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2016年3月20日 (日)

武蔵境って何と何の「境」なのさ?

 JR中央線の三鷹の次が武蔵境駅。

Dsc_00332

 何故、武蔵境なのかと言えば、地名が武蔵野市境町だからっていう理由なんだけれども、じゃあその「境」って何と何の境なの? ってのが気になって行ってみた。

Dsc_00032

 一説では玉川上水と千川上水がここ武蔵境で分かれていて、つまり「境」って玉川上水と千川上水の「境」だっていう人がいる。

Dsc_00092玉川上水上流側

Dsc_00102玉川上水と千川上水を分ける「境橋」というのがある! 地名の起源か? と、ドキドキ

Dsc_00122玉川上水下流側

Dsc_00142千川上水の取水口

Dsc_00212千川上水

 なるほどなあ、って思っていたらどうもそうではないらしい。

「下田三右衛門が新座郡上保谷村より移住し村としての基礎が築かれた頃に村民の間に村名決定に関する協議が行われた。その際に、下田三右衛門は「三右衛門新田」とすべしと主張し、他方前述の六人衆は「出羽新田」とすべしと主張しお互いに譲らず、遂には時の代官野村彦太夫が仲裁に入り、両意見の間を取るという意味を現し「堺新田」と命名した」

 という説と

「江戸時代初期、当地(厳密には現在の境南町、杵築大社付近)に松江藩松平氏の御用屋敷があり、藩主が鷹狩りをする時に使われていた。後に玉川上水の開通に伴い、幕府が武蔵野台地の新田開発を奨励した際、当地でも松平氏屋敷を廃し、屋敷奉行であった境本絺馬太夫(きょうもとちまだゆう、「さかいもと」「さかもと」の説もあり)を長百姓として新田が作られた。村の名は境本氏に因んで境新田(後に境村)と付けられた」

 という二つの説があり、要は「二つの意見の間の『境』」という説と、「境本さん」の『境』という説だそうだ(Wikipediaより)。

 ただ「屋敷奉行であった境本絺馬太夫を長百姓として新田が作られた」って、そんなに簡単に武士の身分(下位とはいえ奉行ですよ奉行)を捨てて百姓になっちゃった人がいたのかなあ、というのが気になる。

 とすると、上の説の方が有力なのかなあ。

 まあ、ひとつの説では確かに「境」なんだけれども、もう一つの説では別に「何かと何かの境」ではないということらしい。いずれにせよ、「境新田」というのはあったようだし、その境新田が武蔵野市境の元であるのならそれはそれでよし。

 まあ、地名なんて結構いい加減に作られるってことなのかも知れない。

NIKON Df AF-S Nikkor 50mm f/1.8 G @Sakai Musashino (c)tsunoken

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