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2016年5月

2016年5月31日 (火)

巣鴨地蔵通りの遺跡発掘調査

 昨日、巣鴨の地蔵通りを歩いていたら、「赤パンツ」で有名な「マルジ」の隣の家が解体されていて、そこで豊島区による発掘調査が行われていた。

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 大体、1メートルほど掘ったところでの発掘調査なので江戸時代あたりがターゲットの発掘なのかもしれない。

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 これが2~3メートルまで掘り下げると、関東ローム層の下まで掘り下げることになるので、縄文時代や旧石器時代までをもターゲットにしている可能性はある。

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 この家も、この後はたぶんそこまで掘り下げられるんだろうなあ。まあ、工期は2~3週間は伸びるんだろう。ヘタすりゃそこで縄文時代の住居跡なんかが出てきたら、半年~1年位は伸びちゃうぞ。

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 調査をしている脇に貼られた説明書きによれば……

         『巣鴨遺跡 
     巣鴨町家跡の発掘調査
             2016年5月24日

 現在多くの人々が訪れる巣鴨地蔵通りは、江戸時代の主要な街道の一つである中山道の一部にあたります。豊島区では、この巣鴨地域周辺を「巣鴨遺跡」として指定しており、1991年以降、現在までに100を超える地点で発掘調査を行っています。その結果、この巣鴨の地には、旧石器時代から近代(明治・大正・昭和)までの遺跡が発見され、特に江戸時代の生活の痕跡がよく残されています。

 江戸時代の巣鴨は、江戸六地蔵尊の一つがある真性寺付近を中心として、中山道(現在の地蔵通り~国道17号)に沿って武家屋敷巣鴨町が展開していました。
 巣鴨町は、4つに組分けされ、現在発掘しているこの場所は、巣鴨町上中組の境付近にあたるものと考えられます。これまでに行われた周辺の発掘調査では、江戸時代の地下室や建物跡、中山道に沿って築かれた溝などが発見されています。また胞衣埋納遺構(子供の成長を祈って、胎盤を土器のお皿に納めて地中に埋める習俗)や、地鎮のために盛土の中に埋められた親鸞の像なども発見されています。今回の発掘調査では、現在のところ、建物の基礎と考えられる遺構や、江戸時代を中心とした遺物が発見されています。

                             豊島区教育委員会
                             としま遺跡調査会』

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 そういえば、わがマンションの建替えの際にも、隣の木造家屋のある場所を取り込んで面積を広くしたんだが、その取り込んだ隣地が発掘調査の対象になって、ちょっと苦労したことがあった。

 つまり、鉄筋コンクリートのマンションなんかだと、当然、地下に長い杭を打ってしまっているので、そこにあった筈の遺跡なんかは破壊されている。ただし、木造家屋だとそこまで土台を作っていないので、ちょっと掘れば遺跡が出てくる可能性が高いってことなんだなあ。

 ウチのマンションの場合、2メートルくらい掘って、まあたいしたものが出なかったので、数日の工事ストップで済みましたがね。

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 で、発掘調査で出てきたものを品定めするっていう風景も、ウチのマンションと同じだなあ。

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FUJIFILM X10 @Sugamo Toshima (c)tsunoken

2016年5月30日 (月)

あじさいと言えば白山神社なんだけれども

 先日、泉岳寺から伊皿子坂を経て魚籃坂を歩いていたら、なんと道端に「あじざい」が見事な花をつけて咲いているのを見た。

 なので、あじさいと言えば文京区では白山神社が見どころなので、現在はどんな具合になっているか、行ってみたわけなのだ。

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 確かに、白山神社ののあじさいも少しづではあるが咲き始めている。

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 ただし、白山神社で行われる「文京あじさいまつり」は6月11日から6月19日までなので、もう少し待たなければならない。

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 というか、あじさい祭りにはカタツムリが必須なんで、まだまだ梅雨のころまで待たなければらないんだよなあ。

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 ただ、今の時期だとつつじとあじさいの両方が一緒に見られるっていうラッキーな状況もあったりする。

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 早咲きのあじさいには、やはりそれなりの可憐な姿なんかも見られて、それはそれで面白いものだ。

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 勿論、白山神社の富士塚も6月11日から6月19日の間しか開放されないので、今は入れない。あじさいも咲いているんだけれどもね。

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 まあ、次に来るのはやっぱりあじさい祭りの時なんだろうなあ。

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NIKON Df FA-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Hakusan Shrine Bunkyo (c)tsunoken

2016年5月29日 (日)

相撲甚句ってなんだ?

 昨日の続き。

 相撲教習所の前に行ったのが「隅田川相撲甚句会館」。A比奈氏が属している相撲甚句会なんだそうだ。なんかやたらいろいろなものに首を突っ込むオッサンだなあ。

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 そこで出てきたのがA比奈氏の師範である秋田県出身の元力士・国錦耕次郎氏。初土俵は昭和40年5月場所。貴乃花と同期。昭和45年1月場所、幕下付け出しの輪島と初対戦し輪島に初白星を献上したそうな。最高位は幕下19枚目。15年ほど前から日本相撲協会相撲教習所相撲甚句講師を務めている。

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 で、打ち上げの居酒屋に再び国錦氏登場して、居酒屋の土俵で相撲甚句をご披露。右にいるのがA比奈氏、手前は国錦氏のお嬢さんであります。女なので土俵には上がれません。

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 で、こんな具合に割りばしで千円札を挟んで帯に突っ込む。これを「花」と言って、相撲甚句独特の「ご祝儀」なのであります。

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 お嬢さんは横浜でゴスペル歌手をやっているそうだけれども、ここ両国では相撲甚句なんである。

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「あ〜どすこいどすこい」

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NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Ryogoku, Sumida (c)tsunoken

2016年5月28日 (土)

八角部屋に行ってきた

 5月24日はK談社のOB会による「両国界隈散策」というのに参加してきた。

 まあ、下町好きの私としては両国とか門前仲町なんてのはしょっちゅう行っている訳で、今更「鼠小僧治郎吉の墓」なんてものをみてもなあと思っていたのだが、OB会のリーダーの一人であるA比奈さんからの強引なお誘いで、結局参加することになった。

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 ただまあ、今回参加してよかったことは相撲教習所とか相撲部屋など、普段は入れないところにいけたことかな。

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 相撲教習所というのは大相撲に新入門した力士が半年間、相撲の実技とか歴史、一般教養、運動医学、相撲甚句なんかの力士として知っておかなければならないことを学ぶ場所。両国国技館に併設されている。

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 横綱審議委員会の稽古総見もここで行われるそうで、稽古用の土俵が三つもある。

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 国技館からちょっと行った先が、現在の日本相撲協会理事長の八角親方が率いる八角部屋。現役時代は第61代横綱の北勝海。何故、八角部屋なのかと言えば、A比奈氏が八角部屋の後援会の会員だからだそうだ。

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 力士の生活を話してくれたのは、今年の五月場所で4勝3敗で勝ち越した幕下の朱雀という力士。今どき珍しいそっぷ型の力士であります。

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 若い力士の一日は、まず朝5時30分に起きて、下から順に稽古場へ行き、6時から11時頃まで稽古。11時からは上から順に朝食。午後2時から4時までは昼寝。そのあとはちゃんこ番以外は自由時間で、午後6時から夕食で午後10時就寝という感じらしい。

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 まあベテランになると、その午後6時からがタニマチとの食事会になったりするんだろうな。

 ということで、両国編、明日も続くかな?

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Ryogoku, Sumida (c)tsunoken

 

2016年5月27日 (金)

『貧困世代』という前に、まず意識改革から始めなければいけないんじゃないか

 うーん、日本はそんなにダメな国家になってきているのか。

『若者たちを取り巻く生活環境が急速に悪化している。
 非正規雇用の拡大、ブラックバイトやブラック企業、奨学金返還の延滞、国民年金保険料や国民健康保険税の滞納、実家暮らし、若者の高い自殺率、少子化など、次々にクローズアップされるテーマは、彼らが置かれた厳しい現状を物語っている』

『現代の若者たちは一過性の困難に直面しているばかりではなく、その後も続く生活の様々な困難さや貧困を抱え続けてしまっている世代であると指摘したい』

『実際に『下流老人』を読まれた方々からは、「俺たちの老後はもっと悲惨になるだろう」「今の高齢者でこんな状態なら、私たちはどうしたらいいのか……」という意見が多く寄せられている。『下流老人』の読者層の中には、現在働いている若い年代の人々も多く含まれていたのである』

 もうそうなっちゃうと、それこそ「1億総下流社会」みたいになっちゃうなあ。あ、まあ数パーセントの富裕層はいるわけだけれども、その人たちはその人たちで、日本を捨てて外国に移住しちゃうのかもしれない。となると、日本は世界にも珍しい「下流社会に生きている人」の国になっちゃうのかなあ。

 まあ、多分そんな時代には私はもう生きていないだろうから、どうでもいいんですけれどもね。っていう態度が『貧困世代』を育てちゃってるんだけれどもね。

Photo 『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』(藤田孝典著/講談社現代新書/2016年4月1日刊)

『下流老人の実態をテレビ報道などで目の当たりにすればするほど、若者たちは老後を憂い、保身的になり、萎縮してしまう。自分自身もああなってしまうのではないかと、不安に駆られ、消費行動にそれは現れる。モノを買ったり、積極的に何かを学習するなどの「自分への投資」をできる資金を稼いでいたとしても、老後のためにせっせと貯蓄に走る。
 定年を迎えた時、年金がもらえるかどうか分からず、自分の生活の先行きも不透明で、禁欲的な生活を送らざるを得ない。しかしそのことで結局、精神的にも豊かな生活ができず、ますます若者らしい快適な生活ができないという悪循環に陥ることになる』

 なんて話を本書で読むと、本当にそんな世界があるのかなあ、なんて考えてしまうんだけれども、本書に書かれた真実を読むと、実はやっぱりあるんだろうなあ。

 我が家は幸い3人の子供の一番上の娘は幼稚園から大学院まで私立だったし、下の息子2人も中学から片方は高校まで私立、大学は国立だったけれども、一番下の息子は中学から大学まで私立、でなおかつ大学では1年ダブりっていう状態で、なおかつ運動部に所属していたのでバイトなんかはほとんどやってない状態だったにもかかわらず、まあ何とか大学は奨学金も借りずに卒業して、それぞれ既に独立している。

 1951年生まれの私は1975年に大学を卒業して、まあ途中いろいろあったけれども、2012年に定年で辞めるまで同じ会社に勤めたわけで、言ってみれば典型的な高度成長期のサラリーマンだった訳だ。それでも一番給料が大きかったのは40代後半のアニメ・プロデューサーをやっていた頃で、年収は2000万円位はいっていて、「おお、サラリーマンでも確定申告が必要なんだ」なんてことを意識していた時期があった。50代に入ってからは徐々に年収も下がってはきたのだが、それでも他業界の人たちに比べれば年収は多かったんだろうなあ。とりあえず、子供たちに生活の苦労は与えずに育てることはできた。まあ、幸せな世代だったんだろう。

『民間企業の労働者の平均年収は、1997年の467万円から2013年の414万円へ。一世帯の平均所得は、1994年の664万円から、2013年の529万円と激減している』

 という状態では、親が大学生の子供にも仕送りはできない。となると大学生の子供は奨学金を貰い、なおかつバイトをして稼がなくてはならない。私が大学生の頃もそれは同じだったんだが、金額が全然違うんですね。

 私が大学(私大)のころの授業料は年間12万円。これだってその前年までの6万円から倍増ってことで、だいぶもめたそうだが、まあ、そういう時代(それでも早稲田大の半分だった)。私は大学からの奨学金をもらい年間12万円を3年間受けていた。なので、合計36万円。こんなの当時のサラリーマンの月収からは簡単に返せる。で、バイトは日本テレビの報道局のアルバイトで月の収入は7~8万円は稼いでいたから、その奨学金とバイト代で充分生活ができていた、っていうか、私は実家暮らしだったから住居費は一銭もかからなかったけれども、しかし親からは一銭も貰わずに大学を卒業したという「誇り」を今でも持っている。まあ、今持ってても意味はないけれどもね。

 その時代と今では全然違うんですね。

『いま、国立大学の授業料は、年間53万円、初年度納付金は82万円。1969年と比べて、授業料は、44~45倍、初年度納付金は50倍以上。消費者物価は3倍にしかなっていないのに、授業料と初年度納付金は非常に値上がりしている』

 つまり国立大学に入れば年間の授業料なんて年間1万円ちょっと。当時は私立大の年間10万円以上ってのにもちょっとショックだったけれども、今や国立だって年間50万円以上の授業料を払わなければならないのだ。う~ん、確かに息子の国立大学の授業料を聞いた時には「ええ、そんなに払うの?」って多少はビックリしたけれどもね。

 でもまあ、我が家は別に富裕層でもなんでもない普通のサラリーマンだったんだけれども、なんとかなった。あとは子供の世話にはならないで妻と二人生きていけそうだ。まあ、あと何年かはわからないけれどもね。

 で、問題は本書でも基本的なテーマになっている『貧困世代』なんだが、基本はやっぱり「自分たちで声を上げる」ってことじゃないんだろうか。

「自助」「共助」「公助」っていう言葉がある。

「自助」というのは文字通り自分たち自身や家族で助け合う、っていうこと。「共助」っていうのは隣近所で助け合う、そして「公助」は地方公共団体などの助けを借りるっていうこと。これは災害救助の時などに使われる言葉なんだけれども、基本的には「自分が困った時に、どういう順番で人からの助けを受けるのか」っていうこと。

 つまりは基本的にな「自助」がまず最初になければならないってことなんだなあ。つまりは「自分から何かを発する」っていうこと。

『若者たちを取り巻く生活環境が急速に悪化している。
 非正規雇用の拡大、ブラックバイトやブラック企業、奨学金返還の延滞、国民年金保険料や国民健康保険税の滞納、実家暮らし、若者の高い自殺率、少子化など、次々にクローズアップされるテーマは、彼らが置かれた厳しい現状を物語っている』

 というのは確かだけれでも、そんな当事者がそんな状況を受け入れていてはダメってことで、まずその当事者が「これはおかしい」と声を上げることが大事なんだ。「ウチの会社はブラック企業だ」という時にはそのブラックぶりをちゃんと精査して、どこかの対応組織に自ら持ち来なければならない。

 ただし、私に言わせれば「ウチの会社」って言ってる時点で、ハッキリ言って、もうブラック企業に飲み込まれているけれどもね。日本人はなんで「ウチのカイシャ」って言うのかなあ。自分が株式を所有している会社を「ウチの会社」っていうのは分かるけれども、単に就職しているだけの会社を「ウチの会社」っていうのが、私には分からない。実は私は私が就職している会社を「K談社は」って言ったら、「お前なあ、そういう時は『わが社は』って言うんだよ」って叱られたことがあったが、私としてはいまだにその意味が分からない。K談社はあくまでも野間さんの会社であって、少なくとも「社員持ち株会」で僅かな株式を持っている私たちの会社ではないのである。

 まあ、取り敢えずブラック企業対策としては、そんな「ウチの会社」意識をまず払拭するところから始めなければならないね。

『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』(藤田孝典著/講談社現代新書/2016年4月1日刊)

2016年5月26日 (木)

野毛山と野毛町の関係

 横浜の現在は野毛山公園や動物園がある場所は、昔、横浜が開港して財を成した豪商たちの住宅地だったそうだ。まあ、確かに見晴らしはいいし、下町を見下ろす気分はよかったんだろう。

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 そんな野毛山の標高は50mと、多分、横浜の中心地では一番標高の高い場所だったんだろう。なので1887年、ヘンリー・スペンサー・パーマーによって野毛山に横浜水道の配水池が設置され、日本初の近代水道が始まったわけだ。

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 その野毛山配水池なんだが、相模川上流の津久井町から延々40kmあまり、地中に管を埋め横浜まで水を運んだようだ。

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 ということが説明板に書かれているんだが……

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 このドーム型の配水池は現在は使われていなくて……

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 で、この芝生広場の地下に配水池が置かれているそうだ。

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 ふ~ん、なるほどなあ、なんて感心しながら山の麓に下りてくると、そこは京浜急行の日ノ出町駅。うーん、そういえば日ノ出町とか黄金町って、昔は色街だったんだよなあ(この辺は「野毛町」(昔は「野毛浦」といったらしい))。

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 ここにもあった、5月8日のブログ「音羽通りは谷底の川だった」にも書いた山の上のお屋敷街と谷底の色街という関係が……。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Yokohama (c)tsunoken

 

2016年5月25日 (水)

小机城(址市民の森)

 JR横浜線の新横浜の次の駅、小机駅北口を出て、駅から見える小高い丘が小机城であります。

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 駅を出るとこんな感じで丘が見える。

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 で、その反対側が横浜FCでおなじみの日産スタジアムであります。

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 小机駅北口の周辺案内図を見ても、下の方の緑が小机城、上が日産スタジアムということで、駅からの距離は大体同じくらい、1キロか1キロ半くらい。

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 小机城に行くまでの途中の道にあった「小机城址市民の森」の案内図。土地所有者が19名ってことは、横浜市とかの公共の持ち物じゃないんだ。

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 で、山の麓からこんな山道を上がって行くと……

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 途中に山城ではお馴染みの空堀とか……

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 土塁とかがあって……

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 本丸に出る。

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 本丸の隣に二の丸があったり……

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 櫓台なんかがあるのだが、それぞれそんなに広くない。櫓台に上がっても日産スタジアムは見えないくらいいだもんね。

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「小机城について」という説明版がある。

『築城の年代は明らかではありませんが、おそらく、このあたりがひらけた十二世紀以降ではないかと思われます。その頃は、このあたりは上杉氏の勢力下にあり、西方には、その支配下の榎下城があったことから、それとかかわりのある城と思われます。
 その後、山内上杉家の家臣長尾景春が、家督争いに端を発して反乱を起こした時、景春の味方した矢野兵庫助らが城にたてこもり、北方の亀の甲山(現在の新羽町亀ノ甲橋付近)に対陣した上杉方の太田道灌の率いる軍と戦いました。
 城は文明十年(1478)攻め落とされ、上杉氏もやがて北条早雲に追われ、小田原北条の領地となり、四十年間廃城となっていました。
 大永四年(1525)一族の北条氏尭の城となり、笠原越前守信為を城代として再興しました。小机は地理的に、江戸、玉縄、榎下などの諸城を結ぶ位置にあり、この地は以降軍事、経済の両面で極めて重要な役割を果すことになります。
 豊臣秀吉が小田原城を攻め落とし、やがて小田原北条氏が亡び、四代目城主の谷治兵衛重政が徳川家の家臣として二〇〇石の知行を与えられ、近くの台村(緑区台村)に住むことになり小机城は廃城、その歴史を閉じることになりました』

 まあ、もともと城主の住まいとしての城というよりは、戦のための砦みたいな城だったようで、なので徳川時代になって戦がなくなってしまうと、もはや城としての意味はなくなったようなのだ。

 で、今や城域には第三京浜が走っちゃっているんだけれどもね。う~ん、でも城跡は城跡。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Kozukue, Yokohama (c)tsunoken

 

2016年5月24日 (火)

『紙と電子を融合した出版事業を』って、最早当たり前なんだけれどもね

「出版会唯一の専門紙」である『新文化』5月19日の一面トップは『紙と電子を融合した出版事業を』という記事。

Img0012 『新文化 2016年5月19日号』(新文化通信社)

 まあ、電子書籍の大手取次会社「出版デジタル機構」社長の新名社長の寄稿なんだから、まあ、言うことは当たり前っちゃあ当たり前なんだけれどもね。でも、それは事実なんだから仕方がない。

『コミック分野の明確な電子シフトである。電子コミックのシェアは紙版の5割に迫る勢いで、雑誌を含めて下がり続けていたコミック全体の売上を2年前から増加に転じさせた』というのだから、まあ、この分野らしい明確な電子シフトではある。もっとも、コミック分野の電子化というのは、そのほとんどがスマートフォン利用で読まれていて、あまり電子書籍リーダーというものでは読まれていないようだ。まあ、その辺がコミックらしいっちゃらしいんだが。

 一方、コミック以外の一般書の分野ではそれほどの勢いはなく、基本的に下降曲線は変わらないようだ。

 まず『あるアンケートによると、書籍を読むのに最適の手段として紙書籍をあげた日本人は74%にも上がったそうだ。これはアメリカ人の51%やイタリア人の54%よりもはるかに高い数字である』という状況がある。日本人はそんなに「紙フェチ」なのかというと、そうではなく単に「本を読む人」が全体的に減ってきているということなのだ。つまり、日本人全体的には本を読む人が減ってきているのだが、まだ本を読んでいる人たちは、いまだに紙版の本を読んでいるってことなのだなあ。

 読者の数が減って、書店の数も減って、取次の数も減って、という状況の中で出版社はどうすればいいのか。要は書籍の電子化をもっともっと推し進めるしかないのである。

『電子書籍を発売すると紙書籍も売れ始める。あるいは電子書籍でキャンペーンを仕かけると、紙書籍も売行きが伸びる。こうした事例がちょくちょく出始めている。この現象は日本以上に大きな電子書籍市場が成立しているアメリカでもよく知られている。
 さらに電子コミックの事例がある。ここ数年、電子コミックは急激に市場を伸ばし、無料連載、定額読み放題など、紙版コミックにとっては脅威と思えるサービスが次々と登場してきた。にもかかわらず、2013年以降、紙版コミックの単行本の売上は減少していない。それどころか微増しているのである』

 問題は、販促方法なんだなあ。

『いまや日本でも一般読者にとって最大の情報収集先はネットである。出版社が紙書籍に関する充分なデジタル情報を提供できていない日本では、電子書籍そのものがウェブの情報となり、ひいては紙書籍の売上に影響しているのだ』

 つまり、こうした状況から日本の出版社がとるべき戦略が見えてくるじゃないか。

『出版社にとって、もはや紙書籍と電子書籍を二項対立として考える時代は終わった。出版社が利益を最大化し、著者に還元し、将来も事業を継続するためには、可能な限り紙版と電子版の両方を刊行すべきだと考える。出版社出身の私の経験では、電子書籍の割合が多くなるほど出版物の利益率が改善されるという事実も無視できない。
 出版社はこれまでの本造りと同様、作品の特性や想定する読者に応じて紙版と電子版の出版形態を検討し、同時に刊行するのか、どちらか一方を先行するのか、順番も自由に検討すればよい。
 ただし、権利処理とデータファイルの制作は紙版と電子版を同時に行うことがコストの観点から最も望ましい。また、アメリカの出版社のように紙書籍と電子書籍を一体化した原価計算、売上管理も考えるべきだ』

 当然である。ある媒体でのキャンペーンは当然ほかの媒体にも実質的に影響をあたえるものなのだから、電子書籍でキャンペーンを仕かけると紙書籍も売り上げが伸びるのは当然であろう。

 もはや、「紙→電子」という流れは抑えることはできないのだから、むしろその流れに乗って、出版社は積極的に電子化を推し進めるべきなのだ。

 読書ブログを書いている私も今年に入ってからは、写真集などを除けば、読んでいる本のほとんどは電子版(というかKindle版)になってしまった。という位、電子書籍の存在は「ごく当たり前」になってきているのだ。この期に及んでいまだに紙版しか出さない出版社は、もは旧守派としか言いようのないものだし、旧守派というものは歴史から消え去るしかないものなのだ。

 もはや自らの出版物の電子化ができない出版社は歴史から消え去るしかないのかもしれない。あるいは書籍の電子化で優先する大手出版社の傘下に入るしかないのかも。

『このような歴史の転換点に誕生した出版デジタル機構は、出版社のよきパートナーになりたいと考えている。今後は単なる電子書籍の取次会社にとどまらない。紙でも電子でも、出版物の制作から販売までを広くサポートしていきたい。
 まずはアメリカBIG5を含む出版社320社が利用し、成功を収めているウェブ上の画期的な販促サービス「NetGallery」を日本に導入する予定。さらに紙・電子書籍などマルチ展開に対応した編集制作システムの提供もスタート予定だ。出版デジタル機構は、ウェブやデジタルの技術を活用した「パブリッシャーズ・サービス・カンパニー」として、大きな変革に立ち向かう出版社とともに、新時代の出版ビジネスに挑戦しようと考えている』

 というのだから、この際、出版デジタル機構をおおいに使い倒して、新しい形の出版社がどんどん出てきてほしいものだ。

 勿論その「新しい出版社」っていうもののなかに、著者自身が出版社になってしまう「セルフ出版社」や作家エージェント会社が紙版の権利は既存の紙版出版社に売るが、電子版の出版権は自ら持って、直接電子出版市場で販売し、著者に多くの印税を払う、なんて形で著者に還元しようという会社が出てきてもおかしくない。

 まあ、出版社、出版産業というものが大きく変化をしようという時代なんだってことを感じ取ってもらえばいいということなんでしょう。

 勿論「紙フェチ」の人はまだまだ残るでしょうが、まあいずれは消えゆく運命。出版社としてはそんな「消えゆく運命」に自らの会社の運命を託すわけにはいかないだろうから、どうしたって自らの販売する書籍の電子化には前向きにならないわけにはいかないだろう。

 コスト的にも書籍の電子化っていうのはおおいにプラスに働くわけなので、あとは「どうやれば電子書籍ってつくれるの?」っていうのがわからない出版社に、「電子書籍はこんなに簡単に作れるんですよ」ってのを教える会社が必要だってわけか。

 で、そのために出版デジタル機構が作られたってわけですね。

 ね。だから自ら電子化なんてことを考えていない(考えられない)零細出版社は、そこをいかに使い倒すかってことですね。

 頑張れ、日本の出版社!

 その辺に、私の年金も関わってくるのだ(といっても私の年金はK談社の企業年金だから、他の会社は関係ないけれどもね)。

 ということで、今日の〆にしよう。

 

2016年5月23日 (月)

はあちゅうの『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』は自己啓発小説

 はあちゅうさんってブロガー&エッセイストだと思っていたんだが、小説も書くんだ。で、その書いた小説が「自己啓発小説」だってところが、いかにもはあちゅうさんだってことなんだけれども。

Ol_2 『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』(はあちゅう著/角川書店/2016年4月28日)

『枕元のスマホが二度目のアラームを鳴らし始めたのを、手さぐりで止めた。全身がマジックテープになり、ベッドにぴたりとくっついたかのように、体が動かない。
 視界には食べかすだけを残したコンビニ弁当と、半分だけ空いたチューハイの缶。
 気だるい。
でも、とにかく起きて、会社に行く準備をしなければいけない』

『会社に着いたら、席に座って、カバンからペンとノートと、出勤途中に買ったペットボトル飲料だけを出して、脇目もふらずに前日に終わらなかった仕事に取り掛かる』

『パソコンを開けば、書きかけの書類にメール、読みたくてもチェックしきれていないネット記事などが溢れかえり、どんなにデスク周りがキレイでも頭の中が一気にごっちゃになる』

『奈緒が担当しているのはOLをターゲットにした情報サイトで、配信する記事は全て、部員のチェックを経て、最終チェックは奈緒がする。
 それが、編集長としての務めだからだ』

 お~編集長か、結構かっこいいですね。

 でも

『一年前まで、奈緒はデータの入力をひたすらやればいい楽な部署にいた。業務内容自体は退屈だったけれど、ほぼ決まった時間に帰れるOL生活は気楽で、毎晩社内外の友人と時間を合わせてご飯に行って、雑誌にあるような東京のOLライフを曲がりなりにも送れていた気がする』

 それが……

『会社が昨年、ウェブメディアをいくつも買収して、そのうちの一つを突然任されることになり、急に状況が変わってしまったのだ。女性向けのサイトだから、編集長が若い女性であれば、テレビや雑誌の取材を受ける時に有利だ、と上司には説得された』

『同期からは羨ましがられて、奈緒も一瞬得意になったけれど、いざ業務が始まってみると、仕事はきついし、残業は増えたのにお給料は据え置きだし、思ったよりも「編集長」としてメディアに出る機会も少ない』

 まあ、編集長なんてそんなもんですね。編集長っていう名前はかっこいいんだけれども、実際にはごく一部の人たちが「スター編集長」なんて呼ばれるだけで、実際には裏方の仕事だ。

『人生への不満は、数えていけばキリがない。そもそも、卒業した大学は第一志望の大学ではなく、滑り止めで受けた二流大学だし、「苦労したこと」がぱっと出てこなかったのが災いしたのか、就活でも行きたかった一流企業は軒並み落ちて、なんとかひっかかった二流の会社に居座っているだけ』

 まあ、普通の人は大体そんな人生を送っている。自分が志望した道に進めている人なんで、普通そんなにいないんだ。そんな普通の主人公の奈緒はある日、会社をサボって表参道をブラついていた。

 その時に見つけた看板。

『「メンタルジム・ヒカリは、人生を激変させたいあなたのための場所です。お試しカウンセリングを随時受け付けております」 』

『この「メンタルジム」は、一体何をしてくれる場所なんだろうか。
 好奇心がむくむくと湧いた。
 どうせ、一日休みを取っているし、他にやることもないのだ。仕事の電話も取らないと決めている。この際、普段は絶対にしないことをやってみてもいい。無料カウンセリングを受けて、この場所の正体を確かめてみるのはどうだろう。好奇心に続いてそんないたずら心が湧く』

 というところから話は始まるんだが、そのメンタルジムで最初に行ったことは、カルテに書くことだった。まあ、メンタルジムって言ったら、カウンセラーみたいなもんだからなあ。

『「ではまず、これに記入してください」と渡されたカルテには、名前や住所の他、三つの質問が書いてあった。
(1)人生を変えたいですか。
(2)今の自分の人生は1を不満足、5を大満足とすると、何点ですか。
(3)三年以上達成していない目標がありますか。
 割とありきたりな質問だ。
 1の「人生を変えたいですか」には、はい、2の今の自分の人生への評価は、なんとなく真ん中の数字の3、そして3の「三年以上達成していない目標がありますか」には「ある」を選ぶ』

 で、メンタルジムが始まって最初にすることは、以下のアンケートに答えること。

『・体型 もう少し瘦せたい。
・仕事 やりがいのある仕事をしたい。誰でもできるようなことではなく、自分にしかできない仕事がしたい。
・時間 余裕が欲しい。リフレッシュしたい。休みをとって旅行にも行きたい。仕事や遊びの合間に、ふと「こんなことをしていていいのか」と思ってしまって心から楽しめない。
・お金 お金の余裕を持ちたい。
・人間関係 家族の仲が悪くて、家の中の雰囲気が悪い。父と母に仲良くしてもらいたい。
・毎日 同じような生活で、退屈を感じる。刺激的な出来事が欲しい。人生に飽きた。
・恋愛 素敵な恋人が欲しい』

 ってまあ、普通のOLならみんな抱えている問題でしょ。だったら、それに対する返事も簡単。結局は自分の気持ちの持ちようなんだ。すべては自分の気持ちの中で解決しなければならない、解決できる問題ばかりなのだ。

 なので……

『一か月前の自分が、今の自分とすれ違ったら「あの人はなんであんなに楽しそうなんだろう」と羨んだかもしれない。特別なことは何もない。だけど、なんでもないことを特別に感じられる能力はついた。人生を大切に思えていれば、足元の日常がいかに尊いかわかる』

 つまり「幸せの青い鳥は、実は身近にあった」っていうことでしょ。

 ってのが、この手の「自己啓発本」の基本なんだけれども、これはあちゅうさんの小説もそれを超える域には達していないんだなあ。

 まあ、いかにもはあちゅうさんらしいんだけれども、実際の本人はもっと「突き抜けた人物」らしいなので、そんな「突き抜けたはあちゅうさん」を見せてもらえる小説でもエッセイでも読ませてほしいもんだ。

『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』(はあちゅう著/角川書店/2016年4月28日)

2016年5月22日 (日)

レイクタウンは大相模調節池

 イオンの巨大なショッピングモールがあることで有名な越谷レイクタウンであるが、その名前の由来となった「レイク」はもともと元荒川や中川、綾瀬川の氾濫を防ぐための人造湖で、名前を「大相模調節池」という。

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 元々、独立行政法人都市再生機構が開発主体となってできた新しい町で、『長年、周辺の問題となっていた中川・綾瀬川・元荒川流域の治水と新市街地整備を同時に実施するため、区画整理地内に大規模な治水施設として大相模調節池を造成、同時に池の周辺に商業施設や集合住宅、公園などを誘致・建設し、調節池の周辺一帯をニュータウンとして整備した』(Wikipedia)というもの。

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 湖の周りを歩いていると「越谷市指定有形文化財 旧東方村 中村家住宅」という案内板があるのでそちらへ行ってみると家はなくなっていた。

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 ただこの中村重太郎翁の銅像が立っているだけである。有形文化財をそんなに簡単に壊しちゃうのかなあ。

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 銅像の脇には説明版が置かれてあって

『中村重太郎翁 1871年(明治四年)~1941年(昭和十六年)大成町二丁目地内・大相模中村家二十五代当主

 中村重太郎翁は、明治二十二年(1889年)、西方・東方・見田方に三分されていた旧大相模郷三か村に中川沿いの南百・四条・別府・千疋の四か村を加えた新しい大相模村の誕生に伴い、その混沌とした創成期初代村長を務め、その後、8期32年の長い期間、体制の整備と地域の新興(振興?)とに尽力した。
 特に、外来種を核とした養鶏事業(当地における養鶏盛行のあ証として相模町・大聖寺の境内に「鶏魂碑」が建てられている)の積極的な導入には、今に語り継がれる功績があった。
 この銅像の建碑は、太平洋戦争勃発の翌日に死去した翁の無欲で謹厳な人柄を偲び、その功績を讃えた、困窮時における村民の篤志に依るものである。
 なお、翁の家系は、平安時代末期に当地に定住・開発を進めた武蔵七党 野与党の一族、初代大相模次郎能高以来継承されているが、近世郷村制の施行後は、居住地東方村が「中の村」になることから「中村」と改姓、同村上組の名主を世襲している。

   越谷市』

 と書かれている。

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 まあそんな村をレイクタウンとして「水辺のある町」として再開発したわけだ。

 で、この地域は「見田方遺跡」という古墳時代の集落遺跡があった場所で、いろいろの出土品もあったそうだが、今はこの遺跡後に作られた「見田方遺跡公園」というものもない。

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「土師器、須恵器などは市立図書館の2階ロビーに展示されている」というので越谷市立図書館に行ったのだが、なぜかわからない「豊臣秀吉の大阪城本丸」なんてのはあったけれども、見田方遺跡の出土品はなかった。

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 う~ん、いろいろと不思議な町、越谷市ではあった。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Koshigaya (c)tsunoken

2016年5月21日 (土)

『SKETCHES OF TOKYO』少しだけ「SKETCH OF SPAIN」を思い起こさせる

 藤代冥砂の最新写真集『SKETCHES OF TOKYO』は、マイルス・デイビスの「SKETCH OF SPAIN」の表題曲、ギル・エバンスが編曲した「アランフェス協奏曲」を思い起こさせる。

 現在、沖縄に在住する藤代冥砂にとっては、まるでアメリカ合衆国に住むマイルスが遠くスペインを思い起こさせるように、東京へ思いを馳せているのだろうか。そんな感じがする写真集なんだよなあ。

 特に、ヌードになる女の子たちは別に沖縄でも東京でも変わらないんだろうけれども、その背景が違うっていうことで。今回は、「東京の街」が女の子たちの背景なんだからね。

Sketches_of_tokyo 『SKETCHES OF TOKYO』(藤代冥砂著/清幻舎/2016年2月12日刊)

藤代冥砂氏は以前出ていた『フォトグラファーの仕事』という本で面白いことを言っていた。

『基本的に撮影自体に狙いは全然ないんですよ。「撮れちゃった写真」を撮るために、いろいろその場所に出掛けて行って、わざわざ撮ろうと思っても撮れない写真を撮る』

『もともと自分の場合、写真を始めたきっかけが、ロバート・キャパとかにあこがれて、報道カメラマンになりたかったというのがあるんです。たぶん報道に行ったら「撮れちゃった写真」をすごく撮れてたんじゃないかって、いまさらながら後悔していますね』

『何に対しても「狙って」という姿勢ではないんです。写真がなくても存在している風景や表情があると思うんですけど、そういうもののほうが好きなので、自分にとっては、「写真術」っていうものを初めから捨てているところがあります』

『報道写真には、やはりポジションがあるじゃないですか。みんながこっちへ動いていたら、同じものを撮っちゃうから、自分はこっちから撮ってみようっていう。そういう本能と一緒だと思うんです。それはなんだろう、したたかさっていうのかな。それは写真家としてはなければいけないしたたかさであって、ただずるいとか、奇をてらってるんじゃなくて、違うものを見たいなら、違う距離から見ないといけないと思いますけどね』

『SKETCHES OF TOKYO』は53人のヌードを高層ホテルの部屋で撮影したもの。

 窓の外には東京の風景が広がっている。

『撮影は、いつも淡々としていた。
女達は、私の前で裸になり、時にシャワーを浴びたりもした。
清潔なシーツを楽しみ、東京の眺めに小さく歓声をあげて笑った』

『地上の重力や鼓動から離れ、天から見下ろされた中空の高層階で、私達は終わりを求めないまま、エアコンの24度設定の中で、微かに上ずっていた』

 そうそれは終わりのないセックスの営みのようだ。

 53人の女達との終わりのないセックスという営み。

 しかし、写真家とヌードモデルの写真って、基本的にわからないところがある。つまり、大体写真家の撮ったヌードモデルって、どこか写真家とセックスしてるんじゃないかと思わせる写真が多いんだけれども、実はそんなことしてませんっていう写真なんだよなあ。

『私は、東京をスケッチしていたのだと、この本を作りながら感じていた。
出来上がってみると、逆だったようだ。
私が、東京にスケッチされていた。
私の不在が、女達に写っている。
東京は大きく広がって、果てがない』

 モノクロのヌードには、そんな悲しみが広がっているようだ。

『SKETCHES OF TOKYO』(藤代冥砂著/清幻舎/2016年2月12日刊)

太陽レクチャーブック002 フォトグラファーの仕事』(佐内正史・長島有里枝・蜷川実花・野口里佳・藤代冥砂著/平凡社/2004年7月10日刊)

2016年5月20日 (金)

東海道品川宿は旅の始まりじゃなくて、旅の終わり

 我々東京に住んでいる者というのはなんでも東京中心に考える癖がある。

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 なので、東海道品川宿もなぜか東海道の最初の宿場だという感覚がある。

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 上の「東海道品川宿」についての説明版にも……

『「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。
 旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え、宿内の家屋は一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた。
 今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。』

 とあるが……

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「お江戸日本橋七つ立ち」だと午前四時なので提灯に火を灯して出発したんだが、高輪あたりで「夜明けて提灯消す」となってしまえば、品川宿まではもうすぐ。

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 なので、江戸を出発した旅人は品川辺りでは宿泊せずに、もっと先の方まで行ってしまう。

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 品川に宿泊する旅人は、そうではなく遠くの方から江戸へやってきた人たちなのだ。

 つまり終着地点の江戸へ入る前に、着るものを整えたり、一休みをするために品川宿に泊まったのであります。

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 確かに五街道は江戸幕府が整備したものだから『品川宿は諸街道の最初の宿場町』という言い方をしたくなるのは分からないではないけれども、むしろ『東海道品川宿は旅の始まりじゃなくて、旅の終わり』という方が正しいのだ。

 ということなので、いつもは品川駅で下りて品川宿を旅するんだが、昨日は大森海岸で下りて、鈴ヶ森から旧東海道を少し旅してから品川宿へ入った。

 どう違うんだ? と言われても、別にどうということはないですけれどもね。多少の上り坂っていう位で。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 @Shinagawa Post Town (c)tsunoken

2016年5月19日 (木)

『勝間式汚部屋脱出プログラム』で慶賀、慶賀

 勝間さんは自分の家を「断捨離」した結果、新たな恋人までできてしまったというのだ。

『家の片付けをしたら家の中も自分の内面も自信が付き、人を呼べるようになり、そうすると、その呼んだ人たちの中から、私のことを恋愛対象として気に入ってくれる人が出てきました』

 っていうんだから、こりゃ慶賀、慶賀。

Photo 『2週間で人生を取り戻す! 勝間式汚部屋脱出プログラム』(勝間和代著/文藝春秋社/2016年4月30日紙版刊・2016年5月20日電子版刊)

 しかしまあ、断捨離する前の勝間さんの家はこんな感じだったそうだ。

2 断捨離前の勝間さんの部屋だそうです

 う~ん、こりゃあすごいなあ。って、私も人のことは言えないなあ。新しいマンションに引っ越してくる前に本を3,000冊ほど処分してきたんだが、今や私の書斎の本棚も既に満杯状態だもんなあ。何とかせねば。

『いろいろため込んでいる人の場合は、まずは、ある一定期間、家から不要なものを捨て続ける「急性期対策」が必要です。私の場合は、2015年の終わりに寝室を何気なく片付け始めたところから、〝断捨離ドミノ倒し〟が始まり、それからほぼ毎日、1〜2時間ずつ断捨離を続けて、約1カ月が必要でした』

 で、その断捨離のルールとは……

■ルール1 基本は「今、使ってないものは捨てる」
■ルール2 断捨離の順番は、簡単で効果実感が高い場所から
■ルール3 一度に全部終えようと思わない
■ルール4 リバウンドを防ぐ生活習慣を身に付ける

 ということだそうだ。

 まあ、これはダイエットの法則と同じようなものだ。

『汚い部屋に住んでいる最大のリスクは「自分を信じられなくなる」ことだと思います。要は、自己管理が出来ない、という事実を常に目の前に見せ続けられるわけです。これは、象さん(感性)に毎日、毎日、じわじわ効いてきます』

『身の回りの状態というのは、あなたの心の拡張現実です。拡張現実がとっちらかって、乱れているということは、心の中もとっちらかって、乱れている可能性が高いということです。たかだか、ものについてすら主体性が発揮できないのに、まして、「人」に対して主体性を発揮することができるでしょうか?』

 っていうんだから、怖い怖い。でも、それが……

『私の場合、断捨離してから、収入も増えています』

 ってすごいなあ。

『断捨離すると、仕事に集中できるようになるからじゃないかと思います。物理的に片付いていて仕事の効率が上がる、というのも一つですが、夜よく眠れるようになったことや、身体に良くておいしいものを食べるようになったことなども関係あるのではないでしょうか。「寝る」と「食べる」は生きることの根本ですから、そこの質が上がると、生産性が上がり、その結果自動的に収入も増えるのではないかと思います』

 っていうんだから、まあ結果としてはいいことなんだ。

 で、そのあげくに……

『もう、これから恋愛も再婚もしないと思っていた私に、断捨離は、やせる、仕事の業績が上がる……というだけではなく、何ものにも変えられない「相思相愛の恋愛」という素敵なプレゼントまでもたらしてくれたのです』

 っていうんだから、勝間さんにとっては「断捨離はもう最高!」ってことですね。

 私はどうなんだろうか?

Photo_2 倉庫を断捨離したらこんなにゴミが出てきたそうだ

『2週間で人生を取り戻す! 勝間式汚部屋脱出プログラム』(勝間和代著/文藝春秋社/2016年4月30日紙版刊・2016年5月20日電子版刊)

2016年5月18日 (水)

朝霞市に「岡城」ってのがあるんだが

 埼玉県朝霞市に「岡城」っていうのがあるんだけれども、どうももともと「岡城」っていう名前の城じゃなくって、たまたま朝霞市岡三丁目にあるので、暫定的に「岡城」っていう名前になっているようなのだ。

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 基本的に山城なので、駐車場を出るとすぐにこんな階段状の道になって山の上へ出るようになる。

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 朝霞市が設置した「岡の城山由来記」というのがある。

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 由来記には……

『この城山は今から約8000年~4500年位前の縄文時代の遺跡であるとともに、中世の頃に築城された平山城跡と言われている。
 この当時の城主や築城者は今のところ不詳である。この城は南北朝期、室町期、戦国期と各時代にわたって多くの武将を育み、応永の乱(1399年)や応仁の乱(1467年~1477年)等の大きな戦歴の跡を物語っていると言えよう。
 また、この城の特徴は自然の物理的要素を活かしたもので、城の北側側面は底地を流れる黒目川が取り巻くように走り、しかも舌状台地(台地の先端が下のような形になっているところ)上にあって、まさに天然の要塞を呈している。
 そして場内は「折れひずみ」と呼ばれる空濠と土畳によって区分けした廓があり、一ノ廓・ニノ廓・三ノ廓・四ノ廓・その外西側の虎口、堀切、北側の搦手口、南側の腰部、櫓台、犬走り等によって構成されている。
 このような形の城のつくりは「直線連廓式工法」と呼ばれている。
=朝霞市岡の城山総合調査委員会中間報告=より

 昭和五十六年一月十日
                 朝霞市』

 とある。

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 一の廓には、多少高くなった場所に「物見櫓」があった場所が特定できているようだ。

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 一の廓から橋を渡るとニの廓にでる。こちらの方が少し広い。

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 で、その一の廓とニの廓の間の空堀がこれ。まあ、ちょっと「堀」というには、傾斜がなだらかだけれどもね、

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 で、城(山公園)の全体像がこちら。

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 左が黒目川、右が城山であります。

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 一説には、長禄-文明年間(1457-1487)頃に太田道灌が築いたといい(『東円寺寺伝』)、また北条氏康に属して後に離反した太田康資の館ともされる(『新編武蔵国風土記稿』)のだが、それを裏付ける資料はないようだ。

 でも、まあどう考えても「城づくり」の形にはなっているんだから、誰かの城だったんだろう。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Asaka (c)tsunoken

2016年5月17日 (火)

目白台・腰掛稲荷神社の宮司は元講談社社員

 文京区目白台の筑波大学付属盲学校の校門のすぐ脇にあるのが「腰掛稲荷」であります。

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 なんでも三代将軍徳川家光が鷹狩の際にこの地で切り株に「腰掛けて」休んだというのがその由来であるそうな。

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 勿論、「腰掛稲荷」というのは通称であるから、門前の碑には「稲荷神社」という正式名称の脇に小さく「腰掛稲荷」と書いてある。

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 庚申塔や割ると菊の花のような割れ目ができるという「菊花石」というのがある。

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 というところまでは、どなたのブログを読んでも出てくること。

 ここから先は、私のブログじゃないと読めないんですなあ。

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 この腰掛稲荷の現在の宮司は筒井誠さんといって、早稲田大学を出て講談社で「週刊現代」の編集者なんかをやっていた人なのです。つまり、筒井さんのご実家が腰掛稲荷だっていう訳。

Dsc_00072 小さな神社には不釣り合いな大きなケヤキとイチョウの大木

 で、定年を迎えた筒井さんは宮司の資格を得るために、國學院大學に入り直して、宮司の資格を取って、腰掛稲荷の宮司になったのであります。

 まあ、話としてはそれだけなんだけれどもね。ただし、國學院を出ると日本中の神社に卒業生がいるわけなんで、要は日本中の神社にただで泊まれるらしい。ほ~う、そんなメリットがあるのか、といってべつに私が國學院大學に今更入る理由はないけれどもね。

Dsc_00062不忍通りから腰掛稲荷へ上っていく狭い坂道

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 @Mejirodai, Bunkyo (c)tsunoken

2016年5月16日 (月)

今年は浅草神社で三社祭

 今年は神田祭は陰祭と言って神輿の渡御なんかはないようなので、昨日は三社祭に行ってきた。まあ、いつも観光客でいっぱいの浅草だしなあ、って思いはある。

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 普段でも観光客でいっぱいの浅草である。

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 人波に押されるように伝法院通りの方まで行くと、お囃子が聞こえてきて、神輿がやってくる。

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 そのまま雷門まで来てみれば、神輿が三つで喧嘩状態になっている。

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 さらに馬道方面へ行ってみると、こちらもお囃子が聞こえてきて……

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 おお、家の菩提寺がある花川戸の神輿じゃないか。

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 それにしても、最近は女性の担ぎ手が多いなあ。

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 なんてことを考えながら地下鉄に乗って神田明神まで行ってみた。

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 祭はやっていなくて、「那須野原疎水太鼓」というのと「神田明神将門太鼓」というのが奉納されていた。まあ、それもお祭りこれもお祭りってことですね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 @Asakusa, Taito, Kanda, Chiyoda (c)tsnoken

2016年5月15日 (日)

南千住・石濱城

 今年、2月16日のブログ『台東区の七福神③浅草名所七福神』で紹介した石濱神社(石浜神社)を再び紹介します。

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 ただし、今日は「石濱神社は実は石濱城だった」っていうお話。

 石濱神社の場所は明治通りの隅田川の脇。白髭橋西詰のすぐそば。

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 神社の門の脇に荒川区教育委員会が作成した説明版がある。

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『石浜城址(石浜神社)
 石浜城は、室町時代の中ごろ、武蔵千葉氏の居城となり、戦乱の世に百年あまり続いた城である。天正年間(1573~1591)、城主千葉胤村(北条氏繁三男)を最後に、後北条氏滅亡の後、廃城となったと思われる。石浜城の位置には諸説あるが、石浜神社付近は有力な推定地の一つとされる。
 石浜神社は、聖武天皇の時代・神亀元年(724)の創建と伝える古社で、源頼朝・千葉氏・宇都宮氏らの崇敬を受けたという。江戸時代の夏越の祓(六月三十日)は、その壮麗さにおいて名高く、天保九年(1838)刊行の『東都歳事記』の挿絵に夏の風物詩として紹介されている。』

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 元々、最初に幕府に正式に城主として認められたのは千葉自胤の時代なのだが……

『千葉自胤は、室町時代中期から戦国時代前期の武将。武蔵千葉氏第2代当主(室町幕府からは千葉氏当主と認められた)。
 享徳の乱で古河公方足利成氏に与した重臣原胤房と同族の馬加康胤に伯父の胤直、従兄の胤宣、父の胤賢ら一族を殺され、兄の実胤と共に下総八幡荘市河城へと逃れた。室町幕府8代将軍足利義政が派遣した同族の奉公衆東常縁の支援を得たが、成氏が派遣した簗田持助に敗れ、康正2年(1456年)1月19日に市河城も陥落、武蔵へと逃れた。同年、常縁が馬加康胤・胤持父子を討ち取り、原胤房も逃亡した。
 一方、兄実胤は石浜城(現在の台東区橋場)主、自胤は赤塚城(現在の板橋区赤塚)主となり、康正3年(1457年)4月には外戚である扇谷上杉家の家宰太田道灌が江戸城を築城するなど古河公方側に圧力をかけ続けたが、自胤らは確たる所領を持たないため経済的に逼迫し、下総への帰還も思うに任せない状態であった。
 その後兄が隠遁したため自胤が石浜城主となり幕府から認められた千葉氏当主となった』(Wikipedia)

 という、ちょっと情けない理由で城主となった由。その後、下総では千葉孝胤が勢力をつけて下総をおさえて千葉氏本流を名乗ると、もう武蔵千葉氏は落ちぶれてしまう。

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 そのせいか宝井馬琴の『南総里見八犬伝』では、部下の馬加大記常武に権力を握られてしまう「暗愚な武将」として描かれている。

 石濱城の場所については、やはり『台東区の七福神③浅草名所七福神』で紹介した待乳山聖天という説もあり、そちらは周囲より高台になっているというのがその理由なんだが、でもあの面積では城にはならないだろう。なので、この地に平城として作られたというのが正解のようだ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Minami Senju, Arakawa (c)tsunoen

2016年5月14日 (土)

『遅読家のための読書術』というよりも、読書ブログを書きましょう

 最初は「LifeHacker」が「毎日1冊づつ書評を書かないかという話だったんだが」、いまや『「ニューズウィーク日本版」、ワニブックスが運営する「WANI BOOKOUT」、数字に関する情報を集めた「Suzie」などにもブックレビューを寄稿しています。年間700冊を超えるペースで書評を書いており、来る日も来る日も「読んで、書いて、読んで、書いて」の繰り返しです』っていうんだから、大したもんだよなあ。

 ただし、『できれば、本は「1日で1冊読み切る」のが理想的です。毎日違う本が自分の中を通り抜けていく状態をつくるのが、フロー・リーディングの基本的なかたち。僕自身、ブックレビューを書くための本は、必ず1日で読み切るようにしており、絶対に次の日に「持ち越さない」ように心がけています』っていうのは、私も同じ。基本的にはその日のうちに読んでしまう。私は速読術なんてものは持っていないのだが、大体1時間から3時間で1冊は読み終える。

 以前は、通勤の電車の中と仕事で移動の電車の中で、ほぼ2時間を使い切るので、大体その間で読み終えてしまう。最近は通勤がなくなったので、その分の時間コントロールは難しいが、まあ1~3時間で本を読むコツはすでに掴んでいるので、何とかなっています。とは言うものの、サラリーマンをやっていた頃に比べるとちょっと本を読む回数は減ってきているかもしれない。ちょっと「反省」。

Photo 『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(印南敦史著/ダイヤモンド社/2016年2月26日紙版刊・2016年2月29日電子版刊)

『そこで、僕が本書で提唱するのが「フロー・リーディング」です。 「フロー(flow)」とは「流れる」という意味の英語です。簡単にいえば、フロー・リーディングとは、「その本に書かれた内容が、自分の内部を〝流れていく〟ことに価値を見出す読書法」です』

 というのが「フロー・リーディング」らしいが、私自身は印南氏のいうところの「フロー・リーディング」は行っていないが唯一共通する部分はある。

『小見出しを見て「読むべきパートであるか否か」を判断する』

『ステップ① 「はじめに・目次」をよく読む
ステップ② 最初と最後の5行だけ読む
ステップ③ キーワードを決めて読む
ステップ④ 2つ以上の読書リズムで読む』

『本を開くとまず最初に登場する「はじめに(序文・序言)」と「目次」。
 これらを利用することは、ムダのない軽快な読書体験のための鉄則だとすらいえます』

『目次はその本の構造を判断するための「地図」ですから、そこから自分にとって必要そうな部分の「見当」をつけていくのです』

 まあ、これが基本かな。

「はじめに」とか「まえがき」っていうのは、その本の著者が読者向けに、その本のセールスポイントや是非読んでほしい「キモ」の部分がどの辺にあるのかをアピールする部分なので、ここをまず読むことは大事。更に言うと「あとがき」なんかも先に読んでしまえば、その本の「まとめ」がなんであるか、基本的にどんなことが書いてあったのかが先にわかる。「ええっ? そんなことしたら、その後で本の中身を読む意味がなくなっちゃうじゃないか」なんて言っているアナタ、甘いですねえ。問題はその本に書いてあることの意味じゃなくて、「書き方」なんです。なので、初めにその本の基本的な内容がわかっていれば、あとは「どんな書き方をしているのかな」という具合に読めて、本の内容がスラスラ頭に入っていくんである。

『「本を速く読める人」と「遅くしか読めない人」がいるのではありません。
「熟読の呪縛から自由な人」と「それにまだとらわれている人」がいるだけなのです』

『1冊を深く読むのではなく、たくさんの本から「小さなかけら」を集めて、「大きなかたまり」をつくっていく。それが遅読家の人に決定的に欠けている発想なのです』

『「熟読の呪縛」の発端は、おそらく学校教育にあります。
「作者のいいたいことを正しく読みとる」とか「主人公の気持ちを選択肢から選ぶ」といった教育を受けているうちに、「本を読むという行為は、著者の意図を一字一句、正しく理解し、それを頭の中に写しとることである」という不文律を植えつけられてしまっているのです』

 ということで印南氏は「フロー・リーディング」を薦めるのである。

『読書の本当の価値は、書かれていることの「100%を写しとる」ことではなく、価値を感じられるような「1%に出会う」ことにあります』

『フロー・リーディングは、膨大な情報が押し寄せてくる時代に最適化された「ため込もうとしない読書」です』

 しかし、年間700冊も読んでいて、ひとつひとつの本の内容は覚えているんだろうか、っていうアナタ。アナタも甘い!

 重要なことは読んだ本のレビュー、書評、まあ私のブログみたいに本を読んでそれに刺激された勝手なことを書くでもいい、いずれにせよ本を読んでその本に関係することを、自ら文章にして残しておくと、絶対にその本のことは忘れません。

『「読むだけでも大変なのに、なんでレビューまで書かないといけないの?」
そう思われるかもしれませんが、本をなるべく短時間で読み、そこから必要な情報を効果的に抽出したいのであれば、これも非常に有効な手段なのです』

と印南氏も書いているではないですか。

 ポイントは情報でもいいし、なんでもいいのだが、物事はインプットしたらかならずアウトプットしないと自分の血肉化しないということ。インプットしたものはそのままでは実体化して自分の目の前には現れずに「ああ、なんかそんなことも書いてあったよな」で終わってしまう。アウトプットしてはじめて、自分で自分のその本についての感想やら、印象やらが自分の目の前に現れて、自分自身の中に血肉化するのである。

 なので、そのために一番いいのは、私のようなブログなんであります。

 エヘン

『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(印南敦史著/ダイヤモンド社/2016年2月26日紙版刊・2016年2月29日電子版刊)

2016年5月13日 (金)

文京区小日向・切支丹屋敷跡

 文京区小日向あたりを歩いていると、いかにも武家屋敷の跡地だという遺構などにもぶち当たる。

 ここ「小日向一丁目東遺跡」もそのひとつで、縄文時代の遺跡から、江戸時代には寛永十八年(1641年)に井上筑後守政重が下屋敷として拝領し、その後、正保三年(1646年)に築後守が宗門改役となったことにより、この地には切支丹御用屋敷となった、と説明版にはある。その遺構も残っていたそうだ。現在はマンションになってしまっているが。

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 で、その説明版から振り返ると「都旧跡 切支丹屋敷跡」という碑と、簡単な説明版がある。

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 説明版には

『キリシタン屋敷は正保三年(1646)に宗門改役井上筑後守政重下屋敷に建てられた転びバテレンの収容所です。江戸幕府はキリスト教を禁止し、多くのキリシタンを処刑していましたが、島原の乱をへて、転ばせたバテレンを収容し閉じ込める施設として新しく造ったものです。牢屋と長屋があり、この中では一応無事な生活が許されていました。幕府がバテレンの知識を吸収する場にも利用されていました。
 最後の潜入バテレンとなるシドッティ(シドッチ)もここに収容され新井白石の尋問を受けています。シドッティ後は収監者も無く、享保九年(1724)焼失し、以降再建されず、寛政四年(1792)に屋敷は廃止されました』

 とある。「転びバテレン」とは改宗した宣教師のこと。

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 シドッティとはジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティのことで、1708年(宝永5年)8月、鎖国下の日本へ出発するシドッティのためだけに建造された船に乗り、日本に向けて出発した。10月、髪を月代に剃り、和服に大小二本差しという侍の姿に変装して屋久島に上陸した。島の百姓に見つかり、言葉が通じないことで怪しまれ、ほどなく役人に捕らえられて長崎へと送られたらしい。そりゃそうだよね。いくら月代に和服、大小二本差しったって、碧眼の侍なんかがいるわけないもんね。

 1709年(宝永6年)江戸に護送され、時の幕政の実力者で儒学者であった新井白石から直接、尋問を受けた。白石はシドッティの人格と学識に感銘を受け、敬意を持って接した。シドッティも白石の学識を理解して信頼し、2人は多くの学問的対話を行った。特にシドッティは白石に対し、従来の日本人が持っていた「宣教師が西洋諸国の日本侵略の尖兵である」という認識が誤りであるということを説明し、白石もそれを理解した。

 新井白石はシドッティとの対話から得た知識をまとめ、『西洋紀聞』と『采覧異言』を著した。

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 切支丹屋敷跡に上ってくる「切支丹坂」なんだが、同じ切支丹坂を名乗る坂がいくつもあって、どの坂が本当の切支丹坂なのかはわからないというミステリー。

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NIKON Df AF-F NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Kohinata, Bunkyo (c)tsunoken

2016年5月12日 (木)

『「置かれた場所で咲こう」と努力すると、最悪自殺します。』は言い過ぎだけどね

 それこそ「炎上マーケティング」を狙っているんじゃないかと思われるイケダハヤト氏の『まだ東京で消耗してるの?』というブログやエッセイからまとめたのが本書であり、同時にイケダハヤト氏らしい電子書籍だけの出版だ、出版社名も「イケハヤ書房」だしね。

 で、今回突っ込んでいるのは雙葉学園、聖心女子大学OGにして学校法人ノートルダム清心学園の理事長である渡辺和子さんの2012年のベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』なんだけれども……。

Photo 『「おかれた場所で咲こう」と努力すると、最悪自殺します:おっさんたちが知らない! これからのキャリア論』(イケダハヤト著/イケハヤ書房)

 渡辺さんが「うつ」になった経験があるからっていうわけじゃないけれども、そんな渡辺さんだって「自殺するまで置かれた場所で咲こう」なんてことを言っているわけではない。だって、自殺しちゃったらその場所で咲けないじゃないですか。まあ、ちょっと自分に合わない場所に就学とか就職しちゃっても、少しはその場に合わせる努力をしてみてもいいんじゃないの? 的なことを言っているだけで、別に死ぬまでその場に居合わせなくてもいいのであります。

 そんなことを知っていながら『「おかれた場所で咲こう」と努力すると、最悪自殺します』なんて突っ込みの仕方をするイケダハヤト氏は、やっぱり「炎上マーケィング」を狙っているのかなあ。特にイケダハヤト氏のブログに絡んでくる「大人たち」のスタンスが「原・反イケダハヤト」的なスタンスで絡んでくるようなのだからね。

 なんせイケダ氏は

『かくいうぼくは、最初に入った大企業を1年でやめています。 せっかく早稲田政経出たのに、1年でドロップアウト。「3年勤める」どころじゃないですね。 そのあと、ぼくが入った大企業は深刻な経営不振に陥り、実質国有化されました。やめてよかった……』

『んでもって、次はベンチャー企業に転職したのですが、そこも1年でやめています。 いやー、社長には申し訳ないですが、サラリーマンが向いていなかったんだから、仕方ありません』

『最初に入った会社も、次のベンチャーも、相性がよくなかったので、あんまり能力が伸びなかったんですよ。いまいちなサラリーマンだったなぁ。 でも、環境を変えてみたら、一気にうまくいくようになりました。そんなものです』

 っていう人だから、見極めが早いんですね。まあ、サラリーマンには向いている人と、向いていない人がいるようだ。

 なんせ最初に就職したルネサスエレクトロニクスっていう半導体の製作会社は、もともとNEC・日立製作所・三菱電機の三社が設立主体だったんだけれども、倒産してしまい、現在は産業革新機構が持株比率69.16%の筆頭株主っていう、実質国有企業になってしまったという会社なんだ。「かくいうぼくは、最初に入った大企業を1年でやめています」って言うけれども、それは単なるパソコン・オタクの高校生がそのまま大学生になって、当時は世界に冠たるパソコン王国だった日本の半導体メーカーならよもや潰れることはないだろうという、それこそ中途半端な学生の産業界分析の結果であるに過ぎない。

 そう、つまり学生の産業界分析なんて全然分析になっていない印象批評みたいなもんで、基本的にB to C企業ばっかり見ているし、B to Bだって商社位でしょ、それも七大商社ばっかり。日本の企業数421万社の内、たった0.3%、1.2万社の大企業だけを見て企業分析、産業界分析をしていると思っている学生の典型だったのだ、イケダハヤト氏は。

 その辺はご本人もよくわかっているようで

『「この会社の技術に惚れた」など、何らかのこだわりがあるなら大企業もいいと思いますが、「なんとなく安定しているから大企業に入る」とかはリスキーです。かつてのぼくがそうだったので、よくわかります。さっさと大企業を辞めてよかったと、心底思います』

 ってなことを書いている。

 じゃあイケダハヤト流ブログで食べていく方法論は何なんだ。

第一の壁:圧倒的なオタクになれ。
 好きなことで食っていこうと思うのなら、まず、圧倒的なオタクになるべきです。
第ニの壁:オタクであるだけではだめ。発信しよう。
第三の壁:スピード。
 日本のみならず、海外のトレンドも抑え、「今、このジャンルはこうなっているよ」と伝え、新しいことを実践できる人材にならないと、「好きを仕事にする」のは困難です
第四の壁:オピニオンリーダーとして、突き抜けろ。

 っていうこと、これはこれで大変だなあ。私は「ブログは趣味」という程度に収めていてよかったのかも知れない。イケダハヤト氏みたいに一日一万字も書くつもりはないからね。まあ、せいぜい一日2千字だもんなあ。まあ、これではノンプロ・レベル。

 まあ

『「好きなことを仕事にする」のはラクな道ではありません。 まぁ、当たり前ですよ。プロスポーツ選手を目指すようなものですから』

 ってことですね。

『考えるべきは、「未来に残る仕事はなにか」です。ぼくの考えだと、こんなものが残りますね。 「遊び」に必要な情報、サービス、商品を提供する仕事 NPO職員 アーティスト 政治家 ソフトウェアエンジニア 金融業 食料生産に関わる仕事 災害に関わる仕事 生殖技術の開発 宇宙開発』

『ぼくらブロガーは、この「遊びのプロ」としての存在価値が強くなっていくのでしょう。YouTuberの方々のコンテンツなんか、まさに「遊び」ですよね。経済がこういうものに価値を与える時代になっていくのです』

 まあ、ブログを読むのも、実は書くのも「遊び」なんだよね。

 なんの生産性もないし。

『「おかれた場所で咲こう」と努力すると、最悪自殺します:おっさんたちが知らない! これからのキャリア論』(イケダハヤト著/イケハヤ書房)Kindle版だけの発売

2016年5月11日 (水)

東都・中大、入れ替え戦が見えてきたぞ…ゾーッ!

 國學院、亜細亜、東洋という上位3チームと専修、日本、中央というドベ争い3チームに完全に分かれてしまった、今春の東都大学野球一部リーグ。昨日は8戦して2勝6敗(勝ち点なし)の日本大学と、6戦して全敗(当然、勝ち点なし)の中央大学の第1戦が行われた。

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 中大の先発は当然エース村川。

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 日大は東であります。

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 中大土谷がヒットを飛ばすのだが、後続が続かない、っていういつもの中大打線。

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 そのうち、3回表、日大山田が四球で出塁すると、山口が犠打で送って、佐藤のときにピッチャー暴投で進塁、佐藤のレフトへのタイムリーヒットで1点。住田のヒットと、レフトの捕球エラーで1点。長沢のセカンドへのヒットと、セカンドの送球エラーで1点。と、この回中大自滅の3点を日大に献上してしまう。

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 別に村川の責任ではないのだけれども、中大ピッチャーを鍬原にスイッチ。

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 ところが、日大関がショートの送球ミスで出塁。住田のときにピッチャー暴投で進塁し、2死3塁とすると、住田のサードへのタイムリーで1点。合計日大4点とする。

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 ここで中大はピッチャーを在原にスイッチ。

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 在原は好投し、6回から9回まで日大打線を抑える。

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 6回裏、中大打線がやっと火を吹き、吉田がサードの捕球エラーで出塁すると、小河がレフトへの2ベースヒットで出塁し、2死2・3塁とすると、堀内のライトへのタイムリー2ベースで2点。

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 7回裏、田畑がライトへのヒット、土谷、吉田が四球で出塁し、2死満塁となり小河のサードへのタイムリーで1点差まで追い詰める。

 9回表には大城の好捕にも助けられおおいに盛り上がる中大ナインだったんだが……

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 結局、反撃はそこまで。9回裏は得点なしで、結果4対3で中大の負け。

 こうなると入れ替え戦の可能性も考えておかないとなあ。っていうよりも、来週の専修大戦次第では「一部最下位決定戦」なんてのもあるかもしれないなあ。それはそれで緊張していいんだけれどもね。絶対に入れ替え戦のない東京六大学との違いです。いやあ一時期「入れ替え戦のプロ」と言われた立教大学ラッシャーズ(アメフトです)の試合も見続けてきたからなあ。まあ、やっぱり六大学よりは東都の方が緊張感があっていいのかな。

NIKON Df AF NIKKOR 80-200mm f1:2.8 @Jingu Stadium, Shinjuku (c)tsunoken

2016年5月10日 (火)

霞丘陵ハイキングコースで意外とキツイのは最後の下りだった

「60・70は洟垂れ小僧」という大和郷会の春のハイキングは「つつじの塩船観音から七国峠へ」というテーマで13名が参加した。

 JR青梅線の東青梅駅で下車すると他にも塩船観音や霞丘陵へ行く団体さんがたくさん。

 で、途中で知らないおじさんが近所にツツジが咲いてきれいだよという公園に寄っていったんだけれども、こんな感じでちょっとがっかり。

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 で、こんなせせらぎの脇の道を行って……

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 猫にご挨拶したり……

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 青梅市の面白いマンホールの蓋を見たりしていると……

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 最初の目的地「吹上しょうぶ園」へ。といってもまだしょうぶの季節ではないのでトイレ休憩だけで塩船観音へ向かう。

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 で、塩船観音なんだがつつじが盛りを過ぎてしまったために「入山券」(¥300)を買わなくても入山できてしまったのは幸いなのか? 残念なのか? まあ、根津神社や六義園でさんざっぱらつつじは見ているので、「幸い」のほうなのかもね。

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 塩船観音の山の裏から霞丘陵ハイキングコースは始まるのだが、こんな感じの尾根道が続いてあまりアップダウンはない。この辺は左の山の下が青梅ゴルフクラブの脇を走っている道。

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 で、途中から立正佼成会の敷地に入るんだが、なんか道が舗装されていてあまり面白くない。桜並木なのでその季節にはいいんだろうけれども。

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 で、立正佼成会の敷地を抜けるとやっと山道に入る。

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 と思ったら、この山道も立正佼成会の持ち物で、立正佼成会の各地の教会が競って植林をしているらしい。この辺の三つの山がすべて立正佼成会の持ち物らしい。う~ん、宗教法人ってどうなってるんだ。で、途中、笹仁田峠とか七国峠とかを通るんだけれども、「えっ? ここが峠?」っていうくらい、拍子抜けするようななだらかな山道だった。

 で、その七国峠で昼食のあと、実は最後の難関が登場するんですね。

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 それがハイキングコースから岩蔵温泉郷に下りてくる道。とにかく階段状の道でかなり急で一気に下ってくる。ここはトレッキングポールの出番だとばかり、左右のバランスに気を配りながら、慎重に下りてくる。

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 ふぇ~、やっと下りてカフェ・コバという喫茶店で一休みしたんだが、まあ、そのビールの旨いこと旨いこと……。帰りの電車が眠かったです。はい。

FUJI FILM X10 @Oume (c)tsunoken

 

2016年5月 9日 (月)

開成生の常識は世間の非常識

 まず最初に記事の訂正をします。

 5月6日のブログ「GWはスポーツ観戦、っていうことで昨日はラクロス」 の冒頭に日本ラクロス協会の事件のことを書いたんだが、『毎日新聞では「ラクロス」が何か知らない読者のために、記事の最後に『ラクロスは先に網が付いたスティックを使ってボールをパスし合い、相手のゴールに入れることで得点を競うスポーツ』ってな解説を付け加えていたようだ』と書き、これを書いた記者を東大ラクロス部出身と書いたんだが、実は慶應義塾大学男子ラクロス部出身だったそうだ。ここに改めて訂正します。

 ということで、毎年5月の第一日曜日は「母の日」というのが世間一般の常識なんだが、ここ荒川区西日暮里にある開成学園にとっては毎年5月の第一日曜日は「運動会の日」なんである。

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「晴れててよかっ!」(雨でもこう言う)という運動会準備委員会委員長の挨拶と、「反則するなよ!」という運動会審判団審判長の注意という極めてシンプルな挨拶ではじまる開成学園の運動会は、すべて生徒の自主運営で行われるのだ。

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 赤組、黒組、黄組、青組、橙組、白組、緑組、紫組の8チームに分かれた各組は中学1年生から高校3年生まで一気通貫でつながっており、高3生が中学生の面倒を見る。

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 特に高校3年生は前年の運動会の次の日から翌年の運動会の準備に入り、こんなでっかい看板のような「アーチ」とか、応援歌の「エール」(でもバラード系の歌なんだが)を作ったり、組責やら応援団長なんかを選んだり、応援団は彼らが身に着ける「タスキ」を作るために日暮里繊維街まで出向いたり、各組のプログラムを作ったりして1年間かけて準備をするのだ。

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 試合に負けるとこんな具合に応援団に土下座をしなくちゃいけないんだが、その応援団が乗っている桟敷は鹿島建設が作っている。

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 午前7時から開会式が始まり、競技は中3の「俵取り」、中1の「馬上鉢巻取り」、高校個人の「スウェーデンリレー」、中学個人の「学年別リレー」、高2の「棒倒し」で午前の部を終わり、昼休みを挟んで午後は、中2の「綱取り」、高1の「騎馬戦」、中学個人の「要領次第」と進んで開成運動会のハイライト、高3の「棒倒し」へ進んで、最後は中学・高校個人の全学年リレーで終わる。

 プログラムでは閉会式は17時20分になっているんだが、実際には19時位になってしまう。まあ、周りの家にはちょっと迷惑? でも、開成学園のそばに引っ越してきたんだから仕方がないか、とあきらめているんだろうなあ。

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 開成OBと分かると「で、何組?」と聞くのが開成OBの挨拶代わりという位、開成生にとってはこの運動会ってのが大事なんだなあ。この旧制中学みたいな雰囲気が開成生にとってのアイデンティティなんだろう。そんな開成DNAを感じさせる運動会ではあります。

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 で、運動会が終わるとアタマをさっさと切り替えて受験勉強に入るわけだが、この短期間で190人以上が東大に入学しちゃうってのも、開成生の集中力なのかも知れない。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Kaisei Junior & Senior Highschool, Arakawa (c)tsunoken

 

2016年5月 8日 (日)

音羽通りは谷底の川だった

 護国寺を背に江戸川橋まで伸びる音羽通りは谷底の川だったというお話。

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 音羽通りといえば講談社や光文社、キングレコードなど音羽グループの集積地なんだが、その音羽通りは小日向台や関口台、目白台などの台地に囲まれた谷底なんです。

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 護国寺から江戸川橋まで歩いていくとお茶の水女子大へ上っていく通称「付属横坂」とか……

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 名もない階段の坂とか。

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 鳩山会館を見るとその段差の大きさがよくわかりますね。

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 今宮神社脇の「八幡坂」……

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 都市景観賞に輝く「鷺坂」などとにかく峻厳な坂道が多い。階段状態の坂も多い。まあ、それだけ峻厳な崖っていうことなんだろうけれども。

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 それもそのはず、この写真左側が小日向台で崖になって急激に落ち込んでいる。なのでその峻厳さを多少なりとも緩和しようとしたのが小日向台へ上がる坂なんですね。実はこの崖下の道、今は暗渠になっているが元々は、現在のサンシャイン60辺りから流れてきて江戸川橋あたりで神田川に流れ込む川だったのであります。まあ、谷底には川が流れているっていうか、川があるからその丘が侵食されて丘部分は河岸段丘になって、その谷底が川になったという当然の原理でね。

 で、現在は音羽一丁目(昔は音羽六丁目から九丁目にかけて)になっているこの辺り、昔は岡場所だったのであります。音羽の岡場所として結構有名だったらしい。

 で、この小日向台の上は武家屋敷の町だったんです。まあ、よくわかる構図ですね。武家屋敷(上流階級)と岡場所(下層民)、サラリーマンと盛り場ってなもんでしょうか。

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 一方、反対側の関口台・目白台側は目白坂も……

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 新目白坂も……

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 大塚警察脇の坂もみななだらかな坂が多い。

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 峻厳な崖の小日向台と緩やかな坂の関口台・目白台という対照も、面白い。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 D @Otowa, Bunkyo (c)tsunoken

2016年5月 7日 (土)

『I o T とは何か』というよりも、日本の英語教育の問題の方が気になる

『「IoT」(アイオーティと読む。「Internet of Things」の略。「モノのインターネット」などと言われている)という言葉を、最近よく目にすると感じている方は多いだろう。しかし、それが具体的にどういうものか、何ができるのか、といったことになると、結構曖昧かもしれない』

『IoTは大きな可能性を持っているが、同時にその可能性を発揮するには、広く社会に浸透することが必要だ。広まらないと利点が活かせないが、利点が見えないと広まらない──という「鶏が先か、卵が先か」の問題だ。30年その開発に携わってきて実感するのが、IoTはその鶏卵問題が特に強い技術分野だということだ』

 う~ん、じゃあ一体全体「IoT」って何なんだ?

Iot 『IoTとは何か 技術革新から社会革新へ』(坂村健著/角川新書/2016年3月10日刊)

『インターネットは、まさに「イノベーション=破壊的創造」の典型。オープン参加型でエラスティック(伸縮自在で透過的)だがベストエフォート(努力はするが保証はできない)というその特性は、それ以前に主流だったクローズだがギャランティ(性能保証)というVAN(付加価値通信網)の存在を真っ向から否定するものだった。もしインターネットが民間から生まれていたら、研究が社会にでるまでの障害──いわゆる「死の谷」を越えられたとは到底思えない』

『ゼロリスクでない限り──ほんの少しでもリスクがあればイノベーションを受け入れないとするなら、IoTは社会への出口を失う。IoTとは名前の通り「Internet of Things」──そもそもインターネットのようにオープンでベストエフォートでありながら、インターネットと異なり実世界に大きく影響するシステムだからだ』

『その意味では今話題のロボットも自動運転もIoTの一部──逆に言えば、IoTは社会全体のロボット化ということもできる』

『エアコンくらいは問題がなくても、自動車の自動運転では情報世界の変更が人の死に直結しかねない。だからこそ、米国も情報世界だけのイノベーションよりスピードは遅くなっている。日本より対応は早いし、大量の試験走行をグレーな状態で行って容認されたとはいえ、米国で自動運転車がネバダ州の公道免許を取るまでに、さすがのGoogleですら1年7ヵ月「も」かけているのだ』

『哲学議論はどうせ答えも出ないし、日本的には曖昧にしたいところだ。しかし、そういう問題を曖昧にせず突き詰める知的なタフさが確かに欧米にはある』

『哲学の次には、生活の中で使われる技術なので制度や法律の対応も重要になる。道路にタグを付けようとすると法律があるし、ロボットが街中で歩くようにするにも法律を変えないといけない。IoTをオープンな社会に出すにはテクノロジーだけではなく法律も素早く対応させることが重要になってくる』

 ドローンの運用だって、まだまだまったく法整備はできていないという状態なんだから、「IoT」を実現させるための周辺の哲学や法律的な整備も早急にやる必要があるんだけれども、この「哲学がらみの法整備」って日本の官僚や政治家が一番弱いところだからなあ。

 つまり「哲学的な問題」とは「ロボット」や「AI」が人間の総知識量を超えてしまうという「シンギュラリティ」の問題にどう対処するのかという問題だ。

 あと30年後、2045年にはコンピュータの知識量が全人類の知識量を超える「シンギュラリティ」がやってくるそうだ。そうなるとコンピュータが人間を支配するようになるのか、とか、その前に新たな「ラッダイト運動」が起こって人間がコンピュータを破壊する動きをするのではないかという話が出ているが、まあ、それはまさしく『攻殻機動隊』の世界が実現するだけで、それは人間が考えたことなのか、あるいは「ゴースト」が考えたことなのかという不毛な論争を生むだけで、別に人間が考え発想したことであっても、ゴーストが考え発想したことであっても、それがお互いの合理性に即した結論であれば問題はない、ということなんだろう。

 まあ、問題は双方の発想に違いが出てしまい対立したらどうするの? ということなんだろうけれども、その時代には「アンドロイド=AI」にも「ヒューマノイド=人間」にも同じような「人権(?)」ができて、それぞれ話し合いで決めればいいことだと思うのだがどうだろうか。まあ、多分「アンドロイド=AI」の方がすべて物事を論理的に考えるだろうから、そこにどうやったって感情が混じってしまう「ヒューマノイド=人間」の方には分が悪いですね。

 とはいうものの、その時代にはその時代なりの「人間の(AIの)生きる知恵」なんてものが出てきて、何とか一致点を見出すのではないだろうか。なんかこの「一致点を見出す」「落としどころを見つける」なんて作業もAIの方がなまじ感情が入らないだけ上手なんじゃないだろうか、なんて考えてみたりしてね。

 しかし、2045年でしょ。生きていれば私は94歳、妻は90歳。そうか、下手するとまだ生きているかも知れないじゃないか。面白そうだな「シンギュラリティ」。ロボットの方が人間より頭がよくなってしまう年。その時代まで生きていたいものだ。

 で、結局そのために必要なのはやっぱり教育なんだなあ。

『オープンIoTの環境が整ってきたときに、それを社会が活かせるようになるのに重要なのが「読み、書き、算数」と同じ「国民の基礎的力」としてのプログラミング教育だ。これは、従来のコンピュータエンジニアや研究者養成のための専門教育とはまったく違う』

『プログラミングの敷居が低くなってきた。今、プログラミングをすべての人が使える力にする必要がある。そのためにはできるだけ早い時期からプログラミングの教育を始める必要がある』

『プログラムができれば、それらの製品の機能を組み合わせて、自分の仕事や生活に合わせた環境を簡単に作ることはできる。これがIoT環境だ』

『「中等教育からコンピュータプログラミングを教えるべきだ」ということを主張する記念碑的な論文がイスラエルで発表されたのが1995年。それを受けてイスラエルは高校の教育改革を行い、2000年にはいち早く義務化までこぎつけ、今は一部を早めて中学に移すという』

『小学校レベルでの取り組みが早かったのはエストニアである。英国イングランドは、すでに2014年以降、5歳児から読み書き算数に次ぐ扱いでコンピュータサイエンスを義務教育化している』

 日本においては、まずその前に「英語教育」の問題があるだろう。それも現在文科省が進めている「聞けて、話せる英語」じゃなくて、プログラミングに必要な「読んで、書ける英語」だろう。まあ、一番いいのは「聞いて、読んで、書けて、話せる英語」なんだけれども、それらをすべてこなせるような日本人を養成しなければならない。

 まあ、結局、日本が「IoT」時代にも大国になれるかどうかは文科省にかかっているってことですね。

 ちょっと心配だけど。

『IoTとは何か 技術革新から社会革新へ』(坂村健著/角川新書/2016年3月10日刊)

2016年5月 6日 (金)

GWはスポーツ観戦、っていうことで昨日はラクロス

 ということで、昨日は社会人アメフト第38回パールボウルトーナメントの様子をお伝えしたんだけれども、今日は社会人ラクロスのオープン戦の様子をお届けします。まあ、皆さんにとってはどうでもいい話題ですけれどもね。

 というか昨日の毎日新聞の記事『日本のラクロス界を統括している「日本ラクロス協会」(本部・東京都中央区)の専務理事を務めていた男性(48)が、運営費約1000万円を横領したとして、4月2日付で懲戒解雇されていたことが分かった』で初めて「ラクロス」っていうものがあるんだって知った方の方が多いんじゃないか。毎日新聞では「ラクロス」が何か知らない読者のために、記事の最後に『ラクロスは先に網が付いたスティックを使ってボールをパスし合い、相手のゴールに入れることで得点を競うスポーツ』ってな解説を付け加えていたようだが、実はこの記事を書いたのが慶應大学ラクロス部のOBらしいんだなあ。

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 昨日は駒沢オリンピック記念公園にある補助競技場で社会人ラクロスのデサフィーオ、アドバンス、アルム アルティスタによる巴戦が行われた。

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 デサフィーオとアドバンスは両方とも東日本リーグに所属するチーム。一方アルム アルティスタは東海リーグに所属する名古屋のチームらしい。

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 試合は20分クォーター×3クォーターっていう変則的なルールで行われたんだけれども、取り敢えずデサフィーオvs.アドバンスは7対5でデサフィーオの勝ち。

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 まあ、アドバンスは直前にアルム アルティスタとの試合を終えたばっかりなので、その疲れもあるんだろう。

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 デサフィーオは勝って喜んでいるが、その直後、君たちにもその疲れが原因で「負け」ってのもあるんだぜ。

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 ということで、デサフィーオの第2戦、対アルム アルティスタ戦が始まった。

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 第1クォーターこそ3対3で終わって、どちらに勝利の女神がつくかはわからない状態だったが。

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 第2クォーターでデサ4点対アルム1点と差が付き……。

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 第3クォーターではデサ1点対アルム3点を取ったのだけれども、結局8対7でデサフィーオが勝った。

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 うーん、どうも見ていると東日本の2チームはとにかく「勝ち」にこだわっており、たとえ無理な状況でもシュートしてしまう形の攻撃をしているんだが、東海のアルムは何となく攻めの形にこだわって、それにこだわっているうちにシュート・チャンスを逃しているような感じがあるんだなあ。

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 ゲームは「勝ってナンボ」なんだから、基本的には「ゴール」へのこだわりが強いチームが勝つんだと思うんだけれども。特に、東日本のチームを見ているとね。

 で、巴戦の結果は;

デサフィーオ      2勝0敗
アドバンス        1勝1敗
アルム アルティスタ  0勝2敗

 ということでした。

 まあ、これが秋の公式戦リーグを占うことにはまったくなりませんがね。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM @Komazawa Olympic Park, Meguro (c)tsunoken

2016年5月 5日 (木)

ブルズvs.ディアーズっていうなら当然ディアーズなんだが

 BULLSフットボールクラブ(ブルズ)にとっての第38回パールボウルトーナメントの第2戦はLIXILディアーズ(ディアーズ)との対戦。

 ディアーズのキックオフ(KO)で始まった試合は、ブルズにとっては前戦の富士通フロンティアーズ戦よりは流れがよくて、取り敢えずは「前に進める」試合を展開した。

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 とは言うものの、結局はタッチダウン(TD)を奪えずにフィールドゴール(FG)になってしまうのだが、一昨日からの強風のために結構至近距離のFGはOUTで得点できず。

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 ディアーズの攻撃も精彩を欠き、やはりFGに追い込まれるのだが、ここはしっかり決めてまず3点リード。

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 第2クォーター(Q)に入ってディアーズTDを奪うのだが、結局トライフォーポイント(TFP)をとれずに6点のみ。対戦成績を9対0とする。

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 ブルズも時折いいプレイを見せて、パスインターセプトなんかも見せるのだが……、それでも第4ダウンでファーストダウンを奪えずに攻守交替が多い。

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 で、結局再びディーアーズFGで3点追加。12対0で前半終了。前半、ディアーズ1TD2FGだけに抑えてブルズ健闘に見えたんだが……。

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 後半戦はブルズのKOから開始。

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 ディアーズFGで15対0とした後、TD+TFP追加で22対0とする。

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 その後もディアーズ快進撃は終わらず、再びTD+TFPで29対0。

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 第4Qに入り、何とかブルズが1TDを返し、29対7とするが。

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 その後のKOでオンサイドキックの失敗などもあり、再びTDを許し、最後は36対7という結果に。

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 この結果、ブルズはパールボウルトーナメントAブロック3位(最下位)となって、6月11日に行われる東日本交流戦に出場、相手はDブロック最下位(多分、明治安田パイレーツ?)との対戦になる。

 しかし、ディアーズも鹿島ディアーズの頃と比べると大分戦力は低下しているなあという印象。LIXIL社員を投入しようという構想もあるそうだが、まあ少し時間はかかりそうだ。

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 う~ん、ブルズも何とか春にも1回でいいから「勝ち」を見せてほしいものだ。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM @Fujitsu Kawasaki Stadium (c)tsunoken

 

2016年5月 4日 (水)

大都会の速やかなる変化に驚愕する話

 先日、毘沙門天の藤棚がきれいだという話を聞いて、久々に神楽坂へ出かけた。

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 う~ん、まあ藤は満開でバックの毘沙門天の「赤」と重なって藤色が確かにきれいだ。

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 で、神楽坂を散策したわけなのだが。

 鳥茶屋は相変わらずの場所で営業中。

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「あゆの天ぷら最中」で有名な梅花亭も普通に営業している。

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「ペコちゃん焼き」も健在と、まあいろいろ変化している神楽坂でも昔からの老舗は変わらないんだなあと眺めていたら……

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 あれっ? 五十番だった場所が、いつの間にか〈北のプレミアムフード館「Kita-pre」〉になっている。五十番はどこだ? と探してみたら……

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「Kita-pre」と路地を挟んだ隣に、前よりは大部小っちゃく五十番発見! うん、良かった。

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 五十番といえば「大きな五目肉まん」(現在は¥638〈税別〉)なんだが、その「大きな五目肉まん」で面白いエピソードを思い出した。

 かなり昔、実写ドラマ映画を製作していたときに、その音響スタッフから聞いた話なんだけど、そのスタッフが製作に参加したある映画で、だんだん製作費が枯渇してきてしまって、ついに弁当が「大きな五目肉まん」(当時は¥500)ひとつだけになってしまったことがあったそうだ。これには現場スタッフもおおいに怒り、暴動寸前になってしまって、製作中断もあわや、ということに……。製作側(プロデューサー側っていう意味です)も、もうちょっと予算コントロールして、せめて昼食ぐらいは配慮してあげなくちゃいけないんじゃないか。とまあ、こちら側は出資者側(要は、製作下請け側のプロデューサーじゃない)のプロデューサーだったから、ちょっとは気軽に話を聞いていたんだが。

 まあ、「食い物の恨みは恐ろしい」というけれども、そんなこともあるんだね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Kagurazaka, Shinjuku (c)tsunoken

 

2016年5月 3日 (火)

『エロスと「わいせつ」のあいだ』を決めるものなんかはない

 もうネットでなんでも見られてしまう時代に刑法175条ってどうなんだろう。

(わいせつ物頒布等)
第175条
1 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
2 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

Photo 『エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史』(園田寿・臺宏士著/朝日新書/2016年2月25日刊)

『猥褻の判定は、時代と社会によって変化する流動的なものである。ある時代には猥褻だと判断された作品も、時代が変われば芸術性や思想性などの価値が、猥褻性によって侵害される保護法益(善良な性的道義観念、善良な性的秩序)よりも大きいと判断されることはよくあることである』

『このような移ろいやすい抽象的なモノを刑罰で絶対的に保護しようとすることは、社会でもっとも強力な制裁である刑罰の使い方として妥当かどうかは問題だと思われる』

『事実上社会に流通しているものが、取り締まる側の判断で猥褻かどうかが決まり、それを検挙するかどうかについても、取り締まる側の裁量の余地が大きいものを犯罪とすることにも問題はある』

『現在では、インターネットが普及し、日本国内で明らかに違法とされる性情報にも容易に接することが可能となっている。1970年代に刑法の脱道徳化(道徳や美風を守ることは刑法の主たる任務ではないという思想)が強く主張されたことがあったが、18歳未満の者に対する「有害図書規制」(書店やレンタルビデオ店などで、性的に過激な図書やDVDなどを「区分陳列」したりすることによって、未成年者がそのような情報に接することを防ぐ制度)が、ほとんどの地域で機能している現状をふまえ、情報環境が劇的に変化している現代社会で、旧来通りの猥褻概念を維持し、適用することについて再検討すべき時期に来ているように思う』

『ネットではそれこそ露骨な描写のコンテンツが溢れているという現実が事実上、放置されている中で、漫画家のろくでなし子さんや、写真家の鷹野隆大さんの作品の展示が175条を根拠に、捜査当局によって逮捕・起訴されたり、撤去を求められたりするのはなぜなのだろうか』

『「わたしのアート作品は『猥褻』ではありません」。そう無罪を主張し、全面的に争うことにしたのである。これまでの著名な猥褻裁判の被告は男性ばかりだった。今回の裁判は被告だけでなく裁判長も、中心となる検察官も女性だ。こうした組み合わせは異例である。「アート作品か、わいせつ物か」をめぐり、裁判所がどのような判断を示すことになるのか』

『「女性器は自分の大事な体の一部に過ぎないものであるにもかかわらず、ここ日本においては蔑まれ、汚いものや恥ずかしいもの、いやらしいものとして扱われ、とてもおかしいと強く感じたからこそでした。生命が生まれでてくる場所であるならば、蔑んだり、いやらしい場所などとみなす事はとてもおかしい話です」
「わたしはなぜそんな風になってしまったかを考えました。その結果、女性器はまるで男性の愛玩物のように扱われているのが原因で、根底にあるのは女性差別であると思い至りました。そこでわたしの体であり、わたしの物であるはずの女性器を取り戻すため、女性器のアートを本気で活動するようになりました」』

『今後ですが、敵が国というラスボス(ラストボス、ゲームなどで最後の障害となるキャラクターを意味する)になってしまったので、国と戦うことも作品にしようと思っています』

 と語る漫画家・ろくでなし子さんの戦いは、フェミニズムの戦いでもある。

『全裸の男女を写真撮影した作品の一部に男性器が写り込んでいたことから、作品を県警保安課は刑法175条の「わいせつ物」と判断し、公然陳列に当たるとして口頭で指導したというものだ。これに対して、美術館は、鷹野さんと相談の上、作品の撤去には応じないこととし、男性器の部分を白い不織布やトレーシングペーパーで覆うことで見えなくする措置を取ることによって、展示の継続を選択した』

『警察権力というのはグロテスクですよね。本来は国民が一時的に権限を委譲しているだけじゃないですか。それなのに警察は全権を握って主体的に行動できるかのように振るまっています。権力を行使した警察官個人が特定されないのもよくありません。官僚には「無謬の原則」というのがあります。自分たちは〝機関〟にすぎないから過ちを犯しようがないし、従って個人として罪に問われることもないというものですが、実際には個人の裁量で動いている部分がかなりあるはずです』

『世の中にはたくさんの「正義」があります。そのたくさんの「正義」のうち、正しいものと間違ったものを行政機関(公権力)が定め、〝余計なもの〟を排除するのです。こうやって、顔の見えない官僚たちが薄暗い中から国民を監視する。もはや1人の独裁者が暴君として君臨する時代ではなく、「正義」を標榜する集団による、ソフト・ファシズムの時代が目前に来ているのを感じます』

 と語る写真家・鷹野隆大さんの戦いは、権力のグロテスクさとファシズムを暴く戦いでもある。

 いずれにせよそこで問われているものは「猥褻とは何か」という「猥褻の定義」なのだが、それは検察官にも裁判所にも答えることはできない。その「定義のない犯罪」で処罰されるわいせつ罪の犯人ってなんなのだろう。それも児童ポルノを除けば誰も被害者がいないにも関わらずだ。

 結局、証拠もないに等しい、被害者のいない「犯罪」ということは、「これは猥褻である/猥褻ではない」を決めるのは検察官の心証だけであり。裁判所の判断だけである。

 つまり、それは国家権力が、国家権力だけの判断で犯罪か否かを決めることができるという、まさしくファシズムにも等しい国家権力のありかたそのものである。

「わいせつ罪」という犯罪そのものが国家権力の横暴であり、まさにファシズムであるということなんだなあ。

『エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史』(園田寿・臺宏士著/朝日新書/2016年2月25日刊)

2016年5月 2日 (月)

東京周縁部を往く・左近川親水緑道

 4月23日のブログ「新左近川親水公園」の最後に書いた通り、昨日は元々の左近川を歩いてみた。

 左近川の大本は旧江戸川。対岸は浦安である。

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 左近川の取水口があるあたり。遠景に東京ディズニーランドが見える。

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 左近川の入り口辺りは「なぎさ公園」というのがあって、いやでもここが海のそばだということに気づかされる。

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 ここが左近川の最上流。どうも旧江戸川からポンプで汲み上げているようだ。

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 で、左近川の脇は「左近川親水緑道」となっており、川沿いにずっと歩けるようになっている。

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 東葛西スポーツ公園の脇には「みんなの田んぼ」というのがあって、近隣の人たちがお米を作っているようだ。

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 左近川は道路と交差する部分だけは暗渠になっているが、概ね川面を眺めながら歩いて行ける。

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 で、環状七号線との交差点を過ぎると、もうすぐで左近川は終わる。

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 ここ、海岸水門で左近川は終わり、新左近川親水公園になって、4月23日のブログに繋がる。

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 と、まあほんの2kmあまりの旅ではありました。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Kasai, Edogawa (c)tsunoken

2016年5月 1日 (日)

『7兆円でできる子どもの教育費、医療費全額無料』って、え? その程度でできちゃうの?

 書籍ではないが『週刊朝日』2016年5月6-13日合併号に面白い記事が載っていたので、ご紹介。

『選挙対策の〝バラマキ最大10兆円〟の使い道 安倍首相へ専門家と本誌が7つの逆提案』というのがどの記事。

Photo 『週刊朝日2016年5月6-13日合併号/朝日新聞出版)

「7つの逆提案」とは「(京大柴田氏「マツコ案」)7兆円でできる子どもの教育、医療費全額無料」「(脱原発)廃炉加速、分散型再エネ社会に」「(インフラ)全電柱を地中化せよ」「(防災)「直下型」リスク都市、水道管を耐震強化」「(空き家)隠れ貧困対策。待機児童解消施設に」「(訪日客)「おもてなし語学給付金」を」「(健康)端末活用で医療費削減」という7つ。

 私が興味をもったのは一番最初の「(京大柴田氏「マツコ案」)7兆円でできる子どもの教育、医療費全額無料」という記事。

 きっかけはコラムニストのマツコ・デラックスが「子どもにかかるお金は大丈夫だよって、ちゃんと国が責任もって(略)育ててあげますよ、という制度がないと、安心できない」と2月にテレビで発言したそうだが、実はマツコさんの発言を受けて、実際に無料化したらどうなるかを試算した人がいるのだ。

 それが京都大学大学院人間・環境学研究科の柴田悠・准教授。柴田氏の試算ではさらに踏み込み、保育から大学まで(0~22歳)の保育・教育費と医療費を無償化した場合の費用を検討した。

 柴田氏はこう発言したそうだ。

『実は子ども1当たりにかける子育て支援額(対1人当たりGDP比)は先進諸国で比べても日本はずっと低い。『家計任せ』だったということです。半面、高齢者福祉は先進国並みで大幅に改善しました。これは『票』かもしれません。少子化に苦しんだ西欧諸国を参考にすると、子育て支援は経済的にも奏功している。中でも『日本死ね』で話題の保育サービスの強化は波及効果がおおきい』

『とくに参考になるのはフランスだ。柴田氏によると、出生率に異変が起きたのはフランス革命(1789年)以降、避妊や出産制限の動きもあり、出生率が低下し始めたという。
「児童手当と税制優遇から始まり、少子化対策には100年以上取り組んでいます。その効果が顕著に出たのは1990年代。保育サービスを充実させた直後に出生率が回復しました」(柴田氏)

 一方で、日本の子ども1人当たりの子育て支援額(対1人当たりGDP比)は今も先進国平均の約半分というのが現実だ。
「日本で少子化が始まったのは第2次世界大戦後で、歴史が浅い。さらに霞が関や政治家の『第2次ベビーブームがあったから、次もある』という想定の甘さがあった。近年の公共事業の乗数効果(政府支出が国内総生産を増やす効果)は1.1倍とされていますが、子育て支援は約2.8倍。より大きな効果が期待できます」(同)』

 ではそのための費用は?

『保育サービスにはどのくらいの財政負担が必要か。34万円分(両親が非正規雇用の場合の年間保育費用に相当)の保育クーポンを、すべての子どもに配布すると想定。ここから無償化するのに必要なお金は約2.1兆円という。

 さらに潜在的待機児童計約80万人(想定)を解消するために、民間認可保育所の保育士の年収(約320万円)を全産業平均(約490万円)までアップさせて増員し、園も新設。これには計約1.5兆円が必要だ。保育関連の無償化はすべてあわせると約3.6兆円で可能という計算。さらに副次的な効果もある。
「保育クーポンは認可だけでなく認可外、ベビーシッターにも使えるようにすれば、新たな幼児向けサービスや雇用を創出する可能性も出てくる」(同)

 大学卒業までのすべての教育費(公立相当分)を無償化した場合はどうか。あくまで進学率は現状のままを前提にするが、財政負担額はそれぞれ小学校が約0.7兆円、中学校約0.6兆円、高校約0.9兆円、大学約1.6兆円。

「揺りかごから墓場まで」とまではいかないが、保育から大学まで無償化すると計約7.3兆円。この期間の医療費を含めても0.5兆円増の計7.8兆円でやれる。問題は財源だが、注目すべきは相続税だ。

 日本総研の立岡健二郎研究員のレポートによると、国内で相続される資産の年間推定額は37兆円~62.9兆円。この推計をもとに柴田氏は、基礎控除額(現行3千万円と相続人1人につき600万円)を配偶者1千万円、子ども1人につき100万円にまで下げて一律20%課税とすることで3.9兆円~9.0兆円の財源確保が可能とみる。さらに配偶者控除などの被扶養配偶者優遇制度を年収800万円以下の世帯に限ることによっても約1.1兆円を捻出できるという』

 教育機関のほとんどが公立か国立というヨーロッパ諸国と日本では単純な比較はできないが、北欧諸国などは大学まですべて無償化している。国家予算の比較では日本の方がよっぽど大きいので、日本で大学まで無償化することも可能なのじゃないだろうか。

 まあ、問題は小中学生には選挙権がないので、そんなことをしても票には結びつかないというのが一番の理由なんだろうけれども、それじゃあ親の票にも結びつかないということになってしまい、結局、損をするのは政治家なんだってことに気づくべきなんだよね。

 年寄だってもうすぐ死んでしまうんだから、今のうちにもうちょっと若い世代のことを考えて政策を進めていかないと、いずれは先細りになっちゃうのになあ。

 ああそうか、そんな政治家だってもうすぐ死んじゃうんだから、せめて生きている間だけ選挙に当選すればいいってか?

 少子化とかなんて、自分が政治家をやっているうちには解決しないんだから、そんなこと知るか、ってのが今の自民党の考え方なんだろうな。

『週刊朝日2016年5月6-13日合併号/朝日新聞出版)

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