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2015年11月

2015年11月30日 (月)

奥武蔵縦走……ったって「幼稚園児の遠足」でしょ

 昨日は大和郷会スポーツ部主催の「秋のハイキング(2) 奥武蔵日和田山・物見山を歩く」というのに参加した。

 で、そのハイキングなんだが、案内状に「各地の幼稚園の園児さんも遠足で来られます」と書いてある。そんなやさしいハイキングならちょっと参加してみようかしら、ということで……、私も昨日8人の老々男女の一人になって参加した。

 で、まずは西武秩父線高麗駅からスタート。

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 途中、いろいろなところで「巾着田」の案内が出ているが、我々はそれを無視して進む。それは何故か? というのはいずれ判ります。

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 むむっ? 何やら怪しいカメラマン集団がレンズの放列を並べているゾ。と、カメラマン(多分、彼らはフォトグラファーじゃないんだ)を見ると気になるtsunokenです。

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 ってなものを眺めながら日和田山登山口へ……

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 登山口から少し登ると坂は「男坂」と「女坂」に分かれている。当然(!)、我々は女坂の方へ。

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 女坂だって結構木の根が伸びていて階段状になっておりキツい。男坂は岩場が多いそうで、もっとキツいんだってさ。

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 で、坂を上がって眺めの良いところに出ると。目の下に「巾着田」が見える。要は、「巾着の形状をした川が田畑を取り巻いているから巾着田」なのであります。つまり、それは「巾着田に行っても巾着の形状は見られない」っていうことなのね。まあ、以前書いた「吉祥寺にな吉祥寺はない」って記事みたいなもんかな。あ、ちょっと違う?

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 なんてことを考えているうちに日和田山山頂へ。

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 なかなか眺めの良い山頂。新宿や池袋なんかがよく見える。

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 日和田山山頂を下りて昼食大休止、の後は高指山・物見山を目指す。

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 ところが物見山山頂に行っても周りは木に覆われていて「物見」どころじゃない。

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 のでここでの小休止はなしとなって「北向地蔵」を目指すことに。あとヤセオネ峠という尾根道で下りだけだぞ。まあ、尾根道とは言っても、周囲は立木ばかりなので、森林限界を超えた2~3000m級の山の尾根道とは大分違いますがね。

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 ところが山道の途中にこんな農産物の直売所なんかがあると、女性陣はついそちらに気を取られるんですな。で、せっかくお弁当を食べて軽くした荷物をまた重くしてしまう。

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 北向地蔵です。なんでも野州岩船のお地蔵さんの分身として作られ、岩船の方角を向いているので北向になったそうな。

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 で、北向地蔵からどんどん下りて行くと五常の滝に出て……

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 昨日の全行程は終わり。

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 あとは一般道を歩いて武蔵横手駅をめざします。

 全行程(休憩を入れて)6時間余り、歩いた歩数は約17,000歩、12kmの山歩きでした。でも幼稚園児の遠足だもんね。

 ……っえー?

 ってことで、今回の山行の結果から導かれた結論は「明日のココロだ~」って、ホント?

Fujifilm X10 @Hidaka City (c)tsunoken

2015年11月29日 (日)

『イスラーム国』への見方を考えよう

 結論めいたことを予め言ってしまうと、こういう風になる。

 監訳者・中田考氏によれば……

『本書は、イスラーム国を事実上の国家と見るべきである、と述べている』

『自由、人権、民主主義、民族自決、政教分離などといった領域国民国家システムが前提とするような近代西欧的理念を、いったんすべて括弧に入れ相対化しない限り、イスラーム国は理解不能な狂気の集団に映ることになる』

『半世紀以上前、日本の比較文明学者梅棹忠夫は「文明の生態史観」(一九五七年)において、「地中海・イスラーム世界をおおう、新しい「巨大帝国」の再建」を予言していた』

『欧米による覇権の終わり、真のグローバリゼーションの時代にあって、もはや日本人も欧米だけを見ているだけでは、生き残りも覚束ない。これからは欧米の世界観の枠組を当てはめるのではなく、中国、ロシア、インド、イスラーム世界の文明をその固有性において理解することが求められる』

 ということなんだなあ。

 テロリストを「テロリストだから対話不要(不可能)」として扱ってしまうと、結局、最後まで彼らとの接点を持てなくなってしまう。ゲバラやカストロなどのキューバ革命の盟主たちだって、当初はアメリカはテロリスト扱いだったのだ。

Photo 『イスラーム国』(アブドルバール・アトワーン著/春日雄宇訳/中田考監訳/e集英社インターナショナル/2015年10月31日刊)

『「イスラーム国」は世界で最も大きい脅威の一つであり、それは全く新しいタイプの脅威といえるが、その理由は三つある。
 一つ目は、「イスラーム国」が経済的に自立した組織であるということだ。 彼らはモスルのイラク中央銀行から五億USドル(約六一五億円)を強奪したうえ、石油の販売で一日あたり約二〇〇万USドル(約二四六億円)の収入を得ているほか、シリアの約半分、イラクの約半分を占める広大な支配地域の住民約一〇〇〇万人から税金を徴収している。
 二つ目は、兵器の自給体制である。「イスラーム国」は、イラクとシリア両国の政府軍拠点を制圧し、アメリカ・ロシア製の最新兵器を大量に鹵獲した。また、二七〇〇を超える戦車、装甲車、軍用車両を所有している。
 三つ目は、自ら制圧した地域を統治する能力を有していることである。こうした能力は「アルカーイダ」は持ち得なかった。「アルカーイダ」は、スーダンや「ターリバーン運動」の客人に過ぎなかったのである。このことは、「イスラーム国」を支配地域から排除するには、強大な軍事力を必要とすることを意味する』

『本書の執筆の時点でイスラーム国は、イラクの半分、そしてシリアの半分を支配下におさめ、「サイクス・ピコ協定」(第一次世界大戦中の一九一六年五月、イギリス、フランス、ロシアの間で結ばれ、オスマン帝国領の分割を約した秘密協定。)以来初めて、新たな国境線を画定した。過去に栄えた帝国が行なったように、イスラーム国は完全に支配し自立可能な国境線を引いたのである』

 まあ、やっぱり「サイクス・ピコ密約」が持ち出されるわけですね。確かに、自分たちの国境を西欧の国家が勝手に変えることは、政治的にも心情的にも許されることではないだろう。勿論、中世の十字軍の攻勢という問題もあるが、その帰結としてあるサイクス・ピコ密約にはイスラム教徒としては絶対に許せないものがあるのだろう。自らの国の行く末を自らが決められないというのは、第二次世界大戦で敗れた我が国も経験していることだけれども、政治的な敗戦がその理由だとして見れば、やはりここは政治的にも勝っておきたいと考えるのは無理のないことであり、西欧の国家が自分たちの国境を勝手に決めたのなら、自分たちは実力でそんな国境線を廃止したいと考えるのは、むべなるかなではある。

 日本では「過激派組織イスラム国」という報道の仕方をしているけれども、まあこれからは「ならず者国家イスラム国」くらいには呼び方を変えなきゃいけないのかも知れない。別に国家が国家として存立するためには他国の承認が必要なわけではない。自ら国家成立を宣言してしまえば、別にその国家が国家じゃないとは言えないのだ。まあ、あとはその「国家」と貿易をするかどうかというだけの問題ですね。

『イスラーム国の構成員を「首を切り、石打の刑を執行する以外には能がなく、殉教だけを目標としている冒険的なジハード主義者」と決めつけるのは誤っている。彼らは、行政、軍事、政治、メディア、治安など様々な分野の「頭脳」を結集した集団であり、プランニングとリサーチに長け、諸機関を運営している。こうした実態は、イスラーム国内部からもたらされた情報に基づいており、真実に近いと思われる。ヨーロッパの一流大学、軍事アカデミーで教育を受けた人材に加え、イスラーム主義思想に転向した旧イラク軍の将校が軍事指導者として参画している。旧イラク軍関係者は一切表に出ずに活動しており、カメラの前に登場した人物は一人もいない』

 である以上……

『アメリカ主導の「有志連合」の中東地域における目標の達成は容易ではなく、その道は複雑である。大統領バラク・オバマはこの戦争を避けてきたが、世論と議会の圧力に負け、開戦せざるを得なくなった』

 結局……

『アメリカがイスラーム国の「アラブ代表」や「ヨーロッパ代表」と、交渉せざるを得なくなる日は来るのであろうか? 私は、そのような日は来るのではないかと考える。イスラエルは「テロリストの首領」とみなしていたPLOのアラファト議長と交渉した。イギリスは「テロリスト」IRAと交渉した』

 である以上、アメリカだって他の国と同様、イスラム国との交渉のテーブルにつかない訳にはいかないだろう。北ベトナム代表とジュネーブで交渉のテーブルについたようなものである。つまり、それはアメリカがイスラム国に対し政治的に敗北した象徴として捉えられるであろう。

 アルカイーダの9.11攻撃によって、歴史上初めて他国の攻撃をアメリカの国の中で受けたアメリカ合衆国。ベトナムは「撤退」だけでアメリカの敗北を認めたアメリカである。そんなアメリカが遠くイスラム国家への遠征戦で再び敗北することは、我々アジア人からすれば決して喜ばしいことではないが、かといって、悔しいことではない。

 ただし、それは……

『欧米による覇権の終わり、真のグローバリゼーションの時代にあって、もはや日本人も欧米だけを見ているだけでは、生き残りも覚束ない。これからは欧米の世界観の枠組を当てはめるのではなく、中国、ロシア、インド、イスラーム世界の文明をその固有性において理解することが求められる』

 と、始めに引用したことのみに繋がるのだ。

2015年11月28日 (土)

いつもの散歩コース

 私のいつもの散歩コース。

 まず本郷通りを下って行き……

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 11月14日のブログで紹介した「たたみ!」の前から登りに転じてきて……

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 坂を登り切ると旧古河庭園の前に至り……

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 えびす湯なんていうお風呂屋さんの前を通ると……

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 川田工業という一見中小企業の前に至る。

 この川田工業って実は結構「下町ロケット」な会社なんだなあ。

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 で、本郷通りも飛鳥山の前からは北本通りになるので、都電沿いに左折……

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 西ヶ原四丁目の電停のそばで都電を渡ると白山通りに出る……

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 あとは白山通りで巣鴨駅前を通り過ぎると、千石一丁目の交差点を左折して家に戻る。

 これでおよそ一万歩、約7kmほどの健康散歩なのでありました。

 だから何なの? と聞かれても、別に何もありません。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f/2.8 D @Hongotori Ave. (c)tsunoken

2015年11月27日 (金)

文京社会起業対話「地域の困り事、地域に役立つ方法を考える」

 一昨日は、文京シビックセンターで行われた『文京社会起業対話 「地域の困り事、地域に役立つ方法を考える」』という催しに出席してきた。

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 実際に何をやるのかは全く分からない。ただただ、「社会起業対話」っていう言葉に興味を覚えたっていうだけなんだけれども。

『文京区社会起業対話は、文京区から地域課題の解決に挑むプロジェクトを生み出すために、文京区に今、どのような課題があるか、参加者それぞれの視点を持ち寄って考えるとともに、課題解決のために自分にできること、次の第一歩を考えるための対話です。
 対話は、「文京社会起業アクション・ラーニング講座(以下、ALP講座)の受講生からの問題提起をもとに、地域課題の現状や住民のニーズについて対話を通して掘り下げていきます。その対話をもとに、参加者みなさんの次のアクションを考えていきましょう』

 というのが開催趣旨なんだけれども、なんだか分かりましたか?

 まだ、よくわからない?

 まあ、やっているうちに分かるようになるでしょう。

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 ということで、こうした活動や、NPOなんかのコンサルタントをやっている、株式会社エンパブリックの代表、広石拓司氏の全体進行で始まった。

 対話は、現在の地域課題について、ALP講座受講生の問題意識をもとに8つのテーマをあげて、対話の時間の前半は①~④、後半の時間は⑤~⑧のテーマについて行う。我々一般参加者はそれぞれの時間にそれぞれの課題から一つを選んで対話に参加するという形。

 8つのテーマは以下の通り。

■テーマ別対話1(前半)
①「自分の可能性を広げ、いきいきと生きる人生を増やすには?」
②「障がいがあっても共に生きる地域を実現するには?」
③「学校や空き家をより活用しやすくなる仕組みは?」
④「地域の魅力を活性化につなげるには?」

■テーマ別対話2(後半)
⑤「谷根千、下町の魅力をより多くの人に伝えるには?」
⑥「地球レベル、国レベルの課題に対して地域で何ができる?」
⑦「人生を豊かにする学びの場には何が必要?」
⑧「子育てや介護の地域資源の不足を補うには?」

 私は前半は①、後半は⑤の対話に参加。

 ①に関して言えば、ALP講座受講生の松原裕香子さんの「アラフォー単身女性の暮らしにくさ。文京区の魅力のひとつに「昭和のような地域コミュニティ」があると思っているが、「結婚していない、子供もいないだと、地域コミュニティに入りにくく、生活が家と職場の往復になりがち」「既存の地域イベント(祭りなど)は子供か高齢者向きのものが多く、単身者は参加するチャンスがない」「地域コミュニティには単身者を取り込む仕組みに乏しい」などの問題点が指摘された。

 おおっ、これって今私がマンション管理組合理事長として取り組んでいるテーマじゃないか。ということで、現在私のマンションで取り組んでいる、管理組合とは別に親睦会というのを作ってマンション内コミュニティの向上と、地域コミュニティとの連携という取り組みについて説明したけど、分かってもらえたかしら?

 後半は、まあ席を移動するのが面倒くさかったので、そのまま居座って⑤「谷根千(谷中・根津・千駄木」がテーマの対話に。

 ALP講座受講生の秋山都さんはロジロジという谷根千を紹介するブログを運営している人。同じ谷根千に海外からの観光客をどうやったら呼べるのか、という問題を掲げている岩嵜修平さんと一緒のテーマを持っている人だ。

 基本的なことを言ってしまえば「浅草にはあんなに沢山の海外からの観光客が来るのに、谷根千には何故、海外からの観光客や、若い人たちがこないのか」というのがテーマ。

 う~ん、実はこれには私から「いいですか? 水をぶっかけても」と前置きして、「だいたい『下町の人』って、あまり自分の町が観光地化して欲しくない人たちなんじゃない? 基本的に『一見さん』には優しくないから、自分たちからあまり自分たちの町を外に向けて発信するようなことはしないんじゃないかと思える。そんな下町を外部に発信するというのは、ちょっと無理があるんじゃないか」というような「後ろ向き」の発言をしたんだが、まあ、皆さんそれをすらも前向きに捉えるんですなあ。さすがにこうした「対話」には慣れていらっしゃる。

 基本的にはこれは「対話」であるから、ブレーンストーミング的に言いっぱなしでいいのである。この場で結論を出す「会議」じゃなくて、それぞれいろいろな考え方があって、「対話」の出席者はそんな様々な発言の中から、自分なりのソリューションを見つければいいということなのだ。結論は出席者の数だけある、って訳で。

 そんな意味では皆こうしたブレストには慣れているなあと思ったら、もう既にNPOなんかを立ち上げて活動している人が一般参加者の中にも多いようだ。

 そうなんだなあ、いろいろ悩んでいるんだったら、まず走り出しちゃえというのが実は課題解決の一番の道なのである。

 来年2月には「文京社会起業アクション・ラーニング講座」の発表会なんかがあるらしい。一昨日出されたいろいろな課題に対するALP講座受講生のプレゼンテーションなんかもあるらしいので、面白そうだからそこへも行ってみよう。

 なんて言っているうちに、私もその中に巻きこまれたりして。

 まあ、それも面白そうだ。

 私が座ったテーブルのチューターは対話学舎えんたらいふと言うところの齋藤充氏。面白そうなので、今度、もう一回会ってみようかな。

2015年11月26日 (木)

これって、なかなかいいアイデアではありませんか?

 実は今でも練馬の家に週一回程度通っているんだけれども、先日ポストにこんなものが入っていた。

「練馬区 わたしの便利帳」という区役所の住民サービスや練馬区に住んだ時の便利帳などの内容の本と一緒に練馬区の家庭全戸に配布されたようなのだが……

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 練馬区の危機管理室区民防災課が練馬区民に配布したようなものなのだが、要はプラスチックの板に「無事です(英語/中国語/ハングル)」で大書きされている、「練馬区災害時安否確認ボード」なのだ。ボードの下の方には「災害時、安否確認の必要がないご家庭は、玄関の外のドアノブなどにこちらの面が見えるように掲示してください」と書いてある。

 ボードと一緒に配られたチラシには

『練馬区災害時安否確認ボードをお届けします

 大地震が起きとき(区内で震度5以上)みなさまにお願いしたい2つのこと

 ひとつめ
 ご家庭が無事で、地域の助けを必要としないこきは、安否確認ボードを玄関の外に掲示してください。(少なくとも3日間は掲示します。)

 ふたつめ
 近隣の住居を見回り、安否確認ボードが出ているかどうか確認してください。「無事です」の掲示が出ていないお宅を優先して声がけを行います。

●安否確認ボードは、災害時に、地域で助けを必要としている方を速やかに見つけ、支援するための仕組みです。支援の必要のない家庭が「無事です」の掲示をしていただくことで、『掲示のない家庭』=『無事でない可能性がある家庭』を迅速に特定できます。

●ボードの掲示のないご家庭には「大丈夫ですか?」の声がけをお願いします。

【安否確認ボードQ&A】

Q1 安否確認は大切だと思いますが、誰が行うものなのでしょうか?
A1 発災直後、区や警察、消防などの活動には限界があるため、公的機関による安否確認がすぐに行われる保証はありません。そのため、安否確認は近隣の方々の助け合いが基本になります。

Q2 近所の安否確認をして、救助などの必要な人がいた時はどうしたらいいですか?
A2 可能な範囲で支援をお願いします。一人では行えない場合、地域の方々の協力を求めたり、公的機関に救助要請をしてください。

Q3 なぜ、3日間も掲示が必要なのでしょうか?
A3 人命救助には「72時間の壁」があり、72時間(3日間)を過ぎると、生存率が著しく低下すると言われています。3日間掲示することで、地域の安否確認や救助活動が効率的・効果的に行われるようになります。』

 という文言が……

 たしかに阪神・淡路大震災では、家屋に倒壊が多く発生したが、生き埋めや閉じ込めから救助された人のうち、8割が地域住民などによって救出されたというデータがある。

 防災に必要な3つの力というのがあって、「自助=自分で自分や家族の命を守ること」「共助=地域やマンション内等で協力して助け合うこと」「公助=行政機関等が災害支援を実施すること」というのがあるのだが、実際に災害が起こった時には「自助=7割」「共助=2割」「公助=1割」実施されるというし、行政機関等が災害場所に到着し、災害支援を行なえるのは災害が起きて2日目か3日目だという。

 なので、地域の防災力を高めるためには「①日頃からコミュニティを大切にする」「②自分たちのまちは自分たちで守る」「③地域の防災活動へは積極的に活動する」、さらに「④自分たちの地域やマンションなどの、どこにどんな防災グッズが用意されているか」「⑤それらをどう使いこなせるか」といった点にも、事前の確認が必要だ……というのが、9月6日に受けてきた「マンション防災対策入門」セミナーの内容ではありました。

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 こちらが、「練馬区災害時安否確認ボード」の裏面。日頃からの「我が家の防災計画」を作っておきましょう、という主旨の内容。

 さて、これから文京区でもこういうものを作って配布する予定があるのかないのか、確かめてこよう。

 では行ってきます。

2015年11月25日 (水)

『〈未来〉のつくり方』って凄いタイトルなんだけれども……

 結局、紙版で184ページを費やして言いたいことは次のことだけでしかない。

『シリコンバレーを生み出した精神的支柱の一つに挙げられるヒッピー文化やカウンターカルチャーは、対抗の拠点として、ネイティブアメリカンの思考様式や、禅や仏教を取り入れることで、自分たちの世界観を補塡し修正しようとした。もちろん、こうした試みの多くは贔屓目に見ても我流であり俗流であるため、今日、必ずしも正統なものとみなされているわけではない。とはいえ、そうした思考のゆらぎを与えることで、多くの文化が生み出されたのも確かなことだ。こうして西洋的世界観もまた、現在進行形で変貌している。そのゆらぎを知る上で、ウェブを通じた西洋社会の、同時代的な理解は意味がある』

Photo 『〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神』(池田純一著/講談社現代新書/2015年6月1日刊)

 80年代からの「情報革命」を池田氏はこう概観する。

『80年代からの情報革命の変遷を踏まえれば、これまでの動きは次のように整理できる。
ステージ1 80年代 Personal Computer  「パーソナル」
ステージ2 90年代 Internet  「コネクティブ」
ステージ3 00年代 Web 2.0  「ジェネラティブ」
ステージ4 10年代 Internet of Humans(IoH)  「マッシブ」  

 今は、《ソーシャル》によって、ヒトのインターネット(IoH)が、完成の域に達し、スマフォ/タブレットからウェアラブル(時計型/眼鏡型)を経て、「モノのインターネット(IoT)」が用意されている時である。

ステージ5 20年代~ Internet of Things(IoT)  「プロダクト」
ステージ6 30年代~ Internet of Lives(IoL)  「ライフ」
ステージ7 40年代~ Internet of Organs(IoO)  「オーガン」

現在は、ステージ4のIoHから、ステージ5のIoTへの道が模索されている。 ステージ6のIoLは、バイオテクノロジーの発達、とりわけ、DNAシーケンシング(DNAの読み取り)のコストが劇的に(エクスポネンシャルに)低下することがきっかけになる。

最後にIoOだが、これは自律性をもった存在であれば、機械でも生物でも、何であれ器官として扱うものだ。自律したものの接続という点で、「分散性」が生きてくる。

ステージ1から4までは、人間の知性の補強であり、ステージ5以降は、AI研究の充実も含めて、知性の人間以外の存在への提供である』

 はたしてそれが池田氏が最初に提示した疑問。

『未来とは、待てば自ずからやって来るものなのか。
それとも、未来は、自らの手で引き寄せ、築くものなのか』

 への答えになっているんだろうか。

『10年代に入り、まさにムーアの法則の成果によりAIの実現性が高まったところで、「シンギュラリティ」の提唱者として関心を集めている』

『特異点という、後戻りのできない絶対的に不可逆な転換点を意味する言葉が採用されるのは、かつてサルからヒトへの進化の際に生じたであろう絶対的転換と、同種の大転換が起こるとみなされているからだ。そこからシンギュラリティは、コンピュータの発展が導く未来社会像として受け止められている』

「シンギュラリティ」というのは、世界中のコンピュータの知識が人の知識を上回るという「特異点」のこと。その時に何が起きるのかは、現在は予測だけでしかなく、まだ分かっていない。「コンピュータ=ロボット」による人への反乱がおきるという人もいる。一方でそんなこともなく普通に「コンピュータ=ロボット」は人と同じ場所で生きていくことになる、という人もいる。

 その「特異点」は上の情報革命の外観からすると『ステージ7 40年代~ Internet of Organs(IoO)  「オーガン」』の時代にやってくる。

『情報革命は、螺旋階段を上った「二周目」である』

『「アトムとビット」という発想は、世界を物質界と情報界の二界に分けて捉えることが前提である。その二界の存在をまずは意識することが「情報革命」の本質だ。アトムの「物質/エネルギー」に対して、ビットの「情報/エントロピー」が対置される』

『現在では、「器官の時代」の実現に、多くの企業や研究機関が動き出している。ここで注目したいのが、Singularity University(SU)だ』

『Universityと名乗ってはいるものの、すでに従来のUniversityの概念を書き換えている。教程が毎年変わるため、制度的な大学の教育課程からは逸脱している。むしろ、一種のフォーラムと捉えた方がよい。バレーに根付いた第三の文化を実践する場の一つだ』

 で、結局は

『本書で見てきたことは、技術、組織、語り、歴史、アメリカといった観点からの、未来のつくり方であった。入り口はシリコンバレーであったが、しかし、結局のところ、それもアメリカ社会という大きなプラットフォームの上での出来事として受け止める方が有益であることがわかった』

 って何なんだろうこの結論の単純さって。

 だったら、初めからこの結論を提示して、それから「バレー語り」を始めてほしかったのになあ。

『結局のところ、それもアメリカ社会という大きなプラットフォームの上での出来事として受け止める』

 なんて単純な言い方で終わっちゃうのか?

『〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神』(池田純一著/講談社現代新書/2015年6月1日刊)

2015年11月24日 (火)

今日はすみません

今日はすみません。ブログの更新はありません。

昨日ちょっと早い時間から飲み過ぎっちまったもんでね。

この写真のUPだけでお許しください。

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 東大の銀杏もまだ色づいていませんね。ということでなんか一つブログが書けないかなと思って、やっぱり書けなかったのです。

 で、写真だけUPします。

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 おや、これまたすいません。下の二枚は湯島天神の菊人形でした。

ってなことで、今日はすみませんでした。

Fujifilm X10 @Hongou & Yushima (c)tsunoken

2015年11月23日 (月)

「dマガジン」急成長と出版社の戦略

「dマガジン」というのは、NTTドコモが提供するスマホ向け電子雑誌の定額読み放題サービスのこと。開始1年半で会員数は250万超となり、出版社も「読者の目に触れる機会が増えるなら」と相次いで同サービスに参加、当初は約70誌からスタートして現在、160誌以上となっているという。

「出版界唯一の専門紙 新文化」11月19日の記事から。

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 読まれているのは圧倒的に週刊誌の記事だそうだ。今年のある月のアクセスランキングを見ると媒体ユニークユーザーとページユニークユーザーを足した総合ベスト10は次のようになるそうだ。

1位 「FRIDAY」(講談社)
2位 「FLASH」(光文社)
3位 「週刊ポスト」(小学館)
4位 「週刊プレイボーイ」(集英社)
5位 「週刊現代」(講談社)
6位 「週刊SPA!」(扶桑社)
7位 「女性セブン」(小学館)
8位 「週刊女性」(主婦と生活社)
9位 「週刊文春」(文藝春秋社)
10位 「an・an」(マガジンハウス)

 つまり、芸能人のスキャンダルなどを伝える週刊誌が上位にきている。

 マガジンハウス営業部の小西文子課長によれば

『(dマガジンは)テレビを見ている感じに近くて、じっくりとは読まれない』

 というのも、まあ、週刊誌の記事が上位にくるという理由なんだろう。

 紙版の週刊誌に比べるとdマガジンへの誌面露出量は光文社で50%の他は、概ね7~8割だという。つまり一種の「立ち読み」みたいな読まれ方で、面白いのは男性が女性誌を、女性が男性誌を読んでいるケースが多く見られるということだ。まあ、店頭だとそういうケースは他の人の目もあることからあまり見られないケースなのだが、そこはdマガジンならではということなのかも知れない。それと同じようなケースが電子版の雑誌にも見られるそうなので、やはりそれは同じような感じなんだろうな。

 現状では各社ともdマガジンは「紙版購入へのきっかけ」(マガジンハウス)、「あくまでも紙版、電子版のためのプロモーション」(光文社)という捉え方である。つまりやはり「立ち読みが紙の売上げにつながる」という発想なのだろう。

 dマガジンのサービス責任者、NTTドコモの那須寛デジタルコンテンツサービス担当部長によれば

『基本的にdマガジンの読者は、紙版とは重複していないと認識しています。例えば女性誌のダイエット特集を男性が読むといったことがdマガジン上では起こっています。これは、ある種、dマガジンが読者の垣根を取り払っているともいえます。雑誌は男性誌、女性誌といったように明確にカテゴライズされていますが、そのブランディングを活かしていくことと、性別や年代などの垣根を越えて魅力的な記事との出会いを生み出していくことの双方によって、これまで雑誌コンテンツに触れる機会のなかった方々に、dマガジンを通してその機会を提供し続けていきたいと思います』

 とのこと、やはりNTTドコモ側としてもdマガジンは紙版、電子版のプロモーションという位置づけなのだろう。

 そういう意味では「週刊誌の後追いをテレビが行い、それをまた週刊誌がフォローする」という現在の週刊誌とテレビの関係論に近いものがある。まあ、「定額読み放題サービス」というのもやはり媒体的にはテレビに近いものがあるからなのだろう。

 推定販売額が今年1月期が前年同月比11.6%減(1156億円)、2月期が同12.6%減(1267億円)、3月期が同16.2%減(1371億円)と続き9月まで9ヵ月連続で2桁減が続いているという週刊誌である。一方、2013年には77億円だったのが2014年には145億円とほぼ倍増している電子雑誌にとってdマガジンはそんな電子版への導入として欠かせないものになっているようだ。

 

2015年11月22日 (日)

多摩川スピードウェイって?

 昨日と今日の二日間、東急東横線多摩川駅前にある「田園調布せせらぎ園」で『多摩川スピードウェイ・回顧展』というのが開催されている。

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 昔、多摩川の河川敷に変形オーバルのダートコースがあって、自動車レースやオートバイレースが開催されていたらしいのである。

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 会場にはオオタ自動車の復元車の他は……

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 写真展示やビデオ展示のみ。

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 おお「第1回全日本自動車競走大会」で事故に遭い空を飛ぶ故・本田宗一郎や……

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 第1回大会でオオタ自動車に負けた雪辱を期して日産が作った、スーパーダットサンなどの写真が面白い。

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 で、その多摩川スピードウェイの名残がまだあるというので、丸子橋を渡って川崎市側に行って見ると、おお、ありましたコンクリート製の観客席。

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 第1コーナー側はまったくコースらしいものはない。

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 で、第4コーナーの方に目をやると、う~ん、なんかそれっぽい雰因気があるなあ。

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 多摩川スピードウェイの対岸は10月14日のブログで紹介した、古墳群のある多摩川台公園なのでした。

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2015年11月21日 (土)

『ヒトラーとナチ・ドイツ』と共通するわが国のありさまについて

 問題は『二〇世紀初頭、ドイツはすでに欧州随一の文化大国・経済大国として、日本をはじめ世界各国から数多くの留学生を受け入れ、西欧文明をリードする立場にあった。そのドイツで、民主主義を公然と否定し、ユダヤ人憎悪を激しく煽るヒトラーとナチ党が大衆の支持を得て台頭し、ついに政権の座に就くなど、誰が予想しえたであろうか』ということなのだ。

Photo 『ヒトラーとナチ・ドイツ』(石田勇治著/講談社現代新書/2015年7月1日刊)

 結局それは『ナチ体制は、「民族共同体」という情緒的な概念を用いて「絆」を創り出そうとしただけでなく、国民の歓心を買うべく経済的・社会的な実利を提供した。その意味で、ナチ体制は単なる暴力的な専制統治ではなく、多くの人びとを体制の受益者、積極的な担い手とする一種の「合意独裁」をめざした。このもとで大規模な人権侵害が惹起され、戦争とホロコーストへ向かう条件がつくられていったのである』

 ということと裏表の関係なのだろう。

『戦後初期の西ドイツで実施された住民意識調査(一九五一年)によると、「二〇世紀の中でドイツが最もうまくいったのはいつですか。あなたの気持ちにしたがって答えてください」という問いに、回答者の四〇パーセントがナチ時代の前半を挙げている。女性の回答者に限れば、四一パーセントだ。これは帝政期(四五パーセント)に次ぐ高さで、ヴァイマル期(七パーセント)、ナチ時代の後半(二パーセント)、一九四五年以降(二パーセント)を大きく引き離している』

『ナチ時代の前半を生きた人びとが、第二次世界大戦後、この時期を比較的肯定的に捉えたのはなぜだろうか』

『たしかに独裁下の「正常さ」というのは、いささか矛盾した表現だ。だが、第一次世界大戦の敗北と帝政の崩壊、天文学的なインフレ、世界恐慌の勃発という具合に、立て続けに苦境に見舞われたドイツ国民の絶望感が、「救世主ヒトラー」の登場でいったん後景に退き、雇用の安定とともに昔の平穏な時代を取り戻したかのような錯覚にとらわれたとしてもおかしくはない』

『ヒトラー政権が誕生した三三年一月末、ドイツは六〇〇万人もの失業者を抱えていた。だがその反面で、その前のパーペン、シュライヒャー両政府の失業対策が徐々に効果を表していた』

『パーペンの失業対策「パーペン・プラン」は企業減税を柱とする景気浮揚策で、三二年秋から実施されていた。シュライヒャーはこれを引き継ぎ、さらに財政支出をともなう雇用創出政策を打ち出した』

『とくにシュライヒャーの「緊急プログラム」は、従来の財政均衡主義からケインズ主義への転換を表すものだった』

『実はドイツの経済はヒトラー政権の誕生前にすでに景気の底を脱し、いまや政府の強力な後押しがあれば一気に回復局面へ移行できる段階にあったのだ』

 結局、人々の関心事は「経済」なんだなあ。そのためには『ドイツのユダヤ人はといえば、ヒトラー政権が誕生した一九三三年の時点で国内に暮らすユダヤ人は約五〇万三〇〇〇人(人口比〇・七六パーセント)』という少数民族のことなんか知らないよ、というのがドイツ国民の大半の考え方だったんだろう。

 ヨーロッパはキリスト教社会なので、基本的に反ユダヤ主義というのはヨーロッパにはびこっている。

『ヨーロッパのユダヤ人は、ユダヤ教徒であるがゆえに長らくキリスト教徒の迫害と差別にさらされ、ゲットー(特別居住区)での居住を強いられるなど、多数派社会から隔離された生活を送ってきた。だが一八世紀後半の啓蒙思想の発展とフランス革命(一七八九)をきっかけに、ユダヤ人の解放=法的同権化をめぐる論議がヨーロッパ各地に広がった』

『ドイツでもユダヤ人の解放は、一九世紀を通じてゆっくりと進展し、ビスマルクによるドイツ統一=ドイツ帝国創設(一八七一)とともに全国で信仰の自由が認められ、ユダヤ人の法的平等が実現した』

それが

『ユダヤ人に与えられた「不当な特権」を奪い、彼らを二級市民に貶め、最後の一人まで国外へ追放する。これが三〇歳当時のヒトラーの考えだった』

 という「在日特権を許さない市民の会」もかくやという論理と妄想で固まったヒトラーの暴走を許してしまったのだろう。つまり、結局は市民の無関心が起こしてしまったホロコーストという悲劇なのである。

『この間、政府の反ユダヤ政策は急進化した。だが、ほとんどの人が、これに抗議の声ひとつあげなかった。いま聞くと、それも異様なことに感じられるが、人口で一パーセントにも満たない少数派であるユダヤ人の運命は、当時の大多数のドイツ人にとってさほど大きな問題ではなかったのである』

『たとえば同僚のユダヤ人がいなくなった職場で出世をした役人、近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の家財道具や装飾品、楽器などを競売で安く手に入れた主婦、ユダヤ人が経営するライバル企業を安値で買い取って自分の会社を大きくした事業主、ユダヤ教ゲマインデ(信仰共同体)の動産・不動産を「アーリア化」と称して強奪した自治体の住民たち。無数の庶民が大小の利益を得た』

 市民の無知と無関心が引き起こしたホロコーストというのは、私たちの社会でも充分起こる可能性のある問題だ。日本のレイシストたちが言っていることと、ヒトラーが言っていたことにどんな差があるというのだろうか。

 私たちは我が国のレイシストの言うことを十分聞いて、彼らが暴走しないように働きかけなければならない、ということなのだろう。

『ヒトラーとナチ・ドイツ』(石田勇治著/講談社現代新書/2015年7月1日刊)

2015年11月20日 (金)

相模原ギオンスタジアム

 一昨日の「相模原は軍都であった」の続き。

 一昨日のブログで「陸軍士官学校相武台演習場→北里大学、麻溝台工業団地、県公社相武台団地、県立相模原公園」として紹介したのが、JR相模線原当麻(「はらたいま」と読む。でも「大麻」じゃないよ)駅からエッチラオッチラ坂を登ること20分。

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 坂の頂上に上がるとあるのが、県立相模原公園、相模原麻溝公園、そして相模原ギオンスタジアムなのであります。

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 この相模原ギオンスタジアムとはXリーグ1部所属の昔はオンワードスカイラークスといった名門アメリカンフットボールクラブ「ノジマ相模原ライズ」と、なでしこリーグ2部所属の「ノジマステラ神奈川相模原」のホームグラウンドなのであります。

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 所有は相模原市だが、相模原市に本拠地を持つギオンという物流会社がネーミングライツを獲得してギオンスタジアムとなった。ノジマがネーミングライツを取ればいいのにね。

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 なかなか立派なグラウンドは陸上競技とインフィールドでは球技もできる競技場です。

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 サブトラックもあって、国体なんかでも使用可能なグラウンド。

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 メインスタンドにバックスタンド、南北のコーナー部分にもサブスタンドがあって収容人員は13,500人!

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 大きな電光掲示板もあって、1940年の東京オリンピックのメイン会場になる予定だった駒沢競技場もかくや、というくらいの設備。

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 ただし、問題はアクセスだな。なにしろ原当麻駅からはバスもないし、クルマでしか行けない。まあ、駐車場は現在も増設中なので、駐車の問題はないだろうけれども……。

 来年はライズの試合を見に来ようかな。

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2015年11月19日 (木)

六義園、ライトアップ今日から始まる

 駒込・六義園の「紅葉と大名庭園のライトアップ」が今日から始まった。

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 こんな感じで下からのライトを当てている(だから、ライトアップなんですね)。

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 六義園中心にある池と蓬莱島と対岸の木です。

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 途中の道もこんな感じ。

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 ついでに我がマンションの屋上ガーデンから見下ろした六義園がこんな感じ。

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 上の池と雪吊りをした木が見えます。

 でも、寒いよ。

 ライトアップは12月6日まで。入場料は300円。

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InterBEE2015開幕! 4K・8K・4K・8K・4K……

 今年も「InterBEE 2015(国際放送機器展)」がやってきた。

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「放送会社」の方はなんか下り坂っていう感じだけれども、映像を使ったコミュニケーションの機会は今後益々増えていくのであるから、こうした映像音響機器に関する展示会は、これからも順調に伸びていくだろうな。

 ちなみに、今年の出展者数は996社・団体(海外33ヵ国・地域から543社)と過去最高で、入場者も昨年の37,959名とほぼ同数の38,000名が目標だという。

 勿論、各社の展示の眼目は「4K・8Kデモ」であります。まあ、東京オリンピック狙いなんだろうけれども、4K・8K映像となるとモニターが40吋以上じゃないと意味がないので、それに合った住宅事情というのも関係してくるだろうな。

 実は我が家のテレビは42吋。56吋のモニターにすればよかったと、家に帰って来てからカミさんは語っているんだが、まあ、私が知らないうちに買ってきてしまったテレビなんでどうしようもない。まあ、次に買い替えるときは50吋以上のモニターにするだろうな。

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 で、デジタルシネマカメラの世界でいつの間にかビッグメーカーになってしまったBlackmagicdesignなんだが、本当に毎年ブースを拡大してるなあ。

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 おお、¥121,800の小型カメラが……これなら買えるな……って思ったんだけれども。

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 ああ、そうかそうならGoProを買えばいいのか。GoProも最早プロ用機器になっているんだなあ。っていうか、デジタル革命のおかげで、プロ用・アマチュア用という垣根がなくなってきている。

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 CEATECに出展をやめたソニーや……

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 東芝もinterBEEには出展しているっていうのも、CEATECとInterBEEの今後を占うキーになるかもしれない。

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 とは言うものの、一般客向けのCEATECとプロ向けのInterBEEの違いは、出展者。

 アリフレックスやカール・ツァイスの代理店であるNACだとか……

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 業務用テレビカメラの専門メーカー池上通信機なんて皆さん知らないですよね。

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 まあ、私には近しい会社なんだったんけれどもね。

InterBEE2015は幕張メッセで11月20日まで開催中。

公式サイトはコチラ。入場には事前登録が必要です。

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2015年11月18日 (水)

相模原はかつて軍都であった

「相模原は軍都であった」というテーマで写真を撮りに行ったのだが、どうだったのだろうか?

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 JR横浜線の相模原駅で降りて10分も歩くと、そこは国道16号線である。国道16号線と言えば横田基地がメインである「米軍基地」であります。

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 もともと米軍基地は日本の軍事基地があったところに作られたわけであるし、それは首都東京を守るための基地として作られたわけですね。

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 その中心が相模原市役所。政令指定都市なので、相模原市中央区の区役所も併設されています。

 で、その旧日本軍基地がどうなっているかと言えば……

陸軍士官学校→米軍キャンプ座間・陸上自衛隊座間駐屯地併設
陸軍士官学校相武台演習場→北里大学、麻溝台工業団地、県公社相武台団地、県立相模原公園
臨時東京第三陸軍病院→国立相模原病院(現国立病院機構相模原病院)
相模原陸軍造兵厰→米軍相模原総合補給廠
陸軍技術研究所
→同上
相模原集団住宅(造兵廠工員住宅)→星が丘住宅地
陸軍兵器学校→麻布大学、市立大野北中学校、防衛庁技術研究本部
電信第一聯隊→米軍相模原住宅地区
陸軍通信学校→相模女子大学、相模原市立北中学校、県立総合産業高校
相模原陸軍病院→米陸軍医療センターを経て→グリーンホール相模大野、相模大野中央公園、外務省研修所、国家公務員相模大野住宅、県立相模大野高校、ロビーシティ相模大野五番街、伊勢丹相模大野店
陸軍甲整備学校→米軍キャンプ淵野辺を経て→淵野辺公園、県立弥栄高校、相模原市立博物館、東京近代美術館フィルムセンター淵野辺分館

 ということで、基本的には米陸軍キャンプ座間・陸上自衛隊座間駐屯地くらいしか、軍事施設はない。

 で、そのキャンプ座間がどういう状況なのかということで、横浜線を橋本まで戻って、相模線に乗り換え、相武台下駅までいった。

 で、キャンプ座間の第2ゲートを撮影したんだが……。

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 なんかキャンプ座間に居候している陸上自衛隊の門が、このキャンプ座間の対面にあるんだが、そこを警備しているお巡りさんが「えー、軍事施設は撮影しちゃいけないんですよね。別に今ここで見せなくちゃいけないとは言えないので、後で画像を消去してくださいね」なんてことを言っていた。

 まあ、いかにも日本のお巡りさんらしい、律儀な対応なんだけれども……。

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 嘘だよそんなの。これまで横田基地や厚木基地、沖縄でもいくらでも基地のゲートや外から見える場所は撮影してきたけれども、そんなことは言われたことはないぞ。

 って言うか、ゲートを撮影して何か軍事機密がわかるって言うの?

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 ということなので、お巡りさんの言葉は無視して、ちゃんと撮ってきた写真はUPします。

 ついでに、外から見た基地の中もね(自衛隊です)……

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 それにしても、この公園内立ち入り禁止ってのも、立ち入り禁止されたら奥にある座間神社にも詣でることができないんだから、これは信仰の自由に対する侵害じゃないか。

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 なーんて無粋なことは言わないから、今度キャンプ座間のオープンデーに行ってみようかな。

 実はキャンプ座間ってほとんどがゴルフ場なんだってさ。で、ゴルフ場の脇に滑走路があるっていう。

 何? それ? って感じですねえ。

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2015年11月17日 (火)

道灌山城址って……、えっ?

 荒川区の道灌山は、現在、荒川区立西日暮里公園として整備されている。

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 ところが、この道灌山が城跡だっていうのは知らなかった。

『名称の由来は江戸城を築いた室町時代後期の武将・太田道灌の出城址という説、鎌倉時代の豪族・関道閑(せきどうかん)の屋敷址という説がある』(Wikipediaより)

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 確かに、西日暮里公園の説明板にもそんなことが書いてある。飛鳥山みたいな筑波山が見えた景勝地だとばっかり思っていたのだが、そうではなかったんだ。

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 城域はお隣の諏方神社(「すわ神社」と読む。諏訪大社の末社)に及んだそうだ。

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 まあ、確かにこの場所から見ると広く見渡せて、如何にも砦を作るのにはいい場所である。まあ、この辺は赤塚城址や志村城址と同じ地形ではあるな、って同じ本郷台地じゃないかよ。

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 で、実は太田氏に滅ぼされた石神井城主豊嶋氏の出城であった、上中里近くの平塚神社までもほど近い。ここも同じ本郷台地にある。まあ、赤塚城址も志村城址も同じ豊嶋氏の出城だったんだけれどもね。

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 つまり太田道灌が豊嶋氏に睨みを利かせるために、道灌山に出城を作ったというのも何となく頷けるのであるなあ。要は、太田氏が豊嶋氏に対する砦として道灌山城を作ったと……、なるほどね。

 しかし、道灌山にある上の諏方神社も、豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したのだから、太田道灌もいろいろ罪なことをしているのだなあ。

「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」なんて風流を気取っている場合じゃないですねえ。

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2015年11月16日 (月)

Xリーグ、セカンドステージ終了

 昨日の横浜スタジアムの一戦でXリーグSECOND STAGEが終わった。

 まず、SUPER9に関しては富士通フロンティアーズがLIXILディアーズに勝ったので、FINAL STAGEは富士通vs.オービック・シーガルス、パナソニック・インパルスvs.ノジマ相模原ライスで闘われることになった。

 まあ、SUPER9とは何の関係もないBATTLE9はまあ、それぞれに来年への想いをかけてし合う訳ですね。

 で、最後の最後の試合。オール三菱ライオンズvs.BULLSフットボールクラブの試合なんだが、まあ、予想通りの展開なんでちょっとなあ。

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 第1クォーター(Q)ブルズがレシーブをチョイスして始まったゲームなんだが、結局、第1シリース。1-2-3-パントで攻撃権を敵に渡してしまう。

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 で、その後7分18秒にオール三菱ランニングバック(RB)鈴木のタッチダウン(TD)でもって得点を与えてしまうと、もう試合の主導権はオール三菱のものに。

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 1Q、ディフェンスバック(DB)真田がインターセプト・タッチダウンっていうビッグプレイを見せてくれた時は、「意外と三菱たいしたもんじゃないんじゃん」なんて思っていたんだけれども……「。

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 まあ、そうはいかなかったんですねえ。とにかく、BULLSのパスはみんな通らずに、オール三菱のパスばっかり通るって訳で、2Q、3QはBULLS、0点。

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 まあ、こんな東大時代の同級生でもって、相手の方がでかいことか分かっている奴らと当たっちゃうラインなんて、不幸なのかな。

 でも第4QはBULLSも頑張って、勝ってたんだけれども、結局は最終的には負けなんですね。

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 52-21ってことで、まあ前々週のオール三菱vs.ハリケーンズの72-2よりはまあ、よかったのかな、と。

 でも、負けは負けだよね。

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 まあ、「実業団チーム>クラブチーム(を装った似非実業団チーム)>クラブチーム」ってとこなんでしょうね。アメフトは。だって、力の差が物凄くはっきりしてるんだもん。

 それは、多分別のチームスポーツでも同じでしょう。

 ラグビーとかバスケットボールでもね。

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2015年11月15日 (日)

「女子御三家」の「お嬢様度」はどうなっているんだろう

「学力の桜蔭、自由の女子学院、お嬢様の雙葉」という言葉すら知らなかった私が、何故この本を読んだのか?

 実は我が家で雙葉に関係していないのは私だけなのだという事情がある。つまり、私のカミさんは小学校から高校まで雙葉だし、娘はそれこそ幼稚園から高校まで雙葉というスーパー内部。おまけに下の弟二人まで幼稚園は雙葉だったのだ。

 まあ、カミさんが雙葉出身なので娘を雙葉に入れようとしたというのはごく普通なんだろうけれども(それもちょっとした紆余曲折があるんだけれどもね)、その幼稚園の送り迎えにいつも弟を連れていたので、結局、男の子まで雙葉幼稚園になってしまったっていう訳なんだなあ。

 で、別に雙葉って「お嬢様の学校じゃないと思うけどなあ」というのが私の結論なのだが、じゃあどこが「お嬢様」なのさ、というのが本書を読んだ理由だったりして。

Photo 『女子御三家 桜蔭・女子学院・雙葉の秘密』(矢野耕平著/文春新書/2015年10月20日刊)

『桜蔭は進学校という側面で見ると全国に名を轟かす「モンスター級」の女子校である』

『女子学院はプロテスタント系で、自由な校風で知られる女子校だ』

『在校生や卒業生の多くは昔から親愛の情を込めて女子学院を「JG」と呼ぶ』

『雙葉はカトリック系で、世間からは「お嬢様学校」とみられている伝統校である』

『皇后・美智子さまが雙葉小学校出身であり、皇太子妃・雅子さまは系列校である田園調布雙葉小中高で学ばれていた』

 約30年前に生まれたとされる有名なたとえ話があるそうだ。

『もし道端に空き缶が落ちていたら?
  桜蔭生→本や参考書を読むのに夢中で、そもそも空き缶が落ちていることに気づかない。
 JG生→友だちみんなで缶蹴りを始める。
 雙葉生→神様が自分を試していると感じ、空き缶をそっと拾ってゴミ箱へ捨てに行く。

 桜蔭の生徒はいわゆる「ガリ勉」で、平生より興味関心は勉強以外には向いていない。
 JGの生徒はとにかく元気、活発であり、集団で何かに取り組むのを好む。
 雙葉の生徒は純真で、かつ配慮の行き届いた上品なお嬢様であり、他人のためなら嫌なことを厭わない献身的なふるまいを常日頃から心がけている』

 しかし『このたとえ話は、「女子御三家たるもの、こうあってほしい」という当時の理想、願望が描かれているだけであり、実態とは隔たりがある』そうで……

 矢野氏なりに言えば

『もし道端に空き缶が落ちていたら?
 桜蔭生→すぐさま拾い、ゴミ箱へ捨てにいく。(理系・医系の生徒は、捨てにいく途中で缶に記された原材料や成分をチェックする)
 JG生→考え事にふけっていたため、缶が落ちていることにそもそも気づかない。
 雙葉生→誰が捨てにいくのかを決めるジャンケン大会が始まる。(ただし、他人が通りかかったら、その人に見せつけるようにそそくさと捨てにいく)

 というのだが、まあ、それもある種極端な話ではあるだろう。

 実際に我が家の雙葉OGを見てみれば、別にカミさんも娘も「お嬢様」じゃないし、ごく普通の女性である。

『フランス系カトリックの流れを汲み、しかも幼稚園から厳格な一貫教育をおこなっている雙葉には、「お嬢様学校」というイメージが強い。「はじめに」でも触れたが、皇后・美智子さまや皇太子妃・雅子さまが雙葉に縁があるほか、企業経営者や文化人の子女が多く通っていることは周知の事実だ』

 というのが事実ではあっても、それですべての雙葉生が「お嬢様」であるということではない。

『堅実・質素を旨とする校風もあり、羽振りの良さを周囲に派手に見せびらかす新興成金のような似非〝お嬢様〟はいない。しかし、よく見ていると挙措が乱れず、品の良さを隠せないのが雙葉生である』

 ほほう……

 まあ、雙葉の良いところは

『当たり前の話だが、小学校六年間(幼稚園からだと計八年間)を同じ顔ぶれで過ごしてきた内部生は全員が顔見知りであり、その中には何がしかの秩序が既に成立している』とは言うものの、『「内部の子は勉強が出来る子と出来ない子の差が大きいです。その間に外部が挟まれているような……いま思えば、そんな感じですね。外部の子は『できる』『できない』って差は何年経とうがあまり開かないような気がします。内部で成績が厳しい子はワイワイと明るい子が多かったですが、別に授業の和を乱すようなことはなかったですよ」』

『「内部」の中には現役で東大文Ⅰに合格する子がいる一方、成績的にかなり厳しい子も一定数存在する。しかしながら、後者のタイプの子が校内で肩身の狭い思いをすることはない』『学校側も成績の序列で差別することはしないし、成績の貼り出しなども一切おこなわないからだ』と言った点が、おっとりとした「お嬢様」タイプの学校に見えるのかも知れない。

 結局、『雙葉生は『他者のために献身的に行動する』姿勢を学校生活の中で自然に会得していくのである。穿った見方をする人はそれを「腹黒さ」と揶揄することもあるが、わたしはそう思わない。実際に多くの雙葉卒業生に取材をしたが、彼女たちはじっくり考え、そしてこちらの立場に気を遣いつつふるまう術が血肉化しているのだ』という部分が、雙葉生の雙葉生らしいところなのだろうか。

 関係ないけど『雙葉のセーラー服は人気があると本文で述べたが、それは主として夏服を指している。冬は黒のタイツを履くのを義務付けられていることもあり、全身真っ黒な格好になってしまう。そんな姿に対して雙葉生たちは自嘲気味に「四谷のカラス」と呼んでいるらしい』というのは事実。

『女子御三家 桜蔭・女子学院・雙葉の秘密』(矢野耕平著/文春新書/2015年10月20日刊)

2015年11月14日 (土)

「たたみ!」なのである

 小ネタでスマソ。

 街歩きをする時にはいつもカメラを持って出る。街を歩いているといろいろなものに出くわす。その時に、その光景を撮影しておけば、例えばブログ・ネタの無い日に、それをネタにできるからだ。

 つまり、今日はそんな日。ということで、小ネタでスマソ。

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 本郷通りを駒込駅を過ぎて霜降橋の交差点を過ぎたちょっと先にあるこの店舗看板「たたみ!」であります。

 普通に「○○畳店」っていうんじゃなくて「たたみ!」。

 う~ん、余っ程作る畳に自信があるんでしょうね。

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 一番上の写真からちょっと旧古河庭園の方に行ったところにある、多分、駒込駅から徒歩で旧古河庭園へ向かう人のために商店街有志が作ったと思われる看板。なんか、闌れた感じがいいでしょ。

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 んで、こっちも闌れた感じの、今どき珍しい板張り外装の木造家屋。今はこんな感じの建物は都内では新築できません。都内はすべてモルタル外装じゃないと建築許可がおりません。

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 これはちょっとビックリの「学校・公園あり 飛び出し注意」の標識。

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 学校のそばにある「横断注意」の標識は見たことあるのだが、上みたいのはちょっと知らなかった。なんか強烈なイメージがあるなあ。

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 最後は我が家の近くにある低層超高級マンション。まあ、表通りに面してないから低層。で低層だからあまり部屋数を多くできない。なので超高級。

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 で、「棟内モデルルームあり」なんですね。

 これって以前は知らなかったんだけれども、要は「売れ残ってしまった」っていうことなんですね。

 不動産会社としては、普通はマンションを建設中に別の場所にモデルルームを作って、お客さんに見せたりして新築マンションを売り込む。そのモデルルームの場所は大体土地を借りてモデルルームを作るので、早く完売してしまえば、早いとこモデルルームは撤退してしまえて土地代がそれだけ安く済み、販売経費が安くなるという訳。そう言えば我がマンションは竣工の1ヵ月か2ヵ月前にモデルルームは撤去してしまっていた。

 なので「棟内モデルルームあり」は「マンションが竣工後も売れ残っている」っていうこと。これもマンション建替えを経験したから、分かったこと。何事も経験ですね。

 っていうことで、本っ当に小ネタばっかりでスマソ。

 まあ、そういう日もあるんです。

 明日はちゃんと書くからね。

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2015年11月13日 (金)

『「こころの定年」を乗り越えろ』っていっても、「心の定年」がない人はどうすりゃいいのさ

 そうか「副業」じゃなくて「複業」なんだな。その辺に楠木氏の本書への姿勢が見えるようだ。

Photo_2 『こころの定年を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ』(楠木新著/朝日新書/2015年10月25日刊)

 では「副業」と「複業」はどう違うんだ。

『社員の側から見た時には、働くことを会社との契約の範囲だけに狭めない方が良いと思う。「いくら働いたから、いくらもらえる」という話だけに限定しない、またオンとオフとの区分を絶対的なものにしないということだ。
 本業と副業の区分や公私の分かれ目を強く線引きしないで、「二つの仕事はどちらも充実している」とか、「プライベートな楽しいことが仕事にもつながる」、場合によっては「ただでも働きたい」といったように、ごちゃまぜでいいのではないか。
 実は、私も初めは二つを分けて考えていた。ところが取り組むうちにフリーランスの仕事が、会社の仕事を効率よく、かつレベル高くこなすことにつながっていることに気づいた。要は、人間は、仕事とプライベート、オンとオフなどのように分離なんてできないのである 』

 つまり、私なりに強引に考えれば、「副業」に取り組むことは、本業をおろそかにしてはならないとかいう変なモラルに囚われずに、副業ももう一つの本業と考えて、本気で取り組むということ。それが「複業」の考え方なのだろう。

『会社員は、入社から退職までにおよそ4つの段階を移行していく。会社に定着する適応の段階、一緒に働く仲間や顧客に貢献できるようになる成長期、中年になってとまどう期間、退職後や老後も視野に入れて働く時期である』

『40歳あたりを過ぎると、会社中心の働き方に疑問を感じ始める。組織での役割に満足していなかったり、自分の居場所を組織内に見つけられなくなったりすると、特に揺れが大きくなる。  とりわけ日本の場合は長期雇用が前提なので、組織の仕事に取り組むことがマンネリになりがちになる。これも大きな要素である』

『会社人生は前半戦と後半戦に分かれている。転職を繰り返している場合も大枠は変わらない』

『会社人生の前半戦と後半戦の切り替えの時期が、この40歳を過ぎたあたりにやってくる。40歳というのは会社生活の折り返し地点であると同時に、人生80年の中間地点でもある。また管理職の登用時期もこの前後なので、会社での自分の評価が明確になるタイミングにも符合している』

 で、楠木氏の場合も、その40歳代になって転機が訪れたという訳なのだ。

『40代後半になって、転勤を契機に働く意味を失い、行き詰って長期に休職した。病院に行くと、「うつ状態」という診断書が出た。
 その後、2年半ほどの間、復職と休職を繰り返して、やっと体調は回復した。しかし、長期間、休職したので、復帰した時のポジションは平社員だった。支社長や担当部長などの役職を経験した後に平社員になったので、これからどうしていいのか分からなくなった。自分がいかに会社にぶら下がってきたかを思い知らされたのである。会社を辞めることも頭にちらついた』

『「会社を辞めるか、残るか」の二者択一の選択ではなく、「平社員として働く一方で、モノ書きとして精進する」第三の道を目指したのだ』

 この40歳代の転機となるものが「こころの定年」ということなのだ。

 で、楠木氏の場合は大手生命保険会社の人事、営業、総合企画などの職業だったから、本の執筆というのは本業からかなり離れた「複業」だったという訳。

 まあ、私は楠木氏の言う「こころの定年=うつ」というものにはならなかったが、まあ、50歳の時が転機だったのかな。そもそも出世なんてものはとうに諦めていたので、そういった関係の理由ではない。

 それまでの18年間続けてきた映像制作という職場を離れ(というよりも会社がその事業を辞めたのがきっかけなんだが)ライツ管理という仕事に就いた時である。正直、ライツ管理という「上から目線」の仕事にはまったく興味はなく、それこそ毎日会社に行くのが面白くなかった。会社を辞めてやろうかなとも考えていた時期である。

 しかし、4人の妻子を抱えてしまうとなかなかそうもいかず、といっても別に悶々とした日々を過ごしていた訳でもなく、ある種、淡々と仕事をこなしていた。まあ、要は私はそれほど責任感が強くなかったということなんでしょうかね。

 それからこのブログを始めたのが2009年だから、それから8年も過ぎている。それまで何をやっていたんでしょうねぇ。2004年にライツ管理の仕事から、映像制作の前にやっていた販売促進の仕事に戻って、そこで書店促進の仕事から営業管理の仕事に移ったのが2011年で、そこでの仕事は面白かった。ブログも結構快調になってきたころだった。

 しかし、大手生命保険会社だから執筆は「複業」になったけど、出版社にいた私の場合は、執筆じゃあ「複業」にならないもんなあ。ああ、そうか2007年頃から始めたマンション賃貸っていう副業はあったな。とは言うものの、それはあくまでも不労所得であり「複業」ではない。

 まあ、私にも『会社員は、入社から退職までにおよそ4つの段階を移行していく』というのと、『会社人生の前半戦と後半戦の切り替えの時期が、この40歳を過ぎたあたりにやってくる』というのは理解できる。

 ただ私には幸いか不幸か「こころの定年」というのはなかった。これはただひたすら私の責任感の不足からきているんだろう。ただし、それは私のような出版社の社員には結構共通した部分のようで、考えてみれば出版社の仕事なんてギャンブルみたいなもので、一発本を出したところで、それが当たるか当たらないかはまったく分からない。勿論、企画を出すときは「これは絶対当たります」とか言って出すわけではあるけれども、出された方も、出した方もハラの中では「そんなことはわかる訳ないじゃん」と考えているのだ。

 そうつまり、会社全体が「無責任体制」で動いているのが大手出版社なのであります。

 んじゃなきゃ、年間2,000点近くも新刊書籍をだす出版社なんてやってられないじゃん。

『こころの定年を乗り越えろ 40歳からの「複業」のススメ』(楠木新著/朝日新書/2015年10月25日刊)

2015年11月12日 (木)

「ものづくりパートナーフォーラム2015」には佃製作所がいっぱい

 昨日・今日と品川インターシティホールで「ものづくりパートナーフォーラム2015」(加工技術・受託開発専門展示会)というのが開催されている。

『ものづくりパートナーフォーラムには「難加工に果敢に挑む」「高付加価値化に知恵を絞る」「サービス品質を徹底追究する」など、さまざまな特長あるものづくり技術を携えた、79社の気概に溢れるエキスパート企業が全国から集結しています。』

 というのが、主催者のコンセプト。

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 つまり、『下町ロケット』の佃製作所みたいな中小だが高い技術レベルを持った会社が集まっているっていうわけ。

 なので、私たちシロートが見ても全然わからないし、面白くない。実際に来ている人たちも、皆お仕事の相談に来ているわけで、私みたいに面白半分で来ているアホなどいない。

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 で、結局、シロートはこんな「Pepper君の分解展示」なんかにうつつを抜かしているんだなあ。

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 頭部・腕・上半身・下半身に分かれて結構沢山の部品でできているんだな。ただし、下半身は二足歩行ロボットじゃないから、割とパーツは少ない。

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 んで、もう一つの目玉展示が「おー、『AKIRA』の金田バイクだ!」じゃなくて、電動バイクの「zecOO(ゼクウ)」。

「町工場から世界へ」を目標に、中小企業が結集して作ったバイク。

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 フロントホイールのトレーリングアームは金田バイクそのもの。

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 奥に見えるフィンがついたのがモーターだろう。

『セラミック・ツーローターの……両輪駆動で……これは……コンピュータ制御の……アンチロック・ブレーキと……12,000回転の200馬力』

 う~ん、まだ超伝導モーター駆動じゃないのは残念だけれども、東京オリンピックを翌年に控えた2019年頃(つまり『AKIRA』の年ね)には実用化しているのかなあ。

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 いやあ、なかなかカッコイイ「おー、『AKIRA』の金田バイクだ!」じゃなくて、「zecOO」ではありました。もうナンバーが付いているってことは、国交省の型式認定は既に受けているんだな。

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「ものづくりパートナーフォーラム2015」は今日まで、品川インターシティホールで開催。

公式サイトはコチラ。こちらで事前登録しないと入れないよ。

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2015年11月11日 (水)

『京都ぎらい』って書いているけれども、実は京都が好きなんだよなあ

 この本は「京都洛外」で育ち、現在も「洛外」に住んでいる筆者の、「洛中」人に対する批判の書である。

Photo 『京都ぎらい』(井上章一著/朝日新書/2015年9月25日刊)

 で「洛中」ってなんだ。『洛中(らくちゅう)とは、平安京の京域内のこと。平安京を「洛陽」と呼んだことから派生した言葉で、その示す範囲は時代ごとに違いがある。また、公・官・民、それぞれの立場からも認識の違いがみられる。洛中に対して、洛中に続く外縁地域を洛外と呼んだ』(Wikipedia)とあるんだが、じゃあ具体的にはどうなんだと言えば……

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 ということらしい。まあ、狭いですな。平安京ってのもすごいが、江戸だって「本郷もかねやすまでは江戸のうち」って本郷三丁目交差点までしか江戸として認めないって考え方もあるんだから、まあ、江戸以上に古い町の京都だもん、それはしょうがないよね。

 でも、その「洛中」の人が「洛外」の者を蔑んだ目で見るのが、「パンツが見える」「ぼくたち、Hを勉強しています」「性の用語集」でお馴染みの性風俗研究家、井上章一氏には許されないんだなあ(えっ? 建築史家だったの?)。

『「君、どこの子や」
 たずねられた私は、こたえている。
「嵯峨からきました。釈迦堂と二尊院の、ちょうどあいだあたりです」
 この応答に、杉本氏はなつかしいと言う。嵯峨のどこが、どう想い出深いのか。杉本氏は、こう私につげた。
「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」』

 プッ。最高ですね、このエピソード。

 でも、これが井上氏には許されない。

『行政上、京都市にはいっていても、洛中の人々からは、京都とみなされない地域がある。街をとりまく周辺部、いわゆる洛外の地は、京都あつかいをされてこなかった。私をはぐくんでくれた嵯峨も、京都をかこむ西郊に位置している。ひらたく言えば、田舎だとされてきた地域のひとつなのである』

『この街は、洛外の人間による批判的な言論を、封じてきた。それだけ、洛中的な価値観が、大きくのさばる街だったのだ、と』

『嵯峨でそだち、今は宇治でくらしている私に、京都人としての自覚はない。私は自分のことを、京都ではよそもの、京都流に言えば「よそさん」だと思っている。洛中のつどいへ顔をだす場合でも、一種の居留民としてのぞんできた』

『京都の町衆は、しばしば日本人のよそさんを、外国人なみにとらえてきた。たとえば、東京や大阪の資本がささえる店を、しばしば「外資系」だと、彼らは陰で言う。とりわけ、ぱっと見が京都風の町屋カフェなどを、この言葉であげつらうことは多い。
「でも、あの店、外資系やで」 』

『私が京都人をなじりたく思うのは、私に差別意識をうえつけた点である。彼らは、嵯峨をはじめとする洛外を、田舎だ僻地だとあざけった。そして私に、洛中が中心となる地理上の序列意識を、すりこんでいる。おかげで、私は亀岡や城陽を見下す、おろかな人間になってしまった。京都的な差別連鎖のはしっこに、いつのまにかすえつけられたのである』

 まあ、結局「差別は差別を生みだし続ける」っていうことで、差別された者は自分より下と思える者たちを差別し、そこで差別された者はもっと下の者たちを見いだして差別するっていう構造なんだよなあ。こうした差別の連鎖を止めるためには、結局、どこかでその「自分より下と思える人間たちを差別しない」ということを始めなければならないんだけれども、でも、結局井上氏はそんな差別の連関の中に入ってしまっている。

『京都をうるわしく語る素材の多くは、洛中とかかわる事例であったと思う。たとえば、西陣織、友禅染、祇園祭、平安京以来の千年をこえる歴史などである。私の地元である嵯峨の話などは、あまり聞かされなかったような気がする』

『祇園祭は洛中の、町衆がいとなむ祭であり、嵯峨の田舎者なんかはかかわれない。お前たちがくらす洛外と洛中のあいだには、深くて暗い溝がある。肝に銘じておけ、というように』

 うわっはっはあ。いやあ見事な僻み根性ですなあ。こうなると、それは批判というよりは、完全に僻み根性で恨みつらみを書いているとしか思えない。

『いずれにせよ、こういうメディア人の京都びいきを、私はいぶかしく思っている。いや、めいわくだという気持ちさえ、いだかないわけではない。あなたたちが京都に、そうやっておもねるから、洛中の人々もつけあがるんじゃあないか』

『洛外が見下される一因は、東京メディアが京都をおだてることにもあるんだ、と』

 というメディア批判は当たっていることは当たっている。しかし、メディアの京都びいきっていうのは、別にメディアの人が京都(洛中)が好きだからという訳ではなくて、単に「京都特集」が売れるからなのであります。勿論、そんな京都びいきの読者が多いのだって、元々はメディアが京都特集を滅多矢鱈やったからではないか、と言われてしまえばその通りなんだけれども。

『私は大阪や東京あたりにいくと、しばしば京都人としてあしらわれる。自分は嵯峨そだちの宇治在住者であり、京都人といっしょにされるのは心外である。いくら、そう言いかえしても、京都人といういやなレッテルをはられることになりやすい。
 そして、どうやら、ほんとうに私は京都人らしくうつりだしているようである。人は対抗心をいだく相手に、似かよいやすくなると、よく言われる。その轍を、私もまたふみだしているということか』

 ま、結局そういうことなんですよね。

 もう井上氏も自分が「京都人」と呼ばれることには(多少の違和感を覚えつつも)結構気分良くなっているんじゃないだろうか。

 あの「千年の都」の京都に……、囚われちゃってるなあ。

『京都ぎらい』(井上章一著/朝日新書/2015年9月25日刊)

2015年11月10日 (火)

『彼女は一人で歩くのか?』はある種、暗黒の未来図

『知っているかな。平均寿命が七十か八十くらいのときに、高齢化社会という言葉があったんだよ』

 というのは今現在の我々が生きている時代のこと。

 そこから何年先の話なんだろう。

『それは、君が若いからだろうね。うーん、いくつだね?』
『今年で八十になります』
『そうか、私の半分だ』

 という会話はちょっと不気味ではある。

 どんな世界なんだろうか。

『国際紛争は、世界政府の誕生を機に減少の一途を辿っている。資本主義は崩壊したが、持続・維持を合理的にデザインする社会になった。人口が増えないことで、これは、なるべくしてなった選択だったといえる』

 しかし、これはまさしくジョージ・オーウェルの『1984年』の世界じゃないか。

Photo 『彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?』(森博嗣著/講談社タイガ/2015年11月1日刊)

 これは「高齢化社会」の行きつく先のお話しなんだろう。

『人間の子供は、今ではほとんど存在しない。絶滅したといっても良い。世界中を探しまわれば、もちろんいるはずであるが、先進国では特に少ない。国内では、測定データを採ることは絶望的だ。一方、ウォーカロンについては、十四歳以下は、メーカが製品として出荷できない規定になっている。一部に例外が認められることがあると聞いていたが、その例外とはどんなものなのか、僕は知らなかった』

『人工細胞の移植技術によって、人間の寿命は半永久的に長くなった。躰のどの部位も代替できるからだ。資産さえあれば、それが可能だ。自分の命をいくらでも買える時代になったといえる』

『生きた人間の方が子供を作れなくなっていることが明らかにされた。それは、人間がウォーカロン化したともいえる。明らかにこれは、人工細胞の移植が原因だろう、と考えられるようになった。あまりにもピュアな細胞に問題があるのではないか。ピュアゆえに、未知の病原体に対する抵抗性を持たない、それが原因だろうと推定された』

『下品な言い方をあえてすれば、貧しい者は老いて、寿命が尽きた。結果として、比較的文明圏において人口が保持されている。増えてはいないが、減る速度を遅らせるエネルギィを温存していたためだ』

 高齢化することによって、人間の生殖能力は衰え、子供ができなくなってしまった。そのために「ウォーカロン」が作られたのだが、しかし、そのウォーカロンには生殖の力は与えられなかったようなのだ。というか、その「ピュアな細胞」しか人間には作れなかったので、その「ピュアゆえに」再生産ができない状態になったという。

 じゃあ、もっと研究が進めばウォーカロンの再生産(要は生殖活動)が可能になるってこと?

『初期のウォーカロンは、外部からエネルギィの充塡を受けなければならなかったが、それは機械的にそれだけ非効率であり、また余裕のある出力で設計されていたためだ。人工細胞が躰のほとんどを占めるに至って、外部エネルギィも必要なくなった。肉体的には人間と同じだ。また、頭脳活動は人間をはるかに上回るものの、ここではエネルギィをさほど必要としない。多少、人間よりも多くを食べなければならない、というくらいではないか。おそらく一割程度の増加で充分だと思われる。消化器を最適なものに取り替えるだけで、これは簡単に解決する。
 ウォーカロンは、しかし、発育の過程でも、プログラムのオプションをポスト・インストールされる』

『計算と解析、つまりは処理の正確さと精密さだけが問われるものであれば、彼らは人間よりも優秀だ。コンピュータの系列なんだから、当然だ』
『何が不得意なのですか?』
『うん、まあ、簡単にいえば、インスピレーションだね』

『ウグイが見舞いにやってきた。単なる見舞いではなく、二つの用件があった。一つは、ミチルの家の情報で、保護者である祖父と祖母の名前と顔写真を見せてくれた。いずれも心当たりはない。ごく普通の家庭らしいが、祖父は安全保障省のかなり高い位の現役だそうだ。情報が遅れたのはそのためだという。二人には娘がいたが、事故で亡くなった。このため、その娘の遺伝子から、ウォーカロンを特別に注文した』

『また、特例として、低年齢のうちに引き渡された。教育を自宅で行うこと。その教育に、メーカのサポートが付くこと、などが条件だったという。今も、家庭教師の名目で三人が派遣されているし、その費用もすべて個人で支出している。実験ではない。国はなにも関与していない、とウグイは説明した』

『この時代、生きていることの定義が非常に曖昧だ。人は死なないし、人工知能は、既に人間の能力をはるかに超えている。実際に言葉にする者は少ないが、世界を支配しているのは、その種の完璧な知能であることは揺るぎのない事実だ』

 だが、そんな時代ではあっても禁を破って子供を作る人間はいるようだ。

『人工子宮は改良が重ねられ、制御プログラムが頻繁に更新されている』

『成人したウォーカロンに、追加的な細胞変革を促す手法で、これに近いものは、人間でも行われている。古来整形外科と呼ばれる医療技術に近いものだったが、現在は削除したり加えたりすることはなく、細胞が順次入れ替わって、全体の形を変える』

『どこかでまだ人間の子供が生まれているとも聞いている。非常に少数ではあっても、古い細胞が受け継がれ、動態保存されているというのだ。もしそれが本当ならば、そこから子供を作ることができる人間を増やすことが可能だ。時間はかかるかもしれないが、人類が再び地球上で繁栄する未来が実現できる』

 久しぶりに読んだ森博嗣の小説は、ジョージ・オーウェルばりのビッグ・ブラザーが支配する、ある種、暗黒の未来図ではあった。

『彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?』(森博嗣著/講談社タイガ/2015年11月1日刊)

2015年11月 9日 (月)

ボランティアガイドと行く六義園ツアー

 ツアーって言ったってツアーなんて距離じゃない、まあ2km位の庭園周遊なんだけれどもね。

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 昨日は私の居住するマンションの親睦会が主催する「ボランティアガイドと行く六義園」の開催日だったのでした。

 マンション親睦会って何なんだ?

 マンションにはマンション管理法という法律があって、マンション管理組合を作らなければいけないんだけれども、それはあくまでもマンション・オーナーだけの組合であって、居住者の団体ではない。管理組合の主目的はマンションの経済的価値観を落とさないために何をしたらいいのか、と考える団体。まあ、要はマンションの住み替え価値だけの組合なんですね。

 じゃなくて、現在、マンションに住んでいる人たち、要は「分譲マンションの賃貸住居にいるたち」までをも含んだのが「マンション親睦会」なんです。

 この「マンション親睦会」を「自治会」にせよという過激派もいるんだが、まあ、都営住宅の自治会みたいに、全員が賃貸に住んでいるわけではない、こんな中小マンションの場合は、そんな自治会は似合わないだろう、というこことでマンション親睦会という形で立ち上げたんだ。

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 ということで、六義園ボランティアガイドの大森さんの案内に従って六義園を周るですな。

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 入り口付近では、六義園に伴う和歌山県の「和歌」にちなむいろいろな地域のパンフレットを、ミス和歌山みたいな人が配っていた。

 ご苦労さん。

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 ってな感じで、大森さんの説明も終わり。

 約1時間+αの六義園ツアーでした。

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 少しずつ、六義園も紅くなって来ています。

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 どうでしょうね、19日からのライトアップは……

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2015年11月 8日 (日)

JPSフォトフォーラム・今年のテーマが「地球を語る!」って言うんだけれども

 今年も有楽町朝日フォーラムで行われた「第9回JPSフォトフォーラム」に行ってきた。

「JPSって何だ?」という人のために言っておくと、JPSってのは「Japan Professional Photographers Society」の略で、要は日本のプロ写真家の集団ってことですね。我らアマチュアやセミプロとは違って、JPS展っていう写真展に出展が出来た人の集まりなんですね。まあ、絵画の二科展とか日展みたいなもんですかね。

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 で、当然JPS会長の熊力圭介氏の挨拶から会は始まる訳だけれども、今年のテーマ「地球を語る!」ってどうなんでしょうね? まったく意味が分かりません。昨年は「スナップショット」というテーマだったんで、我々にも結構身近な話題だったんで分かりやすかったんだけれども、「地球を語る!」ったってねえ。どうすりゃいいんだろう。

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 で、最初の講演者に出てきたのはモンゴルの写真で有名な清水哲朗氏。

 清水氏がモンゴルに赴いたのは、元々はユキヒョウを撮りたかったからなのだそうだ。

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 ところがユキヒョウの撮影はたいしたことができなくて、その後。モンゴルの人々や子供たちの生活に興味を持ってそれらを撮影してきた人。

 前川貴行氏は、元々、エンジニアだったのがいつしか写真家の弟子になって、今やアフリカやアジアの動物写真を撮っている人。

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 高砂淳二氏も、大学で電子工学を専攻していたんだが、「海の中の動物」に興味を持ってしまい、電子工学を辞めてカメラマンになろうとしてしまった人なんだなあ。

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 つまり、写真家なんてものは、実は誰でもなれる職業なんであって、誰でも生業にはできない職業でもある、ということ。

 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが生前は自分の描いた絵が一枚しか売れなくて、その間は兄の支援で生きていたというのは有名な話。

 まあ、そういう時代からすれば、まだまだ雑誌を始めとするメディアがある現代はクリエイターにとっては幸せなのかも知れない。

 まあ、写真集を出版する(その殆どが写真家による自費出版だ)ということが可能になったということ自体が、まあ、昔の芸術家よりはいい状況なのか、というレベルですけどね。

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 で、よくある最後は「アサヒカメラ」編集長の佐々木広人氏の司会によるディスカッションという名の、お互いに言いたいことだけどいうセッションがありまして……

 最後NOのJPS副会長の松本徳彦氏のJPS展やら何やらのご案内という、いつものパターンでございました。

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 もう、来年からは行かなくてもいいのかな。

 なんか自分がJPSの会員になる以外は(会員になるためにはJPS展に入賞しなければならない)あまり行く必要のないJPSフォーラムなのかもしれない。まあ、それじゃあJPSの本来の目的には外れちゃんだけれどもね。

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2015年11月 7日 (土)

『損したくないニッポン人』って、著者の高橋さんのことだったのね

 損したくないのは日本人だけでなくて、世界中の人が損はしたくないと考えているんじゃないだろうか。ところがちゃんと皆、損をしている。

 まあ、ゼロサムゲームじゃないけれども、どこかで損をしている人がいるから、別のどこかで得をしているひとがいるって言う訳で、それで世界は安定して動いているのであって、これが世界中の人がすべて損をしたり得をしたりしていたら、最早世界は機能しなくなっている筈である。

 ただし、これは「損」と「得」を経済用語的に考えて見ると、ということなのだ。

Photo 『損したくないニッポン人』(高橋秀実著/講談社現代新書/2015年10月1日刊)

 つまり「損」とか「得」って言うのは、別に経済用語「loss and gain; profit and loss」じゃないってことなんだなあ。

 じゃあ、何なんだ?

『貧乏でも貧乏くさくない人はおり、金持ちでも貧乏くさい人はいる。貧乏と「貧乏くさい」はまったく別物なのだが、私は貧乏で貧乏くさいので最悪らしく、そうなじられるとなおさら損したくなくなってくるのである』

『「損」を「得」の反対の概念として決めつけている。「損」の反対は「得」、「得」の反対は「損」らしいのだが、損しないからといって得とは限らないし、得でないからといって損とも限らない。商売などでも私が損したからといって相手が得したとは限らず、「損」と「得」は表裏の関係でもない』

 ということは、「損」とか「得」って言うのは、別に純粋性を求められる経済用語(学術用語)ではなくて、行ってみれば「気分」の言葉なんだろう。つまり「損した気分」「得した気分」というような使われ方の方がなんかスッキリするのである。

『考えてみれば、得した気分とは、期待していないのに何かを得られた際に味わえるもので、最初から何かを期待して期待どおりにそれを得るなら通常の売買と同じ。むしろ期待を裏切られるリスクを負うだけ損なのではないだろうか』

『もしかすると人はモノを買おうとするからその理由や意義などが欲しくなるのではないだろうか。「これでいいんだ」と納得できる正当性が欲しくなり、その欲求をポイントがすくい上げているのではないだろうか』

『矛盾しているようだが、必要なモノを買う時は、費用対効果を考える。効果に見合う出費なのかと天秤にかける。ところが特に必要でないモノの場合は、効果は漠然とした期待感のようなもので秤にかけられず、むしろ買いたくて買う、買うために買う、という心情になるのだ』

 そういうこと。ところがこの「単なる気分」を経済用語で言いたくなるから問題が起きるのである。

『私は「貧乏だから損したくない」と思っていたが、これを「ショートポジションでリスクヘッジする」と言い換えれば、貧乏くさくない』

 貧乏臭くないけど、こう言ってしまうと、じゃあリスクって何だってことになる。

 市場におけるリスクとは

『・市場リスク(市場要因の変動で損失を被るリスク)
・信用リスク(取引相手の信用状態の悪化などで損失を被るリスク)
・流動性リスク(負債の調達コストの上昇などで損失を被るリスク)
・オペレーショナルリスク(手続き上の問題などで損失を被るリスク)
・戦略リスク(業務戦略の不備などで損失を被るリスク) 』

 というものがあるんだが、じゃあそれは個人の生活におけるリスクと何の関係があるの?

『簡単にいえば、リスクとは、『わからない』ということなんです。損か得かわからない。ですから、金融の世界でリスクといえば変動率のことを指します。株価などでも変動率の大きいものはわからなさも大きいですから、リスクが高いということになるんです』

 と、結局、経済学者だって「リスク」ってのは「何だかわからないもの」という風に結論付けておしまいにしてしまうのであります。まあ、経済学というもの自体が、過去の例を調べ上げてそれでもって結論を出すっていう「後付け」の学問だから、今目の前にあるリスクを分析して、それへの適当な対処法を提案するってことはできるけれども、じゃあ、その提案通りに社会が動くのかって言えば、そんな保証はまったくしません、というのが同時に経済学の立場。

 だから日本人は「市場」ってものを信じなくなっているんだなあ。つまり、市場っていうのは「市場経済」のこと。なので日本人は市場経済に自分の「お金」を提供しようとしない。つまり「経済」を信用していないのだ。

『日本銀行の統計(『資金循環の日米欧比較』2011年)などを見てみると、日本の家計の資産構成は「現金・預金」(つまり日本銀行券)が56%を占めている。アメリカ(14・5%)やユーロエリア(35・4%)に比べて、断トツに高いのである』

 ね。

 なので日本人の投資性向は低いままなのだ。「損」をしたくないから「得」もできないって構造ね。

 しかし、実は日本が資本主義経済をやっている限り、長期投資をしていれば必ず投資額はゲインするのである。長期投資というのは、まあ10年以上の投資っていう意味なんだけれども。じゃあ何故か? それは日本の会社ってのは基本的に「前年比主義」だからなのです。もうちょっと言ってしまえば「前年比プラス主義」だからなのであります。

 つまり、企業の来年度収支目標は基本的には各部署から出てきた来年度収益目標の積み重ね。で、その来年度収益目標が前年度よりも下がってしまっていては、その部門の長は降格を覚悟しているとしか言いようがないのです。なので、企業の来年度収支目標はかならず前年度よりは上がるのである。

 勿論、企業は生き物であるから、ある日「突然死」したり「半身不随」になったりする。まあ、だからそのリスクをヘッジするために分散投資をするんだけれども(こういうところで「リスクヘッジ」を使うんです)、そうやってリスクヘッジをしながら長期投資をしていれば、基本的には「経済は(結果として見れば)右肩上がり」なんだなあ、これが。

『商品とは何か? 価値とは何か? 市場とは何か? という具合にマルクス経済学は現象ではなく、本質を考える。本質から経済現象を批判するというスタンスで、私はそれにハマってしまい、すっかり貧乏になりました』

 って言っている高橋氏だが、マルクス経済学だって別に資本主義に対しては否定的に捉えているわけではない。資本主義の「搾取構造」について批判しており、このままのイギリス経済は資本主義自身によって滅びるだろうということを言ったに過ぎない。

 つまり、その逆を読めば資本主義経済下で多少は「得」する道もあるんですよ。

『損したくないニッポン人』(高橋秀実著/講談社現代新書/2015年10月1日刊)

2015年11月 5日 (木)

花畑大鷲神社の一の酉

 昨年の11月29日のブログに書いたように、昨日の一の酉は花畑大鷲神社に行ってきた。

 つくばエキスプレスを六町駅で降りて、バスで行こうかなと思ったら、次のバスまで30分以上待たなければならない。なら、まあいいやということで徒歩で向かい、およそ40分程で花畑大鷲神社へ。

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 一の鳥居をくぐり……

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 二の鳥居をくぐり……

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 古い熊手を収めたら……

 本殿へ拝殿します。

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 拝殿の後は社務所に行って、熊手を頂く(買う)わけですね。

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 それにしても、この花畑大鷲神社って結構大きいんですね。

「この神社の創建年代等については不詳であるが、言い伝えによれば平安時代後期の武将源義光が、後三年の役のおり、兄の源義家を助けるため東北地方へ向かう途中この地で見かけた鷲のおかけで戦いに勝つことができたことから、その後その鷲を祀ったのがこの神社であるという。古くは鷲明神と称されていたが、明治以降鷲神社と改められ、のち大鷲神社を正式名称とした」

 というのがこの神社の由来。

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 元々、この神社の門前市が今、全国で行われている「お酉さま」の元になったそうで、「浅草鳥越の大鷲神社の酉の市が有名になったのは江戸後期から。それ以前は「お酉さま」といえば、ここ花畑大鷲神社のお酉様なのでありました」とは昨年11月29日のブログにも書いた通り。

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 三の酉まである年は火事が多いから、というわけではないだろうが、東京消防庁の人が巡視に来ていた。

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 帰りこそはバスで、と思ってバス停まで行ったら、なんと次のバスまで3時間ちょっと待たなければならない。う~ん、ここはやむなく、と花畑団地まで行って、「毎度、ご乗車ありがとうございま~~~ん。しゅうて~~~ん。竹ノ塚駅東口でぇ~~~ん」っていう、なんかユーモラスな案内をする運転手の東武バスで帰ってきた。

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今日は一の酉・準備編

 今日は一の酉。

 ジジイになると「お酉さま」の声を聞くと、「おお、今年もそんな時期になったのか」と、そろそろ年の瀬という感覚になってくる。師走を迎える準備をするってわけですな。

 けっしてハローウィーーーンじゃないんだよね。

 ということで、昨日は近所で毎年行っている、巣鴨大鳥神社へお酉さまの準備の様子を見に行った。

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 今年は11月5日、17日、29日と「三の酉」まである年なんだ。

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『「三の酉」まである年は火事が多いとの俗説がある。そのため、三の酉がある年には平年にもまして、歳末にかけて、社会一般で火の用心が心がけられ、熊手商の多くは縁起熊手に「火の用心」のシールを貼って売りだす。なお、三の酉は、およそ一年おきにあるため、さほど珍しいわけではない。
 また、浅草の鷲神社・酉の寺 長國寺では、吉原が近かった為、酉の市にかこつけて旦那衆が家を空け吉原 (東京都)に遊びに行くのを防ぐために、家の女房が三の酉は火事が多いと言ったとの説もある』

 とWikipediaにはある。

 まあ、確かに「十二支」と「十二カ月」の関連なんだから、ほぼ一年おきに「三の酉」がある十一月は必ずやってくるわけですね。

 私は親から、「三の酉まである年は冬が寒い。冬が寒いと火を使うことがおおくなる。火を使うことが多くなれば、火事も多くなる」と言われていたんだが、う~ん、後半の「吉原説」に説得力がありそうだな。

 まあ、別に二の酉までの年だって火事は起こる訳で、別に三の酉の年だけ火事に気をつけるってことはないんだけれども、何となく「三の酉まである年は火事が多い」って言われると火事に気をつけなくちゃな、という気分になるだけでもいいってことでしょうかね。

 まあ、火の用心、火の要鎮……。

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 で、まだ閑散として大鳥神社だけが祭りの準備で忙しいというところだが、今日の午後にはこの「大鳥神社商店街」もテキヤの屋台や商店の出店なんかで埋まってしまい、屋台で食事をする人、酒を飲む人、酔っぱらって歩き回る大人や、走り回る子供たちで一杯になる。

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 じゃあ、今日は巣鴨の大鳥神社で熊手を買ってくるのか、と言えば今年はそんなところには行かないのです。別の大鷲神社なのです。ハッ、ハッ、ハー。

 なぜそうなのか気になる方は、昨年の11月29日のブログを読んでください。

 って、バレバレやんけ。

RICHO GRDⅢ @Sugamo (c)tsunoken

2015年11月 4日 (水)

山古志牛の角突きは昨日で今年の千秋楽

 さあ、今年も最後の「牛の角突き」の日がやってきた。毎年、11月3日は山古志牛の角突きの千秋楽。今年は小千谷の千秋楽が11月1日だったので、どちらにしようかなと考えたんだけれども、11月1日にはXリーグのアメフトがあったので、結局、11月3日の山古志になったっていうわけです。

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 こんなブナ林の中の闘牛場です……。アレ? 突然カラーになってしまっているなあ。まあ、気にしない、気にしない。

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 んで、こんな「やまこし和牛」の串焼きを食べながら闘牛を見るわけですな。まあ、味はおいしけれども、ちょっと微妙な心境。勿論、闘牛で闘っている牛の肉ではないですよ。

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「山古志・牛の角突きブログ(http://tsunotsuki.main.jp/)」のブログ主にして、勢子長も務める「あっちゃん」の正体は長岡市役所のお役人。相変わらずの名調子で試合を解説してくれます。

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 取り組みは三歳から五歳までの「若牛場所」三番から始まって……

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 十四歳の角蔵号(本日の最高齢は錣山の十五歳)などの横綱戦まで16番。

 勢子もぬかるんだ土俵の上で転んだり、滑ったり。

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 で、これが十五番の新宅対杏介の取組み。

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 で、結びの一番が岩手の柿之花ゴールド対堀之内の陽都大王の熱戦です。

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 いやあ堪能したなあ。

 特にこの時期の牛たちは、夏の頃とは違って動きがイイ。そのいい動きでもって十分に戦うんで、その分勢子の怪我なんてのもあったりするんだけれども、それだけ寒くなってくると、牛の動きはよくなってくるんだ。

 とは言うものの、これから先、山古志は雪に埋もれてしまう。来年の五月までは、闘牛ともお別れだ。

 来年は5月3日小千谷闘牛、5月4・5日山古志闘牛で再開される。

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 あっ、11月8日は長岡市長選挙ですよ。長岡の人、皆投票に行ってね。ったって、このブログを読んでくれる長岡市民はいないか。

 せいぜい、上の「あっちゃん」くらいですかね。

NIKON Df + AF NIKKOR 80-200mm f/2.8 ED @Yamakoshi Nagaoka (c)tsunoken

2015年11月 3日 (火)

『ビッグコミック創刊物語』ってそんなことがあったの、っていうほどには驚いてない。だって、そんなの当たり前じゃん。

《テレビが視聴率第一主義によって、その混迷を深めたように、コミックも、アンケート優先による、人気という得体の知れない怪物に振り回されていないか? だがスピリッツは、そんなことには、一切頓着しない、一癖も二癖もある作家達が読者に何かひっかかりを残すコミックを持ち寄ってくれた。明日への夢へ、ばらまかれたこの種子が、大きな木に育つことだけを願っている。》

 う~ん、まあ「雑誌は誰のものか」ってことなんだけれども、それは単純に言っちゃうと、編集長のもの、もうちょっと言っちゃうと「創刊編集長のもの」ってことなんだよなあ。

 小西湧之助氏という小学館『ビックコミック』の創刊編集長の話なんだけれども、要は「編集長(それも創刊編集長)は独裁でいい。民主主義的な編集長はいらない、って話なんだ。

 小西氏は小学館の役員にまで行った人なので、まあ、講談社の内田勝氏や宮原照夫氏よりは上に行った人(まあ、両社ともオーナー中小企業なので役員になっただけでもたいしたもんだ)なので、内田や宮原よりは「偉かった」ということなのかな。

Photo 『ビッグコミック創刊物語』(滝田誠一郎著/祥伝社/2012年6月20日刊)

 私もK談社で「映画プロデューサーの言うことは朝令暮改でいいんだ」ということを実践していたのですが、所詮、出版社のプロデューサーなんて平社員と同じ立場なんで、現場のスタッフには威張っていたけれども、会社に戻ってくると自分が現場で言った言葉と、会社での言葉をイチイチ翻訳して話さなければならなかったという経験がある。

 私の経験なんて、全然、出世には役に立たないんだけれどもね。はっはっは~。

 まあ、でも編集長だったら出版社の中では普通に話はできるんだからいいよね。

『『ビッグコミック』と命名されることになる青年コミック誌が企画され、創刊準備が水面下で進められていた1967年の主な出来事』

『総括するならばベトナム戦争と反戦運動と学生運動が激化した年であり、公害列島ニッポンの責任の所在が問われた年であり、〝アングラ〟〝グループサウンズ〟〝フォーク〟〝深夜放送〟などの若者文化が芽吹いた年であり、そしてミニスカート旋風が世界中を席巻した年だった』

『小学館にとっての1967年は新社屋(オバQビル)落成の年として記録されている』

 まあ、そういう年に企画された『ビッグコミック』は、やはり講談社との対抗措置で出された企画ではあったわけだ。ただし、講談社はちょっと別の路線を行ってしまっていた。

『『巨人の星』の連載開始と同時に『少年マガジン』の部数は文字通りうなぎ登りに増えはじめる。発行部数が60万部を突破して創刊から足掛け7年にしてようやく採算ベースに乗ったのもこの年であり、1年前には20万部の差があった『少年サンデー』を抜き去って念願の少年漫画誌首位に立ったのもこの年のこと。そして年末には発行部数が100万部に達する。小中学生だけでなく、少年漫画誌が高校生や大学生の愛読書になる のはこのときからである』

『『巨人の星』や『あしたのジョー』を生み出した編集ノウハウを活かせば、青年コミック誌の創刊などたやすいことだったはずである。他の青年コミック誌を蹴散らすような強力な青年コミック誌をきっと創刊できたはずである。事実、『ビッグコミック』の創刊準備に取り組んでいた小西がもっとも恐れていたのは、同じようなタイミングで講談社が青年コミック市場に参入してくることだった』

 しかし、講談社はそこには乗り遅れたんだよなあ。

 まあ、このころが「右手には朝日ジャーナル、左手には少年マガジン」なんて言われて、少年マガジンと講談社は過去を忘れて舞い上がっていた時期ではあるのですよ。

 でも『ようやく『ヤングマガジン』の創刊に漕ぎつけることができたのは1980年6月(80年7月7日号)のこと』 『ビッグコミック』に対抗しうるコミック誌として『コミックモーニング』(現『モーニング』)が創刊されるのは82年8月(82年9月9日号)のことである。『ビッグコミック』創刊から実に14年後のことである』

 とは言うものの、やはり部数的には負けてはいない講談社なのであるけれどもね。

 問題は…

『ビッグな漫画家たちが互いの作品を見ながら切磋琢磨していたことは〝ビッグ調〟という言葉からもうかがい知ることができる』

『確かに『ビッグコミック』には他のコミック誌にはない品格が感じられる。洗練されているといってもいいし、洒落ているといってもいいだろう』

『確かに『ビッグコミック』には他のコミック誌にはない品格が感じられる。洗練されているといってもいいし、洒落ているといってもいいだろう』

 というのはやはり先行者利益であろう。

 まあ、出版社が違えば思想が違うというようなものだけれども、でも、実はその思想も表層の部分だけが違うんであって、実は実相は皆(う~ん、大出版社いだけかな)同じというのが私の感想です。

 まあ、問題から言ってしまうと、小学館の子会社がやっているこの方法に対する批判なんじゃないでしょうかね。

《テレビが視聴率第一主義によって、その混迷を深めたように、コミックも、アンケート優先による、人気という得体の知れない怪物に振り回されていないか? だがスピリッツは、そんなことには、一切頓着しない、一癖も二癖もある作家達が読者に何かひっかかりを残すコミックを持ち寄ってくれた。明日への夢へ、ばらまかれたこの種子が、大きな木に育つことだけを願っている。》

 ねえ、『少年ジャンプ』さん?

『ビッグコミック創刊物語』(滝田誠一郎著/祥伝社/2012年6月20日刊)

2015年11月 2日 (月)

ブルズ、警視庁イーグルスに惜敗(?)

 Xジャパンボールは先週末からセカンドステージに入り、横浜スタジアムではアサヒビールvs.パナソニックという東西対決と、IBMvs.オービックというイーストvs.セントラル、大阪のエキスポフラッシュフィールトではアズワンvs.富士ゼロックス、エレコム神戸vs.富士通という対決がが始まりました。

 で、昨日は横浜スタジアムでセントラル4位のBULLSフットボールクラブとイースト6位の警視庁イーグルスの試合です。

 まあ、当然格上のブルズとしては楽勝ペースで臨んだのでしょう。ということで、最初はブルスのキックオフで始まりました。

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 警視庁レシーブのファーストシリーズはフィールドゴール(GF)でおさめて、まあなんとかなるし……、まあ、ここまではブルズの計算内。

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 その後、#6クォターバック(QB)藤原から#88吉田ワイドレシーバー(WR)吉田へのタッチダウン(TD)パスでもって7対3とする逆転のシーンまでは良かったんだけれども……

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 どうも、その後は警視庁のフィジカルの強さ(なんせ第8機動隊のメンバーが選手ですからね)に押されちゃって、普通のサラリーマンのブルズは押されちゃうんです。

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 ブルズとしては、第3クォーター(Q)#1猿渡のランニングTDでなんとか同点にしたんだけれども……ねえ、この体格差はねえ、どうしようもない。

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 それ以降は、相変わらずのフィジカルの違いでもって押されてしまい。

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 結局、2ポゼッション差の24対17ということで、セカンドステージ第1戦は終わってしまった。

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 下のスタッツを見ても、ほとんどの部分でブルズが勝っているんだけれども、それでも試合では勝てないってのは、やっぱり体力差なんだろうかなあ。
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 一昨日の、東大vs.帝京大戦でも「えっ? 何で?」みたいな負けをアミノバイタルフィールドで見た私なんだが、いやあホントに「えっ? 何で?」ってな試合が多いアメフトですね。

NIKON Df + SIGMA DG 150-500mm f/5-6.3 APO HSM + SIGMA APO TELE CONVERTER 2x EX DG & NIKON D7000 + AF-S NIKKOR 70-300mm f/4.5-5.6 G @Yokohama Studium Kanagawa (c)tsunoken & Tsunotomo

2015年11月 1日 (日)

「下町ロケット」を旅する

 好調なようですね。TBS版「下町ロケット」。今日は第3話。

「半沢直樹シリーズ」と同じ「脚本:八津弘幸/演出:福澤克雄、棚澤孝義、田中健太」というメインスタッフ、今や「怪優」となってしまった阿部寛の主演で今後益々期待できます。

 既に一度WOWOWでドラマ化されているこの原作なので、今回は全10話の内、前半5話はすでに発売されている原作「下町ロケット」から、後半5話は現在朝日新聞で連載されている「下町ロケット2 ガウディ計画」からドラマ化されるそうです。「ガウディ計画」は人工心臓のバルブシステムのお話しのようですね。お試し版を読んでも、まだ、ストーリーは見えない。

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 なので、取り敢えず前半部分のドラマを旅してみましょう。

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 で、ドラマのメインの舞台、佃製作所ですが、ここ大田区矢口にある「株式会社 桂川精螺製作所」がモデルになっているというか、実際にここで撮影が行われたようです。ただし、ここ桂川精螺製作所はその名の通り、自動車などに使われている「ねじ」を作っている会社で、小型エンジンやバルブシステムを作っている会社ではありません。

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 ただし、「創業1938年9月1日、資本金3億1千万円、従業員190名」ってとこが、佃製作所のイメージ「資本金3千万円、従業員200名」に近いのでしょう。

 じゃあ、佃製作所と特許権争いをした「ナカシマ工業」ってどこよ。

 まあ、一番イメージとして近いのは「ナカシマ工業」が「マネシマ工業」と揶揄されているという話から類推すると、やっぱり旧・松下電器(現・パナソニック)ですかね。松下電器も「マネシタ電器」って呼ばれていましたからね。

 ただちょっと、会社の大きさに差があるようですが。

Dsc_00412 以前、パナソニック旧東京本社があったところ。現在は別の場所に移転。

 で、池井戸潤氏作品ではお馴染み、白水銀行ですが、これはもう当然三菱東京UFJ銀行。

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 ただし、銀行が舞台の話じゃないので、本店は出てこなくて、池上支店。東急池上線池上駅の池上本門寺へ行く側にドンと構えています。

 今回は銀行は小悪党。たかだか3億円の融資を断ったために、ナカシマ工業からの和解金56億円は別の銀行に預けられることになって、佃製作所から手を切られてしまう白水銀行池上支店です。

 融資担当の柳井(春風亭昇太)、支店長・根木(東国原英夫)ともども、「ワルで先が読めない銀行員」をいかにもという感じで演じていました。いいですね。

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 で、最後に帝国重工です。これはもう三菱重工でテッパン。

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 ただし、現在の三菱重工本社は品川駅前のグランドコモンズ(よく見たらニコンの真ん前)の一角を占めていますが、「下町ロケット」では大手町にあることになっています。

 ということは、1974年に東アジア反日武装戦線「狼」によって時限爆弾が仕掛けられた、旧・三菱重工業本社ということですね。

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 現在は「丸の内二丁目ビル」という名前で、昔のまま残っています。

 このビルで、そして佃製作所で、さらにつくば市の帝国重工つくば研究所での宇宙航空部部長・財前(吉川晃司)と佃航平との闘いが見ものです。ただし、実際の三菱重工の航空宇宙部門の研究所は名古屋にあるので、つくば市にはありません。まあ、この辺は小説のご都合ということで……。

 取り敢えず、「下町ロケット」前半の旅はここまで。

NIKON Df + AF NIKKOR 20mm f/2.8D (c)tsunoken

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