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2016年6月26日 (日)

とうがらし地蔵・西行寺

 一昨日書いた大園寺があった文京区向丘一丁目の裏側、本郷通り(日光御成道)の向丘一丁目にあるのが西行寺。ここは「唐がらし地蔵」で有名なお寺であります。

 まあ、お寺が多い文京区には、こうしたいろいろな名物のあるお寺も当然多いのであります。

Dsc_00172

 で、その唐がらし地蔵さんなんだけれども、なんかいつの間にかお堂が立派なものに変わってしまっていた。

Dsc_00242

 以前はこんな感じの木造のお堂だったんだけれども、今は上みたいな石造りのお堂になっているのだった。

Photo

 で、その唐がらし地蔵の由来なんだが、文京区教育委員会の説明板が立っている。

Dsc_00202

 曰く

『とうがらし地蔵
 この寺の境内にまつられている地蔵尊は「とうがらし地蔵」と呼ばれ、咳の病に霊験あらたかなことで知られている。『江戸砂子』に「当寺境内に浅草寺久米平内のごとき石像あり。・・・仁王座禅の相をあらはすと云へり。」とある。
 寺に伝わる元文3年(1738)の文書によれば、僧の「覚宝院」が、元禄15年(1702)人々の諸願成就を願い、また咳の病を癒すため自ら座禅姿の石像を刻み、ここに安置したという。以来人々は「覚宝院」が”とうがらし酒”を好んだことから、とうがらしを供え諸願成就を願ってきた。
 尊像は、昭和20年(1945)5月の空襲にあり、その後再建されたものである。なお「とうがらし地蔵」とともに名の知られた「とうがらし閻魔」は、焼失したままとなっている。
 江戸時代、「旧岩槻街道」の道筋にあたるこの辺りは、植木屋が多かったところから「小苗木縄手」それがかわって「うなぎ縄手」と呼ばれていた。
 東京都文京区教育委員会 平成元年(1989)11月』

Dsc_00302

 御開帳はいつ頃なんだろう。

Dsc_00282

 その時にまた来て、ちゃんと直接の写真を撮らせてもらいたいな。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Mukougaoka Bunkyo (c)tsunoken

 

 

 

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