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2016年10月 9日 (日)

『さよならインターネット』

『さよならインターネット』って言ったって、その世界でずっと生きてきた家入氏が言っちゃあいけないんじゃないかな、とも感じて買った本なのだが……。

『常時接続や無線回線が当然となり、スマートフォンの登場、そして「Internet of Things(モノのインターネット化)」、いわゆるIoTの流れもあり、インターネットにつながっているかどうかを、自覚しなくなってしまった。その結果として、インターネットそのものの姿はほとんど見えなくなったのかもしれない。そして見えなくなって、インターネットがその輪郭を失った今、上手くは言えないけれども、弱い人たちやマイノリティが守られる「聖域」としての期待からかけ離れた、逃げ場のない、むしろ息苦しい世界になりつつあると感じているのです』

 う~ん、そういうことか。

 つまり、「インターネット」というものを自覚的に使ってきた世代と、それこそ生まれたときからインターネットがある世代(もう20歳を超えているんだ)の間にある乖離。更に、年長になってインターネットを使う始めた世代にとっても、基本的に「いい生活ができる」と思っていたインターネットが、実は自分にとって「生きづらい社会」になっていたという落胆。

 まあ、それはそれぞれの世代にとっての、インターネットというものに向かい合う姿勢の違いなんだけれども、もう一つ言ってしまうと、「要はインターネットとどうやって自覚的につきあってきたのか」っていうことなんだなあ。

「インターネットと自覚的につきあう」ってどういうことなのか。

Photo 『さよならインターネット――まもなく消えるその「輪郭」について』(家入一真著/中公新書ラクレ/2016年8月10日紙版刊・2016年8月1日電子版刊)

『キュレーション機能のおかげで、みんなそれぞれ優秀な秘書を持った結果、どうなったか。広い情報の海を小さく切り取り、世界を分割してしまったのではないでしょうか。
 無意識のうちに見たいものだけを選び取る。自分好みの意見ばかりを吸収する。これが進めば、人は自分の好むものをさらに好む傾向が強まっていく。興味関心のあるものだけで、自分のまわりを固めてしまえば、それが一番気持ちいいからです』

『よからぬものが転がっていないか常にパトロールする人、悪い輩を見つけると大義名分のもとに叩く人、さらにはそれほど悪いことをしていなくても、ノルマを果たすために強引に悪者に仕立て上げる人。そんな人たちがインターネット上を跋扈しているように感じるのです。
 かつてのインターネットというのは、むしろがんじがらめになった現実世界で失われた自由を求め、人々が理想を持って大きな権力と向き合う、という構図が一般的だったと思います。しかし今は、むしろ人々同士でチェックし合い、あら捜しをしては小さな諍いを繰り広げているように、ぼくには感じられるのです』

『インターネット特有の匿名性が加われば、批判や批評はさらに容易になっていく。そう考えたならば、現在のインターネット上で何かを「批判せん」とする声がここまで幅を利かせたのは、ある意味で必然だったのかもしれません』

『今は、匿名であろうと発言が評価されたり、反響を呼んでフォロワーが増えたりする状況が生じています。だからこそ人はどこに行っても、何をしていても、誰かに評価されたいと願うようになりました。かつての「欲しがらない名無しさん」すら「欲しがる名無しさん」になってしまった。その結果、評価を得るために、ときには無理をし、自分の許容量を超えたキャラクターを演じて、収拾がつかなくなり、暴走や破滅への道をたどる、などという様子が散見されています』

『匿名という目出し帽を被ってエゴイスティックにふるまい、人を傷つけるような乱暴な言動にも躊躇が見られない。そして実名や肩書などに危険が迫った途端、書き込みを消し、アカウントを削除し、逃走を図る。インターネットの世界での「私」と、現実の世界での「私」がまわりから同一視されて、そこから生まれた未知の恐怖を目の当たりにした瞬間、遮断を図るのでしょう』

『しかしインターネットの世界であっても、きちんと現実の私という立場に則ったうえで発言をしていれば、どうだったでしょうか。一般常識である、何をするにも責任が伴うというあたりまえのことを認識したうえで、のちに騒がれることもない、普通の行動をしていたはずです』

『自由に対して、きちんと準備ができていたり、やりたいことをあらかじめイメージできていたりすれば、その自由を謳歌したり、前向きな活動へと移ることができるでしょう。しかしそういったアクションを起こせない人は、その場に留まって、前に進もうとする誰かの足を引っかけることのほうに注力してしまう。
 そういった人の哀しい性をインターネットは顕在化してしまった、ということをぼくたちはアタマのどこかに留めておく必要があるかもしれません』

『たとえば何らかの対象に向けて、とにかくネガティブな書き込みだけをしている人、たちの悪い酔っぱらいのようにわざわざ絡みにいく人、きちんと下調べをせずに知ったかぶりをして足をすくわれる人、少しでも反論されたり絡まれたりしたら、感情的になって反撃をする人など。
 彼らに共通しているのはインターネットがどんどん身近なものになっているのに、未だその世界でのしきたりやふるまいを知ろうとしていないこと。その結果として、ますます発言や行動をこじらせてしまっているようにぼくには感じられます』

 まあ、要ははキュレーション機能のおかげで、嫌なもの、自分に向いていないものは「ないこと」にしてしまうことができ、たまたま、自分にとって「嫌なもの」「自分に向いていないもの」に出会ったときに、ある種の人は「匿名性」という部分に寄りかかって、そうした自分にとって「嫌なもの」「自分に向いていないもの」を口汚く攻撃したり、罵ったりする傾向が現在のインターネットには蔓延している。

 で、そんなインターネットの使い方の世界から「さよなら」したいというのが家入氏のスタンスなんだなあ。

 私のように初めから実名(ほとんど実名)でもってネットに発信していたものからすれば、それでも炎上しない発言の仕方なんかも心得ていて、事実、炎上なんてしたこともない(っていうか、そもそもそんなに読まれていない、ってのもあるんだが)。つまり、炎上するっていうのは、初めから炎上するってことを狙って書き込みをしていたり、炎上したって気にしないという人たちが面白がってやっているだけであり、別にそれはインターネットの「負の側面」でも何でもないはずなんだけれども、まあ時には「炎上疲れ」をしてしまう人がいたりするんだろう。

 そういった人たちのことを家入氏は慮っているんだろうけれども、あまりそんなことは気にしないで、好き勝手にインターネット空間を漂っていればいいのである。

 所詮、インターネット空間なんて「仮想空間」なんだからね。初めから「輪郭」なんてないのだ。

『さよならインターネット――まもなく消えるその「輪郭」について』(家入一真著/中公新書ラクレ/2016年8月10日紙版刊・2016年8月1日電子版刊)

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