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2016年10月26日 (水)

新島襄が作った教会……?

 NHK大河ドラマ『八重の桜』でおなじみ、新島襄が作った教会が群馬県安中市にあるらしい、というので行ってきた。「日本キリスト教団安中教会」であります。

 でもちょっと待って。新島襄は「明治7年11月、横浜に帰着。最初に故郷の上州安中に向かい、三週間滞在した。滞在中に、藩校・造士館と竜昌寺を会場にキリスト教を講演する。その集会で30人の求道者がでて、日曜ごとに聖書研究会が開かれた」って言うんだから、やっぱり新島襄がこの教会を作った訳じゃないんだ。まあ、三週間で教会を作るのは無理だしね。

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 安中市には「新島襄先生旧宅」っていう史跡は残っている。しかし、新島襄は確かに安中藩士の子供として生まれたんだが、生まれは江戸藩邸でそのまま江戸で育ち、安中にいたのは生涯でアメリカから帰ってきた三週間だけだったらしい。

 つまり、このお屋敷は新島襄の実家かもしれないが「旧宅」ではないということになってしまいます。じゃあ、新島襄と日本キリスト教団安中教会との関連はどうなってしまうんだ。

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 ということになってくると、この旧中山道に面した場所にある旧家の醤油屋「有田屋」が重要な存在になってくる。

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 この有田屋の経営者、湯浅治郎は「福澤諭吉の著書を読んで教育の重要性を認識した湯浅は明治5年(1872年)に安中に私立図書館「便覧舎」を設置し、図書館事業の先駆となった。同郷の新島襄と親しく交わり、明治11年(1878年)彼を中心に安中教会が建設された時にキリスト教の洗礼を受けた」という人。

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 この人が中心になって「1878年(明治11年)3月30日に、男子16名、女子14名の30名が新島襄より洗礼を受け、安中教会が設立された。海老名弾正が仮牧師になり、千木良、湯浅、森本の3人が初代執事になった。安中教会は群馬県最初の伝道の拠点となった」というもの。

 この湯浅治郎が中心となって安中教会が設立されたっていうわけなんだ。

 湯浅治郎氏は「群馬県会議員となり、同16年県会議長に就任して廃娼運動の先導役」となったり、「安中小学校設立に関与し、新島の同志社や義弟・徳冨蘇峰の民友社を経済的に支援したほか、同志社・日本鉄道・日本組合基督教会などの理事を務めた。また、警醒社(後に警醒社書店)を設立して内村鑑三らの出版事業を助けた」などの社会運動に努めた運動家としての一面を持っていたようだ。

 安中市にある新島学園も新島襄とは関係ないのだが、湯浅治郎氏の孫、湯浅正次氏が創設したプロテスタントの学校。湯浅正次氏もいろいろ政治運動や社会運動をやっていた人らしい。

 同志社大学にも若干の推薦枠があるらしい。

 

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 まあ、有田屋が新島襄との関係があるのは分かったが、「新島襄と八重にご縁がある」っていうのは、ちょっと眉唾?

※引用はすべてWIKIPEDIAから

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Annaka, Gunma ©tsunoken

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