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2016年7月

2016年7月31日 (日)

隅田川花火は屋上ガーデンで

 7月30日は隅田川花火大会の開催日ということで、我が家のマンションは屋上庭園があるので、そこを利用して毎年花火大会見物をおこなっている。

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 まあ、駒込病院がちょっと邪魔してるんだけれども、隅田川花火の第一会場の花火も、大きいものは見える。

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 第二会場の方は第一会場よりは見えるんだけれども、ちょっと遠いんだよなあ。

 なので、みんな第一会場の方を見るんですねえ。

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 昨日はおおよそ30数名の人が隅田川花火を見物しました。

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 まあ、実を言うと隅田川花火は前座みたいなもので、来週の戸田橋花火大会の方が本命だ、ってことは昨年知ったんですがね。

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 昨日も上尾だか、大宮だかの花火大会や、越谷の花火大会の様子も、ちっちゃいけど見えたので、それなりに来た方々の満足度はあったようだ。

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 で、来週末は戸田橋花火大会だ。

 昨年、隅田川よりは遠いんじゃないかと危惧した戸田橋花火だったんだけれども、実はこちらのほうが花火も(遮蔽物がないので)よく見えて、結構近いんだってことが分かった。

 ということなので、来週末(8月6日)は戸田橋花火でさらにヒートアップします。

 私のブログ読者で見たい人があればご連絡ください。

2016年7月30日 (土)

『疑惑のチャンピオン』っていうタイトルにはちょっと違和感があるんだなあ

 7月2日のツール・ド・フランス開幕日と同じ日に日本で公開された映画なんだけれども、24日にツールが終了してしまったので、それに合わせて今週末で公開を終える劇場が多いことにちょっと残念。

 まあ、意味は分かるんですがね……。日本じゃサイクルロードレースはせいぜいJ SportとかNHK BSで放送する程度の番組でしかないので、ツールと同時に映画の公開も終わってしまうんですね。

 ところがヨーロッパではサイクルロードレースはサッカーの次くらいに人気のあるスポーツだし、だからこそドーピングなんて問題が大きく取り上げられる。「サイクルロードレースとドーピング」っていうのは、日本で「力士のタニマチがヤクザだった」っていうのと同じくらいに大きな問題になってしまうんですな。

 ところが日本じゃサイクルロードレースなんて実にマイナーなスポーツでしかないので、ドーピングが問題になるほどの盛り上がりはないし、だいたいドーピングをしてまで勝ちたいという選手もいないんだ。日本のサイクルロードレースのあるチームのスポンサーになっている梅丹本舗っていう会社の製品にドーピングに使われるモノが含まれていたっていうのが、今年話題になったんだが、多分知っている人はまずいないんじゃないかな。

 このサイクルロードレースに対する社会の扱いの規模の彼我の違いをまず理解していないと、この映画に対する評価も違ってくる。

Photo 『疑惑のチャンピオン "THE PROGRAM"』(STUDIO CANAL・WORKING TITLE /原案:ディビット・ウォルシュ "Seven Deadly Sons : My Pursuit of Lance Armstrong"/脚本:ジョン・ホッジ/監督:スティヴン・フリアーズ/主演:ベン・フォレスト〈ランス・アームストロング〉、ジェシー・プレテンス〈フロイド・ランディス〉)

 ということで、私はまず『疑惑のチャンピオン』っていう邦題から、「なんかなあ」感があるのだ。

 原題は「THE PROGRAM」、つまりドーピングということ自体が、既にサイクルロードレース・チームではチームのプログラムとして組み込まれているっていうことを表しているんだが、邦題の「疑惑のチャンピオン」ってなってしまうと、まるでランス・アームストロングだけがドーピングに手を出しているみたいになってしまう。根本の問題はサイクルロードレース自体がドーピングと大きな関係のあるスポーツだってことなんだ。

 だいたい、ランス・アームストロングが真っ黒けのケだっていうことは皆知っていたんだが、なんとかそれをうまくすり抜けてきたっていうだけのこと。ガンからの生還者っていう病み上がりが、過酷な三週間にわたる三大ツールに復帰してきて、なおかつ七連覇しちゃうっていうこと自体が、充分ドーピングを疑われても仕方のないことなんだ。

 ガンになるまでは、もともとアイアンマン・レースをやっていたランスなので、自転車選手としては余計な筋肉が体についていたのが、ガンになったおかげでその筋肉が全部落ちちゃって、今度は自転車トレーニングだけして復帰したので、登りにも強い選手になったというのが、「ランス神話」なんだけれども、まあ、別の理由もあったというわけで……。

 更にランスがアメリカ人だっていうこともフランス人にとっては目の敵ではあったようだ。つまり、サイクルロードレースっていうヨーロッパ発祥のスポーツに新大陸の人間が出てきて勝ってしまうっていうこと自体がヨーロッパ人にとっては許せないこと。それもフランス人最大の誇りであるツール・ド・フランス七連覇ですよ七連覇。一回ぐらいの優勝だったら許してくれるんだが、七連覇もされちゃったらフランス人のメンツが立たない。なので、ランスのドーピング疑惑も一番最初はフランスで立ち上がった。あまりにも強すぎたアメリカ人がフランス人の嫌米心理に火を点けてしまったのだ。

 しかし、選手の間からはドーピングが話題になることはない。つまり誰かのドーピングをあげつらってしまったら、次は自分が標的になってしまうのだ。要は、過去一度もドーピングに手を出したことがない選手はいないっていうことなんだろう。

 なので、だいたいドーピングの調査は「違法薬物」っていうことで警察がまず手をつけて、その結果薬物が出てくると、UCI(国際自転車連盟)やWADA(世界アンチドーピング機構)に提訴するっていう順番。映画の冒頭で出てくる「フェスティナ事件」がそれ。

 ただし、UCIはどちらかというと選手に立場が近い。つまり、ドーピング調査で選手がどんどんクロになってしまっては、観客が注目する選手が出場できなくなってしまって、サイクルロードレースっていう興業がおこなえなくなってしまう。そうなってしまえばUCIの存在そのものにも関わってくる問題なので、UCIとしてはちょっと腰が引けてきてしまうのだ。

 WADAにしたって、別に自分たちの組織は警察権を持っているわけではないし、強制力は持っていないので、とりあえずUCIにゲタを預けちゃうわけですね。で、UCIは上のような感じなので力は出さない。

 ランスのドーピング告発も結局フロイド・ランディスが行って、USADA(アメリカ・アンチドーピング機構)が、まあランスは引退しちゃったんでまあいいかなってなもんで、それじゃあって状況証拠を徹底して集めて、UCIに提訴し、UCIもいやいや認めざるを得なくなってしまった、というのが真実だろう。

 この映画で初めて知ったことは、ランスがUCIにワイロを出していたっていうこと。ランス自身は現役選手時代500回を超すドーピング検査をおこなってきて、そのすべてに「シロ」判定が出ていたんだが、そのウラにはそんな事実があったんですね。まあ、それじゃあ何度ドーピング検査を行っても「シロ」判定しか出ないわけだ。

 まあ、どうでもよいことなんだけれども、エンディング・クレジットのテキサス・ユニットの中でアレックス・キンタナっていうカメラ・オペレーターだかなんだかを発見したのには笑えた。キンタナですよキンタナ。

 ランスのドーピングの問題に関しては、当ブログでも過去何度か触れているのでそちらもご参照ください。

2010年7月8日「今度はランディスがアームストロングを…何を今更昔のことを掘り起こすのか?」

2012年6月15日「ランス・アームストロング氏のドーピング違反の正式判定」

2012年7月3日「『ランス・アームストロング氏のドーピング違反の正式判定』に対する批判に応える

映画『疑惑のチャンピオン』は丸の内ピカデリー他で公開中。

公式サイトはコチラ

 コチラもご参考に。まあ、サイクルロードレースとドーピングの深いつながりが読んでとれます。

2016年7月29日 (金)

梅雨明けの六義園

 やっと長い梅雨が明けた……、ということで六義園に行ってきた……、ったって家の前なんですけれどもね。

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 でも、こんなのや……

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 こんな、いかにも六義園でございます、ってな写真じゃ面白くないので……

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 ちょっと今日は深山幽谷風の雰囲気をお届けしましょう。

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 なかなかいいでしょう。

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 ここまでくると、

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 太陽の光は樹々で遮られて、それほど暑くはないです。

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 蝉時雨が聞こえてくるでしょうか?

 最後は藤代峠から我が家を写して、おしまい。

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 まあ、暑い日だったんで、脳味噌が緩んでおります。ちょっとお許しください。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Rikugien Bunkyo (c)tsunoken

2016年7月28日 (木)

『くるくる自転車ライフ』ってもう、みんなはまるベタな展開でもう

 こやまけいこさんっていう漫画家はしらなかってけれども、ここまで典型的な自転車バカが誕生するのも面白い。

Photo 『くるくる自転車ライフ』(こやまけいこ著/イーストプレス/2012年8月22日紙版刊・2013年12月26日電子版刊)

 こやまさんは「すき間漫画家/イラストレーター」、その相方はフリーランスのCG屋さん。

 まあ、この辺から、もうなんか展開が読めちゃうもんね。

『女子がスポーツ自転車を始める場合、彼氏や旦那さんの影響が大きいようですが、うちは逆でした』

 ところが、相方がこやまさんに先立って自転車に試乗してしまい、購入を決めてしまうのでした。

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 相方はガジェット好き……、ていう時点でこれは決定的なんですね。

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 悩んだ末に、ふたりが買った最初の自転車はBD-1。

 ところがこやまさんは普通に乗っているだけなのに、ガジェット好きの相方は『ギアを9速火、クランク、ホイール、ハンドルなどがカスタマイズしまくって、今や純正品はフレームくらい』って具合に、実は自転車ってどんどん自分でカスタマイズできちゃうんですね。そのカスタマイズの沼にはまってしまうと……。

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 3カ月後、ロードバイクデビューってなことになってしまう。

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 その後は、深夜のグランツールにはまり、ジャパンカップにはまり、ツアーオブジャパンにはまり、ついには自分がレースデビューしちゃうって言う具合に、私もはまっていったなあ。

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 で、『ロード用のビンディングシューズは、すべって歩きづらいので、自転車を降りると、みんなペンギン歩きになります』なんてベタなネタに走っていくのです。

 う~ん、なんか自分を見ているようで「面白ツライ」。

『くるくる自転車ライフ』(こやまけいこ著/イーストプレス/2012年8月22日紙版刊・2013年12月26日電子版刊)

2016年7月27日 (水)

横浜市西区平沼商店街は横浜道

 横浜駅東口を出て西の方に向かって歩いていくと、新横浜通りの平沼一丁目交差点に出る。その新横浜通りの一本裏の道が平沼商店街である。

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 商店街といっても、もうかなりすがれっちまった商店街で、商店なんてほとんどなくなってしまっている。

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 商店街の長さも敷島橋というところから東海道線の線路まで数百メートルという規模なんである。

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 が、この平沼商店街、実は昔の街道「横浜道」の一部だったんですね。

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 その証拠が平沼商店街の敷島橋から反対側、平沼商店街が終わる東海道線の脇にある横浜市の説明板。

『安政5年(1858)6月の日米修好通商条約調印によって開国に踏み切った幕府は、神奈川県(横浜)の開港を翌年6月と定めました。
 しかし、ミナト横浜の町づくりは開港3か月前の3月になって、やっと工事が始まるという状況でした。
 当時は、東海道筋から横浜への交通は非常に不便だったため、幕府は、東海道筋の芝生村(現浅間町交差点付近)から横浜(関内)に至る「横浜道」と呼ばれる道路を開きました。
 この道は、芝生村から湿地帯だった岡野・平沼の各新田を経て戸部村まで一直線に通じる道路(現在の平沼商店街を縦断していました。平沼水天宮はこの道のほとりにありました。)を築くとともに、新田間(あらたま)、平沼(現元平沼)、石崎(現敷島)の三つの橋を架け、併せて戸部坂、野毛の切通しを開き、野毛橋(現都橋)、太田橋(現吉田橋)を架けたものです。
 記録によると、当時の橋の幅員は3間(約6m弱)で道路もおそらくこれと同程度の幅員だったと考えられます。工期は3か月の突貫工事で、橋材は欄干に杉を、杭に松を使用しました。
 新開地横浜への主要道路として大いににぎわい栄えたこの道筋も、時代の移り変わりとともに大きく変わり、いまでは往時の面影をわずかにとどめるのみとなっています。
※当時、東海道と横浜(関内)とを連絡するには、保土ヶ谷から井土ヶ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運しかありませんでした。』

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 現在の平沼商店街の最寄り駅は、相鉄線の平沼橋駅となって、水天宮平沼神社(平沼という土地を埋め立てた保土ヶ谷宿の平沼氏にちなんで作られた)も平沼橋駅のそばにあるのだが。

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 しかし、実は京浜急行の平沼駅がまさしく平沼商店街の上にあったらしい、下の写真の右に張り出したところが平沼駅のプラットフォームだったところ。

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 第二次世界大戦の空襲で焼け落ちてしまって、そのまま再建はされていないようだ。まあ、確かに横浜駅を出てすぐのところだし、京浜急行側としては平沼駅を再建する必要性を感じていなかったんだろう。

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 横浜市の横浜道に関する説明板は東海道線の反対側にもあって、上の写真はその説明にも出てくる帷子川にかかる「元平沼橋」、右上が新横浜通りの平沼橋。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Hiranuma Yokohama Nishi (c)tsunoken

2016年7月26日 (火)

築地場外市場雑感

 築地場外市場へ行ったきた。

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 築地市場は11月7日に豊洲市場となって移転をする。

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 まあ、もともと東京ガスの工場があった場所なんで、ベンゼン、シアン、ヒ素などが地下に埋まっていることなどからいろいろ移転反対運動なんかも起きていた。

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 でも、そんなこと言っていたら、現在の築地市場だって海軍の毒ガスや化学兵器の研究を行う技術研究所研究部化学兵器研究室が設けられていた時期があったことや、地下には第五福竜丸によって水揚げされた、水爆で被爆したマグロ(当時「原爆マグロ」と呼ばれた)が埋められている問題が存在しているんだから、あまりそうしたことは関係ないんだろう。

 つまり、そうした埋蔵物に対する対処はちゃんとやっているっていうことで。

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 で、問題はその築地市場の場外市場の方なんだが、築地市場が移転しても場外市場は移転せずに今の場所で引き続き営業をするそうだ。

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 でも、そうなると築地場内市場と直結した場外市場という位置づけはなくなってしまうわけで、場内と直結した「東京都民の胃袋」というイメージはなくなってしまう。

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 でも、まあいいのかな。既に今や築地場外市場は「すしが比較的安く食べられる観光地」になってしまっているもんね。

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 だいたい、場内が営業していない日曜日でもこの人手ってことは、単なる観光地としてしか築地をみていないってことだもんなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Tsukiji Chuo (c)tsunoken

2016年7月25日 (月)

東京周縁部を往く・戸田漕艇場

 戸田漕艇場が建設されたのは1940年。東京オリンピックと荒川の洪水対策として作られた。1940年の東京オリンピックは第二次世界大戦のため返上されてしまったが、そのまま建設は続けられ、その後、1964年に開催された東京オリンピックでは会場として使用された。

 現在は戸田公園として管理されている。

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 水はコース西端の笹目川から水を引いている。

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 小さいながらも観客席が作られていて、撮影に行った一昨日は「三菱ケミカルホールディングスレガッタ」という、社内レースが開催されていた。

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 まあ、社内の草レースなので距離はちょっと短くて、ここ1500m地点がスタート。

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 で、500m行ったここがすべてのレースのゴール(2000m地点)。

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 周囲には各大学や実業団の艇庫が並んでいる。東北大学や筑波大学の艇庫もあり、筑波大も霞ヶ浦ではなくて戸田に艇庫がある。まあ、もともとは東京教育大学だったからなあ。

 三菱グループは三菱養和会の艇庫があり、オール三菱レガッタなんてのも開催している。まあ、東大卒や一橋大卒なんて人たちがたくさんいる三菱グループなんで、そんなボート部なんかもあるんだろう。

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 漕艇場の西側500mは戸田競艇場(ギャンブルのボートレース場)になっていて、2000mのフルコース・レースが行われるときは、ここも漕艇場として開放される。少なくともスタートだけは競艇場の観客席から見られるわけですね。

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 で、反対側が漕艇場。ゴールまでは1500m(コースの東端からゴールまでは500mあるので、コースそのものは2000m)ある。

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 ここまで書いてきて気になったんだけれども、こうしたボートレースも「草レース」って言うんだろうか? あるいは「水草レース」(?)。

 もう一つ、ここ戸田漕艇場で最も長い歴史を誇る対抗競漕大会が、開成高校対筑波大学付属高校(開成中学対高等師範付属中学)のレースだったんだそうだ。それは知らなかったなあ。対戦成績はほぼ五分五分。最近は筑波大付属が勝っていることのほうが多いそうだ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Toda Boat Course Toda City (c)tsunoken

2016年7月24日 (日)

『東京どこに住む?』って、そんなに簡単な問題ではないんだけれどもね

 まあ「人生格差」とまで言っちゃうとちょっと言いすぎかなという気がしないでもないが、これまでの東京の中でどこに住むかというテーマの意味が少し変わってきたということなのだ。

Photo 『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』(速水健朗著/朝日新書/2015年5月25日刊)

『現在の人口集中は、これまでのそれとは性質が違っている、かつての東京への人口流入は、東京の周辺部、つまり郊外への人口拡散を伴うものだった。だが現在の人口集中は、都心部の人口増、つまり最都心部への集中である。また、こうした都心部への人口集中の傾向は、世界的にも見られる傾向なのだ』

『23区の平均年収を取り上げて比較してみると、その上位5区のうち、目黒区をのぞく千代田区、港区、中央区、文京区は、どれもが(皇居から:引用者注)5キロ圏内に位置していることに気づく』

『人口増減予測の区ごとの数字を見ても、2030年まで人口増加が見込まれる地域のベスト5にランキングするのは、前述の5区の中から渋谷区を引いてかわりに江東区を加えたものという結果になる』

『東京を23区とそれ以外の「都下」に分けるという分別方法はあるが、東京はむしろ、中心にある5、6区と、それ以外で分けたほうがしっくりとくる』

『人口増加率の上位は、千代田区、中央区、港区に次いで、墨田区、文京区、江東区と中心から東側の区が続く。新宿から西の郊外へと中央線が通過する沿線である中野区は17位、杉並区は20位と振るわない』

『「閑静な住宅地」は、近くに飲食店もなければ、にぎやかな商店街もない生活である、つまり、住む場所の思想としては「陰」の場所である。それが、いまは「陽」の場所、つまりにぎやかな街に住むという流れが生まれている。郊外化から都心回帰へというモードチェンジは、住み方の思想にも影響を与えているのかもしれない』

「街のセンシュアス度」というのがあるそうで、そんなセンシュアス度の高い街の特徴があるそうだ。

『1、「共同体に帰属している」=ボランティアへの参加度やなじみの店の有無など
2、「匿名性がある」=1人だけの時間を楽しんだり、昼間から酒を飲んだ経験など
3、「ロマンスがある」=デートやナンパの機会、路上キスの経験など
4、「機会がある」=知人ネットワークから仕事につながった経験など
5、「食文化が豊か」=地ビール、地元食材を使った店の有無
6、「街を感じる」=街の風景を眺めたり、喧騒を心地よく感じた経験
7、「自然を感じる」=公園や水辺、空気などに触れて心地よく感じた経験
8、「歩ける」=通りで遊ぶ子どもたちの声を聞いた経験や寄り道の誘惑の有無
 これらのポイントの合計点で示されるのが街の「センシュアス度」ということになる。こうして生まれた「センシュアス度」調査でもっとも高いポイントを獲得した街は「文京区」だという。ちなみに、2位は「大阪市北区」、3位は「武蔵野市」、4位は「目黒区」、5位は「大阪市西区」である』

『文京区において「共同体に帰属している」「歩ける」などの項目で評価されるような代表的なエリアは、「谷根千」(谷中、根津、千駄木)だという。この辺りは、寺や墓地などが多く、下町の情緒を残しながら、歩いて散策できる規模のこじんまりとしたエリアである。名前のとおりの文教地区で、東京大学の本郷キャンパスなどもあり、住む場所としても人気が高い。23区の人口増加率でも、1.5パーセントで第5位(平成27年1月「東京都の人口〈推計〉」)。本書で示している、皇居を中心と見立てた中心から5キロという都心の範囲からは外れる地域も含まれているが、区全体が山手線の内側なので、都心といってもいいだろう』

 本駒込は残念ながら皇居からの5キロ範囲からは外れるが、柳沢吉保の屋敷があったんだから、まあまだ山の手の範囲内だとは考えられる。文教地区ったって、東京大学は別格ですからね。そのほかの大学は「まあそれなりの大学」ばっかりだし、進学校として有名な開成や巣鴨は荒川区と豊島区ですけどね。

 ということなので「文京区が云々」というのはどうでもよいけれども、要はこれまでの都市計画「東京の中心部にはオフィスを置いて、郊外に住居を構える」というものが、結局は郊外から満員電車で1時間以上もかけて通勤し、なおかつ日本特有の長時間労働で疲れた体をこれまた1時間以上も深夜の電車で帰宅するという現実の前で破綻してしまった。

 かといって港区、千代田区、中央区に一軒家を構えることは経済的に無理があるが、規制緩和でタワーマンションがどんどんできている。それならサラリーマンの収入でもなんとか買えるし、江東区の湾岸エリアなら、通勤電車にも10~15分で都心部に通えるし、下手をすれば歩いてでも通える。というような理由で人々の都心部への回帰がはじまったというのが実情じゃないだろうか。

 文京区に関して言ってしまうと

『子育てに関しては熱心な親が多く、情報交換も活発だ』

『文京区の場合、区立の小学校のレベルが高いのだ。ただし、同じ区立でも、有名私立中学校への進学率は、学校によって差がある。どこの学区がいいかといった情報は、ママ友たちの間でも関心が強いテーマだ。
 程度の高い小学校を狙っての移住も少なくないし、近隣の区からの学校目的の流入も増えているという。
 子持ち世帯となると、通学のために通る場所が安全かどうかにも気にするポイントだ。その点でも、文京区は心配ない。また、所得や職業などで、似た傾向の階層が集まっているというのも安心できる要素。親同士でランチを食べたりする際に、安い店を選ぶような気の遣い方もしなくていい。
 文京区は、ママたちの年齢が高めである。働いてから子育てをする人たちが多いのだ。比較的遅くに子どもを生んだKさんにとっては、自分と同世代のママが多い地域のほうが気楽だったようだ。逆に、江戸川区や江東区だと、ママが若くなるのだという』

 というような傾向があるようだ。

 私もものごころついてから住んだ場所といえば、足立区、練馬区、文京区なんだけれども、会社が文京区にあったせいもあり、やはり一番しっくりするのが文京区だなあ。文京区の大半を占める本郷台地の上は大和郷を含めてお屋敷街的な雰囲気があって、同時に谷根千へ下りてしまえばそこは典型的な下町の良さがあるし、今私が住んでいる駒込あたりはちょっとした街はずれ的な静かな場所ではあるけれども、少し歩けば巣鴨の繁華街もあるし、といった具合にいろいろな要素がある街だ。

 まあ、「どこに住むのか?」という問題は、そこに住む人の思想の問題だと言ってしまえば簡単だが、それ以上にいろいろな要素があって決まってくることなので、難しいですね。

『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』(速水健朗著/朝日新書/2015年5月25日刊)

2016年7月23日 (土)

東京・オフィスの街、娯楽の街、でも住みどころ

 皆さんは「東京」というところにどんなイメージを持っているのでしょうか?

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 まあ、東京といっても街によって、それぞれ違うイメージがあるんだけれども……

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 東京以外の場所から東京に来て、首都圏に住む人にとっては、基本的には、そこは「仕事をする場所」ってことなんでしょうね。

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 でも、ほら東京のど真ん中、丸の内だって今やオフィスビルの1階はブランドショップやブティックがあって、まるでショッピング街のよう。

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 街を歩いている人も、ビジネスマンばかりじゃなくて、「ハレ」の場所に来た感じの人たちも沢山います。

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 まあ、そんな「ハレ」の場所が東京というイメージなのかもしれません。

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 が、その東京に生まれて東京で育って、東京で仕事をしてきた人間にとっては、東京という街は、やはり「住む町」なんですね。つまり「ケ」の町。

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 そんな東京に生まれて住んで65年。そんな私の感覚に今一番近いかもしれない本。『東京どこに住む?』(速水健朗著/朝日新書/2016年5月25日刊)を明日紹介します。

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 今や「東京圏に住む」んじゃなくて「東京」それも「都心に住む」時代なんですよ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Tsukuda Ginza Marunouchi Chuo Chiyoda (c)tsunoken

2016年7月22日 (金)

『偽りの保守・安倍晋三の正体』って「保守」じゃないでしょ、単なるネトウヨ・レベルのタカ派

佐高 岸井は保守本流の政治記者だよね。毎日新聞の政治部長、論説委員長を経て、主筆。私のようにずっと体制に嚙みついてきたわけではないし、思想的にも左派ではない。

岸井 これは改めて論じたいんだが、保守本流とは何か、自民党主流とは何かを、私は知っているつもりだ。だから逆に、保守傍流から見ると「なんだあの野郎は」というのがあるかもしれない。

佐高 安倍は傍流なんだよ。
岸井 ああ、傍流も傍流だ。
佐高 それが主流に躍り出て、ドヤ顔で独裁政治をやっている。安倍にとってみれば、自民党主流の歴史を知り尽くしている岸井の存在は目障りなんだろう』

 うん、それは分かるんだがこの岸井氏と佐高氏って、同じ慶應大学で同級生だったってのは初めて知った。保守派の岸井氏と、左翼の佐高氏がねえ。う~ん、その方が問題か? っていうかどんなゼミだったのかねえ。まあ、戦後民主主義を体現化していたゼミだった、っていうことで理解したってことにしよう。

 まあ、そういう自由な言論が民主主義を正しく進めるんだからね。

Photo 『偽りの保守・安倍晋三の正体』(岸井成格・佐高信著/講談社+α新書/2016年7月1日刊)

 安倍晋三氏は岸信介の孫を自称しているようだが、安倍家の流れは、実は違うのだ。

岸井 安倍はそういう生まれ育ちではないのに、菅に近似する怨念を持っている。安倍の場合は複雑に入り組んだコンプレックスだな。私は安倍のおやじさんの晋太郎には非常に可愛がってもらって、ある意味で逆指名的に私が彼を担当しているようなところがあったんだ。

岸井 晋太郎は晋三に、「晋三、私は岸の娘婿じゃないからな。間違うなよ。私は安倍寛の息子だからな。反戦平和だからな」と言ったそうだ。

岸井 晋太郎は保守傍流の中でも独特の立場だと言える。父親の安倍寛は日中戦争時に近衛声明(近衛文麿首相が対中政策の方針として三次にわたり発表。第一次声明では「国民政府を対手とせず」と述べ、蔣介石政府との交渉打ち切りを表明し、戦争終結の途を閉ざした)に反対している。第二次世界大戦中の翼賛選挙でも東條英機を批判して、非翼賛で立って当選した。議員時代は毎日、憲兵がついていたという。安倍家の流れはそちらのほうであって、岸信介の右翼的な国家主義ではない。そう晋太郎は息子に言っていた。しかし若き晋三は、「父と祖父と、どちらを信じたらいいんだろう」と思い続けただろうな

岸井 晋太郎が急死せずに総理になっていれば、晋三は秘書官になっていただろう。そうなれば晋三の政治的志向も多少違っていたかもしれない』

 ということなのだ。

 う~ん、とすると妻の安倍明恵さんが、むしろ安倍寛氏の方の流れになっちゃうのかなあ。まあ、他人の夫婦なんてどうでもいいけど。

 以前の自民党は右は安倍晋三氏みたいなウルトラ右翼タカ派から、保守本流、保守リベラルから共産党よりも左翼みたいな人たちまで存在して、その辺のかじ取りを保守本流から保守リベラルの人たちが中心になって「清濁併せ呑む(まあ、それが問題だって言えば問題なんですがね)」形でバランスをとり、力のない野党(社会党)に代わって党内で(実質的な)政権交代を行っていた、っていうのがいわゆる五五年体制ってわけなんだけれどもね。

 五五年体制が崩れてしまって、その辺のバランスが今は無くなってしまっている。五五年体制を崩した民主党が早々と倒れてしまった後は、本来は安倍晋三氏みたいな国家主義ウルトラ右翼は本来は自民党保守傍流だったはずのものが、いつしか保守本流を名乗ってしまって、それが「日本の常識」ですってな感じで考えられてしまっているってことが問題なんだ。

 う~ん、やっぱり民主党の責任も重いんだなあ。

 で、その典型が今年7月11日に自民党都連が出した「都知事選挙における党紀の保持について」っていう文書なんだけれども、その中に『3、各級議員(親族等含む)が、非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象となります』っていう表記なんだ。

 自民党の党員がこうした党議拘束を受けるのは問題ないけれども、「親族等を含む」ってことは、自民党党員の親族、それはつまり自民党とは関係のない一般国民までもが「思想・信条の自由」という日本国民なら誰しもが持っているはずの権利を奪われてしまい、「自民党に従え」って国民に強制している訳でしょ。

 これについては自民党都連会長の石原伸晃氏の弟の石原良純氏がテレビで「これはおかしいでしょ」って発言をしちゃったもんだから、これからの展開が面白くなりそうだ。じゃあ、石原伸晃氏は自ら決めた党議に基づいて、自らを自民党から除名するんでしょうか。

「ハラを切れよな、石原伸晃」

 とまあ、それくらい周囲が見えなくなってきているのが、今の自民党なのであります。ま、でもこの言葉は本来は自民党内部から出てこないといけないんだけれどもね。でも、ねえ、それを言い出す奴なんか今の自民党の中にいるんだろうか。

 それくらい自民党は劣化しているってことなんだけれども、同時にそれはそれを叩けない民進党なんかも劣化しているってことなんだよなあ。

岸井 今の自民党の政治家は常軌を逸している。私は「政治的公平から逸脱したメディアに対しては、電波停止命令もあり得る」と言った高市早苗に対して辞任要求するつもりだ。あれは異常すぎるほどに異常だよ。たしかに官邸が報道番組をすべてチェックしているとは聞いていたが、あそこまで無法な暴論が出てくるとはまったく驚きだ』

『外国のメディアは安倍政権のみならず、こうした暴挙を許している日本のメディアにも厳しく、それは諸外国からの日本の国民への不信感にもつながりかねない様相だ』

『「国境なき記者団」は、今年の日本における「報道の自由度」を世界で第七十二位にまで低下させた。ほぼ発展途上の独裁国家なみの扱いである。国連の人権理事会の調査団も、私への攻撃に使われた放送法四条の「公平・公正な報道」は、本来は報道する側の自主的な倫理規範であるということを承知のうえで、「国家権力の介入の口実に使われるようであれば、削除・廃棄すべきだ」と勧告するほどだった』

 う~ん、いつの間にか日本は北朝鮮や中国みたいな全体主義国家になってしまったんだろうか。

『偽りの保守・安倍晋三の正体』(岸井成格・佐高信著/講談社+α新書/2016年7月1日刊)

2016年7月21日 (木)

アジア文化会館とアジア学生文化協会

 我が家のそばに文京グリーンコートという大きなオフィスビルやUR賃貸住宅の建物などがあるんだけれども、その裏にあるのがアジア文化会館という建物だ。

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 アジア文化会館の主な仕事はアジアから日本へ来ている留学生のための宿舎なんだが、それを運営しているのが公益財団法人アジア学生文化協会という組織。

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 アジア学生文化協会の主な仕事はアジア文化会館のような留学生宿舎の運営や、ABK COLLEGEという日本語学校の運営だ。

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 ABK COLLEGEでは日本語、繁体字、タイ語、英語、簡体字、ベトナム語、韓国語、インドネシア語などアジア各国の言語に対応した日本語教育を行っており、そんな関係もあり、我が家の近所の通りにはヒジャブを被ったイスラム教の女性から、タイのお坊さんのような黄衣を着て一年中サンダルの人なんかまで歩いている。

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 ここABK COLLEGEの卒業生であり宿舎にいる人は東大大学院から主に東京に近い各大学に通っている人が多いようだ。

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「日本語教育能力検定試験」っていうのがあるようですね。

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 このアジア文化会館の面白いところは「日本語ボランティア」というのを募集しているところ。つまりアジアからの留学生に日本語で日本のいろいろなことを教えるっていう仕事。つまり彼らは大学を卒業したら一部の日本企業に就職する人を除けば、自分の国に帰るんだろうから、アジアのいろいろな国にあなたの友達ができるってことなんだなあ。結構、それってワクワクしませんか?

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 もうひとつ、毎年秋には「ABK秋祭り」っていうのがあって、アジアのいろいろな国の食べ物や、歌、踊りが披露されているんだ。

 なかなか、面白いですよ。アジア学生文化協会のサイトを見ると、いろいろな案内が出ているので、一度チェックをお勧めします。

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2016年7月20日 (水)

旧東海道・今度は保土ヶ谷宿だっ

 はてさてやってきました、旧東海道は程ヶ谷宿(と昔は書いた保土ヶ谷宿)です。

 保土ヶ谷駅東口は今の東海道(国道1号線)が走っており、私が行ったのは西口の旧東海道の方。下の写真、上の青線が国道1号線で、下の赤線が旧東海道(見えずらいかな)。

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 で、こちらが旧東海道。いかにも「昔の道」っていう感じの通りですね。

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 で、まず最初に出くわすのが問屋場跡。宿場町としては一番大事な馬の確保や飛脚の伝令所。

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 と次に立て来るのはこれまた宿場町では大事な高札場。幕府や藩主のお触書を貼ってある場所ですね。

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 で、次に出てきたのが金沢八景や鎌倉方面へ行く「かなさわ・かまくら道」と旧東海道の分かれ道の「金沢横丁」。江戸時代以前は鎌倉幕府があったわけで、むしろここで左へ曲がる方が本線だったのかも知れない。

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 金沢横丁を過ぎて東海道線の踏切を渡ると旧東海道は国道1号線と合流して、最初にあるのが、現在は門だけが残っている本陣跡。

 ただし、参勤交代の大名は箱根を超えると小田原、戸塚、江戸と1日10里の行程が普通だったので、保土ヶ谷などそれ以外の宿場は通過するか、休憩場所だったようだ。

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 なので、脇本陣(水屋跡)なんてのがある。要は水飲み場所ってことですね。

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 この旅籠は「金子屋」といって、現在も金子さんが住んでいるようです。昔は飯盛女を置いていたようで、まあ、宿泊施設っていうよりは、そんな使い方だったんだろうな。

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 で、もう一つ茶屋本陣(う~ん、水屋よりはちょっと格が上?)なんてのがあると……

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 道の反対側に外川神社といういかにも昔からあった神社があって……

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 その脇に江戸から数えて8っ目の一里塚と「上方見附」という、つまり「京都からみて、ここからが保土ヶ谷宿ですよ」という印がある。

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 というわけで、保土ヶ谷宿は全長1キロくらいのあまり大きな宿場ではないということがわかる。これは神奈川、川崎も同じ。品川宿はちょっと別の意味があったので、もうちょっと長かったのだろう。

 ということで、 品川、川崎、神奈川と続いて保土ヶ谷まで来た旧東海道宿場町ブログなんだけれども、ここから先も戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根とちゃんと旧東海道と宿場巡りをするんだろうか。

 まあ、「tsunokenのブログ」自体はそんな旅するブログじゃないし、ネタに困った時に、一里塚とか宿場とかのシリーズでできるものを始めるという悪癖が出ただけなんで、どこまでこの旧東海道宿場町ネタを追いかけるかはわかりません。

 まあ、どこまで真面目に旧東海道宿場町を追いかけるのか、皆様興味津々にお付き合いください。

 来週辺り、突然小田原辺りに行っちゃうかもね。

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2016年7月19日 (火)

『負ける技術』じゃないでしょ、これは

「負け犬の遠吠え」の酒井順子さんしかり、そしてこの『負ける技術』カレー沢薫さんしかり、どうして作家ってそんな自分のネガティブ自慢が好きなんだろう。って書いて、確かに「私って殿方にモテるんですのよ。オホホのホッ」とか、「俺サマはモテモテで、女なんて百人切りだぜ」なんてエッセイを誰が読むんだっていうのは事実だ。

 なので女性がエッセイを書くと「自分がモテない話」「非リア充話」が多いんだけれども、実際にその人の書いたものを読んでみると、「ええっ、このひと結構リア充じゃん」ていう人が多いんだよな。

 本書のカレー沢薫さんだって、ちゃんと結婚してるし、家も建ててるし、OL兼漫画家として天下の講談社『モーニング』や『モーニング・ツー』で連載を持っているんですよ。もー、充分勝ち組リア充じゃないですか。それをなんで非リア充エッセイで受けるんだろうなあ。

Photo 『負ける技術』(カレー沢薫著/講談社文庫/2015年11月1日刊)

 そう、そして結構結婚(式)ネタも多いんだよなあ。

『結婚式といえば細かな差はあれ、テーマは幸せ、である。今まで人の不幸を大粒の涙を見せて笑ってきた自分のことである、始終幸せ押しの結婚式なんぞがエンタメになるとは到底思えないのである。
 とはいっても、自分がウェディングドレスを着て登場した時点で9割スベっているので、この際、小さなスベりには目をつぶって式を行うしかないのだ』

『結婚報告をした際、負け犬発言ばかりしていた割にはちゃっかり勝ち犬ではないか、などと言われることが多かった。確かに私も勝った! と言いたいところなのだが、先日、「高校生カップル、自転車を手をつなぎながら並走」、というすべてがそろい過ぎてなにから憎んでいいのか分からない二人組を見つけて10秒くらい心臓が止まってしまったので、どんな立場になろうと私に勝ちはない。式の最中も隣のでかい会場で式をしているカップルが憎かったほどである(爆発すればいいと思っていた)』

 とか

『1年ほど前、ハワイへ新婚旅行に行った。
 現地は日本語が9割がた通じると聞いていたので安心していたのだが、夕飯を食べに行った高級レストランがいきなり、日本語話せる人間皆無という引きの強さかを初日から見せつけた。幸先の良いスタートである。

 辛うじて読める上に聞き覚えのある酒があったため、「これや!」と思い、特に何も考えず注文した。

「ドン・ペリニヨン」である』

 なんてね。

 とは言うものの、それにはこんなオチがある。

『担当氏より「新婚旅行の話も良いですけど、負け組の立場からリア充を逆恨みする内容に統一してはいかがでしょうか」という打診があった。そのうち「そろそろ離婚、もしくは車に轢かれてみてはいかがでしょうか」と言われそうで恐ろしい』

 実は同じような話が本書にはもう一か所あって

『もちろん離婚などしたくないと思っているが、万が一したとしてもそれも芸の肥やしですよね、みたいなことを担当氏に言ったら「離婚なんてみんなやってんだからなにを今さら」と両断。
 結婚して面白くなくなり、離婚してもスベる。これからどういう方向で行ったらいいのか』

 まあ、ここまで負け犬根性が居座っては批評のしようもないんだけれども、でも実際には勝ち組リア充って、その落差はなんなんでしょうね。しかも、その「負け犬根性」で受けているっていうことは、実際には読者を裏切っている? あるいは「この女、本当に負け犬だっ」って読者を信じ込ませているほどの文章力だってのか?

 まあ、わたくし的には一番受けたのがカレー沢さんがMixiで書いた文章。

『しかしフォロワーが全員女の同級生だったら話は別であり、現に、読み手が〝リアル知り合い(同世代の女性多数)〟のみだったミクシィに書きこんだ私の誕生日の日記がこれである。
《俺の誕生日》
「遅ればせながらまいばーすでーりぽーと。年を取ることに関しては嬉しくないですけど、たくさんの人にお祝いのメッセージ&メールもらって、そういった意味ではとても嬉しかったです。せっかく誕生日なので彼のお金でおいしい物を食べに行きました。場所は、二人が出会った思い出の場所。彼に『この一年の抱負は?』と聞かれたので、思いやりを持つこと、自分のことだけでなく他人のために動くこと、もっと気配りができるようになること、と言いました。あと、お菓子を食べ過ぎないようにする(突然のレベルダウン)。それと性格をセクシーにする。(中略)はっぴーばーすでいとぅーみー」

 中身がスイーツ(笑)でタイトルは中二病である。これで幸せアピールができていると思っていた当時の自分が悲しくなるが、ふだん自虐で笑いを取ろうとしている女でさえ「女の見栄の張りあい」という戦場に立たされると、このありさまなのである』

 これには思わず「ブファファファー」と笑ってしまったのでした。

Photo あんまり綺麗じゃないね。

『負ける技術』(カレー沢薫著/講談社文庫/2015年11月1日刊)

2016年7月18日 (月)

何も書くことがない日は……

 昨日は大和郷会の家族会というのがあって、特に出かけたわけでもないし、本もたいして読んでない。

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 そんな日はどうしたもんじゃろうのう。

 まあ、そんな日は別にブログを更新しなくてもいいじゃん、誰も読んでないんだし、ってのもひとつの意見だけれども、まあ「毎日、更新」って言っちゃてるんで、書きます。誰にも読まれなくっても、書きます。

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 ということなので、いつもの散歩コースを歩いた話でも。

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 本郷通りを駒込から坂を下りて行って……

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 旧古川庭園でまた坂を上がる。

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 平塚神社(これは前に書いた)の前を通って、西ヶ原一里塚(これも書いたよねぇ)を過ぎると飛鳥山(何度も書きました)にでる。飛鳥山の前で本郷通りは終わり、北本通りに名前を変える。

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 飛鳥山を下りると、そこはもう王子。でも、この王子さくら新道も書いたよね。

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 で、大体この辺りで5,000歩歩いたことになり、王子からは南北線で再び駒込へ、というのがいくつかある散歩コースの一つです。

 本当に、何も内容のないブログでスマソ。

 今日は勘弁、カンベン。

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2016年7月17日 (日)

『アンモラル・カスタマイズZ』っていう漫画について

『アンモラル・カスタマイズZ』というコミックは知らなかったが、著者のカレー沢薫っていう人の『負ける技術』というコミック・エッセイに興味があり、じゃあ漫画家なのでどんな漫画を描いているのかが気になり、本書を読んでみた、っていうところなんだ。

Z 『アンモラル・カスタマイズZ』(カレー沢薫著/太田出版/2012年12月9日刊)

「週刊 風俗大王」「月刊 牛丼」「週刊 デコトラ野郎」という、いかにも男性向けの雑誌ばかりを出しているグルズリー出版が、初めて女性誌を手がけることになった。

 って、しかし、社長の熊田曜助、編集者の小池瑛太、新人編集者の安めぐむって、なんかこの漫画家、ネーミング・センスがイマイチって感じがするなあ。

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 女性誌のターゲットは20代後半~30代前半、夢を見てるわけじゃないが、開き直ってもおらず、結婚願望はあるが、そろそろ一人で生きることを考え始めている層だ。

 で、グリズリー出版初の女性誌「カスタマイズ」第1号が創刊!

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 しかし、その層向け雑誌はバラエティーに富んでいる。奇抜すぎず、男ウケそこそこのファッション、体型維持体質、金の管理、貯蓄術から性の悩みまでいろいろ。

「でも、どの雑誌にも共通してあるのは着まわし術っすねえ」

 ということで「カスタマイズ」も着まわし術特集をやることに……

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 で、出てきた案が「前から思ってたけどよ……女入れようぜ」

 って、男しかいなかったのかこの会社は。まあ、社長がホモだからね。

 で入ってきたのが、短大出たばっかりの20歳、江尻小雪ちゃんて、完全に名前負けしている地味~な女の子。

 で、雑誌内でこの子を変身させる記事を書くことになった。

 で、ある日、取材でイケメン・モデルのOK大学二年生の蓮君と知り合った小雪ちゃん。

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 いつの間にか小雪ちゃんと蓮君はいい仲に……。ってとこで突然漫画は終わる。

 まあ、あまり絵は上手じゃないけれども、ドタバタ感はそこそこあるので、『負ける技術』も楽しみだ。

『アンモラル・カスタマイズZ』(カレー沢薫著/太田出版/2012年12月9日刊)

2016年7月16日 (土)

『3びきのかわいいオオカミ』ネタバレです

『3びきの かわいい オオカミ』っていうタイトルは、当然、「3匹の仔豚」のもじりであるのはよくわかるが……。

Photo 『3びきの かわいい オオカミ』(ユージーン・トリビザス 文:ヘレン・オクセンバリー 絵/こだまともこ 訳/冨山房/1994年5月18日刊)

 内容は単純に「3匹の仔豚」の逆を行ったもの。

 母親と暮らしていた3びきのかわいいオオカミたちは、ある日、母親オオカミから言われる。

『さあ おまえたち、そろそろ ひろい せかいに でておいき。かあさんの うちを でて、じぶんたちの うちを つくりなさいな。でも、わるい おおブタには きをつけるのよ。』

 3びきのオオカミは、まず最初にレンガの家を建てた。

 それを見た悪いおおブタが

「おいおい、ちびオオカミ、なかにいれろ!」

 とやってくる。

 それを当然、3匹のオオカミは断るのだが、悪いおおブタは、大きなハンマーでもって、いきなりレンガの家を壊してしまう。

「もっと じょうぶな うちを たてなくちゃ」

 と考えた3びきのオオカミは、今度はコンクリートの家を建てた。

 それを見た悪いおおブタは、今度は電動ドリルでもって、コンクリートの家をめちゃくちゃに壊してしまう。

「もっと もっと じょうぶな うちを たてなくちゃね」

 と、3びきのオオカミは、今度は鉄条網と、鉄骨と、鉄板と、重い鉄の南京錠でもって、丈夫で安全な家を建てた。

 ところがまたしても悪いおおブタがやってきて、家に入れろと言ってきた。当然、それを断る3びきのオオカミ。すると悪いおおブタは、なんとダイナマイトで鉄条網と、鉄骨と、鉄板と、重い鉄の南京錠でもって、丈夫で安全な家を吹っ飛ばしてしまうのだ。

 これは万事休す。で、3びきのオオカミは

「きっと きっと ぼくたち、いままで まちがった ざいりょうで うちを つくってたんだ。もっと ちがうもので うちを たてなくちゃ。でも、なにを つかったら いいんだろう?」

 と考えた3びきのオオカミは、今度は花の家を建てた。

『いっぽうの かべは キンセンカ、もういっぽうの かべは スイセン、それから ピンクの バラの かべと、サクラの はなの カベ。てんじょうは ヒマワリで つくり、ゆかには ヒナギクの カーペットを しきました。
 ふろおけには、スイレンの はなが うかび、れいぞうこには ヒヤシンスの はなが はいっています。いまにも こわれてしまいそうで、そよかぜが ふいただけで ゆらゆら ゆれますが、とっても きれいな うちです』

 当然、再び悪いおおブタがやって来て、家に入れろと言ってくる。

 今度も当然、3びきのオオカミは断るのだが

「そんなら おれさまが ふうーっと ふいて、ぶうーっと ふいて、おまえたちの うちを ぶちこわしてやるぞ!」 

 と大きく息を吸い込んだ。

 ところが大きく息を吸い込んだブタは花の甘い香りがふわっと鼻の穴に入ってきてびっくり。何度も息を吸い込むたびに気持ちよくなってしまった、「悪いおおブタ」はいつした「いいおおブタ」になってしまって、歌を歌い、タンバリンを持って踊りだしてしまう。

 初めのうちは3びきのオオカミは、ブタがだまそうとしているんじゃないかと心配していたんだが、ブタが「悪いおおブタ」から「いいブタ」になってしまったのがわかるとブタと一緒に遊び始める。そして家の中に入れてしまうのだ。

『3びきの オオカミは ブタに きゅうすの おちゃを いれ、イチゴや オオカミイチゴを ごちそうしました。そして、どうか すきなだけ ぼくたちの うちに いてください と たのみました。
「じゃ、そうしようかな。」と ブタは いい、4ひきは それから いつまでも なかよく しあわせに くらしましたとさ。』

 というお話なんだけれども、要は、「北風と太陽」のお話のもじりでもあるんだというのがよくわかる。

 しかし、3匹の可愛いオオカミがまだ子どもオオカミだからおおきなブタを怖がるのは分からないでもないのだが、基本的に草食動物であるブタと肉食動物のオオカミでしょ。そんな危険な関係の動物同士が仲良く暮らすっていうお話を、ギリシア人のユージーン・トリビザスがよくつくるなあ、ってのが第一の疑問。今後、3匹の可愛いオオカミが成長したら、悪いおおブタを食べちゃうんだろうか? ってのが第二の疑問。

 単純に動物をみて「可愛い」って反応するのは日本人の特徴なんだけれども、ヨーロッパの人たちは、犬や猫のような人間と友達関係にある動物以外にはリアルな反応を示すわけで、基本的に「可愛い狼」っていう設定自体があり得ないはずなんだ。昔のヨーロッパ人はそれこそ狼とは対峙して生きてきたわけで、その記憶はヨーロッパ人のDNAには刻まれている。

「The Three Little Wolves and the Big Bad Pig」っていう発想が、よくヨーロッパ人から出てくるなあ。

『3びきの かわいい オオカミ』(ユージーン・トリビザス 文:ヘレン・オクセンバリー 絵/こだまともこ 訳/冨山房/1994年5月18日刊)

2016年7月15日 (金)

板橋に稲荷台遺跡というのがあった

 旧中山道板橋宿の仲宿を過ぎて……

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 環七沿いを右に行くと……

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 板橋区立加賀小学校の前に出る。

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 と、そこにあるのは「稲荷台式縄文文化遺跡」の碑と説明板。

 稲荷台遺跡ってなんだ?

『稲荷台遺跡(いなりだいいせき)は、東京都板橋区稲荷台にある縄文時代早期の遺跡。
1937年(昭和12年)、当時の稲荷台小学校(現在の板橋区立加賀小学校)前の地中から少年が土器を掘り出したことから遺跡の存在が確認された。1939年(昭和14年)から本格的な発掘調査が実施され、褐色土と関東ローム層の間から、器面全体に縦の撚糸文が施された尖底土器が発見され、出土した地層や一緒に出土した既知の他形式土器の推定年代より、当時としてはもっとも古い時期に相当する縄文式土器であるとして注目された。現在は加賀小学校前に記念碑が残るだけであるが、発見された土器と同形式の土器は「稲荷台式土器」と呼ばれている』(Wikipediaより)

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 板橋区教育委員会の説明板によれば。

『稲荷台遺跡は、昭和12年(1937年)当時15歳の少年によって発見され、昭和15年に現在の加賀小学校の一部にあたる部分が発掘調査されました。
 この調査では縄文土器の破片や石器が発見されましたが、その土器は縄を軸に巻いて転がすことにより文様をつけた撚糸文土器というもので、当時日本では最古の土器として脚光を浴びました。
 その後、研究の進展などにより「最古」という位置はゆずりましたが、今も縄文時代早期(約九千年前)の関東地方の標準形式「稲荷台式」として全国に知られています。
 昭和59年度、板橋区教育委員会は加賀小学校(当時稲荷台小学校)の敷地を、区の文化財として登録しました』

 とある。

 ただし、周囲を見渡しても遺跡のようなものは何もなく、あるのは碑と説明板のみというのも、ちょっと寂しい。

 なんか、再現した竪穴式住居なんてのがあれば面白いんだけれども。

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 確かに、ちょっと歩けば石神井川があって、水場にも困らない高台ということで、縄文人はこの場所に集落を開いたんだろう、ということは7月3日のブログ「都立城北中央公園の栗原遺跡」 と同じ位置関係になるわけで、あまり長い流域ではない石神井川も支流の藍染川(王子~田端~谷中を流れていた)も含めて、ずいぶん文明と近しいところにあった川なんだなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Itabashi Honcho Itabashi (c)tsunoken

2016年7月14日 (木)

『脳が壊れた』って、要はチャランポランに生きた方がいいってことですね

 鈴木大作氏が罹った脳梗塞は「アテローム血栓性脳梗塞」というものだそうだ。

「脳梗塞症」という病気は「アテローム血栓性脳梗塞・心原性脳塞栓・ラクナ梗塞・その他の脳梗塞の4種類」に分類されるそうで、その中でもアテローム血栓性脳梗塞というのは一番大きい脳血管にものが詰まってしまって起きる病気だそうだ。

 一番大きな原因は酒・煙草や生活習慣によるものだそうで、おお、これは気をつけなければなあ、なあんてことを酒を飲みながら書いているtsunokenです。

「お前、脳梗塞が怖くないのか」と言われてしまいそうになるが、まあ、きょう午前中に毎月かかっているメタボ検診の医者に行ったら、「血圧も上が130、下が80位なので」大丈夫でしょうと言われて浮かれている場合でしょうか?

Photo 『脳が壊れた』(鈴木大介著/新潮新書/2016年6月24日刊)

 鈴木大介氏は、病気の原因は自分にあるという。

『「なぜ俺が」
 この言葉は、脳梗塞発症から、僕の脳裏を何度も何度も駆け巡った。
 何より悔しく、そして、恥ずかしくてならないことのように感じた。
 確かに僕は喫煙者だったし、県の無料健康診断でも高血圧であることや、血液の状態が若干高脂血症寄りで、動脈硬化リスク「傾向」だとは指摘されていたが、指導された減塩食生活は続けてきた』

『生活上の自己管理と節制には自信があるつもりだった。漫画の打ち合わせなどで帰宅が午前様になっても、何時に寝ても朝は八時には起きて自宅仕事部屋で業務開始というのが毎日の習慣。とはいえ、無理に起きるのではなく、たとえ二~三時間しか睡眠できてなくても毎日同じ時間に確実に目が覚める体質だった。足りない睡眠は日中に仮眠を加えることでコンディションを維持してきた。
 食生活は減塩以外の規制はしていなかったが、自宅自営業で基本は自炊。飲食店の厨房勤務経験があるしもともと料理も栄養管理も好きなので、三食必須栄養素を満たしたメニューを作ってきたつもりだった』

 そういう人はなぜ脳梗塞になんてなってしまうんだろう。

『これだ、これこそが、我が「病因」だ。我が家では、その家事の殆どを僕が行ってきた。掃除、洗濯、庭の草木の手入れ、食材の買い出し、そして生活時間の合わない妻と僕の合わせて一日六度の食事の準備』

『要するに物事に優先順位を付けるのが苦手で、妻の場合はこれに病的な注意欠陥が加わり、何か作業をしている間に他に目につく物があると、そちらに関心が移ってしまい、いつまでたっても当初の作業が完遂しない』

『僕はと言えば、妻が食事を食べ終わらなければいつまでたっても食卓が片付かないし、次の食事を何時に作ればいいのかも決まらず、あああ、書いているだけで血圧が上がってきた。
 これこそが、僕が四十一歳の若さで脳梗塞を起こした主因だと痛感した』

 つまり「マジメ」過ぎるってのもよくないんでしょうかね。

『妻の手際の悪さや注意欠陥も病的だが、よくよく考えれば僕の性格の方がよほど病的なのだ』

『入院生活という自己を顧みるにはまたとないチャンスに考えた結果、出てきた結論は「自業自得」。
 列挙するとこうなる。「背負い込み体質」「妥協下手」「マイルール狂」「ワーカホリック」そして「吝嗇」。そして最後に「善意の押し付け」。
 これぞ俺様』

 こういう「俺様病」の人ってたまにいるんだよね。

『僕自身が相手にしたほうがいいと思うこと、相手のためになるだろうことを率先してやるタイプ。本当にそれが相手の求めていることかどうかは無視だ。
 一方の妻は、相手が「してほしいと思っていること」をやるタイプ。自発性は高くないが、自分がしたいこと、したほうがいいと思うことではなく、相手がしてほしいことを常に優先する』

『そして結論は、僕の脳梗塞は生活習慣病というよりは「性格習慣病」。この性格を改善しないかぎり、いずれまた同じ生活に戻り、そして再発する』

「性格習慣病」かあ。それは直すのは難しいかもしれない。まあ、でも少しずつでもそういった「習慣病」は直さなくちゃなあ。

『悪い生活習慣とは、その多くが根っこに「本人の性格」を潜ませている。ならば為すべきは「性格改善」。と同時に、再発予防にはもう一つ大きな柱がある。

 フィジカル面の改善だ』

『先輩曰く、そんなたまに身体を動かす程度の勘違い中年スポーツマン(元)こそが、心筋梗塞や脳梗塞でポックリ逝く人の典型例なのだという』

 まあ、たまに体を動かすと徹底的に絞り上げちゃう人がいるでしょ。そこにその人の真面目さみたいなものが出てくるんだけれども。毎日それをやっているなら、まあ、あまり問題はないけれども、たまにそれをやっちゃうと急激に血圧が上昇して、バッタンってなっちゃうんだよなあ。

 てことは、サイクリングっていう有酸素運動を適当にこなしており、『「背負い込み体質」「妥協下手」「マイルール狂」「ワーカホリック」』なんてものとは全然関係なくチャランポランと暮らしている私なんかは、脳梗塞なんかとは関係がないのだろうか。

 まあ、ちょと安心したり……、自分のチャランポランさにはちょっとなあ、とも感じてはいるんですがね。

『コンセプトは「つらいことは一切しない」「絶対頑張らない」「あんまり我慢もしない」で、これについては例によってちゃらんぽらんの女神である妻が結構横から口を出してくれた』

 って、いいですね。

 そんな「ちゃらんぽらん」の奥さんを愛してるんだもんね。まあ、大事なのは「妻を愛する」ってことですね。

 チャランポランに生きてれば「脳が壊れる」なんてことはないさ(って、本当か?)

『脳が壊れた』(鈴木大介著/新潮新書/2016年6月24日刊)

2016年7月13日 (水)

銀座から京橋まで

 ネタを仕込み忘れた日の、言い訳のようなブログ。

 いつも通り、銀座歩きのスタートは銀座教会ビル8階にある「カメラのレモン社」から。

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 数寄屋橋東芝ビルの跡地にできた東急プラザも、8・9階の免税店はガラガラ。う~ん、できたタイミングが~、ってとこでしょうね。

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 銀座の街も昔からは相当変化して……

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 昔はオフィスもかなりあってサラリーマンの姿も見られたのだが……

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 いまやブランドショップばっかりになって、街からサラリーマンの姿がほとんど見られなくなった、というのが「本の教文館」の小橋氏の言。

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 しかし、京橋辺りまで来ると、結構オフィスビルなんかも沢山あって、お昼になるとサラリーマンが大量に昼食を摂りにビルから出てくる。

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 国立近代美術館フィルムセンターなんかも健在だ。

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 明治屋京橋ビルを含む京橋二丁目西地区再開発工事も今年の10月には竣工するようだ。

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 ってな感じで、銀座から京橋、日本橋を経て、神田まで歩いた。

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 ただ、それだけ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 @Ginza, Kyobashi, Chuo (c)tsunoen

2016年7月12日 (火)

『世界一タフな職場を生き抜く人たちの仕事の習慣』も、もうすぐ日系企業にも来るかもね

 ずんずんさんって誰なんだ?

『グローバルIT企業に勤める、公私ともにプロ外資系OL。
 地方の三流私立大学卒業後、就活に失敗し、新卒で埼玉の日系ブラック企業に就職。丸の内OLに憧れ、転職活動を開始する。ラッキーパンチで英系投資銀行に転職を成功させ、財務企画を担当。その後、米系運用会社を経験し、ついカッとなってシンガポールに移住。現在はシンガポールにてグローバルITカンパニーに勤務。APAC(アジア太平洋地域)の財務全般を担当している』

 まあ、大学と最初の就活・就職の話は面白いけど、それ以外はすごいバリキャリじゃん。

Photo外資系OLは見た! 世界一タフな職場を生き抜く人たちの仕事の習慣』(ずんずん著/KADOKAWA/2015年5月19日刊)

『それは私がうら若き頃……。三流私大を卒業し、埼玉の奥地でOLをしておりました。7時半に出社し、ピンク色の制服を着て、清掃とラジオ体操から始まる日常……。
 おやおや?
 おかしいぞ?
 丸の内OLになりたかったのに、なぜ埼玉で働いているのでしょうか。
 私の人生、何かが違うぞ?

 そう感じた私は、丸の内OLになりたいがために転職活動を始めました。
 若さというものは恐ろしいものです。何も知らない私は外資系投資銀行に履歴書を送り、なぜか書類審査に通り、面接を受けることになりました』

『超優秀な人しか入れないと思われている外資系金融ですが、実際にはそんなことはありません。私が見てきたかぎり、新卒・中途ともに採用基準は以下の3つに分かれます。
①本当に優秀な人採用
②ルックス採用
③キャラ採用

 この①本当に優秀な人採用というのは、東大・京大卒。帰国子女の慶應・早稲田卒といった、学歴、実力も備えた人たちです。将来の会社業務をリードするために新卒から採用されます。
 そして②ルックス採用ですが、これは女性社員に適用されます。才色兼備な彼女たちは、手ごわい男性顧客への切り札として活躍します。採用される女性社員のルックスは、そのときの面接官の好みに左右されます。あるときは北川景子似、あるときは綾瀬はるか似……そんな感じです。外してしまうと、他の男性社員からブーイングがくるので面接官も命懸けです。
 最後に③キャラ採用です。私がこれに当たります……。
「なんか面白そうだし、ガッツがありそうだから採用しておこう!」
 といった具合に、何かしら面接官のハートに刺さると採用されます』

 ま、理由は何であれ、採用されちゃったものはされちゃったんだから、後は堂々としていればいい。「会社が入社を認め」ちゃったんだから、それは自分が理由じゃなくて会社事情なんだからね。その後、仕事ができないってバレちゃったらしょうがないけれども。

 そんな外資系企業でもいろいろあるらしい。

『①外資系金融  私が一番長くいた業界がここです。  銀行→証券→投資信託→保険といった順番に、謎の階級制度があります。

 ゲスになればなるほど仕事ができる不思議な世界であり、仕事の求められる期待値も高いため、繊細な人間にはおすすめできません。

②外資系コンサルタント  外資系金融勤務者に比べると放出されている人数が多いため、巷で見かけることが多いです。  外資系コンサルタントは、クラスに1人はいた、スカしてとっつきにくい人たちの集合体です。外資系金融勤務者に比べると物腰は柔らかですが、裏では自分の利益になることしか考えていません。

 外資系コンサルは外資系コンサルで謎の階級制度があるようです。

 そう「ボストン・コンサルティング・グループ>アクセンチュア」なんてのがあるそうだ。

③外資系IT  ①、②と比べると気のいいエリートの集まりです。

 エンジニアサイドになると話は別です。スーパーエンジニアレベルになると社会性なコミュニケーション能力をちょっとおいてきちゃった人が多く、彼らは自分の世界を壊されることを極端に嫌がり、自分よりも能力が低いエンジニアを小馬鹿にします。

④外資系メーカー

 ノリにノってるIT企業に入れなかった人が、ここに集まります。IT企業に比べればのんびりとしており、仕事の変化の速度も遅いです』

 うん、なるほどなあ。

 まあ、要するに外資系だろうが日系だろうが『残業・休日出勤喜んで!!!』みたいな社畜野郎が基本的には出世するんだが、日系と外資系の一番の違いは「簡単にクビになる外資系」と「普通にやってれば絶対クビを切られない日系」という、微妙であるようで、実はものすごく大きな違いがあるわけだ。

 そりゃそうだよね、日がな一日中鼻くそほじくって、仕事をしているフリをしてコンピュータに向かっているんだが、実はネット・サーフィンをしてたり、音を出さないようにしてフリーセルをしていたりしてもクビにはならない日系企業のサラリーマンと、そんなことをしていたら当然売り上げが上がらないから「明日から会社来なくていいよ」って言われちゃう外資系企業という大きな違いがある。

 とにかく「結果次第」で評価される外資系と、「経過次第」で評価される日系のちがいなんだな、それは。

 どっちがいいかって? そりゃまさしく「ぬるま湯」の日系の方が日本人にとってはラクなんだけれども、それは「出世は歳の順よ」って言われる日系がいいのか、「出世は仕事の結果次第だべ」って言われる外資とどっちがいいかって問題。

 まあ、いずれ日系もこれまでの雇用状況ではいられなくなるということを前提にして考えれば、いまから外資系で「鍛えておく」ってのも悪くはない。

 うん、それは「アリ」だな。

 まあ、サラリーマンを続けるっていう前提ならってことですけれどもね。

外資系OLは見た! 世界一タフな職場を生き抜く人たちの仕事の習慣』(ずんずん著/KADOKAWA/2015年5月19日刊)

2016年7月11日 (月)

旧東海道を往く。今度は神奈川宿じゃ

 ということで、川崎宿の後は神奈川宿でしょう。ということになるのだが、実は神奈川宿は現在その遺構なんかも残されていないし、宿場町的なものもないので、結構「ここが神奈川宿」って言える遺構は少ないのだ。

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  京浜急行神奈川新町駅脇の神奈川東公園に行くと、ここが昔のオランダ領事館であり、そのために与えられたお寺があって、そこに宿場の入り口としての「桝形」があって、というのはまあわかるんだけれども、それだけ。

 で、そのまま国道1号線と15号線の合流点を過ぎると、おお! そこには昔の旧東海道があるんですね。

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 称して横浜市神奈川区台町。ここ大綱金刀比羅神社の門前には江戸から七つ目の一里塚が置かれていたっていうだけでも、それだけここ横浜市神奈川区台町が、昔の横浜の中心だったってことですね。

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「台町」っていう名前がついているだけ、それこそ台地の上の町だったってことです。

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 なので、この田中屋みたいな老舗の店が残っているんですね。

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 でも、この田中屋だって昔のままではない。

Photo (c)Hiroshige Ando

『「田中家」は、安藤広重の「東海道五十三次 神奈川」の浮世絵にも描かれたさくらやを引き継ぎ、江戸時代の創業からおよそ150年、この地で営業をつづけてまいりました。ここ神奈川宿は、 「弥次喜多道中」にも描かれ、最盛期には本陣、宿、茶屋が軒を並べ約1300軒の家屋がありました。そのなかで私ども「田中家」は、唯一現存するあり、また、横浜最古の料亭でもあります』ということらしい。

『明治には、幕末の志士坂本龍馬の妻、おりょうも働いておりました。西郷隆盛と高杉晋作が倒幕の計画を練った場所でもあり、伊藤博文などの要人や、各国の大使、漱石などの文化人も数多くお越しいただいた歴史を持っております』

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 うーん、最後はこの「神奈川台の関門跡」か?

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 そういう意味では現在商店街になっている川崎宿と違って、ちょっと寂しい神奈川宿ではあるが、まあ、多分、高台にある街。それがやがてお屋敷街になって、それが相続の問題になっていろいろ問題が起きて、結局、集合住宅になった、っていう普通の街の発展過程なのだろう。

 まあ、もはやここが「旧東海道」なんてことを、この地の住民は意識していないんだろうし。

NIKON Df AF NIKKOR20mm f1:28 @Kanagawa Yokohama (c)tsunoken

2016年7月10日 (日)

「不動産投資セミナー」に行ってきた

 昨日は飯田橋にあるベルサール飯田橋ファーストで行われた、日経BP社主催の「不動産投資セミナー」に参加してきた。

 当然、参加者は私みたいなジジイばっかりかと予想していたんだが、意外と若い男性とか、女性(これは若い人から高齢者まで)とかもかなり散見出来た。それについては終わりの方で書きます。

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 内容は、まず基調講演が東洋大学教授で慶応大学名誉教授、小泉内閣で経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、に就任し、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を標榜した竹中平蔵氏の「日本経済の将来と投資機会」第1部が投資用マンションの建設・販売・管理を行っているガーラ・マンションでおなじみ株式会社FJネクストの営業本部部長代理兼台湾益富傑薫事長の倉並美枝氏と不動産コンサルタントの長島修氏の対談「未来のための資産形成術」。休憩をはさんで第2部がどちらかというと中古の資産投資用マンションの扱いが多い株式会社ブロードブレインズの取締役副社長の種市全洋氏と住宅コンサルタントの野中清志氏の対談で「東京五輪・マイナス金利と東京不動産投資市場への影響」。最後が将棋棋士で投資家の桐谷広人氏の特別講演「投資の神髄」という構成。

 竹中氏の基調講演「日本経済の将来と投資聞機会」なんだが、ほぼ予想通りの内容で、アベノミクスがやろうとしていることは間違ってはいないのだが、現段階ではそれが「ぬかるみ」状態になっていてうまくいってない。それは規制緩和がうまくいっていないので投資機会が増えていないからだ、というもの。まあ、「聖域なき構造改革」の人らしい発言ではあるが、じゃあどうすれば規制緩和ができるのかまでは語ってくれない。まあ、自民党内の旧守派をクビにすればいいのだけれども、それができていないっていうことなんだなあ。

 イギリスのEU離脱という国民投票の結果や、トランプ氏現象などにみられるハイパー・ポピュリズムの原因は、「大断層」という格差が絶望的な状態にまでなってしまっていることがあるんだが、それはアングロサクソン特有の現象かと思っていたら、東京都知事選なんかもハイパー・ポピュリズムの匂いがしてきて、ポピュリズムがドミノ現象をおこしてきている。

 そうなると世界に波風が立ってきて、それに対する防衛策としてスイス・フランや日本円がセーフ・ハーバーとして買われてきている。

 アベノミクスを進めるためには「第4次産業革命(インダストリー4.0)」が必要でAirbnbやウーバーなどのサービスを積極的に推し進める必要があるだろうし、利用価値の高い都心の不動産などもセーフ・ハーバーになり得る。また2020年の東京オリンピック・パラリンピックには「締め切り効果」としてチャンスがやってくるだろう。しかし、そのためにもインダストリー4.0でどんどん規制緩和や特区作りをする必要がある。

 ということだった。

 その後の、第1部、第2部は新築のFJネクストと中古のブロードブレインズという違いはあるが、まあ基本的には同じ「マンション不動産投資」の話なのでかなりダブる部分がある。

 いずれにせよ、投資をするのなら一番は都心3区(港、千代田、中央)あるいはそれに新宿、渋谷を加えた5区、さらにそれに目黒、文京、品川を加えた8区エリアが投資に向いているということだ。以前、「東京17区」ってブログを書いたことがあるが、8区ねえ。

 まあ、いずれにせよ日本全体の人口は減少しつつあるのだが、東京圏(と大阪、名古屋圏)だけは人口が増え続けており、特に東京圏は若い単身者が増えてきており、単身者向けのマンション需要は相変わらず不足ぎみなのだ。特に単身者や学生が多い街は「街が若い」ということになり、それはますます街に活気があることになり、その街に住む希望者がどんどん増えるってことなんだなあ。

 一方、一戸建ての土地にはお金が入ってこないし、郊外のアパートは空室率がアップしているので、これからは都心のワンルームマンションの需要が更に増えてくるだろう。

 いずれにせよ、日本中の上場企業の本社の50%が東京に集中しているし、外資系企業の日本における本社所在地の75%が東京に集中している。なので、東京一極集中の傾向は今後も変わらないだろう。

 特にこれからリニア新幹線駅や山手線新駅ができる品川周辺が第二丸の内化してきて、ますます職住接近の需要が増えてくる。

 ただし、そんな投資用マンションも大事なのは立地と管理。これには妥協しちゃいけないそうだ。

 立地というのは最寄り駅から何分ということなのだが、これが以前は10分くらいまでOKだったのだが、最近は6分くらいにまで短くなっているそうだ。更にその最寄り駅から通うオフィスまでの時間も重要だ。ということなので、都心3区、5区、8区っていうことになっちゃうんだなあ。

 管理というのは管理組合がどれほど機能しているかということ。つまり、そのマンションのメンテナンスをキチンと行っているかということ。これは管理組合だけじゃなくて管理組合が管理を委託している管理会社の問題もある。メンテナンスには当然お金がかかるので、管理組合や管理会社が積極的でないマンションではこのメンテナンス(大規模修繕や小規模修繕)をおろそかにしていることろがある。ところが、そうやってメンテナンスにお金をかけないと、どんどんマンションはボロくなってきて、リセール・バリューも安くなってきてしまうし、当然そうなれば賃貸の家賃にも影響してきてしまう。

 そうなると、普通のマンションを買って賃貸に出すよりは、投資用マンションを買って賃貸に出す方がお得ってことになるのだろうか。この辺はあまり考えていなかったので、おおいに参考になった。普通に不動産屋さんのサイトで条件にあう物件を探すのもよいけれども、むしろ投資用マンションを作って売って管理しているようなマンションの方がいいのかもしれない。

 更にマンションは「女性目線」で探そうということらしい。つまり、単純に言ってしまうと「オートロック」と「バス、トイレ別」ってことですね。

 うん、そうしよう。

 で、初めに書いた「意外と若い人とか、女性とかもかなり散見出来た」という件なのだが、要は彼らにとっては、現在働きながら納めている年金だってどれほど受け取れるのかどうなのかはわかっていない。更に、現在は住宅ローンの金利もメチャクチャ低いので、働いて収入がある期間は、マンションの家賃収入はそのまま預金にまわすことが出来る。ならば、例えば40歳で35年の固定金利でローンを組んでも、25年くらいで繰り上げ返済ができてしまう。そうなれば65歳から、言ってみれば「自分年金」を家賃収入から受け取れるわけで、老後を安心して暮らせるというわけだ。

 う~ん、今の若い人とか女性とかってかなり堅実に自分の未来のことを考えているんだなあ。

 まあ、彼ら彼女らが65歳になった時に、日本経済がどんな状態になっているのか、どんな人口動態になっているのかは知りませんが。

 私の場合も、年金だけじゃ心もとないので、やはり自分年金としての不動産収入を考えているんですよね。

 前にも書いたことがあるが「不労所得」って、いいもんですよ。

2016年7月 9日 (土)

『田中角栄と安倍晋三』って……比較にならないじゃん

「厨房男子」なのだが、7月9日から京都みなみ会館、7月16日から神戸市元町映画館での公開が決まったようだ。関西の方も見られるよになった。面白いですよ。

 で、それとは関係なく、本日の書評は『田中角栄と安倍晋三』なんだが、この二人を対比してもなあ……。

 結局、「アベノミクス3本の矢」も、「日銀の協力を得た金融緩和」だけはうまくいて「円安誘導」「株高」だけはうまくいったが、その後の「機動的な財政政策」は一時的なものだけでうまくいってないし、「投資を喚起する成長戦略」については規制緩和に関しては旧守勢力の抵抗でまったく手つかずだ。で、結局再び日本経済はデフレ基調になってきてしまっている。

 一方、『新たな3本の矢は(1)希望を生み出す強い経済(2)夢を紡ぐ子育て支援(3)安心につながる社会保障――の3項目。首相は「長年手つかずだった日本社会の構造的課題である少子高齢化の問題に真正面から挑戦したい」と意気込みを示した』というものの、もうほとんどの国民はそんなことは信じなくなってしまっている。

 もともと、安倍晋三は岸信介ゆずりの保守主義と国家主義しか政策の柱はないし、経済政策なんてものは基本的に不得意な分野であった。でも、いまや日本政治の喫緊の課題はデフレ脱却だし、まず政治課題を解決するのには経済が優先するということなので、アベノミクスなんていう不得意課題を提出してきたわけなのだけれども、それが既に手垢にまみれてしまった以上は安倍政権は退場すべきなんだけれども、まだ辞めずに、更には18歳以上参政権なんてものを出してきてしまうあたり、若者の「保守化」「国家主義化」というものを読んでいるんだろうなあ。

Photo 『田中角栄と安倍晋三 昭和史でわかる「劣化ニッポン」の正体』(保坂正康著/朝日新書/2016年6月30日刊)

 で、安倍晋三の政治姿勢ってどうなんだ。

『安倍は特定秘密保護法を制定し、集団的自衛権の行使を容認して安保関連法案を成立させた。日本の針路を右に向けて大きく舵を切った。こういう安倍の政策は、単に日本を旧体制に向きを変えるというだけではなく、それまでの日本の政治に対する公然とした挑戦であった。同時にこの挑戦は、これまで護憲勢力が一国平和主義の理論にどっぷりと浸かりすぎて、憲法の規定について何ら前向きな検討をしてこなかった間隙を巧みについている。いわばツケがまわってきたのだ。安倍に代表される右派勢力はその弱点を利用している。そのことは政界や世論を俯瞰して見ると一目瞭然だ』

『そもそも憲法は何度変えてもいいはずで、「平和のため」に大胆に変えるくらいの融通性を持たなければならない。それなのに護憲勢力は常に二の足を踏んできた。それによって平和主義者たちは右派に足をすくわれてしまった。見方を変えれば安倍首相は相手の弱点を読み、実に巧妙に解釈改憲、安保関連法成立に成功したことになる。背後のブレーンが知恵をつけているのだろう』

『このヘイトスピーチや偏狭なナショナリズムの持ち主は、やはり一国平和主義の精神と通じていることを私たちは知っておくべきである』

『ヘイトスピーチに走る若者やネット右翼の中にはワーキングプアと呼ばれ、低賃金に苦しむ非正規労働者が少なからず存在するとの分析がある。彼らが中国、韓国に憤りを感じて過剰反応する背景には、コミュニティで味わうべき心理が満たされていないとの事実があるからというのである』

『しかし組織を離れているとそうしたコミュニティの中で自らの意見を客観視する機会がない。そのため中国、韓国の行動や挑発がダイレクトに自分に向かってくるものだととらえ、これらの国々に反発を抱き、怒りを増幅させる。つまり不安定な生活や心理が過激なヘイトスピーチに向かわせるというのだ』

 まあ、そんなヘイトスピーチをする人間たちとかなり近しい立場にいるってのが安倍晋三なんだが、今はそんなことやっている場合じゃないでしょ。むしろ「経済優先」でもって政権運営をしなければならない時期じゃないのか。

『私たちはなぜ昭和史を大切にしなければならないのか。平成の時代にあってもなお、昭和史を語り継ぐことにどのような意味があるのだろうか。その答えは簡単だ。昭和史というのは天皇の在位が64年、実質的には62年と2週間だった。このわずかな間に私たちの国はテロ、クーデター、戦争、侵略、被占領、貧困など人類が時間をかけて経験してきたあらゆることを体験した。それによって日本人がどう変わったのか、これからどう変わっていくべきなのかが検証できる。昭和史の歴史的な重要性はこの点にあるのだ』

『田中はいわゆるエリートではなく、政・財・官のトライアングルの中に身を置いて政治資金を獲得するわけではなく、すべて自らの力でその資金を獲得して権力の頂点に立った。人心掌握には自らの地肌を顕にした。政策の上では、近代日本の最大の誤りである対中政策に、初めて終止符を打った。さらに「日本列島改造論」によって、この国の富を国民に分配するための独自の国家改造の方法論を示した。全体的にその政策は保守の主流を担ったが、憲法改正を始めとして大日本帝国への回帰とはみごとなまでに一線を引いた』

『安倍晋三首相は、岸の孫としての縁もあるのだろうが、その政治姿勢や理念に共鳴していることを隠さない。いわば岸の亡霊が、現代社会にあらわれているといってもいいのだが、この亡霊に抗するには「田中角栄」の系譜に連なる政治理念や政治姿勢を対立軸として据えてみるとわかりやすいのではないか』

『田中角栄は、金脈問題を質問されることをわかっていても、この特派員協会との記者会見に応じて、つまるところは墓穴を掘る形になった。田中の失脚はこのときから始まったといえるが、しかし田中は外国人記者に向けて、たとえ不利な状況になると予想されても受けて立ったのである。それこそが政治家の責任であろう。安倍首相がそのような責任を回避していることを考えると、そこには政治家としての姿勢に大きな開きがあると断言していいであろう』

『平成の首相は総体的に見て、昭和の首相と比べても器が小さく、政治思想も曖昧で、なにより人物の度量が「偉大な」という段階にはほど遠いように思うのだ』

『昭和の一時代を画した田中角栄を一方の極に据え、もう一方に平成を代表する形で安倍晋三を立たせてみる。田中のもつ指導者としての能力や度量、そして政策などすべてが安倍には欠けている。いや安倍だけでなく、平成のいずれの首相にもそのエネルギーは不足している』

「政治思想も曖昧で」って誉めすぎ。むしろ「政治思想がない」っていう位、政治に理想像を持っていないのではないか。

 その結果、祖父の思想をまねようとして国家主義に陥るわけであるが、その国家主義自体をキチンと理解しているとは思えないくらい、今の政権は「劣化」しているのである。

『田中角栄と安倍晋三 昭和史でわかる「劣化ニッポン」の正体』(保坂正康著/朝日新書/2016年6月30日刊)

2016年7月 8日 (金)

久々のYebisu

 そういえば、最近恵比寿に行ってないなあ。

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 と思ったら、要は東京都写真美術館が長期改修中で写真展を行っていないので、なんとなくEbisにもYebisu Garden Placeにも行かなくなってしまったのだった。

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 まあ、でもいよい今年9月3日から「杉本博司 ロスト・ヒューマン」から再開される。まあ、あんまり杉本博司っていう写真家には興味はないんだけれども、再開した東京都写真美術館がどんな具合になっているのか、という興味で行くんだろうなあ。

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 それにしても久々に見るこの回廊……

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 カフェや……

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 ビアホールって……

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 そう私は「俗物」なので、こうした「似非ヨーロッパ風の佇まい」って、実は好きなんですよね。

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 いいじゃないですか。所詮、私は極東日本の男なんだから、「似非」でも「真正」でもヨーロッパ風には憧れるんです。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Yebisu Shibuya (c)tsunoken

2016年7月 7日 (木)

旧東海道・川崎宿を往く

 旧東海道品川宿に鈴ヶ森の刑場で別れを告げ、しばらく歩くと多摩川に出る。六郷の渡しで川を渡ると、そこは既に川崎宿が始まっている。

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 六郷の渡しは川崎宿が請け負っていたので、その船賃収入も結構な川崎宿の収入になっていたんだろう。

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 宿場の入り口(京都から見れば出口)のそばには堀之内のソープ街がある。まあ、考えてみれば宿場の飯盛り女が今のソープ嬢だということなんだろう。

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 で、再び旧東海道に戻る。

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 川崎宿の中心の方に行く。

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 と、「田中本陣跡」という碑があるのだが、当然そこは田中さんの家ではなくて、深瀬さんという人の家になっている。

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 もうちょっと行くと「かわさき宿交流館」というのがある。宿場のジオラマなんかもあって、川崎宿の資料がいろいろ展示されている。

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「宗三寺 遊女の墓」という碑があったのでお寺に見に行ったのだが、どれが遊女の墓なのかはわからずじまい。

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 もう少し行くと「京口土居」の説明板が。切石を積んでここから先が宿場町だったという印だったようだ。つまり昔は京都が日本の中心だったので、あくまでも京都に近い方が宿場の入り口で、六郷の渡しがある方は出口だったわけ。

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 なので、旧東海道もここ小川町通りあたりは既に川崎宿の外。

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 京浜急行八丁畷駅のそばには無縁塚や……

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「芭蕉の句碑」なんかがあるのだが、要はここで大坂に帰る芭蕉と弟子の最後の別れの場所だったという、川崎宿で最後の別れをして、この場所で芭蕉が別れの句を詠んだということなのだろう。

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NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 D @Kawasaki (c)tsunoken

2016年7月 6日 (水)

IKEA港北店に行ってみてクリビツテンギョー

 カミさんと話して、たまには今まで行ったことのないIKEAに行ってみようということで、IKEA港北店へ行ってきた。

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 これまでIKEAは新三郷、船橋、立川に行ったことがあるが、港北店に行ってまずびっくりしたのがその広さ。駐車場に入った段階でその広さに圧倒されてしまい、もうクリビツテンギョーでございます。

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 店内は他の店舗と同じく、1階まで下りるとまず2階に上がれっていう指示。

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 2階は提案型のショールームになっていて、こんな感じでマンションの2DKを作りましょう、なんていう展示がある。

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「IKEA BUSINESS」なんてコーナー、他の店舗にあったかなあ。

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 で、2階を一回りするとエスカレーターで1階に下りてくる。

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 1階は単品コーナーで、とにかく沢山の商品が置いてある。

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 ところが店員の数がメチャクチャ少ない。まあ、この辺はいろいろと説明が必要な家電店なんかと違うところなんだろうなあ。

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 まあ、オペレーションをキチンとやれば少ない店員で店を回すことが出来るっていう典型なんだろう。

 最後の場所は、要は倉庫。それもとてつもなくデカい!

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 で、レジもごく少数で回している。システム化の権化ですな。

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FUJFILM X10 @IKEA Kohoku @Kohoku Yokohama (c)tsunoken

2016年7月 5日 (火)

田中長徳写真展「TODAY TOKYO」は「YESTERDAY TOKYO」なんだけれどもね

 田中長徳写真展「TODAY TOKYO 1966」が四谷4丁目の6人の若手写真家が運営するギャラリーニエプスで7月10日まで開催中だ。

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 田中氏のデビュー前の高校三年生と日大藝術学部一年生のころの写真なので1965年から66年頃の写真。『東京ニコン日記』などでも見られる写真がいくつかあるような、ないような。

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 まだライカを手に入れる前なのでニコンFとニッコール2.1センチで撮影した写真だ。高校生でニコンFを持っていたってのもすごいが、しかし、当時から田中氏の写真のスタイルって「意味を求めない写真」っていうスタイルで、既にデビュー前からそのスタイルは確立しているということが、これらの写真群から見て取れる。

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 まあ、取り敢えずは田中長徳氏に倣って私もニコンDfにニッコール20mmで撮りました。

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 しかしまあ、田中長徳氏みたいな「意味を求めない写真」って、やってみると意外に難しいんですね。

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 意識しないと何となく写真に意味を求めてしまう。

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 実際には写真には意味はないのだれどもね。

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ギャラリーニエプスのサイトはコチラ

 ただし、場所はちょっとわかりづらい。新宿通り四谷4丁目のクロネコヤマト宅配便センターの真裏。メイプル花上というアパートの二階です。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Yotsuya (c)Chotoku Tanaka (c)tsunoken

2016年7月 4日 (月)

『無敵の「一日一食」』も意味がちょっと違う気が

 三枝成彰氏が「一日一食」だというのは以前から知っていたが、そういう理由だったというのは初めて知った。

11 『無敵の「一日一食」 疲れ知らずで頭が冴える』(三枝成彰著/SB新書/2016年6月15日紙版刊・2016年7月1日電子版刊)

『私が1日1食にしたのは、痩せるためでも、健康になるためでも、悟りを開くためでもありません。全力で仕事に取り組むためです』

『私の1日1食のスタイルは、朝と昼は漢方ドリンクを飲んで、夕食は好きなだけ食べてお酒を飲むというもの。夕食は仕事のつき合いから、ほぼ毎晩会食です』

『私はコーヒーが好きではなく、お茶も飲まないので、水の代わりに漢方ドリンクを飲んでいます。女房が朝煮出してくれたものをマイボトルに入れて持ち歩いているのです。
 漢方ドリンクはマイボトル2本分。1本が約500㏄、もう1本が約300㏄ですから、合わせて800㏄を毎日飲んでいる計算です』

『一般的な日本人の食事は、カロリーの半分以上が糖質(ご飯、パン、麺類、ジャガイモなど)で占められています。
 そのため、食事をすると糖質が体内に吸収されて「血糖値」が上がります。ちなみに血液中の糖質(ブドウ糖)が「血糖」であり、その濃度が血糖値です。
 いったん上がった血糖値が下がるときにお腹は空きます。朝食も昼食も食べないと血糖値はずっと安定していますから、お腹は空かないのです』

 うん、これは経験がある。名古屋に住み始めた時、初めての一人暮らしだったので朝食を摂らない時期があった。ところがそんな時には昼になってもお腹がすかないのだ。これはいかんと考えて、簡単でもいいから朝食を摂るようにした、それも炭水化物だ。そうすると、ちゃんと昼になるとお腹がすいてくる。そうかそれは血糖値の上がり下がりだったのか。

 しかし、問題は思考力のことなのだ。つまり脳が働くためにはエネルギーが必要で、このエネルギーこそは糖質によって補われる。なので、普通は朝食には糖質を摂って、その代わり夕食(夜食)には糖質を摂らないというのが正しい食事法なんだと考えているんだがなあ。そんなわけで、私の一日の食事は、朝は普通にご飯と野菜とタンパク質。昼は食べずに、夜は野菜と魚・肉類などのタンパク質と焼酎などの蒸留酒、というスタイルなんだが、三枝氏によればそれは間違った食事法だというんだなあ。

 で、夕食はだいたい会食になることが多く

『私は肉が好きですから、夕食で食べるのは肉が多いです。それも牛肉か豚肉ばかりで、鶏肉にもジビエにも関心がありません。
 野菜にも興味がなく、会食で出されたらサラダを食べるくらい。糖質は大好きなので、コース料理なら最後のデザートまで食べます。
 また、私はかなりお酒に強いのですが、夕食で好きなだけ楽しんでいます。飲むのはもっぱら焼酎か日本酒かウイスキー』

『眠る前には、とらやの小倉羊羹『夜の梅』を厚めに切って、それを肴にブランデーを飲みながら「あ~、今日もようやく1日が終わった!」と、リラックスして眠りにつきます』

 まあ、それはそれでいいのだが、以前はもっとムチャクチャだったらしい。

『1日1食を習慣化する前にも40代までは1日1食だった時代がありました。その頃は仕事が忙しすぎて、食事の時間がなかったのです』

『私は映画を始めとする商業音楽で、忙しいときは年200回ほどレコーディングしていました。レコーディングを終えてクタクタになって仕事場に帰ってくると、すぐに次の作曲を始めるという生活です。
 1週間の睡眠時間が合計7時間という時期もありました。
 睡眠不足なので、食べるとすぐに疲れて眠くなります。それでは締め切りに間に合いませんから、食事を1日1食にセーブしていたのです』

『いまは会食でお酒が入る夕方以降は仕事をしませんが、10年前までは年間120日は徹夜して朝5時半まで仕事をしていました。
 仕事を終えて朝5時半くらいに睡眠薬を飲み、6時に寝たら11時に起きて昼12時頃に自宅を出て、仕事場で午後1時から仕事を始めるという生活をしていたのです』

 これは体を壊す食事法ですね。

 以下は食事法じゃないけれども

『リタイアしてから何もすることが見つからないと、体が鈍りますし、日がなぼんやりとすごしているだけではボケてしまいます』

『定年になってからテーマを探そうとすると間に合わないし、うまく見つけられない恐れもありますから、私が40代半ばからオペラというライフワークを見つけたように、50歳くらいまでに準備しておいたほうがよいでしょう』

『世のため、人のためにならなくても自己満足で十分。私のオペラだって自己満足だといわれたら、そうかもしれないのです。
 ともかくボケないで死ぬまで何か情熱を持って取り組みたいという人には1日1食が強い味方になってくれます』

 まあ、私にとってのそれが「ブログを書く」ってことなんだけれども、それと「一日一食」は関係ないと思うんだがなあ。

 まあ、三枝氏にとってはダイレクトに結びついちゃうんだなあ。

 そんなことよりも、体重が増えないように、適度に運動をしてカロリーを消費し、自分にあった食事法をするっていうほうが一番良いように思うんだがなあ。食事法というのは人それぞれで、どの方法でも誰にでも当てはまる方法はないってわけなんだからね。

 要は「太る」っていうのは、「摂取カロリー>消費カロリー」なわけですよ。

『無敵の「一日一食」 疲れ知らずで頭が冴える』(三枝成彰著/SB新書/2016年6月15日紙版刊・2016年7月1日電子版刊)

2016年7月 3日 (日)

都立城北中央公園の栗原遺跡

 いよいよ今年もツール・ド・フランスがモン・サン・ミシェルからスタートして、Dデイで知られるオマハ・ビーチまでの第1ステージで開幕しました、またまた寝不足の三週間が始まった、というわけですが……。

 そんなこととは一切関係なく(まあ、それはしょうがないよな。ツールより先にブログ書いちゃってんだから)、都立城北中央公園っていうのは、ちょうど練馬区と板橋区の区境にあって、両区民の憩いの場となっているようだ(なんか他人事のようだなあ)。

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 元々は第二次世界大戦中に策定された防空緑地(空襲被害の拡大を防ぐために設置された緑地)の一つであり、戦後そのまま公園として整備され、陸上競技場、野球場、テニス場など、特にスポーツ施設を充実させた総合レクリエーション公園になった、というもの。

 だとすると、この東京少年鑑別所(練馬区にあるのでいわゆる「ネリカン」ってやつ)もその防空緑地の一部だったんだろうか。

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 一時期、敷地の一部が立教学院の総合グラウンドであったため(立教大学在学中の長嶋茂雄もこの場所まで練習に通っていた)、現在もスポーツ施設が充実している。

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 野球場も何面もあるし……

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 400mトラックがある陸上競技場や……

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 遊具を備えた児童公園なんかも完備されている。

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 が、その陸上競技場の裏側に行くと……。

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「栗原遺跡の竪穴住居跡」なんてのがある。

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 はるか昔、この地は石器時代の頃から人が住んでおり、縄文式、弥生式の集落があったそうだ。

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 まあ、確かに氷川台というのは石神井川沿いの河岸段丘にあるわけで、人が住むのには適していた場所なんだろうというのが分かる。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Hikawadai Nerima (c)tsunoken

2016年7月 2日 (土)

今月の六義園のテーマは「七夕まつり」

 さて皐月と紫陽花が終わって7月の六義園のテーマは何だろう?

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 やっぱり7月は「七夕飾り ~あなたの願いを短冊に~」なのでありました。

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 入場券売り場の脇に七夕の説明と、ビニールの短冊、筆記用具がおいてある。

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 で、中門を入ったところに笹が置いてあって、自分の書いた短冊を結び付けられるようになっている。

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 七夕の説明が英語でも書かれているので、こんな外国語の願い事も書いてある。「Ich」で始まっているのでドイツ語らしいのだが、よくわからない。

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 まあ、大半はこんな家族の健康などを願った短冊なのだが……

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 中にはこんなのもある。「身長が欲しいです あと5cmくらい」ってかわいいですね。

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 で、笹に短冊がいっぱいになると、こんなぐあいにしだれ櫻の脇に立ててくれるんだ。

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 ということで、梅雨の晴れ間の六義園からお送りしました。

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 皆様も、短冊を書きに六義園へお越しを……。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Rikugien Bunkyo (c)tsunoken

2016年7月 1日 (金)

堀切菖蒲園? 紫陽花園?

 京成本線を堀切菖蒲園で下車して、堀切十二支神やら……

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 菖蒲七福神なんかの前を通って……

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 いかにも川を暗渠にしましたって感じの……

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 曲がりくねった道を行くと……

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 堀切菖蒲園の前に出る。

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 が「堀切菖蒲祭り」は6月20日で終わっているので……

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 花菖蒲なんかはほとんど咲いていない。

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 代わりに、いまだに存在感があるのが紫陽花なのだ。

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 う~ん、やっぱり堀切菖蒲園に行くなら花菖蒲が咲いている時期じゃないとダメなのかな。

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 こっちは菖蒲祭りの前に、水元公園で花菖蒲は見ちゃったから、もういいやってところもあるんですがね。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Horikiri Katsushika (c)tsunoken

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