フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 貴方は「パンターニ派」?、それとも「アームストロング派」? | トップページ | 新井宿、赤山城址 »

2015年12月14日 (月)

『がちナショナリズム』の見えない恐ろしさについて

 いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人たちが変わってきているというのだ。

『いわゆるネトウヨと称されている人は、居場所も出番もなく経済的にも困窮している人、つまり社会的な底辺層が多いと言われることも多かった。その中でも、とりわけ“しんどい若者”の憂さ晴らしが路上のヘイトデモという構図だ』

 と言われていたものが、最近ではそうじゃなくなってきているそうなのだ。

『「ネトウヨの中心は“低学歴ニート”ではなく、大都市在住の三〇代~四〇代ミドルクラス」と分析している』

 というのだ、えっ? えっ? えっ? それはどういうことだ。

Photo_2 『がちナショナリズム――「愛国者」たちの不安の正体』(香山リカ著/ちくま新書/2015年12月10日刊)

『おそらくミドルクラスよりさらに富裕層に近い、外資系ネトウヨ、開業医ネトウヨなども基本的にはこの「ナショナリズム―新自由主義者」スペクトラムに位置づけられるのだろう。しかし、彼らがより“新しい”のは、彼らは愛国心の持ち主というレベルを超えた先鋭的な人種差別主義者や国粋主義者であり、それと同時に「お金儲けってそんなに悪い事ですか?」的な拝金主義者、いわゆる新自由主義者であるということだ。つまり、ナショナリズムか新自由主義のどちらかにより傾いているのではなく、どちらの張りもマックスに振りきれているのだ。
 さらに、彼らハイクラス・ネトウヨに見られる第三の特徴は、その高学歴からは考えられないことだが、反知性主義であるということだ。先ほども述べたように、彼らは明らかに無知な“従来型ネトウヨ”の下劣な発言もためらうことなく拡散する。例えば「あの反日学者の本名は朴念仁」などという噴飯モノのつぶやきを、なぜ「国際学会でニースから帰国、早くもフランス料理が恋しくて成田から三ッ星レストランに直行」というドクターがリツイートするのか』

『いずれにしても、「ナショナリズム」「新自由主義」「反知性主義」の三題噺のオチは、悪夢のような悲惨なものになるだろう。なぜこうなった。いつこうなった。過去を振る変えることじたい、今は「後ろ向き」と言って嫌われるようになったが、ここでもう一度だけ考えてみよう。何も五〇年、一〇〇年の昔を想像する必要はない。ほんの十数年、時間をさかのぼるだけで見えてくるものがある』

 ということで十数年、時間を遡ると、そこには日韓ワールドカップがあった。

『日韓ワールドカップを契機とした若者の「ぷちナショナリズム」、新自由主義的な小泉政権時代に不安を抱えた個人の「〈癒し〉としてのナショナリズム気分」が、現実的な権力を持つ政党の理念と合体し、ひとつの大きな水脈を作り始めた。それが二〇〇五年以降だった、と言えるのではないだろうか』

 それが

『「普通」の軸がすこしずつ保守的な方へ、とずれていった。そしてネットによりそのゆがみがさらに増大し、いつのまにか「〈癒し〉としてのナショナリズム気分」は、激しい自己肯定を促し、ついには他国を貶めることで自国の誇と自信を確保しようとする排外主義にまでその足を踏み出してしまったのである』

 つまり日韓ワールドカップの時には20代の若者だった人たちが、「ぷちナショナリズム」に目覚め、その気分の良さに親しみ、その人たちが十数年過ぎて「大都市在住の三〇代~四〇代ミドルクラス」のネトウヨに成長し、「在特会」に代表されるような排外主義にまで至るような「外れたナショナリズム」にまで行ってしまったんだろうか。

『先に「ニッポン大好き」「ニッポンがんばれ」といった屈託ない、無邪気な“ニッポンびいき”に「愛国心」という核が与えられた、と述べたが、実はそらは正確な表現ではない。正確に説明すると、その核は「他国の軽蔑、排除ではじめて成り立つ愛国心」となる。ここでいう他国とは、とくに中国、韓国、北朝鮮といった東アジア諸国を指す』

『日本人なら日本語が話せる、日本人なら安倍政権を支持する、日本人なら愛国心がある、日本人なら中国や韓国が嫌い……。彼らにとってこのことは、遺伝子レベルでプログラムされた、しごく当然のことに思えるのだろう』

『そして、この人たちに対しては、いくら「生まれつきの愛国心」とか「血やDNAに刻まれたナショナリズム」などというものはない、と説明しても、「それがサヨクの洗脳だ」といっさい聴く耳を持ってもらえないことは言うまでもない。
 そうなるとこれはもう「ぷちナショナリズム」どころの話でも、「偏狭なナショナリズム」ですらなく、ある意味の「神話的ナショナリズム」、もっと言えば「妄想ナショナリズム」として言えないものである』

 その結果として

『安倍首相や閣僚たちは、第二次政権以降、有権者たちからの期待と熱狂に祭り上げられ、「傲慢症候群」と呼ばれる状態に陥っていると考えている』

「傲慢症候群」とは「権力の座にある者に起きる特有の人格の変化」であり、例えば「謙虚だった同僚が首相を始めとする要職につくと次第に尊大になり、「聞き役」だったはずがいつの間にかいっさい人の話を聞かずに自分の功績やビジョンを一方的に話しまくるとようになる」というような症例があるそうだ。

 つまり、最近の阿部首相の発言によくある「(憲法解釈の)最高の責任者は私です」「国民から選ばれた内閣総理大臣が最高指揮官である」といった発言は、本来は国家権力の外側にあって、国家権力が暴走をするのを留める歯止めという、本来の憲法のあり方におおいに矛盾する発言なのである。ところが、こうした安倍首相の発を批判する発言をする論者たちの前に、ネトウヨ諸君は立ち止まって、「首相には発言の自由がある」「安倍首相を批判するなんてもってのほかだ」などのいう悪罵を書き込むんだなあ。

 そりゃあ、ネトウヨ諸君がどんなことをネットに書き込むのはそれはネトウヨ諸君自身の責任において自由だ。しかし、それは安倍首相への批判者においても、同様に自由でなければいけない。そうすることによって、初めて発言の自由、思想の自由というものが保障される。

 一方、政治家には「発言の自由」はない。政治家にはその属する政党があり、その綱領には自ずとその政党に属する議員の行動に対する規範があるのだ。その綱領に許された範囲でしか発言や行動の自由はない。いやならば、その政党を離れるだけである。

 つまり、政治家は公人である以上、それなりに行動、発言には制限が付されるということなのだ。その辺をはき違えて理解するとトンでもない未来が待っているのである。つまりは、それがまさしく「言論弾圧」だってことさ。

 つまり、それがファシズムなのではないか、というのが本書の論考であります。

『ドイツでナチスを支持していた人たちも、当時は「私はファシズムにかかわっている」という自覚はなかったはずだ。石田勇治氏の『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書・二〇一五年)には、とくにナチスの初期には国民はヒトラーを「平和主義者」だと思って支持していた、という衝撃の事実が史料とともに記されていた。人が「あれはファシズムだった。私はそうとも知らずに支持していた」と気づくのは、いつもすべてのできごとが終わってからなのである』

 つまり、「私はファシストではない」と考えているネトウヨのあなたたち。あなたたちはすでにファシストなのかもしれないということを自覚しなければいけない……、ってことなんだよな。

 まあ、自覚的なファシストにこんなことを言っても無駄だとは思うけれどもね。

『がちナショナリズム――「愛国者」たちの不安の正体』(香山リカ著/ちくま新書/2015年12月10日刊)

« 貴方は「パンターニ派」?、それとも「アームストロング派」? | トップページ | 新井宿、赤山城址 »

」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/62850922

この記事へのトラックバック一覧です: 『がちナショナリズム』の見えない恐ろしさについて:

« 貴方は「パンターニ派」?、それとも「アームストロング派」? | トップページ | 新井宿、赤山城址 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?