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2016年4月

2016年4月30日 (土)

今さら@May_Romaさんに言われたくない『日本人の働き方の9割がヤバい件について』

 別に今更@May_Romaさんに言われなくても、これまでの日本人の働き方が世界標準からみておかしかったってことはわかっています。多分、大半の現役サラリーマンはね。

 だから今、それを変えようとしているんじゃないのか?

Photo 『日本人の働き方の9割がヤバい件について』(@May_Roma谷本真由美10月2日紙版刊・2015年9月24日電子版刊)

 大体、今の日本人であれば……

『日本で終身雇用前提の正社員が一般化したのは、1960年代以後であり、それまでは、経営首脳陣候補であるごく一部の正社員以外は、中途採用や転職が当たり前でした。正社員以外には、ホワイトカラーで事務職であるが経営首脳陣候補ではない準社員と、現場で作業にあたる職工と呼ばれるブルーカラーがいました。正社員とは給料、福利厚生、昇給などで大きな差があり、終身雇用でもなかったため、会社への帰属心は薄かったとされています。転職も珍しくありませんでした』

 ってことは承知しているし、そもそも日本の戦後の復興の大本は「朝鮮戦争」という「外国同士の戦争」であり、その結果としての「特需」であり、その後、その経済成長を維持するために、更にはそのための人材確保のために「終身雇用」と「年功序列制度」ができてきたということは百も承知、二百も合点なのである。

『働く人の自分商店化は、50年前の状態に回帰しただけであり、そもそも、終身雇用や働く人の多くが、正社員として、新卒で一括採用される仕組みの方が異常であった、ということがいえるでしょう』

 ということも百も承知の事柄ではある。だって、江戸時代とか明治時代とかはみんながそうやって、(今でいう)起業してきたんでしょう。

 要は「働く人の自分商店化」っていうのは、皆がみんな、一流の大企業を目指すんでなくて、それぞれが自分にあった小さな会社でもいい、あるいは自分で小さな会社を起業してもいいっていう社会を作りましょうってことだよね。っていうことは、既に日本でも始まっている動きではある。

 問題は、そんな動きを規制しようとしている中高年たちの問題なんだよな。

『かつて絶賛されていた年功序列、終身雇用、集団主義がそのまま残っている職場も多いですし、日本人の多くは相変わらず長時間労働です。2~3週間の休暇を取ることができるのは、外資系の企業に勤務するような人や、どこでも仕事ができるフリーランスの人に限られているようです』

『日本の成功は、当時の資源価格や国際政治、金融政策、特許技術の購入のしやすさ、新技術の導入、海外の最新技術や知識の導入、地道な品質改善活動、教育改革、さらに歴史的なタイミングなど、様々な要素が絡み合っていたから可能だっただけであり、「日本人の働き方」は成功要因の一つにすぎなかったのです』

 ところが「ジャパン・アズ・マンバーワン」なんて言われていて浮足立っていた日本のサラリーマンは、自分たちの働き方が世界でNO.1なんだと誤解していたんだなあ。

 まあ、結局こういうことなんだろうなあ……

『働き方の仕組みやルールを決めるのは、意思決定権のある中高年以上の世代です。在宅勤務が認められない、男性の育児休暇が増えない、サービス残業を強要する職場に対する罰則がゆるいというのは、企業文化の問題というよりも、世代間対立の問題なのかもしれません』

 それに毎晩の職場飲み会とか、週末の接待ゴルフとかね……

『親の世代は大学生に「ワタシが若い頃はこうやって遊んだものよ」「週末クラブで飲んだくれてた」と言う一方で、子供たちは資格取得やインターンのためにせっせと勉強したりネットワーキングに精を出したりしており、親は不真面目で子供はなんだか真面目、というまるで世代がひっくり返ったようなことが起きていたりします』

 ということになっちゃううんだろうなあ。まあ、これは「切り捨て御免」ですね。

 面白かったのはこの部分……

『2002年には編集者の仕事というのは、上から数えて31番目に良い仕事でしたが、2014年には139位です。2015年にはさらにランクが低下し、なんと最下位の200位になってしまいました』

『日本ではエリートの仕事であり、憧れの仕事の一つである新聞記者は、低い報酬、仕事の不安定性、ストレス、成長性などの観点から見て、現在アメリカで最悪とされる仕事の一つです』

 うふふ、そうか新聞記者や雑誌編集者もそれだけ地位が下がってしまうのね。まあ、マスコミの地位が上がったっていうのも、本当はマスコミの地位が上がったんじゃなくて、他にまだコミュニケーション手段がない時代における唯一のコミュニケーション手段としてのマスコミ、ミディコミ、ミニコミなんかがあったわけだけれども、それもまあ究極のコミュニケーション・メディアとしてのメールやLINEなんかができちゃったらもういらないもんね。

 ってこれも明治の時代から考えると、ごく当たり前の状況なのだ。

 つまり、明治時代は新聞記者とか雑誌編集者はほかのまともな就職ができなかった人間が就く仕事だったんだなあ。だって何かを生産するわけではないでしょう。単にその世の中で何かを言って、なんか変な騒動を起こすだけじゃないか、マスコミって。という時代であったわけで、そんな時代のマスコミ関係者ってのは、単なる世間騒擾者だってことなんだよなあ。

 おおっ「世間騒擾者としてのマスコミ」っていい響きだなあ。

 よおし、K談社も「世間騒擾者としての週刊現代」を出してほしいし、このブログももうちょっと「世間騒擾者」的なブログにしていこうかな。

 って、なんか本論のテーマとは関係ないところに行っちゃったけれども、まあっ、いいかっ。

『日本人の働き方の9割がヤバい件について』(@May_Roma谷本真由美10月2日紙版刊・2015年9月24日電子版刊)

2016年4月29日 (金)

横十間川・江東区と墨田区の区界を往く

 東武スカイツリーライン(笑)の東京スカイツリー駅のそばにあるのが、隅田川から分岐した北十間川。

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 その北十間川から墨田区業平と江東区亀戸の間で分かれるのが、今日ご紹介する横十間川なのである。

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 まあ、確かに「十間川(約18m)というだけあって、広さは広い。なおかつ、まさに運河なのだから「まっすぐ」。

 途中には「萩寺」として知られる龍眼寺なんかの名刹もあったりして、さすがに東京(江戸)の下町っていう雰囲気ですね。

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 途中、国道14号線の手前では総武線が越えていたりして、今ではこうした電車の路線が町の区割りのメルクマールになりそうですね。

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 で、この墨田区と江東区の区界を行っていたはずの横十間川なんですが、この猿江恩賜公園あたりからは両岸とも江東区になってしまうんですね。墨田区江東橋、江東区毛利、江東区亀戸、江東区大島というのがその境目。

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 もうちょっと行くと、小名木川との交差点にたどりつく。そうか、両方とも運河なのでこういう交差点っていうのがあるんだ。まあ、道路の交差点と同じなんだなあ。

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 それを過ぎると「横十間川親水公園」というものになって、十間あったはずの川幅も、場所によって狭くなったり広がったりしたり、その代わり川沿いに公園だった遊歩道だったりが整備されてきているんです。

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 こんな川遊びもできるんですねえ。

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 もうちょと行くと、横十間川は仙台堀川と交差します。

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 で、仙台堀川と交差したあとは東に流れを変えて……

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 そのまままっすぐ行って……

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 現在の木場公園のわきにある大横川に注いで、横十間川は終わるということです。

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 つまり、横十間川は木場まで材木を運ぶための川だったんだろうなあ。だから十間という川幅が必要だったというわけ。

 その距離約9km。対して長い川ではないけれども、それなりに江戸時代では役割があった川なんだろう。

 現在は、そんな必要はないから狭くはなっていますけれどもね。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm g1:1.8 G @Yoko Jukkenngawa River, Koto (c)tsunoken

 

2016年4月28日 (木)

『はたらかないで、たらふく食べたい』という「思想」

「はたらないで、たらふく食べたい」という発想は、さすがに大杉栄の研究者である栗原氏ならではの発想ではあるけれども、実は大杉自身だっていろいろ本を書いて「働いて」いたわけだし、「はたらないで、たらふく食べたい」という思想は、アナーキズムよりはやっぱり「ニート」の発想じゃないかしら。

 まあ「ニート」を「高等遊民」といってもいいのかもしれないが、そのためには、他人に迷惑をかけない程度に、「実家が裕福」じゃないといけないのである。

Photo 『はたらかないで、たらふく食べたい』―「生の負債」からの解放宣言』(栗原康著/合同会社タバブックス/2015年9月10日電子版刊)

 まあ、「はたらかないで、たらふく食べる」っていうのは、まさしく定年退職者の私の生活なわけだけれども、ただ、それは30~40年働いてきた結果なのであって、実際は「(最初から)はたらかないで」いたわけではない。

 また「高等遊民」という考え方もあるが、それは『高等遊民とは、明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと』(Wikipedia)ということで、出光佐三が出光興産の前身の会社を興した時に金を出した日田重太郎なる人物がまさしくこの高等遊民の代表みたいな人だったらしいが、やはり実家は相当の資産家らしく、そうした人たちは何も仕事をしなくても収入があったわけで、いわゆる「ニート」ではなかったようだ。つまり、金融資産を持っていて「お金がお金を稼ぐ」という状況にいるわけで、誰か他人に寄生して生きているわけではなく、ということは決してそれは「はたらかない」わけではないのである。

 う~ん、でもこういう人たちって「読書などをして過ごしている」のはいいんだけれども、そのアウトプットはどうしたんだろう。本とかは書いたのだろうか? 人間って、インプットだけでは満足できなくて、結局「アウトプット」をしないとダメな生き物なんだけれどもなあ。例えば、私のブログみたいにさ。

『はたらかないで、たらふく食べたい』と言っている栗原康氏自身だって、東北芸術工科大学非常勤講師をやったり、『大杉栄伝』やら『現代暴力論』や本書を出版したりして印税を稼いでいたりして「はたらいて」いるのであります。

 つまり『はたらかないで、たらふく食べたい』というのは栗原氏の「生活」ではなくて「思想」だってことなんだ。

『わたしは親孝行だ 』

『わたしが外出をするのは、週二日か三日、アルバイトをするときだけだ。老いた両親にとっては、これほどこころづよいことはないだろう。家の収入は、ほとんどが親の年金』

『わたしは三五歳で年金生活者。親の年金のおかげで生きていられる。年金、だいじ。そうおもっていたのだが、すこしまえに親から衝撃の事実をしらされてがくぜんとしてしまった』

『子どもが低収入で国民年金をしはらうことができなかったとしても、子どもが親と同居していたならば、国は世帯主、つまり親から年金を強制徴収することができるようになったというのである』

 と書くのは一種の露悪趣味。いかにも自分は仕事をしないでブラブラしているという様子を見せているのだが、それはあくまでも「思想」なのであって「生活」ではないのだ。

 この「思想と生活の乖離」というのは日本というか資本主義社会独特の生き方であって、日本や資本主義社会においては共産主義者であっても、社会主義者であってもアナーキストであっても、結局は資本主義的に「とりあえずは」生きなかければならないという現実主義がある。まあ、共産主義や社会主義、アナーキズムのコミューンを作るという考え方はなくはないが、しかし、そんなコミューンであっても周囲の社会とのつながりを作らなければならない以上、そこには資本主義的なつながりが必要になるだろう。

『わたしはいま三五歳。独身で実家暮らし、フリーターである。大学院を博士課程まででたものの、その後、定職につくこともなく、大学や塾で非常勤講師をしてきた。もちろん、これでは食っていくこともできず、というか年収が八〇万円ほどしかないので、両親の年金に寄生して生きている。しかも、これでもかなりよくなったほうで、ちょっとまえまではいくらさがしても非常勤の仕事さえみつからず、五年間くらいだったろうか、ほとんど毎日、朝から晩まで部屋にひきこもっていた時期もあった。つきあっていたコと婚約をして、わたしは家事ができますとか、やすい本しか買わないのでカネはかからないとか、けっこうマジでかたったこともある。やっぱり結果は撃沈だ』

 まさしく以前やっていた月9ドラマ『デート』の世界ですな。

 ドラマは『三五歳、ニート、実家暮らし。小説をよんだり、アニメをみたりするのが大好きで、それ以外のことはやりたくない。だから、ずっと部屋にひきこもって、母親に寄生して食べている。本人の意識では、こういう生きかたはふつうにあっていいものであり、明治時代のはたらかない文学青年がそうよばれていたように、高等遊民とよばれるべきである』

 まあ、この「高等遊民」の解釈にはちょっと無理があるけれども、要は杏が主演のドラマだったわけでしょ。じゃあ、それは女の立場から見たニートの見方のドラマなんだよね。

 というストーリー。

『わたしは高等遊民だ、はたらきたくない、やりたいことしかやりたくない、母親のかわりに寄生できる相手がほしいんだ、わたしは本代と月一回の床屋代しかカネがかからないので、そんなにご迷惑はおかけしません、いちおう家事はやります』女の子とデートで話す。結果は撃沈だ。そりゃそうだよな。

『わたしは大学でアナキズムを研究してきた。とくに、大杉栄という日本のアナキストを研究している。大杉がいっていることは、ひとことでいうと、やりたいことしかやりたくないということだ。文字どおりの意味である。そして、これをいまの資本主義社会にあてはめると、はたらかないで、たらふく食べたいということだ』

 ね、やっぱり「生活」じゃなくて「思想」でしょ。

『労働だけだったら負債はつよくはない。たとえ、仕事がうまくいかなくても逃げがきくからだ。これはあくまでカネのためにやっていることだ、自分の人格や個性とはかかわりがない、他の仕事だっていいんだ、いやになったらいつだってやめてやると』

 そりゃそうだ、いやな職場やいやな仕事だったらやめればいいのだ。ただし、その時のためには「少しばかりの貯え」も必要なんだなあ。だって、だれもが「親の年金」に頼るわけにはいかないからねぇ。

『はたらかないで、たらふく食べたい』―「生の負債」からの解放宣言』(栗原康著/合同会社タバブックス/2015年9月10日電子版刊)

2016年4月27日 (水)

六義園も躑躅

 みなさん、「躑躅」って漢字、読めましたか? あっはっはっはあ、私は読めるんだよね。何故か? 今月初めに行った甲府の武田屋敷が別名「躑躅ケ先館(つつじがさきやかた)」というのを知っていたからね。

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 で、文京区でツツジと言えば根津神社が有名で、今「つつじ祭り」っていうのをやっているんだけれども、ここ六義園では「枝垂れ櫻と大名庭園のライトアップ」の直後なもんで特に「つつじ祭り」はやっていないんだ、が、それとなく「六義園もつつじいいですよ」的な訴えもしています。

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 こんな感じのツツジなんだけれども、根津神社のツツジとはだいぶ違うようで……、根津神社のツツジはリュウキュウ系のツツジが多いようで、要は花弁が大きいツツジなんですなあ。

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 六義園のツツジは江戸キリシマ系やオオキリシマ系のツツジ、自生種のツツジが多いようで、あまり花弁が大きいツツジは少ない。

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 こんな感じですねえ。これはこれで可憐でよろしいんじゃないでしょうか。

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 勿論、リュウキュウ系のツツジもありまして、それはそれで見頃なんだけれども、でも、道端でも見られるツツジをわざわざ入場料を払ってまで見るんですかねえ。

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 藤棚も見頃になってきました。

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 是非とも六義園にお出ましを……。ただし、駒込駅に近い染井門(つまり、それは江戸城に遠い方)は週末しか開いてません。

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 ぜひ、我が家に近い方の正門からお入りください。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Rikugien, Bunkyo (c)tsunoken

2016年4月26日 (火)

『中国4.0』って、一体何なんだ?

『2000年以降、「平和的台頭」(中国1.0)路線を採ってきた中国は、2009年頃、「対外強硬」(中国2.0)にシフトし、2014年秋以降、「選択的攻撃」(中国3.0)に転換した。来たる「中国4.0」は?』そしてそれに対抗する日本の戦略は? というのが本書のテーマ。

4 『中国4.0 暴発する中華帝国』(エドワード・ルトワック著/奥山真司訳/文春新書/2016年3月20日刊)

『「チャイナ4・0」が中国にとって最適な政策となるには、習近平が対外政策において次の二つを実行する必要がある。
 一つは、例の「九段線」、もしくは「牛の舌」の形で知られる地図を引っ込めること。つまり南シナ海の領有権の主張を放棄することだ。これによって、インドネシア、マレーシア、ブルネイ王国との領有権問題を解消できる。もう一つは、空母の建造を中止すること。これによって、アメリカの警戒感を解消できる』

 というのだが、習近平がそのような政策をとるとは思えない。

『一般に外国についての理解度は、国の大きさに反比例する。基本的に国の規模が大きくなれば、外国についての理解度も落ちるのだ。さらに中国の場合にはそこに「天下」という世界観、「冊封体制」というメンタリティーが付け加わる。そのため彼らはますます外国を理解できなくなるのだ』

 ということになると、ますます尖閣諸島の危機は増すのだろうか。

『具体的に日本はどう対処すればよいのか。最も効果的な対処法は、「封じ込め」である。「封じ込め」とは、極めて受動的な政策である。意図的な計画は持たないままに、ひたすら「反応する」ことに主眼を置く政策だ』

『中国が軍の部隊を上陸させ、尖閣諸島をいきなり占拠したとしよう。そこで必要になってくる「多元的な能力」とはいかなるものか』

『第一に、日本は中国を尖閣から追い出すために、アメリカの支援を必要とする。ところが公式的にはアメリカ政府は、「領土紛争では中立の立場を守る」という立場をとっているので、すべては大統領自身の決断にかかっている。そして大統領の決断は、その時のアメリカ国民のムードや感情に左右される。日本政府および日本国民はこのことを肝に銘じておかなければならない』

 で、たぶんアメリカ国民は「尖閣は日本に任せろ」ということになるだろう。

『第二に、日本政府は、アメリカの支援を求めつつも、まずはこれに依存せず、独力で島を奪還する能力を備える必要がある。具体的にはまず海上保安庁にその主要な任務を与えるべきだろう。もちろん海上自衛隊にも同様の任務を与えることができるが、その場合、それぞれに同じ任務ではなく、個別に独立した任務を与えるべきである。海保と海自には、独自の能力と優先的な任務があるからだ。したがって、陸上自衛隊にも、占拠された尖閣に特殊部隊を送り込むことも含めて独自の任務を与えるべきだ。航空自衛隊についても同様である。制空権を掌握することによって島を隔離するのだ』

『外務省も、中国を尖閣から追い出すための独自の計画をもたなければならない。中国が占拠した場合を想定して、アメリカ、インドネシア、ベトナム、そしてEUなどへの外交的対応策を予め用意しておくのだ』

『中国が尖閣に上陸すれば、外務省、海保、海自、陸自、空自のすべてが予め用意していた対応策を即座に実行に移すのである。単なる非難では全く効果はない。具体的な対応策を事前に想定してすぐに実行できるよう準備しておくべきなのだ』

 ポイントは日本のリーダーの行動だろう。

『日本がもし尖閣を守りたいのなら、日本のリーダーにもこのくらいの意識が必要になってくる。より具体的に言えば、(A)「領土を守る」という国民的コンセンサスと、(B)それを実現するためのメカニズム、つまり電話をとって自衛隊に尖閣奪還を指示できる仕組みの両方が必要になる』

 つまり、国会で審議するよりも早く、まず首相が直接的に行動を起こすということなのだが。実際には日本の首相はそんな行動は起こしそうもない。

 で、結局はこんな行動を起こしそうだなあ。

『ここで肝に銘じておくべきなのは、「ああ、危機が発生してしまった。まずアメリカや国連に相談しよう」などと言っていたら、島はもう戻ってこないということだ。ウクライナがそのようにしてクリミア半島を失ったことは記憶に新しい』

 たぶん、日本の首相たちは歴代そうなのだが「アメリカの傘の下」意識が強すぎるので、結局戦時の判断というものはできない。で、結局「ああ、危機が発生してしまった。まずアメリカや国連に相談しよう」ということになる。

 つまり、こうなったら尖閣諸島は中国に奪われてしまうということなのである。

 ただし、中国にとって尖閣諸島は奪ったからといって、実は何も意味をなさないということ。多分、尖閣地域で漁業を行いたい漁師たちが喜ぶだけで、中国にとっては尖閣諸島はなんら戦略的拠点にはならないだろうということ。明の時代の「冊封貿易」みたいに沖縄が手に入れば、そこから先はもはや太平洋。アメリカと同じ海を共有して、アメリカとしのぎを削ることも可能なのだけれども、逆に日本にいる米軍基地の75%が沖縄にあり、その米軍基地を中国が追い出すことはあり得ない。

 なので……

『現在の日本は、アメリカと同盟を組みながら中国に対峙しているが、ここで決定的に重要なのは、日本側からは何も仕掛けるべきではないということだ。つまり逆説的だが、日本は戦略を持つべきではないし、大きな計画をつくるべきではないし、対応はすべて「反応的」なものにすべきなのである』

 さらに、中国という国の特殊性というものにも気がつかなければならないだろう。

『その特殊性とは、(A)超大国としての人口・経済規模を誇り、その動向が世界中に多大な影響を与える潜在力を持っているにもかかわらず、(B)その政治構造はまるでアフリカの小規模な独裁国家のように不安定なものである、という二つの点にある』

 さらに、もう一つ付け加えなければならないのは……

『ニ〇一五年末の現時点で、アメリカには、一緒になって中国共産党を破壊しつつあるパートナーがいるということだ。そして習近平こそ、そのパートナーなのだ。というのも、彼は共産党の反腐敗運動を敢行しているからである』

『反腐敗運動の論理的な結論として、中国共産党党員の全員が、余計な収入を得てはならないことになるからだ。彼らの子息の多くは海外留学しており、毎年数百万円にのぼる学費を送金しなければならない。反腐敗運動のおかげで仕送りする資金が枯渇してくるようでは大変だ』

 その結果

『習近平が反腐敗運動を開始したそもそもの動機が、ゴルバチョフ統治下におけるソ連の悲劇的な運命の二の舞になるのを阻止することにあったという皮肉だ』

『ミハイル・ゴルバチョフの狙いは、ソ連そのものを改革するところにあった。しかし結局、ソ連全体を崩壊させてしまった』

『彼は共産党体制を救うために「ゴルバチョフの失敗は繰り返さない」ことを目指しつつ、ソ連共産党とソ連全体を救おうとして、結果的にそれを崩壊させてしまったゴルバチョフと同じ道を歩んでいるのである』

『党内には、以前存在していたような「イデオロギー志向」「権力志向」「マネー志向」の強い人材がいなくなり、活力に欠けた人間だけが残ることになる。こうして、共産党は求心力を失いつつある』

 ましてや、習近平の姉の夫や、党幹部の親族の名前が挙がっているという「パナマ文書」問題が出てきている中国だ。その結果次第では習近平失脚で中国政府はシッチャカメッチャカになってしまうんだろうか。あるいはそれを覆い隠すために「尖閣諸島占領」なんて行為に出てしまうのか?

 そうなったら冗談じゃなくなってしまうなあ。『中国4.0』の意味が違ってきてしまうじゃないか!

 ただまあ、『現在の中国の情報フィードバック・システムも機能していない』という習近平だけれども、それは安倍晋三だって同じだしなあ。ああ、それも心配か。

『中国4.0 暴発する中華帝国』(エドワード・ルトワック著/奥山真司訳/文春新書/2016年3月20日刊)

2016年4月25日 (月)

社会人アメフト『パールボウル東日本選手権2016』開催!

 社会人アメリカンフットボール春の公式戦『パールボウル東日本選手権2016』が開幕した。

 秋の公式戦ではEAST、CETRAL、WESTの3ディビジョンに分かれてリーグ戦を行い、最終的に東京ドームでXボウルで決勝となるのだが、春のパールボウルはAブロック「富士通フロンティアース、LIXLディアーズ、BULLSフットボールクラブ」、Bブロック「オービックシーガルズ、オール三菱ライオンズ、ブルザイズ東京」、Cブロック「IBMビッグブルー、東京ガスクリエイターズ、警視庁イーグルス」、Dブロック「ノジマ相模原ライズ、アサヒビールシルバースター、明治安田Penta Oceanパイレーツ」の4ブロックに分かれてリーグ戦。その勝者同士でトーナメント戦という形で、決勝戦は6月13日、東京ドームで行われる。

 秋よりは短期決戦?

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 ということで、その2日目、富士通フロンティアーズ対BULLSフットボールクラブ戦に行ってきた。まあ、なんでBULLSフットボールクラブなんだって言っちゃえばいろいろあるんだけれども、まあそれはいい。

 というよりも富士通はNo.1クォーターバック(QB)コービー・キャメロンを出さずに初めから2番手QB#12平本でもって、試合開始1分も過ぎない時間でランニングバック(RB)#20高野橋に早々タッチダウン(TD)を奪われてしまう。

 一方、BULLSは結局3Dダウンコンバージョンが決まらず、123パントばかりを繰り返す結果になってしまった。

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 BULLSのQB#6藤原もどこに投げればパスが通るのかもわからずに、しかし、ランプレーを選んでも富士通のディフェンスライン(DL)に阻まれて中央突破もままならず、といってオープンサイドもないしという感じで攻めあぐねている。

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 そんなことをやっているうちに、富士通のワイドレシーバー(WR)中村輝晃クラークには走られ……

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 BULLSのRBはボールをファンブルしたりして……

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 結局、富士通に90点を献上したのでありました。

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 まあ、結果として見ちゃうと……
1Q 28点
2Q 13点
3Q 35点
4Q 14点
合計90対0
ってわけで完敗、それはそれで潔い。

 普通ののクラブチーム(シロウト)と実業団(実際はクラブチームとして運営)チームの違いを見せつけられたっていうゲームなんだけれどもね。

 まあ、BULLSのファンクラブに入っちゃったんで、今年はBULLSを応援するけれどもね。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM @Kawasaki (c)tsunoken

2016年4月24日 (日)

『厨房男子』いよいよ横浜で公開! 初日に行ってきた!

 映画『厨房男子』が4月23日から横浜シネマリンで公開された。

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『厨房男子』(企画・製作・監督:高野史枝/撮影:城間典子/製作進行:欧陽蔚怡/写真:岡村靖子・上水哲也・佐治秀保/タイトル文字:キムホノ/ロゴ製作:安達一輝(あだちデザイン製作所)/HP・チラシ製作:大池香奈子/製作協力:「自由空間」兼松春実・「イーストの会」浅野由美子・映画ゼミ ・ミューいしがせ(石ヶ瀬会館)/copyright@厨房男子を作る会)

 それを記念して、昨年12月22日のブログを再録して、再度映画を紹介します。

 結構、面白いよ。「厨房男子」じゃない私が見ても面白いんだから、もしブログ読者で「厨房男子」がいたら、必見!

『映画は8人と2グループの「厨房男子」をオムニバスで観察、それぞれのお互いに異なる厨房男子事情を描いている。う~ん、まったく異なるんだよな。

 まずは「フレンチは手間ヒマかかる」という高野裕夫氏。名前の通り監督の高野氏のご主人。あれっ? テレビの音響効果マンじゃなかったのかな? と思ったのだがその通り。その裕夫氏がいつの間にかフランス料理のケータリングシェフになっていたのだ。が、しかし朝の3時に起きてお昼の支度って時間かけ過ぎじゃない? 面白いのはいちいち計量の度に電卓が出てくるところ。まあ、元音効マンとしては、何でもキチンとしていなければ満足できない……って、ところでしょうか。まあ、小さなモノ(音)を一つづつ積み上げていくっていのが、フランス料理と音響の仕事の共通点なのかな。まあ、そんな技術者らしいシェフってのも面白いかもね。

 続いては「単身赴任でも大丈夫」なゴルフ場取締役社長の近藤清氏。鈴蘭高原カントリークラブは東海ラジオの経営。ということで元ラジオマンの近藤氏の第二の職場がゴルフ場ということ。ゴルフ場に隣接する別荘で単身赴任の近藤氏は庭で山菜を摘んで天ぷらを作り、一杯やるという優雅な暮らしを楽しんでいる。

「農園の風をそのまま食べる」寺園風氏は名古屋の出身だが、わざわざ三重県の農業高校を卒業して農家になっちゃった人。無農薬栽培で作った我が畑からのものばかりで食卓を飾る。まだ27歳の彼は一児のパパである。まあ、とにかく採ったモノは天ぷらか? って感じでしょうか。

 民放アナウンサーの宮田和音氏はカレーに絶対の自信がある。が、しかしそれはフリー・アナウンサーの妻の作戦でもあった。つまり、初めてカレーを作った宮田氏の腕前を褒めることで、以降はカレーは宮田氏が作ることになってしまった、というので「進化するパパカレー」。どう進化したのかというと、最初の頃はひき肉ばかりのカレーだったのが、娘が「塊の肉の入ったカレーが食べたい」と言うのを聞いて、次からはリブロース・カレーになったりとか。それで、その後も次々にリクエストが出る度に、カレーは進化。ということになってしまったようなのだ。現在は東京にいる娘の家には、パパのカレー・レシピがあって、時々、そのレシピでカレーを作って、友達に振る舞っているとのこと。

「パンの三銃士」は読んで字の如し、女性の個人宅パン教室にかよう男3人のお話し。しかし、パン焼くだけでも「厨房男子」なのかなあ。

 代表作「性別が、ない!」で知られるギャグ漫画家・新井祥氏のアシスタントうさきこう氏はゲイ。住み込みアシスタントのうさき氏が料理担当ということで、「美しき料理人、金目鯛をさばく」ということで、金目鯛のアクアパッツァを作る。しかし、ゲイでも「厨房男子」なんだろうか、というのがちょっと疑問。確かに医学的には「男子」なのかもしれないけれどもね。

 書家でコピーライター、編集者の墨拙氏は、数年前に母親と妹を亡くし、妻とも離婚してひとり暮らし。午後早くから始める夕食(というか食事は一日にこれだけみたい)は延々8時間は続くという。「料理はすべて酒の肴」で10種類以上、ほとんどが野菜プラス肉一皿。8時間かけて食事というか一人酒。その後8時間眠り。翌朝起きて、午前中に数時間仕事というところなんだろう。まあ、なんか殆ど死んでいるような時間が流れる。墨拙氏の家から見えている隣の家の屋根越しに見える空も、なんか「死んでいる」んだなあ。

 設計事務所勤務の大澤新平氏こそはチラシに登場する(上の写真の真ん中の)人であります。NPO法人の理事を務めるパートナーが2~3ヶ月に一回自宅で女子会を催すときの料理担当を務める。で「女子会全力サポート」。特にパーティー料理っていう訳ではないけれども、特に種類が豊富。女子会終了後の後片付けは女子の担当。女子会終了後の満足そうな大澤氏。「いやあ、最近モテちゃって」だそうだ。うん、この人はまだまだ生臭い。

 高野裕樹氏とは読んで字の如し、監督の高野史枝氏と音効マン裕夫氏のご子息。共働きの高野夫妻(というか史枝氏)は、息子が自分で料理ができるような男にしたい、ということで幼いころから「マイ包丁」を持たせたそうな。で「36歳、料理歴は30年」って凄いな。そのおかげで大学生時代も留学時代も外食は一切なし、だったそうだ。とにかく30年の料理歴は凄い。手際の良さなんてものじゃない。その料理のスピードたるや帰りの新幹線のぞみ号並だ、って比喩がおかしい?

 で、最後が怒涛のコロッケ作り編。愛知県大府市には石ヶ瀬会館(ミューいしがせ)というのがあって、「男女共同参画社会を目指して”集まる” ”学ぶ” ”語り合う”交流・交歓の場」 になっており、そこに「メンズカレッジ&男楽会」というのがあって、そこの料理教室で腕を磨いたシニア男性たちが約3000個のコロッケを作って、大府市のお祭りで売ろうというのだ。題して「定年後の男子45人が怒涛のコロッケつくり」。まあ、約3000個って半端じゃない量であります。玉ねぎだって涙無しじゃあ刻めません。

 考えて見ればこれからは「男女共同参画社会」を目指そうというんだから、男だって、子供を産むことは無理だけど、厨房に立つ位のことはできて当たり前の社会になって行かなければいけないんだろうな。

 この映画では、まだ、しかし、言ってみればそんな前期状態の男の料理の様ではある。つまり、まだまだ「アタマから入る料理」だってこと。女性が料理するような時の「当たり前感」があるのは、高野裕樹氏位のもので、まだまだかな。』

 う~ん、ちょっと手抜きブログでした。ゴメン。明日からはちゃんと更新するからね。

 映画は横浜シネマリンで4月23日から3週間、朝10時30分からのモーニング上映1回。

 横浜シネマリンのサイトはコチラ

『厨房男子』のサイトはコチラ

Dsc_00112_2 舞台挨拶する高野監督

2016_04_23 横浜シネマリン

NIKON Df AF MIKKOR 24-85mm f1:2.8-4 D @Yokohama, Kanagawa (c)tsunoken

2016年4月23日 (土)

東京周縁部を往く・新左近川親水公園

 一昨日はスマンこって。

 今日は本当の「東京周縁部を往く」でございます。

 ということで昨日行った場所は「新左近川親水公園」。

 東京メトロ東西線西葛西駅で降りて、夏の高校野球東東京大会ではお馴染みの江戸川区球場脇を10分も歩くと、お目当ての新左近川親水公園に着きます。

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 新左近川というのは、現在は荒川放水路と旧江戸川を結んでいる川で、ということは江戸時代には荒川放水路はなかったので、旧江戸川のもう一つの河口が新左近川だったってわけ。

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 なので、昔は江戸川河口にたくさんあった貝漁、海苔漁、天然うなぎ漁なんかをやっていた「べか船」がたくさん停泊していたそうだ。まあ、浦安みたいな風景だったのだろう。現在はこんなスワンボートが泊まっていますけれどもね。

 で、こちらが荒川放水路側の水門。

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 で、こんな感じで親水公園は広がっていて……

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 のんびり釣りをしている人がいたり……

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 バーベキューができるデイキャンプ場なんてのもある。

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 途中「中左近橋」のところで親水公園はちょっと狭まるんだけれども……

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 再び広がって、海岸水門というところで親水公園は終わる。

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 実はこれは親水公園側というか荒川放水路側から見たのであって、本来は新左近川は旧江戸川から流れてきて、この海岸水門で東京湾に流れ込んでいたのでした。

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 なのでこの上の写真が本来の「べか舟」が浮かんでいた新左近川。なかなか風情がありそうな川ですね。うん、こっちの方がべか舟が浮かんでいても似合うなあ。

 今度はこの川を遡ってみようかな。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G Shin Kasai, Edogawa (c)tsunoken

2016年4月22日 (金)

『厨房男子』首都圏でいよいよ明日公開!

 昨年12月22日のブログで書いた、高野史枝渾身のドキュメンタリーフィルム(笑)『厨房男子』がいよいよ首都圏で明日4月23日から公開される!

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『厨房男子』(企画・製作・監督:高野史枝/撮影:城間典子/製作進行:欧陽蔚怡/写真:岡村靖子・上水哲也・佐治秀保/タイトル文字:キムホノ/ロゴ製作:安達一輝(あだちデザイン製作所)/HP・チラシ製作:大池香奈子/製作協力:「自由空間」兼松春実・「イーストの会」浅野由美子・映画ゼミ ・ミューいしがせ(石ヶ瀬会館)/copyright@厨房男子を作る会)

 上映は横浜シネマリン(横浜市中区長者町6-95)で4月23日(土)から3週間、朝10時からのモーニング上映1回。

 4月23日の初日、上映終了後に監督(高野史枝)舞台挨拶の予定あり。

 名古屋では12月19日から1月15日までの5週間で観客動員1,600人というから、この種のドキュメンタリーとしては好成績だろう。小屋主としては『「大ヒット」とは言えないまでも、「ヒット」と言っていいよ……』というところだったそうだ。ということで、そこそこ期待していい「楽しいドキュメンタリーフィルム」であることは保証します。

 横浜以降も順次公開は決まっているようで……

大阪 シネヌーヴォ

宝塚 シネピピア(7月2日~)

神戸 元町映画館

京都 京都みなみ会館 

 といったところがラインナップされているらしい。

 ただし、東京のポレポレ東中野とかシアターイメージフォーラムとかではまだ予定がないみたいだ。なんかその方向で動いてみようかな。

 首都圏といっても東京じゃないところがイマイチだけれども、でもJR京浜東北線(横浜線)の関内駅からもすぐそばの横浜シネマリンなので、東京からもすぐ行けるところだし、とりあえず早めに見たい人は横浜へGO! であります。

 とりあえず私は明日見に行きます。

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2016年4月21日 (木)

東京周縁部を往く・番外編:板橋区と豊島区の境界線を往く

 まあ、都心ともいっていい豊島区とまさしく東京周縁部の板橋区の区界なので、本来の「東京周縁部」ではないけれども、その番外編ということで、お許しを。

 巣鴨から旧中山道を往くとJR埼京線板橋駅前に出る。

 そのまままっすぐ行けば旧板橋宿に着くが、昨日はそこから左へ曲がって東武東上線下板橋駅前を過ぎて豊島区と板橋区の境界線あたりを歩いた。

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 で、下板橋の駅は既に豊島区池袋本町なのである。つまり池袋本町の外れにあるのが下板橋駅。

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 道は左に池袋本町4丁目、右が池袋本町3丁目という境目を歩く。

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 駅のそばはごく普通の、ちょっと寂れた商店街が伸びる。

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 猫の姿なんかを追っているうちに、お米問屋なんかがあったり……

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 お風呂屋さんなんかがあったりする。う~ん、この辺はさすがに東上線を挟んで反対側になる明治通りとはだいぶ雰囲気が違う街並みなのである。

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 そのまま歩いていくと川越街道にぶつかるので、そこから先、平和通りに入るともうそこは池袋。

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 ということで池袋駅西口に出る。

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 まあ、とくに何ということもない名もなき道なのでありました。

 って、何でここを歩いたのかといえば、昔(といっても60年以上前の大昔)この辺りに短い間だけれども住んでいたことがあるのだ。もうちょっと山手通りか川越街道に近いところだったとは思うんだけれども、まだ、朝鮮戦争をやっていた頃で、毎晩夜中になると壊れた戦車を2~3台積んだ大きなトレーラーが走っていたのを幼心にも思い出す。多分、朝鮮戦争で壊れた戦車を朝霞のジョンソン基地などで修繕するために走っていたんだろう。

 というまあ、歴史を忘れちゃいかんということで書きました。

NKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Ikebukuro Honcho, Toshima (c)tsunoken

2016年4月20日 (水)

『都立尾久の原公園』ってのが、あるんだよ

 都電荒川線と日暮里舎人ラインの熊野前駅から10分ほど行った、首都大学東京荒川キャンパスの隣が、都立尾久の原公園であります。

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 この公園は結構広くて、10ヘクタール位はあるそうなんですね。

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 うむむ、確かに広い。文京区なんかの猫の額みたいな「公園」とはわけが違う。

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 グワーンと広がる土地を見てると、なるほど10ヘクタールってのは広いんだな、とは普段狭い場所で暮らしている身としては感じるわけであります。

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 で、なおかつこのような池とか湿地帯があって、トンボなんかがよく来るような公園なのであります。

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 まあ、この辺の庶民の憩いの場なんだろうな。飼い犬を遊ばせている人たちもたくさんいる。

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 んが。こんなモノが書かれているんですね。

『尾久の原公園 閉鎖区域のお知らせ

 ダイオキシン類等の検出により閉鎖していた区域は、3月8日(火)から仮囲いの撤去工事を開始します。
 仮囲いを撤去した箇所は随時開放し、3月18日(金)には工事が終了する予定です。
 永らくご心配、ご不便をおかけしましたが、引き続き尾久の原公園をご利用いただきますようお願いいたします。

 なお、仮囲いの撤去は以下のとおりとなります。

平成28年3月8日

• 尾久の原公園 閉鎖区域のお知らせ
•  ダイオキシン類等の検出により閉鎖していた区域は、3月8日(火)から仮囲いの撤去工事を開始します。
•  仮囲いを撤去した箇所は随時開放し、3月18日(金)には工事が終了する予定です
•  永らくご心配、ご不便をおかけしましたが、引き続き尾久の原公園をご利用いただきますようお願いいたします。
•  なお、仮囲いの撤去は以下のとおりとなります。

• 平成28年3月8日 • •

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 元々はこの公園、『旭電化工業(現:ADEKA)尾久工場があったところであった。戦後、東京都が跡地を買収し、跡地の東半分が公園として整備され1993年に開園したものである。公園は自然の原っぱや湿地などが大半の公園となって開放的なつくりとなっており、人々の憩いの場となっている』(wikipedia)

 旭電化工業(現ADEKA)は、古河グループ(古河三水会)の化学工業製品・業務用食品事業を担う化学品メーカー』 って言うんだから、現在はそうじゃないけれども、昔はダイオキシンなんてのも副産物として出していたんだろうな。

 まあ、それを処理しないで東京都に売っちゃったアデカ(ADEKA)もアデカですが、 それをなんの検証もしないで買っちゃった東京都も東京都ですね。

 だからといって、別に責任者がどうのこうのという気はしませんけれどもね。

 とりあえず、戦後最初期の化学工場ってのは気にしないといけないでしょうね。ダイオキシンとかアスベストとかね。

 豊島5丁目団地だってそうだぞ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1:1.8 G @Kumanomae, Arakawa (c)tsunoken

2016年4月19日 (火)

『会社は2年で辞めていい』じゃなくて、1年でもいい! 嫌ならすぐ辞めたほうがいい!

 そもそも著者の山崎元氏とはいったい如何なる人物なのか。

『一九五八年北海道生まれ。東京大学経済学部を卒業、三菱商事に入社。以後、野村投資信託、住友生命保険、住友信託銀行、シュローダー投資、NBインベストメントテクノロジー、メリルリンチ証券、パリバ証券、山一證券、第一勧業朝日投信投資顧問、明治生命保険、三和総研など一二回の転職を経て、二〇〇五年、楽天証券経済研究所客員研究員に就任。他にマイベンチマーク代表取締役、一橋大学大学院非常勤講師も務める。週刊誌などに多数連載、テレビのコメンテーターとしても活躍中』

 う~ん、すごいなあ。12回も転職してるんだ。

Photo 『会社は2年で辞めていい』(山崎元著/幻冬舎新書/2016年4月15日電子版刊・2007年11月28日紙版刊)

 山崎氏の転職とはどんなものなのだったんだろう。

『大学卒業後、第一希望の商社の財務部(配属部署も第一希望だった)に入社』
『最初の転職は、ファンドマネジャーという「自分の仕事」を選択する転職でもあった』
『投資信託の運用会社を転職先に選んだ』
『二度目の転職は、仕事のレベルアップと落ち着いて仕事ができる環境を求めてのものだったが、結果的に、職場との相性が良くなかった。一年少々で、三度目の転職をする』
『四回目以降の転職では、外資系の会社に四社勤めて、その後、外資系的な労働条件で日系の会社に移るのだが、主に三〇代の頃の転職は、仕事をする場を選ぶための転職だったといえると思う』

『私の一一回目(つまり前々回)の転職では、職場への出勤日時と個人的な活動(会社と利害が衝突しない副業を含む)を自由にしてもらう条件で、「それなり」の報酬を設定するような個別契約を会社と結ぶことにした』

 その最後の(?)転職については、それまでとは違う条件があるようだ。

『サラリーマンとして、会社からもらう報酬は、以前の半分から三分の一くらいになったが、自分のフリー的な活動(自分が持っている会社のものもあるし、個人として受ける仕事もある)の収入で、落ち込み分は十分カバーできた』

 ということで、楽天証券経済研究所客員研究員という職をしながら、マイベンチマークというコンサルティン会社の代表取締役に就いている。まあ、理想の仕事環境なわけですね。

 ということで、山崎氏にとって「転職」とは

『結局のところ、転職をすることで、自分で自分の職業環境が選べるという「自由」を拡大できたことが、本人の収支としては、プラスとして残ったように思う。自分の意思で自分の進路を選んだという充実感と、失敗は自分の責任にあるという、自分の運命に対する責任を自分で握るスリルの二点が、「転職の快感」の正体だ』

 ということなんだな。

『企業というものは、存外不安定なものだ。見通しまで含めた会社の明暗は、二、三年で十分入れ替わることがある』
『会社というものの将来像が、二、三年先は不確実なのに加えて、会社と社員との関係も不安定だ』
『一回きりの人生にあって、会社は、アテにするにはあまりにも頼りない存在なのだ』

 確かに、企業の行く末なんて誰にも分らない。出版社だって大手十社くらいは多少は先まで見通しはできるかもしれないが、大半の出版社は明日倒産したっておかしくない状況だもんなあ。それはたぶん、ほかの業界でも似たようなものかもしれない。会社の明暗がニ、三年で入れ替わるということは、会社が終身雇用を保証していたとしても、それこそニ、三年で会社そのものがなくなってしまうっていうことだ。

 なので

『タイトルの「二年」は「最低二年は待て」という意味ではなくて、一つのことを計画・実行するのに二年くらいの単位で考えると具合がいいという意味だ。理由は、本文に書いたが、会社は、一年で辞めてもいいし、何回辞めてもいい』

 というのが山崎氏が本書を書いた根拠だ。

 まあ、私の場合、最初に就職したときは30歳くらいまでに会社を辞めて、別の会社に転職するか、あるいは独立してフリーで物書きをして暮らそうかと考えていたのである。結局、その頃に人事異動になり、異動先が映像制作の部署(K談社としては新設の部署)だったんで、私自身「映像制作」というのはやりたかった仕事だったし、結局その部署の最古参になってしまい、その部署(名称はしばしば変更になったけれども、ずっと映像制作をやっていた)がなくなるまで在籍してしまった、というのがK談社を辞めなかった理由なのだ。

 今、考えてみるとそんな映像制作部署であっても、仕事の内容が変わったり、やり方が私の思うような方向にいかなかったり、辞めるタイミングっていうのはあったような気もするんだが、まあ、その時その時で、いろいろ子供たちの成長のこととかあって、結局、辞めずに定年までK談社に在籍していたわけであります。

 まあ、K談社は終身雇用・年功序列制度の会社であったので、まあ、居心地はよかったんだろうなあ。現在は65歳までの再雇用制度があるんだが、私の場合それすらもお断りして、61歳で定年まで勤めあげてしまった。まったく、就職のときの読みはなんだったんだろう。

 いずれにせよ、日本だってこれからは企業が従業員の終身雇用・年功序列制度を維持することを表明する会社は少なくなってくるだろう。特にグローバル企業環境にどんどんさらされている日本企業である。少なくとも、グローバル企業環境になってしまえば、そこではグローバル企業の論理がまず先立ってくるわけで、そんなところで高度成長期の日本みたいな「終身雇用・年功序列制度」が維持できるわけはないだろう。はっきり言って、この制度は早晩崩壊しますね。

 そんな時代に、大学を出て社会人になる人たちは、「会社は自分を守ってはくれない」ということを十分肝に銘じて、自分が入った会社が自分が思っていたような会社じゃなかった、自分が思っていたような仕事をさせてくれなかったと感じたら、そんな会社はすぐに辞めて、転職したほうがいいだろう、と勧めるのが本書のキモだ。

 まあ、たぶん日本の企業も「学生時代にインターンを経験してその会社に入り込む」とか、取り敢えずは下位の会社に入って、実績を積んで上位の会社に入るといったアメリカ式の就職状況になっていくだろう。

 ただし、

『次が決まる前に辞めてはいけない! 』
『次が決まる前に辞めることのデメリットは、次の職が決まらないリスク、失職期間中の人材価値の下落、次の入社の条件交渉の際の不利(無給になると給与交渉などで不利だ)、精神的焦り、といったものだ』

 ということだけはわきまえていた方がいいね。

 それさえわきまえておけば、転職なんて……

『単なる「取引先の変更」だ。自分の労働力を買ってくれる取引先を、こちらの側から変更するのが、転職だ』

 っていうものだからね。

『会社は2年で辞めていい』(山崎元著/幻冬舎新書/2016年4月15日電子版刊・2007年11月28日紙版刊)

2016年4月18日 (月)

『下り坂をそろそろと下りる』覚悟はあるか

 平田オリザ氏は劇団を主宰する劇作家である。

 劇作家はいろいろなところを旅する。そんな旅から受けた感覚を「下り坂をそろそろ下る」日本の下り方について述べたのが本書なんだろう。

Photo『下り坂をそろそろと下る』(平田オリザ著/講談社現代新書/2016年5月1日刊)

 そんな平田氏が行って、考えた場所を目次から追ってみると……

序 章 下り坂をそろそろと下る

第一章 小さな島の挑戦――瀬戸内・小豆島

第二章 コウノトリの郷――但馬・豊岡

第三章 学びの広場を創る――讃岐・善通寺

第四章 復興への道――東北・女川、双葉

第五章 寂しさと向き合う――東アジア・ソウル、北京

終 章 寛容と包摂の社会へ

 そんな地を巡りながら今の日本における状況を平田氏は次のように述べる。

一、もはや日本は、工業立国ではない。

二、もはや日本は、成長社会ではない。

三、もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。

 まあ、そんなことは、もうほとんどの日本人が自覚していると思ったんだが、そうではないようだ。

『日本は、アジアで唯一の先進国の座から滑り落ちたことを、まだ受け入れられない』

 という問題がある。そこで隣国とギクシャクしてしまうのだそうだ。まあ、、そうかも知れないな。要は隣国関係だって、その時期その時期で変わるんだけれどもなあ。

『いまの日韓のぎくしゃくとした関係は、下り坂を危なっかしく下りている日本と、これから下りなければならない下り坂の急勾配に足がすくんでいる韓国の、そのどちらもが抱える同根の問題を、どちらも無いことのように振る舞って強がりながら、国を賭けてのチキンレースをしているようにしか見えない』

『その傍らには、青息吐息になりながらも、猛スピードで急坂を登っていく中国という巨人がいる。問題は一筋縄では解けないだろう』

「青息吐息」かどうかは知らないが、今の中国は成長率が下がったとはいえ、いまだ6%以上の成長率を誇っている国なのだ。もはや中国は「計画経済の共産主義社会」じゃないからね。

『中国本体は経済成長を続けていく。一四億の民が豊かになろうという物欲の巨大な波は、小さなバブルを次々に飲み込んでいくだろう』

 ところが「確証バイアス」にかかってしまっている日本人にはその状況を理解できない。

『心理学の世界に「確証バイアス」という言葉がある。人は誰でも、自分の主張に都合のいい情報、自分が下した判断を後押しするような情報を集めてしまいがちになる。またその逆に、反証となるような事実からは目を背けたり、あるいはその収集を怠ったりしてしまう』

 その結果……

『近隣諸国は、あるいは世界経済は、その小さなバブル崩壊のたびに右往左往させられる。そして残念ながら、日本は最も激しく右往左往させられる国となるだろう。なぜなら、中国の経済破綻を望む日本人の潜在意識が、隣国に対する冷静な判断を出来なくさせているから』

 問題の基本はここ。

『異文化理解や相互交流には、「自分たちの標準とするものが、世界の標準であるとは限らない」という認識を、きちんと持っているかどうかという座標軸がある』

『もしも文明を成立し進化させる要件が、異なる文化が混ざり合い、押し合いへし合いすることにあるのなら、私たちの進まなければならない道は明らかだろう。東アジア文化圏の連帯を、よりいっそう強めるのだ』

『ドイツがEUの中核をなし、ユーロを堅持しようとするのは、単なる贖罪ではない。そうしない限り、欧州の中のドイツというアイデンティティを保たない限り、またこの国は、自国を滅亡の寸前に追い込んでしまうからだ』

 そこで我々が見なければならないのは、陸地で国境を接しているドイツとフランスの関係だろう。常に国境問題を抱えていながら、そして常にお互いの主張を決して譲るつもりがない両国であっても、何故。戦争が起きないのか(過去は常に戦争状態にあった)。

『東アジアの状況は欧州よりも複雑だが、それでもやはり、中国を孤立させず、日韓が下り坂を確かな足取りで下り、北朝鮮の体制の崩壊を待ち(あるいはそれを促し)、その受け皿をしっかりと作っていく。日本が日本固有の文化を守り、アメリカの属国にならず、中国の植民地にもならない道は、おそらくここにしかないと私は思う』

 ところが……

『第二次安倍政権が、外見上、見事なスタートダッシュに成功したのには、主に二つの要因が挙げられる。一つはアベノミクスが、少なくとも表面的には成功して、株価と大企業の収益が上がったこと。もう一点は、ナショナリズム的な傾向を強めることで、自信を失っていた日本人に、なにがしかの希望のような幻想を抱かせたこと。もちろん、この二つは表裏一体となっていて、経済の一時的な回復が、「夢よ、もう一度」という気持ちを、多くの国民に抱かせることに成功したとも言える』

 そうでもしないと日本人はアイデンティティを保てないんだろうか。

『安倍首相とその周辺の人々には、おそらく二つの誤謬がある。
 一つは、日本が文明を輸出できる国だという錯覚。「日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく」(二〇一五年年頭所感)という妄想は、これを端的に表している。

もう一つの誤謬は、「絶対負けない」という不敗神話だ。しかし、安倍首相は、日本がアジア唯一の先進国の座から滑り落ちたことを受け入れられない日本人の典型である。典型である以上、一定数の支持を保ち続けることは間違いない』

 う~ん、こういう人たちは日本がアジアの先進国から滑り落ちたことを知らされるとアイデンティティクライシスに陥るんだろうな。

『しかし、いま日本人に必要なのは、その寂しさに耐えることだ。小さなプライドを捨て、私たちはゆりかごから外に出なければならない。安倍政権を攻める側もまた、この文化の構造を理解しなければ、本当の勝利は得られない』

 今更、日本の成長神話を信じている人なんていないと思ったのだが、しかし、今でも自民党の一部にはあるんだなあ。

 しかし、もはや誰の目にも日本が「下り坂をそろそろと下る」社会になっていることは明らかだ。そんな時代にはじっくりと構えて、これまで経験したことのない社会にブチ当たる覚悟が必要だということだろう。

『下り坂をそろそろと下る』(平田オリザ著/講談社現代新書/2016年5月1日刊)

2016年4月17日 (日)

藤棚なら西新井大師なんだが……

 うう~ん、地震のツィートやブログがある中でこんなのんびりしたブログでいいのか 、というお叱りがあるのは承知で、そんなこととは関係ないブログを書くのだ(っていうか、もっと前に書いたブログなんで、書き直すのが面倒くさいだけなんだけれどもね)。

 実はうちのカミさんが「霜降銀座商店街で藤が満開よ」なんてことを言ったのがきっかけなんですね。

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 えっ? 藤棚なら六義園にもあるよな、と思って見に行ったらこんな感じで全然咲いていない。

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 んじゃあ、確認のために藤棚っていえば西新井大師じゃないかよ、ってなもんで行ってきました。

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 そしたら、今、西新井大師は「花祭り」ということで「桜、牡丹、藤、芍薬、菖蒲、紫陽花」ということで藤は4月中旬から4月下旬までの花ということだそうだ。と、いうことはもはや西新井大師の藤棚は満開の藤が咲いているのかなあ。

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 と、思って境内に入ったら、まだまだ藤棚はこんな感じで六義園とそんなに変わらない感じ。

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 ひとつひとつの蕾をみれば、まあこれから咲く感じかなっていうのは分かりますがね。

 まあ、あと1~2週間でしょう。

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「藤は木に縁り、人は君に縁る」ってのは、あまり好きな言葉じゃないなあ。もう誰にも仕えたくないもんね。

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NIKON Df SF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G Nishiarai Daishi, Adachi (c)tsunoken

2016年4月16日 (土)

谷中・夕焼けだんだんの猫たち

 はいはい、「猫つながり」でございますよ。

 ということで、日暮里の駅から谷中ぎんざへ下りていく「夕焼けだんだん」に行ったわけですね。

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 以前は、ここはノラ猫の「放牧地」みたいな感じで、特に右側のマンションがあるところが以前は空き地で(勿論、持ち主はいたんだろうけれども)、日当たりもいいし、もうノラ猫がうじゃうじゃいて皆で日光浴なんてしていたもんだ。人が寄ってきても「フン」なんて感じで逃げないしね。

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 その空き地にマンションができて、ノラ猫の居場所も減ってきてしまった。ということで昨日見たノラは2匹だけ。

 この黒猫と……

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 用心深いこの黒猫だけ。兄弟かなあ?

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 あとはこんな猫オブジェや……

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 あんな猫オブジェばっかり。

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 夕焼けだんだんのノラ猫たちは、地域の人たちがお金を出し合って、去勢手術なんかを行っていたずらに猫が増えるのを防止しながら、その地域の「売り」にしていたところがある。まあ、うまい具合にノラ猫たちの幸せと地域の繁栄を組み合わせていたんだなあ。

 もう、そんな繁栄策を講じなくても、外国からの観光客も含めておおいに繁盛している谷中ぎんざなんだけれども、以前はたくさんいたノラ公たちがみられなくなったのは、ちょっと残念。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Yanaka, Taito (c)tsunoken

2016年4月15日 (金)

本当に『ねこはすごい』のか?

 猫200匹、人間14人と言われる愛媛県の青島ほどではないが、山根氏が7年間にわたってフィールドワークを行った福岡県の相島(あいのしま)も結構な猫島として知られる島のようである。

Photo 『ねこはすごい』(山根明弘著/朝日新書/2016年2月25日刊)

 相島のノラ猫たちはこんな感じだそうだ。

『島のノラねこたちは、海岸に捨てられる(当時のことです)魚の内臓やアラなどの廃物をエサにしていました。また、漁師さんが漁から戻ってきて、台所で魚をさばき始めると、その台所の窓の下にノラねこたちが集まり始めます。そして、魚のアラはそのノラねこたちに与えられます。漁師さんも、置いておくとすぐに臭くなる生魚の廃物を、ノラねこたちがキレイに食べてくれるので、実は助かっていたのだと思います。島の人は、ノラねこたちに不要となった魚の廃物を与えるだけで、わざわざお金を出して買ってまでノラねこたちにエサを与えることはしません。人間には人間の生活があり、お金は人間の生活のために使うものだからです。この点が、相島と、過剰なエサやりが行われる市街地との大きな違いです』

『島の狭い路地では、島の人とノラねこがお互い特に意識するでもなく、自然な形ですれ違います。島の人たちにとって、ノラねこたちは、いわば空気のような存在なのかもしれません』

『ぐるりと海に囲まれ、自然を相手に生計を立てている島の人たちは、自然によって生かされているという感覚を、都市で暮らすわたしたちよりも強く持っているのでしょう』

『相島の人とノラねこのように、ごくごく自然な形で共存している様子は、これからの人とねことの共存社会実現するヒントも含めた、たくさんの大切なことを教えてくれているように思います』

 まあ、この辺が人とノラ猫とのいい関係なんだろうなあ。それが都会になってしまうと一変するわけだ。

『わたしたちがねこを特別な動物として大切にする習慣は、農業や漁業を生業とする日本人の生活特性と深く結びついています。日本人がねこ好き民族である理由は、第一にこのあたりにあるように思います』

 とは言うものの……

『行政施設によって殺処分されるねこのうち、約4分の3が飼い主のいないねこ、つまりノラねこです。そして殺処分されるノラねこの、およそ4分の3が子ねことなります。なぜ、殺処分が必要となるほど、ノラねこの子供が生まれるのでしょうか? それは、住民の方々による、ノラねこへの過剰なエサやりが原因となっています』

 ということは、これはほとんど猫に対する「イジメ」と同じになってしまう。エサやりしている本人は別に悪いことをしている意識はないだろうが、逆にそれが猫が悲しい目にあってしまう原因であることは全く意識していないのだろう。

『エサを求めて現れるノラねこに、毎日のようにエサを与えていると、ノラねこもそれをあてにして生活するようになります。エサを与えるほうも、それが日課のようにもなり、次第にやめられなくなってきます』

『一日のほとんどを自宅で過ごすことの多い、ひとり暮らしのご高齢者の方々が、このようなケースに陥りやすいようです』

 まあ、確かに町でノラ猫たちにエサをやっている人、公園で鳩にエサをやっている人たちの大半は老人だ。

『娘に加え孫娘まで繁殖するようになれば、エサやりを開始してほんの数年の間に、爆発的にノラねこが増えます。もうその頃には、まわりからのねこの糞尿のニオイなどの苦情も絶えず、近隣の住民から孤立してしまうケースさえあります』

『最終的には、たくさんの子ねこを含めたノラねこたちは、殺処分の対象にならざるを得なくなってしまいます』

『平成26年度(2014年度)の我が国におけるねこの殺処分数は、およそ8万匹(7万9745匹)にも上ります』

 私も「ちよだニャンとなる会」(千代田区)や「ぶんねこの会」(文京区)などの活動は聞いている。要は「殺処分」などの可哀想なことに合う猫をどうったら増やさないですむか、ノラ猫の里親探しなどを活動にしている。そのためには猫に対する去勢手術なんかも区からの資金援助でもってやっていたりするんだそうだ。

『最近では、「ノラねこの生き方」を損なわない不妊去勢手術も開発されてきています。これまでの不妊去勢手術は、オスねこの場合は、睾丸を摘出し、メスねこの場合は卵巣を摘出するものでした。従って、オスもメスも性ホルモンが分泌されなくなるため、それぞれの性に特徴的な身体の発達や行動が失われてしまっていました。つまり、不妊去勢処置を行えば、オスはオスらしく、メスはメスらしくといった、ノラねこ本来の生き方ができなくなります。しかし、最近では、従来の不妊去勢方法とは異なる、オスらしさやメスらしさ、ひいてはノラねこらしさをそのまま残すことのできる、画期的な手術方法が開発されてきています。 それは、オスの場合は睾丸を摘出するのではなく、睾丸でつくられた精子を精嚢に送る管(精管)をカットする手術方法です。人間でいうところの「パイプカット」と同じ方法です。交尾をして射精することもできますが、精液のなかには精子が入っていないために、メスねこを妊娠させることができません。睾丸から性ホルモンが分泌されますので、外見上や行動は、措置をうけていないオスねこと変わりはありません。一方、メスねこについても、従来の卵巣を摘出するのではなく、子宮を摘出する方法も開発されています。卵巣が温存されていますので、性ホルモンも分泌されますし、排卵も起こります。ただし、交尾をして受精しても、子宮がないために受精卵が着床そることはありません。』

 ということだそうで、これは画期的なことなのだろう。

 しかし、基本的には人間がやたらとノラ猫を増やさないようにすることが重要であり、そのためには不要なエサやりをしないというだけのことが大事なんだけれどもなあ。

 町でノラ猫をみたら、優しく何もしないで見ているだけでいいのだ。結局、『ねこはすごい』のかも知れないが、それは能力の問題であって、実は弱い生き物でもあったりするんだからね。

『ねこはすごい』(山根明弘著/朝日新書/2016年2月25日刊)

2016年4月14日 (木)

赤羽・静勝寺は稲付城跡

 3月8日のブログ『日光御成街道の一里塚』で唯一都内で場所がわからなかった「稲村一里塚」のそばにある曹洞宗静勝寺というお寺は、実は稲付城(いねつけじょう)という城だったというお話。

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 寺に登る階段のわきには「都旧跡 稲付城跡」という石碑がある。

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 お寺の山門のわきにある東京都教育委員会の説明版に曰く。

『東京都指定旧跡

 稲付城跡(いねつけじょうあと)

 所在地 北区赤羽西1-21-17 静勝寺
 指 定 昭和36年1月31日

 稲付城跡は、武蔵野台地北東端部の標高21m程度の舌状台地先端上に立地する自然地形を利用した中世の城館跡です。文化・文政期の地誌『新編武蔵野風土記稿』にも「堀蹟」として登場します。
 現在静勝寺が所在する平坦面に主郭があったと考えられています。北面と東西面は崖面で、南側は台地が続き平坦な地形になっています。周辺からは、発掘調査によって幅約12m、深さ約6mの空堀の跡等が検出され、その際に16世紀前半期の遺物が出土しました。
 静勝寺には室町時代の武将、太田道灌の木造座像が所蔵されています。寺伝によれば、城はこの道灌による築造とされています。今のところ築城した人物を特定する明確な根拠はありませんが、荒川を前面にひかえ北方の防御を重視した城の構造と、発掘調査の成果などから、南側に勢力をもった扇谷上杉氏にかかわりのある城館であったと推測されます。道灌が扇谷上杉氏の家宰であったことから、道灌築城の可能性も考えられます。

 平成25年3月 建設 東京都教育委員会』

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 本堂はなかなか立派な作りではあり、木造太田道灌座像が安置されている道灌堂がこれ。

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 ただし、それ以外にはこのお寺が城だったというものは、わずかにこの石くらいなものか。

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 しかし、その太田道灌の主家であった扇谷上杉氏も後北条氏に滅ぼされ、その後北条氏も豊臣秀吉によって滅ぼされてしまった。

 まっこと「諸行は無常」ではありますな。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Akabane, Kita (c)tsunoken

2016年4月13日 (水)

甲斐善光寺って何だ?

 きのうは突然の出来事でスマン。今日は再び山梨の旅の続き。

 山梨の旅、二日目はまず昇仙峡に行った。

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 この日は晴れていて……

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 富士山や……

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 南アルプスの山々もよく見える、んだけれどもそんなこととは関係なく……

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 何とも可笑しかったのは一つの幹に「男女の象徴(つまりオ○ン○ンとオマ○コですな)を合わせ持った楢の木があって、それを「和合権現」として祀ってあるってところかな。「縁結び・子宝・金運」のご利益があるそうだ。

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 その後、甲斐善光寺に行ったんだが、こちらの面白いところは「当山は、開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります」っていう説明書き(屁理屈)なんだが、別に川中島と長野善光寺はそんなに近くないので、「焼失を恐れ」って言っても、結局は「かっぱらってきた」ってことなんでしょう。なんてことを甲斐善光寺の境内で話していたんだから、こりゃ天罰が下るぞ。なーんて、罰当たりの山梨旅行だったんだけれども。

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 まあ、早々に甲斐善光寺は引き払って、富士吉田の「ふじや」というところで物凄く硬くて腰のある「吉田のうどん」を食べて帰って来た。

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 ところで、この「吉田のうどん」、山梨県立ひばりが丘高校情報経理科の「ひばりが丘高校うどん部」っていうところが「うどんなび」というサイトを作っていたり、無料誌を作っていたりして、その方が面白かった。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Kofu, Fujiyoshida (c)tsunoken

2016年4月12日 (火)

パソコン壊れちゃったよ!

 メインのパソコンが壊れてしまった。

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 と言ってもハードウェア的な故障ではなく、ソフトウェア的な故障。ここのところ立ち上がりが妙に時間がかかったり、デスクトップアイコンをクリックしても「クラスが登録されていません」なんて出てアプリケーションが開かなかったりと「?」な状態が続いていたんだけれども、「ついに来たっ」ってな感じですね。

 まあ、ハードの故障じゃないので、一回パソコンを初期化して、ソフトを入れ替えれば治るんだが……、というのが上の写真。「出荷時の設定」ってことはWindows 7になっちゃうってことです。

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 これまでのデータも一応は外付けHDDにバックアップを取ってあるから、まあ、なんとかなるだろう(というのは実はちょっと早計だったけど)。

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 このパソコンは初期設定ではWindows 7仕様なので、再びWindows 10をインストールしなければならないんだが……これが時間がかかるんだなあ。まあ、それはWindows 10にアップデートするときに知ってはいたんだけど。

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 サブ機のレノボ X121eがこれほどありがたいとは思わなかった。こちらもWindows 10にアップデートしてある。というか、両方いっぺんにOUTにならなくてよかったというか何というか。まあ、別の個体なんで一緒にOUTってことはないだろうけれども。

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 やっとWindows 10がインストールされて、これからまたまたソフトを全部入れ直さなければならない。面倒だなあ。Buffaroの外付けHDDなんかソフトもないし、ってんでBuffaroのサイトに行って見つけてインストールとか、ああ、面倒くさい。

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 外付けHDDからのデータ引き出しも、ちょっと「?」が続いている。なんか全部のデータがバックアップされていないようなのだ。バックアップされているのは2013年あたりのデータだけみたいで、最近のはないみたい。これだからデジタル機器ってのはね……。突然、やってくるんですね。嗚呼……。

 憂鬱。

Fujifilm X10 @我が家 (c)tsunoken

2016年4月11日 (月)

「信玄公祭り」なら、やっぱり甲府城じゃなくて武田神社じゃない?

 4月5日のブログ『「桃の里・山梨」までちょっと下見に』で書いた通り、先週末、4月8・9日に甲府の湯村温泉まで学生時代の悪友4人で旅行に行ってきた。毎年2回挙行しているこの旅行、温泉好きのH坂氏の発案によるものなのだが、私とY川氏は「毎日が日曜日」状態なのでいつでもOKなんだけれども、「かろうじて現役」のH坂氏とN村氏の立場を慮ってこれまでは土・日に挙行して、帰りの土曜日には高速道路の渋滞に憤りながらおこなっていたんだが、N村氏が「金曜日OK」なので、H坂氏が金曜日に休暇をとって、今回は金・土で行ってきた。

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 で、河口湖畔で昼食を摂り……

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 4月5日で発見した「みさか桃源郷公園」で桃の花を充分堪能した後、甲府に着いたと思いねえ。

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 私が昔山梨にしょっちゅう行っていた頃にはなかった(と思う)甲府城にまず行く。

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 この甲府城というのは武田信玄の頃にはなくて、武田家滅亡の後、豊臣秀吉の命によって築城され、徳川を監視するためにでき、江戸時代には徳川が西の守りの為に使われたのである。

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 ところがなんかイベントの準備をしているのでよく見れば「信玄公祭り」とかの準備らしい。

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 つまり4月12日が武田信玄の命日ということで、その前週の土日に「信玄公祭り」を開催しているそうなのである。一番上の写真が山梨県知事の挨拶と綺麗どころを揃えてその「信玄公祭り」のご挨拶なのであります。

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 しかし、武田信玄とはなんのゆかりもない甲府城がなんで「信玄公祭り」の出陣式の会場なんだろう。本当なら武田舘跡にある武田神社が出陣式の会場であるべきなんじゃないだろうか。

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 それがなんで甲府城?

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 まあ、甲府駅からも至近の距離にあり現在の甲府市の真ん中にある甲府城の方が都合がいいってのは分からないではないが。

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 しかし、武田信玄とはなんのゆかりもない甲府城ってのもねえ。なんか違和感があるなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Lake Kawaguchi, Fuefuki, Kofu (c)tsunoken

2016年4月10日 (日)

『大橋鎭子と花森安治』で「とと姉ちゃん」の今後の展開を予想する

 時代は既に「あさが来た」から「とと姉ちゃん」に代わってきている。「とと姉ちゃん」には「あさが来た」のような原案小説はないようなので、取り敢えず『大橋鎭子と花森安治』なのである。

Photo_3 『大橋鎭子と花森安治  戦後日本の「くらし」を創ったふたり』(編集『歴史読本』編集部/執筆:青山誠/KADOKAWA/2016年3月14日刊)

『鎭子は東京・麴町の病院で大正9年(1920)3月10日、大橋家の長女として生まれた』

『父の武雄は岐阜県にある名家の次男坊。深川の材木商・大橋家の養子となり、北海道帝国大学を卒業している。当時の全人口の約1パーセント程度といわれたエリートの帝大生である。また、母の久子は北海道小樽生まれ。こちらも府立小樽高等女学校を卒業した後、東京の女子美術学校で学んでいる』

 フムフム

『武雄の北海道転勤は、鎭子が生まれた翌年のことである。東京のど真んなかで生まれた彼女だが、おそらくその記憶がほとんどないまま、物心ついたころには北海道の原野にいた』

 あれっ? 遠州浜松じゃなかったの? まあ、それはいいですけれどもね。

『「お父さんは、みんなが大きくなるまで生きていたかった、でもそれがダメになってしまった。鎭子は一番大きいのだから、お母さんを助けて、晴子と芳子の面倒をみてあげなさい」
「ハイ、ワカリマシタ」
 鎭子は応えた。そして、この時の父との最後の約束が、鎭子の生涯にわたってその生き方や行動にさまざまな影響を与えることになる』

『父の武雄は景観の激変ぶりを目にすることなく、昭和5年(1930)に他界してしまう。葬儀の喪主は、当時まだ11歳だった鎭子が務めた。彼女は父の跡を継いで、大橋家の「戸主」ともなっている』

 ふ~ん、当時は当然長男が戸主となる時代だったんだけれども、女三姉妹の大橋家では長女が戸主となったんだ。妻というのは結局戸主にはなれなかった時代だったんだなあ。

 で鎭子は『鎭子は、小樽に住む祖父の援助により、東京府立第六高等女学校(現在の都立三田高等学校)で学ぶことができた』

『それでもなんとか鎭子は昭和12年(1937)に、女学校を卒業できた』

『鎭子はこの年に日本興業銀行に就職することできた。これもまた、戦争景気が多少なりとも影響していたのかもしれない』

 すごいな、日本興業銀行って今のみずほ銀行でしょ。まあ、でも女学校出はまあ、それこそお茶くみとかそんな仕事ししか与えられなかったんだろうな。

『将来の安定が約束された巨大銀行への就職。現代でも、大学生にもっとも人気の高い就職先として必ずいくつかのメガバングの名が挙げられる。苦労して鎭子の就学を援助した祖父や母、妹たちもさぞや喜んでくれたことだろう。だが、この人も羨むような就職先を、彼女は3年で退職してしまう』

 まあ。結局はそれも大橋鎭子の一種のキャリア志向なんだろうなあ。戦前は、明治以来の「男尊女卑」思想がまだ生きていた時代だったので、女学校出の女の子にはたいした仕事も与えられず、給料も相当低かったらしい。

『鎭子は銀行退職後、大学へ進学しようと考えていた』

 で、結局大学へ進学することになるんだが……

『そして鎭子は、めでたく日本女子大学に入学できた』

 おお! ここで「あさが来た」と「とと姉ちゃん」が繋がってくるんだなあ。すごいことやりますねえNHKは!

 いろいろあって、日本女子大には半年しか通わなかったようであるが、そんな彼女が勤務したのが日本読書新聞(日本出版協会へ出向)。ここが運命の分かれ道になるんだなあ。

『鎭子は会社から独立して、自らの出版社をつくり雑誌を創刊するという、「起業」を志していた。しかし、経験の浅い彼女にとって、ひとりで会社を起こし、雑誌を編集するというのは荷が重い。なにから始めればよいのか、それすらもわからない。そこで彼女の上司である日本読書新聞の編集長・田所太郎に相談したところ、事業のパートナーとして花森を推薦されたのだ』

 と、ここで大橋鎭子と花森安治の関係ができあがって行くわけだ。

『ふつうにお勤めしていては、給料も安いし、母と妹二人を幸せにすることは難しい。自分で仕事をしなければ……自分で仕事をすれば、お金がたくさん入ってくるだろう』

 しかし、こんな単純な理由でもって起業しちゃおうっていうんだから、向こう見ずっていうかなんて言うか。ただし、戦後のすべてを失ってしまった日本という時代背景を考えたら、それを逆に捉えてすべての人にチャンスがあるんだ、っていう発想をする人がいてもおかしくない訳だ。要は、戦後の何もない時代をネガティブに捉えるか、あるいはポジティブ(能天気)に捉えるかっていう違いなんだけれども、その違いって実は天と地くらいの違いとなってくるんだなあ。

 しかし、この大橋家って、長女の鎭子も鎭子なら、二女の晴子も凄いんですね。

『晴子は鎭子よりも3歳年下で、このころはまだ22~23歳。丸の内の保険会社に勤務していたこともあり、銀座は近い』

『姉の鎭子に勝るとも劣らず、晴子もまた向こう見ずな突撃精神を発揮して、花森から与えられたこの難易度の高いミッションを成功させしてしまう。
 彼女は目につく建物があればすぐに管理人や持ち主を訪ねて、
「お部屋を貸していただけませんか?」
「空室はありますか?」
 そう聞いてまわったという』

 さらに

『晴子はまた、保険会社の仕事で自分が担当していたとある富裕な保険代理業者と交渉して、 「姉が事業を始めるのに、資金が必要なんです」
 と、1万円の事業資金を融資してもらう交渉もしていた。そして、こちらもみごと融資を引きだすことに成功している』

『そんなころの1万円は、現在ならば400万~500万円の感覚だろうか。
 その大金をポンと貸すのだから、相手も晴子をただの小娘とは思っていなかったはずだ。仕事を通じて、信頼するに十分ななにかを彼女に感じていたのだろう。やっぱり、ただ者ではなかった』

『晴子が融資してくれる相手を探してくるまで、出版社を立ち上げようと言いだした鎭子のほうが、まったく資金のことを考えていなかったということにも驚かされる。大橋家に貯金はほとんどなかったはずだ。資本金はゼロに近い。それが会社を立ち上げて雑誌をつくろうというのだから、かなり能天気なところもある。
「なんとかなるさ」
 そう考えていたのだろうか』

 ってんだから、かなりムチャクチャな話ではあるんだが、それが実話なんですねえ。

 う~ん、「とと姉ちゃん」楽しくなりそうだなあ。

『大橋鎭子と花森安治  戦後日本の「くらし」を創ったふたり』(編集『歴史読本』編集部/執筆:青山誠/KADOKAWA/2016年3月14日刊)

2016年4月 9日 (土)

『その土地を買ってはいけない』で実に参考になる「地盤カルテ」

 地盤ネット株式会社という社名とか「地盤カルテ」って言う言葉を知ったのが、実は今年の3月31日ということで、即、この本を買ったのだった。

Photo 『その土地を買ってはいけない せっかくのマイホームを"災害物件"にしないために』(山本強著/幻冬舎ゲーテビジネス新書/2016年2月刊)

「地盤カルテ」っていうのは、地盤ネット株式会社のサイトにある「個人のお客様」というコーナーに行くと、自分が調べたい住所を書き込む欄があるので、そこに例えば今自分が住んでいる所の住所なんかを書き込むと、少しして自分あてにメールが来て、「地盤カルテ」が送られて来る。

 例えば、今私が住んでいる「東京都文京区本駒込6-14-8」を入れると、下のような「地盤カルテ 地盤ネット簡易レポート」が送られて来る。

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 これは「改良工事率」、「浸水リスク」、「地震による揺れやすさ」、「土砂災害危険リスク」、「液状化リスク」の5項目について、それぞれ5段階評価でリスクの目安が書かれたもの。

『A.改良工事率   対象地より3㎞圏内で当社の地盤調査解析による地盤改良工事の発生率を5段階評価したもの。
B.浸水リスク   洪水・氾濫の起きやすさの目安。台地や丘陵ではリスクが低く、低地や埋立地で高くなる傾向にある。
C.地震による揺れやすさ   地震の際に揺れやすいかどうかの目安。山地・丘陵などの硬い地盤は揺れにくく、低地・盛土地などの緩い地盤は揺れやすい傾向にある。
D.土砂災害危険リスク   地すべり、土砂崩れ、土石流などの起こりやすさの目安。
E.液状化リスク   地震の際に液状化が発生しやすいかどうかの目安。緩い砂地盤で発生しやすいことから、低地や埋立地で高くなる傾向にある』

 わが家の住所からみると「改良工事率」は3なので平均的。まあ、古い土地(約7万年前~1万8000年前に形成された段丘層)で安定しているので、それほど土地改良工事は行われていないというもの。「浸水リスク」と「揺れやすさ」については、平均以下。「土砂災害リスク」「液状化リスク」については殆ど考えなくてもよい、というレベル。総合的な「SAFETY SCORE」は80点/100点ということ。いずれにせよ、中心部の「RISKY」に入っている項目はないので、安心して生活ができるってこと。まあ、この地域は武蔵野台地(本郷台地)上にあり、古くから安定した土地だ。

 著者の山本氏が住んでいる新宿区のある場所は

『縄文時代の貝塚があった数千年前からの高台で、江戸時代には武家屋敷が建っていた、400年もの昔から宅地として使われていた場所である。「地盤カルテ」で調べたところ、80点というスコアであった。
 さらに、貝塚がつくられる地域は、関東平野の低地に海が広がっていた縄文時代の温暖期から台地上にあり、安全な居住地であった場所が多い。また、天皇皇后両陛下のお住まいである皇居・吹上御所の標高と同程度かそれ以上の平坦な台地上であれば、都内では災害リスクが低い傾向がある。こうしたことも判断材料とした』

 ということで、そんな山本氏が選んだ場所とも共通性が多いところだ。

『川や湖、沼など水辺を示す漢字(浜、浦、津、瀬など)、さんずいの漢字(波、清、洗、浅など)、低地を示す漢字(谷、沢、窪、溝など)、水辺に生息する植物や動物の漢字(稲、荻、鴨、鷺、鶴など)のついた地名は川や池に近く、基本的に標高が低い』

 ということは知っていたが、近年、そんな地名を「○○が丘」や「○○台」という風に変えてしまっているケースが見られるそうだ。

『昔の人は危険を予見できるように「谷」や「波」といった地名を残していたのに、近年になって新しい地名がつけられているケースがあるからだ』

『昔からの地名を変え、新しくイメージの良い地名にすることは、災害発生時に予測を上回る被害をもたらす可能性があり、それは一種の人災ともいえるのではないだろうか。
 現在の地名だけで安心するのではなく、過去の地名を調べてみたり、やはり地盤リスクに関する各種情報にあたってみることが大事だ』

 って面倒くさい世の中にはなってきているけれども、そんな意味では「地盤カルテ」はなかなか使い勝手のよいサービスではある。

『その土地を買ってはいけない せっかくのマイホームを"災害物件"にしないために』(山本強著/幻冬舎ゲーテビジネス新書/2016年2月刊)

2016年4月 8日 (金)

十条仲原の商店街を往く・続きは「大衆演芸場」に「富士塚」だって!?

 JR埼京線十条駅の東口の方に出ると「十条中央商店街」というのがある。「おおっ、こっちが中央なんだ」って行ってみると、途端に寂れた商店街にでる。まあ、たまたまこちらの方が京浜東北線の東十条に出る道なんで、埼京線(昔は「赤羽線」っていう支線だった)よりは上等だっことで、勝手に「中央」の名前をつけただけかもしれない。

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 なんかなあ、全然店も開いていないし、ってな感じで進む。こちらは、どっちかというと「商店」よりは居酒屋とか鮨屋なんかが多い通りなのかなあなんて進んでくる。

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 と、どうも道の両脇の電柱に下がっているバナーを見ると「演芸場通り商店街」って書いてあるではないか。じゃあどっかに演芸場があるということか? 寄席か? 芝居小屋か?

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 んんっと思って進んでいくと、なんとそこに芝居小屋があるではないか。なんで、こんなところに芝居小屋が? ってなもんですね。

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 芝居小屋の名前は「篠原演芸場」。「東京大衆演劇協会」のサイトを見ると、「浅草 木馬館」「川崎 大島劇場」と並んで、この篠原演芸場が並んでいるではないか。おお、由緒ある演芸場なんだなあ。

 昔、梅沢冨美男なんかが若い頃出ていたらしい。

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 4月現在の出し物は劇団美山、出し物は「通し狂言 里美版 お吉物語」と「豪華舞踊絵巻」だそうだ。

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 ええええってな感じで圧倒されてJR京浜東北線・東十条駅の方まで来てみれば……、

何とそこには2013年4月13日のブログにも書いた『お江戸超低山さんぽ』に出てきそうな富士塚があるぞ!

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 ううーん、北区十条、侮れないな。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Jujo Kita (c)tsunoken

2016年4月 7日 (木)

十条仲原の商店街を往く

 JR埼京線の十条駅西口を出ると正面にあるのが「十条銀座」。

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 武蔵小山商店街や戸越銀座みたいなスケールはないが、でも、それらの商店街や砂町銀座なんかと同等の大きな下町商店街ではある。

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 勿論、商店街なので魚屋さんや八百屋さんなんかは当然あるし、

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 安い洋品屋さんなんかもあるが……

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 俄然存在感を示しているのがお惣菜屋さんなんだなあ。

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 ここもお惣菜屋さん……

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 またまたお惣菜屋さん……

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 これだけ下町商店街にお惣菜屋さんが多いってのは、多分「下町は町工場が多い」→「町工場は奥さんも労働力」→「なので夕食の支度はあまりできない」→「で、夕食のご飯だけは炊くけれども」→「おかずはお惣菜屋さんで買ってすませる」ってことなんだろうなあ。

 その辺は砂町や戸越も同じ事情だ。

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 で、十条銀座を1kmほど行って、十条仲原二丁目まで行くと十条銀座はおしまい。次は富士見銀座になる。富士見銀座から本当に富士山が見えたのかどうかは知らないが、こちらはあまりお店はなく、いろいろな便利ショップみたいなのが多い。

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 で、富士見銀座を300mほど行くと、環七に出て商店街はおしまい。

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 この潔さが何とも言えなく「イイネ」。

NIKON DF AF NIKKOR 20mm f 1:2.8 D @Jujo Kita (c)tsunoken

2016年4月 6日 (水)

『ベンツは20万円で買え!』って、確かにそうなんだが、その場合、ベンツ以外はちょっとね

 なんか読み進めているうちに既視感が……、ああそうか2013年1月1日に書いた『300万円で大家になってブラブラ暮らす法』の著者だったのね。

20 『ベンツは20万円で買え!――1/10の値段で買って月100万円貯める法』(加藤ひろゆき著/ダイヤモンド社/2016年1月21日紙版刊・2016年1月25日電子版刊)

 あの時は北海道という地域性によるメリットだと考えていたんだが、それは不動産だけじゃなくて、「動産=クルマ」でも結局は同じことだったんだなあ。

『子どもの頃、平日に高級車に乗ってブラブラしている、なんの仕事をしているのかわからないオジさんになりたかった。挫折して北海道に戻ってきたが、ブラブラしているオジさんにはなれたと思う。いまは、あの頃のささやかな夢が少しだけかなった』

 という加藤氏。これは既に哲学だ。

『20万円のメルセデス・ベンツに乗って、35万円の家を貸し、200万円の事務所に仲間が集う。朝起きる時間は自由だ。朝起きなくてもいい。通勤時間は短く、労働時間も短い。出社するのは来客があるときだけだ。 晴れた日には、土地の開拓を実施。安く手に入れた家の前の土地に愛車が11台停まっている。窓から眺めているだけで、とても幸せな気持ちになる。 そんな金持ちモドキの生活をワタクシは送っている。生きながら、人生の煩わしさから解放される生活だ』

 まあ、それにプラスして、リフォームなんかをDIYでやっちゃう器用さなんかも、実は多少は必要なんだけれどもね。

『買い物上手であれば、人生がどんどん楽になっていく。まずは、安い中古車に乗って貯金に励み、優良な中古の家を探し出す。それを貸家にして家賃をいただき、優良な中古の家を繰り返し買うのだ。マネーを支払う順番が重要だ。収入が増えてくると、今度は減価償却が必要になるので、また新しい中古車が買える。同じことをバカみたいに繰り返すだけだ』

『目標は10%である。もちろん10%引きではない。 新品の販売価格の10%で買うのだ。すべてが10%の値段で購入できるわけではないが、平均取得価格が10%であれば、その分、生活が楽になる。時として、5%で購入できることもある。良質であれば20%でもいい。新品価格の5〜20%の範囲で購入するのだ。 家も中古車も、この価格帯で探そう』

『まず大東亜戦争時の「欲しがりません勝つまでは」の精神で、安い中古車に乗り、決戦に備えてキャッシュを温存した。のちに、決戦とは、中古の家を買うことだと気づいた』

 まあ、ポイントはとにかく「決戦に備えてキャッシュを温存」っていうところだろうな。

『現在は11台のクルマと8軒の一戸建を所有している。ほかには、アパートメント、商業ビル、店舗、貸駐車場がある。少しだけ生活が楽になった』

『最初に安い中古車を買い、節制に励む。そのクルマに乗って、安くて優良な不動産を探し当てる。不動産が複数に増え、ようやく利益が出てきたときに、今度は減価償却のために新しい中古車を買うのだ』

『安い家を買って、貸家にする。キャッシュが貯まったら、また安い家を買って、それを貸す。このシンプルな方法を続けていけば、月100万円くらいのキャッシュが自然と手に入るようになる』

 という方法でクルマ(メルセデス・ベンツ)も手に入れる訳だ。

『根気よく探せば、高級車や憧れのマシンが50万円以下で買える。ワタクシのメルセデス・ベンツSLK230の売値は50万円だった。乗らなくなったホンダ・モビリオと朽ち果てたダイハツ・ハイゼットを下取りに入れて、支払った現金は20万円だ。 たった20万円+αで、メルセデス・ベンツのオープンカーに乗れるのだ』

 実はメルセデスっていうクルマは古くても決してバカにされないクルマなんだ。逆に、古いメルセデスに乗っていると、却って他の人から「大事に乗っていらっしゃるんですねえ」なんて尊敬されてしまう。その辺は国産車オーナーに対する評価とちょっと違う部分。

 まあ、もっとも

『田舎では、クラウンに乗っているだけで安心され、尊敬される。外車に乗っているだけで組織の人だと思われることもある。レクサスが出たあとでも、トヨタのクラウンが主流だ。レクサスに乗っていると、少し生意気だと思われる。実直な中小企業の社長や会社の重役が乗るクルマがクラウンだというイメージが出来上がっている』

 っていうイメージもあるんだろうけれどもね。要はスモーク窓のメルセデス・ベンツSクラスなんかにのっていると、田舎では完全にヤ○ザって感じだもんね。

『日本の中古車が安いのは、日本に優秀な自動車メーカーが多数存在しているからだ。各メーカーが必死に新型のマシンを開発し、生産している。原材料を製造するメーカーも優秀で、高品質の部品を納品している』

『とくに、ステイタス性が高い大排気量の高級車は、裕福な人々が新車で購入し、数年で手放す確率が高い。税金が高額なので、本体価格が安くても購入しない人が多い。そのため、本来の価値以下のプライスがつけられている』

『日本は高級4ドアセダンの値段が、非常に安い。もちろん新車ではなく、中古車の価格だ』

『日本は、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ、ロールス・ロイス、ベントレーなどの高級外車の宝庫である。世界中のどんなクルマでも入手できる裕福な国なのだ。そして日本製の高級セダンでも、中古車なら100万円以下で手に入る。少し妥協すれば、50万円でも入手可能である。ただし、10年落ち、10万キロオーバーだ』

 しかし、今日び10年落ち、10万キロオーバーなんて、平気の平左である。まだまだ立派に走るし、「大事に乗っていらっしゃるんですねえ」の世界である。

 それでいて「不動産所得」という「不労所得」で生活しているんだから、『少しだけ生活が楽になった』『あの頃のささやかな夢が少しだけかなった』どころか、完全に人生の勝ち組じゃないか。何せ『今度は減価償却のために新しい中古車を買うのだ』ですよ。減価償却のためだって。

 勿論、本書はクルマの買い方だけの本じゃなくて、本当は不動産投資の本なんだけれども、それは前の『300万円で大家になってブラブラ暮らす法』の時に書いたので、そこには触れずにクルマのことだけを書いたんだけれども。

 まあ、それもひとつの生き方。サラリーマンでアクセク働いて何にも残らない人生も、それまたひとつの生き方。要はどちらを選択した方が、自分は幸せになれると考えるか、ということなんだ。

『理想の生活を求め、会社で出世を目指したり、新築のマイホームや新車を買うよりも、すべてをあきらめて、志を低く持とう。目標も低めに設定して、心と体の負担を減らすのだ』

 そう、「志を低く持ち、目標を低めに設定」すれば、すべては事も無し。そうやってブラブラして暮らすのもいいじゃないか。

 よーし、私も今のメルセデスを廃車になるまで乗り潰そう。ってね。

『ベンツは20万円で買え!――1/10の値段で買って月100万円貯める法』(加藤ひろゆき著/ダイヤモンド社/2016年1月21日紙版刊・2016年1月25日電子版刊)

2016年4月 5日 (火)

「桃の里・山梨」までちょっと下見に

 今週末に友人たちと山梨に行く。

 切っ掛けは私が去年の10月27日から3日書いたブログにある長野県蓼科にある温泉旅行の帰り、山梨で昼食の「ほうとう」を食べた時に「春の御坂は桃の花がきれいだ」と喋ったのが始まり。

 ただし、昔山梨の方へよく行っていたのは既に40年ほども前のことなので、ちょっと記憶に難がある。で、その下見のために、昨日行ってきたのだった。

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 首都高を走っているときは小雨まじりの天気だったんだが、中央高速に入ると雨はやみ、次第に晴れてきた。

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 中央高速大月ジャンクションで河口湖方面へ別れ……

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 河口湖インターを出ると、国道137号線ですぐに河口湖畔にでる。ここでしばし休息後、再び国道137号線へ。

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 国道137号線も河口湖を過ぎると途端につづら折れの山道(御坂峠)に入り、このあたりから「御坂みち」と呼ばれているようだ。

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 昔はもう少し上の方に御坂トンネルがあったのだが、今は新御坂トンネルになってちょっと近くなった。

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 で、新御坂トンネルを出るともうそこは笛吹市御坂という場所。

 山の上の方はまだ蕾だったが、麓まで下りてくるともそこは桃の花でいっぱい。

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 うーん、なんとか友人に約束した「桃の花でいっぱい」の様子を見させてあげられるようだ。

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 まあ、なんとか合格かな。

FUJIFILM X 10 @Chuo Express Way, Lake Kawaguchi, Misaka Fuefuki (c)tsunoken

2016年4月 4日 (月)

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』で、ちょっと残念なこと

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』というちょっとばかり「おちょくり」の匂いのするタイトル。山田ズーニーという、これまた「おちょくり」っぽい筆名。なので、私は男のライターかなって思っていたんだが、調べてみたら女性のライターだった。

 うーん、やっぱりね。タイトルこそは「おちょくり」っぽいんだけれども、書いてあることはいたって真面目なんだなあ。やっぱりそこは女性なのかもしれないなあ。

Photo 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』(山田ズーニー著/ちくま書房/2014年8月15日刊)

 プロローグ『想いが通じる5つの基礎で……

『話が通じるためには、日ごろから人との関わり合いの中で、自分というメディアの信頼性を高めていく必要がある』

『1.自分のメディア力を上げる
 これが、話が通じる一番の基礎だ。

2つめは、
2.相手にとっての意味を考える
ことだ。「相手」は、どんな人だろう?

そこで原点に立ち戻って基礎の3つめ、  
3.自分が一番言いたいことをはっきりさせる

さて、自分の言いたいことがはっきりしたら、基礎の4つめ、  
4.意見の理由を説明する

5.自分の根っこの想いにうそをつかない
 これが、ラスト5つめの基礎だ』

 と始める。

 本書の構成は……

第1章 コミュニケーションのゴールとは?
第2章 人を「説得」する技術
第3章 正論を言うとなぜ孤立するのか?
第4章 共感の方法
第5章 信頼の条件

 という構成。ね、いたって真面目でしょ。流石に『福武書店入社。進研ゼミ小論文元編集長』ってとこですね。」

 ところで「話しが通じるための第1.自分のメディア力を上げる」ってどういう意味なんだろう。

『自分の聞いてもらいたいことを聞いてもらえるメディアになる。
「メディア力を高める」とは、そういう意味だ。少し引いた目で、外から観た自分をとらえ、それを「こう見てほしい」という自分の実像に近づけていくことだ。

理詰めで説得して、肩をゆすっても、動かせなかった相手が、
 いいな。
と共感することで、相手の方から動いてくれる』

 っていうことなんですね。

 どうも、ポイントはその「メディア力」ってことのようだ。

 じゃあ、「メディア力」って何よ? ってことなんだけれども、うーん、これがあんまりはっきりとは書かれてはいないんだなあ。確かに、「これがメディア力です」って書いちゃえば簡単なんだけれども、実はそれだけがメディア力ではないっていうこともあって、そうそう簡単に「これがメディア力です」って書けないという理由もある。

 じゃあその理由ってなによ? という前に、この引用を……

『16年近く勤めた会社を辞め、フリーランスとしてスタートしたときのことだ。
 以前なら、名刺一枚で受けてもらえた取材を断られる。仕事で人に会うにも、以前の何倍もの労力と、細心の注意がいる。以前と同じことを、同じ手続きで言っても、相手はいっこうにピンとこない。何を言ってもどう言っても、いや、時には言えば言うほど、ますます相手は私をいぶかしがる。 「メディア力がないというのは、こういうことか……!」』

『言葉が無力だったのは、肩書きがないからでも、所属がないからでも、世間の理解がないからでもない。  言葉が通じないのは、通じるだけの信頼関係がないからだ』

『言葉は、信頼関係の中ではじめて力を持つ』

『メディア力とは、その人固有の「人との信頼の体系」だ。

 まあ、ようは信頼関係の問題でしょってことなんだけれども、実は以外にこの「信頼関係」っていうものが、世の中には行き渡っていないってことなんだろう。

「私とAさんは信頼関係にある」と「私」は思っていても、Aさんは実は私に対して信頼関係を持っていないのであれば、「私とAさんの間には信頼関係は築かれていない」っていうことになる。

 まあ、その「信頼関係」を如何にして強固なものに築き上げるのか、っていうのが本書のテーマであるんだけれども、申し訳ないけれども、しばしば出てくる「旅行会社㈱メインツーリストの企画課」のお話しがちょっとリアリティがなくて、ちょっと残念でした。「福武書店、進研ゼミ編集部」のお話しだと、もうちょっとリアリティが出てきて面白く読めたんだろうけれども、まあ、そうなっちゃうと福武書店を辞めた後の「社内秘事項の社外公表」の問題があるんだろうなあ。だからこその「旅行会社㈱メインツーリストの企画課」なんだろうけれども、ちょっとなあ。

 もうコンプライアンスなんてどうでもいいから、福武書店の内情をすべてバラしちゃったほうが、面白い本になったんだけれどもなあ。

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』(山田ズーニー著/ちくま書房/2014年8月15日刊)もう電子版しかないようだ。

2016年4月 3日 (日)

『未来に先回りする思考法』というよりはシンギュラリティへの愉しみができた

 まず最初に、本書の著者、佐藤航陽氏とはどんな人なのか?

『1986年、福島県生まれ。実家の教えは、「自己責任で生きる」。15歳くらいから、自己流の商売を始め、生活費などを稼ぐように。2006年、早稲田大学法学部に入学する。弁護士か政治家を目指していたが、日本の政治・経済の仕組みを変えるためには、事業で成功することが近道と認識。大学1年に休学届を出し、その後、中退。授業料として確保していた150万円を原資とし、2007年、イーファクター株式会社(現メタップス)を設立。当初はソーシャルメディア、SEOなどのコンサルティングを手がけていたが、2010年からスマートフォン向けリワード広告事業に参入。2011年6月にシンガポール子会社を設立し、「メタップス」のプラットフォームをリリースした。2012年4月に中国(香港)、アメリカにも進出。まずはアジア市場を押さえ、2年以内に世界ナンバーワンのポジションを狙う』(「ドリームゲート」ホームページより)

 う~ん、1986年生まれって、今年で30歳ですよ。30歳にして『まずはアジア市場を押さえ、2年以内に世界ナンバーワンのポジションを狙う』ってんだから、すげーなあ。まあ、我々の世代ではまったく考えられなかったことですね。

Photo 『未来に先回りする思考法』(佐藤航陽著/ディスカバー・トゥエンティワン/2015年8月30日刊)

 ということで、この驚異の30歳が何を言っているのかを見ると……

『人は、今目の前で起きていることからしか将来のことを考えることができません』

 しかし、APPLEを興したスティーブ・ジョブズなどはそうじゃなくて……

『彼らは現在という「点」を見て考えるのではなく、長い時間軸から社会の進化のパターンを捉え、その流れを「線」としてつなげて、意思決定をしています』

 つまり、現時点の「点」ではなくて、人類の長い歴史を「線」として見ていて、その延長線上に自分たちの未来を見据えようとすると、何か見えてくるものがあるっていうことなんだなあ。

『あらゆるテクノロジーをマクロに見れば、その本質的な特徴は、次の3つに絞られます。テクノロジーは「人間を拡張するものであること」。そして、「いずれ人間を教育しはじめること」。最後に「掌からはじまり、宇宙へと広がっていくこと」です』

『石器にはじまりインターネットに至るまで、すべてのテクノロジーは、何らかの形で人間の持つ機能を拡張してきました』

『文字や書籍は、かつて個体の脳内で完結していた情報を物体に記録し、他の個体にも共有可能にしたという意味では、人類の頭脳の拡張だといえます』

『蒸気や電力は人間の手足の動力そのものを何万倍にまで拡張させたテクノロジーです』

『コンピュータやインターネットは、電力や蒸気とは根本的にまったく違う方向に人間の機能を拡張するテクノロジーです。その本質は、「知性の拡張」にあります』

『人間は課題を解決するテクノロジーを発明します。そして、時を経るにつれそのテクノロジーは社会構造に深く組み込まれていき、いつしかそのテクノロジーの存在自体が人間の精神や行動を縛るようになります。まるで、人間とテクノロジーの主従関係が逆転したかのように』

『インターネットが様々なデバイスとつながっていくこと、それはこれまでデータとして計測できていなかったあらゆるデータの収集が可能になることを意味します。そしてその延長にあるのが、「意思決定の省略」です』

『ここに来てビッグデータはある方向に活路を見出しました。それが人工知能(AI)です』

『そして最近、人工知能の世界にもうひとつ新たなブレイクスルーが起こりました。ディープラーニング(深層学習)という、既存の機械学習の欠点を補える手法が考案されたのです』

『ここ数年の目覚ましい進化と資金の流入をみれば、人工知能の開発が今後急速に進むことは間違いありません。かつてはSFの夢物語だった「計算だけではなく意思決定までする機械」は、いよいよ現実のものになりつつあります』

『ここから確実に到来が予想されるのが、あらゆる物体に「知性」が宿る世界です。これは、モノのインターネット化のさらにもう一段階先の話です』

『知性の発達のプロセスには、4つの段階が存在します。
① 膨大な情報を蓄積する
② 蓄積された情報から人間が手動で改善につなげる
③ 蓄積された情報から人間がパターンを抽出し、そのパターンをシステムに検知させ改善につなげる
④ パターン認識そのものから改善のための判断まですべてシステムが行う
クラウド化されたAIが④までこなせるようになれば、それはもはや「知性」と呼ぶことができます』

 ということは……

『今後テクノロジーの進化によって、「人間の機械化」と「機械の人間化」が同時に進んでいき、人間という存在そのものもテクノロジーによって変化していくからです。
 たとえば、コンピュータが人間の知性を完全に再現できるところまでテクノロジーが発達したとして、それを「人間」と呼ぶのかどうか。機械が人間化したとき、その境界線はどこにあるのか』

『このまま「人間の機械化」と「機械の人間化」が進んでいけば、いずれどこかで交わるときがやってきます。そのときにどこまで「人間」と呼び、どこまでを「機械」と呼ぶのかは、とても難しい問題です』

 っていうことになって、これは完璧に『攻殻機動隊』の世界じゃないかよ。草薙素子やバトーがどこまで人間であるのか、あるいはサイボーグなのかはまったく問われない世界が『攻殻機動隊』。

 ああそうか、それが2045年頃には人類の総知識をAIが追い越すシンギュラリティ(技術的特異点(Technological Singularity)がやって来るっていうんだから、こりゃそれまでは死ねませんね。94歳になればモノホンの草薙素子とかバトーと会えるのか……。

 こりゃ死ねませんね。

『未来に先回りする思考法』(佐藤航陽著/ディスカバー・トゥエンティワン/2015年8月30日刊)

2016年4月 2日 (土)

講談社は1日、ヒト型多脚ロボット「Paper」の発表に関する記者会見を開催した……そうだ

s 講談社は1日、ヒト型多脚ロボット「Paper」の発表に関する記者会見を開催した。

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 Paper君いわく「若い女性に弱い」そうです。 まあ、講談社の社員らしいな。

 が、 Paperは今までのロボットと一味も二味も違う。子守りもまかせられる。ロボット機能だけではなく表情や声のトーンも深く掘り下げて分析した。 特に一番難しいであろう「快」に近づくために努力している。最終的に「快」という感情を理解し実行し、人々を幸せな気分にすることが目標だ。 我々がローンチ時にトライしたのは、レジェンドスタイルの操作するものではなく、自らが学習し進化するシンギュラリティを体感させるようなロボット。ディープラーニングって言葉もはやっていますし。

  頭部には6つのセンサー(臭気センサー・湿度センサー・ガス、COセンサー・煙センサー・PM2.5センサー・ガイガーカウンター)を実装する。

 更にその能力は、1秒に1ページのスピードで本のスキャンが可能、なお読み込んだ本に関しては読み聞かせに使えるほか、AIが理解し日々のアドバイスなどに活用する、というもの。

Paperと音羽卯月氏の寸劇。Paperいわく「若い女性に弱い」そうです。

Paperと音羽卯月氏の寸劇。Paperいわく「若い女性に弱い」そうです。

『会話プログラミングはCEDEC(コンピューターエンターテイメントデベロッパーズカンファレンス)元運営委員長吉岡 直人氏が担当。 吉岡 直人氏はドローンを使った同社の書籍宅配サービス「いかが書店」のAIプログラムを2015年に担当。 「会話ロジックはマルコフ連鎖を効果的に用いて、出来る限り手を抜きつつそれっぽく見えるように頑張った」 「プログラム自体は息子がマインクラフトのコマンドブロックを使ってたたき台を作ったのを拝借して4時間位で完成させました」 神妙な顔つきの音羽卯月(おとわうづき)氏「ロボットみたいな行為というと、まじめ過ぎるんじゃないと言われる。そこにサボり心がない、楽をしたいという感情がないと言われるからです。ロボット市場はじめて、我々がロボットに感情を与え、さぼり心を与えることに挑戦します。“ファジー系”みたいな。」』

 Paperは今までのロボットと一味も二味も違う。子守りもまかせられる。ロボット機能だけではなく表情や声のトーンも深く掘り下げて分析した。

 特に一番難しいであろう「快」に近づくために努力している。最終的に「快」という感情を理解し実行し、人々を幸せな気分にすることが目標だ。

 我々がローンチ時にトライしたのは、レジェンドスタイルの操作するものではなく、自らが学習し進化するシンギュラリティを体感させるようなロボット。ディープラーニングって言葉もはやっていますし。

 頭部には6つのセンサー(臭気センサー・湿度センサー・ガス、COセンサー・煙センサー・PM2.5センサー・ガイガーカウンター)を実装する                           

>1秒に1ページのスピードで本のスキャンが可能、なお読み込んだ本に関しては読み聞かせに使えるほか、AIが理解し日々のアドバイスなどに活用する。

 まあ、「人型多脚ロボット」っていうところでちょっと(?)だよね。

 なんせ「PEPPER」君「じゃなくて「PAPER」君だもんね。如何にも出版社らしいというか……。

 まあ、いいでしょ。

 

2016年4月 1日 (金)

王子界隈歴史散策と飛鳥山公園花見

 私が勤めていたK談社にはOB会で「社友会」というのがあって、その中にレクリエーション部というのがある。

 一昨日はそのレクリエーション部主催の「第32回 名所散策と飲酒談話会 王子界隈歴史散策と飛鳥山公園花見」というものに参加してきた。

 回ったところはまず「名主の滝公園」

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 王子神社や王子稲荷神社の別当寺である「金輪寺」

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「王子稲荷神社」では……

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 落語「王子の狐」の狐の親子が住んでいた洞穴なんかを見て。

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「王子神社」に至り

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「音無親水公園」から「石神井川遊歩道」を通って、「音無さくら緑地」にある緑の吊り橋を渡り。

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「赤ちゃん寺」として有名な「正受院」を訪ね。

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「醸造試験所跡地公園」に至り。

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「飛鳥山公園」に至るというコース。

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 実はこの辺りは私の散歩コースで、醸造試験所以外はすべて行ったことがある場所ばかりだ。ただし、このレクリエーション部の部長であるH氏ほどの博学ではない私にとっては、初めて知ることなんかもあったりして。

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 で、最後は「王子の狐」で知られる「扇屋」ビル内の居酒屋で談話会。

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 ってことは、やっぱり「花より団子」なんですね。

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NIKON Df AF-S Nikkor 50mm f/1.8 G @Ouji Kita (c)tsunoken

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