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2016年9月

2016年9月30日 (金)

荒川・西尾久の煉瓦塀

 荒川区にあるあらかわ遊園のそばに「煉瓦塀」という一角があるというので見に行った。

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 あらかわ遊園から少しだけ離れた場所の路地にあるそれはおよそ300メートル。

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 煉瓦塀が途絶えた場所でも、普通の民家が煉瓦を気にした装飾をしてある。

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 その後も、煉瓦塀は続き、途中にはこんな防空壕の入り口では? と思わせる造作もあったり。

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 さらに煉瓦塀は続き……

Dsc_00282

 最後はこんな格好で終わります。

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 煉瓦塀の内側は普通の民家が並んでおり、特に変わった様子はなく、ただただ煉瓦塀だけが特異な存在なのだ。

 で、調べてみると、『明治5(1872)年、石神仲衛門によって、現在あらかわ遊園がある場所に煉瓦工場が造られました。この工場は、明治28(1895)年に広岡勘兵衛に経営が譲渡され、広岡煉瓦工場になりました。現在の煉瓦塀が残っている場所は、広岡煉瓦工場の煉瓦を干す場所でした』とのこと。

 広岡煉瓦工場というのは明治時代に銀座の煉瓦街を作る煉瓦を製造していた工場だったそうだ。その後『大正11(1922)年に広岡勘兵衛は煉瓦工場を閉鎖し、あらかわ遊園を開園しました。その時に、工場にあった煉瓦であらかわ遊園を囲う塀をつくりました』とさ。

 あらかわ遊園は現在は荒川区立の遊園地なのだが、もともとは私営の遊園地だったらしい。で、広岡勘兵衛が火事で焼失してしまった煉瓦工場の跡地に「荒川遊園」を作ったということだそうだ。遊園地といっても、主要施設は温泉大浴場や演芸場、料亭などで、現在の子ども向けの遊園地のイメージとは大分違うものだったようだ。

 その後、第二次世界大戦の際には高射砲陣地となり、昭和25年(1950年)に荒川区が買い入れ、現在のような子ども向けの遊園地として改装したようだ。

 で、その遺構のように煉瓦塀だけ残ったっていうわけですね。

 う~ん、そこに住んでいる人たちにとっては「歴史的遺産だから残さなければいけない」っていう気持ちと、もう一方では「なんか邪魔だなあ、こんな昔の塀」ってな感じが入り混じっているんだろうなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Nishi Oku, Akarawa (c)tsunoken

2016年9月29日 (木)

長崎空港から帰着、で考える

 長崎旅4日目は東京への帰還なんだが、ここは当然カミさんの希望通り空路であります。

 まあ、さすがに往復移動に7時間以上ってのはイヤになりますがな。

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 というここで、長崎駅前からバスで50分、ってのもちょっとかかりすぎ? ってな感じもするが、何せ「長崎空港」っていっても、実は「大村空港」が正しいのです。

 ただし、現在は「大村空港」ってのは「長崎空港」に隣接している自衛隊の基地の名前で、空港としてはあくまでも「長崎空港」。ま、つまり「大村市にある長崎空港」ってわけで、まあ「成田市にある東京国際空港」みたいなもんでしょうか。まあ、時間も東京から成田くらいかかるし……。

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 でも、この長崎空港って単なるローカル空港ってわけではなくて、例えば東京や大阪、名古屋などの大都市からは日本航空、全日本空輸、Peach Aviation、ソラシド エア、スカイマーク、などの航空会社が路線を持っているし、長崎空港をメインにしていてそこからローカル空港へ飛ばしているオリンタル・ブリッジなんていう航空会社もあったり、少ないけれども国際線もあるっていう、実は国内第9位の乗降客を誇る結構なメインの空港なんですね。知らなかった! 単なるローカル空港だと思っていました。すみません。

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 1990年9月には、あのコンコルドが「長崎 旅の博覧会」に合わせてチャーター機を飛ばしてきたらしい、なんと東京、大阪に次ぐ第3の空港らしいっす。だからどうだって言われても困りますけれどもね。

 というか、コンコルド自体に乗ったこともないし、パリのシャルルドゴール空港でたまたまこちらが乗ってきたジャンボの窓から、なんかペラペラ飛んでいくなあって感じのちっちゃいコンコルドを見たってだけのことですけれどもね。まあ、あんな時代のコンセプトに乗り遅れた飛行機って、まあ、どうでもよいです。こちらは、飛行機ってのは「実用品」だと思っているので、「夢」にはかけないで、まあ「安く乗って、それなりに早けりゃいい」ってなもんでしょうね。

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 ということで考えてみれば、やっぱりJRの料金っておかしいよね。「行き東京駅から長崎駅まで一人26,250円、帰り長崎空港から羽田空港まで一人10,990円」って、本来なら絶対にありえないじゃない。

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 まあ、国鉄からJR7社体制になったとはいえ、都市圏を除けば長距離路線はJRが独占しているわけだし、まあそんなところでは料金は勝手にJR側でつけられちゃうわけでしょ。

 なので航空会社は2カ月以上前に予約すれば通常の3~4分の1の価格で買えちゃうんだよなあ。こんなのは「金利」とは関係ない、単なる「競争価格」ですね。

 ということになると、どこからどこまでが我々が選択すべき「空路」「車路」の区切り線になるんだろうか。

 羽田にしたってどこにしたって、空港は出発の何分前までに搭乗手続きをしろとかうるさいじゃないですか。そこへいくと、新幹線は、取り敢えず切符さえ買っちゃえば、例えば買った切符より早い便があってもその自由席になら乗れちゃうっていう便利さがある。取り敢えず「待つ必要がない」ってのが電車のいいところ。東京駅までも近い。で、それがどの駅あたりまでならイケるかなってとこですね。

 まあ、私は広島までかなって最近思い始めた。

 広島も以前は瀬戸内海の方に空港があって、広島の街までは近かったんだけれども、今の広島空港はもう山の中で、広島市までは実に遠い。ので、いやになってしまう。

 で、広島までだったら新幹線、それ以遠は飛行機かな? ってところですが、どうでしょうか?

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm D @Ngasaki Omura Ngasaki (c)tsunoken 

2016年9月28日 (水)

長崎旅・3日目は平戸

 長崎旅行の3日目は平戸市に行った。

 というか、こちらが本来の長崎旅の目的だったんですね。なので、本当なら平戸市に泊まって、長崎に行くっていうのが普通なんだけれども、平戸市にそんなマトモなホテルはないってことで、長崎宿泊、3日目に平戸市ということになったのであります。

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 とは言うものの、長崎から平戸市まで片道100km以上。長崎県っていうのが「湾」と「島」の県であるっていうのは知っていたんだが、こんなに遠いとは、長崎に行くまで知らなかった。

 取り敢えず、長崎から諫早を経由して佐世保までは、JR九州のシーサイドライナーっていう快速で行き、そこから松浦線というローカル線にのってゴットンゴットン行くわけですな。まあ、この松浦線もJR改革までは国鉄線だったそうで、確かに佐世保線と松浦線ってレールがつながっているっていうか、佐世保線のレールがそのまんま松浦線になってます。まさしく、一緒の路線だったっていう証拠。

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 でも、たびら平戸口駅を降りてみると、うわ~っ! なんていう田舎の駅! ってな感じです。

 あ「日本最西端の駅」ってのはウソです。今は沖縄のモノレールの駅の方が西だからね。

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 で、駅から平戸口湊まで歩いて行って、バスで平戸城まで行きました。

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 平戸を治めていたのは松浦家という藩主で、まあ、もともとは松浦水軍っていう海賊だったんだけれども、力をつけてその地を抑えてしまえば、もう立派な武士です。っていうか、武士階級自体がもともとは荘園の用心棒だったり、野武士(つまりは山賊ですな)だったりしたわけで、その中で力をつけてきた者が大名になったりしたわけなので、要は武家階級のもともとの出は「ならず者」だったわけです。

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 で、その元海賊だった松浦家も後に代をなして大名となり、平戸を治めるようになったというわけで、我々は平戸城から歩いて「松浦史料博物館」へ行ったのでありました。

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 で、この松浦家4代藩主松浦鎮信が片桐石州に学び、また様々な流儀を研究して打ち立てた鎮信流 (ちんしんりゅう)は、肥前平戸藩松浦氏で伝えられた茶道の流派なんだが、その鎮信流(松浦流とも略称されるそうですが)茶道が、実はウチの奥さんが学んだ茶道なんです。まあ、裏千家も表千家もわからない私にとってはチンプンカンプンなんですけれどもね。まあ、松浦流は基本は武家茶道なんで表千家らしい。

 でも、豊臣秀吉に茶道を授けた千利休は裏でしょ? この辺、よくわからない。

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 さすがに海賊の末裔とはいっても、4代目になると茶道の心得なんかも得るようになるんだなあ。で、その松浦家も明治維新後は華族となって公家とも付き合いが出てきて、なんとあの正親町家(つまり天皇の家系)とも親戚になってしまい、つまりその正親町家何十代目の正親町静子さんがウチの奥さんの茶道の先生だったそうな。

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 う~ん、さすがに「松浦史料博物館」にも、武具や着物、屏風などと一緒にこんな茶道具が展示されています。

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 まあ、今の松浦家にしてみれば、海賊の末裔というよりは、こうした茶道の宗家という立場を強調したいんだろうな。

 でもまあ、鎖国以前は平戸が中国、オランダ、イギリスなんかとの通商の中心だったのが、鎖国となって貿易は長崎だけということになって、平戸にあった貿易館なんかも全部取り潰しになってしまったそうだ。

 本当だったら、平戸が長崎以上の大きな街になった可能性もあったと考えると、つくづくとも歴史って不可思議ですねえ。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm D @Hirado Nagasaki (c)tsunoken

2016年9月27日 (火)

老人に優しくない街・長崎

 長崎が山がちの街、坂道の多い街というのは知られている。関東平野とか大阪平野などの平野をバックに持たない日本の港町は、全体的にそうした山がちの街になってしまう。

 長崎がそういう地形の街だったので、原爆の被害も広島ほどではなかったということもあるのだが、でも、そこに住んでいる人たちの負担は多くなってしまうわけだ。

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 で、山(というか丘)の上にある平和公園の入り口にはこうしたエスカレーターが整備されていたり……

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 原爆資料館なんかもエレベーターがあったりする。

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 さすがにその景観ゆえにそこに建てたんだろうっていうグラバー邸も同じで。

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「グラバースカイロード」っていうのがあるので、行ってみれば。

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 なんとそれは山道の斜面に沿った斜行エレベーターがあって、グラバー園の一番上まで行けるんですね。

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 ところがそんな長崎で一番いけてない場所が長崎駅前広場なんだよなあ。

 長崎駅前は「長崎高架広場」っていう、要は歩道橋がたくさん集まっているような、階段の上に駅前広場があるんだ。

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 タクシー以外はバスに乗るのも、市電に乗るのも一度は歩道橋に上がって下りなければならない。

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 まあ、エレベーターもあるにはあるんだが、道の両側にそれぞれ一か所しかなくて、とても不便。

 かなりバリアフリー化が進んでいる東京から来てみると、「なんて長崎って年寄りや体が不自由な人に優しくないんだ」って感じになるんですね。確かに、街を歩いていると東京ではよく見かける車椅子に乗った人たちの姿が、長崎ではまったくといっていいほど見かけない。

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 長崎市やJRもそれではいけないとは感じているようで、こんな「JR 長崎本線連続立体交差事業」なんてことをやって、線路を高架化して人は下を歩けるようにしたりする計画はあるようなんだけれども、現在、工事はまだ始まっていないようで、何年後になったら長崎駅前のバリアフリー化は実現するの? ってな感じですね。

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 その頃には、日本全体が少子高齢化して、人口減少になってしまうかもしれない。

 本当は、高齢人口が多い今すぐにやらなければいけない事業なんだけれどもね。

 長崎は商業都市であるとともに、観光都市としても重要な拠点都市だろう。だとしたら、それこそ東京オリンピックで各国から観光客が来るまでには、そうしたバリアフリー化を実現しなければ、完全に乗り遅れちゃうよ。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Nagasaki (c)tsunoken

2016年9月26日 (月)

『講談社社友会作品展』本日終了

 まあ、あっという間の三日間でしたね。素人の作品展なんてこんなもんでしょう。もっと長い間公開していたって、別に買い手がつくわけじゃないしね。

 ということなので、「講談社社友会作品展」に私が出品した写真を今日は大公開。

 っても、五枚組の写真でしかないんだけれどもね。

 取り敢えず「越後 牛の角突き」って、なんなんだっていう説明版を作りました。

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 で、会場全体写真はライカM3とズミルックス50mmで撮影したもの。これだけは T MAXだったかな。 まあ、ライカと50mmでとった近い写真もあるんだけれども、やっぱりスポーツ写真は望遠の方がいいんだよな。

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 あとは、ニコンF4とニッコール・ズーム70-200mmで、おなじみトライXで撮影した、牛たちのぶつかり合いです。70-100mmでこんな感じ。

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 すごい迫力でしょう。200mmです。

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 草食動物なのに、何故、ここまで戦うのか。

 まあ、もともとは牛同士の「お遊び」だったそうなんですね。こうした、頭と頭をぶつけあうってのは。

 それが激しくなって、戦いにまでなってしまうのが闘牛の不思議なところ。

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 で、最後は「勢子」と「牛」の戦いです。

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 7~8歳以上になってしまうと1トンを超える牛です。その大きさたるやとてつもない。

 その牛を最後には引き離して、友綱をつけるところまでやる勢子って、結構大変な仕事、っていうか彼らはそれで食っているわけではないので、まあ、名誉なんですね。

 でも、時には大けがをしてしまうこともあるわけで、それはそれで大変な仕事。

 というのが、「講談社社友会作品展」に出した、私の組み写真です。

 まあ、私は私の写真に「(c)tsunoken」はつけているけれども、別に商業目的以外には著作権を主張する気はありません。

 なので、このブログの写真をダウンロードしてご自分でプリントして飾っておくのは問題はありません。ただし、それを別媒体に転載するのはダメよ。

 で、もう一つ言っておくと、このブログに載せている私の写真は、実際の撮影サイズの1/10くらいにリサイズしています。

 なので、そこからプリントすると小さい写真ならOKだけれども、大きな写真に伸ばしたいとなると、ちょっと問題がおきます。

 なので、大きいサイズで写真が欲しい方は、私にご連絡をいただければ、実費(5,000円位かな)でプリントした大きな写真をお届けします。

 ご希望の方は、このブログのコメント欄に必要事項をお書きの上、お申込みください。

 勿論、上に掲げた写真以外にも沢山ありますので、それを見たいという方も、上記と同じように、コメント欄にご連絡をいただければと存じます。

亭主敬白(?軽薄)

2016年9月25日 (日)

『コンビニ人間』がリアルなのか、反リアルなのか、分からない私がいる

 9月19日から22日までの長崎旅行の間に読んだ本がコレ。

 村田紗耶香さんの今年の芥川賞受賞作『コンビニ人間』であります。

 実際の村田紗耶香さんも37歳で独身、コンビニ勤めをいまだに辞めていないそうで、まあ、つまり村田さん自身がモデルになって小説を書いたのかな。

「書いた私自身がコンビニ人間なんです」

 ってことなんだろうか。

 だとすると、村田さん自身がちょっと変わった娘で、大学1年生の時に始めたコンビニ・バイトを37歳の今でも続けている処女ってことなのかなあ。でも、なかなかお美しい人ですよ。

 まあ、美醜と処女・非処女は関係ないけれどもね。

Photo 『コンビニ人間』(村田紗耶香著/文藝春秋社/2016年7月30日紙版刊・2016年8月20日電子版刊)

『コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思いだせない。
 郊外の住宅地で育った私は、普通の家に生まれ、普通に愛されて育った。けれど、私は少し奇妙がられる子供だった』

 という主人公、古倉恵子は一種のアスペルガー症候群だったのだろうか。

『父も母も、困惑してはいたものの、私を可愛がってくれた。父と母が悲しんだり、いろんな人に謝ったりしなくてはいけないのは本意ではないので、私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。
 必要なこと以外の言葉は喋らず、自分から行動しないようになった私を見て、大人はほっとしたようだった。
 高学年になるにしたがって、あまりに静かなので、それはそれで問題になるようになった。でも、私にとっては黙ることが最善の方法で、生きていくための一番合理的な処世術だった。通知表に「もっとお友達を作って元気に外で遊ぼう!」と書かれても私は徹底して、必要事項以外のことを口にすることはなかった』

 というちょっと奇妙な女の子だった主人公が人生に目覚めたのが、まさしくコンビニエンスストアでのアルバイト経験だったのだ。

『スマイルマート日色町駅前店がオープンしたのは、1998年5月1日、私が大学一年生のときだった』

『「スマイルマート日色町駅前店OPEN! オープニングスタッフ募集!」というポスターが透明のガラスに貼られているほかは、看板も何もなかった。ガラスの中をそっと覗くと、人も誰もおらず、工事の途中なのか、壁のあちこちにはビニールが貼りつけられていて、何も載っていない白い棚だけが並んでいた。このがらんどうの場所がコンビニエンスストアになるとは私には到底信じられなかった。
 家からの仕送りは十分にあったが、アルバイトには興味があった。私はポスターの電話番号をメモして帰り、翌日に電話をかけた。簡単な面接が行われ、すぐに採用となった』

『大学生、バンドをやっている男の子、フリーター、主婦、夜学の高校生、いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な「店員」という生き物に作り直されていくのが面白かった。その日の研修が終わると、皆、制服を脱いで元の状態に戻った。他の生き物に着替えているようにも感じられた』

『横で立って袋詰めをしていた社員が、 「古倉さん、すごいね、完璧! 初めてのレジなのに落ち着いてたね! その調子、その調子! ほら、次のお客様!」
 社員の声に前を向くと、かごにセールのおにぎりをたくさん入れた客が近づいてくるところだった。
「いらっしゃいませ!」
 私はさっきと同じトーンで声をはりあげて会釈をし、かごを受け取った。
 そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった』

 そのまま、同じコンビニに勤務して18年。36歳になっても、未だ独身で、正規社員になった経験もない恵子は、しかし、自分がコンビニ人間としてのみ世界から認められているという実感を感じながら生きている。

 そこに闖入してきたのが、やっぱりコンビニでしか働くことのできない……、っていうかそのコンビニでもまともに働くことができない白羽さんという人。

『「威張り散らしてるけど、こんな小さな店の雇われ店長って、それ、負け組ですよね。底辺がいばってんじゃねえよ、糞野郎……」
 白羽さんはたまに言葉をとちりながら早口で呟き続けている。
「この店ってほんと底辺のやつらばっかですよね、コンビニなんてどこでもそうですけど、旦那の収入だけじゃやっていけない主婦に、大した将来設計もないフリーター、大学生も、家庭教師みたいな割のいいバイトができない底辺大学生ばっかりだし、あとは出稼ぎの外人、ほんと、底辺ばっかりだ」』

 てなこと言っている白羽さん自身が正規社員にもなれずに、いまだにIT起業するなんて言いながら、実は何も行動をおこしていない、ダメ人間の典型みたいな人なのだった。

 そんな白羽さんと恵子が、なぜか同棲することになって、でも、結局は分かれちゃうってことになるんだなあ。

『コンビニはお客様にとって、ただ事務的に必要なものを買う場所ではなく、好きなものを発見する楽しさや喜びがある場所でなくてはいけない。私は満足して頷きながら、店内を早足で歩き回った。 私にはコンビニの「声」が聞こえていた。コンビニが何を求めているか、どうなりたがっているか、手に取るようにわかるのだった』

『「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」』

『「一緒には行けません。私はコンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません」
「そんなことは許されないんだ!」
 私は背筋を伸ばして、『誓いの言葉』を言うときのように、白羽さんに真っ直ぐ向き合った。
「いえ、誰に許されなくても、私はコンビニ店員なんです。人間の私には、ひょっとしたら白羽さんがいたほうが都合がよくて、家族や友人も安心して、納得するかもしれない。でもコンビニ店員という動物である私にとっては、あなたはまったく必要ないんです」』

 アスペルガー症候群かもしれないということで、世間と折り合って生きることのできない恵子だったが、単なる「ダメ人間」と出会ったことで、自分にも自分に合った生き方ができることを発見する。それが「コンビニ人間」という生き方だった。

「コンビニで働くことは底辺の生き方である」という白羽さんの考え方は、自分が今置かれている「コンビニ人間」という立場を認められないために、その立場を自己崩壊させている。

 それに比べれば、「コンビニ人間」という存在を肯定的にとらえている恵子の方がまだ幸せなのかもしれないと考えるようになる。

 それは人間としての進歩でもなんでもないが、人の生き方においては大いなる進歩といえるのかもしれない。

 あまり純文学で「人の生き方」なんてものを考えない私だが、この作品にだけは、ちょっと考えさせられた。

 でも、純文学に疎い私には「わからない」。

『コンビニ人間』(村田紗耶香著/文藝春秋社/2016年7月30日紙版刊・2016年8月20日電子版刊

2016年9月24日 (土)

今日から「講談社社友会作品展」

 今日から9月26日までの3日間、豊島区民センター総合展示場で「講談社社友会作品展」が開催されるのというのは既報の通り。

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 場所はJR・東京メトロ池袋駅から徒歩約5分、旧豊島区役所や豊島公会堂(もう解体されています)の並び。豊島区民センターもこの作品展が終わると解体されるそうです。

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 私は、ライカM3とニコンF4で撮影した「越後 牛の角突き」のモノクロ写真を5点出品させています。

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 御用とお急ぎの方も時間は取らせません。御用とお急ぎでない方はなおのこと、是非とも会場に足を運んでください。

 私自身は毎日会場に詰める予定ですが、スモーキングタイムなんかで会場を離れる場合もあります。このブログのコメント欄に訪問日時とお名前を書いていただければ、その時刻には会場にいるようにしますので、是非ともよろしくお願いします。

 3日間はブログをUPしないのかって? イヤイヤ、ちゃんと毎日更新しますのでご安心を、前にも書いたけれど、長崎ネタ、そのほかのネタも豊富にありますので……。

 

2016年9月23日 (金)

長崎は猫に優しい町?

 9月20日のブログ「昨日は完全に「移動日」ですぜ」に写真を入れて完成させましたので、そちらも一度見てください。

 さて、昨日からパソコン環境も旧に復したので、9月19日から22日までの長崎旅行の様子を随時書いていく。

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 で、長崎に行って面白いのはよく猫の姿を目にするということなのだ。

 これは浦上天主堂の階段を上がってくる猫。

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 下の2枚はグラバー園の上から入っていく斜行エレベーターがあるんだけれども、そこからグラバー園に入っていく途中の、屋根の上で寝ている猫。

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 さらに、出島から思案橋を経て観光通り、中通りを通っていく商店街で寝ている猫たち。

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 この猫なんかは、自分の店の前に猫用のベッドがあるんだけれども、そちらが日向になってしまったために、わざわざ対面の店の店先に行って寝ているんですね。

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 う~ん、なんだろう。長崎の人たちが猫に優しいのか、あるいは猫自身が堂々と自己主張をしているのかはよくわからない。が、これ以外にも堂々と街、つまり多くの人たちが闊歩している商店街などを平気で歩いている猫たちが多い。

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 う~ん、まあ猫に優しい長崎の人たちということにしておこう。

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 最後は、こんな本物じゃない猫たちも沢山います。

 まあ、やっぱり長崎の人たちは猫好きなんだろうなあ。「にゃ~がさき」なんていう言葉もあるそうだ。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Nagsaki (c)tsunoken

2016年9月22日 (木)

今日から 前期高齢者

今日は私の誕生日です。
というか、今日から私も前期高齢者なのであります。いやあ 今までは、会社は定年退職したものの まだ高齢者ではない というちょっと中途半端な状態だったんだけれども、今日からは堂々と「私は年寄りです」って言えるんだ。
これはちょっと嬉しいね。
まあだからと言って、何がどう変わるもんじゃないけれどもね。
ということで、今日は東京へ帰ります。まあ 帰りは全日空で1時間45分なんで、気楽ですけれどもね。行きみたいに8時間以上もかからないから。

ってなことで、明日からは普通にブログをUPします。まあ 長崎のことはまったく書いていないので、結果的にネタは沢山たまった状態になってしまっている。

ということで、明日からのブログにご期待ください。

2016年9月20日 (火)

うーん やっぱりダメだ

ホテルのWiFiに繋いでも、インターネットに繋がりません って、どうよ。
まあ 今日は長崎市内観光です。
浦上天主堂とか、原爆の爆心地とか、出島やグラバー邸 思案橋なんかを見てきたんだけれども、要は、長崎ってあまり広い街ではないんですね。
歩いても行けちゃう場所ばかり。
でも、市電(本当は「長崎電気軌道株式会社」っていう私鉄なんですね)にも乗りましたが、乗らなくても歩いて行けたかも
ただまあ 坂道が多い長崎なんで、まあ市電には乗るのかな っと
ということで、今日は18、256歩 歩いた。
明日は、平戸に行きます。平戸に何があるのか?
まあ 元々、長崎が海外に開けた前は平戸が先に海外へ開けた街だったんですよね。
ただし、平戸に行く理由は、もう一つありまして、それはまた明後日のブログで
キーワードは平戸の松浦家なんですけれどもね。

無題

続きを読む "無題" »

昨日は完全に「移動日」ですぜ

 普通は「移動日」たって、その後に野球選手なら練習をする時間とかとってありますよね。

 でも、昨日は完全な「移動日」です。ほんとに完璧に「移動日」。

 う~ん、実は今回の長崎旅行、カミさんからは往復飛行機って提案だったんだけれども、実は私、山陽新幹線は徳山までは乗ったことがあるんですが、そこから先はない。っていうか、映画『ああっ 女神さま!』のキャンペーンの時に、大阪、広島と声優たちと乗っていって、広島駅で声優たちはそのまま博多まで行って、そこから沖縄へキャンペーンにいったんだけれども、私はそこから東京へ帰ってきて、厳しい出資者からの追及を受けなければならないという仕事が待っていたのだった。まあ、その辺はプロデューサーっていう立場ならではの仕方ないことなんだけれども。

 ということで、とにかく今回は、「九州へ(飛行機じゃなくて)地上から上陸」ってのが、私的な目標だったのです。まあ、羽田―博多っていう空路はしょっちゅう乗っていたからね。

 東京駅8時30分 のぞみ17号で出発です。

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 名古屋10時12分。まだまだ、旅は始まったばっかりです。

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 京都10時52分。ふんふん。

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 新大阪11時16分。ここからJR東海からJR西日本に入るんだな。

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 新神戸。11時29分。

 岡山。11時56分。

 広島。12時32分。

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 新山口。13時04分。このちょっと手前の徳山までが私のJR最西距離。う~ん、感激。

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 小倉。13時29分。おお! 陸路、九州上陸だぞ!それも海底トンネル経由だ!うわっ! 海底トンネルも初めてだし、そこを経由して九州上陸も初めてだ!

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 博多。13時39分。やっと博多に着いた。でも、まだまだ先があるんだよね。

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 博多、13時55分。長崎線かもめ25号です。

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 最初は鹿児島線と同じ路線を走っている長崎線なんですが、途中鳥栖から長崎線オンリーの路線に入ります。

 長崎。15時50分。

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 東京から7時間20分の旅でした。

 で、ここが今日の宿。

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 う~ん、やっぱり長いな。帰りは全日空で1時間45分だもんな。おまけに、行き一人26,250円、帰り10,990円ってどういうことねん。まあ、その辺が未だに利権が伴っているJRってことなんだろう。競争相手がいないもんね。どんな料金でもつけ放題。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D (c)tsunoken

 まあ、こういう旅行の時はズームレンズ大活躍ですな。

2016年9月19日 (月)

『世界をひとりで歩いてみた』って言っても、そんなの当たり前じゃん

 ということで、今日取り上げるのは眞鍋かをりさんの『世界をひとりで歩いてみた』なんですけれども、えー、そんなの当たり前じゃん、っていう私がいる。

 だって、眞鍋さんっていえば横浜国大を卒業した才媛でしょう。英語なんてペラペラしゃべれちゃうんじゃない? っていうイメージは表紙の大股開きの写真でもろくも崩れるわけです。

 つまり、彼女にしても海外旅行っていうのは結構ハードルが高かったわけなのですね。そうなのかな?

Photo 『世界をひとりで歩いてみた 女30にして旅に目覚める スマホ片手にノープラン 「英語も苦手、地図が読めない私」がガチで(完全プライベート)行ってきました!』(眞鍋かをり著/ 祥伝社/2013年12月10日紙版刊)

『大学進学のため上京してすぐに渋谷の吉野家でスカウトされ、右も左もわからないまま、18歳で芸能界に飛び込んで10年……。苦労話はあまりしたくないけど、本当にいろんなことがありました。いつも現場では自分の力の足りなさに自己嫌悪、それに加えて、極端に自由の少ない環境、ハードなスケジュール、幾度となく経験した、信用していた人からの裏切り……。常にストレスと疲労を抱えて過ごした20代。心や身体のバランスを崩したのも1度や2度ではありません。
 このまま30代を迎えるのか、それとも思い切って人生をリセットするか。限界を迎えていた私が選んだ道は、後者。この先の人生を後悔しないために、それまでお世話になった事務所を辞め、すべての仕事をストップしたのです。
 30になろうとしている女が、独身だというのにいったん仕事を辞める……。ものすごく勇気のいる決断ではあったけど、不思議と不安や後悔はありませんでした。それはたぶん「今の環境でできることは、限界までやりきった」と、自分自身、100%納得していたからだと思います』

『長いこと車やタクシーでの生活に慣れてしまっていて、数年ぶりに電車に乗ろうとしたときには券売機の前で立ち往生してしまうありさま。このままではいけないと、人生をリセットしようと決めてからは猛スピードで東京の公共交通機関をマスターし、どこへ行くにも電車やバスを乗り継いで、Googleマップ片手に初めての場所にもなんとか行けるようになりました。これが、実際にやってみるともう楽しくて楽しくて! 自由に飢えていた私にとっては、そんな当たり前のことでさえも「冒険」のように感じられたのです』

 そうか、結構「アイドル」の仕事ってのもツラい部分があるんだなってところですね。

「蝶よ花よ」ってもてはなされるアイドルの世界でも、結局は「アイドル」である時代はもてはやされるけれども、その旬を過ぎちゃうとすぐに人々からは忘れされれてしまう存在なんだ。

 で、その時に「元アイドル」はどうすればいいのか。

 人によってはそこから歌の上手なアーチストを目指す人もいるし、芝居の勉強をして演技派の俳優を目指す人もいる。で、眞鍋さんは、「え? え? えっ?」っていう、旅行アイドルの方向へ歩みだしちゃったんですね。でも「旅行アイドル」っていう方向ってあるのかな。

 とは言うものの、今や海外旅行なんてごく普通にあることなんじゃないのかな。だって、私だってサラリーマンをやっている頃は、年に1回くらいは「ああ、来週から○○に行ってね」なんて出張命令が出されたもんです。まあ、自分で提案したっていう方が多かったかな? 当然、出張ですから誰も通訳なんかはついてこないし、現地で通訳を雇っていい場合は、帰国して本を出すとかなんかの理由がないとできません。つまり、そんな理由のない普通の出張、つまり何か(当時は映画やテレビ番組ですけれどもね)を海外で売ってこいっていう出張なわけなので、当然行くのは私一人、通訳なし、現地で泊まるホテルも自分で確保、航空券も自分で確保、おまけに現地でのアポ取りも自分でやれよなってもんです。

 うん、でも私のMARCHクラス(つまり中央大学ってこと)のつたない英語でもなんとか通じて、仕事ができたんだから、横浜国大でしょ、だったら英語なんか普通にOKでしょとも思うんだが。まあ、長年「アイドル」をやっちゃうとその辺が劣化しちゃうのかな。

『そしてこのとき発見したのが、「旅好き女子あるある」!
 その場にいた女子全員が口をそろえて言っていたのが「いつか行くであろう新婚旅行のために、ここぞという場所は行かずにとってある」ということ!
 なんて可愛い乙女心(笑)。
 さらには、旅に関するこんな会話も。
「結婚して子どもできたら自由がなくなるし、今のうちに旅しなきゃね!」
「でもさぁ……この先も、ずっと自由だったらどうする…?」
「ぎゃーーー‼ 怖い!!!」
 旅好き女子も、いろいろと考えているのです(笑)』

 バカですねェ。

 まあ、人生は先のことを考えてクヨクヨしても意味はない。先のことを考えてグイグイしても意味はない。

 まあ、そんなもんですね。

 普通に年衰えて、普通に爺(婆)になっていくってなもんですか。

 でも、眞鍋さんまだ十分若いんだから、もっともっと旅を楽しだほうがいいですね。

 今度はお子さんと一緒の旅も楽しそう。

 旅は「人を作る」と言います。

『世界をひとりで歩いてみた 女30にして旅に目覚める スマホ片手にノープラン 「英語も苦手、地図が読めない私」がガチで(完全プライベート)行ってきました!』(眞鍋かをり著/ 祥伝社/2013年12月10日紙版刊)

 ということで、今日から地方遠征なんですけれども、まあ、駅前のホテルに宿泊予定なんで、WiMAX環境は大丈夫のようなんですね。んで、地方遠征の様子もUPしていこうかとは思いますが、環境が変わってしまったらダメになってしまうということもあるかもしれないので、その時は勘弁、勘弁。

 でも、〽○○は~今日も雨だあった~、みたいな予報なんでちょっと心配。

2016年9月18日 (日)

東京都写真美術館再オープン、でも変わっていないこと

 豊洲新市場の建設に関して、東京ガスのベンゼン問題に対して、盛土案が出ていたものを「コンクリートの空洞でいいんじゃない」なんて無責任なことを言っていたらしい、石原慎太郎元都知事が行った唯一の善政と何度も書いてきた「東京都写真美術館」が2年の休業期間を終えて、この9月3日にリニューアル・オープンした。

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 今回は「TOP MUSEUM」という言い方をしているのだが、まあ「Tokyo Metropolitan Photographic Art Museum」っていう呼び方は変えていないし、入り口手前のロベール・ドアニー「パリ市庁舎前のキス」とか、ロバート・キャパ「Dデイ」(の「ちょっとピンボケ写真)なんかは前のまんまだし、まあ、昔の東京都写真美術館とは変わらないのでありました。

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 それでも、玄関前のイメージは変わっていますね。

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 で、今回新東京写真美術館のこけら落としとして選ばれた展示は、まず東京写真美術館としては定番の「世界報道写真展」(B1F)、とこの人を写真家といってしまっていいのかどうかは分からない、杉本博司氏の〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない〉という言葉で始まる数々の立場の人たちの言葉を、手書きで書いているという、まあ、写真展なのか芸術展なのかわからない展示(3F & 2F)に加え、1階では「マザー・テレサ」映画祭です。

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 とは言うものの、各展示室の入り口は前のまんまだし、展示室内の撮影禁止も前のまんま。なんじゃ、これは?

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 1階のエントランスや……

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 2階に移ったミュージアム・ショップなんかは、なんかモダンになった雰囲気はあるんだけれども。

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 問題は「展示室内の撮影禁止」だよな。

 神田のギャラリー・バウハウスなんかは、接写は(当然)ダメだけれども、展示会場全体を写す写真はOKなんですね。街のギャラリーなんかはそんなところが増えてきている。そりゃ、当然、写されることでパブリシティにはなるわけで、「いいこと」なんですよ。

 勿論、著作権は守らなければいけないけれども、展覧会場のロングショットなんて著作権と何の関係もないじゃないか。

 この辺の、「アタマのカタさ」を都庁のお役人に言う人はいないんでしょうかね。

 小池さん。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Yebisu Meguro (c)tsunoken

2016年9月17日 (土)

一日遅れの十五夜お月さん

 昨日は一日遅れの十五夜ってわけで、十五夜の夜が曇りだったので月は撮れず、一日遅れだったんだが、昨晩はほぼ満月の月を撮れたんでUP。

 取り敢えずISO400のままで撮ったのがこれ。

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 ああそうか、ISOは上げらるんだと考えて、ISO12800まで上げて撮ったのが下。

 レンズは150-500mmのズームに、2倍テレコンバーターをつけてます。

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 いずれにしても、こんな写真が手持ちで撮れちゃうっていうところがすごいところで、本当に三脚も何も使っていないで、手持ち撮影なんですね。

 さらに驚いたのが、1000mmクラスになっちゃうと、月でも無限遠じゃないんだってこと。無限遠にしてしまうとボケちゃうんですね。スゴイぞ1000mmレンズ。

 要はレンズメーカーの技術勝ちってところであって、別に私の撮影技術がいいわけでもなんでもないんですね。

 う~ん、喜んでいいものやら、いけないものなのやら。

 まあ、レンズメーカー「SIGMA」の技術力を褒めてあげましょう。

 いつもはカメラとレンズは小さい文字で書いているんだけれども、今日は普通の文字で書きましょう。

NIKON Df + SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM+SIGMA APO TELE CONVERTER 2x EX DG @Honkomagome Bunkyo (c)tsunoken

 

2016年9月16日 (金)

『21世紀の家族主義』って、大きく出たなあ

『21世紀の家族主義』って、おおっ、イケダハヤト氏も「まだ東京で消耗してるの?」って、未だに東京でヒイヒイ言って生活している人を煽って面白い思いをしているだけかと思ったら、結構大きなテーマに向かって、吠えることもあるんだ。ってな思いは、実はサブタイトルを見ると底が割れるんですな。

『「タラレバ娘」たちに伝えたい、結婚、子育てのメリット』って言うんだから、それは日本テレビで2017年1月に吉高由里子主演でスタートする番組であり、同時にその原作である東村アキコの『東京タラレバ娘』のことかいな。ってわけなのであります。まあ、そのマンガも面白いんですよ。

 つまり

『「キレイになったら
 もっといい男が現れる!」
「好きになれればケッコンできる!」
タラレバばかり言っていたら、
あっという間に33歳。
私たちの明日はどっちだ!?』

 っていう漫画のことだったんだ。バカですねえ。

 さすがにコミック好きなイケダハヤト氏だなあ。結構。コミックは読んでいますね。

21 『21世紀の家族主義:「タラレバ娘」たちに伝えたい、結婚・子育てのメリット』(イケダハヤト著/イケハヤ書房)

 要は「結婚は美醜・好悪だけじゃない」ってことでしょう。

 つまり自分の現状を変えたいというホンの少しだけの欲求があって、ホンの少しだけ自分の現状を変えようという意思があって、ホンの少しだけ自分の置かれた現状を変えられた人がたどり着く結果が、結婚なんですね。「キレイになったら もっといい男が現れる!」「好きになれればケッコンできる!」じゃないんです。

 人は自分の置かれた状況を変えることが怖い。今の状況が決して自分にとってベストではないことが分かっていても、その状況を変えた先にあるものが(見えないから)怖くて、現状を変えることができない。

 で、『「キレイになったら、もっといい男が現れる!」「好きになれればケッコンできる!」 なんて夢物語を、実は本人もそんなことは夢物語だってわかっているんだけれども、夢物語を信じている(フリをしている場合もあり)。

 まあ、結局「婚活に走っているアラサー女子」の大半はそんな人たちなんだろう。多分、彼女たちだって20代の頃に恋愛に走った時期もあったかもしれない。でも、恋愛と結婚とはそれこそルビコンの川を渡るほどの決心が必要だったと「思っている」のであります。でも、実際のルビコン川なんて幅数メートルの小さな川に過ぎない。渡るのは全然怖くはない。たまたまローマ共和政末期の元老院が「ルビコン川を渡ってはいけない」という触書を出したから、皆渡らなかっただけで、ユリウス・カエサルが「賽は投げられた」(これまた大げさ)なんて言って、簡単(それこそ「チャッチャッ」て)に渡っちゃったから、ローマ共和政は滅んじゃうわけですね。

 まあ、婚活なんてのもその程度のもの。実は「結婚」なんて、やっちゃうのは実に簡単。ということを「結婚・子育てのメリット」という言い方でイケダハヤト氏が説くわけだ。

 イケダ氏は「合理性」ってことで説いていく。

『「結婚」はどのようにして「合理的」なのか?

1. 自分が変わっていく。
2. 生活コストが下がる。
3. ビジネス上のリスクを取りやすくなる。
4. コミュニケーション欲求を満たせる。
5. 様々なコミュニティに入りやすくなる。
6. 「他人は他人」という割り切りができるようになる。

子育てはどのようにして合理的なのか?

1. 笑顔が増える。
2. やる気が出る。
3. 人間力が磨かれる。
4. 労働力になる。
5. 遊びの幅が広がる。
6. 寂しくなくなる。
7. コミュニティに入り込みやすくなる。
8. 夫婦の絆が強くなる。
9. 自分が老いたときのリスクヘッジになる。』

 まあ、この辺「合理性」ってことで「結婚・子育て」のメリットを語ってしまうようななところが、未だにイケダ氏の若さのようではあるけれども、まあ、東京にいたときからの攻撃性から比べれば、高知にいってからのイケダ氏はかなり攻撃性は減ってきて、なんか「落ち着いたなあ」という感じはする。

 常に誰かとの競争状態にある東京(私的にはそんな感じはしてなかったんだけれどもなあ)に比較して、そんな競争状態のない高知という場所では、やはり気分的にも落ち着いてきて、「人を攻撃するよりも、むしろ今自分がいる場所のメリットを説く」っていう方向に変わってきているようだ。

 と、まあ私ごときが言うべきことではないけれども、なんか人間ってやっぱり変化していく生き物なんだなあ。

『21世紀の家族主義:「タラレバ娘」たちに伝えたい、結婚・子育てのメリット』(イケダハヤト著/イケハヤ書房)

『東京タラレバ娘(6)』(東村アキコ/講談社/2016年9月13日刊)

2016年9月15日 (木)

東京で一番猥雑な街?

 もしかしたら、今東京で一番猥雑な街というのは池袋北口近辺じゃないかというお話。

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 ここでいう「猥雑」というのは、決してネガティブな意味だけではなくて、その発展のスピードに規制が追い付かないという意味でもある。

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 で、多分その猥雑さを醸し出しているのが、大量に移入してきている中国人の存在だろう。

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 以前は「東京のリトル・チャイナタウン」とも呼ばれていた池袋駅北口近辺なのだが、最早そんな姿は当たり前になってしまっていて、チャイナタウンなんて言葉も聞かなくなってしまった。

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 以前は新宿の花園ゴールデン街なんてのが、そんな東京の猥雑さの代表選手だったんだが、その剣呑さもなくなってしまい、次第に整備された街になってきている。

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 まあ、街の発展なんてものは、そんな猥雑さや剣呑さがなくなっていく過程なんだろうけれども、チャイナタウンなんて言葉も聞かれなくなってしまっている状況は、やはり池袋駅北口も、次第に整備されて猥雑さがなくなっていく過程にあるのかもしれない。

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 つまり「今、一番猥雑な街」というのは、逆に言えば現在が猥雑さ(活発さ)の頂点にあるってことで、後は次第に猥雑さ(活発さ)を失い、落ち着いてしまう街ってことなんだろうなあ。

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 はてさて、次に猥雑さの頂点に立つ街はどこになるのだろう。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Ikebukuro Toshima (c)tsunoken

2016年9月14日 (水)

〽どーしたんだ Hey Hey Baby

 ごめん、「雨上がりの夜空」の写真は撮れないんだよなあ。ってことで写真としては「雨上がりの空」なんだが……。

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「雨上がりの夜空に」といえば、1980年のRCサクセションの歌で「〽どーしたんだ Hey Hey Baby」というリフで有名な曲だ(作曲:仲井戸麗一/作詞:忌野清志郎)。

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 で、この歌に「女性蔑視でたまらん!」ってな人たちがいるんですね。

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 つまり

〽こんな夜に お前に乗れないなんて
 こんな夜に 発車できないなんて

 っていう部分が、「こんな夜に、セックスができないなんて。こんな夜に射精ができないなんて」ってな意味にとれるっていうんですね。

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 そりゃあ、確かにロックやR&Bの元になったブルースではよく使われた方法で、その昔奴隷だったアフリカ系アメリカ人が雇い主などに対する不満などを隠して、農作業をしながら歌われていたというバックボーンを持つ「ダブルミーニング」っていう技法なんですね。

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 まあ、だからと言って「女性蔑視でたまらん!」って怒るのも分からないではないが、なんせできたのが1980年っていう、まだまだ「セクハラ」なんて言葉ができるずっと前のことだもんなぁ。

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 まあ、そこは名曲の名に免じて、率直に「単なる車好き」の歌として楽しもうじゃないですか。

 …………、う~ん、やっぱり無理ですかね。

 無理かな。

〽ヘイ ヘイ ベイベー

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Senngoku, Otowa, Ikebukuro (c)tsunoken

2016年9月13日 (火)

『アメリカ大統領選2016』の驚愕

 本書にはこんな但し書きが冒頭についている。

『この電子書籍は、2016年5月24日(火)に渋谷ユーロライブで行われた、『「トランプがローリングストーンズでやってきた」出版記念緊急トークショー』の内容を基に加筆したものです』

 まあ、確かに一冊の本にまとめるほどの内容や分量ではないけれども、2016年秋にアメリカ大統領選が行われるという緊急性に対応するためには、電子書籍という媒体は向いているのかもしれない。まあ、確かに「紙の本のページ数では70ページ」では、一冊の本にはならないもんね。

2016 『「言霊USA」特別LIVE アメリカ大統領選2016』(町山智浩著/文春e-Books/2016年8月20日刊)

 で、一番最初に結論を言ってしまえば「おわりに」の文章になってしまうんだろうなあ。

『トランプの人気は、長い間続いてきた二大政党制の崩壊を象徴しています。世論調査によると、2013年の時点で、民主党を支持するアメリカ人が31%、共和党支持が25%、そして支持なしが42%と最も多くなっています。二大政党制が崩れていくなか、アメリカは政界再編成が続いていくと思います』

 ということ。

 問題はこういうことなんだろうな。

『今、アメリカは景気がいいんです。オバマ政権になってから失業者はずっと減り続けています。これだけ景気がいいのに、現政権を握っている民主党が負けるとは考えづらいです。人間は保守的な生き物なので、もし現在の好景気が続いていれば、ヒラリーさんが勝つでしょうね』

『しかし、トランプは「だいたい8年ごとに絶対にバブルが崩壊するので、景気は今年2016年の間に悪くなる」と主張しています。実際、2008年にリーマンショック、2001年に9・11、そして1992年の父ブッシュ政権の時も景気が悪かったので、トランプの言っていることは結構正しいんです。もし本選の2016年の11月までに株価大暴落が起きたら、トランプがヒラリーを抑えて勝つでしょうね』

 まあ、この辺は不動産バブルを経験してきて、それを乗り越えてきたトランプならではの嗅覚なのかも知れない。

 まあ、その程度の「常識」でもってアメリカの政治は動いているって思った方がいい。別に、高邁な民主主義的な思想とか、新自由主義的な思想とか、実はそんなものはないポピュリズムでもって動いているんだな、と考えればアメリカ政治は分かってくる。

『80年代のバブル時代を象徴するビジネス・ヒーローがトランプでした。当時まだ30代だったトランプは、父が働いたブルックリンとクイーンズから出て、川を渡ったマンハッタン島に乗り込みました』

『70年代のニューヨークは荒廃していました。これがトランプにとってはラッキーだったんです。犯罪が多くて廃墟だらけで、地価がめちゃくちゃ安ったから。
 1980年、トランプはニューヨークのセントラル駅の隣にあったボロボロのホテルを安く買い、豪華にリノベーションしてグランド・ハイアット・ホテルとしてオープンして大成功しました。そして五番街に有名なトランプ・タワーを建てるわけです。トランプの不動産事業は、きらびやかでバブルな80年代の文化ともぴったり合っていました』

『80年代に、トランプはバブルの気流にのって不動産事業で成功しました。1987年に、過去に類を見ない世界的な株価暴落が起きましたが、トランプはバブル時代の調子で、派手な投資を続けます。いちばん有名なのは、ニューヨークの一番高級なホテル、プラザホテルの買収ですね』

『しかし、トランプのプラザホテル経営は赤字が続いて破綻し、とうとう買値よりはるかに安い値段で売却することになります。 
 他にも90年代初めにトランプはいろいろな事業に手を出しますが、ことごとく失敗します。ニュージャージーのフットボール・チームを所有して、NFL(全米で最上位のプロアメリカンフットボールリーグ)と対抗するアメフトリーグを作ろうとしましたが失敗。トランプシャトルという航空会社を設立して失敗。ニューヨークの南にあるカジノの街・アトランティックシティでカジノホテルを開いて失敗しました。こうして、90年代から今までに、トランプの会社は4回も破産しています』

『負けたトランプは、「White Grievance(白人の不満)」がいかにアメリカにたまっているのかを知ったのでしょう。「オレたち白人がアメリカを作ったのに、なんでこんなにみじめなんだ」という、貧困層の白人が抱えている気持ちです。パット・ブキャナン自身も今、「トランプは私の2000年の選挙戦をヒントにしたんだろう」と言っています』

『トランプがビンス・マクマホンから学んだのは、ものすごく傲慢なリーダーシップをとると、白人ブルーカラーは味方してくれるということです』

『共和党の支持者の多数を占める白人の労働者は、学校ではいじめっ子だった人たちだからです。『ドラえもん』ならジャイアンです。そしてトランプの差別的で傲慢な演説は、ジャイアンリサイタルそのものです』

『民主主義は昔から、ポピュリズムに歯止めをかけるシステムを作ってきました。政党政治もその一つですね。アメリカの大統領は、まず政党の中の予備選で候補者を選び、その候補者の中から国民が大統領を選ぶ。日本の総理大臣は、まず先に国民が選挙で国会議員を選び、議席を多くとった政党がその中で選挙をして総理大臣を選ぶ。どちらの場合も、ポピュリズムで政治の素人が政権を握らないように、安全装置がかけてあるわけです』

『それが今回、共和党と民主党の両方で起こったのが面白いですね。民主党の予備選では、党員でなかったバーニー・サンダースが最後までヒラリー・クリントンに食らいついた。トランプは白人ブルーカラー、サンダースは学費の借金に苦しむ若者たち、と二人ともウォール街を仮想敵にした層から支持されているのは偶然ではないです』

 てなことで、「世界の民主主義の手本」であったはずのアメリカ民主主義だってこんなもんだから、世界の民主主義だってその国、その国でもって、いろいろな「民主主義」があるんだろうなあ。

 まあ、あの北朝鮮だって、北朝鮮政府によれば「民主主義」は保たれているという話だし、中国だって「民主主義」は保たれているっていうんだよなあ。

 ってことは、つまり世界中にはいろんな沢山の「民主主義」があるってことなんですね。

 そう、つまりは私たちが「専制主義」じゃないかよ、と考えても、実はその国の国民は「我が国は民主国家だ」と思っている国は多いってこと。

 アメリカ合衆国もそんな「トンデモ民主国家」になってしまうのかな。

 まあ、アンドリュー・ジャクソン以来のポピュリズム政権になってしまうのか、ここで肺病病みのヒラリー・クリントンが押しとどめて、アメリカを前の通りのリベラリズム(だけではないけれどもね)の国に戻すのか、これは大いに見ものだ。

 っていうか、その流れは我が国にも及ぶからなあ。

 多分、トランプが勝っちゃうと、その流れは日本にも及んで、民進党とか自民党の低位集団あたりのポピュリストがブイブイ言わせるのが目に見えてくるんだ。

『「言霊USA」特別LIVE アメリカ大統領選2016』(町山智浩著/文春e-Books/2016年8月20日刊)

2016年9月12日 (月)

駒込天祖神社祭礼、オリンピックイヤーは神幸祭

 一昨日、昨日は毎年やっている駒込天祖神社のお祭りなのだが、4年に一回「神幸祭」っていう、特別なお祭りなんで取材した。

 駒込天祖神社の境内でやるのかなと思っていたら、そこから「宮神輿」という、町会の神輿よりも3倍くらい大きな神輿を文京グリーンコートに持ち込んで、お祭りを執り行っていた。

 最初は当然、宮司の玉串奉納から始まって……

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 かわいい巫女さんたちの踊りを奉納し……

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 駒込天祖神社の十三町会を代表して玉串奉納をしたのち……

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 来賓の玉串奉納なんだけれども、なんでここに片山さつきさんがいるのかはわからない。

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 で、まあいつもの文京区議の山本氏なんかが奉納した後で……

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 木遣りの親方出てきて一本締めという、最後は普段通りの神幸祭ではありました。

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 その後、宮神輿は十三町会がリレー方式で持ち回り。我が上富士町会は駒込駅前(っていうか、六義園染井門前)から昭和小学校前あたりまでが持ち分で、その間、「ソイヤ、ソイヤ」(ってなんでなってしまったんだろう)の掛け声で進むわけですね。

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 先頭を飾るのは猿田彦の神ですね。ちょっと、歩くのしんどそう。

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 で、昭和小学校の前あたりで、上富士町会から富士前町会にバトンタッチ。

 まあ、富士前町会では(多分、担ぐ場所争いなんだろうけれども)担ぐ前から取っ組み合いの喧嘩が起こっちゃって、まあ、大変。まあ、「祭りと喧嘩は付きもの」っていいますもんね。

 まあ、それだけみんな祭りと神輿には命を張っているのかな。まあ、バカですけれどもね。

 んで、今度は上富士町会の町内渡御です。

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 まあ、これはいつものお祭り風景なんでいいかな、っと。

 一昨日の子ども神輿と山車の様子は「Briria駒込六義園親睦会だよりに」載せます。そちらも見たい人は、私あてメールでもくださいな。

 まだ、書いていないけれど。

NIONN AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Hon KOmagome Bunkyo (c)taunoken

 

2016年9月11日 (日)

メディアの怪人 徳間康快

 いやあ、まさかあの佐高信氏がこんな「徳間康快持ち上げ本」を書くとはなあ。まあ、正直「持ち上げている」わけではないが、しかしそのつきあいの広さやつきあい方に対しては、やはり尊敬の念があるのだ。

 まあ、その辺が徳間康快氏の魅力なんだし、残念ながら渡邊恒雄氏には一生涯持てないものなのだろう。

Photo 『メディアの怪人 徳間康快』(佐高信著/講談社+α文庫/2016年7月1日刊)

 面白いのはその出自の違いというか、流れが似ているというか。

 逗子開成中学を出て早稲田大学に入り、学生時代に日本共産党に入党。大学卒業後は読売新聞に入社したものの、読売争議でもって解職になった徳間氏。

 一方、渡邊氏は開成中学を出て東京大学に入り、学生時代に日本共産党に入党。大学卒業後は読売新聞に入社し、読売争議はうまいことやり過ごし、その後、自民党右派と取り結んで政治の世界に入り込み、しかし、そのまま読売新聞に居残って、今や権勢をふるっているわけだ。まあ、「老害」なんて言われながらね。

 まあ、戦前の一時期、学生が日本共産党に入党するっていうのは、ある種の流行りみたいなもので、その後、社会に出てから共産主義を捨てるもの、共産主義者から国家社会主義者になってしまうものなど、いろいろいたわけだけれども、自分が以前共産主義者であったことを隠したり否定したり、自分は共産主義には何の関係もないよという顔をするものと、堂々と認めて、しかし、「あんたそれでも昔は共産主義者だったのかよ」と人に言われても平気の平左で労働者の弾圧をしちゃう人もいたりするわけだ。さあ、どっちがどっちでしょうか?

『渡邉恒雄とロッキード事件の黒幕である児玉誉士夫の関係に言及した緒方克行著『権力の陰謀』(現代史出版会)の担当編集者は、『週刊金曜日』創刊の立て役者の一人である和多田進だった』

『同誌の生みの親の一人である本多勝一は、最初、週刊誌よりは新聞を出したかった。それで、著者と編集者という関係で知り合った和多田に相談する。
 和多田はすでに現代史出版会をやめていたが、その後も出入りしていた徳間に話を持ちかけ、徳間と本多の会談をセットした。和多田の記憶によれば、ホテルオークラの「山里」で会ったという。
 和多田の目算では、日刊新聞を出すには三〇億円必要だった。それで徳間を巻き込もうとしたのだが、一時はクオリティ・ペーパー(高級紙)を出すことに意欲的だった徳間も、結局は断念する。『東京タイムズ』を廃刊させたばかりだったこともネックになっただろう。
 その結果、本多と和多田は新聞を諦め、週刊誌の創刊に踏み切った。
 この一件に象徴されるように、徳間はこうした試みの、ある種の駆け込み寺だった。徳間なら相談に乗ってくれるのではないか、何とかしてくれるのではないかと、さまざまな企画が持ち込まれたのである』

『鎌田慧の『自動車絶望工場』などを出すのだから、どういうヤンチャさかはわかるだろう。もちろん、それを許すヤンチャさが社長の徳間にこそあったのである。 『自動車絶望工場』は最初の題名が『トヨタ絶望工場』だった。その新聞広告を出そうとして電通から横槍が入り、『自動車絶望工場』と改められる。それにしても、一九七四年の時点でのトヨタ批判である。往年の読売新聞社会部記者としてのスピリットか、徳間は出版人として腹をくくっていたと言える』

 という、この辺が徳間氏の面白いところである。徳間氏にいろいろ相談を持ち掛けてくる人間には右翼も左翼もない。まあ、戦前の左翼って思想的には左翼なんだけれども、生き方としては伝統主義者だったりする人が多かったわけで、それは徳間氏も同じだったんだろう。その辺が右翼にも左翼にも愛されていた理由なのかもしれない。

『『シュリ』の上映で徳間に感謝する李鳳宇は徳間を「最後の映画博徒」だと言い、『アサヒ芸能』と宮崎アニメを両立させた男と称している。「アウトローにしてインテリ、大ボラ吹きにして繊細な気配り、そして当代随一の先見性」を讃えているが、やはり映画博徒の李ならではの規定だろう』

『(「清濁併せ呑む」ではなくて:引用者注)「濁々併せ吞む」徳間は言ってみれば、絶対値の大きい男だった。それにプラスの符号をつけるか、マイナスの符号をつけるかで評価は分かれる。
 私は、とにかく、徳間の絶対値の大きさを描きたかった。その振り幅の大きさに惹かれたからである』

 う~ん、その辺が魅力なんだろうなあ。私も出版業界で映画を作っている身として、やはり徳間康快氏はかなり魅力的に映っていたものだった。

『そういうものがソフト産業だという意識がなければソフトには手を出さないほうがいいですね。博奕打ちですね。それが根本です。私は決してこれは恥じゃないと思っている。ソフト産業とはそういうものなんだ。当るか当らないか、そんなこと神様じゃなきゃ分かりませんよ。また逆に結果が常に不明なるが故に、あまりたらたらやっていると失敗する。いったん全部切って、新しいエネルギーを持った人間を引っ張ってきてやってもらう。活性化するエネルギーというのは、若いか、新鮮か、情熱があるか、決意(がある)かによるんですね。勿論才能は必要です。(しかし)一番の中心はパッション、情熱です』

 という徳間氏の言葉はよくわかる。

『『徳間康快追悼集』では、住友銀行から転じて徳間書店の社長となった松下武義が「発刊にあたり」を書いている。
 そして、「お別れの言葉」を述べた『もののけ姫』の宮崎駿が続き、以下、次の三人の弔辞が並んでいる。
 二〇〇〇年一〇月一六日の日付で、日本テレビ会長の氏家齊一郎、東映会長の岡田茂、それに日本書籍出版協会名誉会長の服部敏幸である。  宮崎は「徳間社長」と呼びかけ、氏家は「徳間先輩」、岡田は「徳間さん」、そして服部は「徳間君」と呼んでいるが、それぞれの徳間との関係を表している』

 う~ん、徳間康快氏って、愛されていたんだな。

『メディアの怪人 徳間康快』(佐高信著/講談社+α文庫/2016年7月1日刊)

2016年9月10日 (土)

いしいひさいち!

 いくら電子書籍が普通に流通ったって、やっぱりこんな本に出会えるから本屋さんにはいかなきゃいけないんだよな。

 まあ、電子版じゃこんな本、ヒット(打ち込んでも)しても出てこないからね。

Photo 『文藝別冊 いしいひさいち<増補新版>新仁義なきお笑い』(河出書房新社/2016年7月30日増補新版刊)

 そうか、いしいひさいち氏は私と同い年、もう65歳になるのか。サラリーマンならフルリタイヤの年齢なのだが、まだまだ現役を続けているわけだ。

 冒頭の取材やインタビューに応じないことで有名ないしいひさいち氏への「でっちあげインタビュー いしいひさいちに聞く」が面白い。

「たまののタイムス」記者の山田がインタビューをするのだが……

『今日はまんが家としてよりも取材に応じないことの方で有名ないしいひさいち先生がどいうわけかインタビューに応じるというので待っているのですが見当たりませんね。

 競馬で大負けしてへちゃげたようなサエないオッサンがいるだけです。

 あ、もしもしデスクですか山田です。いしいセンセの人相風体をもう一度おねがいします』

『競馬で大負けしてへちゃげたようなサエないオッサンだよ』

 というお約束の出だし。

『山田 いしいさんが登場するまでは4コマ漫画は『起承転結』が基本と言われていました。ところが起転転転、起承承結、あげくにオチのないオチとか斬新かつ衝撃的でした。4コマの既成概念を破壊したと言われていますが、その点いかがですか?

いしい それは誤解です。そもそも4コマ漫画に起承転結というセオリーは存在しません。

山田 は?

いしい まず起承転結の則って4コマを描く作家はプロにはおりません。
 4コマを楽しむにしても、リズムは多様であって要件ではありません。
 笑ってもらってナンボの現場には『秀作』と『凡作』の別以外なにもありゃしません。
 あるとすれば観念的な読者の認識のフレーム、『あと知恵』としてあるにすぎず、4コマに起承転結がないのはけしからんといった論議はどこか幼い気がします。
 おそらくコマ4個と4文字熟語の符合による錯誤もあります。
 仮にさおれが東西南北だとすれば北がないとか言い出すんじゃないスか。
 ともかくないものは壊せませんから、わたしは起承転結を破壊したおぼえなどありません。

山田 えー、今の見解マジですか?

いしい でっちあげです』

 というころまでは、いかにもいしい調だなあと思っていると…… 

『山田 現役の4コマまんが家の中で意識している、あるいは注目している人はいますか?

いしい 朝日新聞の連載を始める際、全集をもらってはじめて『サザエさん』を読んだのですが国民漫画ができるだけ多くの人に愛されねばならないことの代償でしょう、4コマ作品としては平凡、作家としては凡庸というのが正直な感想でした』

 おおお、言っちゃいましたね。

『山田 3カ月の病気療養のあと『ののちゃん』だけを再開されましたが。

いしい いい稼ぎになるからです。

山田 そのほかの仕事の予定はないのですか?

いしい ありません、体調の許さないところがあります。
 このインタビューは長ったらしい辞表です。公式HPで描きちらした作品をだらだら流しているので見ていただければうれしいです。

山田 病気で仕事とか人生について考え方がかわりました?

いしい もう足を洗おうと思いました。
 『ののちゃん』は隠居仕事です。
 1日4コマ1本、写経と称しています。

山田 では、おしまいになにかあれば。

いしい 思えば常に醒めていて漫画にまつわるあれこれへの愛情の希薄なところが致命傷でした。
 致命傷をかかえてyく商売がつづいたものと思います。
 幸運というほかありません。
 読者のみなさん担当編集者のみんさんのおかげです。

山田 殊勝ですね。

いしい でっちあげです。

山田 今日は貴重なインタビューをありがとうございましまました。

いしい 口ごもってますね』

 で、終わる「でっちあげインタビュー」もまあ、いしい氏らしいっちゃいしい氏らしいんだけれども。

 内容は、いがらしみきお、とり・みき、吉田戦車、しりあがり寿、秋月りす、西原理恵子、カラスヤサトシ、さそうあきら、小坂俊史、あずまきよひこ、べつやくれいなどの作家による、言ってみれば「もし私がいしいひさいちだったら」的なオマージュ漫画や、リスペクトインタビュー『大友克洋 「バイトくんは俺たち自身の姿だった」』などなど満載。

 練馬から本駒込に引っ越してきてから朝日新聞はやめて日経新聞だけになってしまったので、『ののちゃん』はそういえば読んでいないのだった。

 ひさしぶりの「いしいワールド」に浸れたなあ。

『文藝別冊 いしいひさいち<増補新版>新仁義なきお笑い』(河出書房新社/2016年7月30日増補新版刊)

2016年9月 9日 (金)

目黒不動前 うなぎ蒲焼 八つ目や にしむら

 ああ、残念! ヴェルタ・ア・エスパーニャ200km超の第18ステージで、残り12kmまで逃げていた別府史之もプロトンにつかまっちゃった。でも、スゴいよね。

 てなこととは、何の関係もなく、今日のブログは始まります。

 江戸五色不動と言えば、文京区本駒込の南谷寺の目赤不動、豊島区高田の金乗院は目白不動、世田谷区太子堂の教学院の目青不動、台東区三ノ輪の永久寺と江戸川区平井の最勝寺が目黄不動ときて、目黒区下目黒の龍泉寺の目黒不動なんだが。

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 その目黒不動尊の門前商店街の一番目黒不動に近いところにあるのが……、

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 下の商店街の一番奥の左側。

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「うなぎ蒲焼 八つ目や にしむら」であります。

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 でこのにしむら、当然、巣鴨のとげ抜き地蔵のそばにある、やっぱり「うなぎ蒲焼 八つ目や にしむら」の暖簾分けなんですね。

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 巣鴨の店は大正年間に創業した川魚専門店なんだが、それが昭和35年(1960年)に関東最古の霊場として多くの参拝者が訪れる目黒不動尊に目を付けて暖簾分けをしたのが、「うなぎ蒲焼 八つ目や にしむら 目黒店」というわけ。

 いずれにしても、この店の名物が「八つ目うなぎ」なんだが、新潟から仕入れていた八つ目うなぎの入荷がこの春頃からなくなってしまって、 しばらくは食べられなかった。

 今は、ロシアや北海道からの仕入れによって、八つ目うなぎは再び登場しているのだが、新潟産に比べると少し小さいらしい。

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 まあ、なんにせよ再び八つ目うなぎが食べられるようになったわけだ。

 今晩は、八つ目うなぎで一杯ですかね。これで目が良くなるのか?

 ああ、八つ目うなぎはヤツメウナギ目に属する生き物で、ウナギ目ウナギ科ウナギ属に属するニホンウナギなんかとは全然別の生き物です。味も少し違う。

 まあ、蒲焼になってしまっているんで、味は似てますが、ちょっと固い。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Meguro & Sugamo (c)tsunoken

2016年9月 8日 (木)

いつもの銀座ウォッチングで1万歩

 銀座ウォッチングの場合は、神田で山手線を降りる、東京で降りる、有楽町で降りるの3パターンある。で、この暑い日はあえて神田で降りて日本橋、京橋、銀座、新橋という最長距離を歩いた。

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 当然、ウィークデイなのでカップルの姿はあまり見られない。

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 むしろ仕事関連の人たちが多いわけだ。

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 で、銀座にいたり、50mmレンズを使って撮影していると、次第にタウン・ウォッチングのはずがヒューマン・ウォッチングになっていく。

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 権座という街はそういう街なので、それは仕方のないことであり、また街を歩いている人も、「他人から見られている」ということを常に意識してるのであります。

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「ギンザ・プレイス」っていうのは、銀座四丁目の交差点、以前は日産のギャラリーがあったところで、ビルを改築し、ソニーのショールームなんかができるらしい。

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 ご存じ銀座ニコン・ギャラリーです。今は江成常夫氏の「多摩川」展を開催中。

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 で、銀座八丁目まで来ると、道路の反対側に渡って、今後は銀座を逆行するわけです。

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 いつもはライカ・ショップ&ショールームが最終地点なんだけれども……

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 今度は元に戻って、銀座でお仕事をしている人を撮影して、新橋へ。

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 これで約10,000歩。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Ginza Chuo (c)tsunoken

2016年9月 7日 (水)

作品展第一次選考終了

 9月24日、25日、26日に開催される講談社社友会作品展に出品するための写真の第1次選考を行った。

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 全部で200カット余りを撮影した8月3日の山古志闘牛から、取り敢えずこの12カットを選考。

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 これを毎日毎日眺めては、あーでもないこーでもないと悩みながら一週間を過ごし。

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 来週前半あたりで一気に本番プリントを仕上げるのだ。

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 アナログ写真だと、フィルムを現像し、密着焼きを作り、そこから第一次選考でキャビネを焼く。

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 んで、キャビネ判を眺めながら、あーでもないこーでもないを繰り返しながら。

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 最終的に本番プリントを焼くわけです。

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 この撮影は、撮影時はアナログ撮影だが、それ以降はデジタル処理。

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 なので現像上がりのフィルムをスキャンするところが密着焼きの作業。

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 スキャンした画像は既に本番プリントと同じ大きさで見られるので、キャビネ判を焼く必要はないんだが、取り敢えず一回ブログにUPしてしまい、覚悟のほどをお見せします。

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 で、ここから本番プリントを5~6カット焼きます。

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 果たして、25日の初日に豊島区民センターに並ぶのは、この中のどれでしょうか? あるいは、もっと別のカットが選ばれる可能性も無きにしも非ず。

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 まあ、一週間ほど、これらのカットを見ながら、悶々とするわけですね。

LEICA M3 SUMMILUX 50mm f1:1.4, NIKON F4 AF NIKKOR 70-200mm f1:2.8 @Yamakoshi Nagaoka (c)tsunoken

2016年9月 6日 (火)

映画『後妻業の女』は、もう一つの『後妻業』だ

 私が以前の付き合いの結果として、今でも受信している映像ソフト協会のメルマガの記事。

『comScoreが、2016年7月のデジタルメディア消費時間の50%がスマートフォンのアプリ利用に占められたと発表 したそうです。タブレットのアプリ利用時間も加えると全体の59%になるそうです。これはPCの利用時間も含めて6割近くがアプリ利用となっているということですので、既にデジタルメディアの中心がウェブではなくなっているということですね。Googleが、検索アプリや地図アプリをリリースしていたのも、こういった時代を予測していたからなのでしょうね。
 最も利用されているアプリのランキングでは、FacebookとFacebook Messengerが1位2位を占め、YouTubeが3位となっています。これにGoogleのアプリが続いています。
 このランキングの新顔として、注目されているのはやはり「Pokemon Go」のようです。日本では、早くも飽きられたという声もありますが、「相棒ポケモン」機能の追 加など利用者離れの防止にも努めていくようですね』

 そうか、そうなると最早「Web 2.0」の時代は終わって、いまさらパソコンを使って情報発信をするっていうのは時代遅れっていうことなんだろうか。

 しかし、自ら情報発信をするっていうのがWeb 2.0じゃなかったんだろうか。タブレットやスマホで情報を受けて、短い文章だけで返していくっていうのは、なんか時代が前に戻ってしまうような気がするんだがなあ。

 というのはいいとして、「脚本&監督」の鶴橋康夫っていうと、私にとっては忘れられないのが、作家の故・野沢尚氏なんだなあ。

Photo 『後妻業の女』(黒川博行:原作/鶴橋康夫:脚本&監督/制作:東宝映画・ROBOT/製作:東宝・毎日放送・朝日放送・関西テレビ放送・読売テレビ放送・電通・WOWOW・文藝春秋社・朝日新聞・日本出版販売・GYAO・ROBOT・時事通信社)

 野沢氏と私が組んだのは、まだ野沢氏がシナリオライターだったころに作った映画『課長 島耕作』(ええ、ええ。あのトシちゃんとトヨエツが共演した、噴飯ものの『課長 島耕作』ですよ)だったのだが、あのころから野沢氏は「自分は鶴橋学校の生徒だ」を自称していて、「今度鶴橋さんの作品を書くんですよ」と、楽しそうに話をしていたことを思い出す。

 そんな鶴橋康夫という人は、中央大学法学部を出て読売テレビに入社して、一貫してドラマ畑で仕事をしてきた人。ただし、最初は中央大学法学部出身者らしく新聞記者志望だったそうだ。しかし、先輩の新聞記者からはテレビへ行けと勧められて読売テレビに入社。そのまま東京制作部でドラマ畑へ配属となり、最後までドラマディレクターを担当していた。

 まあ、先輩の新聞記者は鶴橋氏のどこの才能に「こいつドラマ屋や」っていうのを見ていたのか知らないが、読売新聞系の会社に入ってドラマを作るというのは、結果としていい選択肢だったんだろう。つまり、読売新聞は伝統的に社会部が独立して強い会社で、というか政治部は基本的に正力松太郎だから完全に自民党右派とツルんでいる状態だから、基本的に記者が勝手な動きはできない構造になっているのに比して、社会部は結構勝手に動ける態勢になっている会社なんです。

 で、そんな読売テレビで鶴橋氏は次第に本領を発揮して、どんどん「社会派ドラマ」の傑作をモノしていくわけなのだ。

 1982年、芸術選奨新人賞(放送部門)受賞、他1980年代にはギャラクシー賞も受賞。2005年、『砦なき者』により芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2007年、紫綬褒章受章。2013年、旭日小綬章受章とまあ、とにかく賞の数は限りなく多い。で、その鶴橋氏が76歳にして手掛けたのが「後妻業」ってわけだ。

 勿論、原作として黒川博行氏の小説がある以上は、それと同じモチーフは持っている。というか「後妻業」について書かれた小説はこれしかないもんね。

 しかし、小説は読み終わるまで4時間以上はかかるという代物。当然、映画として2時間ほどの尺に収めるためにはいろいろ切り取らねばならない。

 小説版ではもうちょっと出番の多かった武内小夜子(大竹しのぶ)の何番目かの被害者、中瀬耕造(津川雅彦)の次女・中瀬朋美(尾野真千子)の友人の弁護士・守屋達朗(松尾諭)なんだが、映画版では興信所の本多(永瀬正敏)の紹介者っていうだけの立場になって、以降話は朋美と本多だけの関係で進んでいく。つまり、小説版では当初本多は守屋に使われている立場だったんだけれども、その内、「これは金になる」と踏んで柏木亨(豊川悦司)との直接交渉に進んでいくという構造になっていくのだった。しかし、映画版では朋美と本多だけの関係で、つまり単純に話は「金」だけになっていく。あくまでも弁護士を間に立てて進む小説版の「スジを通し、そしてそれを金の話に持っていく」っていう方向にはならないのだ。

 うーむ、これはうまい方法だなあ。しかし、ディテールにこだわる漫画家だとそうはいかないんだよなあ。まあ、小説と映画は違うっていうことを知っている小説家だからなあ。私も、こんなに物わかりのいい原作者と仕事をしてればなあ、なんて今更嘆き節を言っても意味はないなあ。

 で、小説版と映画版の一番の違い。

 なんと、小説版では弟の博司に殺されてしまう小夜子なんだが、映画版では殺してしまったというのは息子の博司(風間俊介)の誤解で、なんと深夜の巡回するパトカーの前で小夜子の息が吹き返してしまうんだ。トランクに積み込もうとしていた小夜子の死体を詰め込んでいたスーツケース。後ろから来た深夜巡回のパトカーに止められてしまう。これは危機一髪、という表情の柏木。

 が、いつの間にかコロコロ転がりだすスーツケース。

 これは怪しいと睨んだ警察官がスーツケースのキーを押すと……、なんとそこには普通に微笑んでいる小夜子が立ち上がる。

「えーっ? うっそー!」

 って小説版の読者からしてみれば考えるんだが、まあ、それはそれで映画のラストを飾るのにはふさわしい。

 本物の遺言書を手にして喜ぶ朋美とともに、多分柏木からの3000万円も受け取っただろう本多の前を、相変わらず「後妻業」に励む小夜子と柏木の乗った船が通り過ぎる。

 う~ん、映画のラストシーンはこんな感じじゃないとね、と鶴橋氏が言っているようだ。

 こりゃ、続編ができるなって、「東宝の島ちゃんや」って島耕作を自称している、島谷能成社長の言葉が聞こえてきた。まあ、京大出のコテコテの関西人やからねえ。

 で、鶴橋康夫氏って新潟の出身だったのね。てっきり名前から大阪の鶴橋(焼肉屋さんが多い大阪のコリアンタウン)出身だったと思っていた私はバカでした。

映画『後妻業の女』はTOHOシネマズ日劇ほか、全国公開中

公式サイトはコチラ

原作評の方もヨロシクね

2016年9月 5日 (月)

「講談社社友会作品展」というのがある

 告知です。

「第25回 講談社社友会作品展」という催しが、9月24日(土)、25日(日)、26日(月)に開催されます。

 そのポスターが本日完成したのでUP。

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 池袋のKinko'sというオンデマンド・プリントショップでプリントしてきた。

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 まあ、講談社のOB会の催しなんだけれども、私も「越後 牛の角突き」という写真を5点出品する予定です。去年は女性ポートレイト(実はニコンカレjッジの課題写真)を出品しました。

2016pdf2_2

 なんて言って、ポスター作ったり、案内状を作成したりしている私の毎日なのだが、肝心の自分の作品のプリントどころか、選定もまだやっていない。

 こんな解説文は作ったんだけれどもね。

20160901pdf2

 こりゃいかん、ということでこれから選定にはいります。

 今週と今週末、来週末と再来週は、かなりいろいろ立て込んでいて、来週ウィークデイの内にプリントを済ませておかなければいかんなあ。ああそうか、フレームも買い足ししなきゃダメだなあ。

 いやあ、忙しい忙しい。

 

 

2016年9月 4日 (日)

う~ん、「後妻業」ってお仕事があったのね

 新城がテレビに写っている……ってもプロトンの最後尾。ってことはグルペットか……? まあ、昨日(今日)は山岳ステージでクライマーじゃない新城には無理なんだよね。

 で、今日のブログの始まりです。結構、面白い小説だったなあ。

 う~ん、「後妻業」なんてお仕事があったのね。「後妻」と「業」が繋がらなかったんだけれども、「なんでも仕事になる」って観点で行けば、「後妻業」という仕事があってもおかしくはない、ということになるんだけれども、まあ、その言葉を見つけた黒川博行氏の勝ち、ってことなんだろうなあ。

Photo 『後妻業』(黒川博行著/文春文庫/2016年6月20日刊)

 本書の解説を書いた白幡光明氏によれば

『〝後妻業〟という言葉は、一部法律家の間では使われていたが、一般には知られていなかった。基本的には、妻に先立たれ一人暮らしをしている金持ちの高齢者と親密になり、内妻として公正証書を作らせたり、後妻に入って財産相続の権利を確保した後、何らかの方法で夫の命を縮めて財産を我が物にする生業をさす。
 本書が出た後、それを地でいくような事件が発覚、複数の男性を青酸化合物で毒殺し、総額八億円とも言われる財産を相続した筧千佐子容疑者が逮捕された事件は、記憶に新しい]』

 ということだそうだ。

 つまり、「後妻業」の女は、単に先妻を亡くした金持ちの高齢者と親しくなり、内妻として公正証書を作らせたり、後妻に入って財産相続の権利を確保するばかりじゃなくて、何らかの方法で夫の命を縮めて財産を我が物にすることを業としているというのだな。つまり、それは正当な内妻として、あるいは後妻としての権利行使じゃなくて、悪事に手を染めるってことなんだ。まあ、考えてみれば後妻に入る女性は沢山いて、正当な形で財産相続をする人は沢山いるわけで、そんな人たちは別に「後妻」を「業」としているわけではなくて、たまたま夫の死後、財産を継承してしまったというだけのことなのであり、別に問題があるわけじゃない。

 単なる「後妻」ではなくて「後妻業」という理由はそこにありそうだ。

 メインの「後妻業」の女は武内小夜子という女。それも何回目かの再婚をした際の姓だ。

 ラストの方、弁護士事務所から武内小夜子の調査を依頼された興信所の本多が、「後妻業」の総元締め、結婚相談所の所長、柏木亨との会話だ。

『「黒澤小夜子、昭和十八年一月十五日、北河内郡門真町で出生。初婚の相手は星野やった。星野小夜子は昭和四十八年四月に占脱で北淀署に逮捕され、離婚。その年の十二月に和歌山で轢き逃げ。翌四十九年九月、有田市で海南署に窃盗容疑で逮捕されたときは岸上小夜子いう名前やった。岸上と離婚して黒澤姓にもどり、昭和五十年十一月、自転車盗と覚醒剤取締法違反で曾根崎署に逮捕。昭和六十二年二月、詐欺、有印私文書偽造で奈良県警上牧署に逮捕されたときは西山小夜子、平成三年五月に有印私文書偽造で大阪府警茨田署に逮捕されたときは中尾小夜子いう名前やった」
 本多はメモ帳を見ながらいい、顔をあげた。
「星野、岸上、西山、中尾、末永、元木、名城、津村、武内……入籍して名字の変わった相手が九人。ほかにも公正証書をまいただけの相手が何人もおるはずやで」
「男運がわるいんやろ」
「黒澤小夜子は福原にもおった。たぶん、昭和五十年代や。シャブで三年ほど務めたあと、出所して神戸に流れた。西山いう男は浮世風呂の客やったんやろ」

「まだある。名城善彦や」
 本多はまたメモ帳に視線を落とした。
「平成十六年四月、名城は小夜子といっしょに白浜に行った。宿泊したんは『はまゆり荘』。名城は宴会のあと姿を消して、添乗員が真砂海岸を探した。地元警察が出動し、名城の溺死体を発見したんは……」
「分かった。もうええ」
 柏木は遮った。「報告書はいつ書くんや」
「今週中に書く。あと一件、調べごとがあって、それが分かったら、まとめて弁護士に渡す」
「なんや、調べごとて」
「轢き逃げや。平成七年から九年の夏、比叡山ドライブウェイで末永いう男が撥ね飛ばされて崖下に落ちた。遺体は翌朝に発見されたけど、近くのホテルにいっしょに泊まってたんが末永小夜子や。その事件はいま、滋賀県警に照会してる」』

占脱」というのは「占有離脱物横領罪」といって、他人の落とし物やなどを警察に届け出せずに自分のものにしてしまう罪のこと。つまり、まだこのころの武内小夜子はそれほどの悪事に対する知識もなく、大した罪の意識もなかったんだろう。スゴ味を帯びてくるのは福原で浮世風呂(ソープランド)に勤務していたころにシャブで三年ほど務めたあとの時代からなのだ。

 話はこのあたりからクライムノベル風になっていく。

『「その報告書、買お」低く、柏木はいった。
「ほう、そうかい」小さく、本多はいう。

「三千万や。それ以上は出さん」
「ま、ええやろ。手を打と」
「強請はいっぺんだけやろな」
「な、所長さんよ、なにごともやりすぎはようない。おれは分を知ってるつもりや」
 本多はメモ帳をテーブルに置いた。
「これは三千万であんたにやる。報告書も書かへん。あんたは小夜子と組んで、これからも稼げや」
「三千万もの金、すぐには用意できへんぞ」
「今週中やな。土曜日まで待と」
 九月八日、それが期限だと本多はいい、メモ帳とレンタカーの貸出記録をポケットに入れる』

 まあ、その後は武内小夜子の弟、黒澤博司という元ヤクザが柏木に命じられてチャカ(ピストル)で本多を撃っちゃうわ、本多も負けじと柏木が主催する婚活パーティーに乗り込んで、車のホィールレンチで柏木をメッタ打ちにしちゃうわ、という結構トンでもない展開になってくる。

 まあ、普通に武内小夜子と柏木亨が普通に逮捕されちゃうドラマじゃあ小説にはならないし、カネの匂いをかんだ本多が暴走して、直接柏木と絡んじゃうシーンは面白いけれども、「普通に逮捕されちゃうバージョン」とか、「武内小夜子に殺された中瀬耕造の娘、朋美と尚子が友人の弁護士・守屋と組んで民事訴訟を戦うバージョン」なんてのも読んでみたかったな。

 この小説は現在公開中の映画「後妻業の女」の原作であります。監督は、中央大学出身の元読売テレビ演出家の鶴橋康夫氏。鶴橋氏は読売テレビ在職中から様々な賞を取ってきた凄腕ディレクターだった。ということで、映画も期待なので、近々、映画評も書きます。

 まあ、久々の映画評なので期待して(ないで)待っててください。

『後妻業』(黒川博行著/文春文庫/2016年6月20日刊)

2016年9月 3日 (土)

北沢にアンティーク・ショップが多いのは何故か

 目標は井の頭通りを代々木上原を過ぎて笹塚の裏手あたりにある、「アンティーク 山本商店」というお店。

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「アンティーク」という言い方をしているんだが、このお店は和風の家具が多い店なので、「アンティーク」というよりは「古道具屋」の方がふさわしいお店であります。

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 以前からこの地域には目をつけていて、このちょっと代々木上原寄りにはイギリスの古い家具専門の「アンティーク・ウエストウッド」なんてのもあって、こちらはまさしく「アンティーク・ショップ」です。

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 これが下北沢まで言ってしまうとアンティークはアンティークでも、「古着屋さん」系になってしまうんだが、ここ東北沢を笹塚の間では「アンティーク家具屋さん」が多い。

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 ここ山本商店はその中でも大きい方で、多分一番老舗なんではないだろうか。

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 何故、アンティーク家具なのかといえば、実はカミさんが和服を買うことになり、そのための「衣桁(いこう)」という和服を掛けて置くものが必要になった。でも、和服屋さんは沢山あるんだが、こうした周辺のものを扱っている店が案外少ない。

 ので、この山本商店ならあるかもね、というのが我々の目論見だった。以前から古道具系では目を付けていた店ではあるのだけれども。

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 で、ちゃんとあったってのが上の写真の真ん中に写っているのが「衣桁」。

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 う~ん、それにしても何故、北沢にアンティーク・ショップが集まっているのかは分からない。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Kitazawa Setagaya (c)tsunoken

2016年9月 2日 (金)

『プライベートバンカー』のモーレツさ

 読売ジャイアンツを解任され、その後、ノンフィクション作家として活躍している清武英利氏の新作である。当然、それはノンフィクションだと思ったら、そうではなくてフィクションだった。ただし、かなり綿密な取材を経て書かれた本書は、ノンフィクションとして読んでも差し支えない内容なのだろう。

 ちなみに『主人公である杉山智一氏は実名である』と書かれている。ちなみに、本書の舞台である「バンク・オブ・シンガポール(BOS)」は実在の銀行であり、「シンガポールを拠点とする華僑銀行(OCBC銀行)のプライベート・バンキング部門の子会社。2009年に華僑銀行がINGグループのING Asia Private BankをUS14.6億ドルで買収し、社名を変更した」という設定は、まんま実在のBOSなのだった。勿論、野村證券は実在の野村證券であります。

Photo 『プライベートバンカー カネ守りと新富裕層』(清武英利著/2016年7月紙版刊・2016年8月1日電子版刊)

「プライベートバンカー」とはタックスヘイブンあるいはオフショアといわれる国で、富裕層の資産を守る銀行員のことである。といっても日本国内の銀行員を想像するとかなり違うようで、むしろ客を取り合っている証券マンのもっと猛烈なスタイルみたいな感じだ。

『プライベートバンクはもともと欧州の階級社会の中から生まれている。王侯貴族など超富裕層の資産を管理し、運用する個人営業の銀行(private bank)が原型で、資産家のために働くバンカーだったから、ある時は「カネの傭兵」と呼ばれ、あるところでは「マネーの執事」と言われた』

『日本の金融業界は銀行、証券、信託、保険という分業で成り立ち、しかも国自体が郵便貯金や銀行預金など有力な資金の受け皿を保護し、強く後押ししてきた。そのため、国民は海外で発展を続けたプライベートバンクにはなじみがないのだが、日本からの陸風を察知したBOSは日本人富裕層を対象にした「ジャパンデスク」をいち早く構え、次々に日本人スタッフを揃えようとしていた』

『プライベートバンカーの仕事は三つしかない。一つ目は、ビリオネアの口座を銀行に開設させること。二つ目はその口座に彼らのカネを入金させること。そして三つ目がそのカネを運用して守ることである。シンプルな世界だ』

 オフショアというとアジアでは香港、シンガポールが有名だが、香港はイギリスが作ったオフショアであり、シンガポールはリー・クァンユーが独裁政治の一方で行った経済政策としてのオフショア化なのである。

『これは資産家全般に言えることだが、その資産も一生の生活をまかなうところを超えて使いきれないほど抱えると、多くの人たちがそれを目減りさせずに跡継ぎに残すことを考える。その点、シンガポールは絶好の地だった。
 第一に、日本以上に治安がよく、時差も一時間しかないうえ、移住者の好む近代的な街並みを備えていた。日本人会や学校などの施設も完備され、二〇一〇年十月時点で日本人が二万四千五百人も住んでいた。
 日本語が通じるムラがあるということだ。住むだけなら英語もフランス語も国際感覚も必要ないのである。
 第二に、天然資源がなく有力な企業も少ないため、政府が外国人富裕層や外国企業を積極的に受け入れる政策を採っている。
 第三に、富裕層誘致のため相続税や贈与税などを廃止したオフショア(offshore)、つまり課税優遇地である。地方税やキャピタルゲイン(債券や株式の売買益)課税もなく、所得税率も最高で二十%と日本の半分以下だった。
 第四に、外国人富裕層は事実上、永住権をカネで買うことができた。資産さえあれば快適な永住が約束されていたのである。
 そして第五に──たぶんここが彼ら資産家にとって一番重要なのだが──日本の税法には抜け穴があって、そこを巧く突けば相続税を払わずに資産を継承できる。現地では、「相続後には晴れて日本に戻れる」と言われていた。
 その大きな抜け穴が、通称「五年ルール」である。簡単に言えば、被相続人(親)と相続人(子)がともに五年を超えて日本の非居住者であるときは、日本国内の財産にしか課税されないのだ。
 逆に言えば、五年以上、日本の非居住者であれば子や孫に相続したり贈与したりしても海外の資産には日本の課税が及ばない』

 しかし、主人公の杉山が野村證券を辞めて移ってきたバンク・オブ・シンガポールはだいぶ予想とは違うところのようだった。

『「杉山さん、ここは日本ムラみたいなところなんですよ」
 社員の一人が杉山の耳元で囁いた。はっとする一言だった。
「だから、ムラの様子がわかるまでは、あまり動かない方がいいですよ」

『バンカーが辞めると、彼が集めて管理していた顧客の資産の多くは桜井か梅田の担当となり、顧客資産から毎年生まれるカストディアン・フィー(信託報酬)も、彼らが山分けするのだという』

『シンガポールの外資企業なのに、なんてドメスティックなところだろう。しかし、入社してしまった以上、もう引き返せないのだ』

 というのだが、そのノルマも凄いことないなっている。

『1.一年以内に一億米ドルのAUM(Assets Under Management=運用資産残高)を集めること。
 2.レベニュー(revenue=収益)は百万ドルをターゲット(目標)とすること。
 これを簡単に書き直すと、
 1.自分の力で一年以内に一億ドルのカネを集め、
 2.百万ドルの収益を挙げろ
 ということになる』

 このとてつもない競争社会で生きながら、杉山は様々な日本人たちを見ることになる。しかし、その大半は「無為に5年間を過ごす寂しい人たち」の姿だった。多分、彼らだってシンガポールに来るまでは猛烈に働いてきた人たちだったんだろう。しかし、日本の「5年ルール」をクリアしようとしているのだが、シンガポールで新たに仕事を始めるのはとてつもなく大変なことだった。一方、既にその手にしている資産をプライベートバンカーに預けておくだけで、資産が資産を生むようになっているのだ。

 なので、彼らは何もしない毎日を過ごしながら5年間が過ぎるのを待っている。

 杉山はヘッドハンターの訪問を受けて、それに応じる。

『「この会社ならばどうですか? シニア・バイス・プレジデント(副社長)として、ジャパンデスクを立ち上げていただきたいという依頼です」
 彼が提案した会社は、イタリア五大銀行の一つである「Unione di Banche Italiane」のシンガポール支店だった。
「ユニークなところですよ。プライベートバンクというよりは、ファミリーオフィスを提供する会社と言った方がいいでしょうね。究極の富裕層コンシェルジュですよ。英語を話せない日本人の富裕者一族に金融から保険、税務まですべての面倒を見てあげるわけです。そのゲートキーパー(門番)です」 』

『ファミリーオフィスは富裕層ビジネスの一つで、プライベートバンクをより高度化したサービスやそのサービスを提供する専門集団を意味する。資金管理や運用をするだけではなく、契約した富裕層ファミリーの資産状況に合わせて住居や教育、老後のライフプランに至るまで助言し、一族の面倒を見るのだ』

『「違う表現をすると、UBIはお客さんとプライベートバンクの真ん中に位置しているわけだよ。プライベートバンクは自分のところの商品を売り込もうとするし、事情を知らない日本人からは高い手数料を取ろうとするよね。それがビジネスだから。だけど、うちならUBSであろうと、クレディ・スイスであろうと、どこが勧める金融商品でも提供できる。いま杉山さんがいるBOSに口座を置いたまま、別の銀行や保険会社などの商品を提供してもいい。特定の銀行や保険会社の商品を押し付けるのではなくて、一番いいものを推薦してお客さんに選んでもらえる。門番がまず提案を受けて、お客さんのニーズに応じてセレクトしていくわけだよ」 』

 この銀行のノルマもBOS同様にきつかった。

『彼はUBIに転職する時、ノルマを記したオファーレターを受け取っている。
 1、一年以内に一億ドルの運用資産を集め、
 2、百万ドルの収益を挙げる
 という趣旨の、BOSと同じような契約内容だったが、二〇一二年に挙げた収益は百万ドル以上に達し、八十億円を超す運用資産を集めていた。ノルマをほぼ達成したのだ。ボーナスの歩合もBOSより五%から十二%も高かった』

 所詮、モーレツ社員と知られている野村證券とは変わらないんだよなあ。その辺が、我々マスメディア(と言っても出版社員ですがね)にいた人間と、「お金」を直接扱っている人々との違いなんだ。出版社にとっては「お金」は結果でしかないけれども、彼らにとっては「お金」自体が「目標」であり「仕事の実態」なんですね。いやあ、私はそんな世界にいなくてよかったけれどもね。

 ボスのマルコとも気があっていた。しかし、それもそろそろ潮時かもしれない。

『──これから国税庁や金融庁の監視は、富裕層が国外に貯めた資産やそれを守る海外プライベートバンカーに厳しく向かうはずだ。二〇一四年の確定申告期から国外財産調書制度がスタートするのはその手始めに過ぎない。規制官庁がどう出てくるのか、その情報こそがモノを言う』

 所詮「他人の金」でしょう?

『プライベートバンカー カネ守りと新富裕層』(清武英利著/2016年7月紙版刊・2016年8月1日電子版刊)

2016年9月 1日 (木)

夏休み最後の日の上野動物園

 8月31日、北日本の人たちには申し訳ないほどの「台風一過」の好天に恵まれた東京。

 ということで、昨日は夏休み最終日の上野動物園に行ってきた。じゃなくて、夏休み最終日だったら東京ディズニーランドでしょう、という言葉は私には聞こえない。上野動物園でなんでいけないんだ。

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 私の家からは不忍通りを歩いていけば、そのまま上野動物園の池之端門から入れる。普通はJR上野駅側の正門から入るのがオーディナリーなんだろうけれども、私の家からは池之端門から入るのがオーディナリーなのだ。なので最初に見るのは、いつもフラミンゴ。

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 当然、小学生の姿はほとんど見えない。当たり前ですよね。今頃、小学生は夏休みの宿題の追い込みの真っ最中で、そんなところで遊んでいるヒマはないんであります。下手すりゃ昨日の晩は徹夜かってなもんであります。

 なので、来ている人たちは大人たちやカップル、そして未就学児ばっかり。かわいいねえ。

 実は、そういうことを予想して上野動物園に行ってきたんだけれども、まさしくその通りであることにはちょっとクリビツテンギョウ。

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 人気のサル山も、おサルさんたちはみんな日陰で昼食をとっているので、上から見ている人にはよく見えないんだよね。でも、沢山の人たちがみている。

 う~ん、みんな猿が好きなんだよねえ。やっぱり自分たちに近しい動物が好きなんだろうか。

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 ってな感じで上野動物園を散策しているわけなんですけれども、やっぱり上野動物園といえばあそこに行かなきゃね。

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 ということで、やってきましたジャイアント・パンダ舎。

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 こちらも全然並ばなくてもよいくらいに空いていて、楽にパンダのお食事の最中を見られるのです。

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 まあ、夏枯れっちゃあ夏枯れ、でもこんな好天の日に動物たちを見られるのは幸っちゃあ幸い。

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 ってな感じで、普段は池之端の上野公園までは行くんだけれども、あまり行かない上野動物園に行ってきたんだ。

 まあ、このブログを読んでいる小学生なんて多分いないだろうから、まあ彼らにはご苦労さん、その努力が将来実を結ぶんだよ、なんて言っても通じないだろうけれどもね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8G @Ueno Zoo Park Taito (c)tsunoken

 

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