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« 『ぼくらの仮説が世界をつくる』の仮説とはそういうことだったのか | トップページ | ニコンカレッジを受講してきた! 2の二日目 »

2016年1月23日 (土)

京浜急行大師線

 今日は一昨日の川崎大師の続編。

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 川崎大師の最寄り駅は京浜急行川崎大師前駅と東門前駅。で、川崎大師前駅の脇には何かよく分からない線路みたいな敷石と、奥に電車の車輪みたいなオブジェがある。

Dsc_00562

 ね、これです。

Dsc_00572

 もっと近づいてみると、「発祥之地」とある。

Dsc_00592

 実は京浜急行電鉄の発祥の地は、ここ川崎大師前だったのであります。

 Wikipediaには『現在の京浜急行電鉄の元となったのは、旧東海道川崎宿に近い六郷橋から川崎大師まで標準軌で開通した大師電気鉄道である。同社は日本で三番目、関東では最初の電気鉄道会社であった。創立時には安田財閥が人的・資金で援助したこともあり、そのため現在でも安田財閥の流れを組む芙蓉グループの一員となっている。
 東京市電との相互乗り入れを目論み、軌間を開業時の標準軌から一旦は1372mmの馬車軌間へ改軌を行うが、後に子会社となる湘南電気鉄道による三浦半島方面の延伸線への乗り入れを行うために、再度標準軌に改軌された。
 1942年には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により東京急行電鉄(いわゆる大東急)に併合されるが、1948年に京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)の3社が分離・独立し、現在に至る』とある。

 そうか、京浜急行電鉄って川崎の「橘樹郡川崎町久根崎-同郡大師河原村字中瀬間」、つまり現在の川崎競馬場そばの川崎市川崎区の久根崎交差点(現在の京急大師線港町駅)から川崎大師前までの区間を「六郷橋-大師」駅として開業したのが会社の興りだったんだなあ、と蒙を啓いたのであります。

 標準軌で作ったのが良かったのか悪かったのか。長らく京浜急行は他のJRなどとの乗り入れはできなかったが、現在は京成電鉄、都営地下鉄浅草線などと相互乗り入れを行っており、羽田空港と成田空港を乗り換えせずに行けるのはこの路線しかないのであります。

 ところで面白いのは、上記の「六郷橋-大師」間の開通は明治32年(1899年)1月21日なんだが、開通式を行ったのは明治35年(1902年)10月17日だったということ。

 なんで? とも思うのだが、要は「対立関係にあった人力車組合の影響を考慮して開業直後に行わなかった」ということらしい。 

 川崎の久根崎地区って昔の東海道川崎宿のあった場所(つまり現在の川崎堀之内ソープ街があるところ)で、当然そこには利権集団として「人力車組合」ってものがあったわけで、そことの摩擦を避けようとしたってことなんだろうなあ。

Dsc_00602

 まあ、その辺が明治の経済人の心意気ってもんでしょうね。

 今の人たちなら、平気で既得権益なんて踏みつぶしちゃうもんね。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4 D @Kawasahi (c)tsunoken

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