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2016年4月10日 (日)

『大橋鎭子と花森安治』で「とと姉ちゃん」の今後の展開を予想する

 時代は既に「あさが来た」から「とと姉ちゃん」に代わってきている。「とと姉ちゃん」には「あさが来た」のような原案小説はないようなので、取り敢えず『大橋鎭子と花森安治』なのである。

Photo_3 『大橋鎭子と花森安治  戦後日本の「くらし」を創ったふたり』(編集『歴史読本』編集部/執筆:青山誠/KADOKAWA/2016年3月14日刊)

『鎭子は東京・麴町の病院で大正9年(1920)3月10日、大橋家の長女として生まれた』

『父の武雄は岐阜県にある名家の次男坊。深川の材木商・大橋家の養子となり、北海道帝国大学を卒業している。当時の全人口の約1パーセント程度といわれたエリートの帝大生である。また、母の久子は北海道小樽生まれ。こちらも府立小樽高等女学校を卒業した後、東京の女子美術学校で学んでいる』

 フムフム

『武雄の北海道転勤は、鎭子が生まれた翌年のことである。東京のど真んなかで生まれた彼女だが、おそらくその記憶がほとんどないまま、物心ついたころには北海道の原野にいた』

 あれっ? 遠州浜松じゃなかったの? まあ、それはいいですけれどもね。

『「お父さんは、みんなが大きくなるまで生きていたかった、でもそれがダメになってしまった。鎭子は一番大きいのだから、お母さんを助けて、晴子と芳子の面倒をみてあげなさい」
「ハイ、ワカリマシタ」
 鎭子は応えた。そして、この時の父との最後の約束が、鎭子の生涯にわたってその生き方や行動にさまざまな影響を与えることになる』

『父の武雄は景観の激変ぶりを目にすることなく、昭和5年(1930)に他界してしまう。葬儀の喪主は、当時まだ11歳だった鎭子が務めた。彼女は父の跡を継いで、大橋家の「戸主」ともなっている』

 ふ~ん、当時は当然長男が戸主となる時代だったんだけれども、女三姉妹の大橋家では長女が戸主となったんだ。妻というのは結局戸主にはなれなかった時代だったんだなあ。

 で鎭子は『鎭子は、小樽に住む祖父の援助により、東京府立第六高等女学校(現在の都立三田高等学校)で学ぶことができた』

『それでもなんとか鎭子は昭和12年(1937)に、女学校を卒業できた』

『鎭子はこの年に日本興業銀行に就職することできた。これもまた、戦争景気が多少なりとも影響していたのかもしれない』

 すごいな、日本興業銀行って今のみずほ銀行でしょ。まあ、でも女学校出はまあ、それこそお茶くみとかそんな仕事ししか与えられなかったんだろうな。

『将来の安定が約束された巨大銀行への就職。現代でも、大学生にもっとも人気の高い就職先として必ずいくつかのメガバングの名が挙げられる。苦労して鎭子の就学を援助した祖父や母、妹たちもさぞや喜んでくれたことだろう。だが、この人も羨むような就職先を、彼女は3年で退職してしまう』

 まあ。結局はそれも大橋鎭子の一種のキャリア志向なんだろうなあ。戦前は、明治以来の「男尊女卑」思想がまだ生きていた時代だったので、女学校出の女の子にはたいした仕事も与えられず、給料も相当低かったらしい。

『鎭子は銀行退職後、大学へ進学しようと考えていた』

 で、結局大学へ進学することになるんだが……

『そして鎭子は、めでたく日本女子大学に入学できた』

 おお! ここで「あさが来た」と「とと姉ちゃん」が繋がってくるんだなあ。すごいことやりますねえNHKは!

 いろいろあって、日本女子大には半年しか通わなかったようであるが、そんな彼女が勤務したのが日本読書新聞(日本出版協会へ出向)。ここが運命の分かれ道になるんだなあ。

『鎭子は会社から独立して、自らの出版社をつくり雑誌を創刊するという、「起業」を志していた。しかし、経験の浅い彼女にとって、ひとりで会社を起こし、雑誌を編集するというのは荷が重い。なにから始めればよいのか、それすらもわからない。そこで彼女の上司である日本読書新聞の編集長・田所太郎に相談したところ、事業のパートナーとして花森を推薦されたのだ』

 と、ここで大橋鎭子と花森安治の関係ができあがって行くわけだ。

『ふつうにお勤めしていては、給料も安いし、母と妹二人を幸せにすることは難しい。自分で仕事をしなければ……自分で仕事をすれば、お金がたくさん入ってくるだろう』

 しかし、こんな単純な理由でもって起業しちゃおうっていうんだから、向こう見ずっていうかなんて言うか。ただし、戦後のすべてを失ってしまった日本という時代背景を考えたら、それを逆に捉えてすべての人にチャンスがあるんだ、っていう発想をする人がいてもおかしくない訳だ。要は、戦後の何もない時代をネガティブに捉えるか、あるいはポジティブ(能天気)に捉えるかっていう違いなんだけれども、その違いって実は天と地くらいの違いとなってくるんだなあ。

 しかし、この大橋家って、長女の鎭子も鎭子なら、二女の晴子も凄いんですね。

『晴子は鎭子よりも3歳年下で、このころはまだ22~23歳。丸の内の保険会社に勤務していたこともあり、銀座は近い』

『姉の鎭子に勝るとも劣らず、晴子もまた向こう見ずな突撃精神を発揮して、花森から与えられたこの難易度の高いミッションを成功させしてしまう。
 彼女は目につく建物があればすぐに管理人や持ち主を訪ねて、
「お部屋を貸していただけませんか?」
「空室はありますか?」
 そう聞いてまわったという』

 さらに

『晴子はまた、保険会社の仕事で自分が担当していたとある富裕な保険代理業者と交渉して、 「姉が事業を始めるのに、資金が必要なんです」
 と、1万円の事業資金を融資してもらう交渉もしていた。そして、こちらもみごと融資を引きだすことに成功している』

『そんなころの1万円は、現在ならば400万~500万円の感覚だろうか。
 その大金をポンと貸すのだから、相手も晴子をただの小娘とは思っていなかったはずだ。仕事を通じて、信頼するに十分ななにかを彼女に感じていたのだろう。やっぱり、ただ者ではなかった』

『晴子が融資してくれる相手を探してくるまで、出版社を立ち上げようと言いだした鎭子のほうが、まったく資金のことを考えていなかったということにも驚かされる。大橋家に貯金はほとんどなかったはずだ。資本金はゼロに近い。それが会社を立ち上げて雑誌をつくろうというのだから、かなり能天気なところもある。
「なんとかなるさ」
 そう考えていたのだろうか』

 ってんだから、かなりムチャクチャな話ではあるんだが、それが実話なんですねえ。

 う~ん、「とと姉ちゃん」楽しくなりそうだなあ。

『大橋鎭子と花森安治  戦後日本の「くらし」を創ったふたり』(編集『歴史読本』編集部/執筆:青山誠/KADOKAWA/2016年3月14日刊)

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