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2015年11月13日 (金)

『「こころの定年」を乗り越えろ』っていっても、「心の定年」がない人はどうすりゃいいのさ

 そうか「副業」じゃなくて「複業」なんだな。その辺に楠木氏の本書への姿勢が見えるようだ。

Photo_2 『こころの定年を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ』(楠木新著/朝日新書/2015年10月25日刊)

 では「副業」と「複業」はどう違うんだ。

『社員の側から見た時には、働くことを会社との契約の範囲だけに狭めない方が良いと思う。「いくら働いたから、いくらもらえる」という話だけに限定しない、またオンとオフとの区分を絶対的なものにしないということだ。
 本業と副業の区分や公私の分かれ目を強く線引きしないで、「二つの仕事はどちらも充実している」とか、「プライベートな楽しいことが仕事にもつながる」、場合によっては「ただでも働きたい」といったように、ごちゃまぜでいいのではないか。
 実は、私も初めは二つを分けて考えていた。ところが取り組むうちにフリーランスの仕事が、会社の仕事を効率よく、かつレベル高くこなすことにつながっていることに気づいた。要は、人間は、仕事とプライベート、オンとオフなどのように分離なんてできないのである 』

 つまり、私なりに強引に考えれば、「副業」に取り組むことは、本業をおろそかにしてはならないとかいう変なモラルに囚われずに、副業ももう一つの本業と考えて、本気で取り組むということ。それが「複業」の考え方なのだろう。

『会社員は、入社から退職までにおよそ4つの段階を移行していく。会社に定着する適応の段階、一緒に働く仲間や顧客に貢献できるようになる成長期、中年になってとまどう期間、退職後や老後も視野に入れて働く時期である』

『40歳あたりを過ぎると、会社中心の働き方に疑問を感じ始める。組織での役割に満足していなかったり、自分の居場所を組織内に見つけられなくなったりすると、特に揺れが大きくなる。  とりわけ日本の場合は長期雇用が前提なので、組織の仕事に取り組むことがマンネリになりがちになる。これも大きな要素である』

『会社人生は前半戦と後半戦に分かれている。転職を繰り返している場合も大枠は変わらない』

『会社人生の前半戦と後半戦の切り替えの時期が、この40歳を過ぎたあたりにやってくる。40歳というのは会社生活の折り返し地点であると同時に、人生80年の中間地点でもある。また管理職の登用時期もこの前後なので、会社での自分の評価が明確になるタイミングにも符合している』

 で、楠木氏の場合も、その40歳代になって転機が訪れたという訳なのだ。

『40代後半になって、転勤を契機に働く意味を失い、行き詰って長期に休職した。病院に行くと、「うつ状態」という診断書が出た。
 その後、2年半ほどの間、復職と休職を繰り返して、やっと体調は回復した。しかし、長期間、休職したので、復帰した時のポジションは平社員だった。支社長や担当部長などの役職を経験した後に平社員になったので、これからどうしていいのか分からなくなった。自分がいかに会社にぶら下がってきたかを思い知らされたのである。会社を辞めることも頭にちらついた』

『「会社を辞めるか、残るか」の二者択一の選択ではなく、「平社員として働く一方で、モノ書きとして精進する」第三の道を目指したのだ』

 この40歳代の転機となるものが「こころの定年」ということなのだ。

 で、楠木氏の場合は大手生命保険会社の人事、営業、総合企画などの職業だったから、本の執筆というのは本業からかなり離れた「複業」だったという訳。

 まあ、私は楠木氏の言う「こころの定年=うつ」というものにはならなかったが、まあ、50歳の時が転機だったのかな。そもそも出世なんてものはとうに諦めていたので、そういった関係の理由ではない。

 それまでの18年間続けてきた映像制作という職場を離れ(というよりも会社がその事業を辞めたのがきっかけなんだが)ライツ管理という仕事に就いた時である。正直、ライツ管理という「上から目線」の仕事にはまったく興味はなく、それこそ毎日会社に行くのが面白くなかった。会社を辞めてやろうかなとも考えていた時期である。

 しかし、4人の妻子を抱えてしまうとなかなかそうもいかず、といっても別に悶々とした日々を過ごしていた訳でもなく、ある種、淡々と仕事をこなしていた。まあ、要は私はそれほど責任感が強くなかったということなんでしょうかね。

 それからこのブログを始めたのが2009年だから、それから8年も過ぎている。それまで何をやっていたんでしょうねぇ。2004年にライツ管理の仕事から、映像制作の前にやっていた販売促進の仕事に戻って、そこで書店促進の仕事から営業管理の仕事に移ったのが2011年で、そこでの仕事は面白かった。ブログも結構快調になってきたころだった。

 しかし、大手生命保険会社だから執筆は「複業」になったけど、出版社にいた私の場合は、執筆じゃあ「複業」にならないもんなあ。ああ、そうか2007年頃から始めたマンション賃貸っていう副業はあったな。とは言うものの、それはあくまでも不労所得であり「複業」ではない。

 まあ、私にも『会社員は、入社から退職までにおよそ4つの段階を移行していく』というのと、『会社人生の前半戦と後半戦の切り替えの時期が、この40歳を過ぎたあたりにやってくる』というのは理解できる。

 ただ私には幸いか不幸か「こころの定年」というのはなかった。これはただひたすら私の責任感の不足からきているんだろう。ただし、それは私のような出版社の社員には結構共通した部分のようで、考えてみれば出版社の仕事なんてギャンブルみたいなもので、一発本を出したところで、それが当たるか当たらないかはまったく分からない。勿論、企画を出すときは「これは絶対当たります」とか言って出すわけではあるけれども、出された方も、出した方もハラの中では「そんなことはわかる訳ないじゃん」と考えているのだ。

 そうつまり、会社全体が「無責任体制」で動いているのが大手出版社なのであります。

 んじゃなきゃ、年間2,000点近くも新刊書籍をだす出版社なんてやってられないじゃん。

『こころの定年を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ』(楠木新著/朝日新書/2015年10月25日刊)

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