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2015年9月15日 (火)

『週刊ポスト』の姿勢に喝采

 昨日発売の『週刊ポスト』168ページからの記事が『少年Aの「実名」と「顔写真」を公開する』というもの。

Photo 『週刊ポスト 2015/9/25、10/2号』(小学館/2015/9/14刊)

 私は今年7月6日のブログ『『絶歌』への疑問、なぜ「元少年A」なのか』で、こう書いた。

『結局、匿名のままで本を出すってことは、基本的にその少年法で守られた自分をそのまま生かすってことなのだろう。それはどう考えても傲慢でしょう。本を出す、文章を他人に向けて発表するっていう行為は、自分をさらけ出す行為だ。だったら、そこで自分の正体を他人に向かってすべてさらけ出さなければならない筈だ。それをして初めて文章を他人に発表する資格がある。つまり、よくある匿名ブログみたいなもので本を出しちゃあいけないのであります。勿論、商業的な意味で匿名で本を出すっていう意味はありだが、その場合は誰が読んでもそれは商業的な意味で匿名で出しているというのが見えている訳であり、実は本名(実名)がバレているケースがほとんどである。
 つまり、本を書くって言う行為は、他人を傷つけるかもしれないこともありうるし、書いた本人が気がつかないうちに他人を誹謗中傷することになってしまうことだってある。なので、基本的には本を書くという行為をする人は、自分が「何者」であるかをはっきりさせなければいけない。
 それがなんで、少年法に守られた「元少年A」なんだ』

『要は本人が、あの「酒鬼薔薇聖斗」であることがバレそうになると、職を転々とするというまさに第二部で語っているその事実が語っている。本当は、本人が「酒鬼薔薇聖斗」であることを受け入れて、それと同時に「酒鬼薔薇聖斗」として生きていかなければならない、という過酷かもしれないが、そんな過酷な生を受け入れなければ、生きていく価値はないという事実を何故受け入れないのだろうか。
 結局、自己憐憫の書でしかない本書は、それは当然被害者遺族にしてみれば許されるものではないものだろうから、被害者遺族には相談しないで出版をしてしまったんだろう』

 この考え方は今でも変わっていないし、むしろこの元少年A(現在は既に33歳だ)の再犯の危険性だって考えられるのだ。

 少年法には

『第六十一条  家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない』

 というのがある。つまり、この『週刊ポスト』の記事は厳密に言ってしまえば「少年法第61条違反」ということになる。

 しかし、『週刊ポスト』では人権問題に詳しい紀藤正樹弁護士が語る、として。

『元少年Aはすでに成人です。しかも、彼は自分の犯行を本にして出版しており、少年法61条に定められている“罪を推知する情報”を自ら公開している。だが、匿名のままではAが発信する情報に正確性や透明性は担保されず、国民は検証も論評もできない。それはおかしな話です。今回のケースは少年法61条の想定外であり、保護対象に入らないと考えます』

 との論評を得て

『幼い2つの命を奪いながらも、自己顕示欲を満たすための活動を再開させた男の名は、「東真一郎」――。』

 と明らかにする。

『「東は社会復帰後、氏名ともに変えて生活している。浜松のアパートで4年ほど暮らしていたそうですが、現在は都内に居を移しているそうです。改名した名前でパスポートも取得していると聞いています」(法務省関係者)
 すっかり別人として自由に生活している東。前出の藤本氏は警鐘を鳴らす。
「彼の作品を見る限り、『育て直し』を終えたはずのAの心は14歳当時に戻ってしまっています。犯罪学者の見地としては再犯の危険性も否定できません」(前出・藤本氏)』

 ちょっと残念なのは、「東真一郎」という改名した現在の「実名」は公開したのだが、「顔写真」は現在のではなく20年位前の中学生のころの顔写真だということ。まあ、面影はあるんだろうけれども……。

『週刊ポスト』は

『東の「育て直し」は成功したのか、社会復帰は正しかったのか――戦慄のHP公開によって、その疑問を改めて社会全体で問うべきではないか』

 とまとめるのではあるが、もっとはっきりと「東の育て直しは失敗した。社会復帰は間違っていた。もう一度、この東真一郎を保護観察処分にしろ。」と書いたっていいと考える。

 自らの出処進退をはっきりと示した佐川一政と、この自称「元少年A」実は東真一郎との立ち位置は180度異なる。

『週刊ポスト』の今回の処置は「蛮勇」と言えなくもないが、しかし、大方の支持は得られるだろう。

 編集長だって、そんな意識で企画を通したんだからね。

 ただし、「喝采」はちょっと褒め過ぎだったかな。失敬、失敬。

『週刊ポスト 2015/9/25、10/2号』(小学館/2015/9/14刊)

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