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2015年12月13日 (日)

貴方は「パンターニ派」?、それとも「アームストロング派」?

 自転車好きの連中には「ランス・アームストロング派」というのと「マルコ・パンターニ派」という二大派閥があるのだ。というか、「あったのだが」という方が相応しいか。

Photo 『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト(THE ACCIDENTAL DEATH OF CYCLIST)』(監督:ジェイムズ・エルスキン/出演:マルコ・パンターニ、パオロ・パンターニ、トニーナ・パンターニ他)

「ランス・アームストロング派」とは、彼が癌から復帰して、厳しいトレーニングを重ねて、遂にツール・ド・フランスで七連覇を成し得て、なおかつ自転車選手として現役の間はドーピング検査にもすべて通ったというところから、自転車に対しては真面目派、慎重派、ツールのみに照準を当てて他のレースは捨てたというところから、競技に対してはストイック、というスタイルを好む。

 一方「マルコ・パンターニ派」とは、ヒルクライムになると途端にアタックする自転車スタイルやスキンヘッドの異様なスタイルから瞬発派、1999年、ジロ・ディ・イタリア中にドーピングがバレて最終ステージを残して途中棄権しなければならなかった競技への向かい方などから、ラテン的な享楽派、などといったスタイルを好む。

 で、結局どうなったのかと言えば、ランス・アームストロングは引退後、ドーピングがバレてツール七連覇の記録は抹消ということになり、今やどうしているのか?

 一方、マルコ・パンターニは1998年のジロ・ディ・イタリア、ツール・ド・フランスの同一年二大ツール制覇(「ダブル・ツール」という)の時はドーピングがバレていないので、いまだにダブル・ツールの記録は残っている。とは言うものの、パンターニは2004年リミニの小さなホテルでコカインの大量摂取という「自殺」なのか「自死」なのか、はたまた「他殺」なのか分からない謎の死を遂げてしまう。

 ちなみに、ダブル・ツール達成者はパンターニの前には6人いて、ファウスト・コッピ(1949年、1952年)、ジャック・アンティクル(1964年)、エディ・メルクス(1970年、1972年、1974年)、ベルナール・イノー(1982年、1985年)、ステファン・ロッシュ(1987年)、ミゲル・インデュライン(1992年、1993年)ときて、1998年のマルコ・パンターニと続く。更に、ランス・アームストロングはジロ・ディ・イタリアとツール・ド・フランスの間の期間が短いため、ツールを優先しジロには出ていない。この辺が、二人の天才の運命を分けてしまったんだけれどもね。

 基本的に、ランス・アームストロング派は、自転車競技に薬物ドーピングやEPOなどの、自分の力以上に何かに頼ることに対して批判的だ。つまり「自転車競技はクリーンでなくてはならない」と考える人達。一方、マルコ・パンターニ派は、自転車競技の過酷さから、ある程度のドーピングなどは(本当はあっちゃいけないことはわかっているんだけれども)「必要悪であるとも考えなければならない」と考える人達。とは言うものの、ランスのツール・ド・フランス七連覇記録抹消で、実は日本における「ランス・アームストロング派」という人達は消滅しちゃったんだ。

 ポール・キメイジが著書『ラフ・ライド』で書いた言葉。

『ビジネスのモラルはなく、自転車競技はビジネスになった。テレビ会社が小切手を手に入り込み、企業の販売部員と莫大なスポンサー料がぴったりとそのあとに続いた。今はすべてが金次第だ。同じことをしてもテレビに映れば大きく見える。おかげで自転車は人も羨む地位を手に入れた。プロスポーツにモラルはなく、アマチュアスポーツは存在しなくなって久しい。金、金、金。テレビスポーツはビッグビジネスとなり、レースを組織してポケットを膨らませる人は多い。彼らはドーピングスキャンダルを忌み嫌う。悪い評判が立つと、人気が陰り、スポンサーが逃げだすからだ。
 噂は不愉快きわまりない情報源だ。事実は歪曲されることが多い。だが、火のないところに煙は立たない。ぼくはこれまで胸が悪くなるような腐敗の噂をいくつも耳にしてきた。チャンピオンにどんな薬物を摂ってもよしとしたレース主催者の話、検査機関に決して届かなかった尿のサンプルの話……。無節操に利益を追求する人々は、白状するより隠すことに魅力を感じる。だが、潔く白状しないことによって、われわれは罪のない人をだまし、犠牲者を次々と吐き出している。
 ありがたいことに、このようなことはテレビ画面には映らない。卑劣な行為や取引や不愉快な話もそうだ。チャンピオンは拍手喝采を受けて当然だし、応援される権利もある。彼らが悪いわけではない。むしろかれらはわれわれの助けを必要としている。ぼくは黙っているべきだろうか。いや、そんなことはできない。それこそ沈黙の掟で利益を得る人々の思うつぼなのだから。彼らは、われわれが恐れて手を出さないこと、敬服するが異議を唱えないことを望んでいる。ところが、このぼくは異議を唱えている。こんなに美しいスポーツに対して……。』

 結局、途中の休日2日を挟んで23日間、トータル3,500kmを走る三大ツール(ジロ・ディ・イタリア、ツール・ド・フランス、ヴェルタ・ア・エスパーニャ)という競技の過酷さが、そんなドーピング・スキャンダルの元となっているのだ。ほとんど、毎日マラソンと同じようなエネルギーを消費しながら、三週間に亘って戦うレース。なので、毎日のレースの前半は皆三味線を弾きながら走っている。ただ単にプロトンの中での位置取りだけで、その日のレースの殆どを過ごし、最後の一時間程度だけが本当のレースだという三大ツール。最後のスプリント・ポイントとか、ヒルクライム区間だけが本当のレースという三大ツール。しかし、そのレース前半の位置取りこそが、その後の本当のレースにとって重要だという三大ツール。そして、そんなレース前半の位置取りレースだけが自分にとっての本当のレースだというアベレージ・レーサーにとっては、途中、体調が悪くなってしまって棄権をしてもいいエースと違って、とにかく23日間すべてを走りきりをしなければならないのである。とにかく、23日間走りきってフィニッシュしなければ彼らの存在価値はない。

 勿論、ランスやパンターニのようなエースにとってもドーピングは、ここ一番のスプリントあるいはヒルクライムの為には、ある意味では欠かせないものでなあるのだろうが、むしろ途中棄権をしてもいいエースという存在以上に、アベレージ・レーサーにとっては途中棄権ができない以上、ドーピングはそれ以上に重要な要素となってくるのである。三大ツールというものがいまやメディア・ビジネスの中での巨人である以上、最早、それをなくすことは不可能だろう。ということは、このスポーツが今後ともドーピングという問題とは不可分になるスポーツであると言えるだろう。

 スポーツというのは今はビジネスである。アマチュアスポーツであっても、今やビジネスと切り離しては考えられない状況になってきている。プロであれアマチュアであれ、競技の継続性を考えると、そこはビジネスと結びつかなければやっていけない状況なのである。正月の「箱根駅伝」しかりである。

 ランス・アームストロングとマリオ・パンターニという二人の天才を分けてしまったドーピングという問題。しかし、パンターニの場合は、それ以上に「イタリアにおける自転車競技の賭博化」という問題があったということが、この映画でも語られる。

 1999年のジロ・ディ・イタリアにおけるドーピング問題は、まさしくこの年から施行された「ジロ・ディ・イタリアTOTO」なんだなあ。そのためには必要以上にドーピングには神経質にならなければならない事情が、イタリア政府側にはあった。そのための犠牲のカナリヤにパンターニは当たってしまったのである。

 なんともなあな状況ではあるのだが、ドーピングというのは、本当はあってはならないものではある。が、しかし、競技の過酷性から考えると、やはり「仕方がないのかな」という問題でもある。

 かといって、三大ツールがなくなってしまったら、自転車競技への関心は完全になくなってしまうだろうから、UCIとしては大きな問題だ。

 今後とも、UCIとしては、こうした三大ツールとドーピング問題との綱渡りを続けて行くんだろうなあ。

 ところでこの映画、ドキュメンタリーなんだけれども、一種の再現ドキュメンタリーの部分があって、そこにでてくるパンターニのそっくりさんが、本当にそっくりなんでビックリ、という部分も楽しめる映画であります。

映画『パンターニ』は新宿シネマカリテにて公開中。今後、地方展開も。

公式サイトはコチラ

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