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2015年9月 7日 (月)

『国境のない生き方』って言うか、本当にヤマザキマリさんは「自分語り」が好きな人なんだなあ

 9月1日のブログ『地球で生きている ヤマザキマリ流人生論』では、あえてそうした部分を外してその本について語ったりしたんだけれども、こっちの本になっちゃうと完璧に「自分語り」のエッセイだもんなあ。

 まあ、別に自分語りをしちゃあいけないってことはないんだけれども、要はエッセイやブログって、他のテーマを書いているようでいながら、実はすべてが「自分語り」だったりするわけで、その「語り方」でもって「これは自分語り」かそうじゃないかってことを分けたりするんだが、もうこの本になってしまうと、完全に「自分語り全開」って感じですかね。

Photo 『国境のない生き方 私をつくった本と旅』(ヤマザキマリ著/小学館eBooks/2015年4月17日刊)

『私をつくった本と旅』の「旅」の部分の始まりをピックアップすると以下の通りになる。

『オーケストラのヴィオラ奏者をしている母は、ヨーロッパに音楽家の友人がたくさんいます。一か月かけてフランス~ドイツ~ベルギーを巡るその旅は、もともとは母がその人たちに会いにいくはずのものでした。ところが、急に母が行けなくなったので、冬休みだった私が代わりに行くことになったのです』

『私の母は、いざという時、世間の常識より自分の直感を信じているところがあったので、この旅が私にとって特別なものになることに賭けたのだと思います』

『死に物狂いで窮地を切り抜けようとすれば、一四歳でも立派に自分の哲学を持てるのです。これは、私自身にとっても驚きでした。一四年しか生きていなくても「自分でなんとかするしかない」と思えば、ひとりの人間としていろんな判断ができる。意外に頼りがいのある自分を発見して、それが自信になっていく』

『失敗を恐れて、動き出せない人は、自分の中で全部をやろうとしてるんじゃないでしょうか。一か所にとどまっていると、悩みばかりがどんどん成長していってしまいます。もうだめだと追い込まれた時こそ、世界に向かってもっと自分を開いていった方がいい』

『初めてのひとり旅も終盤、ブリュッセルの駅でパリ行きの列車を待っていた私は、自分がへんな人につけ回されていることに気づきました』

『それがイタリア人の陶芸家マルコじいさんとの出会いでした。  彼は、私を家出少女と間違えて心配のあまり声をかけてきたのです』

『そうして列車がパリに着くまでの間、いかにイタリアの美術が素晴らしいか、マルコじいさんは熱く語り続けました。まさかそれが自分の将来を左右する出会いになるとは、この時はまだ思ってもいませんでした』

 その後、ヤマザキマリさんは当時同棲していたジョゼッペとの間で子ども、デルスを産むのだが、その後、ジョゼッペとは別れ、取り敢えず日本に帰って来て絵描きの才能を漫画家へと向けようとする。

『何がなんでもこの資本主義社会を泳ぎきって、この子を育ててみせる。そう思ったら、なんでもできる気がして、それで漫画を描こうと思ったのです。息子が生まれなかったら、たぶん一生、漫画を描こうだなんて思わなかったでしょう』

『日本から手当たり次第に雑誌を送ってもらい、ちょうど告知が出ていた講談社の少女漫画誌『mimi』の新人漫画賞に応募したら、努力賞に入選。賞金一〇万円をもらうことができました。その一〇万円で飛行機のチケットを買うと、私は、子どもを連れて日本に戻ることにしたのです』

 と、ここまでは漫画家としては順風満帆。ところが、この後、『テルマエ・ロマエ』の企画に乗らなかったのは、多分、講談社の編集者なんだよなあ。

『その頃、某出版社の編集者に『テルマエ・ロマエ』の読み切りの第一話を見せたけど、「趣旨は面白いけど、主人公は日本人にしませんか」と、なかなかこっちの思うところが伝わらなかった。やっぱり、編集者としては売れる漫画にしたいから、どうしても「あるある感」を求めてしまうんでしょうね。いきなり古代ローマ人とか言われても、という反応でした』

 で、結局、ヤマザキさんは『コミックビーム』という、ちょっとマイナーな雑誌に売り込むわけなのだが。

『それで彼女が出版社の編集者を紹介してくれたけどだめだったので、今度は『コミックビーム』の彼女の担当さんを紹介してくれて、そうしたら「へんな漫画、描きますね~、載せましょう」と。最初は一話だけのつもりだったのが、そこから『テルマエ・ロマエ』の連載につながっていきました』

 でも、結局その雑誌がマイナーだったために、講談社連載だったらそれなりの映画化原作使用料も取れたんだけれども、そんなマイナー出版社だったんでたいした原作料も取れずに終わってしまったという愚。まあ、ビデオなどの二次使用料からの配分はあっただろうから、それなりの収入はあったはずだ。

 で、結局、ヤマザキさんはあのマルコじいさんの孫、ベッピーノと出会い、13歳年下のベッピーノと結婚してしまうのだった。

 まあ、目がパッチリとして結構美人なヤマザキマリさんだから、イタリア男なら離さない筈だとは思ってはいるのだが、やっぱりねって言う感じだ。

 ただし、結婚はするけど、さすがにイタリア人。シリアに行ったり、リスボンに行ったり、シカゴに行ったり、まあ、腰は据わらないわな。多分、その間に結構浮気なんかもしていたりするんだよなあ、イタリア男だからね……。

 それでも、それを面白いと考えるヤマザキマリさんがいる限り、それはそれで面白い。

『私も、まだまだ一か所にとどまる気はありません。
 人間は動く生き物なんだから、移動するのが当たり前。旅をするのも当然のこと。
 生きているからには、感動したいんです。感動は、情熱のガソリンですから。ガス欠になると途端に頼りない人になっちゃうので、まだまだ動きますよ、どこまでも!』

 というのが頼もしい。

『国境のない生き方 私をつくった本と旅』(ヤマザキマリ著/小学館eBooks/2015年4月17日刊)

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