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2016年3月31日 (木)

『「いい写真」はどうすれば撮れるのか?』って、そんな答えはないのだけれども

「いい写真」ってどういう写真のことを言うんだろうか?

 多分それは写真を撮る人の数だけ正解があるのだろうし、あるいは、正解というものはまったくない、ということも言えるのかも知れない。勿論、その写真のジャンルによって「いい写真」というものは異なってくるわけだし、あるいはまた、あらゆるジャンルにおいても「いい写真」というものはないとも言えるのである。

「いい写真」というものは、その写真を撮った本人が「いい」と言える写真だけであるとも言えるし、あるいは自分が好きな人が「いい」と言ってくれる写真だけなのかも知れない。

Photo 『「いい写真」はどうすれば撮れるのか? プロが機材やテクニック以前に考えること』(中西祐介著/技術評論社/2016年4月25日刊)

 ということなので本書の第1章『「いい写真」ってどんなもの』でも、『万人に「いいと思ってもらう必要はない』『いい写真=売れる写真とは限らない』『「〝いい写真"お願いします!」はなかなかクセモノ』『連写をしても決定的瞬間を撮ることはできない』『「なぜ、こう撮るか」を言葉にしよう』『ルールを知れば魅力が見える』『自分とのコミュニケーションが写真に反映される』といった具合に、「いい写真」というものは人によって違うものだということを、まず最初に言っているのだった。要はテクニックじゃないってこと。この中で一番大事なのは『「なぜこう撮るか」を言葉にしよう』ではないだろうか。

『いろいろな機会で写真を拝見する時に、私は必ずお聞きすることがあります。それは

「自分の写真を言葉にしてみませんか?」

というものです。
 よく「言葉にできないから写真を撮っているんだ」という方もいらっしゃいます。もちろん、それはごもっともです。言葉として表現できないからこそ、写真という表現手段を選択するのは自然な流れだと思います。しかし、「自分がなぜそれを撮ったのか?」を頭の中で整理できていると、見ている相手にたいしてより伝わりやすくなるとおもうのです』

『「言葉にできないから写真にする」ではなく、「言葉から写真が生まれる」こともあるのではないか。
 今ではそう感じています』

 と中西氏が書くように、人間は言葉でものを考えている。写真を撮るという行為も、その根本には「自分は何故、写真を撮るのか」という『言葉」での問題がある訳で、であるならば「自分が撮った写真にも何かのテーマがある」筈なのだ。勿論、それはテーマ主義ということではなくて、何らかのモチーフや、自分を写真の方へと突き動かす衝動のようなものがある筈なのだ。

『私の場合は、撮影した写真を何度も見返しながら、自分と対話します。
「これを撮ったのはなぜだったのだろう?」という疑問をあえて自分にぶつけてみるのです。それは1日や2日では終わりません。答えが出るまで、何度も繰り返します。
 そういう過程の中で、だんだんと的が絞られていき、テーマというものが浮かび上がってきます。その時に考えたことを文章にしておくのも効果的です。写真を、文章という違う表現形態に置き換えることによって、冷静になれるからです。そして、言葉はよりストレートな表現になるので、曖昧になっていたところを浮き彫りにしやすいという利点があります。それを繰り返す中で、やがて自分が撮りたいもの、やりたかったことにつながっていきます。1人で写真と向き合う時間は、楽しいことばかりではありません。苦しい時間となることもあるでしょう。しかし、それがあってはじめて「作品」が生まれるのだと思います』

 うん、さすがにプロ写真家の言うことにはなんか意味があるなあ。

 ということで第2章『きれい』(な写真を撮るときの考え方)。第3章『かっこいい』(写真を撮るときの考え方)。第4章『おいしそう』(な写真を撮るときの考え方)。第5章『かわいい』(写真を撮るときの考え方)。第6章『うれしい』(気持ちを撮るときの考え方)。ときて最後は第7章『写真展で「いい写真」に見せる」という具合に続いていく。

 つまり、それは「撮影のテクニック」ではなく「撮影に際しての考え方」がまず第一歩であって、それがあってのテクニックであるということで、テクニックについて触れている。

 勿論、テーマ主義的なテーマを求めて写真を撮るのではなくて、というか撮っている瞬間は何も考えずに被写体と向き合って、ひたすらシャッターを切っていくのみだ。むしろ、テーマとかモチーフとか考えるのは、実は撮ってきた写真を後から見返していく最中だったりする。何度も何度も自分が撮ってきた写真を見返しながら、その中の共通項だったり、撮ってきた写真に写っているものは何なのだろう、とか考えながらひたすら見返すのである。

 そんなことをやっているうちに、なんとなく自分が追いかけているテーマだったりモチーフだったりが見えてくる瞬間がある。

 そんな時、自分が撮ってきた写真が「いい写真」として見られるのである。

 なんてカッコつけて書いているけれども、私が撮ってきた写真で「自分でいいと思った写真」なんてめったにないんだから、あとはひたすら後から考えて理屈をコネたり、後付けの考えを付け加えたり、なんか如何にもテーマがあるような屁理屈をつけたりするのである。

 そんなことばっかりやっているから、私は結局「ヘボ写真家」から抜け出すことができないんですけれどもね。

 まあ、ブログで発表する位のヘボ写真家だって、多少は言いたいこともある。それを補うのが言葉なんだよなあ。つまり、写真家にとっても大事なのは「言葉」ってことで、今回は終わる。

 写真家にとっても、別にジャーナル写真ではなくても、言葉は大事だってことですね。

 結局、そこに行きついちゃうんだなあ。

『「いい写真」はどうすれば撮れるのか? プロが機材やテクニック以前に考えること』(中西祐介著/技術評論社/2016年4月25日刊)

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