも昨日の試合はパスオフェンスにこだわったいるような気がしてならなかった。確かにタイトエンドとかワイドレシーバーが育ってきているってのは分かっているが、なにもそれを入替戦で使わなくってもなあ。

 相手の日体大も東大とはそんなに力の差はないチームで、RBの#10北詰はゴリゴリ行くタイプで成功していたが、それ以外はパスもあまり成功しないし、それほど東大との差はない。まあ、やっぱりTOP8最下位チームはこんなものね、っていう程度のチームなのだ。

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 っていうことは、昨日の敗北はなんか作戦ミスって感じがする。

 アナライジングスタッフで負けたってところではないでしょうか。今まで通りに普通に戦っていれば勝っていたのかもしれない。

 まあ、結果が出てしまった試合に「もしも」はないんだけれどもね。

 ちなみに、TOP8第7位の明治大学と戦った、BIG8第2位の横浜国立大学だが、こちらも残念ながら12対13で負けて、やはり来年もBIG8で戦うことになった。12月5日のブログに「アメフト東大vs.拓大戦、東大以上に拓大の方が心配だなあ」と書いた拓殖大学は、昨日の第三試合で桜美林大学に負けて二部降格ということになってしまった。

 お互い、ファンとしてはいろいろ気をもみますな。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:15-6.3 APO HSM @Amino Vital Field Chofu ©tsunoken

2016年12月17日 (土)

京橋に新たなランドマーク

 日々刻々と変化を遂げる東京の街に新たなランドマークが現れた。

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 11月25日にオープンした「京橋エドグラン」だ。

 基本的に中央区指定有形文化財である「明治屋京橋ビル」を保存再生し、その周辺に超高層ビルを配した設計。明治屋京橋ビルはそのまま明治屋として営業を続けているので、まあ、ここが一番大きなショッピング・テナントという感じなのかもしれない。明治屋は多分地権者なんだとは思うけれどもね。

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 低層階には店舗が入り……

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 上の方にはオフィスが入る普通の構造。

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 ただし、公共スペースが沢山作られているのも、最近のビルの構造である。

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 日本土地建物、東京建物がジョイントベンチャーを組み、日建設計、清水建設が建築を行っている。

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 おっ、HONDAのMIRAIが展示されていますねぇ。

 と言っても、まあすぐ次に新しいランドマークができてしまうのが東京という街なんだけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Kyobashi Chuo ©tsunoken

2016年12月16日 (金)

世田谷ボロ市でボロは買えないよ

 毎年12月15・16日と1月15・16日には世田谷ボロ市が開催されます。

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 世田谷ボロ市は、当時関東地方を支配していた小田原城主北条氏政が、世田谷城主吉良氏朝の城下町である世田谷宿に、天正六年(1578)楽市を開いたというのが、そもそもの始まりで、野良着のつくろいや補強用にボロが盛んに売られたところからボロ市と名がついたというもの。

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 まあ、現代ではフリーマーケットなんだけれども、確かに古着や古道具などが売りに出されているし、こんな神棚を売る屋台とか……

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 小学校のPTAなんかも出店しているんだが……

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 メインの「ボロ市通り」(というのが世田谷通りの裏にあります)は、もうとにかく人また人で身動きもできず。

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 後ろの人から押されてやっとのことで歩けるという状態。

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 う~ん、こんな状態では売り物を吟味なんてしているどころではない。

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 なんか、ボロは買えずに、人込みだけを見に行ったような感じではあります。

 世田谷ボロ市は来年1月15・16日にも開催されます。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Boro Ichi Tori Ave. Setagaya ©tsunoken

2016年12月15日 (木)

赤穂義士③新橋から泉岳寺まで

 さて、浅野家上屋敷を過ぎた一行は、いよいよ新川を渡って新橋へ。

 で、ここ浜離宮庭園の前を過ぎたときが一番危なかったんだろうでははないだろうか。

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 なにしろ元々は将軍家の別邸浜御殿だった浜離宮庭園。言ってみれば、この行程で一番幕府の施設に近づいたわけなのだ。当然、警備は厳しかっただろうし、警備の兵によって捕らえられても仕方がない。

 が、それがなかったっていうのは、まあ幕府も多少は討ち入りには目をつぶっていたのかもしれない。まあ、吉良上野介が呉服橋の屋敷を召し上げられて、江戸郊外の本所松坂町に移り住む事になったということ自体が、幕府が討ち入りを暗に認めていたという考え方もあるのだ。

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 で、新橋からは昔の東海道、現在の国道15号線で高輪の泉岳寺まで行ったんだけれども、既にこの時間には世も明けていて、多分沿道には物見高い江戸町民が沢山出ていたんだろうな。その中を意気揚々と引き上げていく赤穂浪士たち。

 勿論、結果として死罪かよくて切腹を命じられることが前提の討ち入りではある。複雑な思いでいたことは事実だろうが。そうは言っても江戸町民からすれば英雄である。

 まあ、この辺は面白くないんで割愛。

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 泉岳寺に着いた一行は、泉岳寺の僧侶に迎えられて……

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 まず、浅野内匠頭の墓前に吉良の首を備えて焼香したということである。

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 内匠頭の墓のそばには義士たちの墓が並んでいる。

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 さすがに、12月に入ると参詣客が沢山いた。普段は静かなんですけれどもね。

 12月14日には「義士祭」も開かれていた。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Minato ©tsunoken

2016年12月14日 (水)

赤穂義士②両国橋は渡らなかったのに、なぜ永代橋を渡ったのか

 いよいよ本日は赤穂浪士47士の討ち入り当日です。

 さて、乳熊屋で休息をとった一行は、ここ永代橋から江戸市中へ入るわけですね。といっても江戸城がある場所ではなくて、渡った先は霊岸島という島。江戸からはまだ新川という堀を隔てています。

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 しかし、裏道をたどる一行の動きは変わらず、永代橋から大通りを通らずに、霊岸橋のそばまで来ると、左に折れて新川沿いを行きます。

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 相変わらず裏道ばっかりを行くのは、やはりご法度を犯した自覚なのか。

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 で、現在の聖路加国際病院のそばまで来ます。

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 で、聖路加国際大学の敷地の中にありました……

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 ここは元々浅野家の上屋敷があった場所。

 勿論、浅野内匠頭の所業によりお家はお取り潰し、屋敷も召し上げられてしまってはいますが、浅野家の家臣としてはやはりそれは悔しかったのでしょう。

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 で、元々浅野家の上屋敷前をわざわざ通ったということなのだと思う。

 まあ、もともとが仇討ちという行動自体が、内匠頭だけが切腹を命じられ、吉良上野介はお咎めなしという「片手落ち」の幕府の判断に対する抗議行動だったんですからね。

 一種の示威行動だったのかもしれない。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Chuo ©tsunoken

2016年12月13日 (火)

赤穂義士①なぜ彼らは両国橋を渡らなかったのか

 明日、12月14日は赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日であります。

 なので、今日から三日間、赤穂義士が討ち入りを終えて、泉岳寺まで歩いた通りに辿ってみたいと考えます。結構、距離があるんだよね。

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 見事、本懐を遂げた大石内蔵助と46名の仲間は吉良邸を後にして……

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 回向院と大徳院の間を通って、隅田川沿いに裏道を通って泉岳寺に向かうのだけれども、何故、すぐそばの両国橋を渡って江戸市中に入らなかったのか?

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 現在の一之橋を渡って……

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 芭蕉庵なんぞには目もくれずに……

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 萬年橋を渡り……

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 永代橋のそばまで来ると一休み。乳熊屋という味噌屋がたまたま上棟だったので、甘酒を義士たちにふるまったという。 義士の一人。大高源吾が乳熊屋の主人・竹口作兵衛と同じ俳人・其角の弟子だったということもあったそうだ。

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 で、最初のテーマ「なぜ、義士たちは両国橋を渡らなかったのか?」への答。

 やはり両国橋を渡ってしまうと、そのまま江戸城のそばを通らなければならなくなってしまい、「仇討ち」というご法度を犯した立場としては、江戸城のそばを通ることを避け、裏道ばかりを歩いたのだろう、ということ。まあ、そういうことだったんでしょうね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Sumida ©tsunoken

2016年12月12日 (月)

何となく小田原まで行ってしまった

 何となく、上野駅で上野東京ラインに乗ったら、小田原行きだったので、小田原に行ってきてしまった。

 Suicaで電車に乗っていると、切符を買わなくていいから、何となく電車に乗ってから行き先を決める、なんてことにもなってしまう。

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 白状します、実は私「乗り鉄」なんですね。電車に乗って車窓から外を眺めているのが好きってことなんですね。なので、この間長崎に行った時も、行きは鉄道で行ってきたんです。でも、さすがに長かった。

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 で、小田原に何があるのかって言えば、まあ小田原城ですね。ういろう屋さんもあります。ちなみに歌舞伎十八番の「外郎売(ういろううり)」は、名古屋のういろうじゃなくて、この小田原のういろう屋さんのことを指しているんですね。

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 以前、昼からお酒をいただいたうなぎ屋さんも健在でした。

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 で、駅前のひもの屋さんやかまぼこ屋さんは知っていたんだが……

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 駅からエスカレーターでそのまま下りられる地下商店街ができたんですね。階段で下りる地下道があったのは知っていたんだが、地下商店街までは知らなかった。

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 もうひとつ新発見はメガネスーパーの本社が小田原にあるってこと。

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 これは知らなかったなあ。

 まあ、たまにはいろいろなところに行かなくっちゃなあってところでしょうかね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Odawara ©tsunoken

2016年12月11日 (日)

『老いる家 崩れる街』よりも気になる超高層マンションの問題点

 私自身、マンション暮らしをしているので、マンションのメリット、デメリットは知っている。その立場からすると、やはりマンションの適正規模っていうのがあって、あまり大規模なマンションになってしまうといろいろな問題がおきてくる。

Photo 『老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路』(野澤千絵著/講談社現代新書/2016年12月1日刊)

『東京都では、1980年代後半頃から、超高層マンションの建設が増え始め、2013年までに550棟近くもの超高層マンションが建設されました。特に、湾岸6区には、都内の超高層マンション棟数の約6割が集中します』

『都心に比較的近い湾岸エリアなどでは、産業構造の変化に伴って、大規模な工場・港湾施設・倉庫・貨物ヤードなどの撤退や移転が増え、長期間、低・未利用地となったり、自治体が自ら開発主体として行ってきた広大な埋立地が、需要を見込めず手つかずのまま残っているという問題も懸案事項となっていました』

 そこで超高層マンションが大量に出始めたわけなんだけれども……

『不動産経済研究所の超高層マンション市場動向によれば、2015年以降に建設が計画されている東京都区部の超高層マンションは109棟(約5万戸)におよび、今後もつくり続けられることがわかります。ちなみに、東京都区部を除く首都圏では69棟(約2・7万戸)、近畿圏で38棟(約1・4万戸)、その他の地域では46棟(約1万戸)です』

『また、「東京オリンピック・パラリンピックによって資産価値が上がるのではないか」「相続税対策として有利になるのではないか」という期待感、さらには、外国人が日本の不動産への投資意欲を高めているといった不動産投資としてのメリットがあるからとも考えられています』

 まあ、問題はいろいろあって超高層マンションに住んでいる高層階、中層階、低層階の人たちの意識の問題なんかもあるんだけれども、それによるもっと大きな問題があるんだ。

『超高層マンションについては、一般のマンションに比べて、建物の上層階、中層階、下層階で、購入する所得階層が分かれていたり、世代・家族構成が多様なため、管理組合が、様々な事情を抱えた区分所有者同士の合意形成を行い、将来にわたってマンションの維持管理を行うことが果たしてできるのか、専門家の間でも疑問視する声が多いのです。そして、マンションの維持管理を管理会社に丸投げすると、ずさんな管理や場当たり的な修繕をされたり、新築時に分譲会社が設定した修繕積立金だけでは大規模修繕ができなくなると、資産価値が大幅に下落したり、最悪の場合、管理不全状態に陥る危険性さえ懸念されています』

『最終的に超高層マンションの寿命が尽きた時に、区分所有権を解消して解体するという合意形成ができるのか、その際の解体費用は捻出できるのかなど、一般的なマンションですら解決できていない分譲マンションの終末期問題が、超高層マンションではさらに大きくなってどうしようもなくなることも懸念されています』

 まずそれは無理でしょうね。じゃあ、どうやって合意形成を図るのかっていうと……、今のところそれに対する「解」はない、ってのが事実。

『超高層マンションの購入者には、ホテルライクな暮らしを買っているという意識が根強く、住民同士の関係性が希薄で、管理組合のような面倒なことには関わりたくない、あるいはマンションの維持管理などには無関心を決め込むという居住者が多いのが現状です』

 結果としてどうなるかと言えば……

『中古マンションというのは、基本的に需要と供給のバランスで成り立っており、(立地にもよりますが)在庫があふれている状況では、必然的に物件価格は下落します。そのため、同じエリア内に競合物件が多いと、一刻も早く現金化したいという売り主がいた場合、大幅な値引きに応じることになり、安売り競争が始まります。いったん、こうした物件価格の下落がおきると、これまでそのエリアの物件には手が出なかった購入者が増え、他のエリアにも物件価格の下落が連鎖していく、つまり住宅の資産価値の低下がまち全体に飛び火していくというリスクがあるのです』

 確かに、湾岸エリアっていうのは、実は池袋エリアとか六本木エリアなんかと違って、大規模地震の際の液状リスクがあるんですね。勿論、マンション自体は(多分)岩盤まで地下杭が行っているでしょうから問題はないとして、でも、周辺エリアが液状化で沈下しちゃうという、東日本大震災の時の浦安あたりの問題と同じ問題が出てくる可能性があるのだ。

 ということは、そんな危険地域のマンションは次第に値下がりが始まるのかな、ということ。

『実は、湾岸エリアでは、既に分譲マンションの売れ残りや値崩れが始まったともとれる指摘が、国土交通省から3ヵ月ごとに出される『主要都市の高度利用地地価動向報告』の最新版に記述されています』

 ざまあ見やがれ、ってことですかね、非超高層マンションの住民としてはね。

『今後、東京圏は相対的に貧しくなっていくと指摘しています。各地域の豊かさの指標となる地域別の一人当たりの県内総生産増減率を見ると、2025年以降、2つの地方圏は上昇していくのに対し、東京圏(埼玉県・千葉県・神奈川県を含む)は急速に低下していくと予測されています。これは、地方圏は東京圏より先に高齢化が進行しているため、高齢者は減少していきますが、東京圏は今後、高齢者が激増し、生産年齢人口(15歳以上65歳未満)が減少していくからです』

 まあ、結局はそうなっていくんだろうな。当然、日本の少子高齢化の関係が「一番最後にあらわれてくるのが東京圏」なんだから、東京オリンピック・パラリンピック以前と以後ではガラっと変わって、東京の地価はどんどん下がってて行くんだろう。

 ポイントは、建物っていうのは大きなマンションでも、小さなマンションでも、一戸建てでも、結局は立地なんですね。建っている場所ってこと。

 家を買うときは何を見て買えばいいのかって言えば、とにかく家が建っている場所なんですよ。

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『老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路』(野澤千絵著/講談社現代新書/2016年12月1日刊)

2016年12月10日 (土)

文京、小日向、鷺坂

 SUZUKIバレーノのテレビCMで気になる場所があった。

 あの狭くて急峻な坂はまるでポルトガルのリスボンかとも思ったのだが、いやいやどこかで見たことがあるよ。と、思って確認に行った。

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 ありましたねえ。場所は音羽一丁目から小日向台へ登っていく、「鷺坂」という坂なんです。

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『この坂上の高台は、徳川幕府の老中職をつとめた旧関宿藩主・久世大和守の下屋敷のあったところである。そのため地元の人は「久世山」と呼んで今でもなじんでいる。

 この久世山も大正以降は住宅地となり、堀口大学(詩人・仏文学者 1892~1981)やその父で外交官の堀口九万一(号長城)も居住した。この堀口大学や、近くに住んでいた詩人の三好達治、佐藤春夫らによって山城国の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名が、自然な響きをもって世人に受け入れられてきた。

 足元の石碑は、久世山会が昭和7年7月に建てたもので、揮毫は堀口九万一による。一面には万葉集からの引用で、他面にはその読み下しで「山城の久世の鷺坂神代より春ハ張りつつ秋は散りけり」とある。

 文学愛好家の発案になる「昭和の坂名」として異色な坂名といえる。』

 という文京区教育委員会の説明版がついている。

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 坂の途中から見た鷺坂。上がったところがV字型の急カーブ。

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 急カーブを上がったところから坂を見下ろす。

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 坂の上は低層マンションや一軒家がある超高級住宅地だ。

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 坂の途中のV字のところで少し待ったんだが、クルマは上がってきませんでしたね。ちょっと残念!

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Kohinata Bunkyo ©tsunen

 

2016年12月 9日 (金)

メディアであるという意識

 DeNAによるキュレーションサイト「WELQ」の閉鎖なんだけれども、まあ、基本的なことを言ってしまえば「自分のサイトがメディアである」という意識の欠如なんだろうな。

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Welq2 DeNAの公式サイトから

 本来であれば、自分の持っている情報伝達方法が「メディア」であるということは認識しているはずなんだけれども、どうもネット関連の人たちはあんまりそんな自覚がないようなんである。

 以前であれば、そういった情報発信側にまわりたかったらそういったメディア企業に就職して、社内で基本的にメディアとして情報発信側としての基本を学んでから仕事に入るっていうステップがあったんだけれども、インターネットのおかげで誰でも情報発信側に行けるようになってしまった。その辺が、情報発信側の「自分はメディアである」という意識の欠如につながってしまったんだろう。

 私のような個人ブログであっても、著作権とか情報の元ネタがどこにあるのかは明らかにしている。それは情報発信者としては当たり前のことなんだ。

 それが、DeNAではそういったことは無視して、勝手に他のサイトにアップされていた情報とか、投稿者からの情報を、その元ネタがどこにあるのか、あるいはその情報の信ぴょう性を確かめないで載っけちゃったんでしょう。

 これは完全に「メディア企業」としてはアウトですよね。

 まあ、多分DeNAはゲームがメインの会社なんで、メディア企業としての自覚は全くなかったんでしょう。でも、「まとめサイト」とか運営しちゃったらそれは完全にメディア企業と同じでしょう。でも、その意識はまったくなかったってんでしょうね。

『週刊現代』が「ここのお店は美味しいよ。でも、でもここは不味いよ」ってな記事を書くのとまったく同じことなんですよね。まあ、人によっては『週刊現代』なんて信じていないよっていう人もいるかもしれないんで、『朝日新聞』とか『日経新聞』とか言ってもいいですけれどもね(まあ、実態はそれほど変わっていない、ってのが私の実感なんでね)。要はちゃんとそのことを言う根拠を示せっていうことでしかないんだけれども、自分が取材したんじゃない限りは、それはできないもんね。

 基本的なことを言ってしまえば、まず「事実に即したことを語れ」っていうことなんだし、二次情報であれば、その元をたどって最初の情報源を突き止めよってことなんだけれども、実はそれはお金がかかることなんですよね。まあ、たいしたお金じゃないんだけれども、そのお金をケチッたってことでしょ。あるいは、そうしたメディアとしての常識もなかったのかな、DeNAは。

 まあ、南場智子さんも大変だとは思うけれども、これまでとは違う業態の方にいった以上は、それなりの業態のあり方を学んでいただかないとね。

 特に情報を扱う仕事をやる以上は、それなりの「常識」がないとダメなんですよね。

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NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Jizotori Toshima ©tsunoken

2016年12月 8日 (木)

等々力渓谷の冬

 等々力渓谷は国分寺崖線の一部である、なんていうと「えっ? なんで国分寺が等々力まで?」ってな気分になるんだけれども……

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「国分寺崖線は武蔵村山市緑が丘付近に始まり、西武拝島線と多摩都市モノレールの玉川上水駅付近を通り、JR中央線を国立駅の東側で横切り、国分寺市・小金井市と国立市・府中市の市境に沿って東に進む。さらに野川の北に沿いながら調布市に入って深大寺付近を通り、つつじヶ丘などの舌状台地を作りながら世田谷区の砧地域、玉川地域南部を通り、大田区の田園調布を経て同区の嶺町付近に至る。世田谷区の等々力渓谷は国分寺崖線の一部である」(Wikipedia)なんて説明を読むと納得できるのだ。

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 ただし、等々力渓谷を形作っている谷沢川は世田谷区桜丘あたりの湧水を水源とする短い川なのだ。

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 そんな等々力渓谷の冬を見に行った。

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 と言っても、もともと夏でも涼しい等々力渓谷あたりなので、夏と冬とでさほどの雰囲気の違いはない。

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 まあ、多少は木々が色づいているという位だろうか。

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 ここが谷沢川の河口。世田谷区玉堤あたり。

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 むしろ等々力不動尊の方が「冬らしい」って言えば冬らしい雰囲気だ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Todoroki Valley Setagaya ©tsunoken

 

2016年12月 7日 (水)

東急バス・東98系統

 東京の東の方とか、北の方とかに住んでいる方が、もしかして「等々力渓谷に行こう」なんてお考えになったら、オススメなのがこの「東急バス 東98系統 東京駅丸の内南口~等々力操車所」行きという路線なんですね。

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 勿論、それより早く行く方法はいくらでもあるんだけれども、早く行ければいいってもんじゃないでしょ。

 で、この「丸の内南口~等々力操車所」って路線、面白いんですよ。

 東京駅前を出発して、日比谷、霞が関の官庁街、虎ノ門ヒルズ等々を経由して、東京タワー前とか……

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 慶応大学前とか……

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 清正公前とか通って……

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 目黒駅前からは、ただひたすら目黒通りを南下します。

 でも、ここまでだけでも結構「東京見物」にはなるんですね。その後は、前にも取り上げた旧目黒競馬場前とか、今はない東京学芸大学前なんか通っていくんですね。

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 で、最後は等々力操車所前なんだけれども、もしかして等々力渓谷へ行きたいんだったら、終点のひとつ前の等々力停車場で降りましょう。

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 で、ここまで東京駅前から等々力まで1時間15分ほど。

 まあ、電車で来てしまえば、その半分位で着いてしまうんだろうけれども、でもそれは大半地下鉄だったり、大きな道路とは別のルートですよね。

 で、このバス旅(っていうほどのものでもないけれどもね)の方が、ゆっくり周りの景色を楽しみながら、同時に東京見物ってのも、たまにはいいじゃないですか。

 1時間以上かかってもね。

 で、等々力渓谷は? ってのは「明日のココロだぁ!」

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Several in Tokyo ©tsunoken

2016年12月 6日 (火)

横浜が近くなったので……

 私の住む文京区本駒込から横浜に行く方法はなんと5種類もある。JRで行く方法が2種類、東横線を使っていく方法が3種類なんだが。

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 まずJRで行く方法は、まず東京駅まわりで行く方法。方法は上野東京ラインでも京浜東北線でもいい。 もう一つは、池袋まで出て新宿、渋谷まわりの湘南新宿ラインを利用する方法だ。

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 東横線を使っていく方法は、まず池袋へ出て副都心線で渋谷まで、でそのまま東横線へ。

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 もう二つが、東京メトロ南北線で目黒経由、目黒線で日吉まで行って東横線を利用というコースと、都営地下鉄三田線で同じく目黒経由で、あとは南北線と同じ経路。

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 う~ん、ちょっと前までは渋谷乗り換え東横線か湘南新宿ライン、京浜東北線、あるいは東京駅乗り換え東海道線しかなかったんだから、随分便利になったものだ。

 おまけに帰りは上野東京ラインを利用すれば、横浜駅から家まで1時間足らずでついてしまうですね。

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 ということで、私も横浜へ行くことが多くなった。

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  まあ、別にもう一つの理由もあるんだけれどもね。

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 ということで、飽きもせず、相変わらず「85mmで街撮りスナップ in YOKOHAMA」でありました。ただし、今回は撮影モードがプログラム・モードなので、若干絞りが絞り込まれている関係で、浅草篇や銀座篇よりはボケ具合が強烈ではありません。

 まあ、この位がいいのかもしれないけれどもね。でも、絞り解放のボケっていうのも好きなんですよねえ。あの、周囲ボケボケってのがね。

NIKON DF AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Yokohama ©tsunoken

2016年12月 5日 (月)

アメフト東大vs.拓大戦、東大以上に拓大の方が心配だなあ

 昨日のアミノバイタルフィールドは第二試合が関東代表の早稲田大学対東北北海道代表の東北大学という東日本代表決定戦なので、甲子園ボウルのモニュメントが置かれていた。

 その第一戦が関東学生アメリカンフットボールリーグBIG8の東京大学ウォリーアズ対拓殖大学ラトルスネイクスという、実は全勝チーム対全敗チームの試合でありました。

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 東大のキックオフで始まったゲームなのだが……

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 拓大のキックオフリターンは20ヤード位しか戻せず、その後もQBサックやロスタックルの連続で、すぐにパントになってしまう。

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 ということで第1クォーター(Q)残り5分11秒、#13ワイドレシーバー瀬戸へのタッチダウン(TD)パスが決まり、トライフォーポイント(TFP)のキックも決まり早々に東大7点先取。

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 その後も拓大はほとんどファーストダウンが取れずにパントになってしまうのだが、第2Q、そのパントも東大#87中澤がブロック! 拓大のパントカバーチームは何をやっているんだろう。望遠レンズで覗いていると試合の全体像が見えないので、拓大のパントカバーチームが何をやっているか見えないのがもどかしい。

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 で結局、東大#52ディフェンスライン加藤にTDを献上という結果に。ディフェンスですよディフェンス!

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 この日の拓大は、ハーフラインを超えて敵陣に入ったのはこの第2Qでフィールドゴール(FG)を決めたシリーズのみという状態で、まったく攻撃になっていない。

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 結局、東大の7TD1FG、拓大が1FGのみという52対3という大差で終了したんだが、まあ、1年過ぎるとガラッと選手層が入れ替わってしまうという、学生スポーツではよくあることなんだが、今の拓大では2部との入替戦も心配になってしまうレベル。

 特に今年のBIG8では上位にいたはずの専修、帝京、拓殖の3チームがすべて2部との入替戦出場という異常事態になってしまった。

 東大はいよいよ12月17日TOP8第8位の日体大戦だ。面白いのはBIG8第2位が横浜国立大学でTOP8第7位の明治大との入替戦になる。BIG8第1位、第2位が両方とも国立大学という面白い入替戦になる。両校とも頑張ってほしい。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM @Amino Vital Field Chofu ©tsunoken

2016年12月 4日 (日)

日吉の悲哀を分かつものは……

 東海道新幹線に乗っていつも気になっていたことがある。

 神奈川県に入って武蔵小杉を過ぎた少し後に車窓の右側に慶応義塾大学の日吉キャンパスが山の上に見えてくる。その直後、トンネルに入ってしまうんだが、トンネルを出ると目に入ってくるのが「日大高・日大中」という建物の上に立てられた大きな看板。で、振り返るとそこからは慶応大学の日吉キャンパスがまだ見えているというシチュエーションなんですね。

 う~ん、何たるシチュエーション。まるで二つの大学の微妙な立場的な関係論を表しているようじゃないか。

 ということで、東横線日吉駅まで行ってきた。

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 日吉駅東口の正面はいきなり慶応大学日吉キャンパスだ。

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 西口に行ってみれば、「普通科通り」という、慶應の付属、塾高へ行く道がある。

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 で、日吉駅の前を走る綱島街道を歩いていると、どんどん道が下がってくる。そう、この辺りの綱島街道は慶応大学が山のてっぺんにあって、日吉駅の南北は結構急な下り坂。

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 で、その下り坂を下がり切ったところにあるのが「日大高校入口」という交差点。

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 で、そこを左に曲がって行くとあるんですね、「日大高校・日大中学」が。

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 そうそう、これが新幹線から見える看板。

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 しかしなあ、日大高校からは日吉駅行きのスクールバスが出ているし、坂を上がって歩いてくる日大高校生の姿も数多くある。

 彼らにしてみれば「日吉って慶應のための駅なんだよなあ。やっぱりなあ。」っていうのを毎日認識させられてしまう6年間の体験なのだ。本当はそうじゃないんだけれども、でも、慶應があるってのが日吉という町をブランド付けさせているっていうのも事実。周囲のマンションには「ここは日吉じゃないだろっ!」っていうところにも「〇〇〇〇日吉」っていうマンションが多い。

 う~ん、日大さん、ちょっと可哀そう。

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 いっそのこと、「日大高校・中学の最寄り駅は綱島です」ってアナウンスしちゃえば? スクールバスも日吉行きじゃなくて綱島行きにしちゃえば? 日大さん。

 えっ? まあ、確かに日吉の方がずっと近いのは分かるんですがね。 そこは見栄をはってさ。「日大は慶応の麓じゃない」ってさ。

 無理?

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Hiyoshi Yokohama ©tsunoken

2016年12月 3日 (土)

85mmで街撮りスナップ in 銀座

「85mmで街撮りスナップ」シリーズ、今日は銀座だ。

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 撮影モードは昨日と同じ、絞り優先で開放絞り。

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 三者三様って感じで面白い。この後、真ん中の女性は赤信号なのに道を渡ってきちゃったけどね。

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 いつもここに立っている托鉢僧。

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 なにやら一生懸命書き込んでいる三人。ちゃんと真ん中の女性にフォーカスがあってるでしょ。まあ、それが自慢じゃないけどね。

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 おや、珍しく男性の写真だ。っていうのも銀座写真の面白いところです。

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 家族連れ。

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 最後はISO感度を上げてビル内の撮影。

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 これでレンズの作例風写真はおしまい。明日からは普通の写真になると……思います。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Ginza Chuo ©tsunoken

2016年12月 2日 (金)

85mmで街撮りスナップ in 浅草

「85mmで街撮りスナップ」シリーズ、今回は浅草だ。

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 ただし、今回は撮影モードを絞り優先にして開放絞り。

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 つまり、ピント合わせにはかなりシビアなものが要求される。

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 しかし、うまくゆけばバックがはっきりボケていい味出していますな。

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 この設定で撮影すると女性がより美しく写るというのはいいですね。

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 ただし、失敗多し!

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NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Asakusa Taito ©tsunoken

2016年12月 1日 (木)

伊豆シャボテン動物公園に行ってきたゾ

 伊豆高原の大室山の隣にある、伊豆シャボテン動物公園に行ってきた。

 なんで伊豆シャボテン動物公園なのか? と言えば、先日カミさんがテレビニュースで伊豆シャボテン動物公園のカピバラが温泉につかっているのを見て「可愛い、見に行こう」って言ったからっていうだけのことですけれどもね。

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 ってことで、カピバラ公園じゃなかった、伊豆シャボテン動物公園へ。

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 確かにカピバラは可愛い。ただし、ぬいぐるみみたいなまあるい目はしていなくて細長い目をしているんだが、その方がかえって可愛いのであります。お土産コーナーで売っているぬいぐるみはあまり可愛くない。

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 が、げっ歯目というネズミの仲間では一番大きいというカピバラ。小さな子よりはずっと大きいんですね。子供もちょっと引き気味。

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 とは言うものの、皆食べ物をもらいたくて出てきているんだけれども、こんな風に黄昏ている奴もいるんですね。

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 それにしてもここ伊豆シャボテン動物公園って、ミーアキャットとか他の動物園にはあまりいない種類の動物が多いことと……

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 チンパンジーみたいに人を襲う可能性がある動物は別なんだけれども、そうじゃないおとなしい動物は皆放し飼いなんですね。これは面白い。

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 まあ、他の動物園にはあまりいないってことで言えば、このゴキブリ(の仲間)なんかは最高ですね。

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 普通、ゴキブリはいないよ、ゴキブリは。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Izu Shaboten & Animal Park Ito Shizuoka ©tsunoken

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