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« 長崎空港から帰着、で考える | トップページ | 西新井大師・大骨董市 »

2016年9月30日 (金)

荒川・西尾久の煉瓦塀

 荒川区にあるあらかわ遊園のそばに「煉瓦塀」という一角があるというので見に行った。

Dsc_00162

 あらかわ遊園から少しだけ離れた場所の路地にあるそれはおよそ300メートル。

Dsc_00202

 煉瓦塀が途絶えた場所でも、普通の民家が煉瓦を気にした装飾をしてある。

Dsc_00222

 その後も、煉瓦塀は続き、途中にはこんな防空壕の入り口では? と思わせる造作もあったり。

Dsc_00242

 さらに煉瓦塀は続き……

Dsc_00282

 最後はこんな格好で終わります。

Dsc_00302

 煉瓦塀の内側は普通の民家が並んでおり、特に変わった様子はなく、ただただ煉瓦塀だけが特異な存在なのだ。

 で、調べてみると、『明治5(1872)年、石神仲衛門によって、現在あらかわ遊園がある場所に煉瓦工場が造られました。この工場は、明治28(1895)年に広岡勘兵衛に経営が譲渡され、広岡煉瓦工場になりました。現在の煉瓦塀が残っている場所は、広岡煉瓦工場の煉瓦を干す場所でした』とのこと。

 広岡煉瓦工場というのは明治時代に銀座の煉瓦街を作る煉瓦を製造していた工場だったそうだ。その後『大正11(1922)年に広岡勘兵衛は煉瓦工場を閉鎖し、あらかわ遊園を開園しました。その時に、工場にあった煉瓦であらかわ遊園を囲う塀をつくりました』とさ。

 あらかわ遊園は現在は荒川区立の遊園地なのだが、もともとは私営の遊園地だったらしい。で、広岡勘兵衛が火事で焼失してしまった煉瓦工場の跡地に「荒川遊園」を作ったということだそうだ。遊園地といっても、主要施設は温泉大浴場や演芸場、料亭などで、現在の子ども向けの遊園地のイメージとは大分違うものだったようだ。

 その後、第二次世界大戦の際には高射砲陣地となり、昭和25年(1950年)に荒川区が買い入れ、現在のような子ども向けの遊園地として改装したようだ。

 で、その遺構のように煉瓦塀だけ残ったっていうわけですね。

 う~ん、そこに住んでいる人たちにとっては「歴史的遺産だから残さなければいけない」っていう気持ちと、もう一方では「なんか邪魔だなあ、こんな昔の塀」ってな感じが入り混じっているんだろうなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Nishi Oku, Akarawa (c)tsunoken

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