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2016年2月27日 (土)

『新聞社 破綻したビジネスモデル』のなるほど

 マスコミを「メディア論」的に見て行くか、あるいは「企業論」として見て行くかでは、まったく異なった結果、異なった視点が生まれる。

 著者の河内孝氏は元々は記者出身だが、その後経営者として営業部門を担当しただけあって、記者だけの視点でないところが流石ですね。

Photo 『新聞社――破綻したビジネスモデル』(河内孝著/新潮新書/2012年2月24日刊)

 まずは事業規模から。

『日本の新聞産業は通信社を含め全国に一一二社、従業員は、およそ五万三〇〇〇人。一年間に三七六万トンの新聞用紙を使い、毎日五二五六万八〇三二部の朝夕刊、スポーツ紙を生産し、販売店に運びます。販売店は五〇三八万軒の家庭と、六三五万ヶ所の事業所に朝夕、新聞を戸別配達している。その販売店舗数は二万八六五、そこに働く人は約四四万人(ちなみに全国のコンビニエンス・ストアの数は約四万三〇〇〇店、郵便局はおよそ二万五〇〇〇ヶ所)。新聞産業全体の年間売上は、およそ二兆四〇〇〇億円になります(日本新聞協会二〇〇五年調べ)』

 出版業界の売上げ1兆6000億円、書店数14,000軒、出版社の数3,500社とは比べ物にはならないが、「新聞産業全体の年間売上は、およそ二兆四〇〇〇億円」というのは思ったよりは少ないイメージはある。まあ、「従業員は、およそ五万三〇〇〇人」というところが、まあ新聞記者がエリート然としていられる理由かな。

『この本の中で自分に問い続けてきたのは、「新聞が読者の信頼を失ってきた原因は、新聞が読者の声に耳を貸さず(自らの)企業利益主義を『プレスの自由』という言葉で説明してきた傲慢とすり替えの論理にある」(ミッシェル・マクラレン、米ノースウエスタン大・メディア倫理)──という分析が、日本の新聞界にもあてはまるのかどうか、ということです』

 つまり、単なる企業論理でしかないものを、あたかも「報道の自由」を担保にした判断・行動のように振るまってしまうというのは、つい最近の消費増税の際の軽減税率問題なんかが典型的な例かも知れない。

 基本的なことを言ってしまうと、日本における新聞とテレビの系列下という、よその国では見られない状況なのだ。

『全国紙四社とテレビ四系列(毎日が現在保有するTBS株は一%以下で、資本関係は希薄)の一体化が終わった次は、キー局とローカル局、キー局と衛星放送という具合にテレビ事業者間の資本関係、経営権の調整に比重が置かれるようになってきたのです』

『マス排原則で真に守るべきは何だったのか。新聞社員であった私が言うのは変ですが、「新聞とテレビの経営分離」、つまり「言論の独占防止」に絞って厳格に運用する。あとは原則自由として柔軟に運用してゆけばよかったのではないでしょうか』

『五七年の田中角栄による大量免許認可以降も、新聞に大きな貸しを作りながら、新聞主導のメディア一体化、系列化の完成に手を貸していきます。それが結果的に、日本のテレビ事業を世界に類を見ない歪んだものにしてしまったのです』

『しかし、メディア間の本質的な問題、例えばテレビ局とIT企業の間に対立関係が生じれば、新聞は必ずテレビの側に立ちます。ライブドアによるフジテレビ株、楽天によるTBS株の買占め劇のときの新聞報道を思い出してください。従軍慰安婦をめぐるNHKの番組制作に政治介入があったとする朝日新聞の報道と、その真偽についての検証もわけの分からぬままで終わりそうです。  新聞販売のタブーと同じ構図なのです。テレビ、新聞、広告代理店。みんなで作る護送船団に対する批判や論評、あるいは挑戦は無視するか排除する。こうした精神構造と行動論理が、マスコミだけでなく、結果的に知らされない国民の正しい判断をいかに阻害し、建設的な相互批判を妨げているのか……』

 アメリカではマスメディアの集中排除という考え方が徹底していて、新聞社がテレビ局を持つことは許されない。

『米国で、テレビ局に電波利用税を課すという政府方針が出された際、アメリカの有力新聞社は筆を揃えて支持しました。さらに賛成派と反対派の言い分を紙面上、画面上で活発に戦わせました。お互いの資本が切り離されていたからこそ、出来たのです(もっとも米国の新聞社もラジオ局の兼営は認められています)』

 それが日本ではこうだもんなあ。

『新聞資本と結びついた民放キー局と、巨大なNHKで構成された二元体制。衰退の途にある新聞産業は、今後ますます「総合メディア」の名のもとにテレビ経営に軸足をシフトして行くでしょう。しかし、竹中懇が示唆した道は、岡村の言う「護送船団」にとっては由々しきことです。仲良しクラブにハゲタカやマムシが入ってくるというのですから』

『小泉内閣のIT戦略本部、規制改革・民間開放推進会議が(現場の)実態にあわせて番組の制作(ソフト)と、放送(ハード)を分離しようとした動き(具体的には委託放送免許と受託放送免許の分離)に対してNHK、民放連、新聞協会が一斉に反対の狼煙を上げたのは、なりふり構わず既得権を死守するためでした』

『しかし、メディア間の本質的な問題、例えばテレビ局とIT企業の間に対立関係が生じれば、新聞は必ずテレビの側に立ちます。ライブドアによるフジテレビ株、楽天によるTBS株の買占め劇のときの新聞報道を思い出してください。従軍慰安婦をめぐるNHKの番組制作に政治介入があったとする朝日新聞の報道と、その真偽についての検証もわけの分からぬままで終わりそうです。
 新聞販売のタブーと同じ構図なのです。テレビ、新聞、広告代理店。みんなで作る護送船団に対する批判や論評、あるいは挑戦は無視するか排除する。こうした精神構造と行動論理が、マスコミだけでなく、結果的に知らされない国民の正しい判断をいかに阻害し、建設的な相互批判を妨げているのか……』

『佐藤俊樹東大助教授は、「新聞の言葉は腐食し始めている」として、こう述べています。
「少数の全国紙プラス一県一紙という形態の原型が出来たのは、戦後ではない。三〇年代後半から四〇年代にかけてである。民主化の産物ではなく、戦時体制の産物なのだ。(中略)そういう意味で言えば、今日の新聞が迎えているのは戦後の終わりではない。戦時体制の終わりにすぎない」』

またしても出てきましたね「戦時体制」という言葉。多くの規制がこうした戦時体制の名残だったりするのなら、もはやそんな体制はすべて壊してしまうしかないじゃないか。

『新聞社――破綻したビジネスモデル』(河内孝著/新潮新書/2012年2月24日刊)

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