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2015年9月27日 (日)

『ありのままの私』

 なんだか読んでいながら、前にも読んだことがあるような気がして読んでいたのだが、90ページに至って「東大話法」の話が出てきた。

 そうなのだった。以前2012年10月16日に『いまや東大卒官僚だけではない『もう「東大話法」にはだまされない』というブログを書いた時の安冨歩(このときは「やすとみあゆむ」現在は「やすとみあゆみ」さんなんだが)氏と同人物だったのだ。なので、どこか以前に読んだことがあるような気がしていたんだ。

Photo 『ありのままの私』(安冨歩著/ぴあ/2015年8月15日刊)

 つまり、『原発問題における「東大話法」』も「女性装」をはじめとするトランスジェンダーに対する「差別ならぬ区別=無縁化」も基本には『日本における「立場主義」』というものがあるというのだ。

『日本社会は「立場」でできていて、人間はその詰め物に過ぎない。立場には役が付随しており、ある立場に立った人間は、その役を果たさなければならない。役を果たせば立場を守ることができるが、果たせなければ「役立たず」となって、立場を失う。立場を失った者は「無縁者」となって人々から庇護されなくなるが、同時に自由を獲得する。
 日本人の大半は「立場主義者」であって、日本国は実のところ「日本立場主義人民共和国」なのです。この共和国の憲法は以下の三条です。

1 役を果たすためには、何でもしないといけない。
2 立場を守るためなら、何をしてもいい。
3 人の立場を脅かしてはならない。

 この三条憲法を守っていれば、日本では安全に暮らせます。私みたいに、まったく守っていないと、いろいろと面倒な思いを致します。
 この立場主義の蔓延によって、日本社会は人間不在となり、誰が何を決めているのかさっぱりわからないし、一体、誰が得しているのか、全然わからないのだけれど、なんだか「やらねばならないこと」が布津玄氏て、全員がその意味も考えずに必死でそれをこなしている、という状態になっています。80年代までは、それでうまくいくように経済ができていたのですが、現在ではその条件が失われていることが、今日の日本の問題の根幹だ、というのが私の「立場主義」という考えです。
 私は、日本人がこの立場主義から抜け出すことが必要であり、そのために一人ひとりが自分自身に立ち戻り、鈍ってしまった感覚を再生すべきだ、と主張しています。私が女性装をすることにしたのも、そのためなのです』

 つまり性器の形状によって判断される「男性」とか「女性」という「立場」にあるのなら、その「立場」を守って「男らしく」あるいは「女らしく」していれば、社会からは何の指弾も浴びないが、そこから外れてしまうと、社会からは「無縁者」として扱われることになる。ただし、一方でそんな「無縁者」だからこそ、「社会からは相手にされないので、何を言っても許される」ということになって、テレビなどのマスコミにはしばしば重用されるわけではある。それは結局は「訳のわからん奴らに好き勝手言わせておけば、社会の安全弁になる」っていうだけの、マスコミの保守性の表れでしかないんだけれどもね。

 安冨氏自身はどういう立場なんだと言えば……

『私自身は、身体的には主として性器の形状によって「男性」と判断されていますが、自己認識はどうも「女性」であり、好きになるのは「女性」です。無理に分類すれば、「トランスジェンダーでレズビアンの男性」ということになります。「フルタイムで女性装しているストレートの男性」でも良さそうなものですが、私にはしっくりきません』

 というのだけれども、私としてはむしろその後半の方がなんかしっくりくるなあ。まあ、私自身がストレートの男性だからかもしれないが。

『女物の服を着ている人で、生得の性別が男性、というケースには。大きく分けて以下の可能性があります。
 (1)自分のことを男性だと思っていて、何らかの理由で女装している人。
 (2)自分のことを女性だと思っているので、女物の服を着ている人。
 (3)自分の身体を女性に改変し(あるいはしようと思っていて)、女物の服を着ているひと。
 英語でこれらを、
 (1)トランスヴェスタイト(transvestite)
 (2)トランスジェンダー(transgender)
 (3)トランスセクシュアル(transsexual)』

 なるほどなあ、いろいろな種類があるんですね。

 で、安冨氏の攻撃は「性同一性障害」という言葉にも及ぶ。

『子供が生まれたら男集団・女集団に振り分けて、それぞれの集団にふさわしい振る舞いをするように圧力を掛けます。これによって「帰属」という「アイデンティティ」が生まれるのです。こうして子供は、何かに「帰属」して、その規範なり文化なりを、自分の中に取り込む、という変な能力を身につけます』

『性別の割り当ては、こういった帰属による「秩序化」の基礎なのです。このような人間を型に嵌めることを「秩序」だと思い込んでいる「大人」にとって、性別の区分けは根源的な意味を帯びています。
 それゆえ、ここを乱されると、こういう「大人」はびびります。というのも、すべての秩序の基礎が揺るがされたように感じるからです。
 私のような者に対して、嫌悪感を示す人々は、以上のような事情を感じているのではないでしょうか。男が男を好きになったり、女が女を好きになったり、男のくせに女の格好をしていたり女のくせに男の格好をされると、世の中が「無秩序」になる気がするのです。
 欧米ではですから、こういうことを法律で禁じて、同性愛罪とか女装罪とかを作り出して、暴力的に抑圧していました。しかしそういうことは、明らかに自由の精神に反しています。二十世紀の後半になって、さまざまの差別への反対運動が繰り広がられるなかで、このような歪んだ法律は、廃止されていきました。
 しかし、男女の区分けを「秩序」の根源だと考えてしがみつく人びとにとって、この状況は受け入れがたいのです。こういう人々の存在を認めつつ、しかも男女の区分けを維持する方法はないものか。
 こういう男女区別主義者にとって、「性同一性障害」という概念は実に便利です。というのも、男女の帰属を乱す者は「かわいそう」な「障害」を持っている「異常者」だ、と思えばいいからです。なので、そういう「障害」のある人は、手術を受けて本人が帰属したいと思っている集団にふさわしい身体に変造してしまえ、ということになります。これが性別適合手術の社会的意味です』

 なるほどなあ。しかし、だとすると安冨氏みたいに、女性装はしているけれども、別に女性になりたくない。女性装はしているけれども、好きになるのは女性だ。なんていう存在は一番「男女区別主義者」にとっては厄介な存在だ、ということになるのだろう。

『性欲の文化史』(講談社選書)の共著者であり私の大学のゼミの後輩である松田さおりさんの関係で、本書にも出てくる三橋順子さんという、やはりトランスジェンダーの歴史学者で社会・文化史研究家を知っているが、やはり彼女(彼?)も安冨氏と同じような社会的な扱いを受けてきたのだろうか。

 やはり三橋順子さんもやっぱり社会的には厄介な存在なんだろうなあ。

 まあ、でもこれだけ社会の風通しは良くなって来たんだから、トランスジェンダーの人たちも堂々としちゃえばいいのだ。安冨さんみたいにね。

『ありのままの私』(安冨歩著/ぴあ/2015年8月15日刊)

『もう「東大話法」にはだまされない』

 同じ安富歩氏の本なのだが、まあこうした「立場主義」というものを否定したのが『ありのままの私』だっていうことなのだろう。

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