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2016年9月11日 (日)

メディアの怪人 徳間康快

 いやあ、まさかあの佐高信氏がこんな「徳間康快持ち上げ本」を書くとはなあ。まあ、正直「持ち上げている」わけではないが、しかしそのつきあいの広さやつきあい方に対しては、やはり尊敬の念があるのだ。

 まあ、その辺が徳間康快氏の魅力なんだし、残念ながら渡邊恒雄氏には一生涯持てないものなのだろう。

Photo 『メディアの怪人 徳間康快』(佐高信著/講談社+α文庫/2016年7月1日刊)

 面白いのはその出自の違いというか、流れが似ているというか。

 逗子開成中学を出て早稲田大学に入り、学生時代に日本共産党に入党。大学卒業後は読売新聞に入社したものの、読売争議でもって解職になった徳間氏。

 一方、渡邊氏は開成中学を出て東京大学に入り、学生時代に日本共産党に入党。大学卒業後は読売新聞に入社し、読売争議はうまいことやり過ごし、その後、自民党右派と取り結んで政治の世界に入り込み、しかし、そのまま読売新聞に居残って、今や権勢をふるっているわけだ。まあ、「老害」なんて言われながらね。

 まあ、戦前の一時期、学生が日本共産党に入党するっていうのは、ある種の流行りみたいなもので、その後、社会に出てから共産主義を捨てるもの、共産主義者から国家社会主義者になってしまうものなど、いろいろいたわけだけれども、自分が以前共産主義者であったことを隠したり否定したり、自分は共産主義には何の関係もないよという顔をするものと、堂々と認めて、しかし、「あんたそれでも昔は共産主義者だったのかよ」と人に言われても平気の平左で労働者の弾圧をしちゃう人もいたりするわけだ。さあ、どっちがどっちでしょうか?

『渡邉恒雄とロッキード事件の黒幕である児玉誉士夫の関係に言及した緒方克行著『権力の陰謀』(現代史出版会)の担当編集者は、『週刊金曜日』創刊の立て役者の一人である和多田進だった』

『同誌の生みの親の一人である本多勝一は、最初、週刊誌よりは新聞を出したかった。それで、著者と編集者という関係で知り合った和多田に相談する。
 和多田はすでに現代史出版会をやめていたが、その後も出入りしていた徳間に話を持ちかけ、徳間と本多の会談をセットした。和多田の記憶によれば、ホテルオークラの「山里」で会ったという。
 和多田の目算では、日刊新聞を出すには三〇億円必要だった。それで徳間を巻き込もうとしたのだが、一時はクオリティ・ペーパー(高級紙)を出すことに意欲的だった徳間も、結局は断念する。『東京タイムズ』を廃刊させたばかりだったこともネックになっただろう。
 その結果、本多と和多田は新聞を諦め、週刊誌の創刊に踏み切った。
 この一件に象徴されるように、徳間はこうした試みの、ある種の駆け込み寺だった。徳間なら相談に乗ってくれるのではないか、何とかしてくれるのではないかと、さまざまな企画が持ち込まれたのである』

『鎌田慧の『自動車絶望工場』などを出すのだから、どういうヤンチャさかはわかるだろう。もちろん、それを許すヤンチャさが社長の徳間にこそあったのである。 『自動車絶望工場』は最初の題名が『トヨタ絶望工場』だった。その新聞広告を出そうとして電通から横槍が入り、『自動車絶望工場』と改められる。それにしても、一九七四年の時点でのトヨタ批判である。往年の読売新聞社会部記者としてのスピリットか、徳間は出版人として腹をくくっていたと言える』

 という、この辺が徳間氏の面白いところである。徳間氏にいろいろ相談を持ち掛けてくる人間には右翼も左翼もない。まあ、戦前の左翼って思想的には左翼なんだけれども、生き方としては伝統主義者だったりする人が多かったわけで、それは徳間氏も同じだったんだろう。その辺が右翼にも左翼にも愛されていた理由なのかもしれない。

『『シュリ』の上映で徳間に感謝する李鳳宇は徳間を「最後の映画博徒」だと言い、『アサヒ芸能』と宮崎アニメを両立させた男と称している。「アウトローにしてインテリ、大ボラ吹きにして繊細な気配り、そして当代随一の先見性」を讃えているが、やはり映画博徒の李ならではの規定だろう』

『(「清濁併せ呑む」ではなくて:引用者注)「濁々併せ吞む」徳間は言ってみれば、絶対値の大きい男だった。それにプラスの符号をつけるか、マイナスの符号をつけるかで評価は分かれる。
 私は、とにかく、徳間の絶対値の大きさを描きたかった。その振り幅の大きさに惹かれたからである』

 う~ん、その辺が魅力なんだろうなあ。私も出版業界で映画を作っている身として、やはり徳間康快氏はかなり魅力的に映っていたものだった。

『そういうものがソフト産業だという意識がなければソフトには手を出さないほうがいいですね。博奕打ちですね。それが根本です。私は決してこれは恥じゃないと思っている。ソフト産業とはそういうものなんだ。当るか当らないか、そんなこと神様じゃなきゃ分かりませんよ。また逆に結果が常に不明なるが故に、あまりたらたらやっていると失敗する。いったん全部切って、新しいエネルギーを持った人間を引っ張ってきてやってもらう。活性化するエネルギーというのは、若いか、新鮮か、情熱があるか、決意(がある)かによるんですね。勿論才能は必要です。(しかし)一番の中心はパッション、情熱です』

 という徳間氏の言葉はよくわかる。

『『徳間康快追悼集』では、住友銀行から転じて徳間書店の社長となった松下武義が「発刊にあたり」を書いている。
 そして、「お別れの言葉」を述べた『もののけ姫』の宮崎駿が続き、以下、次の三人の弔辞が並んでいる。
 二〇〇〇年一〇月一六日の日付で、日本テレビ会長の氏家齊一郎、東映会長の岡田茂、それに日本書籍出版協会名誉会長の服部敏幸である。  宮崎は「徳間社長」と呼びかけ、氏家は「徳間先輩」、岡田は「徳間さん」、そして服部は「徳間君」と呼んでいるが、それぞれの徳間との関係を表している』

 う~ん、徳間康快氏って、愛されていたんだな。

『メディアの怪人 徳間康快』(佐高信著/講談社+α文庫/2016年7月1日刊)

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