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2016年1月14日 (木)

『土佐堀川』には「ビックリポンやわあ」

 本来ならば今頃はまだ今年の本は出ていない時期なので、あまり新規に本は買わないんだけれども、何となく「今時はどんな本が出ているのかな」とばかりに散歩の途中で本屋さんに立ち寄って、なんとなく買ってしまった本がこの本なのでした。

 今年初めて読んだ紙の本である。それくらい電子書籍の時代になってきつつあるんだなあ。

Photo 『小説 土佐堀川――広岡浅子の生涯』(古川智映子著/潮文庫/2015年9月28日刊)

 大同生命という会社の名前は知っていたが、広岡浅子は知らなかった。ユニチカという会社の名前も知っていたが、広岡浅子は知らなかった。日本女子大は知っていたが、広岡浅子の名前は知らなかった。まあ、そんなもんだろう。なにせ「あさが来た」で初めて知ったんですからね。

 しかし、凄いのは広岡浅子という人は腎臓病で数えで70歳の生涯を終えたんだが、その前に、九州の炭鉱と大阪を往復している頃には結核を病み、加島銀行や広岡商事を運営しながら日本女子大の創立に東京と大阪を往復している頃には乳癌に罹っている。現代なら早期発見で大丈夫云々というところだが、明治の時代ではそれこそ「死病」と恐れられていたはずだ。ところが、それらの大病を自らの意志で抑え込んでしまったんだなあ。それこそ「ビックリポン」なのであります。

 しかし、この「ビックリポン」はテレビの創作のようで、本当は「ばんざい」だったそうだ。

『「ほんまどすか、よかったなあ。ばんざいや」
 浅子はまた十八番(おはこ)のばんざいを連発した。
「ばんざい、ばんざい、ばんざい」
 成瀬も一緒に立ち上がり、両手を挙げながら加島屋の座敷の中を回った。
「どないしたのや、えらい騒ぎやなあ」
 在宅していた信五郎もやって来た。成瀬と浅子のありさまを見て呆気にとられている。
「早う中にはいっておくれやす。渋沢先生が女子大創立に協力してくれはるのやて。これで九分どおり成功どす」
 渋沢の参道は、女子大学校創立を絵にたとえれば画竜点睛に値するものである。
「そうか、それはばんざいや」
 軽妙なところのある信五郎は、すぐに二人の後につづいてばんざいを唱えた。
「小藤も亀子も番頭も、みな集まれ」
 自分だけではなく、信五郎は店のほうにも叫んだ。何事かと執事や下男にいたるまでが座敷に集まった。
「さあみんな、輪の中に入れ」
「ばんざい、ばんざい、ばんざい」
 間仕切りの襖がはずされ、加島屋総出による万歳踊りが長い時間にわたってつづいた。』

 また、炭鉱の落盤事故は新次郎の幼馴染サトシの起こした事件だった、というのがテレビの設定だけれども、小説では事故か事件かはわからない。

『犠牲者の名簿を受けとった時、浅子の目はその一ヵ所に釘づけになった。
「この三井高長ていう名前は」
 中に室町家の高長と同じ名前の抗夫が入っている。
「室町家の小父さんやないの。何でこの山に来はったのやろか」
 毛利家の借財延期のため上京した時に、深川の三井の別荘で出会ったきりである。若い女と一緒で子供が生まれるようなことを言っていた。
「数多い抗夫の中でも、そいつのことはよう覚えてます。中村いう飯場主の第一の子分だしたによってに」
 宮下は高長のことをはっきり覚えていた。中村については、最後まで加島屋に抵抗した大物の飯場主である。加島屋についた後も何か裏がありそうで、納得のいかないふしが多かった。
 今回の事故について、浅子はある疑念を抱いていた。抗内に残って事故に遭ったのは、中村の組に属する抗夫ばかりである。以前にこの一派が、何か策略を立てているらしいという情報が入ったことがある。その時は別に気にしなかったが、いまになってみれば、加島屋を陥れるために、作為的に爆破を計画したのではないかという疑問もわる。だとすれば、死んだのは誤算で、逃げ切れずに惨事を招いたのだはないか。どういうわけか、中村は早く坑道を出て助かっている。このへんにも事件の謎を解く鍵がありそうにも思う。』

 とは言うものの、いくら落ちこぼれたとはいえ、大三井家の一家のものが炭鉱夫にまで身を落とすんだろうか。やはりそこは「小説 土佐堀川」なのかも知れない。

 同じころ、東京では鹿鳴館ブームが起きていたようだけれども、浅子はこれについては批判的だったようだ。

『同じ頃東京では、上流階級の婦人たちが、浅子とは雲泥の差の生活を送っていた。日本人と外国人の交歓社交倶楽部として日比谷にできた鹿鳴館で、国際親善をはかるための大舞踏会が夜ごとに開かれていた。コルセットをつけ、豪華なドレスをまとった貴婦人たちが、ワルツの曲に合わせて深夜まで踊りつづけている。
 積極的に新しいものを知りたいと願う浅子は、西洋文明の移入には反対ではなかったが、伝え聞く貴婦人たちの行動には納得できぬ感情を抱いていた。
 生活はすべて男性に頼り、贅沢な衣装や宝石で身を飾り、深夜まで踊り狂う。それが新しい女性の生き方なのだろうか。勉学をし、しっかりと働き、世の趨勢を見極めていく。それが真の女性の自立というものではないだろうか。
 毎日、女抗夫同然の生活をしている浅子にとっては、いずれにしても遠い世界の出来事であった。』

 とは言うものの、鹿鳴館に通っていたのは元は大名クラスの武士たちだったんではないだろうか。だとしたら、鹿鳴館に通う貴婦人たちは、もともと生活感のないか弱き女性でしかなかった筈。

『封建社会にあっても商人の妻は武士の妻と違って、富の力を持っている。豪商の娘が嫁入りに持っていく道具や膨大な持参金は、婚家に入ってからもずっと妻の財産として管理され、他の人間は指一本触れることができない。商人の妻は夫以上に商才に長け、精出して働くので、女が男に従属する世の中で唯一平等な存在であった。』

 というのであれば、そんな商人の妻の方が武士の妻よりは気位は高くても良いだろう。まあ、これも「小説 土佐堀川」なのかもね。

『小説 土佐堀川――広岡浅子の生涯』(古川智映子著/潮文庫/2015年9月28日刊)

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