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2016年1月

2016年1月31日 (日)

ニコンカレッジを受講してきた! 2の三日目は、浅草撮影実習

 ということで、昨日は「ニコンカレッジ 写真の基本 撮影実習」であります。

Dsc_00132

 実習の始まりは和田直樹講師からの課題が出された。

 一つは絞りを開けて撮る。つまり、近いところをフォーカス・オンにして、遠いところをボカすっていうのだが、実はそれは私の得意の撮影法なんですね。ということで下がその課題写真。

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 本当は手前の女性にピントを当てて撮った方が良かったんだけれども、実は狙いは提灯だったのが、たまたま女性が入ってしまったということ。

 もう一つの課題が、絞りを絞って撮るというもので、それならやはりこれでしょうということで、手前に御香を焚いている場所を入れて、奥に本堂という配置。

Dsc_00912

 ということで、「技術的にはOKなので、今度は奥行きを考えて撮りましょう」ということで、下の写真。

 なんか和服にスニーカーというのが面白くて撮ったんだが、この女性の写真はこれ一枚だけ。「もっともっと近寄って、何枚も撮りましょう」というのが先生の言。

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 それにしても「作品作りを意識して沢山撮りましょう」というのが先生の言なのだが、撮っているうちに何を撮ればいいのか分からなくなってくる。

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Dsc_01812

Dsc_01922

 下の写真、一番右側が講師の和田直樹氏であります。

 私が全部モノクロで撮っているのにちょっとビックリしたようだが、今の人はすべてカラーで撮るのかしら。

Dsc_01912

 さあ約200カットばかりを撮影して、その内5点を来週提出だ。どれを選ぼうかな。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Sensoji Temple Asakusa Taito (c)tsunoken

2016年1月30日 (土)

『働く女子の運命』はツラいばっかり

 結局、欧米型の「ジョブ型社会」ではなくて、新卒一括採用、年功序列型賃金という日本独特の働き方がすべての原因だということなんだろう。

Photo 『働く女子の運命』(濱口桂一郎著/文春新書/2016年1月20日刊)

『欧米社会では、企業の中の労働をその種類ごとに職務(ジョブ)として切り出し、その各職務を遂行する技能(スキル)のある労働者をはめ込みます。旋盤操作のできる人、経理事務のできる人、法務のできる人、といった具合です。つまり、採用とは基本的にすべて(新たに職務を設ける場合も含めて)欠員補充です』

『日本社会では、企業とはそこに人をはめ込むべき職務の束ではなく、社員(会社のメンバー)と呼ばれる人の束だと考えられています。この「社員」は、欧米社会と違って特定の職務を遂行するために採用されるのではありません。さまざまな職務を企業の命令に従って遂行することを前提に、(今は特定の職務はできなくても)将来さまざまな職務をこなしていけそうな人を、新卒一括採用で「入社」させます』

『仕事をしながらスキルを身につける、これが日本流のオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)です。こうして勤続とともにいろんな仕事をこなせるようになるので、それに応じて年功的に賃金も上がっていくことになります』

『女性はいま目の前のこの仕事をどれだけきちんとこなせるかなどという些細なことではなく、数十年にわたって企業に忠誠心を持って働き続けられるかという「能力」を査定され、どんな長時間労働でもどんな遠方への転勤でも喜んで受け入れられるかという「態度」を査定され、それができないようでは男性並みに扱われないのです』

『欧米のどの国でも、男女平等の出発点は男女同一労働同一賃金です』

『ジョブ型社会の大原則である同一労働同一賃金を男女間にも適用することです』

 そうなんだよな。「同一労働同一賃金」ということが一番重要なんだよなあ。

 例えば、私がいた講談社でも以前は短大卒で営業職の補助的な作業をする女性社員もいれば、四大卒で編集職で男性社員と同等に働いている女性社員がいて、当然、営業職の女性社員は割と早めに退職して結婚してしまい、編集職の女性社員はかなり高齢になるまで結婚しなかったり、結婚しても仕事は辞めない人が多かった。しかし、最近は四大卒しか採用しなくなってきて、みんな会社を辞めないし、その分、営業の補助作業は派遣会社からの人が多くなってきている。当然「同一労働同一賃金(正社員のみ)」である。

 でも、まだまだ男女差別はあって、未だに女性役員は出てきてはいない。そこがちょっと残念だ。まあ、女性誌や女性向けの書籍なんかも作っている会社なので、他の会社よりは女性は働きやすい職場ではあるけれども、やっぱり完璧ではないというところ。まあ、ワークライフバランスなんて言ってしまったら、完全にそれは壊れている会社だからね。

『労働基準法には一日八時間、週四〇時間という法定労働時間の定めはありますが、それはいかなる意味でもそれ以上働かせてはならない物理的労働時間の上限などではなく、せいぜいそれを超えたら割増賃金を支払わなければならないという基準に過ぎません。職務にも勤務場所にも原則として限定のない男性正社員には、もちろん時間においても限定はないというのがデフォルトルールであったのです』

『越えることのできない大きな溝を作りだしているのは、直接的にはそれまでの日本の職場の常識に反する、時間がきたからといって帰ってしまう非常識な(!)労働者の出現です。かつての補助的業務しかやらない「女の子」社員ならともかく、職場の基幹的業務を担う社員がそんなことで、仕事が回るわけはないだろう、と、思うでしょう』

 ということで、結局、法定労働時間というのは「労働時間の上限」を定めたものでなければいけない、ということなんだろうなあ。そうすれば残業をしないでさっさと帰宅する社員がいてもなんの問題もなくなるわけだし、多分その方が定時の間の労働生産性も上がる筈だ。なにしろ日本の残業って、本当に残業しなければならないほどの仕事量を抱えている訳ではなく、何となく皆残業をしているので、私も残業しますってなもんだろう。

『残念ながら、今日まで限定正社員、ジョブ型正社員に関する議論は結構盛んに行われているにも関わらず、それはほとんどもっぱら職務限定正社員や勤務地限定正社員であり、それゆえにまた解雇規制との関係でその是非が熱っぽく議論されているのですが、ワークライフバランスを確保するという観点からの時間限定正社員という議論は、あまり関心の対象になっていません』

 本当にそうだ。何故なんだろう?

『時間無制限に働くことはやぶさかではないが、生活費に組み込まれている残業代を取り上げられることだけは絶対に阻止したいという、ある種の典型的な男性正社員の発想がいかに強いかを改めて感じさせる出来事でした』

 っていうことだったんですね。

 で、結局

『そういう日本的成果主義の世界とはあたかも切り離された別世界のお話であるかのように、二〇〇〇年代にはワークライフバランスの大合唱がわき起こり、ノーマルトラックとは区別されたマミートラックが作り出され、その両側に分断された女性たちがどちらも不満を募らせるという状況が進んでいるのが現在の姿と言えましょう』

 う~ん、問題はなお深刻なようですね。

 しかし

『この多重に錯綜する日本型雇用の縮小と濃縮と変形のはざまで振り回される現代の女子の運命は、なお濃い霧の中にあるようです』

 なんていう結論で、解決策を出さないってのもいいのかなあ。

 あっ、そうか。

 欧米型の「ジョブ型社会」になってしまえばいい、日本型の「メンバーシップ型労働社会」をやめればいい、って結局はそこに行きついちゃうんだなあ。

 ということは永遠の「堂々巡り」ですね。

 じゃあダメじゃん「働く女子の運命」なんてさ。

 って? それを言いたかったの?

『働く女子の運命』(濱口桂一郎著/文春新書/2016年1月20日刊)

2016年1月29日 (金)

「[週刊文春が報じた ジャニーズ女帝メリー喜多川 怒りの独白5時間」も面白いいんだけど、それ以上に面白いこと

「週刊文春」2015年1月29日号の記事を、SMAP分裂騒ぎがあったので緊急にバラ売りしたわけだ。

 まあ、いかにも電子書籍らしい売り方ではある。こういう方法はもっと出版社で研究した方がいいな。記事のバラ売りって発想はいい。

Photo_3 『週刊文春が報じた ジャニーズ女帝メリー喜多川 怒りの独白5時間』(週刊文春著/文春e0Books/2016年1月20日刊)

「怒りの独白5時間」と言っても、週刊誌の記事なので極めて短いまとめになっている。

 最初はメリー喜多川氏のこんなセリフから始まっているのがおかしい。

『「あなた、本当にねえ。笑っちゃうんだけれども、なんでこんなつまらないことばっかりなさるの? 私、昔は文春と新潮だけがどんなことあがっても自分で毎週発売日に買っていましたよ。でも、いまは馬鹿らしくて読まないもの。本当に」
 一月十三日正午。東京・乃木坂にあるジャニーズ事務所本社ビル二階の会議室で、取材に応じたのは同社のメリー喜多川副社長だ』

 そんなインタビューは

『二十畳はあろうかという大きな会議室には、白波瀬傑専務取締役(あっ、この人と仕事したことある:引用者注)と男性スタッフ、そして同社の顧問弁護士二名が記者を待ち構えていた』

 というモノモノしいスタイルで始まったのだった。

『巷間、ジャニーズ事務所の後継を争う"二大派閥"の領袖と言われているのは、メリー氏の長女であるジュリー氏と、SMAPやKis-My-Et2を担当するマネージメント室長・飯島三智氏だ。
 いまや国民的アイドルグループに登り詰めたSMAPだが、彼らを育て上げたのは、飯島氏の辣腕の賜物だと言われている。彼らを献身的に支えた飯島氏は、木村拓哉(42)や中居正広(42)らメンバーからの信頼も厚い。
 創業五十年超となるジャニーズ事務所は、ジャニー氏とメリー氏の姉弟両輪で築き上げたいわば一代オーナー企業であるが、喜多川一族ではない飯島氏の存在はSMAPの名声と共に大きくなり、特にキャスティングに携わるテレビ局関係者にとって、飯島氏はいまや下にも置かない存在となっているのだ。
 一方で、ジュリー氏がメネジメントを担当するのは、現在もっとも勢いのあるTOKIOや嵐、関ジャニ∞。事務所内で複数のグループが競合することで、「飯島派」と「ジュリー派」と呼ばれる二つの勢力が角逐している現実を、業界で知らぬ者はいない』

 って、業界じゃなくても知っているもんね。

 でも

『ジュリーさんと飯島さん、それぞれの派閥を一人のプロデューサーが掛け持つということは基本的にない。横断的なキャスティングをすると問題が起きるから、進行に配慮しているのです。TBSとテレ朝は飯島さんの力が強い。フジは半々。日テレはジュリーさん。深夜枠は飯島さんが持っていて、そこでバランスをとっている。最近、ジュリーさんがTOKIOを推しているようで、彼らの露出が多くなっているのはそのためです』

 というのは知らなかった。そうか、そういう配分になっているのか。まあ、言われてみるとなるほどと頷ける部分もあったりして。あまりテレビを見ない私にもなんとなく分かる。

 ただし、ジャニーズ事務所は「ジャニー氏とメリー氏の姉弟両輪で築き上げたいわば一代オーナー企業」である。株式だって公開している訳ではない。そんな企業ではオーナーに逆らった社員は会社を去るっていうのが普通。

『飯島に関しても私の管理の仕方が悪いんですよね。だから、みんな勘違いしちゃう。うちの娘と飯島が争うなら私は飯島に『出ていけ』と言うしかない。だって、飯島は私の子供じゃないんだもの』

 というのは当然である。そこはオーナー企業として「独裁」ができるっていものなのだからね。

『今、ここでこういう話を聞いているから、飯島、私はこう言いますよ。
『あんた、文春さんがはっきり聞いているんだから、対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい』と言いますよ』

『まるで引責辞任を迫るようなメリー氏の厳しい言葉に対し、真剣に派閥の存在を否定する飯島氏』

『「派閥なんて、私は天に誓って言った覚えはありませんので。今まで生きている中で」
 飯島氏はそう言い切った。
 後継者はメリー氏の娘・ジュリー氏であり、ジャニーズ事務所に派閥など存在しない――。業界で長年燻り続けてきた問題に、はっきり白黒が付いた瞬間であった』

 という話の内容があって、飯島氏が今年の春にジャニーズ事務所を辞めるというニュースが飛び込んできたので「SMAP解散か?」という新聞記事になったんだろうな。

 それがキムタクの裏切りでご破算になったわけだが、これまでジャニーズ事務所を辞めた郷ひろみだって、田原俊彦だって今でもタレントとして活躍中である。SMAPだってジャニーズ事務所を辞めたって、今まで通りとはいかなくてもタレント生活を送ることはできたはずだ。

 なんで、そんなにメリーさんが怖いのかなあ。

 不思議だなあ。

『週刊文春が報じた ジャニーズ女帝メリー喜多川 怒りの独白5時間』(週刊文春著/文春e0Books/2016年1月20日刊)

2016年1月28日 (木)

国家のエゴ

 対談の相手、姜尚中氏から『本来はリベラルの代名詞だったのに、今では左派のレッテルが貼られている月刊誌『世界』から、百田某によって「つぶさなあかん」と罵られている『琉球新報』や『沖縄タイムス』に至るまで、日本のメインストリームを批判する媒体に精力的に論説や記事を書き続ける佐藤氏。他方、リベラルや左派からは右派、あるいは極右のレッテルが貼られている月刊誌『Voice』や『WiLL』にも登場する佐藤氏。さらに、その中間にあるような全国紙にもコメントや記事を発表する佐藤氏』と書かれる「怪物」佐藤優氏である。

 さて、今回はどんなことを書いているのだろう。

Photo 『国家のエゴ』(佐藤優著/朝日新書/2015年8月25日刊)

『私は職業作家になる前は外務官僚でした。つまり、国家と一体の存在でしたし、国益を優先して、ソ連、ロシアとの外交に携わってきました。当然のことながら、常に国家を意識していました。また、二〇〇二年、北方領土交渉をめぐる鈴木宗男事件に連座して東京地検特捜部に逮捕され、検事の取り調べを受けた時にも国家はリアリティーをもって迫ってきました』

 と書く佐藤氏である。すごいなあ、なにしろ常に国家というものを意識しながら生きているんだ。普通の人ではこんなことはあり得ないだろう。

 その佐藤氏は本書の「あとがき」でこう書く。

『現下日本の政治エリートに反知性主義的気運が蔓延している。ここで言う反知性主義とは、客観性や実証性を軽視もしくは無視して、自らが欲するように世界を理解する態度を意味する。政治的判断基準として、合理性や客観性でなく、「絆」や「勢い」などの情緒的言葉、個人的関係などが重視される。難関大学を卒業し、司法試験や公認会計士試験、国家公務員総合職試験などの競争試験の勝者であっても、反知性主義を基盤にしたほうが政治権力に近づくことができる状況で、エリートは反知性主義に傾く』

『自民党は、党中央による統制を強めようとしているが、これについてもスターリンの民主主義的中央集権制に親和的だ。二一世紀の日本でわれわれは「スターリン主義の顔をした保守主義」という奇妙な現象に遭遇しているのである』

 むふふ、面白いなあ。「反知性主義」と「スターリン主義」か。まあ、確かにスターリン主義は物事を深く考えないという意味では反知性主義とは親和性があるのかもしれない。

 で、その反知性主義でスターリン主義の親分、安倍晋三とはどんな人物なのか。

『安倍首相に限って言えば、場当たり的であると同時に、そのときどきで執着する案件があるように私には見えます。その案件を進めることがたとえ合理性を欠いていても、いったん言い出したら、とにかく達成しなければ気がすまない』

『結局、安倍首相は、「集団的自衛権」という言葉にこだわったために、自分の手足を全部縛るような約束をしてしまったのではないでしょうか。ですから、集団的自衛権の行使を盛り込んだ安全保障関連法が成立して、実際に使おうとするならば、「約束はしたけれども、約束を守るとは約束しなかった」と強弁する以外の選択肢はないでしょう』

『安倍首相は計算ができていません。アメリカの世界戦略の一部を日本が武力によって担うということを、アメリカに高く売りたいのであれば、なにも恒久法を作る必要はないのです。「私どもでは、集団的自衛権行使は憲法上、禁じられております。しかし今回は特別に要請にお応えして知恵を働かせて法律を作りました」とその都度その都度、時限立法にしたほうが高く売れる』

 じゃあ、そんな人を何故日本人は首相に選んでしまったのだろうか。

 佐藤さんは自民党を「ポストモダン的な政党だ」と言われましたが、それに近いのかもしれません。私は正直に言うと、第一次安倍政権のときはそのようには見ていませんでした。第一次政権を途中でほっぽり出したあの失敗を彼はどのようなものとして学習したのか、第二次政権をどのように担おうとしたのか、誰がブレーンなのか……いろいろ考えてみたのですが、思い当たることがありません。

佐藤 有権者が民主党政権に手ひどく裏切られたという思いがあるからだと思います。次の政権こそは何としても信じたい。安倍政権は、安全保障政策だけでなく、経済政策、労働政策、福祉、税制などで、すでに中間層の有権者をだましています。なぜなら中間層の暮らし向きが悪くなる政策を遂行しているのですから。しかし、有権者自身がそれを認めてしまうと、安倍政権を支持した自分が惨めに思えてしまう、だからそれを認めたくないという心理が働いて、この政権にしがみつき続けることになっているのではないでしょうか。

 日本の中間層以上の人たちは、政治的にどうこうというよりも、主に経済的な面で関心があるんじゃないでしょうか。対中貿易もそうですが、来日した中国人観光客の爆買いのおかげで、史上最高益を記録したメーカーもあるわけですから、その意味で安倍政権が言っているような、中国脅威論はあまり関心がない』

 ふ~ん、ということは今や日本人全体が反知性主義に陥っているということなのかなあ。

『自民党内でリベラルと言われる「宏池会」の議員が、漫画家の小林よしのり氏を招いて勉強会を開こうとしたけれども中止になりました。ということは、自民党のリベラル派で良識や知性を重視していると思われる人たちが講師として教えを請おうとしたのが小林氏です。そこが自民党の「知性の天井」だということです』

『安倍首相に近い議員グループが招いたのが百田氏で、リベラル派が招いたのが小林氏なのですから。どう考えても似たり寄ったり、つまり小さな差異だと思うのですが、自民党議員には決定的な差のように見えるわけです。それ以外の人は視界に入らないようですから』

 こういう国会議員しか選出できない日本人っていうのも、相当にレベルが低いとも考えられるけれども、しかし、生きる戦略としての反知性主義であるうちはいいけれども、それが思想として結実した反知性主義にまでは至らないでほしい。

 思想になってしまうと、完璧にドナルド・トランプ氏を支持するアメリカ共和党員と同じレベルになってしまい、それこそ世界中からの笑い者になってしまうもんなあ。

 とまあ、余計なことを考えている訳であります。

『国家のエゴ』(佐藤優著/朝日新書/2015年8月25日刊)

2016年1月27日 (水)

『東學女体描写展「戯ノ夢 genom 其之弐」』っていう変な写真展

 来月、森山大道写真展をやる「ポスターハリスギャラリー」ってどんなとこかいな、ってなもんでサイトを見たら面白そうな写真展を現在開催中なので行ってきた。

 題して『東學女体描写展「戯ノ夢 其之弐」』というもの。

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 渋谷のドンキの裏って言うんだけれども、どこから行けばいいのかよく分からない。で、なんとか東横百貨店本店前のラブホテルに上がって行く坂を登って、少し上がったところで左折する、っていうのが分かった。

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 写真展の口上に曰く

「絵師のくせにカメラに
手を出してしまいました。
使い方わかりません。
露出とか絞りとかISOとか
シャッタースピードとか‥
しかし、撮りました。
ピント合わせたつもりでしたが、
合ってません。 酷いもんです。
ただ撮るだけなら駄目なので、
女体に墨で絵を描いて撮りました。
絵を撮るのか?
モデルさん達の表情を撮るのか?
非常に悩みました。
まあ、戯れの夢物語をご高覧くだされば幸いです。」
東學

 どんな写真なのかと言えば、こんな写真。

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 だいたい東學ってどういう人なの?

『東 學 azuma gaku
1963年、京都生まれ。 
 扇絵師であった父・東 笙蒼のもと 幼い頃から絵筆に親しむ。14才で米国留学。
 当時の作品『フランス人形』はニューヨークの メトロポリタン美術館に永久保存されている。
 テーマは一貫して「女」。墨以外の色は排除してあるにも かかわらず、絵の女たちは鮮烈な色彩感覚を呼び起こし、 手ざわり、匂いまで感じさせる。彼の「墨画(bokuga)」 には、伝統的な水墨画などに見られる“ぼかし”などの 墨の濃淡がない。 黒髪も、柔肌の丸みも、着物の柄として描かれた様々な 花や生きものたちの表情もすべて、 極細い筆先から生まれる「線」だけで表現されている。
 2003年、遊女二十体を描きニューヨークの日本食 レストラン『MEGU』店内装飾画を手がけたのを 皮切りに数多くのファンが生まれ、2007年に初の墨画集 『天妖』(PARCO出版)を刊行。
 アートディレクターとしても、数多くの演劇ポスター デザインを手がけている。
 2011年の震災以降、東北の幼稚園児たちに室内遊びを届ける プロジェクト『おやつ大作戦』に参加、 絵の先生として子どもたちと共に巨大なキャンパスに 希望の絵を描く。』

 まあ墨絵画家でデザイナーなんかもやっているそうで、何となく写真から感じられるピクトリアリスムは、やはり画家なんだなあ。会場には東氏が手掛けた墨絵の本も展示されていたが、どれもエロチックな和服を着た日本女性の絵。

 しかし、この写真のモデルさんも大変だな。陰毛は見えないので多分剃っちゃってるんだろうし、撮影後の墨落としが大変だ。

 ってなんてところに私は反応してるんだろう。

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ポスターハリスギャラリーのサイトはコチラ

『東學女体描写展「戯ノ夢 genom 其之弐」』は1月31日まで、詳しくはコチラ

 

2016年1月26日 (火)

森山大道写真展@東京芸術劇場

 初日の1月23日はニコンカレッジ、一昨日はマンション管理組合の理事会と用事があり、行けなかった「森山大道写真展」@東京芸術劇場に昨日行ってきた。やっと行ってきたっていう感じかな。

 しかし、なんで池袋なんだろう。森山大道氏だったら新宿じゃないのかという疑問も携えて。

 まあ、池袋のそばに住んでいる森山大道氏なので、それが東京芸術劇場で写真展をやる理由なのかな、というのが、まあ、納得できる理由なんですがね。

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 展示内容は、1983年に森山大道氏が日本写真家協会年度賞を受賞した『光と影』からと、印刷物の拡大によって見えてくる網目のイメージをシルクスクリーン化した『網目の世界』、池袋・新宿を中心とした撮り下ろしの新作を含む写真で構成した『通過者の視線』の3つのテーマから120点の展示と、ロンドンのテートモダンで行われたウィリアム・クラインとの合同展を主なモチーフとした動画『「記録」 in London』という構成。

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 例によって展示室内は写真撮影禁止という日本の写真展なので、中身を写真で紹介することはできない。

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 とは言うものの『光と影』や『網目の世界』はこれまで発表してきた写真なので、我々でも知っている写真が多い。横須賀の写真とかね。

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『通過者の視線』はコンデジで撮影した写真をインクジェット・プリンターでカラー出力したもので、新しく見る写真が多い。『「記録」 in London』も同じく初見のものである。

 最近はコンデジで撮影している森山氏だが、これまではそれでもモノクロームで発表していたように思うんだが、最近はカラーでも発表しているんだという点はちょっと驚きだ。

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 ところで2月5日からは道玄坂にあるポスターハリスギャラリーで『森山大道写真展【裏町人生 ~ 寺山修司】』を開催する森山氏。その他、写真集なんかも旺盛に出版している。一般財団法人森山大道写真財団という組織があってのことなんだろうけれども、今年78歳になる森山氏、ちょっと生き急いでいるように見えてならないのは、私だけだろうか。

Main(c)Daido Moriyama

森山大道写真展は2月20日まで池袋にある東京芸術劇場5階ギャラリー1で開催中。

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKOOR 20mm f2.8 D @Ikebukuro Toshima (c)tsunoken

2016年1月25日 (月)

とげ抜き地蔵・初地蔵

 昨日は私が住んでいるマンションの管理組合理事会をやったので(何を隠そう、私は理事長なのだ。エヘン)、あまり遠出ができなかったので手近なところでお茶を濁そうという手抜きブログです。

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 毎月4のつく日は巣鴨のとげ抜き地蔵の縁日の日。

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 4日、14日、24日が縁日なわけだけれども、特に1月、5月、9月の24日は例大祭で、普段より多くの人が参詣するそうで、更に1月24日は「初地蔵」といって殊更多くの人々が参詣する。

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 という訳で、1月21日の「川崎大師・初大師」に次いで「とげ抜き地蔵・初地蔵」な訳であります。

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「おばあちゃんの原宿」と呼ばれている地蔵通り商店街だが、最近は結構若い人たちも訪れているようで、賑やかである。

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 縁日なので屋台が多く出ている(およそ200軒)が、お地蔵さま辺りからちょっと先までは食べ物の屋台多いのだが、庚申塚に近くなると、こんな世田谷のぼろ市みたいな、古着屋さんとか骨董品屋さんが多く出店をだしている。

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 で、この時刻(午後4時頃)になってもときわ食堂は行列です。

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FUJIFILM X10 @Jizou Tori Ave. Toshima (c)tsunoken

2016年1月24日 (日)

ニコンカレッジを受講してきた! 2の二日目

「ニコンカレッジを受講してきた! 2」で書いた通り、昨日はその二日目、一日目に出された「宿題」についての講評からスタート。

Dsc_00262

 基本的には「どうせ酷評されるだろう」とか言っていた割にはそうではなく、結構高い評価をしていただいた。

 ます、1.2.に関しては褒めて頂いた(と、思っているんだが、どうだろうか)。

1.絞りを開けて、ボケをいかした作品。

Dsc_00092f2.8 85mm

2.絞りを絞り、画面の手前から奥までシャープな作品

Dsc_00102f22 24mm

 まあ、3.4.についても、まあまあの評価かな。今回4の写真のように「流し撮り」をしてきた人が何人かいた。つまり、その人たちは写真の基本はほぼわかっていて、それを自己確認したいだけの予定で来た人たちなんだ(これは私も同じ)。

3.シャッター速度を速くして、動きを止めた作品

Dsc_006821/000sec. 24mm

4.シャッター速度を遅くして、被写体の動きを表現した作品

Dsc_002921/15sec. 50mm

 唯一の失敗作はこれ。iso12800で撮ったんだが、三脚を使わずに一脚でもって撮影したので、横位置に関して手ブレが起きてしまった。

5.iso感度を高く設定して、写した作品

Dsc_00492iso12800 1sec. 85mm

 それとこの写真、iso12800で1秒撮影をしようとしたので、絞りがf22まで絞ってしまったこと。絞りを絞りすぎてしまうとかえって解像度が落ちるんだってことを教えてもらった。

 なるほどなあ、しかし、課題の出し方が「絞りを開けて~」「絞りを絞って~」って言われちゃうと、やっぱり「絞りを開けて~」では開放絞りにしてしまうし、「絞りを絞って~」って言われちゃうと最大絞りにしちゃうもんなあ。

 まあ、でもこうやって他の人の写真と見比べながら、自分の写真を見るっていう経験も結構役には立つ。いい経験になるしね。やっぱり写真は他人に見てもらってナンボっていう世界だから、こうやってセミナーなんかに通って自分の写真を人に見てもらって講評を受けるっていうのもいいかも知れないな。

 来週の三日目は、浅草での撮影会であります。

 こちらも撮影会の様子をUPしますので、お楽しみに。

 えっ? 別に楽しみになんかしてないって? ふん、そんなこと知るか。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Kawasaki, Sugamo, Hon-Komagome (c)tsunoken

2016年1月23日 (土)

京浜急行大師線

 今日は一昨日の川崎大師の続編。

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 川崎大師の最寄り駅は京浜急行川崎大師前駅と東門前駅。で、川崎大師前駅の脇には何かよく分からない線路みたいな敷石と、奥に電車の車輪みたいなオブジェがある。

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 ね、これです。

Dsc_00572

 もっと近づいてみると、「発祥之地」とある。

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 実は京浜急行電鉄の発祥の地は、ここ川崎大師前だったのであります。

 Wikipediaには『現在の京浜急行電鉄の元となったのは、旧東海道川崎宿に近い六郷橋から川崎大師まで標準軌で開通した大師電気鉄道である。同社は日本で三番目、関東では最初の電気鉄道会社であった。創立時には安田財閥が人的・資金で援助したこともあり、そのため現在でも安田財閥の流れを組む芙蓉グループの一員となっている。
 東京市電との相互乗り入れを目論み、軌間を開業時の標準軌から一旦は1372mmの馬車軌間へ改軌を行うが、後に子会社となる湘南電気鉄道による三浦半島方面の延伸線への乗り入れを行うために、再度標準軌に改軌された。
 1942年には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により東京急行電鉄(いわゆる大東急)に併合されるが、1948年に京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)の3社が分離・独立し、現在に至る』とある。

 そうか、京浜急行電鉄って川崎の「橘樹郡川崎町久根崎-同郡大師河原村字中瀬間」、つまり現在の川崎競馬場そばの川崎市川崎区の久根崎交差点(現在の京急大師線港町駅)から川崎大師前までの区間を「六郷橋-大師」駅として開業したのが会社の興りだったんだなあ、と蒙を啓いたのであります。

 標準軌で作ったのが良かったのか悪かったのか。長らく京浜急行は他のJRなどとの乗り入れはできなかったが、現在は京成電鉄、都営地下鉄浅草線などと相互乗り入れを行っており、羽田空港と成田空港を乗り換えせずに行けるのはこの路線しかないのであります。

 ところで面白いのは、上記の「六郷橋-大師」間の開通は明治32年(1899年)1月21日なんだが、開通式を行ったのは明治35年(1902年)10月17日だったということ。

 なんで? とも思うのだが、要は「対立関係にあった人力車組合の影響を考慮して開業直後に行わなかった」ということらしい。 

 川崎の久根崎地区って昔の東海道川崎宿のあった場所(つまり現在の川崎堀之内ソープ街があるところ)で、当然そこには利権集団として「人力車組合」ってものがあったわけで、そことの摩擦を避けようとしたってことなんだろうなあ。

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 まあ、その辺が明治の経済人の心意気ってもんでしょうね。

 今の人たちなら、平気で既得権益なんて踏みつぶしちゃうもんね。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4 D @Kawasahi (c)tsunoken

2016年1月22日 (金)

『ぼくらの仮説が世界をつくる』の仮説とはそういうことだったのか

『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』を手掛けた佐渡島庸平氏はかなり優秀な編集者だという認識は私が講談社に在社していた頃からあった。しかし、それは単なる職人的な編集者っていうだけではなくて、むしろプロデューサー的な編集者だったんだということ。

Photo 『ぼくらの仮説が世界をつくる』(佐渡島庸平著/ダイヤモンド社/2015年12月10日刊)

『ぼくが言う「編集者」とは、ただ作家から原稿をもらってそれを印刷所に渡すだけの狭い意味での編集者のことを指してはいません。 本来、編集者というのは、そのコンテンツをいかにして読者に届けるかを徹底して考え実行するプロデューサーであるべきです』

『これからは、作品作りをサポートする職人的な編集者ではなく、売り上げにもコミットしていく、プロデューサー的な編集者がますます必要となっていくはずです』

 つまり、映画のプロデューサーのように作品内容には当然かかわるのだが、同時に宣伝面や販促、キャンペーンなんかにもすべてかかわり、その作品に対して総合的にかかわっていく存在がこれからの編集者なんだっていうこと。まあ、それはそうだ。私が映画のプロデューサーをやっていた頃には、漫画雑誌や書籍の編集者のそうしたプロデューサー業務は誰がやっていたんだ、というのが疑問だったんだ。単なる「漫画好き」じゃダメなんだっていうこと。

 さらにすごいのは「仕組み」を作るということに気づいているっていうこと。

『100年以上前に講談社を作った野間清治や、文藝春秋という雑誌と会社を立ち上げた菊池寛は、その当時にぴったりの、時代が求めていた新しいビジネスモデルを見つけました。 彼らは、雑誌や会社を作っただけでなく、お金を出し合って「取次」という仕組みを作り、本を売る書店をバックアップして、輸送から集金までの一連の商流をも構築したのです。コンテンツを作っていただけではなく、どう届けるかという仕組みまできちんと作り上げた。 そのシステムはものすごく良くできていたので、本を読みたい多くの人の欲求にも見事に応えることができました。よって、100年間も抜本的な改革の必要なく、そのシステムの中で働く人たちにも十分な恩恵をもたらしてくれました。 しかしながら、時代は変わりました。これまでのシステムは制度疲労を起こし、ネットの中にも、まだ確固としたビジネスモデルはありません。 そんな中で編集者も、これまでの仕事の仕方から脱皮する必要がありますし、新たなシステムの構築を急がねばならない段階に来ているのではないかと思うのです』

「仕組み」を作るっていうことは「ルール」を作るということ。ルールを作った者はその世界を支配することが可能となる。まあ、支配するかどうかは別ですがね。

 多分、ルールを作ることで世界を支配しようとするのがアメリカ人的な考え方だが、日本人は仮にルールを作っても、他人と協調的な生き方をするだろうな。

『ビジネスの世界では、今までは産業ごとにルールが存在していました。自動車産業、小売業、出版、テレビ……すべて違うルールで動いていた。しかし、インターネットの発達によって、産業ごとの境目が曖昧になっていくのと同時に、今までのルールが機能しなくなってきているのです』

『ぼくらの世代には「ルールを作る楽しみ」があると同時に「ルールを作る責任」があるのです』

『アマゾンやアップルが整備しているルールは、デバイスやプラットフォームのためのルールであって、コンテンツ産業の未来を支えるようなルールではないように思えます。コンテンツ産業にいる人たちは、理想的な未来をイメージして、ルールを作る側になれるかどうかが、試されています』

『そして、誰かがデザインしたルールに従うのか、それとも自分でルールを作るのか。ぼくは自分でルールを作る側になったほうが、何百倍も楽しいと思うのです』

『会社員時代は、組織の手続きをきちんと踏んで、ルールを変えていこうとしていました。しかし、なかなかルールは変えられませんでしたし、そうこうしているうちに時代はどんどん変わっていってしまいました』

 ということなので、佐渡島庸平氏は講談社を飛び出してコルクというエージェントを興したわけだ。

『仮説を立てるときは、誰でも得られるような数字のデータではなく、「日常生活の中で、なんとなく集まってくる情報」そして「自分の中にある価値観」のほうが大切なのです』

『情報→仮説→実行→検証」ではなく「仮説→情報→仮説の再構築→実行→検証」という順番で思考することで、現状に風穴を開けることができるのです』

『仮説を確かめるために、情報を集めたのです。すると、欧米の作家は、エージェントがいるのが一般的だとわかりました。日本のように、出版社がその役を半ば担っているのは、世界基準ではなかったのです』

『こうしてぼくの中で「エージェント業が、これからの編集者の仕事の形態となる」という確信が強まっていきました』

 では、佐渡島庸平氏はコルクで何をしようというのだろう。

『いま、ぼくが証明したいと思っている仮説。それは、「作家の考えたことを本にする」だけだったこれまでの出版の形が、「作家の頭の中を出版(パブリッシュ)する」という形に変わる、というものです』

『「パブリッシュ」という言葉には、「本を出す(出版する)」という意味だけではなく、「公にする」という意味があります。青木さんは、自分たちの仕事は単なるECサイトではなく、広義の意味で「ライフスタイルのパブリッシュ」である、と言っていました。であるなら、作家の頭をパブリッシュするには、本だけが答えじゃないという考えに至ったのです』

『コルクを経営するにあたって、他の産業のビジネスモデルを調べたと言いましたが、メーカーの場合、原価はだいたい10〜40%です。出版社も本のメーカーだと捉えると、本には、印税の他、印刷代、デザイン代、原稿料がかかっているので、30〜40%が原価と言えます。重版時にはこの比率は大きく変わるものの、総合的に考えると、印税10%は妥当である、というのがコルクの結論でした。 よって、印税の引き上げを交渉するのではなく、それとは違うところで、作家の収入をいかに増やすかを考えるようになりました』

 ふ~ん、面白そうだなコルク。

 少し、「コルク・ウォッチ」をしてみよう。

『ぼくらの仮説が世界をつくる』(佐渡島庸平著/ダイヤモンド社/2015年12月10日刊)

2016年1月21日 (木)

川崎大師・初大師

 1月20日21日は初大師。ということで川崎大師にでかけませう。

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 そういえば、西新井大師は数え切れないほど行っているが、川崎大師には行ったことがなかった。

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 初大師とは何か? 弘法大師・空海が承和2年3月21日(835年4月22日)に亡くなったために、空海を祭っているお大師様の縁日が毎月21日。で年の最初の縁日が初大師っていう訳。

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 そんな訳で、本当は今日が初大師なんだが、その前日から初大師は行われている。

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 境内ではこんなパフォーマンスをやっていたり……、

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 屋台が出て賑やかだ。

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 参道も人で一杯。

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 問題は、なんでそんな空海の命日なんて忌み日に縁日をやるんだろうってこと。

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 まあよく分からないが、そんな初大師でにぎわう川崎大師からお伝えいたしました。

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2016年1月20日 (水)

目から鱗の『スター・ウォーズ学』

 2012年10月31日のブログ「ディズニーがルーカスフィルムを買収って? でもない話ではないのか」に「つまり、もうヒヤヒヤする人生は送るのは沢山。これからはディスニーのエクゼキューティブ・スタッフとして、企画だけをやり、あとの作業は誰かに任せるという考え方なのだろうその方が気楽にいられる」なんてお気楽なことを書いたんだけれども、やっぱりそんな甘い話ではないのだな。

Photo 『スター・ウォーズ学』(清水節・柴尾英令著/新潮新書/2015年12月28日刊)

『二〇〇六年にピクサーを七十四億ドルで、二〇〇九年にマーベルを四十億ドルで買収してきたディズニーは、ついに二〇一二年、ルーカスフィルムを四十億五千万ドルで買収した。ピクサーやマーベルは買収されたのちも、クリエイティブ面において親会社ディズニーからの理不尽な介入はなく、企業風土や企業文化を尊重されている。買収に応じる際、このことをルーカスは重視したという』

『ルーカスの経営面でのフォースは消えかかり、惑星ダゴバで隠遁するヨーダのように、もはや限界だったのではないか。六部作完結以降、ルーカスは経営から身を引く決意を何度か公言してきた。戦略にブレが生じ、先行き不透明だったことは確かだ』

『当初は独立系プロダクションとしてメジャー・スタジオと闘ってきたウォルト・ディズニーにシンパシーを抱いていたのだろう。独裁者にも似た強烈な意志の持ち主で、個人的な映画作りを一大ビジネスに昇華させ、既存のハリウッド・メジャーとは別の帝国を築き上げる──。そう考えれば、ルーカスはディズニーに似ているのだ』

『実は、買収前にルーカス自身が、新たな物語を構想していたことが判明している。サーガ再開は、買収を決めたディズニーの独自のアイデアではなく、ルーカス自身の意志だった。しかも彼は、自ら『エピソード7』を製作・監督したい意向もあった。今にして思えば、『エピソード1』のみで頓挫したものの、全六作3D化による順次再上映企画は、『エピソード7』公開への伏線だったのだろう』

『だが、旧三部作時代のルーカスの言動を知っている者なら、「九部作完結」発言を決して忘れてはいない。旧三部作時代にルーカスが語った構想によれば、エピソード7以降の主な要点はこうだ。「共和国の再建を描く」「家族の物語」「ルーク、レイア、ハン・ソロが六十~七十歳代で登場」「倫理的なテーマを描く」「R2‐D2とC‐3POだけが、九部作を通して登場」などなど。さらには、十二部作構想を証言する者もいる』

『米「ヴァニティ・フェア」誌の取材に対し、『エピソード7』こと『フォースの覚醒』の監督に指名されたJ・J・エイブラムスは、「ディズニーとキャスリーンは、別の選択肢があると考えた」とし、プロデューサーのキャスリーン・ケネディは「私たちはルーカスのアイデアから離れることにしたの」と証言。ルーカスはこの件に関し、インタビューに答えるのを拒んでいる。
 そう、ルーカス案は却下されたのだ。製作の主導権が移ったことを痛感させられる』

 結局はジョージ・ルーカスは蚊帳の外に置かれてしまい、ルーカスの構想とは別の所で「スター・ウォーズ・サーガ」が作られてしまうという結果になってしまった。ルーカスはそれで満足なんだろうか。

 まあ、単なる「オタク」のルーカスにとっては、映画製作の前面に立って戦うことはあまり得意ではなかったようで、結構、現場から逃走したりしていた訳で、そんな奴は映画の現場にはいらないというのがキャスリーン・ケネディの考え方なんだろう。原作者としてのルーカスはそれを拒否することはできたんだろうけれども、それをしなかったということは、そこまで九部作にこだわっていたのか、あるいは逆にそこまで年老いてしまったのか。その辺の真相(深層)までは我々の考え方では及ばないのが残念だ。

 それにしても、本書でびっくりしたのはルーカスが影響を受けたのがヌーベルバーグだったということ。

『ルーカスにとってのヒーローは、『勝手にしやがれ』(五九)や『気狂いピエロ』(六五)を発表した監督、ジャン=リュック・ゴダールだった』

『ジャーナリスティックな問題意識が噴出し、混沌とした時代を、映画ならではの映像と音楽によって表現した感性と編集技術が見事だ。ルーカスにとって映画は、メッセージを伝えるための武器となった。この作品で彼は、いきなり数々の映画賞を総なめにしている』

『それは卒業制作『電子的迷宮/THX‐1138:4EB』(六七)だ。この十五分の短編は、コンピュータによって近未来の管理社会から逃走する男を描いている。権力に反旗を翻し、自由を求めるテーマは『フライハイト』と変わらないが、SF的な設定を導入したのだ。本来ルーカスが愛してやまないはずの、「マシン」の危うさを初めて描いた作品でもある』

 この『電子的迷宮/THX‐1138:4EB』は後に、フランシス・フォード・コッポラのプロデュースでもって劇場用映画としてリメイクされる。

『コッポラのプロデュースによってワーナーが製作費を出し、十五分の短編を九十分弱に拡張し、『THX‐1138』とタイトルをシンプルに変えて、ルーカスは劇場用映画の監督デビューを果たす』

『ただ、映像センスは抜群だが、ドラマらしきものは発展せず、ひとえに主人公が自由を目指して逃走する終幕に向かって構成されている』

 もともと人間ドラマは不得意なルーカスがジャン=リュック・ゴダールに影響を受けたというのが意外だったんだが、むしろルーカスとしてはゴダールの思想やドラマ作りよりは、ゴダールの映画作りの考え方の方に影響を受けたのではないだろうか。つまり、当時はしっかりした三脚でカメラを回したのに対して、ゴダールが手持ちカメラを多用したり、即興演出をしたりという方法論の方にである。

 それがルーカスでは映画の撮影よりはポストプロダクション重視の考え方や、デジタルシネマの方へ向かっていった方向性になっていったように思える。

『潜在的な能力は、USCの映画学科に進んで一気に開花する。メカを愛するルーカスの興味の対象は、車からムービーカメラへと移っていった』

 というのだからね。

『ルーカスは、「映画は発明された瞬間から、最もテクノロジカルなアートだ」「映画とはフィルムの化学反応のプロセスではなく、あくまでも動くイメージのアートだ」という認識にしたがって、常に最新技術を採り入れてきた』

 あくまでも映画はテクノロジーのアートであるからだ。

『スター・ウォーズ学』(清水節・柴尾英令著/新潮新書/2015年12月28日刊)

2016年1月19日 (火)

雪の六義園

 雪が降ったので……、我が家の前の六義園まで出かけた。酔狂ですね。

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 雪のせいかお客さんの姿は少ない。

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 しだれ桜もなんか寒そうである。

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 中庭に入ると真っ白。

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 でも、池の手前で通行禁止になってしまっていて……

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 対岸の様子は遠く見るだけ。

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 こちらはお隣の六義公園。普段は子どもたちで一杯なんだけれども、さすがに昨日は足跡ひとつもない。

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2016年1月18日 (月)

『作家の収支』が本当に教えてくれること

 そりゃあ森博嗣氏ほどのベストセラー作家ならば稼ぎ高も普通じゃないし、収支をオープンにしたくなる気も分からないではない。

 でも、普通の作家だったら、どんなに稼いでも(といか稼いでいる人ほど)収支をオープンにはしないけれどもね。それは殆ど「自慢」になってしまうからね。

 って、やっぱり自慢したいのかなあ。

Photo_2 『作家の収支』(森博嗣著/幻冬舎新書/2015年11月30日刊)

 森博嗣氏の稼ぎ高が本書に書かれているので、ご本人の希望通り披露する。

 作家としてスタートした1996年から、「引退」した2008年までが9億9763万円(年平均7670万円)、引退後の現在までが2億7939万円(年平均4650万円)、合せて12億7702万円っていうんだからたいしたもんだ。

 それでいて取材とか資料集めは殆どしないそうだから、収支っていうよりも、売り上げがそのまま収入ってことですね。

 ということで、自慢話の部分について『作家の収支』についてはお終い。

 で、ブログもそのままお終いではつまらないので、「第4章 これからの出版」について書こうと思う。

『20世紀は、この大量生産、大量消費の時代だった。製品だけに限らず、メディアも「マス」だった。大勢から少しずつ集めて大きな利益を出す仕組みが、製造にも流通にも、隅々まで取り入れられた。消費者一人一人には、大きな負担がかからない。みんなと同じものを買うことで価格が安くなるからだ。
 けれども、このような時代が長く続くと、基本的な品物は行届いてしまう。行届いたのだから、社会全体としては豊かになるものの、個人の満足はもう得られにくくなる。もっと自分に合ったものが欲しい、という方向性しか残されていない』

『そこで、方向を転換し、もっとスペシャルな需要に、製品を投入するようになる。最初から、マイナなものは恐いので、せいぜいカスタマイズが可能なオプションで誤魔化す』

『そして、この時代のさらにあとには、本当の多様化が訪れる。カスタマイズだけでは自分らしさは見つからない、お金は出すから、もっと自分が欲しいズバリのものを手に入れたい。こうして、しだいに商品はマイナ化するのである』

『技術の向上が、マイナなものを個別に生産できる環境を築いた。電子化、デジタル化がその環境を支えている』

『エンタテインメントは、この傾向が通常の商品よりも顕著だ。もともと、生活必需品ではなく、趣味のものである。個人の好みによって選ばれる商品だ。大勢が同じものを買う必要はない。この基本がまずあるだろう。これは自分が見つけた面白さだ、という楽しさがマイナなものにはある』

 ということは当然、小説などは(これまでの本のようには)売れなくなるということなのだ。事実、売れていない。というか、ベストセラーであっても以前のベストセラーとは段違いに売れる数は少ない。もはや、ミリオンセラーなんて年に1冊出るかどうかというところなのであります。

 しかし、それは逆に作家と読者を繋ぐ絆は以前よりずっと太くなってきているっていうことなんだ。

『マイナなものは、マイナ故に根強い固定客がいる。マイナ故に、そのジャンルのものならばすべて買うといった豪快なマニアもいて、通常よりも生産者と消費者の絆が強い。そして、そのマイナと認識されてきたものが、実は意外に数が多いのである』

 まあ、問題はここだけだろうな。

『プロの場合、そもそも既存のファンが存在する。ブログを読んでいる人もいれば、ツイッタのフォロアもいる。宣伝をする必要もない。いつも書いているのと同じように書いて、それを電子書籍で出版する。簡単である。値段は自由に決められるし、印税率も普通よりも高い。
 Amazonなどのプラットフォームを使わない方法だってある。そうすれば、さらに印税率を上げることができる。極端な話、自分のサイトで配信すれば、印税率は100%だ。データのセキュリティ(つまりコピィプロテクト)さえしっかりとできれば大きな障害はない』

 ということで

『出版社は、大手ほど経営が難しくなるだろう。大手であることが、重荷になるからだ。しかし、悪い材料ばかりでもない。既にコンテンツを多く抱えているし、また、作者ともある程度の関係を構築している。問題は、これから出てくる新しい才能をどう取り込むかという点にあるだろう』

 まあ、問題はコンテンツをどれだけ持っているか、そのコンテンツをどうやって使って行こうかという戦略ということなんだけれども(っていうか「コンテンツ」って言葉自体を理解してない出版社が多いんだよなあ)、電子化に関しては出版社は、まあ、あまり気にしなくても良い、というか、大手出版社だったらちゃんと電子書籍に関する会社の考え方も出している筈だし、今後はかなりの方向で電子書籍が主流になる筈なのだ。

 ポイントはそんな大手出版社から相手にされないで、中小出版社から出版しちゃった漫画家やら作家でしょう。

 もうそういう人は自分の手で、自作を電子化するしかないでしょうね。名前がまだ売れていないから最初は大変かも知れないが、その内だんだん名前も売れてきて少しは稼げるようになるかも知れない。

 私にのブログだって、普段は500人位の人しか読んでくれないので、まったくメディアには載らないんだけれども、でも、毎日500人位の人が読んでくれているということだけが、書いているtsnokenの愉しみなんだから、それはそれで幸せ。それもメディアではある。小さいけどもね。

 つまり「皆で幸せになろうよ」ってのが本ブログのモットーなんだから(えっ? 本当?)まあ、いいじゃないですか.

 う~ん、本来のテーマとは大分外れてしまったけれども、まあ、っいかな。

『作家の収支』(森博嗣著/幻冬舎新書/2015年11月30日刊)

2016年1月17日 (日)

ニコンカレッジを受講してきた! 2

「ニコンカレッジを受講してきた」っていうと、昨年の6月11日14日24日に書いたブログを思い出すが、まあ、あれはちょっとレベルが高すぎたな。何せ「上級者向け」ってのは読んでいたんだが、ちょっと私にはレベルが高すぎた。周囲は結構いろいろなモデル撮影会な  んかにも参加している人たちばっかりだった。

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 ので、今回は初級も初級「写真の基本」という講座であります。

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 要はデジタル一眼レフを始めて持った人たちが対象、ということで品川は品川インターシティC棟のニコン本社まで行ってきたってわけ。

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 で、今回の講師は和田直樹氏。1964年、大阪の生まれ。日本大学藝術学部卒のなので、まあ田中長徳氏の後輩ということになる。

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 で、まあ第1回目を受けた感想と言えば「う~ん、ちょっとレベルを下げすぎちゃったかな」というところ。

 カメラをマニュアルモードにしたり、シャンター速度優先モードにしたりすること自体が分からない人が多かった、というのはちょっと「びっくりポン」。えっ、そんなこと知らないで一眼レフ使ってるの? と、思ったんだけれども、考えて見ればウチのカミさんがその典型なんですね。カメラのことは何も知らない。でも写っちゃうんだから写す、ってことなんだよなあ。最近はピントが合ってないって文句を言うけれども、問題はフォーカスじゃなくって手ブレだって言ってるのにねえ。

 で、当然写真の基本なので、ポイントはデジカメなんだからフォーカスは合って当然、後の写真表現に必要なのは露出の調整って訳で「絞り、シャッター速度、iso感度」のお話しであります。

 写真撮影の基本は

「被写体を見つける、感じる
カメラを構える
フレーミングをする
露出を決める
ピントを合わせる
もう一度フレーミング
シャッターを押す
モニターを見て確認
露出補正をする
再度シャッターを押す
再度モニター
で、納得できるまで何度でも繰り返す」

 というのは、本当に基本の基。

 う~ん、やっぱりこの「基本の基」を理解していないでデジイチを使っている人が多いってことなのかな。

 私はデジタル化前のアナログ一眼からカメラを使っているので(っていうか、小学生時代は写真クラブにいたんだぜ。UFO写真を偽造するのが得意だった)iso感度を設定するっていうのだけはデジタル化の貢献かと思っていたんだが、結構そればっかりじゃないようだ。

 もうひとつ、今回の講座で知った新しい知識としては、「今のプロは絞りとシャッター速度を決めてしまったら、あとはiso感度の設定で写真の明暗を決める」って話。まあ、確かに絞りとシャッター速度を決めてしまえば基本的な絵作りはできてしまうのだから、あとはiso感度だけをいじっていれば、自分の絵作りはできてしまうってことなんだなあ。iso感度をその場その場で設定できるってことばかりじゃなくて、iso感度の変化にも結構耐えるカメラが出来てきたってことなのかもしれない。

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 最後に「宿題」。来週の講座までに以下の写真を撮ってきなさいという命題なのであります。

1.絞りを開けて、ボケをいかした作品

2.絞りを絞り、画面の手前から奥までシャープな作品

3.シャッター速度を速くして、動きを止めた作品

4.シャッター速度を遅くして、被写体の動きを表現した作品

5.iso感度を高く設定して、写した作品

 うーん、面白いなあ。

 こんなの簡単じゃない。ということで来週にはその宿題作品をブログに載せます。

 和田先生の酷評も一緒に載せます。っていうか、どうせ去年6月のハヤシ アキヒロ氏と同様な酷評がくるのは分かりきっている素人写真家なんだからね。

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2016年1月16日 (土)

『革新する保守』という言葉はやっぱり自己矛盾?

「革新する保守」という言い方は言語矛盾じゃないかとも思うんだが、寺崎氏によれば「革新する保守」の対立概念は「伝統的保守」であるようなので、それなら分からないでもない。

 では革新する保守と伝統的保守ではどう違うんだろう。

Photo 『革新する保守――良いアベノミクス、悪いアベノミクス――』(寺崎友芳著/扶桑社新書/2015年6月25日刊)

 まず、基本的な立場の違いは……

『人口が減少し続け、巨額の財政赤字を抱えた中、全ての人をハッピーにする政策はない、というのが革新する保守の立場であり、全ての人をハッピーにする政策があると信じているのが伝統的保守である』

『グローバル化や新興国の発展、IT化にどう対応していくのか、これはピンチにもチャンスにもなりうるが、チャンスとして捉えるのが革新する保守であり、ピンチとして捉えるのが伝統的保守である』

『潜在成長率が1%弱にまで低下している現在、新しい企業や若者などの持たざる者の機会を重視するのが「革新する保守」であり、既存の企業や労働者など既得権益者を保護するのが「伝統的保守」である』

 市場原理については……

『革新する保守と伝統的保守の違いは、この市場原理に対する信任の強さの違いとして表れる。革新する保守は、市場の力を重視し、伝統的保守は、市場の力を軽視する。伝統的保守は、弱者保護、利用者保護という名目で多くの規制を網の目のようにかける。一方、革新する保守は、規制は、前述のような経済学で認められている外部経済などの市場の失敗が発生する分野に限定することを求める』

『革新する保守は、まず市場原理を重視することで経済成長を促進させ、そのうえで所得再分配を行うことを主張する。要は、まずパイを大きくしてから分配するという立場である。一方、伝統的保守は、パイの区分所有権が維持できるのであればパイをそれほど大きくしなくてもいいという立場である』

『社会や企業の安定を求める伝統的保守は、中小企業を積極的に支援するため各種優遇措置を整備してきた。これらの措置は経済全体のパイが広がる中では、中小企業の所得の引き上げに貢献したのは事実である。一方、革新する保守は、現在のように人口が減少し、内需が縮小する中で中小企業への優遇措置を継続することは、過当競争を招くので廃止すべきと考えている』

 公共投資については……

『伝統的保守は、公共投資の需要面の効果を重視している。 /革新する保守は、公共投資の供給面の効果を重視する』

 少子化対策については……

『伝統的保守の少子化対策は、配偶者特別控除制度や第三号被保険者制度など専業主婦への優遇制度の維持、解雇規制の維持による正社員の保護、既存保育所の保護、一律の児童手当支給など広く薄い支援である』

『革新する保守は、専業主婦を前提にした子育て支援制度を改め、仕事と子育ての両立できる社会を目指す。そのために、企業には子育て支援に関する実績の情報開示を迫る。正社員の保護を弱めてでも非正規社員の正規化や待遇改善を推進する。既存保育所には申し訳ないが、株式会社など保育所運営への新規参入を推進する。児童手当は第三子以降に重点的に給付する。既得権益に囚われず、最も効果の大きい政策を推進する』

 地域政策については……

『伝統的保守は、地域間格差の是正に積極的である。自民党は正に国土の均衡ある発展政策により地方で圧倒的な強さを維持してきた。しかし、それは1990年代までの話である。前述のように国土の均衡ある発展政策の基盤が失われて、小泉改革によって財政再建路線に転換されて以降、必ずしも地方は自民党の酒池肉林ではなくなった』

『革新する保守の立場の地域政策とはどのような政策か?
大前提が二つある。まず、第一の大前提は、東京一極集中は結果であって原因ではないということだ。
 東京一極集中が進んで地方が衰退したわけではない。地方が衰退して東京一極集中が進んだ。正確に表現すれば、地方でも、滋賀県など関西の優良企業の工場が集積している県や、静岡県など地場の輸出企業がグローバル化している県は所得が高い。北陸3県も堅実な優良企業が多く、所得が高く、雇用も安定している。愛媛県や山口県、福岡県などは、必ずしも集積の経済の恩恵を享受していないが、差別化された独自の製品やコンテンツで全国展開する企業を輩出している。低迷しているのは、そうした外貨を稼ぐ地場企業が育たなかった地域や、有力な地場企業が東京や海外に出て行った地域である。
 第二の大前提は、人口減少と財政制約の下、全ての都市・集落を維持することは不可能であるという現実を直視しなければならないということだ』

 こうやって見てくると、基本的に「革新する保守」って要は新自由主義っていうことではないのだろうか。市場原理の尊重、自由貿易の推進、規制緩和による経済活性化という点ではそうだ「革新する保守」が新自由主義とは大いに異なる部分があって、それは社会保障費の増大に伴う政府支出の増大やその財源としての増税はやむを得ないという立場に関しては新自由主義ではないという。だけどなあ、基本的に格差を容認あうるという立場を見て見れば、やっぱり新自由主義の一種だとは思うんだけれどもなあ。

 といって、別に私は新自由主義のすべてを否定する気はない。というか、基本的には私も新自由主義を受け入れているんですけれどもね。でも、そればっかりじゃあ助けられない人がいるんじゃないか、というところで違和感を感じる訳です。

『小さな政府を目指す新自由主義は、人口が増加しているアメリカでは実現可能であるが、人口が減少している日本は、日本型の新自由主義を目指すべきではないか』

 というのが寺崎氏の主張なわけだが、でもそれって結局はアメリカ型か日本型かっていうだけで、新自由主義のちょっとした表現の違いだけっていう感じがある。

 勿論、新自由主義を新自由主義だからって否定するものではないけれども、例えば東京一極集中っていう問題に関しても「それはやむを得ないことだ」と放り投げてしまい、地方の自助努力だけに期待するのはちょっと違うんじゃないだろうか。

 もっと積極的に中央官庁の地方移転なんかの方法も考える必要がありそうなのだがね。

 結局は新自由主義という名前の保守主義(自民党支持)という気がするなあ。

『革新する保守――良いアベノミクス、悪いアベノミクス――』(寺崎友芳著/扶桑社新書/2015年6月25日刊)

2016年1月15日 (金)

国分寺・殿ヶ谷戸庭園

 国分寺駅南口を出て2~3分も歩けば昨日の目的地「殿ヶ谷戸庭園」に行きあたる。まあ、東京都の庭園としては六義園と同じ、都立庭園なんですけれどもね。

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 殿ヶ谷戸庭園は、元々三菱合資会社を経て南満州鉄道の副総裁となった江口定条の別邸だったところを、三菱創業家の岩崎彦弥太(うわ~、またまた出てきた岩崎家だ!)別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備した、というのが元々の起り。

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 まあ、それはいいのだがポイントは国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた、回遊式林泉庭園である、というところ。

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 つまり、庭園を順路に沿ってちょっと行くと……。

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 こんな急な下り坂になって……。

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 おお、さすがに多摩丘稜と河岸低地との間を上手くつなげた庭園だというのがよくわかる。

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 谷戸というのは、丘稜を地下の水源から湧き出た川が切り裂いてできた、低地のことなのであります。「渋谷」なんてのも、要は渋谷川が作った低地のことなんですよね。つまり、家を買う時は「町の名前」に気を付けろってことで。

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 当然、そんな場所にはこんな湧水源があるわけで、この殿ヶ谷戸庭園もその湧水源をベースに池を作ったりしているわけですね。

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 まあ、江口家や岩崎家(それにしても多いなあ)の別荘として作られたんだろうけれども、残念ながら六義園ほどには大きくない。個人的には「国分寺崖線」に作られたというのが面白かったというだけなんですけれどもね。

 まあ、この最後が田園調布あたりになって最後は多摩川に行きつくんだけれども。不思議ですねえ。こんな山奥の地域から田園調布みたいな川沿の場所まで繋がっているなんて。

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2016年1月14日 (木)

『土佐堀川』には「ビックリポンやわあ」

 本来ならば今頃はまだ今年の本は出ていない時期なので、あまり新規に本は買わないんだけれども、何となく「今時はどんな本が出ているのかな」とばかりに散歩の途中で本屋さんに立ち寄って、なんとなく買ってしまった本がこの本なのでした。

 今年初めて読んだ紙の本である。それくらい電子書籍の時代になってきつつあるんだなあ。

Photo 『小説 土佐堀川――広岡浅子の生涯』(古川智映子著/潮文庫/2015年9月28日刊)

 大同生命という会社の名前は知っていたが、広岡浅子は知らなかった。ユニチカという会社の名前も知っていたが、広岡浅子は知らなかった。日本女子大は知っていたが、広岡浅子の名前は知らなかった。まあ、そんなもんだろう。なにせ「あさが来た」で初めて知ったんですからね。

 しかし、凄いのは広岡浅子という人は腎臓病で数えで70歳の生涯を終えたんだが、その前に、九州の炭鉱と大阪を往復している頃には結核を病み、加島銀行や広岡商事を運営しながら日本女子大の創立に東京と大阪を往復している頃には乳癌に罹っている。現代なら早期発見で大丈夫云々というところだが、明治の時代ではそれこそ「死病」と恐れられていたはずだ。ところが、それらの大病を自らの意志で抑え込んでしまったんだなあ。それこそ「ビックリポン」なのであります。

 しかし、この「ビックリポン」はテレビの創作のようで、本当は「ばんざい」だったそうだ。

『「ほんまどすか、よかったなあ。ばんざいや」
 浅子はまた十八番(おはこ)のばんざいを連発した。
「ばんざい、ばんざい、ばんざい」
 成瀬も一緒に立ち上がり、両手を挙げながら加島屋の座敷の中を回った。
「どないしたのや、えらい騒ぎやなあ」
 在宅していた信五郎もやって来た。成瀬と浅子のありさまを見て呆気にとられている。
「早う中にはいっておくれやす。渋沢先生が女子大創立に協力してくれはるのやて。これで九分どおり成功どす」
 渋沢の参道は、女子大学校創立を絵にたとえれば画竜点睛に値するものである。
「そうか、それはばんざいや」
 軽妙なところのある信五郎は、すぐに二人の後につづいてばんざいを唱えた。
「小藤も亀子も番頭も、みな集まれ」
 自分だけではなく、信五郎は店のほうにも叫んだ。何事かと執事や下男にいたるまでが座敷に集まった。
「さあみんな、輪の中に入れ」
「ばんざい、ばんざい、ばんざい」
 間仕切りの襖がはずされ、加島屋総出による万歳踊りが長い時間にわたってつづいた。』

 また、炭鉱の落盤事故は新次郎の幼馴染サトシの起こした事件だった、というのがテレビの設定だけれども、小説では事故か事件かはわからない。

『犠牲者の名簿を受けとった時、浅子の目はその一ヵ所に釘づけになった。
「この三井高長ていう名前は」
 中に室町家の高長と同じ名前の抗夫が入っている。
「室町家の小父さんやないの。何でこの山に来はったのやろか」
 毛利家の借財延期のため上京した時に、深川の三井の別荘で出会ったきりである。若い女と一緒で子供が生まれるようなことを言っていた。
「数多い抗夫の中でも、そいつのことはよう覚えてます。中村いう飯場主の第一の子分だしたによってに」
 宮下は高長のことをはっきり覚えていた。中村については、最後まで加島屋に抵抗した大物の飯場主である。加島屋についた後も何か裏がありそうで、納得のいかないふしが多かった。
 今回の事故について、浅子はある疑念を抱いていた。抗内に残って事故に遭ったのは、中村の組に属する抗夫ばかりである。以前にこの一派が、何か策略を立てているらしいという情報が入ったことがある。その時は別に気にしなかったが、いまになってみれば、加島屋を陥れるために、作為的に爆破を計画したのではないかという疑問もわる。だとすれば、死んだのは誤算で、逃げ切れずに惨事を招いたのだはないか。どういうわけか、中村は早く坑道を出て助かっている。このへんにも事件の謎を解く鍵がありそうにも思う。』

 とは言うものの、いくら落ちこぼれたとはいえ、大三井家の一家のものが炭鉱夫にまで身を落とすんだろうか。やはりそこは「小説 土佐堀川」なのかも知れない。

 同じころ、東京では鹿鳴館ブームが起きていたようだけれども、浅子はこれについては批判的だったようだ。

『同じ頃東京では、上流階級の婦人たちが、浅子とは雲泥の差の生活を送っていた。日本人と外国人の交歓社交倶楽部として日比谷にできた鹿鳴館で、国際親善をはかるための大舞踏会が夜ごとに開かれていた。コルセットをつけ、豪華なドレスをまとった貴婦人たちが、ワルツの曲に合わせて深夜まで踊りつづけている。
 積極的に新しいものを知りたいと願う浅子は、西洋文明の移入には反対ではなかったが、伝え聞く貴婦人たちの行動には納得できぬ感情を抱いていた。
 生活はすべて男性に頼り、贅沢な衣装や宝石で身を飾り、深夜まで踊り狂う。それが新しい女性の生き方なのだろうか。勉学をし、しっかりと働き、世の趨勢を見極めていく。それが真の女性の自立というものではないだろうか。
 毎日、女抗夫同然の生活をしている浅子にとっては、いずれにしても遠い世界の出来事であった。』

 とは言うものの、鹿鳴館に通っていたのは元は大名クラスの武士たちだったんではないだろうか。だとしたら、鹿鳴館に通う貴婦人たちは、もともと生活感のないか弱き女性でしかなかった筈。

『封建社会にあっても商人の妻は武士の妻と違って、富の力を持っている。豪商の娘が嫁入りに持っていく道具や膨大な持参金は、婚家に入ってからもずっと妻の財産として管理され、他の人間は指一本触れることができない。商人の妻は夫以上に商才に長け、精出して働くので、女が男に従属する世の中で唯一平等な存在であった。』

 というのであれば、そんな商人の妻の方が武士の妻よりは気位は高くても良いだろう。まあ、これも「小説 土佐堀川」なのかもね。

『小説 土佐堀川――広岡浅子の生涯』(古川智映子著/潮文庫/2015年9月28日刊)

2016年1月13日 (水)

追分一里塚と高崎屋

 本郷通り(旧日光御成道)は東大農学部前で旧中山道と分かれる。つまり、本郷追分であります。

 その本郷追分にあるのが江戸時代から続いている「高崎屋」という酒屋。外から見るとそんなに古い店だとは思えないですけれどもね。

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 文京ふるさと歴史館の資料によれば……。

Photo_2長谷川雪旦・雪堤画 天保13年(1842) 文京区指定文化財

『高崎屋は、中山道と日光御成道(岩槻街道)が交差する本郷追分に店を構え、酒・醤油を商った江戸時代以来の老舗です。この絵は、『江戸名所図会』で知られる絵師、長谷川雪旦と息子雪堤の筆になるものです。二世牛長(高崎屋四代当主長右衛門)の画賛には、天保の改革の取り締まりで家屋敷を縮小することになり、記録としてこの絵を描いたいきさつが書かれています。広大な屋敷、庭など高崎屋の繁栄ぶりが鮮やかな色彩で俯瞰的に描かれ、店の前に積まれた酒樽からは、当時の流通の一端をかいま見ることができます。また、街道を行き交う人々の風俗もこと細かに描写されています。』

 とのこと。

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 追分一里塚の碑文によれば、酒屋と同時に両替商などもやっていたそうで。掛売りが当たり前の時代に「現金安売り」で大いに繁盛したそうだ。

Photo中山道分間延繪圖

 上の図は「中山道分間延繪圖」というもので、中山道を本郷追分から京都まで、すべて描いた地図で、本郷の家並みが見える。

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「海抜二一メートル」の碑は文京区立第六中学にあるもの。こちらは元々は東京女子師範付属追分小学校だった。

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2016年1月12日 (火)

『米軍が見た東京1945秋』

 当然、第二次世界大戦の戦中には写真撮影なんかを街中でやっていたらスパイ罪で検挙されてしまうし、戦後すぐは物資不足で撮影どころではなかった。ので、日本人による戦中や戦後すぐの写真はない。

 その代わり、米軍による写真は空襲の結果を知るためなどで多くの写真が残されている。当然それは軍機密なのであったが、今はパブリック・ドメインになっていて誰でも見ることができる。

 ということで作られた写真集なんだなあ。

1945 『米軍が見た東京1945秋 終わりの風景・はじまりの風景』(文・構成:佐藤洋一/写真:米国立公文書館/洋泉社/2015年12月23日刊)

 こういう写真集を見るときの愉しみは、やはり自分の知っている場所がどうなっていたんだろうか、という視点だ。

 まずは四谷駅から。右上に空襲で半壊した雙葉学園が見える。

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 おおっ、六義園と大和郷ですね。さすがに六義園なんかは空襲しても意味はないので、壊れてはいない。

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 右下が巣鴨駅で中心に染井霊園が見える。これもやはり六義園と同じで壊されてはいない。

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 文京区役所上空からみたところ。正面が東洋大学で、その上に六義園や染井霊園、飛鳥山が見える。

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 霞ヶ関から皇居二重橋ということなので、写真の右の方に見えるのが日比谷公園か。

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 勿論、俯瞰撮影の写真ばかりじゃない。これは聖路加病院。こうした施設は絶対に空襲はしないのだ。そこまで米軍の空襲に関する照準はしっかりしているということ。

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 その代わり芝あたりは何もなくなっているし……

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 中島飛行機なんかは跡形もない。

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『米軍が見た東京1945秋 終わりの風景・はじまりの風景』(文・構成:佐藤洋一/写真:米国立公文書館/洋泉社/2015年12月23日刊)

2016年1月11日 (月)

『ローカル志向の時代』と新聞の読み方について

 昨日紹介した『ローカル志向の時代』の著者、松永桂子氏の「あとがき」に面白いことが書いてあったので、それを紹介。

Photo 『ローカル志向の時代 働き方、産業、経済を考えるヒント』(松永桂子著/光文社新書/2015年11月20日刊)

『個人的なことで恐縮ですが、わたしは新聞中毒で、目覚めてすぐに30~40分、長い時は隅から隅まで1時間ほど新聞を眺めていることも少なくありません。読む順序は、テレビ欄、4コマ漫画、三面記事、地域欄、生活欄、連載小説、文芸欄、読者の投書欄、ここまでをじっくり、その後に国際、経済、政治の動きをちらと確認し、社説はほとんど見出しだけ、最後に一面記事をコラムに目を転じます』

 というもの。まあ、一見して松永氏が購読している新聞が「朝日新聞」だというのがわかる。これが日経新聞だと、まず最初はテレビ欄ではなくて文化欄になっちゃうもんね。で、三面記事、スポーツ欄、テレビ欄……、という順序になる。

 という問題ではなく。

 う~ん、毎朝の新聞を読むのに30分から1時間か、すごいな学者ってのは。私なんかは5分からせいぜい10分位で見出しをザーっと眺めて、気になる記事をちょこっとだけ読んだらおしまい。まあ、その後も気になったら電子版でちょこちょこと読みますがね。

 っていう問題でもない。しつっこいなあ。

『経済学の世界の専門家はほとんどが男性で、女性はごく少数派です。地域経済の分野でもこれまで産業構造や経済システムの分析が中心であったのは、「生産者・経済人の視点」「体系的な視点」からの分析によっていたことに起因します。これは言いかえると、男性的な分析視点ですし、対して「生活者視点」は女性が得意とする分野といえるかもしれません。
 新聞を1面から順に読み、読者欄などすっ飛ばすのがこれまでの経済人・体系的な視点、逆の読み方が生活者の視点とするならば、この本は、新聞を逆から読む、読者欄や地域欄、生活欄重視の読み方と同じような構成をとっています。
 そこから何が見えるのか、新聞を読んでいても、読者の何気ない日常を綴った投書や歌壇にみる描写がリアリズムそのもので、感覚的に時代の流れや価値観を捉えていると感じることは少なくありませんが、この本でも各章の具体的な話を読者欄や地域欄、生活欄として、分析や言説整理を経済欄や社会欄として、終章などはコラムのような位置づけでお読みいただけたら、著者として幸いです』

 松永氏は左利きなのでどうしても最終ページから左開きにして読んでしまうというのだが、それもさることながら、やはりこの松永氏が言うところの「生活者視点」ということなのだろう。

 新聞の構成っていうのは、まずトップニュースがあって、政治欄、経済欄という具合に、やはり社会を構成している大きな事項から入って、それらを順番に小さな視点に掘り下げるという構成になっている。それは当然、社会的影響力の大きなものから取り上げて行って、その影響がどんな風に社会の隅々にまで行き渡るのかという微細な部分に入っていくというのが、分析的・体系的な社会の捉え方になるからなのだ。

 それを逆に社会の一番小さな部分から入って行って、次第にそれを大きくまとめていくという読み方は、身近なことを大切にする女性らしい読み方なんだなあ、という感想がある。それを松永氏は「生活者視点」という風に呼ぶわけなのだが、生活者としてのものの見方から入って、それを最後に体系化するという考え方も、実際のフィールドワークでは普通の考え方ですけどね。

 ただし、その結果を本としてまとめる段になると、やはりまず大きな体系から入って、次第に微細な話にもっていくという方法論を、普通はとるんだな。

 で、本書の構成を目次からみると。

第1章 場所のフラット化
 1-1 古くて新しい商店街
 1-2 消費社会の変容と働き方の変化

第2章 「新たな自営」とローカル性の深まり
 2-1 古くて新しい自営業
 2-2 自営の人が集う場
 2-3 経済性と互酬性のはざまで

第3章 進化する都市のものづくり
 3-1 中小企業の連携の深まり
 3-2 新たな協業のかたち

第4章 変わる地場産業とまちづくり
 4-1 デザイン力を高める地場産業
 4-2 ものづくりとまちづくり
 4-3 外部者からみえる地域像

第5章 センスが問われる地域経営
 5-1 小さなまちの地域産業政策
 5-2 「価値創造」の場としての地域
 5-3 「共感」を価値化する社会的投資

終 章 失われた20年と個人主義の時代

 という形になる。

 いやあ見事な「生活者視点」からの構成ではあります。ということは多分この本は「終章」から逆に読み進めても、充分理解に至る本なのだろうということ。

 つまり、本というのはどこから読んでも理解に至る、あるいはどこから読んでもいい、ということなのであります。

 まあ、推理小説でそれやっちゃうと「自らネタバレ状態」になっちゃうわけで、それを良しとする人ならそれでもいいけど、「ネタバレ大っ嫌い!」って言う人はやめた方がいいということですな。

 えっ? 私? 私は「ネタバレ大好き」なんで、結構平気で推理小説でも最終章あたりから読んじゃうけれどもね。 

『ローカル志向の時代 働き方、産業、経済を考えるヒント』(松永桂子著/光文社新書/2015年11月20日刊)

2016年1月10日 (日)

明るいミライだなあ『ローカル志向の時代』

 高知県の過疎の町に移住して「まだ東京で消耗してるの?」と揶揄するイケダハヤト氏みたいな人が増えているようだ。

 キーはイケダハヤト氏が「プロブロガー」を自称しているのと同じ、「IT・パソコン」ということなのだろうな。

Photo 『ローカル志向の時代 働き方、産業、経済を考えるヒント』(松永桂子著/光文社新書/2015年11月20日刊)

 現在、都市から農村へ移住したいと考える人は多いようだ。

『それを象徴するのが、都市から農山村への移住希望の増加です。若者や子育て世代を中心に、農山村の暮らしを望む人びとは潜在層を含めると、かなりの数になるとおもわれます。2014年8月に国が東京都在住の1200人を対象にインターネット調査をしたところ、約4割が移住する予定、あるいは移住を検討したいという結果が出ました。東京の暮らしを捨てるかどうか、その濃淡はあるにせよ、他地域、とくに地方で暮らしてみたいという層は一定程度いるようです』

『移住したいとおもったきっかけについて30代の回答に注目すると、男性は1位「早期退職」2位「転職」、女性は1位「子育て」2位「結婚」があがっています。また、移住したい理由については、女性よりも男性が高い比率で「スローライフを実現したいから」と選択回答しており、キャリアチェンジ志向だけでなく、スローライフ志向の重なりがみてとれます』

 そして農村へ移住するきっかけは「IT・パソコン」ということなのだ。

『IT系・映像系の仕事を中心に、クリエイティブ産業に従事する人材が引き寄せられるように集まってきているのが、徳島県神山町です。まちの人口は約6000人、1955年には2万1000人ほどの人口を抱えていましたが、かつては人口流出が続いた典型的な過疎のまちでした。しかし、新たなライフスタイル、働き方を求めて、30歳前後を中心として定住者が増え、2011年には初めて社会増となりました』

『2015年現在、グリーンバレーが仲介し、ITベンチャーなど12社がサテライトオフィスをまちに設置したり、新会社を設立したりするなど新たな動きが起こっています』

『映像の業界は2009年頃を境に編集の方法が変わり、ネット上で大容量の映像のやりとりができるようになったとされます。かつてはテレビ局などにバイク便で編集テープを送付していたのが、パソコンでの編集・配信が可能となり、仕事場所が必ずしも東京である必要がなくなりました』

『技術があり、パソコンがあればどこでも仕事ができる、仕事を生み出せるといった才能があるからこそ、自由なライフスタイルを獲得できるのかもしれません』

『当初からIT系の起業を誘致するというスタイルだったのではなく、人が人を呼ぶ循環のなかで行きついた現在のかたち。創造性をキーワードとしながら、一方では伝統や住民の知恵を重んじる――神山の一連のこうした取り組みを、大南氏は「創造的過疎」と呼んでいます』

『地域へ向かう若者をみると、地域志向と事業志向と大きく二つの領域に分けることができます。前者は、地域衰退の象徴とされてきた商店街や農山村で、人口減少を克服するような動きであり、地域の課題を自身の得意な領域とすり合わせて、新しい仕事を創出しています。後者は、IT系や映像系など働く場所を問わない分野であり、自然や伝統的な暮らしとの親和性も高く、柔軟な働き方を可能にしています』

『終身雇用が機能しなくなり、雇用不安が社会を覆った「失われた20年」で、新たな働き方のひとつとして身の丈で起業を選択する人が目立ってきました。
 こうした小さな起業を表すのに、「スモールビジネス」や「小商い」、最近では「生業」ならぬ「ナリワイ」という用語が浸透しつつありますが、ここでは厳密に規模や業態を限定せず、「新たな自営」と呼ぶことにします』

 まあ「スモールビジネス」でも「小商い」でも「ナリワイ」でもいいけれど、最早、東京の大企業に定年まで勤め上げるという考え方は、今の若い人たちにはないのだろう。それは「失われた20年」の間に幻想であるということがバレてしまい、既に終身雇用や年功序列という言葉すらも使われなくなって久しい。

『日本の経済を支えていた仕組み、すなわち、終身雇用制度やメインバンク制度、年功序列制度、企業別組合、長期取引関係など、日本的な制度は高度経済成長のプロセスで形成されてきました』

 つまり、そんな「高度成長神話」が崩れてしまったこっち、そうした日本の経済を支えていた仕組みも制度疲労をおこしてしまったのである。

『失われた20年は、単に不況の20年というのではなく、制度疲労の20年であったといえるかもしれません』

 そして、それらの「スモールビジネス」「小商い」「ナリワイ」というのは、日本の崩壊しつつある資本主義を別の形で生まれ変わるきっかけになるかもしれないのだ。

『日本には現在、自己利益を追求する資本主義社会と、金銭のやりとりだけでは表すことのできない贈与の社会性が併存しており、むしろ後者の役割が高まってきています』

 この「贈与の社会性」というのは、本書では『社会的投資・クラウドファンディング」という言葉で表している。それについては深く触れないが、要は銀行が不良資産化することを恐れて貸し渋りをしたりしている間に、日本でも次第に普及してきているネットを通じた小口の金融のことだ。

 そうした新しいお金の回し方が出てきて、そして新たに地方で起業する若者が出てきて、その若者たちが地方の「顔が見える付き合い方」をしてきているというのは、若者の「マイルドヤンキー」化とも相まって、地方再生の目玉になるかもしれない。

『そのひとつの表れを地域社会の文脈から読み解くと、匿名性の高い社会から顔の見える関係が意味を持ち、都市と農村がフラット化し、タテ組織への帰属意識が弱くなり、新たな自営、小商いが存在感を高め、有機的なつながりを生み出しているといえます』

 ということなんだなあ。

 面白そうな時代がやってくるんだろうか。

『ローカル志向の時代 働き方、産業、経済を考えるヒント』(松永桂子著/光文社新書/2015年11月20日刊)

2016年1月 9日 (土)

伊勢五米店、千石~大塚を歩く

 千石から大塚へ向かって歩くとかなり趣のある店が多く見つかる。

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 中でもこの千石三丁目にある伊勢五米店はその代表格だろう。

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 伊勢五米店のサイトを見るとこんなことが書いてある。

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『当店は代々、文京区千石で米屋を営んでいます。
正確な創業年代は不明ですが、享保年間(1716~1736)には商いをしていたといわれています。伊勢五の名称は初代の今井(伊勢屋)五郎右衛門からとったものです。
出桁造りの主屋は明治初期の建設、蔵は土蔵づくりの二階建てで大正十二年頃の建築です。昭和三十四年頃に改造し、正面は硝子戸に店も土間の部分が多くなりました。現在の看板はその時に新調したものです。
店舗・蔵は国の登録有形文化財に指定されています。』

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 その他にも、開発から取り残されたような家々が多くある。

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 それが大塚三業地の後の方にいくと割烹などでそのようなお店がこれまた沢山見つかるのである。

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 なのでこの辺りはちょくちょく写真散歩をしている。

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2016年1月 8日 (金)

駒込・妙義神社

「日光御成道」つまり現在の本郷通りを駒込駅前を過ぎると、霜降橋の交差点に向かって坂を下りるのだが、その坂道の名前が「妙義坂」という。

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 まあ、要はその坂の途中に妙義神社があるからなのだ。

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 これが妙義神社。

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 豊島区が設置した由緒書きには……

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『当社の祭神は、高御産霊神・日本武尊・神功皇后・応神天皇である。文政十一年(1828)に成立した「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、のち白雉二年(651)五月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、区内最古の神社ということになる。
 くだって文明三年(1471)五月、足利成氏との戦いを前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。その際、「雲払ふ 此神垣の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは、成氏を敗走させたという。
 続いて道灌は、文明九年の豊島勘解由左衛門との戦いの際、さらに同十一年の千葉孝胤攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。その一方で、大永年間(1521-27)には江戸城代遠山丹波守が、また永禄十二年(1569)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間(1573-91)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰廃するなど、当社にとって戦国時代は波瀾の時期でもあった。
 境内には、寛永十九年(1642)十一月に駒込村の農民によって建立された庚申塔が遺されており、当該地域の信仰の拠点となっていたことが推察される。』
(豊島区教育委員会掲示より)

 とある。

 妙義神社なんだから、群馬県の妙義山にある妙義神社となんらかのつながりがあるのだと思うのだけれども、それについて触れている資料は見当たらない。

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 太田道灌との関係しか分からないのだ。

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 境内には「道灌霊社」と並んで庚申塔があります。

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 駒込妙義神社の公式サイトはコチラ

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2016年1月 7日 (木)

『フェルドマン博士の日本経済最新講義』の面白いところ

 ロバート・アラン・フェルドマン氏の本職は、モルガン・スタンレーMUFG証券の日本担当チーフエコノミストだそうだ。つまりこれは学者が書いた日本経済への提言ではなくて、現役のビジネスマンが書いたもの。という点に興味がある。

Photo 『フェルドマン博士の日本経済最新講義』(ロバート・アラン・フェルドマン著/文藝春秋社/2015年12月20日刊)

 内容は……

第1章 世界経済と日本
第2章 アベノミクスの評価と今後
第3章 エネルギー政策を考える
第4章 働きやすい労働市場にするために
第5章 少子高齢化社会の煉獄
題6章 地方再生と教育改革の進め方

 というもの。

 面白いのはアメリカ経済について書かれた第1章の「米国経済薄曇りの原因は?」というのと第2章なので、おもにそこを紹介。

『アメリカの経済が元気よく上向かないのは、一言で言えばアベノミクスがないからです。  アベノミクスの詳しい評価は次の章に譲りますが、金融政策、財政政策、成長戦略の三つを一緒にやって経済成長を高めること、と私は理解しています』
『米国には成長戦略がありません。なぜないのかというと、民主党にしても共和党にしても、「成長とは下から自然に上がってくるものであって、政府が決めるものではない。市場経済なのだから、市場に任せる」という考え方だからです。市場理想主義から言えばその通りですが、理想と現実は違います』
『米国経済の潜在成長力が薄曇りになっている一つの理由は、インフラを整備しない点にあります。この点を改善すれば、もっと成長できるはずです』
『もう一つの問題は、教育です。義務歳出にお金が流れていて、教育に回す分が足りません。だから学校の教育水準が、非常に悪くなっています。ブッシュ前大統領は、勉強に遅れを取る子どもが出ないようにするプログラムを作りました。しかし結局、税金を使いたくない人たちが、「いや、教育は州の責任で行うものだ。連邦国家である限り、国は口を出すな」と言うのです』

 勿論、アメリカ経済の欠点だけではなくて、良い点にも触れている。

『一方、アメリカには優れている面もたくさんあります。まず、自己責任で企業を起こして儲けようという精神。いわゆるパイオニアスピリットは失われていません。法律にはいいところと悪いところがありますが、ビジネスに関しては先見性があります。お金が集めやすい資本市場もありますし、技術革新にも強い』
『もう一つ、有利な面は移民文化です。昔からそうですが、一流大学の学生には、移民の子どもが多い。セカンドジェネレーションです。移民は野心や向上心が強いですから、子どもにガンガン勉強させます。これは、国にとって大きなプラスになっています』

 結局、アメリカにはなくて日本にあるもの、日本にはなくてアメリカにあるもの、といった比較が第2章の『アベノミクスの評価と今後』なんでありますな。

『私がアベノミクスを新しいと思うのは、デフレ脱却、財政再建、成長加速という三つの目標に対し、金融政策、財政政策(税・歳出)、構造政策という三つの政策道具をかみ合うように利用していることです』
『アベノミクスの内容は、実は非常にオーソドックスな成長経済学です。国債発行と公共事業、移転支出でマネーを民間に供給するケインジアン型の政策と、中央銀行が量的緩和によってマネーを供給するマネタリスト型の政策を同時に実行し、そこへソロー型成長戦略(マサチューセッツ工科大学、ノーベル経済学賞受賞のロバート・ソロー教授が一九五六年に提唱した経済理論)を組み合わせるようになっています。当然の経済学だと思いますが、これまではあまり行われてこなかったのです』
『「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならない」という日本経済の課題を克服するため、安倍政権は、「デフレからの脱却」と「富の拡大」を目指しています。
 その中身が「三本の矢」です』

『第一の矢は金融政策です。
 これは、日銀がお金を大量に刷って広く撒く。お金が増えればいくつかの経路で、景気が良くなって、給料も物価も上がる、という非常に単純なマネタリスト理論です。』
『これが第一の矢です。私は、非常にうまくいっていると評価しています』

『第二の矢は「機動的な財政政策」です。これには、短期的な政策と長期的な政策の二種類があります。短期的な政策は、デフレが続いている間は有効的に充分にお金を使うこと。これも物価上昇の一つの背景になりますし、いまのところはきちんと行われていると言っていいでしょう。景気回復によって税収が上がっているので、短期的には赤字削減目標とは必ずしも矛盾しません。』
『第二の矢はある程度は成功しているものの、まだまだ宿題が多いといえます。第二の矢を成功させるなら、プライマリーバランスをゼロにするという現在の目標ではなく、負債比率を安定化する。そういった高い目標が必要です』

『第三の矢は成長戦略です。ここがもっとも肝心な部分です。次のレーダーチャートは、著者の独断と偏見によって各政策分野の進捗度合いを示しています。進展している分野があれば、停滞している分野もあるのが現実です。 』
『私は、第三の矢による農業改革を高く評価しています。』

 とは言うものの、結局はこういうところに行きついちゃうんだなあ。

『日本の農業技術は、いろいろな部分で非常に優れています。ですが、それを活かして換金する仕組み作りが進んでいません。農産物の輸出が現在のように少ないのは、国を貧乏にしているという罪です。
 これまでの農協の組織がそうした非効率の原因だとすれば、農業の担い手に対して迷惑ですし、消費者、納税者にも迷惑をかけていることになります。農協の改革が必要なのはそういう理由で、改革が進めば地方再生にもつながります。 』

 ということで地方再生に何が大事かと言えば……。

『では、地方で有望な産業は何か。第一はもちろん農業です。これから世界中で、農産物に対する需要は増す一方です。生活水準が上がるにつれ、高くても品質のいい果物などを食べたい人たちが増えていきます。農業には、大きなビジネスチャンスです。』
『農地面積の問題に加えて、利用ルールにも問題が多いといえます。現在は、普通の企業が各農場の五〇%以上を所有することは認められません。そのために、農地REITといった農地を対象とする不動産投信を作るのが難しい。そうした不動産投信の商品を作ることができるようになれば、農地や農業への投資を増やすことが簡単になります。』
『土地の次は労働力です。地方ではこれは足りません。農家の平均年齢は六十六・八歳です。
 基幹的農業従事者」(農水省の定義、約百六十八万人)の六十五歳以上の割合は二〇〇九年の五七%から二〇一四年には六三%になりました。ここに、どのように若い人を連れてくるかが大問題です。』

 結局、そこに至る方法はやはりITってことになるんだなあ。

『IT化が非常に大事です。つまり資本装備率を上げ、農地を集約すれば、人手不足を埋め合わせて生産性を大きく上げることができます。生産性の高さとして例に挙げたオランダの農場は、九八%くらいIT化されているのです』

 つまり、農業を大規模化して、IT化を推し進めて生産性を上げ、農業輸出を増やすってことが大事なんだし、そこまでいって始めてアベノミクスは成功したと言えるんだが、果たしてそこまで安倍政権が持つのかどうかが、肝心のところだ。

 問題はそこなんだよな。

『フェルドマン博士の日本経済最新講義』(ロバート・アラン・フェルドマン著/文藝春秋社/2015年12月20日刊)

2016年1月 6日 (水)

東京周縁部を往く・野田市といえばキッコーマンだよね

「東京周縁部を往く」シリーズももはやネタ切れで、ついに東京を飛び出しちゃった……、という訳ではなく、実はちょっとしたロケハンなのでした。

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 で、東武アーバンパークライン(プッ 笑)野田市駅で降りると、もはやそこはキッコーマンの街なんですね。延々と続く工場の塀。

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 野田市駅周辺案内図を見ても、キッコーマン関係の建物ばかり。

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 で、取り敢えず本社を見てみようと歩きはじめると、工場と一緒にある「もの知りしょうゆ館」という工場見学の案内。

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 それをすぎるとありました、キッコーマン本社。現在、キッコーマンは傘下にキッコーマン食品、キッコーマン飲料、キッコーマンビジネスサービス、日本デルモンテ、マンズワイン、フードケミファなどを抱える持株会社となっています。

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 で、本社の裏に回るとこんな感じの昔の醤油蔵みたいなのがあったり……。

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 とにかく経産省指定の「近代化産業遺産」なんてものが、野田市には沢山ある。

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 勿論、本社裏にはこんな昔の茂木七左衛門邸があったり……。

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 ここなんか、家の前に小さな堀みたいなのがあって、かなり立派な造りであります。

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「茂木本家美術館(Mogi Museum of Art)」は十二代目茂木七左衛門(明治の頃の人らしい)が集めた浮世絵、日本画、洋画などを収蔵している。

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 ここはキッコーマン研究開発本部、キッコーマン食品商品開発本部であると同時に、公益財団法人野田産業科学研究所という醸造に関する研究所もある。

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 まさしく醤油の街、キッコーマンの街、野田市なのでありました。

 何のロケハンなのかはいずれわかります。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f/2.8 D @Noda City (c)tsunoken

2016年1月 5日 (火)

『子どものまま中年化する若者たち』は日本の未来を悲観的な方へ予想させる

 若者たちに四つの変化が起きており、それが大変なことなのだそうだ。

 四つの変化とは

『もはや動物でなくなりつつある──学童期の子どもたちの変化
あきらめ、流されて生きる──思春期の若者たちの変化
言われたことはまじめにやる──青年期の変化
群れになれない世代──学童期から青年期まで一貫している変化』

 というものだそうだ。

Photo 『子供のまま中年化する若者たち 根拠なき万能感とあきらめの心理』(鍋田恭孝著/幻冬舎新書/2015年7月30日刊)

 そんな我が国の若者の特徴は

『・体力の低下と活動量の低下が見られる。つまり、動物としての基本的なエネルギーが下がっているようだ。
・統合能力が低下している可能性がある。それは、プラニングが下手になり、将来への展望を持たなくなり、場当たり的に、その時を生きる傾向につながる。このことはキレやすさにも関係しているだろう。
・将来のために努力せず、流されながら生きている。
・規範意識が薄れ、枠組みがなくなっている。
・何をするにも遊び感覚だ。
・反抗期がなくなったばかりでなく、親との関係はずっと良い状態が続く。そして、親からの自立ということがなくなった。
・変わろうとする意欲が乏しくなった。だから、ずっと家にいる、あるいは地元から離れない。
・生き方が内向きになった。
・ものを選ぶ力も低下している。語る能力が低下している。
・群れなくなった。あるいは、凝集性のある群れがなくなった。遊びの時だけに集まる集団になってしまった。』

 ということ。

 こうした「いつまでも子どものままでいる」若者の生き方の特徴は

『・いつまでも遊び感覚が抜けない。また、いつまでもファンタジーを好み、バーチャルな世界で満足し、リアルな世界にコミットすることは避けている。
・変わろうとしない。趣味も好みも大人のスタンダードに合わせず、自分の好みを維持する。甘党が増えているのも、そのためだろう。社会に参入しなくてはならないという気持ちも希薄だ。
・人との関係が友達感覚であることが多い。すぐ遊べる関係だけを求める。緩い関係を好む。すべての対人関係がフラットな関係だ。だから、年上や目上の人にも気後れすることがない。
・時間感覚が断片化しており、長期的なプランがない。だから、キレやすいし、すぐ答えを欲しがる。将来に向かって努力もせず、流されて生きるようになる。自分の行為に対する深刻さに欠ける。思い付きの行為が多い。
・コミュニケーションも、その場その場での断片的な、反射的なものになっている。
・もろい自己愛を持ち続ける。だから、傷つきやすい。いつまでも親離れしない。親と仲が良い。』

 ということだそうだ。う~ん、だからどうなんだって感じもあるんですがね。でも、そういう風に見てもいけないような情況になっているようなんだ。

 つまりそれは

『やはり、失われたものは、どう見ても「青春」だ。もはや、若者には、幼虫から成虫になるための脱皮のエネルギーが失われたのかもしれない。青春とは、未来へ向かい、苦しみと希望に満ちた脱皮のプロセスそのものだ。それが失われた。とにかく変わろう・変えようという意欲も発想もなくなった。
 それには、すでに述べたように、社会状況として、成長神話が消え、理不尽が消えたことが大きく関与している。社会が成熟して中年化すると、若者は敏感にそれを察知し自らの生き方をそれに合せるものなのかもしれない』

『心の健康・強さというのは、学童期(4歳から10歳前後)の育てられ方にかかっていると臨床経験から確信している。つまり、学童期こそ、個人の生き方・ライフスタイルのベースができる重要な時期だと考えている。言い換えれば、学童期こそ、世の中をどのように渡っていくかという生き方を身につける時期だと考えている』

『このあとに続く思春期では、すでにかなり固まる。つまり、思春期とは、すでに述べように自意識の発達により、ある程度固まった自分自身の在り様に気づき、その欠点・弱点に気づき、このままではダメだと自覚し、苦しんだり、荒れたり、あきらめたりする時なのだ。それは今も昔も変わらない』

『思春期以降のさまざまな問題は養育環境にあるのではないかと考えている。しっかりした主体性や自分感覚が育てられないまま思春期を迎えると、拡散した社会や、溢れる情報・ものに囲まれて、それに頼ってひきこもるか、混乱しつつ漂うようになる。
 一方で、親のサポートで世界レベルに上りつめる子がいれば、一方で、最貧困層として生きなくてはならない子がいる。養育環境の格差は、経済的な格差より深刻なのである。
 いまや、スポーツでも芸術分野でも政治家でも医者でも、専門的な仕事に就くには、家族の支援が不可欠になっている。実際、二世、三世の議員・選手・アーティストが増えている。私の周りにも、親の影響で医者になっている若者が多い。 今後、養育格差はますます大きくなり、社会は硬直化していくに違いない』

 結局そこに行きつくわけなのだな。

 しかし、そんな養育環境の格差というものがあって、それが固定化されてしまったら、ますます若者は生きづらくなってしまい、社会自体が硬直化されて、希望のない社会になってしまうじゃjないか。

『親の安定したかかわりは幼児期から学童期まで必要であるが、学童期に入ったら、子どもが一人で生きていく力を育てるという方向性が必要となる』

 と書く鍋田氏ではあるが、しかし、そのような育て方が出来るのも、やはり家庭自体が安定していなければならないし、それなりに裕福な家庭でないと難しいだろう。

 やはり、日本はゆっくりと世界(の先進国)から退場していく運命なのだろうか。

 そうなんだろうか。

 そうなんだろうな。

 まあ、元々江戸時代は中進国だった訳ですからね。そこに戻るだけの話。

 それもいいかもね。

『子供のまま中年化する若者たち 根拠なき万能感とあきらめの心理』(鍋田恭孝著/幻冬舎新書/2015年7月30日刊)

2016年1月 4日 (月)

今度は『侠飯2』だっ!

 三が日も明けて今日からは普通の日。なのでブログも普通に始まります。

 昨年の12月29日のブログ『「侠飯」とかいて、「おとこめし」と読む』で紹介した福澤徹三氏の続編が12月10日に出た。

 文庫書下ろし小説としてはいいペースなんじゃないだろうか。というか、実は「日経新聞」の記事でこの『侠飯2』を知って、それで、じゃあ取り敢えず最初の小説から読もうかということで、読み始めたんだけれどもね。

Photo 『侠飯2』(福澤徹三著/文春文庫/2015年12月10日刊)

 で今度、「柳刃」が目を付けたのはヤクザの本家じゃなくて、「一般」企業なんだよなあ。

 ということは、そんな「一般」企業に勤める社員が主人公ってことなのか。それも、自分のことをあまり分かっていない、平均的社員ってこと?

 まあ、前回の出演者である大学生たちも出てきて……。

『良太と呼ばれた男は、連れの三人を手で示して、 「信也はアニメショップでバイト、洋介は外資系のアパレルメーカー、春ちゃんは出版社に勤めてます」 』

 なんて感じでお気楽に柳刃と吉野を紹介するんだけれども、まあ、それだけの出演で、柳刃と吉野(それだって本名かどうかは分からない)が特命を帯びた警察官であることは、今回の主人公たちには知らされない。

 つまり今回の主人公たちは……

『「辞令。真鍋順平殿、本日付けをもって人財支援部勤務を命ずる。平成××年六月二×日、株式会社グローバルエッグズ代表取締役社長兼CEO、甘糟大志」
「いまのところ転勤はありません。人財支援部はここの地下三階です。近いうちに支社にも設置される予定ですが」
 地下三階と聞いて、ますます厭な予感がした。どういう部署なのか訊くと、
「問題がある社員のために、人事部付で新設された部署です」
「ひとつは人財支援部に籍を置いたまま、転職支援会社に常駐して、出向先を探してもらいます。出向先が見つかれば半年間は在籍出向という形で、うちが賃金の差額を補塡します。半年後は転籍、つまり正式な転職ですね」 』

 ということで、グローバルエッグスという会社の「人財支援部」というところに異動になった、真鍋順平ほか三名が主人公たち。つまりリストラ対象のダメ社員たちってこと。

 で、今回の社員たちも、何か会社の裏で商売を始めた「スパイシーギャング」というキッチンカーのおいしさによせられてしまい、自分たちもどうせ会社からリストラされるんなら、キチンカーを作って独立しようかなということを考えるんだが、どう考えても「ヤクザ」としてしか考えられない柳刃の立ち振る舞いからしてみれば、柳刃の言うことには従えない。が、柳刃の言うことにはひとつひとつ納得できることがあるのだ。

『「ブラック企業っていうのは主観の問題だ。自分にとって居心地が悪い会社をそう呼ぶなら、世間では一流企業であっても、個人的にはブラック企業さ」
「客だから立場が上だと思うのは、金を払ってるからだ。いまの世の中、金さえだせば、たいていのものは買える。お客様が神様ならば、金を払う者がいちばんえらい。だから金持は尊敬され、貧乏人は蔑まれる」
「そんなの、あたりまえじゃないですか」
「客が神だとすれば、貧乏人は金持の主張に従うしかない。金持は自分よりも神に近い存在だからな。つまり客を神格化するのは、金を崇めてるのとおなじで、拝金主義ってことだ」 』

『「社員にとってリストラは迷惑だろうが、会社に居座る権利はない。業績が悪化すれば社員を解雇するのは当然で、それは会社の権利だ」』

『「たとえば会社は社員に給料を払うから、社員にとっては、もてなすべき客だ。リストラの対象になったのは、客がおまえさんに不満を持ってるってことだ」 』

『「さっきおまえさんがいったように客の権利を尊重するなら、謙虚に不満を受け入れしかないだろう。自分が新卒で選んだ会社を、いまさらブラック企業だっていうのは、お門ちがいじゃないのか」 』

 まあ、言われてみりゃあその通りなんだけれども、それをヤクザまがいに人に言われてもなあ、というところが主人公たちにはあるわけなんだなあ。

『「自分が権利を主張したぶん、他人からも権利を押しつけられる。ぺこぺこされるのが客だと思ってるから、会社でぺこぺこするはめになる」 』

『お客様は神様ではない。
だが、お客様との触れあいのなかで、おたがいの喜びが生まれてくる。
どんな仕事にも必要なのは、意志と想像力だと柳刃はいった。
その意味が、おぼろげにわかってきた気がする』

『 会社では、働いたぶん給料をもらうのがあたりまえだった。しかし会社に対して、なにかを求めるばかりで、与える努力をしなかった。そんな単純なことに、いままで気づかなかった』

 というところがまあ、普通の反応なんだろうなあ。

 まあ、説教していたのがヤクザじゃなくて警察官だった(ってのもよく分からないが)だったってのも、説得力のひとつにはなっていたんだろうけれども。

 まあ、ストーリーの結末は前作と同じ。

 順平たちが勤めていたグローバルエッグスの社長・甘糟大志がヤクザのフロント企業に金を出していた。その内偵のためにスパイシーギャングを出していた柳刃(という名前は本物じゃない筈なんだが)たちの誘導にうまい具合に順平たちは引っかかって、甘糟の情報を柳刃に……。ということで甘糟は逮捕され一件落着。

 順平たちは柳刃からキッチンカーをプレゼントされて、これまた一件落着って、なんか安易じゃない?

 という疑問はこういう小説の場合、持っちゃいけないのだろうなあ。

『侠飯2』(福澤徹三著/文春文庫/2015年12月10日刊)

『侠飯』①もね……

2016年1月 3日 (日)

六義園、今日の演目は「獅子舞と貫井囃子」

 お正月は昨日からオープンした六義園。

 出し物は北千住の氷川神社で普段は披露される神田囃子千四会という保存会による「神田囃子と寿獅子」でした。

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 まずは神田囃子の名調子から始まって……。

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 寿獅子は大黒様の舞の後……。

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 獅子舞が始まります。

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 獅子は踊ったり、遊んだりしているうちに……。

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 疲れて寝てしまいます。

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 そこにひょっとこ登場。

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 よせばいいのに「眠れる獅子」にちょっかいを出すもんだから……。

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 獅子が怒ってひょっとこを追い出してしまいます。

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 で、その後は獅子が見物していた子供たちの頭を噛んでくれます。頭を噛まれた子供たちは、今年は一年間無病息災とか。

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 「あけまして おめでとうございます」

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 となって、最後は「お手を拝借」で「しゃんしゃんしゃん しゃんしゃんしゃん しゃんしゃんしゃん しゃっ」と一本締めで演目終了です。

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 なお、1月3日は午前10時半と午後1時半の2回、目黒流貫井囃子保存会による「獅子舞と貫井囃子」です。

 皆さま、お出かけを……。

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4 D @Rikugien (c)tsunoken

2016年1月 2日 (土)

2016・新春雑景

 師走雑景に続いて新春雑景なわけであります。

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 ったって、家の周辺をただ歩いただけ。

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 でも、こうやって人通りが絶えた街を歩いていると……

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 何故か、時が止まったかのように感じたりする。

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 時の止まった街。

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 時の止まった街。

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 時の止まった街。

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 時の止まった街……。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f/5-6.3 APO HSM & AF NIKKOR 20mm f/2.8 D @Hon Komagome Bunkyo & Komagome Toshima (c)tsunken

2016年1月 1日 (金)

明けまして、おめでとうとうございます

 明けまして、おめでとうございます。

 本年も、宜しくお付き合いの程、お願い申し上げます。

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 ということで、早速昨年のブログ総括。

 エントリー数はブログを始めてからの累計が2366本、昨年1年間では380本。

 内容は「本」の紹介が141本(一昨年は189本)でその内電子版が80本。本の紹介数は減っているが、その内電子版だけは増えています。まあ、当然のその傾向ではありますな。

「映画」の紹介は17本(一昨年は14本)。相変わらず週一ペースとはいかないテイタラク。ただし、12月だけは4本紹介といいペース。なんとかこれを維持しないとな。

「写真及び写真展」は128本(一昨年は102本)。

「旅」については7本(一昨年は4本)。

「その他」が78本(一昨年は170本)。

 2014年の閲覧者数は14,2844PV。

ブログ開始からの累計閲覧者数は982,004PV。

「まあ、多分、今年中に100万PVは超えるだろう」なんて去年の最初には書いたんだが、まあ、そこまでは行きませんでした。まあ、今年中にはいくでしょうでね。

 前年の1日平均は391PV。ちょっと昨年よりは減っちゃなあ。

 まあいいや。それも別にこのブログで収入を得ようということではないし。

 ということで、今年も粛々とブログを更新していきます。

 今年もよろしくお願いいたします。

 なお、上の写真の六義園は1月2日から開園。

 1月2日は神田囃子と寿獅子、3日は獅子舞と貫井囃が、それぞれ10時30分からと13時30分の二回ずつ披露されます。

Photo

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