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2016年3月

2016年3月31日 (木)

『「いい写真」はどうすれば撮れるのか?』って、そんな答えはないのだけれども

「いい写真」ってどういう写真のことを言うんだろうか?

 多分それは写真を撮る人の数だけ正解があるのだろうし、あるいは、正解というものはまったくない、ということも言えるのかも知れない。勿論、その写真のジャンルによって「いい写真」というものは異なってくるわけだし、あるいはまた、あらゆるジャンルにおいても「いい写真」というものはないとも言えるのである。

「いい写真」というものは、その写真を撮った本人が「いい」と言える写真だけであるとも言えるし、あるいは自分が好きな人が「いい」と言ってくれる写真だけなのかも知れない。

Photo 『「いい写真」はどうすれば撮れるのか? プロが機材やテクニック以前に考えること』(中西祐介著/技術評論社/2016年4月25日刊)

 ということなので本書の第1章『「いい写真」ってどんなもの』でも、『万人に「いいと思ってもらう必要はない』『いい写真=売れる写真とは限らない』『「〝いい写真"お願いします!」はなかなかクセモノ』『連写をしても決定的瞬間を撮ることはできない』『「なぜ、こう撮るか」を言葉にしよう』『ルールを知れば魅力が見える』『自分とのコミュニケーションが写真に反映される』といった具合に、「いい写真」というものは人によって違うものだということを、まず最初に言っているのだった。要はテクニックじゃないってこと。この中で一番大事なのは『「なぜこう撮るか」を言葉にしよう』ではないだろうか。

『いろいろな機会で写真を拝見する時に、私は必ずお聞きすることがあります。それは

「自分の写真を言葉にしてみませんか?」

というものです。
 よく「言葉にできないから写真を撮っているんだ」という方もいらっしゃいます。もちろん、それはごもっともです。言葉として表現できないからこそ、写真という表現手段を選択するのは自然な流れだと思います。しかし、「自分がなぜそれを撮ったのか?」を頭の中で整理できていると、見ている相手にたいしてより伝わりやすくなるとおもうのです』

『「言葉にできないから写真にする」ではなく、「言葉から写真が生まれる」こともあるのではないか。
 今ではそう感じています』

 と中西氏が書くように、人間は言葉でものを考えている。写真を撮るという行為も、その根本には「自分は何故、写真を撮るのか」という『言葉」での問題がある訳で、であるならば「自分が撮った写真にも何かのテーマがある」筈なのだ。勿論、それはテーマ主義ということではなくて、何らかのモチーフや、自分を写真の方へと突き動かす衝動のようなものがある筈なのだ。

『私の場合は、撮影した写真を何度も見返しながら、自分と対話します。
「これを撮ったのはなぜだったのだろう?」という疑問をあえて自分にぶつけてみるのです。それは1日や2日では終わりません。答えが出るまで、何度も繰り返します。
 そういう過程の中で、だんだんと的が絞られていき、テーマというものが浮かび上がってきます。その時に考えたことを文章にしておくのも効果的です。写真を、文章という違う表現形態に置き換えることによって、冷静になれるからです。そして、言葉はよりストレートな表現になるので、曖昧になっていたところを浮き彫りにしやすいという利点があります。それを繰り返す中で、やがて自分が撮りたいもの、やりたかったことにつながっていきます。1人で写真と向き合う時間は、楽しいことばかりではありません。苦しい時間となることもあるでしょう。しかし、それがあってはじめて「作品」が生まれるのだと思います』

 うん、さすがにプロ写真家の言うことにはなんか意味があるなあ。

 ということで第2章『きれい』(な写真を撮るときの考え方)。第3章『かっこいい』(写真を撮るときの考え方)。第4章『おいしそう』(な写真を撮るときの考え方)。第5章『かわいい』(写真を撮るときの考え方)。第6章『うれしい』(気持ちを撮るときの考え方)。ときて最後は第7章『写真展で「いい写真」に見せる」という具合に続いていく。

 つまり、それは「撮影のテクニック」ではなく「撮影に際しての考え方」がまず第一歩であって、それがあってのテクニックであるということで、テクニックについて触れている。

 勿論、テーマ主義的なテーマを求めて写真を撮るのではなくて、というか撮っている瞬間は何も考えずに被写体と向き合って、ひたすらシャッターを切っていくのみだ。むしろ、テーマとかモチーフとか考えるのは、実は撮ってきた写真を後から見返していく最中だったりする。何度も何度も自分が撮ってきた写真を見返しながら、その中の共通項だったり、撮ってきた写真に写っているものは何なのだろう、とか考えながらひたすら見返すのである。

 そんなことをやっているうちに、なんとなく自分が追いかけているテーマだったりモチーフだったりが見えてくる瞬間がある。

 そんな時、自分が撮ってきた写真が「いい写真」として見られるのである。

 なんてカッコつけて書いているけれども、私が撮ってきた写真で「自分でいいと思った写真」なんてめったにないんだから、あとはひたすら後から考えて理屈をコネたり、後付けの考えを付け加えたり、なんか如何にもテーマがあるような屁理屈をつけたりするのである。

 そんなことばっかりやっているから、私は結局「ヘボ写真家」から抜け出すことができないんですけれどもね。

 まあ、ブログで発表する位のヘボ写真家だって、多少は言いたいこともある。それを補うのが言葉なんだよなあ。つまり、写真家にとっても大事なのは「言葉」ってことで、今回は終わる。

 写真家にとっても、別にジャーナル写真ではなくても、言葉は大事だってことですね。

 結局、そこに行きついちゃうんだなあ。

『「いい写真」はどうすれば撮れるのか? プロが機材やテクニック以前に考えること』(中西祐介著/技術評論社/2016年4月25日刊)

2016年3月30日 (水)

皇居・乾門通り・超ショートトリップ

 皇居の乾門通りが開放されると聞いたので、行ってきた。

 これまで皇居(江戸城)は東御苑という本丸跡があるような場所だけは常に開放されていたんだが、さすがに宮殿とか宮内庁に直接入れる場所は開放されていなかった。

 が、まあ桜の季節だし、通りのソメイヨシノも見てくださいなってなわけで、宮内庁もこの1週間だけは乾門通りを開放したわけだ。

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 でまあ、ウィークデイだしと思って11時に皇居前まで行ってみたんだけれども大間違い、もう大変な人出で長蛇の列。まあ、天気も良かったしね。

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 30分ほど列に並んで、なんとか手荷物点検とボディチェックにたどり着く。まあ、これも伊勢志摩サミットとか東京オリンピックの為のシミュレーションなんだろう。

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 で、やっと乾門通りの入り口の坂下門にたどり着いたと思いねえな。

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 確かに坂下門に入ってすぐ左には宮殿があるし……

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 その先は宮内庁だから、まあ、普段はここには一般人には入れないようにしているんだろうなあ。

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 例の関宿城が模して作ったという富士見櫓もこうやってちゃんと見えるんですねえ。

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 問題は「サクラ」。確かに宮内庁そばの桜とか、道の道程にあるいくつかの桜は咲いているんだが……

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 その殆どはヒガンザクラ系の桜で、ソメイヨシノではありません。

 で、ソメイヨシノはまだまだこんな感じ。1分先か2分咲かってなもんですね。

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 う~ん、っていう間に終わってしまう皇居乾門通りの桜見物は、混雑している観桜客のおかげでゆっくりしか歩けないんだけれども、それでも20分程で終わってしまう、超ショートトリップ。

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 まあ、それも仕方ないのかもしれませんねぇ。

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 天皇が庶民に桜見物の愉しみを分け与えてくれたんだと思えばねぇ。

 って、ふざけんじゃねぇよ。

皇居乾門通りの開放は3月31日まで。

宮内庁のサイトはコチラ

2016年3月29日 (火)

『なんでも英語で言えちゃう本』で大事なのは、むしろ日本語?

 日経新聞に載っていた広告で興味を持った本なんだが、要は英語力と単語力は関係ない、むしろ大事なのは自分が知っている単語だけで「言いたいことを、言いかえる」ってことなんだなあ。

『たとえば、「そんなの常識だよ」というフレーズを。英語でどう表現しますか?』

 という質問。

 そんなの"I'ts a common sense."じゃないの? と思ったんだけど、"Everybody knows it."と言っても通じるってこと。まあ、そりゃ確かにそうなんだけれども、別に自分が知っている単語は使ってもいいんでしょ?

Photo 『なんでも英語で言えちゃう本』(青木ゆか著/日経新聞出版社/2016年1月15日刊)

「第1章 だからあなたは話せない」では「第1節 話せない人は、こんな人」というテーマで、『「正解」至上主義』『TOEIC勉強オタク』『辞書がないとダメな人』なんだそうだ。

『「正解」至上主義』者は

『正解じゃなきゃいけない」
「完璧に正しい英語をしっかり組み立てるまで、相手に伝えてはいけない」』

 と考える人らしい。まあ、そりゃ確かに、要は自分の意思を相手に伝えるための目的である英語だったら、別に「完璧な英語」である必要はないわけで、というか、そんなことをしていたら日本人は永久に英語を喋れないだろうな。

『TOEICオタク』は

『TOEICでどんなに高い点数を取っても、「自分の伝えたいことを伝える練習」をしなくては、なかなかスピーキングは上達しません』

 ってこと。TOEIC自体を私は知らないので、TOEIC850点がどんなものかは知らないが、
『TOEICの点数を、ある程度までの目安にすることはとても有意義だと思います。
 ただ、それを「ゴール」にしないほうが、うまくいくこともある』という説明はなるほどとは思いますね。

『辞書がないとダメな人』は

『話の流れと、聞き手そっちのけで辞書にかぶりつき。単語を見つけたころには、何の話をしていたすら忘れてしまいます。
 これは電子辞書でも同じ。コミュニケーションを完全に分断して、正しい単語を使うことだけに固執する。これでは当然、会話は成立しません』

 う~ん、でも脇に辞書を置いておくってことはやってもいいんじゃない? 勿論、大事なことは会話を途切れさせないってことなんだけれども、脇に辞書があれば、なんか安心できるじゃないですか。

「第3章 英会話は"3語"でできる』では英会話における3語とは『主語(S)+動詞(V)+それ以外』の3語らしい。つまり「第一文型 S+V」「第二文型 S+V+C」「第三文型 S+V+O」「第四文型 S+V+O+O」「第五文型 S+V+O+C」を、ごく単純に『主語(S)+動詞(V)+それ以外』として、O(目的語)もC(補語)もぜんぶひっくるめて「それ以外」と考えてしまうとラクになるっていうことなんだなあ。

 で、この『主語(S)+動詞(V)+それ以外』を実行するためには

『それは、「8割捨てる」ということです。
 この考え方が根底にあると、あらゆることの習得がとても早くなります』

 つまり、肝心なのは2割のこと。

『英語を話すとき、この考え方を採用してみましょう。
 つまり、2割の「コア」の部分は何か? と常に自問自答し、そこを表現することに集中する。そして捨ててしまった8割は「ニュアンス」にすぎないとして割り切ってしまいましょう、という考え方です。
 この考え方を持っていると、「言いたいこと」を英語に変換するのが劇的に簡単になります。
 どんなときも、英語に変換しようとして固まってしまうのは、「細部まで英語にしよう」と固執してしまうことが原因』

 ということらしい。

 で、「第5章 実践なんでも英語で言っちゃおう」では、そんな『主語(S)+動詞(V)+それ以外』の2割の「コア英語」で「言ってみよう」の文例が20例とその言い換えを含めて80例の英語の文章が載っている。

『日焼けしたね~!/お盆だから激混みだよ。/ちゃんとしろよ!/ベテランですね/役目を終えた。/質問があれば、遠慮なくお願いします。/弊社は品揃えが豊富なことが特徴です。/代理店を通さず、別ルートで商品を卸せますか?/新しい社員を雇用する。/返金されます。/週末は予約が空いていない。/競争は激しくなる/新しい事業連合が始まります。/電話をおつなぎします。/彼、今週は都合が悪いのです。/この曲、懐かしい。/同窓会に行った。/デザートは別腹です。/これ、日持ちしますか?/寝台特急に乗りたいのですが。』

 この言い方の20例と、言い換えの言い方を含めて80例の文章が載っているんだが、実はそれらの文例の凄いところは、そのすべてが「中学生英語」で書かれていること。

 要は、普通にアメリカ人あたりと話をするんであれば、中学生の時に覚えた英語の単語と文法だけでできるっていうことなんだ。

 確かに、別に英語で文学的な文章を書くわけではないし、あるいは学術的な文章を書くわけではない、我々一般人の「(例えば)アメリカ人に対して自分のやりたいことや、考えを伝えるだけ」の英語であるならば、中学生の時に覚えた単語と文法で充分伝わる英語が喋れるってことなんだなあ。

 まあ、そりゃあそうでしょうね。アメリカ人だって知的な階級に属する人であればあるほど、よその国の人が英語を喋るってことに対する尊敬の念はある。むしろ、知的な階級じゃない人ほど「世界中の人間は英語(アメリカ語)を喋っている」と考えるような人だ。まあ、多分我々が出会うアメリカ人は、海外人慣れしているひとか知的階級の人なので、そこは安心して「日本語の英語」を喋っていればいいってこと。

 つまり、我々は自分が知っている範囲の言葉を上手く使って、というか「言い換えのテクニック」を如何に上手く使うかということを、自家薬籠中のものとして使うかということが大事なんだなあ。

 ってことは、英語よりも大事なのは日本語の言い換え技術ってこと?

 なるほどなあ。

『なんでも英語で言えちゃう本』(青木ゆか著/日経新聞出版社/2016年1月15日刊)Kindle版は出ていない。こういう本こそKindle版で欲しいんだけれどもなあ。

2016年3月28日 (月)

『僕の小規模なコラム集』って漫画じゃなかったのね

 殆どが「チ○コ」とか「マ○コ」と、それをつなぐ「セッ○ス」なんかの話ばっかりでかなり「お下品」なコラム集なんです。

 それは『この本の編集者さんは誠実そうな方に見えましたが、いただいた「お題表」に「アダルトビデオについて!」とか「オナニーは何歳で卒業するべきか!」とか、そんなことばっかり書いてあります』っていうんだけれども、それはやっぱり「TPPについて考える」とか「原発廃炉について考える」っていうタイトルよりは、そういったテーマの方が福満氏は書きやすいだろうからというのが編集者の判断だろうからなのであります。

Photo 『僕の小規模なコラム集』(福満しげゆき著/イーストプレス/2013年6月10日紙版刊・2016年1月28日電子版刊)

 でもそんな福満氏でも最終章「4章 不安だらけの漫画」の最終節「女性編集者からの依頼、お断りします!」でだけはいいことが書いてある。あ、この「女性編集者からの依頼、お断りします!」というのはすべて「前振り」で、この節のテーマは「40代の漫画家志望者」ということなんだが、福満氏としては『みごとに今まで書いた部分が伏線になってるというわけですよ。えーと、「高齢出産と40代の漫画家志望者は、似てる……?」という…こと…でしょうか?』って書いているんだが、う~ん、なんの伏線にもなっていないような気が……。

『とにかくその40代の漫画家志望者の方からメールがきたのですよ。なんでも、地方紙のミニコミか何かでマンガを描いていて数年続いたものの終わってしまったり、それとは別にトラブルを招いてしまって友人の全部を失ったりだとか、現在は独身でパート労働をしている……等々のプロフィールと、描いたマンガの画像を添付して送ってくれたのでした。マンガは実際何年もやっていたというだけあって、吉田戦車先生的なラインの絵で、しかし独自性も確立していて、ものすごく上手でした』

 福満氏の返信メールは以下の通り。

『こんばんは。プロフィールをどうもありがとうございます。  いーですか! ○○さんと、他の、同じような境遇の40代の方とを比べまして、○○さんにあるアドバンテージは、漫画です。すでにここまで描けている状態になっている「腕」です。
 ですので、8ページか10ページで、前後篇の2話分のネームを描きまして、40代であることをむしろ武器にしまして、「40代、独身パート、常人なら発狂レベル」のリアルを漫画にするべきです!
 若ぶって描くのでなく(現在の、平成の、40代前半なんて、昭和の40代前半の人に比べたら、感覚や、見た感じも若すぎるので…)むしろ自分の感覚をオッサン側によせて、オッサンぶって描くのです。そのほうが効果的なのです。漫画の腕を使うのです! そしてヤンマガに送るのです! それでは! 』

 と書いたら、しばらくしてまたメールがきて、今度はネームを添付していたそうだ。

『しかし! 「あえて40代でメジャー誌に挑戦」するには「武器不足」であるように思いました。90年代の「ヘタウマ全盛期」の頃にこれくらい描けていれば、確実にプロになれていたであろうレベルではあるのです。しかし! 今! この現在に! 40代から勝負を仕掛けるなら「もっと! もっとだろう!!」的なものを僕は感じました』

 ということで返信したメールが……

『こんばんは。さすが、キャリアがあるのでネームとしても、漫画としても、プロのものと比べて、なんら遜色がないと思います。技術的にはじゅうぶん通用すると思います(今から技術向上に時間を割かなくて済むので有利です)』

『しかし、まだ「客観力」…が足りないかもしれません。
 自分をかばう描写(やはり自分は可愛いので、あまりな「世間から風当りの強い、偏見の目で見られているキモい存在」にはどこかブレーキがかかってしまって、そのようには描けないものなのです。○○さんも、その「自己防御」感…)が、多少あるのかもしれません。
「何故、40代で○○のパートに至ったか」のところが、この不景気現代社会では重要なところです。世間が(読者が)見たいのは「漫画家志望」→「挫折」→「年取ってパート」→「悲惨」の部分ですので、このへんを防御せずに、人の心をえぐるように描けるかが勝負になってくると思います。よって「漫画を描いてる描写」はもっと必要だと思います。
(主役キャラが)はなから愛されように描いてちゃダメです!
「高校生の主人公」からはじめた僕(福満)とは違うのです。高校生が主人公ならば、その温度の「主人公描写」でもいいのですが「40代の主人公」なら「もっと!」やらないとダメです。具体的には…とは、うまく言えないですが、もっと「うわ…」感…がないとダメです、40代なら。
 40代の漫画家志望者! そーいう主人公に対して、世間や読者は「うわ…いい年してパートって…」みたいな嫌悪や偏見を持って、この作品に触れる「前提」があるわけです。そこを逆手に取るのです。まず、その読者の「うわ…」欲を、もっと!強烈に!満たしてあげなくてはいけません。そこから徐々に、主人公の「がんばり」や「粘り」、人間的に愛せる部分を見せていく…という形がいいかもしれません』

『両親との関係…女性との関係…●●●●●(←トラブルの元のやつ)……いろいろあったはずです。  そこをちゃんとできるかが勝負です。逆手に取るのです! 世間が「あなたみたいなタイプ」に抱くイメージに、あえて乗っかりすぎるくらい乗っかってから、そのあとで逆手に取るのです』

 で結局

『とにかくネームの完成度としましては、申し分ないですので、じゅんぶんヤンマガにGO! できるレベルだと思います!』

 ってなんで『ヤンマガ』なんだろうと思いながら、別に『ヤンジャン』だって『ヤンコミ』だっていいのに。

 ね? でも、わりかしマトモでしょう? えっ? 「40代の漫画家志望者」って段階で既にマトモじゃないし、そんな「40代の漫画家志望者」にマトモに答えているってこと自体がマトモじゃないって?

 う~ん、そうかなあ。

 まあ、「40代の漫画家志望者」っていう部分は確かにマトモじゃないけれども、その部分を差し引いてみれば、まあ書いてあることはマトモ。

 さすがに「エッセイ漫画家」として一家を成している人ではある。問題はエッセイ・コミックじゃないということだけかなあ。

『僕の小規模なコラム集』(福満しげゆき著/イーストプレス/2013年6月10日紙版刊・2016年1月28日電子版刊)

2016年3月27日 (日)

六義園のしだれ桜、早くも五分咲きに

 先週、六義園の「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」が始まるがしだれ桜はまだまだみたいなことを書いたが、いやいやもはや五分咲きになっています。

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 まあ、この位開いていればライトアップも大丈夫かな。六義園にはしだれ桜だけではなくてソメイヨシノもあります。

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 ということで、今週末はマンションの屋上ガーデンでお花見の会を開くのだ。

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 これ(下)は桜ではありません。

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 小岩井農場の出店は東洋文庫のカフェ・オリエンタルからのもの。

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 ぜひ、六義園へお越しを……

Fujifilm X10 @Rikugien Bunkyo (c)tsunoken

2016年3月26日 (土)

足立区関原銀座通り逍遥

 妻が何かのテレビ番組でやっていた、足立区関原の「惣菜みやはら」に行きたいというので、関原なら私が育った町なので良く知っているから案内を買って出た。

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 東武伊勢崎線(スカイツリーライン)西新井駅を降りて、駅そばのマンション群とは違う方に5分ほど歩くと、ちょっと寂れた関原銀座通りに至る。

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 まあ、この「スワヤ」という八百屋さんは昔からあったんだが、ここだけは繁盛しているようでちょっと安心。

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 まあ、でも全体的にはこんな感じで、店を閉じて普通の家屋になってしまっているところが多い。

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 で、そんな関原銀座通りを西新井橋のそばまで行くと、私が通った愛恵学園という幼稚園に至る。愛恵学園は現在は役割を終えて、足立区が土地と建物を取得し、愛恵学園の功績を残すとともに、関原地区のまちづくりのシンボルとして、愛恵学園にあった3棟の園舎(愛の家、恵の家、光の家)のうち最も古い「愛の家」を「関原の森 愛恵まちづくり記念館」として保存されている。

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 愛恵学園から駅の方へ少し戻ると、私の同級生の実家の八百屋があって、その脇を曲がると……

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 関原小学校の分校があった。私の世代は「団塊の世代」の名残があった時代で、本校だけでは生徒を収容できないため、1・2年生はこちらの分校に通っていた。現在は「関原分校公園」になっている。まあ、皆はそんな歴史はしらないだろうけれども。

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 じゃあ本校はどうなっているのかと思って、関原3丁目にある関原小学校まで行ったら、改築工事中だった。

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 足立区は物価も低いということなどから、「若い人が住み安い街」というイメージがあるようで、今どき人口が増えている区なのだそうだ。そんなことで、小学校も改築して大きくしているようだった。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f/2.8 D @Sekibara Adachi (c)tsunoken

2016年3月25日 (金)

『OTAKUエリート』から見えてくるもの。世界はOTAKUで溢れ返っているんだ!

『羽生雄毅 1985年生まれ。2006年オックスフォード大学化学科卒業。2010年、同学博士課程修了。東北大学と東芝研究開発センターを経て、2015年、インテグリカルチャー(株)を設立。日本初の人工培養肉プロジェクト「Shojinmeat Project」を立ち上げる。その一方でオックスフォード在学中から2ちゃんねるやニコニコ動画のヘビーユーザーであり、帰国後もコミックマーケットなど同人誌即売会にサークル参加したり、オフ会でのヲタ芸や踊りに励んだりするなど、「オタク活動」も精力的に行っている』

 そうか、オタクの巣窟と言えば<開成→東大>コースかと思っていた、秋葉原も近いしね。でも、こんなところにも居たんだ「オタク魂」が。

Otaku 『OTAKUエリート 2020年にはアキバカルチャーが世界のビジネス常識になる』(羽生雄毅著/講談社+α新書/2016年4月1日刊)

 なんでカバーにこの人の写真が載っているのか分からなかったんだが、そうかそういうことだったのね。

『2014年3月、ロシア連邦クリミア共和国で最高検察庁検事総長となったナタリア・ポクロンスカヤ氏は、「アニメ的美貌が人気で、日本でネットアイドル化している」とロシアのタス通信を始め、各国の大手メディアで報じられた。就任後の記者会見が世界に配信されるやいなや、彼女の美貌に創作意欲を刺激された絵師たちによって、大量の萌えイラストがネット上に投稿されたのである』

 確かに美しいというか「美しすぎる検事総長」という呼ばれ方で日本のメディアを騒がせたわけではあるけれども、それが「アニメ的美貌」ということだったのね、と妙に納得。というかそんな「オタク事情」を知らなかった私はやっぱりオタクじゃなくて、単にオタクを相手にして商売をしてただけの人間だったのか?

 ところで、日本のオタク・カルチャーの元になったのはSFファンだったってことはご存知だろうか? 元々SFファンの間では「○○コン」というイベントが行われていた。『ワールドコン(Worldcon、正式にはThe World Science Fiction Convention)、世界SF大会(せかいエスエフたいかい)は、1939年から(第二次世界大戦中の1942年から1945年までを除いて)毎年、(これまでのところ)地球上のどこかで開かれているSF大会である。主催は世界SF協会(World Science Fiction Society(WSFS))で "Worldcon" という名称の権利もWSFSが保持しているが、各大会の運営はワールドコン開催地の地方のファン組織が行う』(Wikipedia)ということで、日本でも毎年日本SF大会が開かれていたんだが、それが2007年に日本で初めてのワールドコン、「第65回世界SF大会/第46回日本SF大会 Nippon2007」が開かれたのである。この日本におけるSF大会が、その中に元々コスプレイベントなんかもあって、更に日本におけるSFアニメ(初期は「鉄腕アトム」なんだが、その後の日本におけるアニメの歴史はほとんどがSFアニメなんである)の黎明が、日本のSFファンがアニメファンになっていって、それが日本におけるオタクの始まりになっていったのである。

 その「第65回世界SF大会/第46回日本SF大会 Nippon2007」の実行委員長である井上博明氏こそが日本における「オタク」の最初の人物じゃないかと思うんだが。この井上氏「東京都墨田区出身。私立岩倉高等学校卒業。1980年代初頭より手塚プロダクションで制作進行に従事、その後、マジックバスでの制作デスク勤務を経て、CGやデジタルペイントでのアニメ制作に注力した制作会社エムケイに転職。その後、ガイナックスの設立に参加する。その後AICのプロデューサーを経て、自ら立ち上げた会社である株式会社オニロ代表取締役。吉備国際大学アニメーション文化学科教授」という人。

 要は鉄道オタクからSFオタクを経てアニメオタク(ただし、アニメに関しては「オタクを利用して商売している」という評判もなくはない)になったという、岩盤みたいな経歴の人なのだ。

 で、井上氏が所属していたエムケイというアニメ会社は傘下にJCGLというコンピュータ・グラフィックの制作会社を持っていて、NHKの「子鹿物語」や映画「SF新世紀レンズマン」、TV「GALACTIC PATROL レンズマン」(エヘン、私がプロデユューサー)なんかのコンピュータ・アニメを製作していたんだが、この辺からが<アニメ→コンピュータ→ネット>という繋がりになっていって、本書で述べられているような<アニメ→ネット>というダイレクトな繋がりに結び付けられ、それが「国境・言語」といったものを軽々と飛び越えてしまう状況を、実は私も目にしていた。

『「おたく」は1970年代に誕生したサブカルチャー愛好者の総称であり、もともとはコアなSF・アニメファンを指す言葉。「オタク」は1980年代に誕生した概念で、アニメ・マンガ・ゲーム・パソコンなどを引きこもりツールとする大人になれない者たちを指す言葉だとされている。そして「OTAKU」とは、その外国人版であった』

『OTAKUネイティブ世代の若者は、オックスフォードやモスクワ大学にも在籍していた。彼らの一部は、近い将来、社会的に重要な地位に就くようになるだろう。おそらく2020年に東京オリンピックが開催されるころには、グローバルな舞台の第一線で活躍する「超知日派」OTAKUエリートを見ることになる可能性が非常に高い』

『私がオックスフォードで出会ったOTAKUたちも、卒業後数年たち、何人かはすでに来日を果たしている。彼らに「日本で一番印象に残ったのは何か」と聞くと、「明治神宮での神前結婚式の行列」「1分単位で正確に到着する電車」などといった答えが返ってきた。彼らはそうした見聞を、帰国前からSNSで仲間たちと共有するのである』

『「伝統文化をはじめとする日本のハイカルチャーは、外国人には簡単には理解できない」という日本人の意見もある。しかし世界のアキバカルチャーのファンたちは、アニメなどを通じて日本の伝統文化もさんざん見ている。彼らの教育水準と情報リテラシーが高いことは、そもそもアキバカルチャーという舶来物の異文化をたしなんでいるという実績が証明している。その中でも、ひときわ教育文化水準の高い「OTAKUエリート」については、言わずもがなである』

『彼らが日本に寄せる期待とは、学園ラブコメマンガに登場するような安定した社会、際どいコンテンツやエッジの利いた流行を生み出し続けられる文化的な自由さ、美少女ゲームや萌えアニメが流通するほどの社会的余裕、コミックマーケットやコスプレイベントで現役の仲間たちが頑張る姿、そしてそんなことを日々満喫できるほど自由で平和な国であり続けることだ』

 という結論を読んでしまうと、やっぱり「クールジャパン」なんていう官製のお題目では何の解決策にもならないなあ、ということがよく見えてくる。

『「世界を相手にできるだけの教養」の基本として、結局のところ私たち日本人が、自国である日本についての造詣を深めることが一番求められる』っていうのが、あくまでも基本なんだよね。

『OTAKUエリート 2020年にはアキバカルチャーが世界のビジネス常識になる』(羽生雄毅著/講談社+α新書/2016年4月1日刊)

2016年3月24日 (木)

久々のギンザ・ウォチング

 天気も良くなって暖かくなってきたので、久しぶりの銀座ウォッチングに出かけた。

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 というか、ここのところ「久しぶりの」ってのが多くなっていかんなあ。

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 要は、それだけ寒さの中で縮こまっていたんだなあ。

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 ということで、今日は銀座に出かけた時のスナップを。銀座ウォッチングと言えば、基本的には「ヒューマン・ウォッチング」。しかし、そんなヒューマンも昔は日本人ばっかりだったのが、欧米人→中国人っていう風に変わってきているなあ。

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 教文館書店は私にとっての銀座第一歩。ここの小橋専務にはお世話になりました。銀座スナップは私の写真の原点です。

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 まずはどちらの歩道でも良いから銀座通りを一丁目から八丁目まで往復。

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 それが終わると横断歩道を渡って。

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 反対側の歩道を、やはり一丁目から八丁目までを往復。

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 あっちを眺め、こっちを眺めしていると、二往復しても何往復しても飽きないのが銀座だ。

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 まあ、同じような情況は新宿でも渋谷でもあるんだろうけれども、いまだに銀座にこだわっているのは、もう私がそんな年なんだろうからだろうか。新宿は私にとっては新宿文化と蠍座とピットインと騒乱の街なのだ。そう、ちょっと剣呑。渋谷は、もう私のような年寄りが行くところではないな。

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 ということで、撮影したスナップから選んだのがこの9点。

 どんなもんだろうか。まあ、上手くはなっていないなあ、というのが自分の感想。

 しかし、「いい写真」はあるけれども「上手い写真」はないという言葉もあるように、「いい写真」は偶然撮れる写真であって、「上手い写真」は狙って撮る写真であると考えると、「上手い写真」がスナップではないのは当然か。

 そんな写真日和ではありました。

NIKON Df AF-S Nikkor 50mm 1:1.8 G @Ginza Chuo (c)tsunoken

2016年3月23日 (水)

久しぶりに高田馬場芳林堂に行ってきた

 久しぶりに高田馬場へ行ってきたので、「あの」芳林堂書店を覗いてきた。

 何が「あの」なのかと言えば、2月26日に自己破産を申請して、アニメイトグループの書泉に経営譲渡し、老舗書店の芳林堂グループが事実上なくなってしまった、ということなのだ。

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 ポイントは中堅取次の太洋社の自主廃業だった。

『出版取次の太洋社(東京・千代田)は15日、同日付で東京地裁から破産手続きの開始決定を受けたことを明らかにした。2月に自主廃業の方針を示していたが、大口取引先の芳林堂書店(東京・豊島)が自己破産を申請し、売掛金の回収が難しくなったことなどから断念した。15年6月末時点の負債額は約84億7900万円』(日経新聞電子版2016年3月15日付より)

『出版業界では、取次4位だった栗田出版販売(東京・千代田)が2015年6月、負債134億円を抱えて民事再生法の適用を申請。業界全体が「次はどこが危ないのか」と疑心暗鬼になった。こうしたなかで関係者の関心を集めていたのが太洋社だった。

 太洋社は戦後間もなく創業した老舗の取次店。ピーク時の05年6月期は売上高487億円、取引店舗数は1200店にまで拡大していた。コミックや雑誌に強かったことから「コミックの太洋社」と呼ばれた。しかし、アマゾンなどインターネット通販サイトの台頭や人口減少、電子書籍化などで売上高は15年6月期には171億円とピーク時の3分の1程度に減少した。

 栗田出版販売の経営破綻を契機に、業界では新たな焦げ付きをおそれる出版社、さらに配本の遅れを危惧する書店の両方から、取次を変更する「帳合変更」が相次ぐようになった。経営の厳しい太洋社は、その矢面に立たされた。債権者である出版社、債務者である書店から「信用不安」による取引解消を突きつけられた。

 最終的には、周囲からXデーとしてささやかれていた2月5日、太洋社は「自主廃業のお知らせ」とする案内文を取引先に対して配布。事業継続を断念した。

 このときに関係者が注目したのは案内文に書かれた内容だった。廃業の理由は出版不況や帳合変更だけでなかった。もう一つ、書店からの回収不能問題を挙げていた。

 太洋社の説明によれば、15年12月末時点で出版社に対する買掛金は約47億円あった。一方、書店からの回収予定である売掛金は47億5000万円。計算上は支払い可能だったが、約6億円が回収できないことが発覚したという。理由は一部書店に対する売掛金に対して、多額の延滞が生じていたためだ。

 そして、回収できない大口取引先の一つが芳林堂書店だった』(日経電子版2016年3月2日付より)

『自主廃業を決めた太洋社とその主要取引先の芳林堂書店とは、どんな関係にあったのか。

 一言でいえば、それはもたれ合いだった。

 取次が廃業した場合、書店は本来、他の取次に帳合変更すればいいはずだ。しかし、その前提となるのは、それまでの取引で「延滞」がないこと。それだけに資金繰りに不安のある書店の場合、帳合変更するのが難しい。太洋社と芳林堂書店は長年にわたりもたれ合いの関係を続けた結果、太洋社が回収できない債権があった。このため、帳合変更は難しかった。芳林堂書店は事業継続が難しくなり、2月26日、東京地裁に自己破産を申請。9店舗をアニメイトグループの書泉(東京・千代田)に譲渡することなどを明らかにした。

 2社の行き詰まりは、取引関係を深めるうちに依存度が高くなりすぎ、最終的にそのリスクが顕在化したケースだといえる。企業間取引ではシェア拡大が大きな課題となる。しかし、リスク分散のないシェア拡大は企業にとって両刃の剣となり、双方の危機に直結する』(同上)

 要は太洋社の破綻に連なる連鎖倒産なんだが、問題はもっと深いところにあって、基本的に書店は取次から仕入れた商品の全額を支払わないという慣例がある。書店は仕入れた(「配本された」というのが正しいか?)本の代金の数割だけを取次に払って、取次は取次で大手出版社から仕入れた分は全部払うのに、中小出版社から仕入れた分は数か月遅れで支払うという業界構造がある。

 まあ、そうした業界習慣というか業界構造というか、基本的には「大手に弱い」というのはほとんどの業界でもあるんだろうけれども、それが2000社あるという出版社を抱える出版業界では特に顕著に見られるということなのである。

 で、結局、芳林堂は太洋社からの買掛金を支払えず、ということはそんな買掛金を引き受けてくれる取次なんかはないから、帳合変更も出来ずに太洋社と共に討ち死にということになってしまった、ということ。

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 まあ幸い書泉の傘下に入った芳林堂だが、相変わらず芳林堂というブランドだけは残っているし、店舗の商品構成なんかも今の所変わってはいない。まあ、今後は分からないけれどもね。

 まあ、日販、トーハンによる書店の帳合変更競争が招いた結果と言えば結果なんだけれども、これで取次は栗田出版販売、太洋社がなくなってしまい、残すは日販、トーハンと、大手出版社5社と楽天が経営再建に取り組んでいる大阪屋と、トーハンの子会社になっている中央社の4社のみになってしまっていて、後は「神田村」と呼ばれている神保町の裏町で小さな商いをしている中小零細取次だけになってしまった。まあ、この零細取次の多くは現金商売なので、結構しっかりやっていると思いますがね。

 まあ、資本主義社会なんだから自由競争で、弱いものは滅ぶってのも仕方ないんだけれども、北陸にあった太洋社の支店といろいろ付き合いがあった私としてはちょっと残念かな。更に芳林堂は講談社とも親しく付き合っていた老舗書店で書店未来研究会の会員でもあった。一瞬にして未来が見えなくなっちゃう状態で未来研ってのもなんだが、私もちょくちょく未来研のニュースで取材をしていた書店でもあって、店員の人とも親しくさせてもらっていた。

 まあ、日本には海外の国には見られないくらいの数の書店があるっていうのも事実。であるならば、それが適正規模になるまでは書店の数も減り続けるんだろうけれども、そうなるとますますAmazonなんかのEC事業や電子書籍が力をつけて行くんだろうなあ。

 なんてことを、最近ではKindleでしか本を読んでいない私が言うことではないか。

 スミマセン。

NIKON Df AF-S Nikkor 50mm f/1.8 D @Takadanobaba Shinnjuku (c)tsunoken

2016年3月22日 (火)

『進め!! 東大ブラック企業探偵団』って言っても、それは主観の問題なんだ

 ある企業がブラックなのかホワイトなのかというのは、結局主観でしかない。あの超ブラックとして知れ渡っているワタミだって、中にいる社員からしてみればホワイトな部分もあるし、ブラックな部分もあるんだろう。ただし、あまりブラックだと感じていない人たちが多いんじゃないだろうか。だからこそ彼らはワタミを辞めないんだからね。

 ただし……

『もっというと、このままでは、日本の企業はぜんぶブラック企業になるかもしれないわ』

 というマオの言葉の方がリアリティを持って迫ってくるのだ。そう、見方によってはそういうことになるんだろうなあ。

Photo 『進め!! 東大ブラック企業探偵団』(大熊将八著/講談社/2016年3月1日刊)

 で、本書で取り上げられているのは「外食産業」「テレビ業界」「電機メーカー」「メガバンク」という、まあまさに今ブラック、これからブラックという業界なんだが……。

 日本経済全体を見通した話では……

『総務省によれば、非正規労働者は、この四半世紀の間、どんどん増え続け4割(37・4%)となり、1991年から倍増している。さらに厚労省が2015年11月に発表した調査によれば40%に達したという』

『しかし1990年代以降、2つの大きな波がそれを一変させてしまった。
 ひとつは、グローバル化だ。人・モノ・情報の行き来が自由になったことで世界中のあらゆる場所から、最もいい製品を最も安く手に入れられるようになった。
 もうひとつは、IT化である。高度な技術もあっという間に陳腐化してしまい、熟練を必要としていた労働の多くが誰にでもできるようになり安価になった。
 その結果、日本企業のビジネスモデルは崩壊した』

『いわゆる「失われた20年」とは、日本企業の製品が次々とコモディティ化していく過程だったのだ。そんな中、ますます激しくなる国際的な競争に耐え忍ぶため、日本企業は人件費を削らざるをえなかった。人材の領域でもコモディティ化が進み、誰にでもできるような仕事しかできない人材は、安く買い叩かれ、さらには使い捨てられるようになった』

 ということなんだけれども

『「たとえば変化の激しかった電機業界の中でも、ニッチな電設資材を作っている『未来工業』という会社はすごいわ。毎年たくさん特許をとってユニークな部品を次々と発明しているお陰で高収益体質。全従業員を正規雇用しているのよ。連続的なイノベーションで、高い利益率を達成し、それを社員へ還元して高待遇を実現するという3拍子を叶えているところが、これから生き残るホワイト企業なんでしょうね」』

 というような企業もあって、それこそ千差万別だ。取り敢えず本書で取り上げている業界にそって話を進めていくと。

外食産業

『外食産業の人件費率は、陸運や医療などを除いて、ほとんどのサービス業を上回る。値下げのしわ寄せをモロに被った従業員の労働環境は悪化するばかりだ』

テレビ業界

『在京キー局社員の平均年収はどこも1300万円超。それに対して制作会社社員の年収はその3分の1から4分の1程度といわれている』

『放送事業は、総務省の認可制だ。認可を受けているのは限られた局でしかない。だが、制作には許可も何も要らない。だからテレビ局は企画だけ立てて後はほとんど下請けの制作会社に丸投げして、いちばん安価で早くコンテンツを作れるところから買い叩いているのだ』

『誰もテレビを観なくなったとしても社員の雇用は安定している。だから、是が非でも新しいビジネスモデルを築けなければ自分たちのメシのタネに困る、という危機意識を持ちようがないんだ。そんなところで新規事業がうまくいくはずがない』

『日本のテレビ業界は変わることができず、ゆでガエルのようにじわじわ衰退していくばかり。しかし、海外の動きはそんな日本のローカル事情に合わせてはくれません』

電機メーカー

『かつて世界にその名を轟かせた日本の大手家電メーカーは、韓国や台湾、東南アジア新興国のメーカーの後塵を拝し、リーマン・ショックを機に赤字を垂れ流すなど凋落著しい。ほんの10年ほど前までは理系学生の就職企業人気ランキング上位を席巻していたというのに、明らかに落ち込んでいる』

 その家電メーカー復活のカギは?

『家電メーカーは次々と、消費者向けのBtoCから、企業向けのBtoBへと転換し始めた。ソニーが目下のところ好調な半導体の「イメージセンサ」も、主にスマホのカメラに搭載される部品だ』

 と、もうひとつは。

『だったら自分たちはコアな部分の開発と最終の組み立てだけを担い、後はすべて外注してしまえばいい……それが、工場を持たないメーカー、ファブレス・メーカーと呼ばれるやり方よ』

 っていうことなんだろうなあ。

メガバンク

『銀行の破綻・金融危機を防ぐために各行に一定以上の自己資本比率を求める取り決めのことよ。これに加えて金融安定理事会(FSB)は巨大銀行に対してさらに自己資本比率の引き上げを求める取り決めをしたの。世界的な潮流は、金融危機を防ぐための引き締め強化に向かっているのよ。日本のメガバンクはこの基準を満たすのがぎりぎりというのが実情で、金融庁も資本の積み増しを要求しているし、さらなる資金調達が必要になるかもしれないわ。海外進出のためにメガバンクはドルをかき集めていたけど、その調達コストも上昇中よ。今後、積極的な進出が続けられるかどうかは疑問よ』

『要するにメガバンクの銀行業は、営業で必死にノルマを積み上げて戦っているものの、金利が低くて儲からないから、利益のコアは安定した資産運用、といえば聞こえはいいけれど、バカのひとつ覚えみたいな日本国債一本で稼げるってことよ。まさに国策さまさまね』

 なんだけれども、それも日銀のマイナス金利策でもって先も見えないしなあ。もしかしたら、一番最初にブラックかする業界かもしれないなあ。

 ま、ブラックかブラックじゃないかというのは、はじめに書いたけれども、要は主観の問題。出版社だってブラックだと見る人もいるし、ホワイトだと感じる人もいるって訳でね。

『進め!! 東大ブラック企業探偵団』(大熊将八著/講談社/2016年3月1日刊)

2016年3月21日 (月)

「ムダ堀」って……、何だ?

 昨日に引き続き「玉川上水」ネタです。

 府中市是政にある府中の森博物館で現在行われてる企画展示『ムダ堀の謎をさぐる』という企画展示(3/31まで)があるっていうのを発見。早速、行ってきた。

『「玉川上水」は、大都市江戸の暮らしを支えた上水道である。羽村から多摩川の水を取水し、武蔵野台地を江戸へと向かう。全長は43km、その完成は江戸時代初期の1653年とされている。
 ところが、この玉川上水は、当初、府中から取水しようと計画して失敗した、という伝承がある。その痕跡とされるのが「ムダ堀」である。
 かつてムダ堀は、地表に帯状に伸びる窪地として確認できたらしい。しかし、今は宅地の中に埋もれ、痕跡は見えない。伝承すら、なかば忘れ去られていた。
 そのムダ堀が、思いもかけず、再び眼前に現れたのは1996年のこと。京王線東府中駅南方の発掘で掘り出されたのである。以来、点々と発掘されている。
 だが、伝承には疑問や反論がつきものである。真相はいかに?
 その当否を決定することはまだまだ難しいのだが、発掘で得られた知見と、古地図や絵図、古文書からムダ堀研究の現段階を紹介しよう』

 というのが、この企画展の主旨。

 しかし、失敗に終わった堀なので「ムダ堀」って言ってもなあ、なんか寂しいですね。

Dsc_00302発掘時の写真

Dsc_00312古地図と合わせたムダ堀の場所

Dsc_00322現代の地図と合わせたムダ堀の場所

 う~ん、要は昔玉川上水が計画された時、現在の羽村じゃなくて府中から取水しようという計画があったようで、そのための堀が掘られたっていうことなんですね。

 本当にそうだったんだろうか?

 だって、府中あたりの多摩川から取水したって、そこから江戸の中心部、駒込や神田には水を流せなかったんじゃないか。府中の標高は分からないが、そこから国分寺崖線の上に水を上げるのは当時の「上から下へ」という水利事業ではありえなかっただろうし、そうでなければ江戸城にまで水を流すことはできなかった筈だ。羽村という標高があったから、江戸の低地まで水を流せたんじゃないだろうか。

 ということなので、この「府中のムダ堀」って、未だになんのための堀のかはわかっていないようだ。

 まあ、府中はその名も示す通り、元々は武蔵国の中心として鎮座していたところだ。江戸が中心になるずっと前のこと。大國魂神社なんかも府中にあるしね。国分寺なんかもすぐ傍にあるし。

 まあ、そんな意味では「府中のムダ堀」の意味は今でも分かっていないんだけれども、それは玉川上水じゃなくて、「大國魂神社や府中国府の為の空堀(か、あるいは多摩川の水を引き入れた堀)かもしれない」とも思えるんだけれどもなあ。その方が当たり前に思えるんですよ。

 ということで、「府中のムダ堀」テーマはおしまい。まあ、基本的にはよく分かっていない、ってことでね。

 ここで、府中の森博物館はおしまい。

 ただし、この博物館。館内見学ではなくて、外にもいろいろあるんですね。ただし、外も入場料は必要。

Dsc_00442旧府中町役場とか

Dsc_00482昔の郵便局とか
Dsc_00572薬屋さんとか

Dsc_00502 こんなぐるぐる下りて行く井戸(「まいまいず井戸」という)とか

 まあ、取り敢えずはいろいろな民俗遺産が見られる場所ではあります。

 どうですか? 原田さん。近いし、一度は行ってみればどうでしょうか? お好きな深大寺植物園からも近いし。

NIKON Df AF Nikkor 24-85 f/2.8-4 D @Koremasa Fuchu (c)tsunoken

府中の森博物館のサイトはコチラ

2016年3月20日 (日)

武蔵境って何と何の「境」なのさ?

 JR中央線の三鷹の次が武蔵境駅。

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 何故、武蔵境なのかと言えば、地名が武蔵野市境町だからっていう理由なんだけれども、じゃあその「境」って何と何の境なの? ってのが気になって行ってみた。

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 一説では玉川上水と千川上水がここ武蔵境で分かれていて、つまり「境」って玉川上水と千川上水の「境」だっていう人がいる。

Dsc_00092玉川上水上流側

Dsc_00102玉川上水と千川上水を分ける「境橋」というのがある! 地名の起源か? と、ドキドキ

Dsc_00122玉川上水下流側

Dsc_00142千川上水の取水口

Dsc_00212千川上水

 なるほどなあ、って思っていたらどうもそうではないらしい。

「下田三右衛門が新座郡上保谷村より移住し村としての基礎が築かれた頃に村民の間に村名決定に関する協議が行われた。その際に、下田三右衛門は「三右衛門新田」とすべしと主張し、他方前述の六人衆は「出羽新田」とすべしと主張しお互いに譲らず、遂には時の代官野村彦太夫が仲裁に入り、両意見の間を取るという意味を現し「堺新田」と命名した」

 という説と

「江戸時代初期、当地(厳密には現在の境南町、杵築大社付近)に松江藩松平氏の御用屋敷があり、藩主が鷹狩りをする時に使われていた。後に玉川上水の開通に伴い、幕府が武蔵野台地の新田開発を奨励した際、当地でも松平氏屋敷を廃し、屋敷奉行であった境本絺馬太夫(きょうもとちまだゆう、「さかいもと」「さかもと」の説もあり)を長百姓として新田が作られた。村の名は境本氏に因んで境新田(後に境村)と付けられた」

 という二つの説があり、要は「二つの意見の間の『境』」という説と、「境本さん」の『境』という説だそうだ(Wikipediaより)。

 ただ「屋敷奉行であった境本絺馬太夫を長百姓として新田が作られた」って、そんなに簡単に武士の身分(下位とはいえ奉行ですよ奉行)を捨てて百姓になっちゃった人がいたのかなあ、というのが気になる。

 とすると、上の説の方が有力なのかなあ。

 まあ、ひとつの説では確かに「境」なんだけれども、もう一つの説では別に「何かと何かの境」ではないということらしい。いずれにせよ、「境新田」というのはあったようだし、その境新田が武蔵野市境の元であるのならそれはそれでよし。

 まあ、地名なんて結構いい加減に作られるってことなのかも知れない。

NIKON Df AF-S Nikkor 50mm f/1.8 G @Sakai Musashino (c)tsunoken

2016年3月19日 (土)

「マンション管理セミナー」を受けてきたんだけれども

 公益財団法人 マンション管理センター主催のセミナー『「マンション管理に関する判例」解説セミナー ~判例から管理組合運営を考える~』というのに行ってきた。

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 何でかって? つまりは私は今、私が住んでいるマンションの管理組合の理事長をやっている(エヘン! って偉ぶるほどでもないけれどどもで。でも、それも5月で御役御免になれる)からなのだ。

 公益財団法人マンション管理センターは国土交通省の指導下にある財団法人で、マンション管理士なんかにも手伝っている団体。そこのセミナーなので、当然マンション管理士なんかの受講生が多いようだった。私みたいな素人(というか定年後マンション管理士試験に挫折したヤツ)は少ないようだった。

 講師は弁護士の佐藤貴美氏。東北大学法学部を卒業し国土交通省に入省。内閣府から独立して弁護士を開業。つまり、マンション管理の専門家で、公益財団法人マンション管理センターの顧問をやっている。

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 ということで、昨日のテーマは4つの判例を紹介された。

 マンションの管理というのは、基本的に区分所有法という法律に則って行われるのだが、昨日の講義はこの区分所有法の第6条、第57条、第58条、第59条に関する判例。ではそれらの条文はどうなっているんだろう。

(区分所有者の権利義務等)
第六条
 区分所有者は、建物の保存に有害な行為その他建物の管理又は使用に関し区分所有者の共同の利益に反する行為をしてはならない。
2 区分所有者は、その専有部分又は共用部分を保存し、又は改良するため必要な範囲内において、他の区分所有者の専有部分又は自己の所有に属しない共用部分の使用を請求することができる。この場合において、他の区分所有者が損害を受けたときは、その償金を支払わなければならない。
3 第一項の規定は、区分所有者以外の専有部分の占有者(以下「占有者」という。)に準用する。

第七節 義務違反者に対する措置
(共同の利益に反する行為の停止等の請求)
第五十七条
   区分所有者が第六条第一項に規定する行為をした場合又はその行為をするおそれがある場合には、他の区分所有者の全員又は管理組合法人は、区分所有者の共同の利益のため、その行為を停止し、その行為の結果を除去し、又はその行為を予防するため必要な措置を執ることを請求することができる。
2以下、削除

(使用禁止の請求)
第五十八条
   前条第一項に規定する場合において、第六条第一項に規定する行為による区分所有者の共同生活上の障害が著しく、前条第一項に規定する請求によつてはその障害を除去して共用部分の利用の確保その他の区分所有者の共同生活の維持を図ることが困難であるときは、他の区分所有者の全員又は管理組合法人は、集会の決議に基づき、訴えをもつて、相当の期間の当該行為に係る区分所有者による専有部分の使用の禁止を請求することができる。
2以下、削除

(区分所有権の競売の請求)
第五十九条
   第五十七条第一項に規定する場合において、第六条第一項に規定する行為による区分所有者の共同生活上の障害が著しく、他の方法によつてはその障害を除去して共用部分の利用の確保その他の区分所有者の共同生活の維持を図ることが困難であるときは、他の区分所有者の全員又は管理組合法人は、集会の決議に基づき、訴えをもつて、当該行為に係る区分所有者の区分所有権及び敷地利用権の競売を請求することができる。
2以下、削除]

 まあ、要は区分所有法第6条では、基本的にマンションはあかの他人が共同生活をおくる場所なんだから、それぞれお互いを気遣って、多少の不満は「お互いさま」の精神(「受忍限度」って言います)で乗り越えましょう、ってのが基本なんだけれども、それが毀損されちゃった時の対処方法が第57条、58条、第59条ってわけ。

 判例1は、マンション専有部分を、賃借人が朝7時から夜10時頃まで無認可保育園として使っちゃったんけれども、やっぱり小さい子どもたちの声や、扉をドンドン叩く音はうるさいし、共用部分にベビーカーを置きっぱなしにして邪魔だし、夏なんかはベランダで子どもが水浴びするんだが、その水が下の部屋まで飛んだ来たり、マンションがオートロックシステムになったので入出する人達から氏名を記載するようにお願いしたんだけれども、それを拒否された」というようなことが度重なって、「マンションの専用部分を託児所として使ってはならない」という平成18年3月30日の東京地裁の判断。まあ、大きな問題としてはこの託児所の経営者が管理組合の理事が経営する店に行って「子供、親を差別している」とか「店をつぶしてやる」といってナイフを振り回したということがあって、それがきっかけになって無認可保育園を辞めさせるような判例となった。

 このマンションの1階2階には普通に店とか入っている部分があって、そこは当然専有部分じゃないから、別にどこからも何か言い立てられる部分はないはずなんだけれども、まあ、賃貸料の関係なんだろうなあ、そんな専有部分に保育園を作っちゃったことてっね。そこが問題の発端だったんだろうな。

 判例2は、区分所有者が、業務執行に当たっている管理組合の役員らを誹謗中傷する内容の文書を近隣の電柱などに貼付したり、マンションの防音工事を受注した業者の業務を妨害するなどの行為が共同利益背反行為として該当しうる行為として認められた行為。

 判例3は、管理費滞納に伴ってその専有部分を競売に出してしまったこと。「①滞納期間が3年以上に及ぶこと②滞納額が100万円を超えること③既に(区分所有者が)会社としての実態がない以上今後滞納が解消されず、かえって滞納額が累積していく見込みであること」という理由で競売が認められた。

 判例4は、ちょっと難しいんだけれども、要はマンション全体で電力供給会社を一括変更することを決めたんだが、それに反対する人が一人いて、その人がいるために電力供給会社を変更できず、しかし、電力供給の為の主回線の工事は行わなければ(以前の配線が古くなってしまって、新たに配線しなおさなければならな。そのついでに新しい電力供給会社と契約しようと考えた)ならないのに、その際に電力供給会社を変更することについて、ある人だけが、それに反対してその新しい電力供給会社との契約を結ぶことを拒否した問題。

 でも、この反対した人は、管理組合の総会にも出ていないし、その後の説明会にも出ていないないし、それまで一言も発言はしていないようだ。要は、管理組合の幹部が設定した数多くの総会・説明会にも出席していないし発言もしていない。じゃあ、普通はそのまま承認なんだろうというのが執行部の考え方なんだけれども、突然、反対を言う人がいるんだなあ。

 まあ、こういう人は必ずどんな管理組合でもいるんです。

 で、こんな人がいたら、管理組合はその人の持っている専用部分を競売しちゃってもいいんだ。 っていうのが司法の判断。要は、彼を区分所有者としては認めない、ってことですね。

 勿論、そこに至るにはかなりの経緯が必要なんだろうけれども、基本的には管理組合でもって正式に決定したことは、そのマンションでは一番大事なことであり、それはそこに所有権を持っている人は着実にそれをも守っていかなければならないことなんだろうなあ。

 ということで、まあ、マンション管理士の人たちと一緒にセミナーを受け手きたんすけれども、これって面白そうだなあ。

 これからも受講してみようかしら。その後に。マンション管理士とかね。

Fujifilm X10 @Hitotsubashi Chiyoda (c)tsunoken

2016年3月18日 (金)

『県庁そろそろクビですか?』って? こんな職員クビにする訳ないでしょ

 なんかライトノベル風の表紙なんだが、中身はいたって真面目な本だ。

Photo『県庁そろそろクビですか? 「はみだし公務員」の挑戦』(円城寺雄介著/小学館/2016年2月8日刊)

 著者の円城寺雄介氏は……

1977年、佐賀県出身。立命館大学経済学部卒業後、2001年、佐賀県庁入庁。

最初の配属先は、唐津土木事務所 用地課勤務。

2004年4月。入庁4年目で初めての異動となったのは本庁の生産者支援課だった。

2007年4月。入庁7年目、3か所目となる職場は職員研修所だった。

 この頃から少し「はみだし公務員」になってくる。

そして、2010年4月の人事異動で円城寺氏が行くことになったのは、健康福祉本部の医務課だった。

 ここからが「はみだし度」をアップさせて、『自分は県庁の医務課に異動になったばかりで、いわゆる〝救急患者のたらい回し〟問題など何が実際の課題なのかを知るために、救急医療の現場を自分の目で見たいと考えている。ついては、救急車に同乗させてもらって実体験させてもらえないだろうか、と』頼み込むのだが、当然かえってくる反応は『遊びじゃなかとよ! わかっとる? 救急の現場は戦場と同じよ! 我われ救急隊員は赤信号だって突っ込んでいくし、患者はどがん病気を持ってるかわからんから、我われだって感染のリスクもあるとよ。そがん厳しい現場にふらっと入りたいって、いったい君はなんば考えとっとね!』というもの。

『「この円城寺君という男は、誰かから救急車に乗ってこいと命令されたわけじゃなかとですよ。もともと何も関係もない業務をやってきて、一から救急搬送の現場を学んで業務に生かしたいと考えている。そうやって県庁職員がリスクを取ってやろうとしているのに、俺たち消防が腰が引けてどうするんですか?」
 高祖さんがそこまで言ってくれたことで、佐賀広域消防局として異例の同乗許可が出たのである』

『忘れもしない2010年5月。一晩だけという約束で、「同乗研修」という許可をもらい救急車に乗り込む日がやってきた』

『通常勤務を終えた後の17時半から、翌朝まで救急隊員と同じように消防署で待機して、出動要請が入れば同乗して現場に向かう』

 その結果……

『与えられた武器が携帯電話一本だけでは、どうしようもないではないか。それを根本的に変えない限り、問題は解決しない。それを何とかするのが自分の仕事だと心の底から思った』

 というところから、救急車にiPadを配備するという案が考え出される。

『救急車へiPadを本格配備すると共に、ICTを使った救急搬送情報の見える化の挑戦は2011年4月に佐賀で始まり、2015年で4年が経過した。その間、さまざまなメディアにも取り上げられ、全国の救命救急に携わる現場の人たちの視察も相次いだ』

『2015年には全国10府県ですべての救急車にスマートフォンやタブレット端末が標準装備されるようになった』

 そして、そうやって救急搬送情報を見える化して分かったことは、医療機関の存在する地域の偏在という問題だった。

『医療機関の偏在は佐賀だけの課題ではない。日本中で同じような課題がある』

『そこで改めて浮かび上がったのが、ドクターヘリ導入という解決策だった』

『私は、明らかになったデータをもとに、またしても前例のないことを行うことになった。一度やらないと決めた施策を覆す試みだ』

『データがないために運用効果が見えなかったのは事実だ。ならば、そのときの決定は正しい。しかし、今は新たなデータが見えてきたわけである。そのデータに基づいて検討するのなら過去の否定にはならない』

『2012年に再びドクターヘリ導入のため「空気を変える」ことに駆け回り、2013年には実務面のさまざまな調整や準備を経て、県の諮問機関としてドクターヘリ導入検討委員会を設置し、運用方針や関係者との調整に昼夜を問わず奔走することになった』

 その結果、ドクターヘリの導入は実現したのだが、『2014年4月に人事異動で、今度は情報・業務改革課という地域のICT化推進やオープンデータの担当となった』のだった。

 そんな円城寺氏の考え方は……

『与えられた仕事をないがしろにせずに、余暇の時間を使ってやりたいことをやる。私もアフターファイブに勉強会をすることで様々な仕かけをすることができた。仕事としてすれば予算が使えるといったメリットもあるが、異動してしまえば、道半ばでもそこに携わることができなくなる恐れもある』

『ただし、アフターファイブ活動を行うときに、気をつけなければならないのは、仕事ではないといっても、外からは県職員として見られることだ。だからこそ人一倍、自分の組織の情報収集を怠ってはいけない。例えば県の方針と真逆のことをやれば勤務時間外でもいろいろとまずいこともたくさんある』

 と「はみだし県庁職員」の割には結構慎重であったりもする。

『ICTの分野では佐賀県は先進県と呼ばれることも多くなったが、これは佐賀県が最高情報統括監(CIO)や情報企画監を外部の民間企業などから公募していることも非常に大きな要素を占めると私は思う。多くの自治体ではCIOは副知事や副市長などが兼務する、どちらかと言えば内部管理がその中心であるように思える。佐賀県ではそれを内部管理という「守る県政」だけでなく、民間企業出身者という新しい発想で「攻める県政」として位置付けたことは大きかった』

 最後に円城寺氏が言うことが一番大事だ。

『地方創生や一億総活躍という言葉がよく使われている。本当に大切なことは、制度や補助金ではなく、結局のところ公務員に限らず日本に暮らす人たちにスイッチが入り当事者となることではないだろうか』

 これに付け加えることはない。

『県庁そろそろクビですか? 「はみだし公務員」の挑戦』(円城寺雄介著/小学館/2016年2月8日刊)

2016年3月17日 (木)

六義園「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」今日から……なんだが

 六義園の「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」が今日から4月3日まで行われます。

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 と言っても、残念ながらしだれ桜はまだこんな感じ。

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 しだれ桜はエドヒガンという品種でソメイヨシノよりは少し早く、お彼岸の頃に開花するのですが、今年は少し遅いようです。

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 蕾もまだまだこんな感じ……

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 こんな感じ。

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 上から見てもまだまだどれがしだれ桜か分からないでしょう。

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 見頃になるのはあと二週間後くらいでしょうか。

 お出かけになるのはその位の時期が良いかと思います。

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2016年3月16日 (水)

『名門校とは何か?』って、結局は進学校ってことじゃない?

『塾歴社会』に引き続き、おおたとしまさ氏の本の紹介です。

 今日は「塾」じゃなくて、そのために塾に行く「名門校」の話。一体、「名門校」って何なんだ? 東大合格者数じゃないのか? ということですね。「進学校」と「名門校」の違いって?

 何なんだろう?

Photo 『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』(おおた としまさ著/朝日新書/2016年2月25日刊)

 ということで、本書では29の「名門校」を紹介している。目次順に追っていけば……

第一章 日比谷高校の悲劇

第二章 旧制中学からの系譜
組織の中でも個性を発揮できる青年を育てる────開成(東京都・私立)/人生を自由に生きる術を伝授する────麻布(東京都・私立)/少なくとも三兎を追え────浦和(埼玉県・県立)/進学実績が落ちても人気が落ちなかった強烈な校風────済々黌(熊本・県立)

第三章 藩校からの系譜
修猷を誇るな、修猷が誇る人になれ────修猷館(福岡県・県立)/他者のために、勉強するところである────鶴丸(鹿児島県・県立)/かっこいい男になれ!────修道(広島県・私立)

第四章 女学校からの系譜
生徒たちの本質的な自由さを引き出す────女子学院(東京都・私立)/時代の空気を読みしたたかに生きる────雙葉(東京都・私立)/自由を守るために、じっと我慢する強さ────神戸女学院(兵庫県・私立)/すべてにおいて一流であることが当たり前────浦和第一女子(埼玉県・県立)

第五章 専門学校・師範学校からの系譜
正統から異端が生まれ、異端が正統になる────慶應義塾〈普通部・高等学校〉(神奈川県・私立)/本当の厳しさを教えるための自由────筑波大学附属駒場(東京都・国立)/自ら伸びようとする意欲と力────お茶の水女子大学附属(東京都・国立)/段差と刺激と仕掛けを与え、生徒たちをかき回す────東京学芸大学附属(東京都・国立)

第六章 大正・昭和初期生まれの学校
「教育とは何か、学問とは何か」を発信する────武蔵(東京都・私立)/品性と学識を兼ね備えた人間であれ────桜蔭(東京都・私立)/生徒たちを信じ、好き勝手にやらせてみる────東大寺(奈良県・私立)/日本一どころか世界一を目指せる学校────灘(兵庫県・私立)

第七章 戦後生まれの星
ほんわかとした校風の中に厳しさがある────栄光学園(神奈川県・私立)/元祖「塾要らず」────ラ・サール(鹿児島県・私立)/ものの見方考え方を合理的科学的にする────駒場東邦(東京都・私立)/想像力や知的好奇心を育む情操教育────聖光学院(神奈川県・私立)/教育の集大成は進学実績よりも自調自考論文────渋幕(千葉県・私立)/西大和学園の出口に有名大学の入口がある────西大和(奈良県・私立)

第八章 学校改革という決断
男として本当にイケてると思う?────海城(東京都・私立)/名物「運針」の精神で生徒が伸びる────豊島岡(東京都・私立)/安心感を与え自己肯定感を高めれば学力も伸びる────鷗友(東京都・私立)/優等生ではないリーダーを育てたい────堀川(京都府・市立)

第九章 単なる進学校と名門校は何が違うのか?

 ということになるのだが、なんか違和感があるのだ。たとえば、渋幕、海城、豊島岡なんてところは、確かに進学校ではあるけれども、果たして名門校と言えるのか? 豊島岡は制服を変えたら途端に入学志望者が増えたりして、果たしてそんな名門校ってあるのか?

 というか、この日本においては結局「名門校=進学校」でしかないんじゃないか、とも思える。

『実際は、大学、中等教育学校、小学校の試験にそれぞれ独特の対策があり、いい大学に行くにはいい中等教育学校を出なければならず、いい中等教育学校に入るにはいい小学校を出なければならず、いい小学校に入るにはいい幼稚園を出なければならない。社会階層があり、学歴が必要で、しかもそれらは本人の努力だけでは得られない。それがヨーロッパの社会の仕組みである』

 というヨーロッパという階級社会だからこそのあり方があるし

『私は、名門校と呼ばれるような学校に共通する特徴としてまず、「自由」「ノブレス・オブリージュ」「反骨精神」三つのキーワードを挙げた』

 という三つの要素こそが階級社会ならではの要素なのである。

 翻って、わが国ではそうした階級格差ってのは(タテマエ上では)ない訳で、そうした国では始めから、ある種の人々を最初から入学することを許さない学校というのは(タテマエ上は)ない。なので、結局名門校というのは、帝大や早慶などのトップ大学に入って、そこで帝王学を学び、学んだことを社会に生かすということを期待するしかないわけで、当然、そうした大学に入るための学校、つまり進学校ということになってしまう。

 もし、日本に「進学校じゃない名門校」があるとしたら、それは藩校などの歴史を持っていて、なおかつ藩校の伝統を受け継いでいる学校とか、国立大学の付属校であったり、あるいは学習院みたいな皇室に近しい学校とかになってしまう。

 まあ、それはそれで納得はできるのだが、結局は実質的には「名門校=進学校」ってことになっちゃうんじゃないかなあ。

『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』(おおた としまさ著/朝日新書/2016年2月25日刊)

2016年3月15日 (火)

「春日局出世コース」って、何だ?

 たびたび文京区ネタですみません。今日は不忍通りを歩いていたらこんな看板を見つけたので、そのご報告。

「春日局と徳川将軍家ゆかりの史跡マップ」っていう看板。

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 不忍通りの千駄木にあるNTT東日本の建物の前にあったんだが。その看板の設置者の名前が凄い。

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「文京区春日局推進協議会」って、えっ? 文京区にそんな名前の団体があったの? って思って調べたら……、「春日局の菩提寺麟祥院が湯島にあり文京区は春日局と歴史的に深い縁があります。昭和64年(1989)1月より1年間NHK大河ドラマ「春日局」が放映されました。文京区ではこれを契機として「文京区春日局推進協議会」を設立し区民の皆様と共に区内の活性化、地域の振興を図ることを目的として主主の事業を推進しました」というのがその主意書。

 すげーな文京区。そんなに春日局に入れ込んでるのかよ。

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 ということでその「史跡マップ」には「春日局出世コース」「徳川ゆかりの寺社コース」「庭園コース」というのがある。

 で、「春日局出世コース」を見ると、湯島聖堂とか、霊雲寺、湯島天神、講安寺、旧加賀屋敷御守殿門(赤門)、菊坂、昌漬寺とか、まあほとんど春日局とは関係なさそうな場所が書いてある。

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 将軍家のお局さんは基本的に大奥にいるだけなんで、殆ど外出はしないんだろう。なので、春日局関連の場所は少ない。ので、まあ周辺の名所も見ておきましょう、っていうちょっと余計な親切なのかも知れない。この看板は。

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 で、ここ麟祥院は春日局のお墓があるお寺。

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 今でも花を手向けてあるそのお墓は大きなお墓であります。流石に江戸幕府三代将軍・徳川家光の乳母ってだけはありますね。墓域としては将軍並だ。

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 で、ここが文京区春日という地名の元になった出世神社。この地に春日局は将軍などから年を拝領し、部下の為の町家を作ったそうだ。

 で、明智光秀の配下という敗軍の将の娘から将軍の乳母となった春日局を称して「出世稲荷」となったそうだ。

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 で、最後にその看板に出ていなかった春日局関連の場所を紹介。

 日光御成道沿いにある文京区向丘の浄光寺の庭先にある「春日のお局さんの御愛祈のお地蔵さん」ってのがあるのだ。

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 まあ「春日のお局さんの御愛祈のお地蔵さん」ってのは間違っていないのだろうけれども、昔からここにあったのか、あるいは移設されたのかはわかりません。まあ、将軍の東照宮詣でにお局さんは付いていかなかっただろうから、多分「移設」(?)ってのが正解なんだろうけれども、じゃあ、元々何処にあったんだよ、ってのが分からない。

 今度お寺の住職に聞いてみようかな。前から気にはなっていたんだよな。

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2016年3月14日 (月)

『塾歴社会』の真実を見てきた立場から

 サピックスも鉄緑会も知っていた。っていうか、私の二人の息子が両方とも小学生時代に通っていたのがサピックス。なので、同じサピックス生でもこんなに違うんだ、ってこともね。

Photoルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(おおたとしまさ著/幻冬舎新書/2016年1月29日刊)

『東大合格者数ランキングの上位に名を連ねる学校のほとんどは、私立もしくは国立の中高一貫校。2015年の上位を挙げれば、開成、筑波大学附属駒場、灘、麻布、駒場東邦、桜蔭、聖光学院など。
 これらトップ校に入るための中学受験塾として圧倒的なシェアを誇り、ひとり勝ち状態にあるのが「サピックス小学部」だ。そしてこれらトップ校の生徒たちが大学受験のためにこぞって通うのが「鉄緑会」である』

 っていうのは、まあ、事実。でも、それにもピンからキリまであって、上記の中高一貫校に入るためには浜町にあるサピックス東京校の「α1」というクラスを維持していなければならない。それ以外のクラスはまあ日能研や四谷大塚なんてところとそんなに違わないのだ。まあ、いわゆる「普通の子」ってことですね。

『2015年、開成中学の定員300名に対し、サピックスからの合格者数は245名。8割以上を占める』

『開成が定員より95名も多い合格者を出すのは、主に筑駒にもダブル合格した受験生のうち、そちらに流れる人数を勘案してのことである。その筑駒においては、募集定員120名、合格者128名に対し、サピックスからの合格者は90名。筑駒生の7割以上がサピックス出身者ということになる』

『残りの8校の中学受験最難関校については、募集定員ベースで約8割以上、合格者数ベースでも約半数以上がサピックスからの合格者で占められているのである。8校への合計合格者数においては、続く日能研と比べて約2・6倍、1000人以上の差で引き離している』

 確かに、開成中学の合格発表を見たことがあるが、合格発表後に宣伝用にサピックス生の写真撮影をするんだが、「えっ? こんなに?」っていう位、サピックス生が多いのだ。

 じゃあサピックスの授業のどこが凄いのか?

『サピックスの授業では、知識の詰め込みではなく、知識を素早くなめらかに使いこなす方法を教えているのである』

『たとえば算数では、安易に公式を当てはめるような教え方はしない。簡単な問題で原理原則に気づかせたうえで類題演習をくり返し、徐々に問題のレベルを上げ、複雑な問題の中にも同じ原理原則が活用できることを体感させる』

『また、国語や理科や社会の授業では、生徒たちの生活に根ざした身近な話題を呼び水にして興味を惹きつけ、双方向的に対話をしながら、要点を板書にまとめていく討論型の授業を行っている』

『現在文部科学省は、先生が生徒に一方的に講義を行う「レクチャー型」の授業に対する新しい授業形態として、生徒たちの主体的な活動を伴う「アクティブ・ラーニング」を推進しようとしているが、サピックスではTAP(サピックスと分かれる前のサピックスの前身:引用者注)時代からアクティブ・ラーニングが当たり前なのだ』

 確かに、この「アクティブ・ラーニング」というのは子供たちの興味を惹かせるようで、我が家の子供たちも「学校の授業よりも塾の授業の方が面白い」と言っていた。むしろ、学校の授業の方が「知識を詰め込む」ような授業で、サピックスの先生の話の方が面白がっていたのだ。

『中学受験をよく知らない人たちの間には、中学受験勉強は無味乾燥な知識の詰め込みであって、そんなことをしても何の意味もないという思い込みがあるらしい。しかしそれは違う』

『難関校ほど単純な計算問題や知識量を問う問題は出題しない。つまり単なる知識の詰め込みでは太刀打ちできないようにできているのだ。だからサピックスのような授業で鍛えられた生徒が力を発揮する』

 とは言うものの、それは中学受験までの話で、家の長男は開成中学に合格したものの、野球に凝ってしまい、何度か「裏100傑」に入ってしまい、何度かは駿台などには通っていたようだが、鉄緑会には行かず、大学は一浪、結局、河合塾本郷校に一年通って東大に合格した。

「裏100傑」ってのは、試験で下から100番以内ということ。上から100番以内は表100傑ということで、これは東大現役合格コースってことなのですね。まあ、それでも落ちる人はいますけえどもね。

 この河合塾本郷校って、場所は小石川の中大理工学部の前にあるのだが、まさしく東大に入るために作った校舎なので「本郷校」という名前を付けている。我が息子はこの河合塾本郷校の新設第一期生だった。

 次男も一時期はサピックスの「α1」にいたこともあるのだが、ズルズル落ちてしまい、結局、立教池袋中学に入り、そのままエスカレーターで立教大学へっていう一番安易なコースを選択。中学・高校・大学と野球とラクロスにのめり込み、10年間まるで勉強というものに縁がない生活を送ってしまったために、結局、一留というテイタラク。

 で、結局二人とも一般企業のサラリーマンになっているっていうんだから、中大の経済学部からサラリーマンになった親父と変わらない。まあ、両方とも上場企業だというところは私とはちょっと違うけれどもね。

 東大に入っても「東大までの人」と「東大からの人」がいるっていうのが一時期『週刊現代』のネタだったんだが、まあ、大学(現在は大学院も含むかもしれない)そんな最高学府を卒業するまでは親の責任かもしれないが、出た後はもう彼女ら彼らの世界。

 親としては「子育て」の間に楽しめればそれで充分。その後、彼女ら彼らが幸せになるかどうかは、学校を出た後は本人たちの責任だし、親が口を出すべきところでもない訳で、まあ、親はそこでお役御免。

 あとは後ろから見つめるだけだ。

ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(おおたとしまさ著/幻冬舎新書/2016年1月29日刊)

2016年3月13日 (日)

関宿城(博物館)

  江戸川サイクリングロードを北上して、利根川とぶつかるところがサイクリングロードの終点、関宿町(現・野田市関宿)。以前はたまにサイクリングで行っていたなあ。

 で、そこにあるのが今日のテーマの関宿城博物館。

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 ただし、本当の関宿城はここではなく、500mほど離れた場所にあったようで、明治以降の河川改修で既に遺構は残されていない。ので、関宿城博物館は「関宿城址公園」ではなく、「にこにこ水辺公園」の中にある。
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 三層の天守閣も、昔江戸城の富士見櫓を模して作ったという記録に沿って、皇居の富士見櫓を模して作ったもの。

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 天守閣に上がってみると、流石に良い眺め。って、周囲には高い建物なんかないので当たり前か。

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 で、二階の展示室まで降りてくると、やってました「コーナー展 醤油ラベルの大集合」。2003年(平成15年)に関宿町は野田市に併合されたのだが、その結果の「醤油ラベル」なんだろうか。

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 ヤマサ醤油やヒゲタ醤油、キッコーマンのラベルなどなど……。

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 千葉県は野田市、銚子市、香取市など3ヵ所他、全国10ヵ所のラベルが集められている。それぞれの地域の醤油の分布なんてのもあります。

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 ということで、野田市関宿からお送りしました。ただし、ここに行くにはクルマか自転車じゃないと無理。まあ、どこかの最寄り駅(ってのも分かりません)からバスってのもあるかも知れないが、多分バスの運行もかなり少ないかも。

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 関宿城博物館の公式サイトはコチラ

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2016年3月12日 (土)

『オクテ女子のための恋愛基礎講座』は結構マトモで真面目

 著者名の「アルテイシア」というのは、「機動戦士ガンダム」のシャア・アズナブルの妹、セイラ・マスの本名である。

 つまり、ガンダム・マニアなわけですね。

Photo 『オクテ女子のための恋愛基礎講座』(アルテイシア著/幻冬舎文庫/2016年2月9日刊)

 で、そのアルテイシアさん。実際には本の表紙の方の方なんだろうか、あるいは昔『月刊OUT』にそのヌード・ピンナップが載ったこちらの方の方なんだろうか。

Photo_2(c)月刊OUT

 まあ、どっちでもいいのだが、原作者兼総監督の富野喜幸に言わせると、「どうせ出すなら・・・(どうせ出すならもうちょっと綺麗に描いてほしかったなあ)」だったそうである。まあ、確かにこのピンナップ、ヘタ過ぎて笑っちゃうレベルだもんなあ。

『問題は自分より強い男に出会えなかったこと。18歳から自立して生きてきたうえ、広告業界でヤクザみたいな客を相手にしてると、どんどんドスがきいてくる。ちっせえことでオロオロしてる男を見ると「しっかりせえや!」と張り倒したくなってしまう』

 とか

『今では恋愛作家・恋愛コラムニスト等、しゃらくさい肩書きをもつ私ですが、出自はコンプレックスをこじらせまくった喪女でした。女子校から共学の大学に進んだ当初は男子とどう接していいかわからず、放送事故のように沈黙を貫いたかと思えば、渾身の自虐ギャグを放って血が凍るほどスベるなど、「挙動不審なブス」を絵に描いたような存在だった。そこから四苦八苦して見た目やコミュ力を向上させ、どうにか恋愛可能になったものの、今度は「ピッタリの1票」に出会えず七転八倒しました。というか五十七転五十八倒しました』

 なんて、ちょっと乱暴な自己紹介をするアルテイシアさんなんだけれど、言っていることは結構マトモで、真面目。

『婚活成功者が勝因として挙げるのは「フル開示」で臨んだこと。フル開示は本命を一本釣りするための基本です。婚活本には「一般受けするプロフィールを作りましょう」とあるけど(趣味は料理やカフェめぐりなど)、それだとザコに無駄モテして時間とパワーを削られるだけで、永遠にマッチングしません』

 とか

『ある夫たちは「奥さんはテキトーでゆるゆるな方がいい、機嫌よく笑顔でいてくれるのが一番だから」と言います。良妻賢母プレッシャーに囚われていると「私はこんなに頑張ってるのに!」と被害者意識や見返り要求が生まれる。それで不機嫌になって夫婦仲がギスギスするなんて、バカらしいではないですか。無理しないと続かない関係はいずれ破たんします。パートナーは無理せず機嫌よくいられる相手が一番』

『個人差はありますが、未婚者ほど「結婚においてセックスは重要」と言い、既婚者ほど「重要じゃない。それより話し合いができるとか、気づかいや思いやりがある方が2億倍重要」と言います。実際、周囲のセックスフルな夫婦はエロくない。「セックスは特別じゃなく日常的な行為」「食事や入浴のような感覚で気軽にやってる」「部屋着や下着もテキトーだし、裸でウロウロしてるけど?」という彼ら彼女ら。そんなふうに肩の力が抜けているから続くのでしょう』

 なんて言うのを読んでしまうと、なんかすっごく真面目な人なんだなあ、と思えてしまうのである。まあ、ちょっと「ウンコ」という言葉が多すぎる位かな。

第一章 自信がない!
第二章 出会いがない!
第三章 付き合えない!
第四章 好きにならない!
第五章 もう若くない!
第六章 幸せな恋ができない!
第七章 セックスをしたことがない!
第八章 女らしくできない!
第九章 結婚できない!

 という九つのケースに分けて、そういう際の考え方について述べています。

 でも、言っていることは実にマトモだし、真面目なんですね。

『オクテ女子のための恋愛基礎講座』(アルテイシア著/幻冬舎文庫/2016年2月9日刊)

2016年3月11日 (金)

日光御成道の一里塚・埼玉編②

 さて、岩槻城で一泊した将軍一行は更に日光御成道を北上。

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 大手門を出た一行が……

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 少し行くと相野原一里塚に行き着く。ただし、塚らしいものはなく、こんな植え込みがあるのみ。このあたり結構な並木道になっているのに、何故か一里塚跡だけがないのはもったいない。

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 下野田一里塚は道の両側に対になって残っている。

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 こちらは立派。ちゃんと説明板もある。

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 下高野一里塚は場所を特定できなかったので、大落利根川治水碑をパチリ。ここから500mほど離れたところらしいのだが、場所はよく分からなかった。

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 などと考えている内に、日光御成道は日光道中(日光街道)に合流する。左が日光道中、右から来るのが日光御成道である。現在の旧国道四号線より少し手前。

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「幸手追分」にはさりげなく「日光道中・日光御成道合流点」の説明板が。

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 このあと将軍一行は古河城に一泊、宇都宮城に一泊して、日光東照宮で詣でるのであります。

 以上で、日光御成道の旅はおしまい。

 今度はどこに行こうかな。

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2016年3月10日 (木)

日光御成道の一里塚・埼玉編①

 ということで、荒川を越えた将軍ご一行は元郷一里塚跡を過ぎる。

 どうもこの一里塚、後ろのビルのオーナーが作ったもののようだ。古峯神社の碑が隣に建っている。

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 そのまま日光御成道をまっすぐに進むと鳩ケ谷宿に入る。

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 鳩ケ谷宿に入る手前、見沼代用水の吹上橋を越えた左右に鳩ケ谷一里塚跡がある。

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 吹上橋を越えて坂を上がって行くと、その途中に御成坂公園という小さな空き地があって、埼玉の人が好きな「時の鐘」とか、「日光御成道のみちすじ」とかの説明板がある。

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 それにしても、鳩ケ谷の人は歴史を大切にしているようで、町の中のそこいら中に「蕨道」「紀伊殿鷹場定杭跡」「千住道」とかいろいろな歴史説明板がある。

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 さらに日光御成道を進むと戸塚一里塚跡。馬頭観音なんかもある小さな公園になっている。

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 この辺に大門一里塚がある筈なんだけれども、ここには一里塚を示すものは何もない。

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 膝子一里塚は昔のまま残っているようで、一里塚の碑の脇には立派な榎木が立っている。

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 岩槻にたどり着くと、あった筈の岩槻区役所がなくなってしまっていて、ついでに岩槻区役所前の一里塚跡もなくなっている。岩槻区役所が移転してしまったためなのであるが、移転先にも一里塚跡はない。う~ん、なんとか一里塚跡だけでも復活できないものなのだろうか。ちょっと残念。

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 将軍ご一行は岩槻で一泊して日光に向かったそうなので、このブログも一旦お休みして、今日はここまで。

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2016年3月 9日 (水)

『サイロ・エフェクト』

「サイロ・エフェクト」って何だ?

Photo 『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(ジリアン・テット著/土方奈美訳/文藝春秋社/2016年2月20日刊)

『本書にはサイロ・エフェクト(効果)にまつわる八つの事例を載せている。ブルームバーグ市長率いるニューヨーク市役所、ロンドンのイングランド銀行、オハイオ州の病院クリーブランド・クリニック、スイスの銀行UBS、サンフランシスコのフェイスブック、東京のソニー、そしてヘッジファンドのブルーマウンテンとシカゴ市警察まで多岐にわたる』

『むしろ本書は、現代社会にはサイロが必要であるという認識から出発している。少なくともサイロがスペシャリストの集まった部署やチームや場所を意味するのなら、まちがいなく必要なものだ。理由は明白である。われわれはひどく複雑な世界に生きており、この複雑さに対処するには何らかの「体系化」が必要だ。しかもデータ量、組織の規模、技術の複雑性が増すなか、その必要性は高まるばかりだ』

『サイロには弊害もある。専門家チームに分けられると互いに敵対し、リソースを浪費することもある。互いに断絶した部署や専門家チームがコミュニケーションできず、高い代償をともなう危険なリスクを見逃すこともある。組織の細分化は情報のボトルネックを生み出し、イノベーションを抑制しかねない。何よりサイロは心理的な視野を狭め、周りが見えなくなるような状況を引き起こし、人を愚かな行動に走らせる』

 うん、つまり本書の第2章のソニーの項でも触れられている、日本流に言わせるところの「タコ壺」化現象ってことでしょう。まあ、日本企業でもそんなタコ壺化の問題はしばしば触れられている問題でもある。

『第二章で取りあげるのはソニーだ。一時は栄華を誇ったが、社内の分裂があまりにも進んだ結果、イノベーションの機会を逸し、衰退した』

『第三章は巨大銀行UBSの物語だ。あまりにもサイロがはびこり、経営層がまったく知らないところでアメリカのサブプライムローン関連証券によって巨大なリスクを抱え込んでしまった』

『第四章はイングランド銀行などで働くエコノミストのような優秀な人々が、心理的な視野狭窄や部族主義のために、二〇〇八年までに金融システムが制御不能になっていくのを防げなかった様子を描いた。数多くの職業分野や組織において、組織の構造だけでなくモノの考え方においてもサイロが継承されており、われわれはその虜になってしまう』

『第五章はシカゴに住む一人のコンピュータ・オタクが大胆なキャリア転換によって職業的サイロを乗り越え、シカゴ警察で画期的な実験をする物語だ』

『第六章ではソーシャルメディア企業であるフェイスブックに注目し、会社という社会における非常に興味深いソーシャル・エンジニアリングを通じてサイロの悪弊から身を守ろうとしている様子を説明する』

『第七章では別の方法でサイロの悪弊を逃れようとした巨大医療機関のクリーブランド・クリニックの事例を紹介する』

『第八章はやや趣を変えて、ヘッジファンドのブルーマウンテン・キャピタルが金融業界のサイロを逆手にとって大儲けした話を紹介する』

 これは面白いなあ。

『ある人のサイロは別の人のチャンスであり、ある組織の損失は別の組織の利益になりうる、ということだ』

 つまり、まさしく……

『トレーディングはゼロサムゲームである、というのは市場の常識だ。損をする者がいれば、必ず得をする者がいるはずである』

 ということなんだなあ。一方で「実買い」をしている他方で「空売り」を仕掛けているのがトレーダーの世界である。そんな時には、これは多分なんだけれども、大きな会社に(つまり、扱う金額量は大きい)属するトレーダーは、まさしく「サイロ」の中からだけ世界を見ているので見える範囲は狭いために、結構損を出すことが多い。一方、小さな会社に属するトレーダーは(扱う金額は少ないかもしれないが)世界全体を見られるので得をする、ってことですね。

 まあ、それは分かる。

 が、しかし、私自身がそんな社員が数千人~数万人いるような企業で勤めた経験がないので、「サイロ・エフェクト」そのものを経験値として理解が出来ないのだ(こりゃ、困った)。

 私の経験上で言ってしまうと、500人位まではその人の名前と顔が一致して覚えられている。つまり、500人までは言葉を交わさなくても、大体どんな人となりなのかは分かっているっていうことなんだ。

 私が勤めていた会社は約1,000人規模の会社で資本金3億円なので、東証二部上場程度の会社である。そうなのか、東証一部上場の会社って、社員規模1万人~数万人以上の会社ってことなんだな。ちょっと、その規模の会社の大きさって想像できない。

 でも、社員1,000人規模の会社だと、勿論私が知らない同僚社員はいるんだが、でも彼が属している部署でどんなことが問題になっているか、どんな理由でその部署が売り上げを上げているかは、大体全社員が共有出来てしまうのであります。まあ、それは「噂話」ということだったり、会議での公式報告がこぼれ落ちて着たりとかの、公式・非公式ルートなんですけれどもね。

 まあ、こういう会社では「サイロ問題」は起きないですね。だって、もっと大きい企業では、そんな「サイロ内部」の問題は、一切外部には漏れないんでしょう。何か問題が起きた場合以外は……。これは怖いな。

 これまで、私は「講談社は東証二部上場程度の中小企業ですよ」っていう言い方で卑下してきたんだけれども、でもそれって逆に、今の時代では幸せなことだったのかも知れない。まあ、給料だけは一部上場企業並みに頂いていましたからね。

 まあ、そういう意味では、私のサラリーマン人生は「良かった」ってことなんですかね。

『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(ジリアン・テット著/土方奈美訳/文藝春秋社/2016年2月20日刊)

2016年3月 8日 (火)

日光御成道の一里塚

 日本橋は五街道の起点である。日光御成道は五街道ではなく、起点は江戸城だったんだろうけれども、取り敢えず初めの方は中山道と一緒の道なので、日本橋を起点と考える。

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 本郷山丁目まで来ると「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という川柳でお馴染みの、江戸時代からある「かねやす」の前に出る。

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 加賀前田藩上屋敷の前を通り……

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 江戸から続く高崎屋という酒屋さんの前が、中山道と日光御成道の分岐点になる「本郷追分」に出る。

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 高崎屋の脇に小さく「追分一里塚跡」という文京区教育委員会の説明板がある。

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 さて、本郷追分を左に曲がると中山道、まっすぐ行くと日光御成道(本郷通り)という訳で、まっすぐ進むと昔の野菜市場である「駒込土物店跡」の前を通る。「駒込は一富士二鷹三茄子」でお馴染みの駒込茄子なんかが出ていたんだろうなあ。

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 で、駒込土物店跡を過ぎるとすぐに吉祥寺の前を通り……

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 川越藩柳沢家の下屋敷を過ぎて……

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 平塚城址前を通ると……

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「西ヶ原一里塚」であります。

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 で、そのまま日光御成道を王子駅の方に右折しないでまっすぐ十条の方へ行くと、赤羽駅の南西側にあったのが「稲村一里塚」なんだが、現在は道路拡張工事中で説明板のようなものは見当たらなかった。拡張工事が終わったらまた説明板は復活するんだろうか。住所は北区赤羽西2-8-19というところ。

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 で、そのまま進んで日光御成道は現在の北本通りになる。で、そのまま行くと荒川に出るちょっと手前のマンションの脇に「岩槻街道岩淵宿問屋場址之碑」というのがあって、日光御成街道の東京部分は終わる。

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 この後、日光御成街道歩きは埼玉編になるんだろうか、ならないんだろうか。それは分かりません。

NIKON Df AF-S NKKOR 50mm f/1.8 G (c)tsunoken

2016年3月 7日 (月)

「文京プレイパーク」って、何だ?

 昨日の日曜日。六義園隣の六義公園で「文京プレイパーク ぐうちょきパラダイス」っていうのをやっていた。

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 覗いてみると、小さい子供たちに紙芝居やお話しをしたり。

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 大工道具を使って何かを作ったり。

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 ベーゴマやけん玉を教えたりなんてことをやっている。

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 で、家に帰って「文京区にプレーパークを作る会 ぐうちょきパラダイス」のサイトを覗いたら。

『六義公園に“子どもの時間” & “子どもの場所” を育てよう 私達は、子どもたちが遊びに遊ぶ姿を地域の方々と共に見守り、共に楽しんでいます。(初回平成25年12月)
(1)公園の禁止事項の一部が取り除かれた遊び場=プレーパークの実現
 文京区の子どもたちが、心と体がよく動く外遊びを通して、より健康に、より人間性豊かに、より考え,より学び合う力を培えるように 現時点では公園、将来的には、廃・休校などを、子どもたちの自ら育つ力に相応した環境へと、地域の方々と共に創り、増やし、守ること。
(2)子どもたちが、プレーリーダーを中心とした地域の人々の賢くおおらかな見守りの中で、遊びに遊び、人間としてたくましくしなやかに育つこと
(3)プレーパークが、「子どもたちが遊んで育つ」喜びと楽しさを,赤ちゃん、幼児、小学生、中学生、高校生、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが共感し合う、未来への希望の場になること
 具体的には 子どもたちの”やってみたい!”を、実現出来る遊び場を創り、増やすこと。
 そこでは、子どもたちが失敗を繰り返しながらも、
・自分たちで相談し、決めながら、夢中になって遊ぶ体験を取り戻す。
・自分たちで創り出す遊び、自然を体中で感じる遊び、全身を動かして自分に挑戦する遊びを取り戻す。
・異年齢の子どもたち同士の関わりを取り戻す。
・安全に対する加減を、子ども自身が取り戻す』

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 じゃあ。プレーパークって何なんだろう。

『冒険遊び場(=プレーパーク)の始まりは、1943年、第二次世界大戦中のデンマーク。造園家ソーレンセン教授が「ガラクタのころがっている空き地や資材置き場で子どもたちが大喜びで遊んでいる」と造った「エンドラップ廃材遊び場」。
 大戦直後、イギリスの造園家アレン卿夫人は、ロンドンの爆撃跡地に冒険遊び場をつくり、世論を喚起して、冒険遊び場運動を隆盛させました。
 1950~70年代には、スウェーデン、スイス、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、オーストラリアにも広がり、現在ヨーロッパ全体では、約1,000カ所の冒険遊び場があります。

 日本では、1970年代半ばにアレン卿夫人の著書『都市の遊び場』が翻訳・紹介され、1979年、世田谷区の大村ご夫妻が呼びかけ人となって、地域住民と行政が協力して≪冒険遊び場≫『羽根木プレーパーク』が誕生。その後、日本全国に広がり、遊び場づくりを真剣に考え始めた大人達のコミュニケーションの輪は、様々な住み良い地域を自分たちで考える力と協働し、広まっています。1990年代後半からは飛躍的に増え、2010年4月現在、NPO法人日本冒険遊び場づくり協会に登録している団体だけでも244件あります。
 東京都でも、子どもたちが健やかに育つために、区民が行政に働きかけ、恊働して、子どもたちが満足する外遊び・自分の責任で遊ぶ場を保障=プレーパークが増え、2014年4月現在都内23区では、目黒・中央・千代田・文京区を除いての19区において、実施又は実績が残されるようになりました。一方、プレーリーダーの不足・育成、運営母体の世代更代、時代の変遷に伴う質の向上等の諸問題を抱え、継続のための課題が多々あります。

 日本のプレーパークの成り立ちの特徴は、「地域住民、とりわけ子育て中の親達が、公園の管理者である自治体や所有者に働きかけ,多くが運営母体としてNPO法人を立ち上げ、運営する」という点です。
 それぞれの地域環境に合わせた自主性ある運営が行われる一方で、市民活動の歴史が浅く根付いていない日本での,プレーパークを始めた初代の親達の子どもたちが育った後の“次代への継続”には、行政のバックアップと共に、地元の企業を含む大人達の精神的・物的両面でのサポートが課題と言えるでしょう』

 ということが、同じく「ぐうちょきパラダイス」に書いてあった。

 まあ、私たちがガキの時にはそんな場所はいっぱいあったけど、今はなかなかそういう場所はないんだろう。

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「ぐうちょきパラダイス」のサイトには文京区への要望が書いてあって。

『公園では禁止されている 木のぼり、水遊び、たき火、穴掘り、秘密基地づくりなどの遊びを、子どもたちに取り戻すために、“公園の禁止事項の一部が取り除かれた遊び場=プレーパーク”への理解を求めています』なんてのも、やりたい放題だったけどね。

 まあ、こんなところにも「行政の壁」っていうものがあるんだなあ。

「文京区にプレーパークを作る会 ぐうちょきパラダイス」のサイトはコチラ

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1.8 G @Rikugi Park, Bunkyo (c)tsunoken

2016年3月 6日 (日)

『ふるさとを元気にする仕事』

『コミュニティデザイナーというのが僕の仕事です』

 ん? コミュニティデザインって何だ?

『いま、日本の地域が抱える多くの問題。“シャッター通り”の商店街、少子化の進行で無くなりつつあるこども会などの地域組織、売り上げが思うように伸びない農産物や工芸品などの地域特産品・・・。悩みの形は地域によって様々ですが、「なんとかしなければ」という思いがありながら、なかなかその方法や事例を掴めずにいる現状はどこも同じ。必要なのは、地域の人々の相談にのりながら解決策を一緒に考え、活動をサポートしていける人材がその場にいるということ。
 東北芸術工科大学に日本で初めて設置される「コミュニティデザイン学科」は、地域の課題に対し、人と人のつながりである、コミュニティという観点から解決に貢献することのできる「コミュニティデザイナー」を育成する場。学科長にコミュニティデザインの分野を牽引する山崎亮氏を迎え、山崎氏が代表を務める『studio-L』と連携を図りながら、コミュニティデザイナーに必要なデザイン・コーディネート能力を習得していきます』

 というのが本書の著者山崎亮氏が教鞭をとる東北芸術大学コミュニティデザイン学科の説明。つまり「地域コミュニティ」をデザインするってわけだ。

Photo 『ふるさとを元気にする仕事』(山崎亮著/ちくまプリマ-新書/2015年12月11日刊)

『農林水産省の報告書(※1)を見ると、一九六〇年以降、約二〇〇〇もの集落が無人化し、消滅してしまいました』

『総務省のデータ(※2)では、日本には六万四九五四の集落があり、その中で六五歳以上の高齢者が住民の半数以上を占める限界集落(共同生活の維持が難しくなった場所)は一万カ所を超えました。住民全員が高齢者という集落も五七五カ所あります。そして、いずれ消滅する可能性のある集落が全国に二三四二カ所も存在すると分析されています』

『一九四〇年代、人口の八割は中山間離島地域に住んでいたのです。それが戦後になって、都市にどんどん人が集まり始めた』

『戦後のモノがない時代は、なによりモノが必要でした。自動車や家電製品などを軸とした工業化が一気に進み、都市部には工場などの生産拠点が次々につくられます。そこでの働き手は主に農村部から集められました。中山間離島地域の次男や三男は「金の卵」と呼ばれて、中学を卒業すると就職するために集団で都市部に集められたのです』

『一九九〇年代には、日本の人口の約八割が都市居住者になりました。わずか五〇年の間に、農村部と都市部との人口比率が逆転してしまったわけです』

 つまり、そんな消滅寸前の「限界集落」を再び元気づけて、外から人を呼び込めるような方法を考えるのがコミュニティデザイナーの仕事だそうだ。

『都市部の人口を地方に分散するという考え方──言い換えれば、ふるさとを変えるという発想は捨ててもいいのではないか?
 大切なのは、日本中のふるさとが元気になることであり、そのヒントはふるさとの中にいくらでもある。だったら、ふるさとが変わればいいのです』

『二〇〇八年から日本の人口は減少に転じました。そうなると、直面するのは「これ以上減ったらどうなるか?」という課題です。その答えを模索し、まさにいま試行錯誤をしているのが、いち早く人口減少時代に突入した中山間離島地域なのです』

『日本の中山間離島地域、全国各地のふるさとは、人口減少時代の最前線なのです。そして、そこにある可能性を探り当て、豊かな未来を創造していく〝楽しみ〟を自分自身の〝生き方〟に重ねることができるのは、この本に興味を抱いたような若い人たちに他ならないのです』

 うん、東京にいると実感できないが、確かに「日本の中山間離島地域、全国各地のふるさとは、人口減少時代の最前線」なんだろうなあ。そんな「ふるさとを元気にする仕事」って面白いのかも知れない。

 3月2日のブログ「なるほど『稼ぐまちが地方を変える』ということですね」でも書いたことと同じことが本書にも書かれているのだ。更にその本でも書かれていた徳島県神山町の例が本書にもか書かれている。

『神山町が、一躍有名になったのは二〇一一年のことです。まちから出て行く人の数(一三九人)を、新たにまちに入ってきた人の数(一五一人)が上回ったのです。人口六〇〇〇人規模の中山間離島地域で、社会動態人口(転入者─転出者)がプラスになるのは希有なケース。この出来事を、地方自治の専門家たちは「神山の奇跡」と呼びました』

 で、そんなコミュニティデザイナーの仕事のやり方ってどうなんだろう。

『課題をお金で解決するシステムが発達し、いたれりつくせりのサービスが続々と登場したことは、暮らす側の人間が主体的に行動を起こす機会を失わせる一因になっていました』

『まちづくりのワークショップの現場でも、文句は言うけれど前向きな意見は何も言わない住民が集まることも多かった。まちを整備する側も、住民の意見を聞くためではなく、一方的に決めた計画を住民に「ご理解いただく」ためにワークショップを利用するケースが出てきていたのです』

『コミュニティデザイン3・0では、そういうプロのやり方が裏目に出てしまいます。「こんなことも知っている」「あんなこともできる」というスキルをストレートに提供すると、「ほな、万事よろしくお願いします」と言って、まちの人たちは自分で考えることを放棄してしまうからです』

『未来に向かうまちを列車にたとえて言えば、僕らがレールを敷いたり、先頭車両になってグイグイ引っ張って行ってはならないのです。一番後ろにくっついて、ときどき押しながら車両全体が前に進むことを支援するのがコミュニティデザイナーの役目。そして、列車が〝自走〟を始め、坂道も力強く登れるくらいになったら、僕らは最後尾からそっと切り離されていけばいい。
 それがコミュニティデザイン3・0に求められるスキルの表現だということを、僕自身もいろいろなまちと、まちの人たちとの関わりの中から学んだのです』

 山崎氏はコミュニティデザイナーをよそからやって来た「風の人」、まちの人を「土の人」と呼んでいるが、結局は「土の人」が積極的に動かないとまちは変わってはいかないんだなあ。

 そんなコミュニティデザイナーになりたいという若い人が増えているのなら、そんなにたのもしいことはない。

 でも、そうなんだろうか?

『ふるさとを元気にする仕事』(山崎亮著/ちくまプリマ-新書/2015年12月11日刊)

2016年3月 5日 (土)

講談社の決算・デジタル関連が121億円に

 講談社の第77期(2014年12月~2015年11月)の決算発表記事が「出版界唯一の専門紙『新文化』3月3日号に掲載されている。

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 売上高は1168億1500万円(前年比1.9%減)、当期純利益は14億5400万円(同47.2%減)という、減収減益決算だった。

 売上高の内訳は、「雑誌」678億2000万円(同5.8%減)、「書籍」175億6700万円(同17.7%減)、「広告収入」48億1100万円(同13.6%減)、「事業収入」218億5400万円(同34.8%増)、「その他」16億900万円(同90.6%増)、「不動産収入」31億5100万円(同1.5%増)というもの。「事業収入」の内訳は、「デジタル関連」が121億円(同43.4%)、「国内版権収入」が66億円(同12.6%増)、「海外版権収入」は30億円(同64.3%増)。

 1600億ほども売上高があったバブル期に比較してもかなりの落ち込みではあるが、まあ、赤字決算ではなかったところは幸いか。

 ポイントは121億円というデジタル関連の収入。講談社では売上高の10.35%となっているが、業界全体では昨年1年間の売上げでは紙の出版物が1兆5220億円、電子出版が1502億円と8.98%にとどまっているところを見ると、やはり電子出版に積極的に取り組んできている講談社と、まだまだ電子化・デジタル化が伸長していない業界全体との差がどんどん拡がってくるようだ。

 講談社は『講談社が中国で衣料展開 現地企業にライセンス供与』という記事が昨日の日経新聞に掲載されていた。

 記事は『講談社はアジアを中心に海外事業を拡大する。日本の人気女性誌に関する包括的なライセンスを現地企業に供与。雑誌発行だけでなく、衣料品など雑誌のブランドを生かした関連商品まで事業範囲を広げる仕組みを取り入れる。スマートフォンなどで手軽に手に入る情報との競合もあって、国内の出版各社は苦戦が続く。中国を始めとしてアジアの若者に高い人気を持つ女性誌を生かしてロイヤルティー収入を増やし、収益源に育てる』というもの。

『新たな事業拡大策として、ViViなどの中国展開について、香港株式市場に上場するダフネ・インターナショナルと包括提携した。これまでの現地企業との提携は日本で発行する雑誌の翻訳出版が中心だったが、ダフネはViViブランドを使って幅広い事業を始める。
 まず、3月中に「ViVi美眉(ヴィヴィメイメイ)」と名付けた新たな中国版ViViを創刊。ダフネは提携に先駆けて雑誌制作などを手掛ける子会社を設立しており、日本版の翻訳記事と現地の記事で構成する雑誌を出す。電子版も展開するほか、イベントやSNS(交流サイト)で情報発信していく。
 さらに、ダフネは「ViVifleurs(ヴィヴィフルール)」というブランドで、衣料品や雑貨なども製造・販売する。中国本土などにある約6000の店舗網を通じて販売するほか、中国のネット通販大手のアリババ集団が運営する仮想商店街への出店も検討する。
 講談社は新たな中国版ViViの編集のほか、衣料品や雑貨などの企画にも協力する。ダフネは2018年に一連の事業全体で100億円以上の売り上げを目指す。講談社は最低限の保証額に売り上げの一定割合を上乗せしたロイヤルティー収入を得る。
 今回の雑誌ブランドを生かした新たな取り組みが順調に進めば、ViVi以外の雑誌でも同様の仕組みを取り入れる可能性もある』という。

 まあ、もともと出版以外の収入源を以前から探していた講談社である。雑誌をブランド化し、その雑誌から生まれたブランド商品からロイヤリティを得るというのはアリなんだろう。

 勿論、そんなビジネスができるのも早くから中国に進出していたからであり、今や中国における「ViVi」「with」「VOCE」などのブランド価値は相当高いものになっている。今回は、それをさらに進めてブランド商品までを手掛けるというのだから、これは期待できるだろう。

 アメリカで「PLAY BOY」などがブランド化して、雑誌ビジネス以外の分野でもお金を稼いでいる状況は知っていたが、日本ではなかなか成立しなかったビジネスでもある。結果として、中国に行ってやっとそんなビジネスが花開いたともいえ、これは今後とも目が離せない動きだろう。

「新文化」の公式サイトはコチラ

2016年3月 4日 (金)

日本の海岸線をゆく

「往く」=「ゆく」つながりではないけれども……。

 JPS(公益社団法人日本写真家協会)創立65周年記念写真展『日本の海岸線をゆく 日本人と海の文化』という写真展が池袋の東京芸術劇場ギャラリー1・2で開催中だ。

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 展示は「東京湾岸、房総をゆく」「三陸沿岸、東北をゆく」「北の海をゆく」「日本海をゆく I」「日本海をゆく II」「瀬戸内をゆく」「西の海をゆく」「南の海をゆく」「黒潮をゆく I」「黒潮をゆく II」の10テーマがギャラリー1で、東日本大震災とその後を撮った「震災、その後」がギャラリー2で展示されている。

『日本写真家協会では、これまで写真を通して記録と表現の両面から現代史を概観する数々の写真歴史展を開催してきました。日本写真家協会創立65周年を記念する周年事業の核となる今回の写真展は、日本の海岸線を手がかりに、日本の「今」を見つめ直してみようというものです。ユーラシア大陸の東縁に沿って連なる数多くの島々からなる日本列島とその国土は、東西南北それぞれ3,000キロにも及ぶ広大な領域を有し、それ故、その海岸線は総延長35,672キロ(平成24年・国土交通省)に達し、世界でも有数の延長線です。本展では、その長大な海岸線を辿り、海の風景、漁業や漁港・港湾、工場や工業地帯、更には、祭り、観光、民俗、歴史、史跡など人間の暮らしや営みを通じて、日本人と海の文化をビジュアルに探ります』

 というのがその開催主旨。

 上半身裸で漁師の夫の仕事を手伝う漁師の妻などのかなり古い写真から、現在の祭りや海の仕事の様子など、それぞれの写真家なりの「海」を捉えた写真展なのだ。テーマはそれぞれの写真家によって自由に考えてよいというもの。

 同じ「海」を主題にしても、写真家によって様々な捉え方があって、漁だったり、サーフィンだったり、海の運動会だったり、海の祭りだったり、それは海だけじゃなくて島の祭りだったり、港だったり、イージス艦だったり、島の家だったり、同時に舟の家だったり、遠泳だったり、カラフトマスだったり、サケを食べている熊だったり、タコだったり、タコに絡まれちゃった漁師の妻だったり、海の神事だったり、海のそばの工場群だったり、海を含んだ街の夜景だったり、海岸線を走る電車だったり、海に一番近い駅だったり、海辺に住む人の生活だったり、そんな人たちの子供時代だったり、ただただ海岸線を写しましただったり、中には京都の祇園祭なんてのがあって、「何?」とも思うのだが、あるんですねえ、「鯛」の形をした山車が、なんてのもあり。

 ギャラリー2では東日本大震災とその後の写真展であり、思わず震えがきてしまう写真や、胸が痛くなるような写真も含まれている。

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写真展は巡回展になっていて「東京展」が東京芸術劇場で2016年3月1日~13日、「関西展」が京都市美術館で2016年6月14日~19日、「横浜展」が日本新聞博物館で2017年4月予定、「海外展」がトンガ王国展で2016年9月予定。

詳しくはJPSの「日本の海岸線をゆく」展スペシャルサイト

2016年3月 3日 (木)

東京周縁部を往く・大田区六郷土手

 今日は雛祭りですね、ってこととは何の脈絡もなく「東京周縁部を往く」です。

 今日は京浜急行の六郷土手駅をおりて多摩川の下流を歩く。

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 六郷橋を挟んで川崎のビル群が見える。

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 こちらは建設中の川崎の巨大マンション。

 東京は江戸川と多摩川に挟まれたところにあるので、この二つの川はこのブログでもよく取り上げているのだけれども、この多摩川の河口域はいままで取り上げたことはなかった。

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 それはあまり風景に変化がなくて面白くない、というのが理由だった。

 でも、最近の多摩川河口域ってこんなにってほどマンションが多くなってきているんだ。多摩川の河口域というと町工場ってイメージだったんだけれども、最近は大分変化してますね。

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 この屋上屋を重ねた4階ってなんか違法建築みたいだなあ。

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 なんて歩いていると、こんな風景に出くわす。う~ん、懐かしい。

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 って歩いているうちに、産業道路が通る大師橋……

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 首都高速の橋をくぐると……

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 もうそこは多摩川河口、世界で4番目に忙しい羽田空港なのであります。

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NIKON DF AF-S NIKKOR 50mm f/1.8 G @Tama River, Ota (c)tsunoken

2016年3月 2日 (水)

なるほど『稼ぐまちが地方を変える』ということですね

『地域を元気にしていこうという取り組みは、極めて公共的なものですが、行政の専売特許ではありません。限りある資源を有効活用して事業を運営するのは、民間の得意分野です。右肩上がりの時代が去った今だからこそ、民間が中心となった地域活性化が必要と考えて私たちはいろいろな事業に取り組んできました』

 というのが木下斉氏が一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンスが取り組んできたことだそうだ。つまり、民間として地域(および地域経済)を盛り上げていこうという試み。Photo 『稼ぐまちが地方を変える ~誰も言わなかった10の鉄則』(木下斉著/NHK出版新書/2015年5月31日刊)

 で、『まちづくりを成功させる「10の鉄則」』というのがあるそうだ。

 どんな鉄則なんだろう。

鉄則① 小さく始めよ
鉄則② 補助金を当てにするな
鉄則③ 「一蓮托生」のパートナーを見つけよう
鉄則④ 「全員の合意」は必要ない
鉄則⑤ 「先回り営業」で確実に回収
鉄則⑥ 「利益率」にとことんこだわれ
鉄則⑦ 「稼ぎ」を流出させるな
鉄則⑧ 「撤退ライン」は最初に決めておけ
鉄則⑨ 最初から専従者を雇うな
鉄則⑩ 「お金」のルールは厳格に

 というもの。

 つまりこれは、小さな企業をスタートアップさせるときの「10の鉄則」でもある。まず、最初から無理して企業の規模を大きくせずに、他人のお金はあてにせず、ごく少なくても良いから大事な仲間と始め、ただし全員の合意よりは個人の判断を優先させ、先にお客の希望を優先し、売上げよりは利益率のこだわり、利益がでたら再投資に回し、最初からどこまでで上手くいかなかったら撤退するということは起業より先に決めておき、利益が出た時の配分も起業の一番最初のまだ利益が出る前に決めておくってこと。

 以上は起業に際しての注意事項なんだけれども、それから一歩進んで『まちを変える10の覚悟』というのもあるそうだ。

『これから事業を共に立ち上げようとする人がマインドセットを変え、「覚悟」を決めるためにまとめたものです。本書で紹介した「10の鉄則」と合わせて活用して下さい』というのでこちらも見てみよう。

1 行政に頼らない
2 自ら労働力か資金を出す
3 「活動」ではなく「事業」としてやる
4 論理的に考える
5 リスクを負う覚悟を持つ
6 「みんな病」から脱却する
7 「楽しさ」と利益の両立を
8 「入れて、回して、絞る」
9 再投資でまち全体に利益を
10 一〇年後を見通せ

 う~ん、こちらもいちいち納得だなあ。

『本来の雇用は、経済活動を通じて生み出されるもので、地域内雇用の基本は外貨獲得産業とそれに関連する産業、そして内需型(地域内消費型)産業の三つで構成されています。
 そしてこれらを率いるのは当然、民間です』

『これからは、現場で取り組んでいる実践者が自ら、政府や学術機関に様々な政策提言をしていくことが重要です。さらにいえば、提言だけではなく、現場で実証を示すところまでやる必要があります。前述の道路使用規制緩和につながった実証実験はその一例ですが、民間が実証し、問題解決策を考え、それを政策として提言していくことで、規制緩和につなげる。このような方法を、地域活性化のあらゆる分野で、最先端の現場の実践者たちが行う時代が既に到来しています』

『これからの時代には、「民間には高い公共意識」、「行政には高い経営意識」が求められているのです』

 というのが本書の結論。

 要は、アメリカでは「街づくり」の主体は不動産オーナーだというのだ。つまり、『現地で不動産オーナーと話をすると、誰もが積極的に地域に投資をしている。それはなぜかと言えば、「自分の資産価値を高めるため」だと即答。「まちづくりは自分たちのアセット・マネジメント(資産運用)だ。だからこそ行政ではなく、まずは不動産オーナーである自分たちが連携して投資をするんだ」』とのことである。更に、『さらにアメリカで驚いたのは、地域の公園や学校の校庭でさえ、住民たちがつくっていたことです』『当地では、小学校を新設する際には、その学校区が「エデュケーショナル・ディストリクト(教育特別区)」に指定されて、そこの住民が開発費用を負担する仕組みになっているのです。つまり、建設費が高くなるほど、住民みんなの負担が重たくなる。そのため、絞れるものは出来るだけ絞りたい。とはいえ校舎を手作りするわけにいかないので、せめて校庭ぐらいは自分たちでなんとかしようとなったわけです』

 ここまで来ると、まさしく「ビックリポンだすなあ」。

 やはりまず地域コミュニティというものを一番に考えるアメリカ人らしい思考があって、そのコミュニティを高めるためには、その地域の資産価値を上げなければ(あるいは守らなければ)ならない。そのためには行政に頼らず、まず自分たち民間の力で動こうというのがアメリカの草の根民主主義なんだなあ。

 この辺は何事も「お上」に頼る日本との大きな違いで、その結果、アメリカと日本では政府や地方公共団体の「街づくり」に関して投資する金額が全然異なるそうだ。

 そりゃそうだよね。自分たちが住む街が住みやすい街になるためには、まず自分たちが動かなければならないってのは、当たり前のことではあるし、それで最大の恩恵にあずかるのが自分たちなんだもんね。

『稼ぐまちが地方を変える ~誰も言わなかった10の鉄則』(木下斉著/NHK出版新書/2015年5月31日刊)

2016年3月 1日 (火)

佐倉城(址公園)って、なあんだそうだったのか

 去年の10月1日に「千葉城? ……亥鼻城? ったって何よ?」 なんてことを書いたので、千葉県にはロクな城はないと思ってしまった貴方のために、今日はちゃんとした城(址)のご紹介。

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 それが佐倉市にある佐倉城なのであります。

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「佐倉城大絵図」にある通り、結構ちゃんとした城だし、結構スケールも大きい。

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 土塁に囲まれたこの広々とした場所が本丸址。正面には天守址がある。

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 これが天守址。

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 天守址の上から(登れます)本丸址を見る。かなり広いのが分かる。

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 土塁の他にもかなり深い空堀も掘られていて、江戸時代の城の割には結構「砦」的な要素も多い。

 城は佐倉市の高台にあり、城の西側には鹿島川、南側には鹿島川と合流する高崎川があり、北側には印旛沼という天然の要害にも恵まれている。

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 城主の堀田正睦は徳川幕府の老中首座にまで上り詰めた人で、幕末の尊皇攘夷か開国かでもめていた時期には開国派に属した、開明的な人だったそうだ。

 明治になって、佐倉城は取り壊され、陸軍歩兵第2連隊、後に歩兵第57連隊の駐屯地になった。

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 っていうか、要は歴史民俗博物館が佐倉城址公園にあるんですよね。っていうか、前に歴博に行った時には城址公園のことなんか全然知らなかったなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1.38 G @Sakura (c)tsunoken

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