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2016年10月 6日 (木)

『終わった人』って普通は当たり前なんだけれども、それを受け入れられない人がいるってことなんですね

 う~ん、えてして「自分はエリートだ」という勘違いをしている人が、こうした錯覚を持つんだろうな。

 すでに会社では「終わった人」として扱われていることに気づかないで、なんかまだ自分は頑張れるんだと考えて、無駄な努力をしてみたりする。

Photo 『終わった人』(内館牧子著/講談社/2016年1月1日刊)

『定年って生前葬だな。
 俺は専務取締役室で、机の置き時計を見ながらそう思った。あと二十分で終業のチャイムが鳴る。それと同時に、俺の四十年にわたるサラリーマン生活が終わる。六十三歳、定年だ。
 俺、田代壮介は定年の日だけではなく、毎朝夕、黒塗りに送迎されるべき人間だった。役員になる自信があった。仕事もできたし、会社への貢献度も他を圧倒していた。断言できる。何よりも、自分の会社が好きだった。同期入社の誰よりもだ。だが、現実には黒塗りは定年当日の今日だけだ。
 俺のサラリーマン人生は、専務取締役で終わった。
 それも社員三十人の子会社だ。キャッシュカードのコンピューター処理をする会社で、文京区千駄木の雑居ビルの中にある』

 ああ、時たまこんな「勘違い」をする人がいるんだなあ。

『南部高校を卒業した後、現役で東京大学法学部に入った。あれほど人数が多い時代に、最難関を現役突破だ。
 東大を出た後、国内トップのメガバンク万邦銀行に就職を決めた。一九七二年、昭和四十七年のことだ』

 東大を出たのがどれだけ偉いのか、って言えば、全然使えない東大卒が沢山いる出版社みたいなところに勤め、馬鹿な息子がまさかの東大生になった、という経験を持つと、「なんだ、東大ってたいしたことないじゃん」って思えるんだが、当の東大卒が自分のことをエリートだっていう勘違いをすると不幸になるっていう典型的な話。

『万邦銀行に入った昭和四十七年、大卒男子は二百人だった。誰もが一流大学卒の、選び抜かれた男という誇りを匂わせていた。
 ああ、これからこいつらと出世競争をするのかと思ったが、正直なところ、負ける気はしなかった。根拠はない。
 それを裏づけるかのように、日本橋支店に配属された。
 万銀では「トップ3」とされる支店がある。日本橋支店、新橋支店、そして人形町支店だ。  このトップ3の支店長は役員だ。そして、三支店の中でもトップは日本橋支店なのだ。
 あのエリート同期二百人の中で、トップ3に配属されたのは、合計十人。
 おそらくどこのメガバンクも似たりよったりだと思うが、万銀の場合は入行して三年で、まず給料に差をつけられる。そして六年目、選ばれた者に初めての役職がつき、給料が大幅に上がる。椅子も変わる。
 俺はもちろん選ばれ、日本橋支店から大手町の本部に異動になった。選ばれた同期は七十一人。六年で早くも三分の一だ。
 ポストは課長、次長と順調に上がり、部長、支店長への関門もクリア。最初の役付き競争で七十一人になっていた同期は、この関門でトップ昇格が二十人に淘汰された。入行から十六年で十分の一だ。
 そして、俺は三十九歳で、最年少の支店長に抜擢された。その後、本部の小さい部の部長をつとめ、四十三歳で業務開発部長になった。
 この四十代が、人生の黄金期だった。
 企画部副部長についたのは、四十五歳の時だ。
 これでハッキリと役員が視野に入ってきた。本部の総務、人事、企画という管理部門の副部長は、役員につながるポジションだ。ここから、早い者は四十八、九歳で役員になっている。
 俺の会社への貢献度や実績、顧客からの信頼や社内での人望から考えても、四十代で役員という目は十分にある。社内では「次は田代か西本」と噂されていた。
 四十九歳のある日、俺は突然「たちばなシステム株式会社」への出向を言われたのだ。
 人は驚きすぎると、頭の中が冷たくなるのだと知った。
 こうして四十九歳の春、俺は「たちばなシステム株式会社」に、取締役総務部長として出向した。
 二年後、五十一歳の時だ。「転籍」を言われた。
 これは、たちばな銀行を辞めて、たちばなシステムの社員になれということだ。本部に呼び戻されようと頑張ったのだが、もはや本部は俺を必要としていなかった。人材なら幾らでもいるのだ。
 ああ、俺は「終わった人」なのだと、またも頭の中が冷たくなった。』

 というのであれば、そこで生き方を変えてもうちょっと自分の老後を考えた生き方にすればよかったんだかれども、結局エリート意識だけが先行すると、そんな小さな子会社でもジタバタ努力しようとするんだな。

 で、定年を迎えたその日からも、やはりジタバタじた主人公は、鈴木さんというジムの知り合いが起こしたIT企業の顧問を引き受ける。ところが、その鈴木さんが急死すると、よぜばいいのに鈴木さんの跡を継いで社長になってしまうのだ。

 銀行マンとしてそれなりに経験を持っている主人公である。新興企業の若い社長を助ける顧問という立場なら向いているかもしれないが、「俺は本来はメガバンクの役員になれた存在なんだ」っていう意識がふつふつと持ったまま、定年退職した身ではいくら小さな会社とはいえ、その会社の社長になるなんて言うのは基本的に無理なのだ。社長という立場は、単に経営に明るいというだけではだめで、それなりにカリスマ性も必要なのだが、結局、それがないために役員になれなかったんでしょう。

 で、結局そのIT企業は倒産してしまい、主人公もその責任から多額の借金を抱え込んでしまうことになる。

 まあ、私もある時期までは何となく上まで行けるかななんてことを考えていたんだが、やはり40代になって、お飾りのような副部長(私がいた出版社では「副部長」って言ったって、ほかの普通の会社の主任程度の力しかない)という役職でもって、定年まで勤めたわけだ。つまり、副部長になってある時期に、「自分はもう終わった人なんだ」ってことに自覚的になり、だとしたらその立場でもってできる面白い仕事をやって、定年までを過ごし、定年になったら(再就職なんてことはせずに)スッパリ会社を辞めようと決めた。

 そんな意味では、サラリーマン時代の終盤戦はそれなりに楽しい時間を過ごすことができて、再就職なんてことはしないので、後輩にとっては邪魔な年寄りにもならずに、ごくごく静かに余生を送ることができるというものだ。まあ、しかしまだ「余生」とは思ってはいないけれどもね。

「終わった人」は「終わった人」なりに、その「終わり方の美学」っていうものがなければいけないと考える。

 やはりその美学があるのか、ないのかによって、晩節を汚さずに過ごせるかどうか、ということがかかってくるんだよなあ。

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