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« 『脳が壊れた』って、要はチャランポランに生きた方がいいってことですね | トップページ | 『3びきのかわいいオオカミ』ネタバレです »

2016年7月15日 (金)

板橋に稲荷台遺跡というのがあった

 旧中山道板橋宿の仲宿を過ぎて……

Dsc_00371

 環七沿いを右に行くと……

Dsc_00412

 板橋区立加賀小学校の前に出る。

Dsc_00052

 と、そこにあるのは「稲荷台式縄文文化遺跡」の碑と説明板。

 稲荷台遺跡ってなんだ?

『稲荷台遺跡(いなりだいいせき)は、東京都板橋区稲荷台にある縄文時代早期の遺跡。
1937年(昭和12年)、当時の稲荷台小学校(現在の板橋区立加賀小学校)前の地中から少年が土器を掘り出したことから遺跡の存在が確認された。1939年(昭和14年)から本格的な発掘調査が実施され、褐色土と関東ローム層の間から、器面全体に縦の撚糸文が施された尖底土器が発見され、出土した地層や一緒に出土した既知の他形式土器の推定年代より、当時としてはもっとも古い時期に相当する縄文式土器であるとして注目された。現在は加賀小学校前に記念碑が残るだけであるが、発見された土器と同形式の土器は「稲荷台式土器」と呼ばれている』(Wikipediaより)

Dsc_00072

 板橋区教育委員会の説明板によれば。

『稲荷台遺跡は、昭和12年(1937年)当時15歳の少年によって発見され、昭和15年に現在の加賀小学校の一部にあたる部分が発掘調査されました。
 この調査では縄文土器の破片や石器が発見されましたが、その土器は縄を軸に巻いて転がすことにより文様をつけた撚糸文土器というもので、当時日本では最古の土器として脚光を浴びました。
 その後、研究の進展などにより「最古」という位置はゆずりましたが、今も縄文時代早期(約九千年前)の関東地方の標準形式「稲荷台式」として全国に知られています。
 昭和59年度、板橋区教育委員会は加賀小学校(当時稲荷台小学校)の敷地を、区の文化財として登録しました』

 とある。

 ただし、周囲を見渡しても遺跡のようなものは何もなく、あるのは碑と説明板のみというのも、ちょっと寂しい。

 なんか、再現した竪穴式住居なんてのがあれば面白いんだけれども。

Dsc_00382

 確かに、ちょっと歩けば石神井川があって、水場にも困らない高台ということで、縄文人はこの場所に集落を開いたんだろう、ということは7月3日のブログ「都立城北中央公園の栗原遺跡」 と同じ位置関係になるわけで、あまり長い流域ではない石神井川も支流の藍染川(王子~田端~谷中を流れていた)も含めて、ずいぶん文明と近しいところにあった川なんだなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Itabashi Honcho Itabashi (c)tsunoken

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