フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

2015年9月30日 (水)

ららぽーと立川立飛のポイントはモノレール

 元々は「飛行機の町」「基地の町」だった立川が、いまや「公園の町」となって、多摩地域の中心街になってきて、八王子を凌ぐ商業都市になってきている。

 その「飛行機の町」の中心的存在が立川飛行機という会社で、日本陸軍の飛行機を製造していた会社だった。「赤トンボ」という練習機や「隼」などの名機を作っていた。

 それが戦後になって、日本は飛行機を作れなくなってしまい、一部は自動車製造に移ってその後のプリンス自動車(後に日産に併合される)の元になった会社を興したりした人もいた。

Dsc_00212

 立川飛行機も、立川市に持っていた広大な土地を元に不動産業や倉庫業を行って現在に至っている。それが現在の立飛ホールディングスという会社。

Dsc_00252

 その立飛ホールディングスが三井不動産と組んでこの12月7日にプレオープンする予定でいるのが、多摩都市モノレールの立飛駅前に位置する「ららぽーと立川立飛」である。

 これでまた立川の人の流れが変わってしまうだろう。

Dsc_00332

 先日、工事現場を見に行ってきたんだが、これがまあとてつもなく広い。

 敷地面積約94,000㎡、延べ床面積約154,000㎡、店舗面積約60,000㎡(3階建て)、店舗数約240店舗、駐車台数約3,200台というのだけれども、多分それだけではカバーできない集客になると思われる。

Photo 三井不動産資料より

 デベロッパー側としては「車利用の抑制策として(1)モノレールの増便、(2)公共交通の利用促進のための500円相当の買い物券・宅配割引サービスなどの実施。自動車交通の分散策として(1)店舗敷地内の駐車場(約3,000台)とは別に周辺に駐車場を5カ所(計約1,600台)を確保、(2)5カ所のうち店舗に遠い2カ所からは無料バスを運行する」などの対策を講じているという。

 ただし、「500円相当の買い物券・宅配割引サービス」や駐車場の確保というのは店舗側としての対策ではあるが、問題はモノレールの増便だろう。これは「ららぽーと立川立飛」側として多摩都市モノレールに申し入れているとは言うものの、自分の所でやっている事業ではないため、なんとも見通しは立っていない。

 多摩都市モノレール側にしても、増便するということは車両数も増やさなければならないだろうし、その分の経費をどの程度の増客で賄えるのかの見通しもたてなければならない。

 多摩都市モノレール株式会社は、多摩都市モノレール線を運営する東京都と西武鉄道・京王電鉄・小田急電鉄などの出資による第三セクター方式で設立された、第三セクター鉄道会社なんだが、2006年9月29日に開かれた東京都議会財政委員会の中で、多摩都市モノレールが東京都の「負の遺産」の1つとして挙げられた。つまり、乗客の数は伸びているんだが、当初の目論見通りには伸びず、さらに土地取得のための経費がまだまだカバーできていないという問題があるようだ。

 とは言うものの、これからの立川市の人口増にどれだけ対処するのかということを考えたら、いずれは増便はしなければならない問題だから、その見切りをどこでつけるのかという問題なんだろう。

 いずれやらなければならないことなんだろうから、この際に思い切ってやっちゃうっていうのがいいのかも知れない。

Dsc_00382 「飛行機の町」立川のシンボル。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Tachikawa (c)tsunoken

2015年9月29日 (火)

仲秋の名月……そしてスーパームーン

 一昨日、9月27日は「仲秋の名月」であった。

 いわゆる「十五夜」ってやつね。

_edited1_2 『仲秋の名月』(平成27年9月27日撮影)

 で、月の上でウサギが餅つきをしているのを見ながら、我々は月見団子をかっ喰らうのであります。

Img_0587_1

 で、明けて(っても月が見えるのは夜なので「明けて暮れて」というのが正しいんだけれども) 昨夜、9月28日は「スーパームーン」だったのだ。

Photo 『スーパームーン』(平成27年9月28日撮影)

「スーパームーン(セーラームーンじゃないよ)」とは何か。

『スーパームーンという用語は、占星術師のRichard Nolleが1979年に以下のように定義した。
「軌道中で地球に最接近(90%以内)した新月または満月。即ち、地球と月と太陽が直線上に並び、月が地球に最も接近した状態」
 地球から月までの距離は、楕円軌道であるために、約35万7000kmから40万6000kmまで変化する。 近点の満月は、遠点のものよりも最大14%大きく、30%明るい(2011年3月19日、NASAによる観測)』 というのがWikipediaを編集した内容。

 ただし、上の二つの写真はトリミングをしているので本当の大きさの比較はできない。

 なので、トリミング前の写真を載せると以下のようになる。

Dsc_00172 『仲秋の名月』(平成27年9月27日撮影)

Dsc_00282 『スーパームーン』(平成27年9月28日撮影)

 両方とも 上の二枚の写真のもとになった画像で、トリミングはしていない。まあ、二つの画像を重ね合わせると大きさの違いが分かるんだろうけれども。画像ファイルなので、それぞれを切り離して重ね合わせることはできる筈だ。なんとなくスーパームーンの方が大きく見えるのは、気のせいかなあ?

 まあ、いずれにせよこんな写真を手持ちで撮れちゃうシグマの「手ぶれ防止」OSレンズ(Optical Stabilizer)って凄いな。ニコンのVRレンズ(Vibration Reduction)の「手ぶれ防止」性能も凄いけれども、シグマだって負けてはいないのだ。

 とここまで書いて、同じニコンでもDfじゃなくてD7000で撮ってればAPS-Cサイズなんで、もっと大きい画像になったんだっていうことに気が付いた。

 まあ、後の祭りですね。

NIKON Df + SIGMA DG 150-500mm f/5-6.3 APO HSM @Hon Komagome Bunkyo (c)tsunoken

2015年9月28日 (月)

『「宇宙戦艦ヤマト」を作った男』って、そんなに偉いのかね

『製作スタッフの海外出張にまで愛人を同伴する西崎に対し、大御所の舛田利雄監督は「女を出張先の会議に連れて来るのはやめろ」とたしなめたが、行いがあらたまることはなかった。こんな時に出てくる言葉は、「俺を誰だと思ってるんだ。俺は天下の西崎だ」という捨てゼリフである。相手が誰であろうと、首根っこを押さえられることを西崎は極端に嫌った』

 という、本書の腰巻に収録されている西崎義展の言葉なのだが、『何言ってる。たまたま「ヤマト」でちょっとばかり当てたからって、調子に乗るんじゃないよ。エラソーに』というのが、正直なところの私の感想だ。

Photo_2 『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』(牧村康正、山田哲久著/講談社/2015年9月8日刊)

 まあ、それは多分私がいわゆる「ヤマト世代」じゃないからなのだろうけれども、同じくアニメーション映画のプロデュースをしてきた立場からいえば、『たかだか貴方は「ヤマト」しか作っていないじゃないかよ』という気分になるのである。

 作詞家阿久悠が西崎義展の為に東京地裁宛てに出した嘆願書に

『西崎義展氏の成功は『宇宙戦艦ヤマト』という企画の成功であるとともに、日本に於ける『個人プロデューサー』の立場を確立した成功でもありました』

 とあるのは事実だろう。

 それまでの東映動画(現・東映アニメーション)の作品は当然東映あるいは東映動画に所属する社員プロデューサーの作品だし、虫プロの劇場アニメーションだって手塚治虫という強烈なクリエイターがいてこその作品ではあった。そこに映像的にはまったくの素人が企画した作品をテレビで放映し、劇場で配給したのである。

『西崎も角川春樹も山本又一朗も、個人プロデューサーは人非人、つまり、人でなしだね。自分の映画で億単位の損を出しても平気で絶対くさらない。出資者に追いかけられても、そんな奴は馬鹿だと思っている。一発当てれば、金なんかすぐに取り戻せると決めてかかってるんだね。俺は彼らに外見を似せてホラを吹きながらやってきたけれど、本当は真面目。ああいう狂気の人になれない。だから出世できなかったんだな』

 というのは西崎と武蔵高校で同窓であり、「ヤマト」制作のパートナーであって元東映プロデューサー吉田達氏の言葉なんだが、それでも東宝のお公家様然としたプロデューサーや、松竹の典型的なサラリーマン・プロデューサーに比較すると、東映は元々東大出のヤクザみたいな岡田茂氏をトップに頂いていた会社らしく、邦画三社の中では一番ヤクザっぽいプロデューサーが多かったんじゃないか。

 それら邦画三社では基本的には映画の製作資金は社内で調達する。当たっても金は会社が持って行くだけの代わりに、損しても会社が負担してくれる。まあ、それがサラリーマン・プロデューサーのいいところでもあり、弱いところでもあるんだが……。

 そこへいくと、「映画会社以外のプロデューサー」というのは、ちょっとしんどい。つまり、私がいた会社でも、基本的にはその会社が原作権を持っている作品を映像化するわけなので、私がいた会社が3割位の一番大きな出資比率で出資をするわけなのであるが、それ以外の7割くらいは他の会社などから出資を募るわけである。つまり、サラリーマンでありながらある意味独立プロデューサーみたいに他社からの出資を仰いで制作し、そして映画を公開してからは、毎月毎月、その映画の利用収益から出資者に配分を行っていき、出資者の出資分がブレークイーブンに達するまでは、正直、夜も寝られない状況になるのだ。

 その意味では、私も半分は個人プロデューサーみたいに毎月毎月締日が近づくたびに夜も寝られない状態になったりしていたし、西崎や角川や山本と違って「人非人」でない私は、『自分の映画で億単位の損を出しても平気で絶対くさらない。出資者に追いかけられても、そんな奴は馬鹿だと思っている』というほどには居直れなくて、結構苦労した思い出がある。

 とはいうものの、じゃあ前の映画が赤字の内は次の映画の企画はしないのかといえば、別にそんなことはなくて、「前の映画もいずれは黒字に転化する」と、どこか妙な確信というか思い込みでもって次の作品の企画を出しちゃうんですけどね。まあ、その辺少しは私にも「山師」的な部分があったのかも知れない。じゃなかったら『AKIRA』を作った後に、会社の経理から20年以上もほったらかしにされている状況の中で、何本もアニメ・ビデオ・映画の企画制作なんか出来ませんでしたよ。

 まあ、その20数年経ってから、やっと『AKIRA』の最終決算を経理が行ったら、私の会社だけでも1億数千万円の収益が上がった(原作本の売上げは別ですよ)という事実が判明して、私の濡れ衣はなくなったんですけれどもね。まったくふざけた話。

 まあ、それはよいとして。私にとっては西崎義展という存在は、「たいして当たらなかった『宇宙戦艦ヤマト』というテレビ・シリーズを、再編集しただけの製作費ゼロの『劇場版 宇宙戦艦ヤマト』として、ファンクラブを動員して当てた山師」という印象でしかない。

 プロデューサーというのは「クリエイティブが分かるビジネスマン」でなければならない。そこへいくと

『絵コンテがわからない。キャラ表がわからない。色がついて、動いて、音が入らないとわからない人』(白戸武)

 というのではやはりアニメのプロデューサーには向いていなかったんだろうなあ。

『本来、アニメのプロデューサーは下積みを五~六年ほど経験する。アニメーターの原画などを獲りに行ったりし、撮出し(演出家の指示を撮影現場に送る作業)を手伝ったりして基礎を覚えていく。西崎はそんなことを全部すっ飛ばして権限を持った』

 というけれども、そんなことは私たちのような、出版社からアニメーション・プロデューサーになった人間でも同じことである。制作担当としての現場経験はまったくないんだからね。問題は、アニメーション・クリエイターに対するスタンスの問題だろう。「絵コンテがわからない。キャラ表がわからない」なんて奴がアニメ現場にいてはいけないのだ。じゃあどうするのか? それは結局「絵コンテを理解する」「キャラ表を理解する」「レイアウトを理解する」ということでしかない。経験がないと難しいかもしれないが、できないことではない。

 結局、西崎義展はアニメーションをアニメーションとしてではなく、基本的に言ってしまえば、アニメーションは劇場映画を作るための方法論にしか過ぎなかったということなのだろう。

 彼はアニメーションを愛していなかった。単に劇場映画を作りたかった時に、一番身近にあったのがアニメーションだったので、『宇宙戦艦ヤマト』を作った、というだけじゃなかったんだろうか。

 角川春樹や山本又一朗などと同じく、実は映像に対しては素人だったんだよな。彼らにとっては「映画」というものは、表現の手段ではなくて、単なる宣伝媒体のひとつでしかないという共通点がある。つまり「映画が当たる」ということが「社会現象」になって、映画周辺のビジネスが大きくなるって言う具合に。

 ありゃ、それって私がやっていたのと同じビジネス・スキームか。

 じゃあ、そんなに西崎義展をクサしちゃいかんということなんですかねえ。

『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』(牧村康正、山田哲久著/講談社/2015年9月8日刊)

2015年9月27日 (日)

『ありのままの私』

 なんだか読んでいながら、前にも読んだことがあるような気がして読んでいたのだが、90ページに至って「東大話法」の話が出てきた。

 そうなのだった。以前2012年10月16日に『いまや東大卒官僚だけではない『もう「東大話法」にはだまされない』というブログを書いた時の安冨歩(このときは「やすとみあゆむ」現在は「やすとみあゆみ」さんなんだが)氏と同人物だったのだ。なので、どこか以前に読んだことがあるような気がしていたんだ。

Photo 『ありのままの私』(安冨歩著/ぴあ/2015年8月15日刊)

 つまり、『原発問題における「東大話法」』も「女性装」をはじめとするトランスジェンダーに対する「差別ならぬ区別=無縁化」も基本には『日本における「立場主義」』というものがあるというのだ。

『日本社会は「立場」でできていて、人間はその詰め物に過ぎない。立場には役が付随しており、ある立場に立った人間は、その役を果たさなければならない。役を果たせば立場を守ることができるが、果たせなければ「役立たず」となって、立場を失う。立場を失った者は「無縁者」となって人々から庇護されなくなるが、同時に自由を獲得する。
 日本人の大半は「立場主義者」であって、日本国は実のところ「日本立場主義人民共和国」なのです。この共和国の憲法は以下の三条です。

1 役を果たすためには、何でもしないといけない。
2 立場を守るためなら、何をしてもいい。
3 人の立場を脅かしてはならない。

 この三条憲法を守っていれば、日本では安全に暮らせます。私みたいに、まったく守っていないと、いろいろと面倒な思いを致します。
 この立場主義の蔓延によって、日本社会は人間不在となり、誰が何を決めているのかさっぱりわからないし、一体、誰が得しているのか、全然わからないのだけれど、なんだか「やらねばならないこと」が布津玄氏て、全員がその意味も考えずに必死でそれをこなしている、という状態になっています。80年代までは、それでうまくいくように経済ができていたのですが、現在ではその条件が失われていることが、今日の日本の問題の根幹だ、というのが私の「立場主義」という考えです。
 私は、日本人がこの立場主義から抜け出すことが必要であり、そのために一人ひとりが自分自身に立ち戻り、鈍ってしまった感覚を再生すべきだ、と主張しています。私が女性装をすることにしたのも、そのためなのです』

 つまり性器の形状によって判断される「男性」とか「女性」という「立場」にあるのなら、その「立場」を守って「男らしく」あるいは「女らしく」していれば、社会からは何の指弾も浴びないが、そこから外れてしまうと、社会からは「無縁者」として扱われることになる。ただし、一方でそんな「無縁者」だからこそ、「社会からは相手にされないので、何を言っても許される」ということになって、テレビなどのマスコミにはしばしば重用されるわけではある。それは結局は「訳のわからん奴らに好き勝手言わせておけば、社会の安全弁になる」っていうだけの、マスコミの保守性の表れでしかないんだけれどもね。

 安冨氏自身はどういう立場なんだと言えば……

『私自身は、身体的には主として性器の形状によって「男性」と判断されていますが、自己認識はどうも「女性」であり、好きになるのは「女性」です。無理に分類すれば、「トランスジェンダーでレズビアンの男性」ということになります。「フルタイムで女性装しているストレートの男性」でも良さそうなものですが、私にはしっくりきません』

 というのだけれども、私としてはむしろその後半の方がなんかしっくりくるなあ。まあ、私自身がストレートの男性だからかもしれないが。

『女物の服を着ている人で、生得の性別が男性、というケースには。大きく分けて以下の可能性があります。
 (1)自分のことを男性だと思っていて、何らかの理由で女装している人。
 (2)自分のことを女性だと思っているので、女物の服を着ている人。
 (3)自分の身体を女性に改変し(あるいはしようと思っていて)、女物の服を着ているひと。
 英語でこれらを、
 (1)トランスヴェスタイト(transvestite)
 (2)トランスジェンダー(transgender)
 (3)トランスセクシュアル(transsexual)』

 なるほどなあ、いろいろな種類があるんですね。

 で、安冨氏の攻撃は「性同一性障害」という言葉にも及ぶ。

『子供が生まれたら男集団・女集団に振り分けて、それぞれの集団にふさわしい振る舞いをするように圧力を掛けます。これによって「帰属」という「アイデンティティ」が生まれるのです。こうして子供は、何かに「帰属」して、その規範なり文化なりを、自分の中に取り込む、という変な能力を身につけます』

『性別の割り当ては、こういった帰属による「秩序化」の基礎なのです。このような人間を型に嵌めることを「秩序」だと思い込んでいる「大人」にとって、性別の区分けは根源的な意味を帯びています。
 それゆえ、ここを乱されると、こういう「大人」はびびります。というのも、すべての秩序の基礎が揺るがされたように感じるからです。
 私のような者に対して、嫌悪感を示す人々は、以上のような事情を感じているのではないでしょうか。男が男を好きになったり、女が女を好きになったり、男のくせに女の格好をしていたり女のくせに男の格好をされると、世の中が「無秩序」になる気がするのです。
 欧米ではですから、こういうことを法律で禁じて、同性愛罪とか女装罪とかを作り出して、暴力的に抑圧していました。しかしそういうことは、明らかに自由の精神に反しています。二十世紀の後半になって、さまざまの差別への反対運動が繰り広がられるなかで、このような歪んだ法律は、廃止されていきました。
 しかし、男女の区分けを「秩序」の根源だと考えてしがみつく人びとにとって、この状況は受け入れがたいのです。こういう人々の存在を認めつつ、しかも男女の区分けを維持する方法はないものか。
 こういう男女区別主義者にとって、「性同一性障害」という概念は実に便利です。というのも、男女の帰属を乱す者は「かわいそう」な「障害」を持っている「異常者」だ、と思えばいいからです。なので、そういう「障害」のある人は、手術を受けて本人が帰属したいと思っている集団にふさわしい身体に変造してしまえ、ということになります。これが性別適合手術の社会的意味です』

 なるほどなあ。しかし、だとすると安冨氏みたいに、女性装はしているけれども、別に女性になりたくない。女性装はしているけれども、好きになるのは女性だ。なんていう存在は一番「男女区別主義者」にとっては厄介な存在だ、ということになるのだろう。

『性欲の文化史』(講談社選書)の共著者であり私の大学のゼミの後輩である松田さおりさんの関係で、本書にも出てくる三橋順子さんという、やはりトランスジェンダーの歴史学者で社会・文化史研究家を知っているが、やはり彼女(彼?)も安冨氏と同じような社会的な扱いを受けてきたのだろうか。

 やはり三橋順子さんもやっぱり社会的には厄介な存在なんだろうなあ。

 まあ、でもこれだけ社会の風通しは良くなって来たんだから、トランスジェンダーの人たちも堂々としちゃえばいいのだ。安冨さんみたいにね。

『ありのままの私』(安冨歩著/ぴあ/2015年8月15日刊)

『もう「東大話法」にはだまされない』

 同じ安富歩氏の本なのだが、まあこうした「立場主義」というものを否定したのが『ありのままの私』だっていうことなのだろう。

2015年9月26日 (土)

『お前はまだグンマを知らない』って、でも知らなくても全然困らないもんね

 う~ん、要は群馬県の自虐ネタなのか、自慢ネタなのかが、まだよくわからないのだが……現状では(第四巻までは)なんか自虐ネタみたいだなあ。

 だって、第一巻目に書かれた『グンマの真実』を見てみれば分かるよね。

Photo_2 『お前はまだグンマを知らない』(井田ヒロト著/新潮社BUNCH COMICS/2014年3月15日刊)

 一巻目に収められている「グンマの真実」は十個。

『グンマの真実 その壱 グンマに向かうJR高崎線では、籠原以降ドアが開かなくなる(横のボタンを押して開閉させる)』

『グンマの真実 その弐 グンマの号令は「起立・注目・礼・着席」。「起立」時何に注目するかは担任・グンマの神・となりの人など諸説あり』

『グンマの真実 その参 「上毛かるた」 グンマ人の必須教養にしてぐんま県の聖典。グンマ人は全員、幼少期にこれを叩きこまれる。他県において、グンマ人判別のための暗号として用いられる』

『グンマの真実 その四 「焼きまんじゅう」 幕末よりグンマに伝わる郷土食。一般に、あん等の入っていない素まんじゅうに、甘い濃厚なみそダレを塗って火にあぶり焦げ目をつけたもの』

『グンマの真実 その五 停めておいたチャリは大抵倒れている(特に冬場)』

『グンマの真実 その六 海から遠く離れた海無し県であるグンマの住民は、海を見ると脳内麻薬物質が過剰に分泌され、異常な興奮状態に陥る。個体によっては制御不能の暴走状態に移行し、周囲の制止を振り切り、とにかく海まで走る』

『グンマの真実 その七 「団分け」 グンマの運動会は赤白の組み分けではなく、赤城(赤)妙義(黄・青・緑など)等のグンマを取り囲む山々の名前の団に分ける。浅間(黄・白など)白根(白)などもある』

『グンマの真実 その八 グンマはその数の多さから、自販機店舗の聖地とされ、他所からの巡礼者が後を絶たない』

『グンマの真実 その九 「グンマ名物だるま弁当[㈱高崎弁当] だるまの形の容器に入った弁当。人間の頭部を入れるには小さい』

『グンマの真実 その十 ガチで二択 だるま弁当[㈱高崎弁当]と鳥めし[㈱登利平]が鉄板。だるま弁当の容器はそのまま貯金箱として使用できるため。グンマはどこでも。個人宅でも企業でも官公庁でも宗教団体の事務所でも、これが置いてある』

 まあ、千葉から群馬へ家族の都合で引っ越してきた井田ヒロト氏にとってみれば、上の10の真実でも珍しかったんだろうなあ。まあ、「東京から近い群馬」だからこそ、「東京から、田舎者としてバカにされる群馬」ってのもあるんだろう。

 う~ん、それは「千葉」だって「栃木」だって「新潟」(ちょっと遠いかな)だって、まあ似たようなもんだ。要は、東京にすぐに出てこれるところなのに、なんで出てこないの? 田舎者。というところなのだろう。

 それは、ジモティが東京に出てくるかどうかで決まってしまうようなのだ。

 つまり、群馬(前橋、高崎、桐生)に住んでいる人たちがどれだけ東京で仕事をしているか。栃木(宇都宮、小山、栃木)に住んでいる人たちがどれだけ東京で仕事をしているのか。茨城(水戸、土浦)に住んでいる人たちがどれだけ東京で仕事をしているか。ってことで決まってしまうんだが、要は、高崎はまだ分からないが少なくとも前橋、桐生は殆ど東京で仕事をしていない、栃木でも小山あたりは、茨城でも土浦あたりは、まあ、東京で仕事をしている人もいるだろうけれども、まあ、それ以外は殆ど地元で仕事についているいわゆるジモティ、言ってみればヤンキーの人たちなんだよなあ。

 で、そのヤンキーの人達の話を沢山、沢山引き伸ばして作ったのがこの漫画なんですよね。

 まあ、それはそれで面白いんだけれども、じゃあ、そこで何が生みだされていくのかがよく見えない。

「自虐」が「自虐」で終わってしまっていいのか? 

 そうじゃなくて、なにか獲得できる最終ゴールを何かに見定めているのだろうか、というところが気になる漫画ではあります。

 あ、この2巻の付録に付いている『上毛新聞』はウソです。

 いいのかなあ、こんなことしちゃって。

Photo

 まあ、「上毛新聞」公認のギャグ・マンガ、というところなんだろうな。

 実際、群馬県のことなんかあまり知らなくても困らないもんね。というかこんな「自虐ネタ」だけでもってどれだけ連載ができるものなのか、それも見ものではありますな。

『お前はまだグンマを知らない』(井田ヒロト著/新潮社BUNCH COMICS/2014年3月15日刊)

2015年9月25日 (金)

JESEA地震予測メルマガ

 JESEA(地震科学探査機構)というところのメルマガを契約しているので、毎週水曜日になるとこんなメルマガが送られてくる。

Photo

 まずは「地震予測サマリー」というので、日本全体の地震予測をしていて、そこには「要警戒地域」(震度5以上の地震が発生する可能性が極めて高い)と「要注意地域」(震度5以上の地震が発生する可能性が高い)、要注視地域 (震度5以上の地震が発生する可能性がある)というのがある。

 勿論「要警戒」の方が「要注意」よりは警戒レベルが高く、ご覧の通り、「要警戒地域」には「北信越地方・岐阜県」と「南関東地方(駿河湾、相模湾、東京湾に面する地域・伊豆諸島」が入っている。

 で、こちらが「地震予測」というもの。

Photo_2

 地域別に書かれてあって、南関東地方はこんな感じ。

『南関東(駿河湾、相模湾、東京湾に面する地域・伊豆諸島)は要警戒
 今回東京都の大島3で5.1cm、三宅3で4.3cm、静岡県の畑薙Aで5.8cm、山梨県の中富で5.9cmの週間異常変動(H)がありました。 9月12日に東京湾地震(M5.2、震度5弱)が起きましたが、今回のデータはこの地震の1週間前のデータでした。 水平異常変動図を見ますと房総半島、三浦半島、伊豆半島、箱根、伊豆諸島で異常を示しています。 余震を考慮して念のため今月は要警戒です。 ※箱根山は9月11日に噴火警戒レベルが3(入山規制)から2(火口周辺規制)に引き下げられました。 火山活動はやや活発な状態です。 (参照 図1、図2-B、図3-4) 』

 まあ、こうした情報が来ても、じゃあだからといって何か準備するのかいえば、別に何にもしていないのだけれども、何となく災害に対する姿勢として、取り敢えず情報だけはしっかり入れておこうというだけ。

 勿論、ここに書かれている『9月12日に東京湾地震(M5.2、震度5弱)が起きました』という事後的なデータだけではどうしようもない。当然、これらのデータを事前に知っておいて、災害に備えるというのが基本的に正しいんだけれども、なかなか予測まではできないということなのかなあ。

 しかし、こうして見ていると「首都圏直下型地震」といっても、震源は東京というよりも、伊豆諸島や静岡、山梨、房総半島、三浦半島、箱根といったところになりそうだ。まあ大正12年の関東大震災だって「神奈川県相模湾北西沖80km」というところが震源で、神奈川や静岡の方が大きな地割れなどがあったのだが、東京の方が都市化していて、それが大きな災害の原因となったわけだから、今度起きるとされる「首都圏直下型地震」も、震源は東京じゃないだろうけれども、もっとも大きな災害は、やはり東京に集中するのだろう。

 まあ、取り敢えず毎週水曜日にこんな情報が送られて来るだけでも、緊張感は維持できるので、それが唯一の安心材料かな。

 ということでJESEA(地震科学探査機構)のサイトに飛べ!

 メルマガは毎月216円(クレジット払い)で手に入る。

「村井俊治氏(JESEA)の言っていることは、支離滅裂で信用できません」っていう人もいるけど、まあ、常に危機感をもって生活するってのは悪くはないと思うんですけれどもね。

 別に「当たるか、当たらないか」っていうよりはね。

Jesea

Photo_3

Photo_4

 

 

2015年9月24日 (木)

SW最終日は東京駅へ

 シルバーウィーク最終日の昨日はUターンラッシュで混雑する東京駅へ行ってきた。

Dsc_00132

 って言うと、「何? 不要不急の用もないのに、わざわざそんな混雑するところへ行って、余計に混雑させるんだ」なんてお叱りを受けそうだが……

Dsc_00142

 考えてみれば、こんな連休中に新幹線を利用している人だって、別に仕事でやむなく乗っている訳ではないし、やっぱり不要不急の用もないのに、好き好んで人混みにやってくる人たちなのだ。

Dsc_00152

 なので、あまり気にしないで東京駅の新幹線降り口に行ってみたんだが……

Dsc_00182

 意外と混雑していない……

Dsc_00212

 って言うか、この程度の混雑具合なら普段の日とまったく変わらない混雑ぶりで、ちょっと拍子抜けした。

Dsc_00122

 う~ん、まあ皆列車の利用に慣れてきて、結構スムーズに行き来するようのなったのかな。

Dsc_00092

 私が東京駅に行ったのは、実は東京中央郵便局に用があって行ったんですけどね。

Dsc_00082

 こっちの方が、よっぽど用事があったって訳。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85 f/2.4-4 D IF @Tokyo Station (c)tsunoken

2015年9月23日 (水)

高円寺には高円寺はあるし、国分寺には国分寺が三つもあるのだ

 なんかあと1年で「前期高齢者」になるって歳なのに、今更「誕生日おめでとう」はないと思うのだが、まあ、いろいろ祝っていただいた方にはお礼を言っておきます。ただし、私は皆さんへは誕生日のお祝いはしません。もう「めでたく」はないもんね。

 ところで、9月20日のブログで『吉祥寺には吉祥寺はないし、やっぱり吉祥寺には吉祥寺はないのだ』なんて書いたら、フェイスブックで「高円寺には高円寺あって、国分寺にも国分寺ありますね! …言ってみたかっただけです。」というコメントを頂いたので、実際に行ってみた(って、実は知っていたんだが)。

Dsc_00872

 JR高円寺駅を南口に出て、左へ行くと氷川神社があるので、それに沿って坂道を下りて行くと、高円寺はある。

 弘治元年(1555年)開山というから、そこそこ古いお寺だが、現在も続いている。徳川家光と親しいお寺だったようだ。

Dsc_00802

 で、国分寺なのだがJR西国分寺駅をやはり南口へ出て、駅前の史跡通りを過ぎて「武蔵台遺跡公園」なんていう縄文式の竪穴住居の復元遺跡のある公園を過ぎて……

Dsc_00072

 昼なお暗き「旧鎌倉街道」の細道を下って行くと……

Dsc_00182

 まず「武蔵国分尼寺」にでる。

Dsc_00302

 金堂跡や……

Dsc_00322

 尼防跡なんかが復元されているのだが、そのスケールはかなり大きい。

Dsc_00362

 で、武蔵国分尼寺からJR武蔵野線をくぐって東へ300mほどいくと、「武蔵國分寺跡」がある。

Dsc_00472

 日本史の教科書でよく見る写真がこれ↓ですね。

Dsc_00492

 こっちは金堂跡の復元。

 国分寺は聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院で、大体750年代末から760年代初め頃に作られたという。

Dsc_00572

 で、その武蔵國分寺跡の裏側にあるのが真言宗豊山派医王山「武蔵國國分寺」。こちらのお寺は武蔵国国分寺の後継寺院で、現在も稼働中。建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたという。

 お彼岸のお墓詣りの人が随分来ていた。

Dsc_00652

 で、武蔵國國分寺の脇を走っているのが、「お鷹の道」という遊歩道。この「お鷹の道」の途中には「真姿の池湧水群」というのがあって、この地で湧いた水が最後は等々力渓谷まで流れて多摩川へ注いでいるのであります。

Dsc_00692

 で、お鷹の道をそのまま歩いていると、いつの間にか国分寺の駅前へでてしまいます。

 ね、「国分寺には国分寺が三つ」あったでしょ(って、元々は一つだったんだけれども)。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Kouenji Sugnami, Kokubunji (c)tsunoken

2015年9月22日 (火)

『THE PLATFORM』って、何だ?

「プラットフォーム」とは「その上に乗ってなんかが動いていく」その土台のようなもの。つまり、「アプリケーションソフトウェアにとってのプラットフォームといえば、オペレーティングシステム(OS)の種類や環境などを指す場合が多く、また、OSにとってのプラットフォームといえば、CPUをはじめとするハードウェアのアーキテクチャを指すことが多い。」

 そのプラットフォームに乗っかって、いろいろなものが動いていくということを考えれば、そのプラットフォームを作った企業、個人、組織が全体を動かしていく大本になるということなのだろう。

 で、結局IT企業がそのプラットフォームを提供し、そこに社会が乗っかって行って、世の中を動かしていく様を見て尾原氏は『IT企業はなぜ世界を変えるのか?』というテーマを見つけ出した訳だ。

The_platform 『THE PLATFORM ザ・プラットフォーム IT企業はなぜ世界を変えるのか?』(尾原和啓著/稲葉ほたて構成/PLANETS/2015年6月10日刊)

『本書で位置づけるプラットフォームとは、個人や企業などのプレイヤーが参加することではじめて価値を持ち、また参加者が増えれば増えるほど価値が増幅する、主にIT企業が展開するインターネットサービスを指します。少し専門的に言い換えれば、ある財やサービスの利用者が増加すると、その利便性や効用が増加する「ネットワーク外部性」がはたらくインターネットサービスです』

『なぜ、本書ではIT企業に注目するのでしょうか。理由は大きく分けて二つあります。  第一に、IT以後の世界ではプラットフォームへの参加のしやすさが圧倒的に高まったからです』

『第二に、プラットフォームがビジネスというジャンルを超え、社会や私たちの生活までしみ出し、世界を大きく変える可能性が見えてきたからこそ、今プラットフォームに注目する必要があるのです』

『みなさんは普段の生活で意識されることはほとんどないと思いますが、今までの世界で最大のプラットフォームは「国家」です。このような言い方に違和感を持たれる方もいらっしゃると思いますが、私たちが住む国を一つのプラットフォームととらえれば、たくさんの参加者(国民)がいるからこそ価値を増しているともいえます』

『まずは現代のIT企業を代表するアップル(Apple)、グーグル(Google)、フェイスブック(Facebook)という三つの超国家的プラットフォームを読み解いていきましょう』

『まず、グーグルの共有価値観を紹介しましょう。彼らのミッションは「Organize the worldʼs information and make it universally accessible and useful」です。グーグルジャパンのサイトには「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです」と書かれています』

『アップルのコンセプトビデオから哲学を読み解いていきましょう。 「シンク・ディファレント(Think different)」はあまりにも有名なアップルの広告コピーですが、この言葉は、アップルの創設者である故スティーブ・ジョブズが社を追い出されたものの、のちに復帰し、以降に制作されたアップル・コンピュータのテレビCMなどで使われたものです。そのまま訳せば「ものの見方を変える」ですが、この言葉には「誰かと違う自分だけの考えを持とう。そのための助けをするのがアップルなのだ」という彼らの強い共有価値観が込められています』

「シンク・ディファレント」以降にアップルがたどり着いた哲学。それが「ユア・ヴァース」という言葉に込められているのです。

『フェイスブックのミッションは、人々に共有する力を与え、世界をよりつながれたオープンな場にすること(Facebookʼs mission is to give people the power to share and make the world more open and connected.)』

『私たちはアップル、グーグル、フェイスブックのような超国家的プラットフォームが世界を席巻する姿を目の当たりにしてきました。しかし、こうした若い世代が運営するプラットフォームは、今とはまったく違う新しいものになっていくのかもしれません』

『では、日本型プラットフォームにはどのような特徴があり、その可能性はどこにあるのでしょうか。これを語るために、私自身がビジネスとしても従事してきた「リクルート」 「iモード」「楽天」という三つのプラットフォームの共有価値観を取り上げたいと思います』

『彼らは参加する企業と顧客との間に立ち、取引を円滑に行うことを手助けするため「BtoBtoC」となります。これから紹介するiモードも楽天も基本的には「BtoBtoC」のサービスです』

『ユーザーが増えれば増えるほど、サプライヤーが増え、またユーザーも増え……というように、企業(B)と顧客(C)の両方を同時に相手にする「BtoBtoC」というモデルは、ループすることでより加速します』

『待ち受け画面も絵文字も、世界に先がけて発見された「コミュニケーション消費」という巨大な市場の一つです』

『この「コミュニケーション消費」をおそらく自覚的にプラットフォームへ取り入れているのがスマホのメッセージングアプリ「LINE」です』

『日本は「iモード」の着メロ、着うた、デコメなどの装飾メール、待ち受け、着せ替えなど、コミュニケーションを活性化させるために消費される「コミュニケーション消費」大国です。フェイスブック専用のメッセンジャーアプリ「フェイスブックメッセンジャー」が「LINE」を追いかけるように絵文字機能を追加したこともよく知られています』

 なるほどなあ。つまり、アップル、グーグル、フェイスブックなどが作り上げた超国家的プラットフォームに乗った日本型プラットフォームは「BtoBtoC」というビジネスモデルに乗って、そこに「コミュニケーション消費」という日本型の消費形態が加わると、それは大きな力を持ったビジネスになるっていう訳か。

 じゃあ、そういうビジネスをこれから始めるということは可能なのか? ということなのだが。

 まあ、多分それは不可能じゃないだろう。アメリカで始められたプラットフォーム・ビジネスの日本型展開というのも、結構可能性はありなんだろうなあ。

 問題は、誰がその可能性に気づくかだろう。

『私が小学生だった頃に初めてパソコンが登場して、高校生でパソコン通信、大学生でインターネットに触れるようになりました』

 という尾原氏ならではの考え方だ。

『高校や大学を卒業して就職した会社に定年まで勤めるという固定化された社会から、プラットフォームが提供する多様な選択肢に応じて人々が気軽に仕事を変えることができる、流動化されたなめらかな社会へと変わるのです』

 という社会が当たり前になった時に、次のプラットフォーム企業が突然生まれたりするんだろうなあ。それが日本なのかアメリカなのか、あるいはアジアの国々のどこかなのかは分からないが。

 それは楽しみだなあ。

『THE PLATFORM ザ・プラットフォーム IT企業はなぜ世界を変えるのか?』(尾原和啓著/稲葉ほたて構成/PLANETS/2015年6月10日刊)Kindle版っていうか、電子h版だけの販売のようだ。だんだんこうした書籍が増えてくるんだろうなあ。

2015年9月21日 (月)

『中性風呂へようこそ!』

「中性風呂」って一体なんじゃい!? というのが最初の感想。

Photo 『中性風呂へようこそ!』(新井祥著/アクションコミックス/2008年3月12日)

 読んでいるうちに、ああ「男でも、女でもない」セクシュアル・マイノリティの相談相手になってくれる人、つまり自らも「半陰陽」である漫画家、新井祥氏のコミック・エッセイのことだったのね、ということなのだ。

Photo_2

 しかし、まるっきりの「ノンケ」である私には想像できなかったんだけれども、「男←中間→女」の間にそんなに中間的存在がいろいろあったのか。

Photo_3

 トランスジェンダーとか、性同一性障害とか、LGBTとか、半陰陽とかあまりにも理解できない部分が多いんだなあ。

Photo_4

 今、別の本でも読んでいるんだが、男性の性同一性障害でレズっていう人がいて、つまり女を相手にすること自体は別に何でもないんだが、しかしレズなのでセックスする気にはなれないっていうんだから、これまたよく分からない。

Photo_5

 うむむ、奥が深い男女の関係(ああ、男男、女女ってのもあるのね)なんだなあ。

『中性風呂へようこそ!』(新井祥著/アクションコミックス/2008年3月12日)現在は電子版だけみたいだ。最近こういうのが多くなってきた。つまり、紙版はある程度の部数を作らないと重版できないけれども、電子版だったら、別に印刷しなくてもいいわけだし、在庫リスクもないってことで。

2015年9月20日 (日)

吉祥寺には吉祥寺はないし、やっぱり吉祥寺には吉祥寺はないのだ

「吉祥寺には吉祥寺はないし、やっぱり吉祥寺には吉祥寺はないのだ」なんてことを書くと、「なにアホなこと言ってるんだ。わけが分からんじゃないか」と叱られてしまいそうだが、しかし、やっぱり「吉祥寺には吉祥寺はないし、やっぱり吉祥寺には吉祥寺はないのだ」。

 つまりですねえ、こういうこと。「武蔵野市吉祥寺には吉祥寺というお寺はないし、やっぱり文京区本駒込の吉祥寺のそばには吉祥寺という地名はないのだ」ということ。

Dsc_00122

 公園の説明書き「~~吉祥寺村のはじまり~~」に曰く

『武蔵野市は、かつて4つの村でした。吉祥寺村、西窪(西久保)村、関前村、堺村――この四ヵ村をまとめて、武蔵野村としたのは明治22(1889)年のことです。さらに、昭和22(1947)年に、武蔵野市となり、今日に至ります。

Dsc_00302

 明暦3(1657)年に江戸で大きな火事(明暦の大火)がありました。火元は、本郷丸山町のお寺で、振袖についた火が火事の元になったという話もあり、“振袖火事”とも言われています。
 火事の炎は強い北風に煽られて、たちまち南方へ広がり、神田や日本橋、そして江戸城の天守閣も焼き、本郷元町(現在の水道橋の北側)にあった「吉祥寺」という大きなお寺や門前の人達の家も焼けました。
 翌年、明暦4(1658)年にも大火があり、江戸の半分以上が焼失し、このときも「吉祥寺」は焼け、門前の人達も焼き出されてしまいました。この火事を“吉祥寺火事”といいます。

Dsc_00232

 江戸城も焼き払った大火により、水道橋の名刹、「吉祥寺」を駒込の本郷本富士町に移し、門前の人達には江戸から遠く離れた野原の広がる牟礼野(現吉祥寺)に土地を与えました。これにより、駒込の名主松井氏、浪士佐藤氏、旗本宮崎氏は五日市街道沿いに移住し、その西隣には江戸の西の窪の城下町の井野氏が入植しています。

Dsc_00442

 万治2(1659)年から移住が始まり、人々には五日市街道を挟んで両側に幅20間(約36m)、奥行き634間(約1140m)の同じ形の土地が分け与えられました。人々はまず、道沿いに家を建てその奥(北側又は南側)に畑を作り、耕しきれないさらに奥の方は山林として残しました。そして山林から木材や燃料をとっていました。当時の短冊状の細長い土地の名残を、五日市街道に交わる今の道路に垣間見ることができます。』

Dsc_00532

 ということで、武蔵野市吉祥寺にもお寺は沢山あるけれども、駒澤大学の前身である「吉祥寺」というお寺は文京区本駒込三丁目にはあるけれども、武蔵野市吉祥寺にはないのだ。

Dsc_00392

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4D IF @Hon Komagome Bunkyo, Kichijoji Musashino (c)tsunoken

2015年9月19日 (土)

『図説 カメラの歴史』

 実は一昨日の『トプコン通り』の切っ掛けになったのが、本書に掲載されているトプコンREスーパーの記事だった。

「ああそうだ。そういうカメラがあったんだよなあ」ってな感じで。

 本そのものは、池袋ジュンク堂が商品陳列方法を変えて、1階にも写真本コーナーが出来て、そこで何気なく買ったものだった。

Photo50の名機とアイテムで知る 図説 カメラの歴史(THE HISTORY OF PHOTOGRAPHY IN 50 CAMERAS)』(マイケル・プリチャード著/野口正雄訳/原書房/2015年9月10日刊)

 で「50の名機」とは何か?

『1 ジルー・ダゲレオタイプ/2 タルボットの「マウストラップ」/3 オットウィルのダブル・フォールディングカメラ/4 パウエルの立体カメラ/5 サットン・パノラミック・カメラ/6 ザ・コダック/7 シュテルン・コンシールド・ベストカメラ/8 アンジャルベール・レヴォルベール・ド・ポシュ/9 ローチ・ユリーカ/10 ゲルツ・アンシュッツ/11 ソーントン=ピッカード・ロイヤルルビー/12 スコーヴィル・ブックカメラ/13 サンダーソン・ハンドカメラ/14 コダック・ブローニー/15 チッカ/16 ソホ・フレックス/17 ベスト・ポケット・コダック/18 ソーントン=ピッカード・マークⅢハイズ・ガン型カメラ/19 エルマノックス/20 ライカⅠ型/21 コンタックスⅠ型/22 フォクトレンダー・プロミネント/23 コロネット・ミゼット/24 ハンザキャノン/25 キネ・エクサクタ/26 ミノックス/27 コンバス/28 スーパー・コダック・シックスー20/29 コダック・マッチボックス/30 ペースメーカー・スピード・グラフィック/31 ハッセルブラッド/32 ポラロイド・ランド・モデル95/33 ビューマスター・パーソナル・ステレオカメラ/34 ライカM3/35 ローライフレックス3.5F/36 ニコンF/37 トプコンREスーパー/38 コダック・インスタマチック/39 ペンタックス・スポットマチック/40 オリンパスОM-1/41 ポケットインスタマチック/42 ポラロイドSX-70/43 コニカC35AF/44 キャノンA-1/45 ソニー・マビカ/46 富士フィルム・写ルンです/47 コダック・ニコンDSC100/48 アップル・クイックテイク100/49 キャノンEOS 5D MarkⅢ/50 ノキア・ルミア1020』

「50の名機」中10機種が日本製、もう1機種が「日米合作」という、世界のカメラの歴史の中での日本の存在感たるや大変なものである。がしかし、その一番最初が1935年の「ハンザキャノン」っていう、要はライカ・コピーだったというのは如何にも座りが悪いが、まあ戦後の日本カメラはその殆どがライカ・コピーかローライフレックス・コピーだったということを考えると、ドイツの独自性の高さと、日本人の(オリジナリティはないが)手先の器用さという二大特徴をよく表しているのかもしれない。

 1839年のダゲレオタイプから始まって、溶剤の研究とカメラの小型化への挑戦というカメラ史の前半は、1925年のライカⅠ型で小型カメラが完成して、一旦成立。その後、2013年のノキア(スマホだよ!)までの174年のカメラの歴史の中で、1959年のニコンFからの54年が完全にカメラの世界が日本を中心に回ってきた歴史なのである。1981年のソニー・マビカでカメラはデジタル化して2012年のキャノンEOS 5D MarkⅢでデジタル化は完成したわけなのだが、その時代は同時にカメラがカメラとして発展してきた時代の終焉でもあったわけだ。

 つまり、ノキア・ルミア1020ってカメラなの? まあ、実はiPhoneの方が普及率はずっと高いわけなのであるが、これらスマートフォンは同時にカメラでもあるっていうか、まあ、言ってみれば「何でも出来るデバイス」なのであります。人々は出かける時に、これまではそれぞれ目的別にいろいろなデバイスを持って出かけたのであるが、現在は財布とスマホだけを持って出ればそれで済むっていう具合に。

 それは撮影スタイルにも言えて、最初期はカメラは暗幕と一緒に出かけなければならなかった。つまり、人々は暗幕を被ってカメラの後ろ側からカメラアングルを決め、フォーカシングをしなければならなかった。それが、レフレックス・カメラが出てからは上から暗箱を覗くスタイルになって、二眼レフ時代にはそれは暗箱ではなくなって、上から覗いていたスタイルではあっても、ファインダーから目を離しても問題が無くなってしまった。それは連動距離計付きのカメラになってからは、カメラの後ろの方からファインダーを覗くスタイルになって、そのスタイルは一眼レフの時代にも同じスタイルで人々はアングルを決めてフォーカシングをしたわけだ。

 それがデジタル時代になって、一部の一眼レフを除けばカメラは「接眼レンズ」というものがいらなくなってしまった。人々は皆、カメラ(スマホ)を頭の高さに掲げてカメラから離して撮影をするスタイルになって、その最終形は「自撮り」(セルフィー)なのである。多分、これからもその撮影スタイルは変わってくるはずであり、つまり、それはウェアラブル・カメラ(カメラではなくて本当はグーグル・グラスみたいなウェアラブル・デバイス)という概念だ。

 これからカメラはどうなっていくんだろうか。

『現在、デジタル一眼レフが縮小しつつあるカメラユーザー市場にこたえていく一方で、大半の人々はカメラ付き携帯電話で写真を撮りつづけると考えられる。しかし、本書に登場するカメラで撮影された写真の豊かな歴史は、忘れ去られる気配を見せていない。インスタグラムやヒプスタマティック(Hipstamatic)などのアプリの人気はアナログ写真のつきせぬ魅力を示しており、一方でライカやローライフレックスといった象徴的モデルは、コレクターズアイテムというだけでなく、そぎ落とされた写真というメディアの本質にふれなおす手段として、いまも求められつづけているのだ』

 と最終的にまとめるマイケル・プリチャードではあるけれども、確かに1954年に発表されたライカM3はいまだに現役機であるし、これからも現役機であり続けるだろう。

 つまり、もはや進歩の歩みを止めてしまっているアナログカメラは、進歩の歩みを止めたことで、逆にいつまでも現役機でありうるという逆説的な存在になってきている。これは未だに進歩し続けているデジタルカメラにはできない相談で、常に陳腐化の最前線に晒されているデジタルカメラやスマートフォンは、1年もすれば「旧型」になってしまう。

 ところがアナログカメラは既に陳腐化の恐れはない。これからも永遠の最前線のカメラであり続けるのであろう。

 私もライカで撮りつづけよう。

 ということで、昨日もライカM3+Elmarit 28mm/T-MAX 400で(Tri-Xがもうあんまりないからなあ)……、えへへ、なんてね。

50の名機とアイテムで知る 図説 カメラの歴史(THE HISTORY OF PHOTOGRAPHY IN 50 CAMERAS)』(マイケル・プリチャード著/野口正雄訳/原書房/2015年9月10日刊)

2015年9月18日 (金)

東京ゲームショー2015開幕

 開幕前日になってようやくビジネスデー・チケットが送られてきたので「東京ゲームショー2015」に行ってきた。

 いやあ一般公開日だと中に入るだけでも2~3時間待たされて、中に入ってももう芋洗い状態なので、ここ数年は行っていなかったなぁ。ただし、今年はビジネスデー・チケットが手に入ったので……、というわけ。

Dsc_01052

 取り敢えずEAジャパンの「スターウォーズ バトルフロント」ベータ版を見つつ……

Dsc_00092

 まあ、バンダイナムコとかコナミとか、スクエアアニックスとかの大手ゲーム会社のブースはちょっと眺めるだけかな。

Dsc_00242

 おうコーエーは「進撃の巨人」だぞ。

Dsc_00412

 ソニーコンピュータエンタテインメントは何と言っても……

Dsc_00482

 Play Station VRでしょ。凄い並んでいた。

Dsc_00492

 で、こちらがヘッドマウントディスプレイ(HMD)。う~ん、やっぱりヴァーチャル・リアリティって、まだまだHMDなしでは見られないんだなあ。HMDなしのVR映像ってダメなのかしら?

Dsc_00502

 ということで、今度はこれまでのゲームショーではあまり見なかった出展者を紹介。

 まず、楽天は「楽天アプリ市場」で「ウェイク・アップ・ガールズ」を展示。

Dsc_01002

 最近はAMAZONも出展しているんだなあ。

Dsc_00322

 おやおやYou Tubeも出展とは……

Dsc_00382

 こちらの「You Tuberコラボアプリ」との関連かなあ。

Dsc_00222

 おやおや、プロダクションIGも出展しているぞ。

Dsc_00422

 要は『攻殻機動隊 新劇場版』のVRアプリ『攻殻機動隊 新劇場版 Virtual Reality Diver』のティーザー版をここで見せているようだ。こっちも、結局はHMDを使うんだけれどもね。まあ、それはハードメーカーじゃないから仕方ないか。

Dsc_00432

 バトーと草薙素子なんだが、ちょっと違うような……、これでもいいような……。まあ、どうでもいいかな。『攻殻機動隊」は私の作品じゃないしな。

 東京ゲームショー、昨日と今日はビジネスデーなので、特別なチケットがないと入れません。一般公開は9月19日・20日。

公式サイトはコチラ

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4D IF @Makuari Messe (c)tsunoken

2015年9月17日 (木)

トプコン通り

 国道17号線(中山道)の本蓮沼と志村坂上の途中で東に折れると「トプコン通り」という道に入ります。

Dsc_00032_2

 別に正式に「トプコン通り」という名前があるわけじゃなくて、通称というか、かなりなカメラオタクの間での通り名というだけのもので、多分、このご近所の人に聞いても「トプコン通り?」って返事が返ってきそうです。

Dsc_00042

 まあ、道をちょっと行くと、右側にトプコンという会社があるってもんですね。

Dsc_00062

 なんでここがカメラオタクと関係があるのかと言えば、昔、この会社はカメラ(も作っていた)メーカーだったんですよ。

 もともと、1932年に服部時計店精工舎(現セイコー)の測量機械部門を母体として「東京光学機械株式会社」という国策会社が作られた。

 戦前はロードという連動距離計付き沈胴式カメラなんかを作っていたんだが、戦後になってプリモフレックスなんていう二眼レフカメラやトプコンホースマンなんていう写真ジャーナリスト向けの中判カメラを作っていた。トプコンホースマンプレス104が発表されたのが1958年なので、その頃から「トプコン」というブランド名を使い始めたわけだ。

 同じころにはレンズシャッター式の一眼レフなんかも作っていたのだが、やがてフォーカルプレンシャッター式の一眼レフを作り始めたのが1957年。そして1963年にはトプコンREスーパーという、世界最初の開放測光TTL一眼レフを発表し、世界中を「あっ」と言わせたのであります。

Re

 当時はまだニコンもアサヒペンタックスも一眼レフはあったけれども、測光方式は完全マニュアルだったり、ファインダーを通した測光でTTLではなかったり、TTLでも絞り込み測光というファインダーが絞りによって暗くなったりしてしまう方式でありました。

 開放測光とうのは「レンズマウントに絞り設定値の連動機構を備え、カメラボディ側に設定された絞り値を伝達することによって、開放状態での測光値から絞り込んだ状態での値を算出し、適正露出を計算する」というスグレもの。当然、ファインダーを覗いている間は絞りは開放なので、明るいままの被写体を見られて、シャッターの瞬間(つまりファインダーがブラックアウトしている時間)だけ絞り込まれているという状態になるって訳です。

 いまでは一眼レフでは当たり前の装置になっているけれども、当時は皆クリビツテンギョウ理想の一眼レフ・ファインダーだったわけですね。

 1989年には社名もトプコンになるんだが、その前の1981年には一般向けカメラ市場からは撤退してしまうので、「トプコンカメラ」というのはあくまでも東京光学のブランド名というのが、カメラオタクの考え方。

 いまでも「トプコンクラブ」なんていう、トプコンカメラのファン(というよりも完全に「オタク」ですね)の集まりがあるようで、トプコンREスーパーはそれこそ「スーパースター」並みの扱いのようです。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.8-4D IF @Moto Hasunuma Itabashi (c)tsunoken

2015年9月16日 (水)

『文科省 高校生の政治活動 校外では原則容認へ』って、何を今更

 ジャーナリストの小林哲夫氏からのメールで知ったのだが。

『文科省 高校生の政治活動 校外では原則容認へ』って、ああそういえば昔そんなことを言われたなあ。ただし、そんなのガン無視して政治活動をやっていましたけどね。

 って言うか、「何を今更」感の強いニュースではありますなあ。

Photo

 ニュースの内容は……

『選挙権を得られる年齢が18歳以上に引き下げられることを受けて、文部科学省は、これまで制限していた高校生の政治活動を学校の外では一定の条件の下で認める方向で検討を進めていて、近く、各都道府県の教育委員会に通知することにしています。

  高校生の政治活動については、昭和44年、当時の文部省が学生運動の高校への波及を懸念して「高校生の政治活動は教育上望ましくない」などとする通知を出して制限・禁止していましたが、選挙権を得られる年齢が18歳以上に引き下げられることを受けて、文部科学省が見直しを進めていました。

 その結果、放課後や休日などに学校の外で行われる政治活動については「生徒が自主的、主体的に判断し行う」ことを前提に、学業に支障がないことなどの一定の条件の下で認める方向で検討を進めることになりました。

 一方、授業や部活動などの学校の中での政治活動は、これまでどおり禁止とし、放課後や休日などであっても学校の構内での政治活動は制限されたり、禁止される場合もあるということです。

 これについて、下村文部科学大臣は15日の閣議後の記者会見で、「これまでのように一切認めないということではなく、ふさわしい政治活動は緩和するのがあるべき方向だ」と述べ、今後、詳しい内容を検討したい考えを示しました。

 文部科学省は、最終的な調整を行って、近く各都道府県の教育委員会に通知することにしています』

 というもの、まったくもって何を今更ですよねえ。

 小林氏はお気軽に

『「高校生の政治活動を認めよ」、「文部省通達粉砕」。
 69年の高校闘争世代にすれば、46年ぶりの「勝利」なのかもしれません』

 なんてメールで書いてくれているけれども、別に、「勝利」でも何でもありません。単に時代が「18歳選挙権解禁」になったから、というだけの変化でしかない。大体、下村博文文科相の発言だって『これまでのように一切認めないということではなく、ふさわしい政治活動は緩和するのがあるべき方向だ』と言う具合に、本来なら選挙権を持っている人間なら「すべての政治活動は容認」すべきところであり、大体「ふさわしい政治活動」って何だ、「ふさわしい政治活動」って?

 選挙権を持っている人間が行う政治活動には「ふさわしい」とか「ふさわしくない」というものはあり得ず、原則「すべての政治活動を行ってよい」はずだ。勿論、テロなんかの法的に問題のある政治活動はやってはいけないのは当然だが、そうでなければ原則すべてOKでなければならない。つまり、文科省としては「原則容認」という言葉を使っているけれども、基本的にはいままでの姿勢を改める気はないということなのである。

 昔も「高校生は政治知識に乏しいし社会性もないから、政治活動はやっちゃだめ」なんて訳知り顔で話す大人はいたけれども、高校生側としては「そんなことを言う大人よりも、自分たちの方が政治知識はあるし、政治意識も高いからね」という感覚で、そんな大人の訳知り顔はガン無視して、政治活動に邁進しておりました。まあ、中には「性事活動」に邁進していた人もいたけどね。

 教師の側も、文部省からそんな通達が来たからって、我々高校生に「政治活動禁止!」なんてことを言えば、高校生に論破されちゃうのは分かっていたので、基本的には黙認せざるを得なかった、というのが実情だったわけで……。

 まあ、多分下村文科相の言う「ふさわしい政治活動」ってのは、せいぜい自民党の立候補者の応援をするなんてレベルのことだろうし、「ふさわしくない政治活動」というのは安保法制反対を叫んで、国会外で活動しているSEALDsあたりのことを指しているんだろうなあ。なあんだ、そんなんじゃSEALDsあたりの高校生の方がよっぽど政治性は高いぜ、ってなもんだ。

 しかし、考えてもみれば、今から46年も前に出していた通達がまだ生きていたというのが、そもそも不思議なんだけれども、役人の世界では取り消しの通達を出していない以上は、46年前だろうが100年前だろうが、むか~し、むかしの通達が生きているってことなんだ。で、今更になって「通達を取り消すって通達を出した」ってわけね。

 基本的にはSEALDsに参加している高校生は、そんな文科省通達なんかは初めから無視していたんだから、関係ない。まあ、SEALDsに参加している学生たちの政治意識の低さについてはちょっと問題があるけれども、別に政治活動をやってはいけないなんてことはなくて、ことは高校生じゃなくても、中学生だった小学生だって政治活動を行ってもいいのであります。つまり、日本国民である以上は、彼らの政治活動を制限することはできない筈だ。それこそが国民の権利である。

 それを「高校生はダメ」「中学生はダメ」「小学生はダメ」なんてことを容認するような発言をする政治家は「憲法を勉強し直しなさい」と怒られてしまうだろう。日本国憲法には「第三章 国民の権利及び義務」というのがあって、そこに書かれているのは「国民」というだけで、「大学生」だの「高校生」だの「中学生」だの「小学生」なんて分け方はされていないのだ。

 なので、今更46年前の文部省通達が取り消されたからっていって、別に嬉しくもなんともない、ってのがごくごく当たり前の感想なんですけどね。

 取り敢えず、知らせてくれた小林氏には感謝しておこう。

『高校紛争1969-1970』(小林哲夫著/中公新書/2012年2月24日刊)

2015年9月15日 (火)

『週刊ポスト』の姿勢に喝采

 昨日発売の『週刊ポスト』168ページからの記事が『少年Aの「実名」と「顔写真」を公開する』というもの。

Photo 『週刊ポスト 2015/9/25、10/2号』(小学館/2015/9/14刊)

 私は今年7月6日のブログ『『絶歌』への疑問、なぜ「元少年A」なのか』で、こう書いた。

『結局、匿名のままで本を出すってことは、基本的にその少年法で守られた自分をそのまま生かすってことなのだろう。それはどう考えても傲慢でしょう。本を出す、文章を他人に向けて発表するっていう行為は、自分をさらけ出す行為だ。だったら、そこで自分の正体を他人に向かってすべてさらけ出さなければならない筈だ。それをして初めて文章を他人に発表する資格がある。つまり、よくある匿名ブログみたいなもので本を出しちゃあいけないのであります。勿論、商業的な意味で匿名で本を出すっていう意味はありだが、その場合は誰が読んでもそれは商業的な意味で匿名で出しているというのが見えている訳であり、実は本名(実名)がバレているケースがほとんどである。
 つまり、本を書くって言う行為は、他人を傷つけるかもしれないこともありうるし、書いた本人が気がつかないうちに他人を誹謗中傷することになってしまうことだってある。なので、基本的には本を書くという行為をする人は、自分が「何者」であるかをはっきりさせなければいけない。
 それがなんで、少年法に守られた「元少年A」なんだ』

『要は本人が、あの「酒鬼薔薇聖斗」であることがバレそうになると、職を転々とするというまさに第二部で語っているその事実が語っている。本当は、本人が「酒鬼薔薇聖斗」であることを受け入れて、それと同時に「酒鬼薔薇聖斗」として生きていかなければならない、という過酷かもしれないが、そんな過酷な生を受け入れなければ、生きていく価値はないという事実を何故受け入れないのだろうか。
 結局、自己憐憫の書でしかない本書は、それは当然被害者遺族にしてみれば許されるものではないものだろうから、被害者遺族には相談しないで出版をしてしまったんだろう』

 この考え方は今でも変わっていないし、むしろこの元少年A(現在は既に33歳だ)の再犯の危険性だって考えられるのだ。

 少年法には

『第六十一条  家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない』

 というのがある。つまり、この『週刊ポスト』の記事は厳密に言ってしまえば「少年法第61条違反」ということになる。

 しかし、『週刊ポスト』では人権問題に詳しい紀藤正樹弁護士が語る、として。

『元少年Aはすでに成人です。しかも、彼は自分の犯行を本にして出版しており、少年法61条に定められている“罪を推知する情報”を自ら公開している。だが、匿名のままではAが発信する情報に正確性や透明性は担保されず、国民は検証も論評もできない。それはおかしな話です。今回のケースは少年法61条の想定外であり、保護対象に入らないと考えます』

 との論評を得て

『幼い2つの命を奪いながらも、自己顕示欲を満たすための活動を再開させた男の名は、「東真一郎」――。』

 と明らかにする。

『「東は社会復帰後、氏名ともに変えて生活している。浜松のアパートで4年ほど暮らしていたそうですが、現在は都内に居を移しているそうです。改名した名前でパスポートも取得していると聞いています」(法務省関係者)
 すっかり別人として自由に生活している東。前出の藤本氏は警鐘を鳴らす。
「彼の作品を見る限り、『育て直し』を終えたはずのAの心は14歳当時に戻ってしまっています。犯罪学者の見地としては再犯の危険性も否定できません」(前出・藤本氏)』

 ちょっと残念なのは、「東真一郎」という改名した現在の「実名」は公開したのだが、「顔写真」は現在のではなく20年位前の中学生のころの顔写真だということ。まあ、面影はあるんだろうけれども……。

『週刊ポスト』は

『東の「育て直し」は成功したのか、社会復帰は正しかったのか――戦慄のHP公開によって、その疑問を改めて社会全体で問うべきではないか』

 とまとめるのではあるが、もっとはっきりと「東の育て直しは失敗した。社会復帰は間違っていた。もう一度、この東真一郎を保護観察処分にしろ。」と書いたっていいと考える。

 自らの出処進退をはっきりと示した佐川一政と、この自称「元少年A」実は東真一郎との立ち位置は180度異なる。

『週刊ポスト』の今回の処置は「蛮勇」と言えなくもないが、しかし、大方の支持は得られるだろう。

 編集長だって、そんな意識で企画を通したんだからね。

 ただし、「喝采」はちょっと褒め過ぎだったかな。失敬、失敬。

『週刊ポスト 2015/9/25、10/2号』(小学館/2015/9/14刊)

2015年9月14日 (月)

銀座、特別な日ではない、或る日

 特に何もすることのない日は、「なんとなく銀座」に来て写真を撮っていることが多い。

Dsc_00082_edited1

 家から近いということもあるだろうが、なぜ銀座なんだろうか。

Dsc_00092

 銀座の北隣は日本橋という昔はオフィス街だったけれども、現在は典型的なショッピング街がある。

Dsc_00142_edited1

 南隣は新橋だ。これも典型的なサラリーマンの街。

Dsc_00102

 東隣は築地、月島というこれまた典型的な江戸からの下町がある。

Dsc_00202_edited1

 西隣は三菱村を挟んで皇居だ。

Dsc_00242_edited1

 周辺にそんな典型的な街が存在して、銀座も昔はオフィスなんかも多かったのだが、今は典型的なブランド街になっている。

 そんな「分かりやすさ」みたいなものが銀座にはあるのだ。

 それが私を惹きつけるのだろうか?

 本当は銀座という街の「商業地であると同時に生活の土地でもあるし、また同時にオフィス街でもある」という複雑さについて語りたかったんだけれども、なんかどうもそちらの方向には行かない様子だ。これについてはもうちょっと銀座という街を勉強し直した方が良いのかも知れない。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Ginza Chuo (c)tsunoken

2015年9月13日 (日)

と、いうことで祭りの写真など……

 ということで、昨日は駒込天祖神社のお祭りのことを書いたので、その続き。

Dsc_00012

 今年は本祭りじゃないので大人の神輿の合同渡御はないようで、子ども神輿だけの渡御のようですね。

Dsc_00322_2

 ということで、まず小さい子たちの山車曳きが始まって……

Dsc_00402

 大きい子たちの神輿があとに従います。

Dsc_00852

 天祖神社に着くと……

Dsc_00892

 神主様からお祓いを受けて、皆、低頭。

Dsc_01362

 で、神酒所に帰って来て「シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、チャ」の一本締めの後は……

Dsc_01392

 皆楽しみにしていたお菓子と梨の配布です。

 まあ、こうやって最初はお菓子につられて地域のお祭りに参加しながら、大きくなってからは、普通にお祭りに参加するようになるんだろうな。

 まあ、これも地域コミュニケーションのひとつですね。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Hon Komagome Bunkyo (c)tsunoken

2015年9月12日 (土)

祭りの準備

『祭りの準備』といえば、1975年のATG作品で黒木和雄の映画だ。四万十市を舞台にした脚本家中島丈博の自伝的作品として知られている。

 なあんてこととは何の関係もなく、今日・明日は駒込天祖神社の祭礼だ。

 要は「祭りの準備」というブログ・タイトルを思い付いた時点で、そういえばそんなタイトルの映画が昔あったな、ということで。

Dsc_00052

 なので昨日はその準備で大童。

Dsc_00132

 駒込天祖神社のお祭り自体は特別大きなお祭りではなくて、ごく普通のお祭りなんだが……

Dsc_00192

 十四町会あるうちの「神明町会」が、もともとは駒込三業地があった場所の町会なので、一番賑やかで神輿も派手だし、担ぎ手も一番多い。今のマンションに引っ越してくる前はこの神明町会に属していたので、この派手なお祭りを目の当たりにしていた。

Dsc_00232

「宮元町会」が駒込天祖神社のお膝元なので一番威張ってはいますが、神明町会の規模の大きさにはかなわないんですね。

Dsc_00242

 私自身は町会としては大和郷会に属しているんだが、ここはお祭りには参加していないので、お祭りの際には(我がマンションとしては)上富士町会に参加しています。

Dsc_00022

 ということで、今日はマンション管理組合理事長として、午前9時半の子どもみこし、山車宮拝からのお付き合いです。

 今日も明日も結構忙しいですゾ。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Hon Komagome Bunkyo (c)tsunoken

2015年9月11日 (金)

『タモリと戦後ニッポン』っていうほど持ち上げていいもんか?

 いくら「タモリ=森田一義氏」が1945年8月22日の生まれだからといって、そんな特定一個人に日本の戦後世界を投影させようというのはちょっと無理があるのではないだろうか。

 特にタモリというちょっと特異なところのある人物にそれを負わせようというのは、サブカル系のライターとしてそうしたことをやりたくなる気持ちは分からないではないが、それはまさに針小棒大をモットーとする平岡正明氏的なやり方ではある。

Photo_4 『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高著/講談社現代新書/2015年9月1日刊)

 タモリの芸風が変化したのは確かに1982年の『笑っていいとも』が始まって、それまでの「深夜番組向けの大人のギャグ」や「密室芸」という芸風を一切シャットアウトした頃からであろう。

『誰もが疑問を抱くなかで『森田一義アワー 笑っていいとも!』は放送初日を迎えた。一九八二年一〇月四日正午、東京・新宿のスタジオアルタからの生放送でタモリは、髪型をトレードマークだった真ん中分けではなく七三に、衣装はアイビー調、サングラスもいつもより薄い色のものに替えて現れた。横澤彪いわく「森田一義」という新しいキャラクターをつくってやれば、昼向けの顔ができるとの狙いからだった。サブタイトルに「森田一義アワー」と掲げたのもそのためだ』

 という、それまでのタモリ・ファンを完全に裏切る形での芸風の変化ではあった。「四ヵ国語麻雀」「ハナモゲラ語」「中洲産業大学・タモリ教授」などの自ら仕掛けていった積極的な芸風は『笑っていいとも』ではずっかり影を潜め、完全な「受け」の形で笑いをとるといったスタイルへの変化がある。当時、伊武雅刀や小林克也の「スネークマンショー」やタモリの「今夜は最高」なんかの、どちらかというと「暗いネタ」を面白がっていた私が感じた「昼間のタモリ」の違和感は、当然、それまでのタモリを知っていた世代からは同様に違和感を持って受け止められたものだ。

『コラムニストの亀和田武が雑誌のコラムで、大衆の「知的スレッカラシと情緒面における冷感症的傾向」が加速度的に進行するなかで、毒舌とも知的とも言われたタモリのギャグはボルテージが急落したと喝破している』

 といった違和感は、同じくそれ以前のタモリを知っている者たちに共通するものだっただろう。

『日本の文化全般を支配していた「硬くて重いものが高級だという志向」をタモリはずっと批判し続けてきた。その虚飾がバブルの崩壊という一般的には歓迎しがたい事態によって吹き飛ばされたと語っているのが興味深い』

 それと同時に、日本人の(特に若者の)「笑い」に対する姿勢が変わってきた、という周囲の変化もあるのかも知れない。

『九五年以前は番組のオープニングから「テレフォンショッキング」のコーナーまでは基本的にタモリがひとりでこなし、レギュラー出演者は(いいとも青年隊やテレフォンアナウンサーなどをのぞけば)誰も顔を出さなかった。「テレフォンショッキング」の始まる時間も早かった。それが九五年一〇月から、オープニングに五分ほどのミニコーナーが始まる。当初こそ番組冒頭における「テレフォンショッキング」の地位はまだ保たれていたものの、二年半後の九八年春からはオープニングコーナーに本格的に時間が割かれるようになり、その構成は番組末期まで続いた。オープニングをタモリが独占しなくなったことは、「森田一義アワー」を冠した『いいとも!』のアイデンティティを揺るがす事態ともとれる』

『こうしたゲームコーナーの登場を、『いいとも!』の分岐点であったととらえる向きもある。 『いいとも!』に一時期参加していた放送作家の高橋秀樹は、本来ああいうゲームには、さんまやタモリを参加させてはいけないと批判している』

『ここから、『いいとも!』は笑わせるのではなく、タレントが一生懸命やって失敗するのを「笑われる」ような笑いへとシフトしていった』

 というよりも、それは『笑っていいとも』だけでなく、日本人の「笑い」が、それまでのコメディアンが「客を笑わせようと一生懸命ギャグを入れる」というスタイルから、タレントが失敗したり、司会のコメディアンは何かを「振る」だけで、後はひな壇芸人のリアクションだけで笑いをとるような形のテレビ番組が増えてきたという変化があるのではないだろうか。

 テレビの前の観客はタレントが何かをやって笑わせようというのではなく、失敗したリアクションを見て、そのタレントをバカにして笑ったり、タレント自らが大笑いするのをみて笑ったり、という私などの世代から見ると、その何が面白いのか分からないのに、笑っているという形に変化してきている。つまり、それが「笑わせる」から「笑われる」へ、という変化なのだろう。

『七〇年代半ばにデビューしたタモリはほとんど正体不明の存在としてテレビに突如現れた。その芸はマイナーで毒も多かったにもかかわらず、しだいに一般にも受け入れられてお茶の間の顔になっていく。こうした森繁とタモリの受容の違いは、高度経済成長による日本社会の変化に起因するのではないか』

『高度経済成長が日本社会にもたらしたあらゆる面での均質化・平均化は、タモリという異色のタレントが大衆に受け入れられる背景となっていることは間違いない。しがらみの多い日本の精神的風土を揶揄するタモリの芸風は、地縁や血縁に縛られた農村を忌避して都会に出てきた人々にも受け入れやすかっただろう。また文化人の思考模写などの初期の持ちネタは、高学歴化が進んでいなければ一般的には理解されないまま終わっていたはずだ』

 というのは多少は当たっていないではないが

『《タモリの出現はギャグの事件であったというばかりでなく、思想的事件だった》とは、平岡正明の『タモリだよ!』の一文だが、タモリが戦後ニッポンの思想史上にその名を刻むとするなら、やはりその観察眼であり、過剰な意味づけを拒むその姿勢によってであろう』

 というあたりまで行ってしまうと、何か平岡正明氏の術中に完全にハマっていますね。かといって別に私は平岡正明を別に批判しているわけではなくて、それはそれで平岡氏のスタイルだからいいのである。

 さておき、たしかにタモリという特異なタレントはそれなりの存在感を持って日本中に飛び出したけれども、それをもって「戦後の思想史上のその名を刻む」というのは、ちょっと持ち上げすぎではないだろうか。

「それほどのもんじゃないよ」

 というタモリ氏自身の言葉が聞こえてきそうである。

『タモリと戦後ニッポン』(近藤正高著/講談社現代新書/2015年9月1日刊)

2015年9月10日 (木)

『地方消滅 創生戦略論』の「なるほど」感に本当は地方の人ほど気づかなければいけないのだけれどもなあ

 基本的なことを言ってしまうと、要は「東京モデルを捨てよう」ということなんだなあ。

『東京に追いつけ追い越せと東京のほうばかり向いてがんばったり、東京の尺度での努力を続けても、それは大が小に勝つに決まっているので、そういうがんばり方はやめましょう、もっと地域の固有の価値を見直しませんか』

 ということ。

『地方創生の本質は、結局、地域それぞれが持っている比較優位にどこまで集中できるかということです。東京は東京らしさを追求すべきだし、盛岡は盛岡らしさを追求したほうが、日本のトータルの経済も大きくなって、生産性も上がるんですよ』

 ということなので、実はそんなに大変なことじゃないんだけれども、役人の世界からすると、これが大変なことなんだなあ。

Photo_2 『地方消滅 創生戦略論』(増田寛也・冨山和彦著/中公新書/2015年8月25日刊)

 基本的なことを言ってしまうと

『いち早く高齢化し人口減少に悩んでいる日本の地方は、世界の「課題最先端地域」である。地方が自らの課題を解決する取り組みは、世界最先端の研究課題を行っているに等しい。自らの足元に地方発の新たなビジネス・チャンスが眠っている』

 ということ。地方の「弱み」をツブし、「強み」を如何に伸ばすかということを研究課題にすればいいのに、その逆に「弱み」を如何にして「弱くさせなくするか」ということばっかりに注力しているから、逆にその地方の「強み」に気づかなくさせられているということなのである。

『要は、地方経済は右肩下がりなうえ、生産性も下がっているので、若い人をひきつけるような「相応の賃金」「安定した雇用」「やりがいのある仕事」を提供できない。そのため、若者は地方から流出してしまう。すると人口が減少し、経済もさらに衰退していく。そうした負のスパイラルが起きてしまっています。
 従来、経済が衰退すれば人出は余るというのが常識でした。しかし東北地方を筆頭に、現在の日本の地方では急激な人口減少が進んでいます。とりわけ一五歳から六四歳までの生産年齢人口の減少が先行的に進んでいるため、「経済が衰退しているのに人出が足りない」という、これまでのパラダイムを大きく転換するような事態が起きている。
 これを乗り越える、つまり正のスパイラルへと逆回転するためには、どうすればいいのか。経営の視点からいえば答えは簡単です。地方の企業が一生懸命、生産性を高めることで賃金を上げ、できるだけ正社員として安定雇用を行うことで働き手をひきつけるしかない。要するに、「ちゃんと経営しましょう」ということです』

『ある意味、地方経済が中央の縮小コピーになっていて、政・財・官のトライアングル構造ができあがっている。このことは地方の生産性向上を阻む一つの要因だと思います。地方の場合、そうしたトライアングルが切磋琢磨してイノベーションを起こして、生産性を高める方向ではなく、中央に陳情して補助金を獲得したり、政府系金融機関からお金を引っ張ってくることにエネルギーを使ってきました。私の印象だと、七対三で陳情のほうに力点がある』

 むしろ大事なのは、そういった地方には思い切った「選択と集中」でもって、向き合うべきだという。

『本当にやる気とポテンシャルのある産業、企業、経営者、つまり「強き」に資源を集中するようなプランを出してきた地方にお金や権限を与えるべきですね。
 それは、地方間の格差につながるし、同じ地方のなかでも格差をつけることになります。しっかり応援してもらえる「強い」産業や企業と、市場からの退出を促される「弱い」産業や企業とのあいだにメリハリをつけることができるか。「強き」も「弱き」も共倒れになってしまわないために、ここが地方を応援する際のカギだと思います』

 そして、そんな地方発のイノベーションを興そうというのである。たとえば原発事故のあった福島は、それを逆手に取って原発廃炉の先進地区にしてしまうとか。

『また福島には原発廃炉のためのロボットをはじめ、これから必要になる技術がわんさかありあすから、福島県に世界最先端のロボット研究拠点をつくろうという「イノベーション・コースト構想」があります。具体的には、福島第一原子力発電所に廃炉研究の拠点を設置するとか、楢葉町に廃炉作業用のモックアップ(原寸模型)を建設してロボットの試験をしたり、という計画が進んでいます』

『正確なデータをふまえながら原発事故による放射能汚染という危機を乗り越えて、震災前から抱えていた人口減少、産業の衰退、労働力不足といった課題を一つ一つきちんと解決することが福島の復興につながると思います。正確な情報に基づかずに、福島はもうダメと危機を煽ってっも復興には至らない』

『本書の冒頭で申し上げたように、賃金の源泉は経済的利潤、つまり付加価値です。付加価値が伸びないと賃金も伸びません。地方の悪循環とは、生産性が低いため賃金水準も低く。若い人は東京にいってしまう。そこでまた経済が縮小し、密度が下がるから生産性も下がる。そして賃金がさらに下がる……ここから抜け出すには生産性を高めるしかないのです。
 先ほども述べましたが、経済成長には人口増加以上に生産性の向上が効いてきたという人類史上厳然たる事実がある。日米を比較しても分かるように、これはつい最近においても当てはまります。そう考えると、持続的な成長がアベノミクスの最終的なゴールだとすれば、そのために欠かせないのは生産性向上であり、その余地があるのは、圧倒的にローカルの経済圏なんですよ』

『「伸びしろ」はこれからの地方を考えるときのキーワードですね。しかもローカル発のイノベーションの可能性も高まっている。現在起きつつあるイノベーションの例として、自動運転、Uber、ドローン、人工知能、IoTなどが挙がりましたが、いずれも、地方でこそ活きる技術でした』

 うーん、なるほどなあ。確かに、現在伸びきってしまっている東京の経済に頼るよりは、現在はまったく縮んでしまっている地方の経済を如何に伸ばすかを考えた方が、可能性は高いということなのだろう。

 問題は、地方に住む人たち、県民、行政、県会市会議員たちがそのことに気づいていないか、あるいは気づいていないフリをして、ひたすら東京からカネやモノを引っ張ってくることばかりに血道をあげているということなのだろう。

 本当はそんなことじゃなくて、地方自身の力で離陸をしなければ、いつまでたっても地方の自立はやってこないってことなんだけれどもなあ。

『地方消滅 創生戦略論』(増田寛也・冨山和彦著/中公新書/2015年8月25日刊)

2015年9月 9日 (水)

『出科研「電子書籍市場推計」を開始』って、なんか「今さら」な記事について

「出版界唯一の専門紙『新文化』」の9月3日の一面記事が『紙版プロモーションはどう変わる? 出科研「電子書籍市場推計」を開始』っていうものなのだが、何だか今さら? って感じですね。

2

 まあ、元々出版科学研究所が出している「出版月報」や「出版指標年鑑」自体が、日販、トーハンなどの取次や、講談社などの大手出版社が出しているデータを引き写しただけのもので、出版科学研究所独自の調査結果なんてものはなかったのだった。

 それが

『出版科学研究所(出科研)が2015年1月分から電子書籍の市場規模推計を開始する。通期と上半期の年2回、独自調査による市場推計規模を出科研が発行する「出版月報」で発表する予定』『毎月発行する「出版月報」内に、電子書籍の売れ筋動向などを報道する常設ページを設ける。電子書籍市場の動向について毎月の連載を続ける中で、出版社、電子書店、電子書籍取次に対するヒアリングを重ねて、関連情報を蓄積していく。これにより、市場規模を素早く推計できる態勢を構築したい考えだ』

 という風に変わって来たのだから、ちょっとは期待してもいいのかも知れない。

 勿論、電子書籍市場規模の独自調査を始める第一の理由は「売り上げ規模が無視できない大きさになった」ということなんだけれども、そんなことは電子書籍登場時点ですぐにわかっていたはずなんだけれどもねえ。多くの電子書籍が出版取次を通さないで流通されていることから、その調査方法が見つけられずに、結局は一番データが提供されている取次データにばっかり頼っていたツケがここにきて回ってきたということなのだろう。

 つまり出版科学研究所が長らく言っていた「出版不況」という言葉が、実はそれは単に「紙の出版不況」でしかなく、電子出版を積極的におこなってきた、いくつかの大手出版社にとっては無縁のことだったというのが、遂にバレちゃったということなのである。

『一方、電子書籍市場動向に関して業界標準となるデータを長年提供してきたのがインプレスの「電子書籍ビジネス調査報告書」である。03年に発刊を開始し、以後毎年電書籍の市場推計データを発表している』

 ということで、このままいけば出版科学研究所のデータは(少なくとも大手からは)いずれ出版社から相手にされなくなり、出版科学研究所の存立そのものの危機になるという緊張感が、やっと彼ら自身の問題として認識されたものなのである。

Photo_2

 ただし

『電子書籍の市場調査は、紙の出版市場調査とは違った難しさがある。たとえば書籍の場合、流通量の大半が取次経由のため、取扱いデータから状況把握ができる。一方、電子書籍は、大手出版社は書店と直接取引するケースが多く、取次会社の持つデータだけでは全貌がつかめない。また、再販制により紙の出版物は価格が固定であるが、電子書籍は自由に動く。販売冊数から市場規模を推定することは不可能だ。
 販売形態も多岐にわたる。紙にはない読み放題サービスや、記事単位販売の市場も無視できない。コミックの場合は、プロモーションのための1巻目無料提供などがほぼ常態化している。
 市場規模の推定には、電子書店や出版社から売り上げデータを入手する必要があるが、簡単には提供してもらえないし、ジャンル別データを入手するのはさらに難しい』

 という難しさがあるが、それはまあ、これまでラクしてデータを入手してきたことに対するツケを支払っているんだから、それは仕方がないね。まあ、出版市場もこれからは一般市場と同じように、再販制度なんてものとは関係なく動いていくってことを理解するしかないのだ。取り敢えず、これからは独自の調査方法を探して、いろいろ苦心してデータを作っていくしかないだろう。勿論、講談社や小学館、KADOKAWAなどはそのデータ作りには協力していくだろうから、それを頼りにして行くしかない訳なのであるが、当然、それら各社が提供するデータには、それら各社がかけたバイアスがあるだろうから、それをどう判断していくかというノウハウは自分たちで構築していかなければならない。

 出版社自身もこれまでは「再販制」「委託制」という二大保護制度に守られてきていたわけなのだが、出版の電子化が全盛時代になってこの二大保護制度もほぼ瓦解する日も近いだろう。同時に、その出版社に対してマーケット・データを提供する方も、出版社と同じく保護制度に守られてきた仕事のやり方を変えなければならないのは当然のことである。

『出版社にとっては、コンテンツのリーチ、さらには知財活用状況などの市場分析も必要となってくるだろう。
 電子書籍市場の拡大とともに、コンテンツ提供形態の多様化が加速することは間違いない。市場戦略の展開には無料サービス、読み放題サービスなども含め、さらには紙と電子の市場をトータルで見られる推計データの必要性が高まるはずだ。
 出科研の新調査により、出版社にとってマーケットの状況を把握する新たな視点が提供される。紙と電子の関連性を追うという点において、それは書店などにとっても有益だろう。目前に迫った“紙だけでは生き残れない時代の指標”として、双方を見据えた調査に対する期待は大きい』

 とまとめた『新文化』だが、はたして出版科学研究所が自らの独自調査方法を確立して、取次や大手出版社のブラ下がり調査機関から脱出し、取次、大手出版社からの真の独立を獲得できるかどうか、実際には「見もの」ではある。

 まあ、私は実は「できない」方を予想しているんだが、もし「できる」のであれば、それはそれで慶賀ではある。

 出版科学研究所のメンバーには頑張ってもらいたいとエールだけは送らせてもらおう。

2015年9月 8日 (火)

『マンション防災対策入門』講座を受けてきた

 一昨日は株式会社つなぐネットコミュニケーションズ主催の講座『マンション防災対策入門』を受けてきたので、そのご報告。

Dscf67322

「株式会社つなぐネットコミュニケーションズ」というのは、元々丸紅の子会社として設立され、その後、丸紅、三菱地所、東京建物の三社体制になって、基本的にはマンション向けのインターネット接続サービスを提供している会社だ。

 そのインターネット接続サービスに乗せて「マンション向け緊急地震速報サービス『SCOOP』」を提供開始するところから、マンション管理組合向けの総合地震対策のサポートを開始、その後、「『マンション内被災生活』実現支援プログラム」というのが2013年度グッドデザイン賞を受賞したことから、昨年、「マンション防災担当育成講座『マンション防災対策入門』というのを始めて今回に至るということなのだった。

 地震などによる災害に対して防災に必要なのは三つの力というのがあって、まず自分で自分や家族の命を守る「自助」、地域やマンション内などで協力して助け合う「共助」、そして行政機関等が災害支援を実施する「公助」というのがあるのだが、基本的に言ってしまうと、この三つの力のうち「自助」が全体の7割、「共助」が2割、「公助」が1割の力を発揮するということ。阪神淡路大震災の際は全体の8割が近隣住民による救出であったというくらい、自助と共助が大切だったということなのだ。

 つまり、行政機関などによる災害支援はその立ち上がりの遅さもあり、災害発生からかなりの時間がかかってしまい、結局、そうした公的な災害支援が立ち上がるまでは「自助」ないしは「共助」でもって、被災者を助けていかなければならないということなのだ。

 まあ、考えてみればそれは当然であって、とりあえずはマンション内の住民や、地域住民との助け合いでもってお互いを支え合うという関係を作っておかなければならないということが、防災対策としては一番重要だということだ。

 自助はまあ当たり前なので、ここでは触れないが、共助というものが基本的には一番大事だということになる。で、その「共助」の前提になるのが「まずは現状を知ること」。

 現状把握にはポイントが4つあって

①地理条件 どんな場所に立地しているのか。
②構造条件 どんな構造なのか。強さはどうか。
③設備条件 どんな設備があるのか。どんな対応ができるのか。
④居住者条件 どんな人が住んでいるのか

 という4つのポイントに従って現状把握をしておくのがまずは大事なことだという。

①地理条件に関しては調べる方法があって、「JSHIS地震ハザードカルテ」というのが防災科学研究所というところから提供されているので、それで簡単に分かる。例えば、今私が住んでいる「東京都文京区本駒込6丁目」だとこんな具合。

Photo

 当然、東京都なので今後30年の間に震度5弱、5強が90%以上の確率でやってきて、6弱も50%の確率でやってくるということが分かる。皆さんも上記の「JSHIS地震ハザードカルテ」で簡単に分かるので、ご自分の住所を入れて調べて見ると良いでしょう。

②構造条件に関して言うと、今私が住んでいるマンションは「耐震強度1.1」という、通常のマンションの強度に対して1.1倍の強度で作られている。ちなみに学校や病院が1.25倍、警察などが1.5倍という強度だそうだ。

③設備条件は、まあこれからだな。取り敢えずどんな防災用品を揃えてあるかは管理組合理事長としては把握しているが、実際にそれを使ったことはないから、これから初めての防災訓練があるから、そこで把握しておくしかないだろう。

④居住者条件もこれから。取り敢えずオーナーの団体である管理組合とは別に親睦会という居住者のための組織を立ち上げたばかりである。

 いずれにせよ、こうした資料をそろえて「防災マニュアル」をこれから作らなければならないというのは、結構、管理組合の仕事も結構大変だなあ、と考えた次第。

 まあ、じつはこの講座を受けた理由はそんな前向きな理由だけじゃなくて、実は他のマンションの管理組合ってどういう運営をしているんだろうという興味から、他のマンション管理組合の理事の方々と知り合いになりたいというのが目的ではあった。

 今回は東京建物アメニティサポートというマンション管理会社が管理するマンションの管理組合が対象ではあったのだけれども、今後は本駒込6丁目のマンション管理組合の横の連携を企んでいる私なので、これからどうやってそれを作り上げるか、結構、息の長い思い込みなのであります。

Dscf67342

2015年9月 7日 (月)

『国境のない生き方』って言うか、本当にヤマザキマリさんは「自分語り」が好きな人なんだなあ

 9月1日のブログ『地球で生きている ヤマザキマリ流人生論』では、あえてそうした部分を外してその本について語ったりしたんだけれども、こっちの本になっちゃうと完璧に「自分語り」のエッセイだもんなあ。

 まあ、別に自分語りをしちゃあいけないってことはないんだけれども、要はエッセイやブログって、他のテーマを書いているようでいながら、実はすべてが「自分語り」だったりするわけで、その「語り方」でもって「これは自分語り」かそうじゃないかってことを分けたりするんだが、もうこの本になってしまうと、完全に「自分語り全開」って感じですかね。

Photo 『国境のない生き方 私をつくった本と旅』(ヤマザキマリ著/小学館eBooks/2015年4月17日刊)

『私をつくった本と旅』の「旅」の部分の始まりをピックアップすると以下の通りになる。

『オーケストラのヴィオラ奏者をしている母は、ヨーロッパに音楽家の友人がたくさんいます。一か月かけてフランス~ドイツ~ベルギーを巡るその旅は、もともとは母がその人たちに会いにいくはずのものでした。ところが、急に母が行けなくなったので、冬休みだった私が代わりに行くことになったのです』

『私の母は、いざという時、世間の常識より自分の直感を信じているところがあったので、この旅が私にとって特別なものになることに賭けたのだと思います』

『死に物狂いで窮地を切り抜けようとすれば、一四歳でも立派に自分の哲学を持てるのです。これは、私自身にとっても驚きでした。一四年しか生きていなくても「自分でなんとかするしかない」と思えば、ひとりの人間としていろんな判断ができる。意外に頼りがいのある自分を発見して、それが自信になっていく』

『失敗を恐れて、動き出せない人は、自分の中で全部をやろうとしてるんじゃないでしょうか。一か所にとどまっていると、悩みばかりがどんどん成長していってしまいます。もうだめだと追い込まれた時こそ、世界に向かってもっと自分を開いていった方がいい』

『初めてのひとり旅も終盤、ブリュッセルの駅でパリ行きの列車を待っていた私は、自分がへんな人につけ回されていることに気づきました』

『それがイタリア人の陶芸家マルコじいさんとの出会いでした。  彼は、私を家出少女と間違えて心配のあまり声をかけてきたのです』

『そうして列車がパリに着くまでの間、いかにイタリアの美術が素晴らしいか、マルコじいさんは熱く語り続けました。まさかそれが自分の将来を左右する出会いになるとは、この時はまだ思ってもいませんでした』

 その後、ヤマザキマリさんは当時同棲していたジョゼッペとの間で子ども、デルスを産むのだが、その後、ジョゼッペとは別れ、取り敢えず日本に帰って来て絵描きの才能を漫画家へと向けようとする。

『何がなんでもこの資本主義社会を泳ぎきって、この子を育ててみせる。そう思ったら、なんでもできる気がして、それで漫画を描こうと思ったのです。息子が生まれなかったら、たぶん一生、漫画を描こうだなんて思わなかったでしょう』

『日本から手当たり次第に雑誌を送ってもらい、ちょうど告知が出ていた講談社の少女漫画誌『mimi』の新人漫画賞に応募したら、努力賞に入選。賞金一〇万円をもらうことができました。その一〇万円で飛行機のチケットを買うと、私は、子どもを連れて日本に戻ることにしたのです』

 と、ここまでは漫画家としては順風満帆。ところが、この後、『テルマエ・ロマエ』の企画に乗らなかったのは、多分、講談社の編集者なんだよなあ。

『その頃、某出版社の編集者に『テルマエ・ロマエ』の読み切りの第一話を見せたけど、「趣旨は面白いけど、主人公は日本人にしませんか」と、なかなかこっちの思うところが伝わらなかった。やっぱり、編集者としては売れる漫画にしたいから、どうしても「あるある感」を求めてしまうんでしょうね。いきなり古代ローマ人とか言われても、という反応でした』

 で、結局、ヤマザキさんは『コミックビーム』という、ちょっとマイナーな雑誌に売り込むわけなのだが。

『それで彼女が出版社の編集者を紹介してくれたけどだめだったので、今度は『コミックビーム』の彼女の担当さんを紹介してくれて、そうしたら「へんな漫画、描きますね~、載せましょう」と。最初は一話だけのつもりだったのが、そこから『テルマエ・ロマエ』の連載につながっていきました』

 でも、結局その雑誌がマイナーだったために、講談社連載だったらそれなりの映画化原作使用料も取れたんだけれども、そんなマイナー出版社だったんでたいした原作料も取れずに終わってしまったという愚。まあ、ビデオなどの二次使用料からの配分はあっただろうから、それなりの収入はあったはずだ。

 で、結局、ヤマザキさんはあのマルコじいさんの孫、ベッピーノと出会い、13歳年下のベッピーノと結婚してしまうのだった。

 まあ、目がパッチリとして結構美人なヤマザキマリさんだから、イタリア男なら離さない筈だとは思ってはいるのだが、やっぱりねって言う感じだ。

 ただし、結婚はするけど、さすがにイタリア人。シリアに行ったり、リスボンに行ったり、シカゴに行ったり、まあ、腰は据わらないわな。多分、その間に結構浮気なんかもしていたりするんだよなあ、イタリア男だからね……。

 それでも、それを面白いと考えるヤマザキマリさんがいる限り、それはそれで面白い。

『私も、まだまだ一か所にとどまる気はありません。
 人間は動く生き物なんだから、移動するのが当たり前。旅をするのも当然のこと。
 生きているからには、感動したいんです。感動は、情熱のガソリンですから。ガス欠になると途端に頼りない人になっちゃうので、まだまだ動きますよ、どこまでも!』

 というのが頼もしい。

『国境のない生き方 私をつくった本と旅』(ヤマザキマリ著/小学館eBooks/2015年4月17日刊)

2015年9月 6日 (日)

鶯谷・元三島神社

 JR山手線(京浜東北線)の鶯谷の駅の傍に「元三島神社」というのがあります。

 といってもねえ、鶯谷駅の周辺ってラブホテルばっかりなんだよなあ。なんで、この地域にラブホテルがたくさんできたのか。まあ、多分上野駅周辺の歓楽街(が、昔はあったのだろう)の流れなんだろうなあ。だって、鶯谷駅周辺にはラブホテルはあるけれども、歓楽街っぽい雰囲気はまったくないんですよね。その辺が、新宿歌舞伎町辺りとはまったく違う雰囲気。

Dsc_00042

 で、そのラブホテル街のまん真ん中にあるんですねえ、元三島神社は。

Dsc_00062

 元三島神社の祭神は「大山祇命、伊佐那岐命」だそうだ。

Dsc_00092

「三島神社」という名前から、静岡県三島市の「三島大社」との関連があるのかな、と思って調べたんだけれども、三島大社の祭神は「大山祇命、積羽八重事代主神」ということなので、「大山祇命(おおやまつみのみこと)」は一緒だけど、「積羽八重事代主神(つみは やえ ことしろぬし の かみ)」というのは大国主の子供だから、変な話、三島大社より元三島神社の方が社格としては上ってこと(?)。

Dsc_00122

 そんな由緒正しい神社がラブホテル(昔は曖昧宿と呼ばれた)のど真ん中にあっていいのか? という疑問もないではないのだが、でも、なんとくそれでもいいのだと思ってしまうのが、日本人の宗教感覚なのかな。

Dsc_00192

 で、それとは全然関係なく、鶯谷には私の親戚の菩提寺である法昌寺というお寺があって、そこの境内には変なものがあるんですね。

Dsc_00352

 それがこれ。

Dsc_00392

 仙台育英高校ボクシング部出身で、プロになったんだけれども、そのノーガード戦法がたたってパンチ・ドランカーになってしまい、お笑いに転向してコメディアンになったんだけれども、最後は伊豆の海で河童の川流れ(海流れ?)になってしまって亡くなってしまったたこ八郎さんのお地蔵さんがあるんですよね。

「めいわくかけて ありがとう たこ八郎」と刻まれてあるのが、ちょっと悲しいお地蔵さんです。

 まあ、それだけ。だからどうだ、ってことはないんですけれどもね。

 下町の日々なんて、そんなもんですよ。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Shitaya & Negishi Taito (c)tsunoken

 

2015年9月 5日 (土)

浅草・仏壇通り

 浅草の観音様を出てちょっと南に行くと、浅草と上野をつなぐ「浅草通り」に出る。

Dsc_00082

 この浅草通りを別称「仏壇通り」と呼ぶのだそうだ。

Dsc_00132

 確かに、仏壇、仏具、位牌、数珠、線香、仏像、寺院仏具、盆提灯、神棚、神輿など、仏教・神道に関する宗教用具が何でも揃う通りではある。

 私も故人の位牌を買いに来た記憶がある。それはどうでもよい。

Dsc_00232

 で、面白いのはここ「仏壇通り」ではあるけれども、道の両側に神仏具屋さんがあるのではなくて、ほとんどの神仏具屋さんは道の南側にあるんですね。北側にあるのは1軒か2軒。

 ほら、浅草から上野に向かって右側(つまり北側)は、ほとんどがオフィス・ビルやマンションなんですね。

Dsc_00282

 道の南側にあるということは、店はすべて北側に面しているということ。

 別に、北枕とか西枕とかいうこととは関係なく、要は道の北側に店を作ってしまうと、店は南側が表になってしまって、それでは展示物が日に焼けて傷んでしまうだろうということから、店は北向き、ということは店の配置は南側、ということになったのだそうだ。

Dsc_00312

 ふ~ん、なるほどなあ。

 と思っていたら、身近にそんな例があったことに気が付いた。

 つまり、神田の古書店街、靖国通りの小川町あたりから神保町、九段下あたりまで続く古本屋さんもみんな靖国通りの南側に店を構えている。

 反対側は飲食店やスポーツ用品店などがあるんだが、まあ、それもやはり本(元々古本だからね)を日に焼けて傷ませないような気づかいなんだろうな。

Dsc_00132_2

 なるほどなあ、商店街ができるのにも、それなりの町特有の理由というか、事情がいろいろあるんだなあ。

NIKON Df + AF NIKKOR 24-85mm f/2.4-4 D IF @Asakusa, Ueno, Jimbocho (c)tsunoken

2015年9月 4日 (金)

『かんたん「1日1食」!!』って、「万病が治る」は大袈裟だけどね

 1日1食にするとどんどん健康になるってのは分かるんだけれども、問題は「人間は何故腹が減るんだろう」「腹が減ると何故精神不安定になるんだろう」ということなのである。そこに、何らかの答えを出さないと、単純に「1日1食」を勧めても意味がないんじゃないか。それに対する答えはない。

 というか、今回もそれに対する答えは示されなかった。

Photo万病が治る! 20歳若返る! かんたん「1日1食」!!』(船瀬俊介著/講談社文庫/2015年8月12日刊)

 とは言うものの「空腹を楽しめ」という言い方は、私もなんとなく理解ができる。というか、かく言う私も「1日1食」は大袈裟だが、「1日2食」なのであります。朝食はまあ普通に摂る。昼食は摂らない。夕食は摂るが、炭水化物は摂らない、ただしお酒(蒸留酒)は結構頂きますな。で、結構調子はいいです。サラリーマンやってる時からメタボで治療はしているが、最近の検査の数値は大変良くて医者からは褒められている状況。なので、この「1日2食」を、もう一回減らすというのは、かなりリアルには感じられるのだ。体重もサラリーマン当時からは10kg位落ちてる。

『「ファスティングは、万病を治す妙法である」
 これは、五〇〇〇年以上の歴史を誇るヨガの教えです』

『ヨガには、次のような教えがあります。
「腹八分目で医者いらず」「腹六分目で老いを忘れる」「腹四分目で神に近づく」』

 とは言うものの、70年以上、何も食べず、飲まずに生きているという、ブララド・ジャニ翁というインド人のヨガの行者というのは俄かには信じがたい話だ。ところがインド国防相と科学者の合同チームがジャニ翁の不食研究を行ったそうだが、本当にこのジャニ翁は水一滴も飲まなかったそうだ。研究チームのスデイル・シャー博士によれば

『「ジャニ翁が生命エネルギーを、水や食糧から得ていないことは明らかです。であれば、周囲からエネルギーを得ているに違いない。たとえば、エネルギー源が日光の可能性すらある」「とにかく、カロリー以外のエネルギー源があるはずだ」』

 ということらしい。

 えっ? ということはジャニ翁は「(日光エネルギー=)光合成で生きている」というのだろうか。でも光合成っていったら、葉緑素がなければいけないだろうし、だいたい光合成って「二酸化炭素を取り込んで、酸素をはき出す」んでしょ? それじゃあ人間は生きていけないもんなあ。

 そうなるとオーストラシア人で、完全不食のジャムスヒーンさんみたいに、「プラーナ(宇宙エネルギー)」で生きているという話になっちゃうんだけと、ここまで行くとなんか眉唾だなあ。

 まあ、そういう「超人」たちの話はさておいて、我々凡人であっても、別に1日3食を摂らなくても別に全然大丈夫というのは事実であるだろう。というか、江戸時代までの庶民は基本的に1日2食だった。朝飯前の一仕事(ボランティアみたいなものだったらしい)を終えたら朝食。自分(職人仕事)の仕事の最中は簡単なおやつを頂き、家に帰って早めの夕食を食べたら、もうすぐに寝ちゃうという生活だった。なので、基本的に1日2食プラスアルファ。それで十分腹は満たされるし、生活には何ら困らなかったわけである。

 私が1日2食にした理由というのもその辺にあったりするわけなのだが、ただし、江戸庶民と現代の私たちの生活を取り巻く変化というものがあって、特に夜の生活が大きな変化を遂げている。つまり、電気というものができたおかげで「夜更かし」という生活上の大変化があった。そのために昔は夜明けと共に起きていた人間も、朝起きるのがとても遅くなったというのもあって、それで1日3食食べるようになったのも知れない。まあ、このブログを書いているのだってもう12時近い時間だしね。普通、私がブログを書く時間はこの頃。つまり、私のブログは基本的に「酔っ払いブログ」なんであります。

 結局、常に空腹状態にしておくと、それに対する危機感から「自然治癒力」というものが働くということなのだそうだ。

『では、ヒポクラテスが説いた「自然治癒力」とは、いかなるものでしょう?
 その原理の根源にあるのが、ホメオスタシス(生命体恒常性維持機能)です。これは、動植物を問わず、単細胞の生命体から、多細胞性物まで、あらゆる生物に備わっています。それこそ「生命の根本原理」です。つまり、生体には常に正常な状態を保とうとする働きが備わっているのです。
 あなたの体もそうです。恒常性を維持する機能が、常に働いています。
 その典型が体温です。ヒトの平均値は約三六・九度。夏場、猛暑にさらされると汗がダラダラと流れます。それは、あなたの身体が、汗の気化熱を利用して、体温を冷まそうとしているのです。逆に、氷点下、酷寒の真冬では身体はガタガタ勝手に震えます。それは、筋肉を小刻みに動かして、血行を促進して、体温をあげようとしているのです。
 これらは、だれも意識して行っていません。しかし、生命体は、生存するために、これらの働きを示すのです』

 という「自然治癒力」を利用して、常に空腹状態にすることによって「心臓病/脳卒中/認知症/うつ病/ガン/肝臓病/腎臓病/糖尿病/勃起不全/不妊症」などを治しちゃおう、というのが「1日1食・ファスティング」ってわけなのだ。まあ、勃起不全なんてものは、年齢によるものがあるだろうから、私なんかは多分1日2食と1食減らしても、相変わらず朝勃ちはしませんね。えっ? 1日1食だったら朝勃ちするんだろうか。

 で、お相手は誰とという問題が次に来るんだけれどもなあ。カミさんはもうセックス嫌がってるしなあ。まあ、それは個人的な問題として。

 問題はそうじゃないんだよなあ。

「少子化」の原因まですべてこの食生活に求めてしまうのはいかがかなとは思う。

『結論から先にいえば、先進諸国の少子化の原因は、まず、動物性食品への偏り。さらには飽食、過食、美食がその元凶です。それは一九七七年、米上院栄養問題特別委員会(マクガバン)報告で、指摘されたとおり。先進国を悩ませるガン、心臓病、糖尿病、高血圧症から精神疾患まで――欧米食が元凶――だったのです』

 勿論それもあるだろうが、それ以上に少子化に至る政治的、経済的、社会的、文化的背景も考えるべきで、食事だけにその原因を求めてしまうと、肝心のところが見えなくなってしまう。食に関するジャーナリストとしては、すべての原因を「食」に持っていきたいと考えるのは理解できなくもないが、そればっかりになってしまうと、肝心のところが見えなくなってしまうという「愚」も犯すことになってしまうので、ご注意、ご注意。

 ただし『人類が到達した最高の食事……それが日本の伝統食である』というマクガバン報告には、思わずニンマリしてしまいますな。

 まあ、ユネスコ世界無形文化遺産に選ばれた「和食」ではありますからね。

万病が治る! 20歳若返る! かんたん「1日1食」!!』(船瀬俊介著/講談社文庫/2015年8月12日刊)まだKindle版は出ていないようだ。

2015年9月 3日 (木)

「スポコン展」って……何だ?

「トムスエンタテインメント アニメ制作50周年記念」のイベントあるって聞いていたものだから、2020年の東京オリンピックのゴタゴタを予感していたと最近話題になっているアニメ「AKIRA」の素材にまたまた会えるのかなと思って行って松屋銀座に行ってみたら、なんとそれは「スポコン展」と題して開催されていたのだった。

Dsc_00032

 うんそういえば「あしたのジョー」や

Photo (c)高森朝雄/ちばてつや/TMS

「エースをねらえ!」や

Photo_2 (c)山本鈴美香/TMS

「アタックNo.1」や

No1(c)浦野千賀子/TMS

「巨人の星」など、トムスエンタテインメントになる前の、キョクイチ東京ムービーになる前の、

Photo_3(c)梶原一騎/川崎のぼる/TMS

 東京ムービー新社になる前の、東京ムービーの頃の作品群って、虫プロの下請けで作っていた時代を含めて、基本は「スポコン・アニメ」だったもんなあ。

Dsc_00022

 あの頃の東京ムービーって、大塚康生さんが作画指導をしながら、出崎統の斬新な演出テクニックでもって、日本の(というか東映始動の)アニメーションの世界に新しい表現技術を次々に開発し、「出崎アニメ」の世界を精一杯繰り広げていた時期ではある。

 その後、日本のアニメ・メジャーになって、「リトル・ニモ」とか「AKIRA」とか「ルパン三世」シリーズとかを作り始めて、現在の「アンパンマン」や「名探偵コナン」「弱虫ペダル」のトムスエンタテインメントになってきたという訳。

 1987年、トムスエンタテインメント年表で三鷹スタジオを作ったというのが、実はまさしく「アキラ・スタジオ」を三鷹下連雀のスーパーの二階に(私と一緒になって)作ったという事実であって、その後、「聖戦士ロビンJr.」「レイアース」などでトムスエンタテインメント(その頃はまだ東京ムービー新社)とかなり深く付き合ってきた私としては、感慨ひとしおではあります。

 その前身の「スポコン」時代の東京ムービーの回顧展なのでありました。

 まあ、それはそれでいいかな。

 その後の、キョクイチ傘下からセガサミーホールデイングス傘下になってからの状況を見ると、まだ私が付きあってきた時代の方が幸せであったかも知れない。

 とはいうものの、「トムスエンタテインメント(TMS)」というネーミングを取り戻しただけでも、良かったのかもしれないね。

「スポコン展」は9月7日まで松屋銀座で開催中。

公式サイトはコチラ

2015年9月 2日 (水)

行きたいな『北欧フィンランド』

 てらいまきさんはコミック・エッセイスト。自分で6月10月にヘルシンキで主にショッピング、12月にロヴァニエミへオーロラを見に行ってきたことを書いている。

 なかなか参考になる、ってことは私もフィンランドに行こうと考えてるってことなんですね。

Photo_2 『北欧フィンランド 食べて♪旅して♪お洒落して』(てらいまき著/実業之日本社/2015年5月28日刊)

 フィンランドについて私が知っていることは、ノキアとトーベ・ヤンソンとミカ・ハッキネン位なものか。

Photo_3

 基本的にフィンランドは英語が通じるのでラクだ。というかドイツ以北の地域は基本的にゲルマン語なんで英語とは近いんだろうな。

 以前、映像制作の仕事をしている頃に、フィンランド出身で、現在はベルギーでCATV向けに番組の売買のプロダクションを経営している男と知り合った。

Photo_4

 彼の奥さんはマレーシアの人で、会社にはオランダ人やベルギー人、イギリス人なんかもいたりする超国際的な人だった。ただし、いつもウィスキーの瓶を片手にしている酔っ払いだったけどね。

Photo_5

 で、当然会社のオフィシャル・ランゲージは英語で、彼が誰かの悪口を言う時は当然「フィニッシュ!」というのが面白かった。

Photo_6

 人口が500万人位しかいないフィンランドだが、国民の教育水準が極めて高いというのも、逆に人口の少なさが理由なのかも知れない。まあ、教育水準が国の資産みたいな捉え方のかな。

1

 う~ん、フィンランドか。行ってみたい国の一つだな。別にサウナなんかには行かなくてもいいけど、ヘルシンキに行って、特になにもしないで街をブラブラ歩くってだけでもいいかな、なんて気分になってくる。これはヨーロッパの国に行った時の基本で、とにかく街をブラブラ歩きするだけってのが最大のバケーションになるていうね。

 これがアジアの国に行ってしまうと、とにかく何かを見なければってなっちゃうのが不思議だ。

Photo_7

「かもめ食堂」なんて超ユルい映画もあったなあ。そんな「超ユルイ」感覚で行ければいいなあ。

 ようし、次の外国旅行はフィンランドにしよう。

『北欧フィンランド 食べて♪旅して♪お洒落して』(てらいまき著/実業之日本社/2015年5月28日刊)あれっ? Kindle版しかないのかなあ?

2015年9月 1日 (火)

『地球で生きている』って言っても、そりゃそうだ、というか人間どんな生き方もできるってことですね

 エッセイストとしてもいろいろ出ているヤマザキマリさんの「人生論」である。結構、「人生論」がお好きなようなヤマザキマリさんなのだが、なんか既視感のあるエッセイばかりだなあ。と思って初出一覧を見たら、そうか「Grazia」でエッセイをよく書いていたんだな。

Photo 『地球で生きている ヤマザキマリ流人生論』(ヤマザキマリ著/海竜社/2015年5月15日刊)

 勿論、いろいろなメディアで初出のエッセイをテーマごとにまとめているものである。

 で、テーマは

第一章 私の原点
第二章 女性論
第三章 表現論
第四章 芸術論
第五章 イタリア論

 というテーマ分けなのだが、う~ん、なんかあまりにも整然としていて面白くない。エッセイなんてものは、基本的には書き飛ばしなので、その書き飛ばしたままをランダムに本にした方が面白い。うん、その辺が海竜社という出版社の「お行儀の良さ」というところなんだろうけれども、逆にエッセイの面白さという部分では「ちょっとなあ」になってしまう。

 一番面白いのは、やはり「イタリア論」の前半、つまり、『私の著書『テルマエ・ロマエ』の時代設定について、なぜ紀元130年代なのか、なぜハドリアヌス帝の統治期を選んだのか』という部分である。

『ルシウスという古代ローマの浴場設計技師が日本の風呂文化から全身全霊でくまなく触発を受けるには。古代ローマにおける安泰期。ローマ人の言うところの“Saeculum Aurem(セクルム アウレム)”、「黄金の世紀」が不可欠だった。
 もう一つの理由は、そんなゆとりを生み出す「黄金の世紀」を長期にわたって可能にしたハドリアヌスという皇帝を、主人公を支える大事な人物として描いてみたかったからだろう。私は他とはちょっと毛色の変わったこの皇帝を、自分の絵にして動かしてみたかった』

『ハドリアヌスは千年に渡る古代ローマの版図が最大だった時期に皇帝になった人である。古代ローマをそこまでの規模にした貢献者は前任の皇帝トラヤヌスであり、彼は現在のハンガリーからルーマニアに該当する地域のダキアを戦勝して併合しただけでなく、王を亡くしたナバテア王国も属州アラビア・ペトラエにすかさず併合し、強国パルティアへの遠征においては困難を伴いつつもユーフラテス川沿にまで領地を広げた。トラヤヌスはその間、首都ローマにも浴場や市場など公共建造物などを積極的に建て、市民からも厖大な人気を集めていた』

『しかしこのハドリアヌスという男の複雑さやわかりにくさについて、私は同じように、ダ・ヴィンチやステーブ・ジョブズのような人たちを思い浮かべてしまう。もしハドリアヌスが単なる政治家としての皇帝であったらこういう解釈には至らなかったかもしれないが、この人は皇帝という地位にありながらも実は本人自ら建築家という表現者でもあり、実際2千年近い月日を経た今もなお崩れることなく壮麗な佇まいで今もローマに姿を留めるパンテオンや、ローマ近郊のティヴォリにある広大な敷地の別荘「ヴィッラ・アドリアーナ」といった建築学上の傑作を設計した人でもあるのだ』

『扱いづらくもこれだけ繊細で多彩に生きる事に一生懸命な人物が地球で最も大きかった国の統治者だったと思うだけで、そしてその姿を描くだけで、私の想像力は次から次へとあらゆる妄想を生みだしてくれるのだ』

 なるほどなあ、ハドリアヌス帝ってトラヤヌス帝が古代ローマ帝国を最大版図まで広げた後は、最早それ以上に広げることはせずに、その最大版図のローマ帝国の隅々までを見て歩いたという話があるそうだ。つまり、ハドリアヌス帝って、大帝国の運営者、征服者っていうよりも、どっちかというと「現場主義」の人だったんだろう。帝国全体の運営よりも、現場で何が起きて、何が解決しなければならないのかを気にする人、ということかもしれない。

 まあ、こういう人は帝国運営には向いていないんだけれどもね。

 で、その版図ってどのくらいなのよ、と言えば

20150830_215309 (Wikipedeiaより)

 この大きさですよ。

 これだけの広さの所を、今みたいな交通手段はあるわけでもなし、せいぜい馬に乗って回ったとしても、皇帝在位22年間(在位期間117年~138年)の中でどれほど見て回れたのかはよく分からない。多分、ホンの一部分だけだろう。

 とは言うものの、そうした「現場主義」の人は、帝国全体をどうやって運営していくのかを考える人ではなかっただろうし、その辺は、それぞれの属国、属州、植民地の指導者に任せるしかなかったんだろうな、ということは容易に想像できる。

 で、その分、トラヤノスが作った共同浴場なんかの設計、変更なんかをルシウスに任せたという設定を作りやすかったんだろうな。

 というお話も、結局はヤマザキマリさん14歳の冬、ドイツ、フランスの一人旅をしている時に出会ったイタリア人、マルコ爺さんに説得されて、その後、イタリアに留学することになったことから、すべてが始まっているんだから、人生何があるかは分からない。

 私のその年齢の頃って言えば、バスケットボール・バカから高校生政治運動バカになった状態だったから、取り敢えず、まだ日本国外に出るなんてことは考えていなかった時期だ。

 う~ん、その頃、外国旅行をしていたらなあ、私も今のようにはなっていなかっただろうなあ。今のカミさんともつきあっていなかっただろうし、いまの子どもたちも生まれていなかったということですね。

 まあ、取り敢えずは、人生は何があるか、何が幸いするか、何が不幸の元になるか、なんてことは全然予想できないから、人生は面白いって結論は、当たり前すぎるかな

『地球で生きている ヤマザキマリ流人生論』(ヤマザキマリ著/海竜社/2015年5月15日刊)Kindle版は出ていないようだ……、ていうより電子版なんて出す気のない出版社なんだろうなあ。

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?