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2015年10月20日 (火)

『共通番号の危険な使われ方』の旧態依然たる反対理由

『共通番号制度(番号制度)は、いままで行政機関や民間事業者が各々管理し原則として他に提供しなかった個人情報を、データ・マッチング(照合・名寄せ・紐付け)する「共通番号」をつくり、個人情報をタテにつなげて将来にわたり追跡可能にし、ヨコにつなげたあらゆる個人情報を一覧可能にする社会基盤として、新たに作られようとしている。
 この番号制度は、次の3つの仕組みで構成されている。
①付番(個人や団体を厳格に識別可能にする、悉皆で唯一無二の番号の付番)
②情報連携(個人情報を共有する情報提供ネットワークシステムの新設)
③本人確認(カードの交付と、番号利用が法律で定められた事務での提示義務)
 そのいずれも、地方自治体が中心的役割を握っている』

Photo 『共通番号の危険な使われ方 マイナンバー制度の隠された本質を暴く』(白石孝・石村耕治・水永誠二編著/現代人文社/2015年3月20日刊)

 以上が、いわゆる「マイナンバー制度」の根本なわけだけれども、この基本発想は今から60年ほど前の「国民総背番号制」構想から始まって、2003年に発行が開始された「住基カード」で中途半端な感じで始まって、いよいよ今年の10月からは、まさしく「国民総背番号制」の集大成ともいうべき「マイナンバー制度」になったわけですね。

 まあ今から60年前の国民総背番号制自体は、国による国民のプライバシー侵害や基本的人権への制限への抵抗から頓挫したわけだが、それもそのはず、いまから60年も前にコンピュータなんてものは軍事目的以外にはまったく普及しておらず、役人だって「コンピュータがあればこんなことができる筈」と言う以上にコンピュータのことなんかを理解している人がいなかったわけで、そんな状態で国民全体に背番号をつけたところで、まあ、そんなのは国民全体の監視なんてできないわけで、せいぜい犯罪歴ぐらいしか記録できなかったはずである。ただし、「将来コンピュータが普及してくれば、こうした国民総背番号制は実質的なものになるだろう」という役人の思い込みが、それから40年経って「住基カード」になったわけで、それから15年経っていよいよ「マイナンバー制度」で、役人60年の悲願がかなったという訳なんだろう。

 つまり、その60年間の違いと言えばまさしくこの「コンピュータの普及」という一点なのであり、それを大きく前進させたのが1995年のインターネットの普及開始という大きなきっかけがあったのである。

 その間、私たちの生活にどんな変化があったのだろうか。

 1960年代には、コンピュータどころかクレジットカード自体もなく、買い物はすべて現金か「つけ」でおこなわれていた訳で、つまり私たちがどんな買い物をしたのかは買った当事者と売った当事者しかわからないという仕組みになっていた。それが現在はどうだろうか。クレジットカードで買い物をした記録はすべてクレジット会社が記録をしていて、私が何を買ったのかはクレジット会社の前では丸裸である。勿論、クレジットカードだけではない。各種の会員カードもあるし、ネット通販もある。それらを通じて私たちが普段どういった生活を送っているのかは、だいたいそれらの会社の情報をもしかして紐づけできれば、おおよそ明らかになってしまう。交通カード(SuicaやPASMO)の発行会社には、私たちの日々の移動記録が残されている。

 買い物だけではない。例えば医者の検診を受けた場合には、その医者の電子カルテに病歴や治療歴、薬品購入歴なんかもデジタル記録されているわけだし、さらにウェアラブル端末(Fitbit、Polar、Apple Watch)なんかをつけていれば、私たちが日々どれだけ歩いたか、どんな運動をしたか、何時に寝て何時に起きたか、眠りの質なんてものまで、それらの会社のクラウドコンピュータに毎日毎日記録されているわけだ。

 つまり、1960年代、2000年代、2015年の今日の大きな違いは、まだまだプライバシーなんてものが大手を振って歩いていた60年前、多少はプライバシーも保護されていた2000年代と大いに異なり、2015年という時代は私たちにプライバシーというものは、ほとんどなくなってしまっているという事態なのである。

 そうした時代に、「マイナンバー制度の隠された本質を暴く」なんて言ったって、実はそんなものはまったく「隠された本質」でもないということだろう。行政は国民のことを知りたがり介入したがるという本質を持っており、国民は別に国に見られたら困ることは無いにしても、やはり「見られることに対する基本的なイヤな感じ」というものを持っているということなんだろう。

 白石氏、石村氏、水永氏の三人は本書を読む限り別にリバタリアン(絶対自由主義者)ではないようだし、むしろ福祉社会の実現を願っている人たちのようだ。であるならば、実はこの「マイナンバー」に反対する立場というのは、福祉社会をも否定する考え方にもつながってしまうという怖れを感じることはないのだろうか。かれらがリバタリアンであれば、こうした国や行政機関による国民の監視や、介入に対して反対する立場をとることはもっともなんだけれども、そうでない以上、国や行政機関による国民の監視と介入にも、それに単純に反対するのではなくて、よりよい使い方を提案するという方が前向きの対処のような気がしてならない。

 もう今更、「国民総背番号制」に反対したって、すべてはビッグデータという国民総監視制度の中で私たちは生きているのである。ジョージ・オーウェル描くところの『1984年』の世界の中でビッグブラザーに監視されながら生きている私たちなのである。それも、私たちは自ら喜んで個人情報を提供していながらね。

 むしろ、今回のマイナンバー制度の問題は「住民登録のない人へのサービス提供」という部分なのではないだろうか。

『今回の番号制度は住基ネットを基礎とし、住民票コードを変換して個人番号を生成し、住基ネットから基本4情報を提供され、住民登録ある者に本人確認用のカードを交付することを制度の前提としている。しかし社会保障サービスの受給者には、住民票コードのない人(住基ネット稼働前から住民登録を喪失している人、海外居住で年金等を受けている人、外国人登録制度廃止後に住民登録できなかった人など)や、住民登録できない人(居所を失い住民登録を削除された人など)、住民登録の不明な人(認知症その他身元不明で保護された人など)、DV・ストーカー被害、借金、施設入所、被災などで住民登録と異なるところで生活せざるをえない人など、住基ネットでは把握できず、カードも受け取れない人が少なくない。居所を失うという「真に手を差し伸べるべき」状態にある人が、行政から見えなくなってしまう』

 という問題がある。これについてどう対処すべきかという点を行政はキチンと答える必要があるだろう。

 まあ

『国家がこれらの特定個人情報を「公益上の理由」で収集すれば、徴兵、兵役選別に活用できる道が拓かれるからである』

 なんてことは、次第に「徴兵制」なんて前時代的なものがなくなって来ている、近代社会ではあり得ないけれどもね。

 まあ、せいぜい情弱にならないようにしましょうね。

『共通番号の危険な使われ方 マイナンバー制度の隠された本質を暴く』(白石孝・石村耕治・水永誠二編著/現代人文社/2015年3月20日刊)

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