フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

2015年10月31日 (土)

ネットフリックスの時代

Netflix(ネットフリックス)が2015年9月から日本でサービスを開始した。なにしろ全世界50ヵ国で6500万人のユーザーを抱える大企業の日本の上陸である。

 それでも「黒船」と言われたアマゾンのキンドルほどには話題にならなかったのは何故だろう。キンドルの場合は日本の書店業を駆逐すると言われたのに、ネットフリックスの場合は、相手はテレビ局という大企業であり、また一番影響を与えるであろうレンタルビデオ屋さんは、いまや「町のレンタル屋さん」なんてものはとうの昔に駆逐されてしまい、やはり影響を与えるのはTSUTAYAとGEOの大企業だけだからなのかも知れない。

Photo 『ネットフリックスの時代 配信とスマホがテレビを変える』(西田宗千佳著/講談社現代新書/2015年11月1日刊)

『アメリカでは、プライムタイムの場合、インターネットを流れるデータ全体の30パーセントから35パーセントが、ネットフリックスの映像を流すためだけに使われている状態であり、メジャーなテレビ局一社を比較しても、同等以上の「視聴者占有率」を誇る』

 というネットフリックスであり、アメリカのレンタルビデオ屋さんがそのおかげで次々に廃業しているというニュースは入ってきている。しかし、日本ではまだまだTSUTAYAやGEOはビクともしていない。多分、それは彼我のレンタル屋さん事情の違いによるものだろう。

 自宅とレンタルビデオ屋さんとの距離が、クルマで行かなければならないようなアメリカと、ちょっと歩いて行けばすぐにレンタルビデオ屋さんに行ける日本との地理的な違い、というこれはやはりキンドルをはじめとする電子書籍の普及の度合いと同じような事情があるようだ。

 また、

『日本の場合、そもそも「有料放送」が広がっていない。衛星放送にしろVODにしろ、加入者は400万件から500万件のあいだで足踏みしており、大きく伸ばすのが難しい状況だ。ほとんどのコンテンツはまず、もっとも利用者が多い無料の地上波放送のために用意されて、有料放送はこだわりのある人向けのものである』

 というような日本とアメリカの事情の違いもあるのかも知れない。ただし、これは日本もCATVが普及し「有料でテレビを見る」習慣ができてくれば少しは状況の変化はあるかもしれない。ただし、それはやはり大人の層である。

『いままで、テレビを見るのにお金を支払う経験のない人に、毎月500円から1000円とはいえ、支払ってもらうのは簡単なことではない。特に、テレビから離れた人びとのうち、若い層を中心に攻める場合、「有料」のハードルはさらに高くなる』

『ポイントは、SVODを「有料放送の代替」と見るのか「レンタルビデオの代替」と見るかである。ネットフリックスはレンタルビデオの延長線上から生まれたものだが、海外においては、特にオリジナルコンテンツが増えて以降、有料放送の代替というイメージでとらえられることが多かった』

 とは言うものの、日本ではアメリカにない特徴的な映像ビジネスジャンルがある。

『昔ならばビデオでだけ発売されていたような作品でも、短期間、特定の映画館でだけ上映することで「劇場公開された映画版」として箔をつけることもできる。そういうやり方は、我々の脳裏にある「ウィンドウの上下」に乗ったビジネス手法といえる。
 一方、そうした箔づけを意識しつつも、映画館という場所の持つ価値を活かしたビジネスに成功しつつある例も少なくない。その成功例は、やはり「アニメ」だ。
 近年はアニメで「イベント上映」という手法が定着している。テレビアニメの第1話や最終話を特別に上映したり、ディスク販売に先駆けて短期間だけ映画館で上映したりするのだ。これは「劇場作品」という箔を求めた行為ではない。アニメファンはそんなものは求めてはいないからだ。劇場の大画面で、ファンが集まって見られることの持つ「リアルな場としての価値」が評価されているのだ。上映するだけでなく、監督やキャストの挨拶なども用意され、希少性を高めている。だから「イベント上映」なのである』

 なるほどなあ、日本における「アニメ」というのはアメリカにおけるアニメーションとはまったく異なったジャンルだし、日本においては他の映像ジャンルがアニメの後追いをしているという事情もある。ということはアニメビジネスを見ていけば、今後の他の映像ビジネスの姿も見えてくるということなんだなあ。

『重要なのは、イベント上映とまったく同じタイミングで、ネット配信サービスで、有料の配信がおこなわれることだ。ネット配信の価格は、一般的な配信より高い「1000円」に設定されている。配信画質も高めに設定され、いち早く見られることに加え、プレミア感を演出している。
 日本の配信事業は、ディスクにくらべ数分の1の利用者しかいない。だが、このイベント上映にあわせた配信は、驚くほどの売上げを達成する』

 ただまあそれも「ガンダム」シリーズや「宇宙戦艦ヤマト」シリーズなどの、ビッグタイトルを手にするバンダイビジュアルだからできるってなもんですけどね。

 結局、

『見逃し配信やSVODの登場は、なにかを破壊するものではなく、生活の変化のなかで「静かに離れていく顧客」を引き止めるものであり、新しい消費スタイルを生み出すものだ、と筆者は考えている』

 ということだし、

『いきなりそれが小さくなることはない。でも、ゆっくりと「放送」の力は弱くなり、他のメディアへと、資金や人の目は移っていく。  重要なのは、「スマホか既存メディアか」ではなく、「スマホも既存メディアも」とすることだ』

 まあ、新しいメディアができれば、当然、既存のメディアはシュリンクするものだ。しかし、そうは言っても、

『そんな時にも、「コンテンツの中身が良くなければヒットしない」という原則は変わらない』

 という重要なことだけは不変なのであります。

『ネットフリックスの時代 配信とスマホがテレビを変える』(西田宗千佳著/講談社現代新書/2015年11月1日刊)

2015年10月30日 (金)

東池袋駅とサンシャインシティが繋がっているなんて、知らなかったよう

 友人からのメールで「このあいだ、東池袋駅で降りたら、サンシャインまで、長~い連絡通路ができてました」というのがあったので、「豊島区役所の方じゃないの?」と返したら、「その反対側です」と返事がきた。

 まあ、豊島区役所の新庁舎ができて、そこから東池袋駅に降りる階段や……

Dsc_00042

 豊島区役所の上にあるマンションの住民用の地下入り口ができているのは知っていたが、サンシャインシティの方にまで通路があるなんて知らなかった。

Dsc_00082

 さっそく東池袋駅野構内案内図を見ると、おお、ありました。「サンシャインシティ地下連絡通路」ってのが。

Dsc_00092

 そちらの方へ行って見ると東池袋駅の上にあるライズシティのはずれに「サンシャインシティ」という矢印があって……

Dsc_00122

 アウルタワーというタワーマンションの地下を通って……

Dsc_00162

 サンシャインシティに入ります。

Dsc_00192

 地下一階へあがるエスカレーターを降りると……

Dsc_00222

 サンシャインシティの一番はずれ、文化会館の地下、トイザラス(ベビーザラス)の所に出るのでした。

Dsc_00232_2

 まあ、池袋駅はよく利用するが、東池袋駅なんてほとんど利用しないので知らなかったが、豊島区役所への来庁者をサンシャインシティに誘導するためなのだろうか? あるいは、豊島区役所上のマンションの住民の便のために作ったのだろうか?

Dsc_00242

 まあ、どっちでもいいですがね。

NIKON Df + AF NIKKOR 20mm f/2.8 @Higashi Ikebukuro (c)tsunoken

2015年10月29日 (木)

北八ヶ岳ロープウェイは便利なんだけど

 先週の旅ネタの続き。「お気軽登山」の話。

 一日目に泊まった明治温泉旅館での酔っ払い話で、若い頃は山男だったY川氏が「昔、ピラタス・ロープウェイってのがあって、そこから八ヶ岳によく登ったもんさ」てな話に何故か反応したジジイ三人、「おう、明日行こうぜ」ってなもんで、現在は北八ヶ岳ロープウェイと名を変えた旧・日本ピラタスロープウェイまで来たのであります。普通はそんなキツい話には反応しないジジイ三人組なんだけどもなあ。やっぱり酔っぱらっていたんでしょうな。

 ロープウェイの下は山岳スキーのコースになっていて、昔、私が名古屋にいた頃によく行っていた奥穂高ロープウェイ下の山岳スキーコースを思い出して、「ありゃあ、キツかったなあ」なんて話をしている間に頂上駅へ。

Dsc_00362

 頂上駅の標高は2,237m、山麓駅の1,771mから数分で上がってしまう。

 ので、さすがにハイヒールの女性はいないけれども、あまり山登りスタイルじゃない人も結構いたりするんですな。でも、ここは標高2,000m以上の完全な「山」、気候も麓とはまったく違う、やっぱりここに来るのには少なくとも「ハイキングでも対応」程度の格好をしてくるべきだろう。

Dsc_00412_2

 で、頂上駅の周辺は「坪庭コース」という一周30分位で登り下りができるコースが出来ていて、まあ一部はこんな木道だったり……

Dsc_00432

 急峻なところは階段だったりで、でもそんなに山登りの格好をしていなくても回れる道があるんですね。

Dsc_00442

 しかし、山の上で「坪庭」って、なんかまるで京都町家みたいじゃないか。京都町家の坪庭と、ここ北八ヶ岳の坪庭の共通点って何なんでしょうね。

Dsc_00472

 まあ、でもそんな坪庭から八ヶ岳連峰や、南アルプス……

Dsc_00482

 中央アルプス……

Dsc_00612

 北アルプスが一望にできるってのは、Y川さんありがとうってところかな。

 ただし、ふもとからエッチラオッチラ登ってきたわけではない分、やっぱりその辺のパノラマにも有難味がないわけで……。

 まあ、ラクをするのがいいのか、大変な思いをする方が有難味が増すのか、それはそれぞれの価値判断なわけだけれども、やっぱり大変な思いをして登って来た方が、多分、感動は増すだろうな。

 というところで、先週の旅ネタはおしまい。

 どうもお付き合いいただいて、ありがとうございます。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4D IF @Yatsugatake Ngano (c)tsunoken

2015年10月28日 (水)

ぶり街道

 先週行った旅ネタの続きです。

 中央高速の石川サービスエリアで小休止したら、「ぶり街道SAキャンペーン」ってのをやっていた。

Dsc_00012

 なんでも富山湾でとれた寒ブリを塩漬けにして、越中から飛騨の国、高山まで山道を人が運んだのでその道を「ぶり街道」という。飛騨の国では「塩ぶり」「越中ぶり」と呼ばれたんだそうだ。

 富山を出た国道41号線は、富山と岐阜県の県境あたりで、現在の国道41号線沿いの「越中東街道」、高山本線沿いの「越中西街道」と呼ばれる二つのルートが分かれて、それぞれ高山で合流する。

 高山からは野麦峠を越えて信濃の国、松本まで運んで、こちらは「飛騨ぶり」と呼ばれたんだそう。

 つまりその「ぶり街道」のそれぞれの町、富山市、飛騨市、高山市、松本市の観光キャンペーンって訳ですな。

Dsc_00022

 う~ん、「さば街道」というのは知っていたが、「ぶり街道」ってのは初めて聞いた。

「さば街道」というのは、若狭の国、小浜あたりでとれた「さば」をやはり塩でしめて京都まで人が歩いて運ぶとちょうどよい塩加減になって、京都の庶民からは重宝されたそうだ。

 現在は小浜市などに「さば寿司」の製造をやっている店が数多くあり、そこから国道367号線や国道27号線をクルマで走って京都まで運んでくる。

Dsc_00072

 京都には上のような「さば寿司」の専門店があって、本当に「さば寿司」だけを食べさせてくれる。それ以外のネタはない。それ以外のネタはないけど……美味しいから許してしまう、というお店なのだ。

 私が行ったのは下加茂神社そばの「鯖街道 花折 下鴨店」というところ。

Dsc_00622

 勿論、「さば街道」って言ったって、さばだけを運んでいたわけではなくて、それ以外の海産物なども運ばれたわけで、つまり北国と京都を繋ぐメインのルートだったって訳。

 現在は福井県小浜市と京都市左京区出町柳を昔のルートで走り通す「鯖街道ウルトラマラソン大会」というのが行われているそうで、ルートの大半が未舗装路で高低差も大きいことから別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラソニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれているそうだ。

「さば街道ってのがあるんだよね」

 なんて話をしていたら、

「ああ、もうちょっと西の方へいくとそんなのがありますね。でも、これは『ぶり街道』なんですよ」

 という突っ込みをしてきたお兄さん。いいセンスしてるね。

 じゃあ、今度は「ぶり街道」の町にでも行ってこようか。

NIKON D7000 + AF-S DX NIKKOR 10-24mm f/3.5-4.5G ED & NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4D IF @Ishikawa SA Hachioji & Kyoto (c)tsunoken

2015年10月27日 (火)

御射鹿池≠東山魁夷

 その池は紅葉の山道を走っていると突然現れる。

Dsc_00962

 長野県茅野市奥蓼科にある「御射鹿池(みしゃかいけ)」であります。

Dsc_00972

 う~ん、綺麗だなあ。岸辺の風景がクッキリ水面に写ってます。

「御射鹿池」の名前は、諏訪大社に伝わる神に捧げるための鹿を射るという神事、御射山御狩神事にその名前の由来があるそうだ。

Dsc_01092

 でもこの池、自然にできた池じゃなくて、農業用のため池なんですね。

 下の写真の左にある川から流れ込んで、上の写真の右の方が土手になっていて水を溜め、その脇から下の方へ流れて行きます。

Dsc_00232

 それにしても、この眺めってどこかで見たことがあるよなあ、という貴方、正解です。

Dsc_00212

 東山魁夷の有名な「緑響く」という絵画のモチーフとなった池で、シャープのAQUOSというテレビのCMで吉永小百合と一緒に写っていた湖畔に馬が走っている絵なんですね。季節は違うけど。

Photo(c)東山魁夷

 まあ、それにしても絵画の天才と、写真の凡才じゃ比較になりませんなあ。

 先週の土曜日と日曜日、大学時代の悪友と毎年春と秋に行く温泉旅行の一場面でした。

 しばらくこの旅行ネタ続きそう(かな)。

 静かに見えるけど、実際には岸辺にはカメラマン大量で、結構それを自分の写真に入れないようにするためにはジャマなんですけどね。

 あ、私もその一人か。

NIKON Df + AF NIKKOR 24/85mm f/2.4-4D IF @Chino Nagano (c)tsunoken

2015年10月26日 (月)

なんとも不思議な写真集『中平卓馬 サーキュレーション―日付、場所、行為』

 何と言っていいのだろうか、これは「写真集」であって、しかし「写真集」という形での「写真集」ではないのだ。

 一種の、ドキュメンタリーとして見なければいけない「写真集」なんだろうなあ。

Photo 『中平卓馬 サーキュレーション―日付、場所、行為』(中平卓馬著/オシリス/2012年4月20日刊)

 1971年9月24日から11月1日まで開催された第7回パリ青年ビエンナーレへの出品作を収録した本書は、基本的には写真集の体裁をとってはいる。しかし、そこには中平卓馬の第7回パリ青年ビエンナーレへの姿勢というか、考え方が反映されて、それは「作品」としての写真のありようからはかけ離れた、「行為としての写真」とでも呼ぶようなスタンスの作品となっているのだった。

『それは具体的には、パリにぼくが生きている限り、ほかでもないこのパリで写真を撮り、現像し、展示することをぼくに命じた。ぼくの計画、"CIRCULATION-DATE, PLACE, EVENT"は、そのようなモチーフから生まれた。毎日ホテルからパリの町へ出てゆく。テレビを見、新聞や雑誌を見、流れる人々を見、そしてビエンナーレ会場で他の作家の作品を見、そしてそれを見る人々を見る。ぼくはそれらをことごとくフィルムに収録し、それらをその日のうちに現像、引伸ばしを行い、夕方から夜にかけて水洗後のまだぬれている写真を貼りつけ展示する。暗室の確保に手間どってスタートが遅れてしまったが、10月10日から毎日200枚、思わぬトラブルから、仕事着手から数えて一週間で中止するまで、およそ1500枚の写真を与えられた壁面に貼り、さらにフロアや受付のカウンターにまで貼りめぐらした。
 結果としてはぼくの目に入るものすべて、それだけでなく他人がぼくの仕事をしているところを撮った写真まで、要するにぼくが見、かつ見られる関係をすべて写真に定着し、展示することになってしまった』

 ところが、中平は事務局の技術顧問と名のる人物から、写真を少し横にずらすか、はずせと言われた。勿論、中平はそれを拒否する。

『そのころには、写真は与えられたスペース、その下の床一面、さらに事務局の受けつけのカウンターの上、さらに会場を支える幾本かのポールにまで貼りめぐらされていたのだが、それらはいたずらされてひきちぎられたり、ひとりでにはげ落ちたりして、いわば写真が一面に散乱した形になっていたのだが、それが目ざわりだと言うのだ。むろんのこと、ぼくはそれを拒否した。ぼくの“作品”とは毎日写真を撮り、現像し、展示するというこまねずみのような一日一日の行為の全プロセスを含むものであり、あとに残る写真の山は何時から何時にかけてぼくが生きた痕跡であるにすぎないにしても、しかしそれを発表する限り、それはまた同時に他者に向かって開かれていなければならないのは当然である』

 ところが翌日夕方、その日の仕事(写真を撮って、現像して……という)を終えて会場に行って見ると、中平の写真の一部、40枚ほどが引きちぎられていたという。当然、それに抗議した中平は抗議文を書き壁面に貼った。

 しかし、それに対する事務局から手渡された回答文を読み、そこに『きわめて官僚主義的な態度と共産党文化官僚による文化の専有化、それをみずからの手柄に仕立てあげようというもくろみ』を読み取った中平は、その時点でパリ青年ビエンナーレへの参加を取りやめたのだった。

 そんないきさつがこの写真群に写っているのかといえば、別にそういうことではない。ホテルの部屋でカメラを構える中平自身、ホテルの窓からの風景、新聞や雑誌、パリの町の風景、看板、店先、夜の街、展覧会場に展示された作品、友人、森の風景、赤ん坊、大人の男と女、クルマ、写真を展示する中平自身、、中平の展示された写真(日付入り)、散歩する犬と婦人、テレビ、車窓からの風景、野良犬、ビル脇の時計、橋、町行く人びと、自転車、店のウィンドウ、地図、メトロの広告、行先板、壁、町の看板、汚れた道、喫茶店等々パリの街のごく普通の風景が、ランダムに並んでいるだけなのだ。

 それらの写真群はまさしくまだ1971年の当時のいわゆる「中平流」の「アレ・ブレ・ボケ」写真群ではあるが、その一方、まさしくその写真自体で中平卓馬を主張している写真群でもある。まさしく「日付、場所、行為」としか言いようのないものの「循環」であり「流通」である。

 最近のある種「植物図鑑然」とした中平の写真ではなく、昔の「アレ・ブレ・ボケ」の中平写真の集大成のようなものがそこにはある。

 写真は意味ではなく、作品でもなく、まさに「日付」であり「場所」であり、「行為」であるということをそのまま提示したパリ青年ビエンナーレの「作品群」は、中平卓馬全盛期の「写真行為」なのである。

 写真は撮影している最中は「行為」であり「場所」であり、「日付」でしかないが、現像し、焼き付けし、その結果「写真」として完成されたその瞬間から「作品」になってしまう。中平はそんな「作品然」とした写真行為を否定したいのだけれども、でも実際には巖として「作品」になってしまうことを受け入れながらも、どこかでそれに抗って、「日付、場所、行為」でしかない写真行動をとろうとしたのだろう。ひとつの「ドキュメント」として……。

 しかし、それでもなお「作品」になってしまう写真という厄介なものと付き合ってきた写真家、中平卓馬も、この9月に亡くなってしまった。

 中平卓馬と同世代の、荒木経惟、「プロボーク」に拠ってきた高梨豊、森山大道なども中平と同世代の写真家である。最近は森山大道などは大きな写真集や写真自体を作品として販売するビジネスを盛んに行ってきている。なんなんだろう、この変化は? とも思うんだけれども。まあ、作家の「私」としての写真家の生活を考えて見れば、そんな日本における風潮は、写真家(と、その遺族にとってみれば)悪いことではない。

 本当はこれは昔彼ら自身が否定してきた道なのではあるけれども、しかし、写真が「作品」として売買される時代が(日本にも)やっとやってきた最中に、次第に亡くなって行ってしまうのはちょっと悲しい。もっとも、写真は写真家が亡くなっても残されるものなので、それ自体はいいことなんだろけれども、しかし、そうなるとますます写真は「日付、場所、行為」から離れていってしまうなあ。

 こうした状況に対する中平卓馬の考えかたも聞いてみたい。

『中平卓馬 サーキュレーション―日付、場所、行為』(中平卓馬著/オシリス/2012年4月20日刊)

2015年10月25日 (日)

狛江古墳群を往く、はずだったんだけれどもなあ

「狛江市内には、古代豪族の墳墓である古墳が数多くあり、狛江古墳群と総称されており、都内でも有数の古墳群である」

 なんて狛江市のホームページに書かれてあるので、ついついお気軽に、何も事前調査はせずに狛江市まで行ってしまった。まあ、これは10月14日の多摩川台公園が簡単に分かってしまった、気のゆるみだろうな。

Dsc_00412

「ところが、62、63年に、小田急線狛江駅北口一帯の再開発区域内にある旧第一小学校跡地(弁財天池道跡)の発掘調査によって、これまでの学説が覆された」

 とあるので、じゃあとりあえず「弁財天池道跡」へ、と思ってみたらなんと狛江駅の目の前にそれがあるではないか。ちょーラッキーってなもんである。

Dsc_00012

 んが、「弁財天池道跡」は「狛江弁財天池特別緑地保全地区」となっていて、普段は中に入れないようだ。次には入れるのは11月8日。

Dsc_00022

 ただ、まあここ「狛江弁財天池特別緑地保全地区」は池と周辺の森があるだけで、古墳はないようだ。

Dsc_00072

 ということで、その旧第一小学校があったとされる曹洞宗泉龍寺へ行ってみても、古墳に関する掲示はなにもない。

Dsc_00312

 で、やむなく泉龍寺周辺をブラブラ歩いてみたら……、ありました。この森に囲まれた小山。

Dsc_00212

 ここが狛江古墳群のひとつ「経塚古墳」でした。

 でも、中には入れず、柵のそとから眺めるだけですがね。まあ、取り敢えず一つは見つかったんだからいいか。

Dsc_00192

 まあ、なにも調べないで来た割には早いとこ見つかってヨカッタヨカッタなんて思っているのですが、それでもどうも気になって、泉龍寺境内のこんな小山を見たり……

Dsc_00382

 途中の清水川公園の立て込みを見ては、ここは古墳なんじゃないかと邪推しては、ダメダメですね。

Dsc_00472

 でまあ、歩いているうちに多摩川河畔に出てしまい、ここは多摩川が大きく迂回している場所で、ああそうかここがNHKドラマ「岸辺のアルバム」の舞台になったところなんだな、と妙に感慨。

Dsc_00552

 狛江古墳群は「兜塚古墳」「前原塚古墳」「東塚古墳」「清水塚1号古墳」「橋北塚古墳」「松原東稲荷塚古墳」「亀塚古墳」「経塚古墳」「土屋塚古墳」と九つの古墳群があるそうで、それぞれ場所も特定されているようだ。

 まあ、今回は私の事前調査不足(っつうか、何も事前調査なんかやってないじゃないか)によって経塚古墳しか見つけられなかったが、次回はもうちょっと調べてから探しに行こう。

NIKON Df + AF NIKKOR 20mm f/2.8D @Komae City (c)tsunoken

2015年10月24日 (土)

東京周縁部を往く・晴海埠頭

「東京周縁部を往く・晴海埠頭」なんて書いちゃうと、「えっ? えっ? えっ? 晴海が「東京周縁部」だって? なんだこのシリーズ、もうネタ切れかよwww」なんて声が聞こえてきそうだけれども、いやいやそうじゃなくて、私が子供の頃は本当にここが東京周縁部だったって話なんですよ。

 勿論、今や晴海は東京周縁部どころか都心の一部だってことは知っています。銀座にも近いし、地下鉄だって、すぐ隣の(島の)勝鬨には走ってますからね(晴海までは行ってないのがちょっと残念)。

Dsc_00012

 でも、私が子供の頃の晴海は周りは倉庫ばっかりで、それ以外は何もないところだったのだ。

 で、その倉庫群の先にあったのが「東京国際展示場」であります。

Ameblojp (c)Ameblo.jp

 昔は「東京モーターショー」をここで開催していた。

 毎年、この時期になると、「営団(東京メトロじゃないよ)地下鉄」日比谷線の築地駅から、勝鬨橋、黎明橋を越えて、エッチラオッチラ長い距離を歩いて東京国際展示場まで歩いたものだった。

Dsc_00502

 今でも、案内図では国際展示場が描いてある。

Dsc_00102

 おお! 日本万国博もここ晴海で開催する予定だったそうだ。

Dsc_00142

 んが、今は東京モーターショーも1987年で晴海開催は終わり、その後は幕張メッセや東京ビッグサイトに移ってしまい、最早晴海の東京国際展示場は役割を終えて、また別の建物になるために取り壊し。

Dsc_00322

 晴海埠頭は以前より沖合に移されながらもまだ健在。とは言うものの、今や船旅はビジネス客ではなくて富裕層の愉しみになってしまったので、普段は閑散としている。

Dsc_00372

 で、これが晴海埠頭からの晴海の街の風景なんだが、まあ、昔とは一変していますね。タワーマンションばっかり。

 このシーンは晴海から沖合を望む場所。昔はこんな遥か沖合が埋め立ての真っ最中で、というか東京都のゴミを運ぶトラックが沢山走っていて、そこが人が住む場所になるとは思えなかった。が、現在はそこが中央卸売市場になる予定。

Dsc_00452

 考えてみれば、昔の江戸時代までは、日比谷や銀座、せいぜい佃島あたりまでが「東京(というか江戸)周縁部」だったわけで、まあ晴海埠頭もそうだが、東京の多くの埠頭ってのはみんな埋立地に作られたのだった。そんな意味では、東京の人間がゴミを出し続ける限りは、こうして東京南東部にどんどん東京周縁部が増えていくということなのだろう。

 まあ、この辺が東京という街のダイナミズムなのだろうな。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4D IF @Harumi Chuo (c)tsunoken

2015年10月23日 (金)

『2020年マンション大崩壊』で、ちょとビックリしたけれど

『2020年マンション大崩壊』っていう、いささかショッキングなタイトルには少しびっくりさせられたのだけれども、まあ、読んでみればそれもさもありなん、ということでした。

 要は、都心(山手線の内側位までは拡大)のマンションならまだ安心ってところですか。

2020 『2020年マンション大崩壊』(牧野知弘著/文春新書/2015年9月20日刊)

 いきなり結論めいた引用をしてしまいます。

『総務省が発表した「住宅・土地統計調査」によれば、2013三年10月1日における日本の総住宅数は6063万戸。その時点における日本の人口が1億2729万人。日本の国民約2.1人に1戸の住宅が存在することになります。
 日本の人口は減少に転じており、2013年で前年同時期に比べて21万7000人も減少しています。単純計算でも年間で約10万戸分の住宅が不要となる勢いです。
 ところが、日本ではあらたに毎年約100万戸近くの新築住宅が着工されています。人口が毎年200万人増加する国であれば、増加する人口のために年間100万戸の新しい住宅供給が必要だというロジックは成り立ちますが、この状態では空き家が増加するいっぽうなのは誰が見ても明らかです』

 まあ、デベロッパーとしては、いまだに増え続けている首都圏人口に対応するために、都内にマンションを作り続けているのだろうが……、実は……

『東京都の空き家の64%はマンションだということになります』

 えっ? とも思うんだけれども、結局それは都内のマンションができた時との関係なんだろう。要するにバブル期(1990年頃)に多くできたマンションという問題。つまり、現在はその頃にできたマンションが老朽化が始まっている時期ということになる。

『都心といわれる千代田区が36.5%、中央区で27.7%。通常で考えるならば、都心部の賃貸住宅のほうが人気が高く、空室率は低くなると思われますが、実態は全く異なる結果となっています』

『東京都内の個人住宅マンション空き住戸は都心部(23区内)に大量に存在する。これはおそらくマンションの老朽化との関係』

『供給が増えれば増えるほど、古いワンルームマンションは競争上不利になります。最新のマンションは住宅設備が最新。少ない需要を取り込むために必要な装備はすべて整っています』

『今や三点式ユニットバス(バス、洗面、トイレが一体となった化成ユニット)では多くの若者がそっぽを向きます。トイレはバス、洗面とは別。浴室乾燥機、食器洗い機、床暖房など最近のワンルームマンションは至れり尽くせりです。共用部はアマゾンなどの宅配物を受け取れるロッカーを設置、女性が気にするセキュリティーもばっちりです。
 要するに需要の奪い合いに敗れた、築年数の経過したワンルームマンションに空き住戸が増えていくという構図です』

 なるほどなあ、不動産屋さんによれば、バブル期に作られたマンションにこうしたユニットバス式のマンションが多かったそうだ。つまり、土地代が異様に上がってしまったバブル期には、それをカバーするために、1戸あたりの面積を少なくするためにこうしたユニットバス式のマンションにしたそうだ。

『首都圏では湾岸部を中心に数百棟ものタワーマンションが立ち並び、郊外部から都心へ人々の移動が始まっています。郊外部の人口は急減し、首都圏郊外部の空き家問題は地方以上に事態を深刻化させています 』

 まあ、デベロッパーとしては中古マンションのことは関係ない、新規マンションの販売だけが重要なテーマであり、中古マンションは町の不動産屋に任せておけばいいという発想なんだろう。なので、都心には空き部屋ばかりの中古マンションが残る一方、タワーマンションばかりが増えていくという不可思議な現象が現れているということなんだなあ。

 とはいうものの、タワーマンションも建ちすぎて最早コモディティー化しているという。むしろ、これからは湾岸エリアではなくて、山手線の内側だというのだ。

『乱暴な想定ですが、東京という都市は現在の山手線の内側を中心としたものに都市計画の線引きをやり直す。山手線内はタワーマンションを中心とした高層住宅を効率よく建設し、職住近接の環境の中、人々は毎日をすごす』

 うーん、そうだなあ。山手線内側エリアって、実は歩いても行けるような結構狭いエリアなんですよ。で、結構緑も多くて、散歩するのには一番適しているかもしれない。しかしまあ、山手線内側エリアには、せいぜい中層マンションだけで、タワーマンションは作って欲しくはないんだよなあ。タワーマンションの40年後って考えると、もう考えたくないほどの問題がありそうだからね。

 山手線の内側はせいぜい100世帯以下の小型マンション、住民の顔が見える小さなマンション、つまり小さなコミュニティができてほしいと思うのである。そうじゃないと、建替えだって、補修だって管理組合の中でまったくまとまりのない決議になるだろう。

『山手線の外側は、明治時代に国木田独歩が「武蔵野」で記した田園風景を再現する。平日の間都市で働いていた人々は、週末は郊外にある田園住宅に滞在する。敷地は数百坪。この田園住宅で人々は思い思いに趣味や休暇に時間を自由に使う』

 いいなあ、数百坪は無理かもしれないけれど、山手線の外側エリアにセカンドハウスか。

 とは言うものの、そう簡単にはセカンドハウスは手に入らないから、取り敢えず今自分が住む場所を決めるっていうのがまず第一。

 今、私が住んでいる文京区本駒込っていうのは、山手線の内側で、しかもあまり商業地域ではないので、そんなにうるさくはない。まあ、私の部屋は不忍通りに面しているので、それなりにうるさいですがね。ただし、土地代だって港区や千代田区ほどには高くない。

 元々、妻の実家がこの近所にあったので、最初は賃貸のマンション(賃貸用マンションじゃなくて、分譲賃貸という形式)にいたんだが、子どもたちも大きくなって来たので分譲マンションの中古を買い、そのマンションが昨年建替えとなって、今や新築マンションになったという訳。

 元々、狙って本駒込に住んだわけではなくて、それは一種の偶然の賜物だった訳ですが、結果、住んでみればこんないいところはない。

 ということなので、結論。

『住宅はそのエリアが好きで一生住み続けたい、そのためのお金も十分にある、あるいは担保が十分にあるという方は所有権を取得し、一生住み続ければよい。いっぽうで、今後の時代の変化に対応していかなければならない、会社の変化、家族の変化、自身の価値観の変化など、自分の来し方行く末がまだはっきりとイメージできない人は、無理に住宅を取得せず、賃貸住宅で暮らしていく。そんな柔軟な生き方があってもよいのかもしれません』

 まあ、そんなところですね。

 これからはマンションは分譲よりは賃貸を選ぶ人が多くなるのかも知れないなあ。時代の移り変わりや、人々の生活と仕事の環境を考えて見ると、そちらの方がリーズナブルかもしれない。

『2020年マンション大崩壊』(牧野知弘著/文春新書/2015年9月20日刊)

2015年10月22日 (木)

松陰神社通りが思いのほかシャレオツだった話

 一昨日のTPP交渉大筋合意説明会の後は松陰神社通り商店街を通って帰って来たんだが、前回行った時には気が付かなかったんだけれども、思いのほかお洒落な商店街にちょっとビックリした。

Dscf67892

 松陰神社通り商店街って言ったって、世田谷通りから東急世田谷線の松陰神社前を越えて、松陰神社までのホンの数百メートルの小さな商店街なんだけれども……

Dscf67862

 こんな喫茶店兼書店みたいなお店や……

Dscf67792

 なんだかよくわからないお店なんかが沢山ある。

Dscf67802

 勿論、下町風の総菜屋さんなんかもあるんですけどね。

 よく見ると、スーパーマーケットなどの大きな店がなくて、小さな店ばっかりというところが、おしゃれに見せているのかもしれない。

Dscf67812

 まあ、三軒茶屋みたいな大きな街になってしまうと失われてしまう「下町らしさ」が、まだまだ残っているということなのかも知れない。

 まあ、いかにも世田谷らしいという感じの商店街ではありました。

Dscf67832

 ああ、「花燃ゆ」もいよいよ佳境ですね。

 まあ、今週はアメフト見に行って見逃したし、来週は旅行で多分見られないけど。

FUJIFILM X10 @Shoin Jinja Setagaya (c)tsunoken

2015年10月21日 (水)

関東地方の地震警戒度下がる

 JESEAから「週刊MEGA地震予測」の最新号がきた。

20151021_171702

 関東地方の地震予測が、先週「要警戒地域」から「要注意地域」に下がったと思ったら、今週は「要注視地域」へと、また一段下がった。

 なんか、少しはホッとした感じ?


別に安倍さんは好きじゃないけど、TPPはいいじゃん

 既にニュースなどでご存知の方も多いと思いますが、昨日、世田谷区民会館で「TPP協定交渉の大筋合意に関する説明会」が開かれ、それに参加してきたので、そのご報告。

Dscf67762

 説明会は、矢田内閣参事官の司会で、まず澁谷内閣審議官がTPP協定の大枠についての説明が約1時間ほどあり、その後、渡邉農林水産省国際政策課長、渡辺経済産業省通商機構部長、水野財務省関税局参事官などからそれぞれの担当分野についての報告が短時間ずつあって、その後質疑応答に入る。って、あれ? 樋口外務省日米経済調整室長は何のために出てきたんだろう? まあ、日米の米とか自動車の関係について質問があれば……ということなのかな?

Dscf67692

 会場はそんなに広くはなかったんだけれども、それでも関係団体から300名、一般200名、その他、行政関係者、プレスなどでまあこんな感じ。

 まあ、TPP交渉の結果からすれば、私としては「大山鳴動して鼠一匹」という感じで、事前には「大変だ、大変だ」と大騒ぎをしていた割には、結果をみれば「まあ、そんなところで収まるのね」というところだった。

 米や小麦、大麦などは現行の貿易制度を維持し、国別輸入枠をもうけるという極めて穏便なもの。牛肉や豚肉に関しては、それぞれ16年目以降に9%、10年目以降に関税撤廃、乳製品にしてもバターやチーズは現行貿易制度を維持だしというような、極めて穏便な扱いである。工業製品に関しても、自動車関連は10~30年で関税撤廃という感じだが、自動車部品は殆どが即時撤廃というところ。面白いのはタイヤやECU・センサー類が10年目撤廃、電気自動車用リチウムイオン電池が15年目撤廃というところかな。タイヤ(アメリカはグッドイヤーだけで、今やファイアストンはブリジストンの傘下)やECU・センサー、電気自動車などの日本が突出している分野だけを別にして、あとは殆ど即時撤廃なんである。

 関税ではないが、電気通信、電子商取引などについては極めてリーズナブルな取り決めになっているし、著作権の残存期間が50年から70年に伸びることは初めから我々自身も盛り込み済みだったし、著作権侵害の非親告罪についても、「市場における原著作物等の収益性に大きな影響を与えない場合はこの限りではない」というただし書きが付いているので、コミケなんかでの出品者に対する不利益はなくなったわけである。

 というのが、まあ、私のTPP協定交渉に関する概観なわけなのであるが、どうなんだろう。

 質疑に入ると、関係団体からの発言が多く見られたのだが、まあ、それらは「もうTPP協定は合意しちゃったんだから、われわれ農漁業者の生活を守って、若い人たちが後継ぎになれるような政策をおこなってほしい」という意見が多かった。

 確かに、現実的な意見であることはよくわかるのだが、しかし、若い人たちが後継ぎになりたくないように農漁業を持ってきたのは、あなたたちでしょう。結局、自民党の票欲しさのためのバラ撒き政策に乗って、前向きの農漁業を行ってこず、ラクすればいいのだ、なんて週末畑仕事だけでウィークデイは農協や市役所・町役場の仕事で糊口をしのぐ生活を送ってきた罰が当たっているだけなのだ。そうやって「魅力ある農漁業とは何か」を考えずに生活していれば、それを見た子どもたちが、親の生き方を継ぎたくないという風になるのは当たり前の話ですよね。まあ、「身から出た錆」ですな。それをこれまた行政に頼んで、直してもらおうとしているのかなあ、この人達は。

 本来的に言ってしまえば、今のようにグローバル社会になってしまえば、「関税」なんてものは国内産業を守るために、海外からの「モノ」「カネ」の進入を防ぐためだけの「鎖国政策」なのである。つまり「弱国」の政策。日本は江戸幕府から明治政府になって鎖国はなくなっていたものだと思っていた皆さん、基本的にそれは正しいんだけれども、結局、明治政府の時代はまだ「日本は若い国」という世界認識で認められていたんだが、その後50年経って世界に戦争を仕掛ける国になってしまい、その野望は潰えてしまい、そこからのゼロからの出発をしたということが、どうにも日本人の基本的な考え方の中に「負け犬根性」が備わってしまっているようなのだな。

 しかし、実際には日本の国力というものはいまや世界に冠たるものなのだ。

 今回のTPP参加国が世界のGDPの4割を占めているという。その4割の大半は、アメリカの17.5兆ドルと日本の4.6兆ドル、併せて22兆ドルという、とてつもない2国のGDPが実はTPP交渉を支配しているのだ。

 つまり、もはや日本は「国内産業保護」とかの「保護貿易」を主張できる立場ではないということ。

 日本の国内市場はどんどん海外にも開放して、資本を招き入れればいい。商品は我々の健康上の問題がなければ、どんどん関税ゼロで輸入すればいい。工業製品はもう我々の技術的優位にあるという自信があれば、もうどこからでもかかってきなさいとばかりに、迎え入れればいい。モノもヒトもどんどん招き入れましょうよ。多分、それが実は日本をもっともっと強くするきっかけになるんだろうなと思う。

「競争のないところに進歩なし」です。

 競争を怖がってはいけない。

 競争に負けても、別に終わりではない。巻き返しのチャンスはいくらでもあるんだ。

 そうやって日本中がコンペティション体質になれば、そこで初めて日本人の、明治維新から第二次大戦敗戦後まで持っていた「負け犬体質」からオサラバできる切っ掛けに、このTPP協定が使えるかも知れない。

 ということで、最後の元民主党参議院議員の大河原雅子さんの質疑。

「この説明会がネットでしか応募できないのはいかがなものか」

 というのは、別に誰も気にしていなかったことをご報告。

 そんなの今更何言ってるの、だよね。

FUJIFILM X10 @Setagaya Civic Hall (c)tsunoken

2015年10月20日 (火)

『共通番号の危険な使われ方』の旧態依然たる反対理由

『共通番号制度(番号制度)は、いままで行政機関や民間事業者が各々管理し原則として他に提供しなかった個人情報を、データ・マッチング(照合・名寄せ・紐付け)する「共通番号」をつくり、個人情報をタテにつなげて将来にわたり追跡可能にし、ヨコにつなげたあらゆる個人情報を一覧可能にする社会基盤として、新たに作られようとしている。
 この番号制度は、次の3つの仕組みで構成されている。
①付番(個人や団体を厳格に識別可能にする、悉皆で唯一無二の番号の付番)
②情報連携(個人情報を共有する情報提供ネットワークシステムの新設)
③本人確認(カードの交付と、番号利用が法律で定められた事務での提示義務)
 そのいずれも、地方自治体が中心的役割を握っている』

Photo 『共通番号の危険な使われ方 マイナンバー制度の隠された本質を暴く』(白石孝・石村耕治・水永誠二編著/現代人文社/2015年3月20日刊)

 以上が、いわゆる「マイナンバー制度」の根本なわけだけれども、この基本発想は今から60年ほど前の「国民総背番号制」構想から始まって、2003年に発行が開始された「住基カード」で中途半端な感じで始まって、いよいよ今年の10月からは、まさしく「国民総背番号制」の集大成ともいうべき「マイナンバー制度」になったわけですね。

 まあ今から60年前の国民総背番号制自体は、国による国民のプライバシー侵害や基本的人権への制限への抵抗から頓挫したわけだが、それもそのはず、いまから60年も前にコンピュータなんてものは軍事目的以外にはまったく普及しておらず、役人だって「コンピュータがあればこんなことができる筈」と言う以上にコンピュータのことなんかを理解している人がいなかったわけで、そんな状態で国民全体に背番号をつけたところで、まあ、そんなのは国民全体の監視なんてできないわけで、せいぜい犯罪歴ぐらいしか記録できなかったはずである。ただし、「将来コンピュータが普及してくれば、こうした国民総背番号制は実質的なものになるだろう」という役人の思い込みが、それから40年経って「住基カード」になったわけで、それから15年経っていよいよ「マイナンバー制度」で、役人60年の悲願がかなったという訳なんだろう。

 つまり、その60年間の違いと言えばまさしくこの「コンピュータの普及」という一点なのであり、それを大きく前進させたのが1995年のインターネットの普及開始という大きなきっかけがあったのである。

 その間、私たちの生活にどんな変化があったのだろうか。

 1960年代には、コンピュータどころかクレジットカード自体もなく、買い物はすべて現金か「つけ」でおこなわれていた訳で、つまり私たちがどんな買い物をしたのかは買った当事者と売った当事者しかわからないという仕組みになっていた。それが現在はどうだろうか。クレジットカードで買い物をした記録はすべてクレジット会社が記録をしていて、私が何を買ったのかはクレジット会社の前では丸裸である。勿論、クレジットカードだけではない。各種の会員カードもあるし、ネット通販もある。それらを通じて私たちが普段どういった生活を送っているのかは、だいたいそれらの会社の情報をもしかして紐づけできれば、おおよそ明らかになってしまう。交通カード(SuicaやPASMO)の発行会社には、私たちの日々の移動記録が残されている。

 買い物だけではない。例えば医者の検診を受けた場合には、その医者の電子カルテに病歴や治療歴、薬品購入歴なんかもデジタル記録されているわけだし、さらにウェアラブル端末(Fitbit、Polar、Apple Watch)なんかをつけていれば、私たちが日々どれだけ歩いたか、どんな運動をしたか、何時に寝て何時に起きたか、眠りの質なんてものまで、それらの会社のクラウドコンピュータに毎日毎日記録されているわけだ。

 つまり、1960年代、2000年代、2015年の今日の大きな違いは、まだまだプライバシーなんてものが大手を振って歩いていた60年前、多少はプライバシーも保護されていた2000年代と大いに異なり、2015年という時代は私たちにプライバシーというものは、ほとんどなくなってしまっているという事態なのである。

 そうした時代に、「マイナンバー制度の隠された本質を暴く」なんて言ったって、実はそんなものはまったく「隠された本質」でもないということだろう。行政は国民のことを知りたがり介入したがるという本質を持っており、国民は別に国に見られたら困ることは無いにしても、やはり「見られることに対する基本的なイヤな感じ」というものを持っているということなんだろう。

 白石氏、石村氏、水永氏の三人は本書を読む限り別にリバタリアン(絶対自由主義者)ではないようだし、むしろ福祉社会の実現を願っている人たちのようだ。であるならば、実はこの「マイナンバー」に反対する立場というのは、福祉社会をも否定する考え方にもつながってしまうという怖れを感じることはないのだろうか。かれらがリバタリアンであれば、こうした国や行政機関による国民の監視や、介入に対して反対する立場をとることはもっともなんだけれども、そうでない以上、国や行政機関による国民の監視と介入にも、それに単純に反対するのではなくて、よりよい使い方を提案するという方が前向きの対処のような気がしてならない。

 もう今更、「国民総背番号制」に反対したって、すべてはビッグデータという国民総監視制度の中で私たちは生きているのである。ジョージ・オーウェル描くところの『1984年』の世界の中でビッグブラザーに監視されながら生きている私たちなのである。それも、私たちは自ら喜んで個人情報を提供していながらね。

 むしろ、今回のマイナンバー制度の問題は「住民登録のない人へのサービス提供」という部分なのではないだろうか。

『今回の番号制度は住基ネットを基礎とし、住民票コードを変換して個人番号を生成し、住基ネットから基本4情報を提供され、住民登録ある者に本人確認用のカードを交付することを制度の前提としている。しかし社会保障サービスの受給者には、住民票コードのない人(住基ネット稼働前から住民登録を喪失している人、海外居住で年金等を受けている人、外国人登録制度廃止後に住民登録できなかった人など)や、住民登録できない人(居所を失い住民登録を削除された人など)、住民登録の不明な人(認知症その他身元不明で保護された人など)、DV・ストーカー被害、借金、施設入所、被災などで住民登録と異なるところで生活せざるをえない人など、住基ネットでは把握できず、カードも受け取れない人が少なくない。居所を失うという「真に手を差し伸べるべき」状態にある人が、行政から見えなくなってしまう』

 という問題がある。これについてどう対処すべきかという点を行政はキチンと答える必要があるだろう。

 まあ

『国家がこれらの特定個人情報を「公益上の理由」で収集すれば、徴兵、兵役選別に活用できる道が拓かれるからである』

 なんてことは、次第に「徴兵制」なんて前時代的なものがなくなって来ている、近代社会ではあり得ないけれどもね。

 まあ、せいぜい情弱にならないようにしましょうね。

『共通番号の危険な使われ方 マイナンバー制度の隠された本質を暴く』(白石孝・石村耕治・水永誠二編著/現代人文社/2015年3月20日刊)

2015年10月19日 (月)

Xリーグ・ファーストステージ終了! ブルズは4位で下位リーグへ

 昨日の横浜スタジアムの3戦でXリーグ2015のファーストステージは終了。これからイースト、セントラル、ウエストの上位3チームがSUPER 9としてファイナルステージへ向けて、下位3チームがBATTLE 9として順位決定戦に臨むことになる。

 で、その最後のゲームが昨日、横浜スタジアムで行われたわけであるが、考えてみれば、昨日Xリーグのゲームを入れたということは、なんだDeNAは初めからクライマックスシリーズを戦う気がなかったのかしら、なんて余計なことを考えたりして。

 ともあれ、その最後のゲームがアサヒビール・シルバースター(シルバースター)対BULLSフットボールクラブ(ブルズ)の間で行われた。

 試合はシルバースターのキックオフ、ブルズのレシーブという、ブルズとしてはここで最初の得点を入れて勢いをつけたいところであるが……

Dsc_00372

 最初のシリーズから4thダウン・パントじゃしょうがないでしょう。

Dsc_00432

 逆にシルバースターは第1クォーター(Q)3分34秒に早くも#3ワイドレシーバー・ウィルソンのタッチダウン(TD)で勢いをつけると、最早ブルズの誰もその勢いを止められず、第3Q終了時には65対0と、こりゃ下手をするとゼロ封か? とも思わせるくらいの両者の力の差(その多くはオフェンスラインの力の差かな)を見せつけられる。

Dsc_00572

 そこで粘りを見せたのがブルズのディフェンスライン。第4Q3分4秒には相手のパスを#74ディフェンスライン鴨下がインターセプトし……

Dsc_03342

 そのままTD! かろうじてゼロ封を逃れたブルズ。

Dsc_03382

 トライフォーポイントはキックでなくランを選んで2点。

Dsc_03412

 更に8分25秒は相手のラン攻撃をそのまま相手ゴールへ押し込んでセイフティ!

Dsc_03782

 とは言うものの、試合はそこまでで、その後シルバースターの1TDありで、結果は71対10のブルズ完敗。

Dsc_04172

 まあ、ブルズの負けは試合前から予想はされていたんだが、まさかのオフェンスチームのトライフォーポイントだけの2点とはね。結局、デフェンスチームの8点だけじゃあ勝てませんな、というのは当たり前の話か。

 ということで、Xリーグ・セントラルディビジョン4位確定のブルズは11月1日にイースト6位の警視庁イーグルスと、11月15日にイースト4位のオール三菱ライオンズと、それぞれ横浜スタジアムで戦うことになった。

 まあ、ファイナルステージには行けない順位決定戦だが、下手をするとX2との入れ替え戦も待っているので、ここは慎重に戦ってほしいものだ。

NIKON Df + SIGMA DG 150-500mm f/5-6.3 APO HSM @Yokohama Studium (c)tsunoken

2015年10月18日 (日)

品川に「ニコン・ミュージアム」オープン

 ニコンが設立されたのは1917年(おおっ! ロシア革命の年ですね)。『1917年(大正6年)7月 - 光学兵器の国産化を目的として、東京計器製作所光学部・岩城硝子製造所・藤井レンズ製造所が合同し、三菱の資本により「日本光學工業株式會社(日本光学工業株式会社)」を設立』というのがその設立のきっかけ。

Dsc_00112

 つまり、再来年が会社設立100年になるというのを契機に、品川の本社内に「ニコン・ミュージアム」を作り、ニコンの歴史をユーザーに知ってもらおうということで、この10月17日にオープンした。

Dsc_00082

 1917年に始まるニコンの歴史や、ミュージアムのシンボルオブジェ「世界最大級の合成石英ガラスインゴット」なんかもそうだが、やはり私たちにとっては「ニコンはカメラとレンズ」なんですね。

Dsc_00102

 でロバート・ダンカンの例の「ちょっと眉唾エピソード」に始まり……

Dsc_00192

 ニコンFでスタートするニコン一眼レフの歴史なんかが総て見通せるような展示がなされている。

Dsc_00252

Dsc_00212

 しかし、この東京オリンピックの時のレンズの砲列ってのもスゴイね。

Dsc_00182

 これはちょっと現在私のメイン機材であるニコンDfをちょっとね。

Dsc_00242

 勿論、ニコンはカメラ専業メーカーではなくて、光学機械のメーカーなので、カメラ以外の光学機械や……

Dsc_00132

 大型反射望遠鏡のために作られた反射鏡なんかも展示。

 さて、この反射鏡にさかさまに写っているのは誰でしょう? って聞かなくても分かってる?

Dsc_00282

ニコン・ミュージアムの公式サイトはコチラ

NIKON Df + AF NIKKOR 20mm f/2.8D @Nikon Museum Shinagawa (c)taunoken

2015年10月17日 (土)

「フランス坂の雨」なのか「雨のフランス坂」なのか

「フランス坂の雨」というとごく普通の表現だが、「雨のフランス坂」というと、なんか昔の演歌の題名みたいな感じである。まあ、「雨の御堂筋」みたいなもんか。

Dsc_00072

 渋谷は坂の多い街である。それもなんか外国の国や街なんかからとった名前の坂が多い。

「スペイン坂」なんてのが有名だけれども、実は「フランス坂」というのもあるんですな。

Dsc_00082

 ハローワーク渋谷の脇を上がって渋谷区役所まで上がる坂が「フランス坂」なんだそうである。一番上の写真がそのハローワーク渋谷の脇から坂の上の方を撮影したもの。

 何故「フランス坂」なのかはよく分からないそうだが、皆、「フランス坂」とか「イエローストリート」とか「バスティーユ通り」とか呼んでいるようだ。それぞれの理由も分からないようだ。

Dsc_00112

「バスティーユ通り」からの関連で「フランス坂」と呼ばれたのであろうことは、何となくわかるような気はする。が、じゃあ何故「バスティーユ(監獄)通り」なのかがわからない。

Dsc_00242

 で、その「フランス坂」の上から下の方を見たのがこの写真。

 別にどうという特徴のある坂でもないし、別にフランスやバスティーユ監獄にちなんだ建物がある訳でもない。

Dsc_00192

 坂の上にあるのが渋谷区役所と渋谷公会堂なんだが、現在は山手線の反対側にある「美竹の丘」の方に仮庁舎を作って、建替え工事を行うそうだ。

 工事のスキームは、現庁舎の敷地の一部に70年の定期借地権を設定し、その定期借地権の権利金およそ211億円で取り壊しと建設を行う。その一部に民間の分譲マンションを作って権利金は回収する。そのために新たな借金や既存の積立金などを利用することなく、区の建築費負担ゼロで新庁舎・新公会堂を作るというもの。

 豊島区役所のやり方に似た方法だが、こうした方法がとれるのも、池袋や渋谷などの土地代の高い場所だからこそなんだろうな。

 ああ、またパリに行きたくなっちゃったな。別にパリにはフランス坂はないけれどもね。当たり前か……。

NIKON Df + AF NIKKOR 20mm f/2.8D @Shibuya (c)tsunoken

2015年10月16日 (金)

『男 アラーキーの裸ノ顔』で見えてきたもの

「男の顔は履歴書・女の顔は請求書」という言い得て妙な、名言を遺したのが評論家の故大宅荘一氏。

 アメリカの16代大統領のリンカーンは、「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」と言ったのも有名な話。

Photo 『男 アラーキーの裸ノ顔』(荒木経惟著/KADOKAWA/2015年3月25日刊)

 遺伝子学から言うと、遺伝子というのは40歳くらいまで辛うじて働くのだが、それ以降の効力はほとんどなくなっているらしい。 顔の造形などは、40歳前後までは両親から受け継いだ遺伝子におおむね従っているので、造作が良かった親の遺伝子を受けついで、よい顔に生まれた男はハンサムになり、女は美女でいられる。 しかし、それ以降になると、次第に遺伝子の効力が失われ始めて、その人の生活環境や心構え、職業、言動、生活習慣という生き様が、顔に大きく影響されてくるという。

 つまりそれが「男の顔は履歴書」「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」という言葉の元になった考え方だろう。そんな「男の顔」についての大事な資料がここにある。

Photo_2

Photo_3

 上の写真が若い頃の三國連太郎氏で下の写真がご存じ佐藤浩市氏の親子の写真である。三國連太郎氏は最近の顔とはまったく違って、むしろ現在の佐藤浩市氏に似ている……じゃなくて、佐藤浩市氏が若い頃の三國連太郎氏にそっくりなのだということ。

 この佐藤浩市氏がやがて三國連太郎氏のような顔になっていくのかというと、それは今後の佐藤浩市氏の生き方次第だということなのだろう。

 同じ例が本書の最初に収められた「ビートたけし 1997.2.25」と最後の「北野武 2014.12・19」かもしれない。最初に収められたのは北野武氏50歳、最後は67歳。最初の頃のビートたけしは既に40歳はとうに過ぎているが、1986年に講談社襲撃事件、1994年に酒酔いバイク事故を起こした頃のビートたけしはこれ以上に鋭い顔つきをしていたんじゃなかっただろうか。確かに、1997年のビートたけしの顔は犯罪者の顔つきと言ってもいいくらいの鋭さがあるし、2014年の北野武の顔は、やはり初老の人間らしい、人生を積み重ねてきたらしい顔つきになっている。

 残念ながら、私自身の顔つきにはあまり自信はないのだけれども、まあ、考えて見れば若い時に比べれば確実に「チョイ悪オヤジ顔」になっているのは、確実だな。いやいや「チョイ悪」どころか「大悪顔」だという人もいますがね。それがどういった人生の積み重ねによってできたものかは、実は自分でもよく分かっていないのだ。それが残念! まあ自分の「生活環境や心構え、職業、言動、生活習慣という生き様」なんてのは、実際には自分では日々意識してないものね。

 ところで、この写真集で普段は他人を撮ることを業としている人が、アラーキーに撮られているのが3人いる。

「沢渡朔 1999.3.8」「森山大道 2005.2.24」「操上和美 2006.2.16」である。まあ森山氏なんかはよく雑誌なんかでも顔を出している人なので、まあ見ててもあまり違和感はないが、沢渡氏や操上氏なんかはどんな気持ちでアラーキーに撮られているのだろうか。普段は被写体とカメラを通して対峙している人たちが、逆に被写体としてカメラを通して撮影者と対峙している訳である。

 そんな時に初めて、被写体の気持ちなんかが分かって、もっと優しく被写体と向き合うようになるんだろうか。あるいは、「そうかこうやって被写体をもっといじめてもいいんだ」ってな気持ちになるんだろうか。

 う~む、それはフォトグラファー自身の考え方に基づくんだろうけれども、なんか、写された後の心境と言うものを聞いてみたい気がしてきた。

『男 アラーキーの裸ノ顔』(荒木経惟著/KADOKAWA/2015年3月25日刊)

2015年10月15日 (木)

『アメリカのジレンマ』って何だ?

 2013年9月10日のアメリカ合衆国オバマ大統領のテレビ演説、「アメリカは世界の警察官ではない」から始まった、例えば、日本における集団的自衛権の問題なのであるが、まあ、アメリカがそう言っちゃったんだから、これはどうしようもないよね。

 つまり、自分の国は自分で守るということで……。

Photo 『アメリカのジレンマ 実験国家はどこへゆくのか』(渡辺靖著/NHK出版新書/2015年7月31日刊)

 ところで、アメリカを「実験国家」と呼ぶ渡辺氏なのだが、どこが実験国家なのだろうか。

『もともとアメリカは国家としての結束が脆弱な社会だった』

『一点目は、中央政府を三つの府、すなわち行政府(大統領府、ホワイトハウス)、立法府(議会)、司法府(最高裁判所)に分け、相互のチェック機能を設けることである。いわゆる三権分立の考え方だ』

『二点目は、州政府に大きな権限を与えることで、中央政府の権力を相対的に弱くすることである』

『三点目は、上記二点とも関連するが、アメリカを「君主のいない共和制国家」とし、「自律したデモス=市民を主体とした民主制国家」とすることである』

『この三点目こそが、アメリカが人類史における壮大な「実験国家」と称される所以である。一九九三年に設立されたヨーロッパ連合(EU)も壮大な実験だが、アメリカはヨーロッパより二〇〇年以上前に同様の試みを企てたわけである。人類史上におけるもう一つの壮大な「実験国家」として一九二二年に誕生したソビエト連邦は、わずか六九年間で崩壊している』

 うーむ、確かにアメリカという国は、そこに住んでいた自然な人たち(いわゆるネイティブ・アメリカン)が、いつの間にか自然に村を形成し、それが大きくなって街を形成し、小さな国を形成し、それが統一国家となってアメリカ合衆国となった訳ではなくて、アイルランドのピューリタンが入植し、ネイティブ・アメリカンを駆逐しながら本国イギリスからの独立を勝ち取ったという、「負」と「正」の歴史を背負った建国の歴史を持った国である。

『ヨーロッパの「旧世界」を覆っていた特権階級の世襲化に反旗を翻し、市民=デモス主体の社会建設を企図した実験国家・アメリカにとっては実に逆説的な現実である』

 その「逆説的な現実」とは何か?

『アメリカでは一九八〇年代から格差拡大が顕著になり、近年は、上位一〇%の富裕層がアメリカの全所得の約半分を占める状態が続いている。これは自由放任主義によって一気に格差が拡大した一九二〇年代を上回る水準だ。その一方、下位二〇%と上位二〇%の家庭に生まれた子の約四割は、成人後もそれぞれ同じ所得階層に留まっている。先進国のなかではイギリスに次ぐ世代間移動の低さだ』

 つまりアメリカ市民の「階層化」ということであり、近年それがかなり固定化されてしまい「階級化」となってしまっているっていうことなんだろう。つまりそれは「ヨーロッパの「旧世界」を覆っていた特権階級の世襲化」そのものだもんなあ。

『人種差別に対する抗議運動と啓蒙活動で知られるNPO「南部貧困法律センター」(SPLC)によると、今日、ネオナチや白人至上主義、黒人至上主義などを掲げた憎悪集団(ヘイトグループ)は全米に七八四団体存在しており、二〇〇〇年に比べて三〇%増加しているという』

『男女平等についても、実はアメリカは必ずしも「盟主」とはいえない。アメリカ連邦議会の上下両院において女性議員の占める割合は約二〇%となり、アメリカ史上最も高い水準にあるが、世界経済フォーラム(WEF)による男女平等ランキング(二〇一四年)によると、アメリカは世界一四二ヶ国中二〇位に留まっている』

 そんなアメリカではあっても、基本的にはやはりヨーロッパと違う出自があるという意識は高く。

『ヨーロッパでは、長年、保守主義・自由主義・社会主義という三すくみの対立軸によって政治空間が織りなされてきたが、アメリカでは保守主義もリベラリズムも(啓蒙思想を源とするヨーロッパ流の)自由主義を前提としており、イデオロギー間の差異はもともと小さい。アメリカの保守主義は自由主義の右派に過ぎず、リベラリズムは自由主義の左派に過ぎない、いわば「コーク」か「ペプシ」程度の違いに過ぎないという見方もできる』

 つまり、共和党=保守、民主党=リベラリズムという単純な二項対立ではないということなのか。

『そもそも、オバマ大統領の説く「国際協調主義」は、盲目的な楽観主義やナイーブな理想主義ではなく、コストとリスクの分散という、極めて現実主義的な判断に依拠している。厳しい現実を直視しない理想主義は空論でしかない。しかし、理想主義に裏打ちされない現実主義は空虚でしかない。現実主義的な理想主義者と理想主義的な現実主義者が共存するのがオバマイズムの本質のようにうかがえる』

 時として共和党と巖として対立する場合もあるし、その一方で共和党以上に共和党のような政策をとることもあるオバマイズムというのは、「現実主義的な理想主義者と理想主義的な現実主義者の共存」にその本質があるということなんだな。

『オバマ大統領が「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と述べ、その言葉に象徴される「国際協調主義」が第二次世界大戦後にアメリカが自ら引き受けた役割の「限定」や「選択」を含意するとしても、話はそう簡単ではない。それはアメリカのアイデンティティの根幹に関わる問題でもあるから自らが旧世界とは異なる「新世界」であり、「あるべき世界」であるという強烈な自負心。加えて、国土の広大さや民族・宗教・言語的な多様性ゆえに、いわば「世界の縮図」として、自らを世界と同一視する傾向も強い』

 なるほど、国のあり方も時代によって変わってくるということなのかも知れない。

 であるとするならば

『左翼にとって、アメリカは資本家による労働者搾取や帝国的覇権主義の象徴であり、右翼にとって、アメリカは多民族社会ゆえの混乱や軽佻浮薄な近代的啓蒙主義の象徴となる。知識人や上流階級のスノビズム(俗物根性)としての反米主義も存在する』

 というような伝統的なアメリカ観は捨てて新しいアメリカ観を持たなければならないということなんだろう。

『いわゆる「反米」も「親米」も等しく時代錯誤の罠に陥りかねない。つまり、第二次世界大戦の「戦後」の呪縛を超えて、世界を考え、未来を語る必要があるということである』

 ということなんだろうなあ。

 まあ、アメリカ人にとっては「戦後」というのはなくて、結局、戦争の連続性の中で今も生きているということなんだしなあ。そう、わが国とは実はまったく経験を異にしている国なのだ、という意識だけでも最低限持っていなければならない、ってことなのである。

 アメリカも共和党が政権を握ってしまえば「モンロー主義」っていう手もあるしなあ。もう、分からんですな、先のことは。

『アメリカのジレンマ 実験国家はどこへゆくのか』(渡辺靖著/NHK出版新書/2015年7月31日刊)

2015年10月14日 (水)

東京周縁部を往く・多摩川台公園古墳群

 東急東横線・多摩川線の多摩川駅のすぐ北にあるのが大田区立多摩川台公園である。

Dsc_00312

 多摩川浅間神社は公園の一部ではないが、同じ山の上にある。で、この浅間神社の境内には浅間神社古墳というのがあるのだ。

Dsc_00302

 実は、この公園は多摩川に面しているけれども、ここ大田区田園調布は武蔵野台地の南端部にあり、国分寺崖線に位置した多摩川の河岸段丘にあるために、多摩川との高低差は大きい。従って、ここから東の下丸子あたりとは違って、多摩川が氾濫してもその被害に遭うことはないだろう。

Dsc_00282

 で、その多摩川台公園にあるのが、浅間神社古墳、亀甲山古墳と宝來山古墳という三つの前方後円墳にはさまれた8基の円墳からなる多摩川台公園の古墳群なのである。

Dsc_00082

 しかし、亀甲山古墳や宝來山古墳はまだこんな説明文がついているから分かるんだが……

Dsc_00212

 その間に挟まれた第○号古墳なんてのは、そこに看板がついているから分かるようなもので、それがなかったら単なる樹木が生い茂った小山ぐらいにしか確認できず、そこが古墳だなんてことは分からない。

 多分、この公園で遊んでいる子どもたちも、そこが「お墓」だなんて考えていないで、山のひとつくらいのイメージで見ているんだろうな。

Dsc_00132

 これらの古墳群は、田園調布古墳群と呼ばれているものの一部で、これはさらに野毛古墳群と一緒になって荏原台古墳群を形成しているそうだ。

Dsc_00142

 これら古墳群も現在古墳と認識されているものは保護されているが、その多くは多分樹木が生い茂った小さな山があるという程度の認識で、平地にされたりして住宅地となってしまった古墳が相当数あるようだ。

 まあ、古代~中世という時代を経て、江戸へと発展してきた東京の歴史を考えると、それら古墳群が次々と壊されてきたというのもやむを得ないかとも考えられる。

 現存する、例えば行田市の古墳群なんかは、やっぱり昔からのままではなくて、現代に至って再整備されたものだしね。

 まあ、そうやって過去を消して、新たな時代を上書きしてきたのが人間の歴史というか、都市のダイナミクスだからな。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm F/2.8-4 D IF @Tamagawadai Park Ota (c)tsunoken

2015年10月13日 (火)

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』彼女は決して写真家ではなかった

 ポイントは、その大量の「セルフポートレイト」なのではないだろうか。なにしろセルフポートレイトだけで1冊写真集が出来てしまうほどなのだ。

 セルフポートレイトといえばリー・フリードランダーが有名だ。しかし、コンポラ写真の一部としてセルフポートレイトを選んだフリードランダーとはちょっとアプローチが異なるのがヴィヴィアン・マイヤーのセルフポートレイトのようだ。

 つまり、彼女のストリートフォトはコンポラ写真ではないもんなあ。

Photo 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』(ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル:監督・脚本・プロデューサー/RAVINE PICTURES. LLC)

「写真家」であれば、彼は写真を撮ることもさることながら、一方でそれを「作品」として公開し、他人に見せることが重要であると考え、いかにして他人に自分の写真を見せることができるかを考えて行動するだろう。それが写真家としての業(なりわい)となるかどうかとは関係なく、そうした行為そのものが彼をして写真家ならしめる証拠なのである。

 ところが15万カット以上の写真を撮りながらも、それを他人に見せるような行いをしてこなかったヴィヴィアン・マイヤーというひとは、やはり自覚的には写真家ではなかったということなのだろう。勿論、それは彼女が乳母という別の生業を持っていたからということではない。そんな「写真家」とは別の生業を持っている「写真家」や「自称写真家」なんて掃いて捨てるほどいる。はっきり言って、私もそんな「自称写真家」の一人ではあるのだ。

 問題はそうしたことではない。シカゴで最初の仕事を見つけた彼女は、暗室として使える専用の浴室を与えられ、そこで15万カットのネガを現像していた。ところが15年以上にわたる最初の家の仕事を終えて、以後は短い単位で、ある家族から別の家族へと転居を繰り返すことになると、その後は、未現像のネガが溜まる一方になり、それは最後にこの映画の製作者、ジョン・マルーフに発見されるまで未現像のままだった。

 さらに、彼女は彼女の身の回りの物、クーポン、チケット、メモ、チラシ、定期券、カード等、新聞など、ありとあらゆるものを捨てずに段ボール箱などに溜めこんでいたばかりでなく、それらの品々にいろいろと書きこんでいた数多くのメモ書き。

 それらのおかげで、映画の製作者は彼女の足跡をある程度は探ることが出来、彼女についての証言を得ることができたわけなのであるが、同時にそれは彼女が如何にして写真と向き合っていたのかと言う有力な資料にもなるのである。

 15万カットのネガと数多くの未現像フィルム、それらの多くに残された「セルフポートレイト」って、「セルフポートレイト」を別の言い方で、つまり「自撮り」と理解すると、なるほど彼女に写真との向き合い方が分かってくるではないか。

 つまり、彼女にとって「写真」とは他の人に自分の「作品」を「発表」するための媒体なのではなくて、自分の生活を記録しておくための媒体、つまり今でいう「セルフログ」としての媒体なのではなかったのではないだろうか。

 15万カット以上の写真があれば、その中には「いい写真」が必ずあるはずだし、そうした「いい写真」ばかりを見れば、「なぜ彼女はそれを発表しなかったのか」という疑問も湧いてくるだろう。しかし、その一方で彼女の写真が、それは他人に見せるためのものではなくて、自分自身の生の記録だと考えれば、それを他人に見せる必要はなくなってくるのではないか。

 15万カット以上の写真のすべてを見て知っているのは、多分世界中でジョン・マルーフしかいない筈である。で、そのジョン・マルーフが15万カット以上の写真の中から「これは人に見せるべきだ」として選んだものだけを発表している筈だから、それしか知らない他の人々は「何故、彼女はそれを発表しなかったのか」という疑問を抱くわけであるけれども、そんなことは初めから彼女の考えにはなかったわけで、単にセルフログとして撮影していたのであれば、別にそれを他人に見せる必要はさらさらなかったわけだ。

 今であれば、そうした「自撮り写真」や街撮り写真をSNSなどで発表する行為も盛んに行われている訳だが、それよりもうちょっと前に生まれたヴィヴィアン・マイヤーの中にはそんな考えはなくて、単に自分の記憶と記録の為に撮っていただけの写真を他人に向かって発表しようなんて気持ちはまったくなかったのではないだろうか。ただただ写真を撮るのが好きだった、だから私は写真を撮る。たったそれだけ。別に人に見せるためじゃないわ、という写真の撮り方があってもいいのである。

 そう考えると、大量のネガや未現像のフィルム、メモ書きされたクーポン、チラシ、チケット等々を、数多くの段ボール箱に入れて住まいが変わる度に持って歩いていたという謎も解けてくる。そうした収集癖の一つが写真で、自分の記憶と記録を収集していたということなのである。つまりヴィヴィアン・マイヤーにとっては、写真は「情報」でもなく、ましてや「表現」でもなく、ただただ自分の記憶と記録の「収集」にすぎなかったということ。

 しかし、それにしても乳母という、決して高給が取れる仕事でもないのに、ローライフレックスやライカなどを手に入れることができるアメリカという国の豊かさというものが、もう一方で感じられるというのが私の感想の一つなのだが、そういう観点からの批評が一つもないというのは何故なのだろうか?

 ローライフレックスだってライカだって、アメリカでも決して安いカメラではない筈であり、決して豊かな生活を送っていた訳ではないヴィヴィアン・マイヤーが、どうやってそれらのカメラを手に入れたのか、私なんかはそちらの方が気になって仕方がなかった。

 まあ、それはこの映画の主題でないのはよく分かってはいますがね……。

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』(ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル:監督・脚本・プロデューサー/RAVINE PICTURES. LLC)アメリカではDVDも出ているようだ。

こちらはヴィヴィアン・マイヤーの写真集。片方はヴィヴィアン・マイヤーのストリートフォトを集めたもの。もう一つは彼女の大量の「セルフポートレイト」を集めたもの。何か、その辺に彼女の「写真」の意味がありそうだ。

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』は渋谷シアター・イメージフォーラム他で順次公開中。

公式サイトはコチラ

2015年10月12日 (月)

で、「東京国際写真祭2015」はどうなのよ

 で、10月7日のブログで紹介したART FACTORY 城南島まで「東京国際写真祭2015(TOKYO INTERNATIONAL PHOTOGRAPHY FESTIVAL 2015)」を見に行った。

 って、なんでまた急にモノクロに戻ってしまったんだ、と思う人もいるでしょう。一応、私なりにその理由があるのだ。

 要は、写真を「情報」として知らせるのか「表現」として知らせるのかということ。

「情報」として知らせるためには「事実」を見せなければならないので、カラーで詳細に映像を見せる。しかし、「表現」というか、自分が自分を主張したいと思って見せるためには、「事実」から「色」という余計な情報を削りたくなるのだ。普段、私たちが見ている風景というのは基本的には「カラー」情報として脳が認識する。しかし、だんだんと照度が低くなる、つまり周囲が暗くなってくると、「色」は徐々に薄まり、最後に照度がゼロになりまったく何も見えなくなる寸前には、風景は「モノクロ画像」となって私たちは認識する。

 その時、映像は「事実」から「真実」へと至るのだ。モノゴトの「カタチ」だけが真実である。そんな「真実」へ迫りたいと考えるとき、私は「モノクロ」画像という色情報を削いだ写真が撮りたくなるのであります。

 この辺、実は明日のブログの内容にも関係してきます(って、へっへっへっ、引っかけでございます)。

 で、東京国際写真祭なんだが、実はもっと規模の大きい写真展なのかと思ったのだが、意外とひっそりと地味にやっている展覧会だった。

Dsc_00232

 ART FACTORY 城南島の4階を3つのゾーンに分けて、右側にあるEXHIBION 1は「What makes us "us" ―私たちの世界の領域―」というテーマ展。ART FACTORY 城南島全体が東京国際写真展なのかと思ったら、そうでもなかったという話。

 出展作家は「都市と自然」ではアレハンドロ・チャスキエルベルク、田附勝、ホンマタカシ、ルーカス・フォグリア。「民族」が石川直樹、ナムサ・レウバ、ローラ・エルタンウィ。「境界」が下道基行、ノエミー・ゴーダル、リウ・ボーリン。「コミュニティとカルチャー」が細倉真弓、マイク・ブロディ、山谷佑介の各氏。

Dsc_00022

 石川氏の作品は石川氏の世界でもある「島の祭り風景」で、なんだかよくわからないお面をつけた人が沢山写っている、日本の南の方の島のお祭りの写真。

Dsc_00072

 面白いのがリウ・ボーリン氏の作品で、撮影風景に自分を溶け込ませるために自身にペンキを塗って背景の一部に自分自身がなってしまうという、『攻殻機動隊』の「熱光学迷彩」みたいな考え方の作品。

 下の写真、リウ・ボーリン氏が写っているんだけれども、よく分からないでしょ。写真を拡大してみると、何となく分かります。

 写真展に行けば、もっとはっきりわかります。

Dsc_00062

 左側がEXHIBITION 2で、そちらは「TOKYO INTERNATIONAL PHOTOGRAPHY COMPETITION WINNERS EXHIBITION (東京国際写真祭受賞者展)」で、コンペティション・テーマは「HUMAN CONDITION (人間らしさ)」。

 大賞受賞者はChiristian Viumの"The Wake"で、その他7名の写真が展示されている。この写真展はニューヨーク(2015年10月1日~11月21日)、グアテマラ(2015年11月)、シドニー(2016年春)と巡回展示されるそうだ。

Dsc_00122

 で、その真ん中にはイベント・スペースがあり、私が行った時には「新たな才能を求めて」というジム・キャスパー氏(Lens Culture誌編集長)と菅沼比呂志氏(ガーディアン・ガーデン/プランニングディレクター)のトークが行われていた。

 10月18日までこうしたいろいろなトークがあるようなので、公式サイトでスケジュールを調べて行ってみてはどうだろうか。

Dsc_00142

 で、いろいろ見て飽きて来たら屋上に上がる。

Dsc_00162

 相変わらず、およそ3分に一回くらいで、羽田C滑走路を飛び立つ飛行機が見られる。結構、飽きないですよ、これ。

Dsc_00222

 って、こっちがメインかよ。

東京国際写真祭2015は10月18日までART FACTORY 城南島で開催中。入場無料。

公式サイトはコチラ

2015年10月11日 (日)

『恋恋電影』って意味は分かるが、読みは分からない本

 名古屋の人には高野史枝という名前は、東海ラジオ日曜朝8時45分~9時の番組「チャイナ・なう」のパーソナリティをやっている人、といえば分かるのかな。えっ? 知らない? うーん、まあ確かに本書も月刊誌「シナリオ教室」って雑誌の連載をまとめたものだが、月刊「シナリオ」なら私も知っているけれども月刊「シナリオ教室」なんて知らないもんなあ。

 えっ? 「シナリオ教室」って本屋さんでは売ってないの? それじゃあ知らなくてもしょうがないや。で、なんでそんなマイナー(地域じゃメジャーなのかな?)な高野さんを知っているのかと言えば、彼女が勤務していた会社の関係なのだった。

 で、その高野さんが現在『厨房男子』というドキュメンタリー映画を製作中で、その案内から本書のことを知ったという訳。

Photoシネマエッセイ 恋恋電影』(高野史枝著/自由空間/2015年9月20日刊)

 本書は50作品の映画について書き綴ったエッセイとのことなんだが、なんとそのうち私も見ているのはたったの5作品というテイタラク。うーむ、「本と映画と写真の徒然」なんてカッコつけている私のブログなんだけれども、最近あまり映画を観なくなってしまっているのは事実だ。年間最低でも50本くらいは見ないとなあ、といいながらあまり「これは見たい」っていう映画が少なくなって来てしまったのは、最近の映画が面白くないから? あるいは、私の感性が衰えてきたから? それとも情報収集能力が衰えてきたのなかなぁ?

 で、その5作品とは『ハートロッカー』『キャタピラー』『ザ・コーブ』『そして父になる』『アクト・オブ・キリング』。それぞれの作品についての私の感想はそれぞれのタイトルをクリックしてもらえば、昔のブログを読めます。

 それを踏まえて高野氏の映画評(ああ、シネマエッセイですね)を読むと、これがまあ何というか「男目線」と「女目線」というのでしょうか。見事なくらい私の映画評と異なってきているのが面白い。っていうか、そんなことは当たり前で、映画を観た人が100人いればそれぞれ100通りの見方があるのが当然ではあるのだけれども、ここまで見事だとなんか感心するなあ。

 とは言うものの

『「よく見りゃ反戦映画だが、表面だけ見てると『タフな戦争映画』にしか見えない」という構造は「ハートロッカー」と同じ。さまざまな決定権の多くは男性が持つアメリカ社会で、その力の作用を読み切ってしたたかに映画作りをし、アカデミー監督賞をもぎ取った、タフな彼女を讃えたい』(ハートロッカー)

 とか

『彼は今まで拷問したり殺したりした連中を「人間」だとは思っていなかった。しかし「アクト」(演技)することで、自分が虐殺した人間も、自分と同じ人格を持った人間だったと気づき、自分のした「アクト」(行為)がいかに恐ろしいことだったかを、とうとう悟ったということだ。「よかったね」とはとても言えないけれど、(デブの虐友ヘルマンは全然平気だし!)ちょっと気持ちが明るくなった』(アクト・オブ・キリング)

 とかいう部分は同感なのだ。がしかし……

『鯨カツ、鯨ステーキ、鯨竜田揚げ、鯨ベーコン、鯨大和煮の缶詰…どれも大好物。大人になってからは尾の身の刺身や鯨と水菜のハリハリ鍋、さらし鯨の酢味噌などを酒のアテにし、関西へ行った折は関東煮(かんとだき)の店でサエズリ(鯨の舌)、コロ(鯨の皮脂肪を鯨油で揚げたもの)に舌鼓』(ザ・コーヴ)

 というほどには、あの「代用肉」である鯨はあの匂いにちょっと閉口して、あまり好きではない私にとっては「えっ? そんなに美味しいの?」という感じだったし、映画の製作者たちの製作意図がどの辺にあるのかはっきりしない製作姿勢に対する疑問もあったのだが、その一方で、撮影されている太地の漁民たちの姿勢にも疑問を持ったのも事実である。「これは太地の文化だ」「昔からの伝統だ」というのであるならば、それはそれで主張しつづければいいだけの話である。それを何故、映画製作者を撮影しにきたジャーナリストにまで厳しく当たらなければならないのだろうか、という疑問である。

 それと「戦争」については、高野氏は「すべて反対」なんですね。この辺はやはり「女目線」の最たるところで、「自分の愛する夫や息子が戦争で死んじゃいや」という気持ちはわからないではない。

 がしかし、「戦争にはいい戦争と悪い戦争がある」という事実(勿論、それは当事者の立場によって「いい」と「悪い」は100%代わってしまう非対称なのであるけれども)もあるということを考えるのが「男目線」であるとするなら、やはり私は「男目線」で戦争を考えているようなところがある。

 まあ、その辺はやむを得ないところではあるものではあるが、概ねは面白い見方をするもんだなあ。というところかな。

 講談社出版販売名古屋支店に在職していたころは「変なネエチャンだなあ」という感じの高野さんではあるのだったが、今となっては「結構、オモロイ・オバチャン」になったもんだ。

 で、どうでも良いのだがこの本のタイトル『恋恋電影』は「コイコイデンエイ」なんですか? 「レンレンデンエイ」なんですかねえ?

 どっちか教えて。

Photo_3

『厨房男子』は12月19日から名演小劇場にて公開予定。

Photo_2 シネマエッセイ 恋恋電影』(高野史枝著/自由空間/2015年9月20日刊)殆ど高野氏の自費出版のような本なのでAmazonでは手に入らないみたいだし、東京の書店で手に入れるのも難しいと思われる。欲しい人は発売元の晨星書房まで直接申し込むこと。

晨星書房
〒464-0034 名古屋市緑区若田 2-811
Tel & Fax 052-622-7884  Email  fumietta@s6.dion.ne.jp

2015年10月10日 (土)

三島由紀夫割腹の現場を見る

 その日、1970年11月25日の朝(と言っても昼近く)、当時予備校の午後部に通っていた私はのんびりとした朝を過ごしていた。

 と、そこに臨時ニュースの声。

『三島由紀夫と称する男が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで演説をしている』

 と言うではないか。

『三島由紀夫と称する男は、陸上自衛隊東部方面総監部二階の総監室に、増田兼利東部方面総監を人質として立てこもり、自衛隊員に決起を呼びかけている』

 という続報が入ってきた。

Dsc_00192 現在の市ヶ谷記念館(昔の東部方面総監部の一部を移築したもの)

 その後、市ヶ谷方面が気にはなったが、御茶ノ水の予備校に登校したのだった。

Dsc_00502 東部総監室

 で、予備校が終わって御茶ノ水駅前で配られていた朝日新聞の号外を見て、私は戦慄を覚えた。

Dsc_00422 この写真の奥の方に三島と森田の首が置かれていた

 なんと、その号外の一面に東部総監室の床に置かれた三島由紀夫と森田必勝の首の写真が掲載されていたのである。

Dsc_00432 三島由紀夫の「関の孫六」によって傷つけられたドア

「うむむ、今の時代にこんなことをする人間がいるんだ」という思いであった。

Dsc_00472_2 このバルコニーで三島は演説をした

 勿論、その後の通常の朝日新聞にはそんな写真は掲載されることはなかったので、それは号外を見た者だけの特権ではあった。

 その陸上自衛隊東部方面総監部も防衛省が檜町から市ヶ谷に移ることになって、場所を移され、東京裁判が行われた講堂や旧陸軍大臣室(陸上自衛隊東部総監室)や便殿の間(天皇陛下の休憩室)などがある中心部分だけが以前のまま再建されたのだった。

 しかし、東京裁判は分からないではないが、何故、三島事件の現場が残されたのか。まあ、ちょうど玄関の上だからたまたま残されたという理由もあるだろうが、しかし、もしかしてそれが三島由紀夫じゃなくて赤軍派かなんかの左翼過激派だったら、多分そんな自衛隊にとって禍々しいものは残さなかっただろう。

 まあ、元々自衛隊とは親しかった三島氏だし、自衛隊員の中には三島氏の考え方に共鳴する部分もあったんだろうな。勿論、三島氏に同感の想いでも、そんなに簡単には三島氏と同じような行動はとれないような教育を、今の防衛大学校生及び自衛隊員は受けている。

 その辺が分からないところが三島氏の小児病的なところでもあるんだけれども、だからこそ、三島事件は三島由紀夫の芸術的結節点だなんて言われてしまうんだなあ。

 本人は決して芸術的結節点としてそんな行動は起こしていない、これは純粋に政治的活動として行ったんだ、というつもりだったんだろうけれどもね。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4 D IF @Ministry of Defence (c)tsunoken

2015年10月 9日 (金)

CEATECがますますジミになってきちゃった

 ということで、一日遅れのCEATEC 2015であります。

 とは言うものの、ソニーは既にCEATECから手を引いているし、東芝も例の事件で出展していない。

Dsc_00082_3

 なので、パナソニックがテクニクスと合わせて2ブースを出展しているのが目立つだけで、あまり活発な印象のないCEATECになってしまった。

Dsc_00092

 まあ、各社の出展内容を見ても、4Kだとか8Kだとか、ウェアラブルだとか、何か新鮮味がない出展内容なのだ。

 オムロンなんて今年も卓球ロボットですか。

Dsc_00472

 じゃあ車関係は? として見れば、TEコネクティビティという会社がフォーミュラEに技術協力しているので、その展示がある程度。

Dsc_00292

 メーカーとしてはホンダとマツダが出展しているだけで、今年はその車を走らせるような展示は無い。

Dsc_00522

 おお、テスラモータース初出展かとおもいきや……

Dsc_00592

 それはアメリカ大使館商務部のUSA Showcaseへの協力出展という程度。

Dsc_00572

 う~ん、CEATECはその前のエレショーの時から来ているが、なんかここ数年のCEATECの元気の無さは何なんだろうか。

Dsc_00402

 入場者も年を経るごとに減ってきているみたいだし、そろそろCEATECも見直しを検討しなければならなくなってきているのではないだろうか。

 CEATEC 2015は幕張メッセで10月10日まで開催中。公式サイトはコチラ

NIKON Df + AF NOKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Makuhari Messe (c)tsunoken

2015年10月 8日 (木)

CEATEC JAPAN 2015 が昨日から開幕だけど……

 ってことで、昨日からCEATEC JAPAN 2015 が 開幕しているんだが、わけあって昨日は幕有メッセまで行ってない。

 ので、CEATEC JAPAN の話は後日ということで、今日はウチの嫁さんの実家のお寺(実はそこのお墓も私が管理しているんですね)新潟から送ってきた今年の新米の写真でチャラ。

Photo

 えっ? こういうときに「チャラ」は使わないんだっけ?

2015年10月 7日 (水)

「ART FACTORY 城南島」は、東横インって、へっ?

 大井埠頭や城南島と言えば、都内の自転車乗りの聖地というか、練習場所として有名なのだが、週末以外に訪れるともうとにかくトラックの多さに閉口してしまうぐらいの流通拠点なんですね。

Dsc_00022

 そんな城南島に「ART FACTORY 城南島」というギャラリーと制作スタジオを兼ねた施設が作られたというので、見に行った。

Dsc_00052

 要は城南島にあった約3,000坪の倉庫をリノベーションして作った都内最大級のアート施設という訳。

Dsc_00112

 まあニューヨークのSOHOなんかも使われなくなった倉庫をギャラリーなんかのアートスペースにリノベーションして作ったものなので、そんなものなのだろう。

Dsc_00092

 で、実はこのART FACTORY 城南島の運営は「株式会社東横イン元麻布ギャラリー」という会社で、本店の他に、甲府、佐久平、平塚などの東横インの中でギャラリーを展開しているというのだ。

Dsc_00122

 こんな制作スペースを有料でアーチストに提供している。

Dsc_00142

 場所は城南島なので、約5分おきくらいに羽田空港C滑走路から飛び立つ飛行機がギャラリーの上を飛んでいきます。

Dsc_00202

 で、そのART FACTORY 城南島で10月9日から18日まで開催されるのが、「TOKYO INTERNATIONAL PHOTOGRAPHY FESTIVAL 2015 (東京国際写真祭2015)」という催し。展示会もやるしワークショップなんかもありの大きな写真展になりそうだ。

2015

「東京国際写真祭2015」の公式サイトはコチラ

 私も期間中のなるべく早い時期に行って来て、報告をいたします。

Dsc_00182

 で、ART FACTORY 城南島を出て見ると、何とお隣が東横インの作業所だったって訳。

 なんだ、それがオチかいな。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Jonanjima Ota (c)tsunoken

2015年10月 6日 (火)

駒込、カメラのハヤシ

 JR・東京メトロ駒込駅北口を出て本郷通りを旧古河庭園へ向かって坂を少し下りると、左側にあるのが「カメラの林商事」(カメラのハヤシ)。

Dsc_00022

「へぇ、こんなところにカメラ屋さんが、というか中古カメラ屋さんがあるんだ」とちょっと驚きの目で見てみる。

Dsc_00042

 ウィンドウを見るとライカなんかの高級カメラはあまりないが、ニコンやキャノン、オリンパスなんかの中級一眼レフなんかが沢山並んでいる。勿論、最近はデジカメなんかも置くようになったようだ。

 というか、それ以上に目立っているのが「西ヶ原一丁目」という都電の電停の案内看板。「うむむ、ここは『趣味の店』か」なんて反対側のウィンドウを見ると……

Dsc_00052

 なんと上から二段目までは8ミリカメラが並んでいるではないか。ベル&ハウエルなんてのもあるぞ。と、思わず手を出しそうになって、「ああ、そうかもう8ミリフルムなんて製造してないもんな」なんて理性を働かして、手を引っこめたりする。

Dsc_00062

 店内に入って見ると、カメラの数もさることながら、中古のレンズがいっぱいだし、それの付属品、フィルターやフードなんかがもう目いっぱい並んでいる。

 私もここでカメラは買ったことはないが、フードなんかの小物をよく探しに訪れたりする。

 昭和34年の創業というから、もう50年以上もここ駒込で開業しているようだ。

 日本写真機商振興協会という新宿クラシックカメラ博をやっている団体の会員でもある。

Dsc_00092

 駒込も豊島区の方に入るとなんか完全に「下町」って感じですね。

「カメラのハヤシ」の所在地は豊島区駒込3-3-15。地図はコチラ

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Komagome Toshima (c)tsunoken

2015年10月 5日 (月)

浅草の次は京都『ライカと歩く京都』ネタバレなし……かな?

 昨日は朝から防災訓練やら、親睦会の設立総会やら、管理組合の臨時総会などなど、マンション関連の行事で忙しく、なんかブログの更新は無理? とも思われたのだが、いやいや何とか夕方になって時間がとれたので、こうしてブログの更新をしている訳です。

 で、昨日は私のライカと浅草のブログだったのだが、今日は小山薫堂氏とライカと京都のお話し。浅草とライカは似合うと思っていたのだが、そうか京都も言われてみるとライカに似合う街なのかも知れない。というか、ライカはどんな街でも、それこそ戦場でも、どこでも似合ってしまうカメラなのであった。そう、これはデジカメでは出来ない相談。だって、フルサイズのデジイチなら戦場では似合うけど、フォーサーズやファインダーレスのデジイチは戦場には似合わないもんなあ。逆に、フォーザーズやファインダーレスのデジイチが似合う都会の街にはフルサイズのデジイチはちょっとスペック・オーバーだ。そういえば、戦場でデジカメの充電はどうするんだろう。まあ、銃後にもどればいいのか。

 しかし、知らなかったなあ、「くまモン」の小山薫堂氏が京都の下賀茂茶寮の経営に携わっていたなんて。

Photo 『ライカと歩く京都』(小山薫堂、アレックス・ムートン著/PHP研究所/2015年9月22日)

『「ライカと京都は似ている」
 僕、小山薫堂とアレックス・ムートンはそう考えています』

『ライカも京都も一見、不自由に思われるような「頑なさ」がありますが、一方で時代に迎合しない、長く愛され続けている魅力があるのです』

『「伝統は革新の連続である」という言葉があります。京都がなぜ千年も都であり続け、今もなお輝いているのかといえば、常にいろいろな人や文化が入り、よどむことなく流れてきていたから、ただ伝統を守っているだけではとうに寂れていたと思います』

 じゃあライカはどうなのか?

『ライカは35ミリフィルムのカメラを創り出した企業ですが、その大発明の後、大きな変革は行わずに地道な改良を続けています。
 カメラがアナログからデジタルに変わった時でさえ、下部のフタを開けて、元はフィルムを納めた場所にSDカードを入れたり、同じ場所にシャッタースピードを変えるダイヤルを付けたり、カメラの形そのものは変えませんでした。それは、それまでのデザインと機能に確固たる自信と揺るぎない哲学を持っているからでしょう』

 と小山氏は書くのだが、いやいや実はライカだって迷っていた時期があるのだ。つまり、ミノルタと組んで一眼レフを作っていた時代なんて、実にライカ低迷で、迷いに迷っていた時代なのではなかっただろうか。それがある時、「ライカは写真機なのではない、ライカはブランドなのだ」と気づいて、それからは平気でデジタル化の道を歩み始めたのである(勿論、アナログ・カメラも作っていますけどね)。それも、(今となっては)クラシックなM型ライカのスタイルをまったく変えないで、カメラの中身だけを変えていくという、完璧な「ブランド路線」を突っ走ることになって、ライカは生まれ変わったのである。

 つまり「ライカと京都は似ている」というのは、そんな「ブランド路線」を取っているという点が、ライカと京都の共通点なのではないか。それは逆に常に変わりつつある「東京」という街との比較、常に変わりつつある「日本のカメラ」との比較において際立って見えてくるものなのだ。

 もっとも、そんな日本のカメラも、例えばニコンFなんかはクラシックであると同時に、ブランド化はしてきている。ただし、ニコンはニコンFを再製造はしないだろうけれども……(しちゃったりして、SPみたいに)。

 本書は小山薫堂氏とアレックス・ムートン氏による京都写真が収められている。

『ライカと京都を愛する僕とアレックス。生まれた国も作風も違いますが、1964年生まれの同い年。アレックスはモノクロで、僕はカラーで、京都のまちを歩きながら無心にシャッターを切りました』

 という第2章『小山薫堂とアレックス・ムートンが撮った普段着の京都』に引き続き、第3章ではそんな写真に収められた場所を、今度は文字で『「京都館」館長・小山薫堂がすすめるまち歩きコース』として紹介。

 で、第4章『ライカと京都への憧れを語る小山薫堂×アレックス・ムートン』に続く。

小山薫堂(以下、小山) 僕らの出会いはおよそ十年前だったかな。確かニューヨークのアンティークカメラショップだよね。
アレックス・ムートン(以下、アレックス) そうそう夕方だった。僕はライカの『M3』を首からぶら下げていて、クンドーは『M7』だった。僕がショーケースの中のレンズを見ていて、横を見たら君も同じレンズを見てて、目が合ったんだ。
小山 お互い意気投合してバーに行って盛り上がったね。
アレックス ライカは人と人を結びつけるからね』

小山 「伝統は革新の連続である」という言葉があるけど、まさに京都というまちのシステムがその言葉そのもの。そしてライカも35ミリのフィルムを創った時が最初の大革新だったわけで、その後も革新を繰り返すことによって伝統をつくり上げてきたブランドだと思う。
アレックス 京都とライカはすごく似ている。相性抜群なわけだ。
小山 ライカで京都をどんな気持ちで撮ったの?
アレックス まずはクールにモノクロで撮ろうと思った。そして自分はバトンのような役割だという意識をして撮った。時間と時間の接着剤になるようなつもりと言ったらいいのかな。昨日の風景と明日の風景の間の今日という時間を切り取り、つないでいるという感覚で撮っていた。
小山 さすがフランス人だね、哲学的で詩的なスタンスだなあ。
アレックス そいうクンドーはどんな気持ちで撮ったんだい?
小山 普通、写真を撮るときは、まちや人を撮って、今の人たちに見せるつもりで撮る。でも京都をライカで撮っていると、もっと遠くの時代に、撮った写真を残したいという意識が芽生えた』

 といった会話が続くのであるが……、最後に小山薫堂氏のとんでもない発言が飛び出してきてクリビツテンギョウなのであります。まあ、以前から小山氏のことをよく知っている人なら、不思議なことではないんですがね。

 ところで、小山氏とアレックスの出会った時のライカはM3とM7だったそうだが、現在は二人とも『M9-P』をメインに使っているそうだ。

 って、それが種明かしかいっ!

『ライカと歩く京都』(小山薫堂、アレックス・ムートン著/PHP研究所/2015年9月22日) PHPなので(?)まだ電子化はされていない。

2015年10月 4日 (日)

浅草ライカ

 いつもデジカメばかりだと露出に関する感覚が鈍ってくるので、たまにアナログカメラを持って撮影行をする。

 アナログだって、距離計連動式から二眼レフ、一眼レフってあるんだけれども、こうした時は大体距離計連動のライカだ。

Img0142

 で、こういう時に行くのはだいたい浅草。今回も上野からブラブラ歩いて浅草までの撮影。

 台東区役所の並びにある同潤会上野下アパートが建て替えになり、ザ・パークハウス上野となったマンションが完成間近になっているのを撮影しながら、浅草通りやその裏通りをブラブラ。

Img0152

 浅草通りの古いビルや……

Img0212

Img0202

 かっぱ橋商店街なんかを冷やかしつつ……

Img0312

 浅草まで来たんだが、あまり場所が特定できなかったでしょ。

Img0322

 まあ、あまり「ここぞ浅草」ってところを撮っても面白くないもんね。

 勿論、そうした「仲見世」や「浅草寺」も撮影はしているのだが、まあ、あまりそれは発表するのは別のテーマで出します。

Img0252

 てなこと言いながら、ありゃこれは場所が特定できちゃうな。と言っても知ってる人だけが知っている場所だから、まあ、いいか。

 カメラはライカM3(製造No.739857)、レンズはエルマリート28mm f2.8、 M6はちょっとした訳ありで手放してしまったので、M3に外付けファインダー使用。フィルムはコダック400Tマックス 。

 たまにはこんなアナログな写真もいいでしょ。

2015年10月 3日 (土)

『フォーカス』って、結構○ー○路線なんだ

『フォーカス』というタイトルに『東京シャッターガール』のBL版かなと思って買ったんだが……。

Photo_2 『フォーカス』(西のり子著/KADOKAWAフルールコミックス/2015年2月17日刊)

 いやあ、結構ハードなホモ漫画だったんですね。

 主人公の朝比奈さんは、猫が多いことで有名な瀬戸内の青島で写真館を運営している。というか、フォト・ジャーナリストの父親が海外に取材にでたまま7年間も帰ってこないので、そのまま写真館を継いでる形になっている。

Photo_3

 たまたま、その島で個展を行うことになった東京の写真家、平間さん(平間至? じゃないよね)が空き時間に島を撮影している時に朝比奈さんと知り合いになったんだが……

Photo_4

 いきなり「ぐり」でしょ……

 で即、「後背位」で生出しなんてすごいシーンが1巻目の真ん中位で出てきてしまう。

Photo_5

「フルールコミックス」ってのはBL漫画だってことは知っていたが、BLってのはもっとソフト路線なのかと思っていた。しかし、結構ハードな路線の漫画もあるんですね。

Photo

 で、そっちの方にはあまり興味がないので、私としては二人のカメラ比較になってしまうのだ。

 平間さんの持っている一眼レフがなんだかよく分からない。まあ、プロなんだからニコンのFシリーズなのかも知れないが、どうもペンタプリズムの形がニコンじゃないんだよなあ。どちらかと言うとニコンDシリーズみたいなペンタプリズムの頭頂部だけど、フィルムを現像するシーンがあるのでDシリーズではない。

 と言っても、キャノンでもペンタックスの頭頂部とも違うなあ。どう見ても、富士フィルムのデジイチ、XT-1みたいなんだなあ。

Photo_6

 で、朝比奈さんのは完全にライカM3。多分お父さんのお下がりだろう。

Photo_7

 しかし、西のり子さんって、あまりカメラには興味がないのだろうか。ちょっとカメラの描き方に難あり。

『フォーカス』(西のり子著/KADOKAWAフルールコミックス/2015年2月17日刊)

2015年10月 2日 (金)

アキラ・スタジオの頃

 三鷹の駅前はすっかり変わってしまったけれど。

Dsc_00402

 駅前から出ている中央通りを連雀通り方面へ南下すると。

Dsc_00422

 なんだか懐かしい風景が蘇ってくる。

Dsc_00442

 それがここ、コープみらい下連雀店、昔の呼び名は都民生協下連雀店だった。

 住所は三鷹市下連雀7-16-22。

Dsc_00462

 で、この都民生協下連雀店の二階に「アキラ・スタジオ」があったのであります。

 スタジオ・ジブリもあった、大友監督の住んでいる吉祥寺あたりで場所を探していたんだが、なかなかちょうどよい物件がなく、三鷹まで来たらあったんですねえ。以前は、別のお店が入っていたそうだが、そこが抜けてしまい、そのまま二階をまるまる借り切ってしまったのだった。

Dsc_00482

 入った当初はまだスタッフも少なく、空いたスペースで卓球なんかをやっていたんだが、すぐにスペースは埋まってしまい、最盛期には結構手狭になった思い出がある。

『アキラ』完成後は東京ムービー(当時、現在はトムスエンタテインメント)の関連会社のテレコム・アニメーションフィルムが作画スタジオとして使用していたんだが、現在は再び空き家になってしまって「テナント募集中」の張り紙が。

Dsc_00472

「桜桃忌」で有名な禅林寺はアキラ・スタジオの真ん前だし……

Dsc_00512

 一晩中煌々と明かりがともっていた当時のアキラ・スタジオ。「うるさいでしょ」と言ったら、「いやいやおかげでこの辺りが夜でも明るくなって歩きやすいです」なんてお世辞をいっていた床屋も健在だ。

Dsc_00552

 三鷹駅の方へ裏通りを歩いていると、おーまだあった「餃子のハルピン」。その頃、流行っていた中国帰国子女がはじめたお店です。まだあったんだなあ。

Dsc_00582

NIKON Df + AF NIKKOR 14-85mm f/2.4-4 D IF @Mitaka (c)tsunoken

2015年10月 1日 (木)

千葉城? ……亥鼻城? ったって何よ?

 千葉県千葉市中央区の亥鼻というところに行くと、千葉城とか亥鼻城とか呼ばれている場所がある。

 行くと、こんなに立派な天守閣をもったお城が構えられているのだ。

Dsc_00162

 城域には千葉大学の亥鼻キャンパス(医学部、薬学部、看護学部、付属病院)なんかもあって、かなり広い城域だったことがわかる。

Dsc_00302

 城内に入るとまず最初にあるのが、この千葉常胤の木像。まあ、要は源頼朝の時代にこの地は千葉氏の支配する地であり、ここ千葉城(亥鼻城)が千葉氏の居城であったことがわかる。

Dsc_00512

 と、思ったら。この「千葉城」は本当は「千葉市立郷土博物館」というのが正式名称なのだった。

Dsc_00182

 まあ、勿論館内にはこんな武具や……

Dsc_00472

 源頼朝の絵なんかも展示されているのだが……

Dsc_00442

 ありゃりゃ? 「免震構造」って何よ?

Dsc_00392

 つまりですな、この「お城」は免震構造で建てられているっていうこと……はっ? へっ? !”*#%&’~。

Dsc_00402

 まあ、そういうこと。

『現在、亥鼻台地(亥鼻山)の中腹には千葉市郷土博物館が建っている。この建物は近世風の模擬城郭となっている。しかし、高層の楼閣である天守閣が築かれるようになったのはより後の時代であって、千葉氏が亥鼻に築いた舘は中世風の舘形式の城郭であったと考えられ、現在の千葉市郷土博物館が昔日の姿を反映していると考えることは誤りである』

 なんてWikipediaに書かれちゃって……、それでも……いいのかなあ。

 やっぱり「作るなら、昔のままで再建するのがいいでしょう」という考え方に「いやいや、お城には天守閣でしょ。その方が見栄えはいいっし」っていう考え方が勝っちゃったのかなあ。

 なんか、2020年東京オリンピック&パラリンピックの国立競技場のデザインに関する考え方みたい。

「東京オリンピックの象徴なんだから、1964年の東京オリンピックの時の国立競技場を免振構造で再現すればいいじゃん」という考え方と「いやいや、やはり2020年を象徴する斬新なデザインで」が出て、結局「斬新なデザイン」になったんだけれども、それがねえ。

 で、気が付いたら国立競技場は更地になっちゃったって言うね。

 もう、いっそのこと神宮外苑は更地のままにして、公園か何かを作って、メイン会場は味の素スタジアムあたりに持って行っちゃえば? 京王電鉄もハッピーになてっていいじゃん。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Chiba (c)tsunoken

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?