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2016年6月 3日 (金)

『言ってはいけない』ことは、堂々と言いましょう

 いわゆる「人と人を差別をしてはいけない」というリベラルの立場の人たちの発言は、現実を重視していない「お花畑の発想だ」というのが本書の趣旨。問題は、本来は自然科学の結果をしっかり受け入れて、それでなおかつ人々の幸せを願うのが、本当のリベラルなんじゃないだろうか、というのが、多分橘氏のスタンスだと思うんだが。

Photo 『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(橘玲著/新潮新書/2016年4月22日刊)

 まえがきに曰く。

『世界は本来、残酷で理不尽なものだ。その理由を、いまではたった1行で説明できる。

 ひとは幸福になるために生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。

 私たちをデザインしているのは誰か? ひとびとはこれまで、それを神と呼んでいた。だが、ダーウィンが現れて、「神」のほんとうの名前を告げた。それは″進化″だ。
 ダーウィンの「危険な思想」は、100年経ってもほとんど理解されなかった。1930年代になってようやくメンデルの遺伝学が再評価され、進化の仕組みが(まがりなりにも)説明されるようになったが、不幸なことにナチスによって誤用され、ユダヤ人やロマ(ジプシー)、精神病者など「遺伝的に劣った種」の絶滅を正当化する優生学になった。悲惨な戦争が終わると、「進化論は自然や生き物の不思議を研究する学問で、知性を持つ人間は別だ」という″人間中心主義(ヒューマニズム)″が政治的に正しい態度とされるようになった。
 だが1950年にワトソンとクリックがDNAの二重らせんを発見し、生命の神秘の謎を解く鍵を手に入れたことで、ダーウィンの進化論は大きくヴァージョンアップした。動物行動学(エソロジー)は、チンパンジーなど霊長類の観察を通じて、ヒトの生態の多くが動物たちと共通しており、私たちが「特別な種」ではないことを説得力をもってしめした。こうして進化生物学・進化心理学が誕生した。
「現代の進化論」は、こう主張した。

 身体だけでなく、人のこころも進化によってデザインされた。

 だとしたら私たちの喜びや悲しみ、愛情や憎しみはもちろん、世の中で起きているあらゆる出来事が進化の枠組みのなかでりかいできるはずだ。このようにして現代の進化論は、コンピュータなどテクノロジーの球速な発達に支えられ、分子遺伝学、脳科学、ゲーム理論、複雑系などの「新しい知」と融合して、人文科学・社会科学を根底から書き換えようとしている』

 つまり、いくら努力したって、あるいは勉強したって、結局我々は、我々の先祖によってデザインされた人生を送るしかないってことなのだろうか。

 で、本書で『言ってはいけない』ことってなんだろうか。目次を拾うと……

Ⅰ 努力は遺伝に勝てないのか
 1 遺伝にまつわる語られざるタブー
 2 「頭がよくなる」とはどういうことか――知能のタブー――
 3 知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に落ちる人
 4 進化がもたらす、残酷なレイプは防げるか
 5 反社会的な人間はどのように生まれるか
Ⅱ あまりに残酷な「美貌格差」
 6 「見た目」で人生は決まる――容貌のタブー――
 7 あまりに残酷な「美貌格差」
 8 男女平等が妨げる「女性の幸福」について
 9 結婚相手選びとセックスにおける残酷な真実
 10 女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか?
Ⅲ 子育てや教育は子どもの成長に関係ない
 11 私はどのようにして「わたし」になるのか
 12 親子の語られざる真実
 13 「遺伝子と環境」が引き起こす残酷な真実

 てな具合に、まあとりあえずは、我々の人生は先祖によってデザインされちゃってるんだから、「努力は無駄ですよ」って言っているようなもんだけど、橘氏だって早稲田大学に入るために努力したんだろうし、宝島社に入るためにも努力したんだろうし(う~ん、これはちょっと微妙だなあ)、今では文筆で生きていくためには多少どころの努力ではないと思うんががなあ。

 まあ、一番簡単だし、わかりやすいのは「 私はどのようにして「わたし」になるのか」という部分。

『わたしは、遺伝と環境によって「わたし」になった』

『わたしは、遺伝と非共有環境によって「わたし」になる』

 まあ、多少はホッとさせるのが、「わたし」は遺伝だけで「わたし」になるのではないってこと。遺伝とプラスして環境(非共有環境も含めて)によっても、「わたし」は変わってくるってことでしょうか。ここでいう「非共有環境」「共有環境」とは、家族など同じ経験を共有する環境を「共有環境」といい、近所の遊び友達とか、学校の友達とか会社の同僚とかの、同じ経験を有しない環境を「非共有環境」という。

『親は子どもの人格形成になんの影響も与えられないというのは、ものすごく理不尽な話にちがいない。だが子育ての経験があるひとならば、どこかで納得しているのではないだろうか。なぜなら、子どもは親の思いどおりにはぜんぜん育たないのだから』

 というところは説得力ある。本当に『子どもは親の思いどおりにはぜんぜん育たない』のは事実だ。しかし、そんな親の思い通りには育たない子どもでも、どう考えても親からの生き写しみたいなところ(それも嫌な部分でね)が出てきてしまうのは事実だ。

『子どもが親に似ているのは遺伝子を共有しているからだ。子どもの個性や能力は、子育て(家庭環境)ではなく、子どもの遺伝子と非共有環境の相互作用によってつくられていく。そしてこの過程に、親はほとんど影響を与えることができない』

『進化適応環境では、子どもたちは男女に分かれて年齢のちかいグループをつくり、年上の子どもが年下の子どもの面倒をみることで親の肩代わりをする。思春期を迎えるまでは、この「友だちの世界」が子どもにとってのすべてだ。
 このように考えれば、子どもの成長にあたって子育て(家庭)の影響がほとんど見られない理由がわかる。「友だちの世界」で生きるために親の言葉すら忘れてしまうなら、それ以外の家庭での習慣をすべて捨て去ってもなんの不思議もない』

 うーん、なるほどねえ。

 私も親の影響っていうよりは、友人関係とか先輩後輩関係の中で今の人生を作ってきたわけだし、我が家の子供たちもそんな感じだったなあ。

 子どもの特権だし、自分の子どもが我々の言うことを聞かないのも、子どもたちの特権というか、それをしもそれは子どもの成長の証だと考えれば、親としては納得できる。

 と、所詮「パンツをはいたサル」でしかない「人間」は思うんだなあ。

『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(橘玲著/新潮新書/2016年4月22日刊)

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