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2016年1月 8日 (金)

駒込・妙義神社

「日光御成道」つまり現在の本郷通りを駒込駅前を過ぎると、霜降橋の交差点に向かって坂を下りるのだが、その坂道の名前が「妙義坂」という。

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 まあ、要はその坂の途中に妙義神社があるからなのだ。

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 これが妙義神社。

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 豊島区が設置した由緒書きには……

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『当社の祭神は、高御産霊神・日本武尊・神功皇后・応神天皇である。文政十一年(1828)に成立した「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、のち白雉二年(651)五月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、区内最古の神社ということになる。
 くだって文明三年(1471)五月、足利成氏との戦いを前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。その際、「雲払ふ 此神垣の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは、成氏を敗走させたという。
 続いて道灌は、文明九年の豊島勘解由左衛門との戦いの際、さらに同十一年の千葉孝胤攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。その一方で、大永年間(1521-27)には江戸城代遠山丹波守が、また永禄十二年(1569)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間(1573-91)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰廃するなど、当社にとって戦国時代は波瀾の時期でもあった。
 境内には、寛永十九年(1642)十一月に駒込村の農民によって建立された庚申塔が遺されており、当該地域の信仰の拠点となっていたことが推察される。』
(豊島区教育委員会掲示より)

 とある。

 妙義神社なんだから、群馬県の妙義山にある妙義神社となんらかのつながりがあるのだと思うのだけれども、それについて触れている資料は見当たらない。

Dsc_00112

 太田道灌との関係しか分からないのだ。

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 境内には「道灌霊社」と並んで庚申塔があります。

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 駒込妙義神社の公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4 D @Komagome Toshima (c)tsunoken

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