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« 『紙と電子を融合した出版事業を』って、最早当たり前なんだけれどもね | トップページ | 野毛山と野毛町の関係 »

2016年5月25日 (水)

小机城(址市民の森)

 JR横浜線の新横浜の次の駅、小机駅北口を出て、駅から見える小高い丘が小机城であります。

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 駅を出るとこんな感じで丘が見える。

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 で、その反対側が横浜FCでおなじみの日産スタジアムであります。

Dsc_00042

 小机駅北口の周辺案内図を見ても、下の方の緑が小机城、上が日産スタジアムということで、駅からの距離は大体同じくらい、1キロか1キロ半くらい。

Dsc_00012

 小机城に行くまでの途中の道にあった「小机城址市民の森」の案内図。土地所有者が19名ってことは、横浜市とかの公共の持ち物じゃないんだ。

Dsc_00062

 で、山の麓からこんな山道を上がって行くと……

Dsc_00092

 途中に山城ではお馴染みの空堀とか……

Dsc_00202

 土塁とかがあって……

Dsc_00222

 本丸に出る。

Dsc_00162

 本丸の隣に二の丸があったり……

Dsc_00242

 櫓台なんかがあるのだが、それぞれそんなに広くない。櫓台に上がっても日産スタジアムは見えないくらいいだもんね。

Dsc_00232

「小机城について」という説明版がある。

『築城の年代は明らかではありませんが、おそらく、このあたりがひらけた十二世紀以降ではないかと思われます。その頃は、このあたりは上杉氏の勢力下にあり、西方には、その支配下の榎下城があったことから、それとかかわりのある城と思われます。
 その後、山内上杉家の家臣長尾景春が、家督争いに端を発して反乱を起こした時、景春の味方した矢野兵庫助らが城にたてこもり、北方の亀の甲山(現在の新羽町亀ノ甲橋付近)に対陣した上杉方の太田道灌の率いる軍と戦いました。
 城は文明十年(1478)攻め落とされ、上杉氏もやがて北条早雲に追われ、小田原北条の領地となり、四十年間廃城となっていました。
 大永四年(1525)一族の北条氏尭の城となり、笠原越前守信為を城代として再興しました。小机は地理的に、江戸、玉縄、榎下などの諸城を結ぶ位置にあり、この地は以降軍事、経済の両面で極めて重要な役割を果すことになります。
 豊臣秀吉が小田原城を攻め落とし、やがて小田原北条氏が亡び、四代目城主の谷治兵衛重政が徳川家の家臣として二〇〇石の知行を与えられ、近くの台村(緑区台村)に住むことになり小机城は廃城、その歴史を閉じることになりました』

 まあ、もともと城主の住まいとしての城というよりは、戦のための砦みたいな城だったようで、なので徳川時代になって戦がなくなってしまうと、もはや城としての意味はなくなったようなのだ。

 で、今や城域には第三京浜が走っちゃっているんだけれどもね。う~ん、でも城跡は城跡。

Dsc_00322

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Kozukue, Yokohama (c)tsunoken

 

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