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2016年2月

2016年2月29日 (月)

『ソニーをダメにした「普通」という病』を読んで、やっぱりねってことですかね

「「出る杭の杜」っていう出版社は聞いたことがなかった。ということは自ら「出る杭」ということをキーワードにしている、著者の横田氏自身の会社、っていうか自費出版なのかなあ。

Photo 『ソニーをダメにした「普通」という病』(横田宏信著/出る杭の杜/2016年2月1日刊)

 横田氏ってどういう人なのかって言えば……。

『1958年 埼玉県川口市生まれ、久喜市育ち。 実家は川口のネジ工場。

 慶應義塾大学経済学部卒業後、ソニー株式会社に勤務。 「出る杭」歓迎であった成長期のソニーの中でもひときわ「出る杭」ぶりを発揮、 英国ソニー赴任期間中には、多国籍有志連合を結成して自らの企画を勝手に推進、 世界に先駆けて、ソニーでも初の本格SCM(Supply Chain Management)革新を 成功させた。

 ソニー退職直後の起業に失敗するも、その後は、外資系大手のIT会社やコンサル ティング会社の要職を歴任。
 Big-5と呼ばれた世界5大会計事務所系コンサルティング会社の内、PwCコンサル ティング(現IBM)ではシニアディレクター、CGE&Y(現、NTTデータ系のクニエ) では、コンサルタントとしての最高職位であるヴァイスプレジデントに就任。
 NHKの特番で取り上げられた成功プロジェクトの実績も持つ。

 2004年に独立。企業やコンサルティング会社、学術機関へのコンサルティング活動に加え、 講演活動も活発化させる。

 大前研一率いるビジネス・ブレークスルーの番組講師も務める。

 2014年からは、日本の製造業大復活に本気なコンサルティング会社、O2(オーツー) のプリンシパルも務める。』

 う~ん、そうか今はリクルート出身の結構面白そうな人が多いのだが、ソニーからもそんな人が出てくるのかなあ。まあ、両方ともある時期「尖がっている人」が多い会社だったもんなあ。

 まあ、そんな自分の所属していた企業が「尖がって」いた時期に所属していた時代に比較すると、今現在のその企業の「尖がり具合」がなくなってしまったという風に見えて、ある種不甲斐ないという気持ちなのかもしれない。でも、それは企業の成長時代と中庸時代と下降時代っていうものがあって、そこから衰退に行くのか再成長にいくのかは、その時の経営者次第の問題であって、やむを得ない企業の成長・衰退傾向ではあるのだけれどもね。

 まあ、そこがソニー在職経験のある横田氏にとっては「不甲斐ない」とか「歯噛みする」という思いとなって、こうした本を出したのだろう。

『私が入社した頃のソニーの組織は、世間からよく「カオス(混沌)」的な組織だと揶揄されていた。
 直属の管理職の言うことは聞かないくせに他部門の尊敬する管理職の言うことなら聞く奴、逆に、他部門のメンバーをまるで自分の部下であるかのようにコキ使う管理職など、ざらにいた。
 明らかに当事者部門ではない部門の、しかも責任者でもなんでもなく、ただのペーペーの本質的な判断が当事者部門で尊重されることも頻繁にあったから、外部の取引先から見ると、一体どこの誰が物事を決めているのかさっぱり分からないといった局面も多かったに違いない』

『かつて、「ソニー・モルモット論」が巷を騒がせた。先駆的な商品を次々と生み出す小さなソニーは、その模倣品を繰り出しては、結局のところ体力差で市場を奪ってしまう大きな会社に貢献する存在、との論である。同業大手にとって、結果論的に、ソニーは小さなモルモット、というわけだ』

『ソニーは、世界の実験台であったのだ。
 そしてそのことが、世界中の先駆的なノウハウや技術にどこよりも早く触れる機会を、どこよりも多くソニーにもたらし、商品の差別化を大いに助け、ソニーの経済的な成長を側面から支えてきた』

「AIBOやQRIOの家庭用ロボット事業は、その先駆性において、ソニーが「大きなモルモット」であることを示し得るものである』

『おそらくロボットは、技術的にハードとソフトの融合物の頂点に立つものだ。今後、あらゆるハードは、ソフトとの融合を進めて、どんどん「ロボット化」していく。  そして、ソニーのAIBOやQRIOは、その先駆けとしての存在感を充分に持つものであった』

 が、そのソニーが今や『ソニーの連結子会社は、900社を超える。一時は1,000社を超えていた。2006年3月期においても、日本企業として最多である。
 参考までに、世界最大の自動車メーカーの座が目前のトヨタで約500社、多種多様な事業を営む総合商社で最多の住友商事でも約600社だ』という大企業になってしまったんだなあ。となれば当然、そこには一種の「大企業病」とでもいうような「高学歴社会」とか「前例踏査主義」とか、といった企業の高度成長を阻む問題が必ず起きてくる。これは、ソニーよりもっと大きいパナソニックなんかでも大きな問題になっていることなのだ。

 今、パナソニックではそんな問題を何とか解消しようとして一生懸命になっているところのようだ。

 今現在のソニーに対して、著者は……、

『現経営陣の下、カンパニー制が廃されて事業本部制に戻り、株主を強く意識した経営指標であるEVAは捨てられた。そこには、現経営陣の、本社機構の資本家モードからの脱却指向が読み取れる』

 と期待している。

 まあ、私は別に(今になってしまっては)それほどソニーに期待している訳ではないが、でもあのウォークマンを出した頃のソニーには戻って欲しいとは考えている。

 だってさあ、あれだけ「画質はβマックス」って言われて、その当時は私もソニー派だったんでβマックスのビデオデッキを買ったのに、なんでVHSに負けちゃうのよ、っていう口惜しさがあったんだからね。

 まあ、ウチのカミさんに言わせれば、「アナタはβマックスとアップルで2連敗ね」ってなところですけれどもね。

 う~ん、なんとか挽回してくださいよソニーさん。

『ソニーをダメにした「普通」という病』(横田宏信著/出る杭の杜/2016年2月1日刊)

2016年2月28日 (日)

「江戸三大閻魔」って、知ってた?

「江戸三大閻魔」というのがあるのだが、貴方は知っていました? 私は知らなかった。

 で、ある日巣鴨のとげ抜き地蔵さんの前の道を歩いて説明板を見ていたら、西巣鴨に「江戸三大閻魔」のひとつがあるって書いてあるので早速行ってみた。

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 西巣鴨の都電の踏切を渡って、お岩様のお墓がある妙行寺の隣。天台宗善養寺(豊島区西巣鴨7-8-25)のご本尊が閻魔大王なのであります。

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 本堂を覗いてみると、おおっ怖っ、閻魔様が鎮座していますな。

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 次は高円寺の五日市街道の入り口近くにある天台宗華徳院(杉並区松の木3-32-11)。

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 こちらは本堂は閉じられていて閻魔様は見られない。多分、ご開帳の日が決まっているんだろう。ちょっと残念。

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 三つめが昔の内藤新宿の宿場があった場所の裏にある浄土宗太宗寺(新宿区新宿2-9-2)。

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 ここは結構大きなお寺で、ちゃんと閻魔堂というのがあって、閻魔様を見ることができます。本堂じゃないってことは、ここのお寺のご本尊は閻魔大王じゃないってことですね。でも、この閻魔様も怖い! やっぱり地獄の最後の裁判長なんですねっ。

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 太宗寺にはその他にも不動堂には新宿山の手七福神の布袋尊像があったり……、

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 塩地蔵があったり……、

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 江戸六地蔵の一つ、銅造地蔵菩薩坐像なんてのもあります。

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 さすがにこの地に寛文8年(1668年)の開山された古いお寺だけのことはあります。

 他の二つのお寺は、両方とも他の地からわけあって移って来たものです。

 う~ん、しかし日本人ってなんでそんな風に「三大なんちゃら」が好きなんだろうなあ。

FUJIFILM X10 @Nishi-Sugamo, Toshima, Matsunoki, Suginami, Shinjuku (c)tsunoken

2016年2月27日 (土)

『新聞社 破綻したビジネスモデル』のなるほど

 マスコミを「メディア論」的に見て行くか、あるいは「企業論」として見て行くかでは、まったく異なった結果、異なった視点が生まれる。

 著者の河内孝氏は元々は記者出身だが、その後経営者として営業部門を担当しただけあって、記者だけの視点でないところが流石ですね。

Photo 『新聞社――破綻したビジネスモデル』(河内孝著/新潮新書/2012年2月24日刊)

 まずは事業規模から。

『日本の新聞産業は通信社を含め全国に一一二社、従業員は、およそ五万三〇〇〇人。一年間に三七六万トンの新聞用紙を使い、毎日五二五六万八〇三二部の朝夕刊、スポーツ紙を生産し、販売店に運びます。販売店は五〇三八万軒の家庭と、六三五万ヶ所の事業所に朝夕、新聞を戸別配達している。その販売店舗数は二万八六五、そこに働く人は約四四万人(ちなみに全国のコンビニエンス・ストアの数は約四万三〇〇〇店、郵便局はおよそ二万五〇〇〇ヶ所)。新聞産業全体の年間売上は、およそ二兆四〇〇〇億円になります(日本新聞協会二〇〇五年調べ)』

 出版業界の売上げ1兆6000億円、書店数14,000軒、出版社の数3,500社とは比べ物にはならないが、「新聞産業全体の年間売上は、およそ二兆四〇〇〇億円」というのは思ったよりは少ないイメージはある。まあ、「従業員は、およそ五万三〇〇〇人」というところが、まあ新聞記者がエリート然としていられる理由かな。

『この本の中で自分に問い続けてきたのは、「新聞が読者の信頼を失ってきた原因は、新聞が読者の声に耳を貸さず(自らの)企業利益主義を『プレスの自由』という言葉で説明してきた傲慢とすり替えの論理にある」(ミッシェル・マクラレン、米ノースウエスタン大・メディア倫理)──という分析が、日本の新聞界にもあてはまるのかどうか、ということです』

 つまり、単なる企業論理でしかないものを、あたかも「報道の自由」を担保にした判断・行動のように振るまってしまうというのは、つい最近の消費増税の際の軽減税率問題なんかが典型的な例かも知れない。

 基本的なことを言ってしまうと、日本における新聞とテレビの系列下という、よその国では見られない状況なのだ。

『全国紙四社とテレビ四系列(毎日が現在保有するTBS株は一%以下で、資本関係は希薄)の一体化が終わった次は、キー局とローカル局、キー局と衛星放送という具合にテレビ事業者間の資本関係、経営権の調整に比重が置かれるようになってきたのです』

『マス排原則で真に守るべきは何だったのか。新聞社員であった私が言うのは変ですが、「新聞とテレビの経営分離」、つまり「言論の独占防止」に絞って厳格に運用する。あとは原則自由として柔軟に運用してゆけばよかったのではないでしょうか』

『五七年の田中角栄による大量免許認可以降も、新聞に大きな貸しを作りながら、新聞主導のメディア一体化、系列化の完成に手を貸していきます。それが結果的に、日本のテレビ事業を世界に類を見ない歪んだものにしてしまったのです』

『しかし、メディア間の本質的な問題、例えばテレビ局とIT企業の間に対立関係が生じれば、新聞は必ずテレビの側に立ちます。ライブドアによるフジテレビ株、楽天によるTBS株の買占め劇のときの新聞報道を思い出してください。従軍慰安婦をめぐるNHKの番組制作に政治介入があったとする朝日新聞の報道と、その真偽についての検証もわけの分からぬままで終わりそうです。  新聞販売のタブーと同じ構図なのです。テレビ、新聞、広告代理店。みんなで作る護送船団に対する批判や論評、あるいは挑戦は無視するか排除する。こうした精神構造と行動論理が、マスコミだけでなく、結果的に知らされない国民の正しい判断をいかに阻害し、建設的な相互批判を妨げているのか……』

 アメリカではマスメディアの集中排除という考え方が徹底していて、新聞社がテレビ局を持つことは許されない。

『米国で、テレビ局に電波利用税を課すという政府方針が出された際、アメリカの有力新聞社は筆を揃えて支持しました。さらに賛成派と反対派の言い分を紙面上、画面上で活発に戦わせました。お互いの資本が切り離されていたからこそ、出来たのです(もっとも米国の新聞社もラジオ局の兼営は認められています)』

 それが日本ではこうだもんなあ。

『新聞資本と結びついた民放キー局と、巨大なNHKで構成された二元体制。衰退の途にある新聞産業は、今後ますます「総合メディア」の名のもとにテレビ経営に軸足をシフトして行くでしょう。しかし、竹中懇が示唆した道は、岡村の言う「護送船団」にとっては由々しきことです。仲良しクラブにハゲタカやマムシが入ってくるというのですから』

『小泉内閣のIT戦略本部、規制改革・民間開放推進会議が(現場の)実態にあわせて番組の制作(ソフト)と、放送(ハード)を分離しようとした動き(具体的には委託放送免許と受託放送免許の分離)に対してNHK、民放連、新聞協会が一斉に反対の狼煙を上げたのは、なりふり構わず既得権を死守するためでした』

『しかし、メディア間の本質的な問題、例えばテレビ局とIT企業の間に対立関係が生じれば、新聞は必ずテレビの側に立ちます。ライブドアによるフジテレビ株、楽天によるTBS株の買占め劇のときの新聞報道を思い出してください。従軍慰安婦をめぐるNHKの番組制作に政治介入があったとする朝日新聞の報道と、その真偽についての検証もわけの分からぬままで終わりそうです。
 新聞販売のタブーと同じ構図なのです。テレビ、新聞、広告代理店。みんなで作る護送船団に対する批判や論評、あるいは挑戦は無視するか排除する。こうした精神構造と行動論理が、マスコミだけでなく、結果的に知らされない国民の正しい判断をいかに阻害し、建設的な相互批判を妨げているのか……』

『佐藤俊樹東大助教授は、「新聞の言葉は腐食し始めている」として、こう述べています。
「少数の全国紙プラス一県一紙という形態の原型が出来たのは、戦後ではない。三〇年代後半から四〇年代にかけてである。民主化の産物ではなく、戦時体制の産物なのだ。(中略)そういう意味で言えば、今日の新聞が迎えているのは戦後の終わりではない。戦時体制の終わりにすぎない」』

またしても出てきましたね「戦時体制」という言葉。多くの規制がこうした戦時体制の名残だったりするのなら、もはやそんな体制はすべて壊してしまうしかないじゃないか。

『新聞社――破綻したビジネスモデル』(河内孝著/新潮新書/2012年2月24日刊)

2016年2月26日 (金)

CP+2016に行ってきた

 日本最大にして唯一の写真機材展「CP+ 2016」が今年もパシフィコ横浜で昨日から開催されたので行ってきた。

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 ニコンブースでは現行デジタル一眼ラインナップとレンズの総合展示。勿論、我がDfもあります。

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 で、こっちもお馴染み望遠レンズの体験展示です。でも、こんなのCP+で行列を作らなくてもショールームに行けば、いつだって体験できるんだけれどもなあ。

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 キャノンブースも最新型EOS-1D X Mark Ⅱをメインの展示。

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 で、やっぱりこちらも長蛇の列の望遠レンズ体験展示。なんで皆わざわざ並んでいるんだろう。

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 リコーブースは勿論、同社初のフルサイズCMOSセンサー付きのペンタックスK-1だし……

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 シグマブースでは、この直前に発表になったdp Quattroシリーズの後継機と思われる、レンズ交換式のsd Quattroが展示。

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 こっちも長蛇の列でしたね。

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 しかし、カメラもデジタルになるとカメラ・メーカーもレンズ・メーカーも家電メーカーも関係なく、カメラを出すようになった。まあ、CEATECでも家電メーカーと自動車メーカーの垣根がなくなってしまったようなイメージがあったのだけれども、やっぱりデジタル化はこうした業界の境目をなくしてしまうんだろうか。

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 といっても、JVCみたいにカメラのショーなんだけれども、木のスピーカーを搭載したステレオを展示してるところもあるんだけれどもね。皆から無視されると思ったんだけれども、そうでもない。まあ、カメラ・オタクの富裕層は同時にオーディオ・マニアでもあるってことなんでしょうかね。

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 写真博物館の展示は、これまではフィルム・カメラばっかりだったんだけれども、今回はデジタル・カメラの展示があった。う~ん、初期のデジタル・カメラってなんか凄いな。とても持つ気にはなれません。

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 今回のCP+で面白かったのは、2階のアネックス・ホールで「CP+中古カメラフェア」を同時開催していること。初日はやっていなかったんだけれども、今日からは開催されます。

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 まあ、CP+自体はもはやデジタルカメラ・オンリーになってしまったんだけれども、こちらではフィルムカメラばっかりでやってますよ、ってことなんだろうなあ。ちゃんとCP+もアナログカメラにも気を配ってますよ、ってところで。

 う~ん、もう一回行こうかな。今度はアネックス・ホールの方だけで。

CP+2016は2月28日まで開催

行くには公式サイトから事前登録をして、公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4 D @Minato Mirai, Yokohama (c)tsunoken

2016年2月25日 (木)

観察映画『牡蠣工場』は「猫に始まり猫に終わる」不思議な映画なんだ

「コネなし議員」のつぎは「ネコ映画」ですって、アレ?

 想田和弘監督の「観察映画」第六弾『牡蠣工場』は白猫のどアップに始まり、ラストシーンも白猫に終わる不思議な映画なのだった。

 白猫は「シロ」と呼ばれているが、本当は「ミルク」という猫だそうだ。首輪が付いているのでノラ猫ではないようだ。

Photo_2 『牡蠣工場』(製作:柏木規与子/監督・撮影・録音・編集:想田和弘)

 舞台は岡山県瀬戸内市牛窓という小さな町。

『西は岡山市、北は邑久町、東と南は瀬戸内海に面している。特に観光業に力をいれており、「日本のエーゲ海」と称している。 また、岡山県有数のマッシュルームの生産地であり、香川県小豆島とならび日本二大オリーブ産地の一つでもある』
『町名の由来:神功皇后が三韓征伐の道中、この地で塵輪鬼(じんりんき=頭が八つの大牛怪物)に襲われたが弓で射殺。皇后が新羅からの帰途、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼になって再度来襲、住吉明神が牛鬼の角をつかんで投げ倒した。この場所を牛転(うしまろび)といい、訛って牛窓になったという。牛窓界隈には、伝説にまつわる浮かぶ島や神社等がある。
 牛窓には、前島・黄島・黒島・青島などの島々が瀬戸内海に浮かんでいる。定かではないが、この牛鬼が滅びた後にこれらの島々に化けたとの言い伝え(伝説)がある。頭は黄島、胴体の前は前島、胴体の後ろは青島、お尻の部分は黒島に化けたと地元では伝えられている』
『主な産業は、農業、漁業、観光業。特に、マッシュルーム、オリーブ、カキの生産が盛んである』

 というのが牛窓という町のWikipediaでの紹介。人工はおよそ7,500人という小さな町だ。本当に小さな町。

 そんな小さな町に、宮城県南三陸町から家業の牡蠣工場が東日本大震災で壊滅的な打撃を受けて、移り住んできた一家がいる。

「やりかたは南三陸と牛窓では同じ牡蠣と言っても全然違う」

 というその人だが、たまにやって来て工場を手伝う、サラリーマンをやっている平野牡蠣作業所の息子が後を継がないというので、その人が後継ぎとなることになった。

 毎朝早く沖合の牡蠣いかだに養殖の牡蠣を上げに行き、大きなカゴ三つを上げると港に戻ってくる。カゴからクレーンで牡蠣を工場に入れると、中で剥き子が牡蠣を剥く。時間は午前7時から午後4時まで、一日中牡蠣を剥く。ひたすら単調な作業、ひたすら単調な作業、ひたすら単調な作業……。

「若い人で牡蠣をやろうとする人はいないのですか?」

 という監督の質問には、はっきりと

「いない、だって3Kだから」

 と答える。

 工場周辺にはお年寄りの姿が多く目につく。

 60数歳の老牡蠣漁民は、幸い息子が後継ぎになってくれるようだが、65歳までは息子に財産(ったって、牡蠣漁船と牡蠣工場位なもの)を継がせると「贈与税」がかかってしまうので、何としてでも65歳までは働くそうだ。体も辛くなっているので、65歳になったらすべての財産を息子に継がせて、自分は年金で悠々自適をするのだろうか。

 でも、この人、今64歳の私から見ても、私よりずっと年上に見えてしまう。何なんだろうか、都会でサラリーマンをしてきた上っ面の年輪の積み重ねよりも、田舎で実業をしてきた重みみたいなものがあるんだろうか。う~ん、よく分からないなあ。

 牡蠣の町、牛窓にはかつて二十軒の牡蠣工場があったそうだが、今は六つの牡蠣工場があるのみ、そこで働く剥き子の大半は地元の女性である。ほとんどがお婆ちゃん。また、その内のいくつかの工場では中国人が働いている。もたないで短期間で帰ってしまう者もいる。そうなると渡航費用や研修費が借金となってしまう。それでももたないで帰ってしまうそうなのだ。やっぱり、そんなにキツい仕事なのかな。

 平野牡蠣作業所にも二人の中国人がやってくることになる。そのためにプレハブの小屋を買う。62万円。やってくる中国人はいい人なんだろうか。長期間持つんだろうか。

 やがて中国人二人がやってくる。

 来た時だけは通訳の女性が一緒にいるので、なんとなくコミュニケーションはとれる。

 通訳が帰ってしまうと、あとは「中国語会話」の本だけが頼りだ。

 電気釜の使い方が分からない中国人に、手ぶり身ぶりで教える。牡蠣を食べたことのない中国人に牡蠣を茹でて食べさせる。それも身ぶり手ぶりである。最初は牡蠣を開いて身を取りだすことも出来ない。大変だな、こうしたコミュニケーションって。少しは中国人も日本語を話せる(でも理解はしていない)のが救いか。

 翌朝は中国人を乗せて牡蠣漁にでる。牡蠣筏から三つのカゴにいっぱいの牡蠣を入れて港に帰ってくる。でも、元々船乗りではない彼らは、「もやい結び」を知らない。それを教えながらクレーン作業をする。当然、牡蠣カゴの場所が変わればもやいを解いて、船を動かし再びもやいを結ばなければならない。でも、それも分からない。

 そうやって少しづつ「船の仕事」を教えて行きながら、いつまでいてくれるのか分からない中国人に仕事を教えなければならない。

 彼らが訪日した本当の目的や、いつまでいるのかといったことはわからない。でも、今は牡蠣漁と牡蠣工場の仲間として教えなければならないことは多い。

 そんな日常が普通に流れている。

 と、まあそんな映画が『牡蠣工場』である。まさに「日常」……。

 あっ、そうか! 映画冒頭の白猫「シロ」と、最後の白猫「シロ」は想田監督の姿を変えた形なのかも知れない。

 やたら人の家に上がりたくなる白猫も、想田監督も同じじゃないか。やたら人の家に上がり込んだり、親しくしたりする想田監督である。それはまるであの白猫みたいに、多少は人が嫌がっていても、でも、親しくなってしまって入り込んでしまう、想田監督の方法論と一緒だ。

 うーむ、そうかそうだったんだ。

 あの、冒頭で出てくる白猫と、ラストシーンで人の家に上がり込んでしまう白猫は、まるで想田監督が「観察映画」と呼んでいるドキュメンタリー映画の手法とまったく同じで、そうやって想田監督は人の家の中に入って行ったんだろうなあ。

映画『牡蠣工場』はシアターイメージフォーラム他で公開中

公式サイトはコチラ

2016年2月24日 (水)

『"20代、コネなし"が市議会議員になる方法』なんだけど、それだけじゃない

 これ面白いなあ。「就活本」としても読めるんだが、本当はマトモな「地方公共団体で議員として活動するには」っていう本なんだ。

 ただし、そのためには「選挙で議員に当選しなければならない」という関門がある訳で、まあ、そのための「ノウハウ本」として読んじゃうって訳だ。

20――1.21人に1人が当選! "20代、コネなし"が市議会議員になる方法』(佐藤大吾著/ダイヤモンド社/2012年9月14日電子版刊・2010年9月30日紙版刊)

『全国地方自治体(市区町村)の前回選挙時の平均倍率は、なんと、1・21倍です(各地方自治体について2010年3月末時点での前回選挙の倍率について調査)。立候補した人の1・21人にひとりが当選した計算です。確率でいうと、82・5%。間違いではありません、名乗りを上げた5人のうち実に4人までもが当選しているのです』

 ってことらしいんだなあ。それはつまり……

『人気企業になるとその数字は跳ね上がり、セブンイレブン・ジャパン300倍、キリンビール260倍、伊藤忠商事110倍といった具合です(就職活動指導塾の「企業受験ゼミナール」調べ)。 本書を手に取ったからには「地元のために仕事がしたい」と思っている人も多いでしょうから、公務員に関しての転職事情について調べてみました。2009年10月に佐賀県が募集した職員募集の「行政特別枠」には、定員3人に対して469人の応募があったそうです。競争倍率は実に156・3倍にもなります』

 私が入社試験を受けた講談社の場合も300倍くらいだったなあ。

『佐賀県の市議・町議になるための倍率は平均1・23倍、最も難関の佐賀市議選でさえ1・66倍、最も倍率の低い江北町議選では1倍(候補者が全員当選の無投票選挙)になっています。つまり倍率で見ると「佐賀県庁に転職するより佐賀市議になるほうが100倍簡単だ」ということになります。自分の能力やスキルを地方のために役立てたいと「行政特別枠」に応募し、結果採用されなかった466人の中に、この事実を知っていた人は何人いたでしょうか』

『なぜ「市議会議員」という責任も名誉もある職業が、かくも低い競争率なのでしょう!? 理由はいろいろ考えられますが、ひとつには「立候補する人」と「選挙に行く人」が半ば固定化していることが挙げられます。毎度立候補する人が同じなら、選挙に行って投票する人も同じ、その結果当選して議員になる人も同じというわけです。別にズルをしているわけではないのですが、これではほとんど〝出来レース〟です』

『東京都新宿区では全人口の16%が20代の若者です。それに対して区議会議員38人の平均年齢は52・8歳で、うち20代の議員は1人(議員全体の0・03%)しかいません。神奈川県藤沢市では全人口の11・2%が20代なのに、市議会議員36人の平均年齢は52・6歳、20代の議員は1人(議員全体の0・03%)です。あなたの住んでいる市区町村に、20代の議員は何人いるでしょうか。全国的に見れば「20代議員が0人」の議会のほうが圧倒的に多いのが実情です。もちろん高齢の議員が年の功で、若い世代にも配慮し、将来への投資を考えた税金の使い方をしてくれれば、文句はありません。ですが、そんな年配議員は多くはありません』

『25歳といえば大学を出て、社会人になって3年目であり、一般的に「第二新卒」と呼ばれ、多くの人が最初に転職を考え始める時期だといわれます。「自分は何を成し遂げたいのか」と考える熱意ある25歳に対して、「議員になって世の中を変える」という選択肢を提案したいと思います。そう考えると選挙は「転職活動」と同じといえます』

 おおそうか、社会人になって3年目って実は一番沢山の人が最初に入った会社を辞める時期なんだそうだ。そういう意味では、そんな途中退社した若者が進む一つの道筋として「市区町村会議員」という選択肢もあるってことなんだなあ。

 おまけに、その議員報酬はその地区の人口や経済動向(つまり税収)によって違うんだけれども、最高は横浜市議会議員の報酬は96万9000円、我が文京区でも59万7000円だそうだから、横浜市は別として一流企業とまでは行かないけれども、その次の企業レベルの報酬は出るんだ。議員報酬の他に「政務活動費」のようなものも出るのだが、これはちゃんと「領収書」をもらわないと野々村神戸県議みたいになっちゃいますね。まあ、サラリーマンの時は「ウソ出張」はないと思いますけど、領収書をいろいろやって、出張費詐欺みたいなことをやったことがあるサラリーマンは多いでしょう。それはやっちゃあいけません。ただし、それは当選した後のこと。

 そのためにはキチンとした自分の地方行政に対するビジョンがないとだめだし、自分が議員になった時には何をしたいのかという明確なビジョンがなければだめだ。

 でも、これって就活の時に書くエントリーシートに書く、「私が入社したらこんな仕事をしたい」「私が入社したら会社にこんな貢献ができる」「私が入社したら会社をこんなところまで伸ばせる」といったような「嘘八百」と同じで、「私が当選したらこの市(区町村)でこんな仕事をしたい」「私が当選したらこの市(区町村)にこんな貢献ができる」「私が当選したらこの市(区町村)をこんなところまで伸ばせる」という「公約」なだけで、その実態は結局「結果を見なければ分からない」というだけのことなのだ。

 結果、当選すれば。取り敢えず4年間は仕事を続けられる筈だし、そこでキチンと頭角を表せば次の選挙も当選するでしょう。まあ、要は地方公共団体の議員って(それは国会議員だって同じだけれども)、何年かに一回、有権者による「査定」を受けるサラリーマンなんだよね。

 なので、この本の面白いところは「就活(転職)」に悩んでいるんだったら、地方公共団体の議員になることもひとつの選択肢ですよ。

 と言いながら実は……

『参政権は基本的人権の根幹の一つです。参政権を「投票できる権利」だと思っている人が多いのですが、本当は「投票する権利と立候補する権利」の両方が揃ってこそなのです。
 1998年、私は「若年投票率の向上」のためにNPO法人ドットジェイピーを設立し、国内初となる議員インターンシッププログラムを実施、これまでに1万人を超える大学生を議員に紹介してきました。
 設立から12年の時を経て、議員インターンシッププログラムの参加者OB・OGの中から27人が、現在議員として活躍しています。その過程で私もたくさんの若者から立候補の相談を受け、実際に選挙にも関わってきました。
 企業で活躍しているにもかかわらずその職を投げ打ち、常に批判の目にさらされる上に、報酬もけして十分とは言いがたい議員という職業にやりがいを感じ、「絶対に変えたいことがある!」という信念のもと、リスクを承知の上で立ちあがってくれる若者にこそ、私はひとりの市民として一票を投じたいと思います』

 というのが結論なのだ。

 まあ、タイトル以上にはちゃんとした本なのではあります。

――1.21人に1人が当選! "20代、コネなし"が市議会議員になる方法』(佐藤大吾著/ダイヤモンド社/2012年9月14日電子版刊・2010年9月30日紙版刊)

2016年2月23日 (火)

『会社という病』という、ちょっとした違和感

『「もっと働け、もっと稼げ!」。経営者は叫び、咤する。だが社員たちは経営者に「WHY?」と疑問を投げかけ、出した答えが偽装だったり不正だったりということなのだろう。
 そんな話を講談社のネクラな編集者と話していたら、突如彼が「まったくもって同感です。なぜ我々の人生は人事とか出世とか査定とか左遷とか会社が勝手に決めた制度や慣習やルールに縛られなければならないんでしょうか。あああ江上さん、会社の病巣を一つ一つ俎上に載せて得意の〝江上節〟で抉ってくれませんか」と興奮しながら一方的にまくしたてた』

 というのが江上氏が本書を書いた理由(多分、ウソ)。

Photo 『会社という病』(江上剛著/講談社+α新書/2016年1月1日刊)

 その「病」とは何なのか? 目次から見ていこう。

人事という病 そんなに偉いか東大卒
出世という病 昇進が常に幸せとはかぎらない
派閥という病 持病として付き合うしかない
上司という病 バカ上司からは逃げろ。または大声で戦え
左遷という病 不本意な異動から開ける道もある
会議という病 この世の会議の9割はムダである(たぶん)
残業という病 それは上司の無能のバロメーター
現場無視という病 ニセモノの「現場重視」に要注意
就活という病 諸悪の根源は「新卒優先」
定年という病 経営者にこそ厳格な定年制を
広報不在という病 「真の仕事」をするほど上から嫌われる役回り
成果主義という病 結局は、経営者の哲学が有るか無いかだ
根回という病 一見、不毛なようでいて意外な利点も
社長という病 会社を生かすも殺すもこの人次第
部課長という病 出世ではなく仕事と向き合えるかが勝負
ハラスメントという病 自省するしか対策のない「完全なビョーキ」
取締役という病 社長に異論を言えないような役員は失格だ!
同期という病 時には同志、時には憎い敵
創業者という病 すべてを失う覚悟もなしに起業するな
先輩という病 地位が逆転する時に歪みが起こる
営業という病 こんなにクリエイティブな仕事はない(でも評価は低い)
経営企画という病 この時代、本当に「経営を企画」なんてできるのか?
査定という病 会社を「人件費削減病」に陥れる元凶だ
数字という病 数字を過信するものはいつか数字に騙される
給料という病 永遠に解決されることのない「適性金額」
新規事業という病 多角経営は日本企業に向いているのか?
ボーナスという病 短期的な利益だけで支給額を決めるな
経理という病 経理部は会社の実態を正確に映す鏡
計画値という病 作りっぱなしでPDCAを回せない日本企業の悪習

 う~ん、こうして見ると「会社という病」は沢山あるんだなあ。

 例えば「②出世という病」なんだが

『人材情報サービス会社「マイナビ」が2012年に実施した調査によると、「どこまで出世したいか」という問いに対し、男性会員345人のうち「部長まで出世したい」と回答したのは22・3%、「課長」15・7%、「取締役」14・1%、「平社員」13・6%、「会長」10・3%という結果が出た。同様の問いに女性会員474人は、「平社員」45・9%、「主任」17・7%、「課長」12・3%、「係長」9・6%、「部長」7・2%と回答している』

 というデータがあるそうだ。

 まあ、確かに出世はしないよりした方が周囲の見えてくる世界が変わってくるので、した方がいいに決まっている。ただし、それは業界によって異なってくるもので、江上氏は銀行(旧第一勧業銀行、現みずほ銀行)出身なので、何にしても「銀行員目線」での言い方になってしまう。

 銀行っていうのは4月に新入社員として入った同期が、3年目で約3割辞めていって、その後も何年かにいっぺん振り落としがあって、子会社や関連会社、取引先への出向があって、最後まで出向とか辞職しないで残った人が役員になって、そこから頭取が残って、最後は相談役などになるっていう「生き残りレース」を繰り広げる社会のようだ。

 ところが、例えば出版社なんかだと、元々オーナー企業が多い出版業界なので、まずオーナー家族以外は社長になれないし、出世をしたくていろいろゴマをする人はいるけれども、そんな人と同時に、出世なんかには一切目をくれずに、「本作り」だけに一生を捧げる編集者なんてものいて、それはそれ周囲からは尊敬の目で見られたりする世界なのである。

 私がいた「ネクラな編集者」がいる講談社にもそんな編集者はいくらでもいた。

 つまり、人間の価値観が「出世」だけではないという世界もある、ということを知ってほしい。

 当然、出世だけが人間の価値観ではないということは、自分の後輩に追い越されて、後輩の部下になるってことも珍しくはない。というか、何を隠そう私がそうだったのであります。

 営業から編集部門に移って、そのままその編集部署で一番古株になってしまったために、、お隣の管理部門で自分が携わっていた編集部署の戦後処理をしていて、最後はまた営業部署に戻ってきた訳だが、その時の私の上司が、私が入社3年目頃に新入社員として入ってきた後輩社員だったって訳。彼は一貫して営業部門にいたし、私はいろいろな部門を渡り歩いてきた人間なので、別に私としてはそんな人事異動に不満がある訳でもなく、そんな話を彼ともしたんだが、やはり彼としては私に対して多少の遠慮はあったようだ。その後も、多少の人事異動はあったんだけれども、常に私の上司は私より年下という状態は続き、そんな年下の上司から私は定年で送り出されたのであります。

『出世にこだわる病は、ほとんどの場合、ある時期が来ればスーッと治ってしまう。それはサラリーマン人生が長くなると、社内での自分の位置付けをはっきり知るようになるからだ。自分の出世の限界が見えてくるのだ。その時期は誰にでも訪れる』

 ということなんだけれども、やはり銀行っていう世界でもそうなんだな。

 私にはそんな「出世にこだわる病」というのは、遂に知らずに済んでしまったんだが、いやいや、私にとって講談社っていう世界は住みやすすぎたんだろうか。

『会社という病』(江上剛著/講談社+α新書/2016年1月1日刊)

2016年2月22日 (月)

Bloomoi Mates Projectって何だ?

 東京建物㈱が作ったマンションのオーナーが会員のBrillia Owners' Clubに入っているからか、あるいは株主だからか、東京建物からリリースが時々届く。

 で、今回は「作り手の思い込みや前提条件にとらわれないからこそ実現した Bloomoi Mates(ブルーモワ メイツ)“理想のリビング空間”を展示~働く女性を幸せに~Bloomoi式“理想のリビング空間の6ポイントを公開」というリリースが来たので、カミさんに話したら、「私は働く女性じゃないけど、興味はある」というので、早速、昨日新宿BYGSビルにあるインテリアショップACTUSに行ってきた。

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『「働く女性がもっと幸せになる住まい」を考える、東京建物のプロジェクト「Brillia Bloomoi(ブリリア ブルーモワ)」』とは東京建物の女性社員が作ったプロジェクト、それと昨年一般公募による女性10名で構成された「Bloomoi Mates(ブルーモワ メイツ)」と共に開発した“理想のリビング空間”がこれ。

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 こんな模型を作って、その通りのリビングを展開。

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 大きめのL字型ソファとか、壁面収納とか……

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 対面式キッチンなど。

 ポイントは六つあって、まずポイント1が「料理の合間なども時間を有効に使いたい、PCや料理のレシピなどを置きたい」ので“Bloomoi Library”、ポイント2が「領収書や診察券など家族の大事なものを、どこか1箇所にまとめておきたい」から“Bloomoi Pocket”、ポイント3が「見せたくないものと飾りたいものを両方オシャレに収納したいし、たくさん仕舞いたい」から壁面収納、ポイント4が「対面キッチンも憧れるけど、動線が少し使いにくいからアイランドキッチン。

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 ポイント5が「外から帰ってきてすぐにバッグやアクセサリー、鍵、時計などを一時的に置ける収納が欲しい」ので“Bloomoi Rack”、ポイント6が「ゆっくりリラックスできるリビングや、+αの空間が欲しい。テレビに向かって足を伸ばしたい」から大型のL字型ソファ。

 というもの。

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 まあ、そうした理想はいいんだけど、実際にやるとなると、なかなか理想通りにはいかないんだよなあ。間取りだって理想通りいかないし……。

 少しは参考になったとは思うけれどもね。

 東京建物のリリースはコチラ

 展示は新宿BYGSビル ACTUS新宿店2階特設スペースにて2月28日まで

2016年2月21日 (日)

『GDP4%の日本農業は自動車産業を超える』

 一週間ぶりの「本」ブログだ、う~ん画期的かな。

『日本の農業と農村に大きな変革の波が押し寄せている。本書では、それを乗り越え、農業が「衰退産業」から「成長産業」に大転換していく様子を、現場からレポートしていく』

 というのが「はじめに」の書き出し。

Gdp4 『GDP4%の日本農業は自動車産業を超える』(窪田新之助著/講談社+α新書/2016年1月1日刊)

「大きな変革の波」とはふたつあって……

『ひとつは、これから始まる「大量離農」だ』

『もうひとつの大きな変革は、「超高齢社会」「田園回帰」「訪日外国人の増加」「CSR(企業の社会的責任)の活発化」といった動きだ』

 ということ。

『実は日本もたびたび離農政策の遂行を試みてきた。だが、欧米と違ってうまくいかなかった。それは農林水産省とJA(農業協同組合)グループ、そして農林族議員でつくる「農政トライアングル」の強い反対に遭ってきたからだ』

『この三者にとってみれば、零細な農家が減ることは非常に困る。日本で最も大きな農業協同組合であるグループにとってみれば、そうした零細な農家の存在は、組織を維持するうえで欠かすことができない。日本の農家は基本的にJAを構成する組合員となっている。組合員である農家は多ければ多いほど事業収入は上がる。
 またJAグループは、自民党に最大の政治力を効かせるため、農林族議員を利用してきた。農林族議員は当選するため、グループに農民票を要求した。同時に官僚を動かしてきた。農林水産省にとっても、農家はたくさんいたほうが、それだけ予算が獲得しやすくなる』

 しかし……

『農業従事者は、七〇歳を迎えると一斉にリタイアをする。これは、過去の統計がはっきりと示している。販売農家の年代別の人口割合を示す折れ線グラフは、七〇歳を機にがくりと落ち込んでいるのだ。つまり二〇一七年から、かつてないほどの規模で離農する人たちが出てくる、と予測できるのだ。
 農林水産省は二〇一五年一一月、二〇一五年版「農林業センサス」を発表した。それを見ると、松本さんが予測した通り、二〇一五年における販売農家の平均年齢は六九歳となった。つまり二〇一七年には七〇歳となり、農家が一斉に辞めていくことが、いよいよ現実味を帯びてきたのだ』

『農業従事者のうち六五歳以上は二〇一〇年時点で六割を超えている。この年齢層は二〇二五年にはほとんど農業を辞めているだろう。おまけに二〇一四年産の米価暴落、さらには二〇一八年に予定されている減反廃止もあるので、向こう一〇年間で農業経営体数は現状の二~三割ほどになるのではないか』

 ということは、逆に農業を産業化して大きな経営体になるだろうと、窪田氏は予測する。

『実際に六〇歳以上の農家の多くは、会社員や公務員を引退した人たちである。新規就農者は毎年五万人から六万人に及ぶが、その半数以上は六〇歳以上。つまり、農家の高齢化は会社や役所を引退した人たちが田園回帰していることが主な要因なのだ』

『問題なのは、国がこうした趣味的農家の存在を産業政策として取り上げ、補助金の対象としていることだ。農業が職業である人と、趣味である人を、政策として同列に扱うべきではない』

『むしろ高齢化によって農業を辞める人が増えれば、それだけ優れた農家のもとに農地が集まり、農業の合理化が進む。農家数の減少や高齢化は、農業が変革する前兆といえるだろう』

『そうなれば二〇二五年時点での農業経営体の経営耕地面積は一〇ヘクタール程度にまで広がるとみられる。これは現状の五倍の数字だ。さらにもう少し時間が経てば、欧州並みの一五ヘクタールを超えるまで拡大するに違いない』

『このことは農業が「衰退産業」から「成長産業」に切り替わる素地ができあがることを意味する』

『すでに欧米では、先行的に無人走行の農業機械が活用されている。日本でも、農機メーカー最大手のクボタが、二〇一八年度を目途に実用化することを明言している。無人の農業機械が田畑を駆け抜ける日はそう遠くはない』

『たとえばNTTドコモは、新潟市などと二〇一五年から、稲作の生産効率の向上やコメの食味を上げることを目的とした「革新的稲作営農管理システム実証プロジェクト」に取り掛かっている。田んぼの水位をセンチ単位で計測するセンサーを実証し、実用化を目指す。圃場ごとの水位や水温を一時間おきにクラウドサーバーへ送信し、利用者は市販のスマートフォンやタブレットでデータを確認し、コメの食味を左右する水管理の省力化につなげる』

『山梨県北杜市で多面的機能をビジネスにしているNPO法人「えがおつなげて」の曽根原久司代表は、そうした農村に眠っている未利用資源を活用すれば、最低でも一〇兆円の産業と一〇〇万人の雇用が創出できると豪語する。
 その内訳は次の通りだ。
①農業をはじめとする一次産業の六次産業化(三兆円)
②農村での観光交流(二兆円)
③林資源の、林業、建築、不動産などへの活用(二兆円)
④農村にある自然エネルギーの活用(二兆円)
⑤ソフト産業(一兆円)』

 まあ、要は捉え方の問題なんだろうなあ。

 高齢化によって大量の離農が始まって、逆にそれを利用して大規模な農園経営が可能になり、また企業の農業への参入も可能となる。また、大規模化した農園にとってはITは欠かせない技術であり、それがあってはじめて大規模農園の運営が可能になる。

 ということが「自動車産業を超える」という目標が可能となるということなんだなあ。しかし、そのためには『農林水産省とJA(農業協同組合)グループ、そして農林族議員でつくる「農政トライアングル」』というものを、まず始めに打ち壊してしまわないとダメだろう。

 つまり、まずは政治改革から始めることが大事な問題だ。

『GDP4%の日本農業は自動車産業を超える』(窪田新之助著/講談社+α新書/2016年1月1日刊)

2016年2月20日 (土)

澁谷城跡は金王八幡神社

『脱いでみた』を見た日、その後明治通りの並木橋交差点から青山方面へ坂道を上がって行くと、左手に金王神社というのがあるのだが……

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 その社の脇になんか石が置いてある。

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 よく見ると「渋谷城 砦の石」と書かれているではないか。

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 説明書きを読んでみると「この辺り一帯の高台は、平安時代末期から渋谷氏一族の居館の跡で、東に鎌倉街道(現 八幡通り)、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷を有し、さらに数箇所に湧水があるという好条件を備えていました」とある。

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 つまり、ここ金王八幡宮は元々は「渋谷城」だったという訳。

 金王八幡神社のホームページには

「桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山では?)に納め八幡宮と崇め奉りました。
 武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍300騎余を従え1番で参向し、仙北金沢の柵攻略しました。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請しました。
 重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とししました。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されています」

 と書かれている。

 なるほどなあ、江戸時代に入ってからは江戸の城と言えば江戸城だけになったが、中世の群雄割拠の時代には江戸にも城が沢山あった訳だ。

 調べて見ると東京23区の城跡は62もあるそうだ。何となく、中世の城っていうと、江戸の北西部(つまり北区とか板橋区、練馬区)の方にあって、あまり江戸中心部の城には注目してなかったんだが、ちゃんとあったんですね。

 つまり渋谷にあったっておかしくないということになる。地形的にも城を作りやすいところだしね。練馬や板橋の城跡はたくさん見てきたけど、都心の城跡というのもあったんだなあ。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1.8 G @Shibuya (c)tsunoken

2016年2月19日 (金)

山下公園・雑景

 そういえば横浜には昨年の11月に来たきりだから、丸三ヵ月来ていなかった。それも、11月に来たのは浜スタでアメフトを見ただけだったので、ここ山下公園やら中華街なんかには行ってなかったなあ。

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 以前はだいたい月に一度くらいは横浜・川崎あたりに行っていたのだが、ここのところあまり行っていなかったのは何故だろう。

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 川崎市はここの所、川崎大師や武蔵小杉などには行っていたのだが、何故か横浜には行っていなかった。

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 まあ、「横浜は撮りつくした」なんて不遜な思いはないのだが、多少、もうどこを撮ろうかなという迷いはあったのかも知れない。要は興味を持てる主題が見つからなかったということで。

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 まあ、まだまだ東京だって撮りつくしていないのだから、もっともっと東京を撮らなければな、という思いもある。

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 ということで、久々のホテル・ニューグランド。

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 ということで、久々の横浜・山下公園に行ってきた。

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 氷川丸は係留チェーンにコールタールで錆止め塗装をしているところで、ああそうか、やはりこの冬場は観光客も少ないので、夏に向けてこんなお化粧直しをしているんだな、ということがわかる。

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 やっぱり、もう少し暖かくなったら、もう一度横浜・山下公園、中華街に行こうかな。まさしく観光には一番いいシーズンだしな。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1.8 G @Yamashita Park, Yokohama (c)tsunoken

2016年2月18日 (木)

花盛友里写真展『脱いでみた』に行ってみた

『寝起き女子』で一時話題になった写真家、花盛友里さんの写真展『脱いでみた』が開催中なので、渋谷のル・デコに「行ってみた」。

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「女性向けのヌード写真展」って言うだけあって、会場は女性ばっかりで「何か変なおじさんがやってきた」的雰囲気になってしまって、ちょっといたたまれない。なんだか、会場にいる人のヌードを見ているような気持になってしまう。申し訳ないなんてね。

 ただし、花盛さんの写真は皆ソフトなイメージの写真が多くて、あまりエロティックな感じはしない。多分、女性写真家が撮影しているので、写されている女性たちもあまり緊張した感じがなくて、とてもリラックスしている感じがいいのだ。藤代冥砂氏の写真なんかも結構ヌードを写されている女性たちはリラックスしているように見えるのだが、やはりセクシー。花盛さんの写真のリラックスさとはまた違った感じである。

「自費出版の写真集を販売」ってサイトに書いてあったので、それはどこにあるのかなあと探していたら、「実はこの袋が写真集の表紙なんです」と語りかけてきたのは、なんとまさしく花盛さん自身! いやあなかなかチャーミングな女性ではあります。

 で、2,500円で買ってきた写真集の表紙がこれ。まさに「袋」。

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 で、表紙(袋)を開くとこんな感じで写真が出てきます。

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 中にはこんなポスターみたいな大きな写真もある。結構紙にも凝っていて、花盛さんの摂るソフトなヌードにあった紙質ではあるなあ。

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 そのポスターみたいな写真とは別に、こんな多くのヌード写真も入っている。

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 全部で38葉の写真を収録した写真集(写真袋)。なかなか面白いアイデアではあります。

花盛友里写真展『脱いでみた』は渋谷ル デコ01にて2月21日(日)まで開催中。

公式サイトはコチラ

2016年2月17日 (水)

台東区の七福神・番外編は小石川七福神

 台東区の三つの七福神を訪ねたので、ついでに今日は我が文京区の「小石川七福神」を訪ねます。この小石川七福神って平成七年に決められたという、結構新しい七福神。う~ん、有難味っていう意味では、あまりないかも。

 まずは茗荷谷の駅を下りて拓殖大学の前をそのままもう少し下がると。「深光寺(恵比須)」があります。

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 本堂の前には立派な恵比須様が祀られてあります。

 おや、越後の牛の角突きで知られる「南総里見八犬伝」の作者、滝沢馬琴の墓なんてのもありますねえ。

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 深光寺から丸の内線のガードをくぐり再び春日通りまで上がると「徳雲寺(弁財天)」があります。

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 ここの弁天様は撮影禁止になっていて、普段は見られないのですが、「蛇」でしかも「男」だといいます。う~ん、男の弁天様って何か変だなあ。ゲイの弁天様なのかなあ。弁天様は「芸」の神様だから、って、そんなこともあるのかしら。

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 徳雲寺を出て春日通りを後楽園方面へ少し行くと吹上坂があるので、そこを下りると「宗慶寺(寿老人)」があります。

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 本堂の脇に寿老人の像が。

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 宗慶寺を少し上がると「極楽水」という井戸が昔あって、そこにも「弁財天」があります。ここの弁天様は普通に女の神様らしい。昔はここも宗慶寺の境内だったそうですが、今は大きなマンションの敷地の一部です。

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 再び春日通りまで上がって、都立竹早高校のちょっと先を左に曲がると一旦坂を下りてまた上がる所にあるのが「真珠院(布袋尊)」があります。

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 境内に入って左を見ると、あれっ? 七福神が全部いますねぇ。でも、ここのお寺は布袋様だそうです。

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 真珠院を出て再び坂を上がるとそこは伝通院ですが、その前にあるのが「福聚院(大黒天)」です。

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 付属の福寿幼稚園の庭には大黒様が鎮座しています。

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 伝通院の前の坂を下って千川通りまで出ると、「こんにゃく閻魔」で知られる「源覚寺(毘沙門天)」があります。

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 境内には「閻魔様」と並んで立派な毘沙門天堂がありますねえ。

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 で、一番最後が東京ドーム(!)にある「福禄寿」です。

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 以前は小石川後楽園に祀られてあったんだが、お正月に後楽園が閉園してしまうので、ここ東京ドームシティに祀られることになったそうです。

 でも、東京ドームっていうよりは、小石川後楽園の方がね……、なんか有難味がね……、って無理を言ってもダメか。

 ということで小石川七福神、距離は茗荷谷から後楽園までの間を、左に行ったり右に行ったりで5km足らずなんですが、春日通りっていうのは小石川台地の上を走っていて、お寺はだいたい台地の下にあります。なので、距離以上に坂道のアップダウンに苦労します。それをご承知の上で……。

 ということで4日続いた七福神巡りですが、別に「tsunokenのブログ」は「七福神巡りブログ」じゃなくて、あることで突然七福神に興味を持ったということに過ぎないので、これでお終い。

 明日からは普段の「tsunokenのブログ」に戻ります。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f1.8 G @Kohinata, Koishikawa, Kasuga, Bunkyo (c)tsunoken

2016年2月16日 (火)

台東区の七福神③浅草名所七福神は九福神

「台東区の七福神」最後は「浅草名所七福神(「名所」は「めいしょ」じゃなくて「などころ」と読むそうです)」というだけあって、まさしくどこも有名なところばかり。

 なにせ一番最初が「浅草寺(大黒天)」で……

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 次が「浅草神社(三社さま:恵比須)」なんだもん。

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 そのまま、隅田川沿いの道を北上すれば、お次が「待乳山聖天(毘沙門天)」です。

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 待乳山聖天の脇には、さりげなく「池波正太郎生誕の地」なんて掲示があります。

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 待乳山聖天を出てそのまま北上すると今戸橋があります。昔はここに山谷堀が流れていて、猪牙舟(ちょきぶね)なんかで吉原へ通ったりしていました。今は暗渠になっていて、山谷堀公園になっています。

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 で、その今戸橋の脇が我が家の菩提寺である慶養寺なんですが、別にここは七福神とは関係ありません。

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 七福神と関わりがあるのが、慶養寺の並びにある「今戸神社(福禄寿)」です。

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 沖田総司終焉の地と言われる今戸神社までは比較的近いのですが、ここからは隅田川沿いの道をかなり歩きます。

 明治通りの近くまで来ると、ようやく「橋場不動尊(布袋尊)」があり……

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 明治通りを渡ると「石浜神社(寿老人)」です。明治通りを渡ると実は荒川区に入ってしまい、南千住の駅が近いです。

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 で、明治通りを三ノ輪に向かって歩いて行き、泪橋を左折し、こんな山谷の商店街を抜けると……

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 吉原大門に出ます。

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 吉原の町を誘惑に負けないようにして歩いていくと、「吉原神社(弁財天)」があります。

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 そのちょっと先には「吉原神社奥宮」があり、こんな弁天様の像があります。以前この地に合った弁天池には関東大震災の際に490人の人が溺死したそうで、それを追悼して建てられたのがこの弁天様だそうです。

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 吉原神社を出て更に歩くと、浅草通りに出て、そこには「鷲神社(寿老人)」が。

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 という具合に浅草へ戻って来て、合羽橋商店街まで行くと「矢先稲荷神社(福禄寿)」で浅草名所七福神めぐりは終了。

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 って、あれ? 七福神なのに九つあるんですねえ。福禄寿と寿老人が二人ずついます。「九は数のきわみ、一は転じて七、七転じて九と為す。九は鳩であり、集まる意味を持ち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来するそうです。なんか、とってつけたようなお話しですけれどもね。

 で、さすがに九福神ともなると、ここから観音様に戻ると8km強になります。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Asakusa Taito (c)tsunoken

2016年2月15日 (月)

台東区の七福神②でも出だしは北区・荒川区

「台東区の七福神」第2弾「谷中七福神」。

 でも、ここは台東区ではなくて北区田端、「東覚寺(福禄寿)」なんですね。

 しかし、赤紙仁王で有名な東覚寺が谷中七福神とは知らなかった。

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 んで、猫なんかを撮りながら西日暮里の裏側を行くと……

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「青雲寺(恵比寿)」があります。

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 そのまま、日暮里の富士見坂の下の通りを行くと、青雲寺のすぐそばにありましたねえ。まさしく寺の塀にも書かれています。

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「修性院(布袋尊)」です。

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 修性院から少し行くと谷中銀座にでます。ここからが台東区。
 で、そこを左折して夕焼けだんだんを上がって、谷中の墓地に入ります。

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 と、そこにあるのが「天王寺(毘沙門天)」です。

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 この天王寺っていうお寺は大きなお寺で、昔この地域は「天王子町」と名付けられていて、要は今の谷中霊園すべてが天王寺の境内だったそうな。

「いやあ天王子屋さん、ビックリポンやわあ」ってとこですかね。

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 で、その谷中霊園から出て、朝倉彫塑館がある道に入るとすぐにあるのが「長安寺(寿老人)」。すぐに見つかる、というよりも気を付けていないと見逃してしまう。

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 その道をそのまま進んで、上野桜木まで行って、右に曲がると、都立上野高校の手前にあるのが「護国院(大黒天)」です。

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 境内にある「大黒天」の印。

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 で、そのまま上野高校、上野動物園と下がってくると、森鴎外在所後なんかを通って、最後の「不忍弁天堂(弁財天)」に至ります。

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 う~ん、北区、荒川区、台東区というところを通ってくるのでロングコースかなと思ったのだけれども、意外と近くて昨日の下谷七福神よりほんのちょっとだけ長い位のところでした。5km強位かな。

 谷中七福神は江戸で最も古い七福神めぐりだそうで、その起源は江戸中期にまで遡るそうです。まあ、その頃は「台東区」なんてものはなかったわけなので、そこをしも「台東区七福神めぐり」に加えた台東区の懐の深さには納得。

 明日は多分「浅草名所七福神」です。本当に行くのか? 行ったとこばっかしだしなんだけどなあ……。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1.8 G @Tabata Nippori Yanaka Taito (c)tsunoken

2016年2月14日 (日)

台東区の七福神①下谷七福神が一番コンパクト

 台東区のホームページを見ると、台東区には七福神が3つあると書いてあります。

 つまり、「谷中七福神」「下谷七福神」「浅草名所七福神」の3つ。今日はそのなかでも一番コンパクトそうな「下谷七福神」を巡る旅です。

 で、まず最初が鶯谷駅を降りてすぐのところにある「元三島神社(寿老人)」。駅のホームからはこの神社の裏側が見えます。

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 元三島神社から歩いてすぐの所には「英信寺(大黒天)」があります。

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 その英信寺のすぐ裏が……

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「法昌寺(毘沙門天)」です。

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 法昌寺は「たこ八郎」のお墓があることで有名です。

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 法昌寺を出るとちょっと遠く、三ノ輪まで行くと「寿永寺(布袋尊)」があります。

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 寿永寺をでてその前の道を南に下って、樋口一葉記念館の脇なんかと通ると「飛不動尊正宝院(恵比寿)」です。この飛不動はその名前から、航空会社の人なんかがよくお参りに来るそうです。

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 飛不動のそばにあるのが鷲(おおとり)神社。で、その鷲神社のところで浅草通りを渡って昭和通りに向かって歩くと、右側にあるのが「弁天院(弁財天)」。

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 で、弁天様のすぐそばで昭和通りを渡って南下、入谷交差点を渡って右折すると、朝顔市や「恐れ入谷の鬼子母神」で有名な「入谷鬼子母神(福禄寿)」があります。

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 で、鶯谷の駅へ戻ってきました。これで約5km、とまあ多分一番コンパクトかな。

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2016年2月13日 (土)

『下流老人のウソ』に気づかないフリをしているのは誰だろう

『Wedge』2月号のカバーストーリーは『「下流老人」のウソ』というもの。

 内容は

○高齢者の貧困は改善 下流老人ブームで歪む政策
○アベノミクスを阻む「年金制度の壁」は一刻も早く撤廃すべき
○シニアの消費喚起の抜本策は最低保障年金と相続増税
○シニアの強みを引き出せ! 70歳代活かす企業は「仕組みを変える」
○改善するシニアの労働市場 人気の事務職は狭き門
○働くことこそ老いを遠ざける 若さ保つシニアの三者三様

 という記事で構成されている。

 取り敢えず本ブログでは最初の「高齢者の貧困は改善 下流老人ブームで歪む政策」について述べる。

Photo 『Wedge』(熊野英生・林えり子・Wedge編集部/株式会社ウェッジ/2016年1月27日刊)

「下流老人」という言葉の火付け役は2014年9月のNHKスペシャル『老人漂流社会」であり、それを書籍化した『老後破産』(新潮社2015年7月刊)だと思う。昨年6月刊行の朝日新書『下流老人』(藤田孝典著)は20万部突破のベストセラーになったし、その後も「老後リスク」の本は続出した。その後の、雑誌や新聞などの「老後」記事もすべて同じ論調で語られることが多い。

 しかし、実際には高齢者の貧困率は改善されているというのだ。

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『貧困とは相対的な概念であり、経年変化、世帯間、対諸外国など何らかの比較を持って表現する必要があるのだが、老後リスクを扱う書籍や記事の特徴は絶対値ばかりが出てくること。そして、もうひとつの特徴は「○○さん(×歳)はこうして転落した……」とミクロの事象を積み重ねることだ。
 もちろん、現場を歩き一つ一つの事象を拾うという、足で稼ぐ取材活動は敬意に値するものだ。しかし、政策変更などの社会の変革を訴えるならば、ミクロの発掘とマクロの分析の往復が欠かせない。ミクロをいくら積み上げても全体感を見失うと「木を見て森を見ず」になってしまう』

 とWedgeは指摘する。

 Wedgeではないが、こんな記事もある。

『(収入ではなく)資産のほうで数字を挙げてみますともっと、リッチな人の数は多いです。野村総合研究所推計によれば2013年の純金融資産((預貯金、株式、債券、投資信託、一時払い生命・年金保険など)の保有額が1億円以上5億円未満の「富裕層」、および同5億円以上の「超富裕層」を合わせると、2013年時点で100.7万世帯でした。内訳は、富裕層が95.3万世帯、超富裕層が5.4万世帯です。
 また、同5,000万円以上1億円未満の「準富裕層」に至っては、315.2万世帯です。別の推計では、ボストンコンサルティンググループの「グローバルウェルス・レポート」の2015年版によれば、資産100万ドル以上の富裕層人口は112.5万人です。2015年8月段階での生活保護世帯数は厚生労働省の「生活保護の被保護者調査」によれば、162.8万世帯ですから、準富裕層まで含めた世帯数は実は生活保護世帯数より多いです。
 今年、話題になった『下流老人』という書籍には、「1億総老後崩壊」「1億総下流の時代がやってくる」とセンセーショナルな文字が躍っていますが、その内容を見てみると中間所得層が減って富裕層と貧困層に分離していくという、ごく当たり前の結論に至っています。あたかも日本人全員が下流になるといった内容は実態を全く無視した暴言ともいえるものです。「日本には生活保護世帯の2.5倍の準富裕層・富裕層・超富裕層の世帯がある」これが事実です』

 まあ、確かに中間所得層が減ってきて、富裕層と貧困層に分かれていくという、格差の拡大という問題はあるにしても、「一億総老後崩壊」とか「一億総下流」なんてことにはならないようである。

 むしろ問題は現役世代の階層の固定化や、貧困の連鎖の元とも言われている相続税の低さというか、控除率の高さの問題があるかもしれない。この後の明治大学政治経済学部の準教授・飯田泰之氏の言うような「シニアの消費喚起の抜本策は最低保障年金と相続増税」の方がより具体的な策かも知れない。

 確かに富裕層の資産の下流層への移動、というのは富裕層からの反発は相当受けるだろう。富裕層にしたって、親から行け継いだ資産よりは自分の代で稼いだ資産が多いはずだ。まあ、それが一番大きな問題なんだろう。

 その辺が一番分かっていないのが、自民党の二世代・三世代代議士なんだよなあ(というか、自民党の代議士は殆どが二世・三世代議士だ)。つまり彼らは親の財産で食っている連中だもんなあ。こりゃあ、ダメか。

『Wedge』(熊野英生・林えり子・Wedge編集部/株式会社ウェッジ/2016年1月27日刊)

2016年2月12日 (金)

『文京社会起業フェスタ~いいね!から街の仲間をつくろう』に行ってきたぞ

 昨年、11月27日のブログ『文京社会起業対話「地域の困り事、地域に役立つ方法を考える」』で書いた、「文京アクション・ラーニング講座」のひとつの結果発表である、「文京社会起業フェスタ~いいね! から街の仲間を作ろう!~」という催しが文京シビックセンターで紀元節の昨日開催された。

 えっ? なんで「建国記念の日」じゃなくて「紀元節」なんだって? だって、2月11日が日本の「建国の日」っていう記述はどこにもなくて、結局、古事記や日本書紀に書かれた、といういたのかどうかも怪しい神武天皇の即位の日が2月11日だったっていうのでしょう。だったら、2月11日は「日本という国ができた日」じゃなくて、「いたのかどうかも怪しい神武天皇の即位の日」ってことで、「紀元節」でいいんじゃね? というのが私の考え方なんだけれども、何か問題がありますかねえ。

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 と、ちょっと話は横道に逸れてしまったけれども、そんな紀元節の日に、、「文京社会起業フェスタ~いいね! から街の仲間を作ろう!~」という催しが行われたわけですね。

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 ということで、昨年の11月27日のブログでも紹介した株式会社エンパブリックの代表、広石拓司氏の司会で始まった催しは、当然、主催者代表の文京区長成澤廣修氏のご挨拶から始まる訳ですね。まあ、これは区主催だから区長の選挙事前運動としてはしょうがないなあ。

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 で、次のトークセッションが「〝共に学ぶ"からのコミュニティ・イノベーション~シブヤ大学の経験から~」というNPO法人シブヤ大学学長の左京泰明氏のお話し。

 住友商事から表参道を掃除して歩く「グリーン・バード」と出会ったきっかけから「シブヤ大学」設立にいたった経緯などを話していたのだが、ポイントは「地域の問題を解決するソリューション」が、実は行政の側にはなくて、それがNPO法人などの方にいっているということ。

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 ということで、左京氏の後には2014年度の、「文京アクション・ラーニング講座」から発展して、「2015年度支援プロジェクト」になった3つのプロジェクトが紹介された。

 最初は「ぶんきょう・いんぐれす」というプロジェクトで、イングレスというGoogleの中のゲームなんだが、それを使ってコミュニティの循環を良くできないかな、という課題に取り組んでいるグループ。

 代表の郷津氏。

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 この主旨に参加した大岩氏なんだけれども、この人、11月27日の、「文京アクション・ラーニング講座」で会っているんですね。そう言えば、前にも会ったことがあった。

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 その他、こんな可愛い人なんかも参加してます(ちょっと「不思議ちゃん」だけれどもね、山崎さん)。

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 その他、「文京かるた隊」の都丸光子さんのプレゼンもありました。

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 こちらもちょっと「不思議ちゃん」の瀬川さんが率いる「本郷いきぬき工房」なんてのもあります、。

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 まあ、そんな様々のNPO法人(になってないものが大半)候補みたいのが集まってできた、「文京社会起業フェスタ~いいね! から街の仲間を作ろう!~」です。

 これからどうなっていくんだろう。

 私がこれらとどう関わっていくんだろう、ってのは今後のお楽しみですね。

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2016年2月11日 (木)

『風俗体験取材という名の罠』って、何だそうだったのか

 ルポかと思って買ったら、そうじゃなくて小説だったんですね。

 まあ、それもちょっと「軽い」小説ってところで。

Photo 『風俗体験取材という名の罠 ~美乳処女ライターにむらがる性鬼たち~』(加藤京子著/フリーダムス/2014年8月刊)

 主人公は「カナミ」という女性(『風俗体験取材という名の罠 ~美乳処女ライターにむらがる性鬼たち~』というタイトルなんだから、しかし「処女」ってのもなあ)。勤めていた編集プロダクションから2週間前にリストラ(っていうのかなあ、そんな小さなプロダクションで。普通、単純に「クビ」でしょ)された人だ。

 その相手は

『佐々木和也はカナミがクビになった編集プロダクションが手掛けるメンズファッション誌で記事を書いているフリーのライターだ。お互いに28歳ということもあり、わりかし仲がよく、2度飲みにも行っている』

 という関係。

 で、その佐々木がカナミに振った仕事が……

『「だから風俗の体験取材だって。エロ本の連載」
「え…、だって私、女だし」
「だから体験入店してレポートすればいいじゃん。まぁ、やりたくないなら別にいいけどね。ギャラはまぁまぁだよ。1か月で家賃ぐらいにはなるんじゃない?」
「家賃……」
「どうする?」
手元の赤ワインを飲み干し、カナミは言った。
「やる、やらせて下さい! でも…」
「うん、でも?」
「…それって処女でもできるもの?」
「言いたくないけど、私……処女なの。でも頑張るから! よろしくお願いします!」
白い肌はワインのアルコールでほんのり染まり、少し厚めの唇は彼女の豊かな胸を連想させる。

 こんなに熟した身体を持つ28歳の女が処女だなんて誰が信じるだろう』

 まあ、この辺が男の「処女信仰」なんですね。別に処女か処女じゃないかなんてことは、本来の恋愛には何の関係もないことなんだけれども、男は自分の恋愛関係とは遠いところになるほど処女信仰を持つ。「処女のデリヘル嬢」なんてものに妙に気がいってしまたったりしてりね。要は自分が今つきあっている女の子に対しては、実は処女信仰なんてものはもっていないんですね。なんでか? まあ、要は好きになってしまえばその子の前歴なんて気にならないってことなんでしょうね。

 で一番最初の仕事は「SM系デリヘル」の仕事。

『即尺、ディープキス、目隠し、ストッキング、言葉攻め、バイブ、ローター、アナル、蝋燭、鞭、緊縛、スカトロ、等といかにもSMな言葉が並んでいて、その横にそのプレイができるかできないか○×を書くようになっている。カナミはディープキスとアナルとスカトロだけに×をし、 「すみません、即尺ってなんですか?」 と先程の男を見上げた』

 ってな具合。

 結局、そこの指導係の店長から

『涙目になりながら、じゅぼじゅぼと喉を鳴らすカナミを見ると店長の腰の動きはさらに激しく乱暴になり、
「ぁ、あ、あ………! 出る…出る」
「出すぞ…さあ、飲めっ!」
 そう言うと同時にカナミの喉の奥に、熱くて粘る大量のものをびゅるびゅるとぶちまけた』

 と言っても、そこはデリヘル。彼女の処女までは奪われない。

 で、この体験を書いたのがカナミの「処女原稿」。

 とは言うものの、その後、「婚活パーティー」や「相互鑑賞パーティー」とか、これは本当に危ないというか完全本番がある「売春行為」(タテマエ上は自由恋愛なのだが、その結果として男性から女性に対して金を払うっていう行為は売春と同じ)「会員制交際クラブ」まで行ってしまったら「処女」なんてものは守るに等しくない行為じゃないかよ、ってなるんだけれども。まあ、それも「風俗体験取材」だったら、体験して書かなければいけないんですよね。

 でも……

 そこでさあ、白馬の王子さまが現れちゃううんだなあ。

『その時。
『バン!』
と音を立てて、扉が開かれた。
「カナミ!」
 長身のくせに、ヒョロっとしていて妙に頼りない。そこにはカナミがよく知る顔――佐々木が立っていた。
「何してるんだ、おっさん!」』

『佐々木は普段、カナミに見せた事のない形相で、女に跨る獣を一喝した』

 で、結局カナミは佐々木に……

『「ね、お願い。……して、欲しいの」
  佐藤が言った事は、悔しいが本当だった。今、カナミは佐藤の執拗な色責めで、女の欲望が体中に渦巻いていたのだ。
「で、でも。カナミ……」
「もう充分、濡れてるから……後は入れてくれるだけでいいの……」
 そしてカナミは佐々木のペニスをジーンズの上からさすった。
 それに呼応するように、佐々木も服を脱ぎ捨て、自らの肉茎をカナミの花肉に押し当て、ぐい、いきなり狭い蜜壺に挿し入れた。
「ああああああっ!」 途端、絶叫が室内に木霊する。
「ご、ごめん。知っての通り私、初めてだから……」>
  黙ってうなずいた佐々木は、緩やかなにピストン運動を始めた。この1か月、ずっとじらされ続けていたカナミを、バージンを失う痛みにも勝る、痺れるような悦楽が支配した。
「奥まで、もっと…! お願い! 来て!」
 佐々木の精液が自らの膣奥に当たるのを感じながら、カナミは処女喪失とオーガズムを同時に体験したのだった.』

 って、なんんだよ、単なるエロ小説だったのね。

 だったら、この話の続編が面白そうなんだけれども……、あまりそういう展開にはなりそうもないな。

『風俗体験取材という名の罠 ~美乳処女ライターにむらがる性鬼たち~』(加藤京子著/フリーダムス/2014年8月刊)

2016年2月10日 (水)

『女子大生風俗嬢』って、そんなものが……

 まあ、「フーゾク」ってのが一般的な名詞になってしまっている以上は、別に女子学生がそんな「フーゾク」でバイトしたって普通でしょ、とも言いたくなるんだけれども、それが「若者の貧困」という言葉とつながってしまうと、何か重たい気持ちにもなるなあ。

 そうなんだ、2月6日のブログ『『性風俗のいびつな現場』って、そういうことだったのか!』と同じ問題が『女子大生風俗嬢』にもあるんだなあ。

Photo 『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』(中村淳彦著/朝日新書/2015年10月25日刊)

 目次から本書の構成を見る。

はじめに 女子大生が風俗に大量参入している
第1章 女子大生風俗嬢の履歴書
第2章 「平成型苦学生」の出現~男子もカラダを売る~
第3章 貧困の沖縄を行く
第4章 なぜ彼女たちは騙されるのか
第5章 風俗はセーフティネットか
第6章 トップスペックの学生はAVへ
第7章 世代格差をブラックバイト

 要は「平成の苦学生」が「女子大生風俗嬢」になっているっていう訳。

『「女子大生? うちにもいるし、どこの店にもいるよ。今はどんな偏差値の高い大学の学生でも、風俗で働いている女の子は一定数必ずいる。一定の割合で必ずいるのだから早稲田とか明治とか日大とか、学生数が多い大学ほどよく耳にするよね」
 そう語るのは、都内と横浜市で20店舗以上のデリヘルを運営する経営者・山形氏(仮名)だ。山形氏の運営するデリヘルは「M性感」と呼ばれ、単価が高くサービスがライトな風俗であり、風俗経験のない女子大生が集まりやすい業態である。
「やっぱりアルバイトなので出入りは激しいけど、国立大学、六大学、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)の現役大学生はいるよ」
 という。筆者も日常的にAV女優や風俗嬢の取材をしているが、現役女子大生が急激に増えたのは、この10年間の現象といえる』

 むむむ、そんな実態が横行しているのか。

『〝風俗嬢やAV女優に現役女子大生が増えているのでは?〟という些細な違和感から始めた取材だった。風俗業界周辺の取材を軸にAV業界、沖縄、新宿二丁目、ブラック労働が蔓延する介護業界などを取材したが、一言でいえば、90年代以降の〝失われた20年〟を席捲した新自由主義の傷跡は凄まじかった』

『バブル崩壊、失われた20年を経て、勤労者の平均収入は下がり続け、格差拡大によって中流層が崩壊し、親が子供を援助できなくなっている。そして、過去の産物だったはずの〝苦学生〟が復活した。現役大学生の親たちの多くは、最も恵まれた環境で生きた1965~69年生まれのバブル世代。自分たちは親や社会から大きな恩恵を受けて学生生活を優雅に過ごしてきたが、その恩恵を自分の子供たちには与えられなかった』

 結局は90年代のバブルの崩壊から始まった「失われた20年」による「格差の拡大」というのが第一原因で、国の大学予算の縮小が第二原因だということなのか。

『同一企業で定年まで雇用される日本型雇用の崩壊から始まった親の世帯収入減と、高度教育予算の削減による学費高騰が発端となって、日本育英会が姿を変えた日本学生支援機構による〝奨学金〟という貧困ビジネスが大流行していた』

 日本の「奨学金制度」は「給付型」ではなくて「貸付型」なので、それは「奨学金」とは言え、その実態は「学資ローン」でしかない。それも、現在は利子が付かない「第一種奨学金」と、3%の利子が付く「第二種奨学金」なんてのまであるそうだ。奨学金に利子を付けてしまえば、それはまさしく利益追求の奨学金という訳のわからないものになってしまうではないか。

 結局、奨学金っていうのは単なる「貧困ビジネス」になってしまっているというのだ。

『貧しいことは男子学生も女子学生も変わらない。女子学生は〝簡単に価値が認められる肉体〟を持っているが、なにも持たない男子大学生に〝奨学金〟のような残酷な制度を浸透させれば、犯罪的な利益追求が勃発するのはいわば当然である。もはや大学は、なにが起こるかわからない危険な場所になっているといえる』

『文部科学省や財務省が政策として取り入れた〝奨学金〟制度は、続々と女子大生を性風俗業界に送り、男子学生たちを犯罪行為に走らせ、ブラック企業を増長させて、最高学府である大学の治安を悪化させるという、とんでもない副作用を巻き起こしてしまった』

 で、こんな逆転現象が起こってしまう訳だなあ。

『裸になって性的サービスを提供して高単価な報酬を得て〝奨学金〟を回避している女子学生の方が、〝奨学金〟に依存する一般学生より、充実した学生生活を送り、将来が明るく、人生が有利に進んでいく可能性が高いことは事実である』

 しかし、それは大学や就職内定先に知られていないから安全っていうだけで、一度知られてしまったら、その後の悲惨な状態というのは想像に難くない。まあ確かに、デリヘルやファッションヘルスなんかは決して「売春」という違法行為ではないとはいうものの、なんかスレスレのビジネスであることは確かである。

『現役大学生など一般人は、合法の業種でないと集まらない。ソープランドやピンクサロンは法律的にグレーだが、現役女子大生が集まっているのは売春防止法に抵触しない〝デリヘル〟や〝ファッションヘルス〟である。それらの業種に人が集まりやすいのは〝ホワイトに近いグレー〟だからといえる』

 まあ、結局はリストラや離婚などで貧困化してしまった親からは学費の援助を受けられない。で、なおかつ大学の数だけは増えてしまい今や高校生の50%が大学に進学するわけだ。でも、そんなFランクの大学に進学してしまった学生にだって学費の負担という問題はかかってくる。で、そんな学生のうち、多少見てくれの良い女子大生は風俗の方にいって、それが出来ない女の子や男子学生は「奨学金」という名前の「学生ローン」に嵌ってしまい、卒業時には500万円~1000万円近い借金を背負って世の中に出る、っていう仕組みなわけですね。

 まさしくこれこそが「負の連鎖」「貧困の連鎖」でしかない。

 う~ん、次に読もうとしている本が『風俗体験取材という名の罠』なんだが、なんだか読みたくなくなってしまうような惨状だなあ。

『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』(中村淳彦著/朝日新書/2015年10月25日刊)

2016年2月 9日 (火)

tsunokenのブログ、100万pvを達成!

 本日、「tsunokenのブログ」が100万ページビュー(pv)を達成しました!

 このエントリーを書いている時点で1,000,028pv。

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 2009年11月27日にスタートした「tsunokenのブログ」ですが、6年と3ヶ月、更新数2405回で100万pvですので、1回の更新毎に416pvということになります。これは数としては多いのか少ないのか。勿論、イケダハヤト氏みたいに年間で700万pv位稼いでしまうスーパーブロガーに比較すれば6年かかってやっと100万pvというのはいかにも遅々としています。

 それでも100万pvというのは一つの区切りです。数は決して多くはないけれども、400人余りの毎日読んでくれる人のために、今後も毎日更新を心がけていきます。

 今後とも「tsunokenのブログ」をよろしくご愛読ください。

日暮里せんい街なのか、にっぽり繊維街なのか

 JR日暮里駅の東側にあるのが「日暮里繊維街」(日暮里中央通り)であります。

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『2000年代になり、ファッションの発信地が裏原宿になり、それとは別に他のデザイナーが分散せずに繊維問屋街から小売に転向した小売店が日暮里に集結しだした。開店すると、激安を売りにした店が立ち並び、マスコミにも取り上げられるようになった』というのがWipikediaの解説。「ニポカジ」(日暮里カジュアル)なんて言葉も一時流行ったことがある。

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「繊維街」なので、当然出来上がった洋服だけじゃなくて、布地も売っている。

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 更には洋服を作った時に出る「ハギレ」なんかも売っている。実はこれらの「布地」や「ハギレ」がお隣の西日暮里にある開成高校生の御用達なのである。

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 何に使うのかというと、毎年5月に行われる運動会が「紫・白・青・緑・橙・黄・赤・黒の8組」に分かれて行われるのであるが、高校3年生が応援団になるので、彼らが体につける「タスキ」の布地をここで仕入れる訳ですね。

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 西日暮里からなら歩いてこれるしね。

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 その他、布地だけでなく裁縫に使う小物とか、コットン生地に印刷する会社なんかもある。

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 という大きな繊維街なのであります。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f/2.8 D @Nippori Arakawa (c)tsunoken

2016年2月 8日 (月)

リベンジ! 浅草写真

 一昨日、ニコンカレッジで和田先生にさんざっぱらクサされたので、昨日はそのリベンジって訳で再び浅草へ! って言っても浅草はしょっちゅう写真を撮りに行ってるんだけれどもね。やっぱり人を撮るのに浅草が一番適してるって訳で。

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 基本的にニコンカレッジに提出した写真と同じ構成で、やはり組写真をイメージして。ただし、レンズは今回は標準ズームじゃなくて、まさしく標準レンズ、50mmだ。

Dsc_001322016 02 07 浅草①

Dsc_002322016 02 07 浅草②

Dsc_003122016 02 07 浅草③

Dsc_002722016 02 07 浅草④

Dsc_005622016 02 07 浅草⑤

 まあ、どうってことないか。同じテーマなので、あまり提出写真とは変わらないな。

 要はセンスがないってことですかね。私には。

NIKON Df AF-S NIKKOR 50mm f/1.8 G @Asakusa Taito (c)tsunoken

2016年2月 7日 (日)

ニコンカレッジを受講してきた! 2の四日目は、浅草写真講評

「ニコンカレッジを受講してきた 2」の四日目は最終日。先週撮影してきた浅草の写真から5カットを選んで提出し、講師からの講評を受けるっていうもの。

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 で、取り敢えず私の提出した5枚はこれ。

 基本的に「組写真」というイメージ提出したんだけれどもね。今回組写真という考え方で提出したひとは多分一人もいないだろうな、という予想で。

2016_01_30_22016 01 30 浅草①

2016_01_30_2_22016 01 30 浅草②

2016_01_30_2_32016 01 30 浅草③

2016_01_30_2_42016 01 30 浅草④

2016_01_30_2_52016 01 30 浅草⑤

 まあ、写真の基本はできているので、今度はアングル(構図)についていろいろ注文をいただきました。

 ①の女の子たちの足元が切れている、③の右側の男の人の頭が切れている、というもの。

 でも、下の写真だとテーマがはっきり見えないと思うんですよね。で、選んだのが①なんだけれどもねえ。寄り方の問題なんだろうなあ。もうちょっとうまい具合によれないもんかなあ。ということですね。

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 ③はハッキリとこっちの方が良かった。反省。なんで③を選んだんだろうか。左の柱が入ってしまったんで③を選んだんだが、こっちの方が良かったのかも知れない。

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 ⑤はテーマがよく見えない写真であるのはよく分かっている。なんで、突然雷門の前でのドイツ人(風の)オジサンなんだよってね。

 本当は下の写真を出したかったんだ。この方が写真としての面白さもあるし、動きもある。流れからしても、浅草観音の本堂の写真からの流れとしてはOKなんだけれども、問題はこの写真「奥ピン」なんですね。後ろの人物にピントが合ってしまっている。

Dsc_01922本当はコッチ

 基本的にどんな写真を撮ろうが文句をつけない和田講師なんだけれども、フォーカスには厳しい人(まあ、これはフォトグラファーとしては当然)なので、これは提出しなかった。これがピントぴったりだったらよかったんだけれどもね。

 ④は褒めていただいた。更に、モノクロで撮影するとコントラストを強めに設定してしまう人が多くて、私の写真はかなりニュートラルに撮影できていていいですねという講評を頂いた。

 いやあ、これにはちょっと参りました。白状しましょう。それまでは私も結構コントラストをかなり強めに設定して「森山大道写真だっ」なんて考えていたんだけれども、それを見透かされたようで、スミマセン私もそうでした。

 というのが今回のニコンカレッジ「写真の基本」の総まとめ。まあ、十数人の受講者の写真を見てきたんだけれども、皆さん結構一眼レフを使いこなしていて、中にはアングルについてもセンスを感じさせる人もいたりして、まあ、アングルについては基本的にセンスの問題なのかなとも感じさせられたという講座ではありました。

 まあ、私はアングルについてはセンスなしってことで……、トホホ。

 ということで、このブログも写真展と同じく、私の写真発表のメディアではあります。今後ともよろしくお願いします。厳しいご批判は覚悟しております。

NIKON DF AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Asakusa Taito (c)tsunoken

2016年2月 6日 (土)

『性風俗のいびつな現場』って、そういうことだったのか!

 一昨日の『はじめての不倫学』の坂爪真吾氏の最新刊がこれ。

 坂爪氏も東大の上野千鶴子ゼミだったんですね。古市憲寿氏といい、この坂爪氏といい、面白い人材を輩出している東大上野千鶴子ゼミではあるなあ。

 しかし、そんなことになっているなんて、すっかりフーゾクとは疎遠になっている身としては知らなかった。

『私がゼミで風俗の研究をした翌年の二〇〇四年、東京都・警視庁・警察庁が一体となって進めた繁華街の浄化作戦により、無届けで営業していた都内の店舗型風俗店のほとんどが壊滅した』

『浄化作戦後、多くの風俗店は看板を出さずにインターネット上で広告宣伝を行う無店舗型に移行し、表社会から見えにくくなった』

『現代は、言うなれば「風俗が死んだ後の世界」である。店舗という「パンドラの箱」を開けてしまった結果、風俗は無店舗型という目に見えない「亡霊」になり、繁華街の路地裏から浮遊・離散して、社会の見えない谷間や隙間に潜り込み、溶け込んでいった。
 それと同時に、店舗という箱の内側に封じ込めていた様々な「災厄」=性を売り買いする当事者に降りかかるリスクやスティグマ、副作用や後遺症も、目に見えない形で一斉に解き放たれることになった』

Photo 『性風俗のいびつな現場』(坂爪真吾著/筑摩新書/2016年1月15日刊)

 しかしまあ、今や風俗の料金ってのも随分デフレ状態なんですね。

『近年は「奥様系」「特急系」と称される、三〇~四〇代の女性による過激なサービスを売りにする激安人妻デリヘルがT市にも進出。三〇分三二〇〇円、六〇分六五〇〇円という従来のデリヘルでは考えられない超低価格で女性を派遣するため、価格競争が一段と激化している』

『なおAさんによれば、このT市内のデリヘルの八割以上は本番行為を行っているらしい。「手や口で射精させるより楽だから」という理由で追加料金なしでする女性もいる。本番が流行る理由は、売上を上げたい経営者のニーズや本番を求める男性客のニーズだけでなく、時間と手間のかかるオーラルセックスや素股をせずに楽をして稼ぎたいという女性側のニーズもある』

『二〇一五年現在、T市におけるデリヘルの相場は、六〇分一万三~四〇〇〇円前後。Aさんによれば、T市における売春(=出会い系サイトでの個人売春)の相場は、一万~一万五〇〇〇円程度だそうだ。東京などの首都圏の相場はホテル代別で二万円なので、都市部に比べれば若干安い』

『デリヘルでの本番行為がデフォルトになりつつある地方都市の特徴かもしれないが、個人売春・デリヘル・ソープの価格差は無くなりつつある』

 そんな「本番あり」の風俗店がいまやデフォルトなんだろうか。

『二〇〇〇年代の初頭まで、円山町は店舗型風俗店が密集しているエリアだった。「裏箱」や「モグリ箱」と呼ばれていたこれらの店は、厳密には無届営業の違法店だったが、警察には黙認されていた』

『「昔の風俗は、若い女性も人妻も、デブも細身も、みんな同じ店で働いていた」と店長は語る。今は店舗や業態が細分化して、デブ専門・貧乳専門・タトゥー専門・ブス専門などに分かれている。こうした細分化は、女性側としては働きやすくなるが、店舗側としては小規模にならざるを得ない』

『かつては「マチの客」=一つの街を愛し、その街で飲んで遊ぶ男性が多かったが、今は「フェチの客」=特定のフェチ的な記号のみを追い求め、街そのものの風情や店舗には無関心な男性が多いのかもしれない』

 それにしても「妊婦・母乳専門店」とか「「デブ・ブス・ババア」を集めたレベルの低さ日本一の「地雷専門店」」とか、「おかあさんグループでは、熟女と呼ばれる四〇~七〇代の中高年女性が、全店舗を合わせると数百名在籍している」とか、今の激安風俗店っていろいろあるんですなあ。それにしても40歳位ならわからないではないが、70代ってすごいなあ。

 で、そんな中でも「妊婦・母乳専門店」てどうして存在するのかと言えば。

『世間の常識に照らし合わせれば、「妊娠中に夫以外の男性と性交類似行為をする」「自らの母乳を子ども以外の男性に与えてお金を稼ぐ」という振る舞いは非常識そのものである。
 しかし前述の通り、新生児を抱えた産後一~二カ月の女性が、週二回、わずか二時間程度の勤務(無料の託児所付)で月に一〇万~三〇万稼げる仕事は今の社会には存在しない』

 と言うことで、そんな「激安風俗店」がいまや貧困女性のセーフティーネットになっているんですね。

『つまり、ソーシャルワークの立場から見れば、激安風俗店との連携は、見えづらく分かりづらい貧困女性層の存在、及び彼女たちが抱えている生活や家庭の問題を可視化し、支援につなげるための「最後の砦」を手に入れることになり得る。女性がシングルマザーの場合、その子どもにも支援を届けやすくなる。場合によっては、子どもの貧困や虐待、ネグレクトなどの発生も未然に防ぐこともできるだろう』

『一方、激安風俗店の立場から見れば、生活に困難を抱えているため満足に働けない女性たちの福利厚生を充実させることで、売上の増加と離職率の低下(求人広告費用の削減)につなげることができる。社会福祉士や弁護士と連携して在籍女性を支援していることを公表すれば、警察や世間からの好印象につながり、女性に対する搾取だという批判もかわせる。反社会的勢力を寄せ付けないための「魔除け」にもなり得るだろう』

『これまで風俗は、外部の非当事者によって一方的に語られ、女性に対する搾取や差別と決めつけられ、悪の象徴として裁かれる無言の「客体」であり続けてきた。しかし、福祉との連携を通して、時間はかかるかもしれないが、自らの言葉で自らの「正義」=社会的存在意義を主張する「主体」へと少しずつ進化していくことができるのではないだろうか』

 と坂爪氏は結論付けるのであるが、「なんかなあ」という気がしないでもない。結局社会保障の部分で彼女たちを助けられない以上、必要悪としての激安風俗っていうことなんだろうなあ。

『性風俗のいびつな現場』(坂爪真吾著/筑摩新書/2016年1月15日刊)

2016年2月 5日 (金)

東京周縁部を往く・鵜ノ木、下丸子・大田区

 今回の「東京周縁部を往く」は東急多摩川線、鵜ノ木駅がスタート。えっ? なんで鵜ノ木なんだって言われてもねえ、私たちにとっては東急多摩川線って言えば鵜ノ木なんですねえ。

 理由は後述。

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 駅前から少しだけ続く商店街を抜けると……

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 すぐに住宅街が広がる。

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 そのまま駅前通りを進むと大きなマンションが立ち塞がる。

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 で、そのままマンションの中庭を抜けると、突然、多摩川の河川敷が広がる。

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 息子が高校生の頃の野球の試合の応援でよく来た所であります。というのが種明かし。ここは日体荏原高校の球場かな。懐かしいな。

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 ただ、その頃にはこんな大規模な高層マンション群なんてなくて、大きな建物と言えば、創価学会大田池田文化会館があったくらいかな。

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 それがいつの間にかマンション群になってしまった。今の多摩川は治水が良いのだろうからあまり気にしていないのかもしれないが、このあたりのホンのちょっと上流が昔NHKドラマ「岸辺のアルバム」の舞台になったところなのだ。

 まあ、今や「岸辺のアルバム」なんて言っても知らない人の方が多いんでしょうけれどもね。逆に、それがちょっと気になる。

 ここに住んでいる人たちはそんな歴史を知っているのかどうか。

 いずれにせよ、下階が水に浸かってしまえばね……。マンションは共同所有ですからね。下の方で水に浸かってしまった場合は、上の方の階の人たちも関係なくはないんですよね。う~ん、まあ、それなりに備えはあるんでしょうねぇ。

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 で、下丸子のガス橋まで来れば、そこはキャノンの本社。

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2016年2月 4日 (木)

はじめての不倫学

 さすがに『「性の公共」をつくる、という理念の下、重度身体障害者に対する射精介助サービス、性風俗産業の社会化を目指す「セックスワーク・サミット」の開催など、社会的な切り口で、現代の性問題の解決に取り組んでいる』という坂爪真吾氏である。面白いことをおっしゃる。そう言えば前著『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』は読んだことがあるなあ。

 しかし、もともとコソコソやるのが不倫の愉しみであるものを「社会問題」として考えるって言ってもねえ。

Photo 『はじめての不倫学 「社会問題」として考える』(坂爪真吾著/光文社新書/2015年8月20日刊)

『「一盗二婢三妾四妓五妻」という言葉がある。現代風に言い換えれば、男性にとって最も快楽を味わえるセックスは、他人の妻を盗むこと(不倫!)であり、2番目は妻の目を盗みながら年下の若い部下とセックスすること、3番目は愛人を囲うこと、4番目は売春婦や風俗嬢を買うこと、最後の5番目が妻とのセックス、という意味だ。自分にとって最も価値の低い女(妻)が、他人にとっては最も価値の高い女(盗)になる、という転倒がある。男尊女卑極まりない格言だが、否定できない事実ではある。裏を返せば、一番足を洗いにくいのが不倫のセックスということになる』

 ということ。つまり、やっぱり一番いいのは「他人の奥さんとのセックス」であり、つまりこれは「恋愛」ではなく、あくまでもコソコソ妻に見つからないように他人の奥さんとセックスを楽しむということなんだなあ。単なる「肉と肉」の関係でしかないセックスだからこそ、一番楽しめるという訳。

『通俗心理学の世界では、男性の場合は好奇心が強く、芸術性や創造性を高く持ち、柔軟で型にはまらない思考をする知的な性格の傾向が強いほど不倫をする確率が高いとされている。アーティストや俳優、会社役員や経営者に不倫経験者が多いのは、こうした性格的側面が作用しているからだ、と捉えることもできる』

『女性の場合は、努力する意志や几帳面さに欠け、計画的に物事を進めることができない、誠実性が低い人ほど不倫をする可能性が高いとされている』

『一般に男性の不倫は、「相手ありき」というよりも「まず性欲ありき」で、何らかの誘惑やきっかけがあり、タイミングが合えば、簡単に不倫に踏み出しやすい』

『女性の不倫は、「まず性欲ありき」ではなく「相手ありき」で、自分の性欲ではなく、相手との関係性によって、不倫に対するモチベーションが変化する傾向がある』

『婚前交渉という言葉自体が死語になりつつあり、性的虐待が社会問題として公の場で語られ、結婚するカップルの4組に1組が「できちゃった結婚」になり、同棲や離婚が日常的になっている現在、不倫を「特殊な人の特殊な問題」として切り離すことはできない』

 うーん、まあそういうことなんだろうなあ。「通俗心理学」には賛成!

『男性が婚外セックスを求める理由は、生物学的には「1人でも多くの女性に、自分の遺伝子を受け継いだ子どもを産ませたいから」という理屈で容易に説明がつくだろう。配偶者に自分の子を産ませつつ、婚外で他の女性にも子どもを産ませること(そして自分は育児には関わらない=不倫相手の女性及びその配偶者に育児負担を押し付けること)が、倫理的にはともかく、最も合理的な繁殖戦略である』

『結婚相手の男性が身体的にも社会的にも優秀ではない場合、その男性の子どもを産むよりも、他の優秀な遺伝子を持つ男性と婚外セックスをして、そこでできた子どもを「夫婦の子」として育てる方がよい。同じ遺伝子の子どもを2人産むよりも、別々の父親から遺伝子を受け継いだ子どもを2人産む方が遺伝子的には有利であり、多様性と生存確率は高まる』

『男性も女性も、繁殖に関しては「一夫一婦制+不倫」という、倫理的ではないが合理的な混合戦略を採用しているのだ』

 つまり、不倫というものが社会的に一般的になりつつあり、同時にそれをなくすことは出来ないってことじゃないんだろうか。世の中が女と男だけでできあがっている以上、それは仕方のないことであり、普通の人はそれを発見した時にどう対処すればいいのか、という知恵を働かせるっていう方が無理がないんじゃないんだと思うんだよね。

 それを「不倫ワクチンを開発せよ」と坂爪氏のように言ってみても、本書に登場する朝井健一さんの「新芸術家連盟」や、椎名祐美子さんのセフレにしても、結局は(男性から女性への)金銭の受け渡しを伴うセックスの関係という観点からは、それは売春とどう違うんだろう。これは単に管理売春なのかどうかという違いである。金銭の受け渡しがない関係だったら、どこか不倫ワクチンという気がしないでもない。

 さらに言ってしまうと「希望としてのポリアモリー」というのも、やはり永遠の成立は難しいだろう。ポリアモリーとは『ポリアモリーとは、「責任をもって、同時に複数の相手と恋愛関係(性的関係を含む)を結ぶこと」を意味する。日本語では、「複数恋愛」もしくは「責任ある非一夫一婦制」と表記されることが多い。「ポリ(POLY)」は「複数」、「アモリー(AMORY)」は「愛」を意味してい』ということらしい。

『ポリアモリーの世界では、セックスを「2人の間で独占して厳重に守るべき、有限で貴重な化石燃料」としてではなく、「世界にふんだんに存在し、複数の相手と分かち合うことで皆が豊かになる再生可能エネルギー」として捉える』

 というんだが、これは1980年代のヒッピーのコミューン文化から来ている考え方で、人々が共同生活をする中でセックスも伝統的夫婦関係の中で捉えずに、セックスも共有しましょうということなんだが、しかし、今やヒッピー文化も廃れてきてしまっている。

 ここはやっぱり伝統的夫婦関係(一夫一婦制)の中で、ヒヤヒヤしながらよその(既婚、未婚は問わずに)女性や男性とのセックスに励むっていうほうが、不倫の暗さなんてのがあっていいんじゃないか。

『英国の首相を務めたウィンストン・チャーチルは、「民主主義は最悪の政治体制だ。ただし、これまでに試されたあらゆる政治体制を別にすれば、の話であるが」という名言を残した。チャーチルの言葉を借りれば、「一夫一婦制は最悪の制度だが、それ以外に我々が取るべき選択肢はない」ということになる。ムリ、ムダ、ムラだらけの制度だが、一番マシ。歴史的に見れば、一夫多妻・一妻多夫・集団婚・オープンマリッジなど、様々な婚姻形態が試されてきたが、単婚の一夫一婦制以上に成功したものはない』

『配偶者以外の相手との婚外関係をマネジメントできるのは、婚内関係(夫婦関係・家族関係)が安定している人のみ、という矛盾があるのだ。さらに言えば、婚外関係をうまくマネジメントできるのは、婚外関係を相対化できる人=精神的に安定・自立しているために、そもそも婚外関係を必要としていない人、婚外関係がなくても問題なく生きていける人である』

 というのだからね。

 やっぱり『一盗二婢三妾四妓五妻』ですな。

『はじめての不倫学 「社会問題」として考える』(坂爪真吾著/光文社新書/2015年8月20日刊)

2016年2月 3日 (水)

さる寺、獅子寺・中野上高田

 山手通りの交差点を早稲田通り沿いに中野方面へ少し行くと、お寺が九つズラッと並んでいる場所がある。

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 山手通りに近い方から順番に、浄土真宗本願寺派専念山正見寺、曹洞宗曹渓山青原寺、真宗大谷派金喜山源通寺、真宗大谷派荒居山高徳寺、臨済宗妙心寺派慈雲山龍興寺、臨済宗妙心寺派蒼龍山松源寺、曹洞宗天壽山宗清寺、曹洞宗盛高山保善寺そして曹洞宗乾龍山天徳院の九寺院である。

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 その内、松源寺は「さる寺」という異名があるそうだ。

『さる寺縁起として『江戸名所図会』に「昔、境内に猿をつなぎて置きたりとて、今も世に猿寺と号く」と記されています。また、元禄の頃四代目の住職・徳門和尚が渡舟に乗ろうとして猿に引きとめられ、舟に乗れなかったところ、その船が沈み猿のおかげで難をまぬがれたと云う話も松源寺に伝わっております』

 というのがその理由。

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 その松源寺からひとつおいて保善寺に行くと、今度は「獅子寺」と書いてある。

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 こちらは境内に掲示があって

『盛高山保善寺といい御本尊は釈迦牟尼佛をまつる。開山は勅特賜円明宝鑑禅師蟠翁門龍大和尚で武田信玄の従弟にあたる。文禄二年(1593年)の創建、三代将軍家光公牛込酒井邸にあそびし折り当山に立寄られ獅子に似た犬を賜う。以後獅子寺と称す。 明治三十九年牛込通寺町より当地に移る。本堂正面に月舟禅師筆「獅子窟」の額をかかぐ』

 とある。

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 いやあ、なかなか趣き深い中野のお寺ではありますね。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Kamitakada Nakano (c)tsunoken

2016年2月 2日 (火)

『<40男>はなぜ嫌われるか』って、そりゃ決まってるじゃん。ウザいんだよ! オジサン!

 そりゃあまあね、私だって40歳の頃はまだまだ若いと思っていたが、でも、20代の若い女の子から見れば充分「おじさん」な訳で、そんなおじさんが若い女の子に迫っていけば、それは「気持ち悪~い」とか「キモイッ」ってなことになるのは当たり前のことなのであります。

40 『<40男>はなぜ嫌われるか』(田中俊之著/イースト新書/2015年8月27日刊)

 著者の田中氏だって、あとがきに『最後に、私事ではあるが、二〇一五年七月三日に、初めての結婚記念日を迎えた』って書いているんだけれども、つまり1975年生まれの田中氏が結婚したのが2014年、39歳の時なわけだから多分奥様もアラフォー(?)、あるいはせいぜい若くてもアラサーなわけでしょう。つまり、40男が20代前半の女の子にモテると考えるのは、単純な幻想。やっぱり自分と経験、意見が合う自分に近い年齢の女性と付き合いなさい、ってのが正解なんだなあ。

 まあ、別に加藤茶みたいなのは否定はしませんけれども、ちょっとムリしてるなあ、っていう感じはあり。

『若い、老けているというのは、あくまで、40男という範囲の中での話にすぎないからだ。その内部での微妙な差異にこだわってみたところで、傍から見れば良くも悪くもただのおじさんである。決して三〇歳に見える外見をしているわけではない』

『時間をかけてしっかり鏡の中を覗いてみて欲しい。若い頃に比べて、すっかり鏡に向かう時間が減っている40男は多いはずである。鼻毛が飛び出していたり、耳毛が伸びたりしてはいないだろうか。俳優のように優れた見た目によって人から注目される必要はないから、せめて他人に不快感を与えないように気をつけたい。そうしたレベルからスタートするしかないのが、40男の現状なのである』

 今年40歳の男ってどういう存在なんだろう。

『大きな夢を抱けと言われてきた少年時代から、男たちは競争に晒され続けてきた。中学受験がまだ珍しかった時代だから、一般的に最初の関門は高校受験である。近所に住んでいるというだけで同じ中学校に通っていた少年たちは、学力によって篩(ふるい)にかけられた。大学受験では、現役で入れる大学を選ぶ女子が少なくなかったけれど、より偏差値の高い大学に入学しようと浪人する男子は多かった』

『就職氷河期が新語・流行語大賞の審査員特選造語賞を受賞したのは一九九四年のことだ。中でも就職が厳しかった一九九〇年代後半から二〇〇〇年代初頭にかけての時期は、超氷河期と呼ばれている。まさに40男が就職活動をしていた期間である』

『40男は岐路に立たされている。道は出世コースとそれ以外だ。しかも、どちらの道を歩むかを自分で決めることもできなければ、後戻りすることもできない。現時点での格差は決定的である。
 競争は終わった。もう逆転の可能性はない。少年時代の夢だけではなく、現実的な仕事上の成功という意味でも答えは出てしまっている』

 なるほどなあ、つまり平成に生きている40男も実は育ってきたのは昭和の時代だったってこと。昭和的な価値観で育ってきたけれども、現実に社会に投げ出されてからは平成になって、そこでは平成的価値観の中で生きていかなければならなかったという、ちょっとした「育ち」と「その後に生きる」という部分での価値観の乖離があるってことなんだろうなあ。

『自分のズレ具合に疑問を持ち、改善していこうとする40男と僕は共に歩んで行きたい。
 40男の抱えている問題は、育ってきた時代状況や世代としての共通の経験、それに加えて年齢を重ねたことで否応なしに発生した側面がある。決して、自分たちのせいだけではない』

『改めて確認しておけば、40男とは、二〇一五年時点で四〇歳前後、三〇代後半から四〇代前半までの男性のことである。一九七一年から一九七四年までの団塊ジュニア世代が顕著であるが、人数の多さが一つの大きな特徴となっている』

『アラサーの世代は女子と一緒に家庭科を習っているけれど、僕らの世代は女子が家庭科の時間に、男子は技術科や武道に励んでいた』

『40男が少年期を過ごした一九八〇年代から一九九〇年代にかけて、学校でも家庭でも、男女は基本的に二つに分けて隔てられていた。女の子にしか家事の手伝いをさせない親もいた』

 う~ん、やっぱり高校時代までは完全な昭和的価値観のなかで育てられたんだなあ。

『仕事の問題に目を向けると、一九九五年、日経連が『新時代の「日本的経営」』を発表し、その中でこれからの働き方を、「長期蓄積能力活用型グループ」(期間の定めのない雇用契約)、「高度専門能力活用型グループ」(有期雇用契約)、「雇用柔軟型グループ」(有期雇用契約)の三つに分類した』

『40男の世代は、学校卒業時には経済状況の悪化に加えて、まだ団塊世代が現役で上が詰まっていたという事情もあり、就職氷河期を経験することになる』

『求人倍率が低下した時期に就職活動をした一九七二年から一九八二年生まれの世代は、二〇〇七年に朝日新聞によってロストジェネレーションと名づけられ、どうやら他の世代に比べて割を食ったらしいことが明らかになる』

『二〇〇四年になると、非正規で働く人が三割を超す。国民年金の未納率は三六・六%にのぼった。また、通学も仕事もしておらず、職業訓練を受けていないニートが六四万人いると話題になった』

『二〇〇九年、株価はバブル後最安値の七〇五四・九八円を記録する。また、所得が平均の半分に満たない人の割合を示す貧困率が一六・〇%と、六人に一人に近い数字であることに注目が集まった』

 という具合に、大学から社会に出られた途端に「平成の現実」に晒されてしまうんだなあ。

 だからといって、別にこんな「昭和と平成の狭間に生まれた就職氷河期世代」には別に同情する気はない。だって、そんなのは自分たちで解決するしかないじゃないでしょうが。

『おじさんという言葉は、おばさんと同様に悪いイメージがこびりついてしまっている。しかし、すべての中年男性がねちっこく、陰湿で、他人を不快にさせる鬱陶しいおじさんになるわけではない。もうおじさんになったことは確定なのだから、せめて僕ら40男は、優しく、真面目で、細かいことに気がつける清々しいおじさんを目指そう』

 ということでしかないんだが、そのためには『多くの40男は若い頃から政治的な知識がまったく増えていない状態で、不正確な情報、狭い視野、そして、低い問題意識で政治的なスタンスを決めている。危機感を持つべきなのは、日本の現状ではない。自戒の念を込めて言っておくが、僕たちの政治に対する無関心こそ明らかにこの国の不安要素である』ということに自覚的であるべきではないだろうか。

 自民党安倍政権の評価すべきところはどこなのか、批判すべきところはどこなのか。東京都舛添都政に対して評価すべきところはどこなのか、批判すべきところはどこなのか。大阪市(府)橋下市(府)政に対して評価すべきところはどこなのか、批判すべきところはどこなのか。

 単に批判する、単に評価するということではなくて、キチンと物事を見て、キチンと評価するっていうのが、実は「正しいオジサン」の政治に対する「モノの見方」だっていうことを、若い人に伝えましょう。

 そうすれば、結構若い女性からも受け入れてもらえるかも知れないよ。

 まあ、だからって「モテる」かどうかは知りませんけれどもね。

『<40男>はなぜ嫌われるか』(田中俊之著/イースト新書/2015年8月27日刊)

2016年2月 1日 (月)

上野から浅草までを歩いて往復

 以前は浅草に行く際は上野から銀座線に乗っていた。

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 ただし、最近「一日1万歩」を意識するようになってからは、上野から浅草通り(通称、仏壇通り)を歩いていく。

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 一昨日もそうで、少々寒かったがそんなことは気にせずに歩く、歩く。

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 で、歩きながら写真撮影なんだが、ほらちゃんと「絞りを開いて遠くをボカす」なんて撮り方をしていたり……

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「絞りを絞ってシャープに撮る」なんて撮り方をちゃんとしているでしょ。

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 まあ、その辺は分かっているんだけどね。

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 で、上野から浅草まで歩いて、観音様の境内で撮影を行い、また浅草から上野まで歩くと、大体1万2千歩になるという訳。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Ueno Asakusa Taito (c)tsunoken

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