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2016年5月22日 (日)

レイクタウンは大相模調節池

 イオンの巨大なショッピングモールがあることで有名な越谷レイクタウンであるが、その名前の由来となった「レイク」はもともと元荒川や中川、綾瀬川の氾濫を防ぐための人造湖で、名前を「大相模調節池」という。

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 元々、独立行政法人都市再生機構が開発主体となってできた新しい町で、『長年、周辺の問題となっていた中川・綾瀬川・元荒川流域の治水と新市街地整備を同時に実施するため、区画整理地内に大規模な治水施設として大相模調節池を造成、同時に池の周辺に商業施設や集合住宅、公園などを誘致・建設し、調節池の周辺一帯をニュータウンとして整備した』(Wikipedia)というもの。

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 湖の周りを歩いていると「越谷市指定有形文化財 旧東方村 中村家住宅」という案内板があるのでそちらへ行ってみると家はなくなっていた。

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 ただこの中村重太郎翁の銅像が立っているだけである。有形文化財をそんなに簡単に壊しちゃうのかなあ。

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 銅像の脇には説明版が置かれてあって

『中村重太郎翁 1871年(明治四年)~1941年(昭和十六年)大成町二丁目地内・大相模中村家二十五代当主

 中村重太郎翁は、明治二十二年(1889年)、西方・東方・見田方に三分されていた旧大相模郷三か村に中川沿いの南百・四条・別府・千疋の四か村を加えた新しい大相模村の誕生に伴い、その混沌とした創成期初代村長を務め、その後、8期32年の長い期間、体制の整備と地域の新興(振興?)とに尽力した。
 特に、外来種を核とした養鶏事業(当地における養鶏盛行のあ証として相模町・大聖寺の境内に「鶏魂碑」が建てられている)の積極的な導入には、今に語り継がれる功績があった。
 この銅像の建碑は、太平洋戦争勃発の翌日に死去した翁の無欲で謹厳な人柄を偲び、その功績を讃えた、困窮時における村民の篤志に依るものである。
 なお、翁の家系は、平安時代末期に当地に定住・開発を進めた武蔵七党 野与党の一族、初代大相模次郎能高以来継承されているが、近世郷村制の施行後は、居住地東方村が「中の村」になることから「中村」と改姓、同村上組の名主を世襲している。

   越谷市』

 と書かれている。

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 まあそんな村をレイクタウンとして「水辺のある町」として再開発したわけだ。

 で、この地域は「見田方遺跡」という古墳時代の集落遺跡があった場所で、いろいろの出土品もあったそうだが、今はこの遺跡後に作られた「見田方遺跡公園」というものもない。

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「土師器、須恵器などは市立図書館の2階ロビーに展示されている」というので越谷市立図書館に行ったのだが、なぜかわからない「豊臣秀吉の大阪城本丸」なんてのはあったけれども、見田方遺跡の出土品はなかった。

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 う~ん、いろいろと不思議な町、越谷市ではあった。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Koshigaya (c)tsunoken

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