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2015年9月20日 (日)

吉祥寺には吉祥寺はないし、やっぱり吉祥寺には吉祥寺はないのだ

「吉祥寺には吉祥寺はないし、やっぱり吉祥寺には吉祥寺はないのだ」なんてことを書くと、「なにアホなこと言ってるんだ。わけが分からんじゃないか」と叱られてしまいそうだが、しかし、やっぱり「吉祥寺には吉祥寺はないし、やっぱり吉祥寺には吉祥寺はないのだ」。

 つまりですねえ、こういうこと。「武蔵野市吉祥寺には吉祥寺というお寺はないし、やっぱり文京区本駒込の吉祥寺のそばには吉祥寺という地名はないのだ」ということ。

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 公園の説明書き「~~吉祥寺村のはじまり~~」に曰く

『武蔵野市は、かつて4つの村でした。吉祥寺村、西窪(西久保)村、関前村、堺村――この四ヵ村をまとめて、武蔵野村としたのは明治22(1889)年のことです。さらに、昭和22(1947)年に、武蔵野市となり、今日に至ります。

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 明暦3(1657)年に江戸で大きな火事(明暦の大火)がありました。火元は、本郷丸山町のお寺で、振袖についた火が火事の元になったという話もあり、“振袖火事”とも言われています。
 火事の炎は強い北風に煽られて、たちまち南方へ広がり、神田や日本橋、そして江戸城の天守閣も焼き、本郷元町(現在の水道橋の北側)にあった「吉祥寺」という大きなお寺や門前の人達の家も焼けました。
 翌年、明暦4(1658)年にも大火があり、江戸の半分以上が焼失し、このときも「吉祥寺」は焼け、門前の人達も焼き出されてしまいました。この火事を“吉祥寺火事”といいます。

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 江戸城も焼き払った大火により、水道橋の名刹、「吉祥寺」を駒込の本郷本富士町に移し、門前の人達には江戸から遠く離れた野原の広がる牟礼野(現吉祥寺)に土地を与えました。これにより、駒込の名主松井氏、浪士佐藤氏、旗本宮崎氏は五日市街道沿いに移住し、その西隣には江戸の西の窪の城下町の井野氏が入植しています。

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 万治2(1659)年から移住が始まり、人々には五日市街道を挟んで両側に幅20間(約36m)、奥行き634間(約1140m)の同じ形の土地が分け与えられました。人々はまず、道沿いに家を建てその奥(北側又は南側)に畑を作り、耕しきれないさらに奥の方は山林として残しました。そして山林から木材や燃料をとっていました。当時の短冊状の細長い土地の名残を、五日市街道に交わる今の道路に垣間見ることができます。』

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 ということで、武蔵野市吉祥寺にもお寺は沢山あるけれども、駒澤大学の前身である「吉祥寺」というお寺は文京区本駒込三丁目にはあるけれども、武蔵野市吉祥寺にはないのだ。

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NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4D IF @Hon Komagome Bunkyo, Kichijoji Musashino (c)tsunoken

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