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2016年1月20日 (水)

目から鱗の『スター・ウォーズ学』

 2012年10月31日のブログ「ディズニーがルーカスフィルムを買収って? でもない話ではないのか」に「つまり、もうヒヤヒヤする人生は送るのは沢山。これからはディスニーのエクゼキューティブ・スタッフとして、企画だけをやり、あとの作業は誰かに任せるという考え方なのだろうその方が気楽にいられる」なんてお気楽なことを書いたんだけれども、やっぱりそんな甘い話ではないのだな。

Photo 『スター・ウォーズ学』(清水節・柴尾英令著/新潮新書/2015年12月28日刊)

『二〇〇六年にピクサーを七十四億ドルで、二〇〇九年にマーベルを四十億ドルで買収してきたディズニーは、ついに二〇一二年、ルーカスフィルムを四十億五千万ドルで買収した。ピクサーやマーベルは買収されたのちも、クリエイティブ面において親会社ディズニーからの理不尽な介入はなく、企業風土や企業文化を尊重されている。買収に応じる際、このことをルーカスは重視したという』

『ルーカスの経営面でのフォースは消えかかり、惑星ダゴバで隠遁するヨーダのように、もはや限界だったのではないか。六部作完結以降、ルーカスは経営から身を引く決意を何度か公言してきた。戦略にブレが生じ、先行き不透明だったことは確かだ』

『当初は独立系プロダクションとしてメジャー・スタジオと闘ってきたウォルト・ディズニーにシンパシーを抱いていたのだろう。独裁者にも似た強烈な意志の持ち主で、個人的な映画作りを一大ビジネスに昇華させ、既存のハリウッド・メジャーとは別の帝国を築き上げる──。そう考えれば、ルーカスはディズニーに似ているのだ』

『実は、買収前にルーカス自身が、新たな物語を構想していたことが判明している。サーガ再開は、買収を決めたディズニーの独自のアイデアではなく、ルーカス自身の意志だった。しかも彼は、自ら『エピソード7』を製作・監督したい意向もあった。今にして思えば、『エピソード1』のみで頓挫したものの、全六作3D化による順次再上映企画は、『エピソード7』公開への伏線だったのだろう』

『だが、旧三部作時代のルーカスの言動を知っている者なら、「九部作完結」発言を決して忘れてはいない。旧三部作時代にルーカスが語った構想によれば、エピソード7以降の主な要点はこうだ。「共和国の再建を描く」「家族の物語」「ルーク、レイア、ハン・ソロが六十~七十歳代で登場」「倫理的なテーマを描く」「R2‐D2とC‐3POだけが、九部作を通して登場」などなど。さらには、十二部作構想を証言する者もいる』

『米「ヴァニティ・フェア」誌の取材に対し、『エピソード7』こと『フォースの覚醒』の監督に指名されたJ・J・エイブラムスは、「ディズニーとキャスリーンは、別の選択肢があると考えた」とし、プロデューサーのキャスリーン・ケネディは「私たちはルーカスのアイデアから離れることにしたの」と証言。ルーカスはこの件に関し、インタビューに答えるのを拒んでいる。
 そう、ルーカス案は却下されたのだ。製作の主導権が移ったことを痛感させられる』

 結局はジョージ・ルーカスは蚊帳の外に置かれてしまい、ルーカスの構想とは別の所で「スター・ウォーズ・サーガ」が作られてしまうという結果になってしまった。ルーカスはそれで満足なんだろうか。

 まあ、単なる「オタク」のルーカスにとっては、映画製作の前面に立って戦うことはあまり得意ではなかったようで、結構、現場から逃走したりしていた訳で、そんな奴は映画の現場にはいらないというのがキャスリーン・ケネディの考え方なんだろう。原作者としてのルーカスはそれを拒否することはできたんだろうけれども、それをしなかったということは、そこまで九部作にこだわっていたのか、あるいは逆にそこまで年老いてしまったのか。その辺の真相(深層)までは我々の考え方では及ばないのが残念だ。

 それにしても、本書でびっくりしたのはルーカスが影響を受けたのがヌーベルバーグだったということ。

『ルーカスにとってのヒーローは、『勝手にしやがれ』(五九)や『気狂いピエロ』(六五)を発表した監督、ジャン=リュック・ゴダールだった』

『ジャーナリスティックな問題意識が噴出し、混沌とした時代を、映画ならではの映像と音楽によって表現した感性と編集技術が見事だ。ルーカスにとって映画は、メッセージを伝えるための武器となった。この作品で彼は、いきなり数々の映画賞を総なめにしている』

『それは卒業制作『電子的迷宮/THX‐1138:4EB』(六七)だ。この十五分の短編は、コンピュータによって近未来の管理社会から逃走する男を描いている。権力に反旗を翻し、自由を求めるテーマは『フライハイト』と変わらないが、SF的な設定を導入したのだ。本来ルーカスが愛してやまないはずの、「マシン」の危うさを初めて描いた作品でもある』

 この『電子的迷宮/THX‐1138:4EB』は後に、フランシス・フォード・コッポラのプロデュースでもって劇場用映画としてリメイクされる。

『コッポラのプロデュースによってワーナーが製作費を出し、十五分の短編を九十分弱に拡張し、『THX‐1138』とタイトルをシンプルに変えて、ルーカスは劇場用映画の監督デビューを果たす』

『ただ、映像センスは抜群だが、ドラマらしきものは発展せず、ひとえに主人公が自由を目指して逃走する終幕に向かって構成されている』

 もともと人間ドラマは不得意なルーカスがジャン=リュック・ゴダールに影響を受けたというのが意外だったんだが、むしろルーカスとしてはゴダールの思想やドラマ作りよりは、ゴダールの映画作りの考え方の方に影響を受けたのではないだろうか。つまり、当時はしっかりした三脚でカメラを回したのに対して、ゴダールが手持ちカメラを多用したり、即興演出をしたりという方法論の方にである。

 それがルーカスでは映画の撮影よりはポストプロダクション重視の考え方や、デジタルシネマの方へ向かっていった方向性になっていったように思える。

『潜在的な能力は、USCの映画学科に進んで一気に開花する。メカを愛するルーカスの興味の対象は、車からムービーカメラへと移っていった』

 というのだからね。

『ルーカスは、「映画は発明された瞬間から、最もテクノロジカルなアートだ」「映画とはフィルムの化学反応のプロセスではなく、あくまでも動くイメージのアートだ」という認識にしたがって、常に最新技術を採り入れてきた』

 あくまでも映画はテクノロジーのアートであるからだ。

『スター・ウォーズ学』(清水節・柴尾英令著/新潮新書/2015年12月28日刊)

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