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2016年11月

2016年11月30日 (水)

85mmで街撮りスナップ

 85mmのレンズは本来はポートレイト用の中盤望遠レンズである。

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  が、意外とこの85mmレンズって街撮りスナップにも使えるのであります。

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 適度なボケ味が被写体を目立たせてくれるし。

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 レンズもコンパクトで気軽に街歩きで使えるし。

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 勿論、同じような効果は標準50mmでも絞りを開ければいいっていうことは分かってはいるんだが。

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 それを気楽に楽しめるのが85mmという焦点距離なんですね。

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 勿論、標準レンズ的な使い方もできる。

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 う~ん、この85mmで街撮りスナップって、ちょっとハマりそうだな。

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Yanaka Taito ©tsunoken

2016年11月29日 (火)

『さらば白人国家アメリカ』はトランプ大統領を予言したのか?

 本書は2012年12月から2016年8月までのウェブマガジン「クーリエ・ジャポン」に連載していた「USニュースの番犬」を加筆しまとめたもの。

 ということは、その当時から町山氏は「トランプが民主党のヒラリーとの本選に勝てるとは思えない」と書きながらも、どこかでドナルド・トランプがアメリカ大統領選で当選する可能性を見ていたのだろうか。つまり、アメリカに蔓延しているポピュリズムってことなんだけれどもね。

Photo_2 『さらば白人国家アメリカ』(町山智浩著/講談社/2016年11月1日刊)

 つい先頃のアメリカ大統領選でのディベートは史上最低のディベートだった。ヒラリー・クリントンもドナルド・トランプも自らの政策については全く語らずに相手の失策や悪罵の言い合いに終始し、これではまったく大統領選の論戦になっていないじゃないかと、ここ日本でこの論戦を見ていた私たちまでがっかりしてしまった。

 あの民主主義と資本主義の先生であるはずのアメリカはどこに行ってしまったんだろうか。

『トランプの政策は独特だ。移民取り締まりと銃の所持の自由については、他の候補よりも過激に主張した』

『オバマ大統領が実現した国民皆保険制度を、共和党は撤廃することを党是としているが、トランプは「もっと自由で安い国民皆保険制度にする」と提言した。これはトランプのほうが現実的だ。オバマケアのおかげでやっと保険に入れた貧困層から再び保険を取り上げたら、共和党は二度と政権を取れないだろう』

『メディケア(高齢者向け医療補助)とソーシャル・セキュリティ(社会保障、いわゆる年金制度)。共和党はこれを連邦政府が税金で運営するのではなく、民営化しようとしている。それは国家の義務である国民の福祉の放棄だ。トランプは、この二つについては「手をつけない」と明言した。一般の庶民が必要としているからだ』

『トランプはウォール街にも規制が必要だと言っているし、自由貿易にも反対している。特に、カナダとメキシコとの自由貿易圏を作ったNAFTA(北米自由貿易協定)を激しく攻撃している』

『ブルーカラーは共和党の政策でどんどん生活が苦しくなったが、それでも、共和党に投票し続けた。減少する一方の白人とキリスト教徒と銃を持つ自由を守ってくれると約束してくれたからだ』

 トランプはニューディール政策にも似た公共投資も公約している。なんだ、それは民主党の政策じゃないか。

『トランプはエスタブリッシュメントこそが敵なのだとブルーカラーの人々を目覚めさせた』

 というのはいいけど、結局それは何も約束していないのと同じなんだよな。

『ニクソン以降の共和党は「世界の警察」として外国に積極的に軍事介入してきたが、トランプは日本や韓国やNATOを守ってやる必要はないという。日本に対して貿易赤字があるのに、なぜアメリカの税金で日本を守ってやるのだ? と。それは南部や中西部に住む庶民の感覚に近い。彼らは軍隊に入らない限り、一生外国に行くことはない。なにしろパスポートの所有率が20%しかないのだ。国際安全保障の必要性など感覚的に理解できない』

 そうかアメリカの国民はパスポートの所有率が20%しかないのか。まあ、確かにアメリカから団体旅行で日本に来ている連中なんか見ていると、まず日本語をしゃべろうとしないばかりか、英語(米語)が世界中で通用する言語だった思っている連中ばっかりなのだ。彼らにとっては「アメリカン・スタンダードがワールド・スタンダードだ」ということなんだなあ。まあ、アメリカの野球の選手権を「ワールド・シリーズ」って言っちゃう連中なんだもんな。

 つまり、こうしたトランプの姿勢は『あくまで白人ブルーカラーに迎合しているだけで、トランプ自身は何も真剣に信じていない』っていうだけで、もっと怖いのは……

『トランプはさらに5000万ドルをつぎ込んでプラザを改装したが、90年代前半は世界的に景気が悪く、プラザの経営も赤字が続いて破綻し、95年に買値より安い3億ドルで手放すことになった。
 つまずきは続いた。ニュージャージーのフットボール・チームを所有して、NFL(全米で最上位のプロアメリカンフットボールリーグ)と対抗するアメフトリーグを作ろうとしたが失敗。トランプシャトルという飛行機会社を設立して失敗。ニュージャージー州のカジノの街、アトランティック・シティでカジノ・ホテルを開いて失敗。こうしてトランプの会社は94年前後に4回も破産した。
 もちろん破産したので、負債は払っていない。それを指摘されたトランプは「自己破産という法律があるから、それを利用しただけだ」と開き直っている。だからトランプが大統領になると危険だといわれている。何度も借金を踏み倒しているから、それを国家規模でやるんじゃないかということだ 』

 う~ん、オバマ政権の時にもアメリカ国債がデフォルトの危機に陥ったことがあるが、今度は本当にデフォルトさせてしまうかもしれない。

『共和党の他の候補者たちは、トランプの政策に整合性がなくてデタラメだと批判したが、有権者の多くは細かい政策の良し悪しはわからない。ただ、「白人ブルーカラーの味方かどうか」だけが問題なのだ。そのように人種や民族など属性だけにアピールする政治をアイデンティテイ・ポリティックスと呼ぶ』

 アイデンティティ・ポリティクスなのかどうかは分からないが、確実にポピュリズムの方向へ向かってアメリカは進んでいくだろうし、共和党のエスタブリッシュメントがトランプを抑えようとしても、トランプを支持したアメリカの大衆がそれを阻止するだろう。

 最早「アメリカにつける薬はない」というような状態で、このまま世界の大田舎者国家アメリカが、優秀な指導者を失ってしまって、内に籠る国になったしまうんだろうなあ。

 ただし、第二次世界大戦より前の時代のアメリカは、かの「モンロー主義」の国であったし、外国に干渉しない代わりに、外国からも干渉されない国として運営されていた。その内、イギリスやフランス、ドイツといった大国からの影響を受けて、いつまでも一国主義ではいられないとなって、第二次世界大戦からは積極的に外国と関わってくるようになり、第二次世界大戦が終わってみれば、その過剰な外国との関りが逆に相手国から「干渉しすぎ」ってな反発を受けるようにもなったわけだ。

 そんな意味では、トランプが大統領になるアメリカは、言ってみれば第二次世界大戦前のアメリカに戻っただけ、とも言えないこともないが……、じゃあ今度は第三次世界大戦がおきるのか? といった懸念もないわけじゃない。

『さらば白人国家アメリカ』(町山智浩著/講談社/2016年11月1日刊)

2016年11月28日 (月)

旧中山道ヒューマンウォッチング②板橋宿篇

 地蔵通りを抜けると少し人通りの少ない滝野川銀座に至り、埼京線板橋駅付近からは板橋宿が始まる。

 板橋宿は江戸からみると平尾宿、仲宿、上宿の三宿から出来ていて、板橋駅付近から今の国道17号線をわたるあたりまでが平尾宿。

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 今の仲宿商店街の辺りが仲宿。

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 まあ、仲宿あたりからは普通の商店街になるので、地蔵通りみたいな観光客はいなくて、普通の街のお母さんたちばっかりになります。

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 石神井川にかかる「板橋」(現在はコンクリート造りだが、昔は板橋だった)から先が上宿だった。まあ、京都に近い方が「上」だったわけですね。

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 ということで、今日も単純なヒューマンウォッチングということで、お後がよろしいようで。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Itabashi Itabashi ©tsunoken

2016年11月27日 (日)

旧中山道ヒューマンウォッチング①地蔵通り篇

 巣鴨の地蔵通りを経て、掘割で明治通りを渡り、滝野川銀座、埼京線板橋駅前を通り、板橋宿を抜けて、最後は都営地下鉄三田線本蓮沼へ至る道は、旧中山道であり、私の散歩道でもある。

 で、その日の写真撮影テーマが見つからない日には、そんな人通りの多いところに出て「ヒューマンウォッチング」ってわけですね。これならテーマはいらない。ただただ、目立った人を撮影するだけ。

 ってことで、写真を眺めてください。

 今日は特に説明は入れません。

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 ってことで、なんか明日もノンテーマでいきそうだなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Sugamo Toshima ©tsunoken

2016年11月26日 (土)

昔「玉ノ井」今「東向島」昭和は遠くなりにけり

 昔、足立区西新井に住んでいた時は、この東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の「東向島駅」は「玉ノ井駅」だった。それがある日、玉ノ井駅の前を通ってみたら駅の名前が変わっているではないか! というのが最初の「びっくり」。まあ、今でも東向島駅の脇には「旧玉ノ井」という標示があります。

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 この東向島駅には東武博物館なんてのがあって、昔の東武線の電車や資料、ジオラマなんてのがあって面白い。

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 で、玉ノ井なんだけれども、「玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られる」(Wikipedia)ということ。

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 もともと、「玉ノ井」という地名は昔この辺りにあった字(あざ)だったらしく、もともとの町名ではない。なので、「玉ノ井」という地名を探しても出てこない。

 でも、こんな「玉の井町会々館」なんてのがあったり……

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「玉ノ井カフェ」なんてのがあったり(まあ、これは玉ノ井がなくなってから作られたんだろけれども)……

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 東向島駅からの商店街には「玉の井いろは通り」っていう名前は残っているんですね。

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 もともとこの駅は1902年(明治35年)に「白髭駅」という名前で開業し、一度廃業した後1924年(大正13年)「玉ノ井駅」で再開業。それが1987年(昭和62年)に「東向島駅」に改称したという歴史がある。

 ああそうか、だから私が「玉ノ井」から「東向島」に変わったタイミングは知らなかったんだな。

 多分、駅周辺住民の意向なんかがあって、「元々玉ノ井っていう地名はなくて、玉ノ井遊郭っていう私娼街があったんで玉ノ井っていうだけなんだから、本来の住所に基づいて『東向島』にしよう。娼婦の街という印象をなくそう」なんて運動があったのかもしれない。実は、第二次世界大戦でこの辺りは爆撃されて、街はなくなってしまい、私娼街は近所の「鳩の街」の方に移っちゃったんだけれどもね。

 東武鉄道や商店街の人々にとっては新住民の意向とは別に、「玉ノ井」っていう呼び方も好きだったので、商店街の名前や、駅に「旧玉ノ井」って示しておきたかったのかな。

 私も「東向島」っていうよりは「玉ノ井」の方がイメージしやすいんだけれども。まあ、それも昭和の感傷でしょうね。

 町の呼び方はどんどん変わるんだ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Higashi Mukojima Sumida ©tsunoken

2016年11月25日 (金)

新宿区 箱根山って知ってた?

 早稲田大学から夏目坂を上がって大久保方面へ行くと戸山ハイツというアパートがある。

 その戸山ハイツを歩いていると突然こんな看板に出くわします。

「箱根山 登山口 ようこそ箱根山へ」

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 で、登山口から上がっていくと……

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「箱根山」っていう陸軍戸山学校の碑がある。

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 更に頂上まで登っていく道を上ると。

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 頂上には三角点があり、「標高44.6m」という標示が。山手線内では最高峰ってわけです。

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 頂上から周囲を見渡しても、まあ、それほど眺めはよくない。まあ、44.6mですからね。

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 戸山ハイツから見た箱根山なんだが、まあ木が生えているだけで、山があるのかどうかはわからない。

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 箱根山がある場所は、「江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であった。2代藩主徳川光友により、回遊式庭園「戸山山荘」として整備され、敷地内には箱根山に見立てた築山の玉円峰(現在の箱根山)、東海道の小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられた」(Wikipedia)。

 ということで、特に小田原宿を模した町並みはあたかも東海道五十三次のようで、町民にも公開されたそれは特に人気があったようだ。まあ、現代のハウステンボスみたいなテーマパークの一種だったんだろうな。

『お江戸超低山さんぽ』(中村みつお著/書肆侃侃房/2007年12月10日刊)

2016年11月24日 (木)

二の酉は巣鴨大鳥神社へ

 昨日は二の酉の日だった。

 一の酉(11月11日)の日は大学時代の悪友との毎年恒例の温泉旅行の日なのでお酉さまには行けなかったので、昨日、行って昨年の熊手を収めに行ってきたっていう訳。

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 と言っても、、別に浅草の鷲神社じゃなくて、行ってきたのは巣鴨の大鳥神社なんですね。まあ、この辺が下町のいいところで、別に浅草まで行かなくても、近所の神社にちゃんといろいろな神様がいて、結構、地元でちゃんとした季節の行事が行われてしまうってところなんですね。

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 んで、こんな感じの大鳥神社前商店街をやっとのことで抜けると、大鳥神社前までに至るわけです。

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 巣鴨大鳥神社は浅草の鷲神社みたいに広くない、まあこのへんの鎮守様みたいな神社なんで、参道(たって数メートルしかない)の両側には熊手売りのお店が出ていて更に参道は狭くなっていて、なかなか前へ進めない。

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 で、何とか神社前まで進んで5円+αをお賽銭として投げ入れて、「二礼二拍一礼」。

 その後は、今年の熊手を納めて、新たに来年用の熊手をいただくんですね。まあ、これは買うんではなくて、あくまでも「いたただく」そのために「千円を納める」ですね。

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 ってなことで、今年私がいただいてきた熊手です。

 まあ、別に今年商売をやるつもりはないんで、こんな一番小さな熊手でいいんです。

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 まあ、お福さんもかわいいからいいんじゃないですかね。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm g 1:2.8 @Sugamo Toshima ©tsunoken

2016年11月23日 (水)

立会川 坂本龍馬 浜川砲台

「立会川 坂本龍馬 浜川砲台」と言っても別に三題噺ではない。

 旧東海道品川宿をずっと南下して、立会川を渡る手前が京浜急行立会川駅。

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 その駅前に展開する立会川繁栄会商店街なんだけれども、その商店街の小さな公園に突然、二十歳の坂本龍馬像という銅像が建っている。

 えーっ? 何で、江戸に坂本龍馬像が? ってところなんだけれども。

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 立会川は浜川という名前で江戸湾に注いでいたが、その河口辺りに土佐藩鮫洲抱屋敷というのがあったそうだ。つまり、ここ浜川河口は土佐藩が藩から江戸藩邸に送る荷物を陸揚げしていた場所。まあ、土佐藩専用の港みたいなものだったそうだ。

 立会川をちょっと上って国道15号線の反対側には土佐藩下屋敷なんかもあった。

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 1854年1月、ペリーの二度目の来日に備え、土佐藩が幕府に願い出て急遽造ったのが、浜川砲台である。

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 浜川砲台には八門の大砲が供えられていたが、その内最大の「六貫目ホーイッスル砲」というのが復元されて浜川砲台に安置されている。

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 で、その浜川砲台には佐久間象山塾で砲術を学んでいた坂本龍馬も、当然参加していた訳だ。

 その経験は坂本龍馬が初めて外国の文化と接触した機会でもあった。

 ということで、見事三題噺は繋がったんであります。あれっ? やっぱり三題噺?

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 この復元事業を中心として担った品川龍馬会と復元事業への協力者の名前が銘板に記されている。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Higashi Oi Shinagawa ©tsunoken

2016年11月22日 (火)

『古内くん、社会学を学び直しなさい!!』っていったって、学び直す気なんてないくせに

 フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』でなんか評論家風に発言している古市氏、それを自分でも反省したのかどうか、で、こんな本を書いたのだろう……、かな?

Photo 『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』(古市憲寿著/光文社新書/2016年10月20日紙版刊・2016年10月21日電子版刊)

 で、「社会学を学び直す」ための講師は12名。以下の12人と、そのテーマがコチラ。

小熊英二先生に「日本の社会学」を聞く!
佐藤俊樹先生に「社会学の考え方」を聞く!
上野千鶴子先生に「社会学の使い方」を聞く!
仁平典宏先生に「社会学の規範」を聞く!
宮台真司先生に「社会学の衰退」を聞く!
大澤真幸先生に「社会学のチャレンジ」を聞く!
山田昌弘先生に「家族社会学から見た日本」を聞く!
鈴木謙介先生に「パブリック社会学の役割」を聞く!
橋爪大三郎先生に「社会とは何か」を聞く!
吉川徹先生に「計量社会学とは何か」を聞く!
本田由紀先生に「教育社会学とは何か」を聞く!
開沼博先生に「社会学の将来」を聞く!

 う~ん、でもそもそも社会学っていうものがよくわからない。

 中央大学には樺俊雄さんっていう教授がいて、社会学を教えていたんだが、樺氏の基本にあるのは哲学なのだ。う~ん、哲学っていうのも捉えどころがない学問なんだが、それはやっぱり社会学も同じってことなんでしょうかね。私も中央大学に入学して最初の頃、樺俊雄氏の講義を受けたんだが、実はそれは社会学に興味があったという訳ではなく、60年安保闘争で亡くなった樺美智子さんのお父さんってどんな人なんだろう、っていう興味からだったので、別にその講義を受けて社会学をやろうとは思わなかった。っていうより、その当時(1970年頃)はまだまだ社会学ってなんなのかよくわからない学問分野だったのだ。

 経済学、法律学、政治学なんてのは学問分野がはっきり確立していて、「何を研究する学問なのか」がすごくハッキリしている。それに比べて社会学ってのはその「何を研究する学問なのか」が実にいい加減で、言ってみれば「何を研究してもいい学問分野」という感じなんだろうか。なんか「社会学をやっています」って聞くと、「ああ、なんかフィールドワークみたいなものをやっているのね」っていうことだけは分かるのだけれども、じゃあそのフィールドワークで何をやっているのかがまったく分からない。まあ、そんな学問だったんですね。当時の捉え方では。

 経済学では古典派経済学ってのがあって、それに対抗してマルクス経済学や近代経済学が勃興して、更に近代経済学もケインズ経済学やら新古典派経済学やら、新自由主義経済学なってのも登場したんだが、まあ、それだけ「〇〇経済学派」っていう位にハッキリと分野が確立していたわけだ。

 ちなみに私が専攻したのがマルサス経済学を基本にした人口経済学で、私が学んでいた頃は、ちょうどローマクラブが『成長の限界』って本を出した頃で、「世界人口の爆発的な増加に対して食料や燃料の供給が危機に瀕している」という論調が蔓延していた時期だったのであります。まあ、それが今では先進国での人口減少が問題となっていて、それでも豊かな先進国と貧しい発展途上国の間の「富の偏在」ということが問題となっている。う~ん、40年経つとそれだけ環境は変化しているんだなあ。

 という位、例えば経済学でいえばそれだけ専門分野がそれぞれ確立していて、それぞれの分野でそれぞれの研究が行われているわけだ。それが社会学っていうと、なんか一括りにされて「社会学」……、って何だそれはってな感じなんですね。

『僕らの年代からすると、むしろ九〇年代というのは社会学が変わり始めた時期のように感じます。それより前の時代は、カール・マルクスとタルコット・パーソンズが東と西の二大巨頭でした』(小熊英二氏)

 って言われちゃうと、「えっ? えっ? なんで社会学でカール・マルクス? って感じになっちゃうんだけれども

『一八世紀末にフランス革命が起こってから、そのあと約一三〇年間にわたって、「啓蒙思想」は意図せざる帰結が展開します。端的に言えば、一八世紀の「啓蒙思想」の時代が終わると、「反啓蒙思想」の時代がやってくるんですね。
 最初に出てくるのがエドマンド・バークの「保守主義」で、次に出てくるのが、バクーニンとクロポトキンの「無政府主義」、次がマルクス・エンゲルスの「共産主義」、そしていちばん最後がデュルケム流の「社会学主義」になり――というような解き起こしから始まるのが長いほうの説明です(笑)』(宮台真司氏)

 ああそうか、昔は社会学的な「ものの見方」ってのがなかったんで、取り敢えず「社会と一番密接にかかわっている『私たちの生活』ってことから」経済を見てみると社会が見えてくるって感じだったんですかね。

『「社会学って何ですか?」
 あなたが「社会学者」を名乗る人や、「社会学」を専攻している人に出会ったら、そう聞いてみるのがいい。なぜなら、彼らの多くは狼狽したり、言葉を濁したりするだろうから。それくらい「社会学者」にとって、「社会学」を説明するのは難しい』

 という問いかけに始まり

『僕は様々な「社会学」があっていいと信じている。ある人気クリエイターが「〝にわか〟を許さない業界は滅びる」と言っていた。同感だ』

『デビュー前の志望者を大量に抱える業界は、人材の再生産もされやすい。スターの活躍を見て、次世代の優秀な人材が集まってくるからだ』

 で締める本書。

 まあ、別に古市くんが「評論家」と呼ばれようが、何と呼ばれようがいいってことなんだと思う。だから、別に人に何と言われようが自由に勝手に自分の興味の世界で生きていればいいっていうことを書きたかったんだろうな。

『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』(古市憲寿著/光文社新書/2016年10月20日紙版刊・2016年10月21日電子版刊)

2016年11月21日 (月)

東大WARRIORS快勝! でも、心配なこと

 5勝0敗の東大WARRIORSと2勝3敗の帝京大ASSASSINSのアメフトの試合が昨日行われた。まあ、最初から東大が勝つだろうという戦前の予想ではあったが、しかし、昨年の同ゲームでは10対7で帝京大が勝っているし、結構トリックプレイの上手な帝京大には要注意だ。

 試合は帝京大のキックオフ、東大のレシーブで始まった、東大2ndシリーズ目、ランニングバック(RB)#28荒井が敵陣ゴール2ヤードまで攻めると。

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 キッチリRB#33宮山が第1クォーター(Q)残り5分33秒にタッチダウン(TD)して先制のゴール。その後のトライフォーポイント(TFP)も決めて7対0に。

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 ところがその後は両チームともゼロ得点で、7対0のまま前半戦を終える。

 第3Qは東大のキックオフから。ここもやっぱり#28荒井がゴール寸前まで持ち込む。

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 そこでクォーターバック(QB)#14荒川が自ら持ち込んでゴール。TFPも決めて14対0。

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 第4Qファーストプレイは帝京大のショートパス。これをデフェンスバック(DB)#80三宅がインターセプト!

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 続くオフェンスは反則が続きちょっともどかしい展開となるが、最後はRB#21関野が走りこんで、TFPも決めて21対0.

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 その後の守備は帝京大の4thダウンギャンブルをインターセプトして攻撃権を得る。

 最後はQB#14荒川のTDで27対0に。

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 最後は試合時間残り3秒まで持ち込んで、キッカー#20鎌形がフィールドゴールを決めて30対0で終了。

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 30対0というと楽勝のように見えるが、できれば前半にもう1TDして2ポゼッション差でもって後半戦に入れればもっと精神的に楽な展開になったのに、という点と、オフェンス側で問題は#33RB宮山のTDが仲間の反則(それもパーソナル・ファウル=罰退距離が10ヤードとか15ヤードと長い)で2回も帳消しになったことが、ちょっと気になる。

 まあ、昨日の結果を受けてBIG8第一位は決定したのだが、問題は12月17日に行われるチャレンジマッチ(入れ替え戦)だ。BIG8一位の東大はTOP8最下位の日体大と試合をすることになるのだが、 今のままのオフェンスではTOP8のいやらしい守備に負けてしまいそうだ。

 その辺の調整が今からの急務なのではないだろうか。ディフェンス陣の更なる強化と、オフェンス陣の取りこぼしのない攻撃だな。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM @Amino Vital Field Chofu ©tsunoken

2016年11月20日 (日)

ロバート・フランク! ロバート・フランク! ロバート・フランク!

 1955年、グッゲンハイム財団の奨学金を得て、アメリカ全土の撮影旅行に出たスイス生まれのロバート・フランクは、中古の自動車を買って、約2年間の旅で撮影した写真を編集し、写真集「THE AMERICANS」として発表した。

 その膨大な「普通のアメリカ人」たちの写真には私も圧倒されたし、同じように「どこにでもいるような人々の写真」の集積に圧倒された日本人も多かったということなのだ。

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 そのロバート・フランクの写真展が「Robert Frank : Books and Films, 1947-2016 in Tokyo」として東京藝術大学美術館付属の陳列館で開催中だ。

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 面白いのは、今回の写真展のキュレーターを務めた、ドイツの出版者ゲルハルト・シュタイデル氏が、すべてのフランクの写真を印画紙ではなくて新聞用紙にプリントして持ってきているっていうこと。

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 つまり、ロバート・フランクとしては自分の作品が「芸術」として公開されることを拒否し、まさしく新聞掲載写真のような「事件の報告」として公開されることを希望したんじゃないだろうか。

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 それはそれで写真家としての真っ当なスタイルである。まあ、私も「写真は芸術じゃない」という考え方なんだが、写真家として功成り名遂げた人がそういう考え方をするというのも、面白い。

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 まあ、こうやって1958年に発表した「THE AMERICANS」以降の全写真集が天井からブラ下げられて展示ってのも面白い。

 しかし、これで全写真集っていうのも少ないなあ。まあ、日本の場合「写真集」として消費される写真が多いのに比して、写真が絵のように一枚一枚売れるヨーロッパやアメリカとの違いなんだけれどもね。

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「Robert Frank : Books and Films, 1947-2016 in Tokyo」は11月24日まで、東京藝術大学美術館陳列館で公開中。入場無料。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Tokyo University of the Arts Ueno Taito ©tsunoken

2016年11月19日 (土)

今日から六義園「紅葉と大名庭園のライトアップ」開催

 今日から12月7日まで、六義園の冬の名物「紅葉と大名庭園のライトアップ」が開催されます。春の「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」に引き続き、年に二度のイベントです。

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 とは言うものの、今日は雨だしあまり人出はないかも。

 更にこの時期の夜は相当寒くなるので、温かい服を着ておいでませ。

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 普段は日曜日以外は閉まっている、駒込駅に近い方の「染井門」も開いてます。

 ウチのマンションの屋上からも見下ろせますが、ご希望の方はウィークデイは前日まで、週末は金曜日までにご連絡ください。

 ただし、あくまでも「ライトアップ」なので、上から見下ろしても、意外と面白くないんだよね。これは春の「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」も同じ。

 要は、「ライトアップ」である以上、下から「アップ」でみたイメージが良いということで考えられているからなんですね。確かに「ライトアップ」をされている木をみても「上から目線」ではあまり面白くないわけですよね。

 

 

Inter BEE③拾いネタ

 Inter BEE がいくら映像関係の展示会だとはいっても、やっぱりカール・ツァイスやニコンはテレビカメラやシネマカメラを作っていないから、どちらかというと脇役なんだなあ。まあ、ツァイスはシネカメラ用のレンズを出しているから、まだアリフレックスと一緒の展示にはなっているんだが……

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 ニコンはシネカメラ用のレンズも作ってはいないので(OEMで作っているのかもしれないが)ブースとしては、「別に出展しなくてもいいのでは?」的なブースしか出していない。

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 でも、まあこんなニコンブースみても、まあ面白くない。

 面白いのは、こんなブースですよ。まさしく「拾いネタ」的ブース。

「箱馬」っていうのは、多分、商品名だろう。いわゆる「便箱(べんばこ)」とか「箱便(ばこべん)」って現場では呼ばれている、実は単なる木箱であります。でも、中に何も入れられない、外側だけの単なる「箱」。

 セットを組む裏に積まれて使われたり、撮影の場合の足場に使ったりなんかの、いろいろな目的に使える「便利な箱」なので「便箱」と呼ばれたり、それを業界用語で逆転して「箱便」なんて呼び方をするんだけれども、まあ、超デジタルな機材を使いながらも、現場では逆に超アナログで撮影してるんですね。

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 これも同じ。ドリーやデジタル制御のクレーンもいいんだけれども、結局はレールを敷いた移動撮影やこんな簡単レールの移動撮影ってのが、結構現場では重宝されているんですよ。

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 なんて思ってみていたら、「えっ? なんでエアバス社が?」ってな感じですね。まあ、エアバス社のヘリコプターを撮影用に購入してもらおうっていうブースなんですけれどもね。ああ、そうかそういう売り込みもあるんだよな。

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 でも、やっぱり最後は、初日のレポートでも載せた「ロケ弁グランプリ」ですよね。

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 結局、撮影現場は「人」でできているんだよなあ。

 昔、ある撮影現場で起きた話で、製作費が困窮し始めて、ロケ弁を神楽坂の五十番、500円肉まん1個にしちゃって現場から猛烈な顰蹙をかった製作担当がいたそうだ(幸い、私ではない)が、まあ、それだけ「食い物の恨みは恐ろしい」ってことで、撮影現場のスタッフは基本肉体労働者、なので「ものを食わせなければ働かない人たち」なんでありますね。

 要は撮影現場では基本「アナログ」なんであります。

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Inter BEE は今日まで幕張メッセで開催中。公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Makuhari Messe Chiba ©tsunoken

2016年11月18日 (金)

Inter BEE② ますます存在感を増すBlackmagic Design

 Inter BEE で一番存在感を示しつつあるのが、オーストラリアにあるBlackmagic Design であろう。ただし、展示は日本のソニーやパナソニックのように派手ではない。

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 2012年のInter BEE で初めてキャノンEFマウントを採用した Blackmagic Digital Cinema Camera を発表したブラックマジックデザインであるが、当時はレンズを除くと「お弁当箱」みたいなデザインのシンプルさに、皆びっくりしていた。

 ただし、その頃のブラックマジックデザインのデジタルシネマカメラは大体が1Kか2Kの出力で、値段も10万円ちょっとという感じだったので、どちらかというとハイエンド・アマチュア向けのデジタルシネマ・カメラメーカーなのかなというイメージだった。

 そのイメージに近いのがこのBlackmagic Micro Cinema Camera というもので、これまたちょっとユニークなデザイン。お値段も102,800円とアマチュアでも手が出る値段だ。

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 でも2014年になるとBlackmagic URSA とかBlackmagic URSA Mini なんかの4Kカメラを発表すると……

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 こんな感じの普通の「縦長」のデザインになる。

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 つまりこれはプロ仕様のカメラになると、カメラを使うオペレーターが複数の人数になり、カメラマンとオペレーターがカメラを挟んで両側で操作しなければならなくなる。と、当然こんな感じの普通のシネマカメラの形になるのだ。

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 何となく、デジタルシネマカメラを発表して日本に乗り込んできたブラックマジックデザインなので、我々はカメラメーカーかなというイメージを持ってしまうのだが、元々はコンソールやポストプロダクションの会社なのだ。

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 そういえば、私の所にもブラックマジックから時々メールが来るのだが、ほとんどはポストプロのテクニック講座なんかの案内だ。

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 プロ仕様の総合映像・音響メーカーとして益々存在感を高めてきているBlackmagic Designなのであった。

Inter BEE 2016 は11月19日まで幕張メッセで開催中。公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm D @Makuhari Messe Chiba ©tsunoken

2016年11月17日 (木)

Inter BEE 2016 開幕!

 Inter BEE (国際放送機器展)2016 が昨日から始まった。

 私が一年間で一番楽しみにしているイベントがコレ。

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 CEATECという一般向けの新製品展示会には不参加のソニーもInter BEE には積極的に参加している。

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 勿論、メインの製品展示はビデオカメラや、デジタルシネマカメラ、それを中心とした映像機器と音響機器。

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 こんなモデルさんを配してカメラを使わせたりしているんですね。

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 最早、4Kや8Kが当たり前のテレビカメラの世界なので、映画(デジタルシネマ)とテレビ(デジタルカメラ)の境目がなくなってしまっている。

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 なので、アリフレックス(NAC)のブースでも、昨年までは35mmフィルムカメラも展示していたのだが、今年はもうデジタルシネマカメラだけの展示になっている。

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 まあ、こんな「ロケ弁グランプリ」なんてのも、いかにも「放送機器展」らしい出し物ですけれどもね。

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 Inter BEE はプロフェッショナル向けなので昨日から土曜日の11月19日まで。幕張メッセで開催中。

 入場には事前登録が必要。事前登録はコチラの公式サイトから。

 Inter BEE ネタは明日も続きます。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm D @Makuhari Messe Chiba ©tsunoken

2016年11月16日 (水)

午王山遺跡はどこだ?

「あるのはここに遺跡があったという説明看板だけです」 という書き込みがあったので、「じゃあ、その説明看板を見に行こう」と和光市新倉三丁目まで行ったんだが、どこにその説明看板があるのかが分からなかった。

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 どうもこのサイトに書いてある通りだと、この地図にある金泉寺というお寺のそばにに遺跡があるっていうことなんだけれども、金泉寺ではないらしい。

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 金泉寺がある午王山ってところが遺跡のある場所らしくて、こんな案内もあるんですね。

「午王山(ごぼうやま) 縄文・弥生式土器などが数多く出土し、奈良時代には朝鮮半島からの帰化した人々が住み、新羅王居跡だった(さすがに、それはないでしょ)とも言われている。」

 ただし、金泉寺がある場所は遺跡の場所ではなくて、その周辺の畑が遺跡だったらしいんですね。

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 で、その周辺の畑を見てもそれらしい「説明看板」はないんですよ。

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 午王山は見えるんですけれどもね。

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 ってところで気が付いた。要は最初に上がろうとした坂道で、和光市のトラックとか、引っ越し会社のトラックが邪魔していて、上がれなかったところが、実は「説明看板」があったところなのかも知れない、ってこと。

 なんだそういうことか。

 じゃあ、今度もう一回行ってみようかなっていう気にさせる、「午王山遺跡」ではある。

 まあ、行っても「説明看板」だけなんだけれどもね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 1.8 G @Wako Saitama ©tsunoken

2016年11月15日 (火)

It's a Sony展、ソニーのDNAはどこに?

 銀座のソニービルで11月12日から「It's a Sony展」というのが開催されている。

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 ソニービルが竣工50周年を迎えて、来年4月に建て替えになるってことで、ソニービル最後のイベントということで、ソニー製品を総合展示しようということになったようだ。

 実は、ソニーの新商品の展示場は、既に銀座四丁目のニッサン・ショールームの上に移動になっていて、既にソニービルにはなくなっていたのだった。

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 ソニーといえばやっぱりトランジスターラジオ(1955年)だし。

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 私の年齢だと一番近しいのがこのウォークマン(1979年)ですよね。

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 1999年のAIBOにはちょっと参った、こりゃすごいっていう感じがしたんだが……。

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 結局、ソニーが一敗地にまみれて、その後の後退戦を戦わなければならなくなったきっかけが、結局はこのベータマックスだろう。「画質」にこだわったソニーに対して、「録画時間」にこだわったパナソニック・ビクター陣営が負けたってのは、もはや家電の競走ってのは、「質」の問題じゃないのか、って感じで、ちょっとショックだった。だってパナソニックが勝ったってのは単におまけに「AV」をつけたってことだけでしょう。最早、ユーザーは「質」にこだわらなくなってしまったんだなあ、というのが当時の私の「残念ポイント」。でも、ユーザーってのは結局バカなんだよなあ。

 私も、このベータマックスから、ついでアップルvs.マイクロソフト戦と敗北戦を戦わなければならなくなったきっかけだもんなあ。

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 しかし、ソニーの前身の東京通信工業時代の製品も飾られていたんだが、えっ? 何これ? っていう、「お櫃」みたいな電気炊飯器ってのがあったのは知らなかった。

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 東通工時代の研究所の写真らしいのが飾られているんだが、まあ皆さん平気で煙草を吸っているってのが、いかにも「時代」ですね。

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 しかし、いまのソニーは、実はソニー銀行、ソニー損保、ソニー生命などの金融業がソニーグループの中心になってしまっている。以前のように「製品」から入って「ライフスタイル」「ライフデザイン」にまで切り込んでいたという「SonyのDNA」はどこに行ってしまったんだろう。そこが、単なる家電産業という視点でないところでソニーという会社を見てきた私のような年代からすると、ちょっと寂しい。

「It's a Sony展」はこの11月12日から来年の2月12日までがPart 1、2月17日から3月31日までがPart 2として開催されている。

 2月17日頃にはまた取材をします。

2016年11月14日 (月)

日光には行ったけど、東照宮には行ってない

 先週の金土は大学時代の悪友といつもの温泉旅行に行った。それも超メジャーな日光まで。今まではどちらかというとマイナーな温泉場にばかり行っていたので、何故かな? なんて考えていたのだが、今回はH坂氏が新車のMIRAI(!)を出したので、あまり航続距離が長いところにいくとちょっと心配ってことなのかな。なにせ栃木県には水素ステーションがないらしいのだ。

 まあ、それだったら鶴巻温泉だってよかったんだけれどもね。ああ、それじゃあ近すぎるか。

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 でも、この時期の日光ってことになると、人込みでいっぱいってことになるので、それを避けてどこかに行こうということになり、なんとなく行ってしまったのが、ここ日光山輪王寺の開山堂という場所。別に開山堂に行きたいとか考えたわけではなくて、なんとなく来てしまったお寺、ってところがいいですね。まさしく「行き当たり、ばったり」で。

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「えっ?ここがあの輪王寺の一角?」っていう位、人が少なくて、我々が言ったときには親子連れの三人しかいなかった。お母さん(らしい人)、可愛かったです。もうちょっと大きく写っている写真もあるけど、載せない。

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 それでも、安産のお守りである香車が沢山ある観音堂や……

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 仏岩やら……

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 陰陽石とか……

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 日光開山の祖と言われる「勝道(しょうどう)上人の墓」なんかもあって……

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 なかなか風情のあるお寺ではありました。まあ、輪王寺の大元がこちらの開山堂なんですね。

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 で、もう東照宮なんかには行かずに、お土産を買って、佐野ラーメン大和に食べに行ったのでした。

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 行きは宇都宮のみんみんで餃子だし、なんか餃子とラーメンのために行った温泉旅行みたいだったなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Rinnouji Temple Nikko ©tsunoken

2016年11月13日 (日)

大井町駅西口の変貌にびっくり!

 昨日に引き続き品川区ネタ。

 JR大井町駅西口に行ってみたわけです。まあ、東口はヤマダ電機なんかが大きいお店を作っちゃったりしてあまり面白くない。

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 で、西口は今でもこんな「光学通り」なんてものが残っていたりするんですね。

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 つまりこの道は、あのニコンの工場へつながる道なんですね。まあ、言ってみれば品川区のモノづくりの原点みたいな場所なんですよ。

 もっとも、そんな光学通りも以前に比べると道幅がちょっと広がったり、自転車レーンができたりして、前よりは走りやすくなっているかな。

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 ところがもっと変わっちゃっているのが駅の真ん前。

 以前は阪急ホテルがあっただけだったんだけれども、なんか阪急大井町ガーデンっていう商業施設ができて、それを挟むように阪急ホテルが二つもできている。

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 う~ん、やはり街は変わっているんだなあ。少し来ない間に街はどんどん変わってきてしまっている。まあ、その辺も東京のダイナミズムなんだけれどもね。

 以前は大森貝塚とか言って大井町や大森にも来ていた時期があるんだけれども、ちょっと来ない間にこうだもんなあ。

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 もうちょっといろいろな「東京」を見ておかなければなあ、と反省させられた日ではありました。

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 まあ、こんなものもちゃんと残ってはいるんですがね。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Oimachi, Shinagawa ©tsunoken

2016年11月12日 (土)

河岸段丘の“縁”を徘徊する

「徘徊する」って言っても、単に環七通りの北側の十条仲原あたりを歩いただけ。

 でも、結構この辺りって「いかにも河岸段丘」って感じの地形なんですね。

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 まず環七をちょっと北に行くと「清水坂公園」っていうのがあって、河岸段丘の形がよくわかる公園なんですね。十条側から行くとそこが一番高いところで、結構急な坂を降りると公園の平地があるっていう形。52mのローラー滑り台なんかもあるし、小川もあって子供たちは喜びそう。

 場所は京浜東北線の東十条と赤羽の真ん中あたりなんだけれども、やっぱり行くんだったら埼京線の十条で降りて、十条銀座という大きな商店街を抜けていくのが一番風情があるでしょう。

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 で、この辺りの裏道をあるいていると、やたら目につくのがこうした看板。

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 確かに、その先へ行くと階段道路になってしまいます。

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 こっちも階段。

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 あっちも階段。ってわけで、要はやっぱり段丘の上と下は急な崖になっていて、車が走れるような道を作るのは大変、ってことなんですね。

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 この辺りの家の面白い点は、だいたい玄関が2階や3階などの最上階にあって、そこから家は下に伸びているってこと。普通の家の作りとは違うんですね。

 まあ、確かに家の上の方から降りてきて、玄関から出たらまた坂道を上るってのもキツイしね。

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NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Jujo, Kita ©tsunoken

2016年11月11日 (金)

「環状二号線」を見に行く

「東京都市計画道路幹線街路環状第2号線」とは何か? 

 現在は「外堀通り」という名前で知られている道なんだが、虎ノ門ヒルズの所で地下に潜って、その後、また地上に戻って新橋駅そばで国道15号線と交差する。

 昔は「マッカーサー通り」という名前で知られた通りなんだが、今はまた別の理由で有名になった通りの名前であります。

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 JRの下を通って……

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 電通本社の前の交差点を過ぎると……

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 また地下に潜ってしまう。

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 浜離宮庭園の前は完全に地下道となっているんだが。

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 問題はその先。要は築地市場なんですね。

 ここの豊洲への移転が延期になってしまったので、環状二号線が地下で延伸できなくなってしまっている。

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 築地から先の部分は、隅田川にかかる橋もできているし、東京オリンピックの選手村を通り、豊洲市場へ行く道もできているんだが。

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 肝心の築地市場の地下を通る道ができていないし、いつできるのかの目途もたっていない。シールド工法で作ればいいとも思うんだが、それだとお金がかかってしまうのかなあ。

 う~ん、こりゃあ面白いことになってきたな。

 どーなるんでしょうね。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Shimbashi & Tsukiji, Minato & Chuo ©tsunoken

2016年11月10日 (木)

武蔵小山商店街、戸越銀座、でその先は?

 東急目黒線武蔵小山駅からスタートする武蔵小山商店街「パルム」から、戸越銀座への道は何度も行っているのだが、戸越銀座から先は行ったことがないな、ということで行ってきた。

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 武蔵小山商店街は中原街道で終わり、その後を戸越銀座が継いでいるというわけだ。

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 一方、戸越銀座は途中、東急池上線戸越銀座駅を過ぎても……

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 国道1号線を過ぎても……

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 まだまだ続く長~い、長~い商店街なのであります。

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 で戸越銀座も品川区豊町1丁目あたりに来ると、ちょっと寂しくなって、そこにお稲荷様があります。

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 で、そのあたりで戸越銀座はおしまい。

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 三ツ木通りになるんだけれども、一応「三ツ木通り商店街」ってなっているんだけれども、もう商店はほとんどなくて、商店街の態をなしていない。

 途中、三ツ木公園っていうのがあって、「三ツ木」の由来が書いてあるんだけれども、「三本の木があって、品川の漁師の目印になった」とか「三つの岸があった」とか「府中の大國魂神社へ都からの貢ぎ物を献上するために、海上からこのあたりで陸揚げした」という諸説紛々だそうで、品川区もそれ以上は詮索しないようです。

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 で、三ツ木通りも湘南新宿ラインの西大井と大崎の間の路線で終わり。

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 戸越銀座から先はあまり見るものがなかったというのが結論でした。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Musashi Koyama, Togoshi Ginza, Mitsugi, Shinagawa ©tsunoken

2016年11月 9日 (水)

荒川サイクリングロード 朝霞水門

 荒川サイクリングロードっていうか、要は荒川の土手にある道が自転車や散歩の人のための道になっているんだが、荒川の上流方向に行くと、帰りの目印になるのが、この朝霞水門なのである。

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 朝霞水門は新河岸川や、そのちょっと上流で新河岸川と合流している黒目川と荒川の水位調整のために作られていて、普段は大体閉められていることが多い。

 まあ、新河岸川は最後は赤羽の赤水門や青水門で荒川や隅田川と合流しているので、ここは単なる水位調整ってことだけなんだろうけれどもね。新河岸川の方が雨の時など荒川より水位が上がるのが早いそうで、そのために作られた水位調整水門のようなのだ。

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 で、今日のテーマはそんな水位調整じゃなくて、荒川サイクリングロードなんです。

 荒川を上流方面へ向かって走っていくと必ず通るのがこの朝霞水門。この先に秋ヶ瀬公園ってのがあって、その中は自動車も走っている道で、そこから先が本格的な荒川サイクリングロードなんですね。

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 で、ホンダエアポートとか国営武蔵丘陵森林公園(まで走っているんです荒サイって)まで走って、その帰り道、朝霞水門まで来ると「いやあ、なんとか今日も走り切ったな」ってな気持ちになるんですね。まだ、ここは埼玉県朝霞市だけれども、森林公園まで走っているとここで既に100km以上走っているし、もうちょっと行けば東京都板橋区なので、なんかもう家に帰ってきた気分。実はまだ文京区までは十数キロはあるんですけれどもね。

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 朝霞水門からはさいたま新都心あたりの高層ビルもよく見えるし、なんか見通しがいいからなのかなあ、ここで最後の休憩ってな気分になるんですね。一服したり(ごめんなさい)。おしっこをしたり(再び、ごめんなさい)。

 まあ、荒川サイクリングロードって、こんな感じでずっと横が川しか見えないあまり風光明媚な自転車コースではないんだけれども、でも、長距離走ってきたという爽快感だけは味わえます。

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 で、その荒川の対岸は「荒川第一調整池」っていっても分かりませんね。今話題の「彩湖」なんですよ。

 彩湖に行くときは初めから戸田の漕艇場経由で行くので朝霞水門経由ではいきません。朝霞水門経由で行っても、結局は羽倉橋経由で荒川の対岸に渡って、同じ荒川サイクリングロードにでるんですがね。

 まあ、その辺が荒川サイクリングロードの自転車乗りの日常ですな。

 多摩川サイクリングロードってのもあって、何度か走ったことはありますが、羽村の取水場から先は旧奥多摩街道から旧青梅街道に入って奥多摩までは行ったことがあります。けど、荒サイほどには脇道は知りません。

 まあ、脇道は全部山道だからな。その辺が「平地埼玉」との違いですね。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Asaka ©tsunoken

2016年11月 8日 (火)

朝霞 柊塚古墳 一夜塚古墳

 5月18日のブログに書いた朝霞市の岡城(城山公園)のそばに「柊塚古墳」というのがあって、それは「柊塚古墳公園」という形で、昔のまま保存されているのだ。

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 ただし、本来は前方後円墳だったのだが、「前方」の部分は壊されてしまっていて、「後円」の部分しか残っていないので、見ると円墳のように見える。

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 本来はこんな形だったそうだ。

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 公園にはこんな家形の埴輪のようなトイレがかわいい。

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 柊塚古墳から少し歩くと朝霞市立第二小学校があって、その校庭には「一夜塚古墳跡」の碑がある。つまりこの一夜塚古墳をつぶして小学校が作られたのである。

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 ここは黒目川の河岸段丘上にあって、根岸古墳群といういくつかの古墳があったところなのだ。

 まあ、河岸段丘上にはだいたい集落があったので、その集落を束ねる豪族の墓が古墳ということなのだろう。

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 黒目川河畔から見上げた柊塚古墳。下の写真の真ん中にある森が柊塚古墳。黒目川からは20mほど上がったところにある。

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 ここも武蔵野丘陵の一番端のところなので、こうした集落が作りやすいところだったんだろうなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Asaka ©tsunoken

2016年11月 7日 (月)

ブロガーも見てきたような嘘をつき

「講釈師見てきたような嘘をつき」「講釈師扇で嘘を叩き出し」なんて言葉がありますが、別に講釈師だけじゃなくてブロガーも「見てきたような嘘」をつくんです。

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 例えば昨日の私のブログ「東大、全敗専修大にあわやの薄氷の勝利」ってのが、まさしく「見てきたような嘘」なんですね。

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 実は一昨日はマンションの消防防災訓練がありまして、管理組合副理事長としてはやっぱりそちらを優先しなくてはいけませんねえ。で、その時刻と同じ時刻に始まった関東大学アメフト「東大vs.専修大」戦は見に行けなかったんですね。

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 なので、防災訓練には出ないでアメフトを見に行ったカミさんの写真を借りながら、一方、東大アメリカンフットボール部WARRIORSのTwitter(で試合中継をやってます)を見ながら、戦況の進み具合を見ながら書いた記事なんですね、昨日のブログは。

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 まあ、別にそれで「騙された!」って怒る人はいないでしょうけれども。

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 そんな感じで書いている記事も、実はあるんですってことを知ってほしい。別に、嘘を書いているわけではありません。嘘は書きません。「見てきたような嘘」をついているだけです。

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 これまでもタマにそういうこともありました。

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 どこで本当に自分で取材して書いた記事なのかどうかを見分けるところをお教えします。

 一番下の写真クレジットに「©tsunoken」って書いてあるのは、実際に私が写真取材をした記事。「©tsunotomo」っていうのはカミさんが撮ってきた写真っていうわけです。

 まあ、その辺を読みながらご容赦、ご容赦。

NIKON Df Several Lense & Several Place ©tsunoken

2016年11月 6日 (日)

東大、全敗専修大にあわやの薄氷の勝利

 先々週、国士館大に勝って4戦全勝でTOP8との入れ替え戦を目指す東大と、4戦全敗でもう後がない専修大の一戦が昨日あったわけなんだけれども、意外や意外の試合展開ではあった。

 専修大キックオフ、東大レシーブで始まった第1クォーター(Q)、残り2分5秒、いつもの#33ランニングバック(RB)宮山のタッチダウン(TD)で先制点を取る。

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 ところが第2Q、残り8分56秒、専修大#15ワイドレシーバー(WR)山内のTDで同点にされると……

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 その直後、専修大のキックオフを#33RB宮山がキャッチ……

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 そのままボールを持つとTDしてしまうという、キックオフリターンタッチダウンというビッグプレイで再び専修大を突き放す。

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 が、第2Q終了直前、専修大#11WR小堀がTDで再び専修大に14対14に追いつかれ、前半終了。

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 後半は東大のキックオフ、専修大のリターンで試合再開。第3Q終了直前、#81WR岸本がパスキャッチ後走りこんでTD。21対14で第3Q終了。

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 第4Qも残り2分位になってこのまま東大勝利か? と思った残り1分43秒、専修大#19WR金子へのTDパスが決まって21対21となって、そのまま試合は終了。

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 タイブレークとなって専修大の攻撃はフィールドゴールで3対0。

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 後がない東大は敵ゴール前まで攻め込むと、クォータバックから渡されたボールを……

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 #28RB荒井がそのままゴールラインまで持ち込んでTD。TB6対3で薄氷の勝利をモノにした。

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 しかし、得点経過を見てみると問題は明白で、専修大の3TDはすべてワイドレシーバー、対する東大はランニングバックが2得点、タイトエンドが1得点と、相変わらずパス攻撃が弱いということなのだ。昨日の試合もかなりのパスがインターセプトされていた。TOP8に勝つためには、ラン攻撃は基本的に問題ないとして、パスの精度を上げるということしかないだろう。

 取り敢えず全勝で入れ替え戦(チャレンジマッチ)に一歩近づいた東大だが、チャレンジマッチが行われる12月17日までの課題として、パス攻撃だな。それがチャレンジマッチ突破のカギになりそうだ。

NIKON D7000 AF NIKKOR 70-300mm f1:4.5-5.6 @Amino Vital Field, Chofu ©tsunotomo

2016年11月 5日 (土)

東京 青梅 勝沼城

「勝沼城」って言ったら、そりゃ山梨県でしょう、と思ったのだが、そうではなくて東京都青梅市東青梅六丁目にあるらしいのだ。

 で、早速JR青梅線東青梅駅で降りて歩いていると、「城山通り」とか……

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「城前東通り」とかあって、いやあ妙に気がたかぶってきますねえ。

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 で、考えてみればこの道、5月の大和郷会のハイキングで来た吹上しょうぶ園や塩船観音へ行く道だった。

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 で、その吹上しょうぶ園へ行く道の手前で左に折れると、妙光院っていう曹洞宗のお寺がある。

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 で、そのお寺の裏の方に山へあがる道がある。これは行ってみるべきだな。

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 そこを上がってみると、ありました「勝沼城址歴史環境保全地域」という看板。

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 ただし、山の上に上がってみればそこはお寺の墓地になっていて、本丸跡などのようなお城の遺構はない。

 それでも山の上からは青梅市が見渡せる。多分、600年くらい前には霞川ばかりか、多摩川あたりまで見渡せたのではないだろうか。

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 更に墓地がある山の裏側は、現在は吹上しょうぶ園となっている湿地帯なので、まあ城の前後を川と湿地帯で守っていたということなのだろう。

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 そういえば、私が上がってきたこの道も、どこか空堀と両側の土塁に見えないこともない。

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 う~ん、やっぱりここは城跡なんだなあ。

 で、なんで「勝沼城」なのかといえば、実はこの近所にある青梅鉄道公園なんかがある別の山は「青梅市勝沼」という地名。つまり、昔はこのあたりも勝沼という地名だったんだろう。

 ということで、納得、納得。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Ome ©tsunoken

2016年11月 4日 (金)

「日本ダービー」って言ったって府中じゃないよ

 目黒駅から東急バスに乗って三つ目の停留所が「元競馬場前」というバス停。すぐそばには「元競馬場」という交差点があるし……

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「目黒競馬場跡」っていう碑まで立っている。

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 目黒通りから裏道にまわってみると、なんかこんな湾曲した道がある。

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 下の図で赤で示した部分がそれ。

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 つまりこれは1907年(明治40年)にできた目黒競馬場の跡なのである。

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 といっても、この狭さはレーストラックじゃなくて、その外周路の跡らしい。

 この目黒競馬場、1932年(昭和7年)には第1回優駿大競走(日本ダービー)が行われた、由緒正しい競馬場なんですね。ただし、この頃から周辺の宅地化が進んで、競馬場の拡張も難しいし、敷地の大部分が借地で行われていたことから地主からは地代の値上げを要求されるなどして、主催者の東京競馬倶楽部は1933年(昭和8年)に目黒競馬場を廃止し、府中市に東京競馬場をオープンしたというわけ。

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 湾曲した道を少し行くと道はまっすぐになり、その終点には小さな公園がある。

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 で、その公園の桜が目黒競馬場にあった桜らしいのであります。

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 途中、天理教の教会にあったポスターですが、まあ、これは競馬とは関係ないですね。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Meguro ©tsunoken

2016年11月 3日 (木)

横須賀、ドブ板通り・考

 追浜まで行ったので、ついでに横須賀中央まで京浜急行で行って、ドブ板通りがどうなっているのかを見に行った。

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 最早、ドブ板通りが米兵相手の飲み屋街じゃなくなっているのは既に知っている。

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 まあ、観光客相手のお土産屋さんとかスカジャン屋とかがあったんだが……

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 なんかそんなお店もみんなたたんでしまっていて、なんかスッキリしてしまっているのだ。

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 お店がなくなったあとはマンションになったり、駐車場になってしまっていたり。

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 う~ん、こうやって街が廃れていってしまうのかなあ。

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 ちょっと寂しいけれども、それも街の歴史なんだと思えば仕方のないことなんだろうなあ。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Yokosuka ©tsunoken

2016年11月 2日 (水)

追浜ワークスってのが昔あった

 日産自動車追浜工場は、昭和20年の太平洋戦争終戦まで横須賀海軍航空隊とその飛行場があったが、その広大な土地を利用して日本ではじめての本格的自動車生産工場として1961年に操業を開始した、というもの。総合研究所やテストコースもある本格的な研究・開発・製造工場なのである。

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 で、ここに昔、日産追浜ワークスっていうのがあったのだ。つまり、1960年代 - 1970年代の日産自動車のワークス・チームのうち、神奈川県横須賀市の追浜工場内にある日産の総合研究所配下のチームっていうわけなんだけれども、実は日産にはもう一つワークスチームがあって、それが大森ワークスっていうものなのだ。追浜ワークスと大森ワークスには、根本的な思想の違いがあるんだけれども、それは後述。

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 で、日産には更にもう一つワークスチームがあって、1966年に日産がプリンス自動車と合併したために組織改編が行われ、旧日産側のチームは「特殊車両部第1実験課」と名称を改めラリー活動に専念することになり、サーキットレース用の車両については旧プリンス側チームが母体の「特殊車両部第2実験課」が担当することになった。旧プリンス側の部隊については、本拠地は追浜ではなく旧プリンスの村山工場内に置かれていた。 第2実験課は日本グランプリ参戦用マシンとして、R380 - R383といったプロトタイプレーシングカーの開発を担当(R380まではプリンス自動車、R380Ⅱ以降は日産)。一方で第1実験課はサファリラリー等の国際ラリーに出場するマシンの開発を担当していた。 プロトタイプカーを開発する追浜と旧プリンス系ワークスは「一軍」とみなされ、ツーリングカーやGTカー(市販車の改造マシン)でレースを行う二軍的チームとして大森ワークス(日産宣伝部が管轄)が存在した。

 ねえ、複雑でしょう。まあ、これがいろいろ合併とかやってきた会社らしいって言えばらしいんだけれども、問題はそうじゃなくてレース活動というものをどういうものとして捉えたのかっていうこと。

 つまり追浜や旧プリンス系のワークスチームは、レースというものを純粋な技術的競争であると捉えていたわけで、そのためにはどんなにお金がかかっても関係ない、っていうか基本的にお金がかかるのはやむを得ないものなのだ、と考えていたわけです。その一方、大森ワークスはレースとは日産の自動車を売るための宣伝の場として考えていたわけで、だからこそ街で走っているツーリングカーやGTカーを改造して走らせることに注力していたわけで、当然それは販売促進としての予算の中でレース活動を行っていたわけです。これが前述の「思想の違い」ってこと。

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 で、結局どうなったかといえば、1970年、「排ガス対策の開発に集中する」という理由から日産が日本グランプリへの参加を取りやめたため、第2実験課はプロトタイプカー開発を中止し、ツーリングカーの開発にシフト。追浜ワークスがツーリングカー開発に参入したため、それ以降の両ワークスは同じ日産直属の組織でありながら、ライバル関係が激化する。両ワークスの切磋琢磨の結果、スカイライン2000GT-RやフェアレディZといった車種がレースで圧倒的な強さを発揮するが、1974年にオイルショックの影響から日産がツーリングカーレースへの参戦も取りやめると、第2実験課は実質的な活動を停止した。

 でも、その後、1980年代に入ると景気が回復したため、追浜もスカイラインターボCに代表されるシルエットフォーミュラの開発など、サーキットレース用の車両開発を徐々に再開。しかし1984年に大森ワークスをベースにNISMOが設立され、日産のモータースポーツ活動を全てNISMOに集約することとなったことから、追浜ワークスは消滅した。

 まあ、結局は大森ワークスの後身であるNISMOが生き残って追浜ワークスは前面から姿を消したわけですね。当然、そうはいながらも技術的には追浜ワークスは生きていて、NISMOに協力する形で技術的な支援はしているんだろうけれども、そうは言いながらも前面から姿を消したっていうのは、やはりレース活動っていうのは自動車メーカーにとっては販売促進の面の方が強いってことなんでしょうね。まあ、ここで初めて日産のレース活動の思想が定まったっていうわけ。

 実はトヨタと日産の違いがここにある。トヨタは初めから「レース活動は販売促進のためにある」っていう考え方で車両開発なんかもやっていて、1966年の日本GP、普通だったらミッドシップのプリンス(日産)R380に対抗してフロントエンジンのトヨタ2000GTってわけはないじゃないですか。勝てる訳はないんだもん。

Photo 日産追浜工場©GOOGLE

 まあ、その辺を見るだけでも、トヨタと日産の社風の違いっていうものが見えてくるのが面白い。

 う~ん、私がどっちが好きかって? そりゃやっぱり合理的じゃない日産の方が好きですね。基本的に「バカ」ですから。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Oppama, Yokosuka ©tsunoken

2016年11月 1日 (火)

白楽 神奈川大学 東白楽

 この間、東急東横線に乗っていたら「間もなく白楽です。神奈川大学最寄駅です。」という車内アナウンスがあった。

「えっ? 駅伝の神大って言ったら、東白楽じゃないの?」

 っていう疑問がわいたので、取り敢えず白楽駅で降りてみた。

 と、駅の構内の駅名表示板にも「神奈川大学 最寄駅」の表示が……。

「そうなのか。東白楽駅だと思っていたのは思い違いか」

 と納得して、早速白楽駅から外に出てみた。

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 駅前からは「六角橋商店街」を進み……

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 県道との交差点「六角橋」を渡ると……

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 こんなクネクネ曲がっている狭い道を往く。こうなると道に迷ってはいけないな、と神大の学生さんらしい人の後をついていくことにする。しかし、こうなるとまるでストーカーみたいだなあ。

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 短い坂を上がると……

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 ありました。神奈川大学横浜キャンパスが。

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 帰りは別の道を行ってみようと、これまた神大の学生さん達の後をついていきます。またまた、ストーカー行為。

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 途中、とんでもない急なつづれ織りの急坂を降りていくと。

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 今度は東白楽の駅に出る。

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 まあ、時間はどちらのルートでも似たようなものなのだが、そうか、これは急坂を登らなければならない東白楽駅からのルートを行かせないための東急電鉄の親心なのかもしれないな。横浜からだと東白楽の方が近いんだけれども、そこで降りちゃうとかなり急な坂を上がんなきゃいけないよ、っていうね。

 そうか、神大が箱根駅伝で強いのはこの坂のおかげか……、ちょっと待てよ、箱根駅伝予選会11位の中大だって、キャンパスがあるのは多摩の山の中だぜ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Hakuraku, Kanagawa Yokohama ©tsunoken

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