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2016年8月

2016年8月31日 (水)

いつもの巣鴨地蔵通り

 いつもの散歩コースである巣鴨地蔵通りであります。

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 特に何もない。特筆することもない普通の日の地蔵通り。

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 ただし、こう暑い日が続くと、さすがにおばあちゃん達の姿はあまり見られない。

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 なので「ときわ食堂」もいつもの行列は見られなくて、閑古鳥が鳴いている。

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「うなぎのにしむら」もね、土用丑の日を過ぎちゃうと、ちょっと暇になるのかな。

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 という普段通りの巣鴨地蔵通りではありました。

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 ただ、それだけ。

 ブログも夏枯れかな。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Sugamo Toshima (c)tsunoken

2016年8月30日 (火)

『情報参謀』でも、ちょっと残念なこと

『情報参謀』っていうから、なにかスパイ映画みたいなものなのかなと予想していたら、そうじゃなくて自民党の選挙参謀ってことなのね。

Photo 『情報参謀』(小口日出彦著/講談社現代新書/2016年8月1日刊)

 2009年の自民党衆院選大敗から2013年第二次安倍政権復活から夏の参院選大勝までを四つのフェーズに分けて、その間のネットを利用した選挙の戦い方を描いたのが本書である。

 四つのフェーズとは何か。

第1フェーズ (2009年秋~2010年7月参院選) 野党転落 ──報道分析から復活への手がかり

自民党大敗の総選挙結果を「データ」だけで80%超的中させた分析をきっかけに、自民党本部の情報分析会議が始まる。2010年4月までは週に1度の暗中模索。5月の連休明けから分析ピッチを毎日ペースに詰めて参院選に臨む。ネットCM戦略なども果敢に織り込んで政権奪還への橋頭堡を築く』

第2フェーズ (2010年秋~2011年夏) 膠着停滞 ──テレビ+ネットデータで精密度アップ

小沢一郎氏の「ニコニコ動画」独占会見や「尖閣ビデオ」の流出(YouTube)をきっかけに、政治の世界にネットが食い込む。自民党もネットメディア利用を加速。ネット上の情報分析も本格化。テレビ報道状況が一目でわかるインフォグラフィックスを作成。東日本大震災を経て情報収集・分析の手法が確立する』

第3フェーズ (2011年秋~2012年12月衆院選) 政権奪還 ──ネット積極活用で注目を集める

民主党3人目の野田佳彦総理。前任2人に比べて手堅い分、情報的には“地味”。政治全体の情報露出が少なくなり、情報分析もやりにくくなった。世論調査結果も不安定。そんななかで安倍晋三現総理が「総裁再チャレンジ」で浮上。自民党総裁選が注目を集めた。安倍新総裁が党首討論で解散を引き出し、年末の総選挙で一気に大勝』

第4フェーズ (2013年1月~7月参院選) 完全勝利 ──IT全面武装で選挙に臨む

第二次安倍政権発足。勝った勢いを緩めず、7月の参院選に向けて1月から選挙態勢。蓄積した情報戦ノウハウを全力投入で臨む。初のネット選挙運動解禁の国政選挙。自民は候補者全員にタブレット端末を配付、ゲームアプリを入口にして有権者を政策サイトへ誘導。また、司令塔としてIT企業を巻き込んだプロジェクトチームを設置し、参院選圧勝』

『2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙。
 この日、自民党は民主党に歴史的大敗を喫した。民主党308議席に対し、自民党119議席。議席占有率64・2%という、民主党にとって空前絶後の大勝利だった。9月には鳩山由紀夫内閣が発足し、対する自民党は政権の座を失い、野党に転落という未曾有の危機に陥っていた』

 それが小口氏率いるエム・データ社が自民党の情報分析会議のメイン・メンバーとして関わるきっかけになったのである。つまり『その内容は、テレビの報道内容や、インターネット上のブログや掲示板の書き込みやその拡散=ネットクチコミ情報を大量に集め、そのデータを数理モデルに当てはめることで、全国300小選挙区の得票率予測に挑む──というものだった。要するに、テレビやネットの情報だけで選挙の当落予測をしてしまおうという、大胆不敵なプロジェクトだった。
 このプロジェクトにかかわったのが、テレビ番組を24時間365日チェックしているエム・データ社、ウェブ上のソーシャル・ビッグデータに関するサービスを提供するホットリンク社、予測数理モデルを作成する東京大学の3者。このときの私は、当初エム・データ社の取締役という立場で参画したが、プロジェクトの実施段階で私がオーナーであるパースペクティブ・メディア社の代表として情報分析の進行と予測結果の発表を統括した』 というもの。

『エム・データ社では、100名ほどの人間が、1日8時間ずつ3交代勤務でリアルタイムにテレビを視聴している。テレビに映った映像の内容(情報)を、テキストデータ(メタデータ)として記録していくのである。テレビ局名、番組名、放送日時、放送開始・終了時刻、番組内で放送された内容、会話やテロップ、企業名、出演者名など、映像や音声から得られるメタデータをテキストにしてつぎつぎと打ち込んでいく。このテキストデータの集積がテレビ情報のデータベースになり、コンピュータで検索したり分類したりできるようになる』

『一方、インターネット上のデータは、そもそもコンピュータを介して書き込まれたテキストなのではるかに扱いがたやすい。ブログ、掲示板やソーシャル・ネットワーキング・サービスにアクセスできる方法さえ確立すれば、自動的に取り込める。あるひとまとまりのテキストから「いつ」「誰が」「なにを主題として」書いたテキストなのか──といったメタデータを取り出す手法もいくらでもある。ホットリンク社は、当時(2009年)で「35億ページ」分と言われる日本語の書き込みページをすべて集め、毎日ネットメタデータの蓄積量を増やしていた』

 とまあ、なんとも地味な作業の積み重ねなんだなあ。それが集まると「情報」として意味をなしていくのである。そして情報というものは、集めれば集めるほど真実に近づいていく。勿論、それはただ単に集めるだけではなく、どんな幹に沿って集めるのかということが大事なんだけれども。ふつうはそんな地道な情報集めに嫌気がさしてしまい、中途半端な情報だけで動いてしまう。

 それが私たちの日常である。でも、そんな日常を捨てて、とにかく情報を収集することを続けていけば、それは意味のある情報になっていくんだなあ。

 そして2013年7月の参院選から大きな変化が現れる。つまりそれが「ネット選挙運動の解禁」ということ。しかし、「ネット選挙運動の解禁」といっても、この段階でのネット選挙運動というものはかなり限定的なものだった。本格的な解禁はその後の、2014年2月の都知事選からではなかったのだろうか。

 このときもっとも「ネット選挙運動」に熱心だったのが家入一真氏で、完全にネット中心の選挙運動を繰り広げた。それこそ「選挙公約」すらもネットで募集するっていう、積極的なのか、自分が何も考えていなかったからなのかわからなかったが、取り敢えず一番ネット選挙運動というものの本質をとらえていたのではなかっただろうか。

 その都知事選については触れていないのがちょっと残念ではある。自民党(舛添要一氏)がその都知事選でいかにしてネット選挙運動を繰り広げていたのか,、そしてそれが家入一真氏のネット選挙運動とどう違っていたんだろうか、ということに触れて、初めて「情報参謀」の何たるかがわかると思うのだが、如何なもんだろうか。

『情報参謀』(小口日出彦著/講談社現代新書/2016年8月1日刊)

2016年8月29日 (月)

「浅草サンバカーニバル」はサンバっていうよりは「阿波踊り」かな

 一昨日のこと。昔一緒にアニメーションの仕事をしたことのある、それぞれ別の会社だったりフリーだったりの五人の内の一人が故郷である北海道に帰ってしまうというので、お別れ会みたいな感じで会ったのだ。

 午後4時、浅草文化観光センター集合ということなので行ってみたら、おいおい雷門から浅草文化観光センターに行く道が渡れないじゃないか。なんだなんだこの人込みは……。

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 そうなんでした、8月27日は「浅草三馬鹿」じゃなかった、「浅草サンバカーニバル」だったのだ。期せずして、今まで一度も行ったことのない浅草サンバカーニバルを見ることになったわけだ。

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 しかし、サンバカーニバルと言えばブラジルはリオのカーニバルなんだけれども、リオのカーニバルって言えばボリューム満点のおネエちゃんが、最小限度の布切れ(遠めに見るとほとんどフルヌード)をつけてサンバを踊るってのが魅力なんだけれども。

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 まあ、慎み深い日本の女性ではそこまでハデにはいけず、こんな程度で収まっちゃうのはちょっと残念ではあるけれども、仕方のないことなのかなあ。ボイ~ン、ボイ~ンじゃないしなあ。

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 で、そんなメインの女性の前後で踊っている人たちは、もう、ほとんどコスプレ状態。う~ん、なんだかなあ肌もほとんど見せずにコスチュームだけはハデハデで踊っています。

 そういえば、そんな踊りを醸し出すサンバのリズムなんだけれども、なんかリオとは違うんだなあ。なんてったって、サンバのリズム、メロディーに付けられた歌詞が日本語なんですね。当然、ポルトガル語の歌詞がついて、それで歌って踊るのかと思ったら、そうじゃなくて日本語の歌詞が、ちょっと予想とは違うサンバのリズムについているんですね。

 やっぱりポルトガル語と日本語じゃあアクセントや言葉のリズムも違うし、日本語の歌詞がついちゃうと、なんかリズムも日本語っぽくなってしまう。

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 そこはやっぱり「浅草サンバカーニバル」なんですね。「リオのカーニバルの浅草版」じゃなくて、あくまでも「浅草サンバカーニバル」。

 う~ん、ここにも日本人お得意の「換骨奪還」があった訳なのでありました。

 まあ、「浅草サンバカーニバル」って、要は「ブラジルから輸入したお祭り」じゃなくて、日本のお祭りなんですね。言ってみれば「阿波踊り」のサンバ版というか、浅草版というか。そう考えれば、「浅草サンバカーニバル」の特異さにも納得できます。

 しかし、この五人組、そういえば前にも浅草に花見にきたなあ。別に、浅草に近いところに住んでいるのは、今度、北海道に帰っちゃう奴だけなんだけれども、なぜか浅草が好きなんだなあ。

FUJIFILM X10 @Asakusa Taito (c)tsunoken

2016年8月28日 (日)

追分道の薄い家

 ヴェルタ・ア・エスパーニャが始まってすでに1週間ほど経っているんだが、新城幸也も別府文之もまだ上位につけるステージがないようで、ツール・ド・フランスみたいにはJ SPORTの中継を最後までみるステージは少ない。「ツール・ド・フランスは世界最大のサイクル・ロードレース」なので敬意を表して最後までみるけれども、ジロやヴェルタはね。まあ、寝不足にはならないのでいいのだが、できれば寝不足になるようなレースを両選手にはやってほしいもんだ。

 んで、今日はあまり時間がなかったので、ちょっと手抜きのブログです。

 テーマは「追分」。

 これが甲州街道と青梅街道を分ける新宿追分や、中山道と日光御成街道を分ける本郷追分などのT字路になった追分の場合はそうでもないのだが。V字型に分かれてしまう追分道だと、その真ん中にある家はどうしても三角形の土地になってしまうので、その上に立つ家は片方が「超薄い家」になってしまう。

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 こちらは世田谷通り沿いの世田谷上町の「薄い家」。

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 こちらは不忍通り沿いの、文京区猫又坂の上の「薄い家」。

 両方とも道がV字型の追分道になっている以上、仕方のないことなのだが、やはり住む家としては使い勝手が悪いのだろう。両方とも手前の狭い方の部分は喫茶店だったり飲み屋さんだったりの、「狭くてもどうにかなる」業種のお店になっている。

 基本的には交差点というのは直角に交わっている方が家は建てやすい。家の形は基本的に正方形か長方形なので、敷地も正方形か長方形になっているほうが建てやすいわけで、やはり三角形っていうのは「なし」なんだが、道路の関係でどうしても三角形の敷地ができてしまうんだなあ。

 世田谷通りは昔からある道なので、こうしたV字型の分かれ道があるのもしょうがないんだろうけれども、不忍通りはもっと後、明治以降にできたはずの道なので、こうしたV字型の追分があるというのは、どうにかならなかったんだろうか。

 で、下が早稲田通り高田馬場の「薄い家」。

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 さすがにここまで薄くなっちゃうと鉄筋コンクリートは無理なので、別棟になってモルタル造りになっている。

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 まあ、クレープ屋さんなんで、お客は店の外なんでこの薄さでもやっていける。

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 しかし、まあこの「薄さ」たるや、芸術的といってもいいんじゃないだろうか。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 @Setagaya & Bunkyo (c)tsunoken

2016年8月27日 (土)

世田谷・馬事公苑、三つの苑訓

 世田谷区用賀にある「馬事公苑」、かつては国営競馬、日本中央競馬会 (JRA) の騎手養成所が置かれており、1982年に競馬学校が開設されるまでは中央競馬の騎手の養成が行われていたのであります。

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 もともとは1940年に開催されるはずだった東京オリンピックのために作られた馬場なんだけれども、それは第二次世界大戦で開催中止となって、1964年に行われた第18回東京オリンピックで馬術会場として日の目を見ることとなった。

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 その、競馬騎手養成所の名残がこの外周コース。う~ん、ここを舗装しちゃえばちょうどナスカーレースなんかのサーキットとして使えるなあ、なんてのはお馬さんのレースに興味がない男の勝手なほざき節。

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 外周路の中にはこんな芝の馬場(グラスアリーナ)や……

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 外周路の外には大賞典馬術なんかができるメインアリーナがある。まあ、馬術会場としては当然ですね。

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 外周路の内側には愛馬碑という、ここの厩舎などで飼われていて、亡くなった馬の碑がある。

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 最近亡くなった馬なんだろうか、写真が手向けてあったりする。

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 で、勿論お馬さんの聖地なので馬頭観世音があります。合掌。

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「馬に注意」っていう標識がいいね。ここは馬の聖地なのだ。

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 で、再び公苑の入り口まで来ると「三つの苑訓」の碑が。

『馬事公苑訓
「騎道作興」(きどうさっこう)
「百錬自得」(ひゃくれんじとく)
「人馬一如」(じんばいちにょ)』

 なんて書かれてもわからないでしょう。

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『騎道作興(きどうさっこう) - 至誠を以って騎道作興すべし
誠実・まごころを以って騎道を作興(盛んにする・ふるいおこす)すること。

百練自得(ひゃくれんじとく) - 努力を以って百練自得すべし
百練自得には 百回同じ事を練習して、やっと一つの事を体得する。と言う意味の他に 人が1回練習するのであれば、自分は100回練習せよ。人が10回練習するのであれば、自分は1000回練習せよ。と言う意味としても使われる。要するに、努力して100回練習(又は人の100倍練習)して自分のものに会得せよ。と言う意味である。

人馬一如(じんばいちにょ) - 和協以って人馬一如たるべし
和協(やわらぎ親しんで心をあわせること。互いに折り合いをつけること。話し合い。音の調子をあわせること。)を以って、人馬一如(人馬一体・人と馬はひとつ)になること。』

 まあ、基本的には「人馬一如」っていうのが一番大事なんだろうなあ。

 で、田園都市線用賀駅から馬事公苑、世田谷通りを歩いて三軒茶屋まで行くと、まあ10,000歩ちょい。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Baji Koen Setagaya (c)tunoken

2016年8月26日 (金)

「目黒川船入場」でも「目黒のさんま」とは関係ないようです

 いつもはブゥーンと車で走り去ってしまう山手通りの中目黒近辺なんだけれども、歩いてみるといろいろ発見があるものだ。ということで先日発見したのが、ここ「目黒川船入場」なのであります。まあ、目黒区民には別に珍しいものではないんだろうけれども、私のようなよその区民にとってはやや珍しいというか……。

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「目黒川船入場」と言っちゃうと、なんか漁船が目黒川をここまで遡ってきて、このあたりでサンマをおろしたのかななんて考えちゃう。

 まあ、落語「目黒のさんま」なんてのを考えるとそんなこともあるのかなあ、なんてね。

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 んが、そうではないらしい。説明版によれば……

『ここは、昭和初期に船を導きいれるために川を切り開いて築かれた船入場の跡です。
 現在では、当時の土地を利用し、下部を目黒川調節池、上部は区民のふれあいの場として整備されすっかり変わってしまいましたが、当時の名残を船入場という愛称名にとどめています』

 とのこと。

 そうか、「目黒のさんま」は江戸時代の大名の話だもんなあ。そりゃあ、ないよなあ。じゃあ、あのさんまはどこからもってきたものなんだろうか、なんてことを考えたりして。

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 たしかに、中目黒の駅あたりまでは目黒川は狭小なんだけれども、ここから下流はかなり幅の広い川になっている。

 つまり、以前はこのあたりからも屋形船なんかが出て、それこそ東京湾あたりまで出ていたのかもしれない。ここから下流はそのくらいの広さはあるもんなあ。

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 で、下の写真、川面に近いほうの黒いスリットが調整池に導入する口らしい。つまり、この船入場の下が目黒川の調整池になっており、この場所から船入場という名前の公園の地下に、大きな水槽があって、そこに増水した際の目黒川の水が流れ込むようになっているらしいのであります。

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 まあ、ものは使いようってなもので、船入場(船着き場)の遊休地の地下を大水に際しての調節池にしちゃったってわけですね。

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 まあ、この辺も都会に生きる人たちの知恵ってもんで、それぞれ、ぞれなりに知恵を生かして生活をしているわけです。

 うーん、地方公務員の知恵ってものも、なかなか馬鹿にはできないものですねえ(って、馬鹿にしてたのかよ)。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Nnaka Meguro @Meguro (c)tsunoken

 

2016年8月25日 (木)

『「強すぎる自民党」の病理』というよりは日本政治の病理なのだ

『「強すぎる自民党」の病理』って言うんだけれども、むしろ問題は「強すぎる自民党」という存在を許している選挙民の問題なんじゃないだろうか。それを「病理」と感じるかどうかという問題であって、大方の選挙民にとってはそれは「病理」だとは感じていないってことなんだろうなあ。

 まあ、日本における民主主義の形骸化っていうのは、実は形骸化ではなくて、初めから日本には西洋型民主主義が根付いていなかったということだけは、よくわかった。

 まあ、江戸時代からの日本式政体がそのまま、衣だけを変えて残っていたんですね。つまりそれは、ボトムアップ式の、根回しでもって全員一致という形で「誰に責任があるのかがわからない」方式の日本型民主主義っていう。

Photo_2 『「強すぎる自民党の病理」老人支配と日本型ポピュリズム』(池田信夫著/PHP新書/2016年8月24日刊)

 本書はつい最近行われた参議院選挙結果をもとに書かれているのだが、池田氏は「はじめに」で本書の内容のすべてを語っている。

『安倍晋三首相は「アベノミクスが支持された」と自画自賛しているが、成長率はゼロに近づき、アベノミクスの目玉だったインフレ目標は2%どろこかマイナスだ。補正予算で景気をもたせているが、政府債務は1100兆円を超えた。ろくな経済政策もない自民党が、なぜこれほど強いのだろうか。
 明かな答は、野党が弱すぎるということだ。特に今回、民進党が共産党を含む「野党統一候補」を立てた戦術は失敗に終わり、共産党の議席は倍増したが、民進党の議席は大幅に減った。政策協定もない統一候補で、政権を取る展望はまったくない。最初から万年野党として生き残るのが精一杯なのだろうか。
 もう一つの答は、自民党が増税など有権者のいやがる政策をすべて先送りし、財政や社会保障などの厄介な問題にまったくふれないことだ。2017年4月に予定されていた消費税の増税は再延期されたが、高齢化は急速に進み、将来世代に莫大な負担が転嫁され、最悪の場合は財政が破綻する。
 ところが与野党ともに、財政にも社会保障にもまたくふれない。投票者の多数派が社会保障の受益者である老人だからである。このような老人支配を「シルバー民主主義」と呼ぶが、このように社会保障が争点にさえならない状態では、国民に選択肢がなく、民主主義は機能しない。社会保障は経済問題ではなく政治問題なのだ』

 そして、「第9章 成長経済から成熟経済へ」の中の「無党派の若者はブルーオーシャン」や「エピローグ もし小泉進次郎が首相になったら」では、本書における最後の希望について語る。

『自民党の国政選挙の絶対得票率は、ここ10年ほど17~20%で、世代によってもほとんど変わらない。つまり民進党は自民党に負けたのではなく、棄権した無党派層に負けたのだ。これはもっと長期の時系列データでみても明らかだ』

『それまで投票に行かなかった無党派層が、2005年には小泉改革に期待し、2009年には民主党政権に期待したのだが、その結果に失望してもとに戻ったのだ。
 もう一つ2000年代に一貫しているのは、政党支持率で見ると無党派層がほぼ半数を占める圧倒的な「第一党」だということだ。これは先進国では珍しい現象で、ここに自民党も民進党もつかめないブルー・オーシャン(未開拓の市場)がある』

『必要なのは、多くの無党派層にアピールする大胆な戦略の転換である』

 ということは、参議院選挙のすぐ後に行われた東京都知事選でもみられた現象であり、やはりそこでも無党派層を取り込んだ小池百合子氏が大量得票でもって自民党推薦や野党共闘推薦候補に勝ってしまったのであった。

『安倍首相に代表される日本の保守派は、明治以降の天皇制国家を日本の伝統と錯覚し、政策的には国家社会主義に近い支離滅裂なものだ。英米の保守党は財政についても保守的なのだが、自民党は国債がいくらでも発行できるようになったおかげで、世界最大の放漫財政の党になった』

『日本型ポピュリズムが変わる兆しはないが、長い目で見ると希望はある。次の首相としていろいろな名前が取り沙汰されているが、小泉進次郎は次の次ぐらいの有力候補だろう。彼は自民党の「2020年以降の経済財政構想小委員会」の事務局長になり、「レールからの解放」という中間報告をまとめた。この報告書の特徴は三十~四十代の若い議員を集め「2020年以降の社会保障のあり方」を検討したことだ』

『オンバランスの1200兆円だけではなく、社会保障でオフバランスの債務を1000兆円以上も抱えた政府は、あと20年はもたないというのが多くの専門家の見方だ。これを緊縮財政で再建することは絶望的であり、解決する方法はヘリコプターマネーやハイパーインフレなどの「計画倒産」しかない』

『小泉進次郎の難点は、まだ三十五歳と若すぎることだが、彼の世代になれば問題が顕在化し、先送りはできなくなるだろう。彼の父が銀行の不良債権を最終処理できたのは、先送りされてきた問題が1998年以降の銀行破綻として顕在化したためだった。もちろんそういう破綻は起こらないほうがいいが、今回の債務はそのときより一桁大きく、国家財政の問題だという点でははるかに困難だ。今から準備しておいて早すぎることはない』

 う~ん、どうなんだろうか。

「自民党をぶっ壊す」といって自民党総裁になった人の息子が「日本を一回ぶっ壊す」といって首相になり、一度ぶっ壊した日本を再生させることができたら、それはそれ、もしかしたら日本の戦後第二の創業期における最初の宰相になれるかも知れない。

 小泉進次郎氏には「2020年に小泉新党を作って、今度こそ本当に自民党をぶっ壊し、新しい日本を作る」という構想があるという噂がある。

 いずれにせよ、日本経済がここまで来てしまった以上は、一度財政破綻させて日本経済を一度ゼロ状態にして、そこから再生させるしかないのではないだろうか。それをやるのが小泉進次郎か誰かは分からないが、取り敢えずは2020年東京オリンピックのあたりで破綻が明らかになって、一度、財政破綻。そこから再度立ち上がれるかどうか、というシナリオはかなりリアルなシナリオだ。まあ、オリンピックの前になるか、後になるかでもって、かなりおおきな違いが出るだろうけれどもね。

 その前に日本から逃げ出してしまうか、甘んじて財政破綻を受け入れて、その後をじっくり見てやるかといった選択は私たちひとりひとりが選択すればいいのだけれども、多分、破綻直前になったら日本国内からの財産移転は法律的にできなくなるだろうから、逃げ出すのなら今のうち、ってことですかね。

 その場合は、2020東京オリンピック観戦はあきらめてね。

『「強すぎる自民党の病理」老人支配と日本型ポピュリズム』(池田信夫著/PHP新書/2016年8月24日刊)

2016年8月24日 (水)

「山手線の最後の踏切がなくなっちゃうよ」というお話

 山手線最後の踏切というのが、ここ駒込駅と田端駅の間にある第二中里踏切という踏切。第二踏切というのがあるんだから、第一踏切もあったんだろう、という貴方はなかなかいい指摘ですね。第二踏切よりもうちょっと駒込駅の方に下がっていったところにありました。

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 とにかく、「LITE」という大きなゴルフボールのオブジェがある脇の踏切といえば、「ああ」と気づく方も多いはず。

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 前から(昭和20年代)この踏切を廃止して、跨線橋を架ける計画はあったんだけれども、なかなか計画は前に進まずにいたのが、昨年、東京都はここの作業を進める決定を行った。

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 場所は田端4丁目と中里3丁目の間で、中里側は道路予定地に公園や……

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自転車置場なんかを作って、すでにいつでも道路にできるようになっている。

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 で、その先は聖学院の前を通って、旧古川庭園の前で本郷通り(北本通リ)と合流する。

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 一方、田端側は跨線橋から緩やかに下がってきて、田端駅近くの赤紙仁王尊で有名な東覚寺の前が現在の起点となっている。

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 道路全体の計画は「東京都市計画道路事業補助線街路第92号線」という計画道路で、北区西ヶ原一丁目(本郷通りとの合流点)から台東区下谷一丁目(鶯谷駅付近)までの延長4.8kmの道路なんだが、その田端地区が取り敢えず昨年着工が決まったというもの。

 取り敢えず、山手線の脇ののり面に作るはずの橋脚をこれから作ろうって話だから、まだしばらくは第二中里踏切も生き残るだろうが、それも時間の問題ってことですね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 @Tabata, Nakazato Kita (c)tsunoken

2016年8月23日 (火)

小池百合子にとっての『女子の本懐』って何だろう

 本書は小池百合子氏が2007年7月4日に防衛相に就任する前日から離任するまでの、56日間の毎日の日記(第1章、第2章)と、そのまとめ(第3章)を記したものが2007年10月20日に文春文庫として出版されたものなのだが、やはりというタイミングで都知事に就任した今月、緊急出版の形で電子化されたものだ。

 まあ、その辺はいかにも電子出版のお手軽さでもあるけれども、防衛相の時はそれほど興味を持っていなかった方も多いだろうから、このタイミングで電子化するってのもいい方法だろう。事実、私も文春文庫版では読んでいなかったが、このタイミングで電子化されたものだから、「こりゃ読まなきゃな」って感じで読んでみたわけです。

Photo 『女子の本懐――市ヶ谷の55日』(小池百合子著/文春文庫/2007年10月20日紙版刊・2016年7月20日電子版刊)

「男子の本懐」というのは城山三郎氏の小説でも有名になった、戦前の首相・濱口雄幸の言葉である。官僚出身でありながら、料亭政治や根回しを嫌った濱口は首相蜷田際に「仮令玉砕すとも男子の本懐ならずや」と言って、自分の意思を貫く覚悟を述べたそうだ。

 じゃあ、小池百合子氏にとって「女子の本懐」ってなんじゃらほい。ということで、取り敢えず本書の中で「女子の本懐」に触れた部分を抜き出して考えてみよう。

『「この度、私は防衛大臣を離任いたしました。七月四日の就任以来、わずか二ヶ月たらずの短い期間ではありましたが、国家存立の基本にかかる崇高な任を務めることができたことは誠に光栄であり、まさに『女子の本懐』でございました」
 防衛大臣を離任するにあたり、私は防衛省の講堂で、幹部職員、隊員およそ五百人に対し、壇上からこう語った』

『古来、男子の世界とされる国防分野に、突然、防衛大臣として乗り込むことになった。就任式で、居並ぶ儀仗隊を前に栄誉礼を受け、巡閲を行った私は、これこそ議員としての「本懐」だと感じた。
 それでも、新参大臣が就任早々「女子の本懐」と口走るのは早すぎる。
 ましてや金融恐慌の嵐、軍拡の流れの中で。金解禁を断行し、その結果、銃弾に倒れた浜口、井上両氏の経験と実績などとは比べようもない。
 私はまだ、何もしていないのだから』

『役所に戻り、お別れの記者会見に臨む。
 わずか二ヶ月弱、五十五日間の防衛大臣ではあったが、防衛省への移行後、二代目の防衛大臣として、国防という国家の最重要部門に関われたことは、まさに「女子の本懐」という気持ちであったと強調した。温存していた「女子の本懐」という言葉以外に、私の偽らざる気持ちを一言で表す言葉を見つけることができなかったからだ』

『「女子の本懐」と大見得を切る私だが、真の「女子の本懐」ともいえる出産を経験していないことは、この上もなくつらい』

『「女子の本懐」を遂げることのできなかった私だが、どうすれば、多くの日本女性が「女子の本懐」を実感してもらえるかを考えるのが、私の役目である』

『こうして、私の市ヶ谷における五十五日間は、八月二十八日の栄誉礼と儀仗で幕を閉じた。
 あっという間ではあったが、きわめて凝縮したものであり、充実感がある。
 だからこそ「女子の本懐」と、心から思った。
 幸い、浜口雄幸らのように銃弾に倒れることはなかったが、切腹はした。
 介錯は総理にお願いした』

 というのが本書において小池百合子氏が「女子の本懐」について触れたすべての部分なんだが……。なんか違和感がある。

 小池百合子氏はもともとフリーのテレビキャスターだったのだが、1992年に日本新党から参議院に立候補し当選、1993年には衆議院に鞍替え、1994年に日本新党解党に伴い新進党結成に参加、1997年新進党解党後は自由党に参加し、2000年自由党分裂に際して保守党結党に参加、2002年には保守クラブを経て自由民主党に参加した。

 2003年に小泉政権で環境大臣、その後内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方担当)、2005年第44回衆議院選で東京10区に刺客として国替え。2006年発足した第1次安倍内閣でもって2007年に防衛大臣就任、55日後に安倍内閣改造でもって辞任。2008年には自民党総裁選出馬。

 などなどを経て、2016年夏、自民党都連の推薦を受けずに無所属で東京都知事に立候補し、大量得点差でもって当選したのは記憶に新しいところ。

 しかし、上記のような移り変わりを経ている小池氏は「政界渡り鳥」なんて言われているのも事実なんだが、べつに「渡り鳥」だっていいじゃないか。もともと、同じ党に我慢しながら残っているっていうのは大臣の座を待っているってだけでしょう。で、それが小池氏みたいな人に追い越されちゃうと嫉妬するっていう構図は、決して美しくないし、政治家として誠実ではない。そんな順番待ちで大臣になったって、それは絶対に「男子の本懐」を遂げたってことにはならないだろう。

 むしろ自分の考え方に忠実に動くほうが、政治家としては誠実な在り方じゃないだろうか。そういう政治家を有権者は支持するんだからね。

 ということで、今回の都知事選でも小池百合子氏は自分の考え方に忠実に動いたわけでしょう。それが自民党都連からは認められないのを見ると、即座に無所属に切り替えて立候補。その姿が「潔い」と言われて、無党派都民というポピュリズムの権化みたいな連中から圧倒的な支持を得て、大量得点差でもって当選っていうんだから、まあ、小池氏の行動は他の少なくとも自民党都連や、野党共同候補よりは正しい選択だったっていうことになるんだなあ。

 ということは、今回の東京都知事選こそは小池百合子氏にとっての「女子の本懐」っていうことなのかもしれない。ただし「都知事になる」っていうのは「本懐を遂げた」ということにはならない。問題は「都知事になって何をやるのか」っていうこと。都知事を引退して「自分は何を成し遂げたのか」ということが確認できるかっていうことがあってこその「女子の本懐」っていうところだろう。

 はてさてどんな都知事になるのかな?

 基本的にはこの人、稲田朋美や高市早苗みたいな右翼国家主義者ではないけれども、超保守派。とは言うものの、女性都知事として女性が活躍する社会を作るっていう部分では期待。なので、期待と警戒半々で、さてどんな都政を運営するのかな?

 ところで小池氏が言うところの「女子の本懐」も、濱口雄幸がいうところの「男子の本懐」も、実は使い方が間違っていて、本当は「武士の本懐」っていうのが正しい使い方なのであります。

「武士の本懐」って要は「死ぬ」ということ。昔の日本において唯一「戦う階級」だった武士。その武士に本懐は何かと聞けば、「戦う階級である以上、戦って死ぬことも辞さない」というのが、本来の「武士の本懐」なのだ。

 なので『「女子の本懐」と大見得を切る私だが、真の「女子の本懐」ともいえる出産を経験していないことは、この上もなくつらい』っていうのは、チャンチャラおかしいのであります。べつに「出産を経験した・経験しない」っていうことは「女子の本懐」でも何でもない、「女は出産をしてこそ一人前」っていう考え方自体が男尊発想での枝葉末節のことなのだ。

 小池さんって、そんなツマランことを気にしてるんだろうかなあ。

 もうちょっとドンッと構えて欲しいものだ。

『女子の本懐――市ヶ谷の55日』(小池百合子著/文春文庫/2007年10月20日紙版刊・2016年7月20日電子版刊)

2016年8月22日 (月)

「猫またぎ」と「猫又坂・猫又橋」

「猫またぎ」とは、「猫が見向きもしないまずい魚」という意味と、「猫もまたいでしまうくらいにきれいに食べられた魚」という二つの意味がある。

 ところで不忍通りと千川通りが交差する千石三丁目の交差点まで千石二丁目から不忍通りを下りてくる坂道は「猫また坂」と呼ばれている。

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 坂を上から見るとこんな感じで、一番下りたところが千石三丁目交差点。千川通りというように、もともとは千川上水だったところ豊島区長崎あたりで分水となり、現在の千川通りのところを小石川後楽園まで流れていたのが谷端川・小石川というのだが、千川上水からの分水ということで、千川とも呼ばれていたのだった。

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 で、当然川なので橋がある。ここ猫また坂の脇には当時の猫また橋の袖石が展示されていて、文京区教育員会の説明版が設置されている。

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猫又橋 親柱の袖石

 この坂下にもと千川(小石川とも)が流れていた。むかし、木の根っ子の股で橋をかけたので、根子股橋と呼ばれた。
 江戸の古い橋で、伝説的に有名であった。このあたりに、狸がいて、夜な夜な赤手ぬぐいをかぶって踊るという話があった。ある夕暮れ時、大塚辺の道心者(少年僧)がこの橋近くに来ると、草の茂みの中を白い獣が追ってくるので、すわ貍かとあわてて逃げて千川にはまった。それから、この橋は、猫貍橋・(猫又橋)といわれるようになった。猫貍は妖怪の一種である。
 昭和のはじめまでは、この川でどじょうを取り、ホタルを追って稲田(千川たんぼ)に落ちたなど、古老がのどかな田園風景を語っている。
 大正7年3月、この橋は立派な石を用いたコンクリート造りとなった。ところが千川はたびたび増水して大きな水害をおこした。そこで昭和9年千川は暗渠になり道路の下を通るようになった。
 石造りの猫又橋は撤去されたが、地元の故市川虎之助氏(改修工事相談役)はその親柱と袖石を東京市と交渉して自宅に移した。
 ここにあるのは、袖石の内2基で、千川名残の猫又橋を伝える記念すべきものである。なお、袖石に刻まれた歌は故市川虎之助氏の作で、同氏が刻んだものである。

 騒がしき蛙は土に埋もれぬ
     人にしあれば 如何にも恨まん

――郷土愛をはぐくむ 文化財――

文京区教育委員会 昭和58年1月』

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 ところが不忍通りの反対側に行ってみると、そこにも「猫また橋を伝える記念すべきもの」がもうひとつあった。

 この「猫又橋際公衆便所」というもの。えっ? この公衆便所って昭和初期からあったの? って、そんなはずはないよね。でも、なんで「猫又坂公衆便所」じゃないんだろう。

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 千川通りを少し川下の方に下ると、簸川神社と小石川植物園に挟まれたところに「網干坂」という急な坂道があって、要は昔千川の漁師が網を干した場所だったようなのだ。

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 だとしたら、「猫また橋・猫また坂」は「猫またぎ橋・猫またぎ坂」じゃなかったんですね。

 う~ん、私は語呂が似ているので、「猫またぎ」となんかの関連があるのじゃないかと考えていたんだが、そうじゃなかったのでありました。

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2016年8月21日 (日)

社会人ラクロスリーグ開催中

 昨日は時折スコールのような雨が降る千葉市蘇我にあるフクダ電子アリーナじゃなくて、その脇にあるフクダ電子フィールドで、社会人ラクロスリーグ戦が開催された。

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 というか、ついこの間開始された学生ラクロスリーグ戦に先立って、社会人ラクロスリーグ戦は既にシーズン後半戦に入っている。まあ、ポストシーズンが長い社会人ラクロスなので、こんな早い展開も仕方ないのかな。

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 社会人ラクロスリーグ、チャンピオンリーグ2部はラガマフィンズ、ヴァイキングス、デサフィーオ、東京ラクロスクラブの4チーム、2回総当たり戦で戦われており、昨日まではヴァイキングスが3勝1敗勝ち点9でトップ、ラガマフィンズが2勝2敗勝ち点6、デサフィーオが同じく2勝2敗勝ち点6、東京ラクロスクラブが1勝3敗勝ち点3という布陣だった。

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 昨日の試合は、シーズン折り返し点でラガマフィンズ対デサフィーオの2回戦が行われた。

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 もっと接戦の試合になると予想されたのだが、かなりデサフィーオの一方的な試合になってしまった。

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 まあ、シュートの成功率なんてどの選手でもほとんど変わらないのだから、そうだったら手数が多いほうが勝ちっていうのが鉄則なんだけれども、なんかあまりシュートを打ってこないラガマフィンズに対して、シュートの数だけは多いデサフィーオっていう感じ。

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 となると当然デサフィーオ有利の試合展開になってしまって、前半戦からデサフィーオがラガマフィンズを圧倒する。

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 結果、9対2でデサフィーオの勝ちということになってしまって、1回戦に6対5でデサフィーオが負けているのが不思議なくらい。

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 これでデサフィーオが首位ヴァイキングスと並んで勝ち点9を得たわけだが、ヴァイキングスのデサフィーオとの2回戦で8対9で負けただけで、その他のチームには大量得点で買っているのでなかなか予断を許せない展開になってきている。

 これからのシーズン終盤戦次第ではどうなるのか、面白くなってきた社会人ラクロスリーグチャンピオンリーグ2部ではあります。

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2016年8月20日 (土)

『飛田で生きる』のもいろいろ大変なようで

 大阪に飛田新地という街があるのは知っていた。どんなことをしている場所なのかも知っていた。でも行ったことはない。

 川崎堀の内にもソープ街の中に「ちょんの間」の店があるのは知っていた。遊びに行ったことはないが、興味があって見に行ったことはある。その時はまだあったんだけれども、最近は警察の取り締まりでなくなってしまったそうだ。

 飛田は今でもあるのだけれども、川崎堀の内ではなくなってしまっている。なんか、警察の取り締まりって、地域によってまちまちなんだなあ。

Photo遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白 飛田で生きる』(杉坂圭介著/徳間文庫カレッジ/2014年10月1日刊)

 で、飛田新地ってどういうシステムなんだ?

『大阪には、飛田だけでなく、松島、今里、信太山、滝井という新地があること。新地というのは、居住地や商業地として新しく拓かれた土地のことだけど、その地の繁栄策として遊郭などが多く建てられたので、遊郭や遊里の多い場所を指す言葉にもなっていること。それぞれ特徴があって、値段やシステムも違うこと』

『「店の造りは、松島も飛田もほぼ一緒や。でも松島のほうが建て替えている店が多く、全体的にきれいやな。料金は松島のほうが安くて、飛田は一五分一万一〇〇〇円からやけど、松島は二〇分一万円。三〇分一万五〇〇〇円」 』

『「松島は店にシャワーがあるけど、飛田はない。みんな終わった後、和式トイレに入り、ホースから水を出して洗うんや。女の子によっては、それが嫌だから飛田よりシャワーのある松島を選ぶ子もおるんよ」』

『昔は日本橋、難波、梅田界隈にソープランドがあったそうです。しかし、一九九〇年に鶴見緑地で「国際花と緑の博覧会」が開催された際に、「国際都市として外国人に見られたら恥ずかしい」との理由で一掃されました。外国人に見られたら恥ずかしいところなどもっとほかにもたくさんありそうなものですが、とにかくソープランドはだめだということになり、すべて廃業に追い込まれたそうです』

『「では一応、飛田は合法なんですか?」
「そうや。基本的には、〝料亭〟でお客と女の子がお茶とお菓子を飲食していたら、偶然にもたちまち〝恋愛関係〟に陥ってしまっただけなんやから」』

 まあ、この辺は警察の恣意性でもって「違法」「合法」が決められちゃうんだな。

『飛田に着いたときは、すでに夜の七時を回っていました。地下鉄「動物園前」駅の入り口が見えると、車は「飛田新地料理組合」と書かれた看板の下を潜って無料駐車場に停められました』

『「せっかくやから、歩きながらじっくり見たほうがええやろう。ここが桜木町。通称青春通りで、いちばん若い子が多い。この通りから離れるに従い、年齢層が高くなって、妖怪通りや年金通りと呼ばれる通りになる。空き家になっている店舗があるのは山吹町、通称メイン通り。青春通りの一本向こうで、その通りも若い子が多いで」』

『「料金はどこも同じなんですか?」
「通りによって女の子の年齢層が変わるんで、それに伴いプレイ時間と料金設定も変動する。基本料金は一五分一万一〇〇〇円、二〇分一万六〇〇〇円、三〇分二万一〇〇〇円、四五分三万一〇〇〇円、六〇分四万一〇〇〇円。妖怪通りなら三〇分一万一〇〇〇円くらいからあって、逆に青春通りなんかは強気だから、一万六〇〇〇円以上じゃないと上げない店もある」
「一五分で一万一〇〇〇円?」
「そうや、一〇〇〇円は消費税。店に五〇〇〇円、女の子にも五〇〇〇円。それでオバちゃんが一〇〇〇円や。通りによっては、店が六〇〇〇円取るとこもあるんやけどな」 』

 で、何はともあれ行ってみたんですね。

『そして私は一週間後、ひとりで飛田に向かいました。二階に上がって飛田の〝今〟を感じるために。そのときは、もうこの話に乗ることを決めていました。安易と言えば安易ですが、ある程度の勢いがなければこの仕事に新規参入することなどできないのかもしれません』

『玄関で靴を脱ぐと、女の子が立ち上がる。笑顔を浮かべる彼女にエスコートされて、階段を上がり二階の個室へ。部屋は畳張りの六畳ほどの広さで、中央にちゃぶ台が置かれ、その横にシーツがわりのバスタオルが掛けられた薄い布団が敷かれていました』

『「ちょっと、待っててね」
 もう一度部屋を出ると、二、三分後、薄いキャミソールに着替えて戻ってきました。その間、私は服を脱いでパンツ一枚に。彼女は電気を暗くすると、着ているものをすべて脱ぎ捨てました。
「裸になって横たわってください」 』
 ウエットティッシュで私の局部を丹念に拭いた彼女は、淡々と下半身をいじりだす。こちらからのタッチはさせてもらえず、すべて彼女が主導権を握っていました。緊張していたのかなかなか力が漲ってきません』

『「でも、アソコ見せてもらったら、勃つかもしれない」
「ウブかと思ったら、結構、言いますね」
 暗がりの中、自分の秘部を指で開いてくれる彼女。私は徐々に下半身へ血が通ってくるのを感じました。
「ホントだ、お客さん、いい感じになってきた」
「そんなら……」
 ゆっくり重なると、ここでピンポンとチャイムの音。残り五分の合図です。私は焦って動きを早めました。
「次のチャイムが鳴ったら、終わりね……あれっ、イッた? もうイッたの?」
「うん……」
 彼女はもう一度ウエットティッシュできれいにしてくれると、自分のも拭いて立ち上がり服を手に取ります』

 飛田新地は経営者である番頭さんと、マネージャー兼客引きの「オバちゃん」と、当然「女の子」で構成されているらしい。

 まあ、風俗業のオバちゃんと女の子たちなので、それなりにいろいろ苦労話なんかは満載なんだけれども、著者の杉坂氏がそうなだからかもしれないのだが、番頭さんは結構お気楽に経営しているみたいだ。

 まあ、昔から女衒っていうのはそういうもんだ、っちゃあそうなんだけれども、繊維製品問屋をリストラされたサラリーマンでも結構簡単に料亭(という名の売春宿)の経営者になれるあたり、結構、ハードルは低いのかもしれない。

 勿論、それを続けていくっていうほうが、もっと大変だけれどもね。あ、それとこういう商売は引き際が肝心ってことも忘れてはならない。

 いずれ引退はするんだからね。

遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白 飛田で生きる』(杉坂圭介著/徳間文庫カレッジ/2014年10月1日刊)

2016年8月19日 (金)

『新宿クラシックカメラ博』今年も開催

「新宿クラシックカメラ博」というのがあるっていうのが分かったのが、昨年の8月、駒込のカメラのハヤシ商事にいったら休みで、長い夏休みかと思ったら、新宿クラシックカメラ博に出店のためということが店の前に書いてあったからなのだった。

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 面白いのは上のクラシックカメラ博の、今年のポスターの右端に写っているカメラ。

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 会場にはポスター掲載商品展示コーナーというのがあって、よく見れば。

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 ライカM4などと混ざって、ソニーα350(19,800円、ってやっぱり中古デジカメの値段ですね)なんてのが飾ってある。

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 いやあ、ついにデジイチもクラシックの仲間入りかあ、とも思ったのだが、「クラシック」っていうのは単に「古い」というだけでなくて、「評価の定まった」というような意味があるはず。となると現在も日々進化を遂げているデジイチってクラシックの仲間になるのかなあ。

 仮になるとしても、それはソニーのαじゃなくて、コニカミノルタα-7 DIGITALかキャノンのEOS1あたりになるんじゃないかなあ。

 まあ、そういう商品の出展がないのでソニーのα350になっちゃったのかもしれない。

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 で、クラカメ博ではこんなマミヤのピストルカメラ(998,000円!)なんて珍品も出展されているんですね。こんなの、最早フィルムも手に入らないのに、誰が買うんだろうなんて思っちゃいけない。ちゃんと買う人がいるんですね。

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 んで、こちらが駒込はカメラのハヤシ商事のブース。店のショーウィンドーからも出展しているようだ。

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 なので、駒込のカメラのハヤシ商事に行っても、クラシックカメラ博当日はお休みなのであった。

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 新宿クラシックカメラ博の昨年のテーマは「優機昂揚」、今年のテーマは「名・機・友・遊」。まあ、クラカメ・オヤジのイメージとしては今年の方がピッタリな感じだなあ。

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新宿クラシックカメラ博は8月22日まで新宿高島屋タイムズスクエア11回で開催中。

新宿クラシックカメラ博(写真機商興会)の公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Shinjuku (c)tsunoken

2016年8月18日 (木)

SPA『低所得(40代で年収300万円台)時代』なんだが……

『SPA』8月16日・8月23日合併号の特集が『「低所得(40代で年収300万円台)時代」の実態』というもの。

Spa 『SPA』8月16日・8月23日合併号(扶桑社/2016年8月9日刊)

 特集の中身を見て行こう。

『40代年収300万円台のサラリーマン200人に聞いた、あなたが低所得だと思う理由ランキング』というのがある。

①出世や昇給するほどのスキルがないから  98人
②転職回数が多く、条件が悪くなるから      65人
③会社の業績不振のせいだと思う         63人
④年齢に見合う仕事のスキルがないから     53人
⑤誰でもできるレベルの仕事をしているから    49人
⑥一度、非正規になってしまったから        40人
⑦責任ある仕事をやりたくないから         33人
⑧学歴がないから                    27人
⑨体の具合がよくないから               17人
⑩そもそもあまり働きたくないから          15人

 というものなんだが、⑦や⑩は問題外として、「スキルがない」とか「誰にでもできるレベル」の仕事しかしていない、というのは本人の責任なのか、会社の責任なのかがよくわからない。会社がそういうスキルをつけるチャンスや責任ある立場での仕事を与えてこなかったのか、あるいはそんなチャンスはあったのだけれども、本人にやる気がなかったか、あるいは見落としてしまったのか、その理由次第では「お話にならない」のかどうなのかがわからない。

 実態を見て行こう。

『旅行会社勤務の田中勝さん(仮名・41歳・独身)は年収350万円、会社の急な業績悪化で年収が100万円ダウン! ローンに縛られ低所得者生活に』

『大手スーパーマーケット職員の畑中浩二さん(仮名・39歳・既婚)は年収390万円、会社合併で出世が白紙。以後も昇進のチャンスがなく、低収入のまま横ばい!』

『飯野政史さん(仮名・49歳・既婚)は大手物流会社で12年(年収600万円)、食品業界で9年(年収500万円)と、これまではそれなりの所得を得てきた。しかし、最初の会社は同期との出世レースに敗れ、居心地の悪さから自主退社。次に勤めた会社ではリストラに遭い、3年前に物流関連企業に転職した。ここは正社員ですらなく、嘱託社員という扱いで年収は300万円にまでダウン』

『山本辰夫さん(仮名・45歳・既婚)は現在までに6回転職をした。現在の会社では一度昇進し、月5万円給与がアップしたものの、その後業績悪化でボーナスはカットされ、昇給前の低所得のままだ(年収380万円)。今の会社は外食産業だが、それまでに勤務した会社は建築事務員、夜勤汎用機オペレーター、雑用庶務など一貫性のない職歴』

『食品工場でアルバイトとして働く伊藤隆行さん(仮名・42歳・独身)は、大学時代’90年代末の就職氷河期と重なり就活に失敗。以後18年間一度も正社員になれず、年収234万円』

『正規雇用といっても社会保険にすら加入していないコンビニ店長の林寛貴さん(仮名・39歳・独身)は、大学時代、留年を重ねたこともあって卒業後はフリーター生活を続けていましたが、4年前にバイト先のコンビニのオーナーに『店長をしないか?』と言われ、その話に乗ったんです。とはいえ、フランチャイズ店の雇われ店長なので福利厚生は何もないし、正社員は名ばかりで実際には世間の派遣社員や契約社員以下の待遇です。で、年収234万円』

『東京大学を卒業した健康食品メーカー営業の安村英治さん(仮名・40歳・独身)は、就職氷河期でも自己分析もろくにせず、派手な業界にただあこがれてマスコミや広告代理店ばかり受けていた。全滅してもブランド力で大手商社に入社できたのですが、『俺はこんなもんじゃない』と思い続けていて入社3年目でおよそ680万もの年収を捨て、IT企業やイベントの運営会社、食品メーカーなど業種を問わず転々と“自分探し”の旅が始まった。プライドが邪魔して、一つの会社で踏ん張ることができなかった。1~2年で転職を繰り返し続け現在の残業代も出なくて一日18時間労働も当たり前のブラック企業で年収310万円』

 最初の二人、田中さんと畑中さんは新卒から正社員で勤め続けても低所得のままの人。二番目の飯野さんと山本さんは1社目でつまづき、転職するたびに悪条件になる人なんだが、結局二人に共通するのは転職に一貫性がないということ。これじゃあスキルは身につかないなあ。三番目の伊藤さんと林さんのケースはちょっと悲惨。就職氷河期に当たってしまったのは不運としか言いようがないが、しかし、そこで頑張ってなんとか正社員を引き当てた人もいたんだから、単なる不運とばかりは言えないのかもしれない。

 高学歴プアの安村さんのケースは、もはや自分が悪いんでしょとしか言いようがないなあ。

 まあ、40代っていうのは人生の分かれ道で、出世レースの結果が出始めるのが40代だし、その一方体力的な衰えも出始めるのが40代だ。二徹・三徹も辞さないで働くことができた30代に比べると、もうそんな体力は残されていないし、仮に二徹・三徹なんかができても、その後の体力の回復には時間がかかるかかる。そんな状態になるとやはり管理職になることを望み始める。

 一方、やはり40代で独身ということになるとちょっと焦りますね。周囲はほとんど結婚しているし、こちらもやはり体力(性力?)が気になるし、子どもができてもその成長に合わせて体力が必要になってくる。

 まあ、いろいろな意味で岐路に立たされるのが40代だ。

 かといって、皆が皆出世できるわけではないし、結局は自分の体力に合わせて仕事をするしかない。ということは、そこで収入も頭打ちということになるわけで、低所得でもそれなりに楽しむ方法を考えなければならないということになるんだろう。

 NPO法人ほっとプラス代表理事のソーシャルワーカー藤田孝典氏は言う。

『今の社会構造や雇用形態が変わらない限り、40代が年収アップを見込むのは難しい。むしろ、今後は『40代で年収300万円もあるならまだ幸せだ』と言われるような社会に向かう可能性が高いですね』

 ふ~む、なるほどなあ。

『SPA』8月16日・8月23日合併号(扶桑社/2016年8月9日刊)

2016年8月17日 (水)

渋谷区東一丁目区民菜園

 先日、渋谷を歩いていてらみつけたのがここ「渋谷区東一丁目区民菜園」。

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 っていうのは嘘で、前からここに菜園があるのは知っていた。ただし、写真に撮ったのが渋谷に行った日なので、今日ここで紹介しているわけです。

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 それにしても都会のど真ん中にこんな菜園があるなんてね。

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 で、調べてみたら渋谷区にはほかにも2ヵ所の菜園があったのです。つまり「恵比寿区民菜園(恵比寿4-21-10)」と「参宮橋区民菜園(代々木4-7-8)」って2ヵ所。まあ、恵比寿も参宮橋もやっぱり都会のど真ん中だなあ。っていうか、渋谷区自体が都会のど真ん中だしなあ。

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 う~ん、スゴいな。で、そこでもちゃんとトマトとか、ナスとか、カボチャなんかをちゃんと作っているんですね。

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 都会のど真ん中にトマトやナスやカボチャがあるなんてこともスゴいんだけれども、ここってあのヒカリエから明治通りをちょっと行って、並木橋を越えたすぐのところですよ。裏は代官山。

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 日本人って、こんな都会のど真ん中でもやっぱり野菜を作りたいのかしら。

 その辺、食料は消費するだけという考え方で生きてきた私なんかには理解できない部分なんだけれども、やっぱり食料を生産するっていうことに情熱を燃やす人が、この東京にもいるってことなんですね。

 住む場所は都会のど真ん中じゃないと嫌だけど、食料生産もしてみたいっていう人がこうした菜園を作っているんだろう。

 まあ、別にそんな人たちを尊敬はしないけれども、卑下はしません。好き好きですからね。

 でも、まあよくこんな都会のど真ん中で野菜なんか作ろうっていう気になったよな、というところだけは、私には理解できないところです。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Shibuya (c)tsunoken

2016年8月16日 (火)

それぞれの8月15日

 毎年、8月15日は靖国神社へミリタリーコスプレオタクの写真を撮りに行くのが恒例だったんだけれども……

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 なんかそれも飽きちゃったので、靖国神社はチラ見しただけで、千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ。

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 で、そのままその周辺をブラリブラリしていた。

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 日本カメラ博物館やら……

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 二重橋前やら……

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 KITTEやらをブラブラしながら帰ってきたんだけれども。

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 こうしてみると、靖国神社以外は別に8月15日じゃなくても撮れた写真なんですよね。

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 日付付きカメラっていうのもあるけれども、別にそんなものいくらでも操作できてしまう。

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 荒木経惟氏なんかかなり意識的に日付付きカメラの日付を操作していたらしい。

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 まあ、ミンミンゼミの死骸が転がっているのも、もはや晩夏になっているという証拠なのかもしれないが、別にそれだって8月15日である必要はない。

 つまり、カメラが持っているエビデンスなんて「雰囲気」だけなんですよね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G (c)tsunoken

2016年8月15日 (月)

東急グループの渋谷再開発が終わらないのは何故か?

 東急グループによる渋谷大改造事業が終わらない。それは何故なんだ?

 まず、最初は東京メトロ副都市線と東横線の乗り入れ事業から始まったわけなのだけれども、その後もまずJR埼京線のホームを山手線と平行させる事業を皮切りとして、様々な「渋谷再開発事業」が行われている。

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『2013年3月から東京メトロ副都心線と東急東横線の相互直通運転が始まったが、それによって東横線の終着駅から通過駅的存在になったのが、東急のお膝元・渋谷駅である。元町・中華街駅や新宿三丁目駅が乗降客を増やした一方で、渋谷駅は横浜方面から渋谷を通過する人が増え、乗降客を減らしてしまった。
 だが沿線開発のエキスパートである東急が、黙ってこの状況を見過ごすわけがなく、「50年や100年に一度」といわれる大規模な再開発に着手している。その先駆けとして2012年に開業したのが「渋谷ヒカリエ」で、渋谷の新たな文化・情報の発信拠点となっている。さらに地上46階建ての駅ビルなど複数の高層ビルが建てられるほか、渋谷川の清流を復活させて遊歩道やテラスを整備する計画もある。東急では渋谷を「日本一訪れたい街」にするため、これまで培ってきた開発のノウハウを活かして再開発に取り組んでいる』(『沿線格差 首都圏鉄道路線の知られざる通信簿』(首都圏鉄道路線研究会:小川裕夫・小林拓矢・佐藤充・常井宏平著/SB新書/2016年8月15日紙版刊・2016年9月1日電子版刊))

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 なるほどなあ……、そういうことか。

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 おかげで渋谷駅東口の工事の進捗に合わせて、その都度連絡通路の位置が変わってしまって、なんか歩きにくいのであります。

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「清流の復活」といっても、どこまでやるんだろう。

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 あっ、そういえば渋谷再開発をやっているのは東急グループだけじゃなくて、西武グループもPARCO PART 2のリニューアルなんかを手掛けていて、これから渋谷もどんどん変貌していくんですね。

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NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Shibuya (c)tsunoken

『沿線格差 首都圏鉄道路線の知られざる通信簿』(首都圏鉄道路線研究会:小川裕夫・小林拓矢・佐藤充・常井宏平著/SB新書/2016年8月15日紙版刊・2016年9月1日電子版刊)

2016年8月14日 (日)

『沿線格差』っていてもこれじゃあ本当の「沿線格差」じゃない

 前に『23区格差』っていう本があって、それについて語ったことはあったんだけれども、今度は『沿線格差』ですか。

 う~ん、そうやって格差をつけて不動産屋さんあたりに売りつけようって算段なんですかねえ。

 しかし、一番気になるのは、その「沿線」というものになんで山手線が入っていないんだ、ってことなんですね。『沿線格差(ヒエラルキー)』って言ったら、その最上部にあるのが山手線でしょう。

Photo 『沿線格差 首都圏鉄道路線の知られざる通信簿』(首都圏鉄道路線研究会:小川裕夫・小林拓矢・佐藤充・常井宏平著/SB新書/2016年8月15日紙版刊・2016年9月1日電子版刊)

 本書で取り上げられているのはそうじゃないんだよなあ。

『東京都心部に通う人が利用する19路線をピックアップして解説した。選んだ基準は、JR山手線に接続しているJR路線、私鉄は都心部と郊外を結ぶ乗客数が多い主要路線、といった具合だ。東京メトロ、都営地下鉄は、その鉄道会社の性格上、都心部を走る路線が大半なので、沿線に住宅地が多い路線を選んでいる』

 なんで山手線を選ばないんだろう。

 山手線の中だっていろいろあるし『〈JR山手線「最もダサいと思う」駅ランキング〉という調査でランクインしてしまった各駅(1位:鶯谷、2位:新大久保、3位:巣鴨、4位:田端、5位:西日暮里)』っていうのもわかるのだが、「沿線格差」っていう言い方をしちゃったらまず最初にこなければならないのは、やっぱり山手線でしょ。『東京都心部に通う人が利用する路線をピックアップ』って言っちゃたら、多分、一番多いのが山手線周辺の人たちのはずなんだけれどもなあ。

 まず山手線の内側に住んでいる人たちだって多い(都心にタワーマンションが多くできているので、ますます増えているだろう)。職住近接で職場に通うのもラクだし、どんなに仕事が立て込んで帰りが遅くなっても、家に帰るのもタクシーで1メーターか2メーターで帰れるっていうくらいにラクだ。まあ、この辺が「沿線格差(ヒエラルキー)」の一番上にいる人たちなんですね。

 次が、山手線の駅の、外側の近辺に住んでいる人たち。まあ、山手線の乗換駅からせいぜい1~2駅くらいの場所に住んでいる人たちですね。「山手線の内側=山の手」ではないけれども、そこに隣接している場所っていうことです。深夜に仕事を終えて、電車が終わってタクシーで家に帰っても2,000円位で帰れるところ。まあ、半分山の手気分、半分下町気分ってことですかね。

 山の手気分じゃなくても、谷根千なんて山手線の内側だけれども、完全に下町ってところもあります。

 で、その外側に位置するのが、本書でいうところの『沿線格差』の部分ってことじゃないんだろうか。

 取り上げられているのは、JR中央線、JR総武線、JR東海道線、JR埼京線、JR常磐線、JR京葉線、東急東横線、東急田園都市線、西武新宿線、西武池袋線、小田急線、東武東上線、京成線、京王線、京急本線、相鉄本線、東西線、都営三田線、つくばエキスプレスという19路線なんだけれども、う~ん、そんなに違いはないんじゃない? ってのが私の疑問。

 要は、住んでいるところが東京とかそうじゃないのか、ってことじゃないのかなあ。確かに「埼玉都民」「千葉都民」「神奈川都民」っていう人たちがいるってことは知っているけれでも、じゃあそういう人たちが都政に対してモノが言えるかって言っちゃえば、せいぜい「埼玉都民」「千葉都民」「神奈川都民」として、外側からしかものが言えないじゃありませんか。やっぱりそれは本当の都民じゃないと言えないし、都知事選だって参加できないでしょ。

『明治・大正期には、働き口を求めて流入した地方出身のあまり裕福でない人たちが東京の東側に住むようになり、人口密度が高い状態が続いた』

『明治・大正期の東京の西側はほとんど開発されておらず、人もそんなに住んでいない農耕地だった。だがそれゆえに土地が購入しやすく、鉄道会社は田畑を次々と買い占め、放射線状に線路を敷いて宅地開発を行うことができた』

『高所得者を含めた現役世代が東京の西側に住み、税金をたくさん納め、潤沢な財政を活かして街並みをキレイに整えていく。そして、その街並みやブランドに惹かれた人たちが移住し、街がますます栄えていく。この循環が続くことで開発が遅れているエリアとの格差がますます広がり、沿線格差へとつながっていったのである』

 でも、そうした高所得者だって年老いていく。そうなった場合には彼らはどこへ行くんだろうか。都心のマンションか? 郊外の別荘か? まだ、それは見えていないんだよなあ。

 見えていることはこれ。

『最も定期客の割合が低いのは山手線で62・0%となるが、通勤時間帯に山手線が空いていると感じている人はいないだろう。日中の乗客も圧倒的に多いので、定期券の乗客の割合が下がっているだけだ』

『山手線の定期客の輸送人キロは494億6000万人キロで、常磐線の465億6000万人キロより多い。山手線に何十分も乗るようなケースはあまりないし、常磐線の乗客のほうが長い距離を乗っているはず』

『だが、それでも山手線のほうが多い。どれだけ多くの定期客が山手線にいるかがわかる』

 そういうこと。

 やっぱり山手線を取り上げないで首都圏の電車は語れないんじゃないでしょうかね。

 昔は赤羽線(今の埼京線)が山手線だったとか、常磐線がいまは日暮里駅に行っているけれども、昔は田端駅に行っていたとか。まあ、ベタな話題ですけれども、私なりに知っていることも多い。

 ってなもんで、やっぱり山手線について語ってほしいなあ。

 ああ、山手線最後の踏切ももうすぐなくなりそうだし。

『沿線格差 首都圏鉄道路線の知られざる通信簿』(首都圏鉄道路線研究会:小川裕夫・小林拓矢・佐藤充・常井宏平著/SB新書/2016年8月15日紙版刊・2016年9月1日電子版刊)

2016年8月13日 (土)

山古志闘牛写真を取りあえずUP

 8月3日の山古志牛の角突きの写真が現像UPになったので、取り敢えずいくつかピックアップして載せます。

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 当日撮ったアナログ写真は175カット、デジタルと合わせて236カットだった。

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 このうち、アナログ写真だけを数カットえらんで、9月の24・25・26日に豊島区民センターで行われる「講談社社友会作品展」にて展示します。

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 それに先立ってのネットでの公開ってわけなのだが……

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 当然、ここで掲載されてるカットが選ばれるとは限らない。

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 というか、多分選ばれないだろう。

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 結構、もっともっと迫力のある写真を撮っているのであります。

 それを今から一月半に亘って悩みに悩むんであります。それを数点プリントして、展示します。

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 ということなので、皆さん9月の24・25・26日に豊島区民センターに来てね。豊島区民センターは旧豊島区役所(現在はもう解体してしまっています)の裏、でセンターの玄関のすぐ左の展示室です。

 勿論、講談社の関係者じゃなくても、誰でも入れます。

LEICA M3 LEITZ WETZLAR SUMMILUX 50mm f1:1.4
NIKON F4S AF NIKKOR 80-200mm f1:2.8
KODAK 400 T-MAX, KODAK 400 TX
@Yamakoshi Nagaoka (c)tsunoken

2016年8月12日 (金)

昨日の巣鴨地蔵通り

 毎晩10時ころからリオ・オリンピック、それが翌朝12時頃まで続いて、その後は高校野球。で、高校野球が終わる夕方になって、やっとテレビの前から離れる、っていう生活を送ってしまったら、まったく私は廃人か?

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 てなことを考えながら、旧中山道、今は巣鴨地蔵通りを歩きます。

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 別に昨日は4のつく日じゃないので、お地蔵様の縁日ではない。

 お盆は東京では7月にやっちゃうので、お盆にかかわる人出は少ないはずだ。

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 で、さすがに縁日の日の人出ではないけれども、相変わらず人出は多い。

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 どっちかというと「おばあちゃんの原宿」って程にはお年寄りの姿は見えず、もうちょっと若い人たちが多い。普段は。

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 まあ、これだけ暑くなっちゃうと、お年寄りに外出はキツいかもしれない。

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 それでも元気なお年寄りは出てきて、基本「おばあちゃんの原宿」は健在なんですなあ。

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 ところが最近駅周辺で一番目立つのがこの「APAホテル巣鴨駅前」なんですね。

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 かなりデカいホテルでちょっと違和感。まあ「APAホテル会員」がいう言葉ではないですが。

 今日小ネタでしたね。スマソ。いろいろやらなきゃいけないことがあった日なので。

NKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Sugamo Toshima (c)tsunoken

2016年8月11日 (木)

『早慶MARCH』って、実はそんなに差がないんだけれどもね

<お知らせです>

 楽しいドキュメンタリー映画『厨房男子』が9月10日(土)10時から、名古屋市東区のウィルホールで開催される「あいち国際映画祭」で上映されることが決まったそうだ。当然、高野史枝監督の舞台挨拶もあります。

<本文でございます>

 著者の小林哲夫氏は今や「週刊朝日」の名物になっている「東大・京大合格者高校別ランキング」の編集者である。

 勿論、『高校紛争 1969―1970 「闘争」の歴史と証言』という本も書いていることは知っているし、以前、このブログでも書いたことはある。

 まあ、そこはそれとして、取り敢えず私が出た中央大学からの目を通して、本書を語っていこうか。

March 『早慶MARCH 大学ブランド大激変』(小林哲夫著/朝日新書/2016年7月31日刊)

 テーマは六つ

第1章 早慶MARCHの最新情報
 1 入試(志願者、受験倍率)
 2 学費(初年度納付金)
 3 入試難易度
 4 就職実績

第2章 早慶MARCHの教育、研究、施設を検証する
 1 学部、学科構成
 2 教育の特徴、教育環境
 3 入学者
 4 ロケーション
 5 研究水準
 6 グローバル化
 7 理工系学部
 8 学生支援、福利厚生
 9 学生食堂

第3章 早慶MARCHの学生の生態学
 1 早慶MARCHの学生気質
 2 女子学生のおしゃれ度
 3 スポーツが強い

第4章 早慶MARCHの教育の群像
 1 学術賞、文化賞を受賞した俊英たち
 2 ベストセラー作家、タレント教授

第5章 早慶MARCHの卒業後の進路
 1 早慶MARCH、大学別の取り組み
 2 進路①――公務員
 3 進路②――司法試験、公認会計士試験
 4 進路③――業種別、人気企業別

第6章 早慶MARCHの出身者の活躍を知る
 1 政治家編――慶應2世3世議員の面々
 2 社長編――女性社長で青学、立教が健闘
 3 文化編――校風が出る作家、タレント

 という内容なんだが、まあ、でも早慶はそれぞれ特徴はあるんだろうけれども、それ以外のMRACH(明治、立教、青学、中央、法政)はほとんど差はないだろう。唯一、都心部にキャンパスがない(というか駿河台キャンパスを捨てて八王子に移転した。とは言うものの、法学部だけは再び都心に回帰しますがね)中央だけが少し変かなという感じのものだろう。

『もっとも大規模な移転は、1978年の中央大である。文系学部がまるごと多摩に引っ越してしまう。これによって、中央大の看板学部、法学部は大きく影響を受けた。それまで司法試験合格者で東大とトップを競っていたのが、早慶に抜かれてしまう。中央大の経営者は、優秀な法曹志望者が都心の大学を選んだからではないか、と分析する』

『中央大は多摩移転で司法試験実績が落ちたが、都心にできた法科大学院で盛り返している。法学部も法曹養成意識がかなり強い。法学部の都心回帰(2022年予定)で早慶を凌駕する心積もりがみてとれる。だからといって、法学部の難易度が司法試験実績に左右されるというものではない』

『2022年までに法学部の新キャンパスを文京区・後楽園駅近くに作る。いまの中学1年生(13歳)が大学受験を迎える年だ。これは、司法試験合格実績を高めるためである(3 進路②──司法試験、公認会計士試験参照)。法学部都心回帰1期生が法科大学院に進み司法試験を受けるまでは、いまから最短で12年かかる(移転まで6年+法学部4年+法科大学院2年)。2028年に結果は出るが、そのころ、MARCHという言葉が残っているかは定かでない』

『MARCHのなかでも地方出身者がもっとも多く、多様性に富んでいる。公務員試験、司法試験、公認会計士試験に対する取り組み、まじめさ、結束性の固さは他校の追随を許さない。キャンパスが都心から離れているゆえ、余計なことは考えなくて目標に集中できるからだろう。したがって、自己顕示欲、スマート、チャラさ、そこそこ、イケイケ感というような他校が評されるイメージはない。強いて言えば、無難で手堅いというところだろうか』

『中央大は早慶MARCHのなかでもっとも全国から多くの学生を集めている。それだけ、Uターンして全国各地に就職する学生が多い。また、Iターン組もいる。2016年の地域別就職者数は、北海道・東北91人、東海180人、甲信越96人、近畿343人、四国30人、中国42人、九州・沖縄52人』

『多摩キャンパスゆえ、都心にある企業の会社訪問、面接を数多くこなすのはむずかしい。そう感じる学生もいる。だが、多くは気にならないようだ。都心に集中する企業をいくつも受けるより、地方に足を運べばいいではないか、という考え方だ。これは地方出身者が多い大学の特徴といえるだろうか』

 というか、要はまあ地味なんですね。ところがこの「地味ぶり」っていうのは、実は駿河台にキャンパスがあった時代から、多分MARCH(私の頃はそんな呼び名もなかったけれどもね)の中では一番地味な大学なんではなかったかしら。

 そんな地味な大学が多摩丘陵の奥に引っ込んじゃったんだから、ますます地味になってしまったというのが実情じゃないだろうか。地方から出てきた学生が「自分の故郷の中心街よりもっと田舎」っていう位のものですからね。

 で、もともと地方出身者が多かった中央なんだが、ますます地方出身者が増えちゃったというのが実情じゃないだろうか。

 まあ、ここは法学部の都心回帰というものに期待して、いやいやそれ以外の学部も結構頑張ってますよ、ということだけは言っておこう。

 ただし、マスコミに行きたいんだったらあまりオススメはできませんな。

 でも、相賀昌宏・小学館社長が中央大学出身者だったとは知りませなんだ。成蹊大学卒、中央大学大学院文学系卒らしい。いやいや、ご立派。慶應だとばっかり思っていた。K談社と同じで。

『早慶MARCH 大学ブランド大激変』(小林哲夫著/朝日新書/2016年7月31日刊)

2016年8月10日 (水)

本郷弥生の登山道

 東大農学部と工学部の間、本郷通りと言問通りの交差点は本郷弥生という名前の交差点なんだが、そこの本郷通りの東大と反対側の歩道に変な道がある。

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 以前は木が植わっていたように思うのだが、その木を抜いてしまったあとにできた、変な道。

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 多少周囲の道よりは盛り上がっているところにこんな石段みたいなものが置かれているのだ。

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 なので、私は勝手にここを「本郷弥生の登山道」と名付けた。

 まあ、登山道というほど高い山があるわけでもない単なる植え込みの石段というだけなんですけれどもね。

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 本郷通りを通って、東大図書館か御茶ノ水橋の手前で一服し、神保町まで行くってのが私の定番の散歩コースのひとつなんだが、結構東大のそばには変なものがある。

 この「登山道」もその「変なもの」のひとつなのであります。

 まあ「変な人」が行く学校だからなのかもしれない。

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 夏の暑さにかまけて小ネタですみません。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Hongo Yayoi Bunkyo (c)tsunoken

2016年8月 9日 (火)

本郷東大赤門前・スドウ写真スタジオ

 本郷通りを歩いていると、東大の赤門前にスドウ写真スタジオっていうお店がある。

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 まあ、現在ではあまり見なくなってしまった、昔からある写真屋さん(写真機屋さん)なんですね。

 まあ、今は町から写真屋さん(写真機屋さん)がどんどん消えてなくなっている。たしかにデジタルカメラ時代になってしまってからは、写真をプリントする人はほとんどいなくなってしまって、私もブログに載せる写真はプリントせずにそのままデータで載せちゃうし、普通の人たちも、デジカメで撮った写真は、そのままメールやLINEなんかで友達に送って共有できてしまう時代になってしまった。

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 とは言うものの、私だって「作品」として他人の前に提出する写真は、基本アナログカメラで撮影して、プリントして展示する。まあ、デジタルで撮ってもそれは同じなんだけれども。

 で、このスドウ写真スタジオではアナログカメラの中古品(当たり前か)を今でも大切に販売しているんですよ。いいでしょ。

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 おまけに『「昔の写真」複写・復元』なんてのもやってるんですね。

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 まあ、アナログカメラの販売っていえば銀座って感じで、なんでも今や銀座が世界でも有数のアナログカメラの販売店集積地なんだそうだ。

 でも、こんな駒込駅前のスズキ商事なんてアナログカメラ(一部デジタルもあり)専門店があったり、スドウ写真スタジオみたいなのがあったり、結構、東京はまだまだアナログカメラが息づいている街なんですね。

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 まあ、たまに街を歩いていてもアナログカメラを首から下げた若者なんかもいるしね。

 まだまだ、アナログカメラも捨てたもんじゃありません。

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 で、この主なき事務所はどうなっちゃうんだろうなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Hongo Bunkyo (c)tsunoken

2016年8月 8日 (月)

『残念な政治家を選ばない技術』とインターネッ党

『残念な政治家を選ばない技術』って言ったって、自分が選んだ政治家が残念な政治家になるのか、あるいは満足する政治家になるのかなんてことは、実はその人が政治家になるまでは分からないものなあ。

 ということで、実は本書は「初めから残念な政治家になるのが分かっている人を政治家として選ばない技術」っていうことなのだ。

Photo 『残念な政治家を選ばない技術 「選挙リテラシー入門」』(松田馨著/光文社新書/2016年6月20日紙版刊・2016年7月8日電子版刊)

 テーマは七つ

第1章 当たり前すぎて、誰も言いわない選挙の基本

第2章 どの選挙でどんな人を選べばいいのか

第3章 選挙アレルギーの元凶 公職選挙法

第4章 人はなぜ選挙にいかないのか

第5章 投票相手はどうやって選べばいいのか

第6章 選挙現場悲喜こもごも

第7章 これからの選挙を考える

 というもの。

 ここでは「第4章 人はなぜ選挙にいかないのか」から語り始めてみよう。

『都市部の投票率は、2003(平成15年)は50・45%、2015(平成27年)は44・16%(6ポイントあまりの下落)。それに対し都市部以外の市町村の投票率を見ると、2003(平成15年)は55・57%、2015(平成27年)は46・34%で9ポイントあまりの下落となり、その下落幅は都市部の1・5倍にもなります。全国的な投票率の低下に、都市部以外の投票率の低下が影響を及ぼしていることは間違いありません』

『都市部以外の投票率の低下の原因としては、都市部以外の高齢化率の高さが考えられます。加齢に伴い足が不自由になった高齢者が投票を棄権するケースや、住民票はあるが自宅を離れ介護施設に入っており、施設での出張投票所がないため投票できないケースなどが実際に報告されています』

 それと同時に都市部以外の地区における浮動票の少なさということも、投票率の低下の原因があるのではないだろうか。都市部以外の地区はほとんどが組織票で、「支持政党なし」という人が本当に少ないし、「支持政党なし」の人が投票したくなるような候補者も現れない。そういうことになれば、別に自分が投票行動を起こさなくても、既に誰が当選するかは分かっているんだから、おのずと投票行動をしようという気構えにならないということがあるんだろう。

 これは都市部でも実は同じで、この間の東京都知事選の投票率が59.73%という高率で、その前の舛添氏が当選した平成26年2月9日の選挙の際は46.14%という低さだったのだ。つまり、それは自民党が推す舛添氏が当選することはほぼ「当たり前」という状況では、誰も選挙に行こうなんて気にはならなかったということなんだなあ。

 ところが今回の選挙では小池百合子氏が自民党からイジワルされて、でも自民党が推す増田氏は正直あまり存在感はないし、知事経験者って言ったって所詮岩手の貧乏県知事でしょってなもんだし、野党共同推薦の鳥越氏なんて「この人本当に都知事になるの?」ってな演説ばっかりだったので、「支持政党なし」の人たちが一斉に「面白がり」で小池氏に投票するということになって、浮動票をかき集め、高投票率、高支持率でもって当選しちゃったっていうこと。

 てなわけで、都市部であっても都市部以外であっても、ようは魅力的に見える候補者が無所属で出てくれば「支持政党なし」の人たちが「面白がって」投票行動をとるってことだし、その結果投票率も高くなるってことなんだなあ。

 で、面白いのが著者の松田馨氏、その舛添選挙の時はかの有名な「泡沫候補」である家入一真氏の選挙参謀をしていたらしい。

『「これからの選挙」のことを考えるときに、私が思い出す一つの現場があります。2014年2月9日投開票の東京都知事選挙です。このとき私が手伝った候補者は、ネット界隈では有名な、IT実業家の家入一真氏でした。
 再三書いているように、私の仕事はあくまで「候補者を勝たせる」ことがゴールになります。でもこれまでの選挙プランナー人生で唯一、「勝たせること」以外を目的に手伝ったのがこの選挙でした』

『この〝家入選挙〟では、以下の三つを自分の仕事として意識しました。  
 1 選挙違反を出さないこと  
 2 一人でも多くのボランティア(政治経験のない人)に参加してもらうこと  
 3 参加してくれた人たちが楽しかったと思えること 』

 なるほどなあ、初めから当選しないってことが分かっている選挙では、むしろ逆に「選挙を楽しむ」方法を考えて選挙戦を戦うっていうのも一つの方法だ。

『家入選挙最大の暴挙――いや冒険は、「政策を、自分では考えなかったこと」です。彼は、政策を何も持たずに出馬したとんでもない候補者でした。
 しかし彼はその代わりに、「有権者」にそれを問いかけました。自分にゼロから政策を考える力はない、だからみなさんの意見をもとにつくりますと宣言し、ツイッターのハッシュタグ機能を使って、政策に対する意見や要望を集めたのです』

 ま、これも家入選挙のユニークなところだなあ。とは言うものの、あの時できた「インターネッ党」なんていうふざけた名前の党もいつの間にか無くなっちゃったみたいだし、東京23区の区長選全部に立候補者を出すぞっていう話も、いつの間にか無くなっちゃったみたいだ。

 まあ、家入氏が飽きちゃったんだろうなあ。すぐ飽きる人らしいから。

 とは言うものの、別に私は家入氏に投票したことを反省しているわけではないし、それはそれでいっときの楽しさを分けてくれればいいってことでね。

『残念な政治家を選ばない技術 「選挙リテラシー入門」』(松田馨著/光文社新書/2016年6月20日紙版刊・2016年7月8日電子版刊)

2016年8月 7日 (日)

いたばし花火大会じゃなくて、あくまでも戸田橋花火大会なのだ

 8月6日は戸田橋花火大会なので、先週の隅田川花火大会と同様、マンション屋上での花火見物とは相成った。

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 まだ、夕刻という午後7時から始まった花火大会。先週の隅田川花火大会は、近いんだけれども、いろいろビルが邪魔になって完全には見られない。

 でも、戸田橋花火大会は幸い邪魔をするビルがないので、隅田川よりは少々遠いけれども、完全にみられるってなもんですね。

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 ところで、ある板橋区民から8月6日は「戸田橋花火大会」じゃなくて「いたばし花火大会」だっていうクレームをいただいた。

 まあ、荒川を挟んで板橋区と戸田市の両方で花火大会を同時開催して、盛り上げようっていう魂胆なので、まあどちらでもいいじゃないですか。先日戸田漕艇場の周囲を歩いていた時には、こんな看板を目にしたし。

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 で、私は戸田橋花火大会っていうほうがメジャーかなと思って戸田橋花火大会って言っているだけで……、要は、どちらでもよろしい。

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 この日は豊島園やお台場などいろいろなところで花火大会を開催していて、そのどこでも見られるっていうのが、遠いとところから見る花火のいいところかな。

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 こうやって屋上ガーデンから花火大会を見るっていう寸法。

 まあ、本来打ち上げ花火ってのは近くで見て、その美しさだけでない腹に響き渡る音響なんかも楽しむものだが、小さい子どもがいる家はなかなか花火大会の場所まで行ってみるってのも大変。

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 その点、マンション屋上から見る花火は、終了後もエレベーターで降りればすぐ自分の家だし、小さい子どもがいる家にとってみれば、お気軽に花火大会を楽しめる条件がそろっているので、便利っちゃあ便利。まあ、少し子どもが大きくなってもっと近くで見たいっていうこといになれば花火大会の場所に行けばいい。

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 ってなことを考えているうちに、時間は8時半。花火大会は終了。我がマンションの屋上ガーデンを使用した花火見物も、今年は終了ってことでマル。

 そういえば、花火を見ているうちに屋上ガーデンで鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。まあ、昼間はとても暑いけれども、こうやって秋が近づいてきているんだな。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Hon Komagome Bunkyo (c)tsunken

2016年8月 6日 (土)

ウラウ・コンコースと銀座のカメラ屋さん

「URAU CONCOURSE」って言ったって「ウラウ」なんて場所がないことくらいは知ってます。「ウラワ」じゃないし……。

 本当は「YURAKU CONCOURSE」のYとKがなくなっちゃったまんまなんですよね。

 ところがこのYとKの欠落ってもうだいぶ以前からなかったんだ。なんで直さないんだろう。

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 場所はJR有楽町駅から出て南の方、晴海通り脇のガード下。

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 まるでこんなかんじの「昭和」イメージ・フル充電な飲み屋街なんです。ガード下だけなんで短いけれども。

 まあJR東日本のガード下なんで所有者はJR東日本なんだろうなあ。で、JR東日本としてはいずれこんな古臭い飲み屋街は追い出してしまって、もうちょっとお洒落なカフェ通りとかにしたいから、わざと看板が壊れても直さないのか、あるいはどうせはこの飲み屋街もなくなっちゃうんだろうから、なくなるまでは直さない、ってなもんだんだろうなあ。

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 私もちょくちょくこの飲み屋街で真昼間っからハイボールなんぞをききこまして、「さあ、いまから銀座を撮影にいくぞ」ってな感じで出撃したことがよくありました。

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 でも、結局銀座に行ってもこんなスキヤ・カメラNikon Houseとか……

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 カツミ堂とか……

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 ミヤマ商會とか、三協カメラとか、カメラ屋さんばっかり行ってしまったんだ。

 銀座に撮影に行ったんだけれども、結局はカメラ屋さんばっかり行っちゃうってのは「どうしたもんじゃんろのう」。

 まあ、写真の表現に興味があって写真を撮るのか、カメラに興味があって写真を撮るのかって選択肢なんだけれども、私の場合「カメラ(というメカニズム)に興味があって写真を撮る」ってほうなんだろうなあ。正直言って、「写真の芸術性」ってものにはあまり興味はないものなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Yurakucho Ginza Chuo (c)tsunoken

2016年8月 5日 (金)

『闇ウェブ』も物事には両面性ってものがありまして

 闇ウェブである「シルクロード」の話は知らなかったが、「不倫サイト」であるアシュレイ・マディソンの事件は聞いたことがある。

『アシュレイ・マディソンは「人生は短い。不倫をしましょう」との謳い文句を掲げ、全世界に三七〇〇万人のユーザーを抱えていたが、二〇一五年七月に「インパクト・チーム(Impact Team)」を名乗るハッカー集団からサイバー攻撃を受け、膨大な会員の個人情報が盗まれていた。
 会員情報を盗み出したインパクト・チームは、アシュレイ・マディソンを運営するカナダのアヴィド・ライフ・メディア社に対して、サイトの永久閉鎖を要求したうえで、こう警告していた。
「この要求が飲まれなかった場合、我々は全顧客の記録、プロフィール、彼らの性的妄想、ヌード写真、会話、カード決済、実名、住所、そして従業員に関する文書とメールアドレスを公開する」
 だが、アヴィド・ライフ・メディア社が取引に応じなかったため、インパクト・チームは八月一八日に同社へ「時間切れ」を伝え、会員情報をインターネット上に公開した』

 そして、アシュレイ・マディソンに登録していた女性のほとんどがサクラだったってオチもある。つまり、アシュレイ・マディソン事自体もほとんど闇ウェブみたいなものじゃないか。

Photo 『闇(ダーク)ウェブ』(セキュリティ集団スプラウト〈高野聖玄・岡本顕一郎・宍戸ラファエラ・江添佳代子・西方望〉/文春新書/2016年7月20日刊)

『現在、インターネットの世界は三つに分かれている。
 世界中の誰もがアクセスできる自由な空間と、限られた一部の人だけが触れることのできる空間、そしてサイバー犯罪者たちが跋扈する闇の空間とに』

『ディープウェブに存在するウェブコンテンツの大半は、インターネット・ユーザーの多くにとって馴染みのものだ。「Gメール」や「ホットメール」といったウェブメール、「楽天市場」や「アマゾン」といったECサイトのマイページ、「フェイスブック」や「ツイッター」といったソーシャルメディアの非公開ページなどがそれに当たる。
 これらのサービス自体は検索エンジンの収集対象だが、IDとパスワードを使ったログイン(認証)が必要な個々のウェブコンテンツまでは辿り着けない。他にも、有料のニュースサイトや動画配信サービス、学術データベース、税申告サイトなども同様だ。こういった限られた人だけがアクセスできる認証下のウェブコンテンツが、ディープウェブの大部分を占めると考えられている』

『そして、一般的な検索エンジンでは見つけられないディープウェブのさらに奥底にあるのが「ダークウェブ」である』

『まずダークウェブと他の空間との大きな違いは、そのアクセス方法にある。サーフェイスウェブもディープウェブも、基本的にウェブブラウザーがあればアクセスすることができる。しかし、ダークウェブは専用のソフトウェアによる通信方法でないとアクセスできない空間だ』

『現在、主に使われている通信方法としては、「Tor(トーア(6))」「I2P(7)」「フリーネット(8)」の三つが挙げられるだろう。この三つはそれぞれ独立したネットワークの空間であり、Torを使えばTorのネットワークのみにだけ、フリーネットを使えばフリーネットのネットワークのみにだけ繫ぐことができる。  そして、ダークウェブで最も広く使われているネットワークがTorである』

 で、その闇ウェブで扱われている商品ってどんなものなんだろうか。

『シルクロードや類似の闇サイトで取り扱われている「違法商品」は多岐にわたる。まず、量として最も多いのが麻薬関連だ』

『取り扱っている種類も、マリファナやハシシなどのソフトドラッグにはじまり、ヘロイン、コカイン、メタンフェタミン(覚醒剤)、LSDといったハードドラッグや睡眠薬、向精神薬といったものまで幅広い。基本通貨は「ビットコイン」である』

『その他にも、偽造パスポートや偽造免許証、世界各国の偽札、盗難品である貴金属、銃器といった物品から、流出情報、詐欺商材、ハッキングツール、未発表の脆弱性情報(コンピューターやソフトウェアに潜む、プログラムの不具合や設計ミスが原因のセキュリティ上の欠陥に関する情報のことでサイバー攻撃などに悪用される)、違法ポルノといったデジタルデータ、サイバー攻撃や殺人依頼の請負サービスといったものまでが、いたるところで当たり前のように取り引きされている』

『使われている言語は、英語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語が主で、日本語のサイトはまだ少ない』

 そんな闇ウェブだが、最初からそんな犯罪目的ではなかったという。

『ただし、ダークウェブで活動しているのは犯罪者やテロリストたちばかりではない。前述したとおり、TorやI2Pには、そもそも独裁政権下で弾圧された活動家やジャーナリストたちが監視の目を逃れるために利用してきたという背景がある。そういった人たちが外部からの圧力に屈しないため、ダークウェブ上にウェブサイトを構築しているケースも多い』

 でもまあ、そんな便利さが自らの姿を隠してビジネスを行いたい犯罪者たちが、これは俺たちも使えるってな具合に感じて使い始めたんだろう。

 要は拳銃が悪いのではない、拳銃を使う人間が悪いのだ、という論理なんですね。まあ、確かにその通りではあるのだけれども、そんな犯罪者たちでも使えてしまえるくらいに脆弱性をもった技術でもあるってことなんだなあ。

 まあ、同じハッカーでもブラック・ハッカーとホワイト・ハッカーがいるみたいに、闇ウェブであってもブラックとホワイトがいるわけで、「独裁政権下で弾圧された活動家やジャーナリスト」といっても、弾圧された活動家やジャーナリストにとってみればダークウェブも決してダークじゃないんだけれども、独裁政権側からみれば十分ダークなんだよなあ、という物事の両面性の問題なのだ。

 独裁政権側にしてみれば、自分たちは善政を行っていて、それに反発する活動家やジャーナリストの方が問題なのだ、というそれこそ共産主義時代の「プロレタリア独裁が是か非か」という問題くらいに微妙な問題だ。

 自分たちが悪いことをしているんだという闇ウェブ業者がいればまだ問題はないが、自分たちは善いことをしているんだと考えている闇ウェブ業者だったら、もう、まるで問題にならないくらい大問題だ、ってことになってしまう。

 まあ、物事の両面性の問題だって言っちゃえば、そう言えるんだけれどもね。

『闇(ダーク)ウェブ』(セキュリティ集団スプラウト〈高野聖玄・岡本顕一郎・宍戸ラファエラ・江添佳代子・西方望〉/文春新書/2016年7月20日刊)

2016年8月 4日 (木)

今年初めての闘牛は「長岡まつり 牛の角突き」ただし、別の目的があり

 毎年、5月の連休に行われている初場所に行っている「越後の牛の角突き」なんだが、今年は長岡まつりの8月になってしまった。

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 まあ、今年は5月にいろいろ予定が重なってしまって、闘牛見物に行ける日が見当たらなくなってしまったというのが第一の理由なんだが。

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 まあ、相変わらず毎月、闘牛は行われているわけですね。でも、なんで8月なんだろう。

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 昨日は「長岡まつり」に協賛した牛の角突きなので、取り組み数は普段とは若干少なめの11番。鼻に綱をつけたままの若牛の試合から、横綱同士の真剣勝負まで、少ない取り組みながら、それだけ集中した角突きが行われた。

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 周りはブナ林に取り囲まれた山の上。といっても気温は30°以上の暑い中の取り組みなので、牛も大変……

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 勢子も大変なんだが……、なんかイマイチ迫力のない写真でスマソ。

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 その理由は、9月24、25、26日に開催される講談社社友会の作品展に提出するための撮影行だったからなのだ。

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 ああ、えー、この写真は全部デジタルなんだが、作品展に出す作品はすべてアナログ/モノクロで撮ってます。

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 いいでしょう。ブログ用にはデジタルで、「作品」のためにはアナログでっていう使い分けも。でも、一眼レフ2台(望遠ズーム付きアナログと標準ズーム付きデジタル)、距離計連動1台(当然アナログ)ってのも、結構重たくて大変だなあ。

 ということなので、もっと迫力ある写真を見たい方は、9月24、25、26日に豊島区民センターで開催される「講談社社友会作品展」までお越しください。もっともっと迫力のある写真がある(はず。まだ現像していないのでわかりません)なので……。

 私は、多分受付を命じられているはずです(まだ「社友会では若手」なんだそうですので)。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.4-4 D @Yamakoshi Ngaoka (c)tsunoken

2016年8月 3日 (水)

『Magnam Photos』はマグナムのカタログでもあるんだな

 昨日は小池百合子新東京都知事の初登庁から記者会見まで(テレビで)付き合っちゃって、夕方からしか外出していないので、6,000歩ちょっとしか歩いていない。どうした「毎日10,000歩」は?

 でなことはどうでもよくて……。

 マグナム・フォトはアンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・キャパ、ジョージ・ロジャー、デヴィッド・(シム)シーモアの4人によって設立されたフォト・エージェントである。写真通信社っていているけど、写真エージェントというほうが正しいよな。

Photo 『マグナム・フォト Magnam Photos』(野村春久訳/創元社/2011年7月20日刊)

『第二次世界大戦と呼ばれる黙示録が終わった2年後、マブナム・フォトは創立された。この世界で最も権威のある写真通信社は、戦争によって傷つきそして世界はかろうじて生き延びたという安堵感とこの世界にまだ残されているものを見たいという好奇心に動かされた4人の写真家によって作られた。彼らは人間としてまた写真家としての独立した性質とマグナムを規定し続けているレポーターと芸術家の特異な混合を反映するためにマグナムを設立し、見られたものだけでなく人がそれを見る方法も強調した』

 アンリ・カルティエ=ブレッソン『キャパは私に言った。『シュルレアリストの写真家のレッテルを維持するな。フォトジャーナリストであれ。もしそうでないならお前はマニエリスムに落ちいるだろう。お前の小さな胸にシュルレアリストは秘めて置け。友よ、躊躇するな。行動せよ。』この助言は私のヴィジョンの分野を拡大した』

 ジョージ・ロジャー『かれは速くて使うのに静かな小さなカメラのユニークな性質、そしてまた戦争が生んだ感情過剰と接触した時代に私たちが獲得したユニークな性質を認めた。彼は小さなカメラと大きな心のこの結合に私たちの未来を見た』

『主にパルとニューヨークを基点とし、さらに最近ロンドンと東京オフィスが加わった通信社は、ふたつのかなりラディカルな方法で、因習的な実践から離れた。それは創立者マリア・アウスナーとリータ・ヴァンデヴァートを含むスタッフがダイレクトに写真家を支え、作品を出版する出版社ではなく著作権がイメ0ジの著者によって保持される会社として設立された。これは写真家がある場所の飢饉をカヴァーすることを決定すること、「ライフ」にその写真を発表すること、そして「パリ・マッチ」や「ピクチャー・ポスト」などの他の国の雑誌に写真を売ることができること、また契約がなくても彼らに特に霊感を与えたプロジェクトで働く手段を写真家に与えることを意味した』

 つまり、マグナム・フォトが設立されたころは、まだ写真の著作権が写真家にあるなんていう現代の常識は確立されてはおらず、結局、その写真が掲載された雑誌にすべての権利が存在するっていう時代だったのだ。そこにマグナム・フォトは「写真家の著作権」を掲げて登場したわけだ。

 しかし、当時はグラフ・ジャーナリズムが全盛の時代だ。写真家が世界のどこかに行って写真を撮ってくれば、それを発表する媒体はいくらでもあった時代だったのだ。

『創立後5年間にマグナムはまた才能のある新しい写真家たちを会員に加えた。イヴ・アーノルド、バート・グリン、エリック・ハートマン、エレック・レッシング、マルク・リブー、デニス・ストック、クリン・タルコスである。リブーはすぐに中国を撮ったパイオニア的写真家であるカルティエ=ブレッソンのあとに続いた。それは生涯の関心となった多くの旅の最初だった。アーノルドはブラックムスリムの写真の記憶に残るシリーズを撮った。一方タコニスはアルジェリアの独立戦争をカヴァーした。そしてすぐにルネ・ブリ、コーネル・キャパ(ロバートの弟)、エリオット・アーウィット、インゲ・モラスが参加した。通信社は成長した。しかし、悪い方向に進んでいるという感じがあった』

 1970年代まで、まだまだ雑誌は写真家にとってはメインステージだった。

 しかし、その後次第に雑誌が写真家のメインステージではなくなっていく。

『マグナムの写真家たちがテクスト、本、展覧会のデザインの実験を始めたとき、彼らの写真言語もまた進化し始めた。多くの人々にとって、マグナムの創立者たちが信じた直截的な証言は、おはや写真を写真家の視点を犠牲にして編集者とアート・ディレクター、政治家と映画スターの視点を例証するためにますます使うようになったメディアの浸透した世界では十分ではなかった』

『マグナムの過敏な全ての個性とともに、また異なった見方の試みに内在するあらゆる困難とともに、通信社が50年間いかに苦労して生き延びてきたか、多くの人は不思議に思っている。非常に少数の会社がその長寿のために注目されている。その特異性において、また保守主義の拒否において、マグナムは他の写真家たちに与えた彼の痛烈なメモのひとつで言った。「永久の革命をいきよ……」』

 ということで、本書にはABC順に72名のマグナムに参加している写真家の写真が、一人一葉ずつ掲載されている。

 そのうち一人だけ日本人の写真家のものが載っている。

 久保田博二、1939年生まれ、小田原に住む。1962年早稲田大学政治学科を卒業し、研究を続けるためアメリカへ行った。1965年からフリーの写真家となり、1968年日本に住むために帰国。1978年に北朝鮮、翌年に中国を写真に撮り始めた。日本で、1970年の講談社出版文化賞、1982年の日本写真家協会最優秀賞、1983年の毎日芸術賞を含む多くの賞を受賞。ほとんどのアジアの国で写真を撮り続けており、特に人口の爆発の結果、貧困、世界の急成長する地域における環境破壊に興味をもっている。最近の本は、日本を撮っている。

 1971年マグナム参加、1986年から会員である。

『マグナム・フォト Magnam Photos』(野村春久訳/創元社/2011年7月20日刊)

2016年8月 2日 (火)

東京周縁部を往く・彩湖道満グリーンパーク

 7月25日のブログで紹介した戸田漕艇場をそのまま西進して幸魂大橋を過ぎると、東京ヤクルトスワローズの二軍球場なんかがあるんだけれども、その前を通り過ぎると「彩湖道満グリーンパーク」という公園がある。

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 基本的には、テニスコートや……

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 野球場、サッカーコート、陸上競技場なんかがあるスポーツ公園なんだけれども……

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 あるんですねえ「戸田マラソンコース」ってのが。

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 で、このマラソンコース、サイクリングもできるんです。ラインの左側がウォーキングやジョギングで、右側がサイクリング。

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 で、ついついスピードを出したくなっちゃうサイクリスト対策として、子供たちの遊具がある場所にはちゃんと「徐行」の看板が。

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 西端の土手に上がる短い坂を上がると……

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 武蔵野線が並行して走ってます。

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 で、いかにもこの彩湖道満グリーンパークが、実は荒川第一貯水池として作られたというのがわかる「荒川貯水池機場」なんていう建物の脇を降りていくと、彩湖の反対側(荒川側)に行きます。

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 こちらはいろいろなグランドがある反対岸とは異なって、多少はワインディングしていて雰囲気はある。

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 で、ここが反対岸に戻る橋。

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 橋を渡ると起点に着きます。

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 で、一周4.7kmの周回コースになるわけですね。

 荒川河口から 国営武蔵丘陵森林公園までつながる荒川サイクリングロードの脇にあるということで、以前はよく走っていたコースだ。歩いて一周したのは昨日が初めて。う~ん、パレスサイクリングよりは少し長いし、涼しくなったら走りに来ようかしら。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8G @Saiko Doman Green Park Toda (c)tsunoken

2016年8月 1日 (月)

『ウェブでメシを食うということ』に同感!

 まあ、小池百合子氏が当選ってのはわかっていたんだけれども、午後8時の選挙速報の開始と同時ってのも、多少その可能性を感じていたのは事実だとはしても、まあちょっとはビックリってなもんでしょうね。ちなみに私は基本は小池氏に投票しようかと思ったんだけれども、皆が投票する小池氏じゃ面白くなかったんで上杉隆氏に投票しました。まあ、いつもの「死に票」ってことで。

 で、ここからが今日の本題。

 やっぱり中川淳一郎氏と言えば、あの名著『ウェブはバカと暇人のもの』(笑)でしょう。

 ってことで、このブログではほとんど名著『ウェブバカと暇人のもの』について書きます。つまり、『第4章 開き直りからの逆襲 ~『ウェブはバカと暇人のもの』舞台裏』ですね。

Photo_2 『ウェブでメシを食うということ』(中川淳一郎著/毎日新聞出版/2016年6月30日刊)

 そういえば「Web2.0」って言葉も懐かしいなあ。あの頃は、一般人もこれからはマスコミと対等にモノが言えるんだと思っていたんだよね。って、出版社の人間はマスコミ(ミニコミ? ミディコミ? う~ん出版社の立ち位置って難しいなあ)なんだろうか、なんてところから考えていた。

『一応はニュースサイトを始めた時は「Web2・0」に期待をしていたわけだし、ついに一般の人々がマスメディアと対等にモノを言えると思っていたのに、結局圧倒的なアクセスを稼ぐブログはテレビ出身の有名人だらけなのだから』

『まさに、ブログを中心としたネットの世界から、新たなる潮流が生まれる期待が最高潮に高まったのが、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』(2006年2月)から2年後の2008年だったのだ』

 でも結局は……

『ほんの少し前まで「日本のグーグル」とも呼ばれ、書評やガジェット系のネタを出すほか、活発な議論が各所で行われていた「はてな」関連サービスのユーザーの存在感は薄まっていく。彼らの書くものや、「はてなブックマーク」の数は変わらないものの、芸能人の参入により、「難しいことなんて考えたくないよぉ~」的な若者たちがネットの書き込みのかなりの部分を占めるようになっていくのである』

『私が主張したのは「結局ネットで流行る話題はテレビ発のものだし、テレビの人気者がPVを稼ぐ。だから、我々はテレビのコバンザメでいい」ということだった。また、エゴサーチが目立つネットではいかにして誰かを怒らせないかが重要、それをしないとメディアが立ち行かなくなる、というまったく希望のない話をした』

『私が述べたことは「テレビが大好きな単純バカが集まるクソ空間になってきた」という話と「何か怒ることができる対象を見つけ、集団リンチをしたい人々が血眼で『獲物』を探す場所になってきた」ことに加え「関係者が必ずネガティブなネタを発見し、クレームをつけてくれるので自由にモノを言えない。炎上・裁判は怖い」という全面的に後ろ向きの話だらけだった』

 ということで、企画した相手があの『さおだけやは何故つぶれないのか』の担当編集者だった柿内芳文氏(当時、光文社、現在、星海社)だったってのが、ある種運命的ですよね。

 で、柿内氏との打ち合わせで、中川氏が言われたことは……

『一つを指し「これにしましょう」と言われた。それが「ネット敗北宣言」という企画だった』

『意図としては、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』の真逆を行くという本である。同書はいわば「ウェブユートピア論」「ウェブ万能論」であり、私が書くのは「ウェブのネガティブな側面」とともに、結局ネットはあくまでもツールであり、使う人間の能力次第であることが多いということだ』

『ならば私はそうではなく「普通の人・バカ」にとってのネットの真実を書きたいと考えた。むしろそちらの方が多数派なわけで、なぜそのような本が今までないのかを疑問に思っていたのだ』

『私の感覚としては常識的に振る舞いさえすれば特に炎上することはないし、それなりに面白いものは評価される世界だと思っていた。無駄に期待を煽るのではなく、いったん2009年前半のインターネットの広大な平野に広がっている世界を総括し、そこから判断材料となる書籍を提供できればいいと考えた』

 で、その本の構成はおおよそこんな形。

『■プロ、企業にとってネットは自由な場ではない
■自由な場であるのは、カネ稼いでいない人だけ
■何をやってもどうせ嫌われるので、コメント欄は「もう見ない」が良い対応
■企業は炎上恐れ過ぎ。最大の対策は「上司に報告するな」
■実家に帰ると面白いほどにネットで起こっていることを知らない。やっぱり周辺のネッ トを使って仕事をしている人たちのみのオタクの世界なのでは? 企業のネット関連担当者はネットこそすべて、と思いがちだけどね……。
■サエコが嫌われる理由──ダルビッシュを夫にしたから。「あんたごときがキッ!」と いうことだろう。これも単なるやっかみ。
■本当にみんな、リンチしたい相手がほしいだけ
■オレたちの方向転換──ネットでスキャンダルはウケない、やってはいけない、ということである。オレたちは一抜けする
■事実を書いているからOKだろう、ということではなく、書いたことでもうアウト、というリスクがネットは非常に高い。ということは、もはやムリ。
■企業サイトはつまらない(あしたのハーモニー……WEBを見せるためのTVCMはナンセンス)。サイトアクセス人数54万人ってそんなに多くないのでは?
■一つ一つのことばに気を遣わなくてはいけない(お通しについて書くにしても、「居酒屋業界の暗部」などと書くのはムリ)。
■比喩は使わない方がいい。なぜか、そこが『叩き』の元になる』

 まあ、要は「炎上」なんてことは恐れずに、好きなことを書けばいいのであるが、自分が芸能人でもないのに「炎上」を恐れるブロガーが多いことを嗤っちゃうんですね。

 もうイケダハヤト氏なんかは、最近は高知に引っ越して、「まだ東京で消耗してるの」なんて、もう初めから「炎上」を期待しているようなブログを書き散らしている。まあ、この人の場合は「炎上マーケティング」を意識的にやっている人だから、それでいいけれども、でもそれでイケダハヤト氏の生活が厳しくなっているかというと、全然そうじゃなくて、むしろ豊かになっているんだよね。

 まあ、企業のWebなんかで「炎上」を怖がるのは分からないでもないが、それは外部要因じゃなくて、「炎上しちゃうと社内で突き上げを食っちゃう」っていう内部要因でしょ。なので、そんなものを無視しちゃえば「炎上上等」ってなってしまって、無視してもいいような状況になってしまうってことなんですね。

『ウェブはバカと暇人のもの』を読んだ頃には、私もまだサラリーマン・ブロガーだったから、多少は「炎上」を怖がっていた時期はあったんだが、今から考えてみると、なんてバカなものにこだわっていたんだろうという気にもなる。

 所詮『ウェブはバカと暇人のもの』だと考えちゃえば、そんなウェブで大騒ぎするような連中は、結局、ウェブの中だけでしか物が言えないダメな連中なんだってことがわかってくるんですけれどもね。

『ウェブでメシを食うということ』(中川淳一郎著/毎日新聞出版/2016年6月30日刊)

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