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2016年10月

2016年10月31日 (月)

恐るべし「避難所総合訓練」??? それって何?

 文京区立昭和小学校は文京区本駒込二・四・五・六丁目が学区になっている。

 なので、その地域の町会である、上富士町会、神明町会、大和郷会が昭和小学校避難所運営協議会というのを形成していて、その協議会と文京区の主催でもって「秋の避難所総合訓練」っていうのが、昨日行われたので、ちょっと狭い地域ネタなんだけれども、ご紹介。

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 朝9時から始まった「避難所総合訓練」だが、各町会にはそれぞれ役割が割り振ってあって、「救護衛生班」とか「避難者援護班」とかがある。

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 我が大和郷会は「給食物資班」という、まあ炊き出しと備蓄物資の配給などが担当であります。

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 炊き出しには昭和小学校の地下備蓄倉庫からこんなでっかいコンロを出してきて、食事を作るわけですね。いやあこれが重い! エレベーターが動かなかったら、どうやって地上まで持ってくるんだろう。

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 とは言うものの、まあ、コンロでお湯を沸かしてこんな50食分のでっかいアルファ米を作ったり、レトルトのカレーを温めたりして、参加した皆さんに試食してもらうんです。

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 実際、私もそれを食べてみたんだけれども、いやあ最近のアルファ米って結構おいしいんですね。昔の山用の米とは大分違う。

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 で、後はこんな地震体験や、消防ホース体験などの体験コーナーが子供たちには受けていたかな。

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 しかし、小学校の地下室にこんな大きな備蓄倉庫があったり。

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 こんなにたくさんの備蓄物資が置いてあったなんて知らなかった。

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 いやあ「避難所総合訓練」恐るべしですな。

 参加してよかったっていうか、皆さん、大体近所の公立小学校が避難場所として指定されているはずなんだけれども、結構、備蓄物資ってのが充実しているんで、安心して避難してください。って言ったって、非難するときは安心なんかできないけれどもね。

Fujifilm X10 @Showa Elementary School, Bunkyo ©tsunoken

2016年10月30日 (日)

ブルズ、ロースコアゲームを制する

 Xリーグ・レギュラーシーズン最終戦のブルズの相手はX2から上がってきたブルザイズ東京。ただし、ブルズはXリーグ・イースト、ブルザイズはXリーグ・セントラルなのでこの試合の結果による順位の変動はない。

 で、まあそれはよいのだが、双方決め手を欠く攻撃でなかなか点が入らない。なんとか第1クォーター(Q)でフィールドゴールに持ち込んだブルザイズなのだが、結局、前半の両チームの得点はそれのみ。

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 なんと3対0という、何か野球の試合を見ているような感じで前半は終了。

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 第3Qはブルザイズのキックオフ、ブルズのリターンと、ここからがブルズの得点のチャンス。

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 第3Q残り8分23秒で#1猿渡がタッチダウン(TD)! この試合の最初のTDとなったものの、その後のポイントアフタータッチダウン(PAT)は失敗。まあ取り敢えず6対3の逆転には成功するブルズ。まあ、実はこの辺から頭の中には「超ロースコアゲム」ってのが浮かんできたんですけれどもね。だって「6対3」って、どう考えてもアメフトの試合じゃないでしょ。

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 その後も再び双方決め手を欠くオフェンスでボールは双方のチームを行ったり来たり。

 第4Q残り1分強になったところでブルズに攻撃権が来ると、このままラン攻撃で時間を使ってブルズの勝ちかな(おっ、それは予想通りの展開って)、思ったらなんと#5クォーターバック藤原がパスをするではないか。これをインターセプトされたら再び攻撃権がブルザイズになってしまうぞ、という心配ももどかは、何とか残り27秒で#19森が藤原のパスをキャッチ。そのままエンドゾーンへ運んでしまいTD! ありゃあ、ブログのコンセプトが狂っちまうじゃないかよ。って、言っても始まらない。

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 勿論、今回のPATはキッチリ決めて13対3で試合を終える。う~ん、なんだかつまらない。

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 まあ、さすがにキャプテン#2柚木もうれしそう。次は12月10日、11日のX2との入れ替え戦であります。

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 さすがに6対3っていう野球の試合みたいな最終得点にならなかったのはよかったが、まあブログネタ的にはそちらの方が面白かったんだがな。

「ブルズ、野球みたいな超ロースコアゲームを制する」って言ってね。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM @Yokohama Studium ©tsnoken

2016年10月29日 (土)

『定年するあなたへ』

「晴耕雨読」ならぬ「晴撮雨読」を実行している私のブログ。適当に雨の日、晴れの日が入り混じっていた(というか雨も多かった)8月から9月は、適当に本に関するブログも入っていたんだけれども、こう晴天の日が続いちゃうと、ほとんど本は読まずに毎日撮影行、ってことになってしまって、「本ブログ」ほとんど書かないってことになってしまう。

 まあ、現役時代は通勤と打ち合わせなんかの移動で毎日2時間位は電車に乗っていたので、その時間が読書時間だったんだけれども、今みたいに「毎日が日曜日」状態だと、かえって本を読む時間が少なくなるってのは予想外だったなあ。まあ、意識して本を読む時間を作ればいいっていうことなんですけれどもねえ。いやあ、それがなかなか……。

 う~ん、いかんなあと思っていたのだが、昨日は久々の雨でやっと本のことを書けるっていうか、久々に本を読んだっていう感じですかね。

Photo 『定年するあなたへ』(佐々木常夫著/サンマーク出版/2016年1月25日刊)

『定年とは、その所属先を失うことにほかなりませんが、そのときの反応は大きく二つに分かれるようです。
 ひとつは、「定年バンザイ!」というタイプ。会社の桎梏から解放されて、やっと分の好きなことができる。これからがほんとうの人生だ──そんな希望と再生の感覚とともにいきいきと定年後の再スタートを切る。いわば、定年を第二の誕生日のように笑顔で迎える人です。
 もうひとつは、定年を「心理的葬式」のように感じるタイプ。会社という働く場、生きる場を失って、これでおれの人生も終わりかという無力感や喪失感にとらわれてしまう。まるで、それを社会的な死のように悲観的に感じながら、不機嫌なしかめっ面や苦渋の表情で定年を迎える人です』

 まあ、その後者が10月6日に書いた『終わった人』なんでしょうけれども。

『定年とは、上下関係を軸とした組織社会から、水平関係を中心にした地域社会へ居場所を移すことでもありますが、このタテ社会からヨコ社会への移行がなかなかうまくいかない人がいます。
 たとえば定年退職後、地域の自治会へ加入したのはいいが、そこにも会社時代の肩書を持ち込んで、何かというと、上役気分でまわりにあれこれ指図する。加えて、上から目線の命令口調や相手の迷惑を顧みない自慢話。その結果、会員の女性陣から総スカンを食ってしまったなどという話をときおり耳にします。
 こういう人はきっと、現役時代も硬直した価値観をもち、部下を子分扱いしてはいばったり、えらそうな態度をとって、周囲から嫌われたり、うとんじられていたのにちがいあいません。
 そんな会社内部でしか通用しないタテ関係を、退職後のヨコ社会にも平然と持ち込む悪弊にいっこうに気づかない、改めようとしない――こういう中高年男性がいまは少なくないようです』

 えっ? そんな人が「少なくない」んですかねえ。

 私は、今は会社のOB会やら学生時代の旧友たちとか、マンションや地域の町会なんかの付き合いがいろいろあるんだが、そんな会社内部でしか通用しないタテ関係を、退職後のヨコ社会にも平然と持ち込む悪弊にいっこうに気づかない、改めようとしない」っていうひとには会ったことがない。

 なんなんだろう、まず会社のOB会に関して言うと、もともとこの会社には上司などを肩書で呼ぶ風習がない会社なんだよなあ。とにかく上司だろうが部下だろうが年齢が上なら「〇〇さん」って呼ぶ風習がある会社で、そういう意味ではあまり硬直した上下関係のある会社ではなかった。というか、そうしないと年功で皆同じように出世していく会社じゃないんだから(というかそこまで大きくない)、あまり「組織的にガチッ」と決められてしまう社会にすると却ってギクシャクしてしまうのは目に見えている。まあ、もともとが規則なんかもユルい会社なんだけれどもね。まあ、出版社っていうのは基本的に「一匹狼」みたいな社員が多い会社なんで、あまり「共同作業」をやるっていう意識がない。まあ、結局「言い出しっぺ」が何かをやらなきゃならない会社なんですね。出版社っていうのは。

 マンションや町会なんかもそうで、上下関係とかはもともとない社会なので、みながそれを受け入れてるっていうか、まあ、本来はそれが普通の社会。文京区本駒込六丁目っていうのは、マンションにしても町会にしても、そうした考え方を受け入れているインテリ層が多い社会なのかもしれない。

 うーん、そうなると住む場所なんかが大事になってくるんだなあ。要は地域の平等性ってものを皆が受け入れるためには、皆の知的な平等性が必要だってことなんだろう。

『定年の時期はずっと前からわかっていることで、転勤などとは違って、ある日突然、そのときがやってくるものではありません。だから本人さえその気になれば、定年後の日々へ向けて、いくらでも周到な準備をすることが可能です』

『残り一年前くらいになって初めて置かれた状況に気づき、「何の準備もしてない、どうしよう」とあわてる人がいるとすれば、よほど想像力に欠如していたか、怠慢のそしりを免れないと思います』

 って、まあ、それは当然だよね。

『定年後、再就職もしていなければ、地域やボランティア活動、趣味やスポーツなどに精を出しているわけでもない。ただ毎日家にいて、ひねもすテレビをながめているような同級生の存在です。
 社会的なコミットメント(かかわり)をまったく断って──言葉は悪いのですが──ただ単に生存しているだけのような人。こういう人はたとえ体は病気知らずであっても、心が老いているように思えてならないのです』

 まあ、こういう老年にだけはならないようにしましょうね。

『定年するあなたへ』(佐々木常夫著/サンマーク出版/2016年1月25日刊)

2016年10月28日 (金)

昭和を遠く思い出す・上尾事件の頃

 中山道つながりではないけれども、高崎線上尾駅である。なんか上尾のお祭りの宣伝が目立つなあ。

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 上尾といえば中山道の板橋、蕨、浦和、大宮に次ぐ5番目の宿場町。

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 道端にも「中山道上尾宿」なんて標示はあるんだけれども、周囲を見回しても「ここが本陣跡」「ここが脇本陣跡」「ここが問屋場跡」なんていう標示はひとつもない。

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 唯一あるのが「上尾宿総鎮守 氷川鍬神社」っていう、昔からある神社のみ。本陣はこの神社の前にあったそうだ。

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 まあ、隣の大宮宿まですぐそばだし、上尾はあまり大きな宿場町ではなかったんだろうな。なので、あまり上尾の人は昔の宿場町の保存や調査には一生懸命になれないっていう……。

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 で、私なんかは上尾っていうと上尾事件を思い出すんですよね。

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『上尾事件(あげおじけん)とは、1973年(昭和48年)3月13日に旧日本国有鉄道高崎線(現在の東日本旅客鉄道高崎線)上尾駅(埼玉県上尾市)で旅客が起こした暴動事件である』(Wikipedia)。

 当時、国鉄では国労と動労が力を持っていて、彼等がとっていた戦術が「順法闘争」というもの。朝のラッシュ時なんかにはATSの指示通りに運転しているとダイヤに遅れが生じてしまう。なので、ラッシュ時にはATSは切ってしまい、目視で運転する、なんていう結構乱暴な方法でダイヤ通りに運転していたんですね。それをキチンとATSの指示通りに運転したり、カーブなんかも「安全を重視して」必要以上に速度を落として運転したり、などの「決まり通りに運転するとダイヤが乱れてしまうから、そこは決まりを無視して運転しろっていう国鉄上部の判断に逆らって、そこは決まりを遵守して運転しよう」っていう、一種のサボタージュ戦術なわけ。当時、半官半民の国鉄職員は公務員と同じ扱いで争議行為が禁止されていたので、その逆を行く戦術として国労や動労は「順法闘争」というものをやっていた。

 これは「順法」なんだから、国鉄上層部としても闘争参加者を処罰するわけにはいかない、という作戦だったのだ。

 で、その日も順法闘争を行っていた国鉄高崎線の上尾駅に到着した上り電車は大幅に遅れを見せて、ということは当然電車の中は超満員、ってことで乗れない乗客が沢山いた。

 で、乗れない乗客が運転手を襲い、駅舎を襲いという暴動になってしまい、高崎線はストップしてしまった。ということになると最早手がつけられない状態になってしまい、駅前は投石する人、暴れまわる人などで一杯になってしまった。

 という事件。まあ、当時はこの上尾事件をきっかけに、いろいろな場所でこうした乗客の暴動事件が起きたんですね。本来、労働者であるサラリーマンが、同じ労働者である国鉄職員に同情するんでなく敵だと認識してしまった、という高度成長末期の近視眼的な発想がここにあった訳です。

「電車が混んで会社にいけないのなら、遅れて会社に行く or 会社休んじゃえばいい」っていう発想がないんですね。本来の労働者的発想からすれば、絶対にそうなるはずななんだけれどもね。

 まあ、今の正規雇用者(組織労働者)が非正規雇用者(未組織労働者)を敵と認識するようなもんです。

 皆、同じ労働者なんだけれどもねえ。あまり日本人の近視眼的発想って変わっていないんでしょうか。

 まあ、上尾の人だって上尾事件なんて知っている人はもう少ないんだろうなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Ageo ©tsunoken

2016年10月27日 (木)

中山道・安中宿

 昨日書いた安中市は中山道の板橋から数えて16番目の宿場。

 とはいっても、14番目には高崎宿だし、15番目の板鼻宿は碓氷川の川止めなんかもあって大きな宿場、ってことでここ安中宿はかなり地味目な二番目の宿場町って感じ。

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 碓氷川の河岸段丘からちょっと上がったところに旧中山道があるんだけれども、こんな感じ。ほとんど車も人も歩いていないっていうところかな。もっと上の方には国道18号線(現在の中山道)があったり、上信越道があったりしているんで、それはしかたがない「日常道路」なんですけれどもね。

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 で、この旧中山道から河岸段丘をも一つ上がったところにあるのが旧安中城なんだが、今はそれもなく旧安中藩郡奉行役宅とか……

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 武家長屋なんかが復元されているんだが……

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 まあ、観光客、来客はほとんど見えませんね。

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 まあ、「安中の史跡・見どころ」ってのが……

安中教会
旧安中藩郡奉行役宅
旧安中藩武家長屋
有田屋
新島襄旧宅

 っていうだけじゃ、昨日書いた場所ばかりじゃないか。

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 だからってなあ、「すきやき 新島」はないんじゃないの? そこまでして新島襄にあやかりたいの? 別にあなたが新島さんじゃないでしょう。

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 本当に安中って新島襄しかないんだろうか。

 まあ、湯浅治郎さんじゃNHK大河ドラマにはならないだろうしなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Annaka, Gunma ©tsunoken

2016年10月26日 (水)

新島襄が作った教会……?

 NHK大河ドラマ『八重の桜』でおなじみ、新島襄が作った教会が群馬県安中市にあるらしい、というので行ってきた。「日本キリスト教団安中教会」であります。

 でもちょっと待って。新島襄は「明治7年11月、横浜に帰着。最初に故郷の上州安中に向かい、三週間滞在した。滞在中に、藩校・造士館と竜昌寺を会場にキリスト教を講演する。その集会で30人の求道者がでて、日曜ごとに聖書研究会が開かれた」って言うんだから、やっぱり新島襄がこの教会を作った訳じゃないんだ。まあ、三週間で教会を作るのは無理だしね。

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 安中市には「新島襄先生旧宅」っていう史跡は残っている。しかし、新島襄は確かに安中藩士の子供として生まれたんだが、生まれは江戸藩邸でそのまま江戸で育ち、安中にいたのは生涯でアメリカから帰ってきた三週間だけだったらしい。

 つまり、このお屋敷は新島襄の実家かもしれないが「旧宅」ではないということになってしまいます。じゃあ、新島襄と日本キリスト教団安中教会との関連はどうなってしまうんだ。

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 ということになってくると、この旧中山道に面した場所にある旧家の醤油屋「有田屋」が重要な存在になってくる。

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 この有田屋の経営者、湯浅治郎は「福澤諭吉の著書を読んで教育の重要性を認識した湯浅は明治5年(1872年)に安中に私立図書館「便覧舎」を設置し、図書館事業の先駆となった。同郷の新島襄と親しく交わり、明治11年(1878年)彼を中心に安中教会が建設された時にキリスト教の洗礼を受けた」という人。

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 この人が中心になって「1878年(明治11年)3月30日に、男子16名、女子14名の30名が新島襄より洗礼を受け、安中教会が設立された。海老名弾正が仮牧師になり、千木良、湯浅、森本の3人が初代執事になった。安中教会は群馬県最初の伝道の拠点となった」というもの。

 この湯浅治郎が中心となって安中教会が設立されたっていうわけなんだ。

 湯浅治郎氏は「群馬県会議員となり、同16年県会議長に就任して廃娼運動の先導役」となったり、「安中小学校設立に関与し、新島の同志社や義弟・徳冨蘇峰の民友社を経済的に支援したほか、同志社・日本鉄道・日本組合基督教会などの理事を務めた。また、警醒社(後に警醒社書店)を設立して内村鑑三らの出版事業を助けた」などの社会運動に努めた運動家としての一面を持っていたようだ。

 安中市にある新島学園も新島襄とは関係ないのだが、湯浅治郎氏の孫、湯浅正次氏が創設したプロテスタントの学校。湯浅正次氏もいろいろ政治運動や社会運動をやっていた人らしい。

 同志社大学にも若干の推薦枠があるらしい。

 

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 まあ、有田屋が新島襄との関係があるのは分かったが、「新島襄と八重にご縁がある」っていうのは、ちょっと眉唾?

※引用はすべてWIKIPEDIAから

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Annaka, Gunma ©tsunoken

2016年10月25日 (火)

ROGLOAD代官山の今

 東急東横線の代官山駅を降りてにぎやかではない方の出口、東口を出る。

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 こちら側に出ると、ここがあのにぎやかな代官山の街? という気分になる。どちらかというと、西口はショッピングの街、東口は生活の街という住み分けができているんだなあ。まあ、西口の方は渋谷に近いし、東口は恵比寿に近いって関係論もあるんだろう。

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 で、少し坂を降りるとLOG ROAD代官山がある。

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 かつて東急東横線が走っていた跡地を利用してできた商業施設の今を見に行った。

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 開業当初はかなりの人出でにぎわったいたのだが、現在は少し落ち着いてきているようだった。

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 まあ、こうやって町はすこしづつ落ち着いてくるんだろうなあ。

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 今に、ここが昔東急東横線の線路だったなんてことも知られなくなるんだろうなあ。

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NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Daikanyama, Shibuya ©tsunoken

2016年10月24日 (月)

TOP8との入れ替え戦が見えてきた東大WARRIORS

 昨日行われた関東学生アメリカンフットボール1部BIG8の試合は、3勝0敗同士の東京大学ウォリアーズ対国士舘大学ライナセロス。勝った方が12月17日に行われるTOP8とBIG8との入れ替え戦「チャレンジマッチ」に出場できる可能性が高くなる一戦で、否が応でも気になる一戦となった。

 東大のキック、国士館のレシーブで始まった試合。第1クォーター(Q)は双方とも点が入らずに0対0に終わったのだが、その第1Q、国士館キッカーの#43中村の27ヤード(Y)からのフィールドゴール(FG)、普通なら簡単に決まる距離なのだが、これを外してしまう。このFG失敗が昨日の試合の勝負を決めたような印象的なFG失敗だった。

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 第2Q、国士館クォータバック(QB)のフィールド外への投げ捨てパスをデフェンスバック#2村本がインターセプトすると、残り6分21秒、東大のランニングバック(RB)#21関野が49Yのタッチダウン(TD)ランでまず先制。

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 その後、国士館RB#32高橋がTDで東大を追いかけ、前半を7対7で終える。

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 今度は東大のレシーブで始まった第3Q。残り9分8秒で東大RB宮山がゴール寸前まで運ぶランで攻め込むと、#21関野が再びTD。その後のポイント・アフター・タッチダウン(PAT)も決めて14対7とする。

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 同じく第3Q国士舘の攻撃は残り2分13秒で再び#43中村のFGとなり、今度は31YのFGを決めて、14対10.

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 その後も東大は#91のディフェンスライン伊澤エルゥイン賢一の2QBサックなんていうビッグプレイも挟んで、積極的なプレイを重ねる。

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 第4Q残り5分9秒、RB#33宮山が50Y近くのランで持ち込んで20点目。その後のPATは失敗したのも、残り時間と点差を考えるとご愛敬。

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 折り返しの国士舘の攻撃も残り2分41秒でパントで終了したら、その後は東大が時間を使ってゆっくり攻撃。とにかくランだけで時間を稼いで20対10で東大の勝利となった。

 結果、東大の4勝0敗で勝ち点は12となり、この時点でBIG8は東大がトップ。この後、専修大、帝京大、拓殖大の3校に取りこぼしをしなければ、東大にチャレンジマッチ出場権が入る。チャレンジマッチのTOP8出場校は多分、立教大か日体大だろうが、とにかくチャレンジマッチに勝利してTOP8に入り、来年は正々堂々と「目標は甲子園ボウル出場」と言ってほしい(ウソでもね)。

 まあ、高校球児が「目標は甲子園出場」って言うのと同じような意味ですけどね。

NIKON D7000 AF NIKKOR 70-300mm f1:4.5-5.6 G @Amino Vital Field, Chofu ©tsunotomo

2016年10月23日 (日)

新宿雑景

「雑景」って言ったって別に「雑な景色」っていう意味ではない。「特に関連性のないいろいろな景色」っていう位の意味である。「雑誌」の「雑」と同じ意味ね。

 今年、大阪は西成区で演っていた「日々雑景」っていうお芝居もそんな感じの芝居だったらしい。

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 で、私の「新宿雑景」は、いかにも新宿らしくない「どこにでもあるような風景」を撮影することから「雑景」が始まるのである。

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 そういえば、最近(といってもここふた月くらいかな)新宿には行っていなかった。

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 以前、上石神井に住んでいたころは、1ヵ月に数回は新宿に行っていたような気がする。まあ、西武新宿線の沿線だったから「そこしか行くところがない」というのがその大きな理由だったんだろう。

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 山手線の駒込周辺に再移動してからは、もっぱら池袋が以前の新宿みたいな感じで、しょっちゅう行く場所になってしまった。これはいかんなあ。池袋は、あくまでも生活のための街。新宿のような、生活とは関係のない「ただの街」に行かなければ、ということで久しぶりに新宿の街へ。

 てな感じで来てみれば、なんだこの花園ゴールデン街の端に位置する「テルマー湯」って?

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 そのまま歩いて新宿から大久保通りを経て……

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 飯田橋へ来たわけだけれども(ここも新宿区です)、この辺は以前とはあまり変わっていないな。

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 う~ん、やっぱり新宿駅周辺は「生きている街」なんだなあ。来る度にどこかが変化している。

「変化」が東京の象徴ということであれば、新宿や渋谷、大手町、八重洲、品川あたりなんてのが、ある意味では本当の東京なのかもしれない。

 う~ん、しかしやっぱり「雑な景色」だったのかな?

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Shinjuku, Wakamatsu, Shinjuku (c)tsunoken

 

2016年10月22日 (土)

『横浜港周辺歴史散歩』って言うよりは……

 現像が上がってきたので、10月13日の講談社社友会「横浜港周辺歴史散歩」の様子をUP。っていうか「モノクロなんだから自分で現像しろよ」なんて言わないでください。あの液剤を処理するのが面倒なんだよね。

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 で、当然桜木町駅を出発した社友会一同は、港の方へ行きます。間違っても13日みたいに戸部の方なんかは行きません。そりゃそうだ。戸部に行っても別に「横浜港周辺歴史散歩」にはならんもんなあ。でも、そっちの方が「深い」とは思いませんか?

 でまず、ドックヤードに行って、汽車道を進み、その先に海上保安庁の港があるのは知っていたんだが、「工作船資料館」なんてのがあるのは知らなかった。

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 つまりこれは、北朝鮮の工作船を海上保安庁が撃沈したんだが、それを引き上げて展示してる場所っていうわけ。

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 ちょっと錆々にはなっているんだが……

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 押収したAK47などの武器なんかも展示されている。

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 この北朝鮮の工作船が何のために日本近海に来ていたのかといえば、まず一つは拉致被害者の護送と、もう一つは覚醒剤の密輸のためである。

 まあ、それだけ北朝鮮経由の覚醒剤が日本にはびこっているっていうわけ。まあ北朝鮮国家→在日朝鮮人(韓国人)→日本ヤクザっていうルートがあるんだろうなあ。

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 で、工作船資料館を出たあとは、赤レンガ倉庫、横浜税関、開国記念館、神奈川県庁で山下公園に行って、インド水塔、赤い靴はいてた女の子の像とカモメの水兵さんの記念碑、で氷川丸っていうおなじみのコースを巡って……

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 池波正太郎氏おすすめの北京料理店「蓬莱閣」で餃子と紹興酒ってわけなんだから、まあ行ってみれば横浜観光の通常コース。

 こりゃあやっぱり「花より団子」っていう「歴史散策」だな。

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LEICA M3 LEITZ ELMARIT-M 28mm f1:2.8 @Yokohama (c)tsunoken

2016年10月21日 (金)

「PRAHA Chotoku 1985・2016」開催!

 東都大学野球、中央大対専修大の第2戦は2回に2点、6回と8回にそれぞれソロホームランを打った中央大が4対0で打ち勝って、勝ち点2を獲得。まあ、後は専修大の皆さんに入れ替え戦を頑張っていただきましょう、ということになったので、試合終了後は早々おいとまをして、神田明神そばのフォト・ギャラリー〝ギャラリー・バウハウス″へ行ってきた。

 そうギャラリー・バウハウスは今年創立10周年ということらしく、その記念の年ということで今年は『プラハ年』だそうで、その第4弾として「田中長徳写真展 PRAHA CHOTOKU 1985・2016」が昨日から開催されているのだ。これはチョートク・ファンとしては行かずばなるまいということで、初日に行ってきたっていうわけ。

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 田中長徳氏とプラハといえば、以前『屋根裏プラハ』の出版記念として日本橋だか京橋のギャラリーで、やはりプラハの写真展を開催していたのを見に行った。

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 それは1989年から2014年まで、プラハにアトリエを構えていた長徳氏が撮りためていた写真の展示会だったのだが、今回はその前と後、1988年夏と2016年1月のプラハ行でもって撮影された写真が展示されている。

 といっても、その違いや撮影対象についてまったく知識のない私には、よくわからない。というか、未だ東ヨーロッパというのはブルガリアのソフィア以外は足を踏み入れていない。チェコとかハンガリー、ポーランドといった国にはそれなりに魅力はあるのだが、どうも旧ソ連圏にはあまり行っていないんだなあ。

 まあ、これまではヨーロッパ旅行って言えばビジネス旅行ばっかりだったので、どうしても西ヨーロッパ中心になってしまうのであった。

 こんど機会があったらチェコかポーランドに行ってみたい。特にチェコは旧ソ連圏内にあっても、西ヨーロッパに開けていた場所なので、あまり東ヨーロッパ的ではないらしいのである。

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 で、昨日は写真展初日だったためか、田中長徳氏が在廊していたので、お話し中ちょっと割り込んで一枚撮影。いや、お邪魔しました。

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 期間中、田中長徳氏のギャラリー・トークが2回あります。

 1回目は10月22日、2回目は11月12日のそれぞれ土曜日、午後7時から。それぞれ別のテーマのようなので、詳細は下記公式サイトをご覧ください。

Prahachotoku

「PRAHA Chotoku 1985・2016」は11月26日まで開催中。

ギャラリー バウハウスのサイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Gallery Bauhaus, Kanda, Chiyoda (c)tsunoken

2016年10月20日 (木)

がんばれ中央大、あと1勝だ!

 箱根駅伝予選会では11位に沈んだ中央大学。「ああ、もうこれで正月の讀賣新聞前行きや日テレ観戦はなくなるなあ」なんて考えていたら、神宮でも中央大は熾烈なドベ争いをしているのだった。

 辛うじて勝ち点1を挙げて5位につけているのだが、最下位の専修大と中央大は、専修2勝8敗、中央2勝7敗と紙一枚の差。昨日・今日の対戦で専修が勝ち点を上げてしまうと、同じ勝ち点1でも勝率で負けてしまい最下位、見事中央の入れ替え戦出場となってしまうのだ。

「うわっ! これはいかん!」と神宮球場に駆けつけてみると、なんと第1戦目の日本大が1対0で勝ちかと思っていたら、亜細亜大が頑張っちゃってなんと延長14回まで押している。そのおかげで、肝心の中央大対専修大戦の試合開始は50分ズレて午後2時20分になってしまった。

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 まあ、それでも1回裏、2番土谷が出塁し……

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 吉田のタイムリーで……

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 まず1点先取。

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 その後も堀内の打球をライトが捕球エラーをしているうちに2点。

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 と1回裏に3点を先取した中央大。幸先のよいスタートを切った。その後、2回表に専修大から1点を返されたものの、専修大の反撃もそこまで。その後、延々と6回までゼロ行進が続く。

 う~ん、このゼロ行進が嫌なんだよねえ、どこかで反撃を食らってっていう、いつもの中央大の試合の展開だなあ、これでどこかで追加点を取られちゃったらなあ、と思っていたのだが、7回の攻撃の前の校歌斉唱が効いたんだろうか(まあ、別にそんなことはないんだろうけれども、まあ「応援団視点」っていうんですか?)。

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 7回裏、飯嶌、土谷の連続ヒット、吉田が四球を選ぶと、小河のセンターへのタイムリーで2点追加。

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 いやあ、なんとかこれで勝ちが見えてきたっていうものだ。

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 試合はそのまま、8回表裏、9回表を終了し、中央大の先勝!

 これで中央大3勝7敗、専修大2勝9敗とホンのちょっとリード。

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 今日も勝てば、入れ替え戦行きはないぞ……。

 今日も応援しに行かなくちゃあな……。ギャラリーバウハウスの田中長徳写真展はその後だ! まあ、神田で近いしな。

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 しかし、終わってみればすっかりナイターだよ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 70-300mm f1:4.5-5.6 G @Jingu Stadium (c)tsunoken

2016年10月19日 (水)

高村智恵子の生家に行ってきた……ただそれだけ

 じょーもぴあ宮畑のあとは高村智恵子の生家(復元したもの)があるという二本松市へ。

 智恵子の実家は「花霞」という日本酒を作っていた造り酒屋だったんだが、「米屋」という看板もある。まあ、昔の話なんで造り酒屋は比較的裕福だったので、頼まれてなんでも扱っていたんだろうなあ。

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 と、突然「ドッドーン」という花火の音とともに天狗が登場。

「なんだなんだ」と思っていたら、10月15、16日はすぐそばの秋葉神社の祭礼だったそうな。

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 まあ、それにしても「智恵子物産店 戸田屋」でしょ。

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「智恵子のふる里 手造り銘菓 南屋」に……

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「智恵子の生家みやげ 奥の白梅 おいぜん」って、なんかみんな智恵子にぶら下がっているんだなあ。

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 周囲だって「智恵子の杜公園」はまだいいにしても、「智恵子の森団地」や「智恵子の湯」になってしまうと、「いー加減にせい!」って言いたくなってしまう。

 それこそ「智恵子抄」ならぬ「智恵子ショー」だし、「智恵子症候群」になってしまいそう。

 まあ、それだけ何もない町ってことなんでしょうけれどもね。

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 二本松の駅前だって、こんなになーんにもない空間だしね。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Nihonmatsu, Fukushima (c)tsunoken

2016年10月18日 (火)

「じょーもぴあ宮畑」って、すごいネーミングセンス

 まあ、アメフトが目的の今回の福島行、特に翌日の予定は入れてなかったんだが、取り敢えず観光場所だけは知らべておいた。

 しかし、「御倉邸」なんていう昔の日本銀行支店長の家を見たって面白くないし、「旧堀切邸」っていう古民家園なんて東京周辺にも沢山あるしなあ、ってことで宮畑遺跡という縄文時代の遺跡があるそうなので、そこに行くことにした。

 で、カーナビに「じょうもぴあ」と入力してもとんでもない場所に連れていかれてしまいそうになり、もう一度調べたら「じょうもぴあ」ではなくて「じょーもぴあ」なのだった。「じょうもんじだい」だから「じょうもぴあ」だと思ったら、福島弁では「じょーもんじだい」なんだなあ。

 スゴイ言葉のセンス。

 で、国道を走っていたら突然「← じょーもぴあ宮畑」っていう看板が。もう、危うく見落としちゃうじゃないかよ。

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 宮畑遺跡は、もともとは工業団地開発のために発掘調査をしていたところ、1998年に大型柱穴が出てきたことで大騒ぎになったそうで、2003年に国の史跡に指定され、市は保存を決定。2007年に「宮畑遺跡史跡公園」の愛称が「じょーもぴあ宮畑」に決まったそうだ。

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 じょーもぴあ宮畑の体験学習施設の展示室には「しゃがむ土偶」や……

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 さまざまな発掘された土器なんかが展示されている。

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 で、表に出てみると縄文晩期に作られた掘立柱建物群(大型柱穴の元はこれ)の集落や……

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 縄文中期の竪穴式住居などが再現されていて、昔の生活の様子が窺える。

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 特に掘立柱建物(三大丸山遺跡みたいなやつね)はムラの行事の際に使用されたと推定され、その掘立柱建物の周囲には幼児の墓と思われる甕が数多く発見されたそうだ。

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 まあ、縄文時代にロクな医療があったわけではないので、幼児の死亡率は相当高かったんだろう。で、そんな亡くなった子どもをいつまでも母親のそばに置いておきたいという気持ちが、そうした数多くの埋甕になったんだろうな。

 そんな「生と死」が隣り合った世界が古代の特徴だったんだろう。今でも、田舎の方へ行くと家を守るような小高い丘の上などに墓があったりする。そんな世界が昔は当たり前だったんだろう。

 その他、じょーもぴあ宮畑では「勾玉作り」「アンギン編み体験」「土偶作り」「縄文しおり作り」「火おこし」「弓矢体験」などの体験学習ができるようになっている。体験学習は日替わりなので、ホームページで調べて、ご来園ください。

 東北地方にはこうした縄文時代の遺跡が数多く見られ、弥生時代の遺跡が多い東海や関西地方とは大きく異なる部分でもある。私が東北系の人間だからだろうか、私はこうした縄文遺跡の方が弥生遺跡より好きなのだ。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Fukushima (c)tsunoken

2016年10月17日 (月)

アメフトのブログはやめて、餃子ブログに変更・福島の夜

 10月15日はXリーグの一戦、明治安田生命ペンタオーシャン・パイレーツ対ブルズ・フットボールクラブのゲームが福島市の信夫ヶ丘競技場で開催された。

 なんで、わざわざ福島市なのかといえば、「東日本大震災復興祈念大会」というのだそうで、開始前には福島市長や福島選出の国会議員の挨拶など、まあちょっと余計なセレモニーがあって、試合終了後は地元の子供たちを相手に、タックル合戦や、ボールキャッチ、尻尾取り(フラッグフットの簡単版)なんかをやって選手たちは地元の子供たちとの交流を楽しんでいたようだ。

 でも、基本的には「ゲーム」。パイレーツのキックオフ、ブルズのリターンで始まったゲームなのだが……

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 第1クォーターをパイレーツの1フィールドゴールだけで抑えたブルズ。

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「おお、今日のブルズは結構やるじゃん」なんて思ってみていたら、結局、いつものブルスに戻ってしまうんですねえ。

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 第1クォーター3対0が、なんで試合が終わると27対0になっちゃうの? う~ん、もう面白くない、ってもんでアメリカンフットボールの戦評はやらない。

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 ってことで、福島なら「餃子」らしい、というのをカミさんが調べていたので、人気餃子店を訪ねてみたんです。

 で、どうも一番人気がここの「満腹」ってお店らしいんだけれども、いやあこれが分かりづらいところにあるんですね。表通りからは店の裏側が見えて、でも表が見えない。で、ちょっと行くと狭い道があって、その先にお店があるっていう具合。

 まあ、それでもやっと見つけたぞって、店の前まで行ってみれば……

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 なんとそこには「忌中」の張り紙が。うわ~、せっかく来たのに~、なんで今日たまたま「忌中」なんだよってなわけですね。誰が亡くなったのかは知らないけれども。

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 で、もう一つ人気店の「川鳥」ってのをやっと探し当てて行ってみれば、「あ~、今お客さんいっぱいで席ないです」だってさ。

 で、やむなく前に通った「焼ギョーザの勝二郎」にいって、一皿餃子五つ100円の三皿分ってのを食べて帰ってきました。まあ、「安い!」っていうくらいで特別おいしいってこともなかったですけれでもね。まあ、まずくはなかった。とにかく「安い!」。

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 しかし、う~ん、食べてみたかったな「満州仕込み、庶民の味」っていう「満腹」の「元祖円盤餃子」ってのをね。

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 まあ、アメフトの試合でもない限り福島市には行かないだろう。

 何せ、廃藩置県の結果できた福島県の文化的にも政治的にもその中心は会津若松なんだけれども、結局、戊辰戦争の結果、明治政府の意向で福島県の県庁所在市は福島市になってしまい、会津若松は外されてしまった、ということなんですね。人口的には郡山の方が上だし、磐越西線・東線、山形新幹線の乗り換え駅の郡山市の方が格上なんだろけれども、なんで、通過駅の福島が? ってのが、福島市の印象なんですね。とにかく街が小っちゃい。

 これからも行く機会は多分ないだろうから、「満腹」の餃子を食べに行くことはないだろう。だって、どうしても餃子っていうんだったら、手前の宇都宮に「みんみん」があるもんね。

 わざわざ福島まで餃子食いにいかねえよ。

NIKON Df SIGMA 150-500mm, AF NIKKOR 24-85mm (c)Fukushima (c)tsunoken 

2016年10月16日 (日)

『心理のことば』なのかどうかは分からないけれども……

 実は私が一番仏教について感じでいるところはここなんですよね。

『仏教は、キリスト教やイスラム教など、他の宗教にくらべてはるかに多様性の高い宗教です。日本の仏教だけでも禅宗、浄土宗、浄土真宗、天台宗、真言宗、日蓮宗などなど、数多くの宗派がならびたっていますし、世界全体でみれば、それこそ数え切れないほどの異なる教団がそれぞれ別個に活動しています。仏教という宗教は、実際には「仏教」という一つの言葉でくくるのが難しいほどに変異性の高い、さまざまな思想の集合体なのです』

 でも、「日蓮宗」みたいな絶対的な指導者を作っちゃったのは「宗教」なんだけれども、ほとんどの仏教は宗教っていうよりは「哲学」なんですね。そこが私が仏教ってのは特別なんだなと感じている部分。

 実は私の家はそういう意味では二つの宗教に分かれているんですね。まあ、どうでもいいんだけれども。

 私自身の家の実家は禅宗の曹洞宗、浅草今戸の慶養寺っていう、八代目林家正蔵の(というか林家の歴代だそうだ)お墓があるお寺なんだけれども、私の奥さんはたまたま一人っ子だった関係で、妙高市新井にある浄土真宗大谷派の光源寺っていうお寺の墓守をしなけばならないんですよね。

 う~ん、禅宗と浄土真宗ってそれこそ相いれない宗教だと思うんだけれども、それさえ習合してしまうのが仏教ってことなんでしょうね。

Photo_2 『ブッダ 真理のことば』(佐々木関著/NHKブックス/2012年8月31日刊)

『この子は私という存在の一部を受け継いで生まれてきた。だからこの子は私の一部なのだ」という気持ちがあるので、自分の子にだけ特別な思いが湧くのです。それだけなら親の情として当然のことですから問題ありません。しかしその情愛が増幅されていくと執著になります。自分で勝手に子どもの生き方や将来の職業まで決めてしまって、無理矢理その道を進ませようとする。「お前はこの家を継がねばならない」とか「あなたは将来、こういう学校を卒業して、こういう仕事につくんですよ」などと言い出す。子どもを自分の所有物だと思うから執著が湧き、自分の思うとおりに動かしたいという欲求が生まれてくるのです。
 実際には、子どもだって一人の独立した人間ですから、親の思惑どおりに動くはずなどありません。そして、その思惑と現実が食い違った時、「ああ、つらい」と苦しい気持ちが生じます。「お前はどうして、私の言うことを聞かないんだ」と怒りの心も起こります。執著することでどんどん膨らんでいく苦悩の連鎖です。しかし「子は子、親は親。それぞれ別個」という現実の状況が理解できていれば、そのような苦悩ははじめから起こりません。「授かった大切な子どもだから、しっかり育てて、あとは本人の人生だ」と思っていれば余計な悩みなど起こらないのです』

 まあ、そりゃそうだよな。子供が親の言うことなんか聞くわけもないし、親も子供からの言い覚めも聞くわけないし、子どもと親との時代的な感覚の違いもあってこれは絶対に狭まることはない差なのだ。

 まあ、実際の仏教ってのは、普段の生活の中で普通に行っていることを基本にできているので、普通に生活して普通に来ている以上は、日本人はそれを意識せずにいられるんだけれども、たまに意識しちゃうと「ああ、座禅をしちゃいたいなア」なんて感じてしまうんだろうなあ。

 私も、どこかで座禅に参加してみようかな。

 でも、単なる「瞑想」なんでしょ。

 瞑想の意味や・方法・価値は知っているしなあ。

 でも、仏教の本質は「瞑想」である、ってのはいい言い方かもしれない。

『ブッダ 真理のことば』(佐々木関著/NHKブックス/2012年8月31日刊)

2016年10月15日 (土)

もちろん『マンション格差』だって、おおいにあるのだ

 いろいろなところに「格差」があるようで、今回は『マンション格差』だ。

「まえがき」で榊氏は35年前に都心に勤務するサラリーマンA氏とB氏がそれぞれ4000万円前後のマンションを35年返済のローンで購入した話を書いている。そのA氏とB氏、35年ローンを支払い終えて、マンションの売却を検討。不動産仲介業者から売却の査定を受けたところ、A氏のマンションは3200万円、B氏のマンションは800万円とのこと。A氏のマンションは東京23区内、駅から徒歩5分、間取り3DK、面積50㎡。B氏のマンションは千葉県、駅から徒歩11分、間取り4LDK、面積98㎡。

 そりゃあ当然だわな。

Photo 『マンション格差』(榊淳司著/講談社現代新書/2016年10月1日刊)

 以下は、私も知っている冷厳たる事実。

『「不動産の資産価値は9割が立地」
 よく指摘されることだが、これは冷厳な事実である。誰も逆らえない。マンションなら、その建物の建築デザインや共用部の充実度、住戸内の居住性も確かに資産価値に多少影響する。しかし、全体評価の1割以上までは影響しないだろう』

 つまり、マンションのデザインとか、共用部の作りなんかは、基本的にデベロッパーがお客さんを「その気にさせる」ための仕掛けでしかないから、そんなもので選んではいけないってことなんだ。

『マンションの価格はどのようにして決まるのか?
 基本的にはコストの積算方式である。 土地代(仲介手数料) + 設計料 + 建築費 + 販売手数料 + 諸費用  これらのコストに加えて、デベロッパーの利益を乗せたものが、新築マンションの価格となる』

 このコストの大半は土地代である。それ以外のコストはどんな設計のマンションを作ろうがたいして違いは出ない。

『「どこでマンションを買えば、資産価値が下がりませんか?」
 よくいただく質問である。
「港区の青山と千代田区の番町ですね」
 東京ならそう答える』

 そりゃそうだろう。

『不動産業界の間では、千代田区の番町エリアもマンション価格がほとんど下がらないことで知られている。特に市ケ谷駅の裏手になる四番町や五番町は、めったに新築マンションが出てこない。中古マンションも新築時とほぼ変わらない価格で取引される』

『江戸城に近い番町には各大名の上屋敷が多く、青山付近には中屋敷、下屋敷が多かった。その他、高輪や麻布、駒込などもお屋敷町。そういった元のお屋敷町が現在、上質な住宅地に変貌している』

 フムフム

『典型的なのが、東京都文京区の「窪町小学校」と、京都市内の「御所南小学校」。この2つの通学区は私が知る限り、東西の横綱公立小学区である。最寄り駅で言えば、窪町小学校は東京メトロ丸ノ内線の「茗荷谷」、御所南小学校は京都市営地下鉄烏丸線の「丸太町」か東西線の「京都市役所前」。
 通常なら資産価値に大いに関係するはずの「駅徒歩○分」ということを超越して、この両校の通学区であるか否かによって新築も中古マンションも、資産価値の評価が1割は違う。特に京都市の御所南小学校の通学区で起こった異様なマンションの値上がりは、御所周辺エリア全体をバブルに導くキッカケとなった。
 また、窪町小学校エリアには、徒歩通学圏に悠仁親王が通うお茶の水女子大学附属小学校や筑波大学附属小学校、東京学芸大学附属竹早小学校がある。それぞれの小学校には幼稚園が併設されている。このエリアに住めば、幼児教室が近くにあったりして「お受験」に参戦しやすいわけで、教育熱心な家庭にとっては魅力的だろう。また、家計的に「中学までは公立に通わせたい」という親にとっては、文京区の「誠之小学校」「第六中学校」の通学区の人気も高い』

 これもまたよく聞く話だなあ。

 つまり、これらの地域って昔からの「山の手」(つまり「高台」ってこと)のお屋敷町だってことで、結局は多少無理してもそういったところに家(一戸建てが無理ならマンションってことですね)を買っておくのが資産的に一番安心できるってことですね。

 まあ、自分の住むところというのは、自分の哲学であるから、その結果としてどこに住もうがその人の哲学に合っていればどこにでもいいのであるが、特に哲学がない人は、やはり資産的に一番安心できる場所に住むっていうのが賢い方法なんじゃないだろうか。

『タワーマンションに住みたがるのは、基本が見栄っ張り』

 と言われようが、別に気にすることはない。ただし……

『見栄や嫉妬というのは、人間の感情のなかでやましい類のもの。タワーマンションに住む、ということはそういった感情との戦いを伴うことも意味する』

 ということは、タワーマンションに住むということは、基本的に高層階に住むっていうことなので、タワーマンションの低層階に住むのならば、普通の大きさのマンションに住んだ方が精神的にはツラくないってことだろう。特に、江東区に多いタワーマンションだったら、なおさら高層階に住まない以外は住む価値はないってことなんだと思う。

 また、今話題の豊洲あたりのタワーマンションはその風評被害もあって、どんどん値下がりしているという。まあ、もともと東京湾を埋め立ててできた土地だから、液状化の危険性も高いし、あまり住む気にもなったことはないが、若い人たちはあまり気にしないのかもしれない。

 しかし、なかなか住む気にはなれないなあ。

 やっぱり、私にとっては文京区が一番なんですね。

 ってなことで……、今日はこれから福島まで行ってきます。なんでフクシマ? まあ、それは、うまくすれば明日のブログで……。

『マンション格差』(榊淳司著/講談社現代新書/2016年10月1日刊)

2016年10月14日 (金)

『洗えば使える泥名言』はいいけれども、結局は高須さんへの……

 まず「泥名言」って言うだけで西原理恵子さんらしい言い方なんだけれども、それが『洗えば使える泥名言』ってなっちゃうと、完全に西原ワールドですね。

 漫画自体がエッセイ漫画なんで、やっぱり普通に文字のエッセイも漫画と同じ楽しみを与えてくれます。

Photo 『洗えば使える泥名言』(西原理恵子著/文藝春秋社/2016年8月29日紙版刊・2016年9月20日電子版刊)

 で、どんな「泥名言」かというと……

『第1章 【仕事の名言】
「それを描くのがお前の仕事だー! 」「ウチはもっとこう便所の落書きみたいのでないと 」「何で原稿料とか払うの? みんな好きで書いてるんでしょ? 」「六はいないか? いなきゃ四でもいいぞ!」「 どうして俺を待たないの? 」「お客さん、包装紙開けてからの取り替えはさすがになしですわ」「 会社はニキビより簡単につぶれる」「ニッポンジンコマカスギー 」「一生に一度だけは本気で勉強しようぜ」「一番偉いのは司馬太郎。 病気は作んなきゃ」「公務員が本気で逃げたら誰もかないません」「人のことを憎み始めたらヒマな証拠」

第2章 【お金の名言】
「前科とお金とどっちが大事?」「半分も払ったのに」「ウチはピンハネじゃない、全ハネだから」「1億カモれたら、もう1億盗れますよ」「金の斧も銀の斧も鉄の斧も私のもの。ついでにその沼の借地権も私のもの」「100万円貸してくれと言われたら、10万円あげなさい」「月30万でいいから私にくれて、何にも言わない人いないかしら」「夢がないから夢を聞かれてもわからない」「これで借金が増えん!」「コンビニってお正月みたいだねぇ」

第3章【男と女の名言】
「ねえ、オレの靴下どこ?」「無理マン」「テベガメやりに行こうやー」「マンコ1回は数に入らん」「金ちゃんね、夜5回、朝2回なの。これは恋だと思うの」「洗って返せば大丈夫」「歴代の女が泣いてわめいて角取ってくれた中古の男がちょうどええ」「一人3チンポ」「それはね、「のりしろ」といって、数えなくてもよくってよ」「明日フライトだからキミの顔見に来たよ」「男の人生は真夜中のスナックや」「毎日ウソついたらええやん」「すべての男は3等賞や。それを1等にするのも6等にするのも自分や」「親が東北出身なのが最大の悩み」「キミが変われないように僕も変われない」「 今まで寝た男の中で一番ええ男や」

第4章【家族の名言】
「世界中の人がお前を悪いと言うなら、世界中が間違うとる」「バカ、ケチ、怠けは酢を飲まない」「蛍光灯に当たると背が伸びる」「日本人しか踊りは踊らん」「あんた、ストッキングの色違うで」「連れ子のくせに遠慮して育て」「あんたのお母さんは偉かったぞね」「いつも心に野村沙知代」「わが校では家庭に問題のあるお子さんは一人もおりません」「ケンカはええ。ウソはいかん。ウソつくのは盗む。ほんでおらんようになる」「 隣から1借りてきたら? 返さない」「お父さん、はやくねてね。そうじゃないとそーだきんしにするよ。りえこ」「あいつ脈までブス!」「言うちゃりとうない」「なんちゃやない」「白いのはやるな」

第5章【生と死の名言】
「今日は天気がええけん、今日いかしちゃる」「オレらに連絡してもうたら全部うまいことやっちょいちゃったのに」「また魚獲りに行っちゅうだけやきに」「醬油飲んだら温もるで心配しなや」「人は2回死ぬ。1回目が命が途切れたとき。 2回目は人々に忘れられたとき。そのときが本当の死なんです」「すべての患者様には希望しか与えてはいけない」「あの新しい船に乗った誇らしげな鴨志田さんをご覧なさい」「人って死ぬよな」「ライオンは弱い奴を狩りに行く」「そういう時はアメリカ大使館に逃げるんだ」「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」「気に入らんかったら殺してくれや」「僕ね、あんまり長く生きられないんだよ、時間がもったいないんだよ。 だから笑ってくれないかな」』

 まあ、その一つ一つが「らしい」んだけど、やっぱり西原さんらしいのは、これらのセリフですわな……

『高須先生なんかも若いときの写真見たらひどいもん。マカオグランプリでレースクイーンに囲まれてすごい車乗ってシャンパン持ってとか、そんなのと絶対付き合えるわけない。しかも、昔はいつもものすごく怒ってたらしい。今はみんなに「丸くなった」。全然怒らないから、やっぱり中古がちょうどいいですね。チンコやわいけど』

 まあ「チンコやわいけど」っていうところが西原さんらしいけれども、でも鴨ちゃんの方がもっとチンコやわかったと思うけどなあ。

『高須先生とは、会えるときは必ず会う。といっても、どこかに行くってことはなくて、先生が仕事で東京に来たときに、ホテルで晩ごはん食べて一緒に寝て、朝起きて解散みたいな感じですけど。リゾートでのんびりとか大嫌いな人だから』

『それでも人はいつかは死ぬんですけど、それで終わりじゃなくて、みんなに忘れられたときが終わりだっていう。なるほどなと思いましたね。
 でも、よく聞いたら、そんなにいい話でもなくて。自分が後世でどう語り継がれるかということをものすごく気にしてるんですよ。包茎のインチキ医者じゃなくて立派な人だったということにしてほしいみたいで、高須克弥記念財団とか作って善行をアピールしたり、非常に悪あがきしてますね。私にも「ちゃんとマンガで描くように」って言ったり。何かで成功した人とか蓄財した人って、だいたいそうなりますよね』

 でも、まあこうなっちゃうとちゃうとどうしようもないんだろうあな……。

『自分も50歳を過ぎたので、やっぱり時間は大事にしたい。まあ、高須先生からは「キミは長生きするよ。あと40年はピンピン。そしてみんなに迷惑かけるタイプ」という診断をいただきましたけど。皆さんも時間は大事にしてください』

 別に不倫関係でもないいだろうしなあ。まあ、普通の大人の男女関係? って、それって理想じゃないですか!

 まあ、ある種のね。

『洗えば使える泥名言』(西原理恵子著/文藝春秋社/2016年8月29日紙版刊・2016年9月20日電子版刊)

2016年10月13日 (木)

横浜西区戸部……って? 実は横浜の中心地

 う~ん、昨日はテレビ観戦大変だったよなあ。NHK-BSでは北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークス、J SPORT1が広島東洋カープ対横浜DeNAベイスターズをチャンネル行ったり来たりしながら見なきゃならなかったもんなあ。

 まあ、テレビ2台置きゃあいいんじゃないってな「悪魔のささやき」もあったにはあったんだが、それ以上に、もともと北海道日本ハムファイターズって元の東映フライヤーズだし、横浜DeNAベイスターズだってもともとは大洋ホエールズでしょ。

 両方とも、ある時期は「リーグのお荷物球団」って言われていた時期があるんだよね。それが今や日本を代表するリーグ1の球団になったっていうんだから、これが興奮せざるを得なくないですか? (って、何年前の話?)

 ……、まあ、それはいいとして、今日はK談社社友会の「横浜港周辺 歴史散歩」が開催されるんだけれども、桜木町で合流して、行く先はいつもの日本丸、汽車道、赤レンガ倉庫、山下公園、中華街っていうコースなんで、うん、あまり面白くはないなってことで、1日早く、別の横浜写真撮影コースを、勝手に設定したっていうわけ。

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 ということで、横浜線桜木町駅を降りたんですけれども……

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 当然、こっちの方には行かないわけで、私は「普通の横浜」の方へ行くわけです。

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 と言って、別に特別なところに行くわけではなくて、ごく普通の道を歩いているだけ。

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 横浜らしい(?)中華屋さんとか……

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 普通の中古本屋さんとか……

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 質屋さんとか、あるじゃないですか、横浜にも。でも、これらって普通の街にもありますよね。で、それが写真の対象としていいんじゃないんですかね、っていうのが私の考え方。

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 そりゃそうだよね。普通に人が住んでいる街なんだからね。普通に、普通のお店があって、その裏ではちゃんと毎日の生活があって、普通に暮らしている人たちがいるんだよね。

 だから、それがいいんじゃないですか。

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 最後が、横浜市西区をすべておさえてるっていう戸部警察署なんですね。

 つまり「観光」って観点から見てしまうとこうした部分が見えなくなってしまう。

 基本は「毎日の普通な暮らしがあって、その上に、観光も生まれる」ってことでしょうか。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Tobe Yokohama (c)tsunoken

 

2016年10月12日 (水)

『武器としての人口減社会』を実現することの難しさ

 さすがにOECDの職員だけあって、豊富な資料を添えた論議はたいしたもんだが、実はその資料はほとんど見ていないのですね。

 まあ、電子版では見にくいってのもあるけれども、結局はそうした資料を駆使して説明する村上氏の「論」の方が重要だってことで、ヒラの文章の方だけを読んで、これを書いています。

Photo 『武器としての人口減社会 国際統計比較でわかる日本の強さ』(村上由美子著/光文社新書/2016年8月20日紙版刊・2016年9月9日電子版刊)

 でも、結局はこの結論に行きつくんだよなあ。

『少子高齢化を経済成長のプラス要因として、そしてビジネスの相対的優位性として利用するための条件を揃えている国は、日本以外にほぼ皆無と言っても過言でありません。テクノロジーが人間の仕事を奪うことを歓迎できるのは、ほぼ完全雇用状態である日本に、深刻な労働力不足という追い風が吹いているからです。
 テクノロジーと協業できる人材を育成するために必要な、世界トップレベルの教育とスキルを有した人的資源が、日本にはあります。中高年齢層のスキルレベルは特に高いので、再訓練を受ければ新たなスキル取得は充分可能でしょう。日本人女性は男性同様、世界トップレベルのスキルを有しているので、彼女等の経済貢献には大きな伸びしろがあります。このように恵まれた人的資産の有効活用と、テクノロジーによる自動化、効率化の促進を同時に進めていくことで、長年低迷してきた生産性を向上させることができるのです。これは、人口減少から生まれる危機感と必要性がない他の国々にはできないことかもしれません。まさに、今の日本だけが有しているチャンスなのです。
 優秀な人材を有効活用するためには、労働市場の流動性を向上させ、年功序列に代わる成果主義の導入を中心にした雇用慣行の見直しが必要になります。失業が増えることはもちろん好ましい状況ではありませんが、セカンドチャンスが可能な社会を促進し、転職がむしろキャリアアップになりえる環境を構築していくことで、雇用主側も労働者も、より多い選択肢を享受することができます。すでに高度な日本の教育システムに、主体的な問題解決能力を強化する訓練を加えれば、まさに〝鬼に金棒〟といった人材が輩出できるはずです。そんな日本人は自らリスクをとる能力をつけていくでしょうから、それがイノベーションの種から大きな果実を実らせることになります。イノベーションの起こる社会では、経済全体の生産性が押し上げられるのです』

 イギリスのEU離脱に関しても……

『多くの英国労働者がグローバリゼーションの波に乗れなかった最大の理由の一つは、新たなスキルを習得し、セカンドチャンスをつかむことができなかったことでした。そして、日本においても、格差社会を阻止するために最も重要なのは、セカンドチャンスが可能な環境です。本書で述べたように、日本ほどセカンドチャンスをつかむための人的資源に恵まれた国はありません。後は、それを促進する社会システムを工夫するだけです。英国のEU離脱から日本が得た教訓は、非正規と正規労働者、女性と男性、若年と高齢者、これらの格差を一刻も早く是正し、社会の断絶を避けなければならないということです』

 テーマは「若年と中高年齢層」「女と男性」「非正規と正規労働者」などの格差を一刻も早く是正し「セカンドチャンス」が可能な労働環境と労働市場を整備しなければならない、っていうことなんだけれども、実はそれは皆「アタマ」ではわかっていても、下半身がそれに同調しないっていうか、そのための行政改革が進んでいない、規制緩和が進んでいないっていことなんだな。

 実はそれも「アタマ」ではわかっていることで、これについても下半身がそれに同調しないっていうことが一番の問題なんだ。

『世界的な生産性の低迷は、イノベーションの低迷を意味するわけではないことがわかります。つまり、生産性向上の鍵となるイノベーションが生まれても、その恩恵に与れるのはグローバルに事業展開をしている一部の先進的企業のみという状況が、経済全体の生産性の底上げを困難にしているのです。イノベーションの種は数多く芽生えますが、それを育て、生産性向上という果実にすることができる企業が極めて少数であるため、“The Winner takes it all”(勝者がすべて奪う)という現象が起こっていると考えられます』

『日本ではイノベーションが生まれないのではなく、生まれたイノベーションが拡散するメカニズムがうまく機能していないために、その恩恵が経済全体に行きわたらず、生産性の向上につながっていないのではないでしょうか』

『商品を市場に導入した企業の割合が、製造業で約13%、サービス業では7%と非常に低いレベルにとどまっています』

『日本はUNCTAD(国連貿易開発会議)が発表した「外国からの直接投資を受けるポテンシャル・インデックス」で、世界10位につけています。
 それにもかかわらず、海外から日本への直接投資は2008年以降、ずっとGDPの4%を下回っています。これはOECD加盟国中最も低い割合です。さらに、日本から海外への直接投資のストックも、わずか23%程度にとどまっています。他のG7諸国(米国、英国、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ)の割合は80%を超えるところもありますから、これは相当低いことがわかります』

『この一因は、日本の貿易と投資に対する障壁の高さにあります。例えば法人税率の高さ、M&Aが起こりにくい制度、コーポレートガバナンスの導入の遅れ、言葉や文化の壁、労働 市場における流動性の欠如、外国人労働者に対する規制などが考えられます。
 生産性の高い企業が市場に参入し、低採算、非効率な企業は市場から退出することが、イノベーションを拡散させるために必要不可欠です。しかし、政府の中小企業への手厚い保護とは対照的に、スタートアップ企業に対する民間投資は、欧米と比較すると低い額にとどまっています』

 まあ、過剰なまでの政府による産業保護が問題なんだ。すでに市場価値を失った企業はどんどん社会から消え去っていただき、新たに生み出された産業を伸ばしていく、という方法をとならければ、これからのグローバリズムの中を生き抜いていくのは不可能なのに、いつまでも昔の製造業にたよって国の産業を伸ばしていこうという無理があるんだなあ。

 それは一種の既得権益だから政権と繋がって構造改革の足枷になっているわけなのだけれども、そんなものはぶち壊さないと、日本のこれからはありえない。

 ということは安倍晋三氏も「アタマ」ではわかっているんだが、下半身がそれについていけてない。

 政府がこの9月12日に発足させた「規制改革会議」で果たしてどんな規制緩和ができるのかが楽しみではあるけれども、実は規制改革・規制緩和ってこれまでも何度も提唱されているが、結局、常に竜頭蛇尾に終わっているのだ。

 まあ、自民党の議員がどれほど規制緩和が重要なのかを自覚していない、ってのが問題なんだなあ。

『武器としての人口減社会 国際統計比較でわかる日本の強さ』(村上由美子著/光文社新書/2016年8月20日紙版刊・2016年9月9日電子版刊)

2016年10月11日 (火)

豊島区染井の発掘現場

 豊島区染井(といっても正式な住所は豊島区駒込)にあった、駒込駅前にある芥川製菓のチョコレート工場が取り壊されて、マンションを建てることになったようだ。

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 で、現場に行ってみるとなにやら不審な看板が。

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「発掘調査(遺構調査)」の文字が……。そうかここにも出たか、ってなもんですね。

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 看板の横には江戸古地図が一緒に貼られて、豊島区教育委員会の説明文が掲示されている。

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染井植木屋の発掘調査
        2016年9月3日

 駒込三~七丁目一帯は、かつて染井と呼ばれていました。江戸時代の染井は、現在も残る「染井通り」を境に、北側が植木屋が多く住んでいた地区、南側が津幡藤堂家(現在の三重県)の下屋敷・抱屋敷が存在していました。

 今回の発掘調査地点は、江戸でも有数の植木屋が多く営んでいた場所で、周辺の遺跡からは、これまで、植木屋に関わる遺物(植木鉢など)や遺構(植物を植えた痕や植木室など)が、数多く発見されています。

 今回の発掘調査でも、植木鉢などの遺物や、地下室と考えられる遺構が発見されております。発掘調査は10月中の予定で行われます。今後どのような遺構・遺物が発見されるか、調査の進展にご期待ください。』

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 とは言うものの、掘っている深さは1メートルくらい。

 う~ん、まあでもこの辺りの遺構調査は江戸時代までなんだなあ。そういえば、前に見たとげ抜き地蔵通り周辺の遺構調査も、そんなに深くは掘っていなかったなあ。

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 我がマンションの建て替えの際の遺構調査では、まず1メートルくらい掘って、柳沢(吉保)屋敷の瀬戸物なんかを掘り出した後は、さらに2メートルくらい掘って(トータル3メートル)関東ローム層の上まで下がって、縄文時代の矢じりなんかまで出てきたもんなあ。

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 まあ、染井や巣鴨あたりはそんなに古い記録が残っていないのかな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Somei Toshima (c)tsunoken

2016年10月10日 (月)

う~ん、東大WARRIORS、TOP8へ上れるのか?

 もう学生アメフトは関係ない、東大もBIG8で「甲子園ボウルを目指す」といえるTOP8じゃないしなと思っていて、脇から眺めるようにしていたんだが、東大が今シーズン開幕2連戦に勝利し、チャレンジマッチ(TOP8とBIG8の入れ替え戦)も視野に入ってきたというので、早速、昨日の対東京学芸大戦を見に行った。

 東大#6のキックオフで始まったゲームなんだが、第1戦駒澤大学戦、第2戦横浜国大戦の「快進撃」が嘘かと思うほどの、パント合戦になってしまって、まあ、緊張感のないこと、ないこと。なんか昔の東大のゲームを見ているようだなあ。

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 パント合戦に終わった第1クォーター(Q)を終えて第2Q、やっといつものクォーターバック(QB)#14荒川、ワイドレシーバー(WR)#19野金、ランニングバック#33宮山、#35鍵和田の波長が合ってきたかな、という感じで、最後はQB#16松下が自ら押し込みタッチダウン(TD)を奪い、先制点。

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 第2Qではデフェンスバック(DB)#25甲斐のパスインターセプトなんかも見せたのだが、そこで前半終了。

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 第3Qは東大のキックオフリターンで試合再開。再開早々、ファーストプレイでWR#7藤原の快走がありゴール前1ヤードまで詰め寄ると、RB#32中村が押し込んでTD。キックも決まって14-0とする。

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 これは楽勝かと思ったその直後、今日大活躍の学芸大RB#28山中がランでゴール直前までボールを運ぶと、WR#15伊藤がパスキャッチでTD。東大vs.東京学芸大の差は1TDまで縮まってしまう。

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 で、そのまま第4Q。ここは先行する東大が時間をうまく使ってランで確実に攻める。とにかく時計を止めない、時間を有効に使うというのが東大の作戦で、試合終了数秒前にDB#29上野がフィールドゴールを決めて3点獲得。スコアを17-7として安全圏を獲得。

 東大が勝利した。これで東大3勝0敗となって、同じ3戦全勝の国士舘大学と同じく勝ち点9を獲得。

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 それが「チャレンジマッチが視野に入ってきた」っていう理由なんだけれども、国士館「対専修大戦30-14、対帝京大戦24-0、対拓殖大戦16-9」に対して、東大は「対駒澤大戦43-11、対横浜国立大戦31-7、対学芸大戦17-7」っていうのは、やっぱりディフェンス・チームの問題が大きいのかな。

 昨日の試合も、なんとなくズルズル後ろに下がっていってしまう東大ディフェンスには、なんか昔の東大ディフェンスを思い出させてしまっているという感じがする。ディフェンスバックはいいのだが、肝心のディフェンスライン勢が相手のラッシュを抑えきれないというのが問題だろう。

 オフェンスラインも、もうちょっと頑張ってRBが走れる場所を作ってほしいとは思うのだが、やっぱりそれ以上にディフェンスラインの問題が大きい。体つきを見ると以前の東大ディフェンス陣よりは確実に体格アップしているんだから、あとは運動神経か、って言っちゃうと身もふたもなくなってしまうが、まあ、そんなところ。もっと体を動かせ、っていうところでしょうか。

 取り敢えず、次の試合が10月23日の対国士舘大学戦だ。そこで勝てば「チャレンジマッチが視野に入ってきた」と確実に言えるんだが、どうなるだろか(ちなみに、チャレンジマッチはBIG8第2位でも出られますがね。その場合はTOP8第7位とやらなければならないからね。上に上がれる可能性はちょっと低い)。

 その後は、11月5日専修大戦、11月20日帝京大戦、11月27日拓殖大戦なんで、まあ大きく取りこぼさなければ大丈夫だろう。といっても、心配ですけどね。

 問題は国士館大戦だな。

NIKON D7000 AF NIKKOR 70-300mm f4.5-5.6 G @Amino Vital Field, Chofu (c)tsunotomo

2016年10月 9日 (日)

『さよならインターネット』

『さよならインターネット』って言ったって、その世界でずっと生きてきた家入氏が言っちゃあいけないんじゃないかな、とも感じて買った本なのだが……。

『常時接続や無線回線が当然となり、スマートフォンの登場、そして「Internet of Things(モノのインターネット化)」、いわゆるIoTの流れもあり、インターネットにつながっているかどうかを、自覚しなくなってしまった。その結果として、インターネットそのものの姿はほとんど見えなくなったのかもしれない。そして見えなくなって、インターネットがその輪郭を失った今、上手くは言えないけれども、弱い人たちやマイノリティが守られる「聖域」としての期待からかけ離れた、逃げ場のない、むしろ息苦しい世界になりつつあると感じているのです』

 う~ん、そういうことか。

 つまり、「インターネット」というものを自覚的に使ってきた世代と、それこそ生まれたときからインターネットがある世代(もう20歳を超えているんだ)の間にある乖離。更に、年長になってインターネットを使う始めた世代にとっても、基本的に「いい生活ができる」と思っていたインターネットが、実は自分にとって「生きづらい社会」になっていたという落胆。

 まあ、それはそれぞれの世代にとっての、インターネットというものに向かい合う姿勢の違いなんだけれども、もう一つ言ってしまうと、「要はインターネットとどうやって自覚的につきあってきたのか」っていうことなんだなあ。

「インターネットと自覚的につきあう」ってどういうことなのか。

Photo 『さよならインターネット――まもなく消えるその「輪郭」について』(家入一真著/中公新書ラクレ/2016年8月10日紙版刊・2016年8月1日電子版刊)

『キュレーション機能のおかげで、みんなそれぞれ優秀な秘書を持った結果、どうなったか。広い情報の海を小さく切り取り、世界を分割してしまったのではないでしょうか。
 無意識のうちに見たいものだけを選び取る。自分好みの意見ばかりを吸収する。これが進めば、人は自分の好むものをさらに好む傾向が強まっていく。興味関心のあるものだけで、自分のまわりを固めてしまえば、それが一番気持ちいいからです』

『よからぬものが転がっていないか常にパトロールする人、悪い輩を見つけると大義名分のもとに叩く人、さらにはそれほど悪いことをしていなくても、ノルマを果たすために強引に悪者に仕立て上げる人。そんな人たちがインターネット上を跋扈しているように感じるのです。
 かつてのインターネットというのは、むしろがんじがらめになった現実世界で失われた自由を求め、人々が理想を持って大きな権力と向き合う、という構図が一般的だったと思います。しかし今は、むしろ人々同士でチェックし合い、あら捜しをしては小さな諍いを繰り広げているように、ぼくには感じられるのです』

『インターネット特有の匿名性が加われば、批判や批評はさらに容易になっていく。そう考えたならば、現在のインターネット上で何かを「批判せん」とする声がここまで幅を利かせたのは、ある意味で必然だったのかもしれません』

『今は、匿名であろうと発言が評価されたり、反響を呼んでフォロワーが増えたりする状況が生じています。だからこそ人はどこに行っても、何をしていても、誰かに評価されたいと願うようになりました。かつての「欲しがらない名無しさん」すら「欲しがる名無しさん」になってしまった。その結果、評価を得るために、ときには無理をし、自分の許容量を超えたキャラクターを演じて、収拾がつかなくなり、暴走や破滅への道をたどる、などという様子が散見されています』

『匿名という目出し帽を被ってエゴイスティックにふるまい、人を傷つけるような乱暴な言動にも躊躇が見られない。そして実名や肩書などに危険が迫った途端、書き込みを消し、アカウントを削除し、逃走を図る。インターネットの世界での「私」と、現実の世界での「私」がまわりから同一視されて、そこから生まれた未知の恐怖を目の当たりにした瞬間、遮断を図るのでしょう』

『しかしインターネットの世界であっても、きちんと現実の私という立場に則ったうえで発言をしていれば、どうだったでしょうか。一般常識である、何をするにも責任が伴うというあたりまえのことを認識したうえで、のちに騒がれることもない、普通の行動をしていたはずです』

『自由に対して、きちんと準備ができていたり、やりたいことをあらかじめイメージできていたりすれば、その自由を謳歌したり、前向きな活動へと移ることができるでしょう。しかしそういったアクションを起こせない人は、その場に留まって、前に進もうとする誰かの足を引っかけることのほうに注力してしまう。
 そういった人の哀しい性をインターネットは顕在化してしまった、ということをぼくたちはアタマのどこかに留めておく必要があるかもしれません』

『たとえば何らかの対象に向けて、とにかくネガティブな書き込みだけをしている人、たちの悪い酔っぱらいのようにわざわざ絡みにいく人、きちんと下調べをせずに知ったかぶりをして足をすくわれる人、少しでも反論されたり絡まれたりしたら、感情的になって反撃をする人など。
 彼らに共通しているのはインターネットがどんどん身近なものになっているのに、未だその世界でのしきたりやふるまいを知ろうとしていないこと。その結果として、ますます発言や行動をこじらせてしまっているようにぼくには感じられます』

 まあ、要ははキュレーション機能のおかげで、嫌なもの、自分に向いていないものは「ないこと」にしてしまうことができ、たまたま、自分にとって「嫌なもの」「自分に向いていないもの」に出会ったときに、ある種の人は「匿名性」という部分に寄りかかって、そうした自分にとって「嫌なもの」「自分に向いていないもの」を口汚く攻撃したり、罵ったりする傾向が現在のインターネットには蔓延している。

 で、そんなインターネットの使い方の世界から「さよなら」したいというのが家入氏のスタンスなんだなあ。

 私のように初めから実名(ほとんど実名)でもってネットに発信していたものからすれば、それでも炎上しない発言の仕方なんかも心得ていて、事実、炎上なんてしたこともない(っていうか、そもそもそんなに読まれていない、ってのもあるんだが)。つまり、炎上するっていうのは、初めから炎上するってことを狙って書き込みをしていたり、炎上したって気にしないという人たちが面白がってやっているだけであり、別にそれはインターネットの「負の側面」でも何でもないはずなんだけれども、まあ時には「炎上疲れ」をしてしまう人がいたりするんだろう。

 そういった人たちのことを家入氏は慮っているんだろうけれども、あまりそんなことは気にしないで、好き勝手にインターネット空間を漂っていればいいのである。

 所詮、インターネット空間なんて「仮想空間」なんだからね。初めから「輪郭」なんてないのだ。

『さよならインターネット――まもなく消えるその「輪郭」について』(家入一真著/中公新書ラクレ/2016年8月10日紙版刊・2016年8月1日電子版刊)

2016年10月 8日 (土)

池袋周辺の豊島区施設がそれぞれ終焉

 先週まで講談社社友会作品展を開催していた豊島区民センターがなくなってしまう。

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 まあ、建物もかなり古くなってきてしまい、耐震の問題なんかもあるんだろう。

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 豊島区民センターと並んでいた、アニメマニアにはおなじみだった(まあ、キングレコードがそばにあったからね。でも、アニメイトはちゃんと残るみたいですよ)豊島公会堂も……

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 勿論、豊島区役所も取り壊されている。

 まあ、豊島区役所は既に東池袋の方に、「区役所+マンション」併設の施設を作って移転をしているし、問題は公会堂とかに関連する施設なんだろうなあ。文京シビックホールみたいなね。ただし、文京区も文京公会堂の時期は「8時だよ、全員集合!」みたいなヒット番組の収録に使われていたんだが、シビックホールになってからはねえ……。何にもないみたい。

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 で、旧・豊島区役所の跡地は……

『(豊島区は)東京建物とサンケイビル、鹿島で構成するグループを優先交渉権者に選んだと発表した。豊島区東池袋1丁目にある築50年超の現庁舎の敷地に地上30階地下2階建て、延べ床面積約6万4000m2のオフィス・商業棟を、隣接する豊島公会堂と分庁舎の敷地に地上7階地下1階建て、延べ床面積約1万m2のホール棟をそれぞれ建設する。
 オフィス・商業棟は2020年3月、ホール棟は2019年3月の竣工を予定している。オフィス・商業棟は高さ約146m、ホール棟は同約40mとする。ホール棟の高さを周辺の建物とそろえ、余った容積をオフィス・商業棟に移転する計画だ。設計・施工は鹿島が担う。
 敷地面積は現庁舎が3637m2、公会堂が3049m2となっている。豊島区が70年間(解体や建築などの工事期間を含めると76年6カ月)の定期借地権を設定して、東京建物とサンケイビルが借り受ける。両社は2016年3月、定期借地料として191億円を区に一括で支払う。オフィス・商業棟は両社が運営、維持管理する。ホール棟の一部は、竣工後に豊島区が区分所有権を取得する。ホール棟の敷地は、持分に応じて官民が準共有することになりそうだ。
 東京建物などが提案した再開発コンセプトは「誰もが輝く劇場都市」。オフィス・商業棟は地上1階~2階が飲食・物販店、3階~6階が9スクリーン、計1600席のシネマコンプレックス、7階がスカイロビーとカンファレンスホール、8階以上がオフィスとなる。また、ホール棟の上層部に1300席の大ホール、下層部に階段状になった半屋外劇場や、ボーカロイド(音声合成技術)によるライブが楽しめる世界初の「ボカロ劇場」などを設ける。区はホール棟のうち、大ホール部分を区分所有する計画だ』

 まあ、渋谷区役所のやり方と同じ。しかし、70年間の定期借地権ってどう判断すればいいんですかね。だって、その期間が終わる頃っていう日には、最早、(双方の)担当者はこの世にいないわけでしょう。

 う~ん、この先豊島区の公共施設はどうなっていくんでしょうかね。

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 まあ、いよいよ本格的な池袋東口地区の再開発だな。この栄町通りもいつまで残っていられるんだろう。

NIKON DF AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Ikebukuro, Toshima (c)tsunoken

 

2016年10月 7日 (金)

川崎・小島新田・殿町国際戦略拠点キングスカイフロント

 映画「厨房男子」の上映が再び決まったようだ。

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「ウィルあいちフェスタ」という催しの中での上映で、

2016年11月3日(木)13:30~ は監督・高野史枝さんの出身校、愛知大学同窓会の主催で、「上映&トーク」。

2016年11月26日(土)13:30~ は「上映&トーク」と主題歌を歌った「ちんちくりんコンサート」がそれぞれ開催される。

 詳しくは「厨房男子」の公式サイトをご覧ください。

 ということはさておき、京浜急行大師線の終点駅・小島新田まで行って、そのあたりが今どうなっているかを見に行った。

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 小島新田駅はもともと日本冶金工業のために作られた駅のようなもので、川崎の工業地帯が真正面に形成されている。まあ、そんな川崎工業地帯の正面玄関みたいなところですね。

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 とは言うものの、周辺の工場跡地は次第に宅地化されてきて、少なくとも駅周辺ではあまり工業地帯という感じはしない。

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 まあ、同じ大師線でも清水町とか港町周辺のような大規模マンションやタワーマンションはできていなくて、もうちょっと小ぶりのマンションとか一戸建ての家が目立つ。

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 で、もう一つ目立つのがこの「殿町国際戦略拠点 キングスカイフロント」への案内。

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 とにかく町のいろいろなところに立てられている。

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 で、ここがキングスカイフロントっていう「県立埋立地」に来てみれば。

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 現在、建設中の大きな建物が沢山ある。

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 うーん、殿町国際戦略拠点 キングスカイフロントって、もう既に出来上がった施設かなかと思ったんだが、そうじゃなくて現在まだ建設中の街構想だったのね。

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 勿論、既に完成して稼働中の建物もある。

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 で、この殿町戦略拠点 キングスカイフロントって何だ? と調べてみれば。

「・世界的な成長が見込まれるライフサイエンス・環境分野を中心に、世界最高水準の研究開発から新産業を創出するオープンイノベーション拠点です。
・健康・医療・福祉、環境といった、世界が直面している課題の解決に貢献するとともに、この分野でのグローバルビジネスを生み出すことで、日本の成長戦略の一翼を担います。」

 というもの。

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 ペプチドリームっていうのは、東京大学発の薬業ベンチャー。現在はまだ東大駒場キャンパスに本社がある。

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 まあ、これまでは「製造業の拠点」だった川崎を、これからは「研究・開発の拠点」としていき、「量から質」への日本経済の基盤を転換していこう、ということなのだろう。う~ん、これは期待したい。

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 まあ、羽田空港からも近いし(ってのは、あまり関係ないのかもしれないが)、いろいろ便利なところということもあるのだろう。これからの日本の経済構造の転換を告げる「戦略拠点」ということなんだろう。

 こうした分野で日本の経済構造が変わることを期待したいんだがな。

NIKON DF AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Kojima Shinden, Kawasaki (c)tsunoken

2016年10月 6日 (木)

『終わった人』って普通は当たり前なんだけれども、それを受け入れられない人がいるってことなんですね

 う~ん、えてして「自分はエリートだ」という勘違いをしている人が、こうした錯覚を持つんだろうな。

 すでに会社では「終わった人」として扱われていることに気づかないで、なんかまだ自分は頑張れるんだと考えて、無駄な努力をしてみたりする。

Photo 『終わった人』(内館牧子著/講談社/2016年1月1日刊)

『定年って生前葬だな。
 俺は専務取締役室で、机の置き時計を見ながらそう思った。あと二十分で終業のチャイムが鳴る。それと同時に、俺の四十年にわたるサラリーマン生活が終わる。六十三歳、定年だ。
 俺、田代壮介は定年の日だけではなく、毎朝夕、黒塗りに送迎されるべき人間だった。役員になる自信があった。仕事もできたし、会社への貢献度も他を圧倒していた。断言できる。何よりも、自分の会社が好きだった。同期入社の誰よりもだ。だが、現実には黒塗りは定年当日の今日だけだ。
 俺のサラリーマン人生は、専務取締役で終わった。
 それも社員三十人の子会社だ。キャッシュカードのコンピューター処理をする会社で、文京区千駄木の雑居ビルの中にある』

 ああ、時たまこんな「勘違い」をする人がいるんだなあ。

『南部高校を卒業した後、現役で東京大学法学部に入った。あれほど人数が多い時代に、最難関を現役突破だ。
 東大を出た後、国内トップのメガバンク万邦銀行に就職を決めた。一九七二年、昭和四十七年のことだ』

 東大を出たのがどれだけ偉いのか、って言えば、全然使えない東大卒が沢山いる出版社みたいなところに勤め、馬鹿な息子がまさかの東大生になった、という経験を持つと、「なんだ、東大ってたいしたことないじゃん」って思えるんだが、当の東大卒が自分のことをエリートだっていう勘違いをすると不幸になるっていう典型的な話。

『万邦銀行に入った昭和四十七年、大卒男子は二百人だった。誰もが一流大学卒の、選び抜かれた男という誇りを匂わせていた。
 ああ、これからこいつらと出世競争をするのかと思ったが、正直なところ、負ける気はしなかった。根拠はない。
 それを裏づけるかのように、日本橋支店に配属された。
 万銀では「トップ3」とされる支店がある。日本橋支店、新橋支店、そして人形町支店だ。  このトップ3の支店長は役員だ。そして、三支店の中でもトップは日本橋支店なのだ。
 あのエリート同期二百人の中で、トップ3に配属されたのは、合計十人。
 おそらくどこのメガバンクも似たりよったりだと思うが、万銀の場合は入行して三年で、まず給料に差をつけられる。そして六年目、選ばれた者に初めての役職がつき、給料が大幅に上がる。椅子も変わる。
 俺はもちろん選ばれ、日本橋支店から大手町の本部に異動になった。選ばれた同期は七十一人。六年で早くも三分の一だ。
 ポストは課長、次長と順調に上がり、部長、支店長への関門もクリア。最初の役付き競争で七十一人になっていた同期は、この関門でトップ昇格が二十人に淘汰された。入行から十六年で十分の一だ。
 そして、俺は三十九歳で、最年少の支店長に抜擢された。その後、本部の小さい部の部長をつとめ、四十三歳で業務開発部長になった。
 この四十代が、人生の黄金期だった。
 企画部副部長についたのは、四十五歳の時だ。
 これでハッキリと役員が視野に入ってきた。本部の総務、人事、企画という管理部門の副部長は、役員につながるポジションだ。ここから、早い者は四十八、九歳で役員になっている。
 俺の会社への貢献度や実績、顧客からの信頼や社内での人望から考えても、四十代で役員という目は十分にある。社内では「次は田代か西本」と噂されていた。
 四十九歳のある日、俺は突然「たちばなシステム株式会社」への出向を言われたのだ。
 人は驚きすぎると、頭の中が冷たくなるのだと知った。
 こうして四十九歳の春、俺は「たちばなシステム株式会社」に、取締役総務部長として出向した。
 二年後、五十一歳の時だ。「転籍」を言われた。
 これは、たちばな銀行を辞めて、たちばなシステムの社員になれということだ。本部に呼び戻されようと頑張ったのだが、もはや本部は俺を必要としていなかった。人材なら幾らでもいるのだ。
 ああ、俺は「終わった人」なのだと、またも頭の中が冷たくなった。』

 というのであれば、そこで生き方を変えてもうちょっと自分の老後を考えた生き方にすればよかったんだかれども、結局エリート意識だけが先行すると、そんな小さな子会社でもジタバタ努力しようとするんだな。

 で、定年を迎えたその日からも、やはりジタバタじた主人公は、鈴木さんというジムの知り合いが起こしたIT企業の顧問を引き受ける。ところが、その鈴木さんが急死すると、よぜばいいのに鈴木さんの跡を継いで社長になってしまうのだ。

 銀行マンとしてそれなりに経験を持っている主人公である。新興企業の若い社長を助ける顧問という立場なら向いているかもしれないが、「俺は本来はメガバンクの役員になれた存在なんだ」っていう意識がふつふつと持ったまま、定年退職した身ではいくら小さな会社とはいえ、その会社の社長になるなんて言うのは基本的に無理なのだ。社長という立場は、単に経営に明るいというだけではだめで、それなりにカリスマ性も必要なのだが、結局、それがないために役員になれなかったんでしょう。

 で、結局そのIT企業は倒産してしまい、主人公もその責任から多額の借金を抱え込んでしまうことになる。

 まあ、私もある時期までは何となく上まで行けるかななんてことを考えていたんだが、やはり40代になって、お飾りのような副部長(私がいた出版社では「副部長」って言ったって、ほかの普通の会社の主任程度の力しかない)という役職でもって、定年まで勤めたわけだ。つまり、副部長になってある時期に、「自分はもう終わった人なんだ」ってことに自覚的になり、だとしたらその立場でもってできる面白い仕事をやって、定年までを過ごし、定年になったら(再就職なんてことはせずに)スッパリ会社を辞めようと決めた。

 そんな意味では、サラリーマン時代の終盤戦はそれなりに楽しい時間を過ごすことができて、再就職なんてことはしないので、後輩にとっては邪魔な年寄りにもならずに、ごくごく静かに余生を送ることができるというものだ。まあ、しかしまだ「余生」とは思ってはいないけれどもね。

「終わった人」は「終わった人」なりに、その「終わり方の美学」っていうものがなければいけないと考える。

 やはりその美学があるのか、ないのかによって、晩節を汚さずに過ごせるかどうか、ということがかかってくるんだよなあ。

2016年10月 5日 (水)

CEATECに行ってきたんだけれども……

 10月4日から開催されているCEATEC Japan 2016に行ってきたんだが……全体的な印象を言うと……「地味!」という言葉に尽きる展示会だった。

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 今年のテーマは「IoT」(モノのインターネット:すべてのものがインターネットに接続されて、お互いに制御しあう)とAIということになってしまうと、確かに大型家電メーカーのメリットは少なく、どのメーカーも何を展示すればいいのか迷っているようだ。

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 SONYが出展しなくなって寂しくなるかと思った数年前は、自動車メーカーが大挙して出展し、自動運転や、移動用の小型機器、スマートハウスなどを競って展示していたのだが、今やそんな技術は当たり前。いつ実現するんだ? っていうテーマになっており、今更展示するものもない。

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 なので三菱電機や日立のブースも……

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 パナソニックのブースも明らかな大きなテーマのない、地味な展開。

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 唯一、人を集めていたのはOMRONの卓球ロボットくらいなもの。ただし、これももう3年くらい連続して出展している。まあ、進化はしているんだけれども、新鮮味はない。

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 ホンダのブースは竹をあしらって「和」のテイストをなんで強調するのかがよくわからない。

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 展示内容は、2人乗りのマイクロEV「MC-β」をベースにしたコラボレーションカー。鎌倉に本店があり、鳩サブレーで知られる豊島屋と、3Dプリント技術のソリューションを提供するカブク、そしてホンダの3社が作り出したのがこの「豊島屋モデル」だ

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 3Dプリンターを使って外装部品を作って、ワンオフ・モデルを作るっていうんだけれども、もうすでに鎌倉の町を走り回っているそうなので、別に目新しいものではない。

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 トヨタ・ブースに至っては、なんで今更MIRAIのカットモデルなんだ? もう、私の友人で手に入れている者がいるっていうくらいのものだ。

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 いまさらテスラの電気自動車を見せられてもね。今や普通に街を走っているし……。

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 CEATEC Japan 2016は10月7日まで幕張メッセで開催中。

 入るにはコチラの公式サイトに行って、事前登録が必要です。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Makuhari Messe Chiba (c)tsunoken

2016年10月 4日 (火)

電子出版市場が拡大、書籍25.1%、雑誌66.9%増

 @niftyニュース、MONEYzineの10月1日の記事がこれ『電子出版市場が拡大、書籍25%増、雑誌66.9%増、便利でリーズナブルなプランが続々』というもの。

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 記事の元は、インプレス総合研究所が発表したレポート「電子書籍ビジネス調査報告書2016」がベース。

『2015年度の電子書籍の市場規模は前年比25.1%増の1,584億円に拡大、電子雑誌の市場規模も同66.9%増の242億円に大きく拡大した。電子書籍の81%を占めるコミックが同254億円増加して1,277億円になったほか、残りの19%を占める文芸や実用書などの「文字もの」や写真集なども同65億円増の308億円に増加し、市場拡大をけん引した。2016年度以降の電子出版市場も堅調で、電子書籍の市場規模は2020年度に2015年度の1.9倍の3,000億円程度に、電子雑誌の市場規模も2020年度には480億円までそれぞれ拡大すると予想されている』

 まあ、確かに電子書籍の市場拡大のポイントになっているのがコミックだっていうのはよくわかる。KindleやKoboなどの電子書籍端末を買わなくても、普通のスマホで読めるコミックの販売戦略は大当たりで、電子書籍の市場拡大のリーダーになっているのは事実だ。まあ、今ではKindleもスマホで読めるようになったけれども、実際には電子書籍を意識的に読んでいる人たちは、先にKindleやKoboを買ってしまった人たちなので、そのままKindleやKoboなどで読んでいるんだろう。まあ、器具の大きさや読みやすさなんかもあって、そのまま以前購入したデバイスで読むっていうのは分からないでもない。まあ、でもやっぱり今の若い人たちにとってはスマホだろうなあ。

 ちょっとわからないのが「写真集」なのだ。

 私もすでにKindleを購入して何年も経つのだが、最初に購入したKindle Paperwhiteだと写真集がよく見えないし、カラーにも対応していないという理由から、未だに写真集だけは紙の本でもって買っている。Kindle Fireになってカラー対応になったんだけれども、でも写真集だけは紙なんだなあ。つまり、写真集って各1ページに収まっているとは限らない編集になっており、その辺はやっぱり紙版の方が見やすいっていうのかなあ、で、写真集だけは紙版、その他はいまやほぼ100%電子版、というかKindle版になってしまった。

 なので、本屋さんにも行くんだが、そこは取り敢えずどんな本が今出ているのかを確かめるだけであって、購入はしない。どんな本が出ているのか確かめたら、メモって(写メにはしません。手書きでメモる)、後でその本が電子化されているのかどうかを確かめて、されていたら即購入、されていなかったら後日まで待って再度確かめて電子化されていたら購入っていう手筈ではあります。

 う~ん、なんか本屋さんがショールーム化されていますね。って、ここまで書いて気が付いたんだが、これって家電を買う時の手筈に似ている。つまり、家電量販店は単なる情報収集の場であって、その後「価格ドットコム」あたりで一番安い販売店を探して、そこで購入ってな道筋みたいなもんですね。

 まあ、これからはリアル店舗ってだんだんそういう風な使われ方になっていくんだろうな。

『電子書籍を読むには、読みたい本をその都度購入する方法と、一定額を支払って登録された書籍を読み放題で読む方法がある。8月3日にはアマゾンの日本法人が、月額980円(税込)で和書12万冊、洋書120万冊以上の電子書籍が読み放題になるサービス「キンドル・アンリミテッド」の提供を開始。さらに、8月9日には楽天が、月額380円(税抜)で11ジャンル約200種類の雑誌が楽しめる 「楽天マガジン」の提供を始め、電子書籍を存分に楽しめる環境が整い始めた』

 という電子書籍を読む二つの方法があるんだが、私は基本的に「読みたい本をその都度購入する方法」をとっている、っていうかKindle Unlimitedに登録されている書籍って、コミックとかあまり新刊ではなくて興味が持てない本ばっかりなんだなあ。まあ、dマガジンみたいな雑誌の読みたい放題サービスとか楽天マガジンなんかは、定期的にその雑誌をずっと読み続けている人にはいいのかもしれない。ただし、雑誌だってその号ごとに読みたい雑誌が変わるじゃないですか。勿論、それだって読みたい放題サービスの対応雑誌だったら問題はないですが、でも「今週は読みたい週刊誌がないなあ」なんて考えているうちに一週間が過ぎてしまうようになってしまったら、なんか意味がないなあ。

 ということで、私は雑誌に関しても「紙版」だなあ。

『株式会社ジャストシステムは20歳から69歳の男女1,096名を対象に、9月9日から12日にかけて、電子書籍利用に関する実態調査を実施した。これから電子書籍の利用を検討している人に、どの方法で電子書籍を読みたいか聞いたところ、「その都度購入する方法」を検討している人は41.1%で、「月額制の読み放題型」を検討している人が25.0%となった。「どの形態を選ぶかわからない」は36.3%』

 ということで、やっぱり「その都度購入する方法」を選んでいる人が多いってことなんですね。ただし、『「月額制の読み放題型」を検討している人が25.0%』ってことは、こちらの可能性の方が今後は高いってことなのかなあ。

 いずれにせよ、電子出版っていうのは書籍・雑誌市場に現れた「新メディア」なんだから、これからどんどん伸びていくジャンルではあるのだ。だからと言って、勿論「紙の本」がなくなることはないんだけれども、本の読者の数が不変であるのであれば、当然、数は減ってくるわけではあります。

 今年に入って私の読書傾向も完璧にデジタルシフトしちゃって、まず「紙の本」は写真集と雑誌以外は読まなくなっています。

 そこへ行くと、講談社や光文社、KADOKAWAあたりはデジタル化に積極的なので、結構読んでいますが、さすがに今となっては電子化に後ろ向きの出版社も減ってきて、かなりの確率でKindle版の本が増えてきた。

 まあ、本棚が本で溢れなくなるだけでもありがたいこってす。

 わたしにとってはそれが一番ありがたいことなんだけれども、実は今でも本棚にあふれている書籍に困っている状態でもあります。練馬から駒込に移住したときに大分整理したつもりなんだが、まあ、書庫があった練馬の家と今度のマンションではそれは違いがあって当然ですね。

 家にあるのは、写真関係の書籍(写真集含む)、自転車関係の書籍、映画(アニメ含む)関係の書籍だけ(に減らしたんだけれれども)なんだけれども、結構書斎を占領しています。まあ、未知谷の自転車本全部あったりとかね。最近、出していないし。

 どうしようかなあ。古書店に売っちゃうのもなんか嫌だし、このブログの読者で興味がある人に差し上げるってのもいいかもしれない。

「谷根千ブックマート 一箱古書市」に出すってのも考えたのだが、まあ、うまい方法があったらブログで発表します。

2016年10月 3日 (月)

本郷通り・考

 また今日もご近所ネタで申し訳ない。最早、ネタ切れか? とも思わせるのだが、結構、このご近所ネタがPVを稼ぐ機会になったりして、書いている方もちょっと複雑。結構、取材に金や時間をかけたブログよりも、こんなご近所のネタの方が受けるなんてね……。

 で、文京区って言えば、東西に走っている不忍通り、春日通り、南北に走っている白山通り(中山道)、本郷通りの4本の通りの内側と外側にくっついている場所が文京区ってわけで、その四つの通りが文京区にとっての動脈線だっていうことなんですね。

 で、今日はその中でも我が家に一番近い本郷通りがネタなんです。もうズブズブですね。

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 で、その本郷通りっていうのは本郷を走っている道ということでの愛称でありまして、国道122号線(日光御成道)が東京都に入って、飛鳥山までは「北本通り」っていう名前なんですね。この飛鳥山から文京区弥生1丁目(東大弥生キャンパス前)が都道455号線、という正式名称になって「本郷通り」っても呼んでもいいということになるのです。

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 不忍通りとの交差点が上富士交差点で私の家のそばなんです。

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 が、じゃあその本郷通りの象徴は何かっていえば、これがまた大変なんですね。

 勿論、吉祥寺だっていう人もいるし……、

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 いやいや、やっぱり東大本郷キャンパスでしょ、っていう人もいる。

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 まあ、私なんか単純に「本郷もかねやすまでは江戸の内」ていう川柳を信じているので、まあやっぱりかねやすが本郷通りの象徴かなっと。

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 まあ、東大生のバカさ加減と空気読めない加減を知っている私としては、やっぱりかねやすの方がいいんじゃないでしょうか、ってな感じですね。

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 んで、そのまま湯島聖堂を右折した本郷通りは、そこから坂を下りて靖国通りを経て、神田橋交差点にたどり着くわけですね。

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 で、神田橋交差点先は「日比谷通り」になってしまって、本郷通りはそこでおしまい、ってことで、まあ、ホンの数キロメートルでしかない本郷通りなんだけれども、まあ、それが「道の名づけ」ってことなんでしょうね。

 結局は、近所の住民から親しまれた呼び方をされるのが一番いいんです。

NIKON Df AF 50mm f1:1:8 @Kita, Bunkyou, Chiyoda (c)tsunoken

2016年10月 2日 (日)

横浜・元町考

 横浜、元町であります。まあ、「考」ってほどのこともないんですがね。

 なんか最近は中華街に押されて元気がないのかな、と思っていたのだが、どうも、地元の小さなお店の集積地からブランドショップやチェーン店が展開していて、いやいやまだまだまだ元気はあるようですねえ。

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 元町ってのは、『1859年の横浜開港までは半農半漁の村落であったが、1860年2月の横浜開港に伴って立ち退いた旧横浜村(関内あたり)住民がこの地に移住したことで「横浜元町」と呼ばれるようになる。明治維新の頃には外国人向けの商店街として栄え、「元町」と改称された』ということなんだが、まあ「ここが横浜の元々の町なんだぜ」っていうような、横浜っ子の意気地みたいなものがみえてきますねえ。

 まあ、その辺は神戸元町も似たようなもんか。

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 で、横浜元町って言えば、「FUKUZO」の竜の落とし子マークの巻きスカートやトレーナーを身に着け……

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「MIHAMA」のシューズに……

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「KITAMURA」のバッグを持った……

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 フェリスのお嬢さんが「ハマトラ」(横浜トラディショナルの略…て、注釈を入れなきゃわからないんだよなあ、今となっては)と呼ばれて横浜の街を闊歩していたんだよなあ。

 その頃は、横浜が日本一番ハイセンスな街だったんですよ。

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 しかし、「ハマトラって、何?」って言われるのも無理はないはなあ。最早、40年ほども前の「an an」「popeye」全盛期の話ですがな。

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 今やMIHAMAも元町にはお店はありません。

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 でもまあ、今日も元気がいいような元町をみてちょっと安心かな。

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 ただし、「FOR RENT」とか「FOR SALE」なんて看板を見てしまうと、ちょっと心配?

※すみません、ミハマは元町本店がありました。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Motomachi, Yokohama (c)tsunoken

2016年10月 1日 (土)

西新井大師・大骨董市

 何かネタはないかなあ、と西新井大師へ行ったと思いねぇ。

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 いつもの西新井大師だと思って境内に入ってみれば、何やら様子が違う。

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 最初は縁日かと思ったんだが、ちょっと様子が違う。

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 出店に出されているものが刀(模擬刀)だったり、仏像だったり、絵だったり。

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 茶道具の古いものだったりしている。つまりこれって骨董市だったのだ。

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 西新井大師では10月1日、2日に「行燈祭り」というのを開催するのだが、それと併催されている「大師骨董市」が9月30日、10月1日に開催されているのだった。

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 まあ、骨董品っていうのは巣鴨のお地蔵様の縁日でも、庚申塚の方にいくと出店があるんだけれども、「骨董」というか「ガラクタ」というか、まああまり美術品的価値が認められないものが多いんだなあ。なので、巣鴨でも見には行くけれども、買いたくなるような代物はない。まあ、「大師骨董市」でもそれは似たようなものだけれども、好きな人はいるんだろうから、こうして市が成立するんだろう。

 まあ、人の好き好きはその人だけのものだし、他人がとやかく言うことではない。

 興味のある方は、今日までなのでお早めに……。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Nishiarai Daishi Temple (c)tsunoken

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