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2016年2月20日 (土)

澁谷城跡は金王八幡神社

『脱いでみた』を見た日、その後明治通りの並木橋交差点から青山方面へ坂道を上がって行くと、左手に金王神社というのがあるのだが……

Dsc_00092

 その社の脇になんか石が置いてある。

Dsc_00112

 よく見ると「渋谷城 砦の石」と書かれているではないか。

Dsc_00162

 説明書きを読んでみると「この辺り一帯の高台は、平安時代末期から渋谷氏一族の居館の跡で、東に鎌倉街道(現 八幡通り)、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷を有し、さらに数箇所に湧水があるという好条件を備えていました」とある。

Dsc_00163

 つまり、ここ金王八幡宮は元々は「渋谷城」だったという訳。

 金王八幡神社のホームページには

「桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山では?)に納め八幡宮と崇め奉りました。
 武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍300騎余を従え1番で参向し、仙北金沢の柵攻略しました。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請しました。
 重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とししました。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されています」

 と書かれている。

 なるほどなあ、江戸時代に入ってからは江戸の城と言えば江戸城だけになったが、中世の群雄割拠の時代には江戸にも城が沢山あった訳だ。

 調べて見ると東京23区の城跡は62もあるそうだ。何となく、中世の城っていうと、江戸の北西部(つまり北区とか板橋区、練馬区)の方にあって、あまり江戸中心部の城には注目してなかったんだが、ちゃんとあったんですね。

 つまり渋谷にあったっておかしくないということになる。地形的にも城を作りやすいところだしね。練馬や板橋の城跡はたくさん見てきたけど、都心の城跡というのもあったんだなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1.8 G @Shibuya (c)tsunoken

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